2013年

12月

31日

良いお年を!

慌ただしく一年が終わった。

 

漠然と怖れ、敢えて考えないようにしてきた出来事が恐ろしいほどのスピードで次から次へ現実となり、悲しみにくれるとかこれからの生活を熟慮するとか、そんなゆったりした気持ちや冷静さを持つ余裕もないまま、まるで夢の中にいるように毎日が過ぎていった。

今まで東京で送ってきた自分の人生と、父母が新潟で生きた何十年もの生活とを繋ぎ合わせる作業は、新潟の生活に慣れるとか生活のペースが落ち着くとかそういう類の事とは全く違って、まだ私の中ではしっくりと完了していない。

東京の音楽仲間たちから「みっちゃん、新潟でJazzの仕事作って呼んでよ!」と無邪気に言われると、胸の奥で重い塊のような悲しみがゆっくり沈んでいく感じがする。

このまま新潟で暮らしていくうちに、何の違和感も感じなくなるのだろうか?

 

来年は、新しい二つのトリオとずっと続けてきたカルテットを中心に頑張ります!

トオイダイスケさん(e.b)・山田玲さん(ds)とのピアノトリオ。

土屋秀樹さん(gt)・落合康介さん(w.b)とのトリオ。

それから城谷雄策さん(tp)・小杉敏さん(w.b)・高橋徹さん(ds)とのカルテット。

 

Sonidoの土曜日セッションやJ.J.Nashのボーカル・ワークショップも、毎回楽しくやっています。

ゆっくり・のんびりですが、じっくり・しっかり進んでいきたいです。

 

来年もどうぞ宜しくお願いします!

 

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2013年

12月

20日

クリスマス

記念日というのが何故か苦手だ。

だいたい過去に何があったとしても、日にちまで覚えておかなくてもいいんじゃないかと思う。

大化の改新は645年、鎌倉幕府は1192年、日露戦争は1904年って事で....。

ただ、原爆投下と終戦の日、東日本大震災の日は日本人として絶対忘れちゃいけない!とは思う。あ、あと赤穂浪士討ち入りの日。

 

記念日とは少し違うが、誕生日というのもなかなか厄介だ。

人の誕生日ははなから覚える気がないので、自分の誕生日を誰かが覚えていてくれると逆にもの凄く驚く。

思うに、数字をメモリーする気力と能力が著しく劣っているのだ。

音楽に携わっていて良かった....。音階は12音しかないから()

 

そんな記念日恐怖症の私でもクリスマスだけは別物だ。小さい頃から思い出があり過ぎる。

 

サンタさんのプレゼントが、熱烈にお願いしておいた物と違ってマジがっかりした事。

父が毎年買ってくる大きな鳥の唐揚げがカレー味で、ちっともクリスマス気分になれなかった事。

近くにあった日曜教会がクリスマス・イブにやる劇で、三賢人の一人の役を貰ったのだが全くの勉強不足で、何がどうなってどうしてそうなるのかさっぱり分からなくて面白くもなんともなかった事。

生まれて初めて男子と雪降る街をデートした事、そしてその彼はもうこの世にいない事。

クリスマス直前に失恋して、イブはカーペンターズを聴きながら大泣きした事。

仲良しの女友達とちょっと高級なレストランでディナーを食べながら、お店の客で女同士は完全に私たちだけで、キャンドルライトに浮かび上がるカップル達の笑顔に超ムカついた事。

クリスマス・ディナーショーの仕事の帰り、終電を逃して大雪の銀座で凍えそうになりながら一時間も長蛇の列でタクシー待ちをした事。

 

、、なんか苦労してるなぁ、私....

 

まぁ最近は、クリスマス関連曲の譜面をそろそろ引っ張りだすかな、と思うくらいで、精神的には至って平穏無事にやり過ごしている。

それにしてもクリスマスの曲は素敵な曲が多い。

暖かくて愛にあふれていて、自然と笑顔になる。

こんな曲が作れるのはきっと、作曲者たちが子供の頃からクリスマスの魔法のような空気を胸の奥深くに吸い込んでいるからだ。

親から子へ、何世代にもわたって受け継がれてきた魔法の空気がたくさんの名曲を生んできた。

ただ、スーパーで長ネギと大根を買いながら『ジングルベル』を聞くと、多少いらっとする時もある()

新聞の投書欄で、この時期に氾濫するクリスマス音楽を聞きたくないので買い物は宅配サービスにする、という人がいた。

ちょっと分かる気がした、、。

 

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2013年

12月

09日

電話

携帯をスマホに換えてから、外出先でもiTuneやyou tube、産経ニュースやブログが見れる。

便利だなぁと感心するが、電話で話すのだけは相変わらず苦手だ。

着信音が鳴ると、まずびっくりする。いきなり自分のすぐそばで鳴るから本当にびっくりする。

マナーモードでもブ~ンブ~ン鳴るし、何なんだ、いきなり!....と、ちょっとむっとする。

そして、出るか出ないか”何故か”迷う。相手がいやだからというのでなく、ただ何となく電話に出たくないからどうしようかなぁ....と迷う。

その後、仲の良い友だちからだと確認してようやく少し安心する。

画面を見つめながら、どうやって電話に出るんだっけか....?

スマホに換えてすぐの頃は、電話が掛かってくる度にかなり慌てた。

間違えて切っちゃったり、間違えて掛けちゃったり....。電話嫌いにかなり拍車がかかった(笑)。

 

だいたい、いつから電話が苦手になったんだろう?

ずっと仕事がフリーランスだったから、電話で仕事を受けてスケジュールを自分で調整した。

スタジオからの緊急呼び出しも、「早くデータ送れ~!」なんて切羽詰まった催促も、あまり気乗りのしないデモ作製やどう考えても絶対無理!な急な仕事依頼も、みんな電話で来た。

仕事は大好きだったけれどまた寝れなくなっちゃうかも、、なんて不安が一瞬わいてきて、だから電話が鳴ると条件反射で心臓がドキドキするようになったのかもしれない。

 

今ではだいたいがメールだし、緊急の依頼もほとんどない。

電話が鳴ってドキドキする事なんてずっと無かったのに、今年1月、父が倒れて入院すると、病院から頻繁に電話が来るようになった。その度に、以前とは比べ物にならないくらい心臓がバクバクした。

電話が本当に嫌いになった。

 

父が亡くなってからは、携帯電話は外出する時は仕方がないけれど、家にいる間は何となく遠くに置くようになった。二階とか玄関ホールとか、、。まったく携帯電話じゃない....(笑)。

小学生まで携帯を持っている時代に電話が苦手なんて、ほんと国際稀少種なんだろうなぁ。

最近はスマホでテレビ電話までできるらしいし、、恐ろしい時代になったものだ.....。

 

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2013年

11月

29日

とうとう.....。

猛暑の夏がようやく終わり、やれやれやっと秋だと思って一息ついていたらあっという間に朝晩凍えるような寒さに襲われ、東京の友人たちからは「新潟ってもう雪が降るんじゃないの~?」なんてからかわれて、冗談じゃない!11月でいくらなんでも雪なんか降るか....と内心思っていたのに、、。

 

ホントに降った....O_O

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2013年

11月

27日

懐かしい匂い

東京に滞在中、モスバーガーに入って熱い生姜入りスープを飲んでいたら、店内にビートルズのホワイト・アルバムが流れ始めた。

口の中は強烈な生姜の香りでいっぱいなのに、体の中の何処か別の場所で、なんともいえない独特で懐かしい匂いがした。

ん、なんだ、この匂いは?

そ~だ....、町のレコード屋さんでアルバムを買ってきて、ワクワクしながら白い薄セロファンの袋からレコード盤を取り出した時の、化学実験室みたいなあの匂いだ!

ホワイトアルバムは、ビートルズのアルバムの中でも一番のお気に入りで、部屋に籠って「I am the walrus~!」なんて叫んでいた頃の記憶がぱぁっと蘇った。

あの頃は毎日ビートルズのアルバムを聴いていて、その後はディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ELP、YES、、と順当にハードロック、プログレッシブロックへの道を進み()、ステレオの音量もどんどんガンガンギャンギャン上がっていった。でも親から怒られた事は一度もなかったなぁ....。

ただ、当時は郊外に引越したばかりで、近所の人たちはみんな「田崎さんちの息子さん」と思っていたらしい。ロックなんて聞くのは、髪の毛を伸ばした変わり者の男子だけだという偏見が田舎にはあった訳で、、()

 

懐かしい記憶に浸りながら、それにしても面白い思い出し方をしたなぁと思った。

音楽をきっかけに、あの独特な匂いがどういうのかふっと香ったような気がして、次々とレコードにまつわる思い出が表に出てきた。

そう考えると、記憶というのは様々な感覚の複合体であるのだろうが、その一つひとつはかなり独立していて、アクセスの具合でかなり面白い事が起こるんじゃないだろうか?

例えば、海に沈む夕陽を見ていたらイカ焼きの味が口の中に広がるとか、、。

そして、なんでかいな?と不思議に思うと、昔小さい頃に、父と海辺の砂浜に並んで座って、イカ焼きを食べながら日本海に沈む夕陽を見た事を思い出すのだ。

 

まぁ期待し過ぎちゃうとサプライズは起きないから、気長に次の機会を待つかな、記憶の連鎖反応は思わぬ時に起きるかも、、。

 

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2013年

11月

17日

頑張れ、日本

以前からなんだかなぁ....と思っていた。

最近は怒りを通り越して、もういい加減にしてほしいなぁ....と呆れていた。

韓国。

 

ようやく日本も、竹島や慰安婦問題について海外に向けて発信し始めた。

外務省や民間有識者が、英語で日本の立場を説明する動画をYouTube等に上げている。

情報戦だ!

 

そもそも歴史を作り変えるなんて、何百年も前のことならいざ知らず、まだ目撃者、経験者が生きているのに可能なんだろうか。

だいたい”歴史学者”っていったい何してるのかなぁ....。何を研究してるんだろう??

(『日本人の誇り』を書いた藤原正彦さんは数学者だ。)

史料を客観的に検証して歴史的事実を探るってのが歴史学なんじゃないだろうか。

こんなにもいろいろな”歴史”があるって不思議な事だ、、。

 

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2013年

10月

31日

東京

今年2月、父の看護と母の介護の為に急遽、新潟に帰る事にした。

長年暮らしてきた大好きな東京を全く離れてしまうのは辛かったので、新潟から定期的に通おうと決めて、一番悩んだのが宿泊をどうしようかという事だった。

経費は安いに越したことはないけれど、安心・安全・快適を考えるとあまりな安宿は避けた方がいい、、。

そんな気持ちを察していろいろな方々が助けてくれた。

最近定宿になっているのは、三鷹ソニドのママが御厚意で予約してくれる高層マンションのゲストルームだ。

ホテルに比べて格安だがマンション関係者しか利用できない。

3〜4人用の豪華な部屋にたった一人でいると、最初の頃はどうも落ち着かなくて隅の方でこじんまり寝ていた(笑)。

ゲストルームは20階にあるので、ベランダからの眺めは絶景だ。

人間、高い所から下界を見下ろすと、普段思いもしない事をいろいろ考えるらしい。

東京は、猫のような街だと思う。

昼寝ばかりしているそこらの猫たちよりずっと活動的だが、のんびり優雅に目を閉じている間も外界をちゃんと警戒している、頭を撫でようと近寄るとするりと逃げてしまう、好きだよ~と愛を打ち明けてもふ~ん?! なんてそっぽを向く....上手く説明できないけれど、何となく猫と東京の街の空気は似ている気がする。

スタイリッシュで薄情で、個人主義で気まぐれで、こちらに全く無関心かと思いきやしっかり観察していたりして、稀に甘えたり照れたりする......そんな都会人の一般的なイメージに、当てはまる人もいれば全く逆な人もいる。

でも東京という都市を思う時、私は何故か猫みたいだと感じる。

 

私は母の猫好きのおかげで、小さい頃から沢山の猫たちと一緒に育った。

猫が好きというより、憎たらしいと思う時の方が多かったけれど、今思えば、本当にたくさんの事を彼らを通して感じたし学んだと思う。

同じような感覚が東京にある。

 

東京で本当にたくさんの経験をした。

楽しかった事もいっぱいあるが、辛かったり悲しかった事の方が心に残っていて思い出すと胸がキリキリと痛む。そして同時に、心地良く酔った時のような爽快感もどうしてだかある。

きっとそれは、苦しい事にぶち当たったから成長できたという自覚があるから。そんな感謝にも似た気持ちがあるから。

だから、東京は私にとって"うちの猫たち"と同じような存在なのだ。心を育ててもらった、強くしてもらった。

 

猫たちは今はもういないけれど、東京は今、私の目の前に広がっている。

夜景を眺めながら、やっぱり離れたくなかったなぁと思う。

人間、高い所から下界を見下ろすと、普段思いもしない本音が出るらしい(笑)。

 

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2013年

10月

19日

虫の声

新潟に帰ってきてから、毎晩10時が就寝時間だ。

東京にいた時は、夜10時なんてだいたい”元気いっぱい〜さぁこれから!”の時間帯だったから、わずか数ヶ月でよく適応できたものだ。

 

母と二人、寝室で横になって目を閉じると、しんと静まり返った夜の闇の向こうから秋の虫たちの声がにぎやかに聞こえてくる。中庭の草むらにいるコオロギや鈴虫たちだ。

「♪あれ、松虫が鳴いている〜」と口ずさむ。

母が「ちんちろちんちろちんちろりん〜♪」と元気よく歌う。

「♪あれ、○●も鳴き出した〜△X▼◎△X▼◎△X▼◎〜」

鈴虫だったかくつわ虫か、コオロギだったかウマオイか、、。

二人でうろ覚えの歌詞を適当につなげて、「♪秋の夜長を鳴き通す ああ、面白い虫の声〜」と〆て寝る。

 

さすがに、毎晩適当に歌っていると本当の歌詞が気になってきて、インターネットで調べてみた。

検索すると『むしきき』という記事の中でちょっと面白い事が書いてあった。

( 虫聞き:虫の鳴き声を賞美するために、夕方、郊外や野山に出向くこと )

 

*******************

日本人には人気の虫の声も、欧米人には騒音以外の何ものでもない....というのはよく聞く話です。

では、『虫の声を愛でる』という文化は日本だけのものかというと....そうでもありません。

西ヨーロッパとは別文化がルーツのギリシアなどの地中海地域・インド・中南米では、虫の鳴く声を楽しむ習慣が今でも盛んであり、中にはその声を聖なる神託としている地域もあるそうです。

 

*******************

ふ〜む、日本人だけじゃないんだ....。

それにしても、美しいもの( 視覚 )、美味しいもの( 味覚 )、香しいもの( 臭覚 )、手触りの良いもの( 触覚 )は、国によって若干の差はあっても基本的にはそれほどの違いは無いと思われるのに、聴覚において、ある国民が良い響きだなぁ、と感じる音が他の国民には雑音にしか聞こえないって何か凄い事じゃないだろうか。それは”若干の差”のレベルじゃない、そして単なる個人差ではなく国民単位の違いなのだ、、。

日本人は”風流”という文化をもっているから特殊なのだ、と思っていたら、他にも虫の声=良い音と感じる国々があると聞いて、人種と文化と感性の関係についての奥深さや不思議さを考えた。人間って面白いなぁ....。

 

その日はそれから、インターネットで見つけた少年少女合唱団の『虫のこえ』をPCから流して、母と一緒に2番まで合唱した(笑)。

 

幾日かして....。

夜、寝室で電気を消したらあまりに静かで??と思った。いつもこんなに静かだっけ?、、そうだ、虫の鳴き声が聞こえない!

はっと思い当たったのは庭の草取りだ。数日前、きれいに雑草を抜いてしまった。

でも公園があるのに、、。

家の庭のすぐ隣りには『ピノキオ公園』という、ゼペット爺さんのピノキオとはまるで縁もゆかりも無い小さな公園があって、可愛いブランコと鉄棒のスペースを囲むように雑草が生い茂っている。

虫たちは、我が家の庭と『ピノキオ公園』で盛大に”♪秋の夜長を鳴き通し”ていたのだ。

しんとした部屋で横になりながら、私が東京に行っている間に町内で公園の清掃会があったのを思い出した。

二つの住処を追われた虫たちは、ちりじりに何処かへ逃げていってしまったのだ!

 

あんなに頑張って草むしりをするんじゃなかった、、一匹でも二匹でも帰ってきてくれないかなぁ。裏庭の玉椿の下とかさぁ....。

もうすぐ長い冬が来るというのに秋の楽しみを一つ失くしてしまった(涙)。

 

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2013年

10月

08日

人生相談

近年、人生相談ブームなのだそうだ。

週刊誌で人生相談コーナーが人気だったり、情報サイトに毎日投稿される悩み相談を楽しみにするウォッチャーというのも存在するそうだ。

インターネットでオンラインの相談コーナーを流し読みしてみると、人生のあらゆる断面がびっくりするほど赤裸々に告白されている(笑)!

 

嫁姑問題、夫婦のいざこざ、ママ友がどうして会社の同僚がこうして近所の子供がああして義妹がそうして、、とまぁよくもこんなに沢山の人たちが大変な目にあっているものだと思う。

でも一番興味深いのは、そうしたプライベートな悩みに対して本当に多くの人たちがアドバイスや慰め、共感や激励、時には間違いを指摘して叱咤・忠告し、相当な労力を使って親身に回答している事だ。

会った事もない人によくここまで....と正直思ってしまう。

 

アメリカ映画なんかをみていると、登場人物が、失恋だ不眠だ家庭不和だ人間不信だ、、普通に誰でも悩んでいそうな事でごく気軽にカウンセリングを受けていて、そういう場面はとてもアメリカ的な印象がある。

日本でカウンセリングに何となく特別な感じがあるのは、まだ効果的な治療法として認知されていないからか、日本人の生活にそれほど必要じゃないからか、。

 

シオシオにうなだれて倒れそうになった時、ただそっと側にいてくれて「大丈夫?」と聞くでも「どうしたの?」と尋ねるでもなく、ただ一緒に散歩したり海に行こうと誘ったり、植物園に連れ出してくれた誰かの柔らかな気持ちに触れた記憶は、人生を振り返ると鮮やかに甦ってくる。

そうした経験は私が特別なのではなく誰にでもあって、私たちの周りには細やかな気遣いが目立たず普通に存在するのだ。

 

どこで読んだか内容も定かではないのだが、日本人のコミュニティには昔から、相談役のオヤジさんだったり世話焼きオバさんだったり、生活の悩みを誰かが親身に聞いてあげる空気みたいなものがあったとか。

日本では多くの一般人が優れた聞き役だったのかもしれない。

欧米人にとって他人の悩み事を聞くというのはかなり特別なケースらしい。だからカウンセリングという学問が発達したのか、、。

 

この説が正しいか正しくないか分からないが、人生相談に投稿された悩みに対するコメントは、まるで自分の事のように真剣で暖かい気持ちを感じるものが多い。たとえ相手を厳しく諭す場合でも、、。

悩んでいる人の話をちゃんと聞こうとする姿勢が基本にある。

カウンセリングとは全く違うだろうけれど、誰かに話を聞いてもらう事で救われる気持ちもあるだろう、道も見つかるかもしれない。

 

先日イズイズに会った時、「たまたま新聞見てたら、人生相談の欄で凄い相談見つけた!」と言って、小さな切り抜きを見せてくれた。

周りのお友達と読んで、「えぇ?!! 」と全員が衝撃を受けたのだが、その内容はかなり反社会的であった(笑)。

でも、イズイズも私も友達も、その相談者の嘆きを考えてちょっと切ない気持ちになった。

私たちのコメントが相談者に届く事はないけれど、その場にいた私たち一人ひとりは決して傍観的な批判者ではなく、親身で真剣な回答者だった。

 

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2013年

10月

01日

4/12@Sonido Yokoちゃんライブ!

