火
15
5月
2012
金環日食
『金環日食は、太陽が月に覆われ、美しい光の輪を形成する天文現象。日本では1987年9月以来、約25年ぶりの観測で、関東では実に173年ぶりとなる。(MSN産経ニュース 5/14)』
173年ぶり~?そりゃ大変!って事で、さっそく日食観測用めがねを買いに行った。
中野のドン・キホーテで見つけたが、もう残り少なくなっていた。
新潟の父に電話したらまだ買ってないというので、実家にも送ることにした。
久しぶりになんか燃えた...(笑)。
( 6日後、よろしく!)
土
12
5月
2012
男気
男と女は別の種類の生き物、と言う人がいる。
少し前には、男脳と女脳診断なんてものが流行った。
先日、三鷹ソニドのセッションの後、プロレス・格闘技専門チャンネルは一晩中でも見れる!と盛り上がる男性陣を見ながら、一瞬この人たちは宇宙人かと思った(笑)。
( ソニドのママがどっから聞いてきたのか、世の中には既に姿を変えた宇宙人がたくさんいるんだとか。この話題はかなり怪しげに面白いのでまた改めて...。)
お互いに理解不能な事多々ある男と女だが、男性的といわれる幾つかの特質の中で、私が一つ心から尊敬するものがある。
”男は、主義とか組織とか国とか、実体のない観念的なもの・理念的なものの為に命を懸ける事が出来る”という事だ。
女は、目の前の我が子や家族を死に物狂いで守ろうとする。でも、自分の信条や社会的な思想の為となると命懸けは非常に稀なんじゃないかと思う。
それに対して、ソクラテスや坂本龍馬を始め、イデオロギーや革命の為に命を落とした男の何と多いことか。有名無名に関わらず、たくさんの男たちが国や信条の為に命を削った。
この特質があるから、政治はずっと男の仕事であったのだと思う。
政治家は、ある公共的な概念・理想に基づいて集団をまとめていく。憲法で成文化されてはいても実体のない”国家”というものの為に、その政治生命を( 時には本当に命まで!)懸けたりする。言い換えれば、彼らにとって、そういうものが実体として見えているということなのかもしれない。
最近では、マーガレット・サッチャーやヒラリー・クリントン、独・豪首相、有能な女性政治家はたくさんいるし、優秀な女性官僚も政治学者もたくさんいる。
でも彼女達は、国や主義に命を懸けるなんてことはきっとしない。冷静に国益、省益を考え、社会を構成する個々人にとって現実的な答えを出していくと思う。
その意味では、優れた女性政治家は、男性よりよっぽど組織の舵取りに適してるのかもしれない。
誰の本だったろう、男と女の生理学的な違いについてこんな事が書いてあった。
スポーツのトレーニングで、男は「死ぬまで頑張れ」と言われると本当に死にそうになるが、女はそのかなり手前で「もう限界です」と言ってへばってしまう。
それは種族保存の本能で、女は自分の命をそう簡単には危険にさらさないという事らしい(笑)。
それにしても、きれいごとだけではすまない政治の世界において、何かの理念や理想に基づいて、例え逆賊と誹られようと自らを犠牲にしようと、ある目的に突き進む強い決意はやはり男性にかなわない気がする。
国の独立運動や民族解放、諜報活動やレジスタンス運動、お家騒動で暗躍する藩士とか.....。
どうも我ながら小説や映画の見過ぎって気もするが(笑)、そういう歴史や国際政治の中の男たちが、私には”宇宙人”のように見えてしまう。畏敬の念をもって....。
最近の若い男は、、なんていう声をよく聞くけれど、少なくとも私の周りの若いJazzミュージシャン達は、すごく真面目に世の中を見ているし考えている。
”音楽に命を懸ける”なんて事はまぁ無いだろうけれど、それでも、自分が持つ何か一つの理想の為に身を賭する姿は本当に美しいなぁと思う。
なかなか生計を立てていくのが難しいJazzを一生の仕事にする、それは考えてみればある意味、Jazzに命を懸けるという事なのかもしれない。
”男気”という、今どき古風な言葉があてはまるような生き様だと思う。
土
05
5月
2012
テレビ-2
数日前にこのブログで、
『世界中で、過去にそして現在もたくさん起きている、特に戦争や地域・民族紛争といった複雑で難解な問題を、冷静に事実のみを取材して視聴者に伝えようとするこういうドキュメンタリー番組が、日本の国営・民間放送でなぜほとんどつくられないのか....』
と書いた。
そのすぐ後、たまたまネットで、”NHKドキュメンタリーwave”という番組を見つけた。
http://www.nhk.or.jp/documentary/
世界や日本の様々な問題を伝える本格的なドキュメンタリー番組で、2011年4月放送開始とある。
放送履歴を調べてものすごく嬉しくなった。
やった~、日本の放送局、頑張れ~!
久しぶりにテレビが見たくなった。
木
03
5月
2012
猫~Part2~
バックバンドの仕事をしていた時に一緒だったコーラスのKさんは、姉御肌で優しくて、頼りない私に業界のいろんな事を教えてくれたり、デモテープ作りに協力してくれたり、当時の私にとって、信頼できる心の支えと言ってもいいくらい大切な存在だった。
彼女の家には雑種の猫が数匹いて、遊びに行くと、懐かしいほのかな匂いと久しぶりに撫でる温かな毛の手触り、猫特有の ”あんた、何?”っていう高慢無礼な視線にめちゃくちゃ嬉しくなったものだ(笑)。
Kさんは大の猫好きで、老衰で歩けなくなった猫を最後まで世話をしていた。
私の母も、病気でばたばたと死んでいった猫たちを、夜中にお風呂場で( 排泄物のために )、一匹ずつ抱きしめながら看取った。( 猫エイズと呼ばれる伝染病で、うちの猫たちは全滅した。)
私の家は、”猫好きなうち”と近所で知られていたらしい。よく、捨て猫が家の前に置かれていた。
玄関のすぐ上の二階に私の部屋があって、子猫のみゃーみゃー鳴く声に気が付くと、すぐ母のところに行って「ねぇ、猫が鳴いてるよ。」と報告する。すると母は間違いなく、その子を救出してくれた。
ある時、暮れも押し迫ったもの凄く寒い日の夜中、雪が降り出して早々にベッドにもぐり込んだ私は、窓に吹きつける強風の中にかすかにみゃーみゃーと鳴く弱々しい声を聞いた。
飛び起きて母のところに行った。
二人で玄関に出てみると、段ボール箱の中に産まれたばかりの子猫が一匹、寒さで凍りそうな中、必死で鳴き声をあげていた。
母はその子を手で包み込むと、黙って家に入った。私は、あぁ良かった、もう大丈夫、と二階のベッドに戻った。母は一晩中、半死の子猫を胸に抱いて人肌で暖めたそうだ。
その子猫が成長して数年後、可愛い子猫たちを産んだ!
