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 2024年3月ライブ情報アップしました。

ギャラリーに写真をアップしました。

ギャラリーに動画をアップしました。
⭐︎初オリジナルCD『Who Am I 』発売中!

⭐︎YouTubeに、動画4本アップしました。

www.youtube.com/@user-tc7fl4im2t

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2024年

3月

14日

ネット民 -Part2-

インターネットが唯一大事な情報源だと感じたのは、東日本大震災の時だ。

 

福島第一原子力発電所が、巨大津波によって原子炉冷却用の電源を完全喪失。
メルトダウン、水素爆発、放射能汚染という恐ろしい危機が迫っていた。

日本がいったいどうなってしまうんだろうという恐怖で、一日中、PCにかじり付いていた。

地上波TVのニュースや政府の会見を見ても、「直ちに健康に影響はない」とか同じことの繰り返しで、何が起きているのかさっぱり分からない。

 

日本の大手メディアが知らせない科学的事実を、ドイツやアメリカの調査チームが独自に報道していることをネットで知って、「どうなってんの、これ?」と思った。

日本国民が知るべき大切な情報なんじゃないの?

 

一方、ネットが伝えるニュースは真偽不明や絶望的なものも多かったが、少なくとも日本政府が迷走していること、海外が事故をどう見ているのか、よく分かった。

自衛隊の隊員たちの献身的な活動、そして今まで一部の国民からどれだけ心無い仕打ちを受けてきたかも、ネットで初めて知る事実だった。

 

その後何年か経って、『報道しない自由』というのが社会の一般常識(笑)になった。

大手メディアは意図的に事実を選んで、あるいは自社の主張に沿うように歪めて報道する--メディアとはそういうものなのだということを、普通の人たちも気付くようになったのだ。

TVや新聞しか見ない人たちと、ネット民たちが見ている社会は、たぶん相当違うんだと思う。

 

そんな歪な現象は日本だけだと思っていたら、民主主義大国のアメリカはもっと酷いことになっていた。

 

2020年の米大統領選挙の時、私はこのブログで我ながら呆れるほど大騒ぎしたが、あの時から今に至るまで、CNNなど米ニュースメディアの酷い偏向ぶりは、アメリカ国民にとって既知の事実のようだ。

日本が深刻なのは、TVや新聞が公平で正しいと信じる国民が過半数なことで、NHKが偏向しているなんて言おうものなら、たぶん頭のおかしい変な人と思われるんだろう。

 

インターネットにはさまざまな情報が乱れ飛んでいる。

どの情報を選び取るのか、検証する手法を持たない人にとっては嘘だらけの恐ろしい場所に見えるだろう。

そこにたむろするネット民も、陰謀論を吹聴する良からぬ人々と思われているかもしれない。

 

でも、今までアンタッチャブルな権威と見られてきた組織が次々と闇を暴かれ、メディアが『報道しない自由』の行使で社会から隠してきた不都合な真実をたくさんの人たちが知るようになったのは、まさに”ネット民たち”の力だと誇らしく思うのだ。

 

情報の海の中で日々アップアップしているが、”本当のこと”を見分ける術(すべ)を、これからもっともっと学ばないといけないなぁと思う。

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2024年

3月

05日

YouTube

先月2/28、吉祥寺のライブスペースを借りて、YouTube用の演奏動画を撮った。これは、人生初めての体験だ。

プライベートで確認用に撮ってみる、というのは何回かあるけれど、公開目的でというのは初めてだ。

 

ピアノトリオで、『Purple Moon』( 昨年発売されたオリジナルCDの中の曲に少し手を加えた )、『Bolivia』、『Black Nile』( オリジナルアレンジ )、『Moments Notice』』の4曲。

Bassは小杉敏さん、Drumsは高橋徹さん。

 

演奏を始める前、撮影用のスマホをどの位置にどう置くかで、私の精神状態は既に”極度に慌てて”いる(笑)。

演奏開始と終了時には、ピアノから離れて録音ボタンのon/offに行かなければならないのだが、ピアノに着座してすぐ、ピアノを弾き終わってすぐに次の行動を起こしてしまうので、高橋さんがたまりかねて、

「絶対、動くの早過ぎますよ! 編集の時に困る。」と声をかけた。

 

そうなのだ。

ピアノを弾くのは慣れているから全く問題ない。

でも、録画するとかたまにやるライブとか、慣れない行動をとる時、私はだいたい”慌てて”いる。

心配性の遺伝子が強力に働くのか、、?

小杉さんと高橋さんが、「性格だねぇ。」なんてからかって笑う。

 

その言葉にちょっと気持ちが和んで、その後、撮影は順調に進んで終了。

 

翌日はぼうっと一日過ごして、次の日から編集作業に入った。

編集といっても、どのテイクを使うか選んで、頭と終わりの部分を切り取る作業だけだからまぁ楽だろうと思っていたら、なんだかんだで時間がかかった。

まず、スマホからPCにどうやって動画データを取り込むの?

どの編集ソフトを使ったらいいの?

見た事もない編集画面を前に、これどうやって使うのよ?

前のファイルが消せないんだけど、、。

保存てこれでいいのかなぁ、、。

う〜、このファイル、メールじゃ送れないんだ?

 

慣れない作業で、これまた意味もなく、くるくると”慌てて”いる

「性格なんだなぁ。」と我ながら思う(笑)

 

先程、ようやくYouTubeにアップが完了した。

やった〜、万歳!!

 

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2024年

2月

29日

ネット民

ネット民:「1日のうちかなりの時間をネットに費やしている人物、あるいは単なるネットユーザー、またはネットユーザーの中でも特にインターネットを「社会」としてみなしているような人物を意味する語。」(weblio辞書より)

 

だいぶ前からTVを見なくなって、日々のニュースはもっぱらネット配信、見たいコンテンツは殆どYouTubeだから、私はきっと紛れもないネット民だ。

でも、動画サイトのチャット欄やX(旧ツイッター)に意見を書き込むとかは、一度もやったことがない。

FBに時折、”私ごとのお知らせ”をアップするくらいだ。

このブログであれこれ書くのは、意見表明というよりただ文章を書くことが好きで楽しいのと、ずっと後になって「あの時、こんなこと考えてたんだ!」と驚き呆れるのもきっと面白いだろうと思うからだ。

 

SNS界隈ではしょっちゅう”炎上”という現象が起こって、たくさんの匿名の人たちが言いたい放題の本音コメントを書く。

そういう文章をたまに目にすることがあるが、言葉使いが丁寧だったり意見が肯定的、あるいは建設的であっても、なんとなく読んでいてモヤモヤする。

多くの人に聞いてもらいたい、書き込みをするほど良い意見だと思うなら何故、匿名にするんだろう?  

もっと不思議なのは、公の場で人を罵る、貶める行為が、匿名なら恥ずかしいことではなくなるんだろうか?     

 

あえて匿名の群れの中で言いっ放しの言葉を残す—その行動へと向かう原動力、気力や情熱がどこから来るのかさっぱり分からないので、その意味では、私は世間で言うところの”ネット民”ではないのかもしれない。

そして、weblio辞書が定義する”インターネットを「社会」としてみなしている”と言うのもちょっと違う気がする。

 

私にとってインターネットは「情報を集める為の大事なツール」で、それ以上でもそれ以下でもない。

インターネットというのは玉石混交の知識のジャングルみたいなもので、道を間違えるととんでもないことになってしまうというのはいつも思っていて、夜空の北極星のようなしっかりした指針がない分、とても危険ではある。

それでも、大手メディアが伝えないさまざまな事実を世界中のさまざまな人たちが発信していて、それらを読んだり見たりすると、驚くやら感動するやら腹を立てるやらで日々忙しい。

 

世の中には、知らないこと、知らなければいけないことがたくさんある。知らない方が良かったことだってある。

でも、そういう未知の事があるということすら知らずにいるのは、なんだかめちゃくちゃ人生で損をしているような気がする。

 

TVや大手新聞が、情報源としてまったく信用できないと確信したのはいつだったかなぁ、、。

もしインターネットがなかったら、、と想像すると本当に怖い。

 

そこらへんのことを、少し考えてみようと思う。

 

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2024年

2月

18日

H-llA (H2A) とTM-1

2月17日、午前9時22分すぎに種子島宇宙センターから打ち上げられた次世代大型ロケット「H3」試験機2号機が、目標の軌道投入に成功し、衛星の分離にも成功した。

前回の失敗、そして小型固体燃料ロケット「イプシロン」の爆発事故もあっただけに、よけい今回の打ち上げ成功はほっとしたし嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ブルームバーグより)


 私は宇宙とか宇宙計画とか大好きで、『The Right Stuff』(米・1983年)や『アポロ13』(米・1995年)は、ずっと大のお気に入り映画だ。

 

 *『The Right Stuff』: 有人宇宙飛行計画”マーキュリー計画”に従事した、7人の宇宙飛行士の実話を基に描いた作品(Wikipediaより)   

 *『アポロ13』:アポロ13号爆発事故の実話に基づく作品(Wikipediaより)

 

エリア51、NASA、ISS(国際宇宙ステーション)、火星移住計画、、。なんて素敵な響きなんだろう。

そして今や、JAXAもその素敵なグループに入った。

小惑星探査機「はやぶさ2」の帰還、先日の月探査機『SLIM」の着陸成功、、。

失敗を乗り越え、プレッシャーに押しつぶされそうになりながらも着実に成果を上げてきた日本の研究者、開発者、技術者たちは、本当に日本の誇りだと思う。

 

さて、昨年発売された私のCDの中の『TM-1』という曲は、もともとJazzを演奏するようになって一番最初に作った曲--Tazaki Michiko Jazz1番目という、ただの整理番号みたいな曲名だった。

そのうちかっこいいのに変えようという心づもりでいたんだけれど、当時、H-llA (H2A) ロケット=日本初の純国産大型ロケットをJAXA、NASDAと三菱重工が開発・製造するというニュースが話題になっていて、とうとう日本も宇宙へ!!とめっちゃくちゃワクワクした。

H-llA (H2A) とTM-1って、なんか似てるよね?という無理矢理なこじつけが我ながらウケて、曲名はそのまま『TM-1』になった。

そんな背景もあって、この曲を演奏する時は今でもワクワクして気持ちが踊る。

 

あれから20数年。

( ん?この文、前の記事でも書いたような...My ”20年前”ブーム、、笑 )

 

昨日のH3ロケット打ち上げ成功のニュースに関して、投稿サイトXでこんな書き込みがあった。

「JAXAの打ち上げライブの後に流れたエンドロールが最高すぎると話題に!宇宙兄弟の映画を見た後みたい!!」

 

どれどれと動画を見にいったら、本当に最高すぎて泣いてしまった、、。

種子島宇宙センターの格納庫内の機体に書かれた、大きなJAPANの文字にグッときた(涙)。

 

こんな素晴らしい感動を味わえるなんて、、。

日本に生まれて良かった、としみじみ思った。

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2024年

2月

08日

原作改竄

今話題の、”原作者vs脚本家”の問題。

 

漫画が原作の話ではないけれど、昔、宮部みゆきさんの『模倣犯』が映画化された時のことを思い出した。

ホラー好きの私としては原作をしっかり読んで、ワクワクしながら映画を見たんだけれど、ラストのあまりの衝撃に、

「え、これいいの?こんなことしていいの?」と、びっくり仰天した。

宮部みゆきさんが丁寧に作り込んだ人物像、プロット、世界観を全て吹っ飛ばしたラストシーンで、ここまで無惨なものを見たショックに打ちのめされる思いだった。

当時、イギリス制作のTVドラマ『名探偵ポワロ』『シャーロック・ホームズの冒険』にどっぷりハマっていて、その完成度の高さに、主演のデビッド・スーシェやジェレミー・ブレットも素晴らしいけど、やっぱり脚本がすごいなぁ、さすがシェークスピアを生んだ国だなぁ、と感心し感動したことを覚えている。

それに比べて日本は、とがっかりしたことも、、。

 

あれから二十数年。

今や日本にも、才能ある脚本家さんたちがたくさんいる。

若い人たちの斬新な感性も、これからどんどん育っていくだろう。

 

でも、映像作品の制作環境、携わる人たちの意識や矜恃って、どれくらい向上したんだろうか?

 

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2024年

1月

22日

日本の技術

今月20日、JAXAの月探査機「SLIM」が、日本の無人探査機として初めて月面着陸に成功した。

着陸時にこけちゃって太陽電池が発電してないということだけど、半径100メートル以内という精度のピンポイント着陸はかなり凄いことのようだ。

旧ソ連、米国、中国、インドに次ぐ5カ国目の快挙で、日本の技術力の高さを改めて知って、めっちゃ誇らしい気持ちになった。

 

そして思い出したのは、数日前のXの陸上自衛隊の投稿記事。

能登半島地震での自衛隊災害派遣の活動で、ロボット犬”ヤマト”が、避難者の2次避難所までの安全な移送の誘導支援を行なったという内容だ。

 


”ヤマト”は、テロ対策用に民間企業が開発した最新機器で、今回の災害で操作訓練を行ない早期の実用化に向け装備されていくようだ。

一寸見(ちょっとみ)は、SF映画に出てくる敵のサイボーグみたいなんだけど、お母さんと子供の脇を歩く”ヤマト”は頼もしいというよりちょっと可愛くて、見ていてなんかほっこりした🐾

 

自衛隊、やるなぁ、、。

 

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2024年

1月

12日

能登半島地震・自衛隊

能登半島で、大規模な捜索・救助活動がずっと続いている。

昨日の産経新聞で、自衛隊員の方たちの活動の様子がいくつか紹介されていた。

 


重さ約30キロの生活必需品を背負いながら、徒歩で孤立地域に向かう隊員たち。

膝まで泥に埋まる悪路や急斜面を4時間かけて歩くのだそうだ。

動画を見たら、女性の隊員さんもいて驚いた。

男女の区別なく、日々厳しい訓練をしているのだと思い知った。

 

火災で全域が消失した「輪島朝市」周辺の捜索現場で、焼けずに残った輪島塗の漆器や陶器を焼け跡から取り出し、近くの歩道に丁寧に並べる陸上自衛隊員。

平成23年の東日本大震災で、”「津波で壊滅した地域を捜索した際、思い出の写真など流されずに残った品を自宅と思われる場所に置いたのが、後で戻った被災者のためになったと感じる隊員がいた」。広報担当者は当時の経験を振り返り、「今回も同じようにしたのではないか」と語った。”(産経新聞 1/11より)

 

記事を読みながら、胸が詰まった、、。

本当にありがたくて頭が下がる思いがした。

そして、この記事を書いた産経の記者さんも GJ !

 

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2024年

1月

03日

2024年

新年明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いします m(_ _)m

 

元旦、能登半島で起きた大地震。

一年で一番、日本中がのんびりまったりする日のはずなのに、突然の災害被害の理不尽さと住民の方々の苦痛・無念を強く思った。

一刻も早く救助活動が進みますように。生命が救われますように。

 

夕方の発生時には、携帯の防災アプリに矢継ぎばやに何回も緊急速報が届いた。

その不穏なサイレン音にどっぷり不安になって、将来何かあった時-近くあると言われている非常時に持って逃げる物をあれこれ考え始めた。

大体はまとめてある。

ほとんど着の身着のままで避難するのだから、荷物は最小限、水とスマホと充電バッテリー、寒さが凌げて怪我の応急処置ができればいい。あ、カロリーメイトも入れとこ。

 

ずっと昔に買った緊急災害時セットを引っ張り出してみたら、ホイッスルと懐中電灯が入っていた。

電気もない周り真っ暗なところで生き埋めとかになったら、ホイッスル吹いて「私はここ!」って知らせるんだな、、。懐中電灯は、地面の穴や危険物に近寄らないために必要なのだ。

 

う〜、恐ろしいなぁ。

 

あ!でも。

普通に昼間、ハイヒール履いてバック一つ持ってぷらぷら街に出かけた先でいきなり災害に遭ってしまったら、、。

某国のミサイルが飛んできたら。危ない人たちが街なかでテロ攻撃を始めたら、、。

 

もうね、最後は、気力と体力で生き残るしかない -_-;

トム・クルーズの『宇宙戦争』を思い出した。

 

改めて、今回の震災で命を落とされた方々のご冥福を心からお祈りします。

被災されたたくさんの人たちが、少しでも早く普通の日常を取り戻せますように。

 

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2023年

12月

28日

“さもしい"

 先日、京都清水寺で発表された「今年の漢字」は『税』だった。

 

なんとも味気ない、でもまさにこの一年、国民も政治家も、日本国中が『税』に振り回されたような気がする。

 


12月17日の産経新聞に、故・安倍晋三元首相の外交スピーチライターを長年勤めた谷口智彦氏の寄稿があった。

谷口氏は、2015年ワシントン米国上下両院会議での「希望の同盟」演説の原稿を書いた人だ。

言葉に対する研ぎ澄まされた感性を持つ氏の原稿による安倍首相のスピーチは、今聞いても感動するし、当時は日米多くの人が絶賛した。    

 

産経新聞の寄稿は、岸田政権の外交姿勢について批判する内容だったのだが、最後の一文「安倍カラーを消したい意欲が首相において強いのだとすると、さもしい話ではないか。」の中に、谷口氏の激しい怒りを感じた。

そして、”さもしい”という日本語が持つ恐ろしいほどの力-日本人の美意識が決して許すことのできない、最上級の軽蔑・侮蔑を感じた。

強い衝撃を受けて、目が止まってしまった、、。

 

そもそも日本語には、相手を罵る言葉がとても少ない。

ずっと以前、英国TVドラマにハマった時にこのことに気が付いた。

イギリスやアメリカでは、相手や事柄を馬鹿にする場面でさまざまな悪口を口にする。

シチュエーションごとに多種多様、まぁ覚えきれないくらいたくさんあって、一度面白いからメモに書き出してみたら、キリがなくて途中でやめてしまったことがある。

欧米では普通にポンポン言うらしく、一種の軽口に近いんだろう。関西弁の「アホ」みたいなものか。

 

日本-例えば東京で、「馬鹿」とか言ったらそれなりに場の空気が変わる。

面と向かって軽々に口にしない、信頼関係の度合いに注意、といった暗黙のルールが社会一般にある。

日本人はあまり人を攻撃したり蔑んだりしないのだと思う。

だから、罵る言葉-その種の語彙がとても少ない。

逆に言えば、少ない分、攻撃力が時にハンパない。

 

谷口氏の書いた”さもしい”が、私の選ぶw「今年の漢字」ならぬ「今年の言葉」かなと思った。

目にした時の衝撃があまりに大きかったから。

そして、悲しいことにこの一年、日本中に嫌なニュースがとても多く、”さもしい”と言う日本語が、私たちの静かな怒り-特に政治や司法、メディアに対する諦めに近い怒り-を一番表していると思ったから。

 

でも、めっちゃ嬉しいニュースもあった。

藤井聡太八冠、大谷翔平選手、来年も大大活躍を期待しています!

 

今年一年、ブログを読んでくださり本当にありがとうございました。

来年が、みなさまにとって幸せな良い年になりますように。

 


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2023年

12月

20日

雑誌の写真・料理の写真

料理の写真を見るのが好きだ。

インターネットでよく見る”おかずのレシピ”写真ではなく、高級料亭や三つ星レストランの紹介記事で掲載される和食やコースメニューの写真が好きだ。

 

なぜ好きかと言えば、わぁ美味しそう!とか無性に食欲がわくとか実際にそのお店に行きたくなってしまうとか、そういうのでは全くない。

ただただ美しくて、自然と目を奪われてしまうという感じだ。

ふだん見慣れた食材が、卓越した職人の手によって鮮やかに姿を変え、それぞれ吟味された器に絵のように盛り付けられている。

ピリピリした緊張感が上品な匂いと共に伝わってくるようだ。

 

つい最近、気付いたのだが、料理の写真をスマホやPCモニターの画面で見るのと、ちゃんとした雑誌のツヤツヤ光沢のある紙面で見るのとでは大きな差がある。( まぁそう感じるのは私だけかもしれないんだけど、、。)

画像の緻密さで言えば、紙面に印刷する工程がない分、PCの方がより実物に近いんだろう。比べて見ても、より鮮明なような気がする。

でも、私は雑誌で見る写真の方が数倍好きだ。

風景や人物や雑貨とかの場合には特にそう感じないのだが、料理となると断然違う。  、、と思う。

 

某クレジットカード会社が毎月一冊、けっこう上質な情報雑誌を送ってくるのだが、今月の特集が『大阪』だった。

阪神タイガースの18年ぶりのリーグ優勝+38年ぶりの日本一や2025年の関西万博開催など、大阪は今話題の人気都市だ。

パラパラとページをめくっていて、ある写真で手が止まった。

 

『浪速の食は深くて、うまい』のキャッチコピーが載った見開きのページ。

地元で有名なカウンター割烹の板前さんが、真剣な表情で器に盛り付けをしている。隣りのページには、珠玉の一品料理の数々が簡単な説明文と一緒に掲載されていた。

全然豪華ではないけれど、間違いなく、板前さんの奇跡のような職人技による一品料理だ。

どのような奇跡か、説明文を読みながらなぜかドキドキした。

 

あんまり気に入ったので、外出する時はその雑誌をバッグに入れ、何日間か駅の待合室や空いた電車の中なんかでまじまじと眺めていた。

繰り返し言うが、食べてみたいからではなく、ただなんとなく見ていたいからだ。

 

、、これは一体、どうしてなんだろう? どうしてこれほど、料理の写真、それも雑誌掲載の写真に心惹かれるんだろう?

 

PC画面と雑誌の写真に関して言えば、オーディオマニアたちがよくCD派とLPレコード派で議論を戦わせている”空気感”とか、”温かみがある”とか、デジタル・アナログのテクニカル論とかの意味合いでは、どうもないらしい。

料理の、ということになると、もっと何か言葉にできない、懐かしさと言うか一生懸命さと言うか真摯な憧れと言うか、そんなバクっとしたものがごちゃ混ぜになった感覚があって、結局これという答えが出ないまま、数日過ぎた。

 

ほとんど忘れかけていた頃、いきなりピン!ときた。

 

あ〜、きっと私の前世は、ライカのカメラを手に1930年代-大戦前の世界を飛び回っていた趣味の写真家か、江戸時代に浪速大阪あたりの豪商に贅を尽くした料理をだしていた料亭の主人なんだな。

 

、、ん〜。

 

もっと時間が経って-もしかして再来年あたりに、またピン!と、もう少し納得のいく答えが出るような気もするが、今のところ、これが一番しっくりくるようだ。

 

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2023年

12月

08日

地底人

先日、知り合いの女性と話していて、彼女の友人がこのところ”地底人”に興味津々なのだそうだ。

話し出すと止まらないらしい。

 

「地底人かぁ、、。」

 

小学生の時に読んだジュール・ベルヌの『地底旅行』を思い出した。

ストーリーはもうすっかり忘れたのだが、確か”地底人”は出てこなかった気がする。

衝撃的な”地底人”が登場するのは、H.G.ウェルズの『タイム・マシン』だ。

獰猛な”地底人”が優美で脆弱な地表人を支配する未来、てな話だった。

 

彼女の友人が言う”地底人”はたぶん、YouTubeで時々見かける「未来人の予言」とか「宇宙人が明かすこの世界の真実」みたいな動画で語られる、めちゃくちゃ進化した”地底人”のことなんだろうと推察する。

地球の深部には発達した文明を持つ生命体-人類とは異なる知的種族が太古から存在する、それは未来人、あるいは宇宙人ならみんな知ってる共通認識なのだ、みたいな、、。

 

こういう類の話はとにかく面白い。( かなり限られた一部の人たちにとってだが、、笑 )

話し出すと止まらなくなるのも分かる気がする。

 

私が小中学生の時にハマった「創元SF文庫」には、こうしたSF小説が無数にあった。

特に夢中になって読んだのは、宇宙だ。

H.G.ウェルズの『宇宙戦争』やエドガー・ライス・バローズの『火星のプリンセス』シリーズ、レイ・ブラッドベリの『火星年代記』や短編集、、。

 

宇宙からミステリー・サスペンスへ、幽霊・心霊もの、ホラーへと、今に至るまで正しく”それ系”への道を歩んできたわけだが(笑)、考えてみればそれらはみんな、不思議なもの、よく分からないもの、謎に満ちているものだった。

空想、想像、現実ではあり得ない話、起こり得ない物語、、。

 

ところが近年、そうしたファンタジーが現実味を帯びてきた。

 

宇宙:

つい先日、アメリカの下院委員会で、元米情報局員が「人類と宇宙人の遭遇が過去実際にあった」ことを内部告発した。

メキシコでは、信頼のおける研究者が発見した宇宙人のものと見られるミイラが、政府議会によって世界に向け公表された。

2016年、イーロン・マスクは国際宇宙会議で火星移住計画-人類を火星に移住させる計画を発表し、現在多くの宇宙開発専門家たちが真剣に研究を続けている。

 

タイム・マシン:

2014年の米映画『インターステラー』の中で、最先端の理論物理学による多次元・タイムトラベルの可能性が科学的に示された。

 

心霊;

10年前に両親が相次いで他界したのだが、その際、とても不思議なことをいくつか経験した。私は霊の存在を強く信じている。

”意識の科学”が近年、学術界で注目されているが、目に見えないもの-観測できないものを分析する手法が確立されれば、心霊現象もいつか事実として証明されるんだろう。

 

全てがまるっと解明されたわけではないし、まだまだ分からないことはたくさんあるのだが、それでもSF=サイエンス・フィクションと言われたものの多くが、全くの夢物語ではなくなってきている。

科学がSFを超えつつあるのだ。

 

そうした中で、今一つ脚光を浴びていないのが”地底人”だ。

なんというか、華がない、地味でパッとしない、、。

SFオタクにとって、あまり心惹かれないというのが正直なところだ。

 


でも、いつか近い将来、地底界にイーロン・マスクのような人が現れて、驚くような発見・巨大プロジェクトが立ち上がりでもしたら、”地底人”界隈は最後のフロンティアになるかもしれない。

”地底人”オタクが、”UFO”オタク人口を超える日がもしかして来るかもしれない!

