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2018年

9月

21日

ブラックアウト

今年の夏は、列島中が、酷暑に加えて台風や地震で被害を受けた。

特に北海道では、「史上初のブラックアウト」が起きた。

停電による様々な混乱が報道されて、つくづく私たちの生活は電気なしでは成り立たないのだと痛感した。

 

「史上初のブラックアウト」と聞いて、ずいぶん昔に見た、織田裕二主演の『ホワイトアウト』という映画をぼっと思い出した。( 不謹慎ですみません、、。)

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2018年

9月

14日

9.11

2001年のあの時、私はJazz仲間たちと車の中にいた。

 

お昼に待ち合わせて都内から車で数時間、近郊のライブハウスのセッションに、ドライブがてらみんなで遊びに行った。

 


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2018年

9月

07日

お墓参り -Part3-

商店街を歩くうちに、これから鷗外のお墓にお参りするのだと思って、胸がキュンと締め付けられる気がした。

ワクワクとかドキドキとかそんな軽々しいものではなく、もっと厳粛な、ライブ本番前の緊張感にも似た気持ち。

それと、ほんのちょっとの後悔--やっぱ今日じゃなくて、もっと万全の日にするんだった、、とめそめそする気持ち。

二つの気持ちが心の中でせめぎ合って、その摩擦熱でエネルギーが生じたのか、私はかなりなハイスピードでずんずん歩いた。

頭の中でまた別のことを考えないように、わき目も振らずに歩いた。

 

そのうちに、禅林寺をずいぶん通り越したところで、あれっ?と気付いた。

こういうのは、自宅付近で散歩をしていて時々ある。

考え事をしながら歩いていて、気付かずに自分の家を過ぎてしまう。

気持ち良く歩いていて、足にストップがかからなくなるのだ。

 

携帯で地図を調べ直して引き返した。

夏の名残りのような陽の光をいっぱいに浴びて歩き通したので、全身汗だらけになりながら禅林寺の境内に入った。

隣りの八幡大神社では盛大な例大祭が行われていて、屋台も出て沢山の人で賑やかだ。

お寺と神社がこんなふうに併存するのは奇妙な気がしたが、後で建立の歴史を知ってみれば、日本独特な宗教観が自然にすんなり分かる。

 

すぐ隣りだというのに、寺の墓地には神社の祭りの音は全く聞こえて来ない。ひっそりと静まりかえっている。

私は、鷗外のお墓を探してちょっと歩いた。

すると、入り口近くですぐに見つけてあっと思った。

思いの外、墓碑が大きくてそれも驚いたのだが、お墓の前にお供えしてある花が半分しおれていて、あっと思ったのだ。

なぜお墓参りをするのに、私は花を買って来なかったんだろう、、。

 

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2018年

9月

01日

お墓参り -Part2-

森鴎外のお墓がある三鷹・禅林寺は黄檗宗のお寺で、太宰治のお墓もあるので文学好きの人たちにはちょっと有名だ。

 

太宰治は最近ファンになった。

たまたま作品を読み直す機会があって、今更なんだけれどすごい作家だなぁと思う。

太宰が鷗外を敬愛していたことは、彼の短編いくつかに鷗外についての記述があって、そんな大層に言うのではないが太宰の尊敬の気持ちがはっきりと伝わってくる。

美知子夫人も、そんな彼の気持ちを汲んで、鷗外の眠る禅林寺に太宰を葬ったのだそうだ。

 

『女の決闘』という太宰の作品の中で、目に止まった文章がある。

この作品は、鷗外が翻訳したドイツの作家ヘルベルト・オイレンベルク「女の決闘」という短編を下敷きに、太宰流の様々な視点を加えて、深みのある現代的な作品に創り変えたものだ。

その冒頭の部分にこうある。

「鷗外自身の小説だって、みんな書き出しが巧いですものね。スラスラ読みいいように書いて在ります。ずいぶん読者に親切で、愛情持っていた人だと思います。」

太宰が、鷗外の心の優しさについて触れていて嬉しくなった。

とかく”冷徹”とか”冷酷”とか言われる鷗外だが、実はとてつもなく愛情深い人だったと私は思っている。

 

さて、お墓参り決行の日は9月9日(土)で、まだ夏の名残りの強い日差しが照りつけていた。

長かった夏休みの余韻もそこはかとなく残っていて、あちこちで子供たちが声をあげて遊び走っている。

それにしても親子連れが多いな、と思っていたら、その日は八幡大神社の例大祭なのだった。( 毎年9月の第2土曜、日曜日 )

 

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2018年

8月

07日

お墓参り

お盆も近いからか、去年の秋、三鷹の禅林寺にお墓参りをしたことを思い出した。

 

その日は三鷹のライブハウスでイベントがあって、午前中からお店のリハーサルに出掛けた。

無事リハーサルが終わって、みんなでお昼を食べて本番までずいぶん時間が空いたので、私はずっと前から思っていた”禅林寺のお墓参り”を決行することにした。

決行とか大げさな、と思うかもしれないが、森鴎外ファンにとって三鷹・禅林寺は特別な聖地である。

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2018年

7月

29日

市場の思い出

小さい頃、母のお使いで近くの市場によく買い物に行った。

 

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2018年

7月

19日

暑過ぎる....。

去年の夏は、なかなか快適に過ごした。

 

たまたま見たインターネットの健康情報の影響で、ほとんど冷房を使わずに外の風と扇風機、氷を入れたIce Bagで乗り切った。

冷たい飲み物もさほど飲まなかったし、夏なんだから暑いのは当たり前 ^ ^v とか言うくらいの気力があった。

まぁ外出すれば、過度の冷房に長時間さらされる訳だが、それでも”自律的な体温調節”--自然に汗をかく機会を増やすことでだいぶ体質改善できたなぁ、なんて悦に入っていた。

 

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2018年

7月

17日

オウム事件

7/6の死刑執行のニュースを見た時、「あぁ、とうとう、、。」と思った。

「遅過ぎた」「野蛮な制度はやめろ」 国内外からいろいろな意見が聞こえてくる。

 

ずっと昔、ある英会話学習の関連雑誌の記事で、アメリカの普通の女子高校生がこう言っているのを読んで驚いたのを思い出した。

「私は、社会のいろいろな問題ー死刑制度やフェミニズム、政治的立場( 共和党・民主党どちらを支持するか )などについて、いつ誰に聞かれても自分の意見を明確に言えるようにしています。」

 

日本ではとても想像できない事だったので、ちょっとショックを受けた。

彼女は特別に優秀な高校生という訳でもなく、たぶんアメリカでは、学生の頃からこうした社会的な問題を提示される機会が多いのだろうな、と思った。

 

当時の日本で、フェミニズムは”なんのこっちゃ?”だったし、自由民主党以外の政権は実現不可能に思われた。

ただ死刑制度については、世界で廃止傾向にある死刑を行う国の国民として、賛成なり反対なりはっきりさせておこうと思った。

アメリカの女子高生に負けないぞってのもあったし....。

けっこう時間をかけて、ああだこうだいろいろ悩んでみた。

 

結論から言えば、私は死刑制度に賛成した。

理由については、例によってまたもの凄く長くなるので別の機会に、、。

 

ただ、今回のニュースに関連してある事を考えた。それは死刑制度とは関係ないことなのだが。

 

今現在、明らかになっているオウム教団の犯罪。

1990年頃から兵器や毒ガスを作って、殺人、国家転覆まで企てていたのに、殆どの人はまるで危機感がなかった。

マスコミなぞは、事態が深刻になるまで面白おかしく報道していた。

 

必死に警鐘を鳴らしていた人たちはいたし、政権中枢ではなんとか法の網をかけようとしていたはずだ。

でも、それを阻止しようとする力が確実にあり、多くの無関心・楽観主義が目の前の事実を見過ごした。

みんな、まさかそんな事が、、とまるで現実でないように思い、私はワイドショーのコメンテーターたちが言う事を、ふ〜んそうなんだと思って聞いていた。

 

当時と比べて、私たちの無関心や楽観主義はあんまり変わっていないと思う。

何が変わったかと言えば、マスコミ--朝日新聞やTVなどのオールドメディアが無残なほどに信頼を失った事、SNSやインターネットが普及した事。

地下鉄サリン事件の時とは比べものにならないほどの大量の情報が、ネット空間に真偽錯綜するようになった。

ちょっと努力して勉強すれば、事実を客観的に知ることができる。

TVのニュースや一部の新聞が、いかに意図的に歪めて伝えているかも知ることができる。

 

無関心でいることで確実に社会の流れから取り残されていくことを、少しづつ、普通の人でも気付き始めていて、さらにこれから日本の情報伝達環境は劇的に変わろうとしている。

技術的にも法律的にも、この流れはもう止められない。

口を開けて情報を待っている時代は終わったのだと思う。

 

オウム事件が区切りを迎えたことで、そんな事を考えた。

そして、1995年3月20日の朝、部屋のテーブルの上に置かれた白いマグカップから立ち上るコーヒーの香り、TVで叫ぶリポーターの声、何が起きたか理解できずただびっくりしてTVの画面を見つめていた自分の姿を思い出した。

 

あれから、23年もたったのだ、、。

 

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2018年

6月

28日

路線図

某月某日@某ライブハウス。ライブ後にベーシストさんと雑談。(編集済み)

「田崎さんはどちらにお住まいですか?」

「私は西武新宿線の◯◯です。あなたはどちら?」

「僕は小田急線の◯◯です。」

 

以下、編集なし。

「ふ〜ん....。小田急線かぁ。小田急と言えば、祖師ケ谷大蔵と経堂ってなんかもの凄〜く良いよねぇ。」

「いやいや、祖師ケ谷大蔵とか経堂って、世田谷区じゃないすか。」

「最近、京急線に乗るんだけどさぁ、金沢文庫って駅があるの知ってる?金沢八景もあるんだよ。青物横丁ってのも良いよねぇ。」

「はぁ?( ちょっと何言ってるかわかんね〜。)」

 

意味不明な会話になっているが、この時、私がやや興奮気味に話しているのは、沿線情報とか駅の利便性とか家賃相場とか全く関係なく、ただ駅の名前についてである。

私は、東京の私鉄/地下鉄の駅の名前が好きなのだ。

 

電車に乗ると、なんとなく出入り口の上部に掲げてある路線図を眺める。

整然と並ぶ駅名を順番に見ながらふ〜ん、へぇ〜とやっていると、中に一つ二つ「ん?」てのがある。

あとでwikipediaで駅名や地名の由来を調べてみると、とても由緒ある名前だったりしてほぉ〜と感動する。

 

因みに、祖師ケ谷大蔵の大蔵は、律令制度における官庁の名称から来ている。

延暦期(782~806年・桓武天皇)に、武蔵国守兼大蔵卿・石川豊人が住んでいた土地ということらしい。

祖師ケ谷の祖師は、もちろんお祖師様-日蓮上人である。

祖師ケ谷と大蔵に挟まれるような土地に駅が作られたので、祖師ケ谷大蔵の名前がついた。

我が西武新宿線の上石神井や鷺ノ宮も、調べてみると情緒あふれる歴史があってなかなか良い。

 

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2018年

6月

16日

孤独について

毎朝、インターネットでニュースをチェックする。

「日経デジタル」はわりと好きで、いくつかお気に入りのコラムがある。

今朝読んだ『「孤独という病」は伝染し、職場を壊す』(by河合薫氏)という記事が興味深かった。

 

今、”孤独”が注目されているのだそうだ。

世界では、1980年代に孤独研究が学会で関心を集め始めて以来、孤独が社会に与える影響が様々な面から調査・分析されている。

WHO(世界保健機構)ヨーロッパ事務局は、社会や組織に及ぼすリスクとして孤独感に取り組んでいるし、英国では今年1月、内閣に”孤独担当大臣”が誕生したそうだ。

 

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2018年

6月

11日

ニュース

今朝、インターネットで見つけた写真。

現在海外メディアがこぞって取り上げているのだそうだ。

 

今月8日、カナダのシャルルボアで開幕した主要7カ国首脳会議(G7サミット)で、首脳宣言の採択に向けて最後の詰めの議論を交わす様子を撮影したもので、ネットのコメント欄には「歴史的な一枚になる」といった声が世界中から寄せられていた。

 

『サミットでは、安倍晋三首相が昨年に続いて北朝鮮問題などで議論を主導した。米国と欧州・カナダが激しく対立する気候変動問題や貿易問題でも「裁定役」を務めるなど、存在感を発揮している。(6/10、産経ニュース・田北真樹子)』

 

”トランプ氏が日本を除く5カ国の反発を受けるたびに、困って振り向く先は安倍首相だった”そうで、「シンゾーの言うことに従う」「シンゾーはこれについてはどう思うか?」が繰り返されたらしい。

 

この写真は、現在の世界情勢をシンプルに表しているし( 強固な日米同盟/アメリカとEUの対立 )、日本が調停役のポジションにいるのもよく分かる。

戦後の日本外交で、これほど日本らしい外交ができた事はなかったんじゃないだろうか?

