2017年

10月

21日

青空!

毎日、どんよりした天気が続いている。

せっかく秋なのになぁ、、。

 

気分もどよ〜んとしつつ、スマホにたまった写真をつらつら整理していた。

すると....。

先月、新潟に高速バスで帰った時に、越後川口SAで撮った一枚が目に止まった。

 

すっかり忘れていたのだが、この時たしか、まさに秋!空気が爽やかで心地よく、ただそれだけで小躍りするほど嬉しかったのだ。

青い空がほんとに大きくて、白い雲が手でつかめそうなくらい近かった。

 

PCでフルスクリーンにしたら、あの時の幸せな気持ちがしばし蘇ってきた。

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2017年

10月

19日

選挙-不在者投票

10/22に行われる「国難突破解散」による衆議院議員総選挙。

 

2013〜2014年、家族の介護で新潟に一時帰っていたのだが、その時に住民票を移して、以来そのままになっている。

今年夏の東京都知事選挙では、東京に住んでいて周りが大変な盛り上がりだったし、自民党東京都連と小池百合子候補については、選挙権もないのに無駄にいろいろ考えていたから(笑)、もうそろそろ住民票を東京に戻そうかとも思った。

 

でも、自分の中でなかなか踏ん切りがつかない。

新潟市郊外、小さなピノキオ公園すぐ隣り、あの古びた家の住民であることを無い事にしたくなかった。父も母もいないけれど、帰ればきっと、我が家に帰ったと気持ちが落ち着くのだ。

手続きの煩雑さより、たぶん、ほんの小さな感傷なのだと思う。

 

不在者投票請求書を新潟市選挙管理委員会に郵送したら、今朝、オレンジ色の簡易書留で、候補者名簿その他の書類と一緒に届いた。

投票用紙の封筒には『開封厳禁』とシールが貼ってある。

これを持って、近くの地域区民センターに行けば、東京にいながら新潟市の選挙に投票できるのだ。

「あなたの一票は大事な一票です!」と言われたような気がして、ちょっと感動してしまった(笑)。

 

今回の選挙は、「国難突破」の為の大事な選挙だから、日本国民として投票するのだ。


今までのやり方ではきっと突破できないような重大な事態が、近いうちに日本に起こる、その為の国の備えを一体どうするのか。リーダーを誰にするのか。

 

各政党の党首の言葉を、ネットでちゃんと聞いてしっかり考えようと思った。

 

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2017年

10月

06日

ノーベル文学賞

8月30日、英国のメイ首相が日本を初来日したのを機に、しばしイギリスについて考えてみようってことで、シャーロック・ホームズについての記事をPart1、2と書いてきた。

Part3をアップしようかなと思っていた矢先、嬉しいニュースが飛び込んできた。

 

『ノーベル文学賞、日系英国人作家カズオ・イシグロ氏が受賞』

イシグロ氏は、長崎市で生まれ、5歳で英国に移住。1982年に英国に帰化したのだそうだ。

 

ずっと以前に、アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソン主演の『日の名残り』(1993年・米)という映画を見た。

1930年代、英国名門家の執事と女中頭の淡い恋が、戦前のナチス・ドイツとイギリスの外交を背景に描かれる。

 

主人公である侯爵家の執事がとても英国的であるのに( バトラーという英国独特の職業と、彼が持つ階級意識のせいか....)、彼の心の動きがあまりに日本人的なことにちょっとショックを受けた。

エンドロールで原作者の名前を注意して見たら”カズオ・イシグロ”とあって、ひどく納得したのを覚えている。

ああ、やっぱり日本人だ、、。

その時初めて、イシグロ氏を知ったのだが、凄い作家だなぁと思った。

原作を読んでみようと、図書館まで行ったところまでは覚えているのだが、きっと何かつまらない理由でそのままになってしまった。

 


改めて、ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロ氏の作品をしっかり読んでみようと思う。

氏の直近の作品『忘れられた巨人』も、興味深いテーマだ。

 

「社会や国家はどんなことを忘れ、どんなことは覚えているのか」

 

今の日本--歴史問題に否応なしに直面している日本にとって、一度しっかり考えておくべき問題じゃないだろうか。

 

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2017年

9月

29日

シャーロック・ホームズ -Part2-

私のミステリー入門は、アルセーヌ・ルパンというフランス人怪盗だった。

( 因みに、アニメの『ルパン三世』は、アルセーヌ・ルパンの孫である。....というか、そういう設定である。)

*アルセーヌ・ルパン

『フランスの小説家モーリス・ルブランが、1905年〜1939年に執筆した推理・冒険小説の主人公。、、

紳士にして、冒険家。変装の名人でいくつもの変名を持つ。貴族の城館や資本家の邸宅などを襲い宝石や美術品、貴重な家具などを盗んでいく大胆不敵な大泥棒。また、脱獄の名人でもある。

一方、善良な者を助ける義賊の性格もあわせ持っており、虐げられた婦人や子供にとっては頼もしい保護者となる。

多くの女性に惚れ、また彼も多くの女性を虜にしているが、作中に描写される限りでは浮気はしていない。しかし、彼と深い仲となった女性の多くは様々な事情で短命であったため、結果的に多くの女性と恋愛をしている。、、』(wikipediaより)

 


小学3年生の子供のくせにルパンに恋していた私は、彼の愛する妻、レイモンドが計らずも敵の銃弾に倒れ、夫の腕の中で息をひきとる場面に号泣する(『奇巌城』)。

この銃を撃った憎き敵こそがシャーロック・ホームズで この時から彼は完全に悪役認定されてしまった。

もっとも、コナン・ドイルはモーリス・ルブランに、勝手にシャーロック・ホームズの名前を小説で使うな、と厳重抗議したらしい。( いくら人気のキャラクターでも、外国で無断借用しちゃダメでしょ....。あれ?そうすると『ルパン三世』はどうなるんだ?)

結局、モーリス・ルブランの原作では、”シャーロック・ホームズ”じゃなくて”エルロック・ショルメ”に改名されたらしい。( 日本語訳では、ほとんど”シャーロック・ホームズ”のままである。)

 

”正しいミステリーファン”(笑)であるならば、シャーロック・ホームズは絶対に外せない存在だ。

まずホームズあってのエルキュール・ポワロ、エラリー・クイン、ブラウン神父なのだ。まぁ元祖というか別格というか、、。

そのミステリー界の常識に反する変な思い込み--ホームズは悪いやつ--のせいで、長年、矛盾と内的葛藤(笑)にモヤモヤしていたある日、『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』(1985年・米 )という映画を見た。

 

当時、アメリカの映画界で流行り出したCG映像満載のスピルバーグ映画で、コナン・ドイルの原作とは関係ないインディ・ジョーンズみたいな冒険ストーリーもウケて、かなり話題になった。

「寄宿学校の同級生で15〜6歳の少年」という設定のワトソンとホームズの相棒関係もめっちゃ微笑ましい。

長身・美少年の天才ホームズと、おっとり丸顔・食いしん坊のワトソン、そして若きシャーロックの可憐な恋人エリザベス。

 

そのエリザベスが、宿敵モリアーティ教授の凶弾に倒れ、亡くなってしまう。

なんと、ホームズも、愛する恋人を敵に殺されてしまうのだ!

 

 


愛する人を失うというシチュエーションは、たとえ空想の世界であっても、若い女性にとってなかなかのインパクトである。

あげく、コナン・ドイル原作のシャーロック・ホームズが生涯独身だったのは、このエリザベスを愛し続けたからだった....、という胸キュンなラストのおかげで、長年のシャーロック・ホームズ=悪役認定はガラガラと崩れ落ちた。

 

幼い日のルパンの呪縛からめでたく解放され、またこの頃に、名優ジェレミー・ブレッドの素晴らしいホームズと出会って、めでたく”正しいシャーロック・ホームズファン”になることができた。

私とホームズの関係は、ちょっと屈折しているのだ(笑)。

 

こんな話を友人にしても、胡散臭げに呆れられるだけだから、ずっと心にしまっていた。

 

先日、NHKのBSプレミアムで『ルパンからの予告状〜謎とスリルに満ちた伝説の至宝〜』という放送があった。

( 番組内容:怪盗アルセーヌ・ルパンなら、今どんな秘宝を狙うのか?ルパンの予告状をヒントに謎解きへ旅立つ新感覚アートミステリー!最新の科学分析の数々!ルパンの狙いを見破れ!)

 

この意欲的な(!)番組をたまたま見ていて、ふっと、ルパンに恋していたあの日、ホームズが大っ嫌いだった遠い少女時代を思い出した。

小学校の図書室の木造の本棚と、ちょっとかび臭い本の匂い。

学校から帰ると、宿題もそこそこに本ばかり読んでいた。

 

最近、ミステリー読んでないなぁ、、。

 

『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(ケント・ギルバート著)はとっても面白かったけど、どうも私の毎日、夢がなくなってるよなぁ、、。

本を読んでは泣いたり怒ったりドキドキしたりキュ〜ンとしたり、夢見る乙女(笑)だった私がここ数年、中国だ北朝鮮だアメリカだと、なんだかいつも怒っているような気がする。

日本の心配はそれとして、もちっとロマンチックな要素があってもいいんじゃないだろうか?

恋とか愛とか涙とかじゃなくて、なんというか未知のものとか冒険とか驚きとか、、。

 

ふ〜む、面白そうなSF小説でも探してみるか....。

 

***Part3に続く***

 

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2017年

9月

10日

シャーロック・ホームズ -Part1-

先日、英国のメイ首相が日本を公式訪問した。

英国と日本の連携強化が進むらしい。

『祝・日英同盟(?)復活!』ということで、しばしイギリスについて考えてみた。

 

創元推理文庫で育った私にとって、イギリスと言えば、まず第一にシャーロック・ホームズである ^ ^ v

私の少女時代からの永遠のアイドル、名探偵エルキュール・ポワロはベルギー人だが、彼よりもっと有名で、100年以上にもわたって世界中で愛されている偉大なイギリス人探偵が、シャーロック・ホームズだ。

 

以前、英国製作のドキュメンタリー番組で見たのだが、現在、法医学-科学捜査関係で活躍する人たちの中には、小さい頃からホームズの大ファンで、彼に憧れてその職に就いた人たちがかなりいる。

 

大きな拡大鏡とピンセット、その他いろいろなアイテムを使って、現場に残る葉巻きの灰さえ見逃さず、証拠と論理的な推理をもって犯人を突き止めるというホームズ独特のスタイルは、現代の犯罪捜査の手法に繋がるのだそうだ。

 


コナン・ドイルがホームズシリーズを書いた時代は、19世紀後半。

同じ時期に、あの凄惨な”切り裂きジャック”事件がロンドンの街中で起きて、少なくとも5人の売春婦がむごたらしく殺害された。

犯人が捕まらないまま迷宮入りして、現在に至るまで謎の大事件として有名だ。

 

この時代の犯罪捜査は今のように科学的ではなく、犯行現場は野次馬や警官たちによってめちゃくちゃ荒らされるし、証拠を精査するという近代的手法も確立していなかったので、まずは疑わしい容疑者をかたっぱしから引っ張ってきて自白させる、みたいな時代だったらしい。

 


その頃、日本は明治時代。

正確には、”切り裂きジャック”事件が起きた1888年は日本で明治21年。

1883年に東京・麹町に鹿鳴館が完成して、極端な欧化政策で無理やりな西洋化が進んでいた。

 

ちょうど、江戸時代から明治時代へと移り変わる時代を舞台にした探偵小説に、岡本綺堂の『半七捕物帳』がある。(大正6年/連載開始)

目端の利く優秀な岡っ引き”半七"が活躍するが、犯人を挙げる時にはだいたい物的証拠より状況証拠が決め手になる。

「犯人はおめぇだな。どうだ、そうだろう。こうなったらしょうがねぇ、お上のお慈悲を乞え。」

「旦那、恐れ入りました、、。」

証拠を出せ〜っと居直るような犯人は、まず出てこない。

 

指紋や血痕判定、足跡や遺留物の保存などの法医学の基礎的概念は、イギリスではホームズの時代に広まった。

”切り裂きジャック”事件が、警察の杜撰な捜査のせいで迷宮入りした事への庶民の不満は、相当にひどかった。科学的な手法の導入は待った無しだったのだろう。

ホームズが、スコットランドヤードのレストレード警部に時おり浴びせる嫌味や警察組織への嘲笑には、そうした背景があったようだ。

 

現代では、DNA鑑定やプロファイリングなどの凄い技術があるから、犯人検挙率は100%に近いのか、と思うとそうでもない。(それでも、日本の凶悪犯の検挙率はめちゃ高いらしいが...。)

やはり最終的には、捜査する人たちの推理力や執念、洞察力や着眼力とか、そういう個人の力がものを言うのだなぁ、と思う。

科学という道具を使うのは、能力を持つ人間なのだ。

 

その先駆けがシャーロック・ホームズだった。

作品中で、彼が独自に駆使する化学の知識や足跡・血液の分析、行動観察の方法などは、そっくり今の科学捜査に受け継がれている。

 

コナン・ドイルの原作に一番近く、ホームズ史上最高と評価されている故ジェレミー・ブレッドの演じたシャーロック・ホームズ。

陰鬱で皮肉屋の表の顔と、お茶目ないたずら坊主のような隠れた顔。

時折り常軌を逸するあぶない精神と剃刀のように鋭い論理的思考。


きっと、シャーロック・ホームズはこういう人だったんだ、、うん、そうに違いないと、世界中のみんなが納得した。

 

*ジェレミー・ブレッド

『グラナダテレビの5シーズンにわたるシリーズに主演した。

その姿はシドニー・パジェットが描いた挿絵から抜き出て来た程とまで言われ、奇抜かつ繊細な演技でホームズを演じた。

、、全集を完成する前に心臓病のため短編集を含む18作品を残して他界した。本作は2013年現在でも人気が衰える事がなく、NHKだけでなくCATVのチャンネルでも数多く再放送されており、いまだ多くの人々に愛されている。、』

(wikipediaより)

 

***Part2に続く***

 

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2017年

8月

31日

ミサイル

一昨日29日の朝、新潟の友人から

 「今朝はJアラートで起こされた。気分が悪いよね。」
とメールが来た。
びっくりしてインターネットのニュースを見たら、午前6時頃、北朝鮮が北海道上空を通過する弾道ミサイルを発射していた。

 


東京は距離があるせいか、Jアラートは鳴らなかったようだ。

専門的な事は分からないが、これは今までの挑発のレベルを超えた、かなり『深刻で重大な脅威』(安倍総理の会見)らしい。

 

もうやけくそ状態なのかなぁ、北朝鮮。

韓国大統領は、相変わらずよく分からない事をやっている。もしかして、アメリカの同盟国だって事、忘れてる?

日本は、アメリカと協力して対応するようだ。

アメリカと日本、、。

 

アメリカは世界一の軍事力を持っている。

世界中の紛争地帯で、数多く武力行使を行ってきた。

国連で最大の力を持つ超大国。

 

世界で影響力を持つ為には軍事力の後ろ盾が不可欠だ。

その意味で言えば、日本は尊敬はされても発言はなかなか聞いてもらえない。戦いに参加する事がないから。

でも、自ら進んで戦う事はしなくても、日本人の調停能力は「和を以て貴しと為す」の聖徳太子の頃から筋金入りだから、もっと国際舞台で活用されれば良いのに、と思う。

大岡政談みたいな話がそこらじゅうにある国なのだ。

調停役として、世界の信頼が集まれば、大きな力にならないだろうか。

日本に出来る役割り、日本にしか出来ない役割りがきっとあるはずだと思う。

 

日本の歩み寄りや譲歩、提案や静かな怒りの表明、全てを無視してきた北朝鮮。アメリカの介入で、事態は良くなるのだろうか?

拉致された人たちは帰ってくるのだろうか?

虐げられた国民は救われるんだろうか?

 

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2017年

8月

28日

ある日突然、太った...

去年の後半くらいから、会う人みんなに「痩せた?」と驚かれ、自分でも痩せたかなぁ、と鏡を覗いて思ったので、食事やおやつで地味に努力していた。( 体重を計る習慣がないので、東京の家には体重計がない。)

なんと腹筋トレーニンも始めた。( 痩せたのはきっと胃下垂のせいだ!)

 

「凄い!どのくらいやってるの?」

「こんな感じで毎晩10回 ^o^」

「....10回....(笑)。」

「続けるのが大事なのよ!」

 

ほとんど効果が出ないまま、今年6月に大風邪をひいて数日間寝込んでしまい、飲まず食わずでまた痩せた気がした。

がっかりしつつも、またたくさん食べて腹筋10回を続けた。

 


そして8月。

おっ!と思った。下半身がぽちゃっとしたかも....。

それがいきなりだったので、ちょっと不思議な感じがした。

太る時というのは、ボン!バン!と来るのだなぁ、、。

 

そういえば以前、仲間とJazzの練習について話していて、誰かがこう言ったのを思い出した。

「上手くなる時って、急だよね。」

楽器の上達グラフは右上がりの直線ではなく、階段を登るようにギザギザだというのは、自分の感覚でも人の演奏を聴いていても何となく感じる。

ピアノを弾くたびに可哀想になる薬指の筋力も、いきなりボン!バン!とつくんだろうか?

 

演奏のために必要な筋肉と、目的も無くただぽちゃっとついた脂肪を同列に語るというのもなんだが、"結果が突然現れる"という点で似ているかなぁ、と思う。

 

人間の身体は、いろいろ謎だ。

 

2年前にある事で悩んで考え過ぎた時、脳がオーバーヒートして煙が出そうだった。

若い頃に失恋した時、心臓がひどく痛くて胸が張り裂けるかと思った。

大好きなアーティストの武道館公演に行って帰り道、あんまり嬉しかったせいか血管中の血液が爆走して、駅まで飛び跳ねながら完走した。

父が亡くなってお葬式が終わった晩、台所で洗い物をしていたら父の声が耳の奥に聞こえた。

 

どういうメカニズムなのか、医学の知識が無い私にはさっぱり分からないが、身体は心と密に連携して、心の為に頑張ったり、頑張り過ぎたり、傷ついたり、優しくなったりするみたいだ。

急に痩せてなかなか太れなかったのは、きっと心が何かをボソボソつぶやいたに違いない。

そう思ったら幾つか思い当たることもあって、身体の苦労を思いやってちょっと切なくなった。

 

大事にしないとなぁ、、。

いつまでもそうそう甘えてばかりもいられない。腹筋だけじゃなく、心も鍛えないと、、。

今更だけど、反省を込めて3つ決意した。

 

『くよくよしない』

『暴飲暴食の誘惑に負けない』

『ちゃんと寝る』

 

たぶん、『くよくよしない』ってのが私の一番の努力目標だな....うん。

ずっとピアノを弾き続けられますように。

まずは健康第一!

    
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2017年

8月

12日

花火大会

7月29日の隅田川花火大会。

あいにくの雨にもかかわらず74万8000人もの見物客が訪れ、傘をさしながら壮大な花火ショーを楽しんだそうだ。

 

何年か前の隅田川花火大会の日のことを思い出した。


たまたまその日は浅草にあるライブハウスで仕事があって、夕方ちょっと早めに出かけた。

浅草駅前は大変な人出だろうと覚悟はしていたが、とにかく物凄いことになっていた。

 

都営浅草線のホームや車内には、可愛らしい浴衣を着た若い女性があちこちにいて、あぁ、今日は花火大会なんだよなぁ、、なんて微笑みながら眺めていた。

ふんふんとのん気に地下鉄の階段を上って地上に出たとたん、あまりのたくさんの人にくらっと来た。

見渡す限りの人の海に圧倒され、足を踏み出すのが怖いくらいだ。

「負けないぞ〜」気合いを入れると、脳内にアドレナリンがドッと分泌された気がした。

 

拡声器からお巡りさんの声がガァガァ聞こえる。

「止まらないで下さい。止まらないで下さい。前に進んで下さい。」

いや、そっちに行くとライブハウスに行けないんだけど、と思いながらも、ぎゅうぎゅう詰めの人の波に押され流され、まるで川下りだ。どこまで行くんだと不安になっても、なかなか列の端にも行けない。
しばらく行ったところでようやく人波から逃れて、大回りして仕事先のライブハウスにたどり着いた。
いつもの落ち着いた空気に戻って楽屋でほっと一息ついていると、共演者たちがぽつぽつとやって来た。
窓の外を見ながら「花火、見えるかねぇ?」と言い合ったが、どうも方角的に無理らしい。どっちにしろ、演奏時間中だから花火は見れないんだが、、。

 

そして数時間後。

仕事帰りに、”つわものどもが夢の跡....”みたいな大通りをぶらぶら歩いた。(全車両通行止めだ。)

花火大会は既に終わっていて、手をつないだカップルや帰りがけの家族、ファストフード店から出てくる若者たちが、三々五々歩いている。

近くのレストランが、大テーブルと椅子を数脚運び出して宴会をやったようで、大通りの真ん中にオブジェのように放置されていた。こういう花火見物のやり方もあるんだなぁ、と少し驚いた。

 

帰りの駅は、これまた物凄いことになっていた。

切符売り場もごった返していたが、電車に乗るにも勇気がいる。

すくまで待っていたらいつ帰れるかわからないので、周りの大勢の人たちと一緒にえいやっと乗り込んだ。

 

車内はそれでも、お祭りの雰囲気がそのまま持ち込まれたようにどこかうきうきと楽しげだ。

ぎっしり詰め込まれた乗客たちも、混雑にいらいらする様子はない。夏特有の明るい空気が流れていた。

 

周りを見回していたら、近くにいた外人さんが青い顔をしていた。

朝の通勤電車並みの車内にショックを受けたのかな、と思って見つめたら、「次の駅、降りられない」みたいな事を言っている。

私は「大丈夫。」と請け合って、次の駅に着くとすぐ「降りま〜す‼︎」と大声で叫んだ。そして外人さんの背中を出口の方にぐいと押し出すと、みんな少しよけて彼をなんとか通してくれた。

無事に降りられたみたいなので安心して、つり革をつかみながらぼっと思った。

東京に長くいる私にとっても今日の人混みは特に凄かったから、観光で来たらしいあの外人さんにはさぞ大変な一日だったろう、、。ちょっと同情した。

そして、浅草にいながら花火をちょっとも見れなかった私も、なかなか残念なことだった。

 

今日、商店街の八百屋さんに行ったら、お店のお兄さんが真っ黒に日焼けしていたので「海に行ったね?」とからかうように聞いた。

「海、行きました!いやぁ、海、いっすよね。」

「でも人がいっぱいでしょ?」

「人混み、だめなんですか?」

「そうね、人混みはね、、。前に浅草の花火大会に行ったけどもの凄くてね、、。」(さすがに花火を見てないとは言えない・笑)

「隅田川花火大会!俺も行きましたよ。もぅ〜はんぱないっすよね、帰る時なんか大勢でずいぶん歩いて、、。もう二度と行かないっす!」

彼はレジを打ちながらきっぱり言った。

 

私にとっては、海も花火大会も同じようなもんなのだが、リミッターレベルが高い彼でも隅田川は相当だったらしい。

恐るべし、、。

 

人がたくさん集まるイベントはきっと楽しい筈なのだけれど、私のように人混みが苦手だと覚悟と気力がいる。

でも、そんな事を言っていると、そのうち博物館か図書館しか行かなくなるぞとも思うわけで、、。

 

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2017年

7月

29日

夏は苦手

ちょうど梅雨明けした頃だったか、ネットの健康情報を見ていたら”自律的な体温調節” についての記事があった。

自然に汗をかくことで身体を暑さに慣れさせる⇒あまり冷房に頼らずに夏を健康的に乗り切ろう!てな事で、なるほど〜そうだそうだと思ってやってみる事にした。

確かに毎年、冷房をつけ過ぎて体調が悪くなっている気がする。


扇風機や氷を入れたIce Bagを使い、冷たい飲み物もやめて温かいお茶やお湯にした。

気のせいか、例年より調子が良い。

と言っても、まだ始めたばっかりなんだが、、(笑)。

 

これから夏本番。

体質改善に向けて、無理せず頑張ろうと思っております!

