2017年

12月

30日

今年は頑張った!

2016年12月31日--ちょうど1年前のブログに、「ずっと手探りでやってきた自分のJazzに、ようやくはっきりと目標が見えてきた。」と書いた。

 

そして、2017年12月31日。

1年間、自分なりにその目標に向かってちゃんと頑張ったと思う。

 

他人から見たら、きっとたいした事じゃない。

華々しく活躍するでもなく、みんなが驚くような事ができるようになった訳でもない。

でも、1年前にこう弾けるようになりたい!と願ったピアノ、ささやかでもはっきりと、今までとは違うこんなピアノが弾きたい、と決めた目標に、あともう少しかな....という所まで来た。

まるで童話の挿絵のように、自分が1年間、てくてく歩いてきた道が見えたような気がした。

みなさま、良いお年をお迎えください!

 

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2017年

12月

24日

綺麗なお姉さんは、、。

クリスマスに沸き立つ都内のショッピングモール。

ライブの入り時間までにちょっと時間があったので、華やかに飾られたお店をぷらぷら眺めていた。

 

あるお店の店頭にあった、ちょっとクラシックなデザインのブラウスに目が止まった。

「これ、おいくらですか?」

と声を掛けたら、奥から若い女性が笑顔で来てくれた。

その彼女がまぁ、人形のように可愛らしいのだ!

ちょうどあの「お・も・て・な・し💕」の滝川クリステルさんのような感じ。

 

ブラウスのお値段は思っていたよりかなり高かったのだが、彼女に最上級の笑顔で、

「本当にお似合いですよ^ ^ 」

と言われたら、”本当に似合っている”ような気持ちになって思わず、

「これ、いただきます^ ^」とスラスラなってしまった(笑)。

まぁ、ブラウスは本当に欲しいと思ったので後悔は全くないのだが、若い綺麗な女性が持つ圧倒的なパワーをひしひしと実感した訳で、、。

私のようなオバさんでもそうなのだから、若い男性にとってはどれだけのパワーを持つんだろうか?

恐るべし、綺麗なお姉さん。

 


でも、ふっと昔見た『テス』という映画を思い出した。

ロマン・ポランスキー監督、1979年公開のフランス・イギリス映画で、原作はトーマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』。

主演のナスターシャ・キンスキーの美しさが超絶で印象的だった。

テス(ナスターシャ・キンスキー)は、その美しさのせいで悲惨な運命を辿る事になるのだが、その時思ったのは「美し過ぎると碌な事にならないんだなぁ....。」

あまりに単純率直な感想なのだが、そう思ってしまうほどにテスは美しく、めちゃくちゃ悲しかった。

 

女性にとって、美しいという事は諸刃の剣だ。

良い事もあるだろうけれど、とてつもなく悪い事が起こる可能性もある。

適当なところが一番幸せ!と、買って来たブラウスをベッドの上に広げながら、ふんふん思った。

 

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2017年

12月

17日

シャーロック・ホームズ -Part5-

『心霊現象研究協会(SPR)』は、1882年、英ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ内に設立された。

心霊現象や超常現象の真相を科学的に究明するのが目的で、ルイス・キャロルやコナン・ドイル、キュリー夫人やカール・ユングなど、著名な支持者たちが謎の解明に期待した。

歴代会長には、哲学者、心理学者、物理学者などそうそうたる知識人たちが名を連ね、現在も存続中である(!)。

特に霊魂や降霊術に関する研究では、厳格な調査で画期的な成果を残した。 

  心霊現象研究協会      (SPR)のロゴ         


因みに、コナン・ドイルは晩年、心霊主義に傾倒し『霧の国』という心霊現象を題材にした小説を出版している。

 

"イギリスでは、今日でも幽霊が現れる建物が多数存在しており、歴史的に由緒がある建物などでは、歴史上の人物が幽霊として現れることがある。イギリス人たちは、無類の幽霊好きで、自分の家に幽霊が出ることを自慢しあう。"

( wikipedia『幽霊屋敷』) 

 

ロンドンは、今も世界有数の心霊スポットで、イギリス観光のゴースト・ツアーはなかなか見どころ満載で人気があるそうだ。 

ロンドン塔や呪われた幽霊屋敷、幽霊の出るホテルやお城など、ちょっと調べただけでも怖い話がぞろぞろ出てくる。

 

日本も、肝試しや百物語の風習が古くからあるし、妖怪も全国にいっぱいいる。

^ ^v

 

百物語の歴史は中世に始まり、江戸時代にはブームになったそうで、森鴎外も『百物語』という短編を書いている。

新月の夜に数人のグループで集まり、怪談を一話語るごとに行灯あるいは蝋燭の灯りを消していき、 百話終えて真の闇が訪れた時に本物の怪が現れるという怪談会のスタイルは、ホラーファンの私からみてもかなり恐怖度が高い。

日本人の怖いもの好きは、イギリス人に負けてないと思う。

 

ホラー映画の分野では、日本はもしかしたら世界最恐かもしれない。

『エクソシスト』(1973年•米)や『悪魔の棲む家』(1979年•米)を、ワクワクしながら見るオタクな私でも、『リング』(1998年•日)と『呪怨』(2003年•日)は怖すぎて、思わず絶叫した。

西洋の悪霊•悪魔より、日本のホラーはなんだか得体の知れないザワザワ感に背筋が凍るのだ。

 

日本人もイギリス人も、不思議なものや怖いものに興味津々で、その熱心度が他国の追随を許さないレベルで群を抜いている(笑)。


ただ「そういうもんはそっとしておけ。」の日本人に対し「科学的に解明してやる!」の英国人の気質の違いはあるようだ。

 

最後に。

よく行く三鷹のライブハウスのママさんが、去年イギリスに旅行したのだが、食べ物の不味さは想像以上だったと言っていた。

和食がユネスコ無形文化遺産に登録された事を考えれば、食べる事に対する情熱は日本の圧勝みたいだ ^ ^ ;

 

8月のメイ首相来日をきっかけに、イギリスについてちょっと考えてみようってことでシャーロック・ホームズから始めてみた。

現在のイギリスは、既に私が思い描く紳士の国ではないんだろうし、それを言うなら日本もサムライの国じゃない。

でも、何故かイギリスは心惹かれる国だ。

それはきっと、シャーロック・ホームズとエルキュール・ポワロのせいだけじゃない。

複雑な歴史や今も王室があること、シャイなくせに皮肉屋だったりするところ、島国気質というか何となく日本人と似ている感じがすること、、たぶん親しみに近い気持ちなんだろうと思う。

 

一つ羨ましいと思うところ。

街角のパブでビールを飲みながら、知らない人も友人も関係なくみんなで政治談義に盛り上がるって、ほんと憧れるなぁ、、。

 

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2017年

12月

02日

シャーロック・ホームズ -Part4-

シャーロック・ホームズとワトソン博士、エルキュール・ポワロとヘイスティングス大尉。

二人の名探偵とその相棒たちは、今も世界中の推理小説ファンに愛されている。

 

ホームズやポワロは相当な変人だが、その周りの登場人物--ワトソン博士・ヘイスティングス大尉を含め、一般の英国人はいたって普通の人たちだ。もちろん犯人以外は、、。

そういう人たちの言動を見ていると、日本人と英国人は、気質というか佇まいというか、どこか似ている気がする。( 現代のイギリスはちょっと違うかも? )

 

先日、ある本で読んだのだが。

太平洋戦争が終わった後、30年間もそのままフィリピンに潜伏していた元陸軍情報将校・小野田少尉。

彼がルバング島から日本に戻った時、羽田空港では大勢の報道陣が待ち構えていた。

年老いた父親と対面した彼は「ただいま帰ってきました」と言い、迎えた父親も丁寧に「ご苦労だった」と言った。お互いに抱き合うわけでもない。

その光景を見ていたイギリス人の記者が「イギリス人と同じだ。ヨーロッパ大陸の人間なら抱いて号泣するだろう」と言ったのだそうだ。

 

なるほどなぁ、、。

そう言えば、ワトソン博士もヘイスティングス大尉も、感情あらわに我を忘れて抱きついたり号泣したりという事はほぼ無い。

 

*英グラナダTV制作『シャーロック・ホームズの冒険』(1984〜1994年)

*英ロンドン・ウィークエンド・テレビ制作『名探偵ポワロ』(1989〜2013年)に拠る。

 

ホームズやポワロが、相手の気持ちなぞお構いなしに酷いことを言ったり無礼なことをやった時、( 名探偵たちは天才だからとっても我儘だ!)、ぐっと言葉を飲み込んで無視を決め込む時の相棒たちの顔つきは、私の父や周りの男性たちに見慣れたものだ。( 母も私も、我儘さだけは名探偵に負けていない・笑 )

 

英国紳士のダンディズムは、日本男児の武士道由来的な道徳とどこか通じるものがあるんだろうか。

 

ポワロはベルギー人で、時折、彼には奇異に見えるイギリス人の性格を茶化したり文句を言ったりする。

まぁ、ヘイスティングス大尉もフランス人やベルギー人に対しては辛辣だが、紳士だからめったに口に出して言わない。

面白かったのは、ある事件の聞き込みで、フランス人の老人( たぶん70歳代 )が愛人をもっていると聞いた時だ。

ヘイスティングス大尉が呆れてびっくり仰天するのだが、ポワロは平然と、そういう事に驚くのはヨーロッパであなた方イギリス人くらいなもんです、と言う。

 

これはたぶん、日本人も驚き呆れる事案だ。

 

『アクロイド殺人事件』の冒頭、ポワロがロンドンから郊外の田舎へ引っ越してすぐ、ご近所さんたちと挨拶するたびに「庭をお持ちでお幸せね。」と言われて辟易する、という場面がある。

『あなたの庭はどんな庭?(How Does Your Garden Grow?)』では、庭の所有権もからんで殺人まで起きる。

丹精込めて手入れをした庭を他人に奪われるのは、犯人にとって我慢ならない事だったようだ。

一般庶民の庭好きは、日本人もイギリス人に勝るとも劣らない。

私の周りには、庭石や灯籠、池や苔....そういうものに大金を投じる人たちが少なからずいる。

 

日本人とイギリス人の似ているところ--探せば他にも色々あるのだろうが、コナン・ドイルも会員だった『心霊現象研究協会(SPR)』は、ホラー・ファンな私としては、もっとも注目するところである(笑)。

 

次回は、心霊に関する日英の共通点について考えてみます。

 

***Part5に続く***

 

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2017年

11月

20日

シャーロック・ホームズ -Part3-

8月にメイ英首相が初来日した。

これから日本は、イギリスともっと仲良くしましょう〜日英同盟(?)・祝復活〜ということで、その日以降、個人的に大いに盛り上がっていた。

何故なら、イギリスはコナン・ドイルとアガサ・クリスティーを生んだ偉大な国である!ミステリーファンにとっては、もうひれ伏さんばかりに崇める国なのだ。

Jazzをやっているならニューヨークに行け、とよく言われるが、いやいや、ロンドン・ベイカー街221B( ホームズの住まい )が先だ、と秘かに心に決めている(笑)。

 

まずは私の永遠のアイドル、エルキュール・ポワロ( 原作アガサ・クリスティー )について書きたいところだったが、彼はベルギー人である。

英国に敬意を表す、ということで、英国人探偵シャーロック・ホームズについてPart1〜2と書いたのだが、Part3は、ノーベル賞やら国難突破選挙やらいろいろあってしばらくお預けになっていた。

 

そんな矢先、吉祥寺の某ライブハウスで演奏をしていたら、30代くらいの外国人の男性が一人ふらっとお店に入ってきた。

メンバーのベーシストとドラマーが話しかけたら、なんと日本語ぺらぺらなので、みんな一緒に写真を撮ったりわいわい楽しくやりだした。

あんまり日本語が流暢なので、ずっと日本に住んでいるのかと思ったら、ロンドン(wow ! )から観光に来て自転車で日本を巡っているらしい。

よっぽど日本が好きなんだなぁ...。

 

私「そういえば、メイ首相がこの前、日本に来てましたね。」

彼「メイ?誰、それ?」

私「…。」

私「シャーロック・ホームズの大ファンです❤️」

彼「ふ〜ん、、。わたし、ジブリ大好き❤️」

私「…。」

私「あ、このスマホケース、エヴァンゲリオンですかぁ?」

彼「違います💢ジブリです❗️」

私「、、すんません....。」

 

私だけ、ことごとく仲良くできなくて凹んだ。

ほんとにイギリスが好きなんだけどなぁ....。

なんだか、長年、想いを寄せていた人に肘鉄を食らったようで、微妙にがっかりした。

 

ロンドンからはるばる来た彼は、きっと三鷹の森ジブリ美術館を訪れることを、ずっと夢見ていたのだろう。

その気持ちだけは、”ベイカー街221B”に憧れる私としてはとってもよく分かる気がした。

 

オタク同士、方向性がちょっと違っただけだよね!

 

***Part4に続く***

 

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2017年

11月

11日

土瓶蒸し

恥ずかしながら....。この年になって生まれて初めて、土瓶蒸しというものを食べた。

(土瓶蒸し:蒸し物料理の一つ。松茸、白身の魚などを土瓶に入れて蒸し煮にしたもの。by三省堂大辞林)

 

帰省した新潟で、某料亭の懐石コースで対面したのだが、”松茸を使った料理”くらいしか知らなかったから、期待は格別なかった。

運ばれてきた土瓶を前にどうやって食べるのか分からないでいたら、給仕の方が教えてくれた。

「こちらのお猪口にすだちをちょっと絞って、出汁を注いで召し上がってください。」

 

小さなお猪口から、馥郁たる秋の松茸が香る。

一口、味わった瞬間、なんとも言えない複雑な味わいにくらっとした。

初めての味わい、、。

人間、あんまり驚くと言葉が出てこないものだ。

「う〜。。」と唸ったきり、黙々と味覚と嗅覚に集中した。


後日、数年来の友人に会った時に、その感動をなんとか伝えようと思った。

土瓶蒸しという料理が、どれほど凄いものなのか(笑)!

 

「もうね、ほんとにねぇ、こう、ぱぁ〜っと口の中に出汁と松茸とお魚のねぇ、、。」

ボキャブラリーの絶望的な貧しさに我ながら焦りつつ、それでもあの信じられない興奮を少しでも分かってもらおうと、必死にあ〜だこ〜だと頑張る。

 

因みに、彼女は土瓶蒸しを食べた事がない。

そして、土瓶蒸しの外見は明らかにぱっとしない。地味である。

視覚的に訴える要素がほとんど無いのだ。

 

相手は、私の大変な熱意だけを理解する。

にっこり笑いながら、

「ふ〜ん、そう、、。そりゃ良かったね。」

「…。」

ふっと我にかえって、何やってんだ、私。これじゃあ相手を羨ましがらせているだけじゃないか、、。がっくりしながら思った。

 

最近、インターネットで良く見る保守の論客・有本香さんと石平さん。

有本さんは、小池都政やロヒンギャ問題、国際政治にとても詳しい。

石平さんは中国生まれの中国人だが、1989年の天安門事件で中国の政治体制に絶望し、2007年、帰化して日本国籍になった。

 

二人はいつも、舌鋒鋭く日本や世界の情勢を語るのだが、ある日の楽屋での雑談が面白かった。

 

「有本さん、旅先で食べた美味しい食事の写真、なんでわざわざメールで私に送ってくるか? 私、食べられないのに、頭くるよ。」

「え〜、だって、あれ、ほんとに美味しかったんですよ。」

 

石平さん、まさに正論です。

美味しいものは、視覚や聴覚では少しも共有できない。

どんなに説明されても目の前に何枚写真を並べられても、同じものを食べてみない限り、「だから何?!」なのだ。

石平さんは、みんなが感じてもなかなか口に出さない本音を正直に言って、本気で怒っていた(笑)。

 

「あの店の土瓶蒸し、食べた?」

「うん。あれは絶品。」

「そうそう、あの出汁の塩加減がね、、。」

 

料理については、こういうのが正しい。

相手に、「ふ〜ん、そう、、。そりゃ良かったね。」と言わせたなら、こちらは「今度、ご馳走しますよ。」とまで言う覚悟を決めないといけない。

 

土瓶蒸しは、そんな人生の教訓(笑)を考えさせる本当に凄い料理なのだった。

 

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2017年

10月

21日

青空!

毎日、どんよりした天気が続いている。

せっかく秋なのになぁ、、。

 

気分もどよ〜んとしつつ、スマホにたまった写真をつらつら整理していた。

すると....。

先月、新潟に高速バスで帰った時に、越後川口SAで撮った一枚が目に止まった。

 

すっかり忘れていたのだが、この時たしか、まさに秋!空気が爽やかで心地よく、ただそれだけで小躍りするほど嬉しかったのだ。

青い空がほんとに大きくて、白い雲が手でつかめそうなくらい近かった。

 

PCでフルスクリーンにしたら、あの時の幸せな気持ちがしばし蘇ってきた。

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2017年

10月

19日

選挙-不在者投票

10/22に行われる「国難突破解散」による衆議院議員総選挙。

 

2013〜2014年、家族の介護で新潟に一時帰っていたのだが、その時に住民票を移して、以来そのままになっている。

今年夏の東京都知事選挙では、東京に住んでいて周りが大変な盛り上がりだったし、自民党東京都連と小池百合子候補については、選挙権もないのに無駄にいろいろ考えていたから(笑)、もうそろそろ住民票を東京に戻そうかとも思った。

 

でも、自分の中でなかなか踏ん切りがつかない。

新潟市郊外、小さなピノキオ公園すぐ隣り、あの古びた家の住民であることを無い事にしたくなかった。父も母もいないけれど、帰ればきっと、我が家に帰ったと気持ちが落ち着くのだ。

手続きの煩雑さより、たぶん、ほんの小さな感傷なのだと思う。

 

不在者投票請求書を新潟市選挙管理委員会に郵送したら、今朝、オレンジ色の簡易書留で、候補者名簿その他の書類と一緒に届いた。

投票用紙の封筒には『開封厳禁』とシールが貼ってある。

これを持って、近くの地域区民センターに行けば、東京にいながら新潟市の選挙に投票できるのだ。

「あなたの一票は大事な一票です!」と言われたような気がして、ちょっと感動してしまった(笑)。

 

今回の選挙は、「国難突破」の為の大事な選挙だから、日本国民として投票するのだ。


今までのやり方ではきっと突破できないような重大な事態が、近いうちに日本に起こる、その為の国の備えを一体どうするのか。リーダーを誰にするのか。

 

各政党の党首の言葉を、ネットでちゃんと聞いてしっかり考えようと思った。

 

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2017年

10月

06日

ノーベル文学賞

8月30日、英国のメイ首相が日本を初来日したのを機に、しばしイギリスについて考えてみようってことで、シャーロック・ホームズについての記事をPart1、2と書いてきた。

Part3をアップしようかなと思っていた矢先、嬉しいニュースが飛び込んできた。

 

『ノーベル文学賞、日系英国人作家カズオ・イシグロ氏が受賞』

イシグロ氏は、長崎市で生まれ、5歳で英国に移住。1982年に英国に帰化したのだそうだ。

 

ずっと以前に、アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソン主演の『日の名残り』(1993年・米)という映画を見た。

1930年代、英国名門家の執事と女中頭の淡い恋が、戦前のナチス・ドイツとイギリスの外交を背景に描かれる。

 

主人公である侯爵家の執事がとても英国的であるのに( バトラーという英国独特の職業と、彼が持つ階級意識のせいか....)、彼の心の動きがあまりに日本人的なことにちょっとショックを受けた。

エンドロールで原作者の名前を注意して見たら”カズオ・イシグロ”とあって、ひどく納得したのを覚えている。

ああ、やっぱり日本人だ、、。

その時初めて、イシグロ氏を知ったのだが、凄い作家だなぁと思った。

原作を読んでみようと、図書館まで行ったところまでは覚えているのだが、きっと何かつまらない理由でそのままになってしまった。

 


改めて、ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロ氏の作品をしっかり読んでみようと思う。

氏の直近の作品『忘れられた巨人』も、興味深いテーマだ。

 

「社会や国家はどんなことを忘れ、どんなことは覚えているのか」

 

今の日本--歴史問題に否応なしに直面している日本にとって、一度しっかり考えておくべき問題じゃないだろうか。

 

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2017年

9月

29日

シャーロック・ホームズ -Part2-

私のミステリー入門は、アルセーヌ・ルパンというフランス人怪盗だった。

( 因みに、アニメの『ルパン三世』は、アルセーヌ・ルパンの孫である。....というか、そういう設定である。)

*アルセーヌ・ルパン

『フランスの小説家モーリス・ルブランが、1905年〜1939年に執筆した推理・冒険小説の主人公。、、

紳士にして、冒険家。変装の名人でいくつもの変名を持つ。貴族の城館や資本家の邸宅などを襲い宝石や美術品、貴重な家具などを盗んでいく大胆不敵な大泥棒。また、脱獄の名人でもある。

一方、善良な者を助ける義賊の性格もあわせ持っており、虐げられた婦人や子供にとっては頼もしい保護者となる。

多くの女性に惚れ、また彼も多くの女性を虜にしているが、作中に描写される限りでは浮気はしていない。しかし、彼と深い仲となった女性の多くは様々な事情で短命であったため、結果的に多くの女性と恋愛をしている。、、』(wikipediaより)

 


小学3年生の子供のくせにルパンに恋していた私は、彼の愛する妻、レイモンドが計らずも敵の銃弾に倒れ、夫の腕の中で息をひきとる場面に号泣する(『奇巌城』)。

この銃を撃った憎き敵こそがシャーロック・ホームズで、この時から彼は完全に悪役認定されてしまった。

もっとも、コナン・ドイルはモーリス・ルブランに、勝手にシャーロック・ホームズの名前を小説で使うな、と厳重抗議したらしい。( いくら人気のキャラクターでも、外国で無断借用しちゃダメでしょ....。あれ?そうすると『ルパン三世』はどうなるんだ?)