 

それはそれで夢があるなぁ、とちょっとだけワクワクした。

 

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2023年

11月

25日

タイパ

いろいろな所で言われてきた「コスパ」という流行語は、近頃「タイパ」に変わってきたらしい。

タイパ=タイムパフォーマンスとは、かかった時間に対する満足度を表す。

時間が惜しいと思う人が、映画を倍速で見たり、音楽はサビだけ聞いたり、1冊の書籍を10分で読めるようなサービスを利用したりする。

決まった時間内でより多くの”楽しい事”を消費しようとする行動が、特に若い人たちに多く見られるのだそうだ。

 


このことを解説したインターネット情報サイト”Diamond on line”(2022/12/4)の記事の中で、とても興味深い一節があった。

タイパ志向を持つ人々の中に、”役に立つこと”に高い価値を置く傾向が見られるということ。

例えば、絵画などの芸術品は、本来その存在自体に価値があると考えられてきた。

でも、近年の新しい消費傾向を持つ人たちは、「絵画を見ていると癒されるから価値がある」という見方をする、つまりツールとしての価値が重視されるというのだ。

 

芸術とエンタメは全く違うとは思うが、近頃のエンタメ界を見ていると、このタイパとツール志向はなんとなく感じてしまう。

SNSで火がついてあっという間に評価が爆上がりし、その対象は次から次へ短時間で移り変わっていく、、。

映画でも音楽でも文学でも、それが”楽しむため、自分の役に立てるための消費ツール”なら、価値を掘り下げるなんてのは煩わしい作業かもしれない。それこそ、タイパが悪いのだ。

まぁ、昔から大衆の人気なんて移ろいやすいものなんだけど、そのスピードがものすごく速くなっているような気がする。

 

世の中には、作品の本当の価値を見抜き、独自に評価し、大衆に知らせて長く保存しようと努力する人たちが、どの時代にもちゃんといた。

そういう才能を見抜く能力と強い信念を持つ人たちがいなかったら、私たちはゴッホや宮沢賢治を知らなかったし、初演時に散々酷評された『白鳥の湖』や『春の祭典』をこれほどたくさん聞くことはなかったんだろう、

ビートルズだって、当時の評論家たちは眉を顰めてバカにしたのだ。

 

ただ、こういう事-”本物”を見極める事って時間がかかる。

気づきと検証には、ある程度の時間が必要なのだ。

今みたいに使い捨ての文化消費が凄いスピードで続いていくと、私たちはもしかして、これから生まれてくる”本物”を見逃してしまうかもしれない、、。

 

な〜んて、ちょっとだけ心配になった。

 

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2023年

11月

07日

ザ・ビートルズ

高校生のとき、ほのかに憧れていた人がビートルズのファンだった。

その頃の私は、TVから流れてくる歌謡曲や映画音楽をたまに聞くくらいだったけれど、彼の影響で聞き始めたビートルズはあまりに刺激的でカッコよくて、すぐに夢中になった。

青春の恋はあっけなく終わってしまったが、私のロック熱はその後どんどん加熱していき、ビートルズからハードロック、プログレッシブロック、そしてフュージョン、コンテンポラリーJazzへと広がった。

音楽三昧・波乱万丈(笑)の私の人生は、まさにビートルズから始まったんだなぁ、と思う。

 

「みっちゃんにもビートルズを好きになってもらいたい。」

憧れの人からの突然の電話。受話器を握りしめながら夢見心地で彼の声を聞いていた私。

高校時代の忘れられない思い出の一頁だ。

その彼は、もうこの世にいない、、。

 

つい先日、ビートルズの”最後の新曲”MVが世界に配信された。

生前のジョン・レノンが残した一本のカセットテープの音源を基に、最新AIの音声・映像技術を駆使して、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ-「ザ・ビートルズ」の最後のMVが完成したのだ。

 

あまりに懐かしくて、そして、長い長い時間が流れたことを想って、ぽろぽろと涙が出た。

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2023年

10月

29日

イスラエルの人

もうだいぶ前のことだ。

どういう経緯だったかはっきり思い出せないのだが、イスラエルから来たある男性-もちろんユダヤ人-にピアノを教えることになった。

知り合いの女性ヴォーカリストの紹介かなんかだったと思う。

日本語もそこそこ話せて、とても真面目で誠実そうな青年だった。

 

初めは、ヤマハのレッスン室を借りてコードの押さえ方とかやっていたのだが、ある日、彼が「私たちの集会所に、すごく良いピアノがあります。」と言って、ちょっとそのピアノを見せてもらうことになった。

 

渋谷のどこだったか、閑静な住宅街の一画だったように思う。 

その日は薄曇りで、季節は思い出せないのだがちょっと肌寒くて、周りがとても静かだったのを覚えている。    

背の高い重厚な網目模様の門扉の奥、20メートルくらい先に、こじんまりとした建物が木々に囲まれて立っていた。

彼は、オートロックに数字を入力して門扉を解錠すると、ゆっくり建物に向かって歩いていく。

後ろについて歩きながら、なんだか物々しい雰囲気だなぁ...と思った。

今でこそオートロックは一般的で見慣れているが、当時はとんでもなく高級な建物でしか目にしないものだった。

建物の玄関に着くと、彼はインターホンを押して誰かと話し、しばらく待つと重そうなドアがガチャッと開いて職員の方が顔を出した。

 

ピアノが置かれた大広間に歩いていく途中、彼は「驚きましたか?」と、私の顔を見て少し微笑んだ。

”集会所”というから、みんなで集まってコーラスとかチェス( 日本だと囲碁 )とか楽しむところかなぁ、なんて日本の市町村集会所の平和で開放的な場所をイメージしていた私は、その場にちょっとした危険の空気を感じて、顔がもしかしてピクピク引き攣っていたのかもしれない(笑)。

「私たちユダヤ人は、世界中、どの国に行ってもこうです。いつも警戒していないといけないのです。」

彼は淡々と言ったけれど、私は驚くとか同情するとかじゃなく、常時、身の危険を感じながら生きている人たちがいることに、ショックを受けた。理不尽さを感じた。

 

大広間に置かれたスタインウェイは荘厳で美しく、その豊かな響きで不安な気持ちはすっかり吹き飛んでしまったのだが、その時の重苦しい気持ちは後味悪く残った。

ユダヤ人たちは、大昔から-ホロコーストよりはるか以前、4世紀頃から-ずっと凄まじい迫害を受けてきた。

そして、第二次世界大戦後にイスラエルが建国されると、周りを全部、敵意に満ちた国々に囲まれ、片時も安全を感じることなく、国外にいる時さえ警戒を怠らずに生きてきた。

その民族の苦悩は、私たちには想像すらできない。

 

今回のハマスへの報復についてはいろいろな意見があって、特に大手メディアでは、イスラエルを非難する声が大きいのだそうだ。

そういう議論を聞きながら、ふっとあの日の彼の言葉を思い出した。

 

今、イスラエルで生活するユダヤ人一人一人が、今までにないほどの恐怖を抱き、耐え難いほどの怒りを感じているのだと思った。

 

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2023年

10月

16日

イスラエル

イスラエルが大変なことになっている。

日本人が想像もできないほどの憎悪の連鎖がもう何十年も続いていて、この一週間、非常な緊張状態にある。

幸いなことに私はTVを見ないので、日本の大手メディアが流す”ほんとかな〜?”の状況解説を見ないですんでいる。

もうだいぶ前から、中東関係について、インターネットにある外信や外国人ジャーナリストの記事の方が信頼できると思っていた。

 

今朝、YouTubeを見たら、イスラム思想研究者・飯山陽氏が盛大に怒っておられて(笑)、日本のメディアや学術界の偏った論調を小気味よく論破していた。

やっぱそうだよ〜、と思って安心した。

 

それほどの権威を持たない一女性研究者と、立派な肩書きを持ってTVに出まくっている国際政治学者と、どっちを信じるか?

 

これは人それぞれだし、私自身、中東紛争についてちゃんと勉強したわけではないからはっきりとは分からないのだが、過去にいろいろなニュースやドキュメンタリー報道で見聞きした事と、現在ハマスがやっている極悪非道な事とを考え合わせると、飯山陽さんの主張が正しんじゃないか。

つまり、イスラエルがやろうとしていることを世界は批判できないんじゃないかと思う。

もちろん、歴史を見れば、さらに複雑なんだろう。

中東は、大義名分を掲げるテロリストのせいでまさにめちゃくちゃにされてきて、何が真実なのか、ちょっとやそっとでは分からなくなっている。

だからこそ、専門家の方々には、常にアップデートされた正しい情報を伝えて欲しいとほんとに思う。

 

イスラエルのことで、今でも強烈な記憶として残っているのは、1995年のラビン首相暗殺だ。

イツハク・ラビンは、イスラエルの首相として、1993年オスロ和平合意 (イスラエルとパレスチナ解放機構PLOの間で同意された一連の協定)に調印した。

この歴史的な瞬間を、私はTVの衛星放送でリアルタイムで見ていた。

アラファトと握手した時の、ラビン首相のこわばった表情を今でもよく覚えている。

世界はこれから良くなるのだと心から思った。

(和平合意に調印後、握手をするラビンとアラファト) Wikipediaより

 

その2年後の1995年11月、テルアビブで催された平和大集会で、ラビン首相はたくさんの人々のいる中で至近距離から銃撃され、殺害された。

犯人は、和平反対派のユダヤ人青年。

なんでこんなことが起きるのか、とっさに理解できなかった。

だって、これから平和が訪れるんじゃなかったのか、、。戦争がやっと終わるんじゃなかったのか、、。

 

あれから30年も経つが、世界は良くなるどころかますます酷くなっているように見える。

日本国内だって、不安要素がどんどん増えてきていて、いったいこれ、どう解決するんだろう?

 

う〜、大丈夫か、世界。大丈夫か、日本、、。

 

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2023年

10月

12日

『警察実話怪談』

最近よく見るYouTube動画--”元鑑識官の警察ウラ話チャンネル”さんの『警察実話怪談』。

「元鑑識官が語る警察の業界怪談や面白事件話」ということで、捜査の中で実際にあった幽霊話や警察官勤務の日常など、怖い話が大好きなのと元鑑識官さんの声と語り口がすごく良いのとで、毎回欠かさず見ている。

もちろん、チャンネル登録済み ^ ^v

 

つい先日、『銀の盾もらったよ!』動画がアップされていたから、やっぱ人気あるんだな。

 

普段、街中で見慣れている警察官の方々が、私たちの見えないところで過酷な事件捜査・日々の防災防犯活動をしてくれている事や、私のようなフリーランスで自由気ままに仕事をしてきた人間からは想像もできない警察の縦社会っぷり(笑)に、驚くやら唖然とするやらで興味は尽きないのだが、何より、怖い話がもの凄く生々しいのだ。

仲間内で幽霊の話などしようものなら、陰で笑われるかたちまち上司に呼び出されて怒鳴られるかというくらいの、超絶オカルトNGの警察組織の中で、よくぞこれだけ実話怪談を集めたものだと感心する。

所属がバレないように、と内緒でこっそり教えてくれたなんて話も多いらしい。

 

考えてみれば、犯罪や事故の現場というのは、人が生死の境を彷徨ったり最悪亡くなってしまうような異常な場所だ。不思議な超常現象が起きてもおかしくない。

元鑑識官さんの話は、YouTubeによくアップされている最恐怪談特集のような恐怖感はないのだが、これはほんとにあった事なんだなぁ...と「話半分」ではなく「話全部」の気持ちで聞いている。

 

これは、UFOの話と似ている。

ロズウェル!とかエリア51!とか、眼をキラキラさせながら語る人(私のような…w)が「UFOを見た!」と騒ぐのと、日々訓練に明け暮れ、出どころ不明の情報や噂話などには耳をかさない自衛隊の方が「UFOを見た。」とこっそり言うのとでは、どうしても真実味が違う。

 

世の中には、人知の及ばない事って本当にあるのだと思う。

 

もう一つ、このチャンネルの魅力は、元鑑識官さんのおしゃべりを聞いていて「この人、絶対に几帳面で真面目な人だ。」と思われるのに、時折滲み出てしまうお茶目さだ。

これが、『銀の盾もらったよ!』動画で全開していて笑った。

 

チャンネル登録10万人達成、おめでとうございます!

これからも楽しみにしています。

そして、全国の現場で働く警察官の方々に、「いつもありがとうございます。」と感謝したいです。

 

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2023年

10月

06日

漢字

スマホやPCを使うようになって、すっかり文字を書かなくなった。

手紙も書かなくなって、いざ文章を書こうと思うと漢字が思い出せない。

 

あれ、横棒一本だっけ?

ここに点、いるんだったっけ?

む〜、字ヅラも思い浮かばない、、。

 

お店や郵便局で宅配便を頼む、仕事先で領収書に自分の名前と住所を書くとか以外、ペンを持つ事がない。ペンで何かを書くような機会がほぼない。

その一方で、毎日ネットでニュースを読み知識人のコメントをふむふむと聞いたりして、昔のことわざや古風な言い回し、難解な政治・軍事用語なんぞをしばしば目にし耳にする。

なんのこっちゃ、どういう意味だと調べてみると、解説欄にそれらしい漢字がいくつも並んでいる。

へ〜、こう書くんだと感心しつつ、その都度スルッと読み飛ばしてしまうので自覚がなかったが、ふと気付くとあまりに漢字を忘れている。

小学生の時、漢字ドリル帳に30回とか50回とか書いて、宿題もテストも一生懸命頑張ったのに、、。

という事で、目に留まった漢字があったら1つでも2つでも、少し大きくメモ用紙に書いてみることにした。

この習慣を始めたのにはもう一つ理由があって、数年前に新潟の実家を売却した時、父と母が残したものすごい量のメモ用紙があったのをそっくりこの家に持ってきていて、大事にとっておくようなもんでもないだろうとせっせっと大量消費に踏み切った。

なんでもスマホの時代に、最終電車の時間を書いたメモ用紙をやおら取り出すと、友人たちはさすがに引く(笑)。

 

『モジナビ』というサイトで調べると、字の意味や書き順を丁寧に教えてくれる。

最近調べた中で特に興味深かったのは、お惣菜の”惣”の字と松濤の”濤”の字。

 

”惣”は、物に心と書く。

夕ご飯のおかずにも作った人の心がこもっているんだよなぁ、、なんてきんぴらごぼうを食べながら思う。

”濤”は、「海中に高くうねって起こるなみ」の意味だ。

実際に書いてみると、海中でそこかしこに水が渦巻いているように見えて、”松濤”とはまさに一幅の絵だ。

 

一つの文字の中に、古代の歴史や様々な意味があり、水墨画のような美しさもある。

よくぞ先人たちは、このとてつもなく貴重で意義深く、日本語を表すのに効率的な文字-でも覚えるのにめちゃくちゃ苦労する(泣)-を千年以上継承してきてくれたものだと思う。

*漢民族を主要な民族とする国以外で、現在まで漢字を日常的に使用している国家は、日本だけである。-(Wikipedia『漢字文化圏』より)

 

どこかの首長(くびちょう)さんが、「これからは多文化・多言語の時代。地域の公用語を英語にする!」とか言い出しているらしい。

狂気の沙汰だと思う。

 

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2023年

9月

28日

ある日の渋谷

先日の渋谷『koko』のJazzセッション。

ママさんがうっかり冷房を入れ忘れていて、私は汗だくだくで最初のホスト演奏。

半ば気を失いそうになりながらお客さんと数曲演奏した頃には、冷房もだんだんと効いてきた。

 

お客さん増えてきたのかなぁ、と背中で感じて振り返ってみると、オーストラリア人の初老の男性二人と可愛らしい日本女性一人のグループが、中央のテーブルに陣取ってビールで乾杯していた。

少し遅れて観光客らしい欧米人のカップルが入ってきて、オーストラリア人グループと「Where are you from?」とかなんとか聞き合ったりして和気藹々、でもちゃんとセッションに参加しているみんなの演奏を聴いてくれていて、なんとも素敵な空間になった。

さらにその後、フランス人の若者と中華系美女のカップルが慌ただしく来店して、わぉ、まるで日本じゃないみたい、、。

 

外国の方々は楽器を演奏するのでなく、ただお酒を飲みながら音楽を楽しみたい人たちで、こういうラフな雰囲気の中で演奏するのって、何て楽しいんだろうと思った。

 

オーストラリア人の男性は、片言の日本語で「わたし、空手五段!」と誇らしげに黒帯の写真を見せてくれた。

フランス人の若者は、7年間日本に住んでいるとのことでとても綺麗な日本語で話をしてくれて、こちらのぞんざいな日本語が恥ずかしくなった。

欧米人のカップルはラブラブな雰囲気で話し掛けずらかったのだが、帰り際に女性に「Did you enjoy?」と小さな声で聞いたら「Yes!」と答えてくれた。

 

お店は、渋谷の駅から徒歩7〜8分くらい。

ゆっくり歩きながら周りを見渡すと、たくさんの外国人がいろんな国の言葉を喋っている。

気付けば、東京は本物の国際都市になっていて、渋谷のスクランブル交差点はまるで世界の中心のようだ。   

こうした街の活況と様相の変化は、コロナ収束後、急に加速していて、渋谷に来るたびに目を見張ってしまう。

そして、この日のセッションでの出来事。

わぉ、日本じゃないみたいと嬉しくはしゃぐ一方で、彼らの話す空手の話題や流暢な日本語がとても自然なことに感じられ、その感覚が我ながらちょっと不思議だった。

世界の中で日本文化が広く普及している-その事実とは別に、日本も日本人も全然変わっていない、ずっと前から同じなのに、急に世界がどっと近づいて来ているような感覚というか、、。

 

日本が好き!という気持ちが、彼らからふんわりと、でも強く伝わってきたせいだろうか?

私ももちろん日本が好きだから、”同好の士、相まみえる”って事だったんだろうか?

 

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2023年

9月

15日

非人類の、、。

昨日配信された時事通信のニュース。[メキシコ市AFP= 時事]

 

**メキシコ議会の12日の公聴会で、「人類ではない」生物の遺体とされるもの2体が公開された。

ミイラ化した「非人類の遺体」は、それぞれ小さな展示用ケースに入れられて公開された。

メキシコのジャーナリスト、ハイメ・マウサン氏が2017年にペルーで発見したとして持ち込んだもので、灰色係、人類に似た体型をしている。

マウサン氏は、「彼らは非人類だ。正体が分からないので、地球外生命体とは呼びたくない」と語った。

さらに、メキシコ国立自治大学で行われた炭素年代測定から「約1000年前のもの」であることが示されたと述べた。

 

以下略**

 

先日、アメリカ下院委員会で元米情報局員のデービッド・グラッシュ氏が、米当局が未確認航空現象UAPの証拠を隠蔽していると証言したばかりだ。

-このブログでも、もちろん!取り上げた。(2023/6/8「地球外生命体はいる」)-

 

実は数日前、YouTube番組『闇鍋ジャーナル』で、航空自衛隊元空将・織田邦男氏が、飛行中に複数の部下たちと一緒にUFOを見た話をされていた。

ずっと以前、日航の元パイロットの方が、無乗客で帰還中の日航機のすぐそばをUFOが並んで飛んでいたと話しておられたのも覚えている。

 

どちらも、当時の世間的には「まっさか〜、またまた〜ww」の反応だったらしいが、宇宙開発のトップランナー・米国が情報開示に乗り出せば、世界中が驚くような”宇宙人の真実”がこれから次々と明らかになるに違いない。

 

うぅ、感涙、、。

 

ロズウェル事件(1947年)から苦節76年、ついに真相が明かされる ! ! 、、かも?

 

*メキシコ議会の公聴会で公開された、ミイラ化した「非人類の遺体」

同議会提供

 

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2023年

8月

29日

りんご酢

近頃、身体に良いと話題のりんご酢。

こういう”身体に良い”系の話はネットにたくさんあって、いつもだいたいスルーするのだが、りんご酢は何故だかピンと来た。

出会いっていうんだろうか(笑)。

 

スーパーで探して買ってきて、ちょっと飲んでみたらさすがに酸っぱくて驚いた。

お勧めの大さじ1〜2杯なんて絶対無理!と諦めて、半分の量を朝食のジュースに混ぜて飲んでいた。

毎朝のことで、何のために飲んでいるのかもすっかり忘れた頃、あれ?と思った。

最近、元気なのだ。

どこがどうというのではないのだが、全体的に調子がいい。

気のせいか、と深く考えずにいたが、今朝、あ!と気付いた。

これってりんご酢? りんご酢の健康効果?

 

ということで、一句。

「なんか調子いいな」ふっと気付いたから8月29日はりんご酢記念日

  

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2023年

8月

26日

ホラー

夏ということで、ホラー映画をガッツリ見た。

 

1970年代に始まるオカルト系ホラー映画の爆発的人気に火をつけたのは、『エクソシスト』『オーメン』『ポルターガイスト』等のハリウッド映画だ。

潤沢な資金・驚異的な映像技術・独創的なストーリーで、一躍、映画界の表舞台に躍り出た。

その後も『パラノーマル・アクティビティ』や『インシディアス』など、ヒット作が続々と作られ、日本映画も『リング』『呪怨』など大健闘した。

ジャパニーズホラーは欧米のホラーに多大な影響を与え、お互い刺激し合って、世界的に良質かつ商業的にも価値のあるホラー環境(笑)が出現した。

 

ところで、欧米のオカルト系ホラーを見ていると、根底に神と悪魔の戦いという壮大なテーマがある事に気付く。

絶対的悪である悪魔の前に、神を信じる善良な人々は全く無力であるという虚無感・絶望感が、底知れない恐怖を生む。

なんだか訳のわからないうちに壮絶理不尽な仕打ちを受け、得体の知れないものに魂を乗っ取られるか、最悪ヤラれてしまうのだ。これは相当怖い、、。

悪魔の絶大な力を知った一部の人たちがその力に縋り、あるいは利用しようとしてアンチ・キリストになり、善なる人々を滅ぼそうとする副次的な恐怖ストーリーまで現れた。

西欧のホラーは、そういう絶対的悪との”戦いの物語”だ。

ヨーロッパには、中世の頃から悪魔や魔女( と呼ぶもの )と戦い続けてきた宗教的な歴史があるから、それは自然なことなんだろう。

映画の話から少し外れるが、、。

 

日本の怪談には、キリスト教的な”悪魔=絶対的悪との戦い”という要素は当然ながらない。( 怪物退治は別ジャンルの話としておく。)

四谷怪談のお岩さんや番町皿屋敷のお菊さんは、さぞや恨めしかろう、化けて出るのも仕方ないと同情するし、平安時代の説話集『今昔物語』に残るいくつかの怪談は、無慈悲に妻を離縁する旦那さんって、一体どうよ?って話だ。

 

 自分を捨てて遠国に去った夫を待ち続けて、妻は死んでしまう。

 夫は数年後に戻るが、妻は責める事なく、幽霊になって優しく迎える。

 (巻27第24話)

 

私はこの話が特に好きで、他に旦那さんに復讐する死んだ女の話とかもあるのだが、幽霊になって恋しい夫と添い寝するこの妻のいじらしさに泣いてしまう。

 

一つ目小僧やろくろ首、化け猫や河童などの妖怪、地方に伝わる民承の怪異譚。

日本の怪談はバラエティに富み、恐ろしいながら時に哀れで、時に滑稽だ。

 

そういう土壌から生まれる日本のホラー映画は、伝統的にだいたいが情緒的で、幽霊の心情に寄り添うものがあっても、超常現象そのものの恐怖を描く作品はなかった。( あっても成功しなかった。)

 

だから、1998年公開の『リング』は衝撃的だった。

古井戸から、、の有名なシーンは、ホラー映画をさんざん見慣れた私が、「ひぇ〜!!」と絶叫して椅子から飛び上がった。

全身が総毛立った。

『エクソシスト』の首180度回転に匹敵する最恐映像、、。

この映画は、ほぼこの映像のために作られたと言っても過言ではないだろう。

『リング』はまさに、超常現象そのものの恐怖を描いた映画だった。

 

『呪怨』はもっと斬新だった。

なんの罪もない普通の人たちが、呪いによって脈絡もなく殺されていく。

この構図はとても西欧のホラー的だ。

“呪い"は、日本流の悪魔とも言える。

 

ジャパニーズホラーと欧米のホラーは、根底にある文化や宗教は違っていても、人知を超えたものへの恐れ・根源的な恐怖の追求という大きな主題に向かって、ますます素晴らしい作品を共に生み出していくに違いない。

 

約10年前( 2012年10月15日 )、このブログで『ホラー映画』という記事を書いた。

当時、世間でB級C級と軽んじられていたホラー映画に対する熱い想い(笑)を、例によってあぁだこうだと書き連ねているのだが、今読み返してみると、この10年のオカルト映画業界の隆盛ぶりに隔世の感を禁じ得ない。

昔からの熱心なホラーファンとして、ただただ嬉しい、、。

 

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2023年

8月

17日

池袋演芸場

猛暑が続いてバテ度合いが加速している。

夕方5時を過ぎても全く暑さがおさまらない中、よろよろと池袋まで出かけた。『〆治 しん彌 ふたり会』という落語の催しがあるのだ。

池袋駅から街に出て、地図を確認するのも億劫だったので、駅前交番で「池袋演芸場ってどこら辺ですか?」と訊ねた。

すぐに元気な若い女性警察官が、「あそこのビルの地下ですよ^ ^ 楽しんでくださいね!」と笑顔で答えてくれた。

ふんわり嬉しくなって、私も笑顔になった。

可愛らしい女性の持つパワーはマジ絶大だ。( フェミニズム活動家が、時々訳のわからない事をぐだぐだわ〜わ〜言うが、事実は事実。)

 

通りを渡り、ビル一階の木戸でチケットを買って、いざ地下の演芸場へ。

 

この『ふたり会』は、日頃お世話になっているエステティシャンSさんが誘ってくれた。

Sさんは、日本文化をこよなく愛する凛とした女性で、お茶やお花、着物だってちゃんと着こなすし落語も詳しい。

私はといえば、一応落語好きを自称しているが、古今亭志ん朝さんなど名のある師匠のCDを聴いたり、『日本の話芸』を見たり、浅草演芸ホールに時たま行ったりするくらいの、ほとんどミーハーレベルだ。

それでも、”大道具無し、共演者無し、扇子と手拭いだけ持って座布団の上に座ったきり”で、あらゆるシチュエーションを表現する落語という芸は、まさに日本が誇る超一級の話芸であり、機会があればふらっと寄席にも行きたいと日頃思っている。 

 

頑固なご隠居、能天気な若旦那、肩肘張ったお侍、おバカな与太郎、艶っぽいおかみさん、田舎者の下男、、。

あらゆる階層・年齢の男女を、時には5〜6人いっぺんに演じ分ける。

キセルでタバコをスパスパ吸い、熱いお茶をずずっと啜り、碁石をパチンパチンと打って猪牙舟をヨイコラショッと漕ぐ-こういう所作を扇子と手拭いだけで見せるのだ。

まぁなんと見事な芸なんだろう、、。

 

この日の演目のうち、『笠碁』という噺を聴くのは初めてだった。

あらすじをWikipediaから引用すると。

 

「ある大店の隠居2人は大の囲碁好きであり、毎日のように互いの家に赴くと碁を打って楽しんでいた。

ある日のこと、今日は「待った」なしで勝負しようと一方が言い出して碁を打ち始めるが、その当人が「待った」をしようとしたために揉め始める。

次第に囲碁とは直接関係ない、過去の商売上のやり取りや、大掃除の労いで蕎麦を出さなかったなど些細な話まで持ち出し、言い争った挙句に喧嘩別れしてしまう。、、以下略 」

 

2人のご隠居は、毎日暇を持て余して碁を打つ以外、ほとんどやることがない。

お互いに、相手が唯一の碁仲間=たった一人の大事な友達であることを十分わかっているのだが、その場の勢いで喧嘩になってしまった。

 

 こっちから謝るなんてとんでもない!悪いのはあっちなんだから。

 あっちが謝りに来ないんならこっちだって。

 でも、俺のヘボ碁の相手をしてくれるのは、あいつの他に誰がいる?

 あいつがいなくなったら、俺はいったいど〜すりゃいいんだよ、、。

 

一人悶々とする似たもの同士のご隠居たちの様子が、なんとも可笑しい。

〆治師匠の抑制的な語り口が、そこに一抹の哀感を漂わせ、ちょっと言い方は大袈裟なのだが、ロシアの作家の心理劇のような趣きを感じた。

愛すべき不器用なご隠居たちの、実は深刻な心理的葛藤劇の様相を呈しているのだ(笑)。

人の心の”あわれ”と”可笑しみ”みたいなものをそこはかとなく感じて、う〜んと唸ってしまった。

 

落語のような至極の芸が、一般大衆の中から生まれ育ってきたということは、日本の伝統文化の底知れない深さだなぁと思う。

江戸弁-下町言葉と共に、ずっと大事に継承されていってほしいと心から思う。あ、上方落語の関西弁も!

米朝さんも仁鶴さんも鬼籍に入られてしまったが、関西弁独特のイントネーション・言い回しは耳に馴染んで心地よく、ある時期、上方落語ばかり集中的に聞いていた。

そのリズムと音楽性について、以前このブログで書いたと思う。

 


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2023年

7月

27日

米津玄師さん

最近、彼のMVをよく見る。

久しぶりに、音楽がすっと身体の中に入ってきて、心がほんわり暖かくなる感じ、、。

積極的に聞くというより、たまたま聞いて「ふ〜ん、いいな、、。」と思う。

 

ロイ・ハーグローブ、パット・メセニー、ブラッド・メルドー、チャイコフスキー、マーラー、ラベル、、。

ジャンルは違うけれど、時々、無性に彼らの音楽を聴きたくなる。

単純に言えば”好き♡”ってことなんだけど、もう少し複雑に言うと、心の奥、脳の神経細胞が喜んで小さな声をあげるのが気持ちいい。

涙がぽろぽろ溢れることもある。

 

Jazzで言えば、奇跡のように美しいアドリブ・フレーズを聞いた一瞬、クラシックで言えば、吟味され考え抜かれたテーマが満を持して出現する瞬間、頭の中のネジがぽ〜んと跳ね飛ぶ。

首から上の神経がざわざわとして、湧き上がってくる何かで身体が痺れる、、。

 

最近、米津玄師さんの音楽が、私にとってそうなりつつある気がしている。

 

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2023年

7月

22日

暑い暑い、、。

連日暑くて大変だ。

その上、少々風邪気味で体調は最悪。

熱でも上がれば朝からベッドで横になるのだが、何回測ってもなかなか37度にならない(笑)。

 

普段、ぼうっとする時は、何やらむにゃむにゃ頭の中で喋っているうちに考えがまとまる時があって、あ、これ、ブログに書こう、となるのだが、頭の中が不気味なほどしんとしている。

国内の政治ニュースを見て「は〜?」と頭にくることもない。

 

変だなぁ、、。

なんで平熱なんだろう?