 

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2017年

7月

20日

『ボビー・フィッシャーを探して』(1993年米映画)

先日、史上最年少の14歳2ヶ月でプロ入りを果たし、デビュー以来29連勝を達成した藤井聡太四段。

ネットで彼について調べたら、5歳で将棋を始め、8歳の時には既に将棋界で天才と言われていたそうだ。その後、生来の負けず嫌いの性格もあってメキメキとと実力を伸ばしてきた。

 

将棋はまったくわからないけれど、たまたま彼の連勝中に『ボビー・フィッシャーを探して』という映画を見て、主人公のチェスの天才少年が藤井聡太くんとちょっとかぶった。

 

映画の主人公は実在の人物で、ジョシュ・ウェイツキンという天才チェスプレーヤー。

7歳にして”ボビー・フィッシャーの再来”と騒がれ、16歳でインターナショナル・マスター、全米ジュニアチェス選手権で2年連続優勝したとんでもない神童だ。

 


ボビー・フィッシャーは、アメリカ合衆国の伝説的なチェスプレーヤーである。1943年生まれ。6歳でチェスを始め、14歳でインターナショナル・マスターとなり、15歳でグランド・マスターとなる。

15歳でのグランド・マスターは、世界最年少記録だった。

冷戦下にソビエト連邦の選手を下し、アメリカ合衆国歴史上、初となる公式世界チャンピオンになったことで、英雄としてもてはやされた(Wikipediaより)。

 

この時の試合は、キッシンジャーが自ら電話をかけてフィッシャーを激励するほどに、アメリカの国威をかけた一大事だったらしい。

フィッシャーは29歳で世界チャンピオンになった後、表舞台から姿を消して隠遁生活を送った。世界の様々な場所を転々とし、日本にも事実婚の奥さんがいたようだ。

 

『ボビー・フィッシャーを探して』という映画は、ジョシュ・ウェイツキンの父親が7歳の息子の並外れたチェスの才能に気付いて、かつてのチェスの名手ブルース・パンドルフィーニに息子のコーチを依頼するところから始まる。

 

大人たちは、この小さな少年が第二のボビー・フィッシャーになる事を期待し、ジョシュもその期待に応えていく。

常に勝つ事を求められるって、どれほどのプレッシャーなんだろうか?

映画の中でジョシュ少年は、負ける事への恐怖に押しつぶされそうになる。

 

才能がある者に周りの者たちは無責任に期待し、期待が裏切られた時には無慈悲に失望する。スポーツや芸術の世界でも、一流の人たちはみんなその恐ろしさと戦っているのだ。

 

わずか7歳でそんな恐怖を知ったジョシュだが、父母や師匠の暖かい愛情で乗り越えていく。

やっぱり名を残す人というのは、才能だけではなく精神力が凄いのだ。自分に負けない力が並外れているのだ。

勝負の世界は結果が全てで言い訳は通らない。

誰かに勝つことの前に、まず自分に勝つーその事が本当に難しくて大変なのだなぁ、、。

 

将棋の藤井聡太くんは、押しかけるマスコミや日本中の国民に注目される中で淡々と勝利を重ねた。

映画を見たせいか、藤井四段の将棋の強さもさる事ながら、彼の心の強さに感動した。

14歳でデビュー。まさに神童だ。

この先に待ち受ける沢山の勝負を、どうか楽しみながら戦い抜いていって欲しいと思う。

応援しています!

 

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2017年

6月

27日

太宰治-なぜか混浴について-

最近、太宰治を読んでいる。

 

太宰治は、『人間失格』と『斜陽』を、大学時代に国文学専攻の学生として正しく(?)読んで、以来それきりになっていた。

あまり好きになれなかった。(もちろん『走れメロス』は学校の授業で読んでめちゃ感動したが。)

森鴎外の対極のような生き方をした人で、時代の違いを考えてもとても心が弱い人に思われ、その作品を読もうという気が全くおきなかった。

 

たまたま先日、『きりぎりす』という短編を読む機会があって、ちょっといいな、、と思った。

『カチカチ山』でへぇ〜っと感心し、『東京八景』で妙に感動した。私も人生の苦労が少しは分かってきたってことか、、。

 

今日、『美少女』という短編を読んだ。

そして、ストーリーとは関係なく、えっ?とびっくりした事があった。

太宰治が30歳の時に発表した私小説なのだが、当時、彼は結婚したばかりで甲府市のまちはずれに住んでいた。

 

ある日、彼は妻と一緒に、歩いて20分ほどの温泉に出かける。そこは病気療養の効がある温泉なのだが、普通に混浴なのだ。

”普通に”というのは、作中、太宰や彼の新妻を含め誰一人、混浴という事に違和感を持っていないらしく、みんな平気な顔で湯に入っている。

 


3坪ほどのあまり大きくない湯槽の中で、太宰は、タイトルにある通り16〜18歳くらいの「美少女」に出会い、その裸体のみずみずしい美しさに感激する。

「いいものを見た、」なんて邪気もなく喜んでいるところは、まぁ普通の男性の普通すぎる反応なのだが、、。

 

不躾にじろじろ見ている太宰を咎める人は誰もいない。それどころか、側にいた老爺は「衰弱には、いっとうええ。」とか言って、鉱泉を飲むように親切に勧めてくれるのである。

 

その後の話の展開や、「それだけの悪徳物語である。」なんていう太宰特有の自嘲めいた述懐などがこの作品の面白いところなのだろうが、私はどうにも”普通に混浴”が気になって、いっこう頭から出て行かない(笑)。

戦前(『美少女』は1939年発表 )の日本の風俗が今とあまりに違うので、すんなり受け入れることができないのだ。

混浴というのは江戸時代の話だと勝手に思い込んでいたのもあって、そんなに昔でもない昭和の時代に、混浴が庶民の間で普通にあったというのはちょっとした衝撃だった。

もし外国人がこの事実を知ったら、びっくり仰天するに違いない。

文明国でありえない!と言うだろう(笑)。

 

混浴の歴史なんかを調べてみるのも面白そうだが、それよりも、当時の日本の事を考えてみると興味深い。

このわずか2年後に真珠湾攻撃、こてんぱんにアメリカに負けて『堕落論』なんてものが出て来るくらいに日本人の心が無茶苦茶になっていくのだ。

数年のうちに社会が劇的に変わり、それまでの考え方がことごとく否定されて、人々は誇りも自信も急速に失っていく。

日本の精神文化が、ある意味断絶した。

 

西欧的な価値観が浸透している現代の私たちにとって、戦前の日本はもはや異空間だ。

落語の人情噺や山本周五郎・藤沢周平の世界が、遠い昔のファンタジーに感じられるのと同じくらいに、昭和の日本もきっと、どんどん遠くなっていく。

 

今、”普通”だと思っていることが、数十年後、まったく”普通”でなくなっているかも....と考えるとちょっと寂しい。

既に私が小さかった頃と現在では、近所付き合いでも友人とのコミュニケーションでも、いろいろな事が全く違う。

その一方で、日本人が古来ずっと心に持っているものは、たぶん、どんなに時が経って社会が変わっても変わらない。根っこにあるものは、そんなに変わらない気がする。

考え方は変化しても、心の中まで完全に変わることはないのだと思う。

  

それにしても、じいさんばあさん達と若夫婦、それにとびきりの美少女がみんなで一緒に湯槽につかっているって、何だかもの凄い事じゃないだろうか、、。

想像すると、ほのぼのし過ぎて泣けてくる(笑)。

 

日本はほんと良い国だなぁ....。つくづくそう思う。

太宰治も、だんだん好きになっている。

 

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2017年

6月

20日

隣りのマンションで!

夕方、5時過ぎ。

さて夕飯の支度でもするか、と思った矢先だった。

 

けたたましいサイレンの音がいきなり近づいて来た。

スピーカーで男性が何かがなりたてている。

緊急事態が起こったんだなと分かったが、どうもうちの近所らしく、がなり声がめちゃくちゃ近い。もの凄く近い。その上、なかなか遠くに去っていかない。      

あれ?と思ったが、スピーカーの音が割れて何を言っているのかほとんど聞き取れない。

ちゃんと聞こうと思ってベランダに出てみたら、通行人が何人か立ち止まってこちらを見上げていた。

え〜っ、うちのマンション?! と慌てて、ベランダと反対側の玄関まで走ってドアを開けた。

 

私の部屋は3階で、ドアの前の通路から隣りのマンションの3階通路が見渡せる。

ちょうど斜め前あたりの部屋のドアの前に、完全装備の消防士さんが3人駆けつけていた。

「ドア、開いてる!」と一人が大声で叫んで、もうもうと大量に流れ出す灰色の煙の奥に、真っ黒に焦げた部屋の中がちらっと見えた。

火はもう収まったんだろうか。

「わ、火事!」と驚いて部屋に戻ると、ベランダと玄関をうろうろ往復した。

ベランダでも玄関でも、うちのマンションで慌てているのはなぜか私一人だ....。

何だか気抜けして、部屋の真ん中で所在なく立っていた。

 

しばらくするとスピーカーで、「荻窪消防署です。火災が発生しましたが、延焼を防御しました。ご協力に感謝します。」と、今度は落ち着いた優しい男性の声で、何回も繰り返すのが聞こえてきた。

 

「あ〜良かった。」

ひと安心してまたベランダに出たら、銀色の防火ヘルメットをかぶった消防士の男性が一人、表通りに立っているのが見えた。     

周りに気配りしながら、でも凛としたその佇まいに、思わず「かっこいいなぁ、、。」と呟いた。

 

その人は、3階のベランダを見上げる事なく、通行人や車に終始注意を配っている。

銀色の防火ヘルメットがキラキラしていた。

 

手すりにもたれてじっと見とれてしまった。

( お仕事、本当にご苦労さまです!)

 


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2017年

6月

18日

風邪をひいた、、。

ここ4日間ほど、ひどい風邪で寝込んだ。

首の筋と頭が熱のせいでズキズキと痛み、ベッドに倒れこむとそのまま起き上がれなくなってしまった。

風邪で寝込むのは今までにも何回かあったが、今回は、予想外のヘタレ加減に自分でびっくりした。ベッドの中でまるで力が出ない。

寝ても寝てもまだ寝れる。日にちの境目がぼんやりするほど、寝ては醒め醒めては眠るを繰り返し、人間てこんなに寝れるもんなんだなぁ、と痛む頭の中でつぶやいた。

 


普段はあんなに几帳面に働いてくれていた私の胃腸が、主人が不調となると、とっとと休業を決め込んだ。

わずかな量のおかゆもなかなか食べられなくなった。

ヨーグルトと牛乳と麦茶をやっと体の中に入れた。薬は葛根湯しかない。

 

去年くらいからみんなに痩せた痩せたと言われ、自分では特に自覚もなかったが、そんなに言うなら、と甘いものを多めに食べて頑張っていたところだった。

努力が水の泡だ....と思ったら、ひどくがっかりした。

 

まぁそんな事より、1日寝れば治ると思っていたのが二日三日と長くなると、生存の危機がちらつくようになった。これはヤバイ、、とぼうっと考えた。

ちょうど1年前に健康診断をうけていて、どこも異常が無かったから大丈夫だろうとは思ったが、万が一という事もある。

「今のところ心配いりません。」と無愛想に請け合ってくれた、年配の内科のお医者さんの顔を、すがるような気持ちで思い出した。

 

いざとなったら近くのお医者さんに行けばいいのだ、、。

そう思っても、それは最終の究極の絶望的段階で発生する事象であって、それまでは何としても自力回復を目指す。

私は病院がとても苦手だ。

 

「参ったね....。」と独り言をぼそっと言ったら、みごとな鼻声(笑)だった。

これはやはり風邪に違いないようだが、一体いつまで絶不調が続くんだろうか。

 

********************************

約束していた幾つかの用事を思い出して、ベッドに寝ながらキャンセルのメールを打っていたら、少し頭痛が和らいできたのを感じた。

食欲も僅かだが出てきた。胃腸がようやく、ゆるゆると働き出したようだ。

 

半日そのままゆっくりしていて、夕方になってから、近所の商店街に買い出しに出かけた。

足がふらふらする。

大きなマスクをしたから、面やつれした顔の半分が隠れた。

 

肉屋のおじさん、パン屋のおかみさん、八百屋のお兄さん、それぞれのお店で、本当に酷い風邪で大変だったとちょっとおしゃべりをした。

「また頑張って太らなきゃ....。」私が言うと、肉屋のおじさんが陽気に笑った。

 

おじさんの笑顔を見た瞬間、生還した嬉しさがこみ上げてきた。

また最初から始めよう。いろんな事、また最初からだ、、。

両手に買い物袋をぶら下げてゆっくり歩きながら、夕焼けの空をふと見上げた。

晴れやかな気分になった。

 

う〜む、我ながらドラマチックなエンディングでちょっと笑った、、。

 

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2017年

5月

29日

関屋中学・化学クラブ -Part5-

中学時代の秋の文化祭。

文化クラブ部員にとって一年に一度の晴れ舞台なのだが、十代前半の青少年たちには”文化的活動”というとどちらかと言えば地味に見えてしまう訳で、、。

そこへいくと、我が化学クラブの活動はある意味、ちょっと派手だった。

 

先輩たちが4人がかりで庭に運び出した、”関中・化学クラブ伝統”のちょっと古びたお手製の火山。


茶色とか緑色の彩色が全体に褪せて、長年の歴史と風格を醸し出している。

火薬に混ぜた少量の化学物質がその種類に応じて綺麗な色の炎を創り出し、火口から噴き上げる噴火の迫力はなかなかのものだ。

 

部室内では、化学燃料で小さなロケットが針金を伝ってピューッと飛んでいて、部屋の真ん中に、これまた”関中・化学クラブ伝統”のケミカルガーデンが鎮座していた。

部員たちは、水の色が手品のように変わる、水を数滴垂らすと綿がパッと燃え上がる、ビーカーから煙と共にむくむく謎の黒い物体が現れる....なんておもしろ実験を、訪れた人たちに見せていた。

 

他に、私たち2年生部員で話し合っていくつか出し物を考えた。、、というか、元気いっぱい盛り上がって悪ノリしていた(^ ^);;v

私が覚えているのはその悪ノリ出し物のうち2つで、なぜその2つだけ覚えているかというと、私が『やらかした』からで、後で部活の先生に本気で怒られた。

 

1 .塩酸の水溶液でお金をピカピカにする

 

みんなにとても喜ばれたが、翌日、お金がお金でなくなったと文句を言われた。

水で洗浄してあげるのをすっかり忘れて、一晩でお金の表面がきれいに溶けてしまったらしい、、。すみません、、。

 

2 .口から火を噴く

 

今、突然思い出したのだが、中学時代の私のあだ名は『ゴジラ』だった。

う〜ん、だから最近のヒット映画『シン・ゴジラ』に妙なシンパシーを感じていたのか、、。

 

何故、あだ名が『ゴジラ』だったのかは置いておいて、ゴジラなら口から火を噴くだろうってもの凄く単純な発想で、私が火を噴く担当になった。(たぶん、そんな経緯だったんだろうと思う。)

口に含んだアルコールをパァーッと噴き出したところに火をつけるという、今考えれば完全にNGな企画なのだが、みんな悪ふざけで「やっちゃえ!」となった。

ところがここに一つ重大な問題が....。

 

私は、唇をブルブル震わせる技とか「ルルル〜」の巻き舌とか、口周辺に関わる動作がいろいろと出来ない。神経がいくつか足りてないんじゃないかと思われるほどに出来ない。

スープをスプーンで飲む時も、下手をすると口の端からたら〜とこぼれてしまう。

見かねた友人に、「みっちゃん、スープ吸ってる?」と聞かれた事がある。

そっか、、スプーンで口に入れた時に吸う必要があるんだな、、。そう気付いたのはすっかり大人になってからだ。

 

そんな訳だから、頭の中では、時代劇なんかで刀傷に焼酎をプァーッ!とやる画面がしっかり浮かんでいるのだが、実際にそのような高等技術が私に使えるはずはなく、かっこつけてアルコールを口に含んだまでは良かったが、そのままどうやってもうまく噴き出せずに、ごっくんと飲んでしまった。

 

その後の事は覚えていない。

アルコールの濃度がそれほど高くなかったにしても、中学生だし、きっとぶっ倒れたんだろう、、後で先生に大変な大目玉を食った。

 

 

「2年生文化祭計画」-伝統ある関中・化学クラブの晴れ舞台- は、大きな事故もなくほぼ成功裏に終わったが、私の技術不足(?)のせいで、仲間に多大な迷惑をかけてしまったことがとても申し訳なく悔やまれる。

華々しい『ゴジラ』デビューもやり損なった。

 

その後の長い人生で、唇をブルブル震わせる技も「ルルル〜」の巻き舌も焼酎をプァーッ!も、何一つ修得できなかった。

「自転車のひらり乗り」(以前、このブログで書いたのだが、この「ひらり乗り」ができないおかげで、私は自転車には絶対乗らない。)とか、人の誕生日をまるで覚えられないとか、他の人が普通に出来るのに私には出来ない事がたくさんあるのだ、と夜中にひとり、しみじみ思った、、(涙)。

 

、、でもまぁ、私には音楽がある!と慰めたところで、Part1〜5まで長々と書いてきた私の化学クラブのお話は終わりです。

 

いやぁ、最初に書き始めた時はこんなに長くなるとは思わなかった。いろいろな事が少しずつ思い出されて、しばし楽しいタイムスリップをしました(笑)。

 

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2017年

5月

14日

関屋中学・化学クラブ -Part4-

私の中学時代の記憶は、薄くぼやけていて、思い出せる事といったら本当に数えるほどしかない。

学校近くにあったケーキ屋さん( 以前このブログに書いた、夢のようなケーキ屋さん )と、何人かのクラスメートと担任の先生の事くらい、、。

 

実は、化学クラブの事はすっかり忘れていた。

それが、机の引き出しの奥から偶々出てきた、私が書いたと思われる『2年生文化祭計画』というよれよれの企画書をじっと眺めていたら、不思議なほど鮮やかに、あの当時、感じていた気持ちや部員の仲間・部長さん・先生の顔が次々と浮かんできた。

 

あの2年生の秋。

悩める青春時代である(笑)。もやもやといろいろな事に悩んでいた。

自分のことや家族の事。そして学校についても一つ不満があった。

まぁそんなに大した事じゃないのだが、早い話が「運動部ばっかり!」だ。

 

体操や陸上、水泳やバレーボール、バドミントン・サッカーに野球....。

花形選手はめっちゃめちゃかっこいいし、校内の話題も運動部に集中するのは仕方ない。

でも、化学クラブだって、爆薬で火山が噴火するし(火山、小さいけど....)、固体燃料でロケットがピューッて飛ぶんだよ(教室の中だけど....)、ケミカルガーデン、知ってる?すっごい不思議で綺麗なんだから!という訳だ。

 

性格というのは、成長してもあまり変わらないものだ。

自分のやっている事に対する圧倒的な肯定感というのは、この頃から既に芽生えていたと思われる(笑)。

負けん気とは違って、信念の問題だ。

人からどう見られようと、これが自分にとってベスト、これでOK、みたいな気持ちか、、。

人とはちょっと違うこの風変わりな価値観のおかげで、今までの人生、比較的幸せな精神状態で生きてこれたんだと思う。

つまり、私はかなりな変人であった(笑)。

 

この時は、大好きな”化学クラブ”を、周りのみんなにもっと知ってもらいたいという気持ちでいっぱいだった。

 

う〜む、またしてもすっかり長くなってしまった。

残念エピソードが、なかなか書けない、、。

すみませんm(_ _)m、次回、繰越しです。

 

***Part5に続く*** 

 

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2017年

4月

29日

関屋中学・化学クラブ -Part3-

『化学ガールな私』の残念エピソードを書こうと思ったのだが、その前に、この今にも破れて散ってしまいそうなわら半紙の裏表に書かれた「2年生文化祭計画」なる”野心的な企画書”(笑)を、記録に残しておこうと思った。

私が書いたよくわかんない説明図もあるのだが、それは省く。

 

PCで書き写していたら、私の頭の中に、当時の情景がポツポツと浮かんできた。

中学2年生・元気でちょっと不機嫌そうな女の子が、試薬のビンを片手に立っているのが見えた、、。

 

1.砂糖のおばけ

 

ビーカーに砂糖を半分ほど入れて、濃い硫酸をひたひたになるまで注ぎ、ガラス棒でかきまぜる。

すると、煙の中から黒い塊りがむくむくと伸びてくる。

 

***濃い硫酸が砂糖から水分を奪い取るために、炭素に変わっていく。

この時、熱とたくさんのガスができるが、そのガスが炭素の塊りを膨れ上がらせる。

 

2.水が綿に火をつける

 

二〜三滴の水を落とすと、綿がパッと燃え上がる。

 

***綿に、過酸化ナトリウムの粉をかけておく。

それが水と反応して酸素を出し、綿が燃え上がるのを助ける。

 

3.色の変わる水

 

四つのコップを左から①、②、③、④とする。

①と③に数滴のフェノールフタレインを、④には十数滴の酢を入れておく。

これに水差しの水を注ぐと、①と③は赤くなる。

 

***水差しの水に、二〜三滴のアンモニア水を入れておいたからである。

①、②、③の水を水差しの中に戻し、再び①、②、③に注ぐと三つとも赤くなる。

コップの水を全部、水差しに戻すと、④の酢のために全部の水が酸性になるから、あらためて注ぐと、四つとも透明な水にもどる。

 

4.火山が緑の山に

 

石綿の板の上に、重クロム酸アンモニウムの赤い粒で山をつくる。

そのてっぺんに火をつける。

やがて、この山は噴火を始める。( 暗室だといっそう美しい。)

燃えかすは、濃い緑色の灰( 酸化クロム )になる。

 

5.ケミカルガーデン

 

ケミカルガーデンとは化学の花園という意味である。

水ガラス( ケイ酸ナトリウム )を2倍の水で薄めた液に、いろいろの金属塩の結晶を落とすと、結晶の表面から金属のケイ酸塩が、木の枝のように次々と形成される。

 

6.ロケット

 

エンジンの中の固体燃料が燃焼して、気体を噴き出すため、針金を伝って動く。

 

(私注:部室の高い所に、部屋を斜めに横切るように細い針金を張って、小さな手製ロケットが滑って移動できるようにしてあった。)

 

7.レモン電池

 

十円玉2枚と一円玉2枚を、それぞれ一組にして、間に導線をはさむ。

 

(私注:縦割りにしたレモンの中に導線のついたコインを埋め込んだ図が描いてある。)

 

***Part4に続く*** 

 

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2017年

4月

13日

関屋中学・化学クラブ -Part2-

古びた木造校舎の奥の方の教室に、化学クラブ部室があった。

1階だったか2階だったか....。

 

重い引き戸を開けるとちょっと入ったところに、かなり大きな水槽が台の上にどんと置いてあった。

水槽の中では、鮮やかな赤や緑や青色の木の枝のような形をしたオブジェが”育って”いて、「これは、ケミカル・ガーデンというもので、、。」」と先輩が説明してくれた。

 

****************************

ケミカル・ガーデンは化学の実験である。

実験方法はケイ酸ナトリウムの水溶液(水ガラス)に硫酸銅や塩化コバルトなどの個体金属塩を加えることである。

結果には数分〜数時間かかり、溶液の中に植物上のものが生成される。(Wikipediaより)

****************************

 

水槽に満たした水ガラスの中に金属塩を少量入れると、互いが反応して、青や緑やオレンジ、紫や赤など色とりどりの美しい樹々が生まれる。(その色や形は、金属塩の種類に依る。)

初めて部室でケミカル・ガーデンを見た時、なんて奇妙で美しいんだろう、と思った。

 

大学で国文学を専攻して、宮沢賢治が好きになった。

彼が詩の中で、ケミカル・ガーデンを『硅化花園』と呼んでいるのを発見して、「わ、さすが宮沢賢治....、なんて言い得て妙なんだ!」と驚いたのを覚えている。

この化学の花園を、実際に観察できただけでも化学クラブに在籍して本当に良かった。

宮沢賢治と同じものを見て、その詩の世界を、自分の経験に引きつけてイメージできるなんて、ファンとして実に感動的なことだ。

 

『宮沢賢治学会イーハトーブセンター会報第40号 

硅花花園(ケミカル・ガーデン)』


さて、関屋中学・化学クラブ。

放課後になると、この結構広い部室に部員たちが集まって来て、火山を爆発させたりロケットを飛ばしたり、その他いろいろ摩訶不思議な実験をしていた(笑)。

 

そして迎えた、運命の『2年生文化祭』である。

 

***Part3に続く***

 

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2017年

4月

06日

関屋中学・化学クラブ -Part1-

中学生の時、化学クラブに入っていた。

数学はチンプンカンプンなのに、なぜだか『化学』にときめいていた。

今、思い出しても本当にどうしてなのか分からない。

理数科目全般にほとんど縁の無い人生の中で、この中学三年間だけ、私は『化学ガール』だった。

 

 


小学校の夏休み自由研究でやった、父・プロデュース(笑)の水質検査のせいかもしれない。

フラスコ・ビーカー・試験管、天秤や試験薬なんかを買ってもらって、試験管立ては、父が木工細工で作ってくれた。

サンプルの河川の水を採りに、父と一緒に電車に乗って出掛けたピクニックのような遠征旅行は、映画のワンシーンのようによく覚えている。

その時の経験が、子供心にドキドキ楽しかったのかもしれない。

学校の図書館で読んだ『キュリー夫人』はとても感動したし、試験管を片手に記録をつけるのが、キュリー夫人みたいにかっこよく思えたのかもしれない。

 

中学校に入るとすぐ、あまり迷う事もなく化学クラブに入部した。

 

先日、新潟の実家で自分の部屋を片付けていたら、机の引き出しの奥から「2年生文化祭計画」と鉛筆で書いたわら半紙が出てきた。

全く記憶にないが、このくねくねした癖のある字は、間違いなく私が書いたのだ。

計画書には、文化祭の出し物について7項目、簡単な説明とやり方が書かれている。

 