命というのは、なんと健気で力強いものか....。
Kさんが、猫たちを傍らに一緒にお酒を飲んだ時にこう話してくれた。
彼女のお家は神職で、猫や犬を飼う事ができない事情があった。小さい頃、境内に捨てられた子猫を川に捨てに行く( 殺すという事だ... )、その役目が辛かったそうだ。
動物好きな小さな女の子に、そんな役目を課した神職の父親というのがそもそも許せないという気がするが、それを聞いて私は母を( そして、本来猫嫌いだったのに、母の為に一生懸命猫の世話をした父を )、心の底から誇りに思った。
Kさんのような悲しい思いをせずに育った事を、両親に感謝した。
うちの猫たちが病気で全滅した後、母はもう猫を飼いたいと言わなかった。
東京の私の部屋を訪れた父が、ポストカードや雑誌の猫の写真を切り抜いて小さな額縁に入れたのを見て、「やっぱりママの子だな。」と笑った。
この記事を書きながら思った事がある。
もしかしたら、私が好きだったのは”猫”ではなく、あの時母が愛した”うちの猫たち”だったのかもしれない。
一人っ子だった私の永遠のライバル(笑)、しょうがないなぁ....ちょっとだけ遊んであげる、、殆どいつも完全無視を決めこみながらも、気が向くと私の相手をしてくれた”うちの猫たち”。
懐かしさと、ちょっぴり恨めしく思う気持ちと、遠くに残して自分だけここに来てしまったような悲しさと、いろんな言葉にできない気持ちがごちゃ混ぜになって、何だか泣きたくなるほど会いたくなった。
(写真の私は、いったい何をしたかったんだろう....謎だ・笑)
金
27
4月
2012
猫~Part1~
新潟の私の家には、昔、猫がたくさんいた。
ハンパじゃない数だ。一番多い時で10匹はいたかもしれない。
もっとも、家の中にいるのはそのうち数匹で、あとの猫たちは、食事時になるとどこからか戻ってくる、という感じだった。
こうなってしまったのは、母が原因だ。
捨て猫が可哀相でほっておけなかった事、雌猫には女と生まれたからには一度は子どもを産ませてあげたい、なんていう女性人権...いや猫権活動家のような勇ましい事を考えた事、そのうち避妊手術などの管理が面倒くさくなっちゃった事、その他いろいろ...。
結局のところ、母はとても気持ちが優しい人なのだが細かいことはあまり考えないし、父が本当に頼りになる人なので、困ったらなんとかしてくれるみたいな気持ちがあったのだと思う。
おかげで、父と私は本当に大変な思いをした。
今でも父と時々、「いやぁ、あの時は...」なんて、笑いながら思い出話をする。
父に比べれば、私の苦労なんて微々たるものだが....。
私が一人っ子だというと、「さぞ大事にしてもらったんでしょう。」とたいてい言われるが、とんでもない、わたしには強力なライバルみたいな兄弟たちがぞろぞろ居て、母の愛情はどちらかというとそちらに行っていたと思う。
学校の宿題ノートをテーブルの上に広げておいたら、目を離した隙に兄弟の一匹がその上に毛玉を吐いてしまい、私が泣くと母は「そんな所に出しっぱなしにするのが悪い!」と叱った。
小学生の時、文集に私の作文が載った。家族の事を書いたのだが、たぶんわざと猫の事を書かなかった。母は嘘の作文だと言って一言も誉めてくれなかった。
母にとって猫たちは家族だったのだと思う。
こう書くと私がえらく彼らを嫌っているように思われるが、私にとって、あの時いつもまわりに居た猫たちは間違いなく私の兄弟姉妹だった。
( 本当を言えば、みんないなくなっちゃえ!なんて何度も何度も思ったけれど....笑。)
同じ親から同じ時に生まれても、子猫は一匹一匹、性格が見事に違っていて、臆病な子、好奇心旺盛な子、弱い子、強い子.....個性は観察していると本当に種々様々だ。
猫の世界の強者・弱者の争いは苛酷で容赦がなく、戦いに負けて尾っぽがだらりと垂れ下がってしまった雄猫に、慰めようにも言葉が通じないから、ただ側に座って、”頑張れ、私も大変なんだ” なんて随分独りよがりな応援を心の中でつぶやいたりもした。
だから先日、facebookのリンクでたまたま見た「飼っている猫を魚と思って見ている」というブログの記事を読んで、思いっ切り悲しくなった。
無性にうちの猫たちの事を書きたくなった。
もう思い出でしかないけれど、愛憎悲喜こもごも、もの言えぬ家族の事を書きたくなった。
という事で次回に続く、また長くなっちゃいそうなんで(笑)。
( 時代を感じる.....笑 )
土
21
4月
2012
テレビ
我が家にはテレビがない。
そう言うと、一年くらい前はたいてい「えっ?」という反応があった。そして「どうして?」と聞かれたものだが、最近ではあまり「どうして?」と聞かれない。
先日、ライブが終わって帰り道、深夜でがらがらの車内にベースのYくんと並んで座っていた。
ニュースや広告やプチ講座やらを文字と鮮明な画像で絶えず流している車内テレビ放送を、気付いたら二人とも無言で食い入る様に見つめていて、それが我ながら笑えて、「Yくんちもテレビないの?」と聞いたら、「はい~」って照れ笑いしながら答えていたが、その答えを聞いて私も「どうして?」とは聞かなかった。
ニュースはインターネットで見ているし、面白そうなドラマがあったらDVDでまとめて見ちゃうし、バラエティー番組はタイトルからしてつまらなそうでスポーツは最近お気に入りのチームがない。
たまに実家で見るNHK国会中継も、小泉進次郎くんの質問真っ最中に( 無礼にも!)いきなり終了してしまうし(笑)....とにかくテレビに期待するものがほとんどない。
それでも時々、BBCとか海外制作のドキュメンタリー番組が無性に見たくなる。
日本人の想像をはるかに超える世界の苛酷な現実や、知らされる事のなかった歴史の中の事実がたくさん報道されている。
数年前、まだうちにテレビがあった頃に見た、そうした海外のドキュメンタリー番組の衝撃的な映像は今でもはっきりと覚えている。
第二次世界大戦中の反ナチスの活動を証言するスパイたち、1994年のルアンダで国連がやった事( やらなかった事 )、イスラム世界で今も行われる名誉殺人を逃れて生きる女性たち、犯罪被害者の遺族と犯人である受刑者が一緒にバス旅行するアメリカ民間の試みのルポ.....。
世界中で、過去にそして現在もたくさん起きている、特に戦争や地域・民族紛争といった複雑で難解な問題を、冷静に事実のみを取材して視聴者に伝えようとするこういうドキュメンタリー番組が、日本の国営・民間放送でなぜほとんど作られないのか、すごく不思議に思う。
調査報道は日本では難しいという事? どうして難しいの?
YouTubeにアップされているドイツの国営放送・ZDF制作のドキュメンタリー番組「フクシマのウソ( 原題:Die Fukushima Luge )」が、最近ネット上で話題になっている。
( http://www.youtube.com/watch?v=4Z38NR0mn_M )
この番組は、日本社会の中の巨大な排他的利益集団「原子力ムラ」の実態を暴いている。
なぜ、日本の放送局じゃないの?。
日本の国内の真実さえ報道できないマスメディアって一体なんなのか....。
調査報道を遠ざける日本の報道体制、その中で生きるジャーナリストたちは何を信じて仕事をしているのだろう。
政府発表、官庁発表を全てとする事なかれ主義と、捏造・煽動を懲りずに繰り返す悪質な学者や評論家たち。
何を信じたら良いのか分からなくなっている私たちと、何を信じて仕事をしていったら良いのか分からないジャーナリストたち、、もしそんな構図なら、本当にテレビは要らない。
ジャーナリズムも政治も経済も、正義を追求する気持ちのない人が支配するようになったら終わりだと思う。
日
15
4月
2012
誕生日
ちょっと前になるが、前々月24日は私の誕生日だった。
偶然、新潟の実家に帰っていた時だったので、昼ご飯を食べながら両親に言ってみた。
「ねぇ、今日はあたしの誕生日だよ。」
父「おう、そうか、誕生日か!」
母「へ~、今日は24日なの?」
私「うん。.....」
まぁだいたいこの流れは予想できたので何も思うところはないのだが、後日ふと考えてみて、うちって変わってるのかなぁと思う。
小学生じゃあるまいし、今更”お誕生日”もないでしょうと思う人もいるかもしれないが、うちでは、私が小さい頃から家族の誕生日を祝うという習慣がない。
夕ご飯のおかずがちょっと豪華になるくらいはあったのかもしれない。でもそうだったかもしれない、と記憶の彼方に朧げに浮かぶ光景は現実とも想像ともつかない(笑)。
悲劇なのは、お祝いのプレゼントと誕生日とがほとんどむすびつかないまま、大学卒業後、某大手音楽教室という文字通り女の園(笑)のような職場で働くことになった事だ。
2/24、何が何だかわからないうちにたくさんの素敵なプレゼントを貰って、へ~あたしって人気あるんだなぁ....なんて能天気な大誤解をした。
だいたい人の誕生日なんて、たとえ大好きな男の子であってもほぼ関心が無かったから、友達の女性講師たちが大切なイベントのようにお互いの誕生日を手帳に書きこんでいると知って、本当にびっくりした。
その上、私にとってプレゼントというのは、大変な好意か特別な感謝の結果であって、社交的な意味合いのプレゼント交換という概念がなかった。
おかげで講師仲間では“変な人”になっちゃった訳だ(笑)。
そういう洗礼を受けた後、実家のすぐ近くにステーキ屋さんができて、”ご家族のお誕生日に割引と記念撮影をサービス!”とあったから、そのお店が閉店するまでのかなり長期間、毎年、誕生日近くには必ず新潟に帰って家族でステーキを食べに行った。
父も母も私も、誕生日を祝うというよりは、美味しいステーキを食べて『みんなで写真を撮る』という事が最重要事項なのであって、「お誕生日おめでとう!」てな祝辞はその為の確認事項だったような気がする(笑)。
今思うのは、私の誕生日は、母がそれまでの人生で一番大変な想いをした日であり、父がこれから背負う大きな責任をかみしめた日であり、私にとっては最大の感謝の日だという事だ。
好きな音楽を思う存分やって、好きな仲間と一緒に仕事をして、好きな場所に住んで、好きな文章をたくさん書いて....。好きな事だけを、本当に思いっきり我が儘にやってきたなぁと思う。
六月と七月、母と父の誕生日がある。
いつもどおり電話で「おめでとう!」と言うだけなのだが、電話の向こうの明るい声を聞きながら、最近は何だか妙に切ない気持ちで胸がいっぱいになる。
そして、そんな気持ちになる事自体が申し訳ないような、どうにも説明しようのない心持ちに自分ながらとまどってしまうのだ。
誕生日をお祝いするのは、キリストと天皇だけでいいのではないかと正直思う。
日
08
4月
2012
桜
うちのベランダから桜を写した。
もうほんのちょっと右の方に歩くとささやかな桜並木があるのだが、離れてひっそり咲くこの2本の桜が、何だかとっても"けなげ”だ(笑)。
群れずに気高く、何も気負わず誰とも競わず、その時を精一杯いさぎよく美しく咲く....。
そんなめちゃめちゃ感傷的な思い入れをついしてしまうほど、桜は私たち日本人にとって特別な花だ。
桜の木の下で大騒ぎをしている人間たちとはまったく違う次元で花を咲かせ散らしているかのような、ある種、哲学的な高尚ささえ感じてしまう。
秋の虫の声といい、外国人にとっては理解を超える日本人独特の感性かもしれない。
月
02
4月
2012
鍵盤が....!