 

「この写真は教科書に載るぞ!」ってコメントが面白かった。

これから北朝鮮の核問題も大詰めを迎えるし、ますます国際ニュースから目が離せない。

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2018年

6月

10日

Mac miniが、、。

朝、起き抜けにMacを操作していてとんでもないことになってしまった。

眠気もふっとんで青くなった。

あのスイッチを押さなければ....、と悔やんでみてもしようがない。

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2018年

5月

27日

歩く★

先日、暇つぶしにインターネットを見ていて、「スマホを持って歩くだけでプレゼントが当たるウォーキングアプリ。」というのを見つけた。

早速、ダウンロードして使ってみるとなかなか楽しい。

 

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2018年

5月

18日

越後線で。

5月7日、新潟市で起きた小学2年生女の子の殺害事件。

陰惨な事件を報じる記事に衝撃を受けたが、その現場というのが、このブログで度々登場している越後線だ。

 

越後線にはとても思い入れがある。

 

高校生時代には毎日乗っていたし、今でも新潟に帰れば利用する。

バスより早いし、料金は半分だ。( 郊外のバス代は途轍もなく高い!)

実家からバス停は2分、駅まで8分で、余裕がない時以外はたいがい越後線に乗る。

 

越後線は単線で、他の列車とすれ違うことなくゴトゴトのんびり走る。

この”我が道を行く"感がすごく好きだ。

線路の脇の草地を隔てて住宅街がずっと続き、唯一のハイライトは、川幅約200メートルの信濃川に架かる鉄橋を渡る時だ。

眼下に見る川岸の桜並木は見事だし、遠く市街に広がるビル群の中に聳え立つタワーや県庁舎、コンベンションセンターなどが一望できる。

夏には広い川面に船々が浮かび、夕暮れ時には彼方の海に沈む太陽の夕焼けに思わず見とれてしまう。

十秒くらいだろうか、車窓から眺める風景は格別だ。

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2018年

5月

10日

愛しの西武新宿線

東京にいると、「便利な街ランキング」とか「住みたい街ランキング」とか街に関する人気投票をいたるところで目にする。

引っ越ししようかなぁ、、って時には、まずチェックする人が多い。

それより利用頻度は落ちるが、「沿線ランキング」というのもある。

1〜3位は山手線、東急東横線、中央線が常連で、我が「西武新宿線」は10位圏外とまったく人気がない。

以前、中央線/国立に14年ほど住んでいたので、人気沿線に漂うある種のメジャー感が西武線に全く無いのはじんわり分かる。

 

国立から引っ越してきた当初、平日昼間の駅ホームを歩きながら、あまりに人がいなくてびっくりした。

東京はどこも人が多過ぎて、なるたけ人が少ない時間・場所を探す習性になっているが、「西武新宿線」はその点かなり理想的だ。

中央線・最終電車の、過酷なぎゅうぎゅう詰めを経験せずにすむのも嬉しかった。(ライブが終わって帰ると、最終電車になることが多い....。)

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2018年

4月

30日

池袋駅で。

ほんの数年間だが、地下鉄有楽町線/氷川台駅の近くに住んだことがある。

JR線と有楽町線の乗り換えが池袋駅なので、買い物も西武・東武デパート、東急ハンズでしていた。

東口に西武、西口に東武ってのが面白かったし、東急ハンズはちょっと駅から歩くけれど、渋谷まで行かなくてすむので便利だった。

 


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2018年

4月

12日

東京駅で。

あれは、私がまだシンセサイザーを弾いていた頃の出来事だ。

ツアーの仕事でどこか地方から東京へ帰って来て、東京駅の構内を足早に歩いていた。

大きな荷物を肩にかけているので、早く家に帰ってゆっくりしたかった。

 

前方に丸の内中央口が見えて、何やらものものしい雰囲気になっているのに気がついた。

警察官や警備員と思われる人たちがたくさんいて、入り口から通路の両側にロープを張って、何ごとだろうと集まってきた人々を整理している。

こういう光景はTVのワイドショーなんかで見ていたので、きっと大物タレントが来るのだ、と直感してワクワクした。

外国人アーティストだといいなぁ、これだけ警備がすごいのだから世界的スターだよなぁ、なんてミーハーな事を考えながら、人だかりの後ろで首を伸ばした。

たまたま私の隣には音楽関係らしいグループがいて、私と同じような事を考えていたに違いない。

当時としてはお約束の、長髪・革ジャン・鎖系でキメたロッカーたちだったが、おとなしく並んでスターが現れるのを待っていた。

 

しばらくすると、入り口付近一帯がざわざわして、人影がふたり見えた。

わ、誰だ?と思って目をこらすと、なんとそれは天皇皇后両陛下であった。

 

予想外のことに、私はびっくりした。本当に驚いた。

ゆっくり歩かれるお二人を目で追いながら、何故だかふっと涙がでた。本当にどうしてかわからないが、涙が自然とでた。

この時の気持ちはどう表現していいか分からない。

 

今となれば、「あなたは保守の人だから、天皇陛下が大好きなんでしょ。」と友人にからかわれるのだろうが、当時は保守でもなんでもなかった。

普通に南京事件を丸々信じていたし、全て日本が悪いという情報ばかりの中でずっと来て、この国も歴史も政治も、もうほとんどどうでもいいと思っていたのだ。

だから、天皇という存在について、考えたことも思いを巡らすことさえなかった。

 

あふれた涙に自分でもとまどっていると、隣にいたロッカーの青年が、「俺、感動した〜!」と興奮して嬉しげに仲間たちと話していた。

その言葉に、「そっかぁ、わたし、感動したんだ。」と納得したのを覚えている。

 

あの時、青年たちも私も、大物アーティストをきっと期待していたのだ。

そしてその期待は裏切られた。

がっかりして当然だった。

国を愛するなんてことをついぞ考えたことのない若者が、天皇皇后両陛下に接して、なぜあれほどに感動したのだろう。びっくりした、で終わらなかったんだろう。

 

今ふりかえってみると、これは日本人が持つ”集合的無意識”みたいなものじゃないかと思うのだ。

 

普段は表に出てこない。

そんな気持ちに気付きもしなければ、そもそもあるはずがないと思っている。

でも、いざ直面した瞬間に湧き上がってくる気持ち。

直面したことのない人は、まさかと一笑に付すのかもしれない。ばかばかしいと思うのかもしれない。

 

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2018年

3月

31日

5年前のこと

2013年1月4日の朝。

新潟に帰省していて、そろそろ東京に戻る準備をしかけた私の目の前で、父がいきなりバタンと倒れた。脳梗塞だった。

それから1年半の間に、父が亡くなり、後を追うように母が亡くなった。

私は住まいを東京から新潟へ、そしてまた東京へと移した。

 

その頃の事は記憶が曖昧で、断片的な映像が脳裏に浮かんだり、誰かの言葉を思い出すくらいで、父と母以外のことはほぼ空白に近い。

まるで別次元の世界に行っていた感すらある。

 

平穏な気持ちで普通に生活する、それがどんなに幸せな事か、最近になってようやく実感するようになった。

元の自分に戻るまで、まる5年かかったという事だ。

 

このブログの為の材料というか備忘録みたいな感じで、その時々に気になった事や思った事などをPCにメモしているのだが、今朝、ブログを書こうとそれに目を通していて、ある文章を見つけた。

介護のために東京から新潟に引っ越した時の気持ちを書いたものだ。

 

『その時の私は、父や母の事が心配で泣きたくなるほどだったし、自分の音楽をどうやってやり続けていったらいいかも分からなかった。

経済的な事や介護の事、新潟でのこれからの生活が殆どイメージできないまま、やらなければならない事は山のようにあって、毎日クタクタになって寝るだけの日々の中で先のことは全く考えられなかった。

ただ強く思っていたのは、東京で音楽をやり続けたいという事だった。

私は、東京で育ててもらった。

仲間や先輩、お客さんや尊敬するミュージシャンたちから暖かい励ましやアドバイス、思わず歯を食いしばるほどの叱責や厳しく欠点を指摘する言葉をもらい、褒めてもらったり上手くいかなくて恥ずかしい思いをし、でも何とかもっとちゃんと弾きたいと思ってたくさん練習した。

そういう記憶は過去のものではなくて、』

 

メモはここで終わっているのだが、これを書いた時の事は覚えていない。

でも、読んでちょっと切なくなった。

東京を離れなければならない、音楽を続けられるんだろうか、大好きな父を失うかもしれない、母との生活・介護はどうなるんだろう、、。

心がピリピリして、一人でぐるぐる空回りしている姿が見えた。

 

5年経った今、こうしてまた東京にいる事がちょっと奇跡のように思える。

そして、5年という時間をかけてゆっくり心が回復したのだと感じる。

 

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2018年

3月

23日

人生100年

最近、いろいろな所で「人生100年時代」という言葉を聞く。

 

ネットで調べてみたら、”英国ロンドンビジネススクール教授のリンダ•グラットン氏が長寿時代の生き方を説いた著書『LIFE SHIFT』で提言した言葉”と解説されていた。

氏によると、2107年には主な先進国では半数以上が100歳よりも長生きする。

必然的に、個々人が70歳を超えて働く事を想定しなければいけないらしい。

日本政府も「人生100年時代構想会議」を2017年9月に開催し、有識者議員としてグラットン氏を招いて意見を聞いたそうだ。

 

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2018年

3月

02日

平昌オリンピック

平昌オリンピックが閉幕した。

 

うちは相変わらずテレビがないので、もっぱらインターネットで配信されるニュースを見るだけだったが、日本の若い選手たちの活躍には本当に感激した。

競技結果への不安や周りからのプレッシャーは、オリンピックともなればきっととんでもなく大きいはずだ。   

でもニュース映像で見る選手たちからは、自分を信じる強さと、すべての努力の先にある結果を楽しもうとする余裕さえ感じた。

 

以前、このブログで、将棋の藤井聡太六段のことを書いた。

年若い勝負師の心の強さについて、ちょうど彼のプロ入りと同時期に見た、アメリカの天才チェスプレイヤー、ジョッシュ・ウェイツキンの伝記的映画の感想を交ぜて書いてみた。

 

”才能がある者に周りの者たちは無責任に期待し、期待が裏切られた時には無慈悲に失望する。スポーツや芸術の世界でも、一流の人たちはみんなその恐ろしさと戦っているのだ。”

(2017.7.20『ボビー・フィッシャーを探して』)

 

自分に勝つということは、実際の相手に勝つことより、ある意味難しいことなんじゃないか、とその時思った。心が強くなければ、生き残れない世界なのだ。

 

今回のオリンピックで一つ、気が付いた事がある。

日本の選手たちを支える環境だ。

競技への重苦しい不安やプレッシャーを乗り越えられるだけの力強い応援とサポート、そして国民からの暖かい愛情。

この試合には絶対に勝たなくてはいけない!なんて怖い顔で言う人は、ほぼ皆無だった。

選手たちが自分の全力を出し切る事が重要なのであって、結果はどうあれ、それを見守って声援を送るのが私たち国民のできる事だ!そんなふうに、ほとんどの日本人は思っていたんじゃないだろうか。

 

ネットに書き込まれた他国の人たちのコメントやニュースなどを見ると、日本との違いにちょっと驚く。

日本人のスポーツ精神は成熟しているなぁ....と思う。

 

オリンピック・アスリート達の写真は、全てがとても美しい。

特に冬季は、背景が純白の雪と氷なので格別だ。

 

今回の写真の中で私が一番好きな写真は、スピードスケート女子団体追い抜きで、世界一の強豪オランダを破って日本女子が金メダルをとった時の授賞式だ。

両隣りの大きな外国人選手たちと比べて、日本の選手があまりに小さく可愛いらしくてびっくりした。

大人と子供と言っていい程の体格差、体力差がありながら、彼女たちは知恵と気力とチームワークで勝ったのだ!