なかなか野心的な企画だ(笑)。

部活の先生や部員たちと話し合った内容を書き留めたんだな、きっと。

 

今にも破れそうなわら半紙を眺めていたら、あの文化祭の時の事を朧げに思い出した。

そうだ、私がやらかした”珍事件”(笑)があったんだ、、。

 

関屋中学2年生・『化学ガールな私』の残念エピソード。覚えている限りで、ちょっと書いてみます。

 

***Part2に続く***

 

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2017年

3月

26日

ガレージと梅の花

新潟にはほとんど毎月帰っていて、両親が残した様々なものを、昔を思い出して懐かしんだり、あまりの大量さを呪ったりしながら、一つ一つゆっくり整理している。

 

先月、近所の方から、うちの空いているガレージを貸してくれないかというお話があった。

父はたしか、70代後半で車の運転はやめていて、以来、ガレージは物置きのようになっている。

 

重いシャッターをガラガラと上げると、カビと埃の臭いがモワッと襲ってきた。

 

父が買い物に行く時に乗っていた電動のシルバーカーや錆びた自転車、いらなくなった家具や健康器具、茣蓙や絨毯、庭道具、その他いろいろな小物類が、ぐしゃっといっしょくたに、足の踏み場もないほどに置かれている。

これを片付けるとなると、えらいことだ、、。

 

高校時代に使っていた、髪のカール用のホットカーラー・セットが隅の方から出てきた。

毎朝、せっせとカーラーを巻きつけておしゃれをしていた高校生の私を思って、カビと埃まみれのガレージの中で、ふと遠い目になる私であった(笑)。

 

ガレージのすぐ傍が玄関に上がる数段の階段になっていて、玄関の周りには狭い前庭がある。

松や椿や梅の木が植わっているが、父は、肥料はあげるが剪定などはしない人で、庭木はそれぞれ自由奔放・勝手気儘に育っている。

まぁ、父は私にもそうであった(笑)。

 

ガレージと玄関を、処分する物を抱えて何回も行き来しつつ庭の方を見ると、2本の梅の木が競うように満開に咲いていた。

大きく横に伸びた枝々に、たくさんの淡い白色の小さな花と、その奥に濃い紅色の蕾がちらほら見える。

今年は、梅の見頃の時期にちょうど当たったんだなぁ、、。

 

主人がいなくなった家の庭で、手入れもされず、でも毎年春になるとこの梅たちは、こんなに綺麗な花を咲かせていたんだ....。

 

梅の香りが大好きな近所の友人が、数日前にくれた、「みっちゃんのおうちの梅が帰りを待つようにきれいに咲いています。…」というメールを思い出して、胸の奥がキュンとした。

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2017年

3月

14日

ヤクルト

この時期は毎年、朝起きてから夜寝るまで、花粉症のおかげでひどい目にあう。一年のうちで、一番晴れやかな気分で過ごしたい季節なのに、、。

厳しい冬が終わり体も心もほころんで、ちょっと薄着になって桜を見に行くとか、友だちと一緒におしゃべりしながら街を歩くとか、ここ数年、そんなちょっとした外出もためらってしまう。

 

花粉防止のマスクで息が苦しいし、目はむちゃくちゃ痒い、頭はぼっとする、鼻水は出る、、。

杉にも檜にも恨みはないのだけれども、そもそも一体どうしてこうなったんだ?と誰かに聞いてみたい気にもなる。

 

先日久しぶりに、ボーカルの多美ちゃんと青梅の公民館でリハーサルをする事になった。

う〜、青梅か、、。花粉が盛大に舞い飛んでるんだろうなぁ、、。

実はかなり以前、やはり春先に、多美ちゃんとこの場所でリハをやった事があって、その時は二人とも大きなマスクに涙目で、口には出さねどお互い同病相憐れむの風情だった。

 

それが、先日のリハの時。

私も多美ちゃんも、マスク無しで晴れやかだ。何か以前と違う、、。

「今年って花粉、飛んでないの?」と私が聞くと彼女は、そんな事はない、例年通りだと言う。

奇跡が起きて花粉症が治ったのか! 私は、お気楽にバンザ〜イと叫ぶ気持ちになったが、冷静な多美ちゃんは優雅に微笑みながら「ここのところ、ヤクルトを飲んでいて…。」と言う。

 

あれ? それはどこかで聞いたような、、。

そうだ。新潟で高校の同級生たちと飲んだ時に、「花粉症にヤクルトが効くらしい。」と話題に出た。

 

それ以前に私は、乳酸菌が腸のために良いというのをネットで見て、花粉症とは関係なくヤクルトを飲み始めていた。

花粉症とヤクルトの話を聞いた時は、ふ〜ん、そういう事もあるかもね、なんて軽い気持ちで聞いていたが、先日の多美ちゃんの一言で、「花粉症にヤクルトが効く。」説に、もの凄く激しく同意した(笑)。

 

完治したというのではないけれど、症状が格段に軽くなっているのは確かだ。

花粉症対策に何か薬を飲むという事もなかったから、効果があったとすれば、やっぱりヤクルトだと思う。

 

値段は安いし、甘くて美味しいし、小さいからすぐ飲めるし、、。

 

ヤクルトさん、貴方は偉大です!

 

今年の春は、お花見も散歩もウィンドーショッピングにも出掛けられると思うと、嬉しくて仕方がない ^ ^


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2017年

2月

24日

誕生日に気付いた事。

実を言うと、今日は誕生日。

全くめでたくないなぁと思いながら、というか、ほとんど思い出しもせず、いつも通り一人晩酌をやっていた。

 

うちの家族は、母も父もあまり記念日というものに頓着がなく、小さい頃から、家族の誕生日は天下泰平・日々息災の日だった。(つまり、普通に1日が終わった....笑)

 


そんな訳で、誕生日がお祝いすべき日であるというのが、私にはずっとピンと来なかったし、誕生日は親に感謝をする為の日だ!なんて理屈をこねていた。

 

私が20代の頃だったか、近所に美味しいステーキ屋さんができた。

たまに家族で行っていたのだが、そのうち、家族の誕生日が近くなると、お店からセットメニュー割引と記念撮影サービスのお知らせのハガキが来るようになった。

それからは毎年、父と母と私、三人の誕生日になるとそのお店に行って、ステーキを食べ記念写真を撮った。

誕生日を祝うというより、東京で仕事を始めていた私が新潟で家族と過ごす大切な時間だったし、三人で並んで写真を撮ってもらうのが何より嬉しかった。

 

ステーキ屋さんは、それから数年後、残念ながらなくなってしまった。

家族のイベントが行われなくなると、記念日はまた消滅してしまった。

恐ろしい事に、私は恋人ができても彼の誕生日をうっかり忘れそうだった。

それでも若い頃は頑張っていた、それなりに....(笑)。 

(友人たちの誕生日をたくさん覚えている人がたまにいるけれど、私にはもの凄い驚異だ!)

 

感謝するべき両親もこの世にいない今、私にとって誕生日というのは、ただ一つ年を重ねるという事実しか感じなくなっているのだが、先ほど、友人からおめでとうメールが届いた。

ありがとう^ ^とは言いながら、本当はあんまりめでたくない、、なんて可愛げのない返信をしたら、彼女からすぐに一言、届いた。

 

『元気に生きているってことはじゅうぶん幸せなことよ。』

 

そっかぁ、、と思った。

みんながお祝いをするのは、そういう意味だったんだと今更ながら気付いた。(本当に今更....。)

こうして元気でいる事を喜ぶ日が誕生日なんだ、そう思ったら、自分の幸せをじわじわと感じた。

思うとおりに人生を送れているのは、元気だからなんだ!

 

ケーキ買ってくればよかったなぁ。

明日もう一回、誕生日やるか、、美味しいもの作って、、。

 

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2017年

2月

13日

*お詫び*

今朝、大変な事が判明しました。

当ブログの『お問い合わせはこちらから』に書き込みをして頂いた方々へ。

 

ブログ管理の作業で、メールアドレス設定の修正が遅れた為に、お問い合わせの内容が一部、こちらに届いていなかった事がわかりました。

大変申し訳ありません。(修正前のアドレスは現在、削除されています。)

ご迷惑をおかけして本当にごめんなさい!

 

ブログ本文のコメントは問題ありません。

これに懲りずに、どうぞまたこのブログを宜しくお願い致します m(_ _)m

 

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2017年

2月

11日

スキー

新潟出身というと、たいがい「雪が凄いでしょう。」と言われる。

新潟県は北東から南西に随分と長い県で、私が生まれた新潟市は、湯沢や十日町といった豪雪地帯とはだいぶ離れているし、日本海を隔てて佐渡島があるおかげでそれほどの大雪は降らない。

それでも、私が小さい頃は、新潟市内にも雪が今よりたくさん降った。

一番すごかった時は、一階の屋根まで雪が積もって玄関から出られなくなった。子供にとっては大イベントだが、大人たちはさぞ大変だったろうと思う。

毎年そうであれば備えがあるが、新潟市は、忘れた頃にドカッと降った。

 

小学校の校庭が一面の雪だ。

ちょっと小高くなっている場所に自然のスロープが出来て、どこから持ってきたのか思い出せないが、小さな子供用のスキーに長靴をひっかけて、みんなでキャッキャキャッキャ騒ぎながら滑った記憶がある。

 

親戚の叔父さんに、大きなスキー場に連れて行ってもらった。

大勢のスキーヤーで混雑する休憩のロッジは、持ち込まれた雪で暖かく湿っていて、ジュークボックスから流れる流行歌、大人たちが華やかに会話する様子や、日が落ちて暗くなった窓の外にライトの光でほの白く浮かび上がる雪原、まるで夢の中の出来事のようだった。

私はもっぱら下のゲレンデで、直滑降でひゃーっと叫びながら滑るだけだったが、それでもスリル満点。

全てが楽しかった。 

 


あのまま大きくなっていたら、今頃は普通にスキー愛好家になっていただろう。

 

新潟では、学校の体育の授業にスキーがある。( 他の県でもあるのかな?)

高校生の時のスキー合宿が”悪夢”だった、、。

 

二泊三日くらいだったんだろうか、引率の体育の先生に連れられて、近場のスキー場にわいわい出掛けた。

プルークボーゲンとか上手な転び方とか方向転換とか、いろいろ習って一日中滑る。

夜は大部屋でまとまって寝るのだが、修学旅行のように枕を投げ合うでもなく、昼間の緊張と疲れで即撃沈だ。

朝起きたら、なんと、足がパンパンにむくんで象の足のようになっていた o_o

私の足じゃない〜と恐怖に震えつつ、もうほとんどやけくその根性でゲレンデに向かう。

 

授業の仕上げに、リフトで登って山の上から滑るのだが、そこで先生がう〜んと考え込んだ。

「こりゃ〜プルークボーゲンじゃ降りられんなぁ、、。」

「よし!斜滑降を教える。こうやってこうやってこうしてこうだ。いいか!ちゃんとやらんと直滑降になって、崖下まっさかさまだぞ!」

「ひぇ〜!(泣)」

 

とまぁこういう訳で、すっかりスキー恐怖症になってしまった。

どんなにゴージャスで魅力的なツアーでも、スキーをやるならパス、どんなに付き合いの悪い奴と罵られようが絶対にパスだ。

この時期、新幹線でも高速バスでもスキー客が多い。

あの”悪夢のスキー合宿”さえなかったら、こんなふうに楽しめたのかなぁ、、とちょっと考えてみる。

 

まじっと考えてみたが、いやぁ....やっぱりお家でホラームービーだなぁ....。

だって、たとえスキー愛好家になったとしても、真冬にスキーに出掛けるより、暖かい部屋でみかんを握りしめながら、極恐のホラーで「わぎゃ〜!」と叫んでいる方が楽しいに決まっている。( そもそも、そういう性格の人はスキー愛好家にならないし.... -_- )

要は、どちらがより好きかの問題だ。

 

スキーは、新潟県人の最低限のたしなみとしてちゃんと学んでおくべきだと思うので、あのスキー合宿は行って良かったのだ。新潟に生まれて、スキーは直滑降のみ!てのは、やはりちょっと清々し過ぎる。

でも、ホラー級の恐怖を味わうのは映画の中だけでいい。

”象の足のように膨らんだ足”は、今でも夢に見そうだ、、。”直滑降で崖下”も背筋が凍る、、。

 

大のホラー好きというのは、えてしてとっても臆病だったりする。

実生活では、平穏無事が何よりだと思う(笑)。

 

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2017年

1月

26日

トランプ新大統領

新潟に帰っていた時に、米ワシントンでトランプ氏の大統領就任式があった。

 

テレビはほとんどそのニュース一色で、いろいろ解説を聞いていると、今までとはまったく違う政権になりそうで、期待より不安がどっと大きくなった。

日本は同盟国だし、こんな不安定な世界情勢の時だから、アメリカにはほんと頑張ってもらわないとなんだけど、、 。

        (NHKネットニュースより)


つい先日、BSドキュメンタリーで、オバマ大統領の議会とのすさまじい闘いを見た。

スピルバーグ監督の映画『リンカーン』も見たばかりだ。

そのせいか、これからアメリカの政界で起こるであろう大混乱を思って、ちょっとブルッとした。

 

アメリカの民主主義は、政権が大統領中心に一丸となって、一筋縄ではいかない議会と大格闘する。

日本の民主主義もそうなんだろうけれど、日本人の魂の根底に『和を以て貴しと為す』が宿っているせいか二大政党制ではないせいか、あそこまでの激しさとは違うように(傍からは)見える。

米国議会は、トランプ大統領とどう対処するんだろうか。

踏みとどまって一部の暴走を押し返すだけの力があるんだろうか、、。

 

日本が、世界に対して果たす役割。日本に対して、世界が期待する役割。

どちらも、これから大きく変わっていくんだろうなぁ。

世界の中の日本、もしかしてチャンス到来か?

 

頑張れ、日本!頑張れ、安倍首相!

 

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2017年

1月

14日

鷗外の手紙(...と何故かゲーム)

1月5日の産経ネットニュースで『鷗外29歳の筆…全集未収録の書簡見つかる』とあった。

明治24年2月27日付、ドイツ留学から帰国して3年、『舞姫』発表から1年だ。

作家で劇評家の饗庭篁村(あえばこうそん)に宛てたもので、鷗外の留守時に篁村が訪ねてきて、書き上げたばかりの原稿について「今日おん目にかくべかりしにと遺憾」ーぜひ見せたかったと残念がっている内容なようだ。

巻き髪に毛筆で書かれている。

素晴らしい達筆にしばしうっとり、、。毛筆で文字を書くって、実は密かに憧れている。

Jazzの次は、きっと”書道”だな、、うん。

 

お正月のインターネット・チェックで凄いのを見つけた。

『文豪とアルケミスト』

オンラインゲームらしいのだが内容はまったく不明。

”文豪”というネーミングに惹かれてちょっと覗いてみたら、まぁ。。

芥川龍之介、永井荷風、島崎藤村、夏目漱石、北原白秋…その他錚々たる文豪たちが、ナヨナヨかっこいいイケメン・アニメキャラ(笑)に変身していた…o_o

 

森鷗外は、1989年の日独合作映画『舞姫』で、郷ひろみが主人公(鷗外)役をやった時のイメージだよね、きっと。

* *六草いちかさん( ドイツ在住。『鷗外の恋-舞姫エリスの真実』の著者 )が、映画での郷さんのドイツ語の発音、かなりなものだと褒めていらっしゃいました。**

でもさぁ、谷崎潤一郎はなんなの、これ?っと突っ込みまくりなわけだが、とりあえず、鷗外は凛々しくかっこいい(笑)。

 

この平成の世に明治の文豪がゲームのキャラクターって、、不思議を通り越してただただビックリなのだが、ゲーム好きな若い人たちの中に、明治時代の作家に興味を持つ人たちが一定数いるという事なんだろうか?

 

だいたい、世界の至る所でグローバリズムが叫ばれ、経済だけではなく文化的にも多種多様で刺激のあるコンテンツが溢れるこの日本で、一世紀以上前の明治の作家たちがネットの世界に登場(それもアニメキャラで、、)ってのは、単純に「わ〜、凄い!」と喜んでいい事なのか、、。

しかも、どうしてみんなナヨナヨかっこいいのだ?( 本人たちと違い過ぎる....。)

 

なんだかよく分からないしゲームもやる気はないが、彼らが「過去の遺物」などでは決してない!という事だけはイメージ的になんとなく伝わってきて、鷗外ファンとして、それだけはちょっと嬉しい。

 

まぁいろいろと納得いかないが、とりあえず、鷗外のキャラクターはスクリーンショットで切り取ってファイルに保存した(o_o)v

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2017年

1月

04日

こうと汁

新年の朝は、『こうと汁』でお雑煮だ。

『こうと汁』というのは新潟の郷土料理で、大根・人参・牛蒡・長ネギなどの野菜と豚肉や鮭、油揚げや焼き豆腐その他たくさんの具材をしょうゆ味で煮た、言わば”和風実だくさんスープ”だ。

 

その中に焼き餅を入れるのが我が家のお正月で、今は亡き母が”味付け監督役”だった。

「甘い」「しょっぱい」「味がない」「ん〜なんか違う、、」となかなか厳しくて、母がテレビを見ている居間と台所を、汁を入れた小皿を捧げ持って私が往復する、というのが大晦日の恒例だった。

 

新潟ではどこの家でも、お正月は『こうと汁』なのだと固く信じていた。

 

       (クックパッドより)


昨年11月某日@新潟。

気の合う高校の同級生三人と、駅前の小粋な料理屋さんで飲み会をやった。

 

仕事帰りの一杯ってことで、わたし以外はみんな働くビジネスマン。

なんとも頼もしいオーラが出ていて、日本の未来のためにひとつよろしくと、自由気ままに音楽なんぞやっている私には、自然に頭が下がる思いがした。

ビールで乾杯の後、突き出しの皿の中にあった塩焼きの銀杏をつまんだ。

 

私「銀杏、美味しいねぇ。」

A君「うん、家のそばに、秋になると銀杏の実がいっぱい落ちるんさね。その実がほんと臭くてさ。」

B君「そうそう、俺んちもいっぱい落ちてる。」

C君「銀杏の実ってのは?」

A・B君「今食べてるこの銀杏は、梅干しの種の中身みたいなもんでさ、この殻の周りに実がついてるわけよ。その実ってのは、見てたらカラスも食べないんだよね。」

C君・私「ふ〜ん。そうなんだぁ。」

 

実を言うと私は、苺は木に生って、トマトは地ベタで育つとかずっと思っていた稀に見る無知なヤツで、銀杏について知らないのが私一人じゃなかった事に、内心ちょっとほっとしていた。

 

だいたいこういう場合( 特に相手が親しい友達の場合 )

「えぇ?うっそ〜!」

「苺が木に生るとか、信じらんない。え、マジ?」

なんてリアクションになる可能性もあるので、C君の存在は大変心強かった。

( A君もB君も優しいので、そんな心配はほとんどないのだが....。)

 

イチョウとカラスについての新知識を得てちょっと気を良くした私は、銀杏の横の、香ばしく焼きあがった秋鮭に箸を伸ばしながら言った。

 

私「うちはさぁ、お正月の『こうと汁』にも銀杏、入れるんだよ。」

A君「……。」

B君「……。」

C君「……。」

私「え?『こうと汁』に入れない?銀杏、、。」

C君「えぇと....、みっちゃんちは、お正月に『こうとじる』というものを食べるんだね?」

私「え〜っ !? みんなんち( みんなの”うち”の省略形 )は食べないの?」

 

めちゃくちゃ焦って、一人パクパクパニクる私。

新潟のお正月は『こうと汁』で決まりなんではなかったのか、、よそんち(よその”うち”の省略形 )はいったいお雑煮を何で食べているのだ?

うちや、うちの親戚は、新潟でも”変わったうち”だったのか?

 

C君「( スマホを見ながら )ほんとだ、、。『こうと汁』、、グーグルに出てる。大根、ゴボウ、人参、油揚げ、、。」

A・B君「それはうちで毎年食べてる。」

C君「うちも....。」

 

早い話が、A君もB君もC君も、今まで毎年お正月に食べてきたものが『こうと汁』というものである事を知らなかったのだ。

「そういう名前の食べ物だったんだねぇ、、。」で、一件落着。

あ〜良かった....(汗)。うちは一般的な新潟の家庭であったのだ....。

 

後でインターネットで調べてみたら、この名称はあまり一般的ではなく、『こうとう汁』と呼ぶ地域もあるようだ。

『こうと汁』の名前の由来も不明。

逆に、うちではどうして『こうと汁』の呼称が定着していたんだろうか?

 

因みに、C君は、私が連呼した『こうと汁』が”コートジュルメ”とかに聞こえて、みっちゃんちはお正月にフランス料理を食べるんだぁ....、と思ったらしい。

これにはみんな大笑いだった ^ ^ 。

 

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2016年

12月

31日

『2016年』

年の瀬にあたり、この一年を振り返ってみた。

長かったような短かったような、、。

 

この一年間に書いたブログやFBの記事をざっと見直すと。。

 

*出不精の私にしては珍しくあちこち出歩いた。美術館や記念館、社交ダンスやロックのライブにも行ったし、美味しいものをいっぱい食べ歩いた。

 

*今までほとんど考えたことがなかった自分の身体の健康を、ちょっとは気にするようになった。急に痩せて、みんなに驚かれたなぁ。

 

*近頃、面白い夢をよくみる。夢占いサイトで「ふ〜ん、、」と妙に納得する事もあって、たまに吉夢の場合はその日一日気分がいい。(すぐ忘れちゃうけど。)

 

*親しい人たちと折にふれ、これまでとは格段に深いレベルの話がたくさんできた。( はっと気付く事があったり今更ながら反省したり、これからまた元気にやっていく力をもらったような気がする。)

 

*ずっと手探りでやってきた自分のJazzに、ようやくはっきりと目標が見えてきた。

 

こうして書いてみると、なかなか心身ともに得ることの多い年だったかもしれない。

何より時間がたっぷりあって、気持ちに余裕ができた。( 生徒さんには「先生、もっと仕事たくさんして下さい!」なんてお小言を言われたが・笑)

 

年頭・お正月のブログに「今年の目標は『生活を楽しむ』。」なんて書いていたから、とりあえず今年の目標は達成したみたいだ。

 

さて、来年の目標。

 

ん〜、、。なんかこのままでもいいんだけど、、。

 


いかんいかん!ちゃんと日々努力しないと!ってことで、来年の目標。

『もっと仕事たくさんします!.....ん? たくさんしたいです!か?・笑』

オリジナル曲も増やしたいです^_^

 

今年もブログを読んで頂き、本当にありがとうございました。

どうぞ良いお年をお迎えください。

来年も、みなさまにとって幸せな年でありますように。

 

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2016年

12月

22日

鬼平犯科帳

人間国宝・中村吉右衛門さん主演の人気時代劇シリーズ『鬼平犯科帳』が、今月3日の放送をもって終了した。

1989年から全150作。ずっと大ファンだった。

父が生きていた頃は、ビデオにとって家族でよく見ていた。

 


原作は池波正太郎氏の捕物帳で、江戸時代後期に実在した火付盗賊改方の長官・長谷川平蔵がモデルになっている。

 「原作にないものはやってくれるな」という池波氏の遺言で、これ以上は続けるのが難しくなったみたいだ。

 

オープニングでは毎回、勇ましい捕り物シーンをバックに淡々としたナレーションが流れる。

 *** 「いつの世にも悪は絶えない。その頃、徳川幕府は火付盗賊改方という特別警察を設けていた。凶悪な賊の群れを容赦なく取り締まるためである。独自の機動性を与えられた、この火付盗賊改方の長官こそが、長谷川平蔵、ひと呼んで『鬼の平蔵』である。」***

どこか民放らしくない、生真面目なトーンのナレーションだ。

メラメラ火が燃えて、ばったばったと悪者が斬られるめちゃめちゃ派手な捕り物とまったく対照的なのがいい。

 

エンディングには、日本の四季折々の風景、夏の風鈴売りや冬のそば屋台など町人たちの姿がまるで広重の浮世絵のように美しく映され、ジプシー・キングスの『インスピレーション』がそのシーンにぴったり合っていた。

池波正太郎氏の原作本を読んでいたので、  作品に流れる時代の空気や”男の美学”、密偵たちの人間臭さみたいなものが損なわれることなくちゃんと表現されているように感じて、民放なのに(笑・すみません....)、と感心していた。

 

本物の「長谷川平蔵」は、徳川家斉の時代に火付盗賊改方の長官だった人で、庶民から「本所の平蔵さま」「今大岡」と呼ばれて非常に人気があった。

罪人の更生の為の施設「人足寄場」を最初につくったことでも有名だ。

幼少の頃から地元のワルとして名前が通っていたらしいが、有能ながら人情味に溢れ、型にはまらない仕事をした豪気な人で、同僚から妬まれたせいで思うように出世できなかったらしい。

 

小説の中では、盗賊たちから鬼と恐れられる一方、平蔵を慕い手足となって働く密偵たちや部下の役人、妻や友人たちに細やかに心を配る、大胆で厳しいのに温かくて懐が深い人として描かれている。

まさに理想的な上司!ちょっとワルなところもかっこいいわぁ....って事で、男性も女性も絶対にファンになる魅力的な人物なのだが、中村吉右衛門さんは、そんなファンたちの想いを裏切る事なく、もうこの人しかいない!と確信するくらいに「長谷川平蔵」を演じてくれた。

 

私にとって、「眠狂四郎」の市川雷蔵、「シャーロック・ホームズ」のジェレミー・ブレット、「エルキュール・ポワロ」のデビッド・スーシェと共に、永遠・唯一無二の「長谷川平蔵」の中村吉右衛門になった。

でも「エルキュール・ポワロ」は2014年に最後の作品『カーテン』でシリーズが終わり、市川雷蔵もジェレミー・ブレットももうこの世にいない。

う〜、『鬼平犯科帳』も終わってしまって、この先、何を楽しみに生きていったらいいんだ〜....(泣)。

 

今は、夜寝る時に、YouTubeで昔のシリーズを順番に見ている。

20年以上前の作品ということで、中村吉右衛門さんはもちろん、多岐川裕美さんも梶芽衣子さんも若い若い!