三鷹ソニド・セッションの華!vocal のyokoちゃん。

N.Y.に3ヶ月間、音楽留学するという事で、”頑張って勉強してね!身体、気ぃつけてや!めいっぱい楽しんでおいで!”、、その他諸々のみんなの気持ちが込もった壮行会ライブ。

4/12といえば随分前のようだが、送ってきてくれた写真を見たらつい昨日の事のように感じた。

でも、私は(きっとyokoちゃんもN.Y.で)この後の3ヶ月間、言葉にできない想いをたくさんしたのだ....。

みんなの笑顔が本当に輝いて見えた。

 

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2013年

9月

16日

雨女

今日は朝から大変な事になっている。

テレビはどの局のアナウンサーも、「今まで経験した事のない大雨」なので「ただちに生命を守る行動をとるように」と言っている。

 

"今まで経験した事のない"とか"ただちに生命を守る行動"とか言われると、ホラー映画ファンの私は、不届きにも最恐ホラー映画のキャッチコピーに聞こえて妙にワクワクしてしまう、、。
危機感がまったく足りないというかどこかのんびり構えてしまうのは、あまりに日本に災害が多過ぎるせいか、もともと日本人がそれほど慌てない気質なのか、ただ単に私がホラーファンだからなのか、きっと日本政府もみんながこれじゃいかんと思って、震え上がるような危機的状況を表わす言葉を使おうと相談したのかもしれない。


テレビのニュースでは、インタビューされた若い女性が「ほんと、怖かったです!」と、何故か満面の笑顔で可愛らしく答えていた。
災害の怖さは、自分の命が危険にさらされて初めて分かるものなのかもしれない。

さて、今日は私が東京で毎月やっているリーダーライブの日だ。
先月のリーダーライブはそれこそ今日の比じゃない暴風雨で、ツッチーも落合くんも私も文字通り死に物狂い、全身ずぶ濡れでようやくお店にたどり着いた。
どういうのか私のリーダーライブの日は雨が多い。それも台風だったり大雨だったり大雪だったり、、。
ベースの小杉さんから、「こういう時は逆にやる事なくてお客さん来てくれるかもよ。」と慰めのメールを何回もらった事か。
自他ともに認める雨女なわけだが、そういえば、私の尊敬するピアニスト福田重男さんも俺は雨男だとぼやいていた。
かっこいいピアノはあんまり真似できなかったけど、困ったところだけはしっかり受け継いじゃったのかなぁ、、(笑)。

 

夜になって台風も過ぎて、宮之上さん・落合くんと無事に楽しいライブができて本当に幸せだった。

しまった....!また写真を撮るのを忘れた....(涙)。

 

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2013年

9月

12日

シンセな日々

先日、テレビを見ていたらインタビュー番組に大江千里さんが出ていた。

47歳で突然、日本での音楽活動を休止してニューヨークに渡り、4年間Jazzを勉強したそうだ。

大江さんのキャリアとは比ぶべくもないが、私も8年前に突然、「Jazzをやる~!」と叫んで仕事道具のシンセサイザーほとんど全部を売り払った。

それまでは、仲間と毎週セッションするぐらいでちゃんとしたJazzピアノを弾けた訳でもないのに、まぁ今考えれば無謀だったというか、甘かったというか....(笑)。

 

私はいろんな事を同時にやれる器用なタイプではなくて、これ!と思うとそれだけしか目に入らなくなる。

Jazzの前はかなり長い間、シンセサイザーに夢中だった。

 

<YAMAHA CS10>

1977年発売.。モノフォニックのアナログ・シンセサイザー。

YAMAHA新潟センターの録音スタジオの片隅に何台も並んでいて、White Noiseで北風のヒュー音とかピュー音とかビュー音とか(笑)作って遊んでいた。

単音しか出ないから、YMOのコピーバンドをやろうとして和音を出すのに3人(=3台)必要だった(笑)。

  

<KORG Poly6>

記念すべき人生最初に購入したシンセサイザー。もうこの頃はポリフォニックで、音色のプリセットも出来た。

一緒にRolandのデジタル・ディレイも買ってバンドした。

 

<YAMAHA DX7>

FM音源という、それまでのアナログシンセとは全く違う音作りのデジタル・シンセサイザー。1983年に規格が発表されたMIDIがいち早く装備され、デジタル・シークエンサー(QX1)もその後すぐに登場した。

分厚い取扱説明書とMIDIハンドブックとDX7・QX1相手に、ああでもないこうでもないと日々悪戦苦闘した。

その甲斐あって、音作りが難しかったDXの音色作成の仕事が来るようになった。

 

その後は、エフェクターとかサンプラーとか音源モジュールとか高額なシンセもじゃんじゃん増えていって、幸運なことにバックバンドの仕事をもらえてアレンジもいろいろやった。

鍵盤の練習はちっともしなかったけれど、大好きなストリングスの音色でいかにオリジナリティを出すか、サウンドの厚みを出すか、いろいろ試してみて、本番で大きなホールに自分の音が響くと本当に嬉しくてワクワクした。

スタジオでリハーサル中です。
スタジオでリハーサル中です。

部屋にこもって何台ものシンセサイザーと過ごした私の”シンセな日々”は、とてもじゃないが妙齢の女子が送る日々ではなかったけれど、お洒落とか海外旅行とか結婚とか女の子らしい事にまるで興味がなかったのだから、まぁそれはそれで良し、、か?(笑)。

コンピューターに数値を打ち込んで音楽を作るDTMの仕事が殺人的に忙しくなった頃、思い切り鍵盤を弾きたい、本当の音楽をやりたいという気持ちがどんどん強くなって、次第にシンセサイザーから気持ちが離れていった。

 

家にあったシンセサイザーほとんど全てを秋葉原の中古楽器店に運び込んだ時、不思議となんの感慨もなかった。Jazzをやるんだというめちゃきっぱりさっぱりした気持ちだけだった。

それなのについこの間、引っ越し荷物の中からこの時のシンセ買い取り査定の書類が出て来て、思わず一つ一つ目を通した。

何故だろう、胸がしめつけられるように苦しくなった。

懐かしいというのでなく、何か罪悪感に似た痛い想いで査定書をそれ以上見れなくなった。

私の”シンセな日々”がそこにあって、記憶の底に沈めてしまった私自身の姿にいきなり出会ってショックを受けた、という事だったかもしれない。淋しさだったかもしれない。

その想いが一体何だったのか、今でも言葉がみつからないでいる。

 

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2013年

9月

08日

2020年東京オリンピック

朝5時半、雨の音が聞こえる。

ベッドの中で目を覚まして、「もう決まってるな...。」ぼんやりした頭で考える。

もしマドリードだったらがっかりだなぁ、福島の汚染水はやっぱりダメージ大きかったよな、ずっと優勢だったのにうまくいかないもんだなぁ....。

思いっ切りネガティブな気分で起きだして、玄関に朝刊を取りに行く。

さすがにまだ結果の記事は載っていない。

おそるおそるテレビをつけると、「東京に決定!」の文字と、渋谷の若者たちが大騒ぎしている映像が目に飛び込んできた。

「やったぁ~!」

トイレに入っている母にドアごしに報告して、廊下を行ったり来たりしながら、ここまでのいろいろな経緯とこれからの日本の成長について熱く語った。( 母にはたぶんチンプンカンプン・笑 )

久しぶりに文句なしの明るい気持ちになった。

 

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2013年

8月

31日

オリジナル5

今月半ばぐらいからか、ようやく生活のリズムが落ち着いてピアノの練習が普通に出来るようになってきた。

しばらく中断していたオリジナル曲の整理。

昔つくった曲の中からJazzで演奏できそうなものを選る作業を去年から始めて、最初に外した曲が『秋桜(コスモス)』だった。

 

大学を卒業し、エレクトーン講師としてYAMAHAに就職して数年後、”作曲研修”という、もの凄く贅沢な研修を受ける機会に恵まれた。

参加する講師は全国から集められ、数ヶ月に渡って段階を踏みながらクラシカルなオリジナル曲を数曲作り、その演奏を録音する。

何せ最終ステップでは、自分が書いたオーケストラスコアを、学生とはいえ東京芸大の管弦楽団が演奏してくれるのだ! 

当時のYAMAHAは今から考えられないくらい超太っ腹だった。私にとっては職場というより音楽の学びの場であり、さまざまな経験と勉強をさせてもらったと思っている。

 

この研修は楽しくて楽しくてしょうがなく、研修の課題を持ち帰るとYAMAHAセンターの練習室に何時間もこもって曲作りをした。

ピアノ以外の楽器を知り、楽器同士の対話を几帳面に紡いで物語を織り上げるという体験は、音楽大学を出ていない私にとって後にも先にもない貴重なものだった。

 

第一回目はピアノ曲のオリジナル、二回目はフルートとピアノ、三回目はバイオリンとチェロとピアノというふうに楽器が増えていった。

『秋桜(コスモス)』は、このバイオリン・チェロ・ピアノ三重奏の曲だ。

クラシック風の7~8分の曲で、今見ると随分とっ散らかった感がある(笑)。

長いし拍子もころころかわるし、Jazzには無理!と思って最初に除けていた。

でも改めて楽譜を眺めてみて、テーマの雰囲気がいいな、と思った。

 

Jazzで演奏できるように少し手直ししようとピアノに向かったら、何十年も昔、同じ様にピアノに向かって一生懸命に楽譜を書いていた時の気持ちを突然思い出した。

なぜ題名が『秋桜(コスモス)』なのか。メロディを弾きながら何を感じていたか。

 

コスモスは群生するイメージがあり、たくさんの白と淡いピンクの花がそよ風に揺れている風景は、秋の日の記憶として誰の心の中にもあるだろう。

でもその時に私が心に描いていたのは、たった一本、群れから離れて咲くコスモスの花だった。

頼りなく風に揺れる細い茎が哀れであるのに、きっと独りで咲くことに何の迷いも恐れもない、、その気丈さを自覚することなくただ無心で秋の日を咲き続ける。そんな姿に憧れる自分がいて、振り返ってみれば、風に揺れる一本のコスモスのイメージは、その後もずっと私の心のどこかにあった気がする。

 

『秋桜(コスモス)』のメロディを弾きながら、今まで歩いてきた道をつらつら思い返してどっぷり感傷的な気分になった....(笑)。

 

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2013年

8月

19日

自由研究

小学生の頃、夏休みの自由研究の宿題は”暗黙の親子密約”ー父の企画立案、父の実行計画、参加協力が私という極秘プロジェクトだった()

研究って何??な私が、迷わず父に泣きついたのだ。        

 

あれは何年生の時だったろう、、。

そういう不正を絶対に許さない母の非難の視線を浴びながら、父と私は父が作った大きなおにぎりと卵焼きのお弁当を持って、山間を流れる阿賀野川中流の水質検査に出掛けた。

リュックサックを担いで父と一緒に鈍行列車に乗ると、これから何を”研究”するのかなんて綺麗さっぱり忘れて、ただワクワクした。

 

目的地の川原に着いて、おにぎりをほおばりながら目の前の清流に足を浸す。

川底の小石の丸くて硬い感触と足首にあたる流水の勢いが心地良かった。

水筒に水を汲むとあとはもうやる事がない。

川のせせらぎと鳥の声、時折そよそよと吹く川風と眩しい夏の陽射しの中で、穏やかな父のそばに黙って座っていると何だか気持ちが良くて、ついうとうと眠ってしまいそうになる、、。

市内に戻ると、新潟平野を滔々と流れる下流の水をかなり危険な思いをして採取した。

川幅も広く、黒々と底も見えない大量の水を間近で見るのは本当に恐ろしかった。この時は確か、父が汲んでくれたのだ。

 

数日後、今度は一人で街に出掛けて行って、コンクリートの床の薄暗くて変な匂いがこもった何屋さんだかよく分からないお店で、試験管やビーカー、名前も思い出せない試薬をいくつか買った。

家に帰って包みを広げ、真新しい器具を一つ一つ机の上に並べていくと、突然、今までの私じゃないような不思議な気持ちになった。

天秤と分銅とピンセットで試薬を正確に量って溶液を作り、木の試験管立てにたてたそれぞれの川の水にスポイドで垂らして、その化学反応を絵や数字で記録する。

いったい何を何の為に入れてどうなって何が証明されたのかさっぱり覚えていないのだが、とにかくなかなか本格的な"研究"だったのだと思う。全部、父の計画書どおりだが....()。 

 

こうした経験が面白かったのか、図書館で読んだ『キュリー夫人』の影響か、その頃の気持ちはまるで不明なのだが、その後中学生になった私はなんと『化学部』に入部した。

生粋の”文系”人生で、この時のほんの数年間だけ、私は紛れもない”理系”少女だった!

 

波瀾万丈の中学『化学部』時代については、長くなるのでまた改めて....()

 

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2013年

8月

03日

悔しい事

自分にとって『悔しいと思う事』について考えてみた。

 

例えば、ライブで思うような演奏ができなかった時とかどうだろう。

今まであり過ぎて困るぐらいあるのだが、思い返してみて一度も悔しいと思った事はない。ただめちゃめちゃがっかりする。

この『がっかり感』と『悔しい感』はかなり違う。

あるいは、街でセンス抜群のお洒落な男性とすれ違った時。

これはなかなか複雑な心理状態で、綺麗な女性は山のようにいるのでさほど気にならないが、男子にも負けた...てな敗北感はちょっときつい(笑)。

でも、これも『がっかり感』で『悔しい感』じゃない。そもそも勝負になってないし....(涙)。

「この気持ちが分かってもらえなくて悔しい。」なんていう時は、あふれる思いが伝わらなくて残念で残念でたまらない!というある種、強調語のようなニュアンスがある。

「せっかく有名焼き肉屋さんに来たのに、お腹いっぱいで食べられなくて悔しい!」のとほぼ一緒で、がっかりを通り越して『超・残念!』という事だ。

 

一般的に言って『悔しい感』は、-「勝って嬉しい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、、」- 誰かと競って負けた時、相手が勝って嬉しがっている時にもくもくとわき上がってくる感情だ。

その相手が、「やーい!」と歓声を上げながら”あっかんべ~”なんてしようものなら、『悔しい感』のボルテージは限りなく上がる。

つまり、誰かに負けて「やーい!」と言われた時の気持ちが、正しい『悔しい感』なのだ。

『がっかり感』でも『残念感』でもなく、紛れもない『悔しい感』なのだ!

 

、、なんでこんな事を長々と書いたかというと。

 

今日、お昼ご飯を台所で作っていたら、額の真ん中に近い所を蚊に食われた。

「凄い所を食われたなぁ。」と思っていると、母も「おや!」なんて言って笑う。

だいたい、我が家の蚊たちは人間を馬鹿にしている。

防虫スプレーを吹きかけて完全防備のつもりで草取りをしていると、吹きかけそびれた肘のあたりを見つけてピンポイント攻撃してくる。衣服の上から刺すなんて強者( つわもの )もいる。

「敵ながらあっぱれ!」なんて思った時期もあったが、さすがに、顔の真ん中とか刺すかぁ?と一人ぼやいたら、むくむくと『悔しい感』がわいて来た。

 

ブログで、”悔しい事”とか言ってせっせと分析している自分が我ながら情けないが、いくら怒っても相手に通じないのだから仕方がない。

蚊の”あっかんべ~”顔を思い浮かべて、「今度は絶対に負けない!」と力強く誓うしかない。

涼しくなるまであともう少し、闘いは続く....。

 

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2013年

7月

24日

外車ー補記

前回の記事で、思えばお洒落な外車にたくさん乗せてもらったなぁ、、なんて書いたら、「美知子さん、随分モテたんですねぇ!」と大変な誤解をした方が何人かいらっしゃった。

ん~、ちょっと違うんだよなぁ....。

ってことで、今回は『ミュージシャンと車と女性についての一考察』ー独断と偏見に基づく私見を述べたいと思う(笑)。

( 私の知っている数少ないミュージシャンたち限定。)

 

まず、カッコいい車に乗ってカッコいい音楽をやっているカッコいいミュージシャンには、間違いなく、熱心な追っかけ女性ファンがわんさかいる。

彼女たちはライブに何十回も通い、手紙やプレゼントを手渡して何とか親しくなりたいと切望するが、なかなかうまくいかない。

ミュージシャンたちはあとあと面倒な事が起きそうな相手には天性の勘が働くみたいで、熱狂的な女性ファンほど絶妙な距離をとられてたりする。

結構、女性に対しては慎重な人が多いのだ。( 過去に痛い目にたくさん遭ったから?・笑 )

そして、コンサートやライブの前後は彼らは控え室にいてなかなかゆっくり話す機会がない。そういう意味では、ステージの上と下ははっきりと区別されていてファンとの交流は少ない。

つまり、ミュージシャンと親密になる為のハードルはかなり高い。

 

人気のあるミュージシャンが、偶々あるファンを自分の車に乗せるなんて事は、少なくともパブリックな場面ではほぼ無い。( 私が知らないだけかもしれないけど。)

彼らのお洒落な車に乗れる女性は、恋人か奥さんという特別な存在かマネージャーや仕事関係で、私はその仕事関係者だった訳だ。

リハーサルや録音の仕事が終わって、

「電車で帰るんだったら最寄りの駅まで送ってあげるよ。」

「ありがとうございま~す!」「わ、ポルシェだ~ !!」

てな流れだったので、「美知子さん、随分モテたんですねぇ!」と言われた瞬間、どうしてそういう事になるのか全く分からなかった(笑)。

 