毎週日曜日、ピアノのレッスンをしている沼袋の音楽教室。
YAMAHAのグランドピアノがあって、レッスンが終わると大概、指が疲れてよれちゃうまでたくさん練習して帰るのだが、先週、大事件が発生した。
鍵盤がいきなり割れちゃったのだ。
中央Cより1オクターブ上のCの鍵盤が、黒鍵のちょうど下の部分から横にパキッと割れて、あっと言う間もなくポ~ンと目の前を飛んでいった。
えっ!としばらく何が起こったのかついていけず、半分むき出しになった木の鍵盤をぼんやり眺めて、それから飛んでいった割れた白鍵を見つけて元の場所にはめてみて、やっぱこれ、割れちゃったんだよな.....となかば茫然と確認して、教室のオーナーに電話で報告した。
「明日、そちらに行きますので、そのままにしておいて下さい。」
後日、メールで「大丈夫でしたよ!」と連絡をもらっていたけど、ずっと心配だった。
昨日、一週間ぶりに教室に行った。
生徒さんも気付かないほどに直っていて本当にほっとした。( アロンアルファでくっつけたそうだ!)
図解すると(笑)、白鍵の、ほんの少しだけ木鍵から浮いていた薄いプラスチック板の先端部分が指に引っ掛かって上に押し上げられ、一瞬の勢いで割れてしまったらしい。
友人に「鍵盤が割れちゃってさぁ....」と言ったら、「みっちゃん、どれだけ激しく弾いたのさ?」って言われたから、「そうじゃなくて....」と事情を説明しようと思ったけれど、長くなりそうなのでむにゃむにゃ言って終わりにした(笑)。
とにかく、先週日曜日は久しぶりに焦った....。
( 髪の毛くらいの跡があるけど、よく見ないと分からないよね?)
火
27
3月
2012
電車の中
ずっと以前、外を出歩く時には大概いつも、ヘッドフォンで音楽を聴いていた。
地下鉄なんかに乗ると低音がかなり聴きづらいのだが、意地でも(笑)、音楽を聞き続けていた。
それが、PCで音楽を作りだした頃から、特にカラオケの仕事が殺人的に忙しくなった頃くらいから、外でヘッドフォンをほとんど使わなくなった。
カラオケ・データを作る時は、イヤフォンで楽曲をコピーしながらどんどんデータを打ち込んで、ステレオフォンで音源のバランスやpanを確認するというやり方だったから、ヘッドフォンの消耗度は半端じゃなかったし、難聴になっちゃうかも、、という不安がいつもあった。
カラオケは1000曲以上作ったんじゃないかな...。
今思えば、その間、朝から夜中まで”音”を、自分が選んだ好きな音楽ではない”音”を、ずっとヘッドフォンで聞き続けていたと言えるのかもしれない。
最近は、外を出歩く時には街の音を聞く。
歩道を歩く親子の会話やお店から聞こえる威勢のいい掛け声、商店街にかすかに流れる懐かしい音楽や、遠くや近くを走るたくさんの自動車が出す都会の通奏低音のようなぼんやりとした音。
中でも格別なのが電車の中だ。
耳をそばだてている訳ではないけれど、自然と面白い話がいっぱい聞ける(笑)。
「おまえ、”みのうえしょ”、もう書いた?」
「いや、まだだけど、あの”みのうえしょ”って、書くの難しいな!」
ん~、それは”みのうえしょ”じゃなくて”しんじょうしょ(身上書)”だよ。身の上相談と同じ漢字だけど...。
ものすごく可愛い女子高生が友人たちに、”筋肉痛をいかに克服して立派な筋肉を作るか”について熱弁をふるっていたり、上品な初老のご婦人が、巧妙な手口の振り込め詐欺に危うくひっかかりそうだった話をとても美しい日本語で話していたり....。
つい先日、ちょっと興味深かったのは高校生の男子グループの会話。
「コンビニで美味そうな弁当とか買ってさ、一人で食べるのって最高だよな!」
「え~? それって寂しいだろ。やっぱ家族とかみんなで一緒に食べるだろ、ふつ~。」
最初に言った男子はみんなにやり込められていたけれど、私が高校生だった頃、一人でいるのが寂しいっていう感覚はほとんど無かったと思う。
友達と騒ぐのも好きだったけど、一人でいるのも大好きだった。
一人で自分の好きなものを食べるって、私も最高だと思うけどね....。
ただ、女で私みたいな事を考える人は、間違いなく婚期を逃しちゃうような気もする(笑)。
そんな電車の中で、ちょっと腕が当たったり足を踏みそうになって、慌てて「ごめんなさい!」と声を掛けた相手がヘッドフォンをしていると、まったくこちらを見向きも振り向きもしてくれない。
その時は、ちょっとだけ寂しい気分になるかな....。
日
18
3月
2012
Jazz同窓会
昨日は、青梅線小作駅前にあるライブハウス、”ロッククラブ”で10数年来のJazz仲間たちと久しぶりのライブ。
「お~、久しぶり。」てな簡単な挨拶で始まった演奏は、予想どおりめちゃめちゃ楽しかった!
Tpのふとちゃん、Bassのルーピー、Dsのマレッティー、そして初めてお会いしたSaxの太田先生( ドクターだそうです )、飛び入りのトランぺッター国夫くん、そしてお店のボーカリストまこさん。
”ロッククラブ”って名前でちょっと思っていたイメージとはまったく違って、マスターの垢抜けたセンスがあちこちで光る店内は、”Jazzのお店”って言ってもいいくらいのJazzyな雰囲気がいっぱいで、リハの時から何だか嬉しくなってしまった。
ふとちゃん、ルーピー、マレッティー、いい年のおじさん( 失礼!)をこう呼ぶのも凄いことだが、私も凄いことに”ミッチー”だ(笑)。
この人たちと出会わなかったら、今、私はJazzをやっていなかったと思う。
大学のJazz研とか( なんで研究会?)、Jazz評論家とか( 評論するんだったら一度演奏してみましょう!)、公民権運動からJazzを語る人たちとか( 音楽に政治を持ち込むの?)、とにかく面倒くさいJazzとは何かみたいな定義を飛び越えて、ただJazzは楽しいねって最初に教えてくれたのが彼らだ。
気持ちの良い音を出す、本当にただそれだけの事なのだと教えてくれた。
良い出会い方を最初にしていたからこそ、今までずっと楽しくJazzを続けてこれたのだと思う。
社会的な仕事をきちんとやりながら、趣味としてJazzを続けている彼らを見ていると、音楽を仕事にする事の意味や矜持を考えてしまう。
音楽と、生きる事とを切り離して考える事が出来ない私に、選択の余地はまったくないのだが....(笑)。
飛び入りでトランぺットを演奏してくれた国夫くんは、なんと13歳、中学1年生だ。
これから沢山の練習と勉強と経験を楽しんでほしいと思う。
こんな若さで、ここまで表現する力があるなんて本当にびっくりした。
日
11
3月
2012
3.11
森鴎外の歴史小説で『最後の一句』という短編がある。
江戸時代の実話を基にしたもので、死罪になる父の命を救う為に身代わりになろうと奉行所に願い出た”いち”という16歳の少女が、お白州での取り調べで役人に向かって最後にこう言う。
「お上の事に間違いはございますまいから。」
この言葉について、権威への痛烈な皮肉とする意見がある。
鴎外自身、ドイツ留学後一生にわたり高級官僚として権力の内部にいて、日本の官僚たちのある種の愚かしさを苦々しく思っていたに違いない。その意味では、まさに皮肉であったかもしれない。
でも、私はこの言葉は、”仁徳天皇の「民のかまど」の話”がいまだに語り継がれているように、日本人が心の奥底に持つ上に立つ者への信頼と畏れを、鴎外が改めて確認した言葉だと思う。
崇高な自己犠牲の境地に至った”いち”が、大丈夫ですね、全てをお任せします、と伝えた言葉の中に、権力への批判、あるいは『反抗の鋒(ほこさき)』を感じたのは受け取る役人側の問題であって、古来日本人は、上に立つ者はその責任を負うことを知る人であると思ってきた。
大家といえば親も同然、村人たちの命を救った庄屋さま、幕府の役人も政党の党首も、役目上、様々な知識を持ち、下の者や国の事を考えている人なのだという理解が一般にあったと思う。( もちろん例外はいっぱいあっただろうけれど....。)
その時は受け入れられない事であっても、あるいは不当と思える事であっても、それが相対するもう一つの是認されるべき解答なのだという思いが、”いち”にしろ、尊王攘夷派の武士にしろ、安保闘争の学生にしろ、権威に対する諦めや反発と共にあったはずだ。
上に立つという事は、信頼に対する責任を負うことだ。
その信頼を得て政治家になった人が、突然道を踏み外したり、謝った選択をする事は過去にもたくさんあったし、信用をお金で買えると勘違いした人もいただろう。
それでも、国家・市民を想う人が政治家になるという認識は小学生ですら持っていた。
それが、3.11の大災害と共に崩れ去った。
目の前の敵を倒すことだけが信条の人が、私たちが心の奥底に潜在意識のように持っていた上に立つ者への信頼をめちゃめちゃに壊した。
我が子を守ろうとするお母さん達は、「政府の言うことは信用できませんから。」と言う。
子ども達までが日本のトップを嘲笑した。
「お上の事に間違いはございますまいから。」という少女の言葉を書いた鴎外が、今の日本を見たらいったい何を思うだろうか.....。