結局、モーリス・ルブランの原作では、”シャーロック・ホームズ”じゃなくて”エルロック・ショルメ”に改名されたらしい。( 日本語訳では、ほとんど”シャーロック・ホームズ”のままである。)

 

”正しいミステリーファン”(笑)であるならば、シャーロック・ホームズは絶対に外せない存在だ。

まずホームズあってのエルキュール・ポワロ、エラリー・クイン、ブラウン神父なのだ。まぁ元祖というか別格というか、、。

そのミステリー界の常識に反する変な思い込み--ホームズは悪いやつ--のせいで、長年、矛盾と内的葛藤(笑)にモヤモヤしていたある日、『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』(1985年・米 )という映画を見た。

 

当時、アメリカの映画界で流行り出したCG映像満載のスピルバーグ映画で、コナン・ドイルの原作とは関係ないインディ・ジョーンズみたいな冒険ストーリーもウケて、かなり話題になった。

「寄宿学校の同級生で15〜6歳の少年」という設定のワトソンとホームズの相棒関係もめっちゃ微笑ましい。

長身・美少年の天才ホームズと、おっとり丸顔・食いしん坊のワトソン、そして若きシャーロックの可憐な恋人エリザベス。

 

そのエリザベスが、宿敵モリアーティ教授の凶弾に倒れ、亡くなってしまう。

なんと、ホームズも、愛する恋人を敵に殺されてしまうのだ!

 

 


愛する人を失うというシチュエーションは、たとえ空想の世界であっても、若い女性にとってなかなかのインパクトである。

あげく、コナン・ドイル原作のシャーロック・ホームズが生涯独身だったのは、このエリザベスを愛し続けたからだった....、という胸キュンなラストのおかげで、長年のシャーロック・ホームズ=悪役認定はガラガラと崩れ落ちた。

 

幼い日のルパンの呪縛からめでたく解放され、またこの頃に、名優ジェレミー・ブレッドの素晴らしいホームズと出会って、めでたく”正しいシャーロック・ホームズファン”になることができた。

私とホームズの関係は、ちょっと屈折しているのだ(笑)。

 

こんな話を友人にしても、胡散臭げに呆れられるだけだから、ずっと心にしまっていた。

 

先日、NHKのBSプレミアムで『ルパンからの予告状〜謎とスリルに満ちた伝説の至宝〜』という放送があった。

( 番組内容:怪盗アルセーヌ・ルパンなら、今どんな秘宝を狙うのか?ルパンの予告状をヒントに謎解きへ旅立つ新感覚アートミステリー!最新の科学分析の数々!ルパンの狙いを見破れ!)

 

この意欲的な(!)番組をたまたま見ていて、ふっと、ルパンに恋していたあの日、ホームズが大っ嫌いだった遠い少女時代を思い出した。

小学校の図書室の木造の本棚と、ちょっとかび臭い本の匂い。

学校から帰ると、宿題もそこそこに本ばかり読んでいた。

 

最近、ミステリー読んでないなぁ、、。

 

『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(ケント・ギルバート著)はとっても面白かったけど、どうも私の毎日、夢がなくなってるよなぁ、、。

本を読んでは泣いたり怒ったりドキドキしたりキュ〜ンとしたり、夢見る乙女(笑)だった私がここ数年、中国だ北朝鮮だアメリカだと、なんだかいつも怒っているような気がする。

日本の心配はそれとして、もちっとロマンチックな要素があってもいいんじゃないだろうか?

恋とか愛とか涙とかじゃなくて、なんというか未知のものとか冒険とか驚きとか、、。

 

ふ〜む、面白そうなSF小説でも探してみるか....。

 

***Part3に続く***

 

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2017年

9月

10日

シャーロック・ホームズ -Part1-

先日、英国のメイ首相が日本を公式訪問した。

英国と日本の連携強化が進むらしい。

『祝・日英同盟(?)復活!』ということで、しばしイギリスについて考えてみた。

 

創元推理文庫で育った私にとって、イギリスと言えば、まず第一にシャーロック・ホームズである ^ ^ v

私の少女時代からの永遠のアイドル、名探偵エルキュール・ポワロはベルギー人だが、彼よりもっと有名で、100年以上にもわたって世界中で愛されている偉大なイギリス人探偵が、シャーロック・ホームズだ。

 

以前、英国製作のドキュメンタリー番組で見たのだが、現在、法医学-科学捜査関係で活躍する人たちの中には、小さい頃からホームズの大ファンで、彼に憧れてその職に就いた人たちがかなりいる。

 

大きな拡大鏡とピンセット、その他いろいろなアイテムを使って、現場に残る葉巻きの灰さえ見逃さず、証拠と論理的な推理をもって犯人を突き止めるというホームズ独特のスタイルは、現代の犯罪捜査の手法に繋がるのだそうだ。

 


コナン・ドイルがホームズシリーズを書いた時代は、19世紀後半。

同じ時期に、あの凄惨な”切り裂きジャック”事件がロンドンの街中で起きて、少なくとも5人の売春婦がむごたらしく殺害された。

犯人が捕まらないまま迷宮入りして、現在に至るまで謎の大事件として有名だ。

 

この時代の犯罪捜査は今のように科学的ではなく、犯行現場は野次馬や警官たちによってめちゃくちゃ荒らされるし、証拠を精査するという近代的手法も確立していなかったので、まずは疑わしい容疑者をかたっぱしから引っ張ってきて自白させる、みたいな時代だったらしい。

 


その頃、日本は明治時代。

正確には、”切り裂きジャック”事件が起きた1888年は日本で明治21年。

1883年に東京・麹町に鹿鳴館が完成して、極端な欧化政策で無理やりな西洋化が進んでいた。

 

ちょうど、江戸時代から明治時代へと移り変わる時代を舞台にした探偵小説に、岡本綺堂の『半七捕物帳』がある。(大正6年/連載開始)

目端の利く優秀な岡っ引き”半七"が活躍するが、犯人を挙げる時にはだいたい物的証拠より状況証拠が決め手になる。

「犯人はおめぇだな。どうだ、そうだろう。こうなったらしょうがねぇ、お上のお慈悲を乞え。」

「旦那、恐れ入りました、、。」

証拠を出せ〜っと居直るような犯人は、まず出てこない。

 

指紋や血痕判定、足跡や遺留物の保存などの法医学の基礎的概念は、イギリスではホームズの時代に広まった。

”切り裂きジャック”事件が、警察の杜撰な捜査のせいで迷宮入りした事への庶民の不満は、相当にひどかった。科学的な手法の導入は待った無しだったのだろう。

ホームズが、スコットランドヤードのレストレード警部に時おり浴びせる嫌味や警察組織への嘲笑には、そうした背景があったようだ。

 

現代では、DNA鑑定やプロファイリングなどの凄い技術があるから、犯人検挙率は100%に近いのか、と思うとそうでもない。(それでも、日本の凶悪犯の検挙率はめちゃ高いらしいが...。)

やはり最終的には、捜査する人たちの推理力や執念、洞察力や着眼力とか、そういう個人の力がものを言うのだなぁ、と思う。

科学という道具を使うのは、能力を持つ人間なのだ。

 

その先駆けがシャーロック・ホームズだった。

作品中で、彼が独自に駆使する化学の知識や足跡・血液の分析、行動観察の方法などは、そっくり今の科学捜査に受け継がれている。

 

コナン・ドイルの原作に一番近く、ホームズ史上最高と評価されている故ジェレミー・ブレッドの演じたシャーロック・ホームズ。

陰鬱で皮肉屋の表の顔と、お茶目ないたずら坊主のような隠れた顔。

時折り常軌を逸するあぶない精神と剃刀のように鋭い論理的思考。


きっと、シャーロック・ホームズはこういう人だったんだ、、うん、そうに違いないと、世界中のみんなが納得した。

 

*ジェレミー・ブレッド

『グラナダテレビの5シーズンにわたるシリーズに主演した。

その姿はシドニー・パジェットが描いた挿絵から抜き出て来た程とまで言われ、奇抜かつ繊細な演技でホームズを演じた。

、、全集を完成する前に心臓病のため短編集を含む18作品を残して他界した。本作は2013年現在でも人気が衰える事がなく、NHKだけでなくCATVのチャンネルでも数多く再放送されており、いまだ多くの人々に愛されている。、』

(wikipediaより)

 

***Part2に続く***

 

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2017年

8月

31日

ミサイル

一昨日29日の朝、新潟の友人から

 「今朝はJアラートで起こされた。気分が悪いよね。」
とメールが来た。
びっくりしてインターネットのニュースを見たら、午前6時頃、北朝鮮が北海道上空を通過する弾道ミサイルを発射していた。

 


東京は距離があるせいか、Jアラートは鳴らなかったようだ。

専門的な事は分からないが、これは今までの挑発のレベルを超えた、かなり『深刻で重大な脅威』(安倍総理の会見)らしい。

 

もうやけくそ状態なのかなぁ、北朝鮮。

韓国大統領は、相変わらずよく分からない事をやっている。もしかして、アメリカの同盟国だって事、忘れてる?

日本は、アメリカと協力して対応するようだ。

アメリカと日本、、。

 

アメリカは世界一の軍事力を持っている。

世界中の紛争地帯で、数多く武力行使を行ってきた。

国連で最大の力を持つ超大国。

 

世界で影響力を持つ為には軍事力の後ろ盾が不可欠だ。

その意味で言えば、日本は尊敬はされても発言はなかなか聞いてもらえない。戦いに参加する事がないから。

でも、自ら進んで戦う事はしなくても、日本人の調停能力は「和を以て貴しと為す」の聖徳太子の頃から筋金入りだから、もっと国際舞台で活用されれば良いのに、と思う。

大岡政談みたいな話がそこらじゅうにある国なのだ。

調停役として、世界の信頼が集まれば、大きな力にならないだろうか。

日本に出来る役割り、日本にしか出来ない役割りがきっとあるはずだと思う。

 

日本の歩み寄りや譲歩、提案や静かな怒りの表明、全てを無視してきた北朝鮮。アメリカの介入で、事態は良くなるのだろうか?

拉致された人たちは帰ってくるのだろうか?

虐げられた国民は救われるんだろうか?

 

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2017年

8月

28日

ある日突然、太った...

去年の後半くらいから、会う人みんなに「痩せた?」と驚かれ、自分でも痩せたかなぁ、と鏡を覗いて思ったので、食事やおやつで地味に努力していた。( 体重を計る習慣がないので、東京の家には体重計がない。)

なんと腹筋トレーニンも始めた。( 痩せたのはきっと胃下垂のせいだ!)

 

「凄い!どのくらいやってるの?」

「こんな感じで毎晩10回 ^o^」

「....10回....(笑)。」

「続けるのが大事なのよ!」

 

ほとんど効果が出ないまま、今年6月に大風邪をひいて数日間寝込んでしまい、飲まず食わずでまた痩せた気がした。

がっかりしつつも、またたくさん食べて腹筋10回を続けた。

 


そして8月。

おっ!と思った。下半身がぽちゃっとしたかも....。

それがいきなりだったので、ちょっと不思議な感じがした。

太る時というのは、ボン!バン!と来るのだなぁ、、。

 

そういえば以前、仲間とJazzの練習について話していて、誰かがこう言ったのを思い出した。

「上手くなる時って、急だよね。」

楽器の上達グラフは右上がりの直線ではなく、階段を登るようにギザギザだというのは、自分の感覚でも人の演奏を聴いていても何となく感じる。

ピアノを弾くたびに可哀想になる薬指の筋力も、いきなりボン!バン!とつくんだろうか?

 

演奏のために必要な筋肉と、目的も無くただぽちゃっとついた脂肪を同列に語るというのもなんだが、"結果が突然現れる"という点で似ているかなぁ、と思う。

 

人間の身体は、いろいろ謎だ。

 

2年前にある事で悩んで考え過ぎた時、脳がオーバーヒートして煙が出そうだった。

若い頃に失恋した時、心臓がひどく痛くて胸が張り裂けるかと思った。

大好きなアーティストの武道館公演に行って帰り道、あんまり嬉しかったせいか血管中の血液が爆走して、駅まで飛び跳ねながら完走した。

父が亡くなってお葬式が終わった晩、台所で洗い物をしていたら父の声が耳の奥に聞こえた。

 

どういうメカニズムなのか、医学の知識が無い私にはさっぱり分からないが、身体は心と密に連携して、心の為に頑張ったり、頑張り過ぎたり、傷ついたり、優しくなったりするみたいだ。

急に痩せてなかなか太れなかったのは、きっと心が何かをボソボソつぶやいたに違いない。

そう思ったら幾つか思い当たることもあって、身体の苦労を思いやってちょっと切なくなった。

 

大事にしないとなぁ、、。

いつまでもそうそう甘えてばかりもいられない。腹筋だけじゃなく、心も鍛えないと、、。

今更だけど、反省を込めて3つ決意した。

 

『くよくよしない』

『暴飲暴食の誘惑に負けない』

『ちゃんと寝る』

 

たぶん、『くよくよしない』ってのが私の一番の努力目標だな....うん。

ずっとピアノを弾き続けられますように。

まずは健康第一!

    
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2017年

8月

12日

花火大会

7月29日の隅田川花火大会。

あいにくの雨にもかかわらず74万8000人もの見物客が訪れ、傘をさしながら壮大な花火ショーを楽しんだそうだ。

 

何年か前の隅田川花火大会の日のことを思い出した。


たまたまその日は浅草にあるライブハウスで仕事があって、夕方ちょっと早めに出かけた。

浅草駅前は大変な人出だろうと覚悟はしていたが、とにかく物凄いことになっていた。

 

都営浅草線のホームや車内には、可愛らしい浴衣を着た若い女性があちこちにいて、あぁ、今日は花火大会なんだよなぁ、、なんて微笑みながら眺めていた。

ふんふんとのん気に地下鉄の階段を上って地上に出たとたん、あまりのたくさんの人にくらっと来た。

見渡す限りの人の海に圧倒され、足を踏み出すのが怖いくらいだ。

「負けないぞ〜」気合いを入れると、脳内にアドレナリンがドッと分泌された気がした。

 

拡声器からお巡りさんの声がガァガァ聞こえる。

「止まらないで下さい。止まらないで下さい。前に進んで下さい。」

いや、そっちに行くとライブハウスに行けないんだけど、と思いながらも、ぎゅうぎゅう詰めの人の波に押され流され、まるで川下りだ。どこまで行くんだと不安になっても、なかなか列の端にも行けない。
しばらく行ったところでようやく人波から逃れて、大回りして仕事先のライブハウスにたどり着いた。
いつもの落ち着いた空気に戻って楽屋でほっと一息ついていると、共演者たちがぽつぽつとやって来た。
窓の外を見ながら「花火、見えるかねぇ?」と言い合ったが、どうも方角的に無理らしい。どっちにしろ、演奏時間中だから花火は見れないんだが、、。

 

そして数時間後。

仕事帰りに、”つわものどもが夢の跡....”みたいな大通りをぶらぶら歩いた。(全車両通行止めだ。)

花火大会は既に終わっていて、手をつないだカップルや帰りがけの家族、ファストフード店から出てくる若者たちが、三々五々歩いている。

近くのレストランが、大テーブルと椅子を数脚運び出して宴会をやったようで、大通りの真ん中にオブジェのように放置されていた。こういう花火見物のやり方もあるんだなぁ、と少し驚いた。

 

帰りの駅は、これまた物凄いことになっていた。

切符売り場もごった返していたが、電車に乗るにも勇気がいる。

すくまで待っていたらいつ帰れるかわからないので、周りの大勢の人たちと一緒にえいやっと乗り込んだ。

 

車内はそれでも、お祭りの雰囲気がそのまま持ち込まれたようにどこかうきうきと楽しげだ。

ぎっしり詰め込まれた乗客たちも、混雑にいらいらする様子はない。夏特有の明るい空気が流れていた。

 

周りを見回していたら、近くにいた外人さんが青い顔をしていた。

朝の通勤電車並みの車内にショックを受けたのかな、と思って見つめたら、「次の駅、降りられない」みたいな事を言っている。

私は「大丈夫。」と請け合って、次の駅に着くとすぐ「降りま〜す‼︎」と大声で叫んだ。そして外人さんの背中を出口の方にぐいと押し出すと、みんな少しよけて彼をなんとか通してくれた。

無事に降りられたみたいなので安心して、つり革をつかみながらぼっと思った。

東京に長くいる私にとっても今日の人混みは特に凄かったから、観光で来たらしいあの外人さんにはさぞ大変な一日だったろう、、。ちょっと同情した。

そして、浅草にいながら花火をちょっとも見れなかった私も、なかなか残念なことだった。

 

今日、商店街の八百屋さんに行ったら、お店のお兄さんが真っ黒に日焼けしていたので「海に行ったね?」とからかうように聞いた。

「海、行きました!いやぁ、海、いっすよね。」

「でも人がいっぱいでしょ?」

「人混み、だめなんですか?」

「そうね、人混みはね、、。前に浅草の花火大会に行ったけどもの凄くてね、、。」(さすがに花火を見てないとは言えない・笑)

「隅田川花火大会!俺も行きましたよ。もぅ〜はんぱないっすよね、帰る時なんか大勢でずいぶん歩いて、、。もう二度と行かないっす!」

彼はレジを打ちながらきっぱり言った。

 

私にとっては、海も花火大会も同じようなもんなのだが、リミッターレベルが高い彼でも隅田川は相当だったらしい。

恐るべし、、。

 

人がたくさん集まるイベントはきっと楽しい筈なのだけれど、私のように人混みが苦手だと覚悟と気力がいる。

でも、そんな事を言っていると、そのうち博物館か図書館しか行かなくなるぞとも思うわけで、、。

 

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2017年

7月

29日

夏は苦手

ちょうど梅雨明けした頃だったか、ネットの健康情報を見ていたら”自律的な体温調節” についての記事があった。

自然に汗をかくことで身体を暑さに慣れさせる⇒あまり冷房に頼らずに夏を健康的に乗り切ろう!てな事で、なるほど〜そうだそうだと思ってやってみる事にした。

確かに毎年、冷房をつけ過ぎて体調が悪くなっている気がする。


扇風機や氷を入れたIce Bagを使い、冷たい飲み物もやめて温かいお茶やお湯にした。

気のせいか、例年より調子が良い。

と言っても、まだ始めたばっかりなんだが、、(笑)。

 

これから夏本番。

体質改善に向けて、無理せず頑張ろうと思っております!

 

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2017年

7月

20日

『ボビー・フィッシャーを探して』(1993年米映画)

先日、史上最年少の14歳2ヶ月でプロ入りを果たし、デビュー以来29連勝を達成した藤井聡太四段。

ネットで彼について調べたら、5歳で将棋を始め、8歳の時には既に将棋界で天才と言われていたそうだ。その後、生来の負けず嫌いの性格もあってメキメキとと実力を伸ばしてきた。

 

将棋はまったくわからないけれど、たまたま彼の連勝中に『ボビー・フィッシャーを探して』という映画を見て、主人公のチェスの天才少年が藤井聡太くんとちょっとかぶった。

 

映画の主人公は実在の人物で、ジョシュ・ウェイツキンという天才チェスプレーヤー。

7歳にして”ボビー・フィッシャーの再来”と騒がれ、16歳でインターナショナル・マスター、全米ジュニアチェス選手権で2年連続優勝したとんでもない神童だ。

 


”ボビー・フィッシャーは、アメリカ合衆国の伝説的なチェスプレーヤーである。1943年生まれ。6歳でチェスを始め、14歳でインターナショナル・マスターとなり、15歳でグランド・マスターとなる。

15歳でのグランド・マスターは、世界最年少記録だった。

冷戦下にソビエト連邦の選手を下し、アメリカ合衆国歴史上、初となる公式世界チャンピオンになったことで、英雄としてもてはやされた”(Wikipediaより)。

 

この時の試合は、キッシンジャーが自ら電話をかけてフィッシャーを激励するほどに、アメリカの国威をかけた一大事だったらしい。

フィッシャーは29歳で世界チャンピオンになった後、表舞台から姿を消して隠遁生活を送った。世界の様々な場所を転々とし、日本にも事実婚の奥さんがいたようだ。

 

『ボビー・フィッシャーを探して』という映画は、ジョシュ・ウェイツキンの父親が7歳の息子の並外れたチェスの才能に気付いて、かつてのチェスの名手ブルース・パンドルフィーニに息子のコーチを依頼するところから始まる。

 

大人たちは、この小さな少年が第二のボビー・フィッシャーになる事を期待し、ジョシュもその期待に応えていく。

常に勝つ事を求められるって、どれほどのプレッシャーなんだろうか?

映画の中でジョシュ少年は、負ける事への恐怖に押しつぶされそうになる。

 

才能がある者に周りの者たちは無責任に期待し、期待が裏切られた時には無慈悲に失望する。スポーツや芸術の世界でも、一流の人たちはみんなその恐ろしさと戦っているのだ。

 

わずか7歳でそんな恐怖を知ったジョシュだが、父母や師匠の暖かい愛情で乗り越えていく。

やっぱり名を残す人というのは、才能だけではなく精神力が凄いのだ。自分に負けない力が並外れているのだ。

勝負の世界は結果が全てで言い訳は通らない。

誰かに勝つことの前に、まず自分に勝つーその事が本当に難しくて大変なのだなぁ、、。

 

将棋の藤井聡太くんは、押しかけるマスコミや日本中の国民に注目される中で淡々と勝利を重ねた。

映画を見たせいか、藤井四段の将棋の強さもさる事ながら、彼の心の強さに感動した。

14歳でデビュー。まさに神童だ。

この先に待ち受ける沢山の勝負を、どうか楽しみながら戦い抜いていって欲しいと思う。

応援しています!