そしてびっくりするほど綺麗だ。

 

28年間続いた『鬼平犯科帳』。本当に長い間、お疲れ様でした。

そしてたくさんの感動をありがとうございました!

 

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2016年

12月

03日

国際化ー箱根で考えたこと

よく行く三鷹のお店の仲良しなママさんと、箱根に泊りがけで遊びに行った。

 

登山電車やケーブルカー、ロープウェイを乗り継いで、硫黄の煙がもうもうと立ちのぼる大涌谷から芦ノ湖を望む桃源台まで、箱根の山をホッカイロを握りしめながら大いに楽しんだ。

一面の紅葉や壮大な湖の美しさ、どこでも極上の美味しいものが食べられて温泉もサービスも最高、、日本に生まれてほんと良かった〜、、。

 

それにしても、電車やロープウェイ・お土産ショップやレストラン、どこも周りが外国人だらけで、日本の国際化をすごく感じた。

だって、銀座や新宿よりも体感密度がめちゃくちゃ高い(笑)。

 


ロープウェイで一緒だった中国人ファミリーの小学生くらいの男の子が、下界に広がる樹海を見て「アイヤー‼︎」と叫んだ時は、ほんとに中国の人は驚くと「アイヤー‼︎」と言うのだな....と昔、漫画で得た知識が確認されて、非常に感慨深かった(笑)。

 

お土産ショップにいた中国人の少女( 4~5歳くらいだろうか )が、小さな声で中国の歌を歌っているのがふと聞こえて、その声と姿が抱きしめたいほど愛らしかった。

 

登山電車の列に並んでいた時、先頭に並んでいたカップルからちょっと離れて私たちが立っていたら、カップルの男性が心配そうに韓国語で話しかけてきた。「どうぞお先に^ ^」と言ったら、安心したのか笑顔で何か言っていたから、きっと順番から外れたか不安だったのだな、、。

 

帰りのロープウェイでは、シリコンバレーに住む日本人のIT起業家が中東系の友人と一緒に乗っていた。

私がママに、辛坊さんの『そこまで言って委員会』の話をしていたら、「私も見ています。面白いですよね!」と隣りから話しかけてきた。

「私は民主党です。アメリカの民主党支持者は、トランプが勝ったからみんなカナダに移住したい。」と笑いながら言うのを聞いて、日本は安倍さんで安心だなぁ、なんて、箱根の山の上で国際情勢をマジっと考えてしまった(笑)。

 

東京への帰途で、宮ノ下から箱根湯本までローカルの路線バスに乗った。

山の中をくねくね曲がりながら下るバスに揺られて軽く車酔いになっていると、運転手さんが無線で「⚪︎⚪︎から⚪︎⚪︎地点、イノシシの親子が横断中、注意願います。」と言っているのが聞こえた。

冗談かと思ったら、周りのお客さんたちは”いつも通り”ってな平気な顔をしているから、これは普通に真面目な注意連絡なのだ。

イノシシたちは、よそ者の観光客が昔よりやたら増えてるぞ、用心用心、とかちょっと思っていて、人間たちも、事故がおきないようにそれなりに配慮をしている、という状況かもしれない。

 

箱根は、地元民にとっても地元動物にとっても、大きく環境が変わりつつあるのだ。

 

日本はこれからどんどん、外国からのお客さんが増えていくだろう。

訪れる方も迎える方も、お互いが相手を優しく気遣って楽しい時間が持てるようになるといいなぁと思う。

外国からの観光客たちに身近に接して、銀座や新宿でツアーの団体客を離れて眺めていた時とはまるで違う気持ちになった。

 

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2016年

11月

10日

まじトラ

「もしトラ」が「まじトラ」でびっくりした。

石破さんも驚きを噛み締めていた、、。(日経ビジネスオンラインより)

日本、どうなるんだろうなぁ。

世界中が慌てて政策会議を開いているはず。

今までとは違う国際情勢になるんだろうか、、。

 

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2016年

11月

05日

ハロウィン2016

インターネットではこの時期、渋谷のハロウィン仮装イベントの記事が毎年恒例になっている。

とにかくもの凄い盛り上がりで、写真を見てもみんなの力の入れようが怖いくらいだ。

繁華街にはオレンジかぼちゃとおばけのグッズがあふれ、これでハロウィン・ソングまで登場したらクリスマス以上かもしれない。

まぁイベントの方向性(笑)はだいぶ違うけど、、。

 

先日、新潟で友人と会った時も飲食店の店先はもちろん、医療クリニックまでハロウィンデコレーションで飾られていた。

「ハロウィンの意味、分かってやってるんでしょうかねぇ....。」友人が思わずつぶやいていた。

そういう私も、通販で可愛いハロウィン・ソックスセットを買い込んで、どれから履こうかにやにや悩んでいる。

日本人はとりあえずお祭りが大好きなのだ。

 

こんなに盛り上がる前、ハロウィンという西欧の風習が物珍しかった頃の事だ。ライブの仕事が終わって深夜の地下鉄に乗っていた。

渋谷駅で、4〜5人の若い女性たちが慌ただしく電車に乗ってきた。

全員が看護婦らしく、白い制服はびっくりするほど血染めで顔はあちこち傷だらけ。髪もぐしゃぐしゃで、乗車するなりぐったりと座席に倒れこんだ。

私は、何かとんでもない事故か事件が起こったのだと思ってめちゃくちゃ緊張した。

でも乗客はほとんど無関心で、そのうち看護婦たちが「A子、どうしたの?』「先帰ったよ。」「ふ〜ん、、。」てな仲間内の業務連絡を始めたので、私は訳がわからず謎の集団をただ眺めていた。

ちょっと考えれば、夜中の電車に白衣ってのは明らかにおかしいのだが、、。

 

後から、ちょうどその日はハロウィンだったと知った。

彼女たちは渋谷ハロウィンの先駆けコスプレーヤーだったのだ。

 

今では、小池百合子都知事がリボンの騎士になり、三越のライオンもとんがり帽子をかぶる。

面白そうな事には飛びついて、とことん盛り上がる日本人だ。

ハロウィンは、日本古来の妖怪趣味とお祭り気質に絶妙にマッチしてすっかり定着した感がある。

 

きっとこれから、日本独自のお祭りに進化していくのだろうなぁ、、ホラーファンとしてはちょっと期待したいところだ。

 


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2016年

10月

26日

オリジナル9

Jazzを弾くようになってから、昔つくった曲をJazzのコンボで演奏できるように少しづつ手直ししている。

久々に1曲、なんとか形になった。20代の大昔(!)に書いた曲だ。

 

大学を卒業してすぐの頃、新潟で音楽仲間たちとバンドをやっていた。

所有機材はポリシックス( KORGのアナログシンセ )と1Uのデジタルディレイだけで、アドリブできない・リズムは悪いで最悪のキーボードなのだが、とにかくシンセを弾くのが嬉しくて、夜中まで部屋にこもって音作りとかベンドホイールの練習とかしていた。

 

バンドでは、人気有名バンドのコピーとかYAMAHAポプコンのアレンジとか、一週間集中スタジオ練習とか東京の有名なボーカルさんの新潟ツアーのバックとか、思い出してもなんだかいろいろワイワイと楽しかった。

今みたいにネットに情報があるわけでなく、地域限定で盛り上がっていた。

 

当時、私は、ロックとクラシックが混ざった感じの音楽-いわゆるプログレッシブ・ロックっていうのに憧れていて、YESの『危機』『こわれもの』やELPなんかを朝っぱらから大音量で聞いていた。

曲も歌詞も難しくてさっぱり理解できなかったが、その糸がもつれたような複雑難解さがめちゃかっこよかった。

どう頑張ってもコピーは無理っぽかったし弾けそうにもなかったので、自分でプログレ風のオリジナルを書くことにした。

 


ごちゃっとこねくり回した感じの曲(笑)が出来たが、どうもロックというよりクラシックとポップスの混ざった風になったのは、やっぱり私の中にロックの血が流れていないからだろうなぁ....まぁ仕方ない、、。

それでもなんとか曲としてまとまったのは、バンドのメンバーたちが恐ろしく上手かったからだ。

特に、ドラムのTくんは演奏の技術もセンスも素晴らしかった。( 彼は今や、日本を代表するロックドラマーになって活躍中である! )

 

最近、そのT氏とFBで久しぶりに巡り会って、すっかり忘れていたこの曲を思い出した。『Love Nix Love』

 

意味は、”かなわない愛”みたいなニュアンスだと思うのだが、曲名を付けてくれたのはTくんである。( 彼は英語がペラペラなのだ。)

私のセンスでは、絶対に絶対に無理なネーミングだ(笑)。

 

昔の譜面を引っ張り出して眺めてみたら、やっぱりごちゃごちゃっととらえどころがなく、ちょっとこれは....と諦めかけた。

でも、曲中(なか)の、ふわっと何処かに行く感じの部分がすごく良いなぁ、と思ったので、無理やり頑張ってJazzコンボ仕様に書き直してみた。

どこかバロックの雰囲気がある、なかなかロマンティックな曲になった。

 

それにしても、変拍子、臨時記号だらけで構成も変則的なので、こりゃあJazzManたちはもの凄く嫌がるだろうなぁ。

せめて、きれいに譜面を書き直し、頭を下げてお願いするしかない、、。

 

先行き不安な『Love Nix Love』だが、時間をかけて少しづつ完成させていきたい。

普段弾いているJazzとは少し違う音遣いを楽しみながら、メンバーにもアドバイスをお願いしてまとめていこうと思っている。

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2016年

10月

02日

痩せた?

2013年に父が他界し、2014年に母が後を追うように亡くなった。

その二年の間に東京から新潟の実家へ、そして新潟からまた東京へと引っ越しをして、介護をしながら自分の音楽活動の為に月2回、新潟-東京を泊まりがけで往復した。

 

思い返してみたら、、。

ふ〜、短期間だけどすっごく頑張ったなぁ。

なにせ一人だからね。もう気力だけで、頭、まったく働いてなかった気がする(笑)。

 

2015年は余力でよろよろ動いて、今年に入ってようやく、自分のペースでものを考えられるようになってきた。

いい感じに充実してきたなぁ、よしよし....。

 

なんて思っていたら、、。

会う人会う人みんなが、心配そうに「痩せた?」と聞くのだ。

体重を測るという習慣がないので、「うん、まぁ痩せたかもね、大変だったから、、。」てな生返事でやり過ごしてきたが、最近だんだん気になり始めた。

「わたし、そんなに痩せた?」

 

新潟の実家の体重計に乗ってみたら( 東京の家には体重計がない -_-;; )、3キロも減っていてびっくりした。

あげくつい最近、仕事で久しぶりに行ったライブハウスで「どうしたの?!そんなに痩せて!」と驚かれた。

自分でびっくりはしていても、相手にもそんなに驚かれるとけっこう傷つく(笑)。

もうね、ここまでくると悩んじゃいますね、なんとしなきゃって、、。

 

う〜、太ってやる〜!と、ただただ固く心に誓うのみだが、もう暴飲暴食をできる年でもないのでなかなか難しい。( 体調はいたって快調なのだし。)

 

痩せた原因は、2年間の心労や悲しみや過労や年取ったせいやピアノが上手く弾けないストレスやあの人にこんな事言われたことやあの国がほんと滅茶苦茶だったり、、まぁ普通にたくさん思い当たるのだけれど、たぶん、少しづつの変化だったので、自分ではそれほど気にならなかったのだ。

 

以前、このブログで「太った?」は女性に対して絶対の禁句だという記事を書いたけれど、「痩せた?」もダイエット中の人以外には禁句だと思うのだが、私だけか....?

とりあえず、3キロ奪還。

まずは甘いものかなぁ、、。

 

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2016年

9月

27日

美術展

新潟で美術展を見た。

『風景画の世界展』

たまたま招待券を頂いて、美術館が駅の近くだったので東京に帰るついでに立ち寄った。

新潟の資産家である敦井榮吉氏の私蔵コレクションの中から風景画を選って展示していて、横山大観や東山魁夷など、日本画にはまったく疎い私でも知っている有名な画家の作品もあった。

敦井氏は近代から現代にかけての日本画・陶芸の収集家で、そのコレクションは1300点に及ぶ。( 新潟にこんな粋人がいたのだなぁ。)

 

静かな空間でゆっくり絵を見る時間が好きだ。

展示された絵には、画家の息遣いや絵筆を持った時の手の力、時にはそれを描いた時の心ー何を感じ何を思っていたのかーが表れていて、まるでタイムマシンで時を遡って、その場に立ち会っているかのような気持ちになる。

 

美術館には、一種独特の張り詰めた空気が流れている。

作品がそれぞれの空気を醸し出している。

 

美術展というと思い出すことがある。

もう何年も前に、渋谷の東急Bunkamuraに「N.Y.グッゲンハイム美術館」を見に行った。

カンディンスキーの絵を見たくて行ったのだが、他にもピカソやシャガールやマティス....、展示された作品の素晴らしさに圧倒された。

 

ゆっくりと順番に見ていって、ゴッホの、彼にしては淡い色彩の小さな絵の前に立った時、何故だろう、涙がふっとあふれた。

 

『雪のある風景』ー溶け始めた雪が所々に残る冬のアルル(南フランス)が描かれている。

私は絵からちょっと離れて立っていたのだが、その絵の前に、一心不乱に絵筆を動かすゴッホの後ろ姿が見えた気がした。

冷たい冬の午後、ひと気のない平原で冷えた手を温めながらキャンバスに向かう彼の姿を、絵と同じ空間の中に感じた。( ポケモンGoみたいなイメージ。)

 


何故涙がでたのか。その時は分からなかったし、深く考えることもなかった。

(彼の気の毒な境遇-世の中になかなか認められない事-を可哀想に思ったんだろうか?)

そんな同情とは決して違う、もっと不思議な感情だったのを覚えている。

 

今、この記事を書きながら、あの時のことを思い返してみた。

私が見たと思ったゴッホの後ろ姿。

私はそこに、彼の必死さを感じたんじゃないだろうか。

自分の芸術に対するひたむきな熱情、それよりもっともっと強い彼の”必死さ”をきっと感じたのだ。それに胸を突かれたのだと思う。

もちろん、ただの思い過ごしかもしれない。

でも、そう考えたら何だかとても納得した。

 

それにしても謎は残る。

何故この絵だったんだろう? 他にもっと有名な大作があるのに....。

穏やかな小さな絵。

芸術家と作品の間には、凡人には計り知れない”神秘なもの”が在るんだろうか、、。

 

もしかしたらあの時の涙は、その神秘に触れた貴重な一瞬だったのかもしれない。

この世には不思議な事がいっぱいあるのだ! (....と私は信じたい・笑。)

 

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2016年

9月

14日

エゾシカ-Part2-

小さい頃、手塚治虫の漫画やディズニーの映画をよく見た。

画面の中のジャングルや深い森の奥は、子どもにとってお城の舞踏会やお姫様と同じように夢の世界だ。

『ダーウィンが来た!(NHK)』なんて当時はやってないし、アフリカや南米の森林地帯が実際どんな所なのか想像もつかない。

物語の動物たちは、兎や鹿などの草食動物はたいてい優しくて愛らしく、狼や虎やハイエナは狡猾で残忍で恐ろしげだった。


ストーリーに引き込まれると、可愛い動物たちを苦しめる肉食動物はなんて邪悪な存在なのだろうとおびえ、こんな悪者は地上からいなくなってしまえと願った。

ジャングル大帝のレオは例外で、まぁ全ての動物の王者だし、彼が毎日何を食べているのかなんて小さい子は考えなくて良いのだ。

 

こうして、世の中の事をまるで知らない子供が大人になって、ある日突然、自分が地球史上最強・最恐の肉食動物になっている事に気付いてびっくりする。

びっくりしない人の方が多いが、ショックを受けて、動物を一切食べない菜食主義者になる人もけっこういる。

『自分はなんて罪深いことをしているのだ、、。』

因みに私は、美味しく生まれてしまった海老やマグロや牛や豚は気の毒だなぁ、なんてお気楽な事をぼっと思っていた。

 

先日、地元の新潟で、”エゾシカ”と”鯨”という普段食べ慣れない食材を食べた。

美味しさに心底感激しながら、またむくむくと、考えなくてもいい事、あるいは考えてもしょうがない事を考え出した(笑)。

 

どうして”エゾシカ”が急に食卓に上るようになったのか。

どうして”鯨”を食べる事を世界の人が批難するのか。

ちょっと調べてみた。

 

”エゾシカ”は、天敵の狼を全滅させてしまったせいで増えすぎた。その結果、いろいろ困ったことが起きて、処理する=食べることにしたのだ。

人間が特定の動物を保護した結果、生態系が崩れてしまった。

反対の事例が、特別天然記念物ー国際保護鳥のトキだ。

私の地元・新潟県の佐渡トキ保護センターでは、明治から大正時代、肉や羽を取る目的で乱獲されて国内絶滅したトキを、人工繁殖・飼育で日本国内に復活させる試みを続けている。

 


”鯨”について言えば、反捕鯨は食の文化に対する攻撃だとする論調がある。

食用の家畜という文化に馴染みがない私たち日本人には、ハンバーガーをほおばりながら「鯨を殺すなんて残酷だ!」と叫ぶのは奇妙に映る。

菜食主義者たちから言われるのなら、まぁそう、、鯨、可哀想だよね...。

でも、そういう文化についての議論は永遠に平行線なので、今は生態系の維持について絞ってみる。

  

インターネットに、日本捕鯨協会の『反捕鯨団体の言われなき批判に対する考え方』という記事があった。

    http://www.whaling.jp/taiou.html

 

***世界中の鯨類が捕食する海洋生物の量は、世界の漁業生産量の3〜5倍に上ります。、、、鯨類が大量の魚を捕食していることは事実であり、鯨を間引くことでその分人間が魚を利用できることは間違いありません。、、、また、クジラは海の食物連鎖の中で最上位の捕食者であり、クジラだけをいたずらに保護することは海洋生態系のバランスを崩すことになります。***

 

他にもたくさん、反捕鯨の意見に対する<回答>が書かれていて、欧米の記者たちの感情的な記事よりはよほど説得力があると思った。

 

政治的なことはよくわからない。

でも、生態系のバランスという点で、”エゾシカ”と”鯨”、すごく似てるなぁ、、。

 

私たちは、地球史上最強・最恐の肉食動物だ。( ティラノザウルスより凄い。)

すべての生き物の最上位にいる。彼らの命をもらって命をつなぐ。

その意味で、子どもの頃に感じた”邪悪で残忍な悪者”そのものだ。

大人になった今、その事実に気付いてがっかりする。

”人間”という動物がやっている事、でもそれは生きていく為に仕方がない事だと諦める。(ずっと昔からそうしてきたし、これからもそうなのだ、、。)

そして、なるたけ考えないように心がける。(慣れてしまえばいいのだ、、。)

 

食物連鎖の頂点にいる者として、人間ができる事ってなんだろう?

好ましい動物を保護することか、害のある動物を絶滅させることか、工場で生産するように動物を飼育することか、命を奪う事を可哀想だと思うことか?

 

『動物を食べる』ということが、『植物を食べる』のと同じような感覚になってしまって、何も考えなくなる、何かを感じても深く考えなくなるということが、実はとても怖い事なんじゃないだろうか。

 

考えても結論が出る話じゃないし、何が正しいかなんて誰も言えない。

けれど、”エゾシカ”と”鯨”はそういう問題に向き合うきっかけをくれた。

頭の中がごちゃごちゃ・もやもやしているが、いろいろ考えてやっと一つだけ、答えを出した。

 

私は、日本の調査捕鯨に賛成だ。

”鯨”が食べたいからじゃなくて( 美味しいけど )、海洋生態系を維持するには、”鯨”が少なすぎても多過ぎてもきっと大きな影響がでる。

”エゾシカ”みたいなことになってほしくない。

だから、ちゃんと研究してコントロールしてほしいと思った。

地球上の全生態系に対する責任が、最上位にいる人間にはあるんじゃないだろうか。

 

でも、どうして人間だけがこんなに進化して最強になっちゃったんだろう?

未来のある日、人間より賢い生物が突然変異で現れるか宇宙からやって来て、あるいはAIがどんどん自己進化して暴走して、人間が完全に支配される側になったら世界はいったいどうなるんだろう?

 

、、うぅ、いかん、また、、.。

 

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2016年

8月

23日

エゾシカ-Part1-

幼馴染みで高校の同級生・K氏は、生まれ育った新潟市の事ならほとんど何でも知っている。

「すごいねぇ、、。」と尊敬すると、「何年ここに住んでると思うのよ。」と笑う。

私なんぞ東京に◯十年住んでいても、東京タワーにもスカイツリーにも登ったことがない。

そのK氏が、新潟・古町にある高級串揚げ屋さんに連れていってくれた。

 

大通りから抜けて狭い路地に入ると、こじんまりとちょっとお洒落な小料理屋さんや割烹・飲み屋さんが軒を連ねる。古町は、粋で風情があって大好きな街だ。

その串揚げ屋さんも垢抜けた店構えで、ちょっとお寿司屋さんみたいだなと思った。

 

店に入ってコの字型カウンターの席に座ると、小柄な店長さんが、丁寧に下ごしらえした野菜や肉・魚などの食材を目の前で次々に揚げてくれる。

こちらのペースを見ながら、絶妙なタイミングだ。

冷えたお酒を飲みながらK氏と話をするその合間に、一品一品、食材の説明と食べ方( 塩で、タレで、そのままで、とか....)をちょこっとつぶやきながら、カウンター越しに置いていく。

 

「アスパラです。」

「甘鯛です。」

「蓮根です。」

「村上牛です。そのままでどうぞ。」

 

そんな至福のひと時を過ごしていたら、店長さんがぼそっとつぶやいた。

 

「エゾシカです。タレで、、。」

 

ふむふむ、エゾシカね....、え、エゾシカ?、、エゾシカって、、あのエゾシカ?隣りのK氏は、別段何事もなく美味しそうに食べている。

 

極寒の北海道の冬。

人里離れ、見渡す限り雪と樹木だけの山野を背にしてこちらを静かに見つめる一頭の『エゾシカ』。

その神々しいまでに威厳ある姿が目の前にぽっと浮かんだ。

カレンダーや旅行雑誌のカラー写真でよく見るあのショットだ。


「エゾシカは食材で普通にあるんですか?」と聞いたら、

「はい。」とそっけなく言われて終わりだったので、それ以上は聞かず、雑念(笑)を払って初めての味を楽しむ事にした。

 

翌日、やはりどうにも気になって、インターネットで調べてみた。

”北海道のエゾシカくんたちは、今いったいどうなっているんだ?”

 

『エゾシカ』で検索すると、Wikipediaの説明文の次に『北海道でエゾシカが増えすぎて困っている件』というブログの記事がど〜んとあった。

それによると、、。

 

・北海道では、増えすぎたエゾシカが農作物や森林の樹皮を食い尽くして、甚大な被害がでている。

・エゾシカ出没による交通事故や列車事故も頻発している。

・こんなにエゾシカが増えてしまったのは、捕食者であった狼を人間が絶滅させてしまったから。

・「再び狼を野に放とう」という動きもある。( アメリカのイエローストーン公園での成功例あり。)

・しかし慎重論もあり、代わりに進んでいるのが「食肉としてのエゾシカ」である。(『エゾシカ食肉事業協同組合』)

 

ふむ、なるほど、、。

それで、北海道のエゾシカくんが、新潟・古町の高級串揚げ屋さんの冷蔵庫に入ることになったわけだ、、。

 

 

実は先日、これも新潟での話なのだが、『鯨汁(くじらじる)』という郷土料理を初めて食べた。

夏の定番料理ということだが、我が家では何故か一度も食卓に上らなかった。

新潟大学の数十年ぶりの同窓会で行った老舗料亭で出されたのだが、鯨がこんなに美味しいものだとは、日本人なのに-新潟人なのに-ちっとも知らなかった。

( 昔、給食で食べた鯨の竜田揚げが本当の『鯨』だと思ってはいけない -_-:: 。

あれはあれでけっこう好きだったけど....。)

 

捕鯨についてはいろいろ議論がある。

一方的に日本が悪者にされている感じだが....。

外国人が言う”捕鯨は残酷な悪行”って本当だろうか?