今、懸命に頑張っている野田首相や若いやる気のある議員や官僚の方々は、どうか、この国がどれだけ有能な人達の努力で支えられているかを、もう一度、私たちに思い出させてほしい。
そして、それが本当の真実であると、私たちに心から信じさせてほしいと思う。
日
04
3月
2012
女の香り
新潟の長年来の友達が、センテッドスティックをプレゼントしてくれた。
こういうものを見るのは初めてだったので、インターネットで検索してみた。
『アロマリキッドの入った瓶に、木製のスティックを差し込んで、スティックににじんだほのかな香りが、優しく空間に広がります。スティックの本数を変えることで、香りの微調整が可能です。』
頂いたのは「purerose」の香り。
ちょっと甘いバラの香りのするセンテッドスティックを、一緒に貰ったレースのポシェチーフ( これも初めて見た....一見ハンカチで中に小物を入れるポケットがついている )の上に置いてみた。
何だか、あぁ、あたしって女の人よねぇ....てな優雅で感傷的な気分になった。
いつも人から言われるのは、凛々しいとかきりっとしてるとか男らしいとか( どういう意味?)、立っているだけで偉そうだとか( これはひどい!・笑 )、宝塚の男役じゃないんだし、、と思うのだが、たぶん私自身、あまり女性という事を意識してこなかった気がする。
友人たちからは、もっとお洒落したら、とかもっと美容院に行って、とか言われるけれど、今いちピンとこなかった。
それなのに!バラの香りとレースで、なんかむくむくとわき上がってくるこの不思議な気持ち(笑)。
あぁ、あたしって女の人よねぇ....。
もっとも、バラの香水をつけてレースのいっぱい付いたドレスを着るのは絶対に絶対に無理だと思う.....。
月
27
2月
2012
イズイズのこと
先日、「ブログの写真、見ましたよ!」と声をかけて頂いた。
なんとも恥ずかしい....でもすごく嬉しいむずむずの気分(笑)になった。
ギャラリーにある一連の写真は、このブログの開設でお世話になったYukoさんと、私のピアノを応援してくれている、私にとって恩人のような存在であるイズイズ( これはご近所仲間公認の愛称らしい...)、彼女たちのパワーとセンスであれよあれよという間に形になって、ほとんど私じゃないような(笑)めちゃお洒落な写真になった。
お二人への感謝の言葉はまた別の機会に譲るとして、今日は純粋に一友人として、驚くべきイズイズのスーパーウーマンぶり! を書きたいと思う。
スーパーウーマンと言っても、格別力持ちだったり、とんでもない才媛だったりするわけじゃない。
彼女は、例えて言えば、江戸八百八町・町火消し”め”組のしっかり者の姐さん、でもどこかおきゃんな娘っぽさが抜けきれなくて....な~んて人情話の主人公みたいなのだが、時代劇に出てくる江戸っ子よりはずっと上品だし奥ゆかしい。
それじゃあどこが”驚くべき”スーパーウーマンかというと、私が本当に何度も”驚いた”からだ(笑)。
最初にちょっと驚いたのは、J.J.Nashでトリオのメンバーと話していた時。
メンバーが以前に話したことやその時の服装・髪型等、細かな状況を彼女は実に良く覚えていて、凄!ジェイソン・ボーンみたいだと思った。( ジェイソン・ボーンはマット・デイモン扮するCIAスパイ-『ボーン・アイデンティティー』)
何しろ私は、何年も付き合いのある知人が眼鏡をかけていたかどうかも忘れてしまうほど、服装・髪型に関しての記憶力がほぼゼロに近い。
サスペンス・ドラマでよく出てくる犯人の目撃証言なんて、もし実際やる事になったりなんかしたら成果は限りなく絶望的だ。
次に驚いたのは、その話題が多方面にわたること。
山本くんと芸能界ネタ、林くんと経済の話をして、マスターと米TVドラマで盛り上がり、私の大好きな政治論議(笑)でもちゃんと意見を言う。だいたい好きな政治家が大平さんだなんてかなりの政治通だ。
feminizumも落語も超能力もOK、趣味も多方面にわたる。
彼女は jazz vocal を習い始めて、最近は私のライブでも飛び入りで歌ってくれるのだが、ある日、歌う前に自作の俳句を披露してくれた。
後で聞いたら小唄も習っていたそうで、踊り・ダンス関係もずいぶん上手そうだし、いったいどれくらいの趣味があるのか見当もつかない。
決定的に驚いたのは、冒頭に書いたブログの写真撮影の時だ。
イズイズは、ファッションの流行を押さえつつそれほどお金をかけなくても素敵に見せる技をいくつも知っていて、アドバイザーとして企画段階からいろいろなアイディアを出してくれた。
ところで、私の一番の苦手分野がファッションだ。
洋服を買いに行く時は前日から気が重い....。膨大な数の洋服から四苦八苦して選び、試着室で格闘して、店員さんのお世辞を半信半疑で聞き流し、ようやく決心してカードのサインをする時はすでに汗だくだ。
家で、たまったDVDや本を相手にしている方が数倍楽しい。
それなのに、街に出てゴージャスに着飾った女性や可愛らしくお洒落をした女の子を見ると、ほ~っと思わず感嘆の声をあげてしまう。これじゃまるでおじさんだよなぁ....。
さて、撮影の最中に、私はいきなり髪型をアップにしたいと思った。アップにするにはそれなりの道具が要る。
イズイズはちょっと考えて、そこらへんにあった鉛筆を使ってするするっとアップにしてくれた。
事ここに至って、私はめちゃめちゃ彼女を尊敬した。
一ヶ月後、めでたくブログを開設し、私は最初の記事に”鴎外や源氏物語が好きです”と書いた。それを読んだイズイズが私に言った。
「田崎さんは源氏の女性たちの中で誰が一番好きですか? 私は花散里が好きです。」
むむ、源氏も守備範囲かぁ....。
「田崎さんは森茉莉とかも読みますか?」
わっ!そこまで行くか.....。( 森茉莉は鴎外が溺愛した長女・作家。)
ね、驚くでしょ?
でも私が何にもまして尊敬の念を惜しまないのは、彼女が、愛する家族-ご主人と2人の息子さんにとってまさに太陽であることだ。
家族の中心で常にみんなを明るく暖かく照らす太陽であるということは、そのこと一つでとても特別な才能なのだと思う。日本の社会はその才能をもっと評価して良いのだと思うし、”驚くべきスーパーウーマン”は、実は、私の周りに何人もいるのかもしれない。
それにしても、イズイズの知的好奇心はまるで中身のいっぱい詰まったびっくり箱だ。驚かされるのはめっぽう面白いし、jazzの他にも私と共通の話題がたくさんある。
今度、落合福嗣くんの自伝を貸してくれると言っていたけど、笑いのツボが同じなのもこれまたかなり嬉しい(笑)。
月
20
2月
2012
オリジナル2
今日は、東小金井J.J.Nashでピアノ・トリオのライブ。
『Why Do You...?』というオリジナルを初演奏する予定なんだけど、今からドキドキだ。
だいたい、スタンダードの名曲を演奏するのと自分の曲を演奏するのとでは、天と地ほどの気持ちの差がある。
何十年も生き続けてきた曲のもつ凄さというのはもうほとんど感動的だ。
三ツ星レストランで食事をするような、ゴージャスな緊張感と懐の深い安心感がある。
一方、オリジナルには自分の世界を一部披露するみたいな感覚があり、それを一緒に演奏してくれる仲間や聞いてくれるお客さんがいるということは、これ以上ない幸せで嬉しいことだと思う。
ただ、あんまり自信があるわけではないから演奏する時の気持ちはほとんどおっかなびっくり、大丈夫かぁ....だ(笑)。
何回も演奏して本当に自分の歌になったら、きっとめちゃ楽しいんだろうな....。
さて、この『Why Do You...?』は、jazzをやり始めて数年の頃に作った曲だ
当時は国立に住んでいたのだが、しょっちゅう多摩地区の仲間と集まってはセッションで遊んでいた。
なんとも楽しい時間で、この時代があったから、それまでチャーリー・パーカーさえ知らなかった私でもjazzを演奏する面白さを知ることができたのだと思う。
この仲間が私を除いてみんな男性で、こういう状況は仕事でもほとんどそうだったから別に違和感はないのだが、仕事じゃなく遊びとなると、まぁなんというか、男と女の違いみたいなのがいろいろ些細な事で出て来て、それが結構面白かったりびっくりしたり、そんな気持ちが「あんた、どうしてさ....」となった訳だ。
Why Do You....の後ろには、もうたくさんあるのだが、例えば、男の人はなんで俺とか僕とかわしとか私とかおいらとか拙者とか( これは無いか..笑 )、微妙に使い分けるんだろうか。
なんで道に迷って右往左往している状況で、ビビアン・スーの写真集を本屋で見つけてみんなで盛り上がれるんだろうか。
等々、今に至っても解けない謎(笑)がいくつかある。
でも、男の人も女性に対して、”Why Do You...?”と絶対思っているに違いないし、たぶん聞かれても、だってそうだから仕方ない!と答えるだけだから、あまり実りある議論になりそうにない。
”どうして....”は聞かない方がお互いの為ということだ(笑)。
あ...、そろそろライブの練習をします!
