改元

430日で『平成』の世が終わる。

 

元号は廃止するべきだと言う人がいて、確かに西暦と元号を一緒に使うのは面倒だと感じる時がたまにある。

でも、世界で元号を使うのは日本だけだということを知ったら、むくむくと誇らしい気持ちがわいてきた。

改めて考えてみると、元号は日本の歴史と密接に結びついている。国の歩みの足跡みたいなものだ。

 

大化の改新、大宝律令、和同開珎、天平文化、保元・平治の乱、文永・弘安の役、建武の新政 、応仁の乱、天正遣欧少年使節、慶長小判、明暦の大火、元禄の討ち入り、享保の改革・寛政の改革・天保の改革、安政の大獄、明治維新、大正デモクラシー、昭和恐慌、、。

 

ふ~、ちょっと調べただけでこんなにある、、。

 

こういう大きな事件を元号と絡めて記述するって、もの凄く便利な事じゃないだろうか。

もちろん、西暦と併せて記さないと前後関係があやふやになる。

結果、日本史のテストを受ける学生にとっては暗記量倍増で可哀想な事になったが、例えば、”646年の革命”、”1701年の討ち入り事件”と言われて、その出来事を時代と関連づけてイメージするのはちょっと難しい。

でももし、飛鳥時代とか江戸時代とか大きな時代分けとは別に、それぞれの出来事に小さなカラー付箋が付いていたらどうだろう。

その付箋の色や形を何回も目にして見慣れてくると、きっと、ちらっと目にしただけであるイメージが浮かぶようになる。

元号は、便利なカラー付箋のような機能があると思うのだ。

 

慶應大学、明治大学、明治製菓や大正製薬、、。学校や企業だって、歴史の中での立ち位置が明確に分かる。

 

グローバル化を叫ぶ人たちは、日本を他の国と同じようにしたくてたまらないのだろうが、どっこい、日本は日本だ!

外国とは出来るだけ仲良く、良い考えはどんどん取り入れる。でも、日本の国柄はしっかり頑固に守ってもらいたい、文化も伝統も。

こんな事を書くと、また「極右★」とか言われるんだろうなぁ….(笑)。

 

今日の午前、新元号の発表があった。

”令和”の出典は『万葉集』。従来、中国の文献から選んでいたのを改めて、歴史上初めて!国書を典拠にしたのだそうだ。

 

これは快挙だ。すごく良いことと思う。

今までの慣例や踏襲してきたやり方を、本当にそれで正しいですか?ってもう一度考え直してみる、社会も政治も、”変化”について議論して初めの一歩を踏み出す。

これから、たくさんの一歩があらゆる分野で踏み出されるかもしれない。

みんなで一度問題に向き合ってみようという流れが、少しづつ生まれてくるんじゃないかって気がしている。

 

今日の首相官邸/新元号記者会見は、そんな時代の先触れのようだった。

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コメント: 3
  • #1

    本間俊一 (木曜日, 04 4月 2019 13:38)

    ブログを拝読し、感想をコメントさせていただきます。素直な文体のなかで、骨太な力強いエッセイです。

    元号の奏でる時代の雰囲気は、皆ことなります。例えば、祖父母の明治、父母の昭和初期には、それぞれ持つ特有の香りがあります。

    西暦だけの表記では、確かに物足りなさが残ります。
    元号は、陛下が在位した時代の人々の暮らしや願い、希望を遺産として伝えているのだと感じています。
    決して、極右だなんて思う人は誰もおりませんよ。
    まさに、エッセイには時代の良心とリベラルアーツの声が感じられます。

  • #2

    michiko (木曜日, 04 4月 2019 14:20)

    リベラルアーツ...Wikipediaで調べちゃいました!
    左派の人がよく言うリベラルって、ここから来てるんでしょうか。そうだとすると、もっと原点に帰って欲しいなぁ(笑)。
    メディアの報道だと、大部分の国民が新元号に好意的なようです。でも、ここまでの盛り上がりはちょっと意外、、。
    5月の新天皇ご即位の日とか、一体どんなことになっちゃうんだろう?(ワクワク⭐️)

  • #3

    本間俊一 (木曜日, 04 4月 2019 16:18)

    リベラルアーツは、教養を磨くことにより、社会の多様性に理解を深め、自己のアイデンティティの確立を目指すものと理解しています。一方的なレッテル貼りではなく。

    元号令和、明るく盛り上がっていますね。
    太宰府、梅の花を詠う和歌が出典とされますが、菅原道真公の「東風吹かば」も同様に連想され、万葉集がブームになりそうです。