 

エゾシカと鯨、”動物を食べる”という事についてちょっと考えたくなった。

 

***Part2に続く***

 

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2016年

8月

14日

森鷗外-Part6- 記念館へ

***Part5より続く***

 

文京区立森鷗外記念館は、森鷗外の生誕150年の2012年、千駄木の旧居「観潮楼」の跡地に建てられた。

もともとこの場所には文京区立鷗外記念本郷図書館が建っていて、もう十年以上前になるが、敷地内に残っている有名な「銀杏の木」や「門の敷石」「3人冗語の石」の写真を撮って、上野精養軒でコーヒーを飲む、という私的ミーハー鷗外ツアー(笑)をやった事がある。

 

精養軒という老舗西洋料理店は、明治の文豪たちと非常に関わりが深く、鷗外や漱石の小説にも登場するし、留学を終えた鷗外を追ってドイツから来日したエリスが泊まったのが、築地精養軒であった。

築地精養軒は関東大震災で全焼し、現在は上野が本店である。

 

新しく改築された森鷗外記念館のことはインターネットで知って、ずっと行きたいと思っていた。

ファンの心理として、このような場を訪れるときのタイミングは、万全の体調と万全の環境を要求する。つまり、気分が良くて天気が良い日だ(笑)。

 

待望のその日、朝から何だか嬉しい。

今回は、他の場所も見て回るというようなツアーではなく、鷗外記念館だけをじっくりゆっくり観ることにした。

電車の乗り換えを調べて、いざ文京区千駄木へ。

 

千代田線千駄木駅を出て、団子坂を登ります。

この坂を鷗外もよく歩きました。


記念館に到着。

とても現代的な建物です。

外壁のレンガの削りは、若い職人さんたちの手作業によるものだそうです。


入り口に掲示された案内。

お盆休みなので人はあまりいないだろうと思っていたら、小中学生や若いカップル、お年寄りのグループまで、いろいろな層の人たちが来ていました。

 

 


館内は撮影禁止なので、写真はここで終わり。

大銀杏の木が見えました^ ^


ランチは館内のカフェで、ドイツ風ランチプレートとコーヒー。

お土産に、R.N.( 森林太郎の頭文字 )のモノグラムをプリントしたクリアファイルを買いました。

 


どっぷりと、鷗外と明治という時代に浸った半日だった。

鷗外が亡くなる一年前、何かの行事の際に広場を足早に歩く映像が残されていて、ほんの2〜3秒の短いものだったが、実際の鷗外の動く姿が見れて感激した。

何回も見てしまった(笑)。

 

5月からほぼ3ヶ月間、鷗外について、とりとめもなくいろいろ書いてきた。

作品もいくつか読み返した。

今日の記念館では新しい発見もあった。

何故だろう、こうやって鷗外と向き合うことで、自分の心が慰められるような、癒されたような気がしている。

こんな気持ちになるなんて、我ながら意外だった。

明日からまた頑張ろうと、ただそれだけをまっすぐに思った。

力をもらった気がした。

 

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2016年

7月

27日

森鷗外-Part5-『半日』について

***Part4より続く***

 

前回の記事で、「次回は、文京区千駄木の森鷗外記念館に行きます^ ^」なんて、珍しく前向きな事を書いてみたはいいが、最近なぜだか忙しく、せっかく暇でも雨が降り出したりで、鷗外記念館訪問は来月に先送りとなってしまった。

 

そこで今回は、鷗外の問題作『半日』について書いてみようと思う。

なぜ問題作かというと、この作品は、鷗外の私生活の秘密の暴露なのだ。

 

発表当時、誰が読んでも「あ、鷗外夫婦の話である。」と分かるくらいあけすけに、森家の台所事情まで晒して、嫁姑の御し難い仲の悪さを夫の立場から客観的に書いている。

嫁の気持ち、姑の言い分までちゃんと書いた上で、「もうお手上げである。」と降参しているのだ。

嫁が呪詛のように繰り返す姑に対する不満や悪口の合間に、置き時計の音が静かにチクタクと鳴るのがホラー映画のように不気味だ(笑)。


鷗外の妻シゲさんは、作品が雑誌に発表された時「なんてことするのよ!」と大慌てだったろうと思う。

石川啄木も、読んでびっくりしている。

世の中の人はたいてい驚き呆れたと思う。

そして鷗外は、態度が改まらないようなら第二作めを出すぞ、と妻シゲさんに宣告するのだ。

そう言いつつも、お前も小説を書いてみたらどうだと勧め、妻が書いた原稿を赤ペンでびっしり添削している。その赤ペンで真っ赤になった原稿を持って、シゲさんはいそいそと出版社を訪れるのだ。

 

なんかいいなぁ、、と思う。

鷗外は意地が悪いとか冷たいとかいう人がいるが、私はそう思わない。

 

森家の嫁姑問題はかなり深刻であった。

鷗外も苦慮のあげく、日本で最初の二世帯住宅ー嫁と母が家の中で顔を合わさずにすむ造りーを考案している。

現代も続く永遠の難問題を解決するなんて事は、家族制度が根本的に変わらない限り不可能に近い。

 

小説の中で「博士」は、「奥さん」のいつもの理不尽な悪口と罵りに怒りと諦めを感じながらも、御所に参内する公務を休んでまで『半日』延々と「奥さん」と対峙する。

机と火鉢を隔てて「奥さん」と真正面から向き合うのだ。

これってある意味、凄い事じゃないだろうか?

 

妻の癇癪に、「また始まった...。」と逃げ出す、耳をふさぐ、他の場所に楽しみを見つける、離婚して追い出す、、まぁいろいろな対し方があるだろうが、この「博士」は実に辛抱強い。

過去何回もこうした話し合いがあって、全部が実を結ぶことなく虚しく終わっている。

それにもかかわらず、「博士」は「奥さん」の訴えを半分聞き流しつつも無視することはしないのだ。

 

実際に鷗外は、周囲の離婚を勧める声にまったく耳を貸さず、晩年は夫婦水入らずの穏やかな日々を送っている。

 

鷗外という人は、目の前の問題に対して常に誠実であった。

自分の力が及ばない場合でも、精一杯我慢強く、誠実であろうとした。

 

『半日』を久しぶりに読んで、そんな事を思った。

 

***Part6に続く***

 

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2016年

7月

16日

森鷗外-Part4-『書くこと』について

***Part3より続く***

 

このブログは、5年前にある人の勧めで始めた。

最初は何を書いたらいいものか、億劫に思う気持ちと続けられるかという不安、読んでくれる人などいるのだろうかと限りなくマイナスに考えていたが、

「田崎さんの好きなものを書けばいいんですよ^ ^ 」の一言で俄然やる気が出た。「えっ? 好きなこと、書いていいの?」

 

昔から私は変なヤツだったと思う。

私が好きなもの、興味がある事、面白いと思った事、いろいろ考えた事なんかを話し出すと、だんだん相手は無口になる。

私の話が滔々と長いのと、妙に熱を込めて力説してしまうので、相手がしらけて退屈してしまうのだ。

話題もたぶん一般的じゃない。普通の人が、なんでそんな事を?と逆に驚くような事、例えば『母系社会と父系社会はどちらが幸せか』とか(笑)、聞く人にとってまったく迷惑千万な話だ。

思い返してみると、私の興味は随分と偏っていて、しかもどうでもいい事を無駄に深く考えてしまう傾向がある。

 

この重大な欠点に気付いてからは、だいぶ言動に気をつけるようになった。(それでも時々やらかしてしまうが、、。)

自分の好きなものについては、気を付けてあまり話さなくなった。

 

だから、ブログを書き始めた頃はそれはもう嬉しかった。

考えたり思ったりした事を文字にする。なるたけ正確に、嘘や誇張がないように簡潔な文章にする。

その作業がとても楽しい。

頭の中に散らかった思いや考えがまとまっていくのは、本当に爽快で気持ちがいいのだ。

 

そして近頃、今までとちょっと違う「書く事の楽しさ」を発見した。

 

文章を書く事は、色や形や大きさの様々な小石を使って一枚の多色濃淡の貼り絵を作るような作業だと思う。

絵に嵌め込む為の小石を、澄んだ水の小池の底からあれやこれやと拾い上げる。どんなに色が美しい小石でも、大きすぎたり形が合わなければ池に戻すしかない。

その拾い上げたり戻したりは、文章を書きながらどの言葉を使おうかあれこれ悩むのと似ている気がするのだ。

そして、Jazzの即興演奏で音を選ぶ感覚ともよく似ている。Jazzの場合はほとんど瞬時の選択だけれど、、。

言葉を選ぶ、アドリブのスケールを選ぶ、どちらも選択肢がたくさんあって楽しい。

選んで決める事の繰り返しを、自由に、自分の思うままにできる事がこの上なく楽しいのだ。

 

だから、ブログの記事を書き始める時は、ピアノに向かう時のようなちょっとしたワクワク感がある。

 

今回『書くこと』についていろいろ考えたのは、この3ヶ月ほど、ブログで鷗外について記事を書いてきて、ちょっと面白いことを思ったからだ。

 

遥か昔に図書館で森鷗外全集の書架を見上げた時、その膨大な量に圧倒されて、なんて勤勉で自制心の強い人なんだろう!と思った。恐るべき努力の人だと思った。

その時の驚きは本当によく覚えている。

 

そういう面は確かにあるだろう。

でも、どういう訳か私の頭の中に、ふんふんニコニコしながら机に向かってペンを走らせている鷗外の姿がぽっと浮かんだ。すっごく嬉しそうだ。

こんな妙な事を想像したのは多分、私がブログで曲がりなりにも『書くこと』を始めたからだ。

 

私の『書くこと』が小池から小石を拾い上げる事だとすると、鷗外の『書くこと』は、とてつもなく大きく深い湖の底に、誰も見たことがないような美しい小石が見渡す限りに散らばっている、高い山の頂から湖の底を俯瞰するとぴったりの小石がきらきら光って見える、魔法のように杖を振るとぴゅっとその小石が飛んで来る....(笑)、、てなふうじゃないだろうか。

鷗外の博識さは半端なものではなかったから、冗談ではなく、本当にそんな感じだったかもしれない。

もしそうなら、どんなに『書くこと』が楽しかったことか!

そして、彼の中で生まれる様々な思考は的確に表現され外に出されたのだ。

鷗外にとって『書くこと』は、面白くて愉快な事である以上に、息をするように必要なことだったのかもしれない。

 

私の勝手な思い込みだけれど、ちょっとだけ鷗外を近くに感じて嬉しかった。

 

次回は、文京区千駄木の森鷗外記念館に行きます^ ^

 

***Part5に続く***

 

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2016年

6月

21日

森鴎外-Part3-

***Part2より続く***

 

鷗外研究者やファンにとって「エリス事件」の真相は、長年”最大の謎”だった。

エリスとはどんな素性の女性であったか、、。

多くの研究者たちが、下宿の娘・娼婦・ユダヤ人の人妻など諸説発表しているが、どれも確定に至っていない。

 

私も、近くの公民館でエリス研究についての講演があればいそいそと出かけて行ったし、新聞やネットでも気が付く限りチェックしていた。

明治の文豪・森鷗外が愛した女性である。、、まぁ私の場合は学問的探究心とは程遠く、この人がいかなる女性で鷗外と何があってどんな人生を送ったのか、純然たる個人的興味(笑)で知りたいと思った。

 

そしてついに2011年、多くの鷗外関係者が、これが真実であろうと得心する発見が発表された。

ベルリン在住のフリーライター・六草いちかさんが、エリスの本名が「エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト」であり、仕立物師の母親と暮らしていた事などを、大変な苦労の末に見つけ出したのだ。

 

Amazonの紹介では『永年の論争に終止符を打つ。日本文学史上最大の謎、森鷗外「舞姫」モデルついに発見!』とある。

 

 


本を読みながら、青年・鷗外が目の前に現れるような気がした。

古いドイツの街並みや道を走る馬車、手書きで記された当時の名簿、エリスと初めて出会った場所かもしれない教会の門の扉、、、それらの写真を通して生身の鷗外、森林太郎の横顔が浮かんだ。

 本当のエリスの素性が発見された事で、これからの鷗外研究に新しい視点が加わる事になる。

 

六草さんのインタビュー記事がインターネットにあった。

(“ドイツNewsDigesut”の特集記事(2012.3/2)『生誕150周年記念・森鷗外とベルリン』より一部抜粋 )

 

*今回の執筆の過程を通して、六草さんは鷗外の人間像をどのようにご覧になりましたか?

 

「鷗外とはどういう人だったか?」、それを一言で表すなら「愛の人」だったと思います。

それは恋人や妻に対してだけでなく、友情だったり、母親や家族に対してだったり、人として愛する気持ちが強かったということです。

例えば、お弟子さんたちが鷗外について語っている回想録を読むと、誰もが「自分は鷗外に愛されていた、よくしてもらっていた」と感じています。

鷗外の子どもたちの手記の中には、「自分が一番お父さんに愛されていた」と書いてあります。

子どものために独自の教科書を作ったり、夜中にトイレに連れて行ったりなど、彼は愛情をもって子どもたちに接していました。

私生活ではいろいろなしがらみがあったようですが、自分を失わず、また人を愛することを失わずにいたのだと思います。(六草いちか氏)

 

 

六草さんは、最初に『舞姫』を読んだ時、なんて酷い話だと本を投げ出すほど怒ったそうだ。

自分の子を身ごもった女性を捨てる身勝手な男の話だから、まぁ無理もない。

鷗外を全く好きではなかった彼女が、エリス=エリーゼについて調べるうちに少しづつ鷗外への理解を深めていった。

「愛の人」は、ただ「優しい人」とは違う。相手に与える愛をたくさん持っていた、そしてその愛はとても誠実で理性的なものだった、、私はそう思う。

 

人として、男性として、父として、友人として、家長として、、。

作家や官僚・知識人としての公的な立場以外の様々な面が研究者たちによって明らかにされている。暗い面ももちろんある。

それでも、鷗外を知れば知るほどその人柄に魅きつけられる。

 

鷗外は40歳で再婚するのだが、その見合いの席の様子を娘・杏奴(アンヌ)さんがお母さんから聞いている。

「…、母は父を一眼見て気に入ってしまった。顔も厭ではなかった。どんな所が一番気に入ったのかと聞いて見たら、態度と、それから声が非常に気に入ったと答えている。全く父の声は少し濁を帯びて、低く柔い響を持っていた。」

 

ふ〜ん、その声、めちゃ聞いてみたかったなぁ....。低く柔かい声、、。

 

まったく私は、”超ミーハー鷗外ファン”なのである(笑)。

 

***Part4に続く***

 

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2016年

6月

13日

森鷗外-Part2-

(そうとう昔の話になるが....。)

大学卒業で国文学の論文を書くにあたり、鷗外=森林太郎について、小さい頃の事やらいろいろ調べ始めた。

そうすると、彼は本当にとんでもなく優秀な人で、幕末の藩医の家柄である森家一族の期待を一身に受けて育った超エリートと分かった。

10歳からドイツ語を習い始め、東京大学医学部を最年少の19歳で卒業している。

 

そもそも、この時代の日本のエリートたちの優秀さは半端なものではなかったと、いつだったかテレビの情報番組で見た覚えがある。

小学生時分から過酷な試験をいくつもパスしなければならなかったとか…。

ただ頭が良いとか勉強ができるのではなく、『坂の上の雲』や長州五傑(『長州ファイブ』)などの史実を見れば、自分の命と引き換えにするくらいの物凄い精神的強さを持って、開国したばかりの国の為に働こうとした人たちが明治の日本には相当数いた。

鷗外も、日本の未来を背負うべくドイツへ官費留学する。

 

ドイツ留学中は、友人や下宿人たちと親しく付き合い、勉強・研究ばかりではなく、舞踏会や宮廷劇場で貴族と交際したり美術鑑賞や観劇したり、それはもうヨーロッパ文化を思う存分に吸収した。

ドレスデン地学協会では、日本について講演したナウマンというドイツ人学者に流暢なドイツ語で論争を挑んで話題になったりしている。

行動がなかなか派手である(笑)。

(これらの事は、英国留学中に神経衰弱で引きこもりになった漱石とよく比較される。)

 

そんなドイツ留学時代に、鷗外はあるドイツ人女性と恋に落ちた。

この恋愛を題材にして『舞姫』が書かれるわけだが、実際に、帰国した鷗外を追って、たった一人で長い船旅を経て来日したドイツ人女性がいた。

この人が「エリス」である。

鷗外の周りでは、家族はもちろん親戚、友人、軍部の上司までもが「とんでもない事!」と驚いて、結局、彼女をドイツに追い返してしまった。

これから立身出世をするであろう大事な家の跡取り息子に、変な傷をつけてなるものかって感じだったのかなぁ、、。

 

この事件については、家族の言葉や陸軍関係者の日記・その後の鷗外の小説などから、断片をつなぎ合わせて推理するしかない。

当時の日本において異国の女性との恋愛はスキャンダル・醜聞扱いだったから、周囲はうまく処理して何事もなかったことにしたかったに違いない。

 

***Part3に続く***

 

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2016年

5月

08日

森鷗外-Part1-

国文科を卒業する時、選んだ卒論のテーマが『森鷗外』だった。

 

大学で国文科に入ったのは源氏物語に興味があったからだが、受けた講義が全く期待とずれていてすっかりやる気が失せてしまった。

学問研究は、ロマンチックな感性ばかりでどうなるもんじゃない(笑)。

 

その時期のひょんな巡り合わせで音楽の世界に舞い戻るわけだが、そうは言っても大学を卒業するには卒論を書かなければならない。

どうするかなぁ…、と考えた時にポッと心に浮かんだのが、昔読んだ森鷗外の『舞姫』だった。

 


日本人のエリート官僚とドイツ人の貧しい踊り子の悲恋の物語ー古めかしくも気品ある雅文体の文章が、昔のヨーロッパ映画のような光と影の世界をベールの向こうに描き出す。  

生々しい男女の恋愛について何か感想を持つほど大人じゃなかったが、とにかく美しいなぁと思った。

そしてその主人公のモデルが鷗外自身であることを知って、なんだかドキドキしたのを覚えている。

その時は小説に感動したというより、作者に興味を持った。『森鷗外』ってどんな人なんだろう?

 

卒論を書くにあたって、これから1年どっぷりと向き合うなら『森鷗外』以外ないように思えた。

漱石も谷崎も選択肢にない、何故か不思議な運命のように鷗外に惹きつけられた。

しかし、ここに一つ重大な見落としが、、。

鷗外が明治の文豪な事は知っていたが、あそこまでの大文豪とは思わなかった。

( 見通しが甘いのは昔から -_-;; ほんと笑い事じゃない....。 )

 

県立図書館に行って、鷗外関連の書籍の多さにマジで倒れそうになった。

全集も全38巻。書架を見上げて汗が出た。

鷗外の著作量は、400字詰め原稿用紙を毎日4枚、休まずに書いたくらいの量なんだとか、、。

 

陸軍軍医総監・高位の官僚で、明治の日本文化の啓蒙活動家でもある。

公務の他に公私の人付き合いも半端なく多かったはずで、そんな多忙な日々を送りながら、翻訳・評論・詩歌・小説・史伝・随筆などを多数執筆した。( 軍医として学術論文も書いている。)

日露戦争従軍中は、若妻と1歳になったばかりの長女・茉莉を思いやって、熾烈な戦闘の合間に愛情溢れるチャーミングな手紙をたくさん送っている。

4人の子供たちからは絶大に愛され信頼された。

4人全員が父親について本を書いていて、それを読むと、家庭人として鷗外がどれほど愛情深い人であったか胸が痛くなるほどである。

 

いったい、いったい鷗外ってどんだけ超人なんだ?!

小さな子が映画のスーパーマンに憧れるように、私は鷗外を敬慕した。

 

たくさんの作品や文献を読むうちに、彼が抱えていた苦悩や哀しみも見えてきた。

様々な事が自分の思いとかけ離れていく現実の中で、それでも自分の持てる能力すべてを尽くして国に報いようとし、家族や友人を誠実に愛した。

とてつもなく賢く、心の大きな人だったのだと思う。      

 

私の大学時代はろくに勉強しないダメ学生だったが、唯一、『森鷗外ー森林太郎』という人の”生き方”を知れた事は、私の大切な宝物になった。笑っちゃうくらいに見通しが甘かった事が幸いした。

無謀にも”テエベス百門の大都”を前にして、無我夢中・しゃかりき一生懸命に書いた私の卒論。

教授に「なかなか面白かったよ ^ ^ 」と言って頂いたが、多くの研究者たちの意見の引用ばかりで、今思い返しても稚拙で浅薄でひとりよがりで恥ずかしい限りだ。( 提出した後、大学に取りに行っていない、、。 )

 

年月を経た今、論文でも研究でもなく、ただ自分の好きな事だけを書くブログでこうして鷗外についてあれこれ考えている事を思うと、ちょっと不思議に思う気持ちと嬉しさがごちゃまぜになって、何やら幸せな気持ちになる。

『舞姫』がポッと心に浮かんだあの瞬間は、まさに運命だったのだなぁ、と思う。

 

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2016年

5月

04日

モロッコいんげん

駅前商店街の八百屋さんで買い物をしていて、トマトの隣に長さ20センチ以上もある巨大なさやいんげんを見つけた。

”わ、なんじゃこれは、、。”と思って、お店の若者に聞いたら「あ、それ、モロッコいんげんです^ ^」と教えてくれた。

「へぇ、モロッコから来たんだ....。」と感心したら、お店の人たちにめちゃめちゃウケた。

「いえいえ、長野でふつ〜に育ったやつです。」さっきの若者が笑いながら言う。

ふぅ〜ん、そうなんだ。私が知らなかっただけでかなりポピュラーな野菜らしい。

 

帰り道、一つ利口になったなぁ....、なんてふんふん得々と歩きながら、突然はたと思った。

じゃあ、なんで”モロッコいんげん”なんだ?

カリフォルニアオレンジはカリフォルニア、フィリピンバナナはフィリピン、台湾バナナは台湾、なのにモロッコいんげんは長野....。~_~?

 

早速、インターネットで調べてみた。

・モロッコいんげんの原産地は地中海沿岸。モロッコではない。

・昭和51年から日本で販売された。

・当時、モロッコを舞台とした映画「モロッコ」や「カサブランカ」などがヒットしていて、それにあやかり命名された。

 

つまり、”モロッコ”が当時たまたま巷で流行っていて、それにあやかって付けられた名前であり、この野菜の出自にも外見にも性質にも全く関係が無いのだ。

そう分かってみると、目の前の大きな”モロッコいんげん君”が、何とも哀れで頼りなげに見えた。

 

日本に来て既に40年、もうそろそろ本人的に納得できるネーミングを考えてあげてもよさそうなものだ。

最近、スーパーの野菜売り場で、新顔野菜( ロマネスコとかグラパラリーフとか )が高級そうな名前で幅を利かせている事だしね、、。

 

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2016年

4月

18日

地震

ここ数日、インターネットニュースをちゃんと見ずに過ごしていた。

今朝、熊本の地震がさらに大変な事になっているのを知って愕然とした。

こういう時、テレビがないと全く情報が入ってこない。

自分の怠慢でもある。

 

ほんの数年前の恐怖と混乱を思い出した。東京にいても、毎日が不安で不安でしょうがなかった。

今、被災地の方々は、もっともっと不安を感じておられると思う。

 

被害の写真を見て呆然とした。

救援隊が多数、派遣されているようだ。

情報を探して、しっかりと知らなければいけないと思った。

 

熊本の皆さんの安全な生活が1日も早く戻りますように。

 

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2016年

3月

15日

ともだち

先日、18年振りに再結成したJazzコンボの仲間たちとライブをやった。

18年前、Jazzについて殆ど知らなかった私に様々な事を教えてくれた大好きな人たちだ。

教える、と言っても言葉ではなく、とにかくいろいろ聴いて自分の音を出してみんなで遊ぶ。そのうちにJazzってこんなんかなぁ、、とおぼろげに見えてきた、という感じだ。

 

初心者にはハードルが高いジャムセッションも、<みんなで行けば怖くない!>って勢いでたくさんのお店に行ったし、合宿したりバーベキューしたり温泉に行ったりお祭りで演奏したり、まぁ本当に本当に楽しかった。

Jazzとの最初の出会いがこのメンバーだったからこそ、今、私はこうしてピアノを弾いているのかもしれない。

 

ずっと会っていなくても、会えばすぐに昔と同じ顔になる。

それが『ともだち』だなぁって思う。

18年振りの仲間たちのライブ。演奏しながら、懐かしさと嬉しさで心がいっぱいになった。

私の隣りの可愛らしい笑顔の恵さん、ボーカルのゲストで参加してくれました。ともだちの輪が広がっていきます^ ^


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2016年

3月

15日

夢占い

他人の夢の話を聞くのはちょっと忍耐が要る。

”興奮冷めやらぬ”だから、人によっては微に入り細に入り丁寧に説明してくれるので話がやたら長くなる。

どこで相槌を打ったらいいものかよくわからない。

落語みたいに、聞いた最後にこれは夢でしたってオチがつくならかなり楽しめるが、最初から夢と分かっていたらどれだけ凄い話でも全然びっくりしない。

 

そんな訳で、自分の夢の話はめったに人にしない。話さないからすぐに忘れてしまうし、だいたいがそんなに夢を見ない。 


でも数年に一度くらい、起きてから「ふへ〜?」と呟く変テコなやつを見る。

強烈なのは今でも2、3覚えている。

 

最近、インターネットで夢占い(夢診断)なんてのを発見して、面白そうだから昔見た夢をいくつかキーワード入力してみた。

意外な回答が出てきてちょっとハマった。

 

『前向きな気持ちで何事にもチャレンジできる状況です。』

『あなたの未熟な一面が表れる場合があります。』

『あなたの性格のイヤな部分、、改善せよ!との警告なのかもしれません。』

 

ふむふむ....、あの当時もしかしてそんな状況だったかも、、そうそう、未熟だったよ、あたし、ほんとイヤな奴だったし....。

昔の自分を思い出して反省したり納得したり、為にはならないが害もなく、なかなか平和で楽しい暇つぶしだ。

 

つい先日、久しぶりに「ふへ〜?」な夢を見たので、早速夢占いでチェックしてみた。

『恋愛運は上昇の傾向です。』

『あなたが積極的になっているしるしです。、、また、恋愛面でも明るい兆しです。』

えぇ〜っ? そんな筈ない、絶対ないない(*o*)

占いだからってこういう間違いは困るなぁ、びっくりして体に悪いわぁ、、。

 

その3日後、また違う変な夢を見た。( 続けて見るなんて珍しい。)

『これから素敵な恋をしよう、と思っているしるしです。』

『音楽を聴いている夢は、恋愛の願望を表します。』

ど、どうしたんだ....?(~_~;;

 

一抹の不安が忍び寄る。「もしかしてあたし、、。」

フロイトやユングも夢は精神分析で重要だって言っているし、無意識で「素敵な恋をしよう!」なんて願っているのか、私は。

ここ久しく微塵もそんな事を思った覚えが無いのに、深層心理ではまったく違う自分があ〜だこ〜だ考えているとか、もしそれが本当ならこれはホラーだ、悪い夢だ!