木
16
2月
2012
不思議なこと
前回、母の超能力(...?)の記事を書いていて思い出したのだが、私にも不思議な体験が二三ある。
その一つが、『お風呂での対話』だ。
当時、スタジオ録音の楽曲アレンジやカラオケの打ち込み仕事とかで、飲まず食わずの徹夜はしょっちゅうだった。
事務所で毛布にくるまって仮眠をとりながら譜面を書いたり、催促の電話に悲鳴をあげながら打ち込みデータを締め切り寸前、ぎりぎりで送ったり、こんな事続けてたらそのうち病気になるなぁ、なんてぼんやり考えながら、とにかく目の前の仕事を必死にこなしていた。
なんとか間に合わせなきゃ、寝る時間、食べる時間を削ってでもちゃんとした仕事をしなきゃ....、強迫観念のように思っていた。
その日は、徹夜が3日に及んでその間ほとんど食事らしいものも摂らず、ようやく期限に間に合ってそれこそぼろぼろの状態でお風呂に入っていた。
意識がもうろうとする中で、ふいに頭の中に声がした。その声は、恋愛や仕事・人生に関する様々な命題を問いかけて、私が一生懸命考えて答えるとさらに違う問いかけをして、不思議な、一種哲学的な対話がしばらく続いた。
そして最後に、ある”謎の言葉”を残して対話は終わった。
お風呂の中で寝ていた訳ではなく、半覚醒状態というよりは頭の中だけが違う次元にいる.....というかなんとも説明しがたい感じだった。
「それって危ないんじゃないの~?」
自分でもびっくりして友人たちに話したら、予想どおり”危ない幻聴”という事になった。まぁ、それしか説明がつかないよな....。
実は、この声を聞いたのはその時が初めてではない。ただずっと忘れていた。
それよりかなり前、ガリガリに痩せてしまう程のストレスに苦しんでいたさなかだ。
この時はお風呂ではなく、アパートのロフトに上がって不眠症と戦ってなんとか眠ろうとしていた。
ふいに周りに優しい感じがして、例の”謎の言葉”が頭の中に響いた。
全くまともに考えなかったし、ずっと思い出しもしなかった。自分の心が助けを求めて想像したものだと思ったから。
そしてついこの間、年末だったか、3回目の対話体験があった。
極限状態やストレス状態ではなく、普通にお風呂に入って、声と対話するというよりは自問自答という感じで、あれこれいろいろな事を考えていた。
そして最後に、あの”謎の言葉”を聞いた。聞いたというよりは、ある言葉がふわっと頭の中に浮かんだ。
あっ、と思ってこの時にようやく、はるか昔に2回、同じ体験をした事を思い出した。
声というよりは、心の奥底に眠っていた潜在意識というやつなのかもしれない。
ただ、その”謎の言葉”の意味する事が未だによく分からない。
この先、何年も生きてみて、”ああ、この事だったのか”、と気付く時が来るのか、あるいは、”昔そんな事があったなぁ”、となんの意味も無かったことに気付くのか、どちらにせよ、また忘れてしまわないうちにここに書いておこうと思った。
前回と今回、母の超能力と私の不思議体験。変な親子だなぁ....友達でいるのやめとこっかな、な~んてどうか思わないでほしい....(笑)。
木
09
2月
2012
超能力
私が東京で音楽の仕事を始めた頃、だからずいぶんと昔のことなのだが、お盆で帰省した私に母が面白いことを言った。
「あのねぇ、あたしには小さい頃から何だか不思議な力があるんだよ。誰だったかの葬式の帰り道にうちのばあちゃんがどっかに数珠を落としてね、あたしが走ってすぐに見つけてきたんだ。どういう訳かどこに落ちてるって分かったんだよ。」
ふ~ん、それって遠隔透視ってやつかな、でもまさかうちのママが超能力者なんてねぇ....。
母には、それは父も認めていることだが、何だかよく分からないけど、とてつもなく運が良い人、というイメージがある。
別に、一億円の宝くじを当てたり株で大儲けするわけでもないし、母の人生で格別ラッキーだったことなんて、私が知る限りほとんど思い浮かばないのだが、でも何か、他の人にはない特別な感じは昔から確かにあった。単に”変人”てことではなく....(笑)。
でもだからといって、超能力なんてものがこの世に存在するとはとうてい思えない。
もし本当にあるのなら、世界中の科学者たちがとうに研究しているはずだ。
と思っていたら、先日、心底びっくりする映画を見た。
『山羊と男と男と壁と』( 2009年/米・英 )、主演はジョージ・クルーニー、ユアン・マクレガー、他にジェフ・ブリッジス、ケビン・スペイシー。
何とも凄い豪華キャストのわりにあまり話題にならなかったし、驚くようなスペクタクルも涙あふれる感動もほとんど無し、緩いコメディともシニカルな反戦ものともつかない摩訶不思議な映画だ。( 私はこういうの結構好きだなぁ...)
冷戦時代に米軍に実在した超能力部隊の関係者に取材したノンフィクションが原作、ということなのだが、米ソ冷戦当時、ソ連もアメリカも軍事目的の超能力研究・開発を秘密裡に行っていたらしい。
まぁ確かに、スパイが超能力者だったら情報収集もかなり楽だし、相手国の潜水艦や秘密基地の位置が透視で分かるなら莫大な経費削減になる。
でも、何だか嘘くさい話だよなー映画のコメントを見てもほとんどの人が半信半疑だ。
More of this is true than you would believe.( 信じられないほど実話に近い物語 )
映画の冒頭、この一文が出る。観客に念を押す、それほど信じられない実話だということだ。
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何が心底びっくりしたといって、この嘘のような話を、私は20年以上も前に友人から聞いていた。
幽霊話かなんかで盛り上がっていた時にふとその彼が、
「僕の知り合いの人( だったかその友人 )が凄い霊感があってさぁ、とにかく何かいろんなものが見えるんだって。池袋の古いビルでエレベーターの扉が開いた瞬間、戦時中のものすごい火事の映像が見えたりさ....。その人、こないだアメリカの超能力とかやってる研究施設に連れていかれたらしいんだよね。ソ連も同じような事やってるんだって。」
その話を聞いた時は、へー、都市伝説だなと思って本気にしなかった。
でもこの彼が連れていかれた研究施設が、映画の中の超能力部隊関連だった可能性はある。
20数年前の友人の話は、信じられない実話だったということかもしれない。
もう一つ。
イラク戦争で、国防長官ラムズフェルドが終始強硬にイラクにあると主張した大量破壊兵器。
あそこまで彼が強く確信する一因に、進化・精鋭化して存続する米軍・秘密超能力部隊のレポート結果があった、な~んて、こっちは私が考えたただのSF(笑)。でもそんな荒唐無稽な話をあれこれ空想してみるのもなかなか楽しい。
さて、お盆で帰省した私と母の会話。
小さい頃から不思議な力が云々....と話した母が、「あたし、これから起こる事とか少し未来の事とか、なんとなく分かる時があるんだよね、たま~にだけど。」それからまじっと私の顔を見て言った。「おまえ、ずっと独りだわ。」
え~~っ!! そういう事、ふつう母親は娘に言わないんじゃないの~?!
まぁ、結婚願望が100%なかった当時の私は予知能力の話の方が面白くて、「本当~?ふ~ん....」と疑わしげに母の顔を眺めた記憶がある。
今になってみると母の予言は完全に当たった訳で(笑)、もしかすると、信じられないほど身近に”超能力者”がいたのかもしれない。
何がどこまで本当なんだかさっぱり分からないが、超能力は遺伝しないという事と、もし超能力があっても人生であんまり役に立たないという事だけはどうも事実らしい。
( 今回、かなり長文になっちゃいました...。ごめんなさい!)
木
02
2月
2012
雪、雪、雪...。
月末に、4日間ほど新潟に帰った。
市内は何十年ぶりというほどの大雪で、毎日雪かきをした。
新潟市在住の友人いわく、”今シーズン、雪かきはいわばウインタースポーツ、市内はほとんどアイスリンク状態!”
実際、日陰の道の雪は固く凍ってツルツルで、道行く人はみんな足下を確認しながらゆっくりゆっくり歩く。
それでも市内のバスなどの交通網はほぼ平常通りで、積雪量はテレビで見る山あいの町の豪雪とは比較にならない。
日常生活もままならなくなるほどに雪に埋もれてしまう地域の方々の苦労はいかばかりか、と思う。
これほどの大雪は久しぶりなのだが、見知らぬ人と道をお互いに譲り合い「お気をつけて」と声を掛け合ったり、町内お隣さんの助け合いや頭が下がるほどの気遣いに接して、ああ、新潟の人はこうだった、と改めて私たち”雪国の人間”の気質を再確認した気がする。
何だか遠い昔を思い出すような、懐かしい気持ちになった。
日
29
1月
2012
嵐の前の静けさ
28日(土)昼間の三鷹ソニドのセッション。
震災以降、久しぶりに顔を見せてくれたギターの良知さんと和やかに記念撮影。
この後、どうしたことか続々とプレーヤーが集まってきて何だかすごい事に....。
セッション最後の全員参加『now's the time』は、ホスト・ベースのダイスケくんが「big band状態だ...」と呟いていた。
みなさん、寒い中を来て頂いて、本当にありがとうございました!