ついでに、『Jazzミュージシャンと車と女性についての一考察』。

数年前からJazzのライブに行くようになった。

憧れのピアニスト・○○さんが演奏前から店内をうろうろしている。

「わぉ!○○さんだ!」

「お、みっちゃん。一人で来たの?」

声を掛けてもらってぼっと舞い上がっていると、間もなく凄い演奏が始まって興奮でぼっとなり、演奏後の余韻にまたまたぼっと舞い上がっていると、彼が再び店内をうろうろしている。

控え室がないJazzのお店が多いからか、お酒を片手にお客さんたちと話すのが好きなのか、それがJazzライブの昔からのスタイルなのか、ステージの上と下は渾然一体でJazzミュージシャンとファンとの交流は限りなく密だ。

「みっちゃん、酔いを醒ましたら車で送ってやるよ!」

 

そんな言葉にびっくり仰天したのも最初のうちで、車で送ってもらうというのがそれほど特別な事じゃないというのが周りを見て分かってきた。

音楽を通じて、まるで友人のように気さくに接してくれるのがJazzミュージシャンだ。

そのフレンドリーさと、音楽性のあまりの高さのギャップがもの凄く魅力的で、すっかりJazzの世界に引き込まれてしまった。

今では私も、ライブ後にお客さんたちと話すのが大好きだ。

 

因みにJazzミュージシャンと車と女性についてだが、女性じゃなく男性ファンを車で送っていってあげるという親切なミュージシャンにはあまり会ったことがない(笑)。

 

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2013年

7月

12日

外車

「最近の若いミュージシャンは、酒は飲まねぇし良い車にも乗りたがらねぇ奴が多いみたいだけど、そんなのはジイさんになってからカッコいい音楽なんて出来ないに決まってる!」

敬愛する某ベテラン・ピアニストが嘆かわしいとばかりにぼやいた。

酒はともかく、昔は確かにカッコいい音楽をやるミュージシャンはかなり高い確率でカッコいい車に乗っていた。

なめらかで香しい皮革のソファに沈み込みそうになるBMW

低い車体の下からゴーッと伝わってくる振動が何とも心地よいポルシェ。

上品で洗練された装飾にうっとりするジャガー。

ベンツやプジョー、ルノーやシトロエン。思えばお洒落な外車にたくさん乗せてもらったなぁ、、。

お昼はマセラティで夜はアルファロメオなんて凄い日もあったよなぁ、、。

ただ残念なのは、私は車なんてちゃんと走れば何でもいいと思うタイプで、更に悪い事に、思った事はそのまま言っちゃうタイプだ。

 

外車はとにかく故障する。

「また代車ですかぁ?」

さすがに睨まれて、「日本車はヤマハのシンセと一緒で故障しないですよねぇ。」なんて喉まで出かかった台詞を慌てて飲み込んだ。

面白い事に、故障した外車をヤナセに何回持っていってもちゃんと直った試しがないという話を、彼らはどこか嬉しそうに話す。まるで、身体の弱い美しい愛娘を風邪で医者に連れていったなんて話をするみたいに。

きっと、高級で美しいものを所有するという事が重要なのであって、移動の手段というのは二の次なのかも、、。

 

前出の某ベテラン・ピアニストは紺のマセラティに乗っていて、みんなが「凄い!カッコいい!芸術品だ!」と、感動的な讃辞を惜しまない中、「でも、紺色って地味ですよねぇ、、。」なんて言わないでいい事を私がポロッと言ってしまったから、みんなびっくりしてその場が凍りついた....()

お陰で、その後何回かマセラティに乗せてもらったけれど、優美なマセラティのデザインに紺色がいかにマッチするかの大変丁寧な説明を神妙に拝聴する羽目になった。

車はちゃんと走れば何でもいいなんて人が、軽々しく口を挟む次元の問題ではないのだと思い知った()

 

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2013年

7月

04日

中庭にて

新潟の家にはささやかながら前庭と中庭がある。

鉢植えでもらった苗木や、近くから飛んで来た種から芽を出した木々なんかを父が植え替えて、一応、庭っぽくなっている。

手入れといっても、雑草を抜いたり肥料を時折まくぐらいで、基本は"自然に任せる()"なので、椿は見上げるような巨木になり、梅の木はホントに梅か、、と疑うくらい葉っぱが繁茂している。

サツキとツツジは去年の猛暑と水不足で死にかけて心配したが、今春、寒々しい枯れ枝の奥から濃緑の若葉がのぞいた。

唯一、庭木らしい端正な姿を保っているのは、中庭の真ん中の山法師だ。

一昨年、近所の方の紹介で我が家で初めて庭師さんが来て植えてくれた。春には可愛らしい白い花が咲く。

 

早朝や夕暮れ時に庭に出て、枯葉を拾ったり雑草をむしったりしていると、葉っぱをむしゃむしゃ食べている青虫や列をなして地面を進む蟻たち、カマキリの白い卵や名前も知らない小さな昆虫たちに出会う。ついでに蚊にも食われる()

先日、家の土台のコンクリートの上を、綺麗なコバルトブルーと銀色の混じったカナヘビが忙しそうに走って行った。カナヘビは砂地に生息する小さなトカゲだ。

 

私が小さい頃に住んでいた家は、今の家より町中にあったが敷地が同じような砂地だった。

ある日、学校から帰ると、玄関から離れた前庭みたいな場所に母が所在無げに立っている。いつも元気な母が妙に頼りない感じなのでどうしたんだろうと思って近寄っていくと、声をひそめて「家の中にカナヘビがいる。」と言う。

わっ、カナヘビか、、。

結局、父が会社から帰ってくるまで二人でぼっと待っていた。

帰宅した父はすっと家に入っていって、手の中にカナヘビをつかんで出てきた。面白がって母に見せるもんだから、キャーキャー母が悲鳴をあげて、いつもは怒られてばかりで恐ろしげな母が何とも可愛く見えた()

 

こんな遠い昔の出来事をぼんやり思い出していたら、ハッと大変な事に気付いた。

もう、父はいないのだ。

カナヘビが家の中に入ってきたら誰が退治するんだ?

ん~、あのヌメヌメした生き物をつかむ勇気はどうやったってない。

もしかしておっきな蜘蛛とかゲジゲジとか青大将に遭遇したりして....(大汗)

女二人、こういう状況に対して完全に無力だ、、。

 

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2013年

6月

24日

死後の物語り

私は神様とか仏様とか信じていないし、昔から興味津々()の幽霊については、霊魂というよりは異次元に接触した現象の一つだと勝手に解釈している。

つまり宗教的には無宗教で、もし不思議な事が起きても、何らかの説明が必ずつくと思っている。

 

人が死んでその後、何が起きるのか。

経験した人しか知り得ない事実を、人は前もって知りたいと願う。いずれ必ず訪れる死について何も知らないというのは、日々生きる上で不安でしょうがない。

それで、権威を持った偉い誰かが人々の心を安らかにしようと、死んだらこうなってああなってと、まことしやかな物語りを語って聞かせる。

宗教的な葬礼の儀式はそういうある種、想像の世界の物語りに基づいて行なわれる。

 

父は、白足袋に脚絆をつけて旅立った。棺には杖と、旅の途中でお腹が空いた時の為に大きな握り飯を入れた。

普通に考えたら可笑しな事なのに、いつもの私だったらそんなあり得ない!と笑うのに、厳粛な死というものにまともに向き合って私は、『あぁ、パパは旅に出るのだ』と思った。

そう思う事で、父の死を受け入れる事から逃れた。

 

大事な人を失った誰かをなんとか慰めようと思う時、私はいつも「いつかもう一度会えるから、、。」と言ってきた。

大事な人の思い出を心に持ち続けていればいつか、、というような漠然とした意味合いだったように思う。

でも今は、かなりはっきりとしたイメージを持って、いつか父にもう一度会えると信じている。

母とお茶を飲みながら話す。

「パパはあたし達より一足先にあっちに行ってるんだから。あっちでまたみんな一緒だから。」

母はちょっと笑いながら「そっかそっか!」と言う。

 

友人や親類にこう話すと、たいがい痛ましそうな顔でいたわりの言葉をかけてくれるので、もうあまり言わないようにしようと思う。

でも、父にまた会えると思う事は私にとってかなり幸せな事なのだ。

悲しみに暮れてそう思うしかないのではなく、明確なイメージとして私は信じている。

人が死んでその後、何が起きるのか。

どんな宗教も呈示できなかった驚くような事が起きるのもしれないし、全くの"無"かもしれない。

私は、絶対に"無"ではないと思う。

 

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2013年

6月

13日

グレ男とアボ子 - 2

朝食のグレープフルーツの種から芽を出したグレ男くんと、夕食のアボカド・サラダから生まれたアボ子。

20131月、私の新潟の父が脳梗塞で倒れたと同時に、彼らも過酷な状況に陥った。

お正月で帰省していた私は急遽、東京に帰るのをやめ、新潟で父の病院と母の世話に追われる事になった。

真冬の東京のマンションのベランダに残された彼らは、強風と厳しい寒さにさらされ、その後の引っ越しでも諸事情で何日間も水遣りが出来ない状態が続き、新潟の家に他の荷物と一緒に届けられた時には見るも悲惨な姿で、「ああ、可哀相な事をした、、。」と、ほとんど諦めていた。

5月に入って、すっかり枯れたと思っていたグレ男くんの枝先に、緑の小さな若葉が芽吹いた。

すっかり変色してしまったアボ子の頭のてっぺんに、綺麗な色の葉っぱが花のように開いた。

病と闘っている父の姿とだぶって、思わず涙が出そうになった。

生命の強さを感じて勇気が湧いてくる気がした。

 

その父が逝った後、グレ男くんとアボ子は眩しい陽の光を浴びて元気に育っている。

ちょうど1年前、このブログに『グレ男とアボ子』の記事を書いた。めったに感想を言わない父が「面白かったよ。」とニコニコ笑った。

一目会わせたかったなぁ、、と思う。

 

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2013年

6月

04日

お知らせ

平成25年5月29日午前2時57分。

父が他界しました。

 

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2013年

5月

27日

鉄人みっちゃん

先日、ギターのツッチーとベースの落合くんとライブで、演奏は予想どおりメチャ楽しかったのだがライブ後の雑談中、二人に思わぬ指摘を受けて驚いた。

 

「みっちゃんてさぁ、歩くのとか喋るのとか、動き一般がなんかチャキチャキしてて速いよね。」

「僕もそう思います。人の1.5倍くらい速い感じ、、。」

へっ? そうなの? 

この二人が言うんだからまず間違いなく正直な感想だろうけど....

全く自覚が無かったが、そう言われてみれば今まで不思議に思った事がいくつかある。

 

新潟で、バスや電車に乗ったり普通に歩いてたりすると、周りの高校生たちがめたらやったら動作がゆっくりで軽くショックを受けていた。新潟の若者はいったいどうしたんだ?!

でもきっと、田舎で東京よりは若干のんびりしているだけで、私が1.5倍なもんだから凄い速度差になった訳で、彼らからすれば、すげースピードで歩くおばさんだなぁ、という事だったかもしれない()

昔、ヤマハでレッスンしていて「先生の説明は機関銃みたい。」と言われた事がある。その時はレッスンの進め方が速いのだと思っていたが、進め方も話すスピードもきっとメチャ速かったのだ。

父が元気な頃、一緒に台所で炊事をしていて、何度も「ゆっくりやれ、焦らなくていいよ。」と言われた。私はちっとも急いでいないのになんでかいな?と思ったものだ。

 

どうもこれは早急に改善すべき問題みたいだ。このままでは男性にも怖がられる()

 

私が秘かに決意を固めている間にもツッチーのお喋りは劇画チックにどんどんエスカレートしていき、「みっちゃん、隣りの駅まで3秒で走っちゃうでしょ。草刈りとかガ~っワ~って一瞬で全部むしっちゃってさぁ、、。」

あのねぇ、私、エイトマンとか鉄人28号じゃないし....。

年がばれちゃうヒーローが次々と思い浮かんだ。

最後に彼らのトドメの一言。

「サザエさんとか、似てない?」

「そんな感じですかねぇ、、。」

 

もう、まったく乙女心の分からない連中だ

でも彼らの音楽を聞いちゃうと、ま、サザエさんでもいいかって思えてしまうんだけど....()

 

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2013年

5月

20日

アイドル

毎朝、母と差し向かいで朝ごはんを食べる。

私の顔よりテレビが面白いらしく、朝のNHKニュースを見ながら「わっ、」だの「あっ、」だの「へ~、」だの反応に忙しい。結果、朝ごはんに一時間以上かかる。

母に薬を飲ませないといけないから私もその間付き合って、NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』までしっかり見る()

このドラマ、80’年代アイドルが昔の映像でバンバン出てくる。

オマケに、当時のトップアイドル・小泉今日子が主人公の母親役で出演していて、彼女の不敵な面構えを見ながら、やっぱさすがだな~、なんてちょっと懐かしい気持ちになる。

 

80年代後半から90年代というと、私はアイドルの全国ツアーでバックバンドの仕事をしていた。

移動の新幹線で、ミュージシャンたちがビールなんぞ飲んで良い気持ちになっている間も、彼女たちは翌日収録のTVやら雑誌やらの打ち合わせや台詞覚えでめちゃ忙しい。

私が思うに、アイドルってのは可愛いだけじゃない、体力・精神力・賢さ・器用さ・愛嬌、、それら全てがなくては仕事をこなせない。その上、勇敢じゃないと駄目だ。

 

ツアー中、親衛隊らしき集団がどの会場にもいて、しかも同じメンバーがずっといたりする。彼らの全開パワーはもの凄いエネルギーだ。空港や駅で、我を忘れて突進してくるファンも少なからずいる。

彼女たちを守るボディガードの役目も果たすスタッフたちに囲まれて、にこやかに手を振るなんてのは二十歳そこそこでなんと肝のすわった事か!

 

ツアーのリハーサル中、あるスタッフが冗談ぽく言った。

「なんかキョンキョンて、一人で普通に地下鉄とか乗っちゃうらしいですよ。」

「まっさか~!またまたぁ、、」

みんな笑って本気にしなかったけど、もし本当だったとしたら当時のキョンキョンの勇敢さは半端じゃない。

 

現在でも芸能界の第一線で仕事を続ける彼女たちを、"したたかな"なんて、ちょっぴり毒のある言い方をする向きもあるのだろうが、私は彼女たちの賢さと心の強さを尊敬する。

あの不敵な面構えはなんとも魅力的だと思う。

 

今年2月に東京から新潟に引っ越したのだが、引っ越しのサカイの若者が部屋の隅にあった大きなポスター入れの筒をみつけて、気のせいかもしれないけどニヤッとこちらを見た。昔、ツアー最終日に菊池桃子さんが、メンバーそれぞれに一言添えてくれたものだ。

サカイの若者には、年甲斐もない”桃ちゃん追っかけファン”と思わせておくことにした()

 

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2013年

5月

14日

何もしない人

大学を卒業してからずっと音楽に携わってきた。好きな事だけを選択してきた。

独身でいても周りにあまりうるさく言う人がいなかったし、友人たちも独身が多かった。

こんな私でも奥さんにしてやると思ってくれた人が何人かいたけれど、私にとって結婚は人生が終わるという事だった。

私の歩く道は自分が選ぶ、目的地も道順も歩くスピードもバスに乗るか電車に乗るかも全て。

結婚はそういう人生が終わる事だと思っていた。

 

母は、家の中に居る事が嫌いな人でしょっちゅう用事で外に出掛けていた。

私の小さい頃の思い出で一番泣けるのは()、ある春の日の夕べの記憶。

日が暮れてきて、家の中に一人でいるのが心細くなった私は分厚い少女漫画雑誌を抱えて家の外に出た。近くの街灯の下にしゃがんで、楳図かずおのホラー漫画を読みながら母の帰って来るのを待っていると、だんだんと夜の闇が押し寄せてきて、漫画が怖いのとお腹が空いたのとで子供ながらに孤独を感じて涙が出そうになった。

普通の家のお母さんみたいに、学校から帰ったら必ず家に居て、「お帰り!」と笑顔で迎えてくれる人がママだったら良かったのに...

 

という訳で私にとって結婚は、夫や子供をそんな"笑顔で迎える人"になる事だった。

人生に野心を持たず、家族には「お母さんは暇で良いねぇ。」なんて皮肉を言われても、「何言ってんの。忙しくて忙しくてお母さんは大変なんだよ!」なんて笑って言える人になる事だった。

 

昔の日本の家にはおじいちゃんやおばあちゃんがいて、"特別な事は何もしない暇な人"という存在があった。

小さい頃の気持ちを思い出すと、そんな存在が欲しかったのかもしれない。そこまで暇な大人はめったにいないと思うが、少なくとも自分の前では”ゆっくりお茶を飲んでいる人”でいて欲しい、、。

 

結婚についてはもっと複雑な気持ちが絡むが、少なくとも自分の野心は諦めなくてはいけないのだと思っていた。

まぁそんな風に思い詰めた結果、結婚は夢を追う人生が終わる事、私の人生が終わる事になってしまった訳だ。

 

今、私が父の病院や日々の買い物などで忙しく用事を済ませて家に帰ってくると、母が「やぁ、おかえり。」なんてチャーミングな笑顔で迎えてくれる。( 眠っている時の方が多いけれど....)

今の母は"何もしない人"だけれど、私は母の笑顔を見るのが本当に嬉しい。こんな形だけど、小さな頃の望みがかなった訳だ。

人生を諦めなくても野心があっても、そんなに難しく考えなくても結婚はできたんだなぁ、と今では思える。

後悔ではなく、ちょっと肩の力が抜けてきたのが我ながら嬉しくて、こういうのが年をとるって事かなぁ、なんて妙に納得したりする。

 

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2013年

5月

05日

潔癖性

洗濯物をたたみながら、タオルからほつれ出た細い糸を一本一本、ハサミでチョキチョキ切る。使い古したバスタオルなんかだともう半端じゃないくらいほつれまくってるから、自分でも呆れるくらい一心不乱に糸くずと格闘する。

やっぱ潔癖性かな、、。

女友だち何人かに言われた言葉が頭をよぎる。

 

仕事の締め切りに間に合わなくて数日お風呂に入れなくても全く平気だし、歯磨きセットを常時持ち歩くなんて事もしない。少々部屋が埃っぽくてもあまり気にならない。

どこが潔癖性なんだ? と不思議だったが、思い当たると言えば、物事が秩序正しく収まっているのが好きだ。かなりのエネルギーを費やしてその状態にする。

物があるべき場所にあると必要な時にすぐ取り出せるし便利だ。そして美しい。

 

母の小物入れの引き出しなんかを開けると、石鹸と扇子、櫛と割り箸、口紅とけん玉、香水と湯飲み茶碗、、、あり得ない組み合わせで雑多な物が詰め込まれている。気が狂いそうになる()

系統だって整理していくと、スッキリ綺麗になるし余分なスペースもできる。

 

東京で一人暮らしをしていた頃、終電を逃した友人がうちに泊まる事になった。

部屋の中をざっと見渡した彼女が、まじっと私の顔を見ながら言った。「みっちゃん、ほんとは彼氏いるんでしょ?」

え、えぇっ?!なんでそうなるの?!