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2023年

7月

16日

アイスクリーム

アイスクリームは大好物だ。

夏になると、ジャイアントコーンやあずきアイスやスーパーカップ、ちょっと贅沢したい時はハーゲンダッツを2個くらい買い置きしておく。

冷凍庫にアイスがあると思うと、それだけで心豊かな気持ちになる(笑)。

ところが。

ここ数年、スーパーでアイスクリームを買っていないことに気付いた。

いや、気付いたというか、、。

 

スーパーに出かける時はだいたい、「きょうは〜、アイス買う〜🎵」とめっちゃ前向きだ。

それが、冷房がキンキン効いた店内をうろうろしているうちに体の芯まですっかり冷え切ってしまい、結果、アイスクリーム売り場に行かずに終わるのだ。

 

「きょうは豆大福 ^ ^」「きょうはシュークリーム ^o^」

スイーツ気分はだいたいそうなる。

 

豆大福もシュークリームも大好きだからいいんだけど、でも、ハーゲンダッツの最新トレンド、今何なのかなぁ、、。

 

スーパーって前からこんなに寒かったっけ?

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2023年

7月

07日

前世占い

20代の頃、職場で”前世占い”というのがちょっと話題になった。

「すっごい当たる占い師さんがいる!」

「友だちが何人も行って、ほんと驚いたって。」

 

ちゃんと考えれば、前世のこと誰が証言するの?当たるって言われてもねぇ、、ってなるんだけど、そこは若者の無邪気なノリで、「行こう行こう!^o^ 」と盛り上がった。

 

場所は確か千葉の奥の方だったか、料金は若者にしては「えっ?」と驚くほど高額だったと思う。

結局、一番のり気だった女性に引きずられようにして、彼女と私はその占い師さんの自宅に出かけた。

 

その人は、私たちと同年輩か少し上ぐらいの若い小柄な普通の女の人で、まるで雑談のようにポツポツ言うだけで期待したようなびっくり発言もなく、私たちは少し拍子抜けして時間を持て余してしまった

占いの内容はほとんど忘れてしまったが、私の前世は、イタリアかどこかヨーロッパのオペラ歌手だったか、”へぇ、歌はめっちゃ下手だけどなぁ…。”と思ったのを覚えている。

最後に、占い師さんがこう言った。

「あなた、雑誌に写真が出ます。このくらいのカチッとした厚さのある雑誌。きちんと記事が出ます。」

 


この大昔の出来事を、つい先日、ふっと思い出した。

 

5月末に私の初CDが発売されたのだが、それに付随して『Jazz Japan』というメジャーな雑誌に私の記事が掲載された。

その雑誌がまさに、占い師さんが「このくらいの、、。」と手で示したようなものだったと気付いた。

たまたまかもしれないが、あの時の彼女の言葉-記憶の奥底深くに埋もれ、一度も掘り返されることのなかった彼女の言葉が、いきなり何の前触れもなく、ぽっと頭に浮かんだ。

疑わしそうな顔の私の前で、はっきりと言い切った彼女のその時の様子まで目に浮かんだ。

 

不思議な事ってあるなぁ。

時間と空間を超えたビジョンが見える人、本当にいるのかもしれない。

 

そういえば、亡くなった母が、

「あたしね、きっとなんかの力があるんだと思う。未来の事とかわかる時もある。」とちょっと得意そうに言ったことがある。

母が子供の頃、おばあちゃんが失くした数珠を広大な砂浜で迷うことなく見つけた話なんかを自慢げにした後、私をじっと見て、

「おまえ、ずっと独りだわ。」と母親らしからぬ迷予言をしたのだが、今になってみればそれは大的中したわけだ(笑)。

これも20代の頃の話。

 

真面目に考えてみると、この二つの出来事は、私の未来が20代で既に決まっていたということなんだろうか。

それとも、占い師さんや母が未来にワープする力があったんだろうか。

過去と現在と未来、、。

もしかして、これが『インターステラ』の高次元世界か、、。

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2023年

6月

25日

どうしてかな? -Part4-

ずっと前に読んだあるネット記事。

欧米の某有名オーケストラの指揮者が替わるという報道だったのだが、交代の理由として、後任指揮者の観客動員能力、寄付を集める力、パーティで聴衆にウケるスピーチができる等が高く評価されたのでは、と推測する内容だった。

もちろん、音楽力は前任後任優劣つけ難かったのだろう。その上で、これからの芸術家にはPR力が求められる、と筆者は語っていた。

これを読んだのは十数年前だが、「とうとうクラシックの世界まで、、。」とちょっと驚いた記憶がある。

ポップス業界では当たり前の話だが、大物と言われる音楽プロデューサー( クラシックの指揮者と役割が少し似ている )は、そのセンスや音楽力だけで評価されているのではない。

アーティストを総合的にプロデュースする為に、人とお金を組織的に動かしていく力が秀逸だったりする。

まさにPR力だ。

最近はインターネットの普及のおかげで、芸術家やアーティストでなくても誰でも自分の作品をアピールできるようになった。

組織の力を借りずに活躍できる場が無限大に広がったのだ。

自己をPRする能力に長ける人たちにとって、どんなにワクワクする時代だろう。

そして同時に、私のようにおろおろする人たちもそれなりにいるんだろうと思う。

これからはPR力の有無によって、実力云々より先に評価の二極化が進んでいくかもしれない。

 

私の以前の音楽活動は、演奏ではずっとサポートメンバーだったし、スタジオワークではアレンジや打ち込みの仕事が主だった。

クリエイティブな面で表に出ることがあまり無く、そういう意味でどこか現状打破みたいな気持ちがふっと働いたのかもしれない。ある時、Jazzの”セッション”というものに生まれて初めて参加した。

好きに弾いていいと言われて、「え、ほんと?」と戸惑った。

曲は「酒とバラの日々」だったと思うが、もうめちゃくちゃいっぱい無我夢中で弾いた(笑)。

Jazzって楽しいなぁ、と思った。

 

”Jazzで好きに弾く”→”Jazzで自分を表現する”

この移行にはずいぶんと時間がかかったし、まだちゃんとできていない。

でも、Jazzのピアノトリオは、自分が主役-表の顔になれる。これは夢のようなことだ!

 

”Jazzで自分を表現する”→”Jazzで自分の音をPRする”

この移行がかなり難しい、、。

はたして、努力してできる事なんだろうか?

 

今回は、T-TOCレコードという会社がCDをリリースし、YouTubeにMVまでアップしてくれて、『JazzJapan』という雑誌にはなんと紹介記事&インタビューが掲載された。

もう「私、PR能力ないんです、、。」とおろおろ困っている場合じゃないのだと思う。

佐川雅弘さんのようにはもちろん到底言えないけれど、まずは、私のピアノを聴いて欲しいという気持ちを意識して強く持っていこうと思う。

その覚悟を持つことだ。

 

『どうしてかな?』part 1~4、あれこれ考えてきて、なんかふつ〜の結論なんだが、今までひたすら目標に向かって練習するってだけ考えてきたから、この視点は私にしてはかなり新しい。

セッションで時たま弾くアドリブソロを聞いてもらいたいというのではなく、私の音楽そのものを聴いて欲しいと願う気持ちは、すなわち”自分の音”を持っていればこそで、これはほぼ全ての演奏家の目標だ。

私にとってそれはあまりに大きな目標で、きっと今まで、目の前の小さな目標ばかり見てきたから視界にすら入ってこなかったのだと思う。

ようやく(やっと?)、演奏家の仲間入りをしたのかなと思う。

 

私はいつでも、大切なことに気付くのがかなり遅い。随分と後になって、あぁそうか、そうだったんだと振り返って気付く。

ものすごく残念な人生ではある(笑)。

 

遅まきながら。

自分の音楽を聴いてもらうために、いろいろな意味で-楽しみながら頑張っていこうと思います。

いい年ですから(笑)、ほんと楽しみながら、、。

 

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2023年

6月

08日

「地球外生命体はいる」

昨日の産経新聞ニュース、『UFO論争に一石 米情報機関”内部”告発「地球外生命体はいる」』からの抜粋。

 

・米国の情報機関の一つである国家偵察局(NRO)などでUFOを含む「未確認空中現象」(UAP)の分析に携わった人物が6日までに、政府機関がUAPに関する情報を違法に隠蔽しているなどと実名で告発。「地球外生命体はいる」とも断言している。

 

・米政府やその同盟国、防衛請負業者が数十年前から現在に至るまで各地で墜落・着陸した「乗り物」やその破片を回収し、形状や材質などから「非人類由来」だと断定しているなどと指摘した。

 

・同氏は、回収物から技術情報を解析するリバース・エンジニアリングも行われており、中国やロシアを指す「同等に近い敵対国」も競合してUAPからの技術取得を図っていると説明。「地球外生命体はいる」と断じ、宇宙船と見られる「パイロットの遺体」なども発見されていると主張した。

 

さらに記事を読むと、同氏は、国家安全保障上の理由から証拠を公表することはできないが、政府は重要情報を隠蔽していると主張し、内部告発者の法的保護を定める制度の適用を申し立てているのだそうだ。

 

数年前から、UFO関連の報道がにわかに増えてきた。( まぁ、産経新聞だけかもしれない、、。でもだから、産経新聞が好きだ♡)

このブログでも過去数回、UFOの記事を書いている。

 

*2020/4/29『UFO』の抜粋

・米国防総省は海軍が2004年と2015年、赤外線カメラで撮影した雲の上を飛ぶ未確認飛行物体の映像を一般に公開した。

「映像の真偽や、他にも何か写っているのではとの推測について整理するため」公開を決めた、という事らしい。

 

・河野防衛相は28日午前の記者会見で、「万が一自衛隊機のパイロットがUFOに遭遇した際の映像の撮影や報告の段取りについて航空自衛隊をはじめとする各自衛隊に検討を求めた。」と述べた。

 

*2022/5/18『UFOは実在?』の抜粋

・米下院情報特別委員会の小委員会で17日、UFOに関する公聴会が約50年ぶりに開かれたそうだ。

「説明のつかない事実だが、実在するものだ。調査する必要がある。」と委員長が強調した。

再読したが、我ながらなかなか力の入った記事だ(笑)。

2020/4/29、とうとうアメリカ政府や日本防衛省がUFOの存在を認めたのか!とじんわり胸が熱くなった。

2022/5/8、UFOの調査研究が最先端レベルにまで進みそうだと知って、ワクワクが止まらなかった。

 

そして今回。

1947年7月のロズウェル事件が、もしかして事実だったかもしれないという可能性が出てきたのだ。

もうね、、。なんと言うか、、。

 

生きている間に、『未知との遭遇』の瞬間を見られるかもしれない。

良い結果なのか悪い結果なのか、そんなことは誰にも予測できない。だってそれは、正真正銘、人類にとって”未知”なのだ。

あぁ、なんとかその日まで生きていたいなぁ、、。

もっと長生きしたら、人類が火星に移住する日だって見れるかもしれない!

 

、、久しぶりに今年は、区民健康診断を受けるか、、。

 

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2023年

5月

29日

どうしてかな? -Part3-

CDを作るということには、ずっと否定的だった。

それよりは、いつかYouTubeに演奏動画をアップしようと考えていた。

CDよりYouTube動画の方が、即興的に面白いことができるんじゃないかと思ったし、何より気楽にやれそうだった。

コロナ禍が少し落ち着いたら、どんな形でやるか-ソロピアノかバンドか-考えてみようと思っていた。

どうせ急ぐ話じゃない。

自分の中で、一つの目標がいい感じに見えてきていた。

 

そんなゆるい日常のある日、ブログに突然届いたCDリリースの連絡は、まさに驚天動地、青天の霹靂だった。

あわわっとパニックに陥りつつ、「なんであたし?」と疑問符だらけになりながら、打ち合わせの場所に出かけた。

 


その日のことは、たぶん一生、忘れない。

嬉しさと押しつぶされそうな不安、ほんの小さな自信と恐れで混乱しながら、心のどこかで”ある不思議な感じ”がしていた。

ごっちゃごちゃ考えずに( いつものように? ) いいから試しにやってみよ、と誰かに言われているような感覚。

もともとこのCDの話は、ああだこうだと逡巡している時に背中を押すようなタイミングでやって来たのだ。

まるで天の恵みのように、、。

今思うと、それはご先祖さまだったかもしれない。墓参りもちゃんとやっていないのだが、、。

 

レコーディング前後のさまざまな心理的葛藤は、マジ筆舌に尽くしがたいので割愛するとして(笑)、最初の疑問-これ以上ないほどの幸運な状況に、なんで私はおろおろしているのか?-という疑問について改めて考えてみたい。

 

やっとかい!!

 

***Part4に続く***

  

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2023年

5月

25日

どうしてかな? -Part2-

大学を卒業して地元新潟のヤマハで講師をやっていた頃、東京から来た指導スタッフの先生がこう言った、

「新潟の子はほんとに引っ込み思案で勿体無い。能力があっても、絶対に自分から手を挙げない。」

 

関東甲信越の他県(群馬や千葉とか)に比べて、新潟に遠慮がちな人が多いのは事実だと思う。

自己PRという文化がなく、話を振られたらまず謙遜するのが普通の新潟人だ。「いやいやそんな、私なんて、、。」

生粋の地元民なのに、私はどっちかと言えば「じゃ〜あたしが、、。」と手を挙げて出ていくタイプ(笑)だったので、同僚たちから変なヤツと思われていたのは間違いない。

ヤマハを辞め、業界の仕事がやりたくて上京したのだが、とりあえずバンドを探そうと都内の練習スタジオに出かけた。

ラウンジの広告板を見ると、貼られたたくさんの募集ビラのほとんどが、”うちらは本格的プロ志向バンド、オリジナル作成に貢献できる○○(Gt.Ds.等の楽器)を求む”てな感じで、本当に驚いた。新潟でこんな募集文句、見たことがなかった。

「す、すごいなぁ、、やっぱ東京だ、、。」

今は、東京も地方もそんなに違わないのかもしれないが、当時の東京のミュージシャンたちは、実力云々の前にびっくりするほど自信満々だった。

 

フリーランスで音楽の仕事をいろいろやるようになって、適度なハッタリは必須だと悟った。

やったことがない仕事でも、打ち合わせの場では余裕の笑顔で「大丈夫です!」と請け合う。

大丈夫と言っておいて大丈夫じゃなかった(苦笑)こともあるが、それでもギリギリ最善を尽くして次に繋げようと思っていた。

 

場数を踏んでいくとだんだん、自分が何を望んでいるのか、どうなりたいのか、うっすら見えてくるのと同時に、現実の自分とのギャップを思い知るようになる。

最初の頃の超ミーハーから、少し進歩したということか、、。

 

Jazzのライブ活動を始めて、サポートメンバーとして演奏する-例えばボーカルやSaxがフロントにいる時は、こんな精神状態がまだ続いていたと思う。

ピアノトリオで弾くようになって、少しずつ変わってきた。肝が据わってきたというか、、。

ピアノもJazzも未だ勉強中で、当時は両親の介護もあって練習もままならない、そんな状況でなぜ急にピアノトリオをやりたい!と思ったのか、今となっては思い出せない。

なんて無謀な、、と呆れるが、そういう向こう見ずなところ-よく考える前にやっちゃうというのが私の人生なんだなぁ…、としみじみ思う(笑)。

( ピアノトリオは、ピアニストが相当上手くないとダメなのだ。)

 

コロナ自粛もあって、自分一人でピアノに向かう時間がめちゃくちゃ増えた。

ずっと心の中でモヤモヤしていたものが形をとるようになって、今まで気付かなかったこと-良いことも悪いことも-はっきり自覚する瞬間が度々あって、これがなかなかスリリングというか、わくわくした。

気付いたことを忘れずにちゃんと努力すれば、そのうちきっと自信が持てるようになる!と思った。嬉しかった。

 

そんな時に舞い込んできたのが、今回のCDリリースの話だ。

 

***Part3に続く***

 

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2023年

5月

15日

どうしてかな?

先月は、近々発売予定のオリジナルCDの最終作業がいろいろあった。

ライナーノーツの校正やジャケット写真の撮影など、慣れない作業だったのと自己PRという全く不得手な分野ということで、精神的にガッツリ疲れた。

 

自分の作品が世の中に出るという事は、音楽を生業とするミュージシャンにとって最高の喜びだ。


これ以上ないほどの幸運な状況に、なんで私はガッツリ疲れてるんだ?

おろおろ落ち着かないのはどうして?

例によってまた(笑)、考えてみた。

 

Jazzの仕事を始めて間もない頃、高田馬場のライブハウスで佐山雅弘さんのピアノトリオを初めて聞いた。

「世界最高のピアニストの演奏をお送りします!」

ライブ冒頭、佐山氏が胸を張ってこう言ったので、私は椅子から転げ落ちそうになった。え、自分で言っちゃうんだ、、。

でも、本当に、その夜の演奏は素晴らしかった!

「あぁ、私は今、世界最高の演奏を聴いているのだ、、。」感激はひとしおだった。

 

後で、そのMCは氏がライブで毎回言うルーティンギャグだと知らされたのだが、感激が冷めるどころかむしろ、”プロの演奏家はこうあるべし”という訓示を頂いたような気がして、心が引き締まる思いがした。

( 佐山雅弘さんは2018年11月14日に亡くなられました。心からご冥福をお祈りします。)

 

この時の貴重な訓示がその後の演奏活動に生かされたかというと、残念ながらそんなことは一度もなかった。

そもそも佐山さんとは技術レベルが違い過ぎるのだし、心構えとして持っておくとしても身の程を知るという意味では当然だったと思う。

 

でも、もしかして、そこらへんに私の”おろおろ”の原因はあるのかな、と思い至った。

 

***Part2に続く***

 

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2023年

4月

26日

ちょっと詩的な、、。

珍しい時間帯に電車に乗った。

平日夕方前の西武新宿線は、ほんの数人が立っているくらいのやや混み具合で、車内のあちこちから若い人たちのお喋りの声が聞こえてくる。


数駅過ぎたところで、学校帰りの中学生の女子3人がワイワイ話しながら乗り込んできた。

まだ少し小学生っぽさが残っていて、新しい制服も着慣れない感じの女の子たち。

この年代の女の子を久しぶりに見た気がして、思わず知らずじっと見てしまった(笑)。

 

子供でも大人でもない、地に足がついていなくてフワフワしていて、底抜けにあけっぴろげで元気で無頓着で、、。

なのに、こちらが勝手にどこか厳粛なものを感じてしまう、そんな不思議な普通の女の子たち。

 

-未来への時間の、ほんの一瞬の”はざま”にいる。-

 

彼女たちは、これからの数年間、びっくりするくらいに変わっていくだろう、心も身体も。

楽しいこと悲しいこと、目まぐるしいほどたくさん経験して大人の女性になっていく。その一歩手前の、半分子どもでいる最後の短い時間。

 

思い出せないくらい遠い過去の自分を探した。

あの頃のあたし、何考えてたかな?

 

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2023年

4月

14日

柳の木

先日、親戚の法事で新潟に行った。

前日泊で、その日は幼馴染みのTくんが、「せっかくみっちゃんが来たから。」と新潟で一二を争う老舗の料亭『行形亭(いきなりや)』さんに連れて行ってくれた。

会社の重役さんやお役人さんたちが接待で訪れるという、本物の”ザ・料亭”だ。

予約の時に、「芸妓さんお呼びしますか?」と聞かれたと、Tくんが笑っていた。

まず雰囲気に呑まれ、お座敷に歓声を上げ、お料理がどれもこれも素晴らしくて、命の洗濯ってこういうんだな....としみじみ思ったことだった。

翌日の法事は、お寺でお経をあげていただいた後、近くの割烹で親戚一同、故人を偲びながら和気藹々と会食した。

天気も良く、窓からは満開の桜が絶景で、「もしかしてあたし、日頃の行いが良かった?」と勘違いするほどの良いこと尽くしだった。

市内を歩いていて、青々とした柳の木を見つけた。

亡くなった母が、「西堀の岸には柳がず〜っと植っていてね、、。」と言っていたのを思い出した。

 

☆新潟の堀の歴史( 新潟市役所コールセンターのHPより抜粋 )

「江戸時代前期、新潟町の中に信濃川と平行する形で西堀と東堀という二本の堀が作られ、舟による商品の輸送路などとして使われた。

大正末頃から堀の水の量が減少し、その後、自動車輸送が主流になってきた事から徐々に堀の埋め立てが始まり、昭和30年以降に東堀が、昭和39年までに西堀が埋め立てられた。」

 

昔、西堀と東堀の両岸にはたくさんの柳の木が街路樹として植っていて、その下を粋な芸者さんたち(古町芸妓)がそぞろ歩いていたのだ、、。

なんて風情ある景色だろう。

 

柳の傍らに佇む幼い母の姿が、その時ふっと心に浮かんだ。もちろん、ぼんやりとした想像だ。

でも、なぜか急に懐かしくなって、胸の奥がキュッとした。

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2023年

3月

30日

ポワロの危機

今日のCNNネットニュースで、衝撃的な記事があった。

『「犯罪小説の女王」アガサ・クリスティーの小説が軒並み改変されることになる模様、政治的に正しくない表現は失われる』

 

記事によると、”出版社のハーパー・コリンズは、エルキュール・ポワロやミス・マープルが登場する一部の探偵ミステリーの新たなデジタル版で、人種差別的な言及や現代の読者にとって不快と思われる表現を編集したり完全に削除したりする対応を取った。

対象となる書籍は1920年から76年(クリスティの没年)にかけて出版されたもので、こうした改訂が行われる最新の古典作品になる。

先月には、ロアルド・ダールの児童書の古典(パフィン出版社)が同様の扱いを受けたことが判明しており、作品のファンから、古典文学の書き換えは一種の検閲だと主張する声も出た。”

 

もう〜なんてこと!

作品を書き換えるなんて!

イギリスが植民地を持っていた時代の物語なんだから、いろいろ不都合があるのは仕方ないでしょう?

ポリティカル・コレクトネスは、そろそろいい加減にしてほしい。

過去の時代背景や人々の気持ちを今更変えられるわけもないのに、こういう人たちはいったい何と闘っているんだろう?

そういうこともあった、それはそれ、でも今はって考えないのかな?

 

彼らはだいたい、「私はとても正しい事をしている」と真っ直ぐに信じている。

純粋に彼らの正義を行おうとしている。

その主張は、納得できる部分もあるんだけど、どうも極端で偏っている気がする。

 

以前なら、誰かが何か過激なことを訴えようとした時、周りが「まぁ君ね、、。」といろいろ穏当な意見を言ったのだと思う。

でも最近は、こういう人たちはあまりにも自信たっぷりで、やたら声が大きい場合が多い。

周囲は、「、そ、そう、、。」「、、そうなの?」と、勢いに押されて言葉を飲み込んでしまうのだ。

 

自信たっぷりで声が大きいといえば、つい最近、日本の国会にもそういう方がいたような、、。

グローバル化かなぁ、、(笑)。

 

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2023年

3月

28日

今までの事、これからの事 -Part2-

自分で言うのもなんだけど、私はけっこう努力家だ。

頑張ることは苦じゃない、と言うより、目標が目の前に現れると他が全く見えなくなってしまう。

にんじん馬みたいな習性なんだと思う。

 

そして、だいたいの目標は努力すれば何とかなる、とぼんやり信じていた。

 


ところが、Jazzの世界に入ったら、今までなんて甘かったんだろうと思い知らされた。

生半可の努力では、ピアノはちゃんと弾けないしJazzなどできない。

目標とする山の頂上はとてつもなく高く遠い-仕事を始めて暫くすると気が付いた。( 人参じゃなくてエベレストだった・笑)

何となく出来たような気になっていた期間は幸か不幸か短くて、以降ずっと、気分は低空飛行だ。

 

そしてもう一つ、最近になって気付いた。

 

エレクトーンを弾いていた頃、ツアーでシンセサイザーを弾いていた頃、コンピューターで音符を打ち込んでいた頃、ずっと心の中にもやもやと溜まっていた思いがある。

「本物の音楽をやりたい。」

 

電子音楽が偽物という意味ではなく、電子楽器もコンピューター音楽も大好きだった。

アルゴリズムから生まれる音、MIDIを駆使して作られるゴージャスなサウンド、、。

中でも、バンドで大きな舞台で演奏することは、本当に痺れるような快感だった。

なんて幸せな仕事だろう、と何度も思ったものだ。

でも、なんかいつも”もやもや”している、自信がない、私は本物じゃない、、。どこか後ろめたさを感じていた。

 

「本物の音楽をやりたい。」と考えたのはいつの事だったろう?