金
27
1月
2012
オリジナル
先日、沼袋オルガンJazz倶楽部で、城谷雄策さん(Tp)、小杉敏さん(Bs)とライブだった。
このトリオは、一昨年の暮れ頃から3ヶ月に1回のペースで続いている。
その前はドラムも入ってカルテットだったのだが、お店のグランドピアノの音色がとても美しくてPAを通したくなかった事( ドラムが入るとどうしてもPAが必要になる )、3人で室内楽みたいにやるのも良いかな、と思った事( 城谷さんのTpの絶妙な音色の変化はまるでクラシックを聴くようだ )、何より、小杉さんのベースのグルーブ感・リズムのうねりが言葉に表わせないくらい凄いので、それをしっかり体感(笑)したかった事、そんなこんなでドラム無しのこの形に落ち着いた。
このトリオで初めて、私のオリジナル曲を一緒に演奏してもらった。
『海を見ていた女』というのだ。タイトルだけでお客さんに結構うけた....。
この曲を作ったのはもうずっと以前、popsの楽曲の公募・コンペを目指して、自宅のシンセとPCで簡単なオケを作り、歌の友達に頼んで歌詞無しでメロディを入れてもらったりして、半分遊び、でも頭の片隅で、コンポーザーは無理でもアレンジャーにはなりたいよなぁ....みたいなかなり中途半端な事を考えながらせっせとデモテープを作っていた頃だ。
商業音楽にどっぷり浸っていた頃だから、『海を見ていた女』なんて歌謡曲チックなセンスも仕方ない。曲自体も80年代popsの感じなのだが、どこかjazzになりそうな雰囲気があったので少し手直しをしてみた。
タイトルは変えないことにした。
曲の題名を考えるのは、一枚の絵に名前をつけるのと同じだと思う。
何か抽象的な概念や想いを音符や絵筆で表わしたい時に、表現者は題をつける。
チャイコフスキーの『悲愴』を聴いて、私たちは底知れない悲しみを体験し、ムンクの『叫び』を観て恐ろしい不安を作者と共有する。
あるいは、創り出されたものから表現者がインスピレーションを得て題名をつけるかもしれない。
いずれにせよ、題名があって、作者と受け手はある共通のイメージを持ち得る。
W・ショーターの『yes or no』という曲をライブでやったのだが、この曲は、A-A-B-Aという構成。
ものすごくかっこ良くて大好きな曲だ。
A-Aの部分で「yesなのかnoなのか?」あーだこーだ自問自答して「ああ....もう!」とぐるぐる悩み、-Bの部分で「thinking time!、ちょっと冷静に考えてみよう」てな感じで多角的、分析的にいろいろやってみた挙げ句、結局-Aで「ああ~、やっぱ分かんないじゃん !!」みたいな展開で、私は演奏しながらこのご本人の心境を察すると、何だか大変ですねぇって不謹慎にもニヤニヤしてしまうのだ。
『It's Easy To Remember』というバラードをリクエストを頂いて演奏した。「思い出すのは簡単」、ん~?どういう事?
歌詞の中に、でも忘れるのは難しい、あなたの事は....なんて、もう粋だなぁ~って思わず涙が出そうになった(笑)。
曲のタイトルは私にとってものすごく大事な要素だ。
スタンダードの曲を練習する時、題名から妄想モード(笑)に入ることが珍しくない。
話は戻って、私のオリジナル『海を見ていた女』。
私としては ”海” にかなりこだわりがあり、MCで、
「男の人はよく海に向かってバカやろ~なんて叫びますよねぇ。」なんて言ってしまい、城谷さんからいいだけ突っ込まれた。
「海に向かってバカやろ~っなんて叫んでる男、見た事あるんですか?」
ん~、そういえば見た事はないし、友達から聞いた事も無い.....。
でもほら、森田健作とかさぁ....。
「健康優良児みたいなどっかの男が、海岸走ったり海に叫んだりするんですかねぇ....。」
ライブの最後まで突っ込まれた(笑)。
何だか私、学校の先生みたいだ....。
日
22
1月
2012
Lament
jazzの仕事を始めてまだ数年だが、著名なミュージシャンの突然の死を、三度、身近で知った。
本田竹博さんが亡くなる少し前、高田馬場GateOneの地階から、ライブを終えて階段をしんどそうにゆっくりあがっていく彼の後ろ姿を、みんなで心配そうに見送った。
体調がずっと良くないことは私も聞いていた。
本田さんが亡くなったと知らされた日の、橋本信二さんとマリ子さんの青ざめた顔を覚えている。
セシル モンローさんが亡くなった時は、たまたま私用で久しぶりに連絡した福田重男さんが、突然の訃報に、おびただしいメールと電話の対応に追われて大変な事になっていた。
福田さんのライブで知った彼だが、だいぶ前に、福生のライブハウス・GIN HOUSEのエミさんが、米軍時代にお店によく来たセシルさんの事を話してくれて、私は、凄いプレーヤーが無名の時の話を興味津々で聞いた。
つい先日、ライブの始まる前にドラムの林くんが知らせてくれた臼庭潤さんの死。
一瞬言葉を失った。
3年くらい前に、沼袋オルガンJazz倶楽部でドラムの福森くん、ベースの松岡くんとライブをやった時、当時彼らとバンドをやっていた臼庭さんが遊びに来てくれて、全曲一緒に演奏してくれた。
つたない私のピアノにもかかわらず、決して手を抜かない素晴らしい演奏だった。
思い出というよりは、断片的な記憶が短い動画のように次々よみがえってきて、ああ、あの時のあの人はもうこの世にいないのだと思うと、悲しいというより、さぞ無念だろうなぁと胸が痛む。
だって、ミュージシャンが楽器を演奏できなくなったらどんなに悲しいだろうか....。
「いやぁ、偶然こっちでチャーリー パーカーに会っちゃってさぁ、セシルが通訳でいてくれて、ホント助かっちゃったよ!」なんて、みんなで集まってわいわい盛り上がっている光景を想像してみる。
本当にそうだったらどんなに良いかなぁと思う。
Lamentは”深い悲しみ・哀悼の詩”という意味。 J.J.ジョンソン(1924-2001)が作った美しいバラードで、私もライブで時々演奏する。
マイナーの哀切な旋律が、曲の後半最後、徐々に明るみをおびてメジャーで終わる。
もしかしたら、誰か大切な人を亡くしたJ.J.が、私と同じような事を想像したのかもしれない。
この記事を書きながら、ふとそんな事を考えた。
月
16
1月
2012
三鷹ソニド
セッションの仕事でよく行く三鷹のソニド。
お店のママは、粋でお洒落でお茶目で( 失礼、もう可愛らしいお孫さんがいらっしゃるのだが... ) 、ファドとタンゴをこよなく愛する往年の歌姫といった風情なのだが、昔ケントスあたりで踊りまくっていたに違いない遊び心と好奇心が自然と人柄からあふれていて、知れば知るほど、すごく魅力的な女性なのだ。
ほめ過ぎ(笑)?