めちゃめちゃ焦ったけどとりあえず女の見栄で、「またぁ、◯◯ちゃんてば~....。」なんて含みを持たせておいた()

一人暮らしの女の部屋が不意の来客に慌てない程度に片付いていると、『彼氏がいる』という事になるらしい。

勉強になるなぁ、、て言うか、部屋が片付いているのは物があるべき所にあるからだけで、第三者は関係ない。私の性分の問題だ。

 

タオルのほつれ糸をチョキチョキ切りながらタオルの本来あるべき姿とは、、なんて考えている訳ではないが、ヨレヨレのタオルがシャッキリするのは何だか嬉しい。

やっぱり、はたから見たら潔癖性以外何ものでもないか、と思う()

 

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2013年

4月

27日

MIDI

少し前の話しになるが。

 

今年2月9日、アメリカ音楽界において音楽産業への貢献を讃えるグラミー技術賞というのが、日本人個人としては初めて、音楽機器メーカー・ローランドの創業者、梯郁太郎さんに贈られた。

1983年、キーボードなどの電子楽器とコンピュータ、あるいは電子楽器同士で演奏情報や音色などのデジタル・データをやりとりする世界標準企画「MIDI」が発表された。梯氏はその制定に尽力したのだ。

 

シンセサイザーやアレンジの仕事をしていた何十年(!)も昔、音楽業界で最先端の仕事をしている人達を間近で見ていた。

シンセサイザーの音作りがアナログからデジタルに移行し、サンプラーが安価になってキーボード奏者のテリトリーが激増し、ProToolsの出現でアレンジャーの仕事が一変し....。めまぐるしく変化する現場で、いち早く情報を得て素早く対応していく時代に鋭い人達。

残念ながら私にはそこまでの適応能力は無かったけれど、彼らの側にいることで、音楽が創られる環境の変化をまざまざと目撃し、その変化の波を身を以て感じた。

 

その全てが、MIDIという全く新しい企画によって始まった。

企画が発表される直前、業界でも名の知れたキーボーディストの友人が「凄い、凄い!」と興奮しながら話してくれたあの時の状景が今でも忘れられない。何だかもの凄い時代になるのだ、、そんな”わくわく感”と”良く分かんない感”がごちゃまぜになって、一緒になって興奮した。

 

MIDIのお蔭でキーボーディスト、アレンジャーの出来る事が加速度的に増えていき、要求されるレベルも上がり、機材が多様化しラックもどんどん積み重なり、音楽をやっているのか機材の勉強をしているのかよく分からない状態になった。

作業を分担するとか専門に機材を扱う人とチームを組むとか、やり方を考えないと生き残っていけないなぁ、なんて考えていた時にJazzに出会った。

最初は、鍵盤を思い切り弾きたい、とか、Jazzを勉強する事で仕事の幅が広がればいいな、とかぐらいの気持ちだったのに、いつのまにか真剣にやりたいと思うようになった。

そして今に至る....(笑)。

 

MIDIの世界で仕事をしていたあの当時の事を思い出すと、例えて言えば、大海で群れをなして泳ぎ回るsoundという魚たちを網で陸揚げし、綺麗に加工して酢でしめたりオリーブオイルをまぶしたりして多くの人に食べてもらう工夫をしていた。

今、小さなお店でJazzを演奏しながら感じるのは、頭をぶつけたり群れから飛び出たりして仲間に迷惑をかけながら、まがりなりにもsoundという魚たちと一緒に泳いでいるという事だ。いつか大海で、大きな群れやイルカや鯨にも出会いたいなぁ、、なんて夢も時々見たりする。

 

今では当たり前になったMIDI。

オーディオデータも普通に使えるようになって、そうした知識は一般常識に近いレベルまで浸透した。

音の海の中で不器用にも楽しく泳ぎ回りながら、遠くの対岸で忙しく行き交う光の波の世界を眺めてみる。

懐かしくもちょっと眩し過ぎるその世界を離れて、脇目もふらずこんなに遠くまで泳いできたんだなぁと思う。

そして、もっともっと先に広がる大海原の方に目をやるとわくわくするような別世界があって、そこで天才たちが丁々発止、熱く渦巻くような音の会話をしている。

その会話の意味をなんとか理解したくて、暇をみつけては辞書ならぬピアノの前で日々悪戦苦闘するのだ(笑)。

 

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2013年

4月

19日

ユートピア( 湯~とぴあ )

荻窪『湯~とぴあ』は簡易宿泊もできるスパランドだ。東京に行った時にはよく利用する。

何種類もあるお風呂に入りたいだけ入って、眠くなったらリラクゼーションルームで各自テレビ付きの寝椅子で寝る。

気軽で経済的だし、特に岩盤浴はめちゃめちゃリラックスする。

深夜の露天風呂、早朝の朝風呂、ジェットバスや気泡風呂、、他にも試してみたいお風呂がいくつもある。

 

この『湯~とぴあ』でなかなか興味深いのは、ロッカールームのだだっ広い空間の中で、服をちゃんと着た人たちと素っ裸の人たちが普通に行き交うという事だ。

!? ここで脱ぐの?  最初はかなり勇気がいる....。

 

お風呂やさんの脱衣場と思えばしごく普通の事なのだが、このロッカールーム、事務所にあるみたいな鍵付きロッカーが大きなフロアーに数百個、整然と並んでいて、到底お風呂やさんの脱衣所とは見えない。

服を脱いじゃった人はお風呂場までかなり距離があるから、生まれてこの方、あり得ない距離を素っ裸で歩く事になる。

そしてその脇をコートまでしっかり着込んだ人たちが普通にすれ違う。

 

何回か気恥ずかしい思いをするうちに、だんだん平気になる。

自分の裸の姿にも慣れてくる。

開放感は格別だ()

 

そんなお気に入りのユートピアだが、今回だけはマジに参った。

女性専用リラクゼーションルームでタオルケットにくるまって静かな眠りにつこうとしたその時、凄いイビキがどこかから聞こえてきた。それも2箇所から。

気にせず早く寝ちゃおうと思いながらうつらうつらしていると、さっきの2箇所がおさまって今度は別の方角からまた低いイビキが....

結局この日はほとんど眠れなかった。いやぁほんと参った。

次回から耳栓は必携だ。

思わぬ所で予期せぬ災厄は起こるものだ、、(涙)。

 

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2013年

4月

12日

体重について

新潟の家では、とにかく三食・おやつ付きで毎日定時に食べる。

一人暮らしをしていた時は、朝と昼が一緒だったりなんだかんだで食事をとるのを忘れたりしていたから、からだ的には劇的な変化だ。

最初は、朝も昼も無理やり母に付き合って食べていたのだが、今ではちゃんとお腹がすくし、夜、お酒を飲み過ぎてご飯が食べられないなんて事もなくなった。

食事の量は1.5~2倍くらい、めちゃ増えたと思うのに、体重計にのってみたら3㎏も減っていた。

ほう?と思って原因を考えてみた。

 

環境の変化に依るストレスと不安。

これは絶対にあると思う。

でもこの場合、食欲が無くなったり睡眠不足が続いて痩せちゃう訳で、父が倒れた1週間くらいは絶不調だったが、今ではだいたいが前向きに考えられるようになった、、というか、くよくよ考える暇も余裕も無いくらい全てが怒濤のように押し進む中、夜はバタッで、朝は7時には母と元気に朝ご飯だ。

どうも体重が減ったのは精神的なものではない。

胃腸は昔から丈夫だから病気でもないとすると、やはり運動量だな、と思う。

 

引っ越しもなかなかハードだったけれど、新潟に住んでみると、毎日毎日とにかく歩く!

田舎の交通網はかなり悲惨だ。車を持たない人は市民じゃないって事?と一度、市長さんにお伺いしたいぐらい、車が無いともの凄く大変な情況に陥る(笑)。

これについては、書き始めると止まらなくなりそうなのでまたの機会にして....。

 

父の病院に毎日通うのだが、片道20分以上歩く。いつ来るかわからない1時間に1~2本のバスなんて、誰も何も期待していない。

待つより歩く。iPhone片手に音楽を聴きながら歩く。

そして、家の中でもたくさん歩く。

10帖ワンルームに住むのと2階建て一軒家に住むのとでは、日常的に移動距離が全然違う。

あっちの部屋に行きこっちの部屋へ戻り、階段を上り下りし、手を伸ばせば届く距離に欲しいものはほぼない....。

 

食事の量が2倍に増えたとして、運動量が3倍になって体重が減ったんだな、、という結論になった。

痩せるというのは、私にとって昔からかなり憂鬱な事だ。頑張って太らねば、と思っても、食事量を3倍に増やすというのはほぼ無理だし、おやつを増やすかなぁ....。

 

それにしても、恐ろしいほど激不味そうなダイエット食品( 米こんにゃく!おからクッキー!etc. )や、前に進まない自転車とか座ったままフラダンスとか、ストレスたまりそうな方法で痩せようとしてしている人たちがいるけれど、歩くのが一番、効率的で健康的で経済的だと思うんだけど....。

 

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2013年

4月

07日

東京にて

3/23、三鷹ソニド・セッションの後、井の頭公園へ花見に行った。

満開の桜も見事だったけど、久しぶりに東京の音楽仲間たちに会えて本当に嬉しかった。

花粉症は辛い....。

 

まだまだ気持ちは東京で、新潟での生活は借りの住まいのような感覚だ。

東京のミュージシャン仲間はみんな、「新潟に呼んでよ!」とお気楽に言うけれど、"新潟で音楽をやる"という事、私のなかでまだまだ受け止めきれていない....。

 

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2013年

3月

27日

ポテトサラダ

新潟に越してきて一ヶ月が経った。

 

「もう落ち着いた?」と友人たちが聞くけれど、今回はただの引っ越しじゃなく父の入院と母の介護があり、毎日がかなりの心配とストレスを伴うドタバタの連続だ。一体いつ落ち着くのやら分からない。

とりあえず、「もう考える事多過ぎで大変~ 」と正直に叫んでいる。

 

何が大変といって、父は病院にいるから手厚い看護を受けているけれど、ずっと父がやってきた母の介護をこれからは私がやる事になる。

母は軽い認知症で、会話や普段の生活はあまり問題ないのだが料理などの家事全般はまったく無理だ。

生まれてからずっと、料理ってのは気が向いた時にやるもんだと思ってきたのに、朝昼晩三食、母の為に食事の仕度をしなきゃならなくなった。

酒のつまみを作るのとはわけが違うから、父の書きためたレシピと格闘しつつ、今のところ母からダメ出しは二回で済んでいる。

 

とりわけ手が掛かるのが毎朝食べるポテトサラダで、台所には父の書いた材料の分量表が貼ってある。

○食分、あるいは○日分、じゃがいも○g、キャベツ○g、きゅうり○g、、、数字が370とか120とか、割と細かく書き込まれている。

野菜をたくさん入れるのでそれぞれ下ごしらえをして、ドレッシングもマヨネーズの他にいろいろ混ぜる。

最初に作ってみた時は、”マヨネーズだけでいいよ~、野菜もこんなにいっぱい入れなくてもさ~....”、と思った。

でも食卓に並ぶや真っ先にポテトサラダに箸を付けて、「美味しい、美味しい。」と食べる母の姿を見て、やっぱちょっと手間でも頑張って作ろう!と思い直した。

父もきっと、この母の「美味しい、美味しい。」が嬉しかったに違いない。

 

父から引き継いで家の事をいろいろやってみると、母への父の思い遣りをひしひしと感じる。

元気な頃、父と毎日電話で話したのはほとんどが母の話題で、だいたいが文句や愚痴なのだがいつも最後に、「ほんとママはしょ~がないねぇ。」「本当になぁ。」と2人で笑い合うのが常だった。

 

母はなんとなく、"とてつもなく運の良い人"というイメージがずっとあって、それは父も認めていた。

でも、宝くじや株で大当たりしたとか、九死に一生を得たとかそんな話は一つもなく、只の雰囲気とか印象なのかなぁ、、と不思議な感じがしていた。

最近ひらめいたのだが、もしかして母の最大の幸運は父と結婚した事かもしれない。そして、父のDNAを強力に引き継いだ娘がいた事かもしれない()

 

今までさんざんわがまま三昧、親不孝してきて今更なのだが、父が大切に思ってきたものを今度は私が守る番になったのだと思う。

病院で父の寝顔を見ながら、感謝というよりは申し訳ないような、優しくて切ない気持ちになる。

 

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2013年

2月

17日

お久しぶりです!

今、引っ越し準備の真っ最中です。

 

父の病気の事、母の介護の事、実家のインターネットやピアノ練習環境の事、毎日の家事、東京で音楽を続ける事、その他いろいろ....、全部を同時進行で考えないといけないので、頭がほとんどガソリン切れに近い状態です(笑)。

そんな時でも、ピアノを弾く時間が少しでもあると心が落ち着いてきます。

音楽があって本当に良かった!

もう少し落ち着いたら、またブログで、頭の中にたまってきたいろいろな事を書きたいです。

ライブのスケジュールは更新するので、時々のぞいてみて下さい。

 

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2013年

1月

23日

お知らせです。

突然ですが....。

 

新潟の父が入院する事になり、急遽、住まいを新潟に移すことにしました。

今までもずっと、月に2回ほど実家に帰る生活を続けていましたが、これからは本拠地を新潟にして、両親を見守りながら音楽を続けていこうと思っています。

 

東京では、第2、第4土曜日の三鷹ソニド・セッション、第2日曜日の東小金井ナッシュのボーカル・ワークショップと月曜日ライブを継続して、その近辺で日程が合うライブをやっていく予定です。

「新潟から通うのは大変じゃない?」と気遣ってくれる人もいて不安がない訳ではありませんが、ソニドとナッシュは私の居場所、心の拠り所みたいな大切なお店です。

ママやマスター、私のピアノを応援してくれる仲間や尊敬するミュージシャンたちとの繋がりは、私にとって音楽をやっていく支えでもあります。

月に2回、東京でのライブ活動を続けていけるように、そして音楽をやれる幸せをいつも忘れないように、気持ちをしっかり持っていこうと思います!

 

とりあえずは、2/13の沼袋オルガンJazz倶楽部のライブ。

新潟への引っ越しでドタバタのまっ最中ですが、本当に久しぶりにドラムの高橋徹さんが参加してくれます。

城谷雄策さん(Tp)、小杉敏さん(B)と長い間やってきたトリオ。ドラムが入ってどんな音楽になるか、今から楽しみです。

 

そして、このブログも私の大切な居場所です。

ちょっとだけお休みしますが、生活が落ち着いたらまたいっぱい(笑)書きたいと思っています。

 

ブログを読んでくださっている皆様も、どうぞ風邪などひかないようお体にはお気をつけ下さい。

それでは近いうちにまた!!

 

田崎美知子

 

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2013年

1月

11日

明けましておめでとうございます!

今さっき、新潟から帰ってきた。今回はだいぶ長い帰省になって、あっと言う間の2週間だった。

ブログの更新も久しぶり....。

 

昨年暮れのある忘年会で、2013年に向けて漢字一文字をそれぞれ書く、というのをやった。

『進』や『攻』、『愛』や『安』....。みんな世の中や自分自身に対する願いや抱負を書いた。

私が書いたのは、『和』だ。

咄嗟に書いたのだが、後から思い返してみて「なかなか良いんじゃない?」と思えたので、今年はこれでいく事にした(笑)。

 

『和』は「和を以て尊しとなす」の『和』。

自分の考えに固執しないで、肩の力を少し抜いてみようかな、、と思う。

本当に大切と思えることはそんなにたくさん無い筈で、その大切な事が何なのかをはっきり見定めたら、他の事は和やかにゆっくり大きく考えていけば良いのだと思う。

こう書くと簡単そうなんだけど、一番難しいのは、”何が本当に大切か”だ。

 

先日「The Great Debaters」という映画を見た。

デンゼル・ワシントン監督、主演で、1930年代、まだアメリカで人種差別の激しかった時代の実話に基づいた物語だ。

バス停のベンチにまで『白人専用』と普通に書かれているシーンは、差別があまりに日常的で身近で自然であったのだと思い知らされる。

テキサスの黒人だけの大学のディベート・チームが、大学対抗戦で次々と他の黒人大学を打ち破り、ついには白人大学、それも全米No.1ハーバード大学から招待を受け、黒人大学として歴史的な対戦をする。

「ディベートは激しいスポーツ、戦争だ。ただし武器は言葉だけ。」

デンゼル・ワシントン演じる、このディベート・チームを育てた教授メルビン・トルソンが言うのだが、日本人の私には今イチこのディベートというのは馴染みがない。

討論を競技の形で行い、審判もいてルールや戦法もちゃんとある。古代ギリシャにすでに原型があり、欧米では古くから著名大学で各種大会が行われていたそうだ。

 

この映画で一番感動するのは、ハーバード大学記念ホールに集まったたくさんの人たちの心が、学生論者の発する力強い言葉の力で、人種や世代やそれぞれの主義・考えを超えて一つになった時だ。みんなが、その言葉を真実だと認めた瞬間、競技の勝敗は決する。

これって、「和を以て尊しとなす」という事じゃないだろうか....、と思った。

 

和するとは、ただみんなで仲良く喧嘩せず、という事ではなく、真実の為に正義の為に何かに対して誠実である為にみなが一つになる、という事ではないか。一つになる為にそれぞれが知恵の及ぶ限り言葉で闘い、その先に『和』がある。

そう考えると、「和を以て尊しとなす」と聖徳太子が書いたのは、それぞれの信念を超えた本当に大切な真実の前に、全員で職を奉じなさい、という意味だったのかもしれない。

その真実を見つける為に、みんなで知恵をしぼりなさい、と。

 

とまぁ、映画を見て、そして新年を迎えるにあたってかなり勇ましい事を考えた訳だが、やっぱり、”何が本当に大切か”はそう簡単に分からない。

まずは、今年の目標『和』に向けて、みんなと仲良くして、たくさん本音で話し合って、いろんな意見や考えを聞いてみよう、と思う。

「田崎さんて怖そう.....。」って言われないように、優しくソフトに女らしく....。

 

「無理~!」って叫ぶソニド・ママの声が何処かから聞こえてきそうだ(笑)。

 

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2013年

12月

31日

良いお年を!

