死後の物語り

私は神様とか仏様とか信じていないし、昔から興味津々()の幽霊については、霊魂というよりは異次元に接触した現象の一つだと勝手に解釈している。

つまり宗教的には無宗教で、もし不思議な事が起きても、何らかの説明が必ずつくと思っている。

 

人が死んでその後、何が起きるのか。

経験した人しか知り得ない事実を、人は前もって知りたいと願う。いずれ必ず訪れる死について何も知らないというのは、日々生きる上で不安でしょうがない。

それで、権威を持った偉い誰かが人々の心を安らかにしようと、死んだらこうなってああなってと、まことしやかな物語りを語って聞かせる。

宗教的な葬礼の儀式はそういうある種、想像の世界の物語りに基づいて行なわれる。

 

父は、白足袋に脚絆をつけて旅立った。棺には杖と、旅の途中でお腹が空いた時の為に大きな握り飯を入れた。

普通に考えたら可笑しな事なのに、いつもの私だったらそんなあり得ない!と笑うのに、厳粛な死というものにまともに向き合って私は、『あぁ、パパは旅に出るのだ』と思った。

そう思う事で、父の死を受け入れる事から逃れた。

 

大事な人を失った誰かをなんとか慰めようと思う時、私はいつも「いつかもう一度会えるから、、。」と言ってきた。

大事な人の思い出を心に持ち続けていればいつか、、というような漠然とした意味合いだったように思う。

でも今は、かなりはっきりとしたイメージを持って、いつか父にもう一度会えると信じている。

母とお茶を飲みながら話す。

「パパはあたし達より一足先にあっちに行ってるんだから。あっちでまたみんな一緒だから。」

母はちょっと笑いながら「そっかそっか!」と言う。

 

友人や親類にこう話すと、たいがい痛ましそうな顔でいたわりの言葉をかけてくれるので、もうあまり言わないようにしようと思う。

でも、父にまた会えると思う事は私にとってかなり幸せな事なのだ。

悲しみに暮れてそう思うしかないのではなく、明確なイメージとして私は信じている。

人が死んでその後、何が起きるのか。

どんな宗教も呈示できなかった驚くような事が起きるのもしれないし、全くの"無"かもしれない。

私は、絶対に"無"ではないと思う。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    近藤 敏明 (火曜日, 25 6月 2013 16:59)

    まめにブログ更新えらいですね。
    パパっ子のミッちゃんらしいですね。
    信じることは大切だと思います。
    30年前に死んだ父が夢に出できてくれたのはたった2回ですが、もう一度会いたい気持ちはいつも持っています。
    今度会ったらゆっくり話したいですね。

  • #2

    michiko (水曜日, 26 6月 2013 09:38)

    敏明くんのお父さんはものすごく若くして亡くなられたのですね...。どんなに無念だったか、、胸が痛みます。
    私は敏明くんを慰めることはできなかったけど、敏明くんの先日の電話は私をめちゃ慰めてくれました。本当にありがとう。
    近いうちに会いたいですね!