でも、セッションの常連さん達もきっと、その通り! と言ってくれるはずだ。
そのママなのだが、外国や国内、いろいろな所によく旅行するらしく、小さな店内にはお土産の品がたくさん置かれている。
バナナのクッションやイタリアの絵皿、沖縄シーサーの置物やどこの物か分からないちょっと不気味なお面....。
まぁ、統一感が無いと言えばまったく無いのだが、そうした雑多なものが、混然としてある種ソニドの個性になっている。
お店のオープンは2年半前。
jazzの世界をほとんど知らないままにお店を始めて、一癖も二癖もありそうなjazzのプレーヤー・リスナーたちから、「 jazzとは 」なんていう講釈をうんざりするくらい聞かされ、お店のレイアウトにもああでもないこうでもないとうるさいほど意見され、普通の人ならやめちゃおうかなって思うところを、彼女は、そうねぇ....と至極鷹揚に、確信犯的に優雅にそのほとんどを受け流して(笑)、他のjazz live houseとはまったく異次元の空間をつくりだした。
一言で言うと、”まぁちょっとあがってjazzでもやっていけば!” かな....。
jazz barと聞いて普通の人が思うのは、exclusiveなこだわりの店内、古い木目のテーブルでバーボンやワインを飲みながら煙草をくゆらし....、そこまで画一的なイメージもどうかと思うが、少なくともどこかそれに近いものだと思う。
だから私も最初の頃、「もうちょっとコンセプトとか渋い感じとかさぁ....」、ママに機会をみつけては言っていた。
でも今、何だかここが居心地が良い。いろんなさまざま種々雑多なものが、唯一ママのセンスを拠りどころに集まったみたいな空間。
自然な柔らかさとあけっぴろげな自由さ。
どんな場所でも本物の音楽があればOK、逆をいえば、本物の音楽がある所が最高の場所なのだ。
そういう音楽をちゃんとやれるようになろう、そんな強い気持ちを持てるようになった。
今現在は、jazzのセッションやレッスンが中心のレンタルスペースのようになっているが、ある日ころっとママの気が変わって、ライブをたくさんブッキングする本物のlive houseになるといいなぁと思っている。
火
10
1月
2012
禁句
「あれ~? 太った?」
この台詞は、女友達に絶対に言ってはいけない。
たいへん残念なことに、ほぼ常識となっているこの事実に私が気づいたのは、つい3年くらい前だ。
久しぶりに会った仲良しの○○ちゃんに、美味しいもの食べ過ぎちゃったのかな~、てなめちゃめちゃ軽い気持ちでつい言ってしまった....。
顔色が変わった彼女を見て、一瞬なにが起こったのか理解不能、あたふたと訳の分からない言い訳を並べてみたものの、結局、みっちゃんはもう~しょうがないなぁ....諦めに近い彼女の寛大さでその場は許してもらった ( と、思っている.... )。
私は私で、どうして彼女があんなに傷ついたのか、情けない事にさっぱり分からなかったので、男友達数人に聞いてみた。
「女性の友達に太った?て聞いたんだけどさ、」と言うが早いか、わ~、それ、言っちゃったの?みたいな凄いリアクションだったので、ようやく、これはもう絶対に言ってはいけない言葉だったんだと悟った次第だった。
20代の頃、かなりのストレスが原因で、今より10キロくらい痩せてしまったことがある。
ストレスから回復して体重も元にもどったが、思うに、”痩せる”という事にトラウマのような気持ちがあるのかもしれない。
逆に言えば、”太る”は私の中ではずいぶんと肯定的な言葉なのだが、女性、特に日本の女性にとってはまさに禁句だ。
そういえばかなり以前、jazz pianistの小曽根真さんがテレビ番組の中で、久しぶりに会ったらしいハービー・ハンコックに「やぁ、少し太りました?」というようなことを言った時 ( もちろん英語で・笑 )、ハービーがムスッと受け流した面白いシーンを思い出した。もっとも、記憶に残るくらい面白いと感じたのは私ぐらいだろうけれど。
とにかく、現代の先進諸国の住民たちにとって、”太る”は、女性に限らず男性も老いも若きも、みんなで忌み嫌う言葉になりつつある。
事の重大さを思い知ったのがつい3年前というのも我ながらかなり間抜けな話なのだが、本当を言えば、女性はぽっちゃりぷっくりしている方がなんとなく柔らかな感じがして、私は好きだ。
唯一、気に入っている私の運転免許証の写真は、前日に飲み過ぎてぷくぷくにむくんだヤツだ。
それでも、「もうちょっと太った方がいいよ ! 」なんて、余計なお世話な台詞を女友達に言うのは、絶対にやめておいた方が良いなと思っている。
水
04
1月
2012
謹賀新年
昨日、一週間ぶりに東京に戻った。
新潟に帰省というと、たいていの人が "雪が大変でしょう" と気遣ってくれる。
でも、私の実家のある新潟市は、海を隔ててちょうど真向かいに大きな佐渡が島があり、北の大陸からの雪雲が島に遮られて分岐するらしく、県内の他の地域に比べて積雪量はかなり少ない。
雪がまったくない元旦というのもそれほど珍しくはない。
今年も、どんより曇った空に時々薄日が射して、思い出したように白いものがちらちら落ちてくる程度で、積雪のない穏やかなお正月だった。
それでも、新潟は雪国だってことを忘れてもらっちゃ困るとばかりに、本当にみんなが忘れちゃいそうな頃合いに、どかっと大雪が降る。
そんな年は、たった一晩で、庭の木も家々も道路も空き地も、すべてのものが見渡す限りただ白一色に変わる。
窓を開けて、朝日をうけてきらきら光る一面の雪景色のまぶしさに思わず声を上げて、冷たく水気を含んだ空気を深く吸い込むと、大げさではなく、何だか体と心が一瞬で新しくなったような気がするのだ。
この感覚は、その年に起きた家族の事件や自分の心境の思い出と一緒にいつでも心の奥にあって、東京で珍しく雪を見たり、帰省の際に車内から県境の豪雪を見たりすると、不意にこみ上げてきて何だか涙がでそうになる。
やっぱり私は新潟の女だ....(笑)。
新潟市内で、20年以上前から続いている "思いやりのひとかき運動" 。
各バス停、横断歩道などのたくさんの場所に青いスコップが置かれている。
背景に青空が見えるが、このすぐ後、あられが降ってきた !
水
28
12月
2011
師走
今年も残すところ数日となり、毎年のことだが、どこのライブハウスでも大盛り上がる”年越しセッション”というやつに、一度くらい参加してみたいなぁと半分思いつつ、両親の待つ雪降る新潟に、笑っちゃうくらい着ぶくれして帰る。
やっぱり、大晦日は絶対に家族と一緒にいたい。
今年ほど、日本人である事、世界の中の日本という国について考えた事はなかった。
未曾有の災害、言葉を失うような悲しい犠牲と見えないものへの不安と恐怖。
インターネットで流れる情報は、真実と憶測と虚偽がごちゃまぜで、”御用学者”なんていう奇妙な言葉も初めて知った。権力者におもねる学者という意味だという。
そういえば以前、東京都副知事で作家の猪瀬直樹さんが、「.....日本のシンクタンクは役所の下請け機関と化しているので、○○省に逆らうような仕事はできない.....」( 猪瀬直樹著『空気と戦争』2007年 )と言っていた。
日本の頭脳は、一体どうなっているのかなぁ......。
リーダーとしての政治家の資質、安保に基づくアメリカとの絆、自衛隊のとてつもない価値の重さと曖昧さ、そして、世界中で絶賛された被災地の方々のふるまい。
同じ日本人である事を誇らしく思う一方、遠く離れた東京のスーパーではいろいろな物が買い占めでなくなったり、心ない発言や差別で、苦しんでいる人をさらに傷つける人たちがいた。
中国、韓国やロシアの、国家としての本当の顔。
北朝鮮も今後どういう行動にでるか予測が難しい。
日本、大丈夫か~?
3.11からずっと、疑問や憤り、もどかしさや諦め、不信感や警戒心、そんな負の感情が徐々に積み重なってきた。
いろいろな思いがぐるぐる頭の中を駆け巡り、出口もなく色褪せていった。
だから、大晦日は絶対に家族と一緒にいたい。
「え~、また紅白歌合戦みるの~?」とか文句を言いながら、父や母の顔をそばで見ていたい。
木
22
12月
2011
天才
19日の東京新聞のコラムで引用されていた、陶芸家の故・加藤唐九郎さんの言葉が興味をひいた。
「.......利口であるより継続が大切なんです。そして、その継続の中で、しっかり伝統を受け継ぎ、力をつけて、反逆するんだ」( 山川静夫著『名手名言』)
つい数日前、このブログで”沼袋たんどーる” の記事を書きながら、伝統と個性について、そしてこの二つの価値のバランスをとる感性について考えたところだった。
だから、唐九郎さんの言葉を至極納得して読んだ、そして最後の「反逆するんだ」にびっくりした、それからめちゃめちゃ感動した。
反逆ー革命、バランス感覚が及ばないような強烈なエネルギーをもつ個性も、地道な努力の継続によって育つ。
天才はひらめきだけれど、芸術家はそれを表現する技術を伝統に沿った努力によって得る。
その積み重ねから独自の新しいものが生まれ、ついには古い既存の価値に革命を起こす。そういうことかな....。
かっこいい....凄い.....。
天才でも努力なんだから、私なんてとにかくいっぱいいっぱい練習しなくちゃ何も始まらないって事だな。
でも私レベルでも、練習しているといろいろ発見がある。
遠く続く道を、あちこち面白いものを見つけながら一人で歩いて行く....そんな気分だ。
さて、東京新聞のコラムの続きだが、伝統を受け継いで努力はしたものの、惜しまれつつも放送終了となった国民的時代劇「水戸黄門」へと話題が移って、視聴率低迷は、新しい個性( 若者に人気の俳優とか... )が視聴者に受け入れられなかったからか、とさびしく思う言葉で締められていた。
時代劇ファンの私としては、視聴者が本当に見たかったのは新しい個性なんかじゃなくて、古風で小粋で美的で、日本人が根源的に懐かしく感じる江戸時代的なものだったのではないかと思う。
ストーリーはマンネリでも別にいい。
でも、ただ江戸時代の格好をしただけのスマートな現代人が、粋でもなんでもない台詞を言い合うだけのドラマは時代劇とは言わない。