エレクトーンがシミレーションの楽器と悟った時か。

業界の”仕事”としての音楽と自分の中にある音楽を、はっきり区別して考えた時か。

クライアントに要求される音楽作りがいやになっちゃった時か。

単純に、そういう業界の仕事が減ってきて焦りを感じた時か。

 

ちょっとした遊び感覚で始めたJazzは、仕事のストレスから解放してくれるだけでなく音楽的にもレベルが高くて、それまで未知の分野だっただけに新鮮で楽しかった。

シンセサイザーやコンピューターから離れてアコースティックピアノの鍵盤に触れることは、ただただ嬉しかった、

そして、あるライブ演奏に感動したことがきっかけになって、Jazzなら本物の音楽ができるんじゃないかと漠然と思った。

 

”本物の音楽”とは何か。

と書き出したらまた止まらなくなるので、ここでは”自分にとっての本物”というふうに狭めて考えてみる。

 

自分の中の音をどう形にするか、どう表現するか-それに悩むということが、今の私にとっての本物かなと思う。

自己と話をする-いろいろ提案したり試したりダメ出しをしたりOKを出したり-そういう音楽的な作業をすること。

速弾きや高等技術の習得を目指すのではなく、自分の個性を見つけて伸ばすための地味な作業をずっと続けられればいいなぁと思う。飽きることなく、、。

その為に、Jazzという音楽形態が一番私に合っていると気付いた。

 

ビバップフレーズもブルーノートレーベルもほとんど興味が無いから、熱心なJazzファンにはめっちゃ怒られるだろうが、私はただ、Jazzのコードやリズムが好きだ。

即興性やコミュニケーション、自由でありながら基本のルールがちゃんとあること、古いものも新しいものも取り込んでいく大きさが好きだ。

そして、偉大なJazzプレーヤーたちの音楽を尊敬している。彼らは常に革新的だった。

 

改めて振り返ってみて、よくぞJazzに辿り着いたと思う。

”自分にとっての本物の音楽”をやる-そういう作業を続ける為の”方法”をようやく見つけたような気がしている。

数十年間の思い-願いが、知らないうちに今、叶っているのだとじわじわ感じる、、。

 

ただ、屹立するエベレストの前で、気分は依然として低空飛行だ(笑)。

努力することは嫌いじゃないけど、最近ちょっと疲れ気味、、。

昨年末に、自分のオリジナル曲をレコーディングするという最大級の幸運が降ってきて興奮状態がしばし続いたのだが、いささかガソリンが切れてきた。

自分の演奏を真正面から聴くというのも、精神的にかなり辛い、、(笑)。

 

これから何をやろうかな。

今までの延長線上なのは違いないのだが、少し気を抜いて生活も楽しみたいなぁ。( この事は、20代の頃から何度もアドバイスされたのにずっとできないで来た。要は貧乏性、、笑)

心が新しくならないと、新曲も作れないしアイディアも浮かばない。

だから、ゆっくり、また始めようと思っている。

 

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2023年

3月

13日

今までの事、これからの事

大学は国文学専攻だったが、ひょんなことからエレクトーンを始めた。

在学中に資格をとって、卒業後ヤマハの先生になったけれど、教えるより演奏する方が好きで、憧れだったエレクトーンフェスティバル全国大会に出場が決まったのが気持ちの区切りになって、ヤマハを辞めた。

 

フリーランスになり、シンセサイザー・プレーヤーとしてコンサートツアーに参加し、当時ブームだったコンピューター・ミュージック業界に入れたのはラッキーだった。

 

それから十数年後、またしてもひょんなことからJazzに出逢った。

持っていたシンセサイザーを全部バッサリ売り払って、これからJazzピアノを本気でやる!と決意して今に至る。

 

まぁ思い切りの良い人生だなぁ....と思う(笑)。

やりたい事が目の前に現れると他の選択肢が瞬時に無くなるから、迷うとか躊躇うとかあまり記憶にない。

もしかしてあったのかもしれないが、忘れてしまった。

 

ちょうど、映画『インターステラ』を見て感動したばかりなせいか、Jazzをやることは運命の流れだったのかもしれない、なんて思ったりする。

全てはこの時点に向かっていた!とか、、(笑)。

何故そう感じるのか、改めて考えてみた。

映画のような5次元の話ではなく、単に私の心の中の話として、、。

 

***Part2に続く***

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2023年

2月

26日

中国の切手

近年、何かと話題の中国。

知り合いに中国の人も関連の人もいないので、かの国の動きは国際ニュースで知るだけだ。

( 去年亡くなった叔父さんが、「習近平は危ない、本当に危ない。」と、10年くらい前に言っていた。

当時はまだ、多分に中国礼賛の空気があったと思うが、叔父さん、慧眼だった、もっと話を聞きたかったなと思う。)

 

2019年、新潟の実家で遺品整理した時に見つかった中国の切手がちょっと凄かったことを、ふと思い出した。

 

生前の母が集めていた大量の切手。

業者さんのアドバイスで、東京の鑑定会社に査定してもらうことになった。

母は、綺麗なもの、趣のあるものが大好きだ。

残された切手の大半は日本のもので、美しく品があって図柄も素敵なものばかりだった。

他には、頒布会で定期的に届いた外国の切手が封筒ごとたくさんあった。

 

自宅に来てくれた鑑定者さんは、とても丁寧に仕事をする方だった。

1時間くらいで終わるかなと思っていた査定は半日に及び、隣りの続き間でインターネットを見つつ鑑定者さんと軽く雑談を交わしていた私は、「こんなに時間がかかるんだ、、。」と内心驚いていた。

 

母は、”収集”という概念すら持っていたか怪しい。

買って-届いて-(ふ〜んと)見て-箱にしまって-のサイクルの結果、整理もせず乱雑に、お歳暮のお菓子や海苔の紙箱3つとそれに入りきらなかった分が机の引き出しにしまわれていた。

分類するだけで、相当な労力だったろうと思う。

 

唐突に、機械的に動いていた彼の手が止まって、携帯で切手の写真を撮ったり会社に連絡を入れたりしだした。

「ん?」と思ったが、「もしかして^ ^」と考えたわけではなく、逆に「何か不都合が?」と心配になった。

以前、切手収集の趣味がある友人が「試しに査定してもらったらさぁ、あんまり安くてびっくりして売るのやめた。」と言っていたから、はなから期待値は低かった。

 

最終的に、査定額は10万円以上になった。

 

金額を聞いて、私は「え?」と固まった。

アニメだと、手に持ったメモの紙がひらひらっと落ちるところだ(笑)。

 

鑑定者さんはちょっと笑いながら、「これがね、ちょっと凄いんですよ。」と一枚の小さな切手を見せてくれた。

保存袋にも入っていなかったヨレ気味の、どう見てもパッとしない中国の切手。

「ちゃんとしたシートだと、もの凄い金額になります。」

 


”赤猿”と呼ばれるこの切手は、収集家の中ではとても有名で高いプレミア価値がついているのだそうだ。

中国の富裕層が投機目的で大量購入しているせいで、需要が高まっているとも言われている。

「中国の人は赤が好きみたいですね。」彼はにっこり笑った。

 

「いやぁ、中国、いいなぁ、、。」

 

予想外の高額収入で一気にハイテンションになった私は、保守としてはあるまじきひと言をつぶやいた(笑)。

 

現在、日本の多くの製造業は、経済安保や人権重視の観点から中国との取引きを考え直すようにと、世界から-少なくとも自由主義陣営の国々を主導する米国から-警告を受けている。

中国の今やっていること、これからやろうとしていることを考えれば、当然の予防措置だ。

日本だって自分の国を守らないといけない。

 

でも、たかが10万円で、天にも昇る気持ちになったあの時の自分を振り返ってみれば、中国から莫大な利益を得ているであろう企業の経営者さんは、さぞ苦渋の決断だろうなと少し同情する。

先が読めない、いつ何が起きるかわからない世界の只中で、トップに立つ人たちは神経をすり減らすような際どい決定をし続けなければならないのだ。 

 

多くの経営者や政治家が占いにハマるというのも、”むべなるかな”と思った。

そういえば、四柱推命は中国起源、、関係ないけど、、(笑)。

 

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2023年

2月

13日

ジャニーズ

先日の日経ビジネスオンラインに、面白い記事があった。

大学生の若者たちが、昭和世代( 私とかw )にいろいろと役に立つコラムを書くという企画で、今回はMさんという女子学生だった。

彼女のテーマは『推し活』。

 

 **”推し(おし)”とは、主にアイドルや俳優について用いられる日本語の俗語であり、人に薦めたいと思うほどに好意を持っている人物のことをいう。

(デジタル大辞泉)

 

よく聞く言葉だけれど、ファン活動とは違うのか?

Mさんはジャニオタ( ジャニーズのオタク )で、「私の毎日、”推し”に生かされているなぁ」「私は、”推す”とは大好きな”推し”が幸せでいられますようにと願うことではないか、と思います」と言う。

願うこと-祈る気持ちが、自分の毎日の生活の中に自然と溶け込んでしまった結果が、『推し活』なのだそうだ。

多くの時間やエネルギーを”推し”に捧げ、見返りも求めず一生懸命に尽くす彼女の姿は、編集者も書いていたが「宗教か?!」と思うほどだ。

これは明らかに昭和世代のファン活動ではない。

そしてこれが、Mさんだけではない、多くの若者が支持する活動だということは、現代社会がコスパ志向と言われることを考えればとても興味深い。

 

人生を前向きに捉える為の『推し活』。

Mさんは、そこから生きる元気をもらうと同時に、意味や価値まで見出している。誇りを持っている。

ツッコミどころ満載のコラム( ごめんなさい...。)なのに、そのあまりの真摯さにほっこり感動してしまった。

 

仕事や学問や芸術、そして”推し”。

対象がなんであれ、一心不乱に私心なく向かう姿勢はただただ美しいと思う。

少なくとも私は、音楽に対してそうありたいと思う。

 

今よりだいぶ若かった頃ww、たまたま山手線に乗ったら、車内が”嵐”のポスターだらけだった。

グループの写真、メンバーの写真が、適当な間隔を空けてずらーっと貼られている。

 

別に”嵐”のファンでもなかったが、「ふ〜ん、、。」と座って眺めていたら、なんとなくもっと見たくなった。

結局、隣の車両まで歩いて行って、全部の写真をじっくり見た(笑)。

移動しながら、「こりゃいったいなんなんだ?」と心の中で噴いた、あの妙な感覚は今でも覚えている。

後から考えてみて、あれこそが「惹き寄せられる」ってことなのかな?

 

その後、熱狂的な”嵐”ファンになったわけでもないから、一時的な気分みたいなものだったかもしれない。

でも、間違いなくあの時、元気が出て、嬉しくなって、ちょっと笑顔になった。

 

Mさんもきっとこんなふうに感じて、毎日を明るく生きているのかな、と思った。

因みに、彼女のお母さん、妹さんもジャニオタだそうだ。

 

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2023年

2月

08日

インターステラー

2014年公開のSF映画『インターステラー』。

当時、大変な話題になって、アカデミー賞主演・助演賞も受賞した。

異常気象により、滅亡の危機が目前に迫った近未来の地球。

新たな居住可能な惑星を探すため、4人の宇宙飛行士が別の銀河系への未知の航行に出発する、というストーリーだ。

 

何が凄いって、2017年にノーベル物理学賞をとった理論物理学者キップ・ソーン氏が、科学コンサルタント兼製作総指揮を務めている。

ブラックホール、ワームホール、5次元、相対性理論、時間の遅れ等々、SF好きなら間違いなく飛びつくであろう題材を、本物の物理学から考証した映像で具体的に見せてくれた。

映画公開から5年後の2019年、”地球から5500万光年先にあるおとめ座銀河団のブラックホールの撮影に成功した”というニュースが世界で大きく報道された。

その人類史上初めて撮影されたブラックホールの画像が、『インターステラー』に登場するブラックホールの姿と酷似している事に人々は驚いたのだそうだ。

 

映画的な嘘も、もちろんいくつかある。

なにせ、今まさに研究が進められている未知の分野だ。

それでも、キップ・ソーン氏によると、最新の物理学である程度まで説明可能だという。

 

ん〜、なんか凄い、、。SF映画もここまで来た、、。

 

だいぶ前、NHKドキュメンタリー『神の数式』を見た時に、”理論物理学者”というとんでもない人たちがいるのを知って驚いた。

机上の理論のみで全宇宙の謎を解こうと挑む天才たちで、朝から晩まで紙や黒板に数式を書いている感じだった。

--そういえば、湯川学氏(ドラマ『ガリレオ』)は、部屋の床や窓や地面にまで数式書いてた...(笑)--

 

番組の中で、超弦理論や11次元という、物質や宇宙の成り立ちを説明するための仮説が紹介されていた。

理解不能なのは当然だが、とりあえずワクワクして、SF好きの血が騒いだ。

力の統一理論が、私の生きているうちに完成するといいなぁ、、

世界はいったい何次元なんだ?

 

『インターステラー』は、その最先端の物理学が描く人類の未来の姿だ。

監督のクリストファー・ノーラン氏は「この映画を見て宇宙に興味を持つ人が増えてほしい。」と語った。

うんうん、『神の数式』も感動したけど、それよりもっと感動した!

数学や物理が大好きな最高に頭の良い若者たちは、どうか頑張ってほしい、本当に。

万物の謎をなんとしても解き明かしてほしい!

 

、、しかし、なんで私は、こんな凄い映画をずっと見逃してたんだ?

 

あ、、。

 

2013年〜2014年は、両親が相次いで亡くなり、一人っ子の私にとってめちゃ辛い困難な2年間だった。

その後も2019年に新潟の実家を手放すまで、いつも心の奥がピリピリと張り詰めていた気がする。

新作映画を楽しもうなんて心の余裕は、まるでなかったのだ。

 

「あの時は、マジ大変だったなぁ、、。」

しばし、10年前にタイムスリップした。

10年という時間が、伸びたり縮んだりくねったり、ところどころ止まったり消えたりして見えた。

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2023年

1月

29日

鷗外-NHK『英雄たちの選択』

基本的に、NHKは嫌いだ。

受信料の強制徴収、非常に偏った政治報道、出演するコメンテーターがどうしてこういう人たちなのか、疑問がふつふつとわくことが多い。

公共放送を名乗るなら、ニュースや天気予報、自然・文化関係に限って放送すればいいんじゃないかと思う。

チャンネルは一つで十分。スクランブルって方法もある。

 

そうは言いつつ、NHKオンデマンドをずっと契約している、、(笑)。

『100分de名著』の伊集院光氏のコメントが好きなのと、時々、日本文学関連で面白い番組があるからだ。

先日、1/11に放送された『英雄たちの選択 森鴎外・37歳の転機~小倉”左遷”の真実〜』がとても良かった。

 

エリート街道まっしぐらだった鷗外の人生に訪れた初めての挫折-不当な人事に憤りつつも、日々の生活の中で新しい出会いや気付きを得て、人間として、文学者として、哲学者として、さまざまな意味で深みを増していく。

”知の巨人”と言われる鴎外が、人としてもどんなに魅力的だったかは、彼の子供たちの著書中の数々のエピソードから伝わってくる。

小倉”左遷”は、鷗外を大きく成長させるきっかけとなったのだ。

 

、、ってのは、鷗外研究でよく見るテーマなんだけど、番組最後で日本歴史学者の磯田道史氏が語ったコメントが、とても興味深かった。

 

国家の高級官僚でありながら、他にもさまざまな顔を持っていた鷗外。

「今を生きる僕たちに鷗外の生き様(ざま)を見つめる必要というのは大きいと思いますね。

なぜかと言うと、今、近代の壊れが起きていて、、」

 

以下、磯田道史氏のコメントを要約すると、

 

『近代人は、”公私にわたり”という言葉があるとおり、職場と家庭という二つの砦を持っていた。

しかし、近頃の職場はいつまであるかわからないし、家庭といえば結婚しない人が増えていて、所属がない-言い換えればいろいろな顔を持つ人が、今、多数存在する。

いろいろな顔を持ち、しかも最高の知性を持って、その中でいろいろなことをやって苦しんだり楽しんだりしたのが鷗外。

肩書きなんて意味を持たないような社会がもし来るとすれば、鷗外こそ未来人なのでは?』

すっごい新しい切り口だなぁ、と思った。

学歴や肩書きを自慢する人が陳腐で滑稽に見えてしまう昨今。

もし、鴎外が現代に生きていたらどう行動するかなぁ、と想像してみた。

官僚、辞めちゃうかな、フリーランスの文筆家とかちょっと違う気がするし、、。

 

またとんでもなく長くなりそうなので、今回はここらへんでやめておく(笑)。

 

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2023年

1月

16日

レコーディング -Part2-

昨年末に、人生初のピアノトリオのスタジオ・レコーディングをした。

 

考えてみると、スタジオ・レコーディングは今までにたくさんやっている。

ヤマハにいた頃はエレクトーンで、フリーになってからはシンセで、アレンジャーとしては自分のアレンジでピアノをちょろっと弾いたりとか、、。

有名アーティストのツアーメンバーのオーディションで、ソロピアノの録音をした事もあった。

( 今思えば、ピアノという楽器を完全に舐めてたなぁ、と心から反省する、、。)

 

今回、ピアノトリオで、それもJazzという形で録音するということになって、どう臨もうか悩んだ。

私がフリーになってからやったレコーディングでは、まずリズムパート( ドラム、ベース、ギター、ピアノ )を録って、それを聴きながらシンセや上物楽器( サックスとか )を録るというやり方がほとんどだった。

いくらでも修正できたし、逆に言えば小さなミスもたいてい許されなかった。

一方、Jazzの録音は一発撮りで、みんなが同時に演奏する。

アドリブ(即興)が基本だし、プレーヤーもそのつもりでレコーディングに臨む。

些細なミスよりも、演奏の勢いやその場で生まれた生の音を記録するのがJazzのレコーディングなのだ。

この事について、私はある時は楽観的になり、ある時は慎重になり、ある時は絶望的になってあぁだこうだと悩んだ。

早い話が、ミスなく自由なアドリブをまとめることが私にできるかという事だ。

 

レコーディング・メンバーの小池くん(E.B.)や坂本くん(Ds.)は、

「いやぁ、昔の大物ミュージシャンの録音だって、みんなかなりミスってますよ。」

「そうそう。気にしなくて大丈夫っす。」と、慰めてくれる。

彼らはたいそうレコーディングに慣れていて、本当に心強い。

でも、”人生初”の私は、リハーサルの段階で既に心臓がバクバクしていて、不安で心配で堪らなかった。

 

結局、レコーディング一ヶ月前になって、アドリブの入りや大まかな骨組み、残したいフレーズなんかを考えて、あとは流れに任せることにした。

そして、一曲だけ-『Dear P.M.』だけは、何も考えずに、その時のまっさらな心の音を弾こうと決めた。

 

***Part3に続く***

 

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2023年

1月

04日

2023年 謹賀新年

明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

昨年末と正月三が日は、心身ともに本当にゆっくりしました。

考えてみると、私はいつもどこかせかせかしているような気がします。

 

昨年、今更ながら驚いたことがありました。

知人たちとの何気ない会話の中で、お風呂に入ってぼうっとするのが好きという話が何回か出ました。

相手はミュージシャンだったり、エステシャンだったり、昔からの友人だったり様々です。

芸能人で”お風呂に一時間以上入る”人がいるのは聞いたことがありますが、まさか身近にこれほどお風呂好きがいるとは、、って驚いたのはそこじゃなくて、知人たちが長時間、何もせずにお湯の中でぼうっとできるということです。

 

私のお風呂は、俗に言う”烏の行水”です。

小さい頃、一緒にお風呂に入っていた父に「○つ数えろ」( いくつだったか数は忘れた )といつも言われていましたが、湯船の中でじっとしているのがとにかく苦痛でした。

それは大人になってからも同じで、入浴剤や泡風呂やアロマなどいろいろ試してみましたが、あまり効果はありませんでした。

ところが、歳をとって体にいろいろとガタがくると、お風呂に10〜15分ゆっくり入ることが内臓機能に非常に良いというネットの情報( 常識?)がパッと目にとまり、

「ふ〜ん、やってみるか、、。」

となりました。

 

行水から10〜15分までの時間延長は、かなりな苦行です。

音楽を聴くとか本を読むとかやっても良いのですが、それだと10〜15分は逆に短い。それに”ぼうっとする”ことが精神的リラックスにつながるのであれば、お風呂でぼうっとできるようになろうと思いました。

最初は給湯器のタイマーと睨めっこでしたが、だんだんと成果が出つつあります。

ということで、年頭から長々とお風呂の話をしましたが、今年はこのお風呂効果を活かして、”リラックス”を目標にしようと思っています。

せかせか気質を治せたら、きっともっと楽しい生活になるのではないかと、、。

 

皆さまはどんなお正月を過ごされたでしょうか?

 

今年は、何の気兼ねなく過ごせる良い年になりますように。

( まずはマスクかなぁ、、。)

 

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2022年

12月

29日

2022年

今年も残すところあと3日。

この時期には毎年、近くのパン屋のおかみさんと

「もう一年終わるとか、ほんと早過ぎ!」

「ほんとねぇ。ついこの間夏だったのに、、。」

とほぼ定型の会話をするのだが、今年の”早かった”感はハンパない気がする。

 

社会的にもプライベートや仕事においても、本当にさまざまな出来事があった。

世界や日本にとって、そして不肖私にとって、今年は掛け値なしにめちゃくちゃ大きな年だった。

書き連ねれば、また例によってもの凄く長くなる、、(笑)。

 

この年末は、私にとって一番大事な音楽について-先日のレコーディングについて、頭の中を整理してみようと思っている。

 

****************************

 

今年もブログを読んでいただきありがとうございました。

「最近、政治的な記事が多い。」とのご指摘を何回か頂きました。

ここ数年、私の頭の中に溜まっていく事柄が、政治の分野に偏っているというのは事実です。

でもそれは単に、嬉しかったり憤りを感じたり悲しかったりする出来事が、政治や政治家に関することであったというだけです。

長い自粛生活も一因かもしれません。人と話すことが極端に減りましたから。

安全で安心な日常が早く戻って来てほしいです。

そして、世界で日々伝えられる不安なニュースが少しでも減りますように。

皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。

来年もどうぞよろしくお願いします!

 

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2022年

12月

17日

レコーディング

1ヶ月以上、ブログを休んでいた。

2011年11月に開始して以来、だいたい月2〜3件のペースで続けてきたから、こんなに長く休んだのは初めてだ。

時々覗いてくれていた友人から、「元気?」と連絡が来た。もしかしてぶっ倒れてる?と心配したらしい。

 

実を言うと、今年の春、あるレコーディング会社から突然、CDリリースの話を頂いた。

まさに青天の霹靂、寝起きだった目玉がほんとに飛び出しそうな大事件だった。

 

「ひぇ〜、なんで私、、?」

 

打ち合わせが始まってもまだ半信半疑だったが、日が経つにつれ、だんだんと覚悟が決まってきた。

録音日は、12月12日・13日の2日間に決定した。

 

この1ヶ月、レコーディングに向けて、自分のピアノ、オリジナル曲とどっぷり向き合った。

もうちょっと早くから”どっぷり”しとけば良かったなぁ、、とレコーディング・スタジオでピアノを弾きながらちょっと思った。

春から数ヶ月間、準備はちゃんとしたし、にわかに頑張ったところで実力以上の成果が出るものでもない。緊張感が一番高まったところでレコーディングできると良いなと思った結果だから、「もうちょっと早くから...」というのは、自分に対する負け惜しみみたいなものだと思う。

もっと上手く弾けたらなぁっていう、、(笑)。

 

小学生や中学生の時の夏休みの宿題、大人になってフリーランスで受けていたアレンジや打ち込みの仕事、そういう期限がある案件を前にした時、締め切りに間に合わせる為にはいつから作業に取り掛かればいいか、という逆算の計算をいつも無意識にやっていた気がする。

期限がキツい仕事の時に、今ここで寝たら間に合わないなというのが締め切り3日前くらいからなんとなく見えて、結果、3日徹夜で納品というぎりぎりセーフみたいなことが何回もあった。

危なかったなぁ、、と思うのと、また間に合っちゃったなぁ、、と我ながら驚くのとが積み重なって、妙な自信がついたのだと思う。

直感というか勘を頼りに短期決戦で切り抜けるというのが、いつからか私のやり方になった。

もう少し余裕のあるやり方もできたはず、とは思うのだが(笑)。

 

というような訳で、この1ヶ月間、私の頭の中はレコーディングに特化した。

ブログを書くことは、頭から吹っ飛んでしまった。

大事な月ライブスケジュールの記事まで書き忘れていたのに気付いた時は、我ながら笑ってしまった ^ ^;

 

先日、レコーディング無事終了しました!

いつもの呑気な日々が戻って来て、朝からYouTube三昧、料理してウォーキングして映画観て爆睡してます(笑)。

ブログ再開です!

***Part2に続く***

 

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2022年

11月

07日

虎ノ門ニュース終了...(涙)

、、マジですか、、悲し過ぎる、、。

これからどうやって生きていけばよいのか、、。

 

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2022年

11月

06日

渋谷ハロウィン

先月30日-ハロウィン・イブの夜、まさに渋谷にいた。

道玄坂のお店でセッションの仕事だ。

 

ハロウィン熱狂の真っ只中、若者たちが世界一盛り上がるので有名な街に出掛けるという事で、さすがに身構えた。

前日、一緒だったベーシストは「俺も明日、渋谷なんすけど、、。ちゃんと帰れますかねぇ、心配、、。」とぼやいていた。

韓国で悲惨な事故が起きて、あまりの死者数に呆然としたばかりだったし、毎年ネットで見る大騒乱の光景も頭をよぎった。

 

宵闇(よいやみ)の渋谷は、いつもの倍近く人が多かったが、思ったよりちゃんと道を歩けた。

妙に顔色の悪い男性やウサギの耳が生えた女性がちらほら人目を引くくらいだ。

でも、スクランブル交差点付近にはびっくりするくらいたくさんの警察官がいて、信号が変わりそうになるタイミングで一斉に警笛をび〜ぴ〜吹くので、そのあまりの音量に交差点を渡りながらフラフラした。

なんとかお店に着いてセッションを始めたが、途中で来たお客さんたちが「いやぁ、すごいことになってる、、。〇〇通りはもう通れないな、裏道をこう行って、、」と、興奮気味に言う。

夜になって、どんどん人が多くなっているらしかった。

 

Jazzとお酒でのどかに良い気分になった後、いざ雑踏の街へ。

スクランブル交差点は避けたほうがいいとお客さんに助言され、地下街を通ってJR渋谷駅に行くことにした。(コスプレーヤー見たかったけど、安全第一ということで、、。)

地下街は空いていて、色とりどりのコスプレ衣装に身を包んだ若者たちのグループが、騒ぎ疲れたのか小休止か、あちこちに集まって楽しそうに喋りあっていた。

 

ふっと、若かりし日の新潟高校”青陵祭(せいりょうさい)”を思い出した。

全校あげての大体育祭なのだが、連合(グループ)ごとに優勝をかけて応援合戦が凄いことになる。

あの時の、みんなで一緒にど〜っと盛り上がる、なんとも言えないワクワク感がじわっと蘇ってきた。

 

、、懐かしいなぁ、、。

 

例によってまた「ふふっ」と不敵な笑みを浮かべながら、JR山手線の階段を上るのであった。

 

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2022年

10月

15日

リモートワーク鬱

ちょっと前の日経ビジネスに、”妻がリモートワーク鬱になりまして”-という一文で始まる記事があった。(『リモートワークは理想的な働き方か 増幅する孤独』2022.10.5)

 

日経記者さんの狙い通り(笑)、2011年『ツレがうつになりまして』という、題材が深刻なわりに心がぽっと温かくなった映画を思い出した。

堺雅人・宮崎あおい主演で実話を基にした作品だったが、映画を見ながら、わ、鬱病ってこんなに大変な病気なんだ、、と驚いた記憶がある。

それでもどこか、自分とは無縁である、縁遠い病気であるという様な線引きをしていた。

 

日経記事中の”妻”さんは、リモートワーク開始から1年半後、体調を崩して軽度の適応障害と診断された。

幸いなことに家族の支えもあってなんとか回復。

現在は、元気に仕事をしていらっしゃるそうだ。

 

**リモートがコロナ禍で広がって、政府が2021年末に調査をしたところ、大体36%、間接質問という別の質問の仕方をすると40%以上が孤独を感じているという結果が出ました。(日経ビジネス 2022.10.6 動画 )**

 

働く人の4割が孤独というストレスを抱えていて、このまま行くと多くの人が鬱病予備軍になりかねない、と日経さんは警鐘を鳴らす。

脳の科学的なデータから見ても、リモートワークは孤立感を深める要因らしい。

私は、自由気ままに音楽の仕事をやってきた。

対人関係も時間の使い方もほとんど自分の思い通り。

でも、働きたくても仕事がない時がある。

かなり楽観的な人間でないと無理な働き方だと思う、、(笑)。

個人でDTM( Desk Top Music-パソコンで音楽を製作する事 )の仕事を長くやった。

PC相手に朝から晩まで、何日間も誰とも口をきかないなんて普通のことだったが、苦痛でもストレスでもなかったし、むしろ気楽だった。

 

そんな私が、コロナ禍で人と合わない、飲み会もない、仕事もなくて自宅に閉じこもるなんて日がずっと続いて、ある夜突然、精神的にほんとヤバい…と自覚した。

有名人の自殺が相次ぎ、ニュースでも女性の自殺率の増加が顕著になっています、なんて怖いことを言う、、。

得体の知れないものに、寝ながら押し潰されるような恐れを初めて感じた。

 

つくづく、人間の心は脆くて壊れやすいと思う。

そしてもう一つ痛感するのは、人と会って話をする-「うんうん」と相槌を打ったり「え〜、そうなの?」と疑問を言ったり笑い合ったりすることが、いかに大事かと言うこと。

私のちょっとした精神的危機は、身近な人たちとの何気ない触れ合いで事なきを得た。

ムクムクと大きくなりそうだった不安感が、マスク越しではあっても言葉をかわすことで半分になった気がする。

 

こんな小さなことで、人って救われるんだなぁ、と思ったら、感謝の気持ちがわっと込み上げてきた。

この気持ちを忘れないでいようと思った。

 

コロナ禍は最悪だったけれど、得たこともたくさんあって、これはそのうちの大切な一つだ。

貴重な体験だったと思う。

 

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2022年

10月

04日

人として

先月の国葬儀以降、いろいろな所で「人としていかがなものか」とか「人間としてどうなの?」という意見を多く聞いた。

黙祷の時間に合わせるように、太鼓やタンバリンを打ち鳴らしたり大声で叫ぶ人たちがいたからだ。

「人として」とか「人間として」という言葉は、日ごろ穏やかな日本人にとってかなり深刻な怒りの表現だ。

馬鹿とかアホなんてレベルじゃない、なんてとんでもないヤツらか!という事だ。

 

「人として駄目」の先には、「人でなし」という、一度言葉にしたら取り返しがつかないくらいの強い罵りの一語がある。

その一歩手前で止めておくことは日本人の礼節だろう。

 

「人でなし」という言葉は、日本独特な感じがする。

「人でなし」→人ではない、、。

 

西洋文化なら、人間以外はすなわち-神をのぞけば-動物か悪魔か吸血鬼等の怪物になる。

( ホラー好きは、もしかして偏ってる…? )

米映画などを観ていると、「人ではない」と言うセリフは宗教的な意味合いを持つことが多い気がする。

 

それに対して、日本語の「人でなし」に宗教的なニュアンスは全く無い。

日本人が「人ではない」という時、ほとんどが道徳的・人道的な批判だ。

 

昔読んだ『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン著)に、日本人は人間教信徒だと書いてあったのを思い出した。

日本人は無宗教だと言われるが、人間はかくあるべしという強い信仰を持っている、日本人は生まれながらの日本教=人間教の信徒である、というようなことだったと思う。

「人でなし」は、そういう意味では、日本人が無自覚ながら固く信じる教えに反するバチ当たり者・日本教の異端者だとも言える。

 

国葬儀で騒いで、多くの人から「人として」と眉を顰められた方々は、日本人の怒りを重く受け止められた方がいいのではないだろうか?

