2014年

12月

28日

2014年

今年は、去年に引き続き、波乱激動の年だった。

いろいろあり過ぎて、なんだかよく分からないうちに一年が終わろうとしている。

たくさんの事を考えながら動いたようでいて、実は流されるままに、ほとんど感覚だけで行動していたから、ついこの間の記憶がところどころ抜け落ちていたりする。

この2年間、周囲の人たちに親身に助けてもらいながらも、自分自身が一番の支えだった。変な言い方だが、自分の中の使命感が、ずっと私を支えていた気がする。

父の為に病院に通う、父に代わって母を護る(これが一番の使命!)、父と母のお葬式諸事をちゃんと行う、お墓をつくる、財産や家の事、そして私の音楽....。


一人っ子/独身はこういう時、ほんと大変だ(笑)。

 

年の暮れに東京の部屋でブログを書きながら、新潟での1年半を振り返ってみた。

ふいに悲しみがこみあげてきて、父と母が本当にいなくなったーそんな信じられない事実をようやく受け入れようとしている事に気付く。

あたし、ちゃんとやれたのかなぁ?

二人の写真に話しかけながら、無性に会いたくて会いたくてたまらなくなった...。

 

 

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2014年

12月

14日

駅前商店街

駅前商店街にあるお肉屋さん。

店主のおじさんご推薦の、私にしてはちょっと高級なロースハムが大好きで時々買い物に行く。

おじさんは、秤(はかり)の上にポンと乗せた肉がちょうど注文通り200gだったりすると、真剣な自慢顔で「凄い!」と言うので、私も真面目に「凄い!」と答える。

時間がある時はちょっと世間話をしたり、最近の若者がなかなか結婚しない事についておじさんの持論(笑)を聞いたりする。

冷蔵ケースの中に綺麗に並んだ肉を眺めるのが妙に好きなのだが、観賞している訳にもいかないのでいつも少し慌てて注文する。


以前は八百屋さんも近くにあって、スーパーよりずっと安い上に、売れ残りそうな高級果物や自家製焼き芋をただでくれたり、ほうれん草の選び方とか美味しい茹で方とか”まめ知識”を教えてくれた。

たまに、見た事のない珍しい野菜が店頭にあったりして、ある時、知ったかぶりをして調理法をちゃんと聞かずに買ってきてとんでもないことになった(笑)。

(東日本大震災の後、八百屋さんは店じまいしてしまった...。)

 

商店街をもうちょっと行くと、夫婦で経営する小さなパン屋さんがあって、フランス映画で見たカンパーニュという田舎風パンを初めて買ってみた。ぎゅっと重くつまった食感で、かみしめるとパン独特の香りが口の中いっぱいに広がる。イチジク入りのカンパーニュが”今のお気に入り”だ。

私が父の介護で新潟に帰る事になった時、奥さんは遠くにいる実家のお父さんの事と重なったのか、目に涙をいっぱい溜めて「介護、頑張って下さいね。」と言ってくれた。

 

私は『イオ◯』とか『ヨー◯ドー』とか、大型ショッピングセンターってのが苦手だ。

商品について尋ねても、「ちょっと聞いてきます!」なんて言ってバタバタ駆けていく店員さん相手では買う気も失せる。パートやアルバイトだから仕方ないんだろうけど、、。

行けば何でもかんでも買える大型ショッピングセンターは便利で効率的だけれども、商店街の小さなお店で、商品について意外な知識を教えてもらって感心したり、馴染みの店主のおじさんに「よ、美人!」なんてお世辞を言われて顔を赤くしたり、福引きの券をサービスで多めにもらって大喜びしたりなんて方が、私は好きだ。

物を買うという行為が、単なる物とお金の交換ではちと寂しい気がする。文化的じゃない気がする。( 文化って何かを感じる事の積み重ねだと思うから。)

コンビニで買い物をすると妙にわびしさを感じるのは、そこら辺に原因があるのかもしれない。

ただ物とお金を交換するなら、いっそ人間を介さないネット販売みたいな方が私の場合は精神的に良いと思われ、我ながら”変な人”の部類に入るんだろうなと考えたりする。

時代の先端と思われるコンビニや大型ショッピングセンターにちっとも魅力を感じないのは私だけなんだろうか?

 

月に一度新潟に帰ると、ローカル線”越後線”の電車の窓から、大型ショッピングセンターの巨大駐車場にびっしり並んだ車が遠くに見える。

自分とは全く関係無いのに、いつもちょっとだけ寂しい気持ちになる。



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2014年

12月

02日

新潟ライブ

新潟では、これまでにも地元のミュージシャンに誘って頂いたり、たまたま新潟に立ち寄った歌やSaxの方々と一緒にライブをやった事はあったけれど、今回初めて、私の方から土屋由紀さんという新潟在住のボーカリストにお願いして、Duoでささやかなミニライブをやらせてもらった。

由紀さんとは今年3月に初めて会ったばかりで、お互い殆ど何も知らないのに、好きなJazzピアニストが同じだったというだけで不思議な信頼感を覚えて、こういうのを”縁”というのだろうか、何の躊躇もなく「一緒にライブやってもらえませんか?」とメールした。

 

人と人のつながりは面白いなぁと思う。

合うか合わないかは初対面でほぼ決まるとよくいうけれど、ある種、動物的な嗅覚というか勘が働くのかもしれない。双方が同じように感じるかはまた別問題なんだけれど....(笑)。

 

とにかく由紀ちゃんとは気が合って、リハ段階で既に楽しかったから、本番では最初ちょっと緊張したけれど、ライブが終わる頃にはまたやりたい!と思った。

ほんの午後のひと時だったけれど、30年振りに昔の音楽仲間と再会したり、従兄弟夫婦が来てくれてちょっと照れたり、Jazz通の初めてのお客さんに紹介してもらったり、久しぶりの友人たちと声を上げて笑い合ったり、、何だか切ないほど楽しい時間だった。

 

由紀ちゃん、ありがとう!

来てくれた皆さま、本当にありがとうございました!

新潟ライブ、これからもどうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m

 

リハ中、和んでます....。


ライブ後、和んでます....。



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2014年

11月

17日

夏の日の想い出

日曜日の夕暮れ時、レッスンの仕事帰りに電車に乗ると、車内は一日遊び疲れた親子連れやデート帰りで仲良く話し込むカップル、登山の格好をしたおばさんグループなんかで、平日の夜とはどこか違う和やかでほのぼのした空気が流れている。

今日、ぼっと席に座ってそんな空気に浸っていたら、ずっと遠い昔の出来事がふと頭に浮かんで一人思い出し笑いをした。


あれは、眩しいくらいよく晴れた夏の日のお昼過ぎ、私は男友達と電車に乗っていた。

世間は夏休みで、車内には今日と同じように行楽の家族連れが何組かいたが、通路の向かい側に座った母娘の娘の方がしげしげと私の友達を見ている。

小学2、3年だろうか、利発そうなその女の子に見られているのに気がついて彼が見返すと、その子は大きくはないがはっきりした声で彼に聞いた。

「お兄ちゃん、男?女?」

あまりに意外な質問だったので一瞬あっけにとられたがすぐに、ああ、彼女は私の男友達の外見について言っているのだと理解した。

彼はロックミュージシャンで、髪を肩まで伸ばしてそれなりに目立つ風貌だったから、女の子は思わず声を掛けたくなったのかしら、お年頃ね、、なんて思って彼の方を見ると、

「お兄ちゃんって言うんだから男に決まってるでしょ!」

と、かなりご機嫌を損ねている。

私は吹き出しそうになったが、女の子は構わず真剣な顔だ。

「お兄ちゃん、なんで髪の毛切らんと?お家の側に床屋さんがなかと?」

(^^;; うろ覚えだからヘンテコ博多弁....。) 

とにかく、この博多から来たであろう彼女は、目の前の、男の癖に髪を長く伸ばしてお洒落な格好をした男に一言意見してやろうと思ったに違いない。

慌てた母親に黙らされたが、彼は憮然としているし、私は笑っちゃいけないとヒクヒク堪(こら)えた。

常日頃、女性たちから憧れの眼差しで見つめられるのに慣れている男友達のその時の心中を察しない訳ではなかったが、小学生の女の子に言われた事で慰めるのもかえって失礼かと思い放っておいた。

 

あれから◯十年、彼は立派なミュージシャンになっただろうか?

あの女の子は、武田鉄矢のお母さんみたいな肝っ玉母さんになったのだろうか?