慌ただしく一年が終わった。

 

漠然と怖れ、敢えて考えないようにしてきた出来事が恐ろしいほどのスピードで次から次へ現実となり、悲しみにくれるとかこれからの生活を熟慮するとか、そんなゆったりした気持ちや冷静さを持つ余裕もないまま、まるで夢の中にいるように毎日が過ぎていった。

今まで東京で送ってきた自分の人生と、父母が新潟で生きた何十年もの生活とを繋ぎ合わせる作業は、新潟の生活に慣れるとか生活のペースが落ち着くとかそういう類の事とは全く違って、まだ私の中ではしっくりと完了していない。

東京の音楽仲間たちから「みっちゃん、新潟でJazzの仕事作って呼んでよ!」と無邪気に言われると、胸の奥で重い塊のような悲しみがゆっくり沈んでいく感じがする。

このまま新潟で暮らしていくうちに、何の違和感も感じなくなるのだろうか?

 

来年は、新しい二つのトリオとずっと続けてきたカルテットを中心に頑張ります!

トオイダイスケさん(e.b)・山田玲さん(ds)とのピアノトリオ。

土屋秀樹さん(gt)・落合康介さん(w.b)とのトリオ。

それから城谷雄策さん(tp)・小杉敏さん(w.b)・高橋徹さん(ds)とのカルテット。

 

Sonidoの土曜日セッションやJ.J.Nashのボーカル・ワークショップも、毎回楽しくやっています。

ゆっくり・のんびりですが、じっくり・しっかり進んでいきたいです。

 

来年もどうぞ宜しくお願いします!

 

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2013年

12月

20日

クリスマス

記念日というのが何故か苦手だ。

だいたい過去に何があったとしても、日にちまで覚えておかなくてもいいんじゃないかと思う。

大化の改新は645年、鎌倉幕府は1192年、日露戦争は1904年って事で....。

ただ、原爆投下と終戦の日、東日本大震災の日は日本人として絶対忘れちゃいけない!とは思う。あ、あと赤穂浪士討ち入りの日。

 

記念日とは少し違うが、誕生日というのもなかなか厄介だ。

人の誕生日ははなから覚える気がないので、自分の誕生日を誰かが覚えていてくれると逆にもの凄く驚く。

思うに、数字をメモリーする気力と能力が著しく劣っているのだ。

音楽に携わっていて良かった....。音階は12音しかないから()

 

そんな記念日恐怖症の私でもクリスマスだけは別物だ。小さい頃から思い出があり過ぎる。

 

サンタさんのプレゼントが、熱烈にお願いしておいた物と違ってマジがっかりした事。

父が毎年買ってくる大きな鳥の唐揚げがカレー味で、ちっともクリスマス気分になれなかった事。

近くにあった日曜教会がクリスマス・イブにやる劇で、三賢人の一人の役を貰ったのだが全くの勉強不足で、何がどうなってどうしてそうなるのかさっぱり分からなくて面白くもなんともなかった事。

生まれて初めて男子と雪降る街をデートした事、そしてその彼はもうこの世にいない事。

クリスマス直前に失恋して、イブはカーペンターズを聴きながら大泣きした事。

仲良しの女友達とちょっと高級なレストランでディナーを食べながら、お店の客で女同士は完全に私たちだけで、キャンドルライトに浮かび上がるカップル達の笑顔に超ムカついた事。

クリスマス・ディナーショーの仕事の帰り、終電を逃して大雪の銀座で凍えそうになりながら一時間も長蛇の列でタクシー待ちをした事。

 

、、なんか苦労してるなぁ、私....

 

まぁ最近は、クリスマス関連曲の譜面をそろそろ引っ張りだすかな、と思うくらいで、精神的には至って平穏無事にやり過ごしている。

それにしてもクリスマスの曲は素敵な曲が多い。

暖かくて愛にあふれていて、自然と笑顔になる。

こんな曲が作れるのはきっと、作曲者たちが子供の頃からクリスマスの魔法のような空気を胸の奥深くに吸い込んでいるからだ。

親から子へ、何世代にもわたって受け継がれてきた魔法の空気がたくさんの名曲を生んできた。

ただ、スーパーで長ネギと大根を買いながら『ジングルベル』を聞くと、多少いらっとする時もある()

新聞の投書欄で、この時期に氾濫するクリスマス音楽を聞きたくないので買い物は宅配サービスにする、という人がいた。

ちょっと分かる気がした、、。

 

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2013年

12月

09日

電話

携帯をスマホに換えてから、外出先でもiTuneやyou tube、産経ニュースやブログが見れる。

便利だなぁと感心するが、電話で話すのだけは相変わらず苦手だ。

着信音が鳴ると、まずびっくりする。いきなり自分のすぐそばで鳴るから本当にびっくりする。

マナーモードでもブ~ンブ~ン鳴るし、何なんだ、いきなり!....と、ちょっとむっとする。

そして、出るか出ないか”何故か”迷う。相手がいやだからというのでなく、ただ何となく電話に出たくないからどうしようかなぁ....と迷う。

その後、仲の良い友だちからだと確認してようやく少し安心する。

画面を見つめながら、どうやって電話に出るんだっけか....?

スマホに換えてすぐの頃は、電話が掛かってくる度にかなり慌てた。

間違えて切っちゃったり、間違えて掛けちゃったり....。電話嫌いにかなり拍車がかかった(笑)。

 

だいたい、いつから電話が苦手になったんだろう?

ずっと仕事がフリーランスだったから、電話で仕事を受けてスケジュールを自分で調整した。

スタジオからの緊急呼び出しも、「早くデータ送れ~!」なんて切羽詰まった催促も、あまり気乗りのしないデモ作製やどう考えても絶対無理!な急な仕事依頼も、みんな電話で来た。

仕事は大好きだったけれどまた寝れなくなっちゃうかも、、なんて不安が一瞬わいてきて、だから電話が鳴ると条件反射で心臓がドキドキするようになったのかもしれない。

 

今ではだいたいがメールだし、緊急の依頼もほとんどない。

電話が鳴ってドキドキする事なんてずっと無かったのに、今年1月、父が倒れて入院すると、病院から頻繁に電話が来るようになった。その度に、以前とは比べ物にならないくらい心臓がバクバクした。

電話が本当に嫌いになった。

 

父が亡くなってからは、携帯電話は外出する時は仕方がないけれど、家にいる間は何となく遠くに置くようになった。二階とか玄関ホールとか、、。まったく携帯電話じゃない....(笑)。

小学生まで携帯を持っている時代に電話が苦手なんて、ほんと国際稀少種なんだろうなぁ。

最近はスマホでテレビ電話までできるらしいし、、恐ろしい時代になったものだ.....。

 

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2013年

11月

29日

とうとう.....。

猛暑の夏がようやく終わり、やれやれやっと秋だと思って一息ついていたらあっという間に朝晩凍えるような寒さに襲われ、東京の友人たちからは「新潟ってもう雪が降るんじゃないの~?」なんてからかわれて、冗談じゃない!11月でいくらなんでも雪なんか降るか....と内心思っていたのに、、。

 

ホントに降った....O_O

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2013年

11月

27日

懐かしい匂い

東京に滞在中、モスバーガーに入って熱い生姜入りスープを飲んでいたら、店内にビートルズのホワイト・アルバムが流れ始めた。

口の中は強烈な生姜の香りでいっぱいなのに、体の中の何処か別の場所で、なんともいえない独特で懐かしい匂いがした。

ん、なんだ、この匂いは?

そ~だ....、町のレコード屋さんでアルバムを買ってきて、ワクワクしながら白い薄セロファンの袋からレコード盤を取り出した時の、化学実験室みたいなあの匂いだ!

ホワイトアルバムは、ビートルズのアルバムの中でも一番のお気に入りで、部屋に籠って「I am the walrus~!」なんて叫んでいた頃の記憶がぱぁっと蘇った。

あの頃は毎日ビートルズのアルバムを聴いていて、その後はディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ELP、YES、、と順当にハードロック、プログレッシブロックへの道を進み()、ステレオの音量もどんどんガンガンギャンギャン上がっていった。でも親から怒られた事は一度もなかったなぁ....。

ただ、当時は郊外に引越したばかりで、近所の人たちはみんな「田崎さんちの息子さん」と思っていたらしい。ロックなんて聞くのは、髪の毛を伸ばした変わり者の男子だけだという偏見が田舎にはあった訳で、、()

 

懐かしい記憶に浸りながら、それにしても面白い思い出し方をしたなぁと思った。

音楽をきっかけに、あの独特な匂いがどういうのかふっと香ったような気がして、次々とレコードにまつわる思い出が表に出てきた。

そう考えると、記憶というのは様々な感覚の複合体であるのだろうが、その一つひとつはかなり独立していて、アクセスの具合でかなり面白い事が起こるんじゃないだろうか?

例えば、海に沈む夕陽を見ていたらイカ焼きの味が口の中に広がるとか、、。

そして、なんでかいな?と不思議に思うと、昔小さい頃に、父と海辺の砂浜に並んで座って、イカ焼きを食べながら日本海に沈む夕陽を見た事を思い出すのだ。

 

まぁ期待し過ぎちゃうとサプライズは起きないから、気長に次の機会を待つかな、記憶の連鎖反応は思わぬ時に起きるかも、、。

 

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2013年

11月

17日

頑張れ、日本

以前からなんだかなぁ....と思っていた。

最近は怒りを通り越して、もういい加減にしてほしいなぁ....と呆れていた。

韓国。

 

ようやく日本も、竹島や慰安婦問題について海外に向けて発信し始めた。

外務省や民間有識者が、英語で日本の立場を説明する動画をYouTube等に上げている。

情報戦だ!

 

そもそも歴史を作り変えるなんて、何百年も前のことならいざ知らず、まだ目撃者、経験者が生きているのに可能なんだろうか。

だいたい”歴史学者”っていったい何してるのかなぁ....。何を研究してるんだろう??

(『日本人の誇り』を書いた藤原正彦さんは数学者だ。)

史料を客観的に検証して歴史的事実を探るってのが歴史学なんじゃないだろうか。

こんなにもいろいろな”歴史”があるって不思議な事だ、、。

 

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2013年

10月

31日

東京

今年2月、父の看護と母の介護の為に急遽、新潟に帰る事にした。

長年暮らしてきた大好きな東京を全く離れてしまうのは辛かったので、新潟から定期的に通おうと決めて、一番悩んだのが宿泊をどうしようかという事だった。

経費は安いに越したことはないけれど、安心・安全・快適を考えるとあまりな安宿は避けた方がいい、、。

そんな気持ちを察していろいろな方々が助けてくれた。

最近定宿になっているのは、三鷹ソニドのママが御厚意で予約してくれる高層マンションのゲストルームだ。

ホテルに比べて格安だがマンション関係者しか利用できない。

3〜4人用の豪華な部屋にたった一人でいると、最初の頃はどうも落ち着かなくて隅の方でこじんまり寝ていた(笑)。

ゲストルームは20階にあるので、ベランダからの眺めは絶景だ。

人間、高い所から下界を見下ろすと、普段思いもしない事をいろいろ考えるらしい。

東京は、猫のような街だと思う。

昼寝ばかりしているそこらの猫たちよりずっと活動的だが、のんびり優雅に目を閉じている間も外界をちゃんと警戒している、頭を撫でようと近寄るとするりと逃げてしまう、好きだよ~と愛を打ち明けてもふ~ん?! なんてそっぽを向く....上手く説明できないけれど、何となく猫と東京の街の空気は似ている気がする。

スタイリッシュで薄情で、個人主義で気まぐれで、こちらに全く無関心かと思いきやしっかり観察していたりして、稀に甘えたり照れたりする......そんな都会人の一般的なイメージに、当てはまる人もいれば全く逆な人もいる。

でも東京という都市を思う時、私は何故か猫みたいだと感じる。

 

私は母の猫好きのおかげで、小さい頃から沢山の猫たちと一緒に育った。

猫が好きというより、憎たらしいと思う時の方が多かったけれど、今思えば、本当にたくさんの事を彼らを通して感じたし学んだと思う。

同じような感覚が東京にある。

 

東京で本当にたくさんの経験をした。

楽しかった事もいっぱいあるが、辛かったり悲しかった事の方が心に残っていて思い出すと胸がキリキリと痛む。そして同時に、心地良く酔った時のような爽快感もどうしてだかある。

きっとそれは、苦しい事にぶち当たったから成長できたという自覚があるから。そんな感謝にも似た気持ちがあるから。

だから、東京は私にとって"うちの猫たち"と同じような存在なのだ。心を育ててもらった、強くしてもらった。

 

猫たちは今はもういないけれど、東京は今、私の目の前に広がっている。

夜景を眺めながら、やっぱり離れたくなかったなぁと思う。

人間、高い所から下界を見下ろすと、普段思いもしない本音が出るらしい(笑)。

 

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2013年

10月

19日

虫の声

新潟に帰ってきてから、毎晩10時が就寝時間だ。

東京にいた時は、夜10時なんてだいたい”元気いっぱい〜さぁこれから!”の時間帯だったから、わずか数ヶ月でよく適応できたものだ。

 

母と二人、寝室で横になって目を閉じると、しんと静まり返った夜の闇の向こうから秋の虫たちの声がにぎやかに聞こえてくる。中庭の草むらにいるコオロギや鈴虫たちだ。

「♪あれ、松虫が鳴いている〜」と口ずさむ。

母が「ちんちろちんちろちんちろりん〜♪」と元気よく歌う。

「♪あれ、○●も鳴き出した〜△X▼◎△X▼◎△X▼◎〜」

鈴虫だったかくつわ虫か、コオロギだったかウマオイか、、。

二人でうろ覚えの歌詞を適当につなげて、「♪秋の夜長を鳴き通す ああ、面白い虫の声〜」と〆て寝る。

 

さすがに、毎晩適当に歌っていると本当の歌詞が気になってきて、インターネットで調べてみた。

検索すると『むしきき』という記事の中でちょっと面白い事が書いてあった。

( 虫聞き:虫の鳴き声を賞美するために、夕方、郊外や野山に出向くこと )

 

*******************

日本人には人気の虫の声も、欧米人には騒音以外の何ものでもない....というのはよく聞く話です。

では、『虫の声を愛でる』という文化は日本だけのものかというと....そうでもありません。

西ヨーロッパとは別文化がルーツのギリシアなどの地中海地域・インド・中南米では、虫の鳴く声を楽しむ習慣が今でも盛んであり、中にはその声を聖なる神託としている地域もあるそうです。

 

*******************

ふ〜む、日本人だけじゃないんだ....。

それにしても、美しいもの( 視覚 )、美味しいもの( 味覚 )、香しいもの( 臭覚 )、手触りの良いもの( 触覚 )は、国によって若干の差はあっても基本的にはそれほどの違いは無いと思われるのに、聴覚において、ある国民が良い響きだなぁ、と感じる音が他の国民には雑音にしか聞こえないって何か凄い事じゃないだろうか。それは”若干の差”のレベルじゃない、そして単なる個人差ではなく国民単位の違いなのだ、、。

日本人は”風流”という文化をもっているから特殊なのだ、と思っていたら、他にも虫の声=良い音と感じる国々があると聞いて、人種と文化と感性の関係についての奥深さや不思議さを考えた。人間って面白いなぁ....。

 

その日はそれから、インターネットで見つけた少年少女合唱団の『虫のこえ』をPCから流して、母と一緒に2番まで合唱した(笑)。

 

幾日かして....。

夜、寝室で電気を消したらあまりに静かで??と思った。いつもこんなに静かだっけ?、、そうだ、虫の鳴き声が聞こえない!

はっと思い当たったのは庭の草取りだ。数日前、きれいに雑草を抜いてしまった。

でも公園があるのに、、。

家の庭のすぐ隣りには『ピノキオ公園』という、ゼペット爺さんのピノキオとはまるで縁もゆかりも無い小さな公園があって、可愛いブランコと鉄棒のスペースを囲むように雑草が生い茂っている。

虫たちは、我が家の庭と『ピノキオ公園』で盛大に”♪秋の夜長を鳴き通し”ていたのだ。

しんとした部屋で横になりながら、私が東京に行っている間に町内で公園の清掃会があったのを思い出した。

二つの住処を追われた虫たちは、ちりじりに何処かへ逃げていってしまったのだ!

 

あんなに頑張って草むしりをするんじゃなかった、、一匹でも二匹でも帰ってきてくれないかなぁ。裏庭の玉椿の下とかさぁ....。

もうすぐ長い冬が来るというのに秋の楽しみを一つ失くしてしまった(涙)。

 

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2013年

10月

08日

人生相談

近年、人生相談ブームなのだそうだ。

週刊誌で人生相談コーナーが人気だったり、情報サイトに毎日投稿される悩み相談を楽しみにするウォッチャーというのも存在するそうだ。

インターネットでオンラインの相談コーナーを流し読みしてみると、人生のあらゆる断面がびっくりするほど赤裸々に告白されている(笑)!

 

嫁姑問題、夫婦のいざこざ、ママ友がどうして会社の同僚がこうして近所の子供がああして義妹がそうして、、とまぁよくもこんなに沢山の人たちが大変な目にあっているものだと思う。

でも一番興味深いのは、そうしたプライベートな悩みに対して本当に多くの人たちがアドバイスや慰め、共感や激励、時には間違いを指摘して叱咤・忠告し、相当な労力を使って親身に回答している事だ。

会った事もない人によくここまで....と正直思ってしまう。

 

アメリカ映画なんかをみていると、登場人物が、失恋だ不眠だ家庭不和だ人間不信だ、、普通に誰でも悩んでいそうな事でごく気軽にカウンセリングを受けていて、そういう場面はとてもアメリカ的な印象がある。

日本でカウンセリングに何となく特別な感じがあるのは、まだ効果的な治療法として認知されていないからか、日本人の生活にそれほど必要じゃないからか、。

 

シオシオにうなだれて倒れそうになった時、ただそっと側にいてくれて「大丈夫?」と聞くでも「どうしたの?」と尋ねるでもなく、ただ一緒に散歩したり海に行こうと誘ったり、植物園に連れ出してくれた誰かの柔らかな気持ちに触れた記憶は、人生を振り返ると鮮やかに甦ってくる。

そうした経験は私が特別なのではなく誰にでもあって、私たちの周りには細やかな気遣いが目立たず普通に存在するのだ。

 

どこで読んだか内容も定かではないのだが、日本人のコミュニティには昔から、相談役のオヤジさんだったり世話焼きオバさんだったり、生活の悩みを誰かが親身に聞いてあげる空気みたいなものがあったとか。

日本では多くの一般人が優れた聞き役だったのかもしれない。

欧米人にとって他人の悩み事を聞くというのはかなり特別なケースらしい。だからカウンセリングという学問が発達したのか、、。

 

この説が正しいか正しくないか分からないが、人生相談に投稿された悩みに対するコメントは、まるで自分の事のように真剣で暖かい気持ちを感じるものが多い。たとえ相手を厳しく諭す場合でも、、。

悩んでいる人の話をちゃんと聞こうとする姿勢が基本にある。

カウンセリングとは全く違うだろうけれど、誰かに話を聞いてもらう事で救われる気持ちもあるだろう、道も見つかるかもしれない。

 

先日イズイズに会った時、「たまたま新聞見てたら、人生相談の欄で凄い相談見つけた!」と言って、小さな切り抜きを見せてくれた。

周りのお友達と読んで、「えぇ?!! 」と全員が衝撃を受けたのだが、その内容はかなり反社会的であった(笑)。

でも、イズイズも私も友達も、その相談者の嘆きを考えてちょっと切ない気持ちになった。

私たちのコメントが相談者に届く事はないけれど、その場にいた私たち一人ひとりは決して傍観的な批判者ではなく、親身で真剣な回答者だった。

 

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2013年

10月

01日

4/12@Sonido Yokoちゃんライブ!