日本人の心を忘れてしまった方々は、人間教をもう一度学び直したら今とは違う風景が見えてくるのかもしれない、、。

 

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2022年

9月

26日

国葬儀

明日、安倍元総理の国葬儀が行われる。

”あの日”から2ヶ月。

世の中には信じられない言動が溢れていて、悲しいと言うよりぞっとおぞましい気持ちになる。

なるたけそういうものに触れたくないと思う。

一人で静かに、安倍元総理の死を悼みたいと思う。

 

このブログは、私が心の中で考えたこと・感じたことを、ほんとに正直に書くと決めて続けてきた。

だからここで、今の気持ちをちゃんと言葉にしておこうと思う--天国の安倍さんに届くとは思わないが--。

 

******

 

安倍総理、本当にお疲れさまでした。

日本と世界の為に、どれほど頑張って働いてくれたのか、世界中から弔問に来てくださる方々の多さを見て改めて思います。

 

日本がこれほどまでに世界から注目されるなんて、戦後かつて無かった事だと政治ジャーナリストの方が言っていました。

安倍さんが日本のリーダーであったことが、本当に誇らしいです。

そして、その安倍さんが今いないことが、本当に悲しくてなりません。

 

この2ヶ月余り、安倍さんがどう言う人たちと闘ってきたのか、嫌というほど見ました。

普通の神経ではきっと持たなかったと思う、、。

やはり安倍さんは、お祖父さんの血を継ぐ生まれついての政治家だったのでしょうか。

私はそれよりも、安倍さんが日本を良い国にするという気持ちを誰よりも強く持っていたのだと思います。

 

『笑っていいとも!』や吉本新喜劇、マリオや『虎ノ門ニュース』、、。

思い出は尽きません。

お茶目で優しい笑顔が素敵でした。

亡くなった直後、いつもは強面(こわもて)の保守論客の方々が声を上げて泣く姿を見ました。

みんな、安倍総理が本当に大好きだったんだと思います。

私も寂しいです。

 

安倍総理、ゆっくりお休みください。

長い間、本当にありがとうございました。

 

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2022年

9月

18日

メディア

最近、世の中があまりに息苦しい。

シンプルな事をああだこうだと変に捻じ曲げて騒ぐ人たちがいて、本当に疲れる。

何故なんだと思う。

 

つまらない事で悩みたくないので、ストレス解消に本を読んだり映画を観たりしている。

その中で、とても興味深い映画があった。

 

『記者たち 衝撃と畏怖の真実』(『Shock and Awe』米・2017年 )

 

***イラク開戦をめぐる「大量破壊兵器」捏造問題を実話を元に描く。

 〜中略〜 映画ではブッシュ元大統領を始め、多くの政治家たちのテレビでの発言が引用され、その背後で新聞記者たちがどのように考え行動していたのかを描き出している。(Wikipediaより)***

 

2003年のイラク戦争。

アメリカのほとんど全ての主要メディアは、ラムズフェルド国防長官とチェイニー副大統領の嘘を鵜呑みにしたフェイク報道を続け、とうとう米国や同盟国を開戦へと追い込んだ。

アメリカ、ほんと酷い、、。

--『バイス』(『Vice』米・2018年 )はチェイニー副大統領の伝記的映画だが、これを観ると、さらに当時のグダグダさがよく分かる。--

 

アメリカの大手メディアがいかに信用できないかは、2020年大統領選挙でトランプ追い落としの為に何をやったかを見ても明らかだ。

映画『記者たち』で描かれたような真実を追求する記者は、きっと一握りの稀少な存在なんだろう。

 

でも、こういう政治的な映画を撮って、世界で上映して、興行収入まで上げるって、アメリカはやっぱり凄い国だと感心する。

『新聞記者』(日本・2019年)なんてトンデモ映画が日本アカデミー賞を受賞しているのと比べると、レベルが違いすぎてため息が出る、、。

 

アメリカも日本も大手メディアが腐敗しているのは同じだが、一つ大きな違いがあると思う。

それは、日本では多くの国民がテレビや新聞が報道することをまるっと信じてしまうこと。

メディアの嘘がこれまでに散々暴かれてきたアメリカ社会では、さすがに信じる情報弱者は少ないようだ。

 

善良な日本人は、公共の場で大声で主張する人がいれば、耳を貸してしまうのかもしれない。

日々忙しいから、それが嘘か本当かなんて調べる余裕がないのかもしれない。

複数の人が指をさして断定すれば、真実なんだろうと思ってしまうのかもしれない。

 

映画『記者たち』が描いたのは20年前のアメリカだが、アメリカのメディアは全く良くなっていない。かえって後退しているかもしれない。

日本はどうだろう?

真実を追求する記者は生き残れるんだろうか?

 

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2022年

9月

09日

古谷一行さん

俳優の古谷一行さんが、先月23日に亡くなられた。

古谷さんの演じる金田一耕助が大好きだったので、YouTubeにある昔の『名探偵金田一耕助シリーズ』をどっぷりまとめて見た。

 

30代の古谷さんは、とにかくかっこいい。

推理に没頭するとボサボサの髪をぐしゃぐしゃにかきむしり、行き詰まるといきなり部屋で逆立ちをする。

ヨレヨレの袴に下駄を履き、頭のフケは周りの人を驚かす。

探偵事務所はいつも金欠らしく、困り果てた事務のおばちゃんに怒鳴られるし、冴えない外見から初対面の人にはだいたい馬鹿にされる。

 

あれ?

こう書くと全然かっこよくない、、。

もはや”みすぼらしい”と言ってもいい程の金田一耕助氏だ。

 

アガサ・クリスティの探偵-”エルキュール・ポワロ”が、寸分の隙のない洗練された身だしなみで上流階級の社交術にも長けていたのと正反対だし、同じ日本の名探偵-”明智小五郎”のダンディズムのかけらもない。

でも、古谷一行さんの金田一耕助は、確かにかっこいいのだ。

 

天才的な推理力、率直さ、犯罪の前では無私無欲である事が本来の魅力であるとするならば、古谷氏の人懐っこい笑顔と母性本能をくすぐるような茶目っ気が加わった事によって、探偵-”金田一耕助”が見事に完成した。

デビッド・スーシェ氏がポワロを何倍も魅力的にしたのと同様に、古谷一行さんは金田一耕助を日本を代表する名探偵にしたのだと思う。

 

先日の日経ビジネスで、爪をケアする男性専用ネイルサロンの売上が右肩上がりという記事があった。

ふむ、、指先の手入れにまでお金と時間をかけるって事は、全身に美的関心が行き届いているって事か、、。

最近の男性--特に若い男性は、爽やかで綺麗だ。

お洒落も上手だし、人によっては女性より美しかったりする。

汗臭い男などもう絶滅危惧種かもしれない。

金田一耕助のようにフケを撒き散らそうものなら、周りの人は卒倒するんだろう。

 

でも、なんとなく、昭和の時代の男臭さとか男性的な野性味が懐かしかったりする。

”女が惚れる男”、な〜んて古めかしい言葉がふと浮かんだ。

この多様性の社会では「野暮ったい」とか言われるんだろうなぁ、、。

( もしかして野暮ったいも死語か?ww )

 

金田一耕助シリーズを見ながら、今はなき古き良き時代の空気を満喫した。

 

古谷一行さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。

 

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2022年

8月

25日

お盆

コロナの行動制限が解除された3年ぶりのお盆。

親戚への年賀状で、”今年こそお墓参りをします。”と宣言し、お盆は必ず新潟に行くと決めていた。

8月が近づくにつれ、ウキウキワクワク感がどんどん増していった。

待ちきれず、5月にホテルを予約し、1ヶ月前の新幹線予約は受け付け開始と同時に申し込んだ。

準備万端整えて、いざ新潟へ。

 

連日、友人や従弟妹たちと久しぶりに語り合って、ゆっくり楽しい時間を過ごした。

でも、なんと言っても一番のハイライトはご先祖のお墓参りである。

 

新潟市には「西堀通り』という、市を南北に縦断する片側2車線の通りがある。

1番町から11番町まで、歩けば一時間はかかる長い通りだ。

明治5年以前には「寺町通り」と呼ばれていたそうで、その名の通り、通り付近には20寺以上のお寺がある。

13日は朝から夜まで、本当にたくさんの人たちがお墓参りに訪れる。

 

私も、父方のお墓と母方のお墓-遠く離れた2つのお寺を、炎天下、汗だくになりながらお参りした。

境内には、お坊さんの唱えるお経の声、お線香の香り、小さな鐘の音が静かに流れていて、数珠を手に頭を下げると、長らく来なかった事が申し訳なく思えて、「ご先祖さま、ご無沙汰しております。皆さま、そちらでいかがお過ごしでしょう?」なんて私流のご挨拶を心の中で呟いた。

通りを歩きながら、父と一緒に歩いた時のことが鮮明に思い出されて、ふと隣りに父がいるような、昔にタイムスリップしたような不思議な気持ちになった。

 

夕方になって、海の見える霊園にある我が家のお墓にお参りした。

父が購入したお墓で、父と母が眠っている。いつか私もそこに入る。

「また来るね!」

霊園を去る時に声を掛けると、ふわっとひどく懐かしい想いがして、たまらなく父と母に会いたくなった。

 

お盆には、ご先祖さまの魂があの世から帰ってくると言われている。

現代人はほとんどが霊魂の存在を信じないのだろうが、柳田国男が『遠野物語』(明治43年)に書いたような幽霊の話は、今も変わらず普通にあるのだろう。

特に、大事な人を亡くした人々は、事の前後に不思議な体験をすることが多い。

親しい人から何度もそういう話を聞いたし、私自身も両親が亡くなった時に経験した。

 

まさかと気の所為にして忘れてしまうか、一生の大切な出来事として心にしまうか、人それぞれだと思うが、私は霊を信じている。

人間のもう一つの形だと思っている。

 

長らくお墓参りをサボっていたから、ご先祖さまには「誰や、この子は?」と思われたかもしれないが、久しぶりのお盆の帰省は、内向きだった気持ちをたいそう晴れやかにしてくれた。

 

お墓やご仏壇に真摯に手を合わせていると、何となく心が元気になる気がするのは何故なんだろう?

もしかして、一瞬間でも異世界と通じるからではないのか?

もしかしたら、あの世のエネルギーが微量でも流れてくるのかもしれない。

 

、、な〜んてまた、ぶつぶつ考えたりする、、(笑)。

 

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2022年

8月

02日

酷暑

毎日あまりに暑い。

 

スマホに連日、”熱中症危険”の災害情報が杉並区から送られてくる。

今日は9時と10時の2回、外出は控えて運動は中止するように速報が来た。

スーパーに買い物に行くのも恐ろしくなって、朝から一日中、ひきこもった。

近所の八百屋のおじさん、大丈夫かなぁ、、。

 

明日の天気予報を調べたら、最高気温がなんと39度まで上がる!

39度って生まれて初めての経験じゃないだろうか? 

お風呂は40度だし、、。

 

小さい頃、最高気温が36度で大騒ぎしていたのを思い出して、これから地球がどうなっちゃうのか、ちょっと不安になった。

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2022年

7月

23日

保守の人たち

世の中の人を政治的な視点から大雑把に分けるとすると、保守的な人、リベラル的な人、その他政治に興味がない人の3つのグループになると思う。

こういう分け方は日頃考えもしないが、選挙などになると一般的に、保守政党に入れるか革新政党か、も〜めんどくさいから選挙行くのや〜めよ!の三択になり、その他、芸能人やコメディアンなどに面白半分に投票する人は3番目のグループに入るんだろう。

 

2020年米大統領選挙の時に、アメリカ政治についてちょっと詳しくなった。

米国は二大政党制で、共和党は保守、民主党はリベラルとはっきり政策が分かれている。

 

選挙後に陰謀論まで噴出した全米の大混乱について、当時、日本でもたくさんの人がネットで発信していた。

中でも、日本語を流暢に話す多分アメリカ人であろうYouTuberの人の発言が、とても興味深かった。

 

”トランプさんが主張するような民主党側の選挙不正は、多くの共和党支持者が確かにあったと思っているだろう。

でも、保守の人たちの行動は遅い。声を上げるまでに大変時間がかかる。

民主党に押し切られる形で、ことは進んで行くのではないか。( 確かにそうだった。)

しかし、保守の人々は、いよいよ自分たちの生活や信条に危機が及ぶと感じると、徐々に立ち上がって勇敢に闘い始める。

多くの共和党支持者たちが、いつまでも声を潜めてはいないと思いたい。”

 

だいたい以上のような事を言っておられた。

事実、選挙後だいぶ経ってから、いくつかの共和党支持の州が選挙不正について厳格な調査を始めた。

そして今、トランプ共和党の勢いが全米で凄いことになっている。

とうとう保守の人たちが立ち上がったのだ。( まぁ、バイデンさんが酷過ぎたというのもあるが、、。)

 

保守的な人というのは、大体が現状維持を望むから殊更に事を荒立てない、問題点をできれば見ないようにする傾向にあって、殆どの場合で争いを避ける。

日本で、暴動が起きてもおかしくないような政治的な無策がそのまま見過ごされているのは、日本人のほとんどが保守的な考えだからじゃないかと思う。

どんなに革新的な技術が発明され、独創的な文化が流行し、世界が驚くような天才奇人が現れても、一般の日本人は保守なのだ。

各自がしっかりしていれば万事うまく行く、お天道様がいつもちゃんと見ている....みたいな性善説が根底にあって、”自分たちの生活や信条に危機が及ばない”限りは、政治や経済界の闇など知りたくないのだ。

 

安倍さんが非業の死を遂げてから、今までずっと大きな声のグループに立ち向かわず、刃向かわず、全て事なかれで過ごしてきた多くの普通の人たちが、気付き始めた、考え始めたのではないかと思う。

日本で今、何が起きているのか、安倍さんが何と闘っていたのか、、。

 

時間はかかっても、いつか、日本の全部の国民が本当のことを普通に知ることができるようになればいいなぁと思う。

信じた情報が歪んだ偽物だったなんて事があってはならない。

その為に、日本の保守は自分なりの勇敢さで声を上げ始めるのだ。

安倍さんの死を悲しむだけで終わってはいけない、と本当に思う。

 

う、、なんか活動家みたいだな、私、、ww

 

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2022年

7月

10日

あべちゃん

私の母は、世間で言うところの動物的直感とか天性の勘がある人だった。

日頃ぼっとしている私には窺い知れないのだが、母には人の顔つきや所作などから感じ取る何かがあって、瞬時に好き嫌いを判別するらしかった。

まぁ勘違いも多分にあるだろうが、TVに出ている有名人については、私と母の好き嫌いは一致することがけっこうあった。

 

母のお気に入りは、私の覚えている限り、ラミレス氏(元プロ野球選手)と安倍晋三氏だった。

理由は謎だ(笑)。

この二人がTVに現れると、とりあえず名前を呼ぶ。

安倍氏の場合は「お、あべちゃん💕」だった。( ちゃん付けは相当好感度が高い・笑)

 

ただそれだけなのだが、今にして思えばこれがなかなか凄い事なのだ。

実家では、あの”朝日新聞”を長年購読していて、父は安倍さんについて全否定だった。

「あべは駄目だ。」人の悪口は滅多に言わない人が、苦々しそうに言うのを2回ほど聞いた。

( ”朝日新聞”は本当に酷い新聞だ、あんなに賢くて善良な父を嘘で洗脳するなんて、、。)

そんな父の面前で、母は無邪気に「あべちゃん💕」と何回もやるのだ。

父は普通に聞き流していたが、、。

 

母は政治に全く関心がなかったし、安倍さんが総理大臣だという事くらいしか知らなかったろう。

でも、例の”天性の勘”というやつで、この人は良い人に違いないと見抜いたのだ。

私はといえば、安倍さんが日本や世界にとって大切な政治家だったから、そして悪意に満ちたたくさんの敵と闘っていて、最後には必ず勝って欲しかったから、心から応援していた。頑張って欲しかった。

 

安倍元総理の訃報に、ネットでは追悼番組が多数アップされている。    

一つ一つ見ていると、近しい人たちがいかに安倍さんを愛していたかが伝わってきて、本当に切ない。

百田尚樹さんや櫻井よしこさん、花田紀凱さんや小川榮太郎さん、、他にもたくさんの人たちが堪えきれずに泣いていた。

私も泣いた、、。

 

安倍さん、どうぞ安らかにおやすみください。

そして、これからの日本をどうぞ見守っていてください!

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2022年

7月

08日

安倍元首相

信じられない、、。

 

何もやる気がおきない、、。

 

これから日本はどうなっちゃうんだろう?

周りが敵だらけだった安倍さん。その不屈の闘志は信じられないくらいに凄かった。日本の為に闘ったのだ、、。

 

残念で悔しくてならない。

 

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2022年

6月

28日

脳疲労

ネットで、”脳疲労”という言葉を見た。

ほ〜、”脳疲労”、、。どれどれ、、。

 

「スマホの使い過ぎが習慣化すると、情報のインプットが多すぎて「脳疲労」の状態に陥り、脳の情報処理機能が低下してしまいます。」(大正製薬情報サイトより)

 

私の場合、スマホはそれほど使わないが「PCでYouTubeの見過ぎ」がかなりヤバいかもしれない。

 

昔、TVだけが情報源だった頃は、地上波が一方的に流す嘘かほんとか分からない話を”疑うことなく”信じていた。

そのうちインターネットをやるようになって、TVや新聞のいい加減さにほとほと嫌気が差し、恐ろしささえ感じるようになった。

今では、情報は自分から探す。

その結果、ネット依存状態になっているのだ。

 

興味のあるワードを検索すると、たくさんのサイトが次から次へと現れる。

だんだんと確度の高い情報の見分け方も分かってきて、正しい知識・新しい知識を得ることが快感になる。 

情報量に歯止めがかからなくなる。

カタパルト、相互主義、カルダシェフスケール、M理論、、でもさ、こういうのって生半可に知ってもしょうがないんじゃないの?

でも面白い、、。もっと知りたくなる、、。

 

2020年、大波乱のアメリカ大統領選。

あの時は、数ヶ月に及ぶ苛烈な情報戦に疲れ果てた。

コロナ自粛もあって、一日中「PCでYouTube」が続きそのうちに「何やってんだ?あたし、、」となった。

しばらくYouTubeと距離を置こうと決心した。

まさに”脳疲労”だった。( よその国の事に何もそこまで…笑 )

 

気を付けないと、またやっちゃいそうだ、、。

もうこれ以上情報入れるのやめて!と、私の脳が半泣きしている絵がふっと浮かんだ。

可哀想に、、。ごめんよ、、。

脳に筋肉痛でもあれば気付いてあげられるのにね。

 

少しの間、何も考えずに意識的にぼっとしようと思った。

まずは、ビル・エヴァンスを聴きながら散歩かな、、。

レシピ探して美味しい料理ってのもいいな、。

久しぶりにポワロかホームズ、あ、金田一耕助も捨て難い、、。

 

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2022年

6月

20日

お上のなさる事に

先日の『虎ノ門ニュース』で、日本のエネルギー問題を特集していた。

今話題の”上海電力”だけじゃない、国家の危機のような問題がいくつもあって、ほんと大丈夫じゃないよね?と不安になった。

特に気になったのは、国を挙げて進めている再生エネルギー政策のせいで、日本の企業が負担する電気代が、世界から見てもとんでもない高さになっていること。

これは、他の国なら暴動が起きてもおかしくないレベル、、とコメンテーターの加藤康子さん(産業遺産情報センター長)が言っておられた。

だいぶ前に、YouTubeの某チャンネルで聞いたことを思い出した。

日本のサラリーマンが払っている税金・社会保険料などの義務的支出は、なんと収入の40%以上になっているのだとか、、。

こんなに異常に上がっているのに、なぜ誰も怒らないんだ!と発信者の方は憤っておられた。

 

そう、日本の国民は大人しい。

大抵の日本人は、抗議はしてもむやみに暴れたりしない。( 危ない○○主義とかヘンテコ○○思想に取り憑かれない限りは。 )

居酒屋で「ふざけんなぁ、こんな会社、辞めてやる〜!」と盛大にくだを巻いても、翌日はきっちり出社してちゃんと仕事をする。

まぁ諦めがいいというか、やり過ごす術(すべ)を知っているというか、、。

 

森鴎外の小説で『最後の一句』という短編がある。

実際の事件を基にしているのだが、その中で十六歳の少女いちは、無実の父親を処刑しようとするお上に対して、自分や弟妹たち四人が親の身代わりになると申し出る。

誰かの入れ知恵を疑う取調べ役がいちを拷問で脅そうとするが、少しも動じずに”最後の一句”を言うのだ。

 

「お上の事には間違はございますまいから」

 

wikipediaなどを読むと、この言葉はいちの反骨心とか反抗心を表していて、作者鷗外の心情とつながると解説している。

この頃の鴎外が、官僚批判の気持ちをためこんでいたのは事実だろう。役人気質や組織に対する不満は我慢の限界だったと思われる。

でも同時にこの言葉は、一般庶民が抱く正直な気持ちでもあったんじゃないかと私は思う。

社会の中に、お上のなさる事に間違いはないという無邪気な信頼が普通にあったのではないか。

だからこそ逆に、少女のちょっとした言葉に驚きたじろぎ、批判と邪推して反発や憎悪すら感じる、そういう矜持を失った役人たちを、鴎外は憎んだんじゃないだろうか。

 

日本社会では、普通の人はあまり政治に関心を持たない。

上に立つ人たちはちゃんとやってくれるだろう、と漠然と考えていて、よく言えば”国を任してきた”のだ。

私も、総理大臣なんて誰がなってもたいがい同じ、とずっと思っていた。

2009年までは、、。

 

悪夢の民主党時代がやってきて、あれあれ?と思う間もなく2011年東日本大震災が決定打となった。

政治が国を滅ぼすかも、、と日々ゾッとした。

あの時の経験を経て、日本の一般庶民は「お上は間違いをやらかすものだ」と考えを改めたのだ。

 

エネルギー政策や税金問題。

今までのように何となくやり過ごしていると、近いうちにとんでもない事になってしまうかもしれない。

日本が落ちぶれた国にならない為に、関心を持ってちゃんと見ていかないといけない。

政治が急速に信頼を失いつつある、、。

 

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2022年

6月

09日

渋谷

ひと月に1回か2回、渋谷のライブハウスでピアノを弾く。

西武新宿線で高田馬場へ、それから山手線に乗り換えて渋谷まで十数分。

ハチ公前のあまり広くない改札口から一歩街に踏み出すと、どっとエネルギーの波が押し寄せてくる感覚がいつもある。

有名なスクランブル交差点前の広場で、スマホ片手に写真を撮り合う若い人たちのワクワク感が、目に見えるような塊となってぐいぐい押し寄せてくるのだ。 

先日は、ロシアのウクライナ侵攻に抗議する大集会に偶然出くわした。

主催者が「こんなに集まると思わなかった」と驚いたそうだが、例えばLGBTとか日本の防衛費増を訴えてここまで盛り上がるとはちょっと想像できない。

渋谷に集まる大勢の若者たちが、何処に目を向けているのか、シンプルに考える先のもの、興味のあるものが街の顔になっている気がする。

 

渋谷はまさに若者の街、おばさんにとってなかなかハードルが高い。

今時ファッションに身を包んだ大勢の男女の波をかき分けかき分け道玄坂小路のお店に行く途中、気が付けば俯き加減でせっせと歩いている。

ん〜、気持ちでがっつり負けてる、、(苦笑)。

 

それでも渋谷は好きな街だ。

エネルギーの波に翻弄されるのも悪くない。

なにより、心が浮き立つような笑顔がたくさん見れる。

 

もう一つ。

あのくらい若い時、あたし何考えてたかなぁ、、なんてふっと思うことが楽しい。

ライブハウスで飲んじゃってほろ酔い帰り、ぽわ〜っと昔の自分を思い出してふふっと笑うおばさんは、誰かが見たらかなり不気味に違いない、、(笑)。

 

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2022年

5月

26日

カンディンスキー

カンディンスキーのA4版ポスターを2枚買った。

額に入れて白い壁に掛けたら、ちょっと気持ちがウキウキした。

カンディンスキーの絵はだいたいが何を描いているのか分からない抽象画なんだけれど、眺めていると何故か嬉しくなる。

不思議な音が頭の中に聞こえてくる。

空間をワープして見知らぬ世界に行けちゃうような気がしてくる。

この小さな高揚感は、昔『未知との遭遇』を見たあとの気持ちに似てなくもない。

いつから彼の絵が好きになったんだろう。

 

昔、創元推理文庫にどっぷり浸っていた頃、イギリスの警察ものだったか--作品名もストーリーも思い出せない--ある犯罪捜査の手掛かりになっていたのがカンディンスキーの絵だった。

作中で何度も繰り返されるその名前が気になって、どんな絵なんだろうなぁ...と思っていた。( Googleのない時代だ。)

その後、何年もすっかり忘れていた。

 

ある日、渋谷の文化村ミュージアムにゴッホ等の有名な画家と一緒にカンディンスキーの絵がやって来た。

そう言えば、、と思い出して渋谷に出かけた。

 

絵を見るのは好きだけれど、画家の名前はほんの数人しか知らないし詳しくない。

その日も、カンディンスキーにそれほど期待していた訳ではない。

美術館に入って、いろいろな絵を見ながら--時々立ち止まったりして--ゆっくりぷらぷら歩いていたら、不意を突くように突然、巨大な抽象画が目の前に現れた。

まったく、予想以上に大きかった。

--Kandinsky『Multiple Forms』  (1936年) 97cm/130.5cm--

 

黒く塗られたキャンパスの上に、ごちゃごちゃと得体の知れない物体が多数うごめいていた。

絵の大きさに圧倒されながら、「こりゃいったい何?」と戸惑った。

 

少し落ち着いて眺めていると、何やら楽器のような物がそこかしこに見えて来て、そのうちに頭の中に笛みたいなヒュー、ポーという音、竪琴のポロロンみたいな音が聞こえてくる気がした。

そう、得体の知れない楽器のような物が、それぞれ横揺れ縦揺れ(笑)しながら音を出しているのだ。

 

面白い絵だなぁ…。

にやっとしながらずいと近づいて見てみると、輪郭のラフさというか、絵筆のスピード・勢いに驚いた。

緻密に繊細に描いているのかと思いきや、軽快に大胆に、少々はみ出ても気にしない、スイングしながら描いたのか?と疑うほど、絵全体が躍動していた。

 

ふぅ〜っと息を吐いて、誰かとこの感想を言い合えたらいいのに、と思った。

絵を描いている人と-カンディンスキー氏と-時空を超えて空気を共有しているような、何と言うか、ただ単純に嬉しい気持ちを誰かと話せたらいいのに、、と思ったのだ。

 

こう書きながら、あの時の気持ちが昨日の事のように蘇った。

文化村で見たカンディンスキーの絵は、音楽そのもののようだった。

空気を伝わる旋律がキャンパスの上で踊っていた。

 

部屋の白い壁に掛けた小さなA4版の絵を振り返って見た。

こんな絵のような音楽を、いつか弾けるようになりたいなぁ、と思った。

スイングしながら軽快に大胆に、少々はみ出ても気にしない、でも緻密に繊細に美しく、、。

 

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2022年

5月

18日

UFOは実在?