 

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2017年

6月

27日

太宰治-なぜか混浴について-

最近、太宰治を読んでいる。

 

太宰治は、『人間失格』と『斜陽』を、大学時代に国文学専攻の学生として正しく(?)読んで、以来それきりになっていた。

あまり好きになれなかった。(もちろん『走れメロス』は学校の授業で読んでめちゃ感動したが。)

森鴎外の対極のような生き方をした人で、時代の違いを考えてもとても心が弱い人に思われ、その作品を読もうという気が全くおきなかった。

 

たまたま先日、『きりぎりす』という短編を読む機会があって、ちょっといいな、、と思った。

『カチカチ山』でへぇ〜っと感心し、『東京八景』で妙に感動した。私も人生の苦労が少しは分かってきたってことか、、。

 

今日、『美少女』という短編を読んだ。

そして、ストーリーとは関係なく、えっ?とびっくりした事があった。

太宰治が30歳の時に発表した私小説なのだが、当時、彼は結婚したばかりで甲府市のまちはずれに住んでいた。

 

ある日、彼は妻と一緒に、歩いて20分ほどの温泉に出かける。そこは病気療養の効がある温泉なのだが、普通に混浴なのだ。

”普通に”というのは、作中、太宰や彼の新妻を含め誰一人、混浴という事に違和感を持っていないらしく、みんな平気な顔で湯に入っている。

 


3坪ほどのあまり大きくない湯槽の中で、太宰は、タイトルにある通り16〜18歳くらいの「美少女」に出会い、その裸体のみずみずしい美しさに感激する。

「いいものを見た、」なんて邪気もなく喜んでいるところは、まぁ普通の男性の普通すぎる反応なのだが、、。

 

不躾にじろじろ見ている太宰を咎める人は誰もいない。それどころか、側にいた老爺は「衰弱には、いっとうええ。」とか言って、鉱泉を飲むように親切に勧めてくれるのである。

 

その後の話の展開や、「それだけの悪徳物語である。」なんていう太宰特有の自嘲めいた述懐などがこの作品の面白いところなのだろうが、私はどうにも”普通に混浴”が気になって、いっこう頭から出て行かない(笑)。

戦前(『美少女』は1939年発表 )の日本の風俗が今とあまりに違うので、すんなり受け入れることができないのだ。

混浴というのは江戸時代の話だと勝手に思い込んでいたのもあって、そんなに昔でもない昭和の時代に、混浴が庶民の間で普通にあったというのはちょっとした衝撃だった。

もし外国人がこの事実を知ったら、びっくり仰天するに違いない。

文明国でありえない!と言うだろう(笑)。

 

混浴の歴史なんかを調べてみるのも面白そうだが、それよりも、当時の日本の事を考えてみると興味深い。

このわずか2年後に真珠湾攻撃、こてんぱんにアメリカに負けて『堕落論』なんてものが出て来るくらいに日本人の心が無茶苦茶になっていくのだ。

数年のうちに社会が劇的に変わり、それまでの考え方がことごとく否定されて、人々は誇りも自信も急速に失っていく。

日本の精神文化が、ある意味断絶した。

 

西欧的な価値観が浸透している現代の私たちにとって、戦前の日本はもはや異空間だ。

落語の人情噺や山本周五郎・藤沢周平の世界が、遠い昔のファンタジーに感じられるのと同じくらいに、昭和の日本もきっと、どんどん遠くなっていく。

 

今、”普通”だと思っていることが、数十年後、まったく”普通”でなくなっているかも....と考えるとちょっと寂しい。

既に私が小さかった頃と現在では、近所付き合いでも友人とのコミュニケーションでも、いろいろな事が全く違う。

その一方で、日本人が古来ずっと心に持っているものは、たぶん、どんなに時が経って社会が変わっても変わらない。根っこにあるものは、そんなに変わらない気がする。

考え方は変化しても、心の中まで完全に変わることはないのだと思う。

  

それにしても、じいさんばあさん達と若夫婦、それにとびきりの美少女がみんなで一緒に湯槽につかっているって、何だかもの凄い事じゃないだろうか、、。

想像すると、ほのぼのし過ぎて泣けてくる(笑)。

 

日本はほんと良い国だなぁ....。つくづくそう思う。

太宰治も、だんだん好きになっている。

 

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2017年

6月

20日

隣りのマンションで!

夕方、5時過ぎ。

さて夕飯の支度でもするか、と思った矢先だった。

 

けたたましいサイレンの音がいきなり近づいて来た。

スピーカーで男性が何かがなりたてている。

緊急事態が起こったんだなと分かったが、どうもうちの近所らしく、がなり声がめちゃくちゃ近い。もの凄く近い。その上、なかなか遠くに去っていかない。      

あれ?と思ったが、スピーカーの音が割れて何を言っているのかほとんど聞き取れない。

ちゃんと聞こうと思ってベランダに出てみたら、通行人が何人か立ち止まってこちらを見上げていた。

え〜っ、うちのマンション?! と慌てて、ベランダと反対側の玄関まで走ってドアを開けた。

 

私の部屋は3階で、ドアの前の通路から隣りのマンションの3階通路が見渡せる。

ちょうど斜め前あたりの部屋のドアの前に、完全装備の消防士さんが3人駆けつけていた。

「ドア、開いてる!」と一人が大声で叫んで、もうもうと大量に流れ出す灰色の煙の奥に、真っ黒に焦げた部屋の中がちらっと見えた。

火はもう収まったんだろうか。

「わ、火事!」と驚いて部屋に戻ると、ベランダと玄関をうろうろ往復した。

ベランダでも玄関でも、うちのマンションで慌てているのはなぜか私一人だ....。

何だか気抜けして、部屋の真ん中で所在なく立っていた。

 

しばらくするとスピーカーで、「荻窪消防署です。火災が発生しましたが、延焼を防御しました。ご協力に感謝します。」と、今度は落ち着いた優しい男性の声で、何回も繰り返すのが聞こえてきた。

 

「あ〜良かった。」

ひと安心してまたベランダに出たら、銀色の防火ヘルメットをかぶった消防士の男性が一人、表通りに立っているのが見えた。     

周りに気配りしながら、でも凛としたその佇まいに、思わず「かっこいいなぁ、、。」と呟いた。

 

その人は、3階のベランダを見上げる事なく、通行人や車に終始注意を配っている。

銀色の防火ヘルメットがキラキラしていた。

 

手すりにもたれてじっと見とれてしまった。

( お仕事、本当にご苦労さまです!)

 


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2017年

6月

18日

風邪をひいた、、。

ここ4日間ほど、ひどい風邪で寝込んだ。

首の筋と頭が熱のせいでズキズキと痛み、ベッドに倒れこむとそのまま起き上がれなくなってしまった。

風邪で寝込むのは今までにも何回かあったが、今回は、予想外のヘタレ加減に自分でびっくりした。ベッドの中でまるで力が出ない。

寝ても寝てもまだ寝れる。日にちの境目がぼんやりするほど、寝ては醒め醒めては眠るを繰り返し、人間てこんなに寝れるもんなんだなぁ、と痛む頭の中でつぶやいた。

 


普段はあんなに几帳面に働いてくれていた私の胃腸が、主人が不調となると、とっとと休業を決め込んだ。

わずかな量のおかゆもなかなか食べられなくなった。

ヨーグルトと牛乳と麦茶をやっと体の中に入れた。薬は葛根湯しかない。

 

去年くらいからみんなに痩せた痩せたと言われ、自分では特に自覚もなかったが、そんなに言うなら、と甘いものを多めに食べて頑張っていたところだった。

努力が水の泡だ....と思ったら、ひどくがっかりした。

 

まぁそんな事より、1日寝れば治ると思っていたのが二日三日と長くなると、生存の危機がちらつくようになった。これはヤバイ、、とぼうっと考えた。

ちょうど1年前に健康診断をうけていて、どこも異常が無かったから大丈夫だろうとは思ったが、万が一という事もある。

「今のところ心配いりません。」と無愛想に請け合ってくれた、年配の内科のお医者さんの顔を、すがるような気持ちで思い出した。

 

いざとなったら近くのお医者さんに行けばいいのだ、、。

そう思っても、それは最終の究極の絶望的段階で発生する事象であって、それまでは何としても自力回復を目指す。

私は病院がとても苦手だ。

 

「参ったね....。」と独り言をぼそっと言ったら、みごとな鼻声(笑)だった。

これはやはり風邪に違いないようだが、一体いつまで絶不調が続くんだろうか。

 

********************************

約束していた幾つかの用事を思い出して、ベッドに寝ながらキャンセルのメールを打っていたら、少し頭痛が和らいできたのを感じた。

食欲も僅かだが出てきた。胃腸がようやく、ゆるゆると働き出したようだ。

 

半日そのままゆっくりしていて、夕方になってから、近所の商店街に買い出しに出かけた。

足がふらふらする。

大きなマスクをしたから、面やつれした顔の半分が隠れた。

 

肉屋のおじさん、パン屋のおかみさん、八百屋のお兄さん、それぞれのお店で、本当に酷い風邪で大変だったとちょっとおしゃべりをした。

「また頑張って太らなきゃ....。」私が言うと、肉屋のおじさんが陽気に笑った。

 

おじさんの笑顔を見た瞬間、生還した嬉しさがこみ上げてきた。

また最初から始めよう。いろんな事、また最初からだ、、。

両手に買い物袋をぶら下げてゆっくり歩きながら、夕焼けの空をふと見上げた。

晴れやかな気分になった。

 

う〜む、我ながらドラマチックなエンディングでちょっと笑った、、。

 

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2017年

5月

29日

関屋中学・化学クラブ -Part5-

中学時代の秋の文化祭。

文化クラブ部員にとって一年に一度の晴れ舞台なのだが、十代前半の青少年たちには”文化的活動”というとどちらかと言えば地味に見えてしまう訳で、、。

そこへいくと、我が化学クラブの活動はある意味、ちょっと派手だった。

 

先輩たちが4人がかりで庭に運び出した、”関中・化学クラブ伝統”のちょっと古びたお手製の火山。


茶色とか緑色の彩色が全体に褪せて、長年の歴史と風格を醸し出している。

火薬に混ぜた少量の化学物質がその種類に応じて綺麗な色の炎を創り出し、火口から噴き上げる噴火の迫力はなかなかのものだ。

 

部室内では、化学燃料で小さなロケットが針金を伝ってピューッと飛んでいて、部屋の真ん中に、これまた”関中・化学クラブ伝統”のケミカルガーデンが鎮座していた。

部員たちは、水の色が手品のように変わる、水を数滴垂らすと綿がパッと燃え上がる、ビーカーから煙と共にむくむく謎の黒い物体が現れる....なんておもしろ実験を、訪れた人たちに見せていた。

 

他に、私たち2年生部員で話し合っていくつか出し物を考えた。、、というか、元気いっぱい盛り上がって悪ノリしていた(^ ^);;v

私が覚えているのはその悪ノリ出し物のうち2つで、なぜその2つだけ覚えているかというと、私が『やらかした』からで、後で部活の先生に本気で怒られた。

 

1 .塩酸の水溶液でお金をピカピカにする

 

みんなにとても喜ばれたが、翌日、お金がお金でなくなったと文句を言われた。

水で洗浄してあげるのをすっかり忘れて、一晩でお金の表面がきれいに溶けてしまったらしい、、。すみません、、。

 

2 .口から火を噴く

 

今、突然思い出したのだが、中学時代の私のあだ名は『ゴジラ』だった。

う〜ん、だから最近のヒット映画『シン・ゴジラ』に妙なシンパシーを感じていたのか、、。

 

何故、あだ名が『ゴジラ』だったのかは置いておいて、ゴジラなら口から火を噴くだろうってもの凄く単純な発想で、私が火を噴く担当になった。(たぶん、そんな経緯だったんだろうと思う。)

口に含んだアルコールをパァーッと噴き出したところに火をつけるという、今考えれば完全にNGな企画なのだが、みんな悪ふざけで「やっちゃえ!」となった。

ところがここに一つ重大な問題が....。

 

私は、唇をブルブル震わせる技とか「ルルル〜」の巻き舌とか、口周辺に関わる動作がいろいろと出来ない。神経がいくつか足りてないんじゃないかと思われるほどに出来ない。

スープをスプーンで飲む時も、下手をすると口の端からたら〜とこぼれてしまう。

見かねた友人に、「みっちゃん、スープ吸ってる?」と聞かれた事がある。

そっか、、スプーンで口に入れた時に吸う必要があるんだな、、。そう気付いたのはすっかり大人になってからだ。

 

そんな訳だから、頭の中では、時代劇なんかで刀傷に焼酎をプァーッ!とやる画面がしっかり浮かんでいるのだが、実際にそのような高等技術が私に使えるはずはなく、かっこつけてアルコールを口に含んだまでは良かったが、そのままどうやってもうまく噴き出せずに、ごっくんと飲んでしまった。

 

その後の事は覚えていない。

アルコールの濃度がそれほど高くなかったにしても、中学生だし、きっとぶっ倒れたんだろう、、後で先生に大変な大目玉を食った。

 

 

「2年生文化祭計画」-伝統ある関中・化学クラブの晴れ舞台- は、大きな事故もなくほぼ成功裏に終わったが、私の技術不足(?)のせいで、仲間に多大な迷惑をかけてしまったことがとても申し訳なく悔やまれる。

華々しい『ゴジラ』デビューもやり損なった。

 

その後の長い人生で、唇をブルブル震わせる技も「ルルル〜」の巻き舌も焼酎をプァーッ!も、何一つ修得できなかった。

「自転車のひらり乗り」(以前、このブログで書いたのだが、この「ひらり乗り」ができないおかげで、私は自転車には絶対乗らない。)とか、人の誕生日をまるで覚えられないとか、他の人が普通に出来るのに私には出来ない事がたくさんあるのだ、と夜中にひとり、しみじみ思った、、(涙)。

 

、、でもまぁ、私には音楽がある!と慰めたところで、Part1〜5まで長々と書いてきた私の化学クラブのお話は終わりです。

 

いやぁ、最初に書き始めた時はこんなに長くなるとは思わなかった。いろいろな事が少しずつ思い出されて、しばし楽しいタイムスリップをしました(笑)。

 

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2017年

5月

14日

関屋中学・化学クラブ -Part4-

私の中学時代の記憶は、薄くぼやけていて、思い出せる事といったら本当に数えるほどしかない。

学校近くにあったケーキ屋さん( 以前このブログに書いた、夢のようなケーキ屋さん )と、何人かのクラスメートと担任の先生の事くらい、、。

 

実は、化学クラブの事はすっかり忘れていた。

それが、机の引き出しの奥から偶々出てきた、私が書いたと思われる『2年生文化祭計画』というよれよれの企画書をじっと眺めていたら、不思議なほど鮮やかに、あの当時、感じていた気持ちや部員の仲間・部長さん・先生の顔が次々と浮かんできた。

 

あの2年生の秋。

悩める青春時代である(笑)。もやもやといろいろな事に悩んでいた。

自分のことや家族の事。そして学校についても一つ不満があった。

まぁそんなに大した事じゃないのだが、早い話が「運動部ばっかり!」だ。

 

体操や陸上、水泳やバレーボール、バドミントン・サッカーに野球....。

花形選手はめっちゃめちゃかっこいいし、校内の話題も運動部に集中するのは仕方ない。

でも、化学クラブだって、爆薬で火山が噴火するし(火山、小さいけど....)、固体燃料でロケットがピューッて飛ぶんだよ(教室の中だけど....)、ケミカルガーデン、知ってる?すっごい不思議で綺麗なんだから!という訳だ。

 

性格というのは、成長してもあまり変わらないものだ。

自分のやっている事に対する圧倒的な肯定感というのは、この頃から既に芽生えていたと思われる(笑)。

負けん気とは違って、信念の問題だ。

人からどう見られようと、これが自分にとってベスト、これでOK、みたいな気持ちか、、。

人とはちょっと違うこの風変わりな価値観のおかげで、今までの人生、比較的幸せな精神状態で生きてこれたんだと思う。

つまり、私はかなりな変人であった(笑)。

 

この時は、大好きな”化学クラブ”を、周りのみんなにもっと知ってもらいたいという気持ちでいっぱいだった。

 

う〜む、またしてもすっかり長くなってしまった。

残念エピソードが、なかなか書けない、、。

すみませんm(_ _)m、次回、繰越しです。

 

***Part5に続く*** 

 

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2017年

4月

29日

関屋中学・化学クラブ -Part3-

『化学ガールな私』の残念エピソードを書こうと思ったのだが、その前に、この今にも破れて散ってしまいそうなわら半紙の裏表に書かれた「2年生文化祭計画」なる”野心的な企画書”(笑)を、記録に残しておこうと思った。

私が書いたよくわかんない説明図もあるのだが、それは省く。

 

PCで書き写していたら、私の頭の中に、当時の情景がポツポツと浮かんできた。

中学2年生・元気でちょっと不機嫌そうな女の子が、試薬のビンを片手に立っているのが見えた、、。

 

1.砂糖のおばけ

 

ビーカーに砂糖を半分ほど入れて、濃い硫酸をひたひたになるまで注ぎ、ガラス棒でかきまぜる。

すると、煙の中から黒い塊りがむくむくと伸びてくる。

 

***濃い硫酸が砂糖から水分を奪い取るために、炭素に変わっていく。

この時、熱とたくさんのガスができるが、そのガスが炭素の塊りを膨れ上がらせる。

 

2.水が綿に火をつける

 

二〜三滴の水を落とすと、綿がパッと燃え上がる。

 

***綿に、過酸化ナトリウムの粉をかけておく。

それが水と反応して酸素を出し、綿が燃え上がるのを助ける。

 

3.色の変わる水

 

四つのコップを左から①、②、③、④とする。

①と③に数滴のフェノールフタレインを、④には十数滴の酢を入れておく。

これに水差しの水を注ぐと、①と③は赤くなる。

 

***水差しの水に、二〜三滴のアンモニア水を入れておいたからである。

①、②、③の水を水差しの中に戻し、再び①、②、③に注ぐと三つとも赤くなる。

コップの水を全部、水差しに戻すと、④の酢のために全部の水が酸性になるから、あらためて注ぐと、四つとも透明な水にもどる。

 

4.火山が緑の山に

 

石綿の板の上に、重クロム酸アンモニウムの赤い粒で山をつくる。

そのてっぺんに火をつける。

やがて、この山は噴火を始める。( 暗室だといっそう美しい。)

燃えかすは、濃い緑色の灰( 酸化クロム )になる。

 

5.ケミカルガーデン

 

ケミカルガーデンとは化学の花園という意味である。

水ガラス( ケイ酸ナトリウム )を2倍の水で薄めた液に、いろいろの金属塩の結晶を落とすと、結晶の表面から金属のケイ酸塩が、木の枝のように次々と形成される。

 

6.ロケット

 

エンジンの中の固体燃料が燃焼して、気体を噴き出すため、針金を伝って動く。

 

(私注:部室の高い所に、部屋を斜めに横切るように細い針金を張って、小さな手製ロケットが滑って移動できるようにしてあった。)

 

7.レモン電池

 

十円玉2枚と一円玉2枚を、それぞれ一組にして、間に導線をはさむ。

 

(私注:縦割りにしたレモンの中に導線のついたコインを埋め込んだ図が描いてある。)

 

***Part4に続く*** 

 

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2017年

4月

13日

関屋中学・化学クラブ -Part2-

古びた木造校舎の奥の方の教室に、化学クラブ部室があった。

1階だったか2階だったか....。

 

重い引き戸を開けるとちょっと入ったところに、かなり大きな水槽が台の上にどんと置いてあった。

水槽の中では、鮮やかな赤や緑や青色の木の枝のような形をしたオブジェが”育って”いて、「これは、ケミカル・ガーデンというもので、、。」」と先輩が説明してくれた。

 

****************************

ケミカル・ガーデンは化学の実験である。

実験方法はケイ酸ナトリウムの水溶液(水ガラス)に硫酸銅や塩化コバルトなどの個体金属塩を加えることである。

結果には数分〜数時間かかり、溶液の中に植物上のものが生成される。(Wikipediaより)

****************************

 

水槽に満たした水ガラスの中に金属塩を少量入れると、互いが反応して、青や緑やオレンジ、紫や赤など色とりどりの美しい樹々が生まれる。(その色や形は、金属塩の種類に依る。)

初めて部室でケミカル・ガーデンを見た時、なんて奇妙で美しいんだろう、と思った。

 

大学で国文学を専攻して、宮沢賢治が好きになった。

彼が詩の中で、ケミカル・ガーデンを『硅化花園』と呼んでいるのを発見して、「わ、さすが宮沢賢治....、なんて言い得て妙なんだ!」と驚いたのを覚えている。

この化学の花園を、実際に観察できただけでも化学クラブに在籍して本当に良かった。

宮沢賢治と同じものを見て、その詩の世界を、自分の経験に引きつけてイメージできるなんて、ファンとして実に感動的なことだ。

 

『宮沢賢治学会イーハトーブセンター会報第40号 

硅花花園(ケミカル・ガーデン)』


さて、関屋中学・化学クラブ。

放課後になると、この結構広い部室に部員たちが集まって来て、火山を爆発させたりロケットを飛ばしたり、その他いろいろ摩訶不思議な実験をしていた(笑)。

 

そして迎えた、運命の『2年生文化祭』である。

 

***Part3に続く***

 

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2017年

4月

06日

関屋中学・化学クラブ -Part1-

中学生の時、化学クラブに入っていた。

数学はチンプンカンプンなのに、なぜだか『化学』にときめいていた。

今、思い出しても本当にどうしてなのか分からない。

理数科目全般にほとんど縁の無い人生の中で、この中学三年間だけ、私は『化学ガール』だった。

 

 