 

マジで感動して涙が出た、、。

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2018年

2月

20日

受難は続く-完結編

新潟市にある我が実家の度重なる受難--ガス漏れ・ハクビシン・大雪。

 

ブログで詳しく書いたのだが、先日、FBの方にも「こんな大変な事があったよ〜!」と軽い気持ちでアップした。

すると、地方に実家を持つ友人たちから切実なコメントがたくさん届いた。

親元を離れて暮らす人は、地元の大雪や台風などの災害、いずれ無人になるかもしれない家の管理など、年を重ねるごとに心配が膨らむ。

私のFBを見て、人ごとじゃないなぁ....と書き込んでくれたのだ。

返信を書きながら、”こうした空き家問題は、既に社会現象かも”と思った。

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2018年

2月

06日

受難の年明け -Part2-

先月11〜12日に新潟市を襲った驚異的な大雪。

 

市郊外にある実家が心配で、東京でニュースを見ているのがどうにももどかしかった。

翌日午後、さっそく新潟駅に到着すると雪は既にやんでいた。

 

越後線(ローカル線)に乗ろうかちょっと迷ったが、バスで寺尾に向かうことにした。

全ての車はノロノロ運転で、一体いつ帰り着くのか分からなかったが、線路の途中で列車が止まるよりはずっとましだ。

路肩は除けられた雪がうず高く積まれて土手のようになっており、道路上も雪でザクザクしている。

乗客の乗り降りは、歩道からバス乗降口までひと山-除雪された雪の山-を越えなければならず、普段の倍くらい時間がかかった。

 

ようやく自宅近くのバス停で降りて、雪に足を取られそうになりながらよろよろ歩いて家に着いた。

家の前の道路は除雪車が通ったらしく、車一台は徐行できるくらいになっていた。近所の家々は雪かきを既に終えて、特に車庫の前の雪はきれいに除けられている。

新潟で車は文字通り”足”であるから、車が出せないとなると仕事まで休まなくてはならない人もいるそうだ。

 

私の家は、道路から5段くらい石段を登ってちょっとのところに玄関がある。

その石段前に、まるで”通行止め”と言うように雪の小山ができていた。

除雪車が退けた雪が私の肩のあたりまで積み上がっているのだ。

石段から玄関までは綺麗なスロープ状の雪原(笑)になっていて、美しかったがとても我が家とは思えなかった。

1メートルくらい積もったんだろうか。

 

さて、どうやって玄関にたどり着こうかと考えた。

両手に荷物。スコップ無し。我ながら甘かったなぁ、、ここまでとは想像していなかった。ご近所さんは留守みたいだし、、。

どう考えても、体当たりで進むしかないわけで、雪をかき分け足を踏ん張り体で道をつくるという過酷な雪中行軍になった。

 

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2018年

1月

22日

受難の年明け -Part1-

昨年12月の我が家の災難については前の記事に書いたのだが、今年1月、それを上回る大危機が築40数年の我が古家を襲った。

 

以下、順を追って詳しく書くと、、う〜、もしかしてまた長文になってしまう予感が、、(笑) 。

 

1月11日夜から12日未明にかけて15時間もの間、大雪で立ち往生した列車内に乗客が閉じ込められた件。

菅官房長官が記者会見で言及するほどに全国的に有名になったが、その列車は、新潟駅でたびたび見慣れた新潟発/長岡行き-信越線のあの普通電車。
東京の自宅で、のんびりコーヒーを飲みながらネットニュースをチェックしていたら、かなり大きく報じられていた。
「ありゃ〜。」と思って記事を読んでみると、JRの対策にいろいろ疑問がわいてきた。
と同時に、数年前に経験した新潟駅行きローカル線-越後線での出来事が記憶に蘇った。
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2018年

1月

11日

天井裏に何かが!

昨年の話になりますが。

 

冬の寒さが本格的になってきた12月始めのある日、私はマフラーをぐるぐるに巻きぷくぷく着ぶくれて、雪降る新潟に帰省した。

夕方には実家に着いて、雪が薄く積もった5段ほどの石段を上って寒さに震えながら玄関の鍵を開けた。

 

家の中はひっそり静かで、まる一ヶ月間、締め切ったままで溜まった空気の匂いがする。

「ただいまぁ。」と小さな声で言いながら、急いで部屋に入ってガスファンヒーターを付けた。

 


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2018年

1月

01日

日本の未来

新年あけましておめでとうございます。

2018年も良い年でありますように 🎌 と元旦の朝、亡父と母の位牌に手を合わせてお願いした。

 

父も母も、きっと日本の未来に何かできるような事は無いんだろうが、「そこをどうか一つよろしく。」と言いたくなるくらいに、日本の未来が大変な事になるような気がした。

 


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2017年

12月

30日

今年は頑張った!

2016年12月31日--ちょうど1年前のブログに、「ずっと手探りでやってきた自分のJazzに、ようやくはっきりと目標が見えてきた。」と書いた。

 

そして、2017年12月31日。

1年間、自分なりにその目標に向かってちゃんと頑張ったと思う。

 

他人から見たら、きっとたいした事じゃない。

華々しく活躍するでもなく、みんなが驚くような事ができるようになった訳でもない。

でも、1年前にこう弾けるようになりたい!と願ったピアノ、ささやかでもはっきりと、今までとは違うこんなピアノが弾きたい、と決めた目標に、あともう少しかな....という所まで来た。

まるで童話の挿絵のように、自分が1年間、てくてく歩いてきた道が見えたような気がした。

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2017年

12月

24日

綺麗なお姉さんは、、。

クリスマスに沸き立つ都内のショッピングモール。

ライブの入り時間までにちょっと時間があったので、華やかに飾られたお店をぷらぷら眺めていた。

 

あるお店の店頭にあった、ちょっとクラシックなデザインのブラウスに目が止まった。

「これ、おいくらですか?」

と声を掛けたら、奥から若い女性が笑顔で来てくれた。

その彼女がまぁ、人形のように可愛らしいのだ!

ちょうどあの「お・も・て・な・し💕」の滝川クリステルさんのような感じ。

 

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2017年

12月

17日

シャーロック・ホームズ -Part5-

『心霊現象研究協会(SPR)』は、1882年、英ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ内に設立された。

心霊現象や超常現象の真相を科学的に究明するのが目的で、ルイス・キャロルやコナン・ドイル、キュリー夫人やカール・ユングなど、著名な支持者たちが謎の解明に期待した。

歴代会長には、哲学者、心理学者、物理学者などそうそうたる知識人たちが名を連ね、現在も存続中である(!)。

特に霊魂や降霊術に関する研究では、厳格な調査で画期的な成果を残した。 

  心霊現象研究協会      (SPR)のロゴ         


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2017年

12月

02日

シャーロック・ホームズ -Part4-

シャーロック・ホームズとワトソン博士、エルキュール・ポワロとヘイスティングス大尉。

二人の名探偵とその相棒たちは、今も世界中の推理小説ファンに愛されている。

 

ホームズやポワロは相当な変人だが、その周りの登場人物--ワトソン博士・ヘイスティングス大尉を含め、一般の英国人はいたって普通の人たちだ。もちろん犯人以外は、、。

そういう人たちの言動を見ていると、日本人と英国人は、気質というか佇まいというか、どこか似ている気がする。( 現代のイギリスはちょっと違うかも? )

 

先日、ある本で読んだのだが。

太平洋戦争が終わった後、30年間もそのままフィリピンに潜伏していた元陸軍情報将校・小野田少尉。

彼がルバング島から日本に戻った時、羽田空港では大勢の報道陣が待ち構えていた。

年老いた父親と対面した彼は「ただいま帰ってきました」と言い、迎えた父親も丁寧に「ご苦労だった」と言った。お互いに抱き合うわけでもない。

その光景を見ていたイギリス人の記者が「イギリス人と同じだ。ヨーロッパ大陸の人間なら抱いて号泣するだろう」と言ったのだそうだ。

 

なるほどなぁ、、。

そう言えば、ワトソン博士もヘイスティングス大尉も、感情あらわに我を忘れて抱きついたり号泣したりという事はほぼ無い。

 

*英グラナダTV制作『シャーロック・ホームズの冒険』(1984〜1994年)

*英ロンドン・ウィークエンド・テレビ制作『名探偵ポワロ』(1989〜2013年)に拠る。

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2017年

11月

20日

シャーロック・ホームズ -Part3-

8月にメイ英首相が初来日した。

これから日本は、イギリスともっと仲良くしましょう〜日英同盟(?)・祝復活〜ということで、その日以降、個人的に大いに盛り上がっていた。

何故なら、イギリスはコナン・ドイルとアガサ・クリスティーを生んだ偉大な国である!ミステリーファンにとっては、もうひれ伏さんばかりに崇める国なのだ。

Jazzをやっているならニューヨークに行け、とよく言われるが、いやいや、ロンドン・ベイカー街221B( ホームズの住まい )が先だ、と秘かに心に決めている(笑)。

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2017年

11月

11日

土瓶蒸し

恥ずかしながら....。この年になって生まれて初めて、土瓶蒸しというものを食べた。

(土瓶蒸し:蒸し物料理の一つ。松茸、白身の魚などを土瓶に入れて蒸し煮にしたもの。by三省堂大辞林)

 

帰省した新潟で、某料亭の懐石コースで対面したのだが、”松茸を使った料理”くらいしか知らなかったから、期待は格別なかった。

運ばれてきた土瓶を前にどうやって食べるのか分からないでいたら、給仕の方が教えてくれた。

「こちらのお猪口にすだちをちょっと絞って、出汁を注いで召し上がってください。」

 

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2017年

10月

21日

青空!

毎日、どんよりした天気が続いている。

せっかく秋なのになぁ、、。

 

気分もどよ〜んとしつつ、スマホにたまった写真をつらつら整理していた。

すると....。

先月、新潟に高速バスで帰った時に、越後川口SAで撮った一枚が目に止まった。

 

すっかり忘れていたのだが、この時たしか、まさに秋!空気が爽やかで心地よく、ただそれだけで小躍りするほど嬉しかったのだ。

青い空がほんとに大きくて、白い雲が手でつかめそうなくらい近かった。

 

PCでフルスクリーンにしたら、あの時の幸せな気持ちがしばし蘇ってきた。

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2017年

10月

19日

選挙-不在者投票

10/22に行われる「国難突破解散」による衆議院議員総選挙。

 

2013〜2014年、家族の介護で新潟に一時帰っていたのだが、その時に住民票を移して、以来そのままになっている。

今年夏の東京都知事選挙では、東京に住んでいて周りが大変な盛り上がりだったし、自民党東京都連と小池百合子候補については、選挙権もないのに無駄にいろいろ考えていたから(笑)、もうそろそろ住民票を東京に戻そうかとも思った。

 

でも、自分の中でなかなか踏ん切りがつかない。

新潟市郊外、小さなピノキオ公園すぐ隣り、あの古びた家の住民であることを無い事にしたくなかった。父も母もいないけれど、帰ればきっと、我が家に帰ったと気持ちが落ち着くのだ。

手続きの煩雑さより、たぶん、ほんの小さな感傷なのだと思う。

 

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2017年

10月

06日

ノーベル文学賞

8月30日、英国のメイ首相が日本を初来日したのを機に、しばしイギリスについて考えてみようってことで、シャーロック・ホームズについての記事をPart1、2と書いてきた。

Part3をアップしようかなと思っていた矢先、嬉しいニュースが飛び込んできた。

 

『ノーベル文学賞、日系英国人作家カズオ・イシグロ氏が受賞』

イシグロ氏は、長崎市で生まれ、5歳で英国に移住。1982年に英国に帰化したのだそうだ。

 

ずっと以前に、アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソン主演の『日の名残り』(1993年・米)という映画を見た。

1930年代、英国名門家の執事と女中頭の淡い恋が、戦前のナチス・ドイツとイギリスの外交を背景に描かれる。

 

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2017年

9月

29日

シャーロック・ホームズ -Part2-

私のミステリー入門は、アルセーヌ・ルパンというフランス人怪盗だった。

( 因みに、アニメの『ルパン三世』は、アルセーヌ・ルパンの孫である。....というか、そういう設定である。)

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2017年

9月

10日

シャーロック・ホームズ -Part1-

先日、英国のメイ首相が日本を公式訪問した。

英国と日本の連携強化が進むらしい。

『祝・日英同盟(?)復活!』ということで、しばしイギリスについて考えてみた。

 

創元推理文庫で育った私にとって、イギリスと言えば、まず第一にシャーロック・ホームズである ^ ^ v

私の少女時代からの永遠のアイドル、名探偵エルキュール・ポワロはベルギー人だが、彼よりもっと有名で、100年以上にもわたって世界中で愛されている偉大なイギリス人探偵が、シャーロック・ホームズだ。

 

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2017年

8月

31日

ミサイル

一昨日29日の朝、新潟の友人から

 「今朝はJアラートで起こされた。気分が悪いよね。」
とメールが来た。
びっくりしてインターネットのニュースを見たら、午前6時頃、北朝鮮が北海道上空を通過する弾道ミサイルを発射していた。

 


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2017年

8月

28日

ある日突然、太った...

去年の後半くらいから、会う人みんなに「痩せた?」と驚かれ、自分でも痩せたかなぁ、と鏡を覗いて思ったので、食事やおやつで地味に努力していた。( 体重を計る習慣がないので、東京の家には体重計がない。)

なんと腹筋トレーニンも始めた。( 痩せたのはきっと胃下垂のせいだ!)