今日の産経新聞。

米下院情報特別委員会の小委員会で17日、UFOに関する公聴会が約50年ぶりに開かれたそうだ。

「説明のつかない事実だが、実在するものだ。調査する必要がある。」と委員長が強調した。

 

ここ数年、米国ばかりか日本の防衛省絡みでもUFO関連のニュースを度々見るようになって、ブログでもその都度、感想を書いてきた。

UFO好きとしては当然なんだが、最初にニュースを目にした時は感激のあまりウルウルした。

とうとうこの時が来た、、。

 

地球外生物、それもめっちゃ知的な異星人がいるかもしれないというのは、創元推理・SF文庫で育った私にとって、もはや常識(笑)と言っていいくらいの信念になっている。

ただ、エリート異星人たちがなんで地球くんだりまでやってくるのかという点については謎なのだが、まぁいろんな事情があるんだろう、地球人があれこれ推測してもきっと計り知れない。

これからどんな凄いことが起きるんだろう?

私が生きているうちだといいなぁ、、。

ところが、産経新聞の記事をさらに読むと、、。

”米CNNテレビは、(UFOに関する)不明現象の解明に取り組む背景には、ロシアや中国が米国の把握していない次世代技術を開発している可能性への懸念があると伝えた。”

 

え、そっち?

 

ん〜、まだ時期尚早だったか、、。

 


ロズウェル事件(1947年7月)から75年。

半世紀以上の間、UFOの存在はニセ科学やカルトとして世界から切り捨てられてきた。

今、ようやく、実験兵器かもしれないしそうじゃないかもしれないという科学的な段階に進んだとも言える。

 

世界中で目撃されているUFO。

どんどん最先端技術で調査研究してほしいと思う。

願わくば、うちの近所にもこっそり出現してほしい、、。

 

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2022年

4月

28日

鴎外没後100年・特別写真展

朝からちょっとドキドキしていた。

ネットで千駄木駅までの乗り換え案内を調べながら、一人ニヤニヤした。

さぁ出発!と部屋の鍵をかけると、もうウキウキして足元がフワフワした。

今日は文京区千駄木の”森鴎外記念館”に行くのだ。

 

今年1月23日の産経新聞の記事「おかっぱ頭、とびっきりの笑顔...没後100年 鷗外の素顔 展示相次ぐ」-特別展『写真の中の鷗外 人生を刻む顔』-を見た時から行きたくてたまらなかった。

3ヶ月も引き延ばしたのは、自分の中に心配事や悩み事や鬱憤や不満、そういう嫌な気分がない時に行こうと思っていて、でも開催終了の4月17日が目前に迫ってきてしまい、自分の煩悩の多さはもうこれは仕方のない事なのだと諦めた。

そして今日決行に至ったわけだ。--4月16日に書いた記事--

 

、、書いたものを読んで、なんだこれ?と思って吹きそうになった。

まるで初恋の人に会いに行く乙女だな、、(笑)。

 

展示会は盛況で、地元の方々が多いような気がした。

鷗外と観潮楼(鴎外の旧居)は千駄木で愛されているんだなぁと思った。

幼少時から亡くなるまで、たくさんの写真と手紙等をじっくり見た。

以前、鷗外の顔が一生の間にずいぶん変わったように見えるというような記事を書いたが(2021/2/21『鷗外の顔・大統領の顔』)、これは多分、鷗外を知る人、研究する人みんなが思うことなんだろう。

展示会を企画した記念館の塚田副館長さんもこうおっしゃっている。

「鷗外は、親にもらった顔のままではいけない、人生は自分で作るもの、運命は変えられると、誠実に伝えているよう。優秀でエリートといわれる鷗外も努力でコツコツと歩んできてこの顔が作られたことがわかります」

 

ドイツ留学時、鷗外が手紙に添えて送った写真を見た親弟妹たちは「ドイツ人のようだ」「ビスマルクのようだ」と大いに驚いたらしい。

日清・日露戦争の従軍時の写真もまるで別人のような顔つきだ。

 

鷗外の鋭い感性は、目まぐるしく変遷する明治日本と世界を、そして愛する妻と子どもたちを間近で真っ直ぐ見つめ、感受した。

明晰な頭脳は、あらゆる分野の夥しい情報を効率的に整理し、縦横柔軟に思考した。

鷗外の顔は、その結果なのだと思う。

 

今回、明治時代に撮られた白黒写真をカラー化するという新技術が使われていた。

今まで資料などで見慣れた写真が、驚くほどリアルに感じられて感動した。( 全部の写真をカラー化してほしい ^ ^ )

 

記念館を出る手前の所に、鷗外の等身大パネルが置いてあって、”鷗外と一緒に記念撮影ができるコーナー”になっていた。

誰か撮ってくれないかなぁとキョロキョロ見回したが、やってくれそうな人が見つからないのと気恥ずかしいのとで、後ろ髪を引かれる思いで帰ってきた。

たっぷり3時間、鷗外三昧で幸せだった。

駅までぼっとしながら歩いた。

ジャニーズ・アイドルの追っかけおばさんたちも、たぶんこういう気持ちなんだろうなぁ....と思った。

 

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2022年

4月

12日

プロパガンダ

インターネットは嘘も本当も玉石混交、さまざまな情報と意見が大量に投稿されている。

見る人は慎重であるべきで、ある程度の勉強や知識がないと、すぐにあらぬ方向へ連れて行かれてしまう。

最初にちょっと疑ってかかった方がいいのかもしれない。

 

そうは言っても、ここ数年、テレビ・新聞などの大手メディアの偏向ぶりには心底辟易しているので、ネットがいかに真偽ごちゃ混ぜの場であろうと、ここに頼るしかないと思っている。

困るのは、ある一つの事実を伝える報道に対して、対立する真逆の見解や情報が次々にネットに溢れて収拾がつかなくなる場合だ。

どれが正しいのか、私のスペックを完全に超えてお手上げになってしまう。

 

例えば、2020年のアメリカ大統領選挙の時は本当にもの凄いカオスで、何を信じたらいいのか途方に暮れた。(当時のブログを読み返したら、自分のグシャグシャっぷりに笑った、、。)

日本のメディアはいつも通りほとんど報じてないみたいだけれど、現在、アメリカでは驚くような事実が暴かれつつある。

政治の中枢でこんな事が、、。大手メディアまで加担した大スキャンダルだ。

でもこれはまだ、一つの国の中の一握りの人たち、限られた勢力が行った不正だ。

 

今、露国とウクライナの戦争では、どちらの国も相手がプロパガンダを行なっていると非難している。

どちらかがより大きな、深刻な嘘をついているのだ。

国ぐるみで、国を挙げて嘘を言っているのだとしたら、なんて恥ずかしいことだろう。

国民を代表する国家が、国民だけでなく世界まで騙そうとしている、、。

なんだかなぁ、、。

改めてまじっと考えた。

日本の周り、そんな国ばっかじゃん、、。

 

日本はよく、ちゃんとした外交ができない国、自立できない情けない国とか世界で揶揄されるけれど、国際社会に対して、少なくとも誠実であってほしいと思う。

日本国民である事が恥ずかしいとか、絶対に思いたくないのだ。

反日を声高に叫ぶ国を居丈高に説き伏せるとか、利益をこっそり狙う国を裏から出し抜くとか、そんな事はたぶん、日本外交はしないしできない。

少々の我慢で事が済むのであれば、という姿勢で相手のとんでもない非礼にも礼儀正しく接して来た。

そういう真っすぐな国でこれからもあってほしい。

狡いことをしない国、法を守る国であってほしいと思う。

 

でも、ウクライナのニュースを見ていて、世界は無茶苦茶だなぁ、、と嘆息する。

プロパガンダ、フェイクニュース、諜報戦、、。

日本、大丈夫かぁ?

 

きっと、今のままではもういられないのだ。

大国の利益優先や謀略が渦巻く世界の中で生き抜いていく為に、日本はどう変わっていくんだろう?

誰が先頭に立って引っ張っていってくれるんだろうか?

 

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2022年

4月

02日

目は口ほどに、、。

一年半前には、ちょっと外出というと大体いつもマスクを忘れていた。

そのまま電車に乗って、冷たい視線にはっとするってのを何回やったことか、、。

今では、家のドアを開けると同時にマスクというのが習慣になっている。

化粧は適当でいいし( なんならスッピンでも? )、楽チンと言えばそうなんだけど、どうも全体シャキッとしない。

離れた所から挨拶されてもほとんど誰かわからないし、向こうも多分そうだろう(笑)。

 

一つ気が付いた事がある。

顔全体を見ていればそれほど気にならなかったであろう相手の微妙な感情--例えば『わ、いやだ』『え〜、それ変だろ』『ちょっと無理無理、、』みたいな一瞬の気持ちが、マスクの上に二つの目しかない状態だと、なぜか怖いほどわかってしまう。

もし口元がにこにこ笑っていたら見逃していたかもしれない本当の気持ちが、はっきりと見えてしまう。

まさに「目は口ほどに物を言う」のだ。

マスクで鼻と口が隠れているからと油断するのかもしれない。表情が見えないのだから気持ちまでバレないだろう、と。

でも、目は口元より融通が利かないのに本人にその自覚がない。

だからたくさんの言葉よりストレートに気持ちが伝わってしまうのだ。

 

そんな正直な気持ちはあまり知りたくないし、伝えたくない。

早くマスクが無くなればいいと思う。

化粧もバッチリ、シャキッと気合いを入れて街に出掛けたいなぁと切に思う。

春なんだし、、。

 

表情のない街はもう本当にうんざりだ。

しゃべったり笑ったりって、今さらなんだけど素敵なことなんだと思った。

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2022年

3月

19日

戦争 -Part2-

「大将が馬鹿だと兵隊がいっぱい死ぬんだ。」

 

亡くなった父が、いつだったかぽつっと言った。

太平洋戦争の話だったか今はもうまったく思い出せないが、その言葉だけ妙に頭の中に残っている。

戦争の実感がないのだから、その言葉にも「ふ〜ん、まぁそうなんだろうな、、。」くらいの感想だったんだろう。でも、その酷さ(むごさ)だけは強く感じた、だからずっと忘れなかったんだと思う。

 

今朝、ウクライナのニュースを見ながら、父の言葉をふっと思い出した。

今、たった一人の大将が、たくさんの人を死なせているのだと思った。

 

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2022年

3月

07日

戦争

ロシアがウクライナに戦争を仕掛けている。

周りの国々は世界大戦に拡がらないか戦々恐々としている。

世界中が反対しているのに、誰も独裁者を止めることができない。

 

日本は平和憲法があるから軍事面ではほとんど何もできない。

防弾チョッキを送るくらいで国内少数勢力が大騒ぎする。武器に触っちゃいけないと大声で言う。

 

数日前、YouTubeで百田尚樹さんの『日本国記』動画を見た。

<鎌倉時代編>第8回、元寇の時に鎌倉武士たちがいかに勇敢に、めっちゃめちゃ死に物狂いで戦ったかを識った。

あれ? 神風がピュ〜っと吹いたおかげと学校で教わったけど、、。

今でも歴史教科書では、北条時宗や武士たちの功績は一切教えないらしい。

日本は、モンゴル帝国の撃退に成功した世界唯一の国である--こんな誇らしい事実が、戦後もずっと伏されてきた。

戦うことは悪である、という論理は、日本を静かにさせておきたい世界の大国たちにとってよほど都合が良いらしい。

 

東アジアの小さな島国は、明治の開国以来、富国強兵政策の下(もと)あっという間に軍備を増強し、清国を破り露国を降伏させた。まさかの大勝利だ。

でもその結果、利権や植民地を得て、国際的にややこしい事になっていく。

太平洋戦争で無謀にも米国と開戦し、神風特攻隊や硫黄島の戦いで米兵を震え上がらせ神経を病むまでに追い詰めたので、米国や世界に「なんなんだ、この国は〜!」と思わせてしまった。(→『菊と刀』)

こんな危ない国に二度と軍隊を持たせたらあかん!と、戦勝連合国はお互い頷き合ったことだろう。

 

元寇の鎌倉武士団、幕末の尊王攘夷派、太平洋戦争の玉砕覚悟の戦い、、。

国土を守ると決意した日本男子の勇猛果敢な戦いぶりは、モンゴル人も英仏人もアメリカ人も、さぞや驚いたに違いない。

日本人は、つい77年前までそういう民族だった。

今でもその文化的DNAは残っているだろうか?

 

ウクライナの人たちが女性も老人も武器を持つ姿を見て、国を守るとはどういう事か考えた。

命懸けのリーダー、一致団結して戦おうとする国民。

遠い異国の話だとはとても思えない。

在日ウクライナ人のナザレンコさんが、以前から何度も『虎ノ門ニュース』で警告していた。

「日本も危ない。」

 

日本は、厄介な外交問題を複数抱えている。

どの国もとてもとても話が通じる相手ではない。( 会談でも会見でも、いつも必ず上から目線なのはどうして? ほんと謎だ。)

「力による現状変更」を目の当たりにしても、軍事専門家たちが「今のままでは国を守り切れない」と訴えても、日本の社会は相変わらず呑気だ。

 

今更ながら、ぞくぞくしてきた。

私如きがぞくぞくしても、何一つ変わらないんだけれど、、。

 

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2022年

2月

27日

天は自ら助くる者を助く

ウクライナ侵攻に対する欧州各国の対応を見ていて、まさに「天は自ら助くる者を助く」だなと思った。

ウクライナは国を挙げて抗戦している。少年も女性も老人も。

誰かが、終戦間際の日本みたいだと言っていた。

ロシアの劣勢を見て、ということもあるんだろうけれど、各国はすぐに降参すると思っていたウクライナの決死の抵抗を見極めた。

そして徐々に助けの手を差し伸べ始めた。

 

自分の国を守るのは、国民の義務であり使命だ。

「9条が助けてくれる。」「アメリカが助けてくれる。」と言い続ける日本が軍事侵攻の危機に陥った時、はたして世界は助けてくれるんだろうか?

まさか....と思うのは、たぶんウクライナ国民も同じだったろう。

 

国防やエネルギー政策のこと、ちゃんと識ろうと改めて思った。

 

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2022年

2月

25日

ウクライナ侵攻

世界は何もしないんだろうか?

クリミア、香港、ウイグル、チベット、モンゴル、、。

国連安保理の常任理事国にロシアや中国が入っているなんて、それがどんなに変テコなことか、世界中が知っていたのに何もしてこなかった。

「戦争は絶対にいけない、平和が大事。」「武器を持っちゃいけない、話し合いで解決できる。」

大声で叫んでいた人たちは、この現実を見て何を思うんだろう、、。

 

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2022年

2月

18日

オリンピック

2月4日から開催中の北京冬季オリンピック。

日本人選手たちの健闘が日々報じられているが、ネットでは、競技以外の運営や審判などについて様々な問題が連日伝えられ、驚くやら怒るやらで毎日なかなか忙しい。

まぁ、中国だしね、、なんて半ば諦めていたら、いきなり東欧ウクライナが大変なことになって世界中が大騒ぎだ。

 

今、オリンピックなんだけど、、。

 

このオリンピックの為に何年も頑張ってきた選手たちが、本当に気の毒でかわいそうでならない

オリンピックって「平和の祭典」じゃなかったの?

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2022年

2月

16日

ポリコレ -Part4-

昨年のことになるが、世間に吹き荒れるポリコレ旋風についてあれこれ書いた。途中で自分の経験をあれこれ書き始めたら、考えがあっちこっちぐしゃぐしゃになって一時中断。すっかり忘れていたが、最近、フェミニストがどうしたこうしたというニュースをよく見るようになって、あぁそう言えば、、とポリコレ-特に女性と社会について、もう一度考えてみたくなった。

 

時間を置くと、物事が客観的・俯瞰的に見えてくる。

私が言いたかったのは、西欧が持ち込んだおかしな価値基準に日本は合わせる必要がないという事かな....と思った。

 

日本は、奥さんが財布のひもを握っている珍しい国だ。

江戸時代には、夫に三行半を書かせる妻も普通にいた。

そして、日本の主婦は世界に誇るべき”社会の宝物”である。

 

気ままな一人暮らしをしていた私が実家に帰ってほんの一年半、親の介護をしながら主婦の真似事をしてあることに気がついた。   

ご近所の普通の奥さんや既婚の従姉妹たちが、「もうご飯作るの飽きた!」と文句を言いながら、ちょっとずつうまく手を抜きながら、たまに趣味や習い事に熱中しながら、旦那さんやお義母さんの愚痴をこぼしながら、それでも見事に家事をこなし家庭を守っている。

どこにでもいる一般的な主婦が普通に凄いのだ。

私に完璧に主婦の適性がない分(笑)、余計に驚いたのかもしれない。

 

料理や掃除、家族の生活全般、諸々の段取りの計画、ご近所や親戚との付き合い等々、子どもがいる家庭ならその作業リストは何倍にも増えるだろう。

そして、その仕事は高い能力を必要とする割りに、社会的にはあまり評価されない。

フェミニストたちが問題にするのはそういうところか?

 


女性は社会に出て働け、社会で輝け、と盛んに言われるが、最近の20代女性は専業主婦が人気らしい。

東京大学で教えている外国人女性が、自分の教室の女子生徒に将来就きたい職業について尋ねたところ、多くの学生が「専業主婦」と答えてショックを受けた、という話をどこかで聞いた。

東大を出たならどこの組織でも出世できるはずなのに、なんで家事労働などやりたがるんだ? という西欧人らしい反応だが、日本でカリスマ主婦が脚光を浴びている事実を彼女はきっと認めようとしないだろうし、それが西欧社会の価値観なんだろう。日本はきっと特異な国なのだ。

( 料理のレシピ本、掃除のスキル本がこれほど大量に出版されている国は世界で日本だけらしい。)

 

会社の取締役や政治家になって活躍する女性は、もちろん社会にとって貴重な存在だ。

でもそれ以上に、家庭を守る主婦-主夫が過小評価されることがあってはならないと思う。

家庭は、子供が育ち守られる場所、外で頑張ってきた家族が戻って休息する大切な場所だ。

家庭も社会と同じくらい、精神的にはもっと重要な場所じゃないだろうか?

そこを運営するのが主婦-主夫であり、改めて、日本の主婦は世界に誇るべき”社会の宝物”なのだと思う。

 

そもそも、社会で活躍する能力と主婦として発揮する能力は、性差でなく適性で語られるべきだ。

家事能力に優れた男性もいれば、政治家に向く女性もいる。

女性でも主婦に向かない人はいるし、政治や経済に全く適性がない男性もいる。男女分けて考えるのは、身体的な特性を考慮しなければいけない場合であって、殊更に組織内の人数や割合にこだわるなんてまったく変な話だ。

( どこかの国際組織が毎年、日本を女性の権利後進国にランク付けする。政治家や企業幹部に女性が少ないからとか、、。)

 

その仕事をやりたい人、向いてる人がなるたけ希望通りに働ける社会が良い社会で、日本は西欧社会に何を言われようと、どう注文を付けられようと、正しい方向に進んでいってほしいなぁと思う。

 

ここ数年、ポリコレがさらに複雑で難解な問題になってきている。

アメリカでは国家が分断されかねない危険状態だ。

保守的な人たち-サイレントマジョリティ-が、アメリカでも日本でも、少しずつ声をあげ始めている。

 

このまま黙って見過ごしていたら、、。

 

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2022年

1月

30日

お餅 -Part2- 年末のこと

年明けのニュースで「NHK紅白歌合戦、視聴率が歴代最低」が話題だった。

驚くニュースではなかったが、TV離れ・NHK離れはもう止まらないんだな、としみじみ思った。

 

昭和の頃の大晦日は、「紅白歌合戦」を家族みんなで見て「ゆく年くる年」が始まると近くのお寺で除夜の鐘....というのが定番だった。

今の家庭は、各部屋全てにTVがあるとか、うちのようにそもそもTVを置かないとか、TV以外に楽しむ選択肢がたくさん増えて、年末の定番なんてものはすっかり無くなってしまった。

 

小さい頃の私の年末といえば、ただただのんびりまったり過ごした。

友だちに数枚の年賀状を書いてしまったら、あとはもう何もやることがない。

学校の宿題も、冬休みは大したことがないのだ。

本を読むか何時間も続くTV大型時代劇をぼっと見るか、みかんを食べるかコタツで猫と一緒に丸くなるか、、、。

大雪が降った朝は、父が雪かきをするどすっどすっという音を聞きながら、窓から一面にキラキラ光る雪景色を眺めていた。

( スコップが一本しかないからお手伝いはしないのだ、、w )


大晦日まであと数日という日の夕方、近くの商店の人が、威勢のいい掛け声とともに大きなのし餅を届けてくれる。

会社が年末休みに入った父が玄関先まで出て受け取ると、あらかじめ部屋に敷いておいた見開きの新聞紙の上にどすんと置く。

ついさっきお店でついたまだ柔らかいお餅で、全体に白い粉が薄くまぶしてある。

父は、台所から包丁を持ってくると、たてよこ目分量できれいに切り分けていく。

私はそばに控えていて、切った端から中くらいのボール紙箱にぽんぽん入れていく。

お正月のお餅はこれで準備完了だ。

 

父のお手伝いでもう一つ覚えているのは、日本間の障子の張り替えだ。

私は古い障子紙をバリバリ破くだけの”簡単なお仕事”なのだが、父は、刷毛で桟(さん)に水のりを塗って、真っ白な障子紙を順々に手際よく貼っていく。  

父は何でも器用にやる人だった。

( 新潟には「手先が器用でマメな」を表す”はつめ”という方言があり、父はまさしく”はつめな人”だった。)

明るくなった日本間に冬の弱い日光がさしこんで、一仕事終えて座る父の横顔が、胸の奥に懐かしく浮かんだ。

 

大晦日。父も母もまだ忙しく働いている夕方に、「みち、先に風呂へ入ってしまえ。」と言われる。

大晦日の夜にお風呂に入るのは、特別な儀式のような気分があった。

お風呂から上がった後に待っている年夜(としや)のご馳走のせいもあったが、明日から”新しい年”が始まる、みんな新しくなるのだと湯船の湯気のなかで思うと、ぼうっとわくわくして嬉しかった。

 

この小さな”特別な気分”は、大人になってからもずっとあった。

東京で一人暮らしをするようになっても、大晦日の夜は、お風呂に入りながらいつもと違う感じがした。

さすがに”わくわく嬉しい”というのではないが、あらたまる気持ちというかけじめの気持ちというか、、。

 

いつから、それがなくなってしまったんだろう?

なんとなく新年、ずるずると年が明けて、、。

長い間に少しずつそうなりつつあったところへ、コロナで急激に拍車がかかったかもしれない。

 

2022年もひと月、過ぎてしまった。

遅ればせながら、去年とは違う”新しい気持ち”になろうと思う。

流れていく時間に、自分なりのけじめをつける方法を考えてみようと思う。

 

ここが独り者の頑張りどころ、、か?(笑)

 
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2022年

1月

16日

お餅

お正月ということで、年末に”サトウの切り餅”を買い込んだ。

 

”サトウの切り餅”は、1月2日のYouTube動画で豊島区議くつざわ氏が絶賛していた。

「乾燥した餅はよく焼かないと硬いもんなんですが、どういう製法がなされているのか、カラカラに乾いているように見えて焼くとみずみずしい”サトウの切り餅”。技術の進歩と感心しましたぁ。」

 

販売しているサトウ食品は、新潟市に本社がある。

殺菌包装餅”サトウの切り餅”は試行錯誤の開発の末に発売されたエポックメイキングな製品だったと、ビジネス系のネット記事が解説していた。

( うぅ、誇らしいなぁ、、新潟には注目されている製造業の企業がたくさんある。)

毎年、当たり前のように何も考えずに食べていたが、改めてすごい技術なのだとくつざわ氏と一緒に感心した。

 

ふっと、昔のお餅を思い出した。

小さい頃に食べたお餅は、こんなにあっさり食べやすいものではなかった。

もっと、ずっしりもっちり噛みごたえ十分で、サイズは面積・厚さ、ほぼ1.5倍はあった。

 


父も母も私も、元旦から3日まで毎日4〜5個は食べたと思う。

保存のきく食品でなかったせいもあるが、全員が大食漢だった。

母はあんこのお餅が大好きで、最初からあんこで豪快にぱくぱく飛ばす。

私と父はそれを横目で見ながら、お雑煮からデザートのあんこ餅へとオーソドックスなコースで行く。

 

我が家のお正月の食卓を思い出していたら、他にもいろいろと浮かんできた。

 

うちの家族は、食事において母だけいろいろと違っていた。

とうもろこしの食べ方、イチゴの食べ方、トマトの食べ方、お寿司の食べ方、、。

もはや違う文化圏というか、、(笑)。 

 

母ははなから人に合わせる気のない人だし、父は面白がって見ているようなところがあった。

私はというと、特段父の真似をしようと思ったわけでなく、気がついたら自然と父と同じ食べ方になっていた。

父が母の食べ方について何か言ったとか記憶にないが、お寿司の時だけ、醤油をタプタプつけるのを注意していた。

きっと母の健康を心配したんだろう。

魚だけは、三人が三人とも骨だけ綺麗に残して食べた。

 

もし、私に兄弟姉妹がいたら、家族の食卓はどんなだっただろう。

3人が同じ食べ方だったか、それとも2人ずつに分かれていただろうか。

空想したら、元気な母が言いそうな台詞が次々浮かんできて、一人でニヤニヤしてしまった。

 

***Part2に続く***

 

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2022年

1月

07日

大雪

昨日、東京に大雪が降った。

スマホに、杉並区から”大雪警報”の通知が届き、『避難場所を確認する』のファイルまで添付されていて驚いた。

 

大雪が降ったと聞いて何故か嬉しさがこみあげてくるのは、新潟に生まれ育ち、今は太平洋側に住む人間特有の郷土愛と昔を懐かしむ感傷のせいか、、。

どれどれ、どのくらいの大雪なんだい?