三鷹ソニド・セッションの華!vocal のyokoちゃん。

N.Y.に3ヶ月間、音楽留学するという事で、”頑張って勉強してね!身体、気ぃつけてや!めいっぱい楽しんでおいで!”、、その他諸々のみんなの気持ちが込もった壮行会ライブ。

4/12といえば随分前のようだが、送ってきてくれた写真を見たらつい昨日の事のように感じた。

でも、私は(きっとyokoちゃんもN.Y.で)この後の3ヶ月間、言葉にできない想いをたくさんしたのだ....。

みんなの笑顔が本当に輝いて見えた。

 

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2013年

9月

16日

雨女

今日は朝から大変な事になっている。

テレビはどの局のアナウンサーも、「今まで経験した事のない大雨」なので「ただちに生命を守る行動をとるように」と言っている。

 

"今まで経験した事のない"とか"ただちに生命を守る行動"とか言われると、ホラー映画ファンの私は、不届きにも最恐ホラー映画のキャッチコピーに聞こえて妙にワクワクしてしまう、、。
危機感がまったく足りないというかどこかのんびり構えてしまうのは、あまりに日本に災害が多過ぎるせいか、もともと日本人がそれほど慌てない気質なのか、ただ単に私がホラーファンだからなのか、きっと日本政府もみんながこれじゃいかんと思って、震え上がるような危機的状況を表わす言葉を使おうと相談したのかもしれない。


テレビのニュースでは、インタビューされた若い女性が「ほんと、怖かったです!」と、何故か満面の笑顔で可愛らしく答えていた。
災害の怖さは、自分の命が危険にさらされて初めて分かるものなのかもしれない。

さて、今日は私が東京で毎月やっているリーダーライブの日だ。
先月のリーダーライブはそれこそ今日の比じゃない暴風雨で、ツッチーも落合くんも私も文字通り死に物狂い、全身ずぶ濡れでようやくお店にたどり着いた。
どういうのか私のリーダーライブの日は雨が多い。それも台風だったり大雨だったり大雪だったり、、。
ベースの小杉さんから、「こういう時は逆にやる事なくてお客さん来てくれるかもよ。」と慰めのメールを何回もらった事か。
自他ともに認める雨女なわけだが、そういえば、私の尊敬するピアニスト福田重男さんも俺は雨男だとぼやいていた。
かっこいいピアノはあんまり真似できなかったけど、困ったところだけはしっかり受け継いじゃったのかなぁ、、(笑)。

 

夜になって台風も過ぎて、宮之上さん・落合くんと無事に楽しいライブができて本当に幸せだった。

しまった....!また写真を撮るのを忘れた....(涙)。

 

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2013年

9月

12日

シンセな日々

先日、テレビを見ていたらインタビュー番組に大江千里さんが出ていた。

47歳で突然、日本での音楽活動を休止してニューヨークに渡り、4年間Jazzを勉強したそうだ。

大江さんのキャリアとは比ぶべくもないが、私も8年前に突然、「Jazzをやる~!」と叫んで仕事道具のシンセサイザーほとんど全部を売り払った。

それまでは、仲間と毎週セッションするぐらいでちゃんとしたJazzピアノを弾けた訳でもないのに、まぁ今考えれば無謀だったというか、甘かったというか....(笑)。

 

私はいろんな事を同時にやれる器用なタイプではなくて、これ!と思うとそれだけしか目に入らなくなる。

Jazzの前はかなり長い間、シンセサイザーに夢中だった。

 

<YAMAHA CS10>

1977年発売.。モノフォニックのアナログ・シンセサイザー。

YAMAHA新潟センターの録音スタジオの片隅に何台も並んでいて、White Noiseで北風のヒュー音とかピュー音とかビュー音とか(笑)作って遊んでいた。

単音しか出ないから、YMOのコピーバンドをやろうとして和音を出すのに3人(=3台)必要だった(笑)。

  

<KORG Poly6>

記念すべき人生最初に購入したシンセサイザー。もうこの頃はポリフォニックで、音色のプリセットも出来た。

一緒にRolandのデジタル・ディレイも買ってバンドした。

 

<YAMAHA DX7>

FM音源という、それまでのアナログシンセとは全く違う音作りのデジタル・シンセサイザー。1983年に規格が発表されたMIDIがいち早く装備され、デジタル・シークエンサー(QX1)もその後すぐに登場した。

分厚い取扱説明書とMIDIハンドブックとDX7・QX1相手に、ああでもないこうでもないと日々悪戦苦闘した。

その甲斐あって、音作りが難しかったDXの音色作成の仕事が来るようになった。

 

その後は、エフェクターとかサンプラーとか音源モジュールとか高額なシンセもじゃんじゃん増えていって、幸運なことにバックバンドの仕事をもらえてアレンジもいろいろやった。

鍵盤の練習はちっともしなかったけれど、大好きなストリングスの音色でいかにオリジナリティを出すか、サウンドの厚みを出すか、いろいろ試してみて、本番で大きなホールに自分の音が響くと本当に嬉しくてワクワクした。

スタジオでリハーサル中です。
スタジオでリハーサル中です。

部屋にこもって何台ものシンセサイザーと過ごした私の”シンセな日々”は、とてもじゃないが妙齢の女子が送る日々ではなかったけれど、お洒落とか海外旅行とか結婚とか女の子らしい事にまるで興味がなかったのだから、まぁそれはそれで良し、、か?(笑)。

コンピューターに数値を打ち込んで音楽を作るDTMの仕事が殺人的に忙しくなった頃、思い切り鍵盤を弾きたい、本当の音楽をやりたいという気持ちがどんどん強くなって、次第にシンセサイザーから気持ちが離れていった。

 

家にあったシンセサイザーほとんど全てを秋葉原の中古楽器店に運び込んだ時、不思議となんの感慨もなかった。Jazzをやるんだというめちゃきっぱりさっぱりした気持ちだけだった。

それなのについこの間、引っ越し荷物の中からこの時のシンセ買い取り査定の書類が出て来て、思わず一つ一つ目を通した。

何故だろう、胸がしめつけられるように苦しくなった。

懐かしいというのでなく、何か罪悪感に似た痛い想いで査定書をそれ以上見れなくなった。

私の”シンセな日々”がそこにあって、記憶の底に沈めてしまった私自身の姿にいきなり出会ってショックを受けた、という事だったかもしれない。淋しさだったかもしれない。

その想いが一体何だったのか、今でも言葉がみつからないでいる。

 

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2013年

9月

08日

2020年東京オリンピック

朝5時半、雨の音が聞こえる。

ベッドの中で目を覚まして、「もう決まってるな...。」ぼんやりした頭で考える。

もしマドリードだったらがっかりだなぁ、福島の汚染水はやっぱりダメージ大きかったよな、ずっと優勢だったのにうまくいかないもんだなぁ....。

思いっ切りネガティブな気分で起きだして、玄関に朝刊を取りに行く。

さすがにまだ結果の記事は載っていない。

おそるおそるテレビをつけると、「東京に決定!」の文字と、渋谷の若者たちが大騒ぎしている映像が目に飛び込んできた。

「やったぁ~!」

トイレに入っている母にドアごしに報告して、廊下を行ったり来たりしながら、ここまでのいろいろな経緯とこれからの日本の成長について熱く語った。( 母にはたぶんチンプンカンプン・笑 )

久しぶりに文句なしの明るい気持ちになった。

 

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2013年

8月

31日

オリジナル5

今月半ばぐらいからか、ようやく生活のリズムが落ち着いてピアノの練習が普通に出来るようになってきた。

しばらく中断していたオリジナル曲の整理。

昔つくった曲の中からJazzで演奏できそうなものを選る作業を去年から始めて、最初に外した曲が『秋桜(コスモス)』だった。

 

大学を卒業し、エレクトーン講師としてYAMAHAに就職して数年後、”作曲研修”という、もの凄く贅沢な研修を受ける機会に恵まれた。

参加する講師は全国から集められ、数ヶ月に渡って段階を踏みながらクラシカルなオリジナル曲を数曲作り、その演奏を録音する。

何せ最終ステップでは、自分が書いたオーケストラスコアを、学生とはいえ東京芸大の管弦楽団が演奏してくれるのだ! 

当時のYAMAHAは今から考えられないくらい超太っ腹だった。私にとっては職場というより音楽の学びの場であり、さまざまな経験と勉強をさせてもらったと思っている。

 

この研修は楽しくて楽しくてしょうがなく、研修の課題を持ち帰るとYAMAHAセンターの練習室に何時間もこもって曲作りをした。

ピアノ以外の楽器を知り、楽器同士の対話を几帳面に紡いで物語を織り上げるという体験は、音楽大学を出ていない私にとって後にも先にもない貴重なものだった。

 

第一回目はピアノ曲のオリジナル、二回目はフルートとピアノ、三回目はバイオリンとチェロとピアノというふうに楽器が増えていった。

『秋桜(コスモス)』は、このバイオリン・チェロ・ピアノ三重奏の曲だ。

クラシック風の7~8分の曲で、今見ると随分とっ散らかった感がある(笑)。

長いし拍子もころころかわるし、Jazzには無理!と思って最初に除けていた。

でも改めて楽譜を眺めてみて、テーマの雰囲気がいいな、と思った。

 

Jazzで演奏できるように少し手直ししようとピアノに向かったら、何十年も昔、同じ様にピアノに向かって一生懸命に楽譜を書いていた時の気持ちを突然思い出した。

なぜ題名が『秋桜(コスモス)』なのか。メロディを弾きながら何を感じていたか。

 

コスモスは群生するイメージがあり、たくさんの白と淡いピンクの花がそよ風に揺れている風景は、秋の日の記憶として誰の心の中にもあるだろう。

でもその時に私が心に描いていたのは、たった一本、群れから離れて咲くコスモスの花だった。

頼りなく風に揺れる細い茎が哀れであるのに、きっと独りで咲くことに何の迷いも恐れもない、、その気丈さを自覚することなくただ無心で秋の日を咲き続ける。そんな姿に憧れる自分がいて、振り返ってみれば、風に揺れる一本のコスモスのイメージは、その後もずっと私の心のどこかにあった気がする。

 

『秋桜(コスモス)』のメロディを弾きながら、今まで歩いてきた道をつらつら思い返してどっぷり感傷的な気分になった....(笑)。

 

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2013年

8月

19日

自由研究

小学生の頃、夏休みの自由研究の宿題は”暗黙の親子密約”ー父の企画立案、父の実行計画、参加協力が私という極秘プロジェクトだった()

研究って何??な私が、迷わず父に泣きついたのだ。        

 

あれは何年生の時だったろう、、。

そういう不正を絶対に許さない母の非難の視線を浴びながら、父と私は父が作った大きなおにぎりと卵焼きのお弁当を持って、山間を流れる阿賀野川中流の水質検査に出掛けた。

リュックサックを担いで父と一緒に鈍行列車に乗ると、これから何を”研究”するのかなんて綺麗さっぱり忘れて、ただワクワクした。

 

目的地の川原に着いて、おにぎりをほおばりながら目の前の清流に足を浸す。

川底の小石の丸くて硬い感触と足首にあたる流水の勢いが心地良かった。

水筒に水を汲むとあとはもうやる事がない。

川のせせらぎと鳥の声、時折そよそよと吹く川風と眩しい夏の陽射しの中で、穏やかな父のそばに黙って座っていると何だか気持ちが良くて、ついうとうと眠ってしまいそうになる、、。

市内に戻ると、新潟平野を滔々と流れる下流の水をかなり危険な思いをして採取した。

川幅も広く、黒々と底も見えない大量の水を間近で見るのは本当に恐ろしかった。この時は確か、父が汲んでくれたのだ。

 

数日後、今度は一人で街に出掛けて行って、コンクリートの床の薄暗くて変な匂いがこもった何屋さんだかよく分からないお店で、試験管やビーカー、名前も思い出せない試薬をいくつか買った。

家に帰って包みを広げ、真新しい器具を一つ一つ机の上に並べていくと、突然、今までの私じゃないような不思議な気持ちになった。

天秤と分銅とピンセットで試薬を正確に量って溶液を作り、木の試験管立てにたてたそれぞれの川の水にスポイドで垂らして、その化学反応を絵や数字で記録する。

いったい何を何の為に入れてどうなって何が証明されたのかさっぱり覚えていないのだが、とにかくなかなか本格的な"研究"だったのだと思う。全部、父の計画書どおりだが....()。 

 

こうした経験が面白かったのか、図書館で読んだ『キュリー夫人』の影響か、その頃の気持ちはまるで不明なのだが、その後中学生になった私はなんと『化学部』に入部した。

生粋の”文系”人生で、この時のほんの数年間だけ、私は紛れもない”理系”少女だった!

 

波瀾万丈の中学『化学部』時代については、長くなるのでまた改めて....()

 

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2013年

8月

03日

悔しい事

自分にとって『悔しいと思う事』について考えてみた。

 

例えば、ライブで思うような演奏ができなかった時とかどうだろう。

今まであり過ぎて困るぐらいあるのだが、思い返してみて一度も悔しいと思った事はない。ただめちゃめちゃがっかりする。

この『がっかり感』と『悔しい感』はかなり違う。

あるいは、街でセンス抜群のお洒落な男性とすれ違った時。

これはなかなか複雑な心理状態で、綺麗な女性は山のようにいるのでさほど気にならないが、男子にも負けた...てな敗北感はちょっときつい(笑)。

でも、これも『がっかり感』で『悔しい感』じゃない。そもそも勝負になってないし....(涙)。

「この気持ちが分かってもらえなくて悔しい。」なんていう時は、あふれる思いが伝わらなくて残念で残念でたまらない!というある種、強調語のようなニュアンスがある。

「せっかく有名焼き肉屋さんに来たのに、お腹いっぱいで食べられなくて悔しい!」のとほぼ一緒で、がっかりを通り越して『超・残念!』という事だ。

 

一般的に言って『悔しい感』は、-「勝って嬉しい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、、」- 誰かと競って負けた時、相手が勝って嬉しがっている時にもくもくとわき上がってくる感情だ。

その相手が、「やーい!」と歓声を上げながら”あっかんべ~”なんてしようものなら、『悔しい感』のボルテージは限りなく上がる。

つまり、誰かに負けて「やーい!」と言われた時の気持ちが、正しい『悔しい感』なのだ。

『がっかり感』でも『残念感』でもなく、紛れもない『悔しい感』なのだ!

 

、、なんでこんな事を長々と書いたかというと。

 

今日、お昼ご飯を台所で作っていたら、額の真ん中に近い所を蚊に食われた。

「凄い所を食われたなぁ。」と思っていると、母も「おや!」なんて言って笑う。

だいたい、我が家の蚊たちは人間を馬鹿にしている。

防虫スプレーを吹きかけて完全防備のつもりで草取りをしていると、吹きかけそびれた肘のあたりを見つけてピンポイント攻撃してくる。衣服の上から刺すなんて強者( つわもの )もいる。

「敵ながらあっぱれ!」なんて思った時期もあったが、さすがに、顔の真ん中とか刺すかぁ?と一人ぼやいたら、むくむくと『悔しい感』がわいて来た。

 

ブログで、”悔しい事”とか言ってせっせと分析している自分が我ながら情けないが、いくら怒っても相手に通じないのだから仕方がない。

蚊の”あっかんべ~”顔を思い浮かべて、「今度は絶対に負けない!」と力強く誓うしかない。

涼しくなるまであともう少し、闘いは続く....。

 

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2013年

7月

24日

外車ー補記

前回の記事で、思えばお洒落な外車にたくさん乗せてもらったなぁ、、なんて書いたら、「美知子さん、随分モテたんですねぇ!」と大変な誤解をした方が何人かいらっしゃった。

ん~、ちょっと違うんだよなぁ....。

ってことで、今回は『ミュージシャンと車と女性についての一考察』ー独断と偏見に基づく私見を述べたいと思う(笑)。

( 私の知っている数少ないミュージシャンたち限定。)

 

まず、カッコいい車に乗ってカッコいい音楽をやっているカッコいいミュージシャンには、間違いなく、熱心な追っかけ女性ファンがわんさかいる。

彼女たちはライブに何十回も通い、手紙やプレゼントを手渡して何とか親しくなりたいと切望するが、なかなかうまくいかない。

ミュージシャンたちはあとあと面倒な事が起きそうな相手には天性の勘が働くみたいで、熱狂的な女性ファンほど絶妙な距離をとられてたりする。

結構、女性に対しては慎重な人が多いのだ。( 過去に痛い目にたくさん遭ったから?・笑 )

そして、コンサートやライブの前後は彼らは控え室にいてなかなかゆっくり話す機会がない。そういう意味では、ステージの上と下ははっきりと区別されていてファンとの交流は少ない。

つまり、ミュージシャンと親密になる為のハードルはかなり高い。

 

人気のあるミュージシャンが、偶々あるファンを自分の車に乗せるなんて事は、少なくともパブリックな場面ではほぼ無い。( 私が知らないだけかもしれないけど。)

彼らのお洒落な車に乗れる女性は、恋人か奥さんという特別な存在かマネージャーや仕事関係で、私はその仕事関係者だった訳だ。

リハーサルや録音の仕事が終わって、

「電車で帰るんだったら最寄りの駅まで送ってあげるよ。」

「ありがとうございま~す!」「わ、ポルシェだ~ !!」

てな流れだったので、「美知子さん、随分モテたんですねぇ!」と言われた瞬間、どうしてそういう事になるのか全く分からなかった(笑)。

 

