猫~Part2~

バックバンドの仕事をしていた時に一緒だったコーラスのKさんは、姉御肌で優しくて、頼りない私に業界のいろんな事を教えてくれたり、デモテープ作りに協力してくれたり、当時の私にとって、信頼できる心の支えと言ってもいいくらい大切な存在だった。

彼女の家には雑種の猫が数匹いて、遊びに行くと、懐かしいほのかな匂いと久しぶりに撫でる温かな毛の手触り、猫特有の ”あんた、何?”っていう高慢無礼な視線にめちゃくちゃ嬉しくなったものだ(笑)。

 

Kさんは大の猫好きで、老衰で歩けなくなった猫を最後まで世話をしていた。

私の母も、病気でばたばたと死んでいった猫たちを、夜中にお風呂場で( 排泄物のために )、一匹ずつ抱きしめながら看取った。( 猫エイズと呼ばれる伝染病で、うちの猫たちは全滅した。)

 

私の家は、”猫好きなうち”と近所で知られていたらしい。よく、捨て猫が家の前に置かれていた。

玄関のすぐ上の二階に私の部屋があって、子猫のみゃーみゃー鳴く声に気が付くと、すぐ母のところに行って「ねぇ、猫が鳴いてるよ。」と報告する。すると母は間違いなく、その子を救出してくれた。

 

ある時、暮れも押し迫ったもの凄く寒い日の夜中、雪が降り出して早々にベッドにもぐり込んだ私は、窓に吹きつける強風の中にかすかにみゃーみゃーと鳴く弱々しい声を聞いた。

飛び起きて母のところに行った。

二人で玄関に出てみると、段ボール箱の中に産まれたばかりの子猫が一匹、寒さで凍りそうな中、必死で鳴き声をあげていた。

母はその子を手で包み込むと、黙って家に入った。私は、あぁ良かった、もう大丈夫、と二階のベッドに戻った。母は一晩中、半死の子猫を胸に抱いて人肌で暖めたそうだ。

その子猫が成長して数年後、可愛い子猫たちを産んだ!

命というのは、なんと健気で力強いものか....。

 

Kさんが、猫たちを傍らに一緒にお酒を飲んだ時にこう話してくれた。

彼女のお家は神職で、猫や犬を飼う事ができない事情があった。小さい頃、境内に捨てられた子猫を川に捨てに行く、その役目が辛かったそうだ。

動物好きな小さな女の子に、そんな役目を課した神職の父親というのがそもそも許せないという気がするが、それを聞いて私は母を( そして、本来猫嫌いだったのに、母の為に一生懸命猫の世話をした父を )、心の底から誇りに思った。

Kさんのような悲しい思いをせずに育った事を、両親に感謝した。

 

うちの猫たちが病気で全滅した後、母はもう猫を飼いたいと言わなかった。

東京の私の部屋を訪れた父が、ポストカードや雑誌の猫の写真を切り抜いて小さな額縁に入れたのを見て、「やっぱりママの子だな。」と笑った。

 

この記事を書きながら思った事がある。

もしかしたら、私が好きだったのは”猫”ではなく、あの時母が愛した”うちの猫たち”だったのかもしれない。

一人っ子だった私の永遠のライバル(笑)、しょうがないなぁ....ちょっとだけ遊んであげる、、殆どいつも完全無視を決めこみながらも、気が向くと私の相手をしてくれた”うちの猫たち”。

 

懐かしさと、ちょっぴり恨めしく思う気持ちと、遠くに残して自分だけここに来てしまったような悲しさと、いろんな言葉にできない気持ちがごちゃ混ぜになって、何だか泣きたくなるほど会いたくなった。

 (写真の私は、いったい何をしたかったんだろう....謎だ・笑)