いてもたってもいられず、まるまると着膨れて外に出た。

 

「わぁ、これ新潟じゃん。」

ざんざん降る雪の様子が、過去に何回か見たひ弱な東京の雪とまるで違っていた。

逞しい本気の降り方だった。

スキップしたい気分で商店街に行くと、近くの保育園の子どもたちが先生と一緒に外に出ていた。

キャッキャと歓声をあげながら走り回って大騒ぎだ。

うんうん、わかるよ、その気持ち、、。

 

いつも行く八百屋さんの前に行くと、まだ4時過ぎというのにもう店じまいをしていた。

「早いね。」と声を掛けると、「これ以上(雪が)降ると、(野菜を積んだ)トラックが坂登れなくなるからね。」おじさんは残念そうにちょっと笑った。

ついでにスーパーに寄ったら、店から出てきた人たちが雪景色を眺めて「こりゃ凄い!」と叫んでいた。

どのくらい積もるかなぁ、とちょっとワクワクした。

 

今朝、起きてベランダに出たら、昨日の雪が手すりの上に綺麗に積もっていた。

「へ?これだけ?」

 

なんか拍子抜けして笑ってしまった、、。

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2022年

1月

02日

2022年

明けましておめでとうございます🎌

 

今年は寅年。

猫好きな私には、なんとなく親しみがわくというかそれだけで嬉しいというか、とても喜ばしい年の初めです。

今年一年、元気で明るい年になりますように。

寒い日が続きますが、健康に気をつけて、どうぞ良いお正月をお過ごしください。

 

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2021年

12月

31日

一年が早過ぎるんだけど、、。

亡くなった父がよく言っていた。

「坂道を転がるようにというが、まぁビルの屋上から真っ逆さまだな。」

歳をとると月日の流れが早いというのは誰もが言うことで、私も最近は、2階か3階から落ちるくらいの危機感は感じている。

 

ところが、2021年は破格の早さだったと思う。

ライブハウスのママさんも、パン屋のおかみさんも八百屋のおじさんも、みんなが「なんかあっという間だったんだけど、、。」と驚いたように言う。

ついこの間「今年は良い年になるといいね。」なんて言い合っていた気がするのだ。

 

今年はオリンピック・パラリンピックがあったし、大谷選手のMVP、ワクチンの世界規模の接種もあった。

私が精魂使い果たしたwアメリカ大統領選挙の余波、手に汗握る自民党総裁選の高市さん大躍進、皇室問題、災害や事件、、、こう振り返ると、なかなか波瀾万丈の一年だった。

 

なのに、あまり実感がわかない。

時間がすっと通り過ぎていったような、地に足がついていない感じというか、、。

 

時間軸が歪んだのだろうか?(笑)

私に限って言えば、昨年末のアメリカ大統領選挙の衝撃があまりに強く、後遺症のように気持ちがどんより鈍くなっているというのはある。

そして、これはたぶん、コロナ自粛で人間関係が希薄になったせいだと思うが、考えることの対象が、部屋を居心地良くするとか私自身の心の中のことに狭まってしまった。

社会や世界の出来事が、まるでPCモニターの中に綺麗に収まっているかのように見えて、毎日の生活が妙に現実味がなく、ふわふわした感覚がある。

日々の時間の流れを現実としてちゃんと捉えていないから、一年が途轍もなく早かったんじゃないだろうか?

 

「そういうのを歳をとるって言うんだよ〜ww」なんて声が聞こえそうだ。

うぅ、、そっか、、そうかもなぁ、、。

まだまだビルの屋上から落ちたくないものだ。

 

*今年もブログを読んでいただき、ありがとうございました。

2021年は、人と接するということがどんなに大切で嬉しいことか、骨身に染みた一年でした。

来年はいろんな人と会っていろんな話をしたいと思っています。

みなさま、どうぞ良いお年を!

 

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2021年

12月

23日

偶然

自民党・岸田政権がグダグダだ。

私がネットで知っている保守の論客たちはほぼ全員、批判を通り越して呆れ心配している。

同盟国アメリカのバイデン民主党もやっぱりグダグダで、示し合わせたわけでもないだろうに日米、奇妙な偶然だ。

( それを言えば、トランプ大統領の時に安倍首相だったことは、日本にとってこの上ない幸運な偶然だった。)

 

政治の現場はきっと計算通りにいかないことの繰り返しで、老獪な政治家に「政界一寸先は闇」と言わしめるほど、先が読めない混沌とした世界なのだろう。

数え切れないほど大小様々な偶然が重なった結果、世界が動いて行く。

ほとんどの国民が政治や国家に無関心でも、ちょっとした出来事がきっかけで歴史が大きく変わるような政変が起きたりする。

そう考えると日米政権のグダグダさのシンクロはちょっと心配だ。次は何が起きるんだろう?


ふと、あることを思い出した。

1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災。

日本が途轍もない危機に見舞われ、政治がなんとしても頑張らないといけない非常時に、どちらの時も素人のような政党が政権を担っていた。

なんという不運! 元寇の時の北条時宗のような政治家はついに現れなかった。

 

世界を見守る大いなる意志があるとすると、どうも人々の幸福にあまり関心がないような気がする。

偶然なのか試練なのか?

邪悪な”遊び心”、、ぼんやりとした霧のような”悪意”、、。

 

思いついた妄想に思わずぞっとした。

 

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2021年

12月

16日

ライフステージ

( 9月24日の記事『Farewell for a while』の続きです。)

 

ライフステージの意味をネットで調べてみた。生命保険会社のCMやHPで時々目にするけれど、私には関係ないんだろうと思っていた。

 

 **ライフステージとは、年齢にともなって変化する生活段階をいいます。

就学、就職、結婚、出産、リタイアなどのライフイベントを経過しながら、それぞれのステージで家族構成や家計などが変わります。

(不動産・住宅情報某サイトより)**

 

なるほど、、。

就学、就職までは良しとして、その後の結婚、出産、リタイアなどのライフイベントを(幸か不幸か?)経過しなかったから、つまり一般的なライフステージは私の人生に無かったってことだなぁ…(笑)。

 

それでも一つ、私にとってもの凄く大事なステージがあったと思う。

両親の介護をしながら新潟で過ごした1年半。

階段の途中の踊り場みたいに短い期間だったが、信じられないような経験をたくさんした。主に霊的・精神的な面で。

あの時に思ったこと、感じたこと、考えたこと、贈られた宝物のような1年半を、絶対に忘れないようにしようと思う。

 

さて、大学を卒業してからずっと、音楽の仕事をしてきた。

YAMAHA(財)に数年いた後は、今に至るまでフリーランスだ。

コロナで開店休業中だが、リタイアするつもりはないし、ピアノは死ぬまで弾き続けたいと思っている。

 

最初はエレクトーン、それからシンセサイザーに夢中になって、キーボードプレーヤーとして仕事をもらえたのは本当に幸運だった。

アレンジや作曲、PC打ち込み制作の仕事も楽しかったし、譜面は山のように書いた。

3日徹夜とか普通だったが、我ながらよく頑張ったと思う。

いつも背伸びをして、目の前の仕事をこなすのに無我夢中だった。

 

仕事をしながら漠然と感じたのは、みんな自分の中に”本物”を持っているという事。

プロだから当たり前なんだが、音楽に対する評価がいつも相対的である状況で、自分の中に絶対性の軸を持つということはとても覚悟のいることで凄いことなんだと思う。

そういう人たちと一緒に仕事をすることは誇らしかったし、自分もいつかそうなりたいと願った。

私の仕事はだいたい余裕がなく、いつもギリギリ状態だったが、それは私の中に”本物”が無かったからだったと思う。

ほんの少しの達成感、功名心とお金、、。

いつも何か小さな目的のために寝る間を惜しんでいたような気がするのだ。

 

音楽が好きだ。

でもその音楽は、何か私を表現するものとか、やむにやまれぬ音楽への愛だったか?

 

コロナ自粛の2年間。

否応無しに一人っきりでピアノと向き合う時間が積み重なっていって、朧げながら、私にとっての”本物”が見えてきた。

 

何を大事にするか、自分らしさって何なのか?

 

若い頃の夢だったことが現実になりつつある。”本物”を見つけること。

でも、、。

本音を言うと、もっと早くに見えてほしかったよ、、(笑)。

 

ライフステージ=年齢にともなって変化する生活段階--そう考えると、私のライフステージも緩やかに次の段階に入ったようだ。

今までとは違う目標を見ている。

ちょっとワクワクしている。

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2021年

11月

28日

祝『三匹が斬る!』

今日の午後、YouTubeをぷらぷらしていたら、「『三匹が斬る!』第01話 (1987年)」を発見。

思わず「おぉ〜!」と叫んだ。

最近の投稿らしいのだが、画像が綺麗でとても数十年前のTVドラマとは思えない。

ネットでタダで三匹が見れるなんて、技術の進歩に感謝して涙が出た。

 

『三匹が斬る!』は、高橋英樹の「殿様」、役所広司の「千石」、春風亭小朝の「たこ」の三人が主人公の痛快時代劇だ。

『水戸黄門』ですっかり興味を失くした時代劇ファン--つまり私みたいな...--を、斬新で心憎い演出と素晴らしい役者さんのキャラでぐいぐい惹きつけた。

言わば、TV時代劇の金字塔のようなシリーズなのだ。

シリーズ終了後、続、続々、また又、新、ニュー、、とどんどん新しいシリーズに突入して、次はなんだい?と面白がっていたが、ある日突然とんでもない終わり方をして、「らしいなぁ、、。」と妙に納得したことを思い出す。 

 

改めてドラマを見て感じたこと。

高橋英樹さん、役所広司さん、春風亭小朝さん、みんな凄まじく若い(笑)。

まぁ当たり前なんだが、特に高橋英樹さんの立ち姿が惚れ惚れするほど美しくて、刀を腰に差した日本の侍のなんと凛々しいことか、最近のイケメン俳優など及びもつかない。

ストーリーはいつもの勧善懲悪ものなんだけれど、個性豊かな三人が醸し出す雰囲気が快く魅力的で、愛さずにいられない。

殺陣も、なんか全然違うんだよなぁ、、。

 

昔の時代劇はやっぱり良い。

これからしばらく『三匹が斬る!』が見れると思ったら、ほくほく小さな幸せに浸ってしまった。

 

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2021年

11月

20日

大谷選手

昨日、虎ノ門ニュースを見ていたら、番組途中で「大谷翔平、米ア・リーグMVP受賞!」の速報が入った。

いつもはちょっとシニカルな理論派・高橋洋一教授が、子供みたいに手を叩いて大喜びだった。(なんか可愛かった・笑)

 

野球といえば、私の世代では『巨人の星』な訳で、”どんなに練習が辛くても意地と根性で乗り越える”みたいな、汗と涙の塩辛いイメージなのだが、大谷選手はレモンスカッシュの甘く爽やかな香りが漂うようだ。

気負いのない、開けっぴろげな笑顔を見ていると、『巨人の星』世代の私たちとは隔絶した( 進化系ではない )全く新しい日本人のような気がしてくる。

夏の東京オリンピックでも、そういう軽やかな空気を纏った若い選手が何人もいた。

凄いなぁ、最近の若者、、。

驚き感心するというより、高橋教授のように手を叩いて喝采を送りたくなってしまう。

 

自分を信じる強さと、自分を楽しむ陽気さ。

 

数十年後、彼らが日本の社会--スポーツに限らず、教育や経済、もしかして政治の世界で活躍するようになったら、日本はどんなふうに変わるだろう?

そう考えたらワクワクしてきて、地球人が火星人になる日よりもずっと楽しみになってきた(笑)。

頑張って長生きしようと思った、マジで。

 

日本人選手の受賞は2001年のイチロー氏以来なのだそうだ。

イチロー選手がアメリカ大リーグで大きな話題になっていた頃、ライブハウスのお客さんにぽそっと言われた。

 

「田崎さんの顔ってイチローに似てるよね。」

 

これってどういうことなのか、いまだに謎なんだが、、。

 

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2021年

11月

09日

王様の耳は、、。

10/31の衆院選。予想に反して自民党が安定多数を確保した。

うちの選挙区はちょっとややこしく、ネットで候補者の公約をふむふむと比較検討したりして、いつもより慎重に考えた。

 

国防、経済安全保障、土地取得規制、スパイ防止法、ITや原発、ウィグル・チベット・モンゴルの人権問題・移民問題、、。

日本も世界も、ほんと大変だ。

でも選挙の結果を見たら、なんかみんなちゃんと考えてた--オールドメディアに惑わされず。

国民一人一人がそれぞれ考える。程度の差こそあれ、なんとなくではあっても自分なりの意見を持った人が多かったんだろう。

 

政治についてはいろんな意見があって、話題としてとてもデリケートだ。

公共の場で発言を避けた方が無難だし、大人のたしなみでもある。

仕事場や友人たちとのおしゃべりなんかで調子にのって「野党は〜」とか言ったりすれば、間違いなく”面倒臭い人”と思われる。

 

私の場合、気を付けないといけない、本当に。

ふとした拍子にスイッチが入ってしまう。美容院やエステ、お酒がちょっと入ったりとか、良い加減にリラックスするとカチッと、、(笑)。   

 

たまに、政治に限らず、思うこと、考えていることを全部吐き出したくなる。

頭の中でぐるぐるしている事を滔々と、誰にも邪魔されずに語りたくなる。

「王様の耳はロバの耳〜!」と古井戸の底に向かって叫んだ人は、本当のことが言いたくて言いたくて、さぞ日々悶々としていたことだろう。

今の時代なら、YouTubuに覆面動画アップしたかも。会員限定サイトかなんかで、、。

 

改めて考えてみるに、私はどうも、意見を発表したり自分を理解してもらいたいのではない。

思っていることがポロポロと出てきてしまう時があって、言わないでいい事を、どういうわけかとても熱心に話してしまうのだ。

賛成して欲しいとか議論したいのでもない。

ただ、話したい、、。

まぁ、周りが迷惑するだけなんだが(笑)。

 

思ふこと言わでぞただにやみぬべき

 我とひとしき人しなければ(『伊勢物語』)

 

在原業平氏の気持ちがちょっと分かるような気がした。

 


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2021年

10月

27日

真子さんの結婚

10月26日、小室圭さんと秋篠宮真子さまの結婚記者会見が開かれた。

ニュースを見ながらふっと、若かりし頃の私の大恋愛を思い出した。

 

もう本当に大昔の話だ(笑)。

その恋が破れた時、いっそ死んでしまいたいと思い、傷だらけになった心が癒えるまで何年もかかった。

努力すればたいがいの夢は叶う、叶わなかった夢は、そもそも自分にとってあまり大事なことではなかったのだと割り切れてしまう--我ながら笑っちゃうぐらいのポジティブシンキングなのだが、唯一、恋愛だけは自分の思い通りにいかなかった。

胸が張り裂けそうな悲しみというものを、その時初めて知った。

 

私の恋は、残念ながら周りの人たちがあまり賛成してくれなかった。

「どこがいいの?」

友人に聞かれ、言葉に詰まった。

もし結婚しても、不幸になりそうな要素満載の彼だったのだ。

でも、愛しているという一つの事実だけが他の一切を圧倒し、心の中で黄金の塔のように聳え立った。

どんなに”忠告”という敵軍が攻めて来ようが揺らぐことはない。

愛さえあれば一生生きて行けると固く思い込んでいた。

 

今、振り返ってみて、あの時の友人たちの忠告は正しかったなぁ...と思う。

人生の分岐点で、正しい方向を選べた(不本意だったが・笑)と思っている。

 

真子さんを見ながら、あの時の自分が重なって見えた。

一途さ、頑固さ、自分と彼だけを信じて突き進む強さ( 愚かさ? )、、。

まぁ、眞子さまは皇族という重い責務を背負われていて、世間の批判はその事を重視した結果ではあるのだが。

 

私と違って、彼女の恋は見事に成就した。

何十年後、彼女は何を思うのだろう?

 

日本国民として、お二人が幸せな人生を送られることを心から願わずにいられない。  

 

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2021年

10月

17日

謎の日本人

10月16日、東京都のコロナ新規感染者は66人だった。

この一ヶ月、あれあれっと思う間もなく感染者数が減り続け、人流と感染拡大はあまり関係なかったんじゃないかという声が政府閣僚からも出て来た。

ネットでは、海外の人たちが「なんで日本の感染者は急に減ったの?」と不思議がっていて、海外メディアも日本の感染者減少を「謎の激減」として取り上げ、分析しているようだ。

 

そもそも、日本のコロナは”さざなみ”だった。

世界の感染状況グラフなどを見ると、まさに”さざなみ”と表現するしかない程度だったが、そう発言した知識人はマスコミなどから総バッシングを受けた。

感染拡大初期に著名人が複数亡くなり、これから日本もニューヨークのようになると言う専門家が現れたりして、日本国中が心底震え上がり、パニックに陥った。

何がどうなっているのか、憶測や怪情報が駆けめぐる中、国民は生真面目に自粛を守り、マスクをつけ、ワクチンを打った。

そして、よく分からないが、急に感染が収まってきた。

 

そろそろ、政府や医療機関で検証が始まるのだろう。

ネットでは既に、専門家がいくつか意見を出している。

 

どうして日本は”さざなみ”だったのか?

どうして急激に減ったのか?

 

専門家の言うワクチン、マスク、季節のせい、、みたいなことでは、なんとなく納得できない。

マスク、手洗いだけで、あれだけの死亡者数の差が出るんだろうか?

ワクチン接種が進んだイスラエルでは、今、感染爆発が起きている。

日本はワクチン接種も遅れ、ロックダウンもなかったのだ。

 

私のようなSF好きは、不謹慎にも『アンドロメダ病原体』(1969年 マイケル・クライトン著)を思い出してしまう。

(amazon.co.jpページより)

ウィルスはどこから来たのか?

どこかの国の軍事的研究が関係しているのではないか?

邪悪な資本家の思惑は絡んでいないか?

日本人の体質が感染を防いだのではないか?(『アンドロメダ病原体』では体液のpHだった。)

 

秋の夜長、怪しげな陰謀論をあれこれ考えてみる、、(笑)。

 

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2021年

9月

30日

日本国第100代総理大臣

今回の自民党総裁選はネットでも大盛り上がりだった。

いろいろな動画やコメントを見ていると、たくさんの政策通の人たちが高市さんを熱烈に応援していた。

相変わらず大手メディアが伝える世論とは別世界の感があり、流石にTVって変だな....と気付く人が増えるんじゃないかとちょっと期待している。

 

昨日の選挙では岸田文雄新総裁が誕生した。

高市さんじゃなくて残念だが、きっと彼女は岸田内閣で重要なポストに就いて、今以上に力強い国家観を磨いていくに違いない。

それに100代より101代の方がある意味、切りがいい気がする。

『101匹わんちゃん』『101回目のプロポーズ』だってハッピーエンドだし、、(笑)。

 

高市さん、また日本の為に頑張って下さい!

岸田総理を支えて、日本を”より良い国”にして下さい。

 

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2021年

9月

24日

Farewell for a while

先月末、セッションで一緒に仕事をしていたTくんがぽつっと言った。

「しばらくセッション、ライブの活動を休みます。」

「え?いつまで?」

「ちょっとまだ分からない。」

「、、。」

 

大好きなベーシスト、音楽性を尊敬しめっちゃ信頼していたTくんだったのでパニクった。

う〜、マジかぁ、、。

 

あれから一ヶ月。

急遽、今月20日にトリオライブを企画し、私のめそめそした気持ちに一応の区切りをつけることができた。

 

ライブが終わりTくんと電車で一緒だったのだが、隣りに座った彼が、

「ライフステージが変わる時が来る。」と静かに言った言葉が妙に胸に残った。

”ライフステージ”かぁ、、。

そう、全ての人にその時が来る。

今まで考えたことがなかった。いつも”これから先のこと”しか見えてなかったから、、(笑)。

 

という訳で、今更ながら、自分の”ライフステージ”についてちょっと整理してみようと思った。

 

***次回に続く***

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2021年

9月

12日

高市さん

9月8日、高市早苗さんの総裁選出馬表明の記者会見。

終了間際のトンデモ記者のヤジ(笑)まで2時間近く、しっかり見た。

最後まで飽きずに見た....と気付いて、我ながら驚いた。

しっかり考え抜かれた政策と柔らかな物言い、揺るがない信念が真っ直ぐな顔つきに表れていて、保守派が待ち望んでいた政治家が満を持して表舞台に出てきたという感じだ。

優れた政治家に女性も男性もないと思うけれど、それでも同じ女性として、誇らしいしめちゃ嬉しい。

日本初の女性総理大臣が誕生するかまだ分からないけれど、この総裁選がきっかけになって、モヤモヤ〜ボヤ〜ッとした政治の世界が少しでもシャッキリすると良いなぁと思う。

                                (産経ニュースより)

アメリカが頼りない国になってしまって、日本は近いうちに否応なしに正念場を迎える。

こういうタイミングで高市さんのような政治家が総理候補になったことは、日本にとってまさに僥倖なんだと思う。

トランプ政権の時の安倍首相といい、「日本、ツイてる…。」って気がした。

 

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2021年

8月

31日

精神的緊急事態

2011年に起きた東日本大震災。

あの時、東京もかなり揺れて、私は棚からバラバラ落ちてくるCDを両手と足で押さえながら、一人「ひえ〜!」と叫んでいた。

その後、福島原発で事故が起きて、日本国中が放射能の恐怖に怯えた。

私の知り合いにも「東京は危ない!」と言って沖縄に引っ越した人がいる。

私は毎日、インターネットで情報を探した。

( TVを持っていないせいもあったが、当時の民主党政権のダメダメぶりに、”大手メディアにすっかり騙された”感が強かったのだ。)

 

原発事故が、今どういう状況なのか、放射能の影響はどれくらい及ぶのか、そもそも放射能被害とは何か。

インターネットで情報をとるという作業をそこまで一生懸命にやったことがなかったけれど、しばらくすると、ネット世界の景色が表面的であれざっと観えてきた。

扇動的なもの、フェイク、偏った記事がたくさんある。

発信者の経歴まで辿らないと信じていいか分からない情報や、極端に意見が分かれている場合もある。

でも、少なくとも鵜呑みにしない覚悟で見れば、今まで知らなかった様々なことを劇的に知ることができた。

 

民主党政権の内情、災害派遣の自衛隊の活動、海外の真摯な調査報道、日本の報道のお粗末さ、、。

 

以来、国内外の政治・社会ニュースは、ほとんどネットでチェックするようにしている。

ここ数年の”森友・加計問題”、”韓国海軍レーダー照射事件”、”2020年米大統領選挙”等々、ネット情報を追うことで、自分なりにある程度の真実が見えたと思っている。

もちろん間違っているかもしれないが、私の信じる真実だ。

TVのコメンテーターよりは余程マシなんじゃないかなぁ....(笑)。

 

ところが、ここ最近、そんな淡い自信が木っ端微塵になっている。

日本中がコロナ・パニックに陥ってあらゆる情報が錯綜し、ネット記事もYouTubeも、何を見てもさっぱり分からない状態なのだ。

国の出すコロナ関連のいろいろな数値さえ疑わしく見え、科学者やお医者さんの間でも様々な問題について意見が分かれている。

 

いったいどれが本当なんだ?

何を信じたらいいんだ?

 


挙げ句、猛暑や大雨に気を付けなさいと、毎日スマホに防災速報が来る。

今日は『犯罪や事故に関する注意の呼びかけ』が来た。

区内で自転車の盗難が止まらないのだそうだ。

 

う〜、これは、本当に本当に”精神的”緊急事態だ!

こういう時には「みんなで飲み会」が一番効くんだが、、(涙)。

こうなったらもう、ピアノの"やけ弾き”だ -.-。

 

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2021年

8月

24日

仁鶴さん

8月17日、3代目笑福亭仁鶴さんが亡くなられた。

 

ずっと以前、仁鶴さんの落語を目の前で聴いたことがある。

私が昔、J-popのバックバンドでキーボードを弾いていた頃の事だ。

関西ツアーの移動日に、バンドメンバーと一緒に大阪なんば花月劇場に遊びに行った。

”パチパチパンチ!”のおじさんの生の迫力にびっくりし、舞台の芸人さんと客席のおばちゃんの爆笑級のボケツッコミに「さすが大阪は違うなぁ。」としきりに感心していると、トリが仁鶴師匠だった。

落語はずっと好きだったから、いろいろな落語家さんの噺はTVやCDで聴いていた。

でも、その時の仁鶴さんの落語は、演目は覚えていないのに何故かはっきりと心に残っている。

はっきりとした滑舌、絶妙な間の取り方、ずっしりとした声の響き、呼吸、、そういう要素が全部一緒になって、まるで一流の音楽を聴くようで新鮮な驚きだった。

 

今、こうしてJazzを演奏するようになって改めて思うのは、あの時の仁鶴さんの落語は優れたアドリブ演奏の極意だったんじゃないだろうか。

音色、粒立ち、端正なリズムの流れと”間”、、。   

忘れられない思い出だ。

 

心からご冥福をお祈りします。

 

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2021年

8月

11日

コンビニおにぎり

東京オリンピックが閉会した。

日本選手の活躍がマジで凄かった。

コロナ禍で練習も思い通りにできなかったろうし、一年の開催延期、繰り返される中止議論や誹謗中傷の嵐の中、選手たちの心の強さとプレッシャーをものともしないひたむきさを思って、胸と目頭が熱くなった。

本当にお疲れ様でした!

そして、大会関係者の方たちの努力と誠実な献身、世界中から感謝の声が殺到しているそうです。

 

数日前にネットニュースでこんな記事を読んだ。

『東京オリンピックの取材のため来日した、カナダの公共放送局「CBC」の記者デビン・ハーロウさんが、連日セブンイレブンへの愛を表明し、話題になっています。』

 

デビンさんはTwitter上で、セブンイレブンのおにぎりやコーヒー、スナック、スイーツなどをこれでもか〜というくらいに褒めていて、愛しっぷりがあまりに微笑ましかったのでみんなが拡散したのだ。

ローソンだってファミマだって美味しいんだぞ!と一人意地悪く突っこんでいたが、コンビニのおにぎりで”ある事”を思い出した。

15年くらい前になるか…。

実家のある新潟に毎月2回、高速バスで通っていた頃のことだ。

( 高速バスは、停留所が私が普段使う西武新宿線沿線にあるので、乗り降りが新幹線より格段に便利で料金は半額以下。乗車時間はちょいと長いが、私はそれほど気にならなかった。懐かしいなぁ、、。)

 

その日、下落合駅近くのバス停から乗り込むと、私の指定席に特大のキャリケースがドンと置いてあった。

驚いてウロウロしていたら、近くに座っていた初老の女性の持ち物だと判明。

少し離れた席に座っていた20〜30代くらいの青年が謝ってどけてくれたのだが、女性はたぶん青年のお母さん、二人の会話から中国の人らしかった。

高速バスでは乗客の荷物をトランクに預けられるので、なぜ彼女が車内に持ち込んだのか謎だったけれど、結局、キャリケースは別の席に置かれた。

 

お昼時になって、周りの乗客たちはお弁当を取り出したりコンビニの袋を開けだした。

ちらっと見ると、中国のお母さんはコンビニのおにぎりパッケージに四苦八苦している。

私は彼女の肩を軽く叩いて、1 のテープをこう引っ張ってと、と言葉が通じないから手真似で教えようとした。

お母さんはちょっと顔をこわばらせ、無言でテープを引っ張ってそのまま背を向けてしまったので、2 と 3 の説明ができずにしまった。

迷惑だったんだなぁ、、と少し悲しかった。

 

ずいぶん昔の出来事だ。

あの時は、言葉が通じないせいだと思っていた。

 

今、中国は世界第二の大国だ。

米国に険悪な挑戦を仕掛けて自由世界の各国が警戒している。

そして私たちは、多くの中国人が日本人は悪い人と信じていることを知っている。

中国は巨大な反日国であることを知ってしまった。

 

15年前のあの日、中国人のお母さんはきっと、日本に着いた時から疑心暗鬼でいっぱいだったのだ。

周りの日本人がみんな悪人に見えていたのかもしれない。

だから、特大のキャリケースを盗まれないように無理にでも車内に持ち込んだのかなぁ、と今更ながら思う。

 

でも、ついでにこんなことも思い出した。

途中の停留所で親子が降りる時に、息子さんがぎこちない日本語で「どうもご迷惑をおかけしました。」と、ぺこっと私に頭を下げたのだ。

彼は、本当に申し訳なさそうに、そしてとても誠実そうだった。

 

あの親子は今、中国にいるのだろうか、日本にいるのだろうか。

東京オリンピックを見ながら、拳を握って応援しただろうか。

中国選手の活躍を誇らしく思い、感動しただろうか。

そして、お母さんは、日本は本当はとても良い国なのだと知ってくれているだろうか?

 

 

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2021年

7月

31日

東京オリンピック -Part2-

東京オリンピックは連日連夜、選手たちの奮闘が伝えられている。

日本はびっくりするほどのメダルラッシュで、毎日嬉しくて誇らしくてたまらない。

今回だけはTVがないのが恨めしいが、ある人が「ライブで見ていて、あまりにハラハラドキドキして息が止まりそうになる!」と言っていたから、ネットで結果だけを知る方が精神衛生上、良いのかもしれない。

完全な負け惜しみなんだが、、。

やっぱり、東京オリンピックは開催されて良かった。つくづくそう思う。

 

この一年半、世界が共有してきたもの、それは正体不明のコロナウィルスの恐怖、疑心暗鬼と心の萎縮だ。

日本では、殊更に不安を煽ってネガティブな情報しか伝えないメディアとノイジーマイノリティが本当に酷かった。

もううんざり、いい加減にしてくれ、と事あるごとに思った。

 

賛否両論、いろいろな躓きもあったけれど、今この瞬間、世界はオリンピックを共有している。

真摯なスポーツ精神と感動の涙、自分の国家を愛する気持ちをみんなが共有している。( 一部の人たちを除いて…。)

 

これって素晴らしいことじゃないだろうか?