因みに、偶然にもその男友達は博多の生まれだった。

よりによって、生まれ故郷の博多弁で意見されたというのは運命的というか致命的というか、今思えばちょっとでも慰めてあげれば良かった、、(-_-;;)。


 
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2014年

11月

09日

日本の神さま

私の住んでいるマンションの隣りはちょっと広い空き地で、今度新築マンションが建つ。

最近は土地測量や建設業者の人たちが度々来ていて、そろそろ基礎工事が始まるようだ。

今朝、柏手(かしわで)と祝詞の音でびっくりしてベランダに出たら、工事関係者が集まって「地鎮祭」というのであろうか、神事を行っていた。

何を言っているのか分からないが所々日本語である事は分かる不思議な祝詞と、祓串(はらえぐし)をばさばさ振る音を聞きながら、いやぁ神道はのどかでいいなぁなんて思った。



つい一ヶ月前だが、従兄弟の娘さんが都内で結婚式を挙げた。

純白のウエディングドレスの彼女は美しく、幸せにきらきら輝いていた。

新郎新婦はキリスト教の神父さんに祝福を与えられ、十字架の前で誓約し、集まった私たちはオルガンの伴奏で賛美歌を歌った。

 

そして六ヶ月前、私は父と母の一周忌でお坊様のお経を厳かに聞いていた。

真言宗のお経はサンスクリット語が混ざるので、聞きながらこれまた何を言っているのかさっぱり分からない。

でも歌のように音楽的で、本当に美しいお経だ。

ろうそくとお線香の煙りにむせながらお墓にお花を供えて、親戚の方々と一緒に父と母の冥福を祈った。

 

土地の氏神様に「工事の無事を見守って下さい。」と頼み、西洋の神様に「若い二人をどうぞお導き下さい。」と頼み、インドの仏様に「父と母がそちらに行きますんでどうかご加護を。」とご挨拶する。

その時々でいろいろなお願いとご挨拶を神様仏様にする訳で、宗教的に随分とご都合主義な面は否めない。日本人は無宗教だとも言われる。

私も少し前までそう思っていた。

 

最近、両親の葬式を出し、位牌に手を合わせるようになって考えた事がある。

日本人は、ご都合主義な無宗教なのではなく、人知を超えた偉大な存在全てを神と見なして生きてきたのではないか?

キリストやモハメッドや釈迦や天照大神、山や森や大いなる自然、それら全てが優劣区別無く畏れ敬う対象=神であるというのは、唯一神の宗教観を持つ人々にはなかなか理解できない事だ。

でも、だいたいの日本人は普通にそう思っているんじゃないだろうか。

そして「死ねばみんな仏になる」のだ。神様や仏様と同じように、ご先祖様たちに手を合わせるのだ。

 

そういう気持ちは、日々生活しているとめったに表に出てこない。自分では神なぞ信じていない、無宗教だと思っている。

でも、身近な人が亡くなったり、圧倒的な大自然を前にしたり、心がくじけそうになった時や何か不思議な体験をした時に、人知を超えた存在をすっとなんの迷いも無く認めて向き合う。

愛する人や大事な物の行く末を案じた時に、「どうかひとつ!」と頭(こうべ)を垂れる。

普段、無視していた神さまたちをいきなり思い出すのだ。

 

神さまたちもそういうツンデレには慣れているとみえて、先週ハロウィンで騒いでたよね?なんてことは一言も言わずに、地鎮祭では、「はいはい、工事安全・無事祈願ね!」と頷きながらお供えのお神酒を嬉しそうに眺めている。

日本人の宗教観は寛大で、日本人を護ってくれている神さまもきっとめちゃくちゃ寛大なのだと思う。

日本人にとって神とは、畏れ敬うと同時に、多少の甘えは許してくれると期待してしまう親の様な存在なのかもしれない。

人知を超えた存在に親のように甘えてしまうという精神構造は、すごく面白いなぁと思う。

言い換えれば、日本人にとって神さまはそれほど身近であった。宗教という権威を必要と感じないくらいに、、。

 

地鎮祭で集まった人たちをベランダから遠く眺めながらそんな事を思って、何故か平和で安らかな気持ちになった。


 
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2014年

10月

29日

歯医者さん

先週くらいから奥歯が時々疼いて、日曜日には一日中ぐずぐずと痛んだので、月曜日の朝一番に歯医者さんに電話した。

水曜日の午前中に予約がとれて、ガーとかピーとかゴリゴリとか歯を容赦なく削られる覚悟で行ったら、先生が原因は親知らずだと言う。

「抜きますか?」と聞かれて、いやぁ今日はちょっと、、明日ライブで痛みが残るとあれだし、、ほら、痛み止めとかぼっとするでしょ、それに親知らず抜くのって他の歯より大変なんですってねぇ、、とかなんとかしょうもない事をぐだぐだ言って時間をかせいだが、結局抜く事になった。

麻酔を注射して、あっけないほど手際よく抜いてくれた。

あんなに怖がって損した、、。


先生が抜いたばかりの私の親知らずをまじまじと見て、

「ここんとこ、虫歯になってますねぇ、奥でみえなかったけど、、抜いて良かったですよ。」にこにこして言ってくれたので、私も、

「ほんと良かったです!」満面の笑顔になった。


先生の説明によると、今回抜いた上の親知らずは噛み合わせるべき下の親知らずが無いので、相手を求めて( 私の勝手な解釈 )下に伸びてきたんだとか、、。

その結果、下の歯茎も傷つけることになり、、。

出会いを求めて敢え無く一生を終えた親知らずが、何とも不憫に思えたことだった。



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2014年

10月

14日

ピアノ

9月初旬のある日、朝ご飯を食べてインターネットで朝のニュースをゆるゆる見ていたら、マンションの管理会社から電話がきた。

「重低音でドンドンドンという振動音がする、という苦情があるんです、、。」

うちはTVもステレオも置いてないし、ピアノはヘッドホーンで練習しているので音は全く出ていないはずですが、と返事をすると、

「あ、そうですか。いや、どこのお部屋からの音かは分からないんです。」

その後、管理会社からの電話はないので解決したのだろうか?

 

このマンションは鉄筋コンクリート造だし、窓を閉めてしまえば遠くに電車の音が聞こえるだけだ。( 駅から2分にもかかわらず....。)

でも「鉄筋は意外と低音振動が他の階へ響く」という話を聞いた事があるので、ピアノの打鍵音の事がもしかしたらと心配になった。

インターネットでいろいろ調べて、埼玉の防音専門の会社に相談したらやはりそうした事案はけっこうあるそうで、迷わずお願いする事にした。

 

家に置いてあるのは音の出ないグランドピアノという、普通のデジタルピアノとはちょっと違うタイプのピアノだ。( ハイブリッドピアノと言うらしい。)

防音・防振のボードを3週間かけて製作してもらい、ピアノの下に敷き込んでもらう為にわざわざピアノ運送の業者さんに来て頂く事になった。( なにせピアノの重量が124Kgもあるので。)

そして今日、フローリングの床の色にまで配慮した素晴らしく美しいボードが家のピアノの下に敷かれた。

管理会社の電話から苦節一ヶ月、打鍵音を気にしながらおっかなびっくり撫でるようにピアノを弾いていたが、今日から思い切り練習できるんだと思ったら感無量で、立ち会いの為にわざわざ来てくれた防音会社の方に何度も何度もお礼を言った。


 

都会で楽器を練習するのは本当に大変だ。

野中の一軒家でもない限り、ピアノを弾く・ドラムを叩く・ベースをかき鳴らす・サックスやトランペットを吹くっていうのは相当環境に対して問題が大きい。場所によっては昼間でも無理だったりする。

だからみんな、日々の練習の為に知恵と財力を振り絞る。( そこへいくとギターってものすごく恵まれてる気がする ! )

 

わずか一ヶ月とはいえ、目の前にあるピアノを思い切り弾けない苦難を経験した今、どういう状況であれ毎日楽器を弾けるというのはなんと幸せな事なんだろうかと思う。

新潟に居た一年半、ピアノが目の前にあっても心が向かえなかった。

音楽とはかけ離れたところに気持ちがあった。

今、弾きたい気持ちがあっていつでも弾ける環境があるという事が自分でも信じられない。

部屋のピアノと真新しい防振ボードをしみじみと眺めた。

嬉しさと感謝と混ざって、新潟に居た時の自分を想い出して少し切なくなった。

 

 

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2014年

10月

02日

クレヨンしんちゃん

私は『クレヨンしんちゃん』長年のファンだ。

原作の漫画は成人向けのコミック雑誌連載で、TV放送当初は世のお母さんたちから批判殺到だったらしい。

 

母親を呼ぶのに「みさえ!」なんて名前呼び捨てだし( いつの間にか「かあちゃん」になってたなぁ... )、お○り丸出しでダンスを踊るは可愛いビキニのお姉さんたちにデレデレだは、「おパンツ」とか「またずれ荘」とかこの時間帯でほんと大丈夫なんかい?と思ってるうちに、すっかり放送20年以上の長寿番組になった。