 

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2017年

8月

12日

花火大会

7月29日の隅田川花火大会。

あいにくの雨にもかかわらず74万8000人もの見物客が訪れ、傘をさしながら壮大な花火ショーを楽しんだそうだ。

 

何年か前の隅田川花火大会の日のことを思い出した。


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2017年

7月

29日

夏は苦手

ちょうど梅雨明けした頃だったか、ネットの健康情報を見ていたら”自律的な体温調節” についての記事があった。

自然に汗をかくことで身体を暑さに慣れさせる⇒あまり冷房に頼らずに夏を健康的に乗り切ろう!てな事で、なるほど〜そうだそうだと思ってやってみる事にした。

確かに毎年、冷房をつけ過ぎて体調が悪くなっている気がする。


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2017年

7月

20日

『ボビー・フィッシャーを探して』(1993年米映画)

先日、史上最年少の14歳2ヶ月でプロ入りを果たし、デビュー以来29連勝を達成した藤井聡太四段。

ネットで彼について調べたら、5歳で将棋を始め、8歳の時には既に将棋界で天才と言われていたそうだ。その後、生来の負けず嫌いの性格もあってメキメキとと実力を伸ばしてきた。

 

将棋はまったくわからないけれど、たまたま彼の連勝中に『ボビー・フィッシャーを探して』という映画を見て、主人公のチェスの天才少年が藤井聡太くんとちょっとかぶった。

 

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2017年

6月

27日

太宰治-なぜか混浴について-

最近、太宰治を読んでいる。

 

太宰治は、『人間失格』と『斜陽』を、大学時代に国文学専攻の学生として正しく(?)読んで、以来それきりになっていた。

あまり好きになれなかった。(もちろん『走れメロス』は学校の授業で読んでめちゃ感動したが。)

森鴎外の対極のような生き方をした人で、時代の違いを考えてもとても心が弱い人に思われ、その作品を読もうという気が全くおきなかった。

 

たまたま先日、『きりぎりす』という短編を読む機会があって、ちょっといいな、、と思った。

『カチカチ山』でへぇ〜っと感心し、『東京八景』で妙に感動した。私も人生の苦労が少しは分かってきたってことか、、。

 

今日、『美少女』という短編を読んだ。

そして、ストーリーとは関係なく、えっ?とびっくりした事があった。

太宰治が30歳の時に発表した私小説なのだが、当時、彼は結婚したばかりで甲府市のまちはずれに住んでいた。

 

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2017年

6月

20日

隣りのマンションで!

夕方、5時過ぎ。

さて夕飯の支度でもするか、と思った矢先だった。

 

けたたましいサイレンの音がいきなり近づいて来た。

スピーカーで男性が何かがなりたてている。

緊急事態が起こったんだなと分かったが、どうもうちの近所らしく、がなり声がめちゃくちゃ近い。もの凄く近い。その上、なかなか遠くに去っていかない。      

あれ?と思ったが、スピーカーの音が割れて何を言っているのかほとんど聞き取れない。

ちゃんと聞こうと思ってベランダに出てみたら、通行人が何人か立ち止まってこちらを見上げていた。

え〜っ、うちのマンション?! と慌てて、ベランダと反対側の玄関まで走ってドアを開けた。

 

私の部屋は3階で、ドアの前の通路から隣りのマンションの3階通路が見渡せる。

ちょうど斜め前あたりの部屋のドアの前に、完全装備の消防士さんが3人駆けつけていた。

「ドア、開いてる!」と一人が大声で叫んで、もうもうと大量に流れ出す灰色の煙の奥に、真っ黒に焦げた部屋の中がちらっと見えた。

火はもう収まったんだろうか。

「わ、火事!」と驚いて部屋に戻ると、ベランダと玄関をうろうろ往復した。

ベランダでも玄関でも、うちのマンションで慌てているのはなぜか私一人だ....。

何だか気抜けして、部屋の真ん中で所在なく立っていた。

 

しばらくするとスピーカーで、「荻窪消防署です。火災が発生しましたが、延焼を防御しました。ご協力に感謝します。」と、今度は落ち着いた優しい男性の声で、何回も繰り返すのが聞こえてきた。

 

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2017年

6月

18日

風邪をひいた、、。

ここ4日間ほど、ひどい風邪で寝込んだ。

首の筋と頭が熱のせいでズキズキと痛み、ベッドに倒れこむとそのまま起き上がれなくなってしまった。

風邪で寝込むのは今までにも何回かあったが、今回は、予想外のヘタレ加減に自分でびっくりした。ベッドの中でまるで力が出ない。

寝ても寝てもまだ寝れる。日にちの境目がぼんやりするほど、寝ては醒め醒めては眠るを繰り返し、人間てこんなに寝れるもんなんだなぁ、と痛む頭の中でつぶやいた。

 


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2017年

5月

29日

関屋中学・化学クラブ -Part5-

中学時代の秋の文化祭。

文化クラブ部員にとって一年に一度の晴れ舞台なのだが、十代前半の青少年たちには”文化的活動”というとどちらかと言えば地味に見えてしまう訳で、、。

そこへいくと、我が化学クラブの活動はある意味、ちょっと派手だった。

 

先輩たちが4人がかりで庭に運び出した、”関中・化学クラブ伝統”のちょっと古びたお手製の火山。


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2017年

5月

14日

関屋中学・化学クラブ -Part4-

私の中学時代の記憶は、薄くぼやけていて、思い出せる事といったら本当に数えるほどしかない。

学校近くにあったケーキ屋さん( 以前このブログに書いた、夢のようなケーキ屋さん )と、何人かのクラスメートと担任の先生の事くらい、、。

 

実は、化学クラブの事はすっかり忘れていた。

それが、机の引き出しの奥から偶々出てきた、私が書いたと思われる『2年生文化祭計画』というよれよれの企画書をじっと眺めていたら、不思議なほど鮮やかに、あの当時、感じていた気持ちや部員の仲間・部長さん・先生の顔が次々と浮かんできた。

 

あの2年生の秋。

悩める青春時代である(笑)。もやもやといろいろな事に悩んでいた。

自分のことや家族の事。そして学校についても一つ不満があった。

まぁそんなに大した事じゃないのだが、早い話が「運動部ばっかり!」だ。

 

体操や陸上、水泳やバレーボール、バドミントン・サッカーに野球....。

花形選手はめっちゃめちゃかっこいいし、校内の話題も運動部に集中するのは仕方ない。

でも、化学クラブだって、爆薬で火山が噴火するし(火山、小さいけど....)、固体燃料でロケットがピューッて飛ぶんだよ(教室の中だけど....)、ケミカルガーデン、知ってる?すっごい不思議で綺麗なんだから!という訳だ。

 

性格というのは、成長してもあまり変わらないものだ。

自分のやっている事に対する圧倒的な肯定感というのは、この頃から既に芽生えていたと思われる(笑)。

負けん気とは違って、信念の問題だ。

人からどう見られようと、これが自分にとってベスト、これでOK、みたいな気持ちか、、。

人とはちょっと違うこの風変わりな価値観のおかげで、今までの人生、比較的幸せな精神状態で生きてこれたんだと思う。

つまり、私はかなりな変人であった(笑)。

 

この時は、大好きな”化学クラブ”を、周りのみんなにもっと知ってもらいたいという気持ちでいっぱいだった。

 

う〜む、またしてもすっかり長くなってしまった。

残念エピソードが、なかなか書けない、、。

すみませんm(_ _)m、次回、繰越しです。

 

***Part5に続く*** 

 

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2017年

4月

29日

関屋中学・化学クラブ -Part3-

『化学ガールな私』の残念エピソードを書こうと思ったのだが、その前に、この今にも破れて散ってしまいそうなわら半紙の裏表に書かれた「2年生文化祭計画」なる”野心的な企画書”(笑)を、記録に残しておこうと思った。

私が書いたよくわかんない説明図もあるのだが、それは省く。

 

PCで書き写していたら、私の頭の中に、当時の情景がポツポツと浮かんできた。

中学2年生・元気でちょっと不機嫌そうな女の子が、試薬のビンを片手に立っているのが見えた、、。

 

1.砂糖のおばけ

 

ビーカーに砂糖を半分ほど入れて、濃い硫酸をひたひたになるまで注ぎ、ガラス棒でかきまぜる。

すると、煙の中から黒い塊りがむくむくと伸びてくる。

 

***濃い硫酸が砂糖から水分を奪い取るために、炭素に変わっていく。

この時、熱とたくさんのガスができるが、そのガスが炭素の塊りを膨れ上がらせる。

 

2.水が綿に火をつける

 

二〜三滴の水を落とすと、綿がパッと燃え上がる。

 

***綿に、過酸化ナトリウムの粉をかけておく。

それが水と反応して酸素を出し、綿が燃え上がるのを助ける。

 

3.色の変わる水

 

四つのコップを左から①、②、③、④とする。

①と③に数滴のフェノールフタレインを、④には十数滴の酢を入れておく。

これに水差しの水を注ぐと、①と③は赤くなる。

 

***水差しの水に、二〜三滴のアンモニア水を入れておいたからである。

①、②、③の水を水差しの中に戻し、再び①、②、③に注ぐと三つとも赤くなる。

コップの水を全部、水差しに戻すと、④の酢のために全部の水が酸性になるから、あらためて注ぐと、四つとも透明な水にもどる。

 

4.火山が緑の山に

 

石綿の板の上に、重クロム酸アンモニウムの赤い粒で山をつくる。

そのてっぺんに火をつける。

やがて、この山は噴火を始める。( 暗室だといっそう美しい。)

燃えかすは、濃い緑色の灰( 酸化クロム )になる。

 

5.ケミカルガーデン

 

ケミカルガーデンとは化学の花園という意味である。

水ガラス( ケイ酸ナトリウム )を2倍の水で薄めた液に、いろいろの金属塩の結晶を落とすと、結晶の表面から金属のケイ酸塩が、木の枝のように次々と形成される。

 

6.ロケット

 

エンジンの中の固体燃料が燃焼して、気体を噴き出すため、針金を伝って動く。

 

(私注:部室の高い所に、部屋を斜めに横切るように細い針金を張って、小さな手製ロケットが滑って移動できるようにしてあった。)

 

7.レモン電池

 

十円玉2枚と一円玉2枚を、それぞれ一組にして、間に導線をはさむ。

 

(私注:縦割りにしたレモンの中に導線のついたコインを埋め込んだ図が描いてある。)

 

***Part4に続く*** 

 

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2017年

4月

13日

関屋中学・化学クラブ -Part2-

古びた木造校舎の奥の方の教室に、化学クラブ部室があった。

1階だったか2階だったか....。

 

重い引き戸を開けるとちょっと入ったところに、かなり大きな水槽が台の上にどんと置いてあった。

水槽の中では、鮮やかな赤や緑や青色の木の枝のような形をしたオブジェが”育って”いて、「これは、ケミカル・ガーデンというもので、、。」」と先輩が説明してくれた。

 

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ケミカル・ガーデンは化学の実験である。

実験方法はケイ酸ナトリウムの水溶液(水ガラス)に硫酸銅や塩化コバルトなどの個体金属塩を加えることである。

結果には数分〜数時間かかり、溶液の中に植物上のものが生成される。(Wikipediaより)

****************************

 

水槽に満たした水ガラスの中に金属塩を少量入れると、互いが反応して、青や緑やオレンジ、紫や赤など色とりどりの美しい樹々が生まれる。(その色や形は、金属塩の種類に依る。)

初めて部室でケミカル・ガーデンを見た時、なんて奇妙で美しいんだろう、と思った。

 

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2017年

4月

06日

関屋中学・化学クラブ -Part1-

中学生の時、化学クラブに入っていた。

数学はチンプンカンプンなのに、なぜだか『化学』にときめいていた。

今、思い出しても本当にどうしてなのか分からない。

理数科目全般にほとんど縁の無い人生の中で、この中学三年間だけ、私は『化学ガール』だった。

 

 


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2017年

3月

26日

ガレージと梅の花

新潟にはほとんど毎月帰っていて、両親が残した様々なものを、昔を思い出して懐かしんだり、あまりの大量さを呪ったりしながら、一つ一つゆっくり整理している。

 

先月、近所の方から、うちの空いているガレージを貸してくれないかというお話があった。

父はたしか、70代後半で車の運転はやめていて、以来、ガレージは物置きのようになっている。

 

重いシャッターをガラガラと上げると、カビと埃の臭いがモワッと襲ってきた。

 

父が買い物に行く時に乗っていた電動のシルバーカーや錆びた自転車、いらなくなった家具や健康器具、茣蓙や絨毯、庭道具、その他いろいろな小物類が、ぐしゃっといっしょくたに、足の踏み場もないほどに置かれている。

