源氏の君

もし、たくさんの女性たちと楽しく派手に遊んでいるモテモテの男性に、「平成の光源氏ですね!」なんて言ったら、彼は100%間違いなく、「いやぁ、それほどでもないですよ~。」と、ニコニコ照れ笑いしながら喜ぶだろう。

 

「光源氏」はモテる男の代名詞みたいなものだ。

光り輝くような美男子で、管弦や和歌の才能もあり、天皇の血筋をひく由緒正しい生まれで、出世するだけの財力も知力も政治力もある。

母と幼くして死に別れて....なんていう母性本能をくすぐるような生い立ちまで加わるもんだから、まさに若い女性が憧れる永遠の理想のタイプというのを、紫式部は千年以上も昔に見事に描いた。

 

『源氏物語』といえば、愛を追い求める美しき貴公子と彼をめぐる姫君たちの華やかな宮廷絵巻なんていうイメージができあがっている。

でも、紫式部はそんなハーレクイン物みたいな恋愛小説を書きたかったんだろうか?

 

天皇の中宮付きの女房だった彼女の周囲には、きっと様々な境遇のたくさんの女性たちがいた。

美貌と地位と知性に恵まれながらも嫉妬で身を滅ぼす女、正妻でありながら高すぎるプライド故に夫に愛されない女、身分が低くとも高貴な男の誘惑から誇り高く身を守ろうとする女、長年連れ添った夫に裏切られ精神を病む女....。

自分勝手な男に翻弄され、心をずたずたにされながらも、女は従属する立場の者として声を上げること無く生きていくしかなかった時代。

でも、そうした男女の物語は、どこか現代にも共通するものがないだろうか。

紫式部にはそういう女性たちの、今も昔も変わらない心の声が聞こえていた。

そして、女たちの悲しい心を顧みることも無く自由勝手気侭に遊んだ挙げ句に、本当に大切な人を失ってしまって嘆き悲しむ男たちの姿も、紫式部はたくさん見たのかもしれない。

 

『源氏物語』は、様々な女たちの悲しみと、大切なものが何か失ってしまうまで悟る事のなかった哀れな男の悲劇の物語なのだと私は思う。

「光源氏」は最愛の「紫の上」を失って、自分の人生をどう振り返ったのだろうか。

彼女を終生苦しめた自らの女性遍歴を後悔しながらも、そんな酷い(むごい)自分に対していつも優しく接してくれた「紫の上」を最高の女性として讃え、ただただ美しい想い出の涙にくれるのだ。

もしかしたら、紫式部は平安貴族たちの本質を知っていたのかもしれない。

彼らにとって、恋愛はしょせんゲーム・戯れ事にすぎない、「源氏の君」はきっと、最愛の人の命を縮めたのが自分であると考える事も認める事もないだろう、と....。

 

「平成の光源氏ですね!」という台詞は、男性に対して最高級の賛辞であると共に、小さな哀れみの詞である。

でも、モテモテの男性にそこらへんを説明してもきっとチンプンカンプンで、だいたい彼らはそんな話を聞こうとも思わないし何かの冗談だと思うだろう。