 

その日以来、平和な毎日が謎と恐怖にかき乱されている(笑)。

ホラー・SFファンとしては次の展開に期待したいところだ。

私の中の誰かとか、もう一人の私とか、異次元の私とか、パラレルワールドの私とか、未知との遭遇とか、、。果たして謎は解明されるのか !?

 

あれ?

 

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2016年

2月

20日

リズム

今、一番考えている事はリズムだ。

 

ここ最近やっと右手の薬指と子指に力がついてきて、フレーズを弾きながらよろよろする事が少なくなった。

でも、鍵盤が重いグランドピアノだったりするとまだまだヘタレる。

指に十分な力がないと、タッチのコントロールが行き届かなくてガンガン強い音が出たり、Jazzのリズムが思うように踏ん張れない。


グランドピアノを弾く機会が増えた事で、そんな初歩的な事がようやく致命的な欠点だと気が付いた。絶対克服しようと決心した。

まずは、一人で安定したスイング感が出せる事。

そもそも、4ビートちゃんと理解してるんだろうか、わたし....?

そんな自信の無さはちゃんと音に出る。

 

Jazz Pianoを弾こうとすると、コード・ボイシングやスケール、アドリブのやり方とか、リズム以外にいろいろ勉強する事が多い。

けっこう頭も労力も時間も使う。

そして、何とかまがりなりにもアドリブをこなせるようになると、何故かむくむくと”できちゃった感”が生まれる。”いい気”になっちゃうのだ(笑)。

そしてある日、共演するメンバーから強烈なダメ出しを食らう、、。基本的なリズムのアンサンブルー共有ができていないのだから言われて当然のことだ。

これはかなりダメージが大きい (-_-;; 辛くて胃が痛くなる....。

でも、言ってくれた事は全部本当の事なので丸ごと聞くしかない。努力して改善するのみだ。

 

一番大事なのは、リズム。そしてたぶん、一番楽しいのもリズムだ、きっと。

 

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2016年

2月

09日

どっちが、、。

以前ヤマハのエレクトーン講師をしていた時に、ホンの短い期間だったが千葉にいた事があって、子供たちのエレクトーンコースを1クラス担当した。

最初に新潟出身だと自己紹介したら、子供だから無邪気にいろいろ質問してくる。

 

「先生んちはお百姓さん?」

「冬には雪が屋根まで積もるの?」

  (ヤマハ千葉センター)


「先生はスキーが上手?」等々だいたい既定路線なわけだが、1つびっくりする質問があった。

 

「新潟と千葉と、どっちが田舎?」

 

田舎について、それまでちゃんと考えた事がなかった。

田んぼや畑がのどかに広がり、小さな川のほとりで鳥がさえずる。雨が降れば森の木々がざわめき、どこかで大きな木の上に雷がどか〜んと落ちる…、なんてベートーベンの交響曲『田園』みたいなのが田舎だとずっと思っていた。

 

少なくとも、新潟にはバスの走る大通りもあれば大きなデパートやショッピングモールもある。お洒落なお店がいっぱいあるし、流行のファッションに身を包んだ女性もたくさん歩いている。

多少、東京に比べれば見劣りするかもしれないが、、。

 

「絶対に、新潟は田舎ではない!」

と私は確信する訳だが、どうも子供たちの「どっちが田舎?」の”田舎”はそういう意味ではない。むしろ”どっちが”が重要ポイントなのだ。

ニューヨークより東京が田舎、東京より千葉が田舎、千葉より◯◯が田舎という具合に、比べてみて見劣りする方が”田舎”という事らしい。

つまり、”田舎”認定すなわち格下という事だ。

 

へ〜、面白い事を言うなぁ、なんて思っていたら、この問題は大人も含めてけっこう根深いのだ。

例えば、

・千葉と埼玉で合同イベントをやる場合「千葉・埼玉大会」か「埼玉・千葉大会」かでマジにもめる。

・茨城と一緒にされる( チバラギとか )のを極度に嫌がる、その割に神奈川県にはあっさり負けてしまう( 負けっていうのがよく分からないが...ー.ー? )。

・”田舎者”とか”田舎くさい”という言葉に非常に敏感に反応する。

新潟人からすると、なかなか興味深い経験をした(笑)。

 

なまじ大都会の周辺に生まれると小さい頃から苦労が多いのだなぁ…、なんて人ごとと思って見ていたけれど、こういう生まれた土地から来る対抗意識、私は嫌いじゃない。むしろ、ちょっと羨ましかったりする。

 

大阪のタクシーの運転手さんは「お客さん、東京から?」の質問の後、だいたいが軽妙な関西弁で大阪自慢を始める。

神戸の友人たちは「大阪とは違うから!」という点で見事に一致団結している(笑)。

そんな「あそこと比べてうちは」的な競争心は、新潟の県民性の中にあまりない。

 

新潟には美味しい米も水も魚もお酒もあって、自慢できるものがたくさんある。他県の人も大いに認めてくれている。

だからとりたてて他と競争しなくても…、という事かもしれない。”田舎”認定に怒る人もまずいないだろう。

そもそも、”どっちが”と考える事を普段から殆どしないような気がする。

他の土地と競うという習慣がないのだ。

 

だから、「新潟と千葉と、どっちが田舎?」とオール千葉を背負って果敢に質問してきた小さな子を思い出して「ほう、なかなかあっぱれ!」と笑ってしまった。彼女は千葉人として挑戦してきたのだ。

あの時の私が、彼女が千葉人を自覚するくらいに新潟人を自覚していただろうか、と思ったら、残念ながら恥ずかしいばかりだ。

「新潟は田舎じゃないよ〜^ ^;;」と思うばかりで、、。

 

でも、そんな暢気さがまた新潟人らしいのだろうな。

 

あれ、昔の思い出話が県民論になってしまった、、。

こんな狭い日本だけれど、ちょっと考えただけでまぁいろいろあるもんだ(笑)。

 

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2016年

1月

31日

雪のこと。

ここの所、東京は久しぶりの雪で結構な騒ぎだ。

新潟出身者からすると、日本は広いなぁとぼそっと思う。

このくらいの雪でニュースになるって、まるで外国にいるようだ。

 

私が生まれた町は湯沢や十日町といった豪雪地帯からはとても遠いので、さほどの大雪は降らない。

でも小さい頃、朝起きて窓を開けると一面の銀世界で、ピンと張りつめた冷たい空気の中、陽の光を反射してキラキラ輝く真っ白な雪を眺めて、泣きたいような笑いたいような気持ちになった事は幾度もある。

たぶん、新潟の人の人生は雪と切っても切れない

 

新潟の冬。

朝起きると外は猛吹雪。あられ混じりの雪と息もできないくらいの横殴りの風。

通学通勤の老若男女は、ただ黙々と普段通りに学校や職場を目指す。父は車通勤だったが、命の危険を何度も感じたと言っていた。

私もそんな日の朝は、「わ、やだなぁ…。」と思いながらも『明日に向かって撃て!』のラストシーンみたいに(笑)、玄関から外へ頭から飛び出して行く。

天気に文句を言ってみても何になるだろう?

 

先日、東京で雪が降った時、大学は休講にするべき!・なんで社長は自宅待機を決断しない?といった書き込みがネットにあふれた。

まぁ交通網の規模と状況が違うから比較はできないのだが、そうした書き込みを読みながら、新潟人気質、雪国の人の気質みたいものをちょっと思った。

 

2011年の大震災。

被災した東北の人たちが見せた信じられない程の我慢強さと秩序正しさに世界中の人が驚いた時、私は日本人がもともと持つ美徳と同時に、雪が降る土地特有の考え方みたいなものがその根底にあるんじゃないかと思った。

困難にあった時、まずは一旦すべてを受け入れるというか、目の前の事実を”諦め”と共に冷静に認めるというか、、。

 

そんな偉そうな事を言っている私は、20代で新潟の冬から逃げ出した。

真冬の日に見た湘南の青い海が、どうしても忘れられなかった…。

でも、どんなに離れても小さい頃の雪の記憶は消えない。

 

東京に雪が降った朝、ベランダの手すりにうっすら積もった雪を見てすごく嬉しくて、思わず窓をあけて『もっと降れ〜!』なんて心の中で叫んでいた(笑)。

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2016年

1月

26日

一月という事で。

年頭にあたり、今年の目標を考えてみた。

とは言ってもすでに二十日以上過ぎている、、。

 

お正月は帰省せず、東京でダラダラのんびりしていたら、松の内を過ぎた頃からいろいろあってバタバタ忙しくなってしまった。

そんな中、18日に新潟に帰る予定だったのだが、東京は朝から大雪が降った。

予約していた高速バスは運行中止だし西武新宿線は止まっているし、中央線は物凄い遅れだし上越新幹線は大丈夫なのかネットでずっと調べて、ようやく午後になって電車も回復しているだろうと東京駅に向かうことにした。

 

予想に反して、中央線は間引き運転のせいか朝の通勤ラッシュ並みに超絶混んでいて、荷物ごとぎゅうぎゅう押しつぶされそうな勢いだ。

たどり着いた新幹線はガラガラにすいていたが、朝からの大混乱大格闘で精根尽き果て、コーヒーセットのケーキを頬張りながらぐったりしていたらあっという間に新潟に着いた。

高速バスに慣れた身としては信じられない速さだった(笑)。

 

実家に帰っても一人だが、高校時代の同級生たちや何十年来の気心知れた友達、久しぶりに再会して近況を報告しあった友人や最近親しくなった近所のお友だちが連日付き合ってくれて、めちゃ楽しい時間を過ごした。

東京の大雪のことなどすっかり忘れてしまっていた。

 

年頭から山あり谷ありで、ぼっとしていたら今年の目標をまだ考えてなかった事に気が付いた。

 

さて、2016年。

今年は”なんとなく良い感じ”がする ^-^ 

まず、2と0と6っていう丸々した数字がいいなぁ....。平成28年の8も丸い。

閏年はちょっとスペシャル感があるし、干支のお猿は愛すべきお笑い系キャラだ。

「気持ちをおおらかに持って、心の角を取って笑って過ごしなさい。」なんて言う声が天から聞こえた気がした。

 

という訳で、今年の目標は『生活を楽しむ』。

都内の散歩とか旅行とか、今までほとんど考えたことがなかったけれど、面白そうな計画を一つたててみようかな。

 

一年、楽しいことをいっぱい考えて笑顔で暮らせますように!

このブログを読んで下さっている皆さまにも、素敵な一年でありますように!

 

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

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2015年

12月

31日

大晦日

一年最後の日を東京で過ごすのは何年ぶりだろう?

 

       ***************

  

大混雑する東京駅の新幹線ホーム。

えっと〜、、どの列がどの列車?最後尾はどこ?、越後湯沢までしか行かないとか何とか放送で言ってるけど....、ほんとにこの列で大丈夫なんかなぁ、、。

あっ、そこのおばさんたち、割り込まないでよ、う〜、それにしても寒い....。

 

指定席をあらかじめ取っておけば良いのだが、私がそこまで用意周到だったら迷わず高速バスを選ぶ。年末はちょっとでも出遅れると予約が取れないので、結局新幹線の自由席になってしまう。

高速バスは乗車時間は長いが、車内は水を打ったように静かで荷物などのストレスもなく、山中の息を呑むような雪景色を思う存分堪能できて、私のように一人であ〜だこ〜だ考えるのが好きな人種には格段に快適なのだ。

しかも料金は新幹線の半分で、欲を言えば5時間じゃなく4時間だったらもっと良い ^ ^。

 

実家にたどり着くと、掃除や買い物、料理( 父のお手伝い )でいろいろ忙しい。

私と父がバタバタしている中、母が居間で悠然とテレビを見ている、というのが我が家のいつもの年末風景だ。

「ほら、良いのやってるから見ていけ。」と母は言う。(歌舞伎中継とか世界の美術館とか、、。)

なんか新約聖書のマルタとマリアみたいだなぁなんて思っていた。( 私はキリスト教信者ではないけれど。)

 

注文したおせち料理とお寿司が届くと、後はゆっくりお風呂に入って夕食だ。

父と私が晩酌をしている側で、母がお寿司をパクパク食べている。

醤油はネタにつけるんだと父が教えるのは毎度の事で、母はその時だけ直すがすぐに忘れてしまう....。

イエスの接待に立ち働く姉マルタと説教に聴き入るマリア(画:フェルメール)...wikipedia


       ***************

 

今年は新潟に帰らず、近くの駅前商店街でお正月の買い物を済ませた。

これからは『家(うち)のお正月』じゃなくて、『私のお正月』になるんだな、、。いろいろな思いがよぎってちょっと胸がいっぱいになった。

不精なことをしていると几帳面だった父に怒られそうだ ^ ^;;。

 

 

今年もブログを読んで頂き、本当にありがとうございました。

このブログを書く事で、大変だった一昨年/去年もなんとか乗り切れたような気がしています。

私にとって大切な”書くこと”と”弾くこと”。来年も楽しんでやっていきたいと思っています。

どうぞ良いお年をお迎えください!

 

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2015年

12月

25日

今日は...

クリスマス!ということで、商店街のお肉屋さんから店主のおじさん特製のローストチキンを買ってきた。

12月になったと同時にワクワク待っていたので、友人に会うたびに話していた。

「1羽ってこんなにおっきいんだけど、ほんと美味しいんだよ〜。」

パーティやるの?と聞かれて、「 え? 一人で食べるんだよ ^ ^ 」と言うと、だいたいみんな絶句する(笑)。


さすがに一度では食べきれないので、サラダやサンドイッチ・スープとかいろいろ食べて、あとは冷凍する。

季節のイベントを”食”で味わうって、なんか粋だよなぁ....。

日本人であれば、一年を通して相当な数の季節のイベントがある。正月、お花見、七夕・お盆、紅葉狩り、、。( まぁ自分で料理するんだったら100倍もっと粋なんだけどね ー_ー;; )

大勢の仲間たちと楽しむも良し、独りで楽しむも良しだ。

今晩は『孤独のグルメ』を気取って、もぐもぐやりながら”あ〜だこ〜だ”つぶやいてみようかな....(笑)。

 

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2015年

12月

11日

クリスマスシュトーレンとお正月

12月に入ってすぐ、いつも行く商店街の小さなパン屋さんに食パンとイチジク入りカンパーニュを買いに行ったら、見慣れない綺麗なお菓子のパッケージがたくさん置いてあった。

何かな?と思ってお店の奥さんに聞いたら、

「クリスマスシュトーレンです。ドイツでは、クリスマスまでに少しずつスライスして毎日食べるんですよ。」

ドライフルーツやナッツをたっぷり練り込んだ生地で、表面にはバターを塗って砂糖をまぶしてあるのだそうだ。

う〜、甘い物好きとしては話を聞いてるだけでたまらない....。

早速、小さなサイズを一つ買った。

奥さんが「少しずつ」と言ったけれど、あんまり美味しくて「少しずつ」は無理だった o_o;;。

 

*クリスマスシュトーレン*

(小さなサンタの置物は美容院でもらったプレゼント。

動かすとサンタの周りに雪がチラチラ舞って綺麗だ^ ^)



今日、もう一つ買いにお店に行った。

それからお肉屋さんに行って、クリスマスのお店特製ローストチキン(1羽分)を予約した。1羽は一人暮らしではさすがに食べ切れないのだけれど、台所で包丁片手に格闘解体・冷凍保存まですれば、最後は鶏ガラのスープまで一ヶ月以上堪能できる。

めちゃリーズナブルでめちゃ美味しい。

 

西欧文化ではクリスマスがクライマックス、日本の文化では桜かお正月だが、子供たちが心待ちするのはやはりお正月の方だと思う。

「♪もうい〜くつ寝ると〜お正月〜」....でも凧揚げ羽根つき・ゲームより楽しいのは、きっと家族みんなでご馳走を食べることだ。

うちの実家も、お寿司やすき焼き・料亭のおせちで連日ご馳走だった。

新潟の郷土料理である”こうと汁”を作るのは私の担当で、大根、人参、牛蒡とこんにゃく、かまぼこ、油揚げに焼き豆腐、鮭、豚肉、ねぎと銀杏、とと豆....10種類以上の具を入れる。味付けは醤油と砂糖がちょっと。

味見は、居間でくつろぐ母のところまで汁を入れた小皿を運んでお伺いをたてる。

「テンハオ、テンハオ!」と言ってくれるまで何回も往復する。(『テンハオ』は中国語で最高という意味らしい。母は中国人じゃないけれど、何故かこの『テンハオ』はお気に入りフレーズだった。)

この”こうと汁”のお椀にお餅を入れて食べるのが新潟のお雑煮だ。


来年は、父と母が相次いで亡くなって2回目のお正月。

毎年、年末は何があっても必ず新潟に帰って、家族三人で大晦日の夜を過ごした。帰って来いと言われるのではなく、私がどうしてもそうしたかった。

去年は一人きりの実家で、黙々と大掃除をして元旦を迎えた。


我ながら不思議なのだが、東京にいても新潟にいてもまったく一人という感じがしない。

いつも父と母がどこかにいる、話しかければいつも”なんだなんだ?”とこちらを見てくれる、、そんな暖かな空気をなんとなく感じる。

だからいっそ今年は、お正月を東京で過ごそうかと思っている。

父と母に、東京のお正月を見せてあげるのも悪くないな、と思う。

青空が広がるカラッとした関東のお正月は、新潟人にとってはなかなか衝撃的だ。

特に母は、一度だけ一緒に行った原宿竹下通りが大好きだったなぁ、なんて思い出した....。

何十年ぶりに明治神宮ってのも良いかもしれない、三が日の初詣はちょっと無理だろうけれど(笑)。


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2015年

11月

30日

愛しの”県高(けんたか)”-Part2-

”けんたか”-県立新潟高校については、書きたい事が山ほどある。

でも今日は、前回の”ちょっと考えた事”を書きたいので、ほんのさわりの3つほど、、。


”けんたか”の校風は一言で言えば自主自由だ。

校則がゆるく、先生たちとも仲が良かった。

女子は制服がなく、私なんぞ今となっては考えられないほど服装には気を使っていた(笑)。

毎日「ミニスカートにハイソックス」でキメてたなぁ、、極寒の新潟の冬でも気合入ってた....。

因みに、男子はGパンに学ランってのもOKだった。


『丈夫(ますらお)〜のたばっさむ粗野の〜、、』

もの凄く男らしく勇ましい( が、歌詞が難し過ぎて意味はよく分からない )応援歌を、超硬派応援団長の「それ〜!」の掛け声とともに、”お腹から声を出して”( 入学するとすぐ応援団の指導がある )だいたいどんな場面でも必ず歌った。

卒業式も例外ではない。そして卒業後も例外ではない。

これは伝統である。


年間最大のイベント・6月の『青陵祭』は、全校挙げて大変な事になる。

体育祭+パフォーマンス祭みたいな感じかな、、とにかくこの日に向けてみんなパワー全開だ。

各学年10クラスの縦割りで全校生徒が10連合を結成し、連合ごとに掲げるテーマに基づいたパフォーマンス、競技や応援、各陣地の応援席バックの大看板などで点数を競う。


準備期間は約1ヶ月。大道具や小道具、衣装、音楽製作などで校内騒然・混沌となる中、各連合早朝から夜間まで死力を尽くす。( でも授業は普通にある....o_o )

女子は炊き出し班で、練習の合間にせっせとおにぎりを握り、男子上級生は作戦会議で知恵をしぼる。

さながら戦国時代の合戦の様相だ(笑)。

上位入賞連合には、順位に応じて”あんぱん”が配られる。

”あんぱん”を沢山もらった連合の生徒たちは、もらえなかった連合の生徒たちに「や〜い!」と見せびらかしながら食べるのが正しい。これも伝統だ(笑)。

さて懸案の”ちょっと考えた事”というのは、、、。


この『青陵祭』の思い出に浸っていた時、ふと思った。

高校生活3年間で最大の収穫は、男子の生来一番良いところをまざまざと見た事だったんじゃないか。

社会に出れば失われる純粋さとか、そういう青春にまつわる感傷的な事ではなくもっと根源的な、へぇ〜っと女子が驚いて心の内でちょっと尊敬する長所。


<目的に向かって集団を効率的に組織し、計画者・行動者一丸となってもの凄いパワーで行動する。>


ふむふむ…。

男性の組織力は女性が一番かなわない部分だと思うのだ。

『青陵祭』の男子たちは実に圧倒的だった。

そして、女性が優れている部分ももちろん沢山ある。

『青陵祭』について言えば、その男子女子がお互いの良いところを出し合って(女子が補ってかな....?)、最高の成果が現れたのだと思う。


つい先日、世界男女格差指数ランキングというのが発表されて、日本は世界145カ国中101位なんだそうだ。

これは相当にひどい順位だ....。

日本は男女平等・男女同権の国じゃないんだな、と驚いた。

 

でもちょっと待てよ、、。

女性が男性と同じ事をするー例えば、企業や役所で女性幹部が男性と同数であるとか、研究組織で女性のトップが多いとかーそんな事が女性の地位向上なんだろうか?

男女の別なく、やりたい仕事が全力でやれる事ーそれが男女平等だと私は思うのだ。

そして、女性のやりたい事(得意な事)と男性のやりたい事が違って当然だ。

男性の良いところ、女性の良いところ、それぞれ認めて補い合う。

適材適所がうまくいけば、きっと最高の結果が出るはずだ。

 

高校時代の幸せな記憶のせいで、何ともシンプルな理想論になってしまったが、、。

 

そもそも、男性女性と括らないで、男らしい女子( 私のことではない....o_o)や女らしい男子もいるのだから、みんなが個人として平等に扱われる社会になればいいのに、と思う。


YouTubeで、『青陵祭』の応援歌合唱の動画がアップされていた。(2012/3/11公開とあるから、多分2011年の映像か?)

