以前ヤマハのエレクトーン講師をしていた時に、ホンの短い期間だったが千葉にいた事があって、子供たちのエレクトーンコースを1クラス担当した。
最初に新潟出身だと自己紹介したら、子供だから無邪気にいろいろ質問してくる。
「先生んちはお百姓さん?」
「冬には雪が屋根まで積もるの?」
「先生はスキーが上手?」等々だいたい既定路線なわけだが、1つびっくりする質問があった。
「新潟と千葉と、どっちが田舎?」
田舎について、それまでちゃんと考えた事がなかった。
田んぼや畑がのどかに広がり、小さな川のほとりで鳥がさえずる。雨が降れば森の木々がざわめき、どこかで大きな木の上に雷がどか〜んと落ちる…、なんてベートーベンの交響曲『田園』みたいなのが田舎だとずっと思っていた。
少なくとも、新潟にはバスの走る大通りもあれば大きなデパートやショッピングモールもある。お洒落なお店がいっぱいあるし、流行のファッションに身を包んだ女性もたくさん歩いている。
多少、東京に比べれば見劣りするかもしれないが、、。
「絶対に、新潟は田舎ではない!」
と私は確信する訳だが、どうも子供たちの「どっちが田舎?」の”田舎”はそういう意味ではない。むしろ”どっちが”が重要ポイントなのだ。
ニューヨークより東京が田舎、東京より千葉が田舎、千葉より◯◯が田舎という具合に、比べてみて見劣りする方が”田舎”という事らしい。
つまり、”田舎”認定すなわち格下という事だ。
へ〜、面白い事を言うなぁ、なんて思っていたら、この問題は大人も含めてけっこう根深いのだ。
例えば、
・千葉と埼玉で合同イベントをやる場合「千葉・埼玉大会」か「埼玉・千葉大会」かでマジにもめる。
・茨城と一緒にされる( チバラギとか )のを極度に嫌がる、その割に神奈川県にはあっさり負けてしまう( 負けっていうのがよく分からないが...ー.ー? )。
・”田舎者”とか”田舎くさい”という言葉に非常に敏感に反応する。
新潟人からすると、なかなか興味深い経験をした(笑)。
なまじ大都会の周辺に生まれると小さい頃から苦労が多いのだなぁ…、なんて人ごとと思って見ていたけれど、こういう生まれた土地から来る対抗意識、私は嫌いじゃない。むしろ、ちょっと羨ましかったりする。
大阪のタクシーの運転手さんは「お客さん、東京から?」の質問の後、だいたいが軽妙な関西弁で大阪自慢を始める。
神戸の友人たちは「大阪とは違うから!」という点で見事に一致団結している(笑)。
そんな「あそこと比べてうちは」的な競争心は、新潟の県民性の中にあまりない。
新潟には美味しい米も水も魚もお酒もあって、自慢できるものがたくさんある。他県の人も大いに認めてくれている。
だからとりたてて他と競争しなくても…、という事かもしれない。”田舎”認定に怒る人もまずいないだろう。
そもそも、”どっちが”と考える事を普段から殆どしないような気がする。
他の土地と競うという習慣がないのだ。
だから、「新潟と千葉と、どっちが田舎?」とオール千葉を背負って果敢に質問してきた小さな子を思い出して「ほう、なかなかあっぱれ!」と笑ってしまった。彼女は千葉人として挑戦してきたのだ。
あの時の私が、彼女が千葉人を自覚するくらいに新潟人を自覚していただろうか、と思ったら、残念ながら恥ずかしいばかりだ。
「新潟は田舎じゃないよ〜^ ^;;」と思うばかりで、、。
でも、そんな暢気さがまた新潟人らしいのだろうな。
あれ、昔の思い出話が県民論になってしまった、、。
こんな狭い日本だけれど、ちょっと考えただけでまぁいろいろあるもんだ(笑)。
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