2015年

6月

13日

仏教 Part2

先月20日に父と母の法要で伺ったお寺は、新潟でもとても由緒ある真言宗のお寺だ。

お葬式の日はさすがに気持ちの余裕など無かったが、今回は三回忌だ。

大きな本堂や石庭の見事な苔、祭壇の豪華さに今更ながら驚いて、お経が始まるまで、周囲をくるくる見回したり天井をまじまじ見上げたりして気持ちが落ち着かなかった。

 

東京で音楽をやる、新潟で遺品の整理をする、二つの生活は私にとって時空ワープするような感じで、そんな生活を一年間続けてこのワープ感はさらに強まってきている。

そして今、寺院で厳かにお経を聞き、お線香をあげ、数珠を手に頭を下げる、、日常から遠く離れ現世から意識がワープする。

最近、父と母を日々身近に感じることで、東京にいても新潟にいても別の大きな時空の一部にいるような、今まで感じたことのない位置感覚を感じるようになった。

それは宗教的というより、随分と現実的・実際的な感覚である。

この世とは何だろう?人間って何だろう?

”哲学的に”ではなく、”物理的・科学的な”意味合いで、、。私たちが目で見る姿が人間の全てなんだろうか?世界の全てなんだろうか?

音楽のようなお経が流れる空間に漂いながら、ゆっくりぼんやりと考えていた。

 

法要が終わると、お寺様から広い本堂の各所に祀られた神仏像についてお話しがあった。


ご本尊様を真ん中に、右の一画にはまた別の仏さま、左の一画の奥には鏡の御神体が祀られ( 鏡って神道?)、その斜向かいには象の形の神像がおられる。( インド料理のお店でよく見る神さまだ。)

さらに私たちが座っている脇の壁には、大きな天狗さまの絵が、、。

そういえば本堂に渡る廊下に巨大な龍の置き物があったな、、。

 

真言宗は古い宗教で、昔の仏教はたいへん大らかであった。

「偉いもの、尊いものには宗教の別なく手を合わせるんですね。鎌倉時代くらいから、信仰の対象が特化してきて、教義も厳しくなっていきました。」

 

仏教発祥の地インドでは、その寛容さからどんどん他の宗教にやられちゃったんだそうだ....(^ ^;; 

( インド2001年の仏教徒の割合は総人口のたった0.8%である。)

 

「対象が特化すると内容が厳しくなるのは、どんな分野でも同じです。田崎さんも、全ての音楽の中でJazzを特化してやっていますよね。Jazzに対してはとても厳しいんじゃないですか?」

わ....、ほんとにそうだ!

もし、普段の私だったら全然ピンとこなかったかもしれない。

でも平安時代の仏教のここまでの大らかさに触れた後では、お寺様のこの言葉はずっしり心に響いた。



自分に厳しいならまだしも、周りにまで厳しくなってはいけないなぁ。

音楽をやる姿勢っていうのは、懐(ふところ)を広く持とうとする気持ちと相まって、意識しないと容易に見失ってしまうものだと思う。

でも、それを警戒するあまりJazzだけに特化して排他的になる事がないように、と自分に言い聞かせた。

 

仏教にはたくさんの宗派、戒律、難しい教義があるのだろう。

でも、もしかして一番最初にお釈迦様が説いた教えは、もの凄くシンプルでもの凄く大らかで、人の心を惹きつける魅力的なものだったんじゃないかな、と思う。

良いものはきっとストレートに心に伝わるのだ、音楽も人の言葉も、、。

 

三回忌にあたっていろいろ考えた。

本当は父と母のことを考えるのだろうが、他の事をいっぱいあれこれぐしゃぐしゃと考えた。

「まぁ、お前らしいわな....。」あきらめ顏で笑う父の声を聞いたような気がした。

パパ、ママ、ごめんね、、(涙)。

 

コメントをお書きください

コメント: 4
  • #1

    caroline (金曜日, 17 7月 2015 22:38)

    みっちゃん、今回もとても興味深く読ませてもらいました。
    私はJAZZという音楽を通じてみっちゃんと知り合って、それ以外のところでおつき合いはないけど、ずっとJAZZだけをやって来た人と何かちょっと違う感じをこの文章から感じて、うまく言えないけど、少し嬉しいです。
    ジャンル分けそのものが、ナンセンスだと思うけれど、JAZZという音楽をやっていると、なんとなくストイックに排他的になってしまう気がしているの。その方法論や、サウンド、特に即興的な要素が強いところなどは、とても興味があるし好きな部分だけど、プレイヤーもリスナーも「JAZZじゃないもの」を一段低く見ているようなムードがあると私は感じてる。それは、無意識に自分の中にも。
    一方で、その即興性ゆえに、なんか深みに欠けるというか、大事に演奏している感に欠けるところもあるなって思う。スポーツみたいな感じ。
    勘どころが違うんだと言えばそれまでのことだけれど、全て取っ払って「深い部分で人の心を満たすことができるのか」と考えると、どうなのだろう?と思ったりして。
    この話を読んでいて、それらの諸々の考えが、あながち独りよがりのものではないように感じて、自分の軸もブレてないんじゃないかって思って、なんだか嬉しかったわ。

  • #2

    michiko (土曜日, 18 7月 2015 10:13)

    キャロちゃんの言いたい事、凄く分かる^ ^
    Jazzは趣味というより”道”みたくなっちゃいがちだよね。
    そして、クラシック・ファンの中にはJazzを低く見ている人がけっこう多い。ある分野に特化しちゃうと他を理解しようとしなくなるのかな、、。
    私はロックが好きだし、80年代のJ.Popも好き。
    Jazzは即興だから、その場で生まれるものを楽しめば良いし、完成度でクラシックみたいなものを求めるのは、落語に文学性を求めるみたいに無理な事だよね。
    音楽そのものに対するシンプルな尊敬があれば、どんな音楽も楽しめるんじゃないかなぁ。
    逆にそれがない音楽は、どんなに表面を格好良く取り繕っても心に響かないんだと思う。物真似の流行り物とか!(^-^);;

  • #3

    caroline (日曜日, 19 7月 2015 16:56)

    ジャズとクラシック、双璧ですな。
    お互いにお互いをけん制しつつ、深層心理の中では未知なる境地への憧れとやっかみとをはらんで、相手を認めない空気が、確かに一部の人たちの中にあると思う。
    でも、どんな芸術でも、突出した表現者っていうのは、ジャンルや手段を越えてやっぱり心底「いい」んだよなぁ。

  • #4

    michiko (日曜日, 19 7月 2015 22:22)

    ほんっとそうだよね ^ ^ !!