ピアニストの友人のリサイタルを聞きに行った。
私の隣りの席に、クラシックの音楽会ではあまり見かけない革ジャンにジーンズという見るからにロックな若者が座っていて、話し掛けたら友人にピアノを習っている生徒さんだった。
彼は「バンドでキーボードを弾いてるんです。」と言いながらプログラムを見て「先生のオリジナルが1曲もない!」とびっくりしていた。
なるほど言われてみれば、ほとんどのクラシックのコンサートでは有名な作曲家の曲しかやらない。
クラシックやロック・ポップス、それぞれにジャンル特有の常識がある。
ラフマニノフやショパンを弾いた後にいきなり自分のオリジナル曲を弾き出したら、聴衆はかなり吃驚動揺するだろうし、ロックのライブハウスで延々と有名バンドのコピー曲ばっかり聞かされたら、お友達以外のお客さんは殆ど帰ってしまうだろう。(ベンチャーズやビートルズ、ツェッペリンは例外か、、。)
ジャズの場合、あまり常識というのはないからそれぞれが自分のスタイルでやる。
オリジナルにこだわる人もいればスタンダードが好きな人もいる。フリージャズなんて、もう完全に常識外だ。
敢てジャズの常識と言われて私が思うのは<チャーリー・パーカー>だ。
ジャズをやっている人でパーカーって誰?という人はいない。
ツアーバンドでシンセサイザーを弾いていた頃、会場のサウンドチェックでバンドのピアニスト・重久さんが時々ジャズを弾いていた。
な~んてカッコいいんだ!と思って「重久さん、どうしたらジャズが弾けるようになりますか?」と聞いたら、とりあえず聴いてみなさいというCD2枚を教えてくれた。
チャーリー・パーカーの『Now's the Time』とチック・コリアの『Return to Forever』。二人ともよく知らない人だった。
お店で買ってきて早速聴いてみた。
チック・コリアは、何やら難しげだがとにかくカッコよくてびっくりした。
わ~凄いわ~、、。
チャーリー・パーカーは、1952年/53年録音、凄まじいノイズの奥から理解不能なフレーズがご~っと襲ってきて、何なんだ、これは!と恐れおののくうちに同じ曲が何故か何回も繰り返し続き、混乱・茫然自失して聞くのを諦めた。
聞いてはいけないものを聞いてしまった、、妙な気持ちだった。
結局、チャーリー・パーカーは10年以上、私の中で封印された。
自動的に、私にとって {ジャズ=チック・コリア} になった。
今はパーカーがどんなに偉大か分かる。映画『Bird』を見たら泣かずにいられない、、。
パーカーを崇拝するファンのように彼の演奏を理解しているかといえば全くまだまだだが、Jazzを愛する気持ちがそのまま、彼が遺した音楽への尊敬につながっている。
文学の世界でも、日本で作家を志す殆ど全ての人たちが、たとえ原文では理解できなくても『源氏物語』を敬愛する。偉大な才能に対するリスペクトと感謝なのだと思う。
時代や文化やジャンルを超えて世界中の人を感動させるものを創り出したチャーリー・パーカーや紫式部は、本当に神のような存在だ。
天才は99%の努力と言われるが、その1%の才能を持って生まれるというのはまさに奇跡だ。
神さまたちがこの世にかつて実在し自分たちと同じように生活していたのだと思うと、現世も捨てたものじゃないなぁと思う。生きているって素晴らしい事なんだと思えてくる。
自分が出来る努力を精一杯やろう、怠けないで頑張ろうと今更ながら心に決めた。
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