これを片付けるとなると、えらいことだ、、。

 

高校時代に使っていた、髪のカール用のホットカーラー・セットが隅の方から出てきた。

毎朝、せっせとカーラーを巻きつけておしゃれをしていた高校生の私を思って、カビと埃まみれのガレージの中で、ふと遠い目になる私であった(笑)。

 

ガレージのすぐ傍が玄関に上がる数段の階段になっていて、玄関の周りには狭い前庭がある。

松や椿や梅の木が植わっているが、父は、肥料はあげるが剪定などはしない人で、庭木はそれぞれ自由奔放・勝手気儘に育っている。

まぁ、父は私にもそうであった(笑)。

 

ガレージと玄関を、処分する物を抱えて何回も行き来しつつ庭の方を見ると、2本の梅の木が競うように満開に咲いていた。

大きく横に伸びた枝々に、たくさんの淡い白色の小さな花と、その奥に濃い紅色の蕾がちらほら見える。

今年は、梅の見頃の時期にちょうど当たったんだなぁ、、。

 

主人がいなくなった家の庭で、手入れもされず、でも毎年春になるとこの梅たちは、こんなに綺麗な花を咲かせていたんだ....。

 

梅の香りが大好きな近所の友人が、数日前にくれた、「みっちゃんのおうちの梅が帰りを待つようにきれいに咲いています。…」というメールを思い出して、胸の奥がキュンとした。

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2017年

3月

14日

ヤクルト

この時期は毎年、朝起きてから夜寝るまで、花粉症のおかげでひどい目にあう。一年のうちで、一番晴れやかな気分で過ごしたい季節なのに、、。

厳しい冬が終わり体も心もほころんで、ちょっと薄着になって桜を見に行くとか、友だちと一緒におしゃべりしながら街を歩くとか、ここ数年、そんなちょっとした外出もためらってしまう。

 

花粉防止のマスクで息が苦しいし、目はむちゃくちゃ痒い、頭はぼっとする、鼻水は出る、、。

杉にも檜にも恨みはないのだけれども、そもそも一体どうしてこうなったんだ?と誰かに聞いてみたい気にもなる。

 

先日久しぶりに、ボーカルの多美ちゃんと青梅の公民館でリハーサルをする事になった。

う〜、青梅か、、。花粉が盛大に舞い飛んでるんだろうなぁ、、。

実はかなり以前、やはり春先に、多美ちゃんとこの場所でリハをやった事があって、その時は二人とも大きなマスクに涙目で、口には出さねどお互い同病相憐れむの風情だった。

 

それが、先日のリハの時。

私も多美ちゃんも、マスク無しで晴れやかだ。何か以前と違う、、。

「今年って花粉、飛んでないの?」と私が聞くと彼女は、そんな事はない、例年通りだと言う。

奇跡が起きて花粉症が治ったのか! 私は、お気楽にバンザ〜イと叫ぶ気持ちになったが、冷静な多美ちゃんは優雅に微笑みながら「ここのところ、ヤクルトを飲んでいて…。」と言う。

 

あれ? それはどこかで聞いたような、、。

そうだ。新潟で高校の同級生たちと飲んだ時に、「花粉症にヤクルトが効くらしい。」と話題に出た。

 

それ以前に私は、乳酸菌が腸のために良いというのをネットで見て、花粉症とは関係なくヤクルトを飲み始めていた。

花粉症とヤクルトの話を聞いた時は、ふ〜ん、そういう事もあるかもね、なんて軽い気持ちで聞いていたが、先日の多美ちゃんの一言で、「花粉症にヤクルトが効く。」説に、もの凄く激しく同意した(笑)。

 

完治したというのではないけれど、症状が格段に軽くなっているのは確かだ。

花粉症対策に何か薬を飲むという事もなかったから、効果があったとすれば、やっぱりヤクルトだと思う。

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2017年

2月

24日

誕生日に気付いた事。

実を言うと、今日は誕生日。

全くめでたくないなぁと思いながら、というか、ほとんど思い出しもせず、いつも通り一人晩酌をやっていた。

 

うちの家族は、母も父もあまり記念日というものに頓着がなく、小さい頃から、家族の誕生日は天下泰平・日々息災の日だった。(つまり、普通に1日が終わった....笑)

 


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2017年

2月

13日

*お詫び*

今朝、大変な事が判明しました。

当ブログの『お問い合わせはこちらから』に書き込みをして頂いた方々へ。

 

ブログ管理の作業で、メールアドレス設定の修正が遅れた為に、お問い合わせの内容が一部、こちらに届いていなかった事がわかりました。

大変申し訳ありません。(修正前のアドレスは現在、削除されています。)

ご迷惑をおかけして本当にごめんなさい!

 

ブログ本文のコメントは問題ありません。

これに懲りずに、どうぞまたこのブログを宜しくお願い致します m(_ _)m

 

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2017年

2月

11日

スキー

新潟出身というと、たいがい「雪が凄いでしょう。」と言われる。

新潟県は北東から南西に随分と長い県で、私が生まれた新潟市は、湯沢や十日町といった豪雪地帯とはだいぶ離れているし、日本海を隔てて佐渡島があるおかげでそれほどの大雪は降らない。

それでも、私が小さい頃は、新潟市内にも雪が今よりたくさん降った。

一番すごかった時は、一階の屋根まで雪が積もって玄関から出られなくなった。子供にとっては大イベントだが、大人たちはさぞ大変だったろうと思う。

毎年そうであれば備えがあるが、新潟市は、忘れた頃にドカッと降った。

 

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2017年

1月

26日

トランプ新大統領

新潟に帰っていた時に、米ワシントンでトランプ氏の大統領就任式があった。

 

テレビはほとんどそのニュース一色で、いろいろ解説を聞いていると、今までとはまったく違う政権になりそうで、期待より不安がどっと大きくなった。

日本は同盟国だし、こんな不安定な世界情勢の時だから、アメリカにはほんと頑張ってもらわないとなんだけど、、 。

        (NHKネットニュースより)


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2017年

1月

14日

鷗外の手紙(...と何故かゲーム)

1月5日の産経ネットニュースで『鷗外29歳の筆…全集未収録の書簡見つかる』とあった。

明治24年2月27日付、ドイツ留学から帰国して3年、『舞姫』発表から1年だ。

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2017年

1月

04日

こうと汁

新年の朝は、『こうと汁』でお雑煮だ。

『こうと汁』というのは新潟の郷土料理で、大根・人参・牛蒡・長ネギなどの野菜と豚肉や鮭、油揚げや焼き豆腐その他たくさんの具材をしょうゆ味で煮た、言わば”和風実だくさんスープ”だ。

 

その中に焼き餅を入れるのが我が家のお正月で、今は亡き母が”味付け監督役”だった。

「甘い」「しょっぱい」「味がない」「ん〜なんか違う、、」となかなか厳しくて、母がテレビを見ている居間と台所を、汁を入れた小皿を捧げ持って私が往復する、というのが大晦日の恒例だった。

 

新潟ではどこの家でも、お正月は『こうと汁』なのだと固く信じていた。

 

       (クックパッドより)


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2016年

12月

31日

『2016年』

年の瀬にあたり、この一年を振り返ってみた。

長かったような短かったような、、。

 

この一年間に書いたブログやFBの記事をざっと見直すと。。

 

*出不精の私にしては珍しくあちこち出歩いた。美術館や記念館、社交ダンスやロックのライブにも行ったし、美味しいものをいっぱい食べ歩いた。

 

*今までほとんど考えたことがなかった自分の身体の健康を、ちょっとは気にするようになった。急に痩せて、みんなに驚かれたなぁ。

 

*近頃、面白い夢をよくみる。夢占いサイトで「ふ〜ん、、」と妙に納得する事もあって、たまに吉夢の場合はその日一日気分がいい。(すぐ忘れちゃうけど。)

 

*親しい人たちと折にふれ、これまでとは格段に深いレベルの話がたくさんできた。( はっと気付く事があったり今更ながら反省したり、これからまた元気にやっていく力をもらったような気がする。)

 

*ずっと手探りでやってきた自分のJazzに、ようやくはっきりと目標が見えてきた。

 

こうして書いてみると、なかなか心身ともに得ることの多い年だったかもしれない。

何より時間がたっぷりあって、気持ちに余裕ができた。( 生徒さんには「先生、もっと仕事たくさんして下さい!」なんてお小言を言われたが・笑)

 

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2016年

12月

22日

鬼平犯科帳

人間国宝・中村吉右衛門さん主演の人気時代劇シリーズ『鬼平犯科帳』が、今月3日の放送をもって終了した。

1989年から全150作。ずっと大ファンだった。

父が生きていた頃は、ビデオにとって家族でよく見ていた。

 


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2016年

12月

03日

国際化ー箱根で考えたこと

よく行く三鷹のお店の仲良しなママさんと、箱根に泊りがけで遊びに行った。

 

登山電車やケーブルカー、ロープウェイを乗り継いで、硫黄の煙がもうもうと立ちのぼる大涌谷から芦ノ湖を望む桃源台まで、箱根の山をホッカイロを握りしめながら大いに楽しんだ。

一面の紅葉や壮大な湖の美しさ、どこでも極上の美味しいものが食べられて温泉もサービスも最高、、日本に生まれてほんと良かった〜、、。

 

それにしても、電車やロープウェイ・お土産ショップやレストラン、どこも周りが外国人だらけで、日本の国際化をすごく感じた。

だって、銀座や新宿よりも体感密度がめちゃくちゃ高い(笑)。

 


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2016年

11月

10日

まじトラ

「もしトラ」が「まじトラ」でびっくりした。

石破さんも驚きを噛み締めていた、、。(日経ビジネスオンラインより)

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2016年

11月

05日

ハロウィン2016

インターネットではこの時期、渋谷のハロウィン仮装イベントの記事が毎年恒例になっている。

とにかくもの凄い盛り上がりで、写真を見てもみんなの力の入れようが怖いくらいだ。

繁華街にはオレンジかぼちゃとおばけのグッズがあふれ、これでハロウィン・ソングまで登場したらクリスマス以上かもしれない。

まぁイベントの方向性(笑)はだいぶ違うけど、、。

 

先日、新潟で友人と会った時も飲食店の店先はもちろん、医療クリニックまでハロウィンデコレーションで飾られていた。

「ハロウィンの意味、分かってやってるんでしょうかねぇ....。」友人が思わずつぶやいていた。

そういう私も、通販で可愛いハロウィン・ソックスセットを買い込んで、どれから履こうかにやにや悩んでいる。

日本人はとりあえずお祭りが大好きなのだ。

 

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2016年

10月

26日

オリジナル9

Jazzを弾くようになってから、昔つくった曲をJazzのコンボで演奏できるように少しづつ手直ししている。

久々に1曲、なんとか形になった。20代の大昔(!)に書いた曲だ。

 

大学を卒業してすぐの頃、新潟で音楽仲間たちとバンドをやっていた。

所有機材はポリシックス( KORGのアナログシンセ )と1Uのデジタルディレイだけで、アドリブできない・リズムは悪いで最悪のキーボードなのだが、とにかくシンセを弾くのが嬉しくて、夜中まで部屋にこもって音作りとかベンドホイールの練習とかしていた。

 

バンドでは、人気有名バンドのコピーとかYAMAHAポプコンのアレンジとか、一週間集中スタジオ練習とか東京の有名なボーカルさんの新潟ツアーのバックとか、思い出してもなんだかいろいろワイワイと楽しかった。

今みたいにネットに情報があるわけでなく、地域限定で盛り上がっていた。

 

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2016年

10月

02日

痩せた?

2013年に父が他界し、2014年に母が後を追うように亡くなった。

その二年の間に東京から新潟の実家へ、そして新潟からまた東京へと引っ越しをして、介護をしながら自分の音楽活動の為に月2回、新潟-東京を泊まりがけで往復した。

 

思い返してみたら、、。

ふ〜、短期間だけどすっごく頑張ったなぁ。

なにせ一人だからね。もう気力だけで、頭、まったく働いてなかった気がする(笑)。

 

2015年は余力でよろよろ動いて、今年に入ってようやく、自分のペースでものを考えられるようになってきた。

いい感じに充実してきたなぁ、よしよし....。

 

なんて思っていたら、、。

会う人会う人みんなが、心配そうに「痩せた?」と聞くのだ。

体重を測るという習慣がないので、「うん、まぁ痩せたかもね、大変だったから、、。」てな生返事でやり過ごしてきたが、最近だんだん気になり始めた。

「わたし、そんなに痩せた?」

 

新潟の実家の体重計に乗ってみたら( 東京の家には体重計がない -_-;; )、3キロも減っていてびっくりした。

あげくつい最近、仕事で久しぶりに行ったライブハウスで「どうしたの?!そんなに痩せて!」と驚かれた。

自分でびっくりはしていても、相手にもそんなに驚かれるとけっこう傷つく(笑)。

もうね、ここまでくると悩んじゃいますね、なんとしなきゃって、、。

 

う〜、太ってやる〜!と、ただただ固く心に誓うのみだが、もう暴飲暴食をできる年でもないのでなかなか難しい。( 体調はいたって快調なのだし。)

 

痩せた原因は、2年間の心労や悲しみや過労や年取ったせいやピアノが上手く弾けないストレスやあの人にこんな事言われたことやあの国がほんと滅茶苦茶だったり、、まぁ普通にたくさん思い当たるのだけれど、たぶん、少しづつの変化だったので、自分ではそれほど気にならなかったのだ。

 

以前、このブログで「太った?」は女性に対して絶対の禁句だという記事を書いたけれど、「痩せた?」もダイエット中の人以外には禁句だと思うのだが、私だけか....?