わくわくして見たら、女子校かっていうぐらい女子が多くてびっくりした。

『丈夫(ますらお)』も、Keyが相当上がって可愛らしく、振りもなんだか変わってしまって、時代の流れをつくづく感じた。

それでも、伝統は健在である。

『丈夫(ますらお)』は男子も女子も、”お腹から声を出して”( 意味は良く分からなくても )元気一杯歌うのが正しい^-^ 。


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2015年

11月

16日

愛しの”県高(けんたか)”-Part1-

私が卒業した県立新潟高校は、通称”県高(けんたか)”ー明治時代に旧制新潟中学校として創立された。

もともとは男子校で、

「私の高校は男子校だった。」

と些か省略して言うと、相手は一瞬混乱した表情を浮かべた後「やっぱりこいつは、、。」と得心したようにニヤッと笑う。

「いや、そうじゃなくて^ ^;;、昔は男子校だったけど、ちょっとずつ女子が入学するようになったんですよ。 」

 

(1999年に改築された校舎。

立派になったなぁ....。)


私が入った時は、一クラスに女子は8人だった。

さらに学年が上がって文系理系と分かれるようになると、女子が一人もいない『ヤモメ』クラスが登場する。

『ヤモメ』というとどこか切なく物哀しい響きがあるが、実際は理系男子の明るい巣窟、とんでもない面白ばなしや歴史に残る逸話を代々生み出してきた。

上級生の『ヤモメ』クラスの教室前を通るのは、下級生女子にとって殆ど肝試しに近い。

一人じゃ心細いので同級生女子と一緒に早足で通る。

運が悪い(?)と、廊下側の窓ガラスがガラガラっと開いて「★*ちゃ〜ん」と万雷の掛け声が掛かる。

まぁ、それはそれで嬉し恥ずかし・楽しかったりするのだが....(笑)。

 

先月、地元新潟で久しぶりの同窓会があった。

私は都合がつかず行けなかったのだが、後日、ネットの会員ページに当日の写真がたくさんアップされていて、懐かしい面々に思わず声を上げながら見入った。いろいろな思い出が蘇った。

と同時に、ふ〜む....とちと考える事があった。(いつもの変な癖です・笑)

別に大した事ではないのだが、次回ちょっと考察してみようと思います^ ^


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2015年

11月

05日

『危険な時代に生きる』

東京の自宅にはテレビがない。

あまり不便に感じないが、一つ二つ見たいテレビ番組もある。(『相棒』シリーズとか ^ ^ )

そういう時は新潟の実家でDVD録画しておいて、月一回帰った時にまとめて見る。


最近、興味があるのが『世界のドキュメンタリー・危険な時代に生きる(米)』だ。

昨年アメリカでエミー賞をとった番組で、9回シリーズで地球温暖化について警鐘を鳴らしている。

アメリカは、世界一の先進国でありながらずっとこの問題に消極的だった。

温暖化に対処する事について懐疑的な世論が根強いからだ。


そのアメリカで今、これほどまでに深く掘り下げたドキュメンタリー番組が制作されたという事は、二酸化炭素による地球温暖化はきっともう待ったなしの状況まで来ているのだ。


ハリソン・フォードやマット・デイモン、アーノルド・シュワルツェネッガーなどのハリウッドスターやジェームズ・キャメロンなどの映画監督、著名な報道関係者たちが集まってこのシリーズを製作している。

 

9作一つ一つのテーマが重過ぎてまだ全部を見れていないのだが、大企業の利益重視や政治家の不見識、発展途上国政府の汚職や資源の獲得競争といった分かりやすい問題点とは別に、意外な温暖化説・否定派の存在を知ってびっくりした。


アメリカのキリスト教保守勢力である福音派は、地球温暖化を人為的なものと認めていない。

全てがこの地を創られた神の御心で、自然のサイクルであるというのだ。

宇宙開発の最先端・NASAがある国で、こんなにも大勢の普通のアメリカ人たちが科学と信仰の矛盾に目を瞑ろうとしている。

環境問題を研究する科学者までが、自己の信仰と懸命に折り合いをつけようとする姿を見て、『二酸化炭素』と同じくらい問題なのは『宗教』なんじゃないか、と思った。

 

日本では一般に『宗教』については寛大で、無宗教じゃないんだけれど神さまとはどこか”なぁなぁの関係”(笑)なので、こうした信仰上の葛藤はどうもピンとこない。

でも、世界の大多数の人たちにとって宗教は絶対である。命を懸けるほどに、、。



今現在、世界中で起きている国際紛争。

アジア地域では領土問題が大変な事になっているが、それよりもここ十数年、世界各地で起きた宗教に関係する様々な衝突は、私たち日本人がほとんど想像できないくらい悲惨なものだ。

宗派の対立で戦争が起き、たくさんの罪の無い人たちが命を奪われている。


大気の中の『二酸化炭素』と人の心の中の『宗教』。

植物が光合成を行うのになくてはならない『二酸化炭素』と、私たちが生活するのに心の拠り所となる『宗教』。

どちらも大切なものなのに、過度に比重が大きくなると全てを破壊するくらいに危険なのだ。


”危険な時代”…人類は、自ら創り出した物のせいで無残に押し潰されようとしているように思えてならない。

何をどうしたらいいのかは全く分からないけれど、少なくとも、”世界で何が・どこで・どう動いているのか”を知っておかなくてはいけないと思った。

それも、”正しく知る事”だ。

 

でもあまりに複雑で難解な情報がたくさんあって、いったいその中の何が、どれくらい正しいのかよく分からない....。

私はこんな大変な時代に生きていて、しかもその事についてあまりに知らないのだなぁ、、。

今更ながら自分の生かじりさ加減にがっくりきた (-_-)。


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2015年

10月

28日

時間

猛暑の夏がようやく終わって、一息ついていたら急に朝晩ひんやりと感じるようになり、いきなり寒くなったなぁと思いながら郵便局に行ったら年賀状印刷の予約広告が貼ってあって、なんだかあたふた焦って気分は一気に年末になってしまった。

その前に秋だろっと自分でつっこんでみたが、どうも最近、月日の流れが異常に速い。

”さぁ、これから食欲の秋!”なんてわくわく意気込んでいて、気が付いたらもう外で雪が降っていたとか、実際おきそうな勢いだ。

 

先日、ライブのリハ中にメンバーと話していて、

「なんかさぁ、もうあっと言う間に一年終わっちゃいそうだよねぇ...。」

「ほんとほんと。やたら最近速いよ。前からこうだっけか?」

 

実はこういう会話、他の人たちとも頻繁に交わされていて、例えば他のミュージシャンたちやピアノの生徒さん、ライブハウスのママさんとか、みんな一様にとても実感を込めて言うのだ。

社交辞令の挨拶ではなく、心底驚いて「あれ、なんで?」というニュアンスがある。

 

昔、父が「40を過ぎると早いぞ〜。50を過ぎるとまっさかさまだ!」なんて笑いながら私を脅かしていたが、たいがい年を取るにつれ時間の流れは速く感じるものだ。

へんな言い方だが、”時間の相対的老化”のような感覚は年齢とともにどんどん加速していく。

これは一般的な現象でなんの不思議もないのだが、近頃奇妙に感じる事がある。

私から見ると随分若い人たちがまったく同じ事を言うのだ。

こちらに気を遣って(笑)、という風でもない。

同じ年代同志なら相身互いで笑ってお終いだが、若者たちが相手だと”時間の相対的老化”ではなく、”絶対的自然現象”ー例えば天気について話をしているような錯覚に陥る。

 

「今年の夏はめちゃ暑かった。」=「一年がめちゃ速いんだけど?」こんな感じかな...。

 

この件について、独断と偏見で2つ仮説を立ててみた。

『創元SF文庫』卒業生としてはもう少し奇抜なアイディアを出したいところだが、凡人にはこれが精一杯で残念だ...。

 

1.若者たちの時間感覚に変異が起きている。

時代の変化のスピードが速過ぎると、柔軟な若者の感性に少なからぬ影響を及ぼす。   

特に、Jazzなどの伝統文化=古き良き時代に発祥した文化を好む幾つかのグループは、インターネット上で過去の映像・音源( YouTube等 )に頻繁に接する事によって、現実のスピード感と体内感覚との間にずれが生じやすい。

 

2 .地球の時間軸に歪みが発生中。

アインシュタインの相対性理論で、空間の歪みとか何とかいうのがある。

全く理解不能だが、空間が歪むなら時間も歪むんじゃないだろうか(o_o)と考えてみた。  

宇宙のどこかの巨大ブラックホールがどうかこうかしたせいで、地球上すべての時間の流れが微妙に速くなった。

下手をすると太陽系全体に及ぶ現象なので、我々の科学レベルでは測定不能かもしれない。

太古の昔からの時間軸で生きている生物たちは、その微妙な変化を何となく感じて「あれ〜?」となるわけだ。この場合、老いも若きも同様に感じる。



ふむふむ、秋の夜長にSFにどっぷり浸るのも悪くない。ワームホールとか平行宇宙とか異次元とか意識世界とか、、。


さて時間の流れに話を戻すと( おバカな仮説は置いといて....笑)、例えば外出の準備でバタバタする時、仕事の締め切りでジタバタする時、一年のイベントがあとクリスマスぐらいしかないなぁと気付く時、ほとんど全ての人がいつもより時間が速いと感じる。

やる事が多過ぎて慌てるとか楽しい事が残り少なくなって寂しいとか、きっと原因はまるでSF的ではない。

そしてたぶん人生を終える頃には、数十年あっと言う間だったなぁなんてしみじみ思うのだ。

歳月の真の経過速度を、人生最後に身を以て知るという事か、、。

 

まだまだ先の話だと思っていると、いきなり「あれ、なんで?」になりかねないなぁ-_-;; 

まぁ、心配してどうなるものでもないか...(笑)。

 

『明日も元気、時間を無駄にせず』詰まるところ、これでだいたい大丈夫な気がした。

 

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2015年

10月

13日

盛り塩

自宅マンションの右隣の部屋。

前を通り過ぎるたびにちょっと気になっている事がある。

通路から少し奥まった玄関の前に、目立たないように盛り塩が置いてあるのだ。


料亭やお寿司屋さんの軒先で見る分には全く違和感が無いのだが、マンション通路の薄暗い蛍光灯の光の下、ひっそりと置かれた盛り塩を見ると、思わず”ぞぞっ”とする。


「お隣りさん、なんか出るんかぁ....?」

ずっと気になっていたが、ようやく今日、インターネットで『盛り塩』について調べることにした。

もしWikipediaかなんかに「盛り塩は、地縛霊や恐ろしい祟りを鎮める除霊の手段として非常に有効である。」なんて書いてあったらどうしよう、、だとしたら、隣に住んでいる私はもの凄くヤバいんじゃないだろうか? 

『呪怨』の恐怖シーンがぼうっと目の前に浮かんだ。

いくらホラー好きとはいえ、自分の身の上となるとこれは普通に怖い。

調べた結果、盛り塩には二つの意味があることが分かった。


*人寄せの為の縁起担ぎとしての盛り塩

*神事・葬送儀礼としてのお清めの塩。又神に捧げる神聖な供え物としての塩


飲食店じゃなくても、最近はただ”お清め”の意味で玄関に盛り塩を置く人もいるようだ。

amazonで『盛り塩セット★お試し価格』なんてのもあった。

私が知らなかっただけで、縁起担ぎグッズとして結構人気らしい。


しかしこんな記述もあった。

『……「盛り塩で清められる」と言われているため、霊自身が、「塩の側にいけば、自分は清められ、霊界に行ける」と、大きな勘違いをする……そして、盛り塩に引き寄せられてしまうのです。

玄関などに、盛り塩を置かれている人がいらっしゃるようですが、、、霊を引き寄せてしまいます。』

 

”霊を引き寄せてしまいます”、、えぇ〜っ、お隣さん、これ知ってるんかなぁ?

 

まぁ、”何が本当か”なんて調べようがないから、結局”何を信じるか”だ。

何も起きない事を願いつつ、夜は米朝師匠とナイツの子守唄でスヤスヤ寝ている。( 最近は三遊亭圓生師匠も参加 ^ ^ )

万が一の場合は父と母が護ってくれるから大丈夫ーよく分からないが、なんとなくそう思って安心している。

 

ふと、「amazonで買った盛り塩ってアメリカの塩かなぁ。」、、つまんない事をぼんやり考えてしまった....。

 

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2015年

9月

30日

『フランケンシュタイン』

私はホラー好きで、たぶん見る映画もかなり偏っている。

『エクソシスト』『オーメン』『シャイニング』『リング』『遊星からの物体X』『惑星ソラリス』、、この手の作品を好んで見る人というのは、マニア=変人の部類だと我ながら思う。

悪霊や悪魔、心霊現象や地球外生命体、人類史以前の太古から存在する未知の魔物ーそういう得体の知れないものに関わってしまって、不幸にも死に物狂いで闘わざるを得なかった主人公たち。

たいていは負けちゃうのだが、大作映画お約束の”勧善懲悪”じゃないところが好きだ。

人間なんて小さな存在なのだ、その事実をいやというほど知るのも自虐的な快感というかなんというか、、(笑)。

女性でこういうのが好きってのは珍しいんだろうなぁ。


思い起こせば、小さい頃に好きだった漫画は楳図かずお氏の『ママがこわい』ーヘビ女の恐怖漫画ーだった。

ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』は、怖さに震えながら何故か何回も読み返し、ラヴクラフトのクトゥルフ神話の物語は、子供には難解でさっぱり分からなかったが、文章全体から立ち上るぞっとする空気にドキドキした。


ホラーや怪物に関してはちょっと詳しいつもりでいたが、一人(?)見落としていた。

『フランケンシュタイン』

藤子不二雄氏の漫画『怪物くん』や映画『アダムスファミリー』のせいで、どうもコミカルなイメージがあって外していたのだ。

でも実際調べてみると、1818年に出版されたメアリー・シェリー(英)の原作はとてつもなく陰惨だ。


『フランケンシュタイン』というのはこの怪物の名前ではなく、創造者であるスイス人の医学生ヴィクター・フランケンシュタインに拠る。

彼は師と仰いだ亡き天才医学者の脳と処刑された殺人者の身体とをつなぎ合わせて、非常な困難の末にとんでもない”被造物”を創り出した。

その”被造物”は、外見のあまりの醜さ故に人々に迫害され虐待され疎外されるーしかしその内面は、人並み以上に知的で感受性豊かであったーいきなりこの世に生まれた無垢な心が、孤独と悲嘆と絶望に折れ無惨に壊れていく。

当時二十歳そこそこの女性が、どうしてこのような物語を書けたのか?


1994年公開、ケネス・ブラナー監督・ロバート・デ・ニーロ/ケネス・ブラナー主演の『フランケンシュタイン』は、メアリー・シェリーの原作に忠実に創られている。

最初に見たときは、怖いというより悲しい物語だ、と思った。

つい先日、この物語についてふとある事を思ってもう一度映画を見直した。映画の一場面がどうしても気になった。


「Who Are You ? 」とある人に尋ねられた怪物が、一瞬答えに詰まる。


彼は、創造者=父であるヴィクターから、名前すら与えられていなかったのだ。

ミルトンの『失楽園』を読み、老人の吹く笛の音に心を動かされるほどの高い知性と人間性を持った”被造物”が、醜さから迫害され怪物と蔑まれ、この地上にたった一人の言葉を交わすだけの友も理解者も無く打ち捨てられた。


「He Never Gave Me A Name.」

こう答えた時の彼の悲しみを超えた絶望はどれほどだったろうか?


先日考えた事というのは、成熟した精神が名前を持たないというのはどのような状態だろうという事だ。

どんなに虐待された子供も極悪非道の犯罪人も、この世に生を受けた時に名前をもらう。キリスト教でいう悪魔でさえ、エクソシストに名乗るべき名前を持っている。

名前がないという事は、生まれてからただの一度も存在を認められなかったという事だ。誰からも声も心もかけられなかったという事だ。

これはとても恐ろしい事ではないだろうか?


ホラー好きな私が、ヴィクター・フランケンシュタインに創造された怪物の絶望と怒りを思って、今までとはまるで違う恐怖に背筋が寒くなった。

本物のホラーは、もしかしてこういう事なのではないかと思ったー救いようのない絶対的な孤独と孤立と破滅。

映画を見終わった後、どうにもやりきれない気持ちになって泣きたくなった。

底知れない怖れと哀れみに胸が塞がれた....。


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2015年

9月

09日

ナイツ!

夜寝る時、米朝さんの落語を子守唄(?)代わりに聞いている。

もう内容はほとんど覚えちゃってるんだけれど、渋みのある声音(こわね)と絶妙な語り口が何とも心地よい。

最近、もう一つお気に入りが増えた。漫才コンビ・ナイツだ。


もともと、漫才はあまり好きではないし興味がなかった。

ライブハウスの演奏の合間、お客さんやメンバーが若手お笑い芸人の話題で盛り上がる事がよくあるが、うちはTVがないし(笑)まったく話についていけない。


とにかく、もの凄くたくさん芸人さんがいるのだ!ぐらいの認識しかなかった。

( 若い頃、イギリスの膨大な数のロックバンドの名前を必死で覚えた時の事を思い出した・笑 )

何故ナイツを知っているかといえば、亡くなった父が『笑点』のファンで、録画した『笑点』を家族でよく見ていた。大喜利の前にやる演芸でダントツに面白かったのがナイツで、名前をなんとなく覚えていたのだ。


ついこの間、YouTubeでたまたまナイツの一連の漫才や自己紹介などを見ていたら、ある事に気付いて面白いなぁと思った。

ナイツのメンバー、塙さんと土屋さんの二人の関係はまさに『相棒』なのだ。

このブログで以前考察(笑)した、”男性二人の『相棒』における距離感のある友情”について言えば、ナイツはまさにそれに当てはまる(2015/7/6の記事)。

漫才コンビなんてみんなそうじゃん!と思うかもしれないが、二人の間に信頼以上の尊敬があるかないかが鍵(キー)だ。


一学年後輩の土屋さんは塙さんの才能をめちゃくちゃ尊敬していて、それは彼の言動からにじみ出ている。アガサ・クリスティ著『名探偵ポワロ』のヘイスティングス大尉を彷彿とさせるのだ。

塙さんはかなり変人で(笑)どこかポワロ似の天才肌、ツッコミ役の土屋さんを心底信頼しているのがこれまた彼の言動からわかる。

私が愛してやまない、”名探偵ポワロ-相棒ヘイスティングス大尉”の漫才版がナイツなのだ!、、な〜んて勝手に思い込んでみた(笑)。


**念の為に言っておきますが、外見はまるで似てません....。**


米朝師匠とはさすがに持ちネタの量が違うので、毎晩ナイツを聞くというのは無理だし、落語と違って思わず爆笑してしまうので寝るときの子守唄代わりにはあまりならないのだけれど、なんだろう、二人の元気な声を聞くと安心して眠れるという不思議な現象が起きている。

これはどういう事なんだと考えたら、ふむ、私はナイツのファンなのだな....と思い至った。

ま、まさかこの私が、お笑いコンビのファンになるとはー_ー;;

 

人生何が起きるかわからない、、しみじみと実感したことだった(笑)。

 

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2015年

8月

31日

赤い靴と山登り

レッスン中に生徒さんと雑談するのが好きで、気を付けないと世界情勢・歴史・人生その他諸々の持論を一席盛大にぶってしまう。

そんな私のおしゃべりに心優しく付き合ってくれる類いまれなる生徒さんがある時、ふっと言った。

「先生のブログ、たまに見るけどミュージシャンのブログじゃないみたい…。」

『うぅ、いかん!そういえば音楽の話ず〜っと書いてない。その他諸々話ばっかだ、、。』


ということで、今回は珍しく音楽ネタ、『Jazzの練習』について書きたいと思います^-^ !

Jazzは、明けても暮れても練習/練習/練習です(笑)。


10何年前のある時、Jazzピアノを弾けるようになりたいと思った。

しばらくして本気で練習を始めた。

すると、それまで何となく外側だけ眺めていたのとはまるで違う、本物のJazzの世界がいきなり開けた。別世界の扉を開けてしまったかのようだった。目の前に立ちはだかる巨大な山の頂上に、古今東西偉大なピアニスト達が遠く見える。


山のふもとに立って見上げると、そのあまりの高さに普通の人なら「ま、見なかったことにしよう!」て事になる。

たまに私のように、2合目、いやせめて3合目まででも登りたいと思う命知らずな人が現れて、いったん登山道に足を踏み入れてしまうと、たぶん一生上を目指して歩き続けるという恐ろしいことになる。『赤い靴』を履いてしまった踊り子のようになるのだ(汗)。

なぜこんなホラーじみた言い方をするかというと、、。


尊敬する先輩ミュージシャンの最近のCDを聴いたりいっしょに演奏したりすると、演奏が微妙に変化している事に気づく事がある。

えっ、なんか違う、進化してる、、 う〜スゴ、また上手くなってる!

気付いて背筋がぞ〜っとするのだ(笑)。こんな凄い人がまだ汗をかいて登っている。

登り続ける為の努力が終わる事はないのだ、どんなに山の上の方にいようと。

これは本当に怖い、、。

そういう姿勢は後輩たちにちゃんと引き継がれていく。

Jazzミュージシャンたちは、こうして日々練習に明け暮れる。

 

上ばかり見ていると疲れるしストレスも溜まるので(笑)、たまには自分との対話も必要だ。

「最近、頑張ってるね。でもちょっと頑張り過ぎだよ。演奏に出ちゃってる、、。」

「力抜いてみたら?楽に弾いた方が良いよ。」

自分の中の声が、ある時は労い慰め、ある時は叱咤激励してくれる。

心強い味方の声だ。時々、もうやめちゃえば?!なんて意地の悪い事も言うけれど ー_ー;;

 

そんな練習の最中に、いろいろ大事な事に気付く。

先輩や友人達がずっと昔アドバイスしてくれたのに理解できなかった事が、あ、この事だったんだと解ったり、演奏がうまくいかない原因を思いがけず発見したり、、。

その気付く瞬間がなんとも言えず嬉しくて、一人ピアノに向かってにんまりする。ちょっと心臓がドキドキもする。

 

最近、リズムについていろいろ練習している。

今さらなんだけれど、指に力がついてきたせいもあって、”音符を自分の思う位置で弾く”という基本的な事がようやく少し出来るようになってきた。

まだ転んだりすべったり焦ったりで、文字通り七転八倒だ(笑)。

 

「たくさん練習したいと思うようになったら、Jazzにハマったって事だよ!」

某先輩ミュージシャンに言われた言葉だ^ ^

練習、楽しんでやってます。たくさん練習したいです(笑)!


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2015年

8月

03日

エレクトーンな日々~Part2~

大学を卒業すると、エレクトーン講師と並行してデモンストレーターの仕事を始めた。

高崎で研修を受けた後、地元でやった初めての仕事がなかなか試練だった(o_o);;

 

世間では春休みが始まった頃。

うららかなある日の朝8時、自宅にヤマハ担当者が迎えに来た。

慌ただしく一緒に車に乗り込んで『東映ドラえもん祭り』映画館会場へ。

朝一番の上映を待つ子供たちとお母さんたちで館内はワイワイ賑やかだ。


スクリーン前の狭い壇上スペースに無理やり置いた感のあるエレクトーン。かなり違和感有り、、。

壇上に登ってエレクトーンに向かって座ると、おもむろにマイクを持って「みなさ〜ん、おはようございます!」客席に呼びかける。

 

要は、映画が始まる前にエレクトーンの伴奏でドラえもんのテーマ曲( 「アンアンアン、とっても大好き、ド〜ラえもん!」ていう.... )をみんなで歌って、ヤマハ音楽教室も映画と同じくらい楽しいですよっていうPRをするのだが、、。

私が子ども相手に『歌のお姉さん』をやるってのは、今考えても甚だしいミスキャストだ、、当時の私は『アダムス・ファミリー』のウェンズデーみたいなヤツだったから(笑)。

子供もお母さんも突然の事にポカンと口を開けたままこちらを見ている。

もの凄く違和感有りまくりの空気にアップアップしながらも、なんとか最後まで伴奏を弾いて「それではみなさん、映画を楽しんでくださいね〜! 」

それ以降しばらく、ドラえもんを見たくなくなった。


************

ある風の強い日の午後。

その日は日曜日で、バスセンタービルの屋上の広場には、お昼休みの休憩に訪れた近くのお店の店員さん、買い物に来た家族客や高校生のカップルなんかでいつもよりちょっとだけ人出が多かった。

私は広場の片隅でエレクトーンを弾いていて、演奏は大きなスピーカーで広場じゅうに流れていた。

    (新潟市バスセンター)


今回の仕事は、マイク・セッティング無し・おしゃべり無し・弾くだけなので気楽だったが、担当者が側にいなくて一人きりなのが少しだけ気がかりだった。

事前に「大丈夫?」と聞かれて、

「大丈夫ですよ〜。変な人にからまれたらすぐ逃げてきます^ ^ 」元気に答えた。( 事務所は会場のすぐ近くにあった。) 

変な人は来なかったが、突然すごい強風が吹いて、重しを上に載せてまとめておいたかなりな量の譜面が一気にパァ〜っと舞い上がった。

驚いたが演奏中なので、広場を横切ってひらひら飛んでいく譜面を目で追いつつ「わっ、どうするかなぁ....。」と考えた。

まぁ考えてもどうにかなる事態じゃないので、仕方なく演奏を中断し風の広場を走って譜面回収した。

みんな見ていてちょっとかっこ悪かった、、。

 

************

新潟市外からの仕事も時々来た。

小さな町の楽器店の音楽教室・生徒募集キャンペーン。エレクトーンのデモ演奏でお客さんの興味を引く作戦だ。

お店によっては、お客さんを集めるよりこちらから積極的に打って出ようと考える意欲的な担当者がいて、これがなかなかハードな仕事だったりする。


小型トラックの荷台にエレクトーンを積んで、街中から土埃舞う郊外へ。

私は荷台に乗り込んで、トラックの拡声器から「春の生徒募集キャンペーン期間中です!」アナウンスが流れると、少しよろけながらも素早く椅子に座ってエレクトーンを弾き出す。( 若かったからできたんだよなぁ、、。)

私の長い髪が走る風に盛大になびいて、遠目にもかなりなインパクトだ。というか、見た人は普通にびっくりしたと思う(笑)。

こんな面白い経験はめったにできるもんじゃないので、流れる風景と鍵盤を半々に見ながら刺激的演奏を半日たっぷり楽しんだ^-^ 。

 

************

 ( こんな感じのトラック!)