海外でもかなりの人気らしい。

 

”アクション仮面”登場の回には、一人テレビの前で腰に手を当て右手を高らかに挙げて、「わ~はっはっは!」としんちゃんと共にポーズを決めていたあの頃が本当に懐かしい、、(馬鹿・笑)。


つい先日、インドネシアの放送委員会が『クレヨンしんちゃん』は子供の視聴にふさわしくないとして、国内のテレビ局に警告を出した。

「しんちゃんはお○りを丸出しにしたり、他人のデートをのぞき見したりする。胸の谷間を強調したセクシーな服を着た女性も登場する。大人向けで、ポルノ同様だ。」というのが理由だそうだ。

インドネシアは世界最大のイスラム人口国だから、道徳的というよりは宗教的に「しんちゃんはいけない子!」だったのかもしれない。

 

しかし考えてみると、本来『クレヨンしんちゃん』は大人の為の漫画だった。

最初から子供向けに書かれた『ドラえもん』とは全然違う。

( 金曜夜7時は「『ドラえもん』7時半は『クレヨンしんちゃん』ー子供たちのゴールデンタイムだ。)

大人と子供ではギャグに対する感性が全く違うとみんな思っていたけれど、しんちゃんは見事にそれを否定した。

大人が面白いものは子供も面白いのだ。ただ下品に過ぎない限りは、、。

そこらへんの線引きが『クレヨンしんちゃん』の作者は天才的だった。

そして日本の社会の空気が鷹揚だったせいもあるのか、宗教指導者や文化庁長官から叱られる事も無く、今もしんちゃんはハチャメチャ元気だ。

 

日本においてアニメ文化は、作家の天才的な想像力と表現力、それを受容する視聴者の多様で旺盛な好奇心と面白がる心ー双方が相互に反応・影響し合って発展してきた。

もし日本の社会が、インドネシアのように宗教の戒律が厳しかったり西欧のように子供の教育に厳格であったなら、ここまで自由な土壌は生まれなかっただろうし、そもそも日本民族は大昔から面白いものが大好きなのだ。

江戸時代なんて、まさに面白いものだらけだ。

そう考えると、『クレヨンしんちゃん』は日本で生まれるべくして生まれた、日本文化の申し子だと言える!、、な~んてね、ちょっとオーバーだな....(笑)。

 

作者の臼井儀人氏が亡くなってしまったのは、本当に残念で悲しい。

しかし、わが『クレヨンしんちゃん』は永久に不滅です! 

もう一言、しょうもない意見を付け加えるなら、しんちゃんとタモリさんが私の頭の中では同一人物です(笑)。

 

 

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2014年

9月

15日

オリジナル8

最近ちょっと落ち込んでいる。

 

数年ぶりにお盆で会った中学時代の同級生と、先日久しぶりに顔を出したライブハウスのママさん。二人の女性に、違う時と場所で全く同じ事を言われた。

「あんたはもっと人に甘えた方が良い。」

 

二人とも特に親しく付き合っているわけではなくて、会ったのもほとんど偶然なのだが、性格の正直さや人の内面を見抜く力について、とても私なんぞがかなわない迫力みたいなものを感じさせる人たちだ。

人間に対する感性とでもいうか、、。

 

普段、人にいろいろ言われてもすぐ忘れてしまう。

褒められてもけなされてもだいたい一晩、盛大に喜んだり凹んだりして朝起きるとたいていは、刺のある言葉もマシュマロのように甘い言葉も頭の片隅にこじんまりと片付いている。

困るのは、反省するべき点も軽くスルーしてしまうので、友人たちからせっかく貰ったアドバイスを全然生かせない。

幸いこのブログを書くようになって、たまに過去の記事を読み返して自分なりに反省できるようになった(笑)。

「あ~、あたし、サザエさんみたいって言われたんだった、、。ちゃきちゃきし過ぎると男の人に怖がられるんだよなぁ、、。ふむふむ、、。」

 

ところで、二人の女性の『人に甘えた方が良い。』という言葉は全く私の意表を突いた。

私の人生って、周りのいろいろな人たちの厚意に甘えて、それも甘えるだけ甘えてちゃんと恩返しもせずにきちゃった気がする。

こんな私にもっと甘えろって一体......、とぐるぐる考えていたら突然、思い当たった。

 

「甘える」は厚意に甘えるという意味ではなく、もっと本質的な心の問題なのかもしれない。

「甘える」についてちょっと考えてみた。

  ・無防備であること

  ・相手を信頼すること 

  ・あまり、というかほとんど心配しないこと 

  ・自分に正直であること


なかなかハードルが高いような気がした。、、「我が儘」とは違うんだよね?

例えば男の人を好きになった時、その人を無条件に信じるとか心底頼るとか、今まで無かったかもしれない、というより、一体どうすればそんな気持ちになれるのか、、。最悪の場合を考えておかなくて大丈夫なのか、、。


あたし、今まで何考えて生きてきたんだろうなぁ....、二人の女性に言われた言葉がじんわり胸に沁みた。

あたしって一体、、。


もの凄く久しぶりに、自分自身と向き合った気がした。

そんな内省的な気分の時に出来た曲なので、めちゃ内省的な曲名にした。

who Am I ?

クイズ番組のタイトルみたいだ(^ ^;;、、とは思ったが、大事な事に気付いた記念だから良し!だな。

しばらく落ち込んでみる、それもまた良し、、か?



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2014年

9月

01日

ポーランドボール

インターネットでたまに目にするポーランドボール。世界各国をボールで表わしている。

***それぞれの「カントリーボール」は国旗の模様をした球体のキャラクターとして描かれ、その国を体現した個性を持つ。......ドイツの画像掲示板『krautchan.net』の国際版で2009年頃に発生したと見られる。

***(ウィキペディア)

 

私は日本人だから、自分の周りの幾つかのアジアの国々とアメリカ合衆国の事はだいたい理解できる。

でも、世界中の国々はそれぞれの地域で複雑に絡み合った歴史や怨念(笑)や利害関係を持っていて、それについて私は本当に何も知らないんだなぁ、と改めて思う。

外交や国際政治なんていうと難しい異次元の話のように感じるが、所詮、崇高だが愚かな人間たちがわいわい集まってやっている事。

大昔の出来事やら先の戦争やら悲喜こもごも、恨みや愚痴をぶつぶつ言いながらも、「とりあえず今日は元気だ!明日も元気!」- 漫画みたいなあっけらかんさがもし少しでもあれば、こんがらがった糸もいつかほぐれる日が来るかもしれないのに、、と思う。



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2014年

8月

25日

前髪

私の周りには、お洒落で美的センスのある人が男女を問わずかなり多い。

さらに、遠慮無く自分の意見を言う傾向にある人も同じように多いから、彼らが私を見るとどうしたものか、何か一言言ってやりたくなるらしい。

 

「田崎はさぁ、その洋服と髪型って、ほんといかがなものよ。」

「みっちゃんはその頭、ひっつめてないでもっとふわっとさぁ、、。」

「田崎さんて、何十年もその髪型なんじゃないんスかぁ?」

「あなたね、髪型とか何とかしなさいよ。」

 

今、思い出しただけでも随分と言われ放題な感じだが、自分でもマジで『ごもっとも!』なんて思ってしまうからしょうがない。

問題はやっぱ髪型みたいだな、、。

 

20代の頃から通っている美容院では、もう聞き飽きるほど言われている。

「田崎さんは、もうちょっと頑張るといろいろ出来るんだけどねぇ、、。」

”もうちょっと頑張る”というのは、夜寝る前にカーラーで髪をくるくる巻くとか、朝起きたらドライヤーとヘアーブラシでブローするとか、毎月美容院にちゃんと通うとか、ヘアーアイロンを使えるようになるとか、まぁそんな事なんだけれど、これがなかなか”頑張る”気になれない。

私の無精とお洒落センスの無さを熟知している数十年来仲良しの美容師さんが、

「前髪、ちょっと切ってみる?」と言ったので、

「うん、やってみる.....。」私的にもの凄い決心をして、ほんのちょっとだけど前髪を切ってもらった。

アシスタントの若い美容師さんが、

「わぁ、すっごい変わりましたよ!!違う人みたい!」

「ほんと?そっかなぁ、、。ふ~ん、そう?、、。やったぁ~、わたし変わったよね!」

 

久しぶりに美的な努力をしたという充実感にめちゃめちゃ満足して帰宅した。

家の洗面所でまじっと鏡を覗き込みながら、美容師さんに教わったとおりに前髪を横分けにしたり、ふわっとさせたり上にあげてみたりした。

「ふむ、なるほど、、。」

みんな、今に見ておれってな気分になった。

 

あれから1週間。

お盆という事もあって、めちゃめちゃ沢山の知人たちに会った。

なのに、誰も”前髪”の事を言わないのは一体ど~した事なんだろうか ??