とりあえず、3キロ奪還。

まずは甘いものかなぁ、、。

 

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2016年

9月

27日

美術展

新潟で美術展を見た。

『風景画の世界展』

たまたま招待券を頂いて、美術館が駅の近くだったので東京に帰るついでに立ち寄った。

新潟の資産家である敦井榮吉氏の私蔵コレクションの中から風景画を選って展示していて、横山大観や東山魁夷など、日本画にはまったく疎い私でも知っている有名な画家の作品もあった。

敦井氏は近代から現代にかけての日本画・陶芸の収集家で、そのコレクションは1300点に及ぶ。( 新潟にこんな粋人がいたのだなぁ。)

 

静かな空間でゆっくり絵を見る時間が好きだ。

展示された絵には、画家の息遣いや絵筆を持った時の手の力、時にはそれを描いた時の心ー何を感じ何を思っていたのかーが表れていて、まるでタイムマシンで時を遡って、その場に立ち会っているかのような気持ちになる。

 

美術館には、一種独特の張り詰めた空気が流れている。

作品がそれぞれの空気を醸し出している。

 

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2016年

9月

14日

エゾシカ-Part2-

小さい頃、手塚治虫の漫画やディズニーの映画をよく見た。

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2016年

8月

23日

エゾシカ-Part1-

幼馴染みで高校の同級生・K氏は、生まれ育った新潟市の事ならほとんど何でも知っている。

「すごいねぇ、、。」と尊敬すると、「何年ここに住んでると思うのよ。」と笑う。

私なんぞ東京に◯十年住んでいても、東京タワーにもスカイツリーにも登ったことがない。

そのK氏が、新潟・古町にある高級串揚げ屋さんに連れていってくれた。

 

大通りから抜けて狭い路地に入ると、こじんまりとちょっとお洒落な小料理屋さんや割烹・飲み屋さんが軒を連ねる。古町は、粋で風情があって大好きな街だ。

その串揚げ屋さんも垢抜けた店構えで、ちょっとお寿司屋さんみたいだなと思った。

 

店に入ってコの字型カウンターの席に座ると、小柄な店長さんが、丁寧に下ごしらえした野菜や肉・魚などの食材を目の前で次々に揚げてくれる。

こちらのペースを見ながら、絶妙なタイミングだ。

冷えたお酒を飲みながらK氏と話をするその合間に、一品一品、食材の説明と食べ方( 塩で、タレで、そのままで、とか....)をちょこっとつぶやきながら、カウンター越しに置いていく。

 

「アスパラです。」

「甘鯛です。」

「蓮根です。」

「村上牛です。そのままでどうぞ。」

 

そんな至福のひと時を過ごしていたら、店長さんがぼそっとつぶやいた。

 

「エゾシカです。タレで、、。」

 

ふむふむ、エゾシカね....、え、エゾシカ?、、エゾシカって、、あのエゾシカ?隣りのK氏は、別段何事もなく美味しそうに食べている。

 

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2016年

8月

14日

森鷗外-Part6- 記念館へ

***Part5より続く***

 

文京区立森鷗外記念館は、森鷗外の生誕150年の2012年、千駄木の旧居「観潮楼」の跡地に建てられた。

もともとこの場所には文京区立鷗外記念本郷図書館が建っていて、もう十年以上前になるが、敷地内に残っている有名な「銀杏の木」や「門の敷石」「3人冗語の石」の写真を撮って、上野精養軒でコーヒーを飲む、という私的ミーハー鷗外ツアー(笑)をやった事がある。

 

精養軒という老舗西洋料理店は、明治の文豪たちと非常に関わりが深く、鷗外や漱石の小説にも登場するし、留学を終えた鷗外を追ってドイツから来日したエリスが泊まったのが、築地精養軒であった。

築地精養軒は関東大震災で全焼し、現在は上野が本店である。

 

新しく改築された森鷗外記念館のことはインターネットで知って、ずっと行きたいと思っていた。

ファンの心理として、このような場を訪れるときのタイミングは、万全の体調と万全の環境を要求する。つまり、気分が良くて天気が良い日だ(笑)。

 

待望のその日、朝から何だか嬉しい。

今回は、他の場所も見て回るというようなツアーではなく、鷗外記念館だけをじっくりゆっくり観ることにした。

電車の乗り換えを調べて、いざ文京区千駄木へ。

 

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2016年

7月

27日

森鷗外-Part5-『半日』について

***Part4より続く***

 

前回の記事で、「次回は、文京区千駄木の森鷗外記念館に行きます^ ^」なんて、珍しく前向きな事を書いてみたはいいが、最近なぜだか忙しく、せっかく暇でも雨が降り出したりで、鷗外記念館訪問は来月に先送りとなってしまった。

 

そこで今回は、鷗外の問題作『半日』について書いてみようと思う。

なぜ問題作かというと、この作品は、鷗外の私生活の秘密の暴露なのだ。

 

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2016年

7月

16日

森鷗外-Part4-『書くこと』について

***Part3より続く***

 

このブログは、5年前にある人の勧めで始めた。

最初は何を書いたらいいものか、億劫に思う気持ちと続けられるかという不安、読んでくれる人などいるのだろうかと限りなくマイナスに考えていたが、

「田崎さんの好きなものを書けばいいんですよ^ ^ 」の一言で俄然やる気が出た。「えっ? 好きなこと、書いていいの?」

 

昔から私は変なヤツだったと思う。

私が好きなもの、興味がある事、面白いと思った事、いろいろ考えた事なんかを話し出すと、だんだん相手は無口になる。

私の話が滔々と長いのと、妙に熱を込めて力説してしまうので、相手がしらけて退屈してしまうのだ。

話題もたぶん一般的じゃない。普通の人が、なんでそんな事を?と逆に驚くような事、例えば『母系社会と父系社会はどちらが幸せか』とか(笑)、聞く人にとってまったく迷惑千万な話だ。

思い返してみると、私の興味は随分と偏っていて、しかもどうでもいい事を無駄に深く考えてしまう傾向がある。

 

この重大な欠点に気付いてからは、だいぶ言動に気をつけるようになった。(それでも時々やらかしてしまうが、、。)

自分の好きなものについては、気を付けてあまり話さなくなった。

 

だから、ブログを書き始めた頃はそれはもう嬉しかった。

考えたり思ったりした事を文字にする。なるたけ正確に、嘘や誇張がないように簡潔な文章にする。

その作業がとても楽しい。

頭の中に散らかった思いや考えがまとまっていくのは、本当に爽快で気持ちがいいのだ。

 

そして近頃、今までとちょっと違う「書く事の楽しさ」を発見した。

 

文章を書く事は、色や形や大きさの様々な小石を使って一枚の多色濃淡の貼り絵を作るような作業だと思う。

絵に嵌め込む為の小石を、澄んだ水の小池の底からあれやこれやと拾い上げる。どんなに色が美しい小石でも、大きすぎたり形が合わなければ池に戻すしかない。

その拾い上げたり戻したりは、文章を書きながらどの言葉を使おうかあれこれ悩むのと似ている気がするのだ。

そして、Jazzの即興演奏で音を選ぶ感覚ともよく似ている。Jazzの場合はほとんど瞬時の選択だけれど、、。

言葉を選ぶ、アドリブのスケールを選ぶ、どちらも選択肢がたくさんあって楽しい。

選んで決める事の繰り返しを、自由に、自分の思うままにできる事がこの上なく楽しいのだ。

 

だから、ブログの記事を書き始める時は、ピアノに向かう時のようなちょっとしたワクワク感がある。

 

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2016年

6月

21日

森鴎外-Part3-

***Part2より続く***

 

鷗外研究者やファンにとって「エリス事件」の真相は、長年”最大の謎”だった。

エリスとはどんな素性の女性であったか、、。

多くの研究者たちが、下宿の娘・娼婦・ユダヤ人の人妻など諸説発表しているが、どれも確定に至っていない。

 

私も、近くの公民館でエリス研究についての講演があればいそいそと出かけて行ったし、新聞やネットでも気が付く限りチェックしていた。

明治の文豪・森鷗外が愛した女性である。、、まぁ私の場合は学問的探究心とは程遠く、この人がいかなる女性で鷗外と何があってどんな人生を送ったのか、純然たる個人的興味(笑)で知りたいと思った。

 

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2016年

6月

13日

森鷗外-Part2-

(そうとう昔の話になるが....。)

大学卒業で国文学の論文を書くにあたり、鷗外=森林太郎について、小さい頃の事やらいろいろ調べ始めた。

そうすると、彼は本当にとんでもなく優秀な人で、幕末の藩医の家柄である森家一族の期待を一身に受けて育った超エリートと分かった。

10歳からドイツ語を習い始め、東京大学医学部を最年少の19歳で卒業している。

 

そもそも、この時代の日本のエリートたちの優秀さは半端なものではなかったと、いつだったかテレビの情報番組で見た覚えがある。

小学生時分から過酷な試験をいくつもパスしなければならなかったとか…。

ただ頭が良いとか勉強ができるのではなく、『坂の上の雲』や長州五傑(『長州ファイブ』)などの史実を見れば、自分の命と引き換えにするくらいの物凄い精神的強さを持って、開国したばかりの国の為に働こうとした人たちが明治の日本には相当数いた。

鷗外も、日本の未来を背負うべくドイツへ官費留学する。

 

ドイツ留学中は、友人や下宿人たちと親しく付き合い、勉強・研究ばかりではなく、舞踏会や宮廷劇場で貴族と交際したり美術鑑賞や観劇したり、それはもうヨーロッパ文化を思う存分に吸収した。

ドレスデン地学協会では、日本について講演したナウマンというドイツ人学者に流暢なドイツ語で論争を挑んで話題になったりしている。

行動がなかなか派手である(笑)。

(これらの事は、英国留学中に神経衰弱で引きこもりになった漱石とよく比較される。)

 

そんなドイツ留学時代に、鷗外はあるドイツ人女性と恋に落ちた。

この恋愛を題材にして『舞姫』が書かれるわけだが、実際に、帰国した鷗外を追って、たった一人で長い船旅を経て来日したドイツ人女性がいた。

この人が「エリス」である。

鷗外の周りでは、家族はもちろん親戚、友人、軍部の上司までもが「とんでもない事!」と驚いて、結局、彼女をドイツに追い返してしまった。

これから立身出世をするであろう大事な家の跡取り息子に、変な傷をつけてなるものかって感じだったのかなぁ、、。

 

この事件については、家族の言葉や陸軍関係者の日記・その後の鷗外の小説などから、断片をつなぎ合わせて推理するしかない。

当時の日本において異国の女性との恋愛はスキャンダル・醜聞扱いだったから、周囲はうまく処理して何事もなかったことにしたかったに違いない。

 

***Part3に続く***

 

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2016年

5月

08日

森鷗外-Part1-

国文科を卒業する時、選んだ卒論のテーマが『森鷗外』だった。

 

大学で国文科に入ったのは源氏物語に興味があったからだが、受けた講義が全く期待とずれていてすっかりやる気が失せてしまった。

学問研究は、ロマンチックな感性ばかりでどうなるもんじゃない(笑)。

 

その時期のひょんな巡り合わせで音楽の世界に舞い戻るわけだが、そうは言っても大学を卒業するには卒論を書かなければならない。

どうするかなぁ…、と考えた時にポッと心に浮かんだのが、昔読んだ森鷗外の『舞姫』だった。

 


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2016年

5月

04日

モロッコいんげん

駅前商店街の八百屋さんで買い物をしていて、トマトの隣に長さ20センチ以上もある巨大なさやいんげんを見つけた。

”わ、なんじゃこれは、、。”と思って、お店の若者に聞いたら「あ、それ、モロッコいんげんです^ ^」と教えてくれた。

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2016年

4月

18日

地震

ここ数日、インターネットニュースをちゃんと見ずに過ごしていた。

今朝、熊本の地震がさらに大変な事になっているのを知って愕然とした。

こういう時、テレビがないと全く情報が入ってこない。

自分の怠慢でもある。

 

