5年前のこと

2013年1月4日の朝。

新潟に帰省していて、そろそろ東京に戻る準備をしかけた私の目の前で、父がいきなりバタンと倒れた。脳梗塞だった。

それから1年半の間に、父が亡くなり、後を追うように母が亡くなった。

私は住まいを東京から新潟へ、そしてまた東京へと移した。

 

その頃の事は記憶が曖昧で、断片的な映像が脳裏に浮かんだり、誰かの言葉を思い出すくらいで、父と母以外のことはほぼ空白に近い。

まるで別次元の世界に行っていた感すらある。

 

平穏な気持ちで普通に生活する、それがどんなに幸せな事か、最近になってようやく実感するようになった。

元の自分に戻るまで、まる5年かかったという事だ。

 

このブログの為の材料というか備忘録みたいな感じで、その時々に気になった事や思った事などをPCにメモしているのだが、今朝、ブログを書こうとそれに目を通していて、ある文章を見つけた。

介護のために東京から新潟に引っ越した時の気持ちを書いたものだ。

 

『その時の私は、父や母の事が心配で泣きたくなるほどだったし、自分の音楽をどうやってやり続けていったらいいかも分からなかった。

経済的な事や介護の事、新潟でのこれからの生活が殆どイメージできないまま、やらなければならない事は山のようにあって、毎日クタクタになって寝るだけの日々の中で先のことは全く考えられなかった。

ただ強く思っていたのは、東京で音楽をやり続けたいという事だった。

私は、東京で育ててもらった。

仲間や先輩、お客さんや尊敬するミュージシャンたちから暖かい励ましやアドバイス、思わず歯を食いしばるほどの叱責や厳しく欠点を指摘する言葉をもらい、褒めてもらったり上手くいかなくて恥ずかしい思いをし、でも何とかもっとちゃんと弾きたいと思ってたくさん練習した。

そういう記憶は過去のものではなくて、』

 

メモはここで終わっているのだが、これを書いた時の事は覚えていない。

でも、読んでちょっと切なくなった。

東京を離れなければならない、音楽を続けられるんだろうか、大好きな父を失うかもしれない、母との生活・介護はどうなるんだろう、、。

心がピリピリして、一人でぐるぐる空回りしている姿が見えた。

 

5年経った今、こうしてまた東京にいる事がちょっと奇跡のように思える。

そして、5年という時間をかけてゆっくり心が回復したのだと感じる。

 

朝起きて、朝食の前に、父と母の位牌に手を合わせる。

ほとんどの人は信じないだろうが、父はだいたい毎朝、母は気が向いたら時々(笑)、私に声をかけてくれる。

悩んでいる時にはアドバイスをしてくれる。

 

今日一日、元気で”ピアノを弾く、世界で何が起きているかニュースを見る、国会で野党がやっていることに怒る、仕事先で会ういろんな人たちとお喋りする、商店街のお店のおじさんやおばさん・若者と天気について語る、時々映画を見て泣く(怖がる) 、時々友だちと飲みに行って騒ぐ、芥川龍之介を読む、曲を作る、ブログを書く、、”。

 


何もない日常が有難いんだなぁ....。

いろんなことに感謝したい気持ちになった。