一人悶々としていたら、ようやく今日、ソニドのママに言われた。

「あなた今日、なんか顔が違うんじゃない?」

「( やった!) そうそう、前髪をね、切ったせいなんですよ^ ^ 」

得々と私が言うのをママは軽く聞き流して、

「メーク、変えたんでしょう?良いわよ、なかなか。いつもより可愛く見えるんじゃない?」

「だから~、前髪切ったんですよ、わたし.....。」

「前髪?そうなの?、、でもメークのせいよ、絶対!」

「......。」

 

まぁ前よりはちょっと良く見えるみたいだから、細かい事はこの際いいか、、。

しかし、1週間前のあの感動は何だったんだろうなぁ。

微妙に残念な今日この頃ではある。

 

 

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2014年

8月

04日

眠狂四郎

父の影響で、小学生の頃から柴田錬三郎の時代小説を読んでいた。

シバレン(柴錬)の剣客ものは人気があって、中でも眠狂四郎は私のヒーローだった。

友だちが『若草物語』とか『赤毛のアン』を読んでいる時に、私は母の和裁用の長物差しを振り回して円月殺法を練習していた。

円月殺法は眠狂四郎の使う剣術で、剣の切っ先で大きく円を描き終わるまでに相手の息の根を絶ってしまうという恐るべき技だ。別に剣道に興味があった訳ではなく、ただただ眠狂四郎に恋をしていた(笑)。

 

***眠狂四郎:柴田錬三郎の小説に登場する剣客。.....転びバテレン( 江戸時代、拷問や迫害で棄教したキリスト教の宣教師 )と日本人の混血という出自を持ち、平然と人を切り捨てる残虐性を持つ。***(ウィキペディア)

 

狂四郎さまは暗い過去を背負い、虚無感を漂わせながらも圧倒的な剣の強さで悪い奴らをやっつける。それも”成り行きでしょうがなく”だから、正義の使者とは全然違う。

ニヒルな一匹狼で女を泣かす事はしょっちゅう、相手が悪いヤツならどんな美女だろうと容赦しない。

社会に背を向け無頼に生きながら、弱い立場の者には思いがけない優しさで情をかけ、権力に巣食う巨悪を許さず一人敢然と刃向かって行く。

ふ~、カッコいいわぁ....。

シリーズ全てを何回も繰り返し読んで、どっぷりシバレン・ワールドにはまった。

 

そんな遠い昔の憧れも、ずっと長い間忘れていた。

たまたま先日テレビを見ていたら、1963年~1969年/市川雷蔵主演・眠狂四郎シリーズ12本の中の一作をやっていた。( 今年は市川雷蔵・映画デビュー60周年だそうだ。)

円月殺法!

まさに眠狂四郎がそこにいた!

恋までした私が言うのだから間違いない(笑)。

 

小さい頃に想像で振り回していた円月殺法を実際に見れたのと、市川雷蔵があまりに眠狂四郎そのものだった事にもの凄く感動した。ドキドキした。

それに、昔の女優さんの風情というか立ち居振る舞いというか、今はもう失われてしまった日本女性特有の色香のなんと艶やかな事か!

市川雷蔵は、このシリーズ12作目の公開後間もなく、病で亡くなっている。

私の中で、眠狂四郎=市川雷蔵、市川雷蔵の亡き後、もう彼以外の眠狂四郎は存在し得ないと確信するに至った。

それにしても、享年37歳。

残念でならない、、本当に残念でならない....(涙)。

 

他の11作を探して見ようと心に決めた。

 
 
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2014年

7月

24日

竹炭入り石鹸

新潟の家を掃除していたら、”竹炭入り石鹸”というのが出てきた。

なにかのおまけか何かだと思う。

試しに使ってみた。ハーブも入ってるみたいだし...。

洗面所で手を洗ったら、真っ黒い泡がぶくぶく出た o_o;; 、、まぁ竹炭だから無理もないか、、。

 

でもこれってどうなのかなぁ、真っ黒い泡を見て綺麗になったと思う人っているんだろうか?

竹炭が健康に良いとか美肌効果があるというのは聞いた事があるけれど、石鹸としてはまったく残念な使用感だ。

どうして竹炭?

謎な製品をじっと見てたら、いろいろ考えてしまった。

”疲労回復・ニンニク粉末入りソックス”とか”目指せ美白・緑茶入り日除け帽”とか”血行改善・ゲルマニウム入り判子ケース”とか、、。

 

自分でウケて、なかなか面白かった。

 

 

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2014年

7月

18日

ポリティカルコンパス

去年の暮れ、三鷹ソニド・セッション終了後にしこたま飲み過ぎ、ワイングラス片手に長々と演説をした。

「大東亜戦争で日本が負けて、アメリカGHQは日本人に新聞とかラジオで洗脳工作をしたんですよ!その結果ね~☆※◉☆※◉....」

 

いきなり立ち上がって日本が~、外交が~、歴史が~、と熱く語り出した私を、みんな最初はびっくりして眺めていたがそのうち面白がって、もっとやれ~みたいな空気になってしまった。

誰も止めてくれそうになかったので、いいだけしゃべって疲れたところで演説終了、腰を下ろして「誰か止めてくれよ~....」とぼそぼそ言ったら、ママがにやっと笑って言った。

「あなた、立候補しなさい、私が応援してあげるから。」(^ ^;;

 

ママは冗談抜きでもの凄く政治に詳しい。

政治家との関わりもあるし、なんたって若い頃に防衛省(当時は防衛庁)で秘書の仕事をしていたんだそうだ。

一応、私も政治には関心があるし、安倍さんや石破さんや菅さん、好きな政治家は現在も過去にもたくさんいる。マーガレット・サッチャーやメルケルさんも尊敬する政治家だ。

石破さんがずっと前から日本版海兵隊の必要性を力説していて、今回の集団的自衛権の行使容認や防衛省の強襲揚陸艦の導入検討は、現在与党にいる彼らが着実に自分の信じる道を進んでいるのだと思う。

国防は国政の要だ。

日本の為に、本当に頑張って欲しいと思う。

安倍さんの外交も好きだ。彼の視線はちゃんと日本に向いている。日本の為の外交をしている。

 

中国の報道官や日本共産党・韓国メディアもこぞって安倍政権を極右だというから、そんなら私も極右なんだなぁと思って、「私、極右なんで....。」とあちこちで言っていたけれど、そう言うとみんな一様に変な顔をする。

たぶん条件反射のようにちょっと警戒するのだ。

もしかして私って相当『危ないヤツ』なのか?

でもいったい『極右』って何なんだろう。

軍国主義とセットで批判するとんでもないメディアもあるから、本当はとてもデリケートな用語なのだ。

冗談めかして言う言葉ではないんだろうな、、。

 

そんな事をつらつら考えていたら、ネットで”日本版ポリティカルコンパス”というのを見つけた。

『いくつかの質問に答えると貴方の政治的左派右派度がわかります』って事らしい。

結構な数の質問に悪戦苦闘、結果が出た。

 

**************************************************

 

グラフの縦軸は政治的価値観を示します。上に行くほど保守、下に行くほどリベラルである事を示します。

グラフの横軸は経済的価値観を示します。左に行くほど経済左派(政府介入派)、右に行くほど経済右派(市場信頼派)である事を示します。

 

貴方の分類は(政治)保守・(経済)左派です。

 

**************************************************

えっ?