ほんの数年前の恐怖と混乱を思い出した。東京にいても、毎日が不安で不安でしょうがなかった。

今、被災地の方々は、もっともっと不安を感じておられると思う。

 

被害の写真を見て呆然とした。

救援隊が多数、派遣されているようだ。

情報を探して、しっかりと知らなければいけないと思った。

 

熊本の皆さんの安全な生活が1日も早く戻りますように。

 

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2016年

3月

15日

ともだち

先日、18年振りに再結成したJazzコンボの仲間たちとライブをやった。

18年前、Jazzについて殆ど知らなかった私に様々な事を教えてくれた大好きな人たちだ。

教える、と言っても言葉ではなく、とにかくいろいろ聴いて自分の音を出してみんなで遊ぶ。そのうちにJazzってこんなんかなぁ、、とおぼろげに見えてきた、という感じだ。

 

初心者にはハードルが高いジャムセッションも、<みんなで行けば怖くない!>って勢いでたくさんのお店に行ったし、合宿したりバーベキューしたり温泉に行ったりお祭りで演奏したり、まぁ本当に本当に楽しかった。

Jazzとの最初の出会いがこのメンバーだったからこそ、今、私はこうしてピアノを弾いているのかもしれない。

 

ずっと会っていなくても、会えばすぐに昔と同じ顔になる。

それが『ともだち』だなぁって思う。

18年振りの仲間たちのライブ。演奏しながら、懐かしさと嬉しさで心がいっぱいになった。

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2016年

3月

15日

夢占い

他人の夢の話を聞くのはちょっと忍耐が要る。

”興奮冷めやらぬ”だから、人によっては微に入り細に入り丁寧に説明してくれるので話がやたら長くなる。

どこで相槌を打ったらいいものかよくわからない。

落語みたいに、聞いた最後にこれは夢でしたってオチがつくならかなり楽しめるが、最初から夢と分かっていたらどれだけ凄い話でも全然びっくりしない。

 

そんな訳で、自分の夢の話はめったに人にしない。話さないからすぐに忘れてしまうし、だいたいがそんなに夢を見ない。 


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2016年

2月

20日

リズム

今、一番考えている事はリズムだ。

 

ここ最近やっと右手の薬指と子指に力がついてきて、フレーズを弾きながらよろよろする事が少なくなった。

でも、鍵盤が重いグランドピアノだったりするとまだまだヘタレる。

指に十分な力がないと、タッチのコントロールが行き届かなくてガンガン強い音が出たり、Jazzのリズムが思うように踏ん張れない。


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2016年

2月

09日

どっちが、、。

以前ヤマハのエレクトーン講師をしていた時に、ホンの短い期間だったが千葉にいた事があって、子供たちのエレクトーンコースを1クラス担当した。

最初に新潟出身だと自己紹介したら、子供だから無邪気にいろいろ質問してくる。

 

「先生んちはお百姓さん?」

「冬には雪が屋根まで積もるの?」

  (ヤマハ千葉センター)


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2016年

1月

31日

雪のこと。

ここの所、東京は久しぶりの雪で結構な騒ぎだ。

新潟出身者からすると、日本は広いなぁとぼそっと思う。

このくらいの雪でニュースになるって、まるで外国にいるようだ。

 

私が生まれた町は湯沢や十日町といった豪雪地帯からはとても遠いので、さほどの大雪は降らない。

でも小さい頃、朝起きて窓を開けると一面の銀世界で、ピンと張りつめた冷たい空気の中、陽の光を反射してキラキラ輝く真っ白な雪を眺めて、泣きたいような笑いたいような気持ちになった事は幾度もある。

たぶん、新潟の人の人生は雪と切っても切れない

 

新潟の冬。

朝起きると外は猛吹雪。あられ混じりの雪と息もできないくらいの横殴りの風。

通学通勤の老若男女は、ただ黙々と普段通りに学校や職場を目指す。父は車通勤だったが、命の危険を何度も感じたと言っていた。

私もそんな日の朝は、「わ、やだなぁ…。」と思いながらも『明日に向かって撃て!』のラストシーンみたいに(笑)、玄関から外へ頭から飛び出して行く。

天気に文句を言ってみても何になるだろう?

 

先日、東京で雪が降った時、大学は休講にするべき!・なんで社長は自宅待機を決断しない?といった書き込みがネットにあふれた。

まぁ交通網の規模と状況が違うから比較はできないのだが、そうした書き込みを読みながら、新潟人気質、雪国の人の気質みたいものをちょっと思った。

 

2011年の大震災。

被災した東北の人たちが見せた信じられない程の我慢強さと秩序正しさに世界中の人が驚いた時、私は日本人がもともと持つ美徳と同時に、雪が降る土地特有の考え方みたいなものがその根底にあるんじゃないかと思った。

困難にあった時、まずは一旦すべてを受け入れるというか、目の前の事実を”諦め”と共に冷静に認めるというか、、。

 

そんな偉そうな事を言っている私は、20代で新潟の冬から逃げ出した。

真冬の日に見た湘南の青い海が、どうしても忘れられなかった…。

でも、どんなに離れても小さい頃の雪の記憶は消えない。

 

東京に雪が降った朝、ベランダの手すりにうっすら積もった雪を見てすごく嬉しくて、思わず窓をあけて『もっと降れ〜!』なんて心の中で叫んでいた(笑)。

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2016年

1月

26日

一月という事で。

年頭にあたり、今年の目標を考えてみた。

とは言ってもすでに二十日以上過ぎている、、。

 

お正月は帰省せず、東京でダラダラのんびりしていたら、松の内を過ぎた頃からいろいろあってバタバタ忙しくなってしまった。

そんな中、18日に新潟に帰る予定だったのだが、東京は朝から大雪が降った。

予約していた高速バスは運行中止だし西武新宿線は止まっているし、中央線は物凄い遅れだし上越新幹線は大丈夫なのかネットでずっと調べて、ようやく午後になって電車も回復しているだろうと東京駅に向かうことにした。

 

予想に反して、中央線は間引き運転のせいか朝の通勤ラッシュ並みに超絶混んでいて、荷物ごとぎゅうぎゅう押しつぶされそうな勢いだ。

たどり着いた新幹線はガラガラにすいていたが、朝からの大混乱大格闘で精根尽き果て、コーヒーセットのケーキを頬張りながらぐったりしていたらあっという間に新潟に着いた。

高速バスに慣れた身としては信じられない速さだった(笑)。

 

実家に帰っても一人だが、高校時代の同級生たちや何十年来の気心知れた友達、久しぶりに再会して近況を報告しあった友人や最近親しくなった近所のお友だちが連日付き合ってくれて、めちゃ楽しい時間を過ごした。

東京の大雪のことなどすっかり忘れてしまっていた。

 

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2015年

12月

31日

大晦日

一年最後の日を東京で過ごすのは何年ぶりだろう?

 

       ***************

  

大混雑する東京駅の新幹線ホーム。

えっと〜、、どの列がどの列車?最後尾はどこ?、越後湯沢までしか行かないとか何とか放送で言ってるけど....、ほんとにこの列で大丈夫なんかなぁ、、。

あっ、そこのおばさんたち、割り込まないでよ、う〜、それにしても寒い....。

 

指定席をあらかじめ取っておけば良いのだが、私がそこまで用意周到だったら迷わず高速バスを選ぶ。年末はちょっとでも出遅れると予約が取れないので、結局新幹線の自由席になってしまう。

高速バスは乗車時間は長いが、車内は水を打ったように静かで荷物などのストレスもなく、山中の息を呑むような雪景色を思う存分堪能できて、私のように一人であ〜だこ〜だ考えるのが好きな人種には格段に快適なのだ。

しかも料金は新幹線の半分で、欲を言えば5時間じゃなく4時間だったらもっと良い ^ ^。

 

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2015年

12月

25日

今日は...

クリスマス!ということで、商店街のお肉屋さんから店主のおじさん特製のローストチキンを買ってきた。

12月になったと同時にワクワク待っていたので、友人に会うたびに話していた。

「1羽ってこんなにおっきいんだけど、ほんと美味しいんだよ〜。」

パーティやるの?と聞かれて、「 え? 一人で食べるんだよ ^ ^ 」と言うと、だいたいみんな絶句する(笑)。


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2015年

12月

11日

クリスマスシュトーレンとお正月

12月に入ってすぐ、いつも行く商店街の小さなパン屋さんに食パンとイチジク入りカンパーニュを買いに行ったら、見慣れない綺麗なお菓子のパッケージがたくさん置いてあった。

何かな?と思ってお店の奥さんに聞いたら、

「クリスマスシュトーレンです。ドイツでは、クリスマスまでに少しずつスライスして毎日食べるんですよ。」

ドライフルーツやナッツをたっぷり練り込んだ生地で、表面にはバターを塗って砂糖をまぶしてあるのだそうだ。

う〜、甘い物好きとしては話を聞いてるだけでたまらない....。

早速、小さなサイズを一つ買った。

奥さんが「少しずつ」と言ったけれど、あんまり美味しくて「少しずつ」は無理だった o_o;;。

 

*クリスマスシュトーレン*

(小さなサンタの置物は美容院でもらったプレゼント。

動かすとサンタの周りに雪がチラチラ舞って綺麗だ^ ^)



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2015年

11月

30日

愛しの”県高(けんたか)”-Part2-

”けんたか”-県立新潟高校については、書きたい事が山ほどある。

でも今日は、前回の”ちょっと考えた事”を書きたいので、ほんのさわりの3つほど、、。


”けんたか”の校風は一言で言えば自主自由だ。

校則がゆるく、先生たちとも仲が良かった。

女子は制服がなく、私なんぞ今となっては考えられないほど服装には気を使っていた(笑)。

毎日「ミニスカートにハイソックス」でキメてたなぁ、、極寒の新潟の冬でも気合入ってた....。

因みに、男子はGパンに学ランってのもOKだった。


『丈夫(ますらお)〜のたばっさむ粗野の〜、、』

もの凄く男らしく勇ましい( が、歌詞が難し過ぎて意味はよく分からない )応援歌を、超硬派応援団長の「それ〜!」の掛け声とともに、”お腹から声を出して”( 入学するとすぐ応援団の指導がある )だいたいどんな場面でも必ず歌った。

卒業式も例外ではない。そして卒業後も例外ではない。

これは伝統である。


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2015年

11月

16日

愛しの”県高(けんたか)”-Part1-

私が卒業した県立新潟高校は、通称”県高(けんたか)”ー明治時代に旧制新潟中学校として創立された。

もともとは男子校で、

「私の高校は男子校だった。」

と些か省略して言うと、相手は一瞬混乱した表情を浮かべた後「やっぱりこいつは、、。」と得心したようにニヤッと笑う。

「いや、そうじゃなくて^ ^;;、昔は男子校だったけど、ちょっとずつ女子が入学するようになったんですよ。 」

 

(1999年に改築された校舎。

立派になったなぁ....。)


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2015年

11月

05日

『危険な時代に生きる』

東京の自宅にはテレビがない。

あまり不便に感じないが、一つ二つ見たいテレビ番組もある。(『相棒』シリーズとか ^ ^ )

そういう時は新潟の実家でDVD録画しておいて、月一回帰った時にまとめて見る。


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2015年

10月

28日

時間

猛暑の夏がようやく終わって、一息ついていたら急に朝晩ひんやりと感じるようになり、いきなり寒くなったなぁと思いながら郵便局に行ったら年賀状印刷の予約広告が貼ってあって、なんだかあたふた焦って気分は一気に年末になってしまった。

その前に秋だろっと自分でつっこんでみたが、どうも最近、月日の流れが異常に速い。

”さぁ、これから食欲の秋!”なんてわくわく意気込んでいて、気が付いたらもう外で雪が降っていたとか、実際おきそうな勢いだ。

 

先日、ライブのリハ中にメンバーと話していて、

「なんかさぁ、もうあっと言う間に一年終わっちゃいそうだよねぇ...。」

「ほんとほんと。やたら最近速いよ。前からこうだっけか?」

 

実はこういう会話、他の人たちとも頻繁に交わされていて、例えば他のミュージシャンたちやピアノの生徒さん、ライブハウスのママさんとか、みんな一様にとても実感を込めて言うのだ。

社交辞令の挨拶ではなく、心底驚いて「あれ、なんで?」というニュアンスがある。

 

昔、父が「40を過ぎると早いぞ〜。50を過ぎるとまっさかさまだ!」なんて笑いながら私を脅かしていたが、たいがい年を取るにつれ時間の流れは速く感じるものだ。

へんな言い方だが、”時間の相対的老化”のような感覚は年齢とともにどんどん加速していく。

これは一般的な現象でなんの不思議もないのだが、近頃奇妙に感じる事がある。

私から見ると随分若い人たちがまったく同じ事を言うのだ。

こちらに気を遣って(笑)、という風でもない。

同じ年代同志なら相身互いで笑ってお終いだが、若者たちが相手だと”時間の相対的老化”ではなく、”絶対的自然現象”ー例えば天気について話をしているような錯覚に陥る。

 

