2012年4月に書いた私のブログの記事( 4月21日『テレビ』)
『調査報道を遠ざける日本の報道体制、その中で生きるジャーナリストたちは何を信じて仕事をしているのだろう。
政府発表、官庁発表を全てとする事なかれ主義と、捏造・煽動を懲りずに繰り返す悪質な学者や評論家たち。
何を信じたら良いのか分からなくなっている私たちと、何を信じて仕事をしていったら良いのか分からないジャーナリストたち、、もしそんな構図なら、本当にテレビは要らない。』
福島原発の事故について調査した、ドイツ国営放送制作のドキュメンタリー番組を見てショックを受けて書いた記事だ。
なぜ、日本の放送局じゃないのか?
日本の国内の真実さえ報道できないマスメディアって一体なんなのか....。
1月末にイスラム国に無惨に殺された後藤健二さんは、フリーのジャーナリストだった。
彼は、中東やアフリカ地域などの危険な紛争地帯に自ら赴き、その悲惨で国際的に無援な様子を日本のメディアに伝えた。
大手放送局等の体制に与しない後藤さんのようなフリーランスのジャーナリストたちの存在を、今まであまり考えた事がなかった。ほとんど知る機会がなかった。
複雑に絡み合った体制の内部では様々な制約を受ける調査報道。
彼らはそうした調査を水面下で行っているのか?隠された真実を探っているのだろうか?
私はジャーナリズムについて、あまりに無知だった。
世界中で独立して(フリーランスで)活動するジャーナリストたちが、それぞれの視点で世界を捉え、自らの信念で情報を発信している。
自由な立場に身を置くからこそ可能な事だ。そういう人たちの事をあまりに知らずにいた。
シリアの子供たちを取材する後藤さんの写真を見た。
写真の中の後藤さんは、しっかり紛争地帯の子供たちと向き合っていた。
何かを暴くのではなく隠された真実をさらすのではなく、後藤さんはただ淡々とそこにある事実を伝えようとしていた。命を懸けて。
子供たちを見つめる穏やかな笑顔の中に、もの凄く強い信念を感じた。
ジャーナリストとして、人間として、彼が信じようとしていたものが伝わってくるような写真だった。
”報道-ジャーナリズムの持つ全ての人の心を動かす力”を信じて彼は仕事をしていたのだ。
後藤健二さん。ご冥福をお祈りします。
私は自分の無知を恥じ、貴方の信念の力を心から尊敬します。
中東に一刻も早く平和な時が戻りますように。
トルコとの国境に近いシリア北部の都市アレッポでの取材風景(INDEPENDENT PRESSの写真より)
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