東京駅で。

あれは、私がまだシンセサイザーを弾いていた頃の出来事だ。

ツアーの仕事でどこか地方から東京へ帰って来て、東京駅の構内を足早に歩いていた。

大きな荷物を肩にかけているので、早く家に帰ってゆっくりしたかった。

 

前方に丸の内中央口が見えて、何やらものものしい雰囲気になっているのに気がついた。

警察官や警備員と思われる人たちがたくさんいて、入り口から通路の両側にロープを張って、何ごとだろうと集まってきた人々を整理している。

こういう光景はTVのワイドショーなんかで見ていたので、きっと大物タレントが来るのだ、と直感してワクワクした。

外国人アーティストだといいなぁ、これだけ警備がすごいのだから世界的スターだよなぁ、なんてミーハーな事を考えながら、人だかりの後ろで首を伸ばした。

たまたま私の隣には音楽関係らしいグループがいて、私と同じような事を考えていたに違いない。

当時としてはお約束の、長髪・革ジャン・鎖系でキメたロッカーたちだったが、おとなしく並んでスターが現れるのを待っていた。

 

しばらくすると、入り口付近一帯がざわざわして、人影がふたり見えた。

わ、誰だ?と思って目をこらすと、なんとそれは天皇皇后両陛下であった。

 

予想外のことに、私はびっくりした。本当に驚いた。

ゆっくり歩かれるお二人を目で追いながら、何故だかふっと涙がでた。本当にどうしてかわからないが、涙が自然とでた。

この時の気持ちはどう表現していいか分からない。

 

今となれば、「あなたは保守の人だから、天皇陛下が大好きなんでしょ。」と友人にからかわれるのだろうが、当時は保守でもなんでもなかった。

普通に南京事件を丸々信じていたし、全て日本が悪いという情報ばかりの中でずっと来て、この国も歴史も政治も、もうほとんどどうでもいいと思っていたのだ。

だから、天皇という存在について、考えたことも思いを巡らすことさえなかった。

 

あふれた涙に自分でもとまどっていると、隣にいたロッカーの青年が、「俺、感動した〜!」と興奮して嬉しげに仲間たちと話していた。

その言葉に、「そっかぁ、わたし、感動したんだ。」と納得したのを覚えている。

 

あの時、青年たちも私も、大物アーティストをきっと期待していたのだ。

そしてその期待は裏切られた。

がっかりして当然だった。

国を愛するなんてことをついぞ考えたことのない若者が、天皇皇后両陛下に接して、なぜあれほどに感動したのだろう。びっくりした、で終わらなかったんだろう。

 

今ふりかえってみると、これは日本人が持つ”集合的無意識”みたいなものじゃないかと思うのだ。

 

普段は表に出てこない。

そんな気持ちに気付きもしなければ、そもそもあるはずがないと思っている。

でも、いざ直面した瞬間に湧き上がってくる気持ち。

直面したことのない人は、まさかと一笑に付すのかもしれない。ばかばかしいと思うのかもしれない。

 

2000年以上続く皇室の存在について、特に戦後は否定する人たちも少なくない。

でも歴史上、ことに当たって日本人が団結する時には、常に天皇という拠り所があったという事は紛れもない事実で、これは権威的な強制でもなんでもなく、ただ民族の心の中心に天皇がいたからじゃないだろうか。

昭和史においては、教育に依るところも大きいのだろうが、、。

 

 


来年4月30日、天皇陛下が退位される。

生前退位というのは、大日本帝国憲法、現日本国憲法でも認められていないのだそうだ。

でも、80歳を過ぎてなお公務に忙しくされるお姿を見て、多くの国民はただ素直に、”どうかゆっくりお休み下さい”と思っていると思う。

歴史的な行事がどのように執り行われるのか、新年号は何になるのか。

 

国内・国外で問題山積、2020年にはオリンピックもあって、日本は今、本当に大変だ。

こんな時だからこそ、これから一年、日本と皇室について、日本人が持つ”集合的無意識”について考えてみるのもいいかなぁ、、なんて思っている。