ついでに、『Jazzミュージシャンと車と女性についての一考察』。

数年前からJazzのライブに行くようになった。

憧れのピアニスト・○○さんが演奏前から店内をうろうろしている。

「わぉ!○○さんだ!」

「お、みっちゃん。一人で来たの?」

声を掛けてもらってぼっと舞い上がっていると、間もなく凄い演奏が始まって興奮でぼっとなり、演奏後の余韻にまたまたぼっと舞い上がっていると、彼が再び店内をうろうろしている。

控え室がないJazzのお店が多いからか、お酒を片手にお客さんたちと話すのが好きなのか、それがJazzライブの昔からのスタイルなのか、ステージの上と下は渾然一体でJazzミュージシャンとファンとの交流は限りなく密だ。

「みっちゃん、酔いを醒ましたら車で送ってやるよ!」

 

そんな言葉にびっくり仰天したのも最初のうちで、車で送ってもらうというのがそれほど特別な事じゃないというのが周りを見て分かってきた。

音楽を通じて、まるで友人のように気さくに接してくれるのがJazzミュージシャンだ。

そのフレンドリーさと、音楽性のあまりの高さのギャップがもの凄く魅力的で、すっかりJazzの世界に引き込まれてしまった。

今では私も、ライブ後にお客さんたちと話すのが大好きだ。

 

因みにJazzミュージシャンと車と女性についてだが、女性じゃなく男性ファンを車で送っていってあげるという親切なミュージシャンにはあまり会ったことがない(笑)。

 

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2013年

7月

12日

外車

「最近の若いミュージシャンは、酒は飲まねぇし良い車にも乗りたがらねぇ奴が多いみたいだけど、そんなのはジイさんになってからカッコいい音楽なんて出来ないに決まってる!」

敬愛する某ベテラン・ピアニストが嘆かわしいとばかりにぼやいた。

酒はともかく、昔は確かにカッコいい音楽をやるミュージシャンはかなり高い確率でカッコいい車に乗っていた。

なめらかで香しい皮革のソファに沈み込みそうになるBMW

低い車体の下からゴーッと伝わってくる振動が何とも心地よいポルシェ。

上品で洗練された装飾にうっとりするジャガー。

ベンツやプジョー、ルノーやシトロエン。思えばお洒落な外車にたくさん乗せてもらったなぁ、、。

お昼はマセラティで夜はアルファロメオなんて凄い日もあったよなぁ、、。

ただ残念なのは、私は車なんてちゃんと走れば何でもいいと思うタイプで、更に悪い事に、思った事はそのまま言っちゃうタイプだ。

 

外車はとにかく故障する。

「また代車ですかぁ?」

さすがに睨まれて、「日本車はヤマハのシンセと一緒で故障しないですよねぇ。」なんて喉まで出かかった台詞を慌てて飲み込んだ。

面白い事に、故障した外車をヤナセに何回持っていってもちゃんと直った試しがないという話を、彼らはどこか嬉しそうに話す。まるで、身体の弱い美しい愛娘を風邪で医者に連れていったなんて話をするみたいに。

きっと、高級で美しいものを所有するという事が重要なのであって、移動の手段というのは二の次なのかも、、。

 

前出の某ベテラン・ピアニストは紺のマセラティに乗っていて、みんなが「凄い!カッコいい!芸術品だ!」と、感動的な讃辞を惜しまない中、「でも、紺色って地味ですよねぇ、、。」なんて言わないでいい事を私がポロッと言ってしまったから、みんなびっくりしてその場が凍りついた....()

お陰で、その後何回かマセラティに乗せてもらったけれど、優美なマセラティのデザインに紺色がいかにマッチするかの大変丁寧な説明を神妙に拝聴する羽目になった。

車はちゃんと走れば何でもいいなんて人が、軽々しく口を挟む次元の問題ではないのだと思い知った()

 

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2013年

7月

04日

中庭にて

新潟の家にはささやかながら前庭と中庭がある。

鉢植えでもらった苗木や、近くから飛んで来た種から芽を出した木々なんかを父が植え替えて、一応、庭っぽくなっている。

手入れといっても、雑草を抜いたり肥料を時折まくぐらいで、基本は"自然に任せる()"なので、椿は見上げるような巨木になり、梅の木はホントに梅か、、と疑うくらい葉っぱが繁茂している。

サツキとツツジは去年の猛暑と水不足で死にかけて心配したが、今春、寒々しい枯れ枝の奥から濃緑の若葉がのぞいた。

唯一、庭木らしい端正な姿を保っているのは、中庭の真ん中の山法師だ。

一昨年、近所の方の紹介で我が家で初めて庭師さんが来て植えてくれた。春には可愛らしい白い花が咲く。

 

早朝や夕暮れ時に庭に出て、枯葉を拾ったり雑草をむしったりしていると、葉っぱをむしゃむしゃ食べている青虫や列をなして地面を進む蟻たち、カマキリの白い卵や名前も知らない小さな昆虫たちに出会う。ついでに蚊にも食われる()

先日、家の土台のコンクリートの上を、綺麗なコバルトブルーと銀色の混じったカナヘビが忙しそうに走って行った。カナヘビは砂地に生息する小さなトカゲだ。

 

私が小さい頃に住んでいた家は、今の家より町中にあったが敷地が同じような砂地だった。

ある日、学校から帰ると、玄関から離れた前庭みたいな場所に母が所在無げに立っている。いつも元気な母が妙に頼りない感じなのでどうしたんだろうと思って近寄っていくと、声をひそめて「家の中にカナヘビがいる。」と言う。

わっ、カナヘビか、、。

結局、父が会社から帰ってくるまで二人でぼっと待っていた。

帰宅した父はすっと家に入っていって、手の中にカナヘビをつかんで出てきた。面白がって母に見せるもんだから、キャーキャー母が悲鳴をあげて、いつもは怒られてばかりで恐ろしげな母が何とも可愛く見えた()

 

こんな遠い昔の出来事をぼんやり思い出していたら、ハッと大変な事に気付いた。

もう、父はいないのだ。

カナヘビが家の中に入ってきたら誰が退治するんだ?

ん~、あのヌメヌメした生き物をつかむ勇気はどうやったってない。

もしかしておっきな蜘蛛とかゲジゲジとか青大将に遭遇したりして....(大汗)

女二人、こういう状況に対して完全に無力だ、、。

 

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2013年

6月

24日

死後の物語り

私は神様とか仏様とか信じていないし、昔から興味津々()の幽霊については、霊魂というよりは異次元に接触した現象の一つだと勝手に解釈している。

つまり宗教的には無宗教で、もし不思議な事が起きても、何らかの説明が必ずつくと思っている。

 

人が死んでその後、何が起きるのか。

経験した人しか知り得ない事実を、人は前もって知りたいと願う。いずれ必ず訪れる死について何も知らないというのは、日々生きる上で不安でしょうがない。

それで、権威を持った偉い誰かが人々の心を安らかにしようと、死んだらこうなってああなってと、まことしやかな物語りを語って聞かせる。

宗教的な葬礼の儀式はそういうある種、想像の世界の物語りに基づいて行なわれる。

 

父は、白足袋に脚絆をつけて旅立った。棺には杖と、旅の途中でお腹が空いた時の為に大きな握り飯を入れた。

普通に考えたら可笑しな事なのに、いつもの私だったらそんなあり得ない!と笑うのに、厳粛な死というものにまともに向き合って私は、『あぁ、パパは旅に出るのだ』と思った。

そう思う事で、父の死を受け入れる事から逃れた。

 

大事な人を失った誰かをなんとか慰めようと思う時、私はいつも「いつかもう一度会えるから、、。」と言ってきた。

大事な人の思い出を心に持ち続けていればいつか、、というような漠然とした意味合いだったように思う。

でも今は、かなりはっきりとしたイメージを持って、いつか父にもう一度会えると信じている。

母とお茶を飲みながら話す。

「パパはあたし達より一足先にあっちに行ってるんだから。あっちでまたみんな一緒だから。」

母はちょっと笑いながら「そっかそっか!」と言う。

 

友人や親類にこう話すと、たいがい痛ましそうな顔でいたわりの言葉をかけてくれるので、もうあまり言わないようにしようと思う。

でも、父にまた会えると思う事は私にとってかなり幸せな事なのだ。

悲しみに暮れてそう思うしかないのではなく、明確なイメージとして私は信じている。

人が死んでその後、何が起きるのか。

どんな宗教も呈示できなかった驚くような事が起きるのもしれないし、全くの"無"かもしれない。

私は、絶対に"無"ではないと思う。

 

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2013年

6月

13日

グレ男とアボ子 - 2

朝食のグレープフルーツの種から芽を出したグレ男くんと、夕食のアボカド・サラダから生まれたアボ子。

20131月、私の新潟の父が脳梗塞で倒れたと同時に、彼らも過酷な状況に陥った。

お正月で帰省していた私は急遽、東京に帰るのをやめ、新潟で父の病院と母の世話に追われる事になった。

真冬の東京のマンションのベランダに残された彼らは、強風と厳しい寒さにさらされ、その後の引っ越しでも諸事情で何日間も水遣りが出来ない状態が続き、新潟の家に他の荷物と一緒に届けられた時には見るも悲惨な姿で、「ああ、可哀相な事をした、、。」と、ほとんど諦めていた。

5月に入って、すっかり枯れたと思っていたグレ男くんの枝先に、緑の小さな若葉が芽吹いた。

すっかり変色してしまったアボ子の頭のてっぺんに、綺麗な色の葉っぱが花のように開いた。

病と闘っている父の姿とだぶって、思わず涙が出そうになった。

生命の強さを感じて勇気が湧いてくる気がした。

 

その父が逝った後、グレ男くんとアボ子は眩しい陽の光を浴びて元気に育っている。

ちょうど1年前、このブログに『グレ男とアボ子』の記事を書いた。めったに感想を言わない父が「面白かったよ。」とニコニコ笑った。

一目会わせたかったなぁ、、と思う。

 

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2013年

6月

04日

お知らせ

平成25年5月29日午前2時57分。

父が他界しました。

 

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2013年

5月

27日

鉄人みっちゃん

先日、ギターのツッチーとベースの落合くんとライブで、演奏は予想どおりメチャ楽しかったのだがライブ後の雑談中、二人に思わぬ指摘を受けて驚いた。

 

「みっちゃんてさぁ、歩くのとか喋るのとか、動き一般がなんかチャキチャキしてて速いよね。」

「僕もそう思います。人の1.5倍くらい速い感じ、、。」

へっ? そうなの? 

この二人が言うんだからまず間違いなく正直な感想だろうけど....

全く自覚が無かったが、そう言われてみれば今まで不思議に思った事がいくつかある。

 

新潟で、バスや電車に乗ったり普通に歩いてたりすると、周りの高校生たちがめたらやったら動作がゆっくりで軽くショックを受けていた。新潟の若者はいったいどうしたんだ?!

でもきっと、田舎で東京よりは若干のんびりしているだけで、私が1.5倍なもんだから凄い速度差になった訳で、彼らからすれば、すげースピードで歩くおばさんだなぁ、という事だったかもしれない()

昔、ヤマハでレッスンしていて「先生の説明は機関銃みたい。」と言われた事がある。その時はレッスンの進め方が速いのだと思っていたが、進め方も話すスピードもきっとメチャ速かったのだ。

父が元気な頃、一緒に台所で炊事をしていて、何度も「ゆっくりやれ、焦らなくていいよ。」と言われた。私はちっとも急いでいないのになんでかいな?と思ったものだ。

 

どうもこれは早急に改善すべき問題みたいだ。このままでは男性にも怖がられる()

 

私が秘かに決意を固めている間にもツッチーのお喋りは劇画チックにどんどんエスカレートしていき、「みっちゃん、隣りの駅まで3秒で走っちゃうでしょ。草刈りとかガ~っワ~って一瞬で全部むしっちゃってさぁ、、。」

あのねぇ、私、エイトマンとか鉄人28号じゃないし....。

年がばれちゃうヒーローが次々と思い浮かんだ。

最後に彼らのトドメの一言。

「サザエさんとか、似てない?」

「そんな感じですかねぇ、、。」

 

もう、まったく乙女心の分からない連中だ

でも彼らの音楽を聞いちゃうと、ま、サザエさんでもいいかって思えてしまうんだけど....()

 

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2013年

5月

20日

アイドル

毎朝、母と差し向かいで朝ごはんを食べる。

私の顔よりテレビが面白いらしく、朝のNHKニュースを見ながら「わっ、」だの「あっ、」だの「へ~、」だの反応に忙しい。結果、朝ごはんに一時間以上かかる。

母に薬を飲ませないといけないから私もその間付き合って、NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』までしっかり見る()

このドラマ、80’年代アイドルが昔の映像でバンバン出てくる。

オマケに、当時のトップアイドル・小泉今日子が主人公の母親役で出演していて、彼女の不敵な面構えを見ながら、やっぱさすがだな~、なんてちょっと懐かしい気持ちになる。

 

80年代後半から90年代というと、私はアイドルの全国ツアーでバックバンドの仕事をしていた。

移動の新幹線で、ミュージシャンたちがビールなんぞ飲んで良い気持ちになっている間も、彼女たちは翌日収録のTVやら雑誌やらの打ち合わせや台詞覚えでめちゃ忙しい。

私が思うに、アイドルってのは可愛いだけじゃない、体力・精神力・賢さ・器用さ・愛嬌、、それら全てがなくては仕事をこなせない。その上、勇敢じゃないと駄目だ。

 

ツアー中、親衛隊らしき集団がどの会場にもいて、しかも同じメンバーがずっといたりする。彼らの全開パワーはもの凄いエネルギーだ。空港や駅で、我を忘れて突進してくるファンも少なからずいる。

彼女たちを守るボディガードの役目も果たすスタッフたちに囲まれて、にこやかに手を振るなんてのは二十歳そこそこでなんと肝のすわった事か!

 

ツアーのリハーサル中、あるスタッフが冗談ぽく言った。

「なんかキョンキョンて、一人で普通に地下鉄とか乗っちゃうらしいですよ。」

「まっさか~!またまたぁ、、」

みんな笑って本気にしなかったけど、もし本当だったとしたら当時のキョンキョンの勇敢さは半端じゃない。

 

現在でも芸能界の第一線で仕事を続ける彼女たちを、"したたかな"なんて、ちょっぴり毒のある言い方をする向きもあるのだろうが、私は彼女たちの賢さと心の強さを尊敬する。

あの不敵な面構えはなんとも魅力的だと思う。

 

今年2月に東京から新潟に引っ越したのだが、引っ越しのサカイの若者が部屋の隅にあった大きなポスター入れの筒をみつけて、気のせいかもしれないけどニヤッとこちらを見た。昔、ツアー最終日に菊池桃子さんが、メンバーそれぞれに一言添えてくれたものだ。

サカイの若者には、年甲斐もない”桃ちゃん追っかけファン”と思わせておくことにした()

 

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2013年

5月

14日

何もしない人

大学を卒業してからずっと音楽に携わってきた。好きな事だけを選択してきた。

独身でいても周りにあまりうるさく言う人がいなかったし、友人たちも独身が多かった。

こんな私でも奥さんにしてやると思ってくれた人が何人かいたけれど、私にとって結婚は人生が終わるという事だった。

私の歩く道は自分が選ぶ、目的地も道順も歩くスピードもバスに乗るか電車に乗るかも全て。

結婚はそういう人生が終わる事だと思っていた。

 

母は、家の中に居る事が嫌いな人でしょっちゅう用事で外に出掛けていた。

私の小さい頃の思い出で一番泣けるのは()、ある春の日の夕べの記憶。

日が暮れてきて、家の中に一人でいるのが心細くなった私は分厚い少女漫画雑誌を抱えて家の外に出た。近くの街灯の下にしゃがんで、楳図かずおのホラー漫画を読みながら母の帰って来るのを待っていると、だんだんと夜の闇が押し寄せてきて、漫画が怖いのとお腹が空いたのとで子供ながらに孤独を感じて涙が出そうになった。

普通の家のお母さんみたいに、学校から帰ったら必ず家に居て、「お帰り!」と笑顔で迎えてくれる人がママだったら良かったのに...

 

という訳で私にとって結婚は、夫や子供をそんな"笑顔で迎える人"になる事だった。

人生に野心を持たず、家族には「お母さんは暇で良いねぇ。」なんて皮肉を言われても、「何言ってんの。忙しくて忙しくてお母さんは大変なんだよ!」なんて笑って言える人になる事だった。

 

昔の日本の家にはおじいちゃんやおばあちゃんがいて、"特別な事は何もしない暇な人"という存在があった。

小さい頃の気持ちを思い出すと、そんな存在が欲しかったのかもしれない。そこまで暇な大人はめったにいないと思うが、少なくとも自分の前では”ゆっくりお茶を飲んでいる人”でいて欲しい、、。

 

結婚についてはもっと複雑な気持ちが絡むが、少なくとも自分の野心は諦めなくてはいけないのだと思っていた。

まぁそんな風に思い詰めた結果、結婚は夢を追う人生が終わる事、私の人生が終わる事になってしまった訳だ。

 

今、私が父の病院や日々の買い物などで忙しく用事を済ませて家に帰ってくると、母が「やぁ、おかえり。」なんてチャーミングな笑顔で迎えてくれる。( 眠っている時の方が多いけれど....)

今の母は"何もしない人"だけれど、私は母の笑顔を見るのが本当に嬉しい。こんな形だけど、小さな頃の望みがかなった訳だ。

人生を諦めなくても野心があっても、そんなに難しく考えなくても結婚はできたんだなぁ、と今では思える。

後悔ではなく、ちょっと肩の力が抜けてきたのが我ながら嬉しくて、こういうのが年をとるって事かなぁ、なんて妙に納得したりする。

 

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2013年

5月

05日

潔癖性

洗濯物をたたみながら、タオルからほつれ出た細い糸を一本一本、ハサミでチョキチョキ切る。使い古したバスタオルなんかだともう半端じゃないくらいほつれまくってるから、自分でも呆れるくらい一心不乱に糸くずと格闘する。

やっぱ潔癖性かな、、。

女友だち何人かに言われた言葉が頭をよぎる。

 

仕事の締め切りに間に合わなくて数日お風呂に入れなくても全く平気だし、歯磨きセットを常時持ち歩くなんて事もしない。少々部屋が埃っぽくてもあまり気にならない。

どこが潔癖性なんだ? と不思議だったが、思い当たると言えば、物事が秩序正しく収まっているのが好きだ。かなりのエネルギーを費やしてその状態にする。

物があるべき場所にあると必要な時にすぐ取り出せるし便利だ。そして美しい。

 

母の小物入れの引き出しなんかを開けると、石鹸と扇子、櫛と割り箸、口紅とけん玉、香水と湯飲み茶碗、、、あり得ない組み合わせで雑多な物が詰め込まれている。気が狂いそうになる()

系統だって整理していくと、スッキリ綺麗になるし余分なスペースもできる。

 

東京で一人暮らしをしていた頃、終電を逃した友人がうちに泊まる事になった。

部屋の中をざっと見渡した彼女が、まじっと私の顔を見ながら言った。「みっちゃん、ほんとは彼氏いるんでしょ?」

え、えぇっ?!なんでそうなるの?!

