ちょっと前になるが、前々月24日は私の誕生日だった。
偶然、新潟の実家に帰っていた時だったので、昼ご飯を食べながら両親に言ってみた。
「ねぇ、今日はあたしの誕生日だよ。」
父「おう、そうか、誕生日か!」
母「へ~、今日は24日なの?」
私「うん。.....」
まぁだいたいこの流れは予想できたので何も思うところはないのだが、後日ふと考えてみて、うちって変わってるのかなぁと思う。
小学生じゃあるまいし、今更”お誕生日”もないでしょうと思う人もいるかもしれないが、うちでは、私が小さい頃から家族の誕生日を祝うという習慣がない。
夕ご飯のおかずがちょっと豪華になるくらいはあったのかもしれない。でもそうだったかもしれない、と記憶の彼方に朧げに浮かぶ光景は現実とも想像ともつかない(笑)。
悲劇なのは、お祝いのプレゼントと誕生日とがほとんどむすびつかないまま、大学卒業後、某大手音楽教室という文字通り女の園(笑)のような職場で働くことになった事だ。
2/24、何が何だかわからないうちにたくさんの素敵なプレゼントを貰って、へ~あたしって人気あるんだなぁ....なんて能天気な大誤解をした。
だいたい人の誕生日なんて、たとえ大好きな男の子であってもほぼ関心が無かったから、友達の女性講師たちが大切なイベントのようにお互いの誕生日を手帳に書きこんでいると知って、本当にびっくりした。
その上、私にとってプレゼントというのは、大変な好意か特別な感謝の結果であって、社交的な意味合いのプレゼント交換という概念がなかった。
おかげで講師仲間では“変な人”になっちゃった訳だ(笑)。
そういう洗礼を受けた後、実家のすぐ近くにステーキ屋さんができて、”ご家族のお誕生日に割引と記念撮影をサービス!”とあったから、そのお店が閉店するまでのかなり長期間、毎年、誕生日近くには必ず新潟に帰って家族でステーキを食べに行った。
父も母も私も、誕生日を祝うというよりは、美味しいステーキを食べて『みんなで写真を撮る』という事が最重要事項なのであって、「お誕生日おめでとう!」てな祝辞はその為の確認事項だったような気がする(笑)。
今思うのは、私の誕生日は、母がそれまでの人生で一番大変な想いをした日であり、父がこれから背負う大きな責任をかみしめた日であり、私にとっては最大の感謝の日だという事だ。
好きな音楽を思う存分やって、好きな仲間と一緒に仕事をして、好きな場所に住んで、好きな文章をたくさん書いて....。好きな事だけを、本当に思いっきり我が儘にやってきたなぁと思う。
六月と七月、母と父の誕生日がある。
いつもどおり電話で「おめでとう!」と言うだけなのだが、電話の向こうの明るい声を聞きながら、最近は何だか妙に切ない気持ちで胸がいっぱいになる。
そして、そんな気持ちになる事自体が申し訳ないような、どうにも説明しようのない心持ちに自分ながらとまどってしまうのだ。
誕生日をお祝いするのは、キリストと天皇だけでいいのではないかと正直思う。
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