今年に入って、昔つくった曲の中からJazzで演奏できそうなものを何曲か選って、手直ししてまとめる作業を少しずつやっている。
色褪せた五線紙に鉛筆で書かれた音符をみていると、あの時はこうだったなぁ、そういえばあんな事を考えてた、、めまぐるしく過ごして来た年月の断片一つ一つの風景が、音と空気と心の中の声と一緒によみがえってくる。
へぇ...と昔の自分に感心したり駄目出ししたり、ずっと思い出す事もなかったいろいろな出来事に感傷的な気分になったり、曲を作るのとはまったく違う不思議な楽しさだ。
それとは別に、時々ふっと曲が出来る時がある。
『Easy Go de』は、友人と電話で話した翌日に何だかやりきれない気持ちになってしまって、その彼と話すようなつもりでピアノを弾いていたら曲が出来た。
いつもひょうきんな笑顔と冗談でみんなを笑わせる友人が、その時だけ珍しく弱音をもらした。
音楽仲間や気の合う友達と、お酒を飲みながら「ちょっと聞いてよ~!」とお互いの悩みや愚痴をさんざん言い合う事がたまにだけどある。
恋愛や音楽、仕事や生活や何気ない一言に傷ついた事、思い通りにいかないいろんな事や取り返しのつかない自分の過ち...。
そんな時、一度だってまともな慰めを言えた事がないなぁと思う。
「大丈夫だよ、きっと大丈夫だよ。考え過ぎないでさぁ~....。」
いつもそんな事しか言えない自分が何だか情けなくて、もやもやした。
私は、元気に音楽をやれるのはもの凄く幸せな事なのだと、特に最近、思う。
悲惨な災害や突然の事故でいきなり命を絶たれた人、才能をもちながら病に倒れた人、いろんな事情で音楽を諦めざるを得なくなった人、、その無念さを思うと胸が痛い。
私もいつ同じ運命に遭うか分からないし、気力を失ってしまう時が来るかもしれない。
だから今、こうして毎日、音楽の事だけを考えて元気にピアノを弾ける事が本当に幸運なのだと思う。
もちろん、思う通りにいかなくて悲しくなる事や悔しい事は人並みに一杯あって、その事を考え出すと苦しくなって袋小路で煮詰まりそうになる。
そんな時、頭の中のどこかから、昔流行った「Easy Go でいこうぜ~!」てな超元気・ロックな歌声がギターサウンドと共に聞こえてくる。
我ながら笑っちゃうくらいの楽天主義なのか、恐ろしいぐらいの悲観主義から目をそむける為の自衛システムが作動するのか、とにかくその朧げな歌声とともに、「ま、いっか....」という気持ちになる。
でも、いつからこんな諦めのいい人になったんだろう?
20代の頃の私は、頑張って努力すれば願うすべての事は絶対に実現すると信じていた。
まさに自信過剰を絵に描いた様なヤツだった。
ある人から、「一度ぐらい諦めてみろ!」と喧嘩の捨て台詞のように言われて、でも残念ながら当時の私には『諦める』という概念がまったく無く、その人が何を言っているのかよく分からなかった。
そのくらい完全無敵だった(笑)。
その後、どんなに努力してもどうにもできない事にぶつかって、「なるほど...、これが『諦める』って事か....。」とようやく理解した。
あんまり執着する性格(たち)じゃないけれど、この時は辛かった。
『Easy Go de』を作っている時、何だかすごく穏やかで優しい気持ちになった。
この曲を作るきっかけになった「Easy Go でいこうぜ!」って言葉は、決して何かを諦めるという事じゃないんだなと気付いた。
辛い気分にさせるいろんな出来事や人、自分自身や思うこと全部を一度受け入れて、自分なりに位置づけをし、進む方向を再調整して、「さぁ~、もいっかい行くぜ~!」って事なんだ。
悩んでても仕方ない、Easy Go でいこう、でも絶対に前に進むよ....。
ちょっと子供じみているかもしれないけれど、ストレートな言葉が持つ力は強くて時に重い。
電話で話した友人にそんな歌の話は出来なかったけれど、つい先日、仕事のメールをしたら、いつもと変わらない、”よっ!”てな返事が来たから嬉しかった。
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