男気

男と女は別の種類の生き物、と言う人がいる。

少し前には、男脳と女脳診断なんてものが流行った。

先日、三鷹ソニドのセッションの後、プロレス・格闘技専門チャンネルは一晩中でも見れる!と盛り上がる男性陣を見ながら、一瞬この人たちは宇宙人かと思った(笑)。

( ソニドのママがどっから聞いてきたのか、世の中には既に姿を変えた宇宙人がたくさんいるんだとか。この話題はかなり怪しげに面白いのでまた改めて...。)

 

お互いに理解不能な事多々ある男と女だが、男性的といわれる幾つかの特質の中で、私が一つ心から尊敬するものがある。

”男は、主義とか組織とか国とか、実体のない観念的なもの・理念的なものの為に命を懸ける事が出来る”という事だ。

 

女は、目の前の我が子や家族を死に物狂いで守ろうとする。でも、自分の信条や社会的な思想の為となると命懸けは非常に稀なんじゃないかと思う。

それに対して、ソクラテスや坂本龍馬を始め、イデオロギーや革命の為に命を落とした男の何と多いことか。有名無名に関わらず、たくさんの男たちが国や信条の為に命を削った。

 

この特質があるから、政治はずっと男の仕事であったのだと思う。

政治家は、ある公共的な概念・理想に基づいて集団をまとめていく。憲法で成文化されてはいても実体のない”国家”というものの為に、その政治生命を( 時には本当に命まで!)懸けたりする。言い換えれば、彼らにとって、そういうものが実体として見えているということなのかもしれない。

 

最近では、マーガレット・サッチャーやヒラリー・クリントン、独・豪首相、有能な女性政治家はたくさんいるし、優秀な女性官僚も政治学者もたくさんいる。

でも彼女達は、国や主義に命を懸けるなんてことはきっとしない。冷静に国益、省益を考え、社会を構成する個々人にとって現実的な答えを出していくと思う。

その意味では、優れた女性政治家は、男性よりよっぽど組織の舵取りに適してるのかもしれない。

 

誰の本だったろう、男と女の生理学的な違いについてこんな事が書いてあった。

スポーツのトレーニングで、男は「死ぬまで頑張れ」と言われると本当に死にそうになるが、女はそのかなり手前で「もう限界です」と言ってへばってしまう。

それは種族保存の本能で、女は自分の命をそう簡単には危険にさらさないという事らしい(笑)。

 

それにしても、きれいごとだけではすまない政治の世界において、何かの理念や理想に基づいて、例え逆賊と誹られようと自らを犠牲にしようと、ある目的に突き進む強い決意はやはり男性にかなわない気がする。

国の独立運動や民族解放、諜報活動やレジスタンス運動、お家騒動で暗躍する藩士とか.....。

 

どうも我ながら小説や映画の見過ぎって気もするが(笑)、そういう歴史や国際政治の中の男たちが、私には”宇宙人”のように見えてしまう。畏敬の念をもって....。

 

最近の若い男は、、なんていう声をよく聞くけれど、少なくとも私の周りの若いJazzミュージシャン達は、すごく真面目に世の中を見ているし考えている。

”音楽に命を懸ける”なんて事はまぁ無いだろうけれど、それでも、自分が持つ何か一つの理想の為に身を賭する姿は本当に美しいなぁと思う。

なかなか生計を立てていくのが難しいJazzを一生の仕事にする、それは考えてみればある意味、Jazzに命を懸けるという事なのかもしれない。 

”男気”という、今どき古風な言葉があてはまるような生き様だと思う。