小学校の夏休み自由研究でやった、父・プロデュース(笑)の水質検査のせいかもしれない。

フラスコ・ビーカー・試験管、天秤や試験薬なんかを買ってもらって、試験管立ては、父が木工細工で作ってくれた。

サンプルの河川の水を採りに、父と一緒に電車に乗って出掛けたピクニックのような遠征旅行は、映画のワンシーンのようによく覚えている。

その時の経験が、子供心にドキドキ楽しかったのかもしれない。

学校の図書館で読んだ『キュリー夫人』はとても感動したし、試験管を片手に記録をつけるのが、キュリー夫人みたいにかっこよく思えたのかもしれない。

 

中学校に入るとすぐ、あまり迷う事もなく化学クラブに入部した。

 

先日、新潟の実家で自分の部屋を片付けていたら、机の引き出しの奥から「2年生文化祭計画」と鉛筆で書いたわら半紙が出てきた。

全く記憶にないが、このくねくねした癖のある字は、間違いなく私が書いたのだ。

計画書には、文化祭の出し物について7項目、簡単な説明とやり方が書かれている。

 

なかなか野心的な企画だ(笑)。

部活の先生や部員たちと話し合った内容を書き留めたんだな、きっと。

 

今にも破れそうなわら半紙を眺めていたら、あの文化祭の時の事を朧げに思い出した。

そうだ、私がやらかした”珍事件”(笑)があったんだ、、。

 

関屋中学2年生・『化学ガールな私』の残念エピソード。覚えている限りで、ちょっと書いてみます。

 

***Part2に続く***

 

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2017年

3月

26日

ガレージと梅の花

新潟にはほとんど毎月帰っていて、両親が残した様々なものを、昔を思い出して懐かしんだり、あまりの大量さを呪ったりしながら、一つ一つゆっくり整理している。

 

先月、近所の方から、うちの空いているガレージを貸してくれないかというお話があった。

父はたしか、70代後半で車の運転はやめていて、以来、ガレージは物置きのようになっている。

 

重いシャッターをガラガラと上げると、カビと埃の臭いがモワッと襲ってきた。

 

父が買い物に行く時に乗っていた電動のシルバーカーや錆びた自転車、いらなくなった家具や健康器具、茣蓙や絨毯、庭道具、その他いろいろな小物類が、ぐしゃっといっしょくたに、足の踏み場もないほどに置かれている。

これを片付けるとなると、えらいことだ、、。

 

高校時代に使っていた、髪のカール用のホットカーラー・セットが隅の方から出てきた。

毎朝、せっせとカーラーを巻きつけておしゃれをしていた高校生の私を思って、カビと埃まみれのガレージの中で、ふと遠い目になる私であった(笑)。

 

ガレージのすぐ傍が玄関に上がる数段の階段になっていて、玄関の周りには狭い前庭がある。

松や椿や梅の木が植わっているが、父は、肥料はあげるが剪定などはしない人で、庭木はそれぞれ自由奔放・勝手気儘に育っている。

まぁ、父は私にもそうであった(笑)。

 

ガレージと玄関を、処分する物を抱えて何回も行き来しつつ庭の方を見ると、2本の梅の木が競うように満開に咲いていた。

大きく横に伸びた枝々に、たくさんの淡い白色の小さな花と、その奥に濃い紅色の蕾がちらほら見える。

今年は、梅の見頃の時期にちょうど当たったんだなぁ、、。

 

主人がいなくなった家の庭で、手入れもされず、でも毎年春になるとこの梅たちは、こんなに綺麗な花を咲かせていたんだ....。

 

梅の香りが大好きな近所の友人が、数日前にくれた、「みっちゃんのおうちの梅が帰りを待つようにきれいに咲いています。…」というメールを思い出して、胸の奥がキュンとした。

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2017年

3月

14日

ヤクルト

この時期は毎年、朝起きてから夜寝るまで、花粉症のおかげでひどい目にあう。一年のうちで、一番晴れやかな気分で過ごしたい季節なのに、、。

厳しい冬が終わり体も心もほころんで、ちょっと薄着になって桜を見に行くとか、友だちと一緒におしゃべりしながら街を歩くとか、ここ数年、そんなちょっとした外出もためらってしまう。

 

花粉防止のマスクで息が苦しいし、目はむちゃくちゃ痒い、頭はぼっとする、鼻水は出る、、。

杉にも檜にも恨みはないのだけれども、そもそも一体どうしてこうなったんだ?と誰かに聞いてみたい気にもなる。

 

先日久しぶりに、ボーカルの多美ちゃんと青梅の公民館でリハーサルをする事になった。

う〜、青梅か、、。花粉が盛大に舞い飛んでるんだろうなぁ、、。

実はかなり以前、やはり春先に、多美ちゃんとこの場所でリハをやった事があって、その時は二人とも大きなマスクに涙目で、口には出さねどお互い同病相憐れむの風情だった。

 

それが、先日のリハの時。

私も多美ちゃんも、マスク無しで晴れやかだ。何か以前と違う、、。

「今年って花粉、飛んでないの?」と私が聞くと彼女は、そんな事はない、例年通りだと言う。

奇跡が起きて花粉症が治ったのか! 私は、お気楽にバンザ〜イと叫ぶ気持ちになったが、冷静な多美ちゃんは優雅に微笑みながら「ここのところ、ヤクルトを飲んでいて…。」と言う。

 

あれ? それはどこかで聞いたような、、。

そうだ。新潟で高校の同級生たちと飲んだ時に、「花粉症にヤクルトが効くらしい。」と話題に出た。

 

それ以前に私は、乳酸菌が腸のために良いというのをネットで見て、花粉症とは関係なくヤクルトを飲み始めていた。

花粉症とヤクルトの話を聞いた時は、ふ〜ん、そういう事もあるかもね、なんて軽い気持ちで聞いていたが、先日の多美ちゃんの一言で、「花粉症にヤクルトが効く。」説に、もの凄く激しく同意した(笑)。

 

完治したというのではないけれど、症状が格段に軽くなっているのは確かだ。

花粉症対策に何か薬を飲むという事もなかったから、効果があったとすれば、やっぱりヤクルトだと思う。

 

値段は安いし、甘くて美味しいし、小さいからすぐ飲めるし、、。

 

ヤクルトさん、貴方は偉大です!

 

今年の春は、お花見も散歩もウィンドーショッピングにも出掛けられると思うと、嬉しくて仕方がない ^ ^


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2017年

2月

24日

誕生日に気付いた事。

実を言うと、今日は誕生日。

全くめでたくないなぁと思いながら、というか、ほとんど思い出しもせず、いつも通り一人晩酌をやっていた。

 

うちの家族は、母も父もあまり記念日というものに頓着がなく、小さい頃から、家族の誕生日は天下泰平・日々息災の日だった。(つまり、普通に1日が終わった....笑)

 


そんな訳で、誕生日がお祝いすべき日であるというのが、私にはずっとピンと来なかったし、誕生日は親に感謝をする為の日だ!なんて理屈をこねていた。

 

私が20代の頃だったか、近所に美味しいステーキ屋さんができた。

たまに家族で行っていたのだが、そのうち、家族の誕生日が近くなると、お店からセットメニュー割引と記念撮影サービスのお知らせのハガキが来るようになった。

それからは毎年、父と母と私、三人の誕生日になるとそのお店に行って、ステーキを食べ記念写真を撮った。

誕生日を祝うというより、東京で仕事を始めていた私が新潟で家族と過ごす大切な時間だったし、三人で並んで写真を撮ってもらうのが何より嬉しかった。

 

ステーキ屋さんは、それから数年後、残念ながらなくなってしまった。

家族のイベントが行われなくなると、記念日はまた消滅してしまった。

恐ろしい事に、私は恋人ができても彼の誕生日をうっかり忘れそうだった。

それでも若い頃は頑張っていた、それなりに....(笑)。 

(友人たちの誕生日をたくさん覚えている人がたまにいるけれど、私にはもの凄い驚異だ!)

 

感謝するべき両親もこの世にいない今、私にとって誕生日というのは、ただ一つ年を重ねるという事実しか感じなくなっているのだが、先ほど、友人からおめでとうメールが届いた。

ありがとう^ ^とは言いながら、本当はあんまりめでたくない、、なんて可愛げのない返信をしたら、彼女からすぐに一言、届いた。

 

『元気に生きているってことはじゅうぶん幸せなことよ。』

 

そっかぁ、、と思った。

みんながお祝いをするのは、そういう意味だったんだと今更ながら気付いた。(本当に今更....。)

こうして元気でいる事を喜ぶ日が誕生日なんだ、そう思ったら、自分の幸せをじわじわと感じた。

思うとおりに人生を送れているのは、元気だからなんだ!

 

ケーキ買ってくればよかったなぁ。

明日もう一回、誕生日やるか、、美味しいもの作って、、。

 

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2017年

2月

13日

*お詫び*

今朝、大変な事が判明しました。

当ブログの『お問い合わせはこちらから』に書き込みをして頂いた方々へ。

 

ブログ管理の作業で、メールアドレス設定の修正が遅れた為に、お問い合わせの内容が一部、こちらに届いていなかった事がわかりました。

大変申し訳ありません。(修正前のアドレスは現在、削除されています。)

ご迷惑をおかけして本当にごめんなさい!

 

ブログ本文のコメントは問題ありません。

これに懲りずに、どうぞまたこのブログを宜しくお願い致します m(_ _)m

 

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2017年

2月

11日

スキー

新潟出身というと、たいがい「雪が凄いでしょう。」と言われる。

新潟県は北東から南西に随分と長い県で、私が生まれた新潟市は、湯沢や十日町といった豪雪地帯とはだいぶ離れているし、日本海を隔てて佐渡島があるおかげでそれほどの大雪は降らない。

それでも、私が小さい頃は、新潟市内にも雪が今よりたくさん降った。

一番すごかった時は、一階の屋根まで雪が積もって玄関から出られなくなった。子供にとっては大イベントだが、大人たちはさぞ大変だったろうと思う。

毎年そうであれば備えがあるが、新潟市は、忘れた頃にドカッと降った。

 

小学校の校庭が一面の雪だ。

ちょっと小高くなっている場所に自然のスロープが出来て、どこから持ってきたのか思い出せないが、小さな子供用のスキーに長靴をひっかけて、みんなでキャッキャキャッキャ騒ぎながら滑った記憶がある。

 

親戚の叔父さんに、大きなスキー場に連れて行ってもらった。

大勢のスキーヤーで混雑する休憩のロッジは、持ち込まれた雪で暖かく湿っていて、ジュークボックスから流れる流行歌、大人たちが華やかに会話する様子や、日が落ちて暗くなった窓の外にライトの光でほの白く浮かび上がる雪原、まるで夢の中の出来事のようだった。

私はもっぱら下のゲレンデで、直滑降でひゃーっと叫びながら滑るだけだったが、それでもスリル満点。

全てが楽しかった。 

 


あのまま大きくなっていたら、今頃は普通にスキー愛好家になっていただろう。

 

新潟では、学校の体育の授業にスキーがある。( 他の県でもあるのかな?)

高校生の時のスキー合宿が”悪夢”だった、、。

 

二泊三日くらいだったんだろうか、引率の体育の先生に連れられて、近場のスキー場にわいわい出掛けた。

プルークボーゲンとか上手な転び方とか方向転換とか、いろいろ習って一日中滑る。

夜は大部屋でまとまって寝るのだが、修学旅行のように枕を投げ合うでもなく、昼間の緊張と疲れで即撃沈だ。

朝起きたら、なんと、足がパンパンにむくんで象の足のようになっていた o_o

私の足じゃない〜と恐怖に震えつつ、もうほとんどやけくその根性でゲレンデに向かう。

 

授業の仕上げに、リフトで登って山の上から滑るのだが、そこで先生がう〜んと考え込んだ。

「こりゃ〜プルークボーゲンじゃ降りられんなぁ、、。」

「よし!斜滑降を教える。こうやってこうやってこうしてこうだ。いいか!ちゃんとやらんと直滑降になって、崖下まっさかさまだぞ!」

「ひぇ〜!(泣)」

 

とまぁこういう訳で、すっかりスキー恐怖症になってしまった。

どんなにゴージャスで魅力的なツアーでも、スキーをやるならパス、どんなに付き合いの悪い奴と罵られようが絶対にパスだ。

この時期、新幹線でも高速バスでもスキー客が多い。

あの”悪夢のスキー合宿”さえなかったら、こんなふうに楽しめたのかなぁ、、とちょっと考えてみる。

 

まじっと考えてみたが、いやぁ....やっぱりお家でホラームービーだなぁ....。

だって、たとえスキー愛好家になったとしても、真冬にスキーに出掛けるより、暖かい部屋でみかんを握りしめながら、極恐のホラーで「わぎゃ〜!」と叫んでいる方が楽しいに決まっている。( そもそも、そういう性格の人はスキー愛好家にならないし.... -_- )

要は、どちらがより好きかの問題だ。

 

スキーは、新潟県人の最低限のたしなみとしてちゃんと学んでおくべきだと思うので、あのスキー合宿は行って良かったのだ。新潟に生まれて、スキーは直滑降のみ!てのは、やはりちょっと清々し過ぎる。

でも、ホラー級の恐怖を味わうのは映画の中だけでいい。

”象の足のように膨らんだ足”は、今でも夢に見そうだ、、。”直滑降で崖下”も背筋が凍る、、。

 

大のホラー好きというのは、えてしてとっても臆病だったりする。

実生活では、平穏無事が何よりだと思う(笑)。

 

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2017年

1月

26日

トランプ新大統領

新潟に帰っていた時に、米ワシントンでトランプ氏の大統領就任式があった。

 

テレビはほとんどそのニュース一色で、いろいろ解説を聞いていると、今までとはまったく違う政権になりそうで、期待より不安がどっと大きくなった。

日本は同盟国だし、こんな不安定な世界情勢の時だから、アメリカにはほんと頑張ってもらわないとなんだけど、、 。

        (NHKネットニュースより)


つい先日、BSドキュメンタリーで、オバマ大統領の議会とのすさまじい闘いを見た。

スピルバーグ監督の映画『リンカーン』も見たばかりだ。

そのせいか、これからアメリカの政界で起こるであろう大混乱を思って、ちょっとブルッとした。

 

アメリカの民主主義は、政権が大統領中心に一丸となって、一筋縄ではいかない議会と大格闘する。

日本の民主主義もそうなんだろうけれど、日本人の魂の根底に『和を以て貴しと為す』が宿っているせいか二大政党制ではないせいか、あそこまでの激しさとは違うように(傍からは)見える。

米国議会は、トランプ大統領とどう対処するんだろうか。

踏みとどまって一部の暴走を押し返すだけの力があるんだろうか、、。

 

日本が、世界に対して果たす役割。日本に対して、世界が期待する役割。

どちらも、これから大きく変わっていくんだろうなぁ。

世界の中の日本、もしかしてチャンス到来か?

 

頑張れ、日本!頑張れ、安倍首相!

 

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2017年

1月

14日

鷗外の手紙(...と何故かゲーム)

1月5日の産経ネットニュースで『鷗外29歳の筆…全集未収録の書簡見つかる』とあった。

明治24年2月27日付、ドイツ留学から帰国して3年、『舞姫』発表から1年だ。

作家で劇評家の饗庭篁村(あえばこうそん)に宛てたもので、鷗外の留守時に篁村が訪ねてきて、書き上げたばかりの原稿について「今日おん目にかくべかりしにと遺憾」ーぜひ見せたかったと残念がっている内容なようだ。

巻き髪に毛筆で書かれている。

素晴らしい達筆にしばしうっとり、、。毛筆で文字を書くって、実は密かに憧れている。

Jazzの次は、きっと”書道”だな、、うん。

 

お正月のインターネット・チェックで凄いのを見つけた。

『文豪とアルケミスト』

オンラインゲームらしいのだが内容はまったく不明。

”文豪”というネーミングに惹かれてちょっと覗いてみたら、まぁ。。

芥川龍之介、永井荷風、島崎藤村、夏目漱石、北原白秋…その他錚々たる文豪たちが、ナヨナヨかっこいいイケメン・アニメキャラ(笑)に変身していた…o_o

 

森鷗外は、1989年の日独合作映画『舞姫』で、郷ひろみが主人公(鷗外)役をやった時のイメージだよね、きっと。

* *六草いちかさん( ドイツ在住。『鷗外の恋-舞姫エリスの真実』の著者 )が、映画での郷さんのドイツ語の発音、かなりなものだと褒めていらっしゃいました。**

でもさぁ、谷崎潤一郎はなんなの、これ?っと突っ込みまくりなわけだが、とりあえず、鷗外は凛々しくかっこいい(笑)。

 

この平成の世に明治の文豪がゲームのキャラクターって、、不思議を通り越してただただビックリなのだが、ゲーム好きな若い人たちの中に、明治時代の作家に興味を持つ人たちが一定数いるという事なんだろうか?

 

だいたい、世界の至る所でグローバリズムが叫ばれ、経済だけではなく文化的にも多種多様で刺激のあるコンテンツが溢れるこの日本で、一世紀以上前の明治の作家たちがネットの世界に登場(それもアニメキャラで、、)ってのは、単純に「わ〜、凄い!」と喜んでいい事なのか、、。

しかも、どうしてみんなナヨナヨかっこいいのだ?( 本人たちと違い過ぎる....。)

 

なんだかよく分からないしゲームもやる気はないが、彼らが「過去の遺物」などでは決してない!という事だけはイメージ的になんとなく伝わってきて、鷗外ファンとして、それだけはちょっと嬉しい。

 

まぁいろいろと納得いかないが、とりあえず、鷗外のキャラクターはスクリーンショットで切り取ってファイルに保存した(o_o)v

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2017年

1月

04日

こうと汁

新年の朝は、『こうと汁』でお雑煮だ。

『こうと汁』というのは新潟の郷土料理で、大根・人参・牛蒡・長ネギなどの野菜と豚肉や鮭、油揚げや焼き豆腐その他たくさんの具材をしょうゆ味で煮た、言わば”和風実だくさんスープ”だ。

 

その中に焼き餅を入れるのが我が家のお正月で、今は亡き母が”味付け監督役”だった。

「甘い」「しょっぱい」「味がない」「ん〜なんか違う、、」となかなか厳しくて、母がテレビを見ている居間と台所を、汁を入れた小皿を捧げ持って私が往復する、というのが大晦日の恒例だった。

 

新潟ではどこの家でも、お正月は『こうと汁』なのだと固く信じていた。

 

       (クックパッドより)


昨年11月某日@新潟。

気の合う高校の同級生三人と、駅前の小粋な料理屋さんで飲み会をやった。

 

仕事帰りの一杯ってことで、わたし以外はみんな働くビジネスマン。

なんとも頼もしいオーラが出ていて、日本の未来のためにひとつよろしくと、自由気ままに音楽なんぞやっている私としては自然に頭が下がる思いがした。

ビールで乾杯の後、突き出しの皿の中にあった塩焼きの銀杏をつまんだ。

 

私「銀杏、美味しいねぇ。」

A君「うん、家のそばに、秋になると銀杏の実がいっぱい落ちるんさね。その実がほんと臭くてさ。」

B君「そうそう、俺んちもいっぱい落ちてる。」

C君「銀杏の実ってのは?」

A・B君「今食べてるこの銀杏は、梅干しの種の中身みたいなもんでさ、この殻の周りに実がついてるわけよ。その実ってのは、見てたらカラスも食べないんだよね。」

C君・私「ふ〜ん。そうなんだぁ。」

 

実を言うと私は、苺は木に生って、トマトは地ベタで育つとかずっと思っていた稀に見る無知なヤツで、銀杏について知らないのが私一人じゃなかった事に、内心ちょっとほっとしていた。

 

だいたいこういう場合( 特に相手が親しい友達の場合 )

「えぇ?うっそ〜!」

「苺が木に生るとか、信じらんない。え、マジ?」

なんてリアクションになる可能性もあるので、C君の存在は大変心強かった。

( A君もB君も優しいので、そんな心配はほとんどないのだが....。)

 

イチョウとカラスについての新知識を得てちょっと気を良くした私は、銀杏の横の、香ばしく焼きあがった秋鮭に箸を伸ばしながら言った。

 

私「うちはさぁ、お正月の『こうと汁』にも銀杏、入れるんだよ。」

A君「……。」

B君「……。」

C君「……。」

私「え?『こうと汁』に入れない?銀杏、、。」

C君「えぇと....、みっちゃんちは、お正月に『こうとじる』というものを食べるんだね?」

私「え〜っ !? みんなんち( みんなの”うち”の省略形 )は食べないの?」

 

めちゃくちゃ焦って、一人パクパクパニクる私。

新潟のお正月は『こうと汁』で決まりなんではなかったのか、、よそんち(よその”うち”の省略形 )はいったいお雑煮を何で食べているのだ?

うちや、うちの親戚は、新潟でも”変わったうち”だったのか?

 

C君「( スマホを見ながら )ほんとだ、、。『こうと汁』、、グーグルに出てる。大根、ゴボウ、人参、油揚げ、、。」

A・B君「それはうちで毎年食べてる。」

C君「うちも....。」

 

早い話が、A君もB君もC君も、今まで毎年お正月に食べてきたものが『こうと汁』というものである事を知らなかったのだ。

「そういう名前の食べ物だったんだねぇ、、。」で、一件落着。

あ〜良かった....(汗)。うちは一般的な新潟の家庭であったのだ....。

 

後でインターネットで調べてみたら、この名称はあまり一般的ではなく、『こうとう汁』と呼ぶ地域もあるようだ。

『こうと汁』の名前の由来も不明。

逆に、うちではどうして『こうと汁』の呼称が定着していたんだろうか?

 

因みに、C君は、私が連呼した『こうと汁』が”コートジュルメ”とかに聞こえて、みっちゃんちはお正月にフランス料理を食べるんだぁ....、と思ったらしい。

これにはみんな大笑いだった ^ ^ 。

 

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2017年

12月

30日

今年は頑張った!