めちゃめちゃ焦ったけどとりあえず女の見栄で、「またぁ、◯◯ちゃんてば~....。」なんて含みを持たせておいた()

一人暮らしの女の部屋が不意の来客に慌てない程度に片付いていると、『彼氏がいる』という事になるらしい。

勉強になるなぁ、、て言うか、部屋が片付いているのは物があるべき所にあるからだけで、第三者は関係ない。私の性分の問題だ。

 

タオルのほつれ糸をチョキチョキ切りながらタオルの本来あるべき姿とは、、なんて考えている訳ではないが、ヨレヨレのタオルがシャッキリするのは何だか嬉しい。

やっぱり、はたから見たら潔癖性以外何ものでもないか、と思う()

 

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2013年

4月

27日

MIDI

少し前の話しになるが。

 

今年2月9日、アメリカ音楽界において音楽産業への貢献を讃えるグラミー技術賞というのが、日本人個人としては初めて、音楽機器メーカー・ローランドの創業者、梯郁太郎さんに贈られた。

1983年、キーボードなどの電子楽器とコンピュータ、あるいは電子楽器同士で演奏情報や音色などのデジタル・データをやりとりする世界標準企画「MIDI」が発表された。梯氏はその制定に尽力したのだ。

 

シンセサイザーやアレンジの仕事をしていた何十年(!)も昔、音楽業界で最先端の仕事をしている人達を間近で見ていた。

シンセサイザーの音作りがアナログからデジタルに移行し、サンプラーが安価になってキーボード奏者のテリトリーが激増し、ProToolsの出現でアレンジャーの仕事が一変し....。めまぐるしく変化する現場で、いち早く情報を得て素早く対応していく時代に鋭い人達。

残念ながら私にはそこまでの適応能力は無かったけれど、彼らの側にいることで、音楽が創られる環境の変化をまざまざと目撃し、その変化の波を身を以て感じた。

 

その全てが、MIDIという全く新しい企画によって始まった。

企画が発表される直前、業界でも名の知れたキーボーディストの友人が「凄い、凄い!」と興奮しながら話してくれたあの時の状景が今でも忘れられない。何だかもの凄い時代になるのだ、、そんな”わくわく感”と”良く分かんない感”がごちゃまぜになって、一緒になって興奮した。

 

MIDIのお蔭でキーボーディスト、アレンジャーの出来る事が加速度的に増えていき、要求されるレベルも上がり、機材が多様化しラックもどんどん積み重なり、音楽をやっているのか機材の勉強をしているのかよく分からない状態になった。

作業を分担するとか専門に機材を扱う人とチームを組むとか、やり方を考えないと生き残っていけないなぁ、なんて考えていた時にJazzに出会った。

最初は、鍵盤を思い切り弾きたい、とか、Jazzを勉強する事で仕事の幅が広がればいいな、とかぐらいの気持ちだったのに、いつのまにか真剣にやりたいと思うようになった。

そして今に至る....(笑)。

 

MIDIの世界で仕事をしていたあの当時の事を思い出すと、例えて言えば、大海で群れをなして泳ぎ回るsoundという魚たちを網で陸揚げし、綺麗に加工して酢でしめたりオリーブオイルをまぶしたりして多くの人に食べてもらう工夫をしていた。

今、小さなお店でJazzを演奏しながら感じるのは、頭をぶつけたり群れから飛び出たりして仲間に迷惑をかけながら、まがりなりにもsoundという魚たちと一緒に泳いでいるという事だ。いつか大海で、大きな群れやイルカや鯨にも出会いたいなぁ、、なんて夢も時々見たりする。

 

今では当たり前になったMIDI。

オーディオデータも普通に使えるようになって、そうした知識は一般常識に近いレベルまで浸透した。

音の海の中で不器用にも楽しく泳ぎ回りながら、遠くの対岸で忙しく行き交う光の波の世界を眺めてみる。

懐かしくもちょっと眩し過ぎるその世界を離れて、脇目もふらずこんなに遠くまで泳いできたんだなぁと思う。

そして、もっともっと先に広がる大海原の方に目をやるとわくわくするような別世界があって、そこで天才たちが丁々発止、熱く渦巻くような音の会話をしている。

その会話の意味をなんとか理解したくて、暇をみつけては辞書ならぬピアノの前で日々悪戦苦闘するのだ(笑)。

 

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2013年

4月

19日

ユートピア( 湯~とぴあ )

荻窪『湯~とぴあ』は簡易宿泊もできるスパランドだ。東京に行った時にはよく利用する。

何種類もあるお風呂に入りたいだけ入って、眠くなったらリラクゼーションルームで各自テレビ付きの寝椅子で寝る。

気軽で経済的だし、特に岩盤浴はめちゃめちゃリラックスする。

深夜の露天風呂、早朝の朝風呂、ジェットバスや気泡風呂、、他にも試してみたいお風呂がいくつもある。

 

この『湯~とぴあ』でなかなか興味深いのは、ロッカールームのだだっ広い空間の中で、服をちゃんと着た人たちと素っ裸の人たちが普通に行き交うという事だ。

!? ここで脱ぐの?  最初はかなり勇気がいる....。

 

お風呂やさんの脱衣場と思えばしごく普通の事なのだが、このロッカールーム、事務所にあるみたいな鍵付きロッカーが大きなフロアーに数百個、整然と並んでいて、到底お風呂やさんの脱衣所とは見えない。

服を脱いじゃった人はお風呂場までかなり距離があるから、生まれてこの方、あり得ない距離を素っ裸で歩く事になる。

そしてその脇をコートまでしっかり着込んだ人たちが普通にすれ違う。

 

何回か気恥ずかしい思いをするうちに、だんだん平気になる。

自分の裸の姿にも慣れてくる。

開放感は格別だ()

 

そんなお気に入りのユートピアだが、今回だけはマジに参った。

女性専用リラクゼーションルームでタオルケットにくるまって静かな眠りにつこうとしたその時、凄いイビキがどこかから聞こえてきた。それも2箇所から。

気にせず早く寝ちゃおうと思いながらうつらうつらしていると、さっきの2箇所がおさまって今度は別の方角からまた低いイビキが....

結局この日はほとんど眠れなかった。いやぁほんと参った。

次回から耳栓は必携だ。

思わぬ所で予期せぬ災厄は起こるものだ、、(涙)。

 

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2013年

4月

12日

体重について

新潟の家では、とにかく三食・おやつ付きで毎日定時に食べる。

一人暮らしをしていた時は、朝と昼が一緒だったりなんだかんだで食事をとるのを忘れたりしていたから、からだ的には劇的な変化だ。

最初は、朝も昼も無理やり母に付き合って食べていたのだが、今ではちゃんとお腹がすくし、夜、お酒を飲み過ぎてご飯が食べられないなんて事もなくなった。

食事の量は1.5~2倍くらい、めちゃ増えたと思うのに、体重計にのってみたら3㎏も減っていた。

ほう?と思って原因を考えてみた。

 

環境の変化に依るストレスと不安。

これは絶対にあると思う。

でもこの場合、食欲が無くなったり睡眠不足が続いて痩せちゃう訳で、父が倒れた1週間くらいは絶不調だったが、今ではだいたいが前向きに考えられるようになった、、というか、くよくよ考える暇も余裕も無いくらい全てが怒濤のように押し進む中、夜はバタッで、朝は7時には母と元気に朝ご飯だ。

どうも体重が減ったのは精神的なものではない。

胃腸は昔から丈夫だから病気でもないとすると、やはり運動量だな、と思う。

 

引っ越しもなかなかハードだったけれど、新潟に住んでみると、毎日毎日とにかく歩く!

田舎の交通網はかなり悲惨だ。車を持たない人は市民じゃないって事?と一度、市長さんにお伺いしたいぐらい、車が無いともの凄く大変な情況に陥る(笑)。

これについては、書き始めると止まらなくなりそうなのでまたの機会にして....。

 

父の病院に毎日通うのだが、片道20分以上歩く。いつ来るかわからない1時間に1~2本のバスなんて、誰も何も期待していない。

待つより歩く。iPhone片手に音楽を聴きながら歩く。

そして、家の中でもたくさん歩く。

10帖ワンルームに住むのと2階建て一軒家に住むのとでは、日常的に移動距離が全然違う。

あっちの部屋に行きこっちの部屋へ戻り、階段を上り下りし、手を伸ばせば届く距離に欲しいものはほぼない....。

 

食事の量が2倍に増えたとして、運動量が3倍になって体重が減ったんだな、、という結論になった。

痩せるというのは、私にとって昔からかなり憂鬱な事だ。頑張って太らねば、と思っても、食事量を3倍に増やすというのはほぼ無理だし、おやつを増やすかなぁ....。

 

それにしても、恐ろしいほど激不味そうなダイエット食品( 米こんにゃく!おからクッキー!etc. )や、前に進まない自転車とか座ったままフラダンスとか、ストレスたまりそうな方法で痩せようとしてしている人たちがいるけれど、歩くのが一番、効率的で健康的で経済的だと思うんだけど....。

 

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2013年

4月

07日

東京にて

3/23、三鷹ソニド・セッションの後、井の頭公園へ花見に行った。

満開の桜も見事だったけど、久しぶりに東京の音楽仲間たちに会えて本当に嬉しかった。

花粉症は辛い....。

 

まだまだ気持ちは東京で、新潟での生活は借りの住まいのような感覚だ。

東京のミュージシャン仲間はみんな、「新潟に呼んでよ!」とお気楽に言うけれど、"新潟で音楽をやる"という事、私のなかでまだまだ受け止めきれていない....。

 

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2013年

3月

27日

ポテトサラダ

新潟に越してきて一ヶ月が経った。

 

「もう落ち着いた?」と友人たちが聞くけれど、今回はただの引っ越しじゃなく父の入院と母の介護があり、毎日がかなりの心配とストレスを伴うドタバタの連続だ。一体いつ落ち着くのやら分からない。

とりあえず、「もう考える事多過ぎで大変~ 」と正直に叫んでいる。

 

何が大変といって、父は病院にいるから手厚い看護を受けているけれど、ずっと父がやってきた母の介護をこれからは私がやる事になる。

母は軽い認知症で、会話や普段の生活はあまり問題ないのだが料理などの家事全般はまったく無理だ。

生まれてからずっと、料理ってのは気が向いた時にやるもんだと思ってきたのに、朝昼晩三食、母の為に食事の仕度をしなきゃならなくなった。

酒のつまみを作るのとはわけが違うから、父の書きためたレシピと格闘しつつ、今のところ母からダメ出しは二回で済んでいる。

 

とりわけ手が掛かるのが毎朝食べるポテトサラダで、台所には父の書いた材料の分量表が貼ってある。

○食分、あるいは○日分、じゃがいも○g、キャベツ○g、きゅうり○g、、、数字が370とか120とか、割と細かく書き込まれている。

野菜をたくさん入れるのでそれぞれ下ごしらえをして、ドレッシングもマヨネーズの他にいろいろ混ぜる。

最初に作ってみた時は、”マヨネーズだけでいいよ~、野菜もこんなにいっぱい入れなくてもさ~....”、と思った。

でも食卓に並ぶや真っ先にポテトサラダに箸を付けて、「美味しい、美味しい。」と食べる母の姿を見て、やっぱちょっと手間でも頑張って作ろう!と思い直した。

父もきっと、この母の「美味しい、美味しい。」が嬉しかったに違いない。

 

父から引き継いで家の事をいろいろやってみると、母への父の思い遣りをひしひしと感じる。

元気な頃、父と毎日電話で話したのはほとんどが母の話題で、だいたいが文句や愚痴なのだがいつも最後に、「ほんとママはしょ~がないねぇ。」「本当になぁ。」と2人で笑い合うのが常だった。

 

母はなんとなく、"とてつもなく運の良い人"というイメージがずっとあって、それは父も認めていた。

でも、宝くじや株で大当たりしたとか、九死に一生を得たとかそんな話は一つもなく、只の雰囲気とか印象なのかなぁ、、と不思議な感じがしていた。

最近ひらめいたのだが、もしかして母の最大の幸運は父と結婚した事かもしれない。そして、父のDNAを強力に引き継いだ娘がいた事かもしれない()

 

今までさんざんわがまま三昧、親不孝してきて今更なのだが、父が大切に思ってきたものを今度は私が守る番になったのだと思う。

病院で父の寝顔を見ながら、感謝というよりは申し訳ないような、優しくて切ない気持ちになる。

 

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2013年

2月

17日

お久しぶりです!

今、引っ越し準備の真っ最中です。

 

父の病気の事、母の介護の事、実家のインターネットやピアノ練習環境の事、毎日の家事、東京で音楽を続ける事、その他いろいろ....、全部を同時進行で考えないといけないので、頭がほとんどガソリン切れに近い状態です(笑)。

そんな時でも、ピアノを弾く時間が少しでもあると心が落ち着いてきます。

音楽があって本当に良かった!

もう少し落ち着いたら、またブログで、頭の中にたまってきたいろいろな事を書きたいです。

ライブのスケジュールは更新するので、時々のぞいてみて下さい。

 

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2013年

1月

23日

お知らせです。

突然ですが....。

 

新潟の父が入院する事になり、急遽、住まいを新潟に移すことにしました。

今までもずっと、月に2回ほど実家に帰る生活を続けていましたが、これからは本拠地を新潟にして、両親を見守りながら音楽を続けていこうと思っています。

 

東京では、第2、第4土曜日の三鷹ソニド・セッション、第2日曜日の東小金井ナッシュのボーカル・ワークショップと月曜日ライブを継続して、その近辺で日程が合うライブをやっていく予定です。

「新潟から通うのは大変じゃない?」と気遣ってくれる人もいて不安がない訳ではありませんが、ソニドとナッシュは私の居場所、心の拠り所みたいな大切なお店です。

ママやマスター、私のピアノを応援してくれる仲間や尊敬するミュージシャンたちとの繋がりは、私にとって音楽をやっていく支えでもあります。

月に2回、東京でのライブ活動を続けていけるように、そして音楽をやれる幸せをいつも忘れないように、気持ちをしっかり持っていこうと思います!

 

とりあえずは、2/13の沼袋オルガンJazz倶楽部のライブ。

新潟への引っ越しでドタバタのまっ最中ですが、本当に久しぶりにドラムの高橋徹さんが参加してくれます。

城谷雄策さん(Tp)、小杉敏さん(B)と長い間やってきたトリオ。ドラムが入ってどんな音楽になるか、今から楽しみです。

 

そして、このブログも私の大切な居場所です。

ちょっとだけお休みしますが、生活が落ち着いたらまたいっぱい(笑)書きたいと思っています。

 

ブログを読んでくださっている皆様も、どうぞ風邪などひかないようお体にはお気をつけ下さい。

それでは近いうちにまた!!

 

田崎美知子

 

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2013年

1月

11日

明けましておめでとうございます!

今さっき、新潟から帰ってきた。今回はだいぶ長い帰省になって、あっと言う間の2週間だった。

ブログの更新も久しぶり....。

 

昨年暮れのある忘年会で、2013年に向けて漢字一文字をそれぞれ書く、というのをやった。

『進』や『攻』、『愛』や『安』....。みんな世の中や自分自身に対する願いや抱負を書いた。

私が書いたのは、『和』だ。

咄嗟に書いたのだが、後から思い返してみて「なかなか良いんじゃない?」と思えたので、今年はこれでいく事にした(笑)。

 

『和』は「和を以て尊しとなす」の『和』。

自分の考えに固執しないで、肩の力を少し抜いてみようかな、、と思う。

本当に大切と思えることはそんなにたくさん無い筈で、その大切な事が何なのかをはっきり見定めたら、他の事は和やかにゆっくり大きく考えていけば良いのだと思う。

こう書くと簡単そうなんだけど、一番難しいのは、”何が本当に大切か”だ。

 

先日「The Great Debaters」という映画を見た。

デンゼル・ワシントン監督、主演で、1930年代、まだアメリカで人種差別の激しかった時代の実話に基づいた物語だ。

バス停のベンチにまで『白人専用』と普通に書かれているシーンは、差別があまりに日常的で身近で自然であったのだと思い知らされる。

テキサスの黒人だけの大学のディベート・チームが、大学対抗戦で次々と他の黒人大学を打ち破り、ついには白人大学、それも全米No.1ハーバード大学から招待を受け、黒人大学として歴史的な対戦をする。

「ディベートは激しいスポーツ、戦争だ。ただし武器は言葉だけ。」

デンゼル・ワシントン演じる、このディベート・チームを育てた教授メルビン・トルソンが言うのだが、日本人の私には今イチこのディベートというのは馴染みがない。

討論を競技の形で行い、審判もいてルールや戦法もちゃんとある。古代ギリシャにすでに原型があり、欧米では古くから著名大学で各種大会が行われていたそうだ。

 

この映画で一番感動するのは、ハーバード大学記念ホールに集まったたくさんの人たちの心が、学生論者の発する力強い言葉の力で、人種や世代やそれぞれの主義・考えを超えて一つになった時だ。みんなが、その言葉を真実だと認めた瞬間、競技の勝敗は決する。

これって、「和を以て尊しとなす」という事じゃないだろうか....、と思った。

 

和するとは、ただみんなで仲良く喧嘩せず、という事ではなく、真実の為に正義の為に何かに対して誠実である為にみなが一つになる、という事ではないか。一つになる為にそれぞれが知恵の及ぶ限り言葉で闘い、その先に『和』がある。

そう考えると、「和を以て尊しとなす」と聖徳太子が書いたのは、それぞれの信念を超えた本当に大切な真実の前に、全員で職を奉じなさい、という意味だったのかもしれない。

その真実を見つける為に、みんなで知恵をしぼりなさい、と。

 

とまぁ、映画を見て、そして新年を迎えるにあたってかなり勇ましい事を考えた訳だが、やっぱり、”何が本当に大切か”はそう簡単に分からない。

まずは、今年の目標『和』に向けて、みんなと仲良くして、たくさん本音で話し合って、いろんな意見や考えを聞いてみよう、と思う。

「田崎さんて怖そう.....。」って言われないように、優しくソフトに女らしく....。

 

「無理~!」って叫ぶソニド・ママの声が何処かから聞こえてきそうだ(笑)。

 

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