「今年の夏はめちゃ暑かった。」=「一年がめちゃ速いんだけど?」こんな感じかな...。

 

この件について、独断と偏見で2つ仮説を立ててみた。

『創元SF文庫』卒業生としてはもう少し奇抜なアイディアを出したいところだが、凡人にはこれが精一杯で残念だ...。

 

1.若者たちの時間感覚に変異が起きている。

時代の変化のスピードが速過ぎると、柔軟な若者の感性に少なからぬ影響を及ぼす。   

特に、Jazzなどの伝統文化=古き良き時代に発祥した文化を好む幾つかのグループは、インターネット上で過去の映像・音源( YouTube等 )に頻繁に接する事によって、現実のスピード感と体内感覚との間にずれが生じやすい。

 

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2015年

10月

13日

盛り塩

自宅マンションの右隣の部屋。

前を通り過ぎるたびにちょっと気になっている事がある。

通路から少し奥まった玄関の前に、目立たないように盛り塩が置いてあるのだ。


料亭やお寿司屋さんの軒先で見る分には全く違和感が無いのだが、マンション通路の薄暗い蛍光灯の光の下、ひっそりと置かれた盛り塩を見ると、思わず”ぞぞっ”とする。


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2015年

9月

30日

『フランケンシュタイン』

私はホラー好きで、たぶん見る映画もかなり偏っている。

『エクソシスト』『オーメン』『シャイニング』『リング』『遊星からの物体X』『惑星ソラリス』、、この手の作品を好んで見る人というのは、マニア=変人の部類だと我ながら思う。

悪霊や悪魔、心霊現象や地球外生命体、人類史以前の太古から存在する未知の魔物ーそういう得体の知れないものに関わってしまって、不幸にも死に物狂いで闘わざるを得なかった主人公たち。

たいていは負けちゃうのだが、大作映画お約束の”勧善懲悪”じゃないところが好きだ。

人間なんて小さな存在なのだ、その事実をいやというほど知るのも自虐的な快感というかなんというか、、(笑)。

女性でこういうのが好きってのは珍しいんだろうなぁ。


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2015年

9月

09日

ナイツ!

夜寝る時、米朝さんの落語を子守唄(?)代わりに聞いている。

もう内容はほとんど覚えちゃってるんだけれど、渋みのある声音(こわね)と絶妙な語り口が何とも心地よい。

最近、もう一つお気に入りが増えた。漫才コンビ・ナイツだ。


もともと、漫才はあまり好きではないし興味がなかった。

ライブハウスの演奏の合間、お客さんやメンバーが若手お笑い芸人の話題で盛り上がる事がよくあるが、うちはTVがないし(笑)まったく話についていけない。


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2015年

8月

31日

赤い靴と山登り

レッスン中に生徒さんと雑談するのが好きで、気を付けないと世界情勢・歴史・人生その他諸々の持論を一席盛大にぶってしまう。

そんな私のおしゃべりに心優しく付き合ってくれる類いまれなる生徒さんがある時、ふっと言った。

「先生のブログ、たまに見るけどミュージシャンのブログじゃないみたい…。」

『うぅ、いかん!そういえば音楽の話ず〜っと書いてない。その他諸々話ばっかだ、、。』


ということで、今回は珍しく音楽ネタ、『Jazzの練習』について書きたいと思います^-^ !

Jazzは、明けても暮れても練習/練習/練習です(笑)。


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2015年

8月

03日

エレクトーンな日々~Part2~

大学を卒業すると、エレクトーン講師と並行してデモンストレーターの仕事を始めた。

高崎で研修を受けた後、地元でやった初めての仕事がなかなか試練だった(o_o);;

 

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2015年

7月

28日

エレクトーンな日々~Part1~

大学3年生の秋頃だったか、学バスで一緒になった友人が、

「今、ヤマハでエレクトーン習ってるの ^-^ 面白いよ。 」と言った。

「へ〜、エレクトーン o_o 」

「タサは昔、ピアノ習ってたんでしょ?すぐ弾けるようになるよ!」

「どうかなぁ…。」

 

小さい時に苦行のようにピアノレッスンをやらされたおかげでクラシックが大嫌いになり、高校時代はロックばかり聴いていた。

大学受験で進路を決める時に音楽は絶対に選ばないと決意して、結局、国文学科に入学した。

 

この当時は、教職課程をとって高校の国語の先生になろうなんて気はさらさらなく、かといって文学の才能が特別あるわけでもなく、中途半端な気持ちでふらふらしていたところだったので、

「エレクトーンかぁ、やってみようかな、、。」

新潟市内・万代にあったヤマハ音楽センターに申し込みに行った。

 

クラシックと違って先生にあ〜だこ〜だ怒られず自由に好きに弾けて、ビートルズや荒井由美(-今は松任谷由実さん-) Jazzやボサノバ、お洒落でPopな曲集が沢山あって、リズムボックスからはいろんなリズムがシャカシャカズンチャカ出てきた。

夢中になって毎日練習した。( やっぱ好きな事しかやれないんだな、私....笑)

 

大学卒業前にエレクトーン講師の資格を取って、ヤマハ新潟センターに晴れて就職した。

音楽は職業に選ばない!固く決意した事なんて綺麗さっぱり忘れていた。

(近代文学ゼミの伊狩先生 、心配かけてごめんなさい m(_ _)m )

 

同時に、”エレクトーン・デモンストレーター”という仕事も始めた。

デモンストレーターは、イベント会場やお祭り、商店街や楽器店の販促なんかでエレクトーンを弾いてヤマハや楽器の宣伝をする。

東京だと、日曜日の午後ー新宿Pepe前の広場に巨大な透明カプセルが設置されて、その中でデモンストレーターがおしゃべりを交えながらエレクトーンを弾いていた。もう随分と昔の話だが、、。

東京のデモンストレーターはさすがにめちゃくちゃハイグレードで、たまに上京して新宿Pepe前で見学するたびにうっとり憧れたものだ。

 

さて、新潟のデモンストレーターな私。

大きな会場や記念イベントの仕事もあって緊張でハラハラドキドキだったが、記憶に残っているのはそうした華やかな体験ではない。

ドジったり焦ったり慌てたり、地方ならではのちょっと面白かった思い出だ。

 

これについてはちょっと長くなるので、次回Part2に続く....。

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2015年

7月

19日

進化

毎年、この季節になると新潟の実家で蚊と格闘する。

東京でマンション住まいをしていると蚊なんてものににお目にかかる事はまず無いので、蚊取り線香くらいしか防御策を思いつかない状態で田舎に行くと本当にひどい目にあう。

あまりの事にしばし呆然とする程だ。

 

朝から強い日差しが照りつける庭の真ん中で、ぼうぼうに伸びた雑草を退治せんと日除け帽に長靴長袖長ズボン、防虫スプレーをふんだんに浴びて勇ましく立っているとする。

どこからともなくブ〜ンというかすかな、しかし力強い宣戦布告の合図があると、こちらは臨戦態勢に入りつつも万全の防御システムを備えている事を思い出して、不敵な笑みを浮かべつつ「来るなら来い!」と呟いて草取り作業に突入する。

一心不乱に雑草と戦って二十分後、汗を拭き拭きお風呂場でシャワーを浴びようと服を脱ぐと、長袖長ズボンの生地の上から貫通攻撃、防虫スプレー緩衝地帯をピンポイント攻撃されピンク色にぷっくりぽっくりふくれた被害跡をそこらじゅうに見つけて、かゆさも忘れ何故か「ほ〜.....。」と感心する。

「敵ながらあっぱれ!」ってやつだ。

 

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2015年

7月

06日

相棒

TVドラマ『相棒』は父が大好きだったので、新潟の家にはほぼ全作品の保存録画がある。

現在13シーズンが衝撃的な結末で終わったところで、次の4代目の相棒が誰になるのかファンの間ではいろんな噂が飛び交っている。( 3代目成宮くん、かなり好きだったんだけど、、。)


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2015年

6月

25日

鬼の霍乱

鬼の霍乱をネットで調べたら「ふだんきわめて健康な人が珍しく病気になることのたとえ。」とあった。

ふむ....。


日曜日の夕方に新潟から帰って来た。「やれやれ疲れた、、。」お風呂上がりに軽く一杯飲んで早くに寝てしまった。

朝、いつも通りに起きるとどうも調子が悪い。

それでも午前中はフライヤーの手配とかで忙しくしていたが、お昼になってご飯を食べられそうにないと気づいた。

このめちゃくちゃ久しぶりの最悪な感じ、、私、きっとすっごい熱あるわ、、。

へなへなとベッドに倒れ込んで、そのまま2日間寝込んだ。


今は熱も下がってお粥を食べているが、まさに鬼の霍乱だったな、と思った。

しかしなんで『鬼』なのか?

ネットの故事ことわざ辞典では「病気などしたことない人を、強くて丈夫な鬼にたとえて、」と解説していた。

へぇ、元気な鬼ってことか、、恐くない鬼もいるんだね。


私は普段、仲の良い友だちやお客さんや、先輩のミュージシャンからさえも「みっちゃんは恐いからねぇ!」とよくからかわれる。

みんな冗談で言っているのはわかるけれど、私は一度だって相手を怖がらせようと思ったことはないので、そう言われると本当に途方にくれる。

どうして?と思わず相手に訊ねてみたくなるが、また怖がられそうなのでそのまま聞いておく。

まぁ、あまりにストレートな物言いは気を付けなさいということだな。

そういえば、うんと小さな頃に母がそのような事を言っていたのを思い出した。あの時ちゃんと言うことを聞いておけば良かった....(ー_ー)


あれ、だいぶ横道に逸れてしまった。 


この2日間、何もせず何も考えず( 熱があるとさすがに脳もお休みだ )、ただひたすら寝た。

時々、PCのNHKオンデマンドで『その時歴史が動いた』なんて昔の番組を見ていても、途中でまた寝てしまう。よくもこんなに寝られたものだ。

知らず知らずのうちにたまった疲れが起こした鬼の霍乱だったかもしれない。


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2015年

6月

13日

仏教 Part2

先月20日に父と母の法要で伺ったお寺は、新潟でもとても由緒ある真言宗のお寺だ。

お葬式の日はさすがに気持ちの余裕など無かったが、今回は三回忌だ。

大きな本堂や石庭の見事な苔、祭壇の豪華さに今更ながら驚いて、お経が始まるまで、周囲をくるくる見回したり天井をまじまじ見上げたりして気持ちが落ち着かなかった。

 

東京で音楽をやる、新潟で遺品の整理をする、二つの生活は私にとって時空ワープするような感じで、そんな生活を一年間続けてこのワープ感はさらに強まってきている。

そして今、寺院で厳かにお経を聞き、お線香をあげ、数珠を手に頭を下げる、、日常から遠く離れ現世から意識がワープする。

最近、父と母を日々身近に感じることで、東京にいても新潟にいても別の大きな時空の一部にいるような、今まで感じたことのない位置感覚を感じるようになった。

それは宗教的というより、随分と現実的・実際的な感覚である。

この世とは何だろう?人間って何だろう?

”哲学的に”ではなく、”物理的・科学的な”意味合いで、、。私たちが目で見る姿が人間の全てなんだろうか?世界の全てなんだろうか?

音楽のようなお経が流れる空間に漂いながら、ゆっくりぼんやりと考えていた。

 

法要が終わると、お寺様から広い本堂の各所に祀られた神仏像についてお話しがあった。


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2015年

5月

26日

仏教 Part1

父と母の三回忌で新潟に帰った。

この2年の間にすっかり着慣れた黒の喪服を着て玄関の鏡の前に立ったら、随分と疲れた顔をした自分の姿にちょっとびっくりした。

まだ2年なんだ...、いろいろな出来事が頭の中でぐるぐる駆け回った。


東京から一緒に帰った父母の位牌をもって、新潟市沼垂(ぬったり)にある真言宗の大きなお寺に伺った。

もの凄く広い本堂は大きく3つに分けられていて、中央の一番立派な祭壇の前で、住職のお寺様が父母の為にお経を上げてくれた。

真言宗のお経は母が大好きだったお経だ。

グレゴリオ聖歌のように音楽的で多様なリズムと旋律があり、大空間に響くお坊さんの声は豊かな倍音を含んでとても美しい。

合間に鳴らされるパーカッション的な鐘やシンバルやクラベスのような楽器の音に時々はっとしながら、終わりまでずっと不思議な浮遊感を感じていた。


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