2016年12月31日--ちょうど1年前のブログに、「ずっと手探りでやってきた自分のJazzに、ようやくはっきりと目標が見えてきた。」と書いた。

 

そして、2017年12月31日。

1年間、自分なりにその目標に向かってちゃんと頑張ったと思う。

 

他人から見たら、きっとたいした事じゃない。

華々しく活躍するでもなく、みんなが驚くような事ができるようになった訳でもない。

でも、1年前にこう弾けるようになりたい!と願ったピアノ、ささやかでもはっきりと、今までとは違うこんなピアノが弾きたい、と決めた目標に、あともう少しかな....という所まで来た。

まるで童話の挿絵のように、自分が1年間、てくてく歩いてきた道が見えたような気がした。

みなさま、良いお年をお迎えください!

 

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2017年

12月

24日

綺麗なお姉さんは、、。

クリスマスに沸き立つ都内のショッピングモール。

ライブの入り時間までにちょっと時間があったので、華やかに飾られたお店をぷらぷら眺めていた。

 

あるお店の店頭にあった、ちょっとクラシックなデザインのブラウスに目が止まった。

「これ、おいくらですか?」

と声を掛けたら、奥から若い女性が笑顔で来てくれた。

その彼女がまぁ、人形のように可愛らしいのだ!

ちょうどあの「お・も・て・な・し💕」の滝川クリステルさんのような感じ。

 

ブラウスのお値段は思っていたよりかなり高かったのだが、彼女に最上級の笑顔で、

「本当にお似合いですよ^ ^ 」

と言われたら、”本当に似合っている”ような気持ちになって思わず、

「これ、いただきます^ ^」とスラスラなってしまった(笑)。

まぁ、ブラウスは本当に欲しいと思ったので後悔は全くないのだが、若い綺麗な女性が持つ圧倒的なパワーをひしひしと実感した訳で、、。

私のようなオバさんでもそうなのだから、若い男性にとってはどれだけのパワーを持つんだろうか?

恐るべし、綺麗なお姉さん。

 


でも、ふっと昔見た『テス』という映画を思い出した。

ロマン・ポランスキー監督、1979年公開のフランス・イギリス映画で、原作はトーマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』。

主演のナスターシャ・キンスキーの美しさが超絶で印象的だった。

テス(ナスターシャ・キンスキー)は、その美しさのせいで悲惨な運命を辿る事になるのだが、その時思ったのは「美し過ぎると碌な事にならないんだなぁ....。」

あまりに単純率直な感想なのだが、そう思ってしまうほどにテスは美しく、めちゃくちゃ悲しかった。

 

女性にとって、美しいという事は諸刃の剣だ。

良い事もあるだろうけれど、とてつもなく悪い事が起こる可能性もある。

適当なところが一番幸せ!と、買って来たブラウスをベッドの上に広げながら、ふんふん思った。

 

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2017年

12月

17日

シャーロック・ホームズ -Part5-

『心霊現象研究協会(SPR)』は、1882年、英ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ内に設立された。

心霊現象や超常現象の真相を科学的に究明するのが目的で、ルイス・キャロルやコナン・ドイル、キュリー夫人やカール・ユングなど、著名な支持者たちが謎の解明に期待した。

歴代会長には、哲学者、心理学者、物理学者などそうそうたる知識人たちが名を連ね、現在も存続中である(!)。

特に霊魂や降霊術に関する研究では、厳格な調査で画期的な成果を残した。 

  心霊現象研究協会      (SPR)のロゴ         


因みに、コナン・ドイルは晩年、心霊主義に傾倒し『霧の国』という心霊現象を題材にした小説を出版している。

 

"イギリスでは、今日でも幽霊が現れる建物が多数存在しており、歴史的に由緒がある建物などでは、歴史上の人物が幽霊として現れることがある。イギリス人たちは、無類の幽霊好きで、自分の家に幽霊が出ることを自慢しあう。"

( wikipedia『幽霊屋敷』) 

 

ロンドンは、今も世界有数の心霊スポットで、イギリス観光のゴースト・ツアーはなかなか見どころ満載で人気があるそうだ。 

ロンドン塔や呪われた幽霊屋敷、幽霊の出るホテルやお城など、ちょっと調べただけでも怖い話がぞろぞろ出てくる。

 

日本も、肝試しや百物語の風習が古くからあるし、妖怪も全国にいっぱいいる。

^ ^v

 

百物語の歴史は中世に始まり、江戸時代にはブームになったそうで、森鴎外も『百物語』という短編を書いている。

新月の夜に数人のグループで集まり、怪談を一話語るごとに行灯あるいは蝋燭の灯りを消していき、 百話終えて真の闇が訪れた時に本物の怪が現れるという怪談会のスタイルは、ホラーファンの私からみてもかなり恐怖度が高い。

日本人の怖いもの好きは、イギリス人に負けてないと思う。

 

ホラー映画の分野では、日本はもしかしたら世界最恐かもしれない。

『エクソシスト』(1973年•米)や『悪魔の棲む家』(1979年•米)を、ワクワクしながら見るオタクな私でも、『リング』(1998年•日)と『呪怨』(2003年•日)は怖すぎて、思わず絶叫した。

西洋の悪霊•悪魔より、日本のホラーはなんだか得体の知れないザワザワ感に背筋が凍るのだ。

 

日本人もイギリス人も、不思議なものや怖いものに興味津々で、その熱心度が他国の追随を許さないレベルで群を抜いている(笑)。


ただ「そういうもんはそっとしておけ。」の日本人に対し「科学的に解明してやる!」の英国人の気質の違いはあるようだ。

 

最後に。

よく行く三鷹のライブハウスのママさんが、去年イギリスに旅行したのだが、食べ物の不味さは想像以上だったと言っていた。

和食がユネスコ無形文化遺産に登録された事を考えれば、食べる事に対する情熱は日本の圧勝みたいだ ^ ^ ;

 

8月のメイ首相来日をきっかけに、イギリスについてちょっと考えてみようってことでシャーロック・ホームズから始めてみた。

現在のイギリスは、既に私が思い描く紳士の国ではないんだろうし、それを言うなら日本もサムライの国じゃない。

でも、何故かイギリスは心惹かれる国だ。

それはきっと、シャーロック・ホームズとエルキュール・ポワロのせいだけじゃない。

複雑な歴史や今も王室があること、シャイなくせに皮肉屋だったりするところ、島国気質というか何となく日本人と似ている感じがすること、、たぶん親しみに近い気持ちなんだろうと思う。

 

一つ羨ましいと思うところ。

街角のパブでビールを飲みながら、知らない人も友人も関係なくみんなで政治談義に盛り上がるって、ほんと憧れるなぁ、、。

 

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2017年

12月

02日

シャーロック・ホームズ -Part4-

シャーロック・ホームズとワトソン博士、エルキュール・ポワロとヘイスティングス大尉。

二人の名探偵とその相棒たちは、今も世界中の推理小説ファンに愛されている。

 

ホームズやポワロは相当な変人だが、その周りの登場人物--ワトソン博士・ヘイスティングス大尉を含め、一般の英国人はいたって普通の人たちだ。もちろん犯人以外は、、。

そういう人たちの言動を見ていると、日本人と英国人は、気質というか佇まいというか、どこか似ている気がする。( 現代のイギリスはちょっと違うかも? )

 

先日、ある本で読んだのだが。

太平洋戦争が終わった後、30年間もそのままフィリピンに潜伏していた元陸軍情報将校・小野田少尉。

彼がルバング島から日本に戻った時、羽田空港では大勢の報道陣が待ち構えていた。

年老いた父親と対面した彼は「ただいま帰ってきました」と言い、迎えた父親も丁寧に「ご苦労だった」と言った。お互いに抱き合うわけでもない。

その光景を見ていたイギリス人の記者が「イギリス人と同じだ。ヨーロッパ大陸の人間なら抱いて号泣するだろう」と言ったのだそうだ。

 

なるほどなぁ、、。

そう言えば、ワトソン博士もヘイスティングス大尉も、感情あらわに我を忘れて抱きついたり号泣したりという事はほぼ無い。

 

*英グラナダTV制作『シャーロック・ホームズの冒険』(1984〜1994年)

*英ロンドン・ウィークエンド・テレビ制作『名探偵ポワロ』(1989〜2013年)に拠る。

 

ホームズやポワロが、相手の気持ちなぞお構いなしに酷いことを言ったり無礼なことをやった時、( 名探偵たちは天才だからとっても我儘だ!)、ぐっと言葉を飲み込んで無視を決め込む時の相棒たちの顔つきは、私の父や周りの男性たちに見慣れたものだ。( 母も私も、我儘さだけは名探偵に負けていない・笑 )

 

英国紳士のダンディズムは、日本男児の武士道由来的な道徳とどこか通じるものがあるんだろうか。

 

ポワロはベルギー人で、時折、彼には奇異に見えるイギリス人の性格を茶化したり文句を言ったりする。

まぁ、ヘイスティングス大尉もフランス人やベルギー人に対しては辛辣だが、紳士だからめったに口に出して言わない。

面白かったのは、ある事件の聞き込みで、フランス人の老人( たぶん70歳代 )が愛人をもっていると聞いた時だ。

ヘイスティングス大尉が呆れてびっくり仰天するのだが、ポワロは平然と、そういう事に驚くのはヨーロッパであなた方イギリス人くらいなもんです、と言う。

 

これはたぶん、日本人も驚き呆れる事案だ。

 

『アクロイド殺人事件』の冒頭、ポワロがロンドンから郊外の田舎へ引っ越してすぐ、ご近所さんたちと挨拶するたびに「庭をお持ちでお幸せね。」と言われて辟易する、という場面がある。

『あなたの庭はどんな庭?(How Does Your Garden Grow?)』では、庭の所有権もからんで殺人まで起きる。

丹精込めて手入れをした庭を他人に奪われるのは、犯人にとって我慢ならない事だったようだ。

一般庶民の庭好きは、日本人もイギリス人に勝るとも劣らない。

私の周りには、庭石や灯籠、池や苔....そういうものに大金を投じる人たちが少なからずいる。

 

日本人とイギリス人の似ているところ--探せば他にも色々あるのだろうが、コナン・ドイルも会員だった『心霊現象研究協会(SPR)』は、ホラー・ファンな私としては、もっとも注目するところである(笑)。

 

次回は、心霊に関する日英の共通点について考えてみます。

 

***Part5に続く***

 

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2017年

11月

20日

シャーロック・ホームズ -Part3-

8月にメイ英首相が初来日した。

これから日本は、イギリスともっと仲良くしましょう〜日英同盟(?)・祝復活〜ということで、その日以降、個人的に大いに盛り上がっていた。

何故なら、イギリスはコナン・ドイルとアガサ・クリスティーを生んだ偉大な国である!ミステリーファンにとっては、もうひれ伏さんばかりに崇める国なのだ。

Jazzをやっているならニューヨークに行け、とよく言われるが、いやいや、ロンドン・ベイカー街221B( ホームズの住まい )が先だ、と秘かに心に決めている(笑)。

 

まずは私の永遠のアイドル、エルキュール・ポワロ( 原作アガサ・クリスティー )について書きたいところだったが、彼はベルギー人である。

英国に敬意を表す、ということで、英国人探偵シャーロック・ホームズについてPart1〜2と書いたのだが、Part3は、ノーベル賞やら国難突破選挙やらいろいろあってしばらくお預けになっていた。

 

そんな矢先、吉祥寺の某ライブハウスで演奏をしていたら、30代くらいの外国人の男性が一人ふらっとお店に入ってきた。

メンバーのベーシストとドラマーが話しかけたら、なんと日本語ぺらぺらなので、みんな一緒に写真を撮ったりわいわい楽しくやりだした。

あんまり日本語が流暢なので、ずっと日本に住んでいるのかと思ったら、ロンドン(wow ! )から観光に来て自転車で日本を巡っているらしい。

よっぽど日本が好きなんだなぁ...。

 

私「そういえば、メイ首相がこの前、日本に来てましたね。」

彼「メイ?誰、それ?」

私「…。」

私「シャーロック・ホームズの大ファンです❤️」

彼「ふ〜ん、、。わたし、ジブリ大好き❤️」

私「…。」

私「あ、このスマホケース、エヴァンゲリオンですかぁ?」

彼「違います💢ジブリです❗️」

私「、、すんません....。」

 

私だけ、ことごとく仲良くできなくて凹んだ。

ほんとにイギリスが好きなんだけどなぁ....。

なんだか、長年、想いを寄せていた人に肘鉄を食らったようで、微妙にがっかりした。

 

ロンドンからはるばる来た彼は、きっと三鷹の森ジブリ美術館を訪れることを、ずっと夢見ていたのだろう。

その気持ちだけは、”ベイカー街221B”に憧れる私としてはとってもよく分かる気がした。

 

オタク同士、方向性がちょっと違っただけだよね!

 

***Part4に続く***

 

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2017年

11月

11日

土瓶蒸し

恥ずかしながら....。この年になって生まれて初めて、土瓶蒸しというものを食べた。

(土瓶蒸し:蒸し物料理の一つ。松茸、白身の魚などを土瓶に入れて蒸し煮にしたもの。by三省堂大辞林)

 

帰省した新潟で、某料亭の懐石コースで対面したのだが、”松茸を使った料理”くらいしか知らなかったから、期待は格別なかった。

運ばれてきた土瓶を前にどうやって食べるのか分からないでいたら、給仕の方が教えてくれた。

「こちらのお猪口にすだちをちょっと絞って、出汁を注いで召し上がってください。」

 

小さなお猪口から、馥郁たる秋の松茸が香る。

一口、味わった瞬間、なんとも言えない複雑な味わいにくらっとした。

初めての味わい、、。

人間、あんまり驚くと言葉が出てこないものだ。

「う〜。。」と唸ったきり、黙々と味覚と嗅覚に集中した。


後日、数年来の友人に会った時に、その感動をなんとか伝えようと思った。

土瓶蒸しという料理が、どれほど凄いものなのか(笑)!

 

「もうね、ほんとにねぇ、こう、ぱぁ〜っと口の中に出汁と松茸とお魚のねぇ、、。」

ボキャブラリーの絶望的な貧しさに我ながら焦りつつ、それでもあの信じられない興奮を少しでも分かってもらおうと、必死にあ〜だこ〜だと頑張る。

 

因みに、彼女は土瓶蒸しを食べた事がない。

そして、土瓶蒸しの外見は明らかにぱっとしない。地味である。

視覚的に訴える要素がほとんど無いのだ。

 

相手は、私の大変な熱意だけを理解する。

にっこり笑いながら、

「ふ〜ん、そう、、。そりゃ良かったね。」

「…。」

ふっと我にかえって、何やってんだ、私。これじゃあ相手を羨ましがらせているだけじゃないか、、。がっくりしながら思った。

 

最近、インターネットで良く見る保守の論客・有本香さんと石平さん。

有本さんは、小池都政やロヒンギャ問題、国際政治にとても詳しい。

石平さんは中国生まれの中国人だが、1989年の天安門事件で中国の政治体制に絶望し、2007年、帰化して日本国籍になった。

 

二人はいつも、舌鋒鋭く日本や世界の情勢を語るのだが、ある日の楽屋での雑談が面白かった。

 

「有本さん、旅先で食べた美味しい食事の写真、なんでわざわざメールで私に送ってくるか? 私、食べられないのに、頭くるよ。」

「え〜、だって、あれ、ほんとに美味しかったんですよ。」

 

石平さん、まさに正論です。

美味しいものは、視覚や聴覚では少しも共有できない。

どんなに説明されても目の前に何枚写真を並べられても、同じものを食べてみない限り、「だから何?!」なのだ。

石平さんは、みんなが感じてもなかなか口に出さない本音を正直に言って、本気で怒っていた(笑)。

 

「あの店の土瓶蒸し、食べた?」

「うん。あれは絶品。」

「そうそう、あの出汁の塩加減がね、、。」

 

料理については、こういうのが正しい。

相手に、「ふ〜ん、そう、、。そりゃ良かったね。」と言わせたなら、こちらは「今度、ご馳走しますよ。」とまで言う覚悟を決めないといけない。

 

土瓶蒸しは、そんな人生の教訓(笑)を考えさせる本当に凄い料理なのだった。

 

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2017年

10月

21日

青空!

毎日、どんよりした天気が続いている。

せっかく秋なのになぁ、、。

 

気分もどよ〜んとしつつ、スマホにたまった写真をつらつら整理していた。

すると....。

先月、新潟に高速バスで帰った時に、越後川口SAで撮った一枚が目に止まった。

 

すっかり忘れていたのだが、この時たしか、まさに秋!空気が爽やかで心地よく、ただそれだけで小躍りするほど嬉しかったのだ。

青い空がほんとに大きくて、白い雲が手でつかめそうなくらい近かった。

 

PCでフルスクリーンにしたら、あの時の幸せな気持ちがしばし蘇ってきた。

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2017年

10月

19日

選挙-不在者投票

10/22に行われる「国難突破解散」による衆議院議員総選挙。

 

2013〜2014年、家族の介護で新潟に一時帰っていたのだが、その時に住民票を移して、以来そのままになっている。

今年夏の東京都知事選挙では、東京に住んでいて周りが大変な盛り上がりだったし、自民党東京都連と小池百合子候補については、選挙権もないのに無駄にいろいろ考えていたから(笑)、もうそろそろ住民票を東京に戻そうかとも思った。

 

でも、自分の中でなかなか踏ん切りがつかない。

新潟市郊外、小さなピノキオ公園すぐ隣り、あの古びた家の住民であることを無い事にしたくなかった。父も母もいないけれど、帰ればきっと、我が家に帰ったと気持ちが落ち着くのだ。

手続きの煩雑さより、たぶん、ほんの小さな感傷なのだと思う。

 

不在者投票請求書を新潟市選挙管理委員会に郵送したら、今朝、オレンジ色の簡易書留で、候補者名簿その他の書類と一緒に届いた。

投票用紙の封筒には『開封厳禁』とシールが貼ってある。

これを持って、近くの地域区民センターに行けば、東京にいながら新潟市の選挙に投票できるのだ。

「あなたの一票は大事な一票です!」と言われたような気がして、ちょっと感動してしまった(笑)。

 

今回の選挙は、「国難突破」の為の大事な選挙だから、日本国民として投票するのだ。


今までのやり方ではきっと突破できないような重大な事態が、近いうちに日本に起こる、その為の国の備えを一体どうするのか。リーダーを誰にするのか。

 

各政党の党首の言葉を、ネットでちゃんと聞いてしっかり考えようと思った。

 

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2017年

10月

06日

ノーベル文学賞

8月30日、英国のメイ首相が日本を初来日したのを機に、しばしイギリスについて考えてみようってことで、シャーロック・ホームズについての記事をPart1、2と書いてきた。

Part3をアップしようかなと思っていた矢先、嬉しいニュースが飛び込んできた。

 

『ノーベル文学賞、日系英国人作家カズオ・イシグロ氏が受賞』

イシグロ氏は、長崎市で生まれ、5歳で英国に移住。1982年に英国に帰化したのだそうだ。

 

ずっと以前に、アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソン主演の『日の名残り』(1993年・米)という映画を見た。

1930年代、英国名門家の執事と女中頭の淡い恋が、戦前のナチス・ドイツとイギリスの外交を背景に描かれる。

 

主人公である侯爵家の執事がとても英国的であるのに( バトラーという英国独特の職業と、彼が持つ階級意識のせいか....)、彼の心の動きがあまりに日本人的なことにちょっとショックを受けた。

エンドロールで原作者の名前を注意して見たら”カズオ・イシグロ”とあって、ひどく納得したのを覚えている。

ああ、やっぱり日本人だ、、。

その時初めて、イシグロ氏を知ったのだが、凄い作家だなぁと思った。

原作を読んでみようと、図書館まで行ったところまでは覚えているのだが、きっと何かつまらない理由でそのままになってしまった。

 


改めて、ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロ氏の作品をしっかり読んでみようと思う。

氏の直近の作品『忘れられた巨人』も、興味深いテーマだ。

 

「社会や国家はどんなことを忘れ、どんなことは覚えているのか」

 

今の日本--歴史問題に否応なしに直面している日本にとって、一度しっかり考えておくべき問題じゃないだろうか。

 

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2017年

9月

29日

シャーロック・ホームズ -Part2-

私のミステリー入門は、アルセーヌ・ルパンというフランス人怪盗だった。

( 因みに、アニメの『ルパン三世』は、アルセーヌ・ルパンの孫である。....というか、そういう設定である。)

*アルセーヌ・ルパン

『フランスの小説家モーリス・ルブランが、1905年〜1939年に執筆した推理・冒険小説の主人公。、、

紳士にして、冒険家。変装の名人でいくつもの変名を持つ。貴族の城館や資本家の邸宅などを襲い宝石や美術品、貴重な家具などを盗んでいく大胆不敵な大泥棒。また、脱獄の名人でもある。

一方、善良な者を助ける義賊の性格もあわせ持っており、虐げられた婦人や子供にとっては頼もしい保護者となる。

多くの女性に惚れ、また彼も多くの女性を虜にしているが、作中に描写される限りでは浮気はしていない。しかし、彼と深い仲となった女性の多くは様々な事情で短命であったため、結果的に多くの女性と恋愛をしている。、、』(wikipediaより)

 


小学3年生の子供のくせにルパンに恋していた私は、彼の愛する妻、レイモンドが計らずも敵の銃弾に倒れ、夫の腕の中で息をひきとる場面に号泣する(『奇巌城』)。

この銃を撃った憎き敵こそがシャーロック・ホームズで、この時から彼は完全に悪役認定されてしまった。

もっとも、コナン・ドイルはモーリス・ルブランに、勝手にシャーロック・ホームズの名前を小説で使うな、と厳重抗議したらしい。( いくら人気のキャラクターでも、外国で無断借用しちゃダメでしょ....。あれ?そうすると『ルパン三世』はどうなるんだ?)