もの凄く上(右派)に行くと思ってたら、なんだ、めちゃめちゃ真ん中:ニュートラルじゃん....。o_o

 

自分の国の国防を語ると”極右”、全ての主権国家に認められている集団的自衛権を使えるようにすると言ったら”軍国主義政権”。

日本は普通の国家じゃないって事だよね、、なんか変だよ.....。

よく分かんなくなった、、。

 

だいたい、大東亜戦争で日本が負けてからアメリカGHQが一方的な思想教育をして~☆※◉☆※◉.....。

 
 
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2014年

7月

09日

オリジナル7

オリジナル新曲の『Dear P.M.』

先月4日、東中野セロニアスで初演して、落合くんのアルコのベースがあまりに美しくてウルウルした...。

ツッチーのギターも自然な感じで、まるで室内楽のような趣きになった。

 

******************************

音楽でも絵でも、美しさのずっと深い奥に攻撃的な顔がちょっと透けて見えるものが好きだ。

それは原始的な野蛮さだったり危うい狂気だったり、壊れかけの不調和だったりする。

 

美しいだけのものを作るのは、きっとそれほど大変な事じゃない。技術や計算や経験と努力で誰でも可能かもしれない。

実際、現代ではコンピューターの中で様々な美しいものが生まれている。

でも、そういうものに惹き付けられる人は数少ないんじゃないかと思う。

世界中の人たちがゴッホやエバンスを熱愛するのはたぶん、彼らの絵や演奏の美しさの向こうにある”何か”を感じ取るから。その”何か”の攻撃的な迫力に無意識のうちに襲われるのだ。

それはその人そのもの、その人の心そのものが表現された結果だから、誰も真似しようとして真似できるものではない。

そして私たち一般人でも、色彩や音の奥深くにあるその”何か”をちゃんと感知できる。それほど強い力に圧倒され、感動するのだ。

 

美しい曲が作れそうな時、こんな風な事をあれこれ考える。

まぁ考えてもしょうがないんだけどね....。

自分の中に生まれる音と、鍵盤や譜面・鉛筆・消しゴムと格闘しながら、『あたしって良いヤツなんだけど陰影っていうかさぁ、、単純でしょ、あたし....もっと複雑な葛藤とか軋みとかさぁ、、』てな事を頭の片隅でぶつぶつ呟く。

結局、格闘の末にいつも途中で投げ出してしまう。自分に対して軽く幻滅しながら。

 

『Dear P.M.』は、作ってみたら美しい曲になった。するすると自然に出来てしまった。

今までに無い不思議な経験だったから、きっとPapaとMamaの魂が側にいてくれたのだと思った。

母を亡くしたばかりでいつも父と母の事を考えていて、他の余計な事を考えなかったせいかもしれない。

一人で弾きながら、ちょっと泣いてしまった(苦笑)。

 

******************************

ツッチー:「ねぇねぇ、Dear P.M.って誰?  苗字がMでしょ、名前がPってさ~、パ、パ、パミ夫?  パパイア・マンゴー.....ん?」。

相変わらずツッチーは最高で(笑)、そして、”変に感傷的な曲”にならなくて良かったって思った。

 

 

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2014年

6月

26日

引越し

今月に入って東京の住まい探しを始めた。

去年の2月20日に東京から新潟に引越したのだから、僅か一年ちょっとでまた戻る事になった。

 

何だか若い時から、やたらたくさん引越しをしている気がする。

 

大学時代は地元ーそれも大学までバスで20分の実家に居たのに、友達とシェアハウスしたり長屋みたいな所に住んだりと、随分とわがままな一人暮らしをさせてもらった。

上京してからは市川市南行徳、練馬区氷川台、国立市、杉並区下井草といろんな街に住んだが、大企業ヤマハに籍があったほんの短い間を除いて、特に30歳を超えてからの東京の住まい探しは過酷だった....。

音楽関係、フリーランス、独身、女性の四重苦だと、収入証明や相当しっかりした保証人がいないとほぼ絶望的だ。

銀行通帳のコピーを出せとか言われて唖然とした想い出もある。

 

今回は、それに年齢のハンディが加わり(笑)見事な五重苦になったわけで、こりゃ駄目かもね、、と半ば諦めかけた。

でも不動産屋さんの話をよく聞いてみると、問題は『仕事』なのだ。

 

私:「固い仕事してないと無理って事ですかねぇ、、?」

不動産屋さん:「まぁ、そういうとこが多いですねぇ。」

 

生まれてこの方、女に生まれて得した事こそあれ差別されて悲しい思いをした事はない。

時々、ツッチーがかましてくれる『みっちゃんの年齢にまつわるギャグ(・・;)』にはだいたい倍返しするから(笑)、年齢差別もまぁ無いと言っていい。

それに最近は、独身だからって「何か問題でも?」なんて言える風潮だ。

理不尽な差別とは無縁で生きてこられたのは、本当に幸せな事だと思う。

でも、考えてみると、人生の節目で『固い仕事』じゃないせいで味わうこの”がっかり感”は、いわゆる職業差別というヤツじゃないんだろうか?

若い頃は、音楽関係だから仕方ないよね!なんて割り切っていたけれど、今さらながら問題意識がフツフツと湧いてきた。

 

一人憮然としながらも、幸運な事にようやく杉並区の物件で契約までこぎ着けた。

査定で通してくれた取引主任の男性にポロっと愚痴を言ったら、

「ライフスタイルがこれだけ多様化している今の時代、固い仕事に限定する方がもう無理があるんじゃないでしょうか?」

さらりと言い切った彼の横顔を、かっこいいわぁ、、うっとりしながら見つめてしまった(笑)。

 

職業によって門前払いされる時代は終わりつつあるのかもしれない、、希望的観測ににんまりした。

 

<6月22日、東京に引っ越しました!>

 

 

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2014年

6月

02日

新潟センター・高橋くん

新潟市の名所・信濃川に架かる6連アーチと側面の御影石が美しい”万代橋”を渡って少し歩くと、今は移転してしまったがつい3年くらい前まで、バスターミナルやダイエーの通りに面してヤマハ新潟センターの大きなビルがあった。

全国に展開する財団ヤマハ音楽振興会の新潟地区のセンターで、県の民間音楽教育の主軸のような存在だったと思う。とにかく大きなセンターだった。(現在は財団ではなく、ヤマハ株式会社所属。)

 

大学を卒業する2.3カ月前、ここにエレクトーン講師として就職する事が決まっていた。

国文学科にいて、教職課程もとってなきゃ文学者の素質もない、就職活動どころか資格は自動車免許さえ持っていない私を、近代文学の教授が心配して「ダイエーの口ならあるぞ。」とわざわざ電話をくれた。

ヤマハに決まったって報告するの忘れてた!!

本当に申し訳ない事をしました、、m(_ _)m

 

さて、ヤマハ新潟センターは私にとって夢のパラダイスだった。

楽器が山ほどある、ピアノ・エレクトーン・ドラムセット・パーカッション、ギターアンプやベースアンプ、シンセだってそこらじゅうに立てかけてあって、楽譜もレコードも資料室に行けば全てのジャンルを閲覧試聴できた。しかも全ての部屋が完全防音・練習し放題。

お盆と正月以外一年中、午前中から夜遅くまでとにかくヤマハに入り浸った。

同じフロアにギターや管楽器、いわゆるLM楽器売り場もあったので、夕方頃になればバンド少年・青年たちがたむろって来て、いつの間にやらエレクトーンよりバンドするのが面白くなった。

結果、東京に出る事になるのだが、その後しばらくの間、新潟センターに講座を持たせてもらって新潟と東京を行き来した。

 

その時に知り合ったのが、高橋徹くん。今や中堅実力派ドラマーとして日本のJazz界で有名人だ。

(※Jazzの大先輩にあたる高橋氏に『くん』付けは失礼かなと思って試しに高橋さんと呼んでみたら、気持ち悪いと本人から苦情が来たので、以来『くん』で呼んでいる。)

高橋くんは新潟大学の学生で、ヤマハ新潟センターでアルバイトをしていた。

彼が大学卒業後に上京して、会う度にJazzの名盤とかいろいろ教えてくれたのだが、Pops/Rock好きの私には今いちピンと来なかった。

「凄いライブがありますから!」と連れて行ってくれた新宿ピットイン・新春ライブ。

ウィントン・マルサリスとエルビン・ジョーンズのカルテットで、今だったら感激して泣いちゃうくらいのライブだったのだが、当時はあまりの凄さに「えぇ?これ即興なの?!信じらんない!!」衝撃をうけてただただパニクった。

これが最初のJazz接近遭遇&撃沈体験。

以後長い間、<Jazz=私レベルじゃ無理>の方程式が私の中に出来てしまった。

 

何故だかJazzピアノを弾くようになって今に至る訳だが、高橋くんとはここ数年、時々ライブで一緒に演奏する。

これは私にとって、かなり「やった~!」的な出来事だ。

その彼がつい先日、自身のトリオで新潟にやって来た。

山田穣さんと上村信さん。わぉ~、二人とも私にとって超スターな人たちだ。

Jazzを弾き初めた頃からライブやCDでたくさん聴いていた。

高橋くんに「もちろん絶対行くよ!」と言ったら、1曲飛び入りで弾いていいよと言われた。

マジですか.....(o_o).....何故か嬉しいより心臓がパクパクした。

 

ライブ当日、3人の演奏はもう最高でかっこ良かった!