う~、時代物についていっぱい書きたくなった。
眠狂四郎、長谷川平蔵(鬼平)、山本周五郎、藤沢周平.....また後日。
日
18
12月
2011
三鷹駅前
三鷹ソニドのセッションの仕事の帰り道。
お店でママにしこたまご馳走してもらったワインのせいか、駅前のイルミネーションが、夢のように妖しく、この世のものじゃないみたいに不思議に見えた。
無数の小さな、冷たく輝く光の粒が織りなす一夜の庭は、まるで凍るような夜空から落ちてきた星座のようだった。
火
13
12月
2011
沼袋たんどーる
4年くらい前から、西武新宿線・沼袋の音楽教室でピアノを教えている。
まったく初めてピアノを弾く人、Jazzをやってみたい人、自分の曲をつくっている人....いろいろな方たちが、この小さな教室に通ってきてくれる。
駅前にある、"新・印度料理たんどーる" というお店に気付いたのは、教え始めて2年ほどだったか、近くを通るとよく若い人たちが三々五々出てくるので、きっと美味しいんだろうな、名前からするとカレー屋さんだよな、けど"新・”ってのはいったい何?、あんまり奇抜な創作料理ってのもなぁ.....なんてぼんやり考えながら横目にいつも通り過ぎていた。
最近になって、どういうのか妙に”たんどーる”が気になってきた。
一度行ってみるかな....。
2年越し、ついにその日がやってきた(笑)。
お店のHPと口コミの記事を調べ、大好きな友人に都合を聞いて、決行日は11日の日曜日。
夕方、駅前で待ち合わせて、お店に入った。
予想通りのあったかい雰囲気とこだわりの店主、予想外・想定外の美人の若い女性が注文をとりに来たので、人気メニュー、梅カレーと根菜カレー( キーマカレーと迷ったんだけど.... )を頼んだ。
なるほど、これが"新・”なんだな、梅・大根やごぼう、生姜なんかが、本当に普通にカレーとバランスよく混ざっていて、”日本の印度料理”になっていた。
特に、梅のほのかな酸味がカレーとこんなに合うなんて.....。
ナン、一品料理の鳥の炭火焼も絶品、”たんどーる”体験は大満足だった。
伝統や既存の価値観と絶妙にバランスをとりつつ、新しい自分の発想を取り入れて行く、そしてたくさんの人に違和感なく受け入れられ、良いものとして評価される、それはかなり難しい事なんじゃないかと思う。
結局は、sense(感性)の問題であって、料理でも音楽でも同じかもしれない。
jazzをやっていて、普通にjazzとして心地よく聞こえる演奏というのがどれだけ難しいかを痛感している。
歴史の浅いjazzとはいえ、優れた多くの音楽家たちが作り上げてきた、幅広く底深く偉大な流れに対する深い敬意や価値観みたいなものは、世界中すべてのjazzを愛する人たちが共有するものだ。
リズムのノリが少し違うだけで、ある人は違和感を感じるかもしれない。
大きな枠組みの中にある個性。
速弾きや超難曲ももちろん凄いとは思うけれど、普通のスタンダードを、自分の言葉で粋に聴かせるなんて事がいつかできたら、本当に最高だと思う。
それはやっぱり、styleではなく、sense(感性)の問題なのだと思う。
月
05
12月
2011
Duo Live
かなり以前、pops系の仕事をしていた時に、鍵盤を思い切り弾く機会がなくなっていた事や 、PCで音楽を作る作業の無機質さに疲れて、なかば息抜きみたいな気持ちでjazzのセッションに参加した。
jazzには少し興味があったけれど、Bill EvansやHancockくらいしかちゃんと聞いた事がなかったから、まずjazzってどうなってるの ? みたいなところを、立川にお住まいのピアニストに習いに行った。
その方がセッションに連れていってくれたのだが、もう何が何だかわからないまま無茶苦茶弾きまくって終わった...。
その時のセッションが縁で、多摩地区のミュージシャン、それも筋金入りのjazzマニア(笑)みたいな人たちと交流ができた。
本当にいろいろな事を教えてもらったし、何より楽しかった !
数年後、憧れだった高田馬場のlive house "GateOne" でjazz liveをやる機会に恵まれ、その時に、jazzを遊びじゃなく、真剣にやって行こうと思った。
そのお店で一緒に演奏してくれたのが小杉敏さんだ。
もう6年になる。
毎回、小杉さんの凄いグルーブと歌心に圧倒され、こちらはたどたどしく絶体絶命、必死に演奏している、その余裕のないシャカリキな気持ちまで小杉さんはすべてお見通しだ~!、そんな緊張感あふれる(笑) liveなのだが、今回のlive中のMCで、
「私、今日は腰が痛いんですよ....実家で草刈りやったんで。」
「みっちゃんは、今日の作業はここまでみたいじゃなくて、草刈りも一日で全部、ガ~ッワ~ッとやりそうだな。」
はい、まったくその通りです。最近は性格まですっかりお見通しになっている.....。
水
30
11月
2011
血液型
会話の中で時々、血液型を聞かれることがある。
「4年前からO型なんです。」と言うと、相手は一瞬キョトンとする。
4年前の6月、人間ドックを受けた病院から送られてきた結果表を見たら、血液型の欄に○とあった。
あぁ?いつから血液型が○×形式になったんだ?
しばらく表を眺めて、…これはもしかしてひょっとするとO型ってことか?、とんでもない、病院に電話しなきゃ!と思った。
だって生まれてこのかたずっと、私はB型だったのだ。
高校の友人達にも典型的なB型と言われ、マイペース☆自分が一番大好き☆ま、いっか…☆の性格はB型以外あり得ないと思っていた。
何より、B型は芸術家肌っていうのが気に入っていた。
私が尊敬するミュージシャンはO型だし、A型だったりするのだが、それはまぁ目をつむって…。
病院の看護婦さんは、「血液型が間違いっていうのはないと思いますよ。もしでしたら再検査受けられます?」
再検査もO型だった…。
聞いたら、大人になって血液型が変わるという亊は無いらしい。
早速、先輩のミュージシャンに報告したら、「俺もみっちゃんのBは変なBだと思ってた。」…だって。
納得いかない気持ちのままO型としての人生が始まった訳だが(笑)、謎は、親は知らなかったのかという亊だ。
父に報告がてら聞いてみたら、だっておまえママにそっくりだから( 母はB型 )。
どうも激しい思い込みの結果だったようだ。
ライブのMCで、私はよくメンバーの血液型を話題にする。
あれほど熱心だった血液型診断だが、今はもうほとんど関心がない。
でも、"私はO型なんですよ" なんて、さりげなくお客さんに言うのが何だか妙に嬉しい。
違う色のユニフォームを着ることになった、そんなちょっとだけ新しい気持ちのせいかもしれない。
木
24
11月
2011
トリオ
精神的にずいぶんと落ち込んだ時期があり、Jazzをどう続けていこうか悩んでいた時、今は大阪在住のギタリスト、塩本彰さんが、"みっちゃん、ピアノ・トリオを毎月続けると良いよ"と言ってくれた。有り難かった。
ピアノ・トリオはピアニストの技量がはっきり出る。
それほどの経験も自信もなく、めちゃめちゃ不安で、すぐには踏み出せなかった。
やらせてくれるお店があるのかなぁ…お客さん来てくれるかなぁ…まじ大丈夫かぁ…。
そんなヒヨッコみたいな気持ちで始めたライブが2年続いた。
一緒に演ってくれたメンバーはもちろん、お客さんがたった一人の時も、思うように演奏できなくてガックリきた時も、毎回毎回必ず、何十人分のおっきな拍手を送ってくれたマスター( 感謝!)とイズイズ( 私の恩人!・Nashのご近所に住むマダム・もうとてもこの一言では語り尽くせない人…また後日… )、この人たちに支えられて、最高に暖かな空気の中で楽しくやってこられた。
今日、新しく落合くん(Bass)が参加してくれた。
ドラムの林くんと三人、来年はオリジナルを少しずつまとめていこうと思っている。
我ながら超ゆっくりだなぁ…(笑)、ゆっくり過ぎだよな、これは…、うん。
金
18
11月
2011
PC。
数日前、Macを買い替えた。
ずっと使っていたMac mini、ある日突然YouTubeが見れなくなって、近年稀な衝撃的な気分に落ち込んだ。
故障しちゃった.....我慢して使っていたら、ある日突然blogosが見れなくなった。
これは致命的だ....。故障にも程がある...(涙)。
でもYouTubeの時の衝撃で若干気持ちは慣れていたので、気を取り直して我慢して使っていたら、ある日突然Googleの検索が出来なくなった。
もう絶望的.....、これは故障じゃなくてOSだと確信した( 気づくの遅過ぎでしょ!)。
限界までよく頑張ったと自分をほめて、ソフマップに買いに行った。
私がOSのバージョンを言うと、親切そうな若い店員さんが、それは本当に大変なご苦労でしたでしょうと同情してくれて、思わず今までの苦難の日々を語りたくなったが、店も忙しそうだったので、サクサクとPCとディスプレイを買ってきた。
配達してもらうことにして、ようやく一安心、苦難の日々が終わった(笑)。
日
13
11月
2011
初めまして
今日の私(Juke Joint NASHにて)
初めまして。
Jazzのライブでピアノを弾き始めて間もない頃、知り合いの方が"ミチコの毎日"というページを作ってくれました。
それ以来ずっとそこで、ライブ・スケジュールをお知らせしてきましたが、先月たまたまプロフィール用の写真を撮る機会があり、その写真を撮ってくれたライター兼エディターの方(女性)とお話するうちに、ブログにいろいろ写真を載せたり、記事を書くのも面白そうだなと思うようになりました。
私は、ピアノを弾くことがもちろん大好きだけれど、森鴎外やエルキュール・ポアロ、小泉元首相や源氏物語…、同じくらい好きなものがたくさんあります。音楽以外にそんな事も書けたら楽しいかなと思っています。
新しいブログ開設、心機一転、どうぞよろしくお願いします。
jazz pianist TAZAKI MICHIKO
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