日本がその発信源になっている。なんて栄誉なことだろう!

 

満身創痍になりながらも開催にたどり着いた、なんとか世界のアスリートたちのための舞台を創り上げた関係者たちの努力と踏ん張りは察するに余りある。

非難の声より、感謝の声が圧倒的に大きいのは当然のことだ。

世界の心ある人々は、この困難な時期に敢えて開催することの意義を共有している。

 

そして、ネットでポジティブな情報を発信し続けた人たち( 発言のせいで政府要職を辞めざるを得なくなっちゃった人までいる o_o )もまた、陰の功労者だと思う。

彼らのおかげで、作られた世論の異常さを知った人が、私を含めてきっとたくさんいる。

 

日本の社会は、オリンピックを契機にして、少しずつだけれど良い方向に歩き出すような気がしてならない。

パラリンピックが閉会するまで、選手たちの活躍を心から応援したいと思う。

 

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2021年

7月

22日

東京オリンピック

もうすぐオリンピックが始まる。

呪わしいコロナの影響で全方位から逆風が吹き荒れ、土壇場でまさかの無観客、開会式直前まであちこちに問題が噴出してまさに傷だらけ、満身創痍の東京オリンピックだ。

ここまでくると、もう次に何が起きても驚かない気がする。

 

8年前、2020年夏季オリンピック開催地をめぐって、東京はトルコ・イスタンブール、スペイン・マドリードと激しく競った。

2013年9月8日の朝、IOC総会の投票で東京が選ばれたことを報じるニュースが流れた。

テレビ画面の中で、安倍前総理や滝川クリステルさん、多くの関係者の方々が抱き合い、天を仰ぎ、涙を流して、いつもは冷静な日本人-政府関係者まで-が全身で湧き上がる喜びを表していた。

私も、あんまり嬉しくて「よっしゃ〜!」と心の中でガッツポーズをした。

 

今朝、あの時のことをふっと思い出した。

昔のブログを読み返して、そして、やりきれない気持ちでいっぱいになった。

 

あれから何年もの間、オリンピック代表選手たちは死に物狂いの努力を重ねてきた。

とてつもないプレッシャーに押し潰されそうになる時もあったに違いない。

それを乗り越えて、自分を信じて、目標に向かって黙々と頑張ってきた人たちだ。

その挑戦の舞台の幕がもうすく開く。

後悔なく、持てる力全てを出し切ってほしいと心から思う。

その場にはいれないけれど、たくさんの国民が注目し見守っていることをどうか忘れないで。

 

東京オリンピックを全力応援します!

頑張れ、日本!

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2021年

7月

04日

読みが長い漢字

ちょっと前に話題になったニュース。

 

『宮内庁長官、天皇陛下は五輪ご懸念と拝察』

とんでもない長官だ -_-;  驚いて憤慨した。竹田恒泰氏も”ポンコツ!”と批判しておられた。

でもどうせこれ、メディアお得意の切り取りなんじゃないの?

まぁ、それはそれとして、記事を読みながら全く別の事を考えた。

 

「詔」って「みことのり」と読むのかぁ、一文字ですごいなぁ、、、。

ほんのり感激した。

さっそく、”読みが長い漢字”をネット検索してみた。

 

「志」こころざし、「承る」うけたまわる

ふむふむ、格式高い雰囲気がそこはかとなく漂う、、。

 

「糎」センチメートル、「竰」センチリットル

へえ、漢字で書くとこうなるのね、、。

 

「艤」ふなよそおい

初めて聞いた、、。意味は出航の準備をすること。

 

「鯢」さんしょううお

山椒魚は知ってるけど、、。

 

調べると、どんどん凄いのが出現。

 

髪が少ない様  ハゲと言うより趣きがあります。

 

きょろきょろ見回す  字というより絵のような、、。

 

牛の歩みが遅い  そのまんまですな。


だんだん凄すぎて意味不明になってくる。

 

骨と皮とが離れる音  どんな音? 想像すらできない、、。

 

物陰から急に飛び出して人を驚かせる時に発する声  

これって「わっっ !! 」かな?


漢字はファンタジーワールドだ。

たった一つの文字に、古代の習俗や情景、その他たくさんの意味が込められている。

文字の歴史を勉強する事は、きっとどんなゲームよりもスリリングでアメージングに違いない。( ゲームというと急に英語になる ww)

 

個人的に面白いと思う漢字が「姦しい」。

女を3つで”かしましい”( =大変にやかましい )。

最初にこの字を作った人が、女のお喋りに心底閉口している顔がぼっと浮かんで、大昔の中国人をとても身近に感じてしまう。

 

それにしても、日本に漢字が残っていることは先人たちのGood Jobであったとつくづく思う。

韓国もベトナムも漢字を廃止したが、同音意義語にずいぶんと苦労しているはずだ。

日本は漢字のおかげで、効率よく文章を書ける。

孔子だって老子だってそのまま引用できるし、橋と箸を説明する必要もない。

 

平仮名・片仮名と一緒に使えば、まさに”鬼に金棒”だ。

漢字しかなかったなら、片時も辞書(スマホ?)を手放せないだろうし、学生時代は漢字テストで明け暮れ、西欧の人名や地名、哲学や科学などの学術語まで全部漢字で表記しなくてはならなかったろう。

 

昔の政治家や官僚・知識人は先見の明があったし、日本の為にと思う気概がきっとずば抜けていた。

そうでなかったら、極東の小さな島国がここまで発展しただろうか?

 

、、最近、ネットで話題のニュース。

 

・中国による人権侵害を批難する国会決議を、大物政治家が握り潰した。

・日本の多くの政党や政治家が、中国共産党100周年を称える祝電・メッセージを送った。

・国が支給するコロナ対策給付金を、経産省キャリア官僚が詐取した。

・一部の大手メディアは、捏造が既にバレているにもかかわらず、まだ世論を無責任に煽ろうとしている。、、等々。

 

日本、大丈夫かぁ?

ポンコツは宮内省だけじゃない。事件はそこらじゅうで起きてるんだ!

 

”読みが長い漢字”を検索しながら誇らしく膨らんでいた気持ちが、ペシャンコに潰れてしまった気がした。

 

む〜、残念、、。

 

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2021年

6月

28日

筋力

先日、思わぬことに気が付いた。

 

駅に着いて改札を通る。もうすぐ電車が来る気配。

ダッシュで階段を駆け上がればギリギリ間に合うというシチュエーションだ。

ここ数年、体力が気力に負けるというか、気はせいても足が思うように動かないという情けないことが多かったのだが、その日の私は違った。

気力・体力ともに充分。軽やかに階段を駆け上がった。

お〜、なんという事だ、素晴らしい!

 

、、まぁ、ほんとのことを言えばそれほど軽やかでもなかったし、電車に間に合ったのが嬉しくて、後から思い出して「そう言えば…。」ぐらいの事なのだが。でも「あれ?」と思って、よくよく考えてみた。

 

このところ、『二日に一度・8000歩』を目標にしている。

筋トレもほぼ毎日、ちょこっとだけやる(笑)。

なにも、ある日いきなり体質改善に目覚めたわけではなく、毎日あんまり暇だしTポイントも貯まるしなぁ…、グダグダな事情でなんとなく続けていたら習慣になった。

スクワット・腹筋・腕立て伏せは、1日の回数を言うとみんなが「へっ?」と呆れて笑うくらいの少なさなのだが、長くやっているとそれなりに効果が出てくる。駅の階段で、実感したというわけだ。

 

そういえばもう一つ、ピアノを練習していて気が付いた事がある。

今更なのだが、早いフレーズを弾きながらストップがきくようになった。

イメージで言うと、体操の床競技でバク転2回ひねり宙返り、最後にピシッと着地するって感じか、、。

指に筋力がついてきたせいと思うが、リズムの流れの中で、自分の歩幅をしっかり守って歩き走る=弾くことをずっと目標にしてきたから、これはマジ嬉しい。

もっと練習して、もっと指の力をつけようと思った。

 

人間、何をするにも筋力は大事なんだよなぁ、、。

しみじみ痛感して、一人にんまり ^ ^v した。

 

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2021年

6月

16日

情報戦

この一年、朝起きてもちっともやる気が出ず、だらだらウダウダと過ごして、最近ようやく希望の光が見えてきた、と前の記事で書いた。

 

その間、アメリカ政治の内情や日本の国対政治とかについて妙に物知りになったが、知れば知るほどストレスが溜まるような情報にたくさん接して、驚いたり憤ったり安心したり絶望したり、精神的にはなかなか忙しかった。

 

これって、どうなんだろう、自分にとって良いことだったのかな?

少し冷めたような心持ちになって、頭の中を整理してみたくなった。

自分なりに出した結論。

客観的な疑問は必要だが、感情的な邪推は有害である。

知ることは必要だが、情報に振り回されてしまうと、頭も心もただただ疲れる。

 

ほんと、いろいろ疲れちゃったよなぁ、、。

夜中までYouTubeに釘付けだったり、どれが本当のことなのか途方に暮れたり、、。

 

今は、ほっと力が抜けたような、フラットに近い状態だ。

私のような生半可な知識しか持たない人は、ニュースを鵜呑みにしないこと、少し距離を置いて冷静に眺めることを注意していないと、簡単に情報戦に巻き込まれて自分を見失ってしまう。

感情に任せて、独断的になってしまいかねない。

 

真実はどうせ表に出てくる。

時間がどんなにかかっても、嘘や不正はどこかで暴かれる。

でもその時--真実が明らかにされる時に、それまでの様々な出来事や虚偽や隠蔽に関わった人たち、真実のために闘った人たちのことを少しでも知っていたいと思う。

結果だけじゃなく過程を知っているって、大事なことなんじゃないか?

 

今、自分が生きている世界に起きた事、起きている事について、ただ結果だけ知っている、結果にしか興味がない、なぜそんな事になってしまったかなんてどうでもいい、となってしまったら、せっかくこの世に生まれた意味が半減してしまう気がする。

この時代に生まれた恩恵をドブに捨てるようなものだ。

『事実は小説よりも奇なり』--まさにそのとおり!

 

だから、正しい情報アンテナのメンテナンスを怠らないようにしよう。

一方的にならず、少し長い時間軸で物事をちゃんと見れるようになろう、そう思った。

 

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2021年

6月

06日

大混乱の一年半

全世界に吹き荒れたウィルスの嵐も、ワクチン普及のおかげで少しづつ収まりつつある。

さざ波状態の日本も、ようやく自粛パニックから抜け出せそうだ。

大混乱の一年半だったが、社会の様々な問題点がいくつも明らかになってきた。

 

特に、マスコミのめちゃくちゃぶりが酷かったと思う。

コロナパンデミックが始まる前の米大統領不正選挙から最近公表されたファウチ・ゲートまで、米メディアは不確実な陰謀論を振りかざして大々的な偏向報道をやった。  

日本メディアも、お笑いワイドショーは仕方ないにしても、新聞・NHKまでが国民の信頼を大きく失った。

 

私はこの間ずっと、ネットでニュースを見るたびに、もやっとしてイラっとしてカッカしてボ〜ッとするの繰り返しで、そのせいか、近年稀に見る体調不良に陥った。

朝起きて、病気でもないのに何もやる気が起きない、グダグダする、不安感、日中の体温低下、倦怠感、食欲不信、、。

私、一体どうしちゃったんだ?

発散されないままのストレスがジトッと不快な塊になって、体内にしぶとく居残っているような感じか。

ピアノを弾いたり映画を見たり、本を読んだり料理をしたり、一瞬忘れることはあっても嫌な塊はずっとあった。

 

でも最近、ちょっとだけ胸のつかえが取れたような気がしている。

コロナ収束の予想がちらほら出てきたこと。

日米マスコミの醜態がそこら中で暴露されつつあること。

 

これからいろいろな真実が白日の下に晒されて、煽動されたり騙されていた人たちも正しく知るようになる。

反省や検証、改善や改革もされるだろう。

誤情報を流し偏向報道を続けた一部のメディアは、さすがに素知らぬ顔はできないはずだ。

恥じるべきだと私は思う。

 

こんな風に考え出したら、体の中のボテっとした塊が少しづつ溶けて行くような、身体が軽くなるような良い感じがした。

我が身体ながら、素直な、というか何とも分かりやすい反応が微笑ましい限り、、。

 

もう少しの我慢、頑張ろう!って思った。

 

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2021年

5月

31日

UFOは実在する

先日読んだ産経新聞の記事(5/18)。

 

*********

『元米当局者「UFOは実在する」国防総省が報告書を提出へ』

 

米国防総省で未確認飛行物体(UFO)に関する情報を収集して分析するプロジェクトの責任者だった元当局者が18日までに、米CBSテレビの番組で「UFOは実在する」と明言した。

同省は6月、UFOに関する報告書を議会に提出予定だ。

(中略)

、、「焦点は一体何者でどういう意図があり、どんな能力を持っているかだ」と訴えた。

海軍が撮影した「謎の空中現象」とされる映像の一こま(米国防総省提供)

-産経新聞より-

*********

 

このブログで2020年4月29日に書いた記事を、改めて読み返してみた。

米国防総省、そして日本の河野防衛相が、UFOについて科学的に検証する必要がある事を公式に認めた、とマジ感涙に咽びながら紹介している。

オタクの戯言と笑われていたUFOが、ついに晴れて科学的な調査対象になったと喜んでいたら、たった一年ちょっとで、実在する脅威として米国が対UFO戦略を考える方向に向かいそう…というわけだ。

 

”地球防衛軍”を創設して、宇宙からの接触に備えるんだろうか?

「いやいや、まっさか〜w 」と笑う問題じゃなくなりつつある。

『未知との遭遇』なら良いが、最悪『宇宙戦争』になっちゃうかもしれないのだ。

 

ロズウェル事件が1947年、その後の目撃談は数知れず、私の周りでもUFO見ましたという人はけっこういる。

アメリカ政府も、寄せられる情報の多さや信憑性の高さから、もう冗談話で済まされないと腹を括ったんだろうなぁ、、。

 

話が全く通じない相手だから予測不可能、でも相当な知性を持っているのは間違いない。

良いヤツか悪いヤツか分からないけど、自分より数倍”できるヤツ”っていうのはもの凄く恐ろしい。

地球防衛軍で世界の知性を集めて対抗するしかないだろう。

 

アメリカも中国も、「総司令官、誰にする?」とかで喧嘩しないでほしい(笑)。

真面目な話、お互い覇権争いでいっぱいいっぱいになっている隙をつかれたら、地球防衛も何もあったもんじゃないだろう。

全ての国・地域が、自国民を守るだけで精一杯になるはずだ。

 『宇宙戦争』は中東戦争どころじゃない。

何が飛んでくるかわからないのだ。

 

う〜、最悪を考えるいつもの悪い癖、、。

 

あっ💡

日本は憲法9条があるから、もしかして見逃してもらえるのかなぁ、、。

 

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2021年

5月

22日

ポリコレ -Part3- ?

私が小さい頃、母はあまり家に居ない人だったので、学校から帰っていつもお母さんに「おかえり。」と言ってもらえる友だちが羨ましくて仕方なかった。

ほとんどの家のお母さんが専業主婦だった時代だ。

 

20代になると、友人たちはどんどん結婚していった。

私は音楽をやる事に夢中過ぎて、結婚や子育てが現実的な将来と思えなかった。

好きな人ができると、結婚は半ばしょうがないのかなとも思ったが、心の中では死ぬまで音楽をやりたいと思っていた。

”やりたい事をやる”のと”結婚”は、真逆のこと-対極にあるようなイメージだったので、結婚は恐ろしい事・悲しい事でしかなかった。

もう少し楽観的でも良かったかもしれないと思うが、”最悪を考える”癖は、今もちっとも変わっていない。

若い女性で夢も希望もない結婚観ってのは、当時かなり珍しかったかもしれない。

自分が専業主婦になることは、子供の頃にそういうお母さんを熱望していたくせに、頭の隅にちらりとも浮かばなかった。

 

適齢期をなんとかやり過ごし、晴れて結婚と無関係になった頃(笑)に、実家の父が倒れた。

母の介護もあって新潟の実家に帰ることにした。

父の病院の往復に加えて、一日中、細かな家事に追われる生活が始まった。

母の世話と町内会、家の管理や片付け、何より大変だったのが、毎日、献立を考えて料理をすることだ。

自由気ままに生きてきた私が、いきなり主婦の真似事らしき事をなんとか頑張った。

父のため、母のためと思えば至極当然のことだったが、今振り返ってみれば、自分の心の中で起きた様々な変化や気付きは、私の人生の中でとても大切で重要な事だった。

 

当時は本当に無我夢中だった、、。

今、コロナ自粛でぼっとしながら思うのだが、あの生活があと10年続いていたら、私はどうなっていたんだろう?

立派な独身主婦になっていただろうか?

 

あれ? 

ポリコレ-Part3-を書くはずが、すっかり思い出話になってしまった。

男女の役割分担について考えていたはずだが、、。

 

緊急事態宣言のおかげで、毎日鬱々として体調までおかしい。

生活がだらだらすると、頭の中もグダグダするのだ。

文章が全然まとまらないし、書く気すらなかなかおきない。

こんな生活が、一体いつまで続くんだ?

これは、不安感というより憤りに近い、、。

 

次回に続く。

 

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2021年

4月

17日

ポリコレ -Part2-

Jazzのお店で、政治の話はほとんど聞かない。

そういう話題は野暮という空気があって、みんな意識的に避けているかもしれない。

私のような政治ウォッチャー・政治ニュース好きは変なヤツと見られ、ちょっといい気になってああだこうだ語ると、

「あなた、政治家になんなさいよ。」とからかわれる。

ステーキが好きだとシェフにならないといけないのか、とムカついたりするが、客観的に見れば、ただ煙たがられているだけなんだろう(笑)。

 

そんな日常の中で、組織のリーダーシップを取りたいとか地域の政治に関与したいと望む女性に巡り会うことはまずない。

私だって一度も考えた事がない。

 

でも振り返ってみると、同級生や昔の知人たちの中には、少ないながらもそうした活躍を目指す人がいた。

今より女性の社会進出が難しかった時代に、諦めずに頑張った凄い人たちだ。     

そうした女傑たちは現在、ちゃんと社長や管理職に就いたり、国会議員にまでなっている。

並大抵の努力ではなかったろうし、周りのサポートもあったろう。

人生でやりたい事を性別によって差別される事なく実現できるのが良い社会で、努力がちゃんと報われたのなら、日本はかなり健全な社会に違いない。

さらに現在の日本は、男女共同参画という目標を掲げて積極的に女性をサポートしている。

世界の中でも、優秀な国なんじゃないだろうか。

 

ところが、世界経済フォーラム(WEF)によると日本は156カ国中120位、男女の平等度は先進国で最下位なのだそうだ。

政治・経済の分野で日本は落第、女性政治家の数が少ない、会社の役職で女性の割合が著しく低い、もっと努力しなさいと叱られている。

女性はもっと社会で輝くべきだ、政治に関与するべきだ、男女は平等なんだから。

 

でも、これ、なんか変だ、、。

 

男性と女性は太古の昔から役割分担をしてきて、その記憶がきっと脳に刻まれている。

男性は生まれつき力が強くて頑丈で、種族や家族を守るためにずっと戦ってきた。女性は子供を産み育てる大事な存在だから男性がずっと守ってきた。

男性は国やイデオロギーの為に命を懸けて戦い、女性は子の為に人生を懸けて、人類の長い歴史が作られてきたのだ。

 

男性と女性は違って当然、体力差もあるし、性格の傾向、向き不向きもある。

役割分担は自然にそうなった結果だし、強制や差別と感じるなら個人がそれぞれ方策を考えればいい。

日本では既にそう出来る。

世界経済フォーラム(WEF)が文句を言っているのは、政治・経済の分野だ。

 

政治や経済の世界は戦場と言っていい。

相手を容赦なく粉砕する気力がなければ生き残れない。

理想や利益追求の為に死に物狂いで戦う。

足を引っ張られたら、相手を蹴っ飛ばさなければならない。

売られた喧嘩はしっかりと買う世界だ。

 

私の周りの女性たちを思い浮かべてみた。

 

業務が効率よく進むように書類を整理したり、細かな工夫で職場を居心地よくするのが楽しいと微笑む女性。

表立たずに誰かのサポートや助ける仕事をやりたいと真剣に話す女性。

夫や子供たちの世話の手を抜かず、それでもちゃんと自分の時間を作り出していることを誇りとする女性。

愛する人と暖かい家庭を持って専業主婦になることを夢見る若い女性。

 

こう言う女性たちって、きらきら輝いていると私は思う。

無理矢理、苛酷な戦場に送り出す必要ってあるんだろうか?

男性と同じように働くことが平等で正しいことなんだろうか?

女性は社会で輝くべきって、裏方の仕事や家事や子育てが”輝かない仕事”、”つまらない仕事”なんだろうか?

 

む〜。

なんかモヤモヤしてきたので、Part3に続く!

 

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2021年

3月

29日

ポリコレ

世の中、ポリコレ旋風が吹き荒れている。

人それぞれ、いろいろな感じ方があって当然だと思うが、時々びっくりするようなニュースを見る。

こんな事が差別?、と驚きを通り越して、寒々とした怖さを感じる時もある。

 

いつからこんな過敏な社会になったのか、、。

最初は、「ミスコン反対!」ぐらいの可愛い(?)抗議だったと思う。

容姿が良いのは、歌が上手いとかギャグのセンスが凄いとか足が速いとかと同じくらい、うんと自慢できる個性の一つだと思うので、コンテストくらいいいじゃないか、どれどれ一等賞の美人は....、と気楽に考えていた人が多かったんじゃないだろうか。

でもだんだんと、そういう事言っちゃダメッ💢と叱られるようになって、女性に対して「綺麗ですね。」とか「髪型が素敵。」とか「今日のワンピース、似合ってますね。」とか、半分社交辞令であっても、人前で言うとセクハラと非難されるようになった。

 

下心が見え見えという事なんだろうか?

確かにそういう輩(やから)もいるんだろうが、セクハラかセクハラじゃないかは相手によって違う、その基準は女性が決めていい、なんてめちゃくちゃな話まで出てきた。

後ろめたい男性は大いに反省するべきだし、今まで我慢してきた女性が「いや!」とはっきり抗議の声を挙げることは、社会の善良な進歩だ—特に、組織内の力関係で何も言えずにいた女性たちにとって。

( 最近のNY州知事のセクハラスキャンダルなんて、あまりのおぞましさにゾッとする。)

 

でも、時代劇ファンの私としては、婀娜(あだ)な年増をからかう酔客たちとそれをにっこりいなす粋な姐さん、なんて”江戸の賑わい”定番の場面が思い浮かんで、今の男女のなんと無粋なことよ....、と少し残念に思ってしまうのだ。

 

そこまでピリピリするより、穏やかに社会の常識を変えていくというやり方もある。

ショック療法のようなセクハラ規制をきっかけにして、男女それぞれ、相手の気持ちを汲み取る”技術”について考えてみるってどうだろう?

ほんとゆるゆるな方策だけど、、。

 

相手の気持ちを推し量ることは、家庭科や工具の操作のように、小さな頃から教育や経験で学んでいく”技術”のようなものだと思っている。

先天的に備わっているものでないのは、自分を顧みるとはっきり分かる(笑)。

幸せなことに、私の周りにはちゃんと分かっている人が何人もいた。

「みっちゃん、もうちょっと考えなよ、、。」

何を考えたらいいのかもさっぱり分からない、お馬鹿な私だった。

その後、何度も酷い思いをしていろいろな事を悟ってきたなぁ、と思う。( いや、まだ終わってないし、、笑)

 

セクハラ規制は、”技術”の習得度に極端な差が出てきてしまった現代社会に、目に見える基準を提示するという意味で必要だったと思う。

 

会社などには、女性は我慢して当然という空気がずっとあって、女性たちもしようがないと諦めてきたようだ。( 私は会社勤めした事がないので話に聞くだけなんだが。)

奥さんの方が強いお家はたくさんあるのに、組織になると「女は黙ってろ。」となるのは、男性が”数を頼む”という事なんだろうか(笑)。

男性たちも、「え、そんなにいやだったの?」と今更ながら驚いたかもしれない。

 

これから少しづつ、相手を正しく知り思い遣る事が社会の常識になっていけば、一部の男性の無神経さも減っていくだろうし、女性もイライラしなくなるかもしれない。

思い遣りの”技術”を習得する事が学歴と同じくらい必要な社会になったら、いつかは粋な男女の会話も戻ってくるかも、とちょっと期待する。

 

楽観的すぎる?(笑)。

さて、一方的に叱られ放題な男性は気の毒だとは思うが、ポリコレは女性たちにも容赦ない。

男女共同参画なんてのが、ここ数年推進されている。

ジェンダー平等だ。

 

***Part2に続く***

 

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2021年

3月

17日

命がけの任務

10年前のあの日。

突然、部屋が大きく揺れた。

CDが入った棚が倒れそうになり、ばらばらと落ちるCDを咄嗟に手と足と体で抑えながら、「なんじゃこりゃ〜。」と思わず呟いた。いろいろなものが、ガタガタと音を立てていた。

いつもの地震じゃないなと感じて、怖いというより、ただびっくりしていた。

一人暮らしだから答えてくれる人はいないのだが、それでも「わっ!」とか「え〜?」とか「まじ?」とか叫んでいたと思う。

その後の事は、日本中が悪夢の中にいるようだった。

恐ろしい津波の被害、そして原発事故、、。

 

朝から晩までPCで情報収集をしていたが、膨大な数の方が亡くなられた事、地域一帯がめちゃめちゃに壊れた事、原発が爆発した事、爆発がまだまだ起こりそうな事、、全てが現実と思われなかった。

 

先日、ネットの”日経ビジネス”に、2011年3月17日、水素爆発を起こしたばかりの原発にヘリコプターから水を撒くという作戦を実行した自衛隊飛行隊の隊長、加藤憲司氏のインタビュー記事が掲載された。

あの作戦は、私のような災害対策の素人にはめちゃめちゃ無謀に思えたし、中継映像を見守りながら、何が起きるか不安で恐ろしくてぶるぶるした。

こんな危険な事を自衛隊員にさせるなんて、、とも思った。

 

加藤隊長は、空中放水準備の指示があった時のことをこう語っている。(以下、日経ビジネスの記事より)

 

”そのままにしておけば大惨事になりかねない。自分たちがヘリから水を撒くことで危機を押しとどめる事ができるならば、としか考えませんでした。ほかにできる人間はいなかったのですから。”

 

--命令を伝えたとき、部下である隊員太刀の反応はどうでしたか--

 

”隊員たちからも嫌がる声は上がりませんでした。”

**当時の陸上自衛隊制服組のトップ、陸上幕僚長を務めていた火箱芳文氏は次のように振り返る。

「ヘリによる放水は命がけの任務でした。1回当たり7.5tもの水が原発にドーンとかかるのです。その圧力で原子炉に負担が生じるかもしれない。そうなれば、かえって壊すことにつながりかねません。何が起こるのか分からない。誰もやったことがないのですから。(日経ビジネス・編集注)

 

加藤隊長は、当時の事実を淡々と正確に、少しも感情的になることなく語っておられた。

でも記事を読みながら、なんというか心の底からぐっとこみ上げてきて泣きそうになった。

日本を救うために命をかけてくれた人たちがいる、家族にも告げずにその危険な任務につき、最も危険な放水を志願する隊員までいた、、。

 

私たちは、国を守る”命がけの任務”についている人たちのことを、もっと知るべきなんじゃないだろうか?

過去にだってたくさんおられたと思うのだ。

英雄として名前が残らなくても、国を思って命をかけたたくさんの人たちが、、。

 

10周年、黙祷しながらいろいろな想いが心をめぐった。

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