飛び入りで2曲弾かせてもらったけど、特に1曲目は自分で笑っちゃうくらい力入り過ぎで撃沈....。

打ち上げで「ガチガチで全然駄目だった...!」って言い訳っぽく言ったら高橋くんが「知ってる~ ^o^ ^o^ ^o^ 」って。

やっぱりね、ばれてるよね、、(涙)。

でもこんな体験が出来るなんて、ホント生きてて良かった(笑)。

またたくさん練習して、今度はもっと良い演奏が出来るようになるぞ~って誓った。

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2014年

5月

19日

5月18日

昨日、父と母の一周忌と納骨を終えた。

 

去年1月に父が自宅で倒れて約1年半、音楽以外の世事に絶望的に疎い私は、次から次へと押し寄せるいろいろな出来事に気持ちも頭もこんがらかって途方にくれた。

心配と不安で毎日押しつぶされそうだった。

ようやく一息つけるようになってふと思い返すと、心からの励ましや手助けの手を差し伸べてくれた方一人ひとりの顔が目に浮かんだ。

深い感謝とともに、父や母、そして私も、こんなにみんなに助けてもらってなんと幸せな事か....としみじみ思った。

 

この1年余りの時間は、何だか厚い雲の中にいるようだった。

前に進んでいるのか横に流されているのか、止まっているのか迷走しているのかまるで分からない、時々雲の裂け目から下界の風景が見えて、ああ、間違った方向には来てないんだな、と安心するみたいな感覚。

雲の中の時間は、今まで経験した事のない不思議な流れ方をした。

ぐるぐるしたりぽっかり穴があいたり、ごーっと激走したりゆるゆる間延びしたり、、。

とても1年半の間に起きた出来事とは思えないのは、全てがきちんと時系列に並ばずにふわふわプアプアと私の周りに漂っているから。どこか現実味を失って夢の中のように感じられるから。

 

でも、父と母のお骨が家を出る時、ふいに私は雲の中から外に出た。

急に泣きそうになってちょっとびっくりした。

 

一周忌と納骨が終わって、今、久しぶりにちゃんと方向感覚を持って前を見ている。

”どこ”に住むかとか、”誰”がそばにいるとか、”何”が欲しいとか、そういう事は殆どどうでもよくて、ただ前に進みたいと思っている。

”どうやって”、というのは今イチはっきり分からないが、歩き出せばきっと何とかなる!(笑)なんて思っている。

 

父と母がにこにこしながら、『大丈夫。』って言ってくれてるような気がした。

 

 

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2014年

4月

30日

笑顔について

東京行きの新幹線。途中駅で若い女性が隣の席に座った。

座る時に素敵な笑顔で「すみません。」と言ったので、思わずこちらも笑顔で会釈した。

若い女性の笑顔はイイなぁ、、なんてオジサンみたいな事を考えていたら、自分の若い時の事を思い出して一人苦笑いした。

 

今でも真面目な顔をしていると「怖い」と言われるが、若い頃はもっともっと完全無敵な無愛想だった。

ある日友人と電車に乗っていて、通路の向こうでお母さんに抱かれた可愛い赤ちゃんが、何故だか私の顔をじっと見ている。気付いた友人が私をつつきながら「笑ってあげなよ~」と言う。

「だって知らない子だし....なんで?(~_~;)

知らない相手に笑いかけるという発想が当時の私になかった訳で、、恐るべし.....(笑)。

 

人は可笑しい時に笑い、不機嫌な時に怒り、悲しい時に泣く。

他人に笑顔で接するというのはそういう喜怒哀楽の感情とは違って、知らない誰かをちょっとだけ幸せな気持ちにするーただそれだけの為に自分の感情とは無関係に表情をコントロールするという事だと思う。

これはかなり”オトナ”な行為だ。

 

オトナになり過ぎなくらい充分オトナになっていた頃( 年齢的に...・笑)Jazzのライブハウスに出演し始めて最初に先輩ピアニストに言われた事は、「みっちゃんは顔がおっかないから、何でもイイからとにかく笑ってろ!」だった。

可笑しくもないのにどうやって笑えばいいんだ....?

その時生まれて初めて、笑顔は訓練だと悟った。

朝、鏡を見てニコッとする、道を歩きながら取り敢えず嬉しい事を考える、夜眠る前に一度ニィッと不敵な笑みを浮かべてみる、、(恐)。

 

最近はあまり意識しなくても笑顔でいられるようになった。

ただ、ピアノを弾いている時はかなり危ない(笑)。ライブ中の写真を見ると、”やっぱおっかないなぁ...”と思う時がある。

でも、今は無理をしてもしょうがない、自分の出す音が心底いいなぁと思えた時に本当の笑顔になれると思うから。

正直に”音”に向かっていればいつか、『思わず笑いながら弾いてる』っていう日がくるのかもしれない。

インターネットで見たオバマ大統領来日の時の写真。

外国の人が「安倍総理と浅田真央の笑顔がそっくり!」とコメントしていて「ん~、そっかも....。」と思った(笑)。

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2014年

4月

19日

自転車

「あたし、自転車乗れないんですよ(^^;; 」

こう言うと、たいていの人は「えぇ~?」と笑いをこらえて私を見る。

正確に言うと「乗れない」じゃなくて「乗らない」なんだけれど、「どうして?」って聞かれると説明が長くなるから相手にちょっと気を使う。

”超ダサい奴”と思われても別に良いのだ。

 

商店街で、人混みの狭い道を我が物顔で走り抜けていく自転車。

駐輪禁止の場所にぎっしり止まっている自転車。

横断歩道で、歩行者にぶつかりそうになりながら横切っていく自転車。

歩道を歩いていると、チリンチリンうるさく鳴らしながら背後から迫ってくる自転車。

 

自転車には何の罪もないけれど、「あんたには絶対乗ってやらない!」と心の中で呟く。積もり積もった不信感は殆ど拒否感に近い。

でも、「乗らない」理由はそれだけじゃない。

 

小学生の頃、父が古い自転車に綺麗な緑色のペンキを塗ってくれた。

嬉しくて、バスで20分くらいかかるおばあちゃん家まで一生懸命にペダルをこいだ。

大きなバス通りを風を切って走りながら、初めての興奮にわくわくドキドキした。

早い話、小さい頃は自転車が大好きだった。

 

しばらくして、友人がペダルに片足をかけ、スピードをつけながらひらりと座席に乗る姿を目撃して「わぁ!」と思った。

凄く練習したのかと聞くと、こんなのはすぐ普通に出来るんだよ、と言う。

自分でやってみたけど全然できなかった。

ん~、きっとこれは何かの才能なのだ、すぐ出来る子といくら練習しても出来ない子がいて私には自転車の才能が無いんだ、、子ども心にショックを受けた。

まぁ、当時から見切りはめちゃ早かったので(笑)、それ以上練習もせずに自転車への愛情が急激に冷めていった。

”ひらり乗り”が出来ないんだったらもういいや、、。

 

現在新潟に住んでいて、新潟の自転車マナーは東京に比べてかなり良いし、過酷な交通弱者の生活を鑑みれば(笑)、ガレージで埃をかぶっているおっきな自転車を引っ張り出すのはとっても良い考えだと思う。

 

しかし、これから”ひらり乗り”を練習するってのもけっこう勇気いるよなぁ....。だいたいどこで練習すればいいんだ....?

、、何故か笑っちゃうほど”ひらり乗り”にこだわっているのだ(笑)。

やっぱ自転車はね、、まぁ縁がなかったんだよね、あれほど好きだったのに、、なんて意味深な感想をぶつぶつ呟やいた。

 

 

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2014年

4月

10日

記憶

去年の5月29日に父が亡くなった。

自分でも本当に不思議なのだが、その近辺の記憶-周りで起きていた事や仕事なんかの記憶がほとんどない。

例えば、セッションの仕事のトラを友人に頼んでいた事、3件続けてあった前の週のライブの事、どういうスケジュールでお葬式まで母と一緒に過ごしたのか.....。

 

トラを頼んだ友人にはその後、「みっちゃんに頼まれたんだよ~。」と言われたが、正直まったく思い出せなかった。

お葬式までの数日間の事は、いろいろな場面が切れ切れに頭に浮かぶのだがその前後関係がはっきりしない。

そして今日、PCのメールを整理していたら、5月26日-父が亡くなる3日前-の新潟でのライブの写真を見つけた。共演者の佐藤真紀さんが送ってくれたのだ。

 

はじめ、どうしてこの写真がここにあるのか分からなかった。

ライブをやって本当に楽しかった事なんかは覚えているのに、写真を送って頂いた事を忘れていたのだ。

(真紀さん、ごめんなさい!!)

嬉しそうに笑っている自分を眺めながら、この時私、何を想ってたのかなぁ....と考えたら、ふいに胸がつまった。

まだ一年前の事だというのに、ブラック・ホールならぬライトグレイ・ホールのように記憶が混沌としている、、(笑)。

 
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2014年

4月

03日

キメる

以前よく出演していたお店で、『気遣いみっちゃん』と言われた事がある。

人に気を遣うタイプに見えたのかな? 自分としてはちょっと違和感があった。

だってものごころついて何十年、自他ともに認めるマイペース人間、『我が儘みっちゃん』でやってきたからだ。

 

先日久しぶりに幼馴染みの男友達と会って、小さい頃よく一緒に遊んだ話をした。「みっちゃん、すぐキメるからさぁ....。」

この『キメる』という言葉にはちょっと独特なニュアンスがある。

この記事を書いていて一応確認しようとインターネットで調べたら、標準語としての『キメる』に彼の言った独特な意味はどこを探しても無かった。

「へぇ~、もしかして新潟弁だったんだ....。」

”新潟県の方言ページ”というサイトがあったので調べてみた。

あった、あった!