結局、モーリス・ルブランの原作では、”シャーロック・ホームズ”じゃなくて”エルロック・ショルメ”に改名されたらしい。( 日本語訳では、ほとんど”シャーロック・ホームズ”のままである。)

 

”正しいミステリーファン”(笑)であるならば、シャーロック・ホームズは絶対に外せない存在だ。

まずホームズあってのエルキュール・ポワロ、エラリー・クイン、ブラウン神父なのだ。まぁ元祖というか別格というか、、。

そのミステリー界の常識に反する変な思い込み--ホームズは悪いやつ--のせいで、長年、矛盾と内的葛藤(笑)にモヤモヤしていたある日、『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』(1985年・米 )という映画を見た。

 

当時、アメリカの映画界で流行り出したCG映像満載のスピルバーグ映画で、コナン・ドイルの原作とは関係ないインディ・ジョーンズみたいな冒険ストーリーもウケて、かなり話題になった。

「寄宿学校の同級生で15〜6歳の少年」という設定のワトソンとホームズの相棒関係もめっちゃ微笑ましい。

長身・美少年の天才ホームズと、おっとり丸顔・食いしん坊のワトソン、そして若きシャーロックの可憐な恋人エリザベス。

 

そのエリザベスが、宿敵モリアーティ教授の凶弾に倒れ、亡くなってしまう。

なんと、ホームズも、愛する恋人を敵に殺されてしまうのだ!

 

 


愛する人を失うというシチュエーションは、たとえ空想の世界であっても、若い女性にとってなかなかのインパクトである。

あげく、コナン・ドイル原作のシャーロック・ホームズが生涯独身だったのは、このエリザベスを愛し続けたからだった....、という胸キュンなラストのおかげで、長年のシャーロック・ホームズ=悪役認定はガラガラと崩れ落ちた。

 

幼い日のルパンの呪縛からめでたく解放され、またこの頃に、名優ジェレミー・ブレッドの素晴らしいホームズと出会って、めでたく”正しいシャーロック・ホームズファン”になることができた。

私とホームズの関係は、ちょっと屈折しているのだ(笑)。

 

こんな話を友人にしても、胡散臭げに呆れられるだけだから、ずっと心にしまっていた。

 

先日、NHKのBSプレミアムで『ルパンからの予告状〜謎とスリルに満ちた伝説の至宝〜』という放送があった。

( 番組内容:怪盗アルセーヌ・ルパンなら、今どんな秘宝を狙うのか?ルパンの予告状をヒントに謎解きへ旅立つ新感覚アートミステリー!最新の科学分析の数々!ルパンの狙いを見破れ!)

 

この意欲的な(!)番組をたまたま見ていて、ふっと、ルパンに恋していたあの日、ホームズが大っ嫌いだった遠い少女時代を思い出した。

小学校の図書室の木造の本棚と、ちょっとかび臭い本の匂い。

学校から帰ると、宿題もそこそこに本ばかり読んでいた。

 

最近、ミステリー読んでないなぁ、、。

 

『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(ケント・ギルバート著)はとっても面白かったけど、どうも私の毎日、夢がなくなってるよなぁ、、。

本を読んでは泣いたり怒ったりドキドキしたりキュ〜ンとしたり、夢見る乙女(笑)だった私がここ数年、中国だ北朝鮮だアメリカだと、なんだかいつも怒っているような気がする。

日本の心配はそれとして、もちっとロマンチックな要素があってもいいんじゃないだろうか?

恋とか愛とか涙とかじゃなくて、なんというか未知のものとか冒険とか驚きとか、、。

 

ふ〜む、面白そうなSF小説でも探してみるか....。

 

***Part3に続く***

 

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2017年

9月

10日

シャーロック・ホームズ -Part1-

先日、英国のメイ首相が日本を公式訪問した。

英国と日本の連携強化が進むらしい。

『祝・日英同盟(?)復活!』ということで、しばしイギリスについて考えてみた。

 

創元推理文庫で育った私にとって、イギリスと言えば、まず第一にシャーロック・ホームズである ^ ^ v

私の少女時代からの永遠のアイドル、名探偵エルキュール・ポワロはベルギー人だが、彼よりもっと有名で、100年以上にもわたって世界中で愛されている偉大なイギリス人探偵が、シャーロック・ホームズだ。

 

以前、英国製作のドキュメンタリー番組で見たのだが、現在、法医学-科学捜査関係で活躍する人たちの中には、小さい頃からホームズの大ファンで、彼に憧れてその職に就いた人たちがかなりいる。

 

大きな拡大鏡とピンセット、その他いろいろなアイテムを使って、現場に残る葉巻きの灰さえ見逃さず、証拠と論理的な推理をもって犯人を突き止めるというホームズ独特のスタイルは、現代の犯罪捜査の手法に繋がるのだそうだ。

 


コナン・ドイルがホームズシリーズを書いた時代は、19世紀後半。

同じ時期に、あの凄惨な”切り裂きジャック”事件がロンドンの街中で起きて、少なくとも5人の売春婦がむごたらしく殺害された。

犯人が捕まらないまま迷宮入りして、現在に至るまで謎の大事件として有名だ。

 

この時代の犯罪捜査は今のように科学的ではなく、犯行現場は野次馬や警官たちによってめちゃくちゃ荒らされるし、証拠を精査するという近代的手法も確立していなかったので、まずは疑わしい容疑者をかたっぱしから引っ張ってきて自白させる、みたいな時代だったらしい。

 


その頃、日本は明治時代。

正確には、”切り裂きジャック”事件が起きた1888年は日本で明治21年。

1883年に東京・麹町に鹿鳴館が完成して、極端な欧化政策で無理やりな西洋化が進んでいた。

 

ちょうど、江戸時代から明治時代へと移り変わる時代を舞台にした探偵小説に、岡本綺堂の『半七捕物帳』がある。(大正6年/連載開始)

目端の利く優秀な岡っ引き”半七"が活躍するが、犯人を挙げる時にはだいたい物的証拠より状況証拠が決め手になる。

「犯人はおめぇだな。どうだ、そうだろう。こうなったらしょうがねぇ、お上のお慈悲を乞え。」

「旦那、恐れ入りました、、。」

証拠を出せ〜っと居直るような犯人は、まず出てこない。

 

指紋や血痕判定、足跡や遺留物の保存などの法医学の基礎的概念は、イギリスではホームズの時代に広まった。

”切り裂きジャック”事件が、警察の杜撰な捜査のせいで迷宮入りした事への庶民の不満は、相当にひどかった。科学的な手法の導入は待った無しだったのだろう。

ホームズが、スコットランドヤードのレストレード警部に時おり浴びせる嫌味や警察組織への嘲笑には、そうした背景があったようだ。

 

現代では、DNA鑑定やプロファイリングなどの凄い技術があるから、犯人検挙率は100%に近いのか、と思うとそうでもない。(それでも、日本の凶悪犯の検挙率はめちゃ高いらしいが...。)

やはり最終的には、捜査する人たちの推理力や執念、洞察力や着眼力とか、そういう個人の力がものを言うのだなぁ、と思う。

科学という道具を使うのは、能力を持つ人間なのだ。

 

その先駆けがシャーロック・ホームズだった。

作品中で、彼が独自に駆使する化学の知識や足跡・血液の分析、行動観察の方法などは、そっくり今の科学捜査に受け継がれている。

 

コナン・ドイルの原作に一番近く、ホームズ史上最高と評価されている故ジェレミー・ブレッドの演じたシャーロック・ホームズ。

陰鬱で皮肉屋の表の顔と、お茶目ないたずら坊主のような隠れた顔。

時折り常軌を逸するあぶない精神と剃刀のように鋭い論理的思考。


きっと、シャーロック・ホームズはこういう人だったんだ、、うん、そうに違いないと、世界中のみんなが納得した。

 

*ジェレミー・ブレッド

『グラナダテレビの5シーズンにわたるシリーズに主演した。

その姿はシドニー・パジェットが描いた挿絵から抜き出て来た程とまで言われ、奇抜かつ繊細な演技でホームズを演じた。

、、全集を完成する前に心臓病のため短編集を含む18作品を残して他界した。本作は2013年現在でも人気が衰える事がなく、NHKだけでなくCATVのチャンネルでも数多く再放送されており、いまだ多くの人々に愛されている。、』

(wikipediaより)

 

***Part2に続く***

 

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2017年

8月

31日

ミサイル

一昨日29日の朝、新潟の友人から

 「今朝はJアラートで起こされた。気分が悪いよね。」
とメールが来た。
びっくりしてインターネットのニュースを見たら、午前6時頃、北朝鮮が北海道上空を通過する弾道ミサイルを発射していた。

 


東京は距離があるせいか、Jアラートは鳴らなかったようだ。

専門的な事は分からないが、これは今までの挑発のレベルを超えた、かなり『深刻で重大な脅威』(安倍総理の会見)らしい。

 

もうやけくそ状態なのかなぁ、北朝鮮。

韓国大統領は、相変わらずよく分からない事をやっている。もしかして、アメリカの同盟国だって事、忘れてる?

日本は、アメリカと協力して対応するようだ。

アメリカと日本、、。

 

アメリカは世界一の軍事力を持っている。

世界中の紛争地帯で、数多く武力行使を行ってきた。

国連で最大の力を持つ超大国。

 

世界で影響力を持つ為には軍事力の後ろ盾が不可欠だ。

その意味で言えば、日本は尊敬はされても発言はなかなか聞いてもらえない。戦いに参加する事がないから。

でも、自ら進んで戦う事はしなくても、日本人の調停能力は「和を以て貴しと為す」の聖徳太子の頃から筋金入りだから、もっと国際舞台で活用されれば良いのに、と思う。

大岡政談みたいな話がそこらじゅうにある国なのだ。

調停役として、世界の信頼が集まれば、大きな力にならないだろうか。

日本に出来る役割り、日本にしか出来ない役割りがきっとあるはずだと思う。

 

日本の歩み寄りや譲歩、提案や静かな怒りの表明、全てを無視してきた北朝鮮。アメリカの介入で、事態は良くなるのだろうか?

拉致された人たちは帰ってくるのだろうか?

虐げられた国民は救われるんだろうか?

 

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2017年

8月

28日

ある日突然、太った...

去年の後半くらいから、会う人みんなに「痩せた?」と驚かれ、自分でも痩せたかなぁ、と鏡を覗いて思ったので、食事やおやつで地味に努力していた。( 体重を計る習慣がないので、東京の家には体重計がない。)

なんと腹筋トレーニンも始めた。( 痩せたのはきっと胃下垂のせいだ!)

 

「凄い!どのくらいやってるの?」

「こんな感じで毎晩10回 ^o^」

「....10回....(笑)。」

「続けるのが大事なのよ!」

 

ほとんど効果が出ないまま、今年6月に大風邪をひいて数日間寝込んでしまい、飲まず食わずでまた痩せた気がした。

がっかりしつつも、またたくさん食べて腹筋10回を続けた。

 


そして8月。

おっ!と思った。下半身がぽちゃっとしたかも....。

それがいきなりだったので、ちょっと不思議な感じがした。

太る時というのは、ボン!バン!と来るのだなぁ、、。

 

そういえば以前、仲間とJazzの練習について話していて、誰かがこう言ったのを思い出した。

「上手くなる時って、急だよね。」

楽器の上達グラフは右上がりの直線ではなく、階段を登るようにギザギザだというのは、自分の感覚でも人の演奏を聴いていても何となく感じる。

ピアノを弾くたびに可哀想になる薬指の筋力も、いきなりボン!バン!とつくんだろうか?

 

演奏のために必要な筋肉と、目的も無くただぽちゃっとついた脂肪を同列に語るというのもなんだが、"結果が突然現れる"という点で似ているかなぁ、と思う。

 

人間の身体は、いろいろ謎だ。

 

2年前にある事で悩んで考え過ぎた時、脳がオーバーヒートして煙が出そうだった。

若い頃に失恋した時、心臓がひどく痛くて胸が張り裂けるかと思った。

大好きなアーティストの武道館公演に行って帰り道、あんまり嬉しかったせいか血管中の血液が爆走して、駅まで飛び跳ねながら完走した。

父が亡くなってお葬式が終わった晩、台所で洗い物をしていたら父の声が耳の奥に聞こえた。

 

どういうメカニズムなのか、医学の知識が無い私にはさっぱり分からないが、身体は心と密に連携して、心の為に頑張ったり、頑張り過ぎたり、傷ついたり、優しくなったりするみたいだ。

急に痩せてなかなか太れなかったのは、きっと心が何かをボソボソつぶやいたに違いない。

そう思ったら幾つか思い当たることもあって、身体の苦労を思いやってちょっと切なくなった。

 

大事にしないとなぁ、、。

いつまでもそうそう甘えてばかりもいられない。腹筋だけじゃなく、心も鍛えないと、、。

今更だけど、反省を込めて3つ決意した。

 

『くよくよしない』

『暴飲暴食の誘惑に負けない』

『ちゃんと寝る』

 

たぶん、『くよくよしない』ってのが私の一番の努力目標だな....うん。

ずっとピアノを弾き続けられますように。

まずは健康第一!

    
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2017年

8月

12日

花火大会

7月29日の隅田川花火大会。

あいにくの雨にもかかわらず74万8000人もの見物客が訪れ、傘をさしながら壮大な花火ショーを楽しんだそうだ。

 

何年か前の隅田川花火大会の日のことを思い出した。


たまたまその日は浅草にあるライブハウスで仕事があって、夕方ちょっと早めに出かけた。

浅草駅前は大変な人出だろうと覚悟はしていたが、とにかく物凄いことになっていた。

 

都営浅草線のホームや車内には、可愛らしい浴衣を着た若い女性があちこちにいて、あぁ、今日は花火大会なんだよなぁ、、なんて微笑みながら眺めていた。

ふんふんとのん気に地下鉄の階段を上って地上に出たとたん、あまりのたくさんの人にくらっと来た。

見渡す限りの人の海に圧倒され、足を踏み出すのが怖いくらいだ。

「負けないぞ〜」気合いを入れると、脳内にアドレナリンがドッと分泌された気がした。

 

拡声器からお巡りさんの声がガァガァ聞こえる。

「止まらないで下さい。止まらないで下さい。前に進んで下さい。」

いや、そっちに行くとライブハウスに行けないんだけど、と思いながらも、ぎゅうぎゅう詰めの人の波に押され流され、まるで川下りだ。どこまで行くんだと不安になっても、なかなか列の端にも行けない。
しばらく行ったところでようやく人波から逃れて、大回りして仕事先のライブハウスにたどり着いた。
いつもの落ち着いた空気に戻って楽屋でほっと一息ついていると、共演者たちがぽつぽつとやって来た。
窓の外を見ながら「花火、見えるかねぇ?」と言い合ったが、どうも方角的に無理らしい。どっちにしろ、演奏時間中だから花火は見れないんだが、、。

 

そして数時間後。

仕事帰りに、”つわものどもが夢の跡....”みたいな大通りをぶらぶら歩いた。(全車両通行止めだ。)

花火大会は既に終わっていて、手をつないだカップルや帰りがけの家族、ファストフード店から出てくる若者たちが、三々五々歩いている。

近くのレストランが、大テーブルと椅子を数脚運び出して宴会をやったようで、大通りの真ん中にオブジェのように放置されていた。こういう花火見物のやり方もあるんだなぁ、と少し驚いた。

 

帰りの駅は、これまた物凄いことになっていた。

切符売り場もごった返していたが、電車に乗るにも勇気がいる。

すくまで待っていたらいつ帰れるかわからないので、周りの大勢の人たちと一緒にえいやっと乗り込んだ。

 

車内はそれでも、お祭りの雰囲気がそのまま持ち込まれたようにどこかうきうきと楽しげだ。

ぎっしり詰め込まれた乗客たちも、混雑にいらいらする様子はない。夏特有の明るい空気が流れていた。

 

周りを見回していたら、近くにいた外人さんが青い顔をしていた。

朝の通勤電車並みの車内にショックを受けたのかな、と思って見つめたら、「次の駅、降りられない」みたいな事を言っている。

私は「大丈夫。」と請け合って、次の駅に着くとすぐ「降りま〜す‼︎」と大声で叫んだ。そして外人さんの背中を出口の方にぐいと押し出すと、みんな少しよけて彼をなんとか通してくれた。

無事に降りられたみたいなので安心して、つり革をつかみながらぼっと思った。

東京に長くいる私にとっても今日の人混みは特に凄かったから、観光で来たらしいあの外人さんにはさぞ大変な一日だったろう、、。ちょっと同情した。

そして、浅草にいながら花火をちょっとも見れなかった私も、なかなか残念なことだった。

 

今日、商店街の八百屋さんに行ったら、お店のお兄さんが真っ黒に日焼けしていたので「海に行ったね?」とからかうように聞いた。

「海、行きました!いやぁ、海、いっすよね。」

「でも人がいっぱいでしょ?」

「人混み、だめなんですか?」

「そうね、人混みはね、、。前に浅草の花火大会に行ったけどもの凄くてね、、。」(さすがに花火を見てないとは言えない・笑)

「隅田川花火大会!俺も行きましたよ。もぅ〜はんぱないっすよね、帰る時なんか大勢でずいぶん歩いて、、。もう二度と行かないっす!」

彼はレジを打ちながらきっぱり言った。

 

私にとっては、海も花火大会も同じようなもんなのだが、リミッターレベルが高い彼でも隅田川は相当だったらしい。

恐るべし、、。

 

人がたくさん集まるイベントはきっと楽しい筈なのだけれど、私のように人混みが苦手だと覚悟と気力がいる。

でも、そんな事を言っていると、そのうち博物館か図書館しか行かなくなるぞとも思うわけで、、。

 

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2017年

7月

29日

夏は苦手

ちょうど梅雨明けした頃だったか、ネットの健康情報を見ていたら”自律的な体温調節” についての記事があった。

自然に汗をかくことで身体を暑さに慣れさせる⇒あまり冷房に頼らずに夏を健康的に乗り切ろう!てな事で、なるほど〜そうだそうだと思ってやってみる事にした。

確かに毎年、冷房をつけ過ぎて体調が悪くなっている気がする。


扇風機や氷を入れたIce Bagを使い、冷たい飲み物もやめて温かいお茶やお湯にした。

気のせいか、例年より調子が良い。

と言っても、まだ始めたばっかりなんだが、、(笑)。

 

これから夏本番。

体質改善に向けて、無理せず頑張ろうと思っております!

 

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2017年

7月

20日

『ボビー・フィッシャーを探して』(1993年米映画)

先日、史上最年少の14歳2ヶ月でプロ入りを果たし、デビュー以来29連勝を達成した藤井聡太四段。

ネットで彼について調べたら、5歳で将棋を始め、8歳の時には既に将棋界で天才と言われていたそうだ。その後、生来の負けず嫌いの性格もあってメキメキとと実力を伸ばしてきた。

 

将棋はまったくわからないけれど、たまたま彼の連勝中に『ボビー・フィッシャーを探して』という映画を見て、主人公のチェスの天才少年が藤井聡太くんとちょっとかぶった。

 

映画の主人公は実在の人物で、ジョシュ・ウェイツキンという天才チェスプレーヤー。

7歳にして”ボビー・フィッシャーの再来”と騒がれ、16歳でインターナショナル・マスター、全米ジュニアチェス選手権で2年連続優勝したとんでもない神童だ。

 


”ボビー・フィッシャーは、アメリカ合衆国の伝説的なチェスプレーヤーである。1943年生まれ。6歳でチェスを始め、14歳でインターナショナル・マスターとなり、15歳でグランド・マスターとなる。

15歳でのグランド・マスターは、世界最年少記録だった。

冷戦下にソビエト連邦の選手を下し、アメリカ合衆国歴史上、初となる公式世界チャンピオンになったことで、英雄としてもてはやされた”(Wikipediaより)。

 

この時の試合は、キッシンジャーが自ら電話をかけてフィッシャーを激励するほどに、アメリカの国威をかけた一大事だったらしい。

フィッシャーは29歳で世界チャンピオンになった後、表舞台から姿を消して隠遁生活を送った。世界の様々な場所を転々とし、日本にも事実婚の奥さんがいたようだ。

 

『ボビー・フィッシャーを探して』という映画は、ジョシュ・ウェイツキンの父親が7歳の息子の並外れたチェスの才能に気付いて、かつてのチェスの名手ブルース・パンドルフィーニに息子のコーチを依頼するところから始まる。

 

大人たちは、この小さな少年が第二のボビー・フィッシャーになる事を期待し、ジョシュもその期待に応えていく。

常に勝つ事を求められるって、どれほどのプレッシャーなんだろうか?

映画の中でジョシュ少年は、負ける事への恐怖に押しつぶされそうになる。

 

才能がある者に周りの者たちは無責任に期待し、期待が裏切られた時には無慈悲に失望する。スポーツや芸術の世界でも、一流の人たちはみんなその恐ろしさと戦っているのだ。

 

わずか7歳でそんな恐怖を知ったジョシュだが、父母や師匠の暖かい愛情で乗り越えていく。

やっぱり名を残す人というのは、才能だけではなく精神力が凄いのだ。自分に負けない力が並外れているのだ。

勝負の世界は結果が全てで言い訳は通らない。

誰かに勝つことの前に、まず自分に勝つーその事が本当に難しくて大変なのだなぁ、、。

 

将棋の藤井聡太くんは、押しかけるマスコミや日本中の国民に注目される中で淡々と勝利を重ねた。

映画を見たせいか、藤井四段の将棋の強さもさる事ながら、彼の心の強さに感動した。

14歳でデビュー。まさに神童だ。

この先に待ち受ける沢山の勝負を、どうか楽しみながら戦い抜いていって欲しいと思う。

応援しています!

