関屋中学・化学クラブ -Part1-

中学生の時、化学クラブに入っていた。

数学はチンプンカンプンなのに、なぜだか『化学』にときめいていた。

今、思い出しても本当にどうしてなのか分からない。

理数科目全般にほとんど縁の無い人生の中で、この中学三年間だけ、私は『化学ガール』だった。

 

 


小学校の夏休み自由研究でやった、父・プロデュース(笑)の水質検査のせいかもしれない。

フラスコ・ビーカー・試験管、天秤や試験薬なんかを買ってもらって、試験管立ては、父が木工細工で作ってくれた。

サンプルの河川の水を採りに、父と一緒に電車に乗って出掛けたピクニックのような遠征旅行は、映画のワンシーンのようによく覚えている。

その時の経験が、子供心にドキドキ楽しかったのかもしれない。

学校の図書館で読んだ『キュリー夫人』はとても感動したし、試験管を片手に記録をつけるのが、キュリー夫人みたいにかっこよく思えたのかもしれない。

 

中学校に入るとすぐ、あまり迷う事もなく化学クラブに入部した。

 

先日、新潟の実家で自分の部屋を片付けていたら、机の引き出しの奥から「2年生文化祭計画」と鉛筆で書いたわら半紙が出てきた。

全く記憶にないが、このくねくねした癖のある字は、間違いなく私が書いたのだ。

計画書には、文化祭の出し物について7項目、簡単な説明とやり方が書かれている。

 

なかなか野心的な企画だ(笑)。

部活の先生や部員たちと話し合った内容を書き留めたんだな、きっと。

 

今にも破れそうなわら半紙を眺めていたら、あの文化祭の時の事を朧げに思い出した。

そうだ、私がやらかした”珍事件”(笑)があったんだ、、。

 

関屋中学2年生・『化学ガールな私』の残念エピソード。覚えている限りで、ちょっと書いてみます。

 

***Part2に続く***