 

用例

 文句を言うと そんま(すぐ)"きめる"

意味

 すねる

 

幼馴染みの優しい彼は、ふたりで遊ぶ時には細心の注意(笑)と思いやりを持ってみっちゃんをお姫様にしてくれた。そうしないと「みっちゃん、すぐキメるからさぁ....。」なのだ。

思い起こせば、何か気に入らない事があるとすぐ異次元に行ってたなぁ。

( 自分の世界にワープする=イジケる=キメる・笑)

ようやく最近、人に気を遣う事が出来るようになってきたのかもしれない。

大人になったんだなぁ.....。もの凄く時間かかったけど(笑)。

 

恐るべき子ども時代だったわけだがつい先日、そんな昔を思い出す出来事があった。

日米韓首脳会談。

 

異常な日韓関係を何とかしようと米オバマ大統領が仲介して、韓国の朴大統領と日本の安倍総理が就任後初めて会談する事になった。

冒頭、安倍総理が韓国語で「お会いできて嬉しいです。」と笑顔で語りかけたのに、朴大統領は目も合わせずに無視して完全な無反応だった。

わ~、キメてる~!

テレビの中の彼女の端正な顔は固く強張っていて、見ていて痛々しかった。

新潟の田舎のちっちゃな女の子でも自分の「キメてる」姿は恥ずかしいと思うのに、全世界の人に見られちゃった朴大統領は本当に可哀相だなぁと思った。

韓国の国民はそう思わないんだろうか....?

自分の国の代表が国際舞台で恥ずかしい想いをするなんて、どんな事情があるにせよ国民にとって一大事だ。

朴大統領が場違いな外交の場に連れてこられたちっちゃな女の子に見えて、昔の自分の姿と一瞬重なった

本当の事情は分からないけれどちょっとだけ胸が痛んだ、、そして頭にきた(笑)。

 

 

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2014年

3月

31日

タモリさん

今日は「笑っていいとも!」の最終回。

うんと昔からタモリさんのファンだった。

「いいとも!」は観覧応募して新宿アルタに行った事がある。

その時はタモリさんしか見てなくて、テレフォンショッキングのゲストが誰だったかまるで覚えていないから、よっぽど舞い上がってたんだなぁと思う(笑)。

当時のお笑い界は北野たけしとタモリが両巨頭みたいな感じで、私がタモリが好きと言うと友人が、「タモリのどこが面白いの?たけしが最高でしょ。」なんて言っていた。

どっちが面白いとかどうでもいい事で、私は彼の変に媚びない感じ、群れない感じが好きだった。

自分の感性だけで尊敬したり無視したり照れたり面白がったり欠伸したり熱中したりするので、予測不能な彼の反応に見ているこっちがドキドキハラハラしたものだ。

もの凄く頭の切れるクールな常識人の中にもう一人、とんでもなくぶっ飛んだ天才的な変人が同居していて、その二つの個性がどういうのかお互い仲良くやっている、、これってもの凄く稀な例なんじゃないだろうか。

だいたいは一方が潰される訳で....。

 

タモリさんの”すきっ歯”も好きだなぁ。

料理上手だし博識だしジャズ好きだし、それに繊細な感受性がないとああいう司会って出来ないんじゃない?だいたいサングラスの似合う男性ってなんか良いわよねぇ、、ってめちゃめちゃ私、タモリファンなんですけど~(笑)!。

 

 

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2014年

3月

21日

オリジナル6

オリジナル新作というより思いっきり旧作なのだが。

 

6曲めのオリジナル『TM1』はJazzを始めて最初に作った曲で、TMはTazaki Michikoの頭文字、1はオリジナル一番目の曲っていう意味。

題名は後でちゃんと考えればいいや、と思った訳で、とりあえずJazzデビューだ!やった~!みたいな万歳感が込められている。

仲間うちのライブで初演した時にリーダーが、作曲者はJazzを始めたばっかりなんで.....とか言い訳っぽく曲紹介していたのを覚えている。

そうか、Jazzの曲には聞こえないんだな、、と軽く傷ついたわけで、その後はあまり日の目を見なかった。

 

今、改めて弾いてみると、なるほどやっぱり変てこな曲だが、国産ロケット『H2A』みたいな題名が何かいいなぁ、と思った。

小さなロケット『TM1』、勢いだけはともかくある()

12小節+の短いテーマで、アドリブはAbとFのブルースを行ったり来たりする。

宇宙空間に打ち上げられたロケットが、小さなミッションの切り替えを随時行いながらゴォ~っと進んでいくのだ~\(^o^)....てな自己満足に浸りながら練習している。

 

オリジナル2の『パープルムーン』はUFO探しの最中に出来たし、次はブラックホールあたりを思い描いて曲を作ってみるかな、、。

 

小さい頃から創元文庫のSF/推理小説ばっかり読んでいたから、発想のルーツはやはり宇宙と謎の世界だ。

科学者じゃなくて音楽やってるってのが、ある意味もの凄く残念()な気もするが、想像の世界で夢を見ているような人生を生きて来れたのはまさに音楽のおかげだなぁ、、とつくづく思う。

 

それにしても『TM1』のテーマは短いくせにややこしくて、今のところ成功率がめちゃめちゃ低いのだ....。

 
 
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2014年

3月

14日

新小金井『Juke Joint Nash』

4年間続けてきたマンスリーライブ。

もうそんなになるんだ、、我ながらびっくりした。

Nashマスター・ケンさんと近所にお住まいのスーパー主婦・イズイズ、このお二人のお蔭で、よたよた歩きのピアノがようやく少し、前を見てちゃんと歩けるようになってきた。

 
最初の1~2年は自信がなくて、ピアノ・トリオで弾くのが本当に怖かった。
思うように演奏できなかった時、お客さんがイズイズたった一人だった時、何を目指して活動を続けて行くか悩んでいた時、どんな時もケンさんとイズイズはただ、おっきな拍手をしてくれた。
甘えかもしれないけれど、本当に心の拠り所だった。
 
少しづつお客さんが来てくれるようになって、目指す目標みたいなものが見えてきた。
グランドピアノでライブをやりたい!・・我が儘なことを考えたのと、予測不能ないろいろな事情もあって、今年に入ってNashマンスリーライブをいったんお休みする事に決めた。
新しいステージに挑戦してみようと思った。
 

今月10日、J.J.Nash/最後のライブ。

知性的なトオイダイスケくんのベースと小気味よく疾走する山田玲くんのドラム。

新しいピアノ・トリオは何だかわくわくした。いろいろ試してみたくなった。

でもまずは、私が一番頑張って練習しないと、、(笑)。

 

 

4年間、J.J.Nashは私を育ててくれた学校であり、暖かく迎えてくれた家であり、精神的に辛かった時の大切な『居場所』だった。

本当に本当に、ありがとうございました。

私、ちょっくら修行してきます!

 

 

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2014年

3月

04日

チャーリー・パーカー

ピアニストの友人のリサイタルを聞きに行った。

私の隣りの席に、クラシックの音楽会ではあまり見かけない革ジャンにジーンズという見るからにロックな若者が座っていて、話し掛けたら友人にピアノを習っている生徒さんだった。

彼は「バンドでキーボードを弾いてるんです。」と言いながらプログラムを見て「先生のオリジナルが1曲もない!」とびっくりしていた。

なるほど言われてみれば、ほとんどのクラシックのコンサートでは有名な作曲家の曲しかやらない。

 

クラシックやロック・ポップス、それぞれにジャンル特有の常識がある。

ラフマニノフやショパンを弾いた後にいきなり自分のオリジナル曲を弾き出したら、聴衆はかなり吃驚動揺するだろうし、ロックのライブハウスで延々と有名バンドのコピー曲ばっかり聞かされたら、お友達以外のお客さんは殆ど帰ってしまうだろう。(ベンチャーズやビートルズ、ツェッペリンは例外か、、。)

 

ジャズの場合、あまり常識というのはないからそれぞれが自分のスタイルでやる。

オリジナルにこだわる人もいればスタンダードが好きな人もいる。フリージャズなんて、もう完全に常識外だ。

敢てジャズの常識と言われて私が思うのは<チャーリー・パーカー>だ。

ジャズをやっている人でパーカーって誰?という人はいない。

 