 

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2017年

6月

27日

太宰治-なぜか混浴について-

最近、太宰治を読んでいる。

 

太宰治は、『人間失格』と『斜陽』を、大学時代に国文学専攻の学生として正しく(?)読んで、以来それきりになっていた。

あまり好きになれなかった。(もちろん『走れメロス』は学校の授業で読んでめちゃ感動したが。)

森鴎外の対極のような生き方をした人で、時代の違いを考えてもとても心が弱い人に思われ、その作品を読もうという気が全くおきなかった。

 

たまたま先日、『きりぎりす』という短編を読む機会があって、ちょっといいな、、と思った。

『カチカチ山』でへぇ〜っと感心し、『東京八景』で妙に感動した。私も人生の苦労が少しは分かってきたってことか、、。

 

今日、『美少女』という短編を読んだ。

そして、ストーリーとは関係なく、えっ?とびっくりした事があった。

太宰治が30歳の時に発表した私小説なのだが、当時、彼は結婚したばかりで甲府市のまちはずれに住んでいた。

 

ある日、彼は妻と一緒に、歩いて20分ほどの温泉に出かける。そこは病気療養の効がある温泉なのだが、普通に混浴なのだ。

”普通に”というのは、作中、太宰や彼の新妻を含め誰一人、混浴という事に違和感を持っていないらしく、みんな平気な顔で湯に入っている。

 


3坪ほどのあまり大きくない湯槽の中で、太宰は、タイトルにある通り16〜18歳くらいの「美少女」に出会い、その裸体のみずみずしい美しさに感激する。

「いいものを見た、」なんて邪気もなく喜んでいるところは、まぁ普通の男性の普通すぎる反応なのだが、、。

 

不躾にじろじろ見ている太宰を咎める人は誰もいない。それどころか、側にいた老爺は「衰弱には、いっとうええ。」とか言って、鉱泉を飲むように親切に勧めてくれるのである。

 

その後の話の展開や、「それだけの悪徳物語である。」なんていう太宰特有の自嘲めいた述懐などがこの作品の面白いところなのだろうが、私はどうにも”普通に混浴”が気になって、いっこう頭から出て行かない(笑)。

戦前(『美少女』は1939年発表 )の日本の風俗が今とあまりに違うので、すんなり受け入れることができないのだ。

混浴というのは江戸時代の話だと勝手に思い込んでいたのもあって、そんなに昔でもない昭和の時代に、混浴が庶民の間で普通にあったというのはちょっとした衝撃だった。

もし外国人がこの事実を知ったら、びっくり仰天するに違いない。

文明国でありえない!と言うだろう(笑)。

 

混浴の歴史なんかを調べてみるのも面白そうだが、それよりも、当時の日本の事を考えてみると興味深い。

このわずか2年後に真珠湾攻撃、こてんぱんにアメリカに負けて『堕落論』なんてものが出て来るくらいに日本人の心が無茶苦茶になっていくのだ。

数年のうちに社会が劇的に変わり、それまでの考え方がことごとく否定されて、人々は誇りも自信も急速に失っていく。

日本の精神文化が、ある意味断絶した。

 

西欧的な価値観が浸透している現代の私たちにとって、戦前の日本はもはや異空間だ。

落語の人情噺や山本周五郎・藤沢周平の世界が、遠い昔のファンタジーに感じられるのと同じくらいに、昭和の日本もきっと、どんどん遠くなっていく。

 

今、”普通”だと思っていることが、数十年後、まったく”普通”でなくなっているかも....と考えるとちょっと寂しい。

既に私が小さかった頃と現在では、近所付き合いでも友人とのコミュニケーションでも、いろいろな事が全く違う。

その一方で、日本人が古来ずっと心に持っているものは、たぶん、どんなに時が経って社会が変わっても変わらない。根っこにあるものは、そんなに変わらない気がする。

考え方は変化しても、心の中まで完全に変わることはないのだと思う。

  

それにしても、じいさんばあさん達と若夫婦、それにとびきりの美少女がみんなで一緒に湯槽につかっているって、何だかもの凄い事じゃないだろうか、、。

想像すると、ほのぼのし過ぎて泣けてくる(笑)。

 

日本はほんと良い国だなぁ....。つくづくそう思う。

太宰治も、だんだん好きになっている。

 

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2017年

6月

20日

隣りのマンションで!

夕方、5時過ぎ。

さて夕飯の支度でもするか、と思った矢先だった。

 

けたたましいサイレンの音がいきなり近づいて来た。

スピーカーで男性が何かがなりたてている。

緊急事態が起こったんだなと分かったが、どうもうちの近所らしく、がなり声がめちゃくちゃ近い。もの凄く近い。その上、なかなか遠くに去っていかない。      

あれ?と思ったが、スピーカーの音が割れて何を言っているのかほとんど聞き取れない。

ちゃんと聞こうと思ってベランダに出てみたら、通行人が何人か立ち止まってこちらを見上げていた。

え〜っ、うちのマンション?! と慌てて、ベランダと反対側の玄関まで走ってドアを開けた。

 

私の部屋は3階で、ドアの前の通路から隣りのマンションの3階通路が見渡せる。

ちょうど斜め前あたりの部屋のドアの前に、完全装備の消防士さんが3人駆けつけていた。

「ドア、開いてる!」と一人が大声で叫んで、もうもうと大量に流れ出す灰色の煙の奥に、真っ黒に焦げた部屋の中がちらっと見えた。

火はもう収まったんだろうか。

「わ、火事!」と驚いて部屋に戻ると、ベランダと玄関をうろうろ往復した。

ベランダでも玄関でも、うちのマンションで慌てているのはなぜか私一人だ....。

何だか気抜けして、部屋の真ん中で所在なく立っていた。

 

しばらくするとスピーカーで、「荻窪消防署です。火災が発生しましたが、延焼を防御しました。ご協力に感謝します。」と、今度は落ち着いた優しい男性の声で、何回も繰り返すのが聞こえてきた。

 

「あ〜良かった。」

ひと安心してまたベランダに出たら、銀色の防火ヘルメットをかぶった消防士の男性が一人、表通りに立っているのが見えた。     

周りに気配りしながら、でも凛としたその佇まいに、思わず「かっこいいなぁ、、。」と呟いた。

 

その人は、3階のベランダを見上げる事なく、通行人や車に終始注意を配っている。

銀色の防火ヘルメットがキラキラしていた。

 

手すりにもたれてじっと見とれてしまった。

( お仕事、本当にご苦労さまです!)

 


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2017年

6月

18日

風邪をひいた、、。

ここ4日間ほど、ひどい風邪で寝込んだ。

首の筋と頭が熱のせいでズキズキと痛み、ベッドに倒れこむとそのまま起き上がれなくなってしまった。

風邪で寝込むのは今までにも何回かあったが、今回は、予想外のヘタレ加減に自分でびっくりした。ベッドの中でまるで力が出ない。

寝ても寝てもまだ寝れる。日にちの境目がぼんやりするほど、寝ては醒め醒めては眠るを繰り返し、人間てこんなに寝れるもんなんだなぁ、と痛む頭の中でつぶやいた。

 


普段はあんなに几帳面に働いてくれていた私の胃腸が、主人が不調となると、とっとと休業を決め込んだ。

わずかな量のおかゆもなかなか食べられなくなった。

ヨーグルトと牛乳と麦茶をやっと体の中に入れた。薬は葛根湯しかない。

 

去年くらいからみんなに痩せた痩せたと言われ、自分では特に自覚もなかったが、そんなに言うなら、と甘いものを多めに食べて頑張っていたところだった。

努力が水の泡だ....と思ったら、ひどくがっかりした。

 

まぁそんな事より、1日寝れば治ると思っていたのが二日三日と長くなると、生存の危機がちらつくようになった。これはヤバイ、、とぼうっと考えた。

ちょうど1年前に健康診断をうけていて、どこも異常が無かったから大丈夫だろうとは思ったが、万が一という事もある。

「今のところ心配いりません。」と無愛想に請け合ってくれた、年配の内科のお医者さんの顔を、すがるような気持ちで思い出した。

 

いざとなったら近くのお医者さんに行けばいいのだ、、。

そう思っても、それは最終の究極の絶望的段階で発生する事象であって、それまでは何としても自力回復を目指す。

私は病院がとても苦手だ。

 

「参ったね....。」と独り言をぼそっと言ったら、みごとな鼻声(笑)だった。

これはやはり風邪に違いないようだが、一体いつまで絶不調が続くんだろうか。

 

********************************

約束していた幾つかの用事を思い出して、ベッドに寝ながらキャンセルのメールを打っていたら、少し頭痛が和らいできたのを感じた。

食欲も僅かだが出てきた。胃腸がようやく、ゆるゆると働き出したようだ。

 

半日そのままゆっくりしていて、夕方になってから、近所の商店街に買い出しに出かけた。

足がふらふらする。

大きなマスクをしたから、面やつれした顔の半分が隠れた。

 

肉屋のおじさん、パン屋のおかみさん、八百屋のお兄さん、それぞれのお店で、本当に酷い風邪で大変だったとちょっとおしゃべりをした。

「また頑張って太らなきゃ....。」私が言うと、肉屋のおじさんが陽気に笑った。

 

おじさんの笑顔を見た瞬間、生還した嬉しさがこみ上げてきた。

また最初から始めよう。いろんな事、また最初からだ、、。

両手に買い物袋をぶら下げてゆっくり歩きながら、夕焼けの空をふと見上げた。

晴れやかな気分になった。

 

う〜む、我ながらドラマチックなエンディングでちょっと笑った、、。

 

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2017年

5月

29日

関屋中学・化学クラブ -Part5-

中学時代の秋の文化祭。

文化クラブ部員にとって一年に一度の晴れ舞台なのだが、十代前半の青少年たちには”文化的活動”というとどちらかと言えば地味に見えてしまう訳で、、。

そこへいくと、我が化学クラブの活動はある意味、ちょっと派手だった。

 

先輩たちが4人がかりで庭に運び出した、”関中・化学クラブ伝統”のちょっと古びたお手製の火山。


茶色とか緑色の彩色が全体に褪せて、長年の歴史と風格を醸し出している。

火薬に混ぜた少量の化学物質がその種類に応じて綺麗な色の炎を創り出し、火口から噴き上げる噴火の迫力はなかなかのものだ。

 

部室内では、化学燃料で小さなロケットが針金を伝ってピューッと飛んでいて、部屋の真ん中に、これまた”関中・化学クラブ伝統”のケミカルガーデンが鎮座していた。

部員たちは、水の色が手品のように変わる、水を数滴垂らすと綿がパッと燃え上がる、ビーカーから煙と共にむくむく謎の黒い物体が現れる....なんておもしろ実験を、訪れた人たちに見せていた。

 

他に、私たち2年生部員で話し合っていくつか出し物を考えた。、、というか、元気いっぱい盛り上がって悪ノリしていた(^ ^);;v

私が覚えているのはその悪ノリ出し物のうち2つで、なぜその2つだけ覚えているかというと、私が『やらかした』からで、後で部活の先生に本気で怒られた。

 

1 .塩酸の水溶液でお金をピカピカにする

 

みんなにとても喜ばれたが、翌日、お金がお金でなくなったと文句を言われた。

水で洗浄してあげるのをすっかり忘れて、一晩でお金の表面がきれいに溶けてしまったらしい、、。すみません、、。

 

2 .口から火を噴く

 

今、突然思い出したのだが、中学時代の私のあだ名は『ゴジラ』だった。

う〜ん、だから最近のヒット映画『シン・ゴジラ』に妙なシンパシーを感じていたのか、、。

 

何故、あだ名が『ゴジラ』だったのかは置いておいて、ゴジラなら口から火を噴くだろうってもの凄く単純な発想で、私が火を噴く担当になった。(たぶん、そんな経緯だったんだろうと思う。)

口に含んだアルコールをパァーッと噴き出したところに火をつけるという、今考えれば完全にNGな企画なのだが、みんな悪ふざけで「やっちゃえ!」となった。

ところがここに一つ重大な問題が....。

 

私は、唇をブルブル震わせる技とか「ルルル〜」の巻き舌とか、口周辺に関わる動作がいろいろと出来ない。神経がいくつか足りてないんじゃないかと思われるほどに出来ない。

スープをスプーンで飲む時も、下手をすると口の端からたら〜とこぼれてしまう。

見かねた友人に、「みっちゃん、スープ吸ってる?」と聞かれた事がある。

そっか、、スプーンで口に入れた時に吸う必要があるんだな、、。そう気付いたのはすっかり大人になってからだ。

 

そんな訳だから、頭の中では、時代劇なんかで刀傷に焼酎をプァーッ!とやる画面がしっかり浮かんでいるのだが、実際にそのような高等技術が私に使えるはずはなく、かっこつけてアルコールを口に含んだまでは良かったが、そのままどうやってもうまく噴き出せずに、ごっくんと飲んでしまった。

 

その後の事は覚えていない。

アルコールの濃度がそれほど高くなかったにしても、中学生だし、きっとぶっ倒れたんだろう、、後で先生に大変な大目玉を食った。

 

 

「2年生文化祭計画」-伝統ある関中・化学クラブの晴れ舞台- は、大きな事故もなくほぼ成功裏に終わったが、私の技術不足(?)のせいで、仲間に多大な迷惑をかけてしまったことがとても申し訳なく悔やまれる。

華々しい『ゴジラ』デビューもやり損なった。

 

その後の長い人生で、唇をブルブル震わせる技も「ルルル〜」の巻き舌も焼酎をプァーッ!も、何一つ修得できなかった。

「自転車のひらり乗り」(以前、このブログで書いたのだが、この「ひらり乗り」ができないおかげで、私は自転車には絶対乗らない。)とか、人の誕生日をまるで覚えられないとか、他の人が普通に出来るのに私には出来ない事がたくさんあるのだ、と夜中にひとり、しみじみ思った、、(涙)。

 

、、でもまぁ、私には音楽がある!と慰めたところで、Part1〜5まで長々と書いてきた私の化学クラブのお話は終わりです。

 

いやぁ、最初に書き始めた時はこんなに長くなるとは思わなかった。いろいろな事が少しずつ思い出されて、しばし楽しいタイムスリップをしました(笑)。

 

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2017年

5月

14日

関屋中学・化学クラブ -Part4-

私の中学時代の記憶は、薄くぼやけていて、思い出せる事といったら本当に数えるほどしかない。

学校近くにあったケーキ屋さん( 以前このブログに書いた、夢のようなケーキ屋さん )と、何人かのクラスメートと担任の先生の事くらい、、。

 

実は、化学クラブの事はすっかり忘れていた。

それが、机の引き出しの奥から偶々出てきた、私が書いたと思われる『2年生文化祭計画』というよれよれの企画書をじっと眺めていたら、不思議なほど鮮やかに、あの当時、感じていた気持ちや部員の仲間・部長さん・先生の顔が次々と浮かんできた。

 

あの2年生の秋。

悩める青春時代である(笑)。もやもやといろいろな事に悩んでいた。

自分のことや家族の事。そして学校についても一つ不満があった。

まぁそんなに大した事じゃないのだが、早い話が「運動部ばっかり!」だ。

 

体操や陸上、水泳やバレーボール、バドミントン・サッカーに野球....。

花形選手はめっちゃめちゃかっこいいし、校内の話題も運動部に集中するのは仕方ない。

でも、化学クラブだって、爆薬で火山が噴火するし(火山、小さいけど....)、固体燃料でロケットがピューッて飛ぶんだよ(教室の中だけど....)、ケミカルガーデン、知ってる?すっごい不思議で綺麗なんだから!という訳だ。

 

性格というのは、成長してもあまり変わらないものだ。

自分のやっている事に対する圧倒的な肯定感というのは、この頃から既に芽生えていたと思われる(笑)。

負けん気とは違って、信念の問題だ。

人からどう見られようと、これが自分にとってベスト、これでOK、みたいな気持ちか、、。

人とはちょっと違うこの風変わりな価値観のおかげで、今までの人生、比較的幸せな精神状態で生きてこれたんだと思う。

つまり、私はかなりな変人であった(笑)。

 

この時は、大好きな”化学クラブ”を、周りのみんなにもっと知ってもらいたいという気持ちでいっぱいだった。

 

う〜む、またしてもすっかり長くなってしまった。

残念エピソードが、なかなか書けない、、。

すみませんm(_ _)m、次回、繰越しです。

 

***Part5に続く*** 

 

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2017年

4月

29日

関屋中学・化学クラブ -Part3-

『化学ガールな私』の残念エピソードを書こうと思ったのだが、その前に、この今にも破れて散ってしまいそうなわら半紙の裏表に書かれた「2年生文化祭計画」なる”野心的な企画書”(笑)を、記録に残しておこうと思った。

私が書いたよくわかんない説明図もあるのだが、それは省く。

 

PCで書き写していたら、私の頭の中に、当時の情景がポツポツと浮かんできた。

中学2年生・元気でちょっと不機嫌そうな女の子が、試薬のビンを片手に立っているのが見えた、、。

 

1.砂糖のおばけ

 

ビーカーに砂糖を半分ほど入れて、濃い硫酸をひたひたになるまで注ぎ、ガラス棒でかきまぜる。

すると、煙の中から黒い塊りがむくむくと伸びてくる。

 

***濃い硫酸が砂糖から水分を奪い取るために、炭素に変わっていく。

この時、熱とたくさんのガスができるが、そのガスが炭素の塊りを膨れ上がらせる。

 

2.水が綿に火をつける

 

二〜三滴の水を落とすと、綿がパッと燃え上がる。

 

***綿に、過酸化ナトリウムの粉をかけておく。

それが水と反応して酸素を出し、綿が燃え上がるのを助ける。

 

3.色の変わる水

 

四つのコップを左から①、②、③、④とする。

①と③に数滴のフェノールフタレインを、④には十数滴の酢を入れておく。

これに水差しの水を注ぐと、①と③は赤くなる。

 

***水差しの水に、二〜三滴のアンモニア水を入れておいたからである。

①、②、③の水を水差しの中に戻し、再び①、②、③に注ぐと三つとも赤くなる。

コップの水を全部、水差しに戻すと、④の酢のために全部の水が酸性になるから、あらためて注ぐと、四つとも透明な水にもどる。

 

4.火山が緑の山に

 

石綿の板の上に、重クロム酸アンモニウムの赤い粒で山をつくる。

そのてっぺんに火をつける。

やがて、この山は噴火を始める。( 暗室だといっそう美しい。)

燃えかすは、濃い緑色の灰( 酸化クロム )になる。

 

5.ケミカルガーデン

 

ケミカルガーデンとは化学の花園という意味である。

水ガラス( ケイ酸ナトリウム )を2倍の水で薄めた液に、いろいろの金属塩の結晶を落とすと、結晶の表面から金属のケイ酸塩が、木の枝のように次々と形成される。

 

6.ロケット

 

エンジンの中の固体燃料が燃焼して、気体を噴き出すため、針金を伝って動く。

 

(私注:部室の高い所に、部屋を斜めに横切るように細い針金を張って、小さな手製ロケットが滑って移動できるようにしてあった。)

 

7.レモン電池

 

十円玉2枚と一円玉2枚を、それぞれ一組にして、間に導線をはさむ。

 

(私注:縦割りにしたレモンの中に導線のついたコインを埋め込んだ図が描いてある。)

 

***Part4に続く*** 

 

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2017年

4月

13日

関屋中学・化学クラブ -Part2-

古びた木造校舎の奥の方の教室に、化学クラブ部室があった。

1階だったか2階だったか....。

 

重い引き戸を開けるとちょっと入ったところに、かなり大きな水槽が台の上にどんと置いてあった。

水槽の中では、鮮やかな赤や緑や青色の木の枝のような形をしたオブジェが”育って”いて、「これは、ケミカル・ガーデンというもので、、。」」と先輩が説明してくれた。

 

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ケミカル・ガーデンは化学の実験である。

実験方法はケイ酸ナトリウムの水溶液(水ガラス)に硫酸銅や塩化コバルトなどの個体金属塩を加えることである。

結果には数分〜数時間かかり、溶液の中に植物上のものが生成される。(Wikipediaより)

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水槽に満たした水ガラスの中に金属塩を少量入れると、互いが反応して、青や緑やオレンジ、紫や赤など色とりどりの美しい樹々が生まれる。(その色や形は、金属塩の種類に依る。)

初めて部室でケミカル・ガーデンを見た時、なんて奇妙で美しいんだろう、と思った。

 

大学で国文学を専攻して、宮沢賢治が好きになった。

彼が詩の中で、ケミカル・ガーデンを『硅化花園』と呼んでいるのを発見して、「わ、さすが宮沢賢治....、なんて言い得て妙なんだ!」と驚いたのを覚えている。

この化学の花園を、実際に観察できただけでも化学クラブに在籍して本当に良かった。

宮沢賢治と同じものを見て、その詩の世界を、自分の経験に引きつけてイメージできるなんて、ファンとして実に感動的なことだ。

 

『宮沢賢治学会イーハトーブセンター会報第40号 

硅花花園(ケミカル・ガーデン)』


さて、関屋中学・化学クラブ。

放課後になると、この結構広い部室に部員たちが集まって来て、火山を爆発させたりロケットを飛ばしたり、その他いろいろ摩訶不思議な実験をしていた(笑)。

 

そして迎えた、運命の『2年生文化祭』である。

 

***Part3に続く***

 

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2017年

4月

06日

関屋中学・化学クラブ -Part1-

中学生の時、化学クラブに入っていた。

数学はチンプンカンプンなのに、なぜだか『化学』にときめいていた。

今、思い出しても本当にどうしてなのか分からない。

理数科目全般にほとんど縁の無い人生の中で、この中学三年間だけ、私は『化学ガール』だった。

 

 


