中学時代の秋の文化祭。
文化クラブ部員にとって一年に一度の晴れ舞台なのだが、十代前半の青少年たちには”文化的活動”というとどちらかと言えば地味に見えてしまう訳で、、。
そこへいくと、我が化学クラブの活動はある意味、ちょっと派手だった。
先輩たちが4人がかりで庭に運び出した、”関中・化学クラブ伝統”のちょっと古びたお手製の火山。
茶色とか緑色の彩色が全体に褪せて、長年の歴史と風格を醸し出している。
火薬に混ぜた少量の化学物質がその種類に応じて綺麗な色の炎を創り出し、火口から噴き上げる噴火の迫力はなかなかのものだ。
部室内では、化学燃料で小さなロケットが針金を伝ってピューッと飛んでいて、部屋の真ん中に、これまた”関中・化学クラブ伝統”のケミカルガーデンが鎮座していた。
部員たちは、水の色が手品のように変わる、水を数滴垂らすと綿がパッと燃え上がる、ビーカーから煙と共にむくむく謎の黒い物体が現れる....なんておもしろ実験を、訪れた人たちに見せていた。
他に、私たち2年生部員で話し合っていくつか出し物を考えた。、、というか、元気いっぱい盛り上がって悪ノリしていた(^ ^);;v
私が覚えているのはその悪ノリ出し物のうち2つで、なぜその2つだけ覚えているかというと、私が『やらかした』からで、後で部活の先生に本気で怒られた。
1 .塩酸の水溶液でお金をピカピカにする
みんなにとても喜ばれたが、翌日、お金がお金でなくなったと文句を言われた。
水で洗浄してあげるのをすっかり忘れて、一晩でお金の表面がきれいに溶けてしまったらしい、、。すみません、、。
2 .口から火を噴く
今、突然思い出したのだが、中学時代の私のあだ名は『ゴジラ』だった。
う〜ん、だから最近のヒット映画『シン・ゴジラ』に妙なシンパシーを感じていたのか、、。
何故、あだ名が『ゴジラ』だったのかは置いておいて、ゴジラなら口から火を噴くだろうってもの凄く単純な発想で、私が火を噴く担当になった。(たぶん、そんな経緯だったんだろうと思う。)
口に含んだアルコールをパァーッと噴き出したところに火をつけるという、今考えれば完全にNGな企画なのだが、みんな悪ふざけで「やっちゃえ!」となった。
ところがここに一つ重大な問題が....。
私は、唇をブルブル震わせる技とか「ルルル〜」の巻き舌とか、口周辺に関わる動作がいろいろと出来ない。神経がいくつか足りてないんじゃないかと思われるほどに出来ない。
スープをスプーンで飲む時も、下手をすると口の端からたら〜とこぼれてしまう。
見かねた友人に、「みっちゃん、スープ吸ってる?」と聞かれた事がある。
そっか、、スプーンで口に入れた時に吸う必要があるんだな、、。そう気付いたのはすっかり大人になってからだ。
そんな訳だから、頭の中では、時代劇なんかで刀傷に焼酎をプァーッ!とやる画面がしっかり浮かんでいるのだが、実際にそのような高等技術が私に使えるはずはなく、かっこつけてアルコールを口に含んだまでは良かったが、そのままどうやってもうまく噴き出せずに、ごっくんと飲んでしまった。
その後の事は覚えていない。
アルコールの濃度がそれほど高くなかったにしても、中学生だし、きっとぶっ倒れたんだろう、、後で先生に大変な大目玉を食った。
「2年生文化祭計画」-伝統ある関中・化学クラブの晴れ舞台- は、大きな事故もなくほぼ成功裏に終わったが、私の技術不足(?)のせいで、仲間に多大な迷惑をかけてしまったことがとても申し訳なく悔やまれる。
華々しい『ゴジラ』デビューもやり損なった。
その後の長い人生で、唇をブルブル震わせる技も「ルルル〜」の巻き舌も焼酎をプァーッ!も、何一つ修得できなかった。
「自転車のひらり乗り」(以前、このブログで書いたのだが、この「ひらり乗り」ができないおかげで、私は自転車には絶対乗らない。)とか、人の誕生日をまるで覚えられないとか、他の人が普通に出来るのに私には出来ない事がたくさんあるのだ、と夜中にひとり、しみじみ思った、、(涙)。
、、でもまぁ、私には音楽がある!と慰めたところで、Part1〜5まで長々と書いてきた私の化学クラブのお話は終わりです。
いやぁ、最初に書き始めた時はこんなに長くなるとは思わなかった。いろいろな事が少しずつ思い出されて、しばし楽しいタイムスリップをしました(笑)。
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