ツアーバンドでシンセサイザーを弾いていた頃、会場のサウンドチェックでバンドのピアニスト・重久さんが時々ジャズを弾いていた。

な~んてカッコいいんだ!と思って「重久さん、どうしたらジャズが弾けるようになりますか?」と聞いたら、とりあえず聴いてみなさいというCD2枚を教えてくれた。

チャーリー・パーカーの『Now's the Time』とチック・コリアの『Return to Forever』。二人ともよく知らない人だった。

お店で買ってきて早速聴いてみた。

チック・コリアは、何やら難しげだがとにかくカッコよくてびっくりした。

わ~凄いわ~、、。

チャーリー・パーカーは、1952年/53年録音、凄まじいノイズの奥から理解不能なフレーズがご~っと襲ってきて、何なんだ、これは!と恐れおののくうちに同じ曲が何故か何回も繰り返し続き、混乱・茫然自失して聞くのを諦めた。

聞いてはいけないものを聞いてしまった、、妙な気持ちだった。

 

結局、チャーリー・パーカーは10年以上、私の中で封印された。

自動的に、私にとって {ジャズ=チック・コリア} になった。

 

今はパーカーがどんなに偉大か分かる。映画『Bird』を見たら泣かずにいられない、、。

パーカーを崇拝するファンのように彼の演奏を理解しているかといえば全くまだまだだが、Jazzを愛する気持ちがそのまま、彼が遺した音楽への尊敬につながっている。

 

文学の世界でも、日本で作家を志す殆ど全ての人たちが、たとえ原文では理解できなくても『源氏物語』を敬愛する。偉大な才能に対するリスペクトと感謝なのだと思う。

時代や文化やジャンルを超えて世界中の人を感動させるものを創り出したチャーリー・パーカーや紫式部は、本当に神のような存在だ。

天才は99%の努力と言われるが、その1%の才能を持って生まれるというのはまさに奇跡だ。

 

神さまたちがこの世にかつて実在し自分たちと同じように生活していたのだと思うと、現世も捨てたものじゃないなぁと思う。生きているって素晴らしい事なんだと思えてくる。

自分が出来る努力を精一杯やろう、怠けないで頑張ろうと今更ながら心に決めた。

 

 

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2014年

2月

15日

母が父の所に旅立った。

二人きりになった時、静かに横たわる母の顔に化粧をした。

「やっぱ私よりパパのそばが良かったんだねぇ...。」と恨み言を言ったら、涙がぽたぽた落ちた。

 

去年の父の時も、そして母の時も、私には『死ぬ』という事が理解できない。

ふたりは、どこか私がまだ行く事のできない場所にひと足先に行ったのだ、いつかまた三人一緒なのだ、だからその時を楽しみにして精一杯生きよう、、自然にそう思う。

すると、人が死ぬという事はいったいどういうプロセスなんだろう。

そもそも人間って何?

現代の科学が説明できない不思議な事はたくさんあって、少なくとも『死ぬ』ことの意味は、いずれ自分で経験すれば知ることになる。

それもまた楽しみにしていればいいのだ。

 

なんだかまだ一人になった実感がない。

時々、父や母に話しかけると、寂しさより安心感がわいてくる。

本当は今も三人一緒なのかもしれない、ちょっと今までとは違うだけで、、。

でも、一年ぶりに会った父と母は元気な頃のふたりに戻って、私の事なんかしばらくは思い出さないかもしれない(笑)。

 

 

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2014年

1月

29日

数学

高校卒業まで使った机の引き出しをひっ張り出したら、黄色く変色したテスト用紙がまとまって出てきた。赤鉛筆でマルバツと点数が付いていて、どうやら高校3年生の期末試験らしい。

国語や英語、何故か化学でなかなか健闘しているのだが、数学の答案用紙を見て思いっきり吹き出した。

ほぼ壊滅....数字と数式は一応たくさん書いてあるのだが、問題の意味もよく分かってなかったんじゃないだろうか?

ドイツ語の問題に英語で答えようとして悪戦苦闘した、みたいな、、()

そっか!

大学受験にあたり、担任の先生に「田崎は数学、捨てろ(-_-)」とお墨付き()をもらったんだった。

数学の授業は高校3年間、ほとんど知らない国の外国語の授業だった。

 

だいたい受験勉強というのをちゃんとやった記憶がない。

押し入れから『大学受験通信講座』なんていう定期的に送られてくる雑誌がごっそり出てきたが、どうも最初に一回解答用紙を送ったきりで、あとは毎回、"たゆまぬ努力があなたを成功に導く" "毎月の積み重ねが大事なのだ!" みたいな叱咤激励のPC打ち出しカタカナ文が出版社から来ていて、それも先方が根負けしたようだ。

通った高校は進学校だったから周りの受験勉強熱はかなりヒートアップしていたと思うが、ひとりっ子で競争なんて経験した事がなかったし、私がせっかくヤル気になると母が部屋にやって来て「ドライブ行こう~」なんて言って誘惑する。

この親の言う事を聞いてたら駄目になってしまう!と危機感を持ったものの、結局、深夜放送を聴きながらダラダラと好きな学科の勉強しかしなかったような、、。

 

まぁ何とか大学に入れたし、その後の人生で三角関数や微分積分が必要になった時がないから、このまま数字の世界には縁がないと思っていた。

ところが先日、NHKで『神の数式』というドキュメンタリー番組をやっていて、理論物理学の学者たちが数式を駆使して最先端の理論を導き出そうとしていた。

この世は11次元だというのが現在主流だそうだ。

11次元って、、。

いやぁ、何だか凄いなぁ。

宇宙の真理が数字と数式で解明できるなんて!

数字の持つ魔力みたいなものを生まれて初めて感じてゾクゾクした。

 

もっと頭が良かったら、11次元ていうのを理解したかったなぁ。

福山雅治が毎週書きなぐっていた数式が一体なんだったのか、分かるだけでもけっこう楽しそうだし、、。

今度生まれ変わるんだったら、理論物理学者っていいかもなぁ。

高校に入ったらちゃんと数学の宿題をやって、受験勉強もちゃんとやって、、。

 

しかしそもそも理論物理学者って、うんと小さい頃から友達の誕生日とか電話番号とか苦もなくメモリーするような子どもがなるような気がする。

ま、なんかやっぱり異次元だな、、()

 

 

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2014年

1月

22日

グランドピアノ

小さい頃にピアノを習っていたが、家にあるのはアップライトのピアノで、先生のお宅もアップライトだった。

年に一回、発表会のステージでグランドピアノを弾かされるのだが、鍵盤は重いし音の聞こえ方も違うし、どうしていつものピアノで弾かせてもらえないのか不思議で残念だった。いつもはもうちょっと上手に弾けるのに、、。

 

反抗期にピアノを投げ出した後は音楽をやめようとまで思ったけれど、何故か今、ピアノを弾く事が仕事になった。

新潟に戻ってから、ライブは月に一度か二度くらいしか出来なくなってほぼ失業中だが、だからかもしれない、ライブではグランドピアノを弾きたいと切実に思うようになった。

 

鍵盤のしっかりした重さ、包まれるように広がる豊かな音。

長く電子楽器を弾いてきたせいで弱くなった指に力がついてきて、ようやく本物の楽器を鳴らせるようになった。

小さい頃には分からなかった楽器の魅力に、やっと感動できるようになった。

 

たぶん、こんなに気付くのが遅い人は音楽の世界で滅多にいないと思う。

回り道をし過ぎたのは事実だけれど、今はこれからの事を考えればいい、これからたくさん感動すればいいのだと思う。

 

4月から、グランドピアノがあるお店で月1ライブをやる予定です。

お店は探索中、まだ未定です()

 

 

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2014年

1月

15日

ソニドのちいママ

新年最初のソニド・セッション。

ママがドバイにご旅行ということで、カウンターにはボーカルのyokoちゃんが。

ちいママ・yokoちゃんは綺麗好きなので、せっせと流し周りを片付けている。

気のせいかカウンターの辺りがいつもより明るいような....。(ママ、ごめんなさい!)

 

ずいぶん前になるが、高田馬場Gate-Oneでカウンターに入っていた事がある。

オーダーを受けてお酒を作ったりお茶を入れたり....、やった事がなかったので不馴れというかあまりに物を知らなくて、危うくお客さんと喧嘩になりそうだった()

簡単そうに見えて接客というのはなかなか難しいのだ!

特に私の場合、一生懸命になると顔がかなり恐くなるらしいから、お客さんと一緒に楽しく酔っ払う分にはいいけれど、接客業務自体は全く向いていないと思われ、、。

 

yokoちゃんは余裕のスマイルだなぁ.....。お客さん達にも大好評。

 

名物おおママとちいママ誕生で、ソニドはますます快適安泰(^o^)

今年も、ソニド土曜日セッションをどうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m

 

 

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