小学校の夏休み自由研究でやった、父・プロデュース(笑)の水質検査のせいかもしれない。

フラスコ・ビーカー・試験管、天秤や試験薬なんかを買ってもらって、試験管立ては、父が木工細工で作ってくれた。

サンプルの河川の水を採りに、父と一緒に電車に乗って出掛けたピクニックのような遠征旅行は、映画のワンシーンのようによく覚えている。

その時の経験が、子供心にドキドキ楽しかったのかもしれない。

学校の図書館で読んだ『キュリー夫人』はとても感動したし、試験管を片手に記録をつけるのが、キュリー夫人みたいにかっこよく思えたのかもしれない。

 

中学校に入るとすぐ、あまり迷う事もなく化学クラブに入部した。

 

先日、新潟の実家で自分の部屋を片付けていたら、机の引き出しの奥から「2年生文化祭計画」と鉛筆で書いたわら半紙が出てきた。

全く記憶にないが、このくねくねした癖のある字は、間違いなく私が書いたのだ。

計画書には、文化祭の出し物について7項目、簡単な説明とやり方が書かれている。

 

なかなか野心的な企画だ(笑)。

部活の先生や部員たちと話し合った内容を書き留めたんだな、きっと。

 

今にも破れそうなわら半紙を眺めていたら、あの文化祭の時の事を朧げに思い出した。

そうだ、私がやらかした”珍事件”(笑)があったんだ、、。

 

関屋中学2年生・『化学ガールな私』の残念エピソード。覚えている限りで、ちょっと書いてみます。

 

***Part2に続く***

 

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2017年

3月

26日

ガレージと梅の花

新潟にはほとんど毎月帰っていて、両親が残した様々なものを、昔を思い出して懐かしんだり、あまりの大量さを呪ったりしながら、一つ一つゆっくり整理している。

 

先月、近所の方から、うちの空いているガレージを貸してくれないかというお話があった。

父はたしか、70代後半で車の運転はやめていて、以来、ガレージは物置きのようになっている。

 

重いシャッターをガラガラと上げると、カビと埃の臭いがモワッと襲ってきた。

 

父が買い物に行く時に乗っていた電動のシルバーカーや錆びた自転車、いらなくなった家具や健康器具、茣蓙や絨毯、庭道具、その他いろいろな小物類が、ぐしゃっといっしょくたに、足の踏み場もないほどに置かれている。

これを片付けるとなると、えらいことだ、、。

 

高校時代に使っていた、髪のカール用のホットカーラー・セットが隅の方から出てきた。

毎朝、せっせとカーラーを巻きつけておしゃれをしていた高校生の私を思って、カビと埃まみれのガレージの中で、ふと遠い目になる私であった(笑)。

 

ガレージのすぐ傍が玄関に上がる数段の階段になっていて、玄関の周りには狭い前庭がある。

松や椿や梅の木が植わっているが、父は、肥料はあげるが剪定などはしない人で、庭木はそれぞれ自由奔放・勝手気儘に育っている。

まぁ、父は私にもそうであった(笑)。

 

ガレージと玄関を、処分する物を抱えて何回も行き来しつつ庭の方を見ると、2本の梅の木が競うように満開に咲いていた。

大きく横に伸びた枝々に、たくさんの淡い白色の小さな花と、その奥に濃い紅色の蕾がちらほら見える。

今年は、梅の見頃の時期にちょうど当たったんだなぁ、、。

 

主人がいなくなった家の庭で、手入れもされず、でも毎年春になるとこの梅たちは、こんなに綺麗な花を咲かせていたんだ....。

 

梅の香りが大好きな近所の友人が、数日前にくれた、「みっちゃんのおうちの梅が帰りを待つようにきれいに咲いています。…」というメールを思い出して、胸の奥がキュンとした。

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2017年

3月

14日

ヤクルト

この時期は毎年、朝起きてから夜寝るまで、花粉症のおかげでひどい目にあう。一年のうちで、一番晴れやかな気分で過ごしたい季節なのに、、。

厳しい冬が終わり体も心もほころんで、ちょっと薄着になって桜を見に行くとか、友だちと一緒におしゃべりしながら街を歩くとか、ここ数年、そんなちょっとした外出もためらってしまう。

 

花粉防止のマスクで息が苦しいし、目はむちゃくちゃ痒い、頭はぼっとする、鼻水は出る、、。

杉にも檜にも恨みはないのだけれども、そもそも一体どうしてこうなったんだ?と誰かに聞いてみたい気にもなる。

 

先日久しぶりに、ボーカルの多美ちゃんと青梅の公民館でリハーサルをする事になった。

う〜、青梅か、、。花粉が盛大に舞い飛んでるんだろうなぁ、、。

実はかなり以前、やはり春先に、多美ちゃんとこの場所でリハをやった事があって、その時は二人とも大きなマスクに涙目で、口には出さねどお互い同病相憐れむの風情だった。

 

それが、先日のリハの時。

私も多美ちゃんも、マスク無しで晴れやかだ。何か以前と違う、、。

「今年って花粉、飛んでないの?」と私が聞くと彼女は、そんな事はない、例年通りだと言う。

奇跡が起きて花粉症が治ったのか! 私は、お気楽にバンザ〜イと叫ぶ気持ちになったが、冷静な多美ちゃんは優雅に微笑みながら「ここのところ、ヤクルトを飲んでいて…。」と言う。

 

あれ? それはどこかで聞いたような、、。

そうだ。新潟で高校の同級生たちと飲んだ時に、「花粉症にヤクルトが効くらしい。」と話題に出た。

 

それ以前に私は、乳酸菌が腸のために良いというのをネットで見て、花粉症とは関係なくヤクルトを飲み始めていた。

花粉症とヤクルトの話を聞いた時は、ふ〜ん、そういう事もあるかもね、なんて軽い気持ちで聞いていたが、先日の多美ちゃんの一言で、「花粉症にヤクルトが効く。」説に、もの凄く激しく同意した(笑)。

 

完治したというのではないけれど、症状が格段に軽くなっているのは確かだ。

花粉症対策に何か薬を飲むという事もなかったから、効果があったとすれば、やっぱりヤクルトだと思う。

 

値段は安いし、甘くて美味しいし、小さいからすぐ飲めるし、、。

 

ヤクルトさん、貴方は偉大です!

 

今年の春は、お花見も散歩もウィンドーショッピングにも出掛けられると思うと、嬉しくて仕方がない ^ ^


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2017年

2月

24日

誕生日に気付いた事。

実を言うと、今日は誕生日。

全くめでたくないなぁと思いながら、というか、ほとんど思い出しもせず、いつも通り一人晩酌をやっていた。

 

うちの家族は、母も父もあまり記念日というものに頓着がなく、小さい頃から、家族の誕生日は天下泰平・日々息災の日だった。(つまり、普通に1日が終わった....笑)

 


そんな訳で、誕生日がお祝いすべき日であるというのが、私にはずっとピンと来なかったし、誕生日は親に感謝をする為の日だ!なんて理屈をこねていた。

 

私が20代の頃だったか、近所に美味しいステーキ屋さんができた。

たまに家族で行っていたのだが、そのうち、家族の誕生日が近くなると、お店からセットメニュー割引と記念撮影サービスのお知らせのハガキが来るようになった。

それからは毎年、父と母と私、三人の誕生日になるとそのお店に行って、ステーキを食べ記念写真を撮った。

誕生日を祝うというより、東京で仕事を始めていた私が新潟で家族と過ごす大切な時間だったし、三人で並んで写真を撮ってもらうのが何より嬉しかった。

 

ステーキ屋さんは、それから数年後、残念ながらなくなってしまった。

家族のイベントが行われなくなると、記念日はまた消滅してしまった。

恐ろしい事に、私は恋人ができても彼の誕生日をうっかり忘れそうだった。

それでも若い頃は頑張っていた、それなりに....(笑)。 

(友人たちの誕生日をたくさん覚えている人がたまにいるけれど、私にはもの凄い驚異だ!)

 

感謝するべき両親もこの世にいない今、私にとって誕生日というのは、ただ一つ年を重ねるという事実しか感じなくなっているのだが、先ほど、友人からおめでとうメールが届いた。

ありがとう^ ^とは言いながら、本当はあんまりめでたくない、、なんて可愛げのない返信をしたら、彼女からすぐに一言、届いた。

 

『元気に生きているってことはじゅうぶん幸せなことよ。』

 

そっかぁ、、と思った。

みんながお祝いをするのは、そういう意味だったんだと今更ながら気付いた。(本当に今更....。)

こうして元気でいる事を喜ぶ日が誕生日なんだ、そう思ったら、自分の幸せをじわじわと感じた。

思うとおりに人生を送れているのは、元気だからなんだ!

 

ケーキ買ってくればよかったなぁ。

明日もう一回、誕生日やるか、、美味しいもの作って、、。

 

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2017年

2月

13日

*お詫び*

今朝、大変な事が判明しました。

当ブログの『お問い合わせはこちらから』に書き込みをして頂いた方々へ。

 

ブログ管理の作業で、メールアドレス設定の修正が遅れた為に、お問い合わせの内容が一部、こちらに届いていなかった事がわかりました。

大変申し訳ありません。(修正前のアドレスは現在、削除されています。)

ご迷惑をおかけして本当にごめんなさい!

 

ブログ本文のコメントは問題ありません。

これに懲りずに、どうぞまたこのブログを宜しくお願い致します m(_ _)m

 

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2017年

2月

11日

スキー

新潟出身というと、たいがい「雪が凄いでしょう。」と言われる。

新潟県は北東から南西に随分と長い県で、私が生まれた新潟市は、湯沢や十日町といった豪雪地帯とはだいぶ離れているし、日本海を隔てて佐渡島があるおかげでそれほどの大雪は降らない。

それでも、私が小さい頃は、新潟市内にも雪が今よりたくさん降った。

一番すごかった時は、一階の屋根まで雪が積もって玄関から出られなくなった。子供にとっては大イベントだが、大人たちはさぞ大変だったろうと思う。

毎年そうであれば備えがあるが、新潟市は、忘れた頃にドカッと降った。

 

小学校の校庭が一面の雪だ。

ちょっと小高くなっている場所に自然のスロープが出来て、どこから持ってきたのか思い出せないが、小さな子供用のスキーに長靴をひっかけて、みんなでキャッキャキャッキャ騒ぎながら滑った記憶がある。

 

親戚の叔父さんに、大きなスキー場に連れて行ってもらった。

大勢のスキーヤーで混雑する休憩のロッジは、持ち込まれた雪で暖かく湿っていて、ジュークボックスから流れる流行歌、大人たちが華やかに会話する様子や、日が落ちて暗くなった窓の外にライトの光でほの白く浮かび上がる雪原、まるで夢の中の出来事のようだった。

私はもっぱら下のゲレンデで、直滑降でひゃーっと叫びながら滑るだけだったが、それでもスリル満点。

全てが楽しかった。 

 


あのまま大きくなっていたら、今頃は普通にスキー愛好家になっていただろう。

 

新潟では、学校の体育の授業にスキーがある。( 他の県でもあるのかな?)

高校生の時のスキー合宿が”悪夢”だった、、。

 

二泊三日くらいだったんだろうか、引率の体育の先生に連れられて、近場のスキー場にわいわい出掛けた。

プルークボーゲンとか上手な転び方とか方向転換とか、いろいろ習って一日中滑る。

夜は大部屋でまとまって寝るのだが、修学旅行のように枕を投げ合うでもなく、昼間の緊張と疲れで即撃沈だ。

朝起きたら、なんと、足がパンパンにむくんで象の足のようになっていた o_o

私の足じゃない〜と恐怖に震えつつ、もうほとんどやけくその根性でゲレンデに向かう。

 

授業の仕上げに、リフトで登って山の上から滑るのだが、そこで先生がう〜んと考え込んだ。

「こりゃ〜プルークボーゲンじゃ降りられんなぁ、、。」

「よし!斜滑降を教える。こうやってこうやってこうしてこうだ。いいか!ちゃんとやらんと直滑降になって、崖下まっさかさまだぞ!」

「ひぇ〜!(泣)」

 

とまぁこういう訳で、すっかりスキー恐怖症になってしまった。

どんなにゴージャスで魅力的なツアーでも、スキーをやるならパス、どんなに付き合いの悪い奴と罵られようが絶対にパスだ。

この時期、新幹線でも高速バスでもスキー客が多い。

あの”悪夢のスキー合宿”さえなかったら、こんなふうに楽しめたのかなぁ、、とちょっと考えてみる。

 

まじっと考えてみたが、いやぁ....やっぱりお家でホラームービーだなぁ....。

だって、たとえスキー愛好家になったとしても、真冬にスキーに出掛けるより、暖かい部屋でみかんを握りしめながら、極恐のホラーで「わぎゃ〜!」と叫んでいる方が楽しいに決まっている。( そもそも、そういう性格の人はスキー愛好家にならないし.... -_- )

要は、どちらがより好きかの問題だ。

 

スキーは、新潟県人の最低限のたしなみとしてちゃんと学んでおくべきだと思うので、あのスキー合宿は行って良かったのだ。新潟に生まれて、スキーは直滑降のみ!てのは、やはりちょっと清々し過ぎる。

でも、ホラー級の恐怖を味わうのは映画の中だけでいい。

”象の足のように膨らんだ足”は、今でも夢に見そうだ、、。”直滑降で崖下”も背筋が凍る、、。

 

大のホラー好きというのは、えてしてとっても臆病だったりする。

実生活では、平穏無事が何よりだと思う(笑)。

 

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2017年

1月

26日

トランプ新大統領

新潟に帰っていた時に、米ワシントンでトランプ氏の大統領就任式があった。

 

テレビはほとんどそのニュース一色で、いろいろ解説を聞いていると、今までとはまったく違う政権になりそうで、期待より不安がどっと大きくなった。

日本は同盟国だし、こんな不安定な世界情勢の時だから、アメリカにはほんと頑張ってもらわないとなんだけど、、 。

        (NHKネットニュースより)


つい先日、BSドキュメンタリーで、オバマ大統領の議会とのすさまじい闘いを見た。

スピルバーグ監督の映画『リンカーン』も見たばかりだ。

そのせいか、これからアメリカの政界で起こるであろう大混乱を思って、ちょっとブルッとした。

 

アメリカの民主主義は、政権が大統領中心に一丸となって、一筋縄ではいかない議会と大格闘する。

日本の民主主義もそうなんだろうけれど、日本人の魂の根底に『和を以て貴しと為す』が宿っているせいか二大政党制ではないせいか、あそこまでの激しさとは違うように(傍からは)見える。

米国議会は、トランプ大統領とどう対処するんだろうか。

踏みとどまって一部の暴走を押し返すだけの力があるんだろうか、、。

 

日本が、世界に対して果たす役割。日本に対して、世界が期待する役割。

どちらも、これから大きく変わっていくんだろうなぁ。

世界の中の日本、もしかしてチャンス到来か?

 

頑張れ、日本!頑張れ、安倍首相!

 

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2017年

1月

14日

鷗外の手紙(...と何故かゲーム)

1月5日の産経ネットニュースで『鷗外29歳の筆…全集未収録の書簡見つかる』とあった。

明治24年2月27日付、ドイツ留学から帰国して3年、『舞姫』発表から1年だ。

作家で劇評家の饗庭篁村(あえばこうそん)に宛てたもので、鷗外の留守時に篁村が訪ねてきて、書き上げたばかりの原稿について「今日おん目にかくべかりしにと遺憾」ーぜひ見せたかったと残念がっている内容なようだ。

巻き髪に毛筆で書かれている。

素晴らしい達筆にしばしうっとり、、。毛筆で文字を書くって、実は密かに憧れている。

Jazzの次は、きっと”書道”だな、、うん。

 

お正月のインターネット・チェックで凄いのを見つけた。

『文豪とアルケミスト』

オンラインゲームらしいのだが内容はまったく不明。

”文豪”というネーミングに惹かれてちょっと覗いてみたら、まぁ。。

芥川龍之介、永井荷風、島崎藤村、夏目漱石、北原白秋…その他錚々たる文豪たちが、ナヨナヨかっこいいイケメン・アニメキャラ(笑)に変身していた…o_o

 

森鷗外は、1989年の日独合作映画『舞姫』で、郷ひろみが主人公(鷗外)役をやった時のイメージだよね、きっと。

* *六草いちかさん( ドイツ在住。『鷗外の恋-舞姫エリスの真実』の著者 )が、映画での郷さんのドイツ語の発音、かなりなものだと褒めていらっしゃいました。**

でもさぁ、谷崎潤一郎はなんなの、これ?っと突っ込みまくりなわけだが、とりあえず、鷗外は凛々しくかっこいい(笑)。

 

この平成の世に明治の文豪がゲームのキャラクターって、、不思議を通り越してただただビックリなのだが、ゲーム好きな若い人たちの中に、明治時代の作家に興味を持つ人たちが一定数いるという事なんだろうか?

 

だいたい、世界の至る所でグローバリズムが叫ばれ、経済だけではなく文化的にも多種多様で刺激のあるコンテンツが溢れるこの日本で、一世紀以上前の明治の作家たちがネットの世界に登場(それもアニメキャラで、、)ってのは、単純に「わ〜、凄い!」と喜んでいい事なのか、、。

しかも、どうしてみんなナヨナヨかっこいいのだ?( 本人たちと違い過ぎる....。)

 

なんだかよく分からないしゲームもやる気はないが、彼らが「過去の遺物」などでは決してない!という事だけはイメージ的になんとなく伝わってきて、鷗外ファンとして、それだけはちょっと嬉しい。

 

まぁいろいろと納得いかないが、とりあえず、鷗外のキャラクターはスクリーンショットで切り取ってファイルに保存した(o_o)v

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2017年

1月

04日

こうと汁

新年の朝は、『こうと汁』でお雑煮だ。

『こうと汁』というのは新潟の郷土料理で、大根・人参・牛蒡・長ネギなどの野菜と豚肉や鮭、油揚げや焼き豆腐その他たくさんの具材をしょうゆ味で煮た、言わば”和風実だくさんスープ”だ。

 

その中に焼き餅を入れるのが我が家のお正月で、今は亡き母が”味付け監督役”だった。

「甘い」「しょっぱい」「味がない」「ん〜なんか違う、、」となかなか厳しくて、母がテレビを見ている居間と台所を、汁を入れた小皿を捧げ持って私が往復する、というのが大晦日の恒例だった。

 

新潟ではどこの家でも、お正月は『こうと汁』なのだと固く信じていた。

 

       (クックパッドより)


昨年11月某日@新潟。

気の合う高校の同級生三人と、駅前の小粋な料理屋さんで飲み会をやった。

 

仕事帰りの一杯ってことで、わたし以外はみんな働くビジネスマン。

なんとも頼もしいオーラが出ていて、日本の未来のためにひとつよろしくと、自由気ままに音楽なんぞやっている私としては自然に頭が下がる思いがした。

ビールで乾杯の後、突き出しの皿の中にあった塩焼きの銀杏をつまんだ。

 

私「銀杏、美味しいねぇ。」

A君「うん、家のそばに、秋になると銀杏の実がいっぱい落ちるんさね。その実がほんと臭くてさ。」

B君「そうそう、俺んちもいっぱい落ちてる。」

C君「銀杏の実ってのは?」

A・B君「今食べてるこの銀杏は、梅干しの種の中身みたいなもんでさ、この殻の周りに実がついてるわけよ。その実ってのは、見てたらカラスも食べないんだよね。」

C君・私「ふ〜ん。そうなんだぁ。」

 

実を言うと私は、苺は木に生って、トマトは地ベタで育つとかずっと思っていた稀に見る無知なヤツで、銀杏について知らないのが私一人じゃなかった事に、内心ちょっとほっとしていた。

 

だいたいこういう場合( 特に相手が親しい友達の場合 )

「えぇ?うっそ〜!」

「苺が木に生るとか、信じらんない。え、マジ?」

なんてリアクションになる可能性もあるので、C君の存在は大変心強かった。

( A君もB君も優しいので、そんな心配はほとんどないのだが....。)

 

イチョウとカラスについての新知識を得てちょっと気を良くした私は、銀杏の横の、香ばしく焼きあがった秋鮭に箸を伸ばしながら言った。

 

私「うちはさぁ、お正月の『こうと汁』にも銀杏、入れるんだよ。」

A君「……。」

B君「……。」

C君「……。」

私「え?『こうと汁』に入れない?銀杏、、。」

C君「えぇと....、みっちゃんちは、お正月に『こうとじる』というものを食べるんだね?」

私「え〜っ !? みんなんち( みんなの”うち”の省略形 )は食べないの?」

 

めちゃくちゃ焦って、一人パクパクパニクる私。

新潟のお正月は『こうと汁』で決まりなんではなかったのか、、よそんち(よその”うち”の省略形 )はいったいお雑煮を何で食べているのだ?

うちや、うちの親戚は、新潟でも”変わったうち”だったのか?

 

C君「( スマホを見ながら )ほんとだ、、。『こうと汁』、、グーグルに出てる。大根、ゴボウ、人参、油揚げ、、。」

A・B君「それはうちで毎年食べてる。」

C君「うちも....。」

 

早い話が、A君もB君もC君も、今まで毎年お正月に食べてきたものが『こうと汁』というものである事を知らなかったのだ。

「そういう名前の食べ物だったんだねぇ、、。」で、一件落着。

あ〜良かった....(汗)。うちは一般的な新潟の家庭であったのだ....。

 

後でインターネットで調べてみたら、この名称はあまり一般的ではなく、『こうとう汁』と呼ぶ地域もあるようだ。

『こうと汁』の名前の由来も不明。

逆に、うちではどうして『こうと汁』の呼称が定着していたんだろうか?

 

因みに、C君は、私が連呼した『こうと汁』が”コートジュルメ”とかに聞こえて、みっちゃんちはお正月にフランス料理を食べるんだぁ....、と思ったらしい。

これにはみんな大笑いだった ^ ^ 。

 

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