他にもまだいろいろあったけれど、総じて「頑張った!」って感じかな。

 

エレクトーンに夢中だったあの頃の私。

どんな仕事も愚痴や不平不満を言わず一生懸命にやった。

目標を見定めて一直線に進む…あの時の心の有り様をまざまざと思い出して、少し弱った心が力をもらったような気がした。

我ながらちょっと背筋が伸びる思いがした。

 

過去の私が「頑張れ〜!」とエールを送ってくれている。

20代の怖いもの知らずの私だ(笑)。こちらを真っ直ぐに見据えている。

ブログを書きながら、そんな空想がふと浮かんだ。

 

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2015年

7月

28日

エレクトーンな日々〜Part1~

大学3年生の秋頃だったか、学バスで一緒になった友人が、

「今、ヤマハでエレクトーン習ってるの ^-^ 面白いよ。 」と言った。

「へ〜、エレクトーン o_o 」

「タサは昔、ピアノ習ってたんでしょ?すぐ弾けるようになるよ!」

「どうかなぁ…。」

 

小さい時に苦行のようにピアノレッスンをやらされたおかげでクラシックが大嫌いになり、高校時代はロックばかり聴いていた。

大学受験で進路を決める時に音楽は絶対に選ばないと決意して、結局、国文学科に入学した。

 

この当時は、教職課程をとって高校の国語の先生になろうなんて気はさらさらなく、かといって文学の才能が特別あるわけでもなく、中途半端な気持ちでふらふらしていたところだったので、

「エレクトーンかぁ、やってみようかな、、。」

新潟市内・万代にあったヤマハ音楽センターに申し込みに行った。

 

クラシックと違って先生にあ〜だこ〜だ怒られず自由に好きに弾けて、ビートルズや荒井由美(-今は松任谷由実さん-) Jazzやボサノバ、お洒落でPopな曲集が沢山あって、リズムボックスからはいろんなリズムがシャカシャカズンチャカ出てきた。

夢中になって毎日練習した。( やっぱ好きな事しかやれないんだな、私....笑)

 

大学卒業前にエレクトーン講師の資格を取って、ヤマハ新潟センターに晴れて就職した。

音楽は職業に選ばない!固く決意した事なんて綺麗さっぱり忘れていた。

(近代文学ゼミの伊狩先生 、心配かけてごめんなさい m(_ _)m )

 

同時に、”エレクトーン・デモンストレーター”という仕事も始めた。

デモンストレーターは、イベント会場やお祭り、商店街や楽器店の販促なんかでエレクトーンを弾いてヤマハや楽器の宣伝をする。

東京だと、日曜日の午後ー新宿Pepe前の広場に巨大な透明カプセルが設置されて、その中でデモンストレーターがおしゃべりを交えながらエレクトーンを弾いていた。もう随分と昔の話だが、、。

東京のデモンストレーターはさすがにめちゃくちゃハイグレードで、たまに上京して新宿Pepe前で見学するたびにうっとり憧れたものだ。

 

さて、新潟のデモンストレーターな私。

大きな会場や記念イベントの仕事もあって緊張でハラハラドキドキだったが、記憶に残っているのはそうした華やかな体験ではない。

ドジったり焦ったり慌てたり、地方ならではのちょっと面白かった思い出だ。

 

これについてはちょっと長くなるので、次回Part2に続く....。

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当時、新宿Pepe前のエレクトーン・カプセルで使用されたGX-1。

700万円もする最高機種!

中身はアナログのポリフォニックシンセサイザーで、ELPのキース・エマーソンやスティービー・ワンダーといった有名ミュージシャンもレコーディングやライブの為に所有していた。

私もコンクールやなんかで何回か弾いたことがあるが、エレクトーンというよりは完全にシンセサイザーだ。

( 写真はYAMAHAのHPより )

 

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2015年

7月

19日

進化

毎年、この季節になると新潟の実家で蚊と格闘する。

東京でマンション住まいをしていると蚊なんてものににお目にかかる事はまず無いので、蚊取り線香くらいしか防御策を思いつかない状態で田舎に行くと本当にひどい目にあう。

あまりの事にしばし呆然とする程だ。

 

朝から強い日差しが照りつける庭の真ん中で、ぼうぼうに伸びた雑草を退治せんと日除け帽に長靴長袖長ズボン、防虫スプレーをふんだんに浴びて勇ましく立っているとする。

どこからともなくブ〜ンというかすかな、しかし力強い宣戦布告の合図があると、こちらは臨戦態勢に入りつつも万全の防御システムを備えている事を思い出して、不敵な笑みを浮かべつつ「来るなら来い!」と呟いて草取り作業に突入する。

一心不乱に雑草と戦って二十分後、汗を拭き拭きお風呂場でシャワーを浴びようと服を脱ぐと、長袖長ズボンの生地の上から貫通攻撃、防虫スプレー緩衝地帯をピンポイント攻撃されピンク色にぷっくりぽっくりふくれた被害跡をそこらじゅうに見つけて、かゆさも忘れ何故か「ほ〜.....。」と感心する。

「敵ながらあっぱれ!」ってやつだ。

 

だんだんこちらも用心深くなって、”ブ〜ン”と聞くやいなや首や肩や二の腕をパチンパチン叩いていたが、近年、あれっ?と思った事が数回あった。

”ブ〜ン”が全くなくて、首とか顔、例えば目の上とかを知らないうちに刺されているのだ。

友人たちに話したら、「年で耳が遠くなった?」なんて無礼千万な事を言われたが(笑)、いやそうじゃなくて確かに、”ブ〜ン”な蚊とサイレントな蚊がいるような気がする。



うんと昔に見た、いしいひさいち氏「バイト君」の4コマ漫画を思い出した。

真夏の大阪、下宿の狭い部屋で蚊取り線香をたいた「バイト君」たちが、それでも死なない蚊を手で叩きつぶそうとパチンパチン大騒ぎする。

防毒マスクをつけた次世代の蚊がそれを冷ややかに眺めながら「我々は進歩するのだ。それに引き換えこいつらは....。」と嘲笑う、、殺虫剤が効かない新型の蚊が出現したという漫画だったが、当時いしいひさいち氏が「蚊取り線香たいても駄目じゃん....」って経験をして書かれた漫画ではないかと思うのだ。

とすると、それから数十年、さらに進化した蚊が現れたんじゃないだろうか(-_-);;?


「ここんとこさ、こういう風に角度変えると音しなくなるんだよね ^ ^」

「へぇ、そうなんだ....凄いね!僕もやってみよ〜っと ^o^ 」



草むらの奥に集まって情報交換する蚊たちを想像して、ブルブルっとひとり戦慄するのであった(笑)。

虫たちは人間の数倍の速さで進化してたりして、、。それに引き換え私らは....。

 

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2015年

7月

06日

相棒

TVドラマ『相棒』は父が大好きだったので、新潟の家にはほぼ全作品の保存録画がある。

現在13シーズンが衝撃的な結末で終わったところで、次の4代目の相棒が誰になるのかファンの間ではいろんな噂が飛び交っている。( 3代目成宮くん、かなり好きだったんだけど、、。)


男性二人がチームを組んで事件を解決するという設定は、19世紀末の探偵シャーロック・ホームズとワトソンが今でも圧倒的な人気だが、私の好きなベルギー人の探偵エルキュール・ポワロにもヘイスティングス大尉という愛すべき相棒がいる。

杉下右京チームについて言えば、右京さんは警視庁特命係( 二人しかいない.... )の上司なので、一応厳然とした上下関係が存在する。

彼の慇懃無礼な物言いと若い相棒のラフな敬語のせいで二人はほとんど同僚のようだが、警察組織の中で上司と部下の間には越えられない壁がある。

そこへ行くと、ホームズとワトソン、ポワロとヘイスティングス大尉は立場的にはまったく対等な友人である。お互いの細かいところまで殆ど秘密なく知り尽くしている本当の友人だ。

 

この3つのチームは相棒との関係について若干の違いはあるが、活躍を見守る私たちとって、時代を超えて大きな好感をもって応援したくなるという共通点がある。

男二人っていうのは何だかとっても良いのだ。

目が離せないというか、暖かく見守るっていうか....(笑)。

彼らには、対等の友人関係であってもお互いにある種の距離感があり、上司・部下の関係の中にも表には出さない秘かな友情がある。

 


私が特に面白いと思うのは、ホームズもポワロも友人である相棒に対して、時に非常に横柄である。

ホームズはワトソンに対していつも上から目線だし(ホームズの性格という面もあるが )、ポワロはもともと尊大な人物なのでヘイスティングス大尉はいつも彼に気を遣っている。

こうした上下関係ともいうべき不平等感があるにも関わらず、心情的に互いに深い友情をいだいている。

この関係性が私にはとっても男性的に思える。女性二人のチームではまず成立しえない。

 

私は女なので、ホームズみたいに頭の良い人は尊敬はするが「君、こんなのは基本だよ。」なんて頭ごなしに言われた日には「な〜によ、えっらそうに!」と思うに違いない。友達になろうなんてさらさら思わない。

私が気が強いからではなく(笑)、女同士の友情にとって同じ目線の高さというのはとても大事な要素で、友情が成り立つ前提条件でさえある。対等であろうとしてお互いに気を遣うという事すらある。

その点、男の人たちを見ていると、評価すべき力の潜在力によって自然に階層がつくられる。目線の高さなんて誰も気にしていないように見える。能力の高い人は多少えらそうであっても他は当然の事のように認めるのだ。

友情とその事とは別次元という事か?

 

男性は階層的な関係に適応し、女性は平等な関係の中で生きようとするのかもしれない。

女性二人のチームの場合、二人が対等であれば友情が生まれるかもしれないが、それはきっと距離感のないものになるだろうし、上下関係がある場合には確かな友情はほぼ生まれないと思う。

もちろん個人差はあるだろうけれど、、。

 

さて、TVドラマ『相棒』の4代目か5代目の相棒が女性になるかも、なんて噂がある。

男性と女性の相棒なら、『X-File』(1993-2002年/米TVドラマ)のモルダーとスカリーが秀逸だった。

FBI捜査官として、UFOオタクのモルダーと理論派現実主義の科学者スカリーが超常現象的事件に立ち向かう。

時にぶつかり合いながらも強い信頼感と職業意識で支え合う二人は、男女の間に友情は存在するかという問題に「Yes!」とはっきり答えを出してくれているようで、そういう面でも『X-File』は面白かった。

( UFO・超常現象系の話題は私としては絶対外せないしね!・笑)


シリーズ最後には、視聴者の熱狂的懇願に制作サイドが負けて二人は結ばれちゃうんだけど、この展開は本当に本当に残念だった、あのストイックな距離感がめちゃ良かったのに、、。

私って性格歪んでるのかなぁ....(ー_ー)....恋愛ものはどうも苦手だ。

 

『相棒』これからがまた楽しみだ^ ^14シーズンは秋の予定。

右京さんが女性の相棒と恋に落ちるなんて展開だけは、ほんと勘弁してほしいが、、。


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2015年

6月

25日

鬼の霍乱

鬼の霍乱をネットで調べたら「ふだんきわめて健康な人が珍しく病気になることのたとえ。」とあった。

ふむ....。


日曜日の夕方に新潟から帰って来た。「やれやれ疲れた、、。」お風呂上がりに軽く一杯飲んで早くに寝てしまった。

朝、いつも通りに起きるとどうも調子が悪い。

それでも午前中はフライヤーの手配とかで忙しくしていたが、お昼になってご飯を食べられそうにないと気づいた。

このめちゃくちゃ久しぶりの最悪な感じ、、私、きっとすっごい熱あるわ、、。

へなへなとベッドに倒れ込んで、そのまま2日間寝込んだ。


今は熱も下がってお粥を食べているが、まさに鬼の霍乱だったな、と思った。

しかしなんで『鬼』なのか?

ネットの故事ことわざ辞典では「病気などしたことない人を、強くて丈夫な鬼にたとえて、」と解説していた。

へぇ、元気な鬼ってことか、、恐くない鬼もいるんだね。


私は普段、仲の良い友だちやお客さんや、先輩のミュージシャンからさえも「みっちゃんは恐いからねぇ!」とよくからかわれる。

みんな冗談で言っているのはわかるけれど、私は一度だって相手を怖がらせようと思ったことはないので、そう言われると本当に途方にくれる。

どうして?と思わず相手に訊ねてみたくなるが、また怖がられそうなのでそのまま聞いておく。

まぁ、あまりにストレートな物言いは気を付けなさいということだな。

そういえば、うんと小さな頃に母がそのような事を言っていたのを思い出した。あの時ちゃんと言うことを聞いておけば良かった....(ー_ー)


あれ、だいぶ横道に逸れてしまった。 


この2日間、何もせず何も考えず( 熱があるとさすがに脳もお休みだ )、ただひたすら寝た。

時々、PCのNHKオンデマンドで『その時歴史が動いた』なんて昔の番組を見ていても、途中でまた寝てしまう。よくもこんなに寝られたものだ。

知らず知らずのうちにたまった疲れが起こした鬼の霍乱だったかもしれない。


ちょうど新潟に帰っていた時、高校時代の同期の仲間たちが集まる会があって、そこで1年前にみんなと撮った写真を受け取った。

両親の納骨・父の一周忌が終わって東京に引っ越す前日だ。

なんだか自分じゃないような変な感じがした。不自然な笑顔が、あの当時の張り詰めた気持ちを思い出させた。



そうだ、あのぴりぴりと緊張した心のまま、この一年を過ごしたのだ。

きっと体と心がさすがに音を上げたのだろうな、、。

ついでに言えばこの3日間、お酒を一滴も飲んでいないから、お腹と肝臓くんにも久しぶりに良い休養になったはずだ(笑)。


ゆるゆるとまた活動開始である。

気持ちをほぐして、肩の力を抜くことから始めよう。

今晩から晩酌も再開だな....(笑)。


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2015年

6月

13日

仏教 Part2

先月20日に父と母の法要で伺ったお寺は、新潟でもとても由緒ある真言宗のお寺だ。

お葬式の日はさすがに気持ちの余裕など無かったが、今回は三回忌だ。

大きな本堂や石庭の見事な苔、祭壇の豪華さに今更ながら驚いて、お経が始まるまで、周囲をくるくる見回したり天井をまじまじ見上げたりして気持ちが落ち着かなかった。

 

東京で音楽をやる、新潟で遺品の整理をする、二つの生活は私にとって時空ワープするような感じで、そんな生活を一年間続けてこのワープ感はさらに強まってきている。

そして今、寺院で厳かにお経を聞き、お線香をあげ、数珠を手に頭を下げる、、日常から遠く離れ現世から意識がワープする。

最近、父と母を日々身近に感じることで、東京にいても新潟にいても別の大きな時空の一部にいるような、今まで感じたことのない位置感覚を感じるようになった。

それは宗教的というより、随分と現実的・実際的な感覚である。

この世とは何だろう?人間って何だろう?

”哲学的に”ではなく、”物理的・科学的な”意味合いで、、。私たちが目で見る姿が人間の全てなんだろうか?世界の全てなんだろうか?

音楽のようなお経が流れる空間に漂いながら、ゆっくりぼんやりと考えていた。

 

法要が終わると、お寺様から広い本堂の各所に祀られた神仏像についてお話しがあった。


ご本尊様を真ん中に、右の一画にはまた別の仏さま、左の一画の奥には鏡の御神体が祀られ( 鏡って神道?)、その斜向かいには象の形の神像がおられる。( インド料理のお店でよく見る神さまだ。)

さらに私たちが座っている脇の壁には、大きな天狗さまの絵が、、。

そういえば本堂に渡る廊下に巨大な龍の置き物があったな、、。

 

真言宗は古い宗教で、昔の仏教はたいへん大らかであった。

「偉いもの、尊いものには宗教の別なく手を合わせるんですね。鎌倉時代くらいから、信仰の対象が特化してきて、教義も厳しくなっていきました。」

 

仏教発祥の地インドでは、その寛容さからどんどん他の宗教にやられちゃったんだそうだ....(^ ^;; 

( インド2001年の仏教徒の割合は総人口のたった0.8%である。)

 

「対象が特化すると内容が厳しくなるのは、どんな分野でも同じです。田崎さんも、全ての音楽の中でJazzを特化してやっていますよね。Jazzに対してはとても厳しいんじゃないですか?」

わ....、ほんとにそうだ!

もし、普段の私だったら全然ピンとこなかったかもしれない。

でも平安時代の仏教のここまでの大らかさに触れた後では、お寺様のこの言葉はずっしり心に響いた。



自分に厳しいならまだしも、周りにまで厳しくなってはいけないなぁ。

音楽をやる姿勢っていうのは、懐(ふところ)を広く持とうとする気持ちと相まって、意識しないと容易に見失ってしまうものだと思う。

でも、それを警戒するあまりJazzだけに特化して排他的になる事がないように、と自分に言い聞かせた。

 

仏教にはたくさんの宗派、戒律、難しい教義があるのだろう。

でも、もしかして一番最初にお釈迦様が説いた教えは、もの凄くシンプルでもの凄く大らかで、人の心を惹きつける魅力的なものだったんじゃないかな、と思う。

良いものはきっとストレートに心に伝わるのだ、音楽も人の言葉も、、。

 

三回忌にあたっていろいろ考えた。

本当は父と母のことを考えるのだろうが、他の事をいっぱいあれこれぐしゃぐしゃと考えた。

「まぁ、お前らしいわな....。」あきらめ顏で笑う父の声を聞いたような気がした。

パパ、ママ、ごめんね、、(涙)。

 

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2015年

5月

26日

仏教 Part1

父と母の三回忌で新潟に帰った。

この2年の間にすっかり着慣れた黒の喪服を着て玄関の鏡の前に立ったら、随分と疲れた顔をした自分の姿にちょっとびっくりした。

まだ2年なんだ...、いろいろな出来事が頭の中でぐるぐる駆け回った。


東京から一緒に帰った父母の位牌をもって、新潟市沼垂(ぬったり)にある真言宗の大きなお寺に伺った。

もの凄く広い本堂は大きく3つに分けられていて、中央の一番立派な祭壇の前で、住職のお寺様が父母の為にお経を上げてくれた。

真言宗のお経は母が大好きだったお経だ。

グレゴリオ聖歌のように音楽的で多様なリズムと旋律があり、大空間に響くお坊さんの声は豊かな倍音を含んでとても美しい。

合間に鳴らされるパーカッション的な鐘やシンバルやクラベスのような楽器の音に時々はっとしながら、終わりまでずっと不思議な浮遊感を感じていた。


<法要の後でお寺様がおっしゃった事>

 

少しでもたくさんの人々に説法を聞いてもらうために、お釈迦さまは弟子達にその方法を教えた。

 美しい音楽と華やかな飾りと美味しい食べ物で、

 人の心を惹き付けなさい。

 教えを無理強いして押し付けてはいけない。

 興味を持って尋ねてくる人だけに伝えなさい。



私はお寺様に、何故お経は日本人が理解できない言葉で唱えられるのか聞いてみた。

「今日のお経はどういう意味があるのか、知りたいと思った人が尋ね、興味を持った人だけが理解するのです。」

お釈迦さまと弟子達は、大事な事を伝える為に細心の注意を払ったのだ。


私はJazzが好きで、少しでもたくさんの人に演奏を聞いてもらいたいと思う。

でもその為に何を考えただろう?

その事を伝える為にどんな注意を払っただろう?

ライブに来て下さいね! 無理強いで誘っているだけではないか?

どんな演奏をすればJazzに関心を持ってもらえるんだろう?


家に帰って、また玄関の鏡を覗き込んだ。

出掛ける時に見た疲れた顔が、わずか数時間のうちに哲学的に悩める顔になっていた(笑)!

 

お寺様がおっしゃっていたが、父と母は今、あちらの世界でいろいろと修行中なのだそうだ。父は真面目な人だったから、きっともの凄く頑張っているに違いない(笑)。

今の私のように好きな時に好きな事だけをやるっていうのは、この世にいる者として、なにより表現者として随分と甘えた事だなぁ、とふっと思った

やり始めないといけない。ようやくそう思った。

ようやく、、だなぁ....(笑)。

でも、”今だから”かもしれない。

 

父と母の事でいろいろとお世話になったこのお寺様はとてもお若い方で、私の音楽活動についても興味を持って聞いて下さった。

人生のある時期、仏教や宗教の教えに触れる事で自分の中の何かが変わる、見方が少し変わるーそういう体験をしたという事を、忘れずに覚えておこうと思った。

 

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2015年

5月

14日

マスターの受難

2月8日の深夜、ライブから帰って「さぁ、お疲れ!」と、めちゃくつろいでスマホのメールをチェックした。

一杯飲んでほんのり赤くなった顔が一気に青くなった。

J.J.Nashのマスター・Kenさんが事故にあって、集中治療室でメールも打てない状態だという。

関係ミュージシャンたちは、翌朝になるとお互いに連絡を取り合って情報を探ったが、誰も詳細を知らない。

私は最悪の事態を考えて、月一回新潟に行っている間に何かあったらどうしようとずっと気が気ではなかった。

 

45日、FBにマスターの書き込みがあった。

一時は、首から下が完全麻痺と危惧されたが順調に回復し、今は筋力トレーニングと手のリハビリに励んでいるとのこと。

明るくイェーイ!な感じで、それを読んだ時はどっと身体から力が抜けて、Nashと関係無いたまたま一緒にいたミュージシャンたちに、実はさぁ~、と長々と解説してしまった、、。

 

ツッチーと連絡をとって、マスターのお見舞いに行く事にした。

ツッチーは長野のりんごのお菓子、私は老舗のおせんべい、およそミュージシャンらしからぬ差し入れ(笑)を携えて病室をのぞくと、ベッドに横になっていたマスターは、

「お~っ!」

と驚いて、めちゃめちゃ喜んでくれた。

広いラウンジに移動して( マスター、普通にスタスタ歩いてるし....笑 ) 、いろいろ事情を聞くうちに、これは本当に非常事態だったのだと分かった。

マスターは強運の持ち主で、でも、まだこれからトレーニングとリハビリは相当大変なのだ。

ツッチーが、私よりももっともっと超最悪な事態を考えていた事を告白して、”あんたねぇ....”と三人で笑った。

でも、ツッチーは本当に怖かったんだなぁ、みんなで笑えて本当に良かったと私は思った。


マスターが時間を気にしていて、なんでかなぁと思ったら、4時からギターの練習の為にお部屋を借りているんだって。

またまた、スタスタと(笑)三人で移動して、説明室のような小さなお部屋に落ち着くと、やおらマスターが隅に置いてあったケースからギターを取り出した。

J.J.Nashで何回も聞いているマスターの歌とギター。

指は思うように動かないしマイクも無い、廊下の音も筒抜けで拍手もない。

でもどうしてだろう、今まででとびっきりかっこいい演奏だった、お世辞じゃなく。

ツッチーも同じ事を言っていた。きっと私と同じ事を感じたのだと思う。

 

音楽をやれる、この手で楽器を演奏できる、その事に、マスターと一緒に心の底から喜びと感謝を感じたのだ。

 

帰り際、受付の脇に白いグランドピアノが置いてあって、マスターとツッチーが弾け弾けというので、恥ずかしながら(^ ^;; 2曲弾いた。

最高のお見舞いだ!とマスターが言ってくれたのが、最高に嬉しかった。



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2015年

5月

06日

フライヤー

リーダー・ライブ( 自分がリーダーになって企画するライブ )は、オリジナルや気に入ったスタンダード曲を好きなだけ思いっきり(笑)演奏できる、緊張するけれど最高に楽しいライブだ。選曲の時からもうワクワクする。

でも楽しい事ばかりじゃない。

 

リーダー・ライブをやるにはまずお店と交渉し、日にちを決めて、信頼するプレーヤーさんたちに「一緒に演って下さい。」とお願いする。スケジュール調整にはいろいろ気を使う。

そして、たくさんのお客さんに来てもらう為にメールやFB等で告知する。

その際一番効果的なのはフライヤーで、『いつ何処で誰々とライブをやります、どうぞ来て下さいね!』の個人的なチラシな訳だが、私にとってこれがけっこう難業なのだ。

Macのおまけソフトを使ってなんとか必要最低限な感じで作っていたが、それを眺めて生徒さんが言うのだ。

「えぇ!おまけソフトでここまで出来るんですかぁ?、、ん~、でもビミョ~に残念って感じですねぇ....。」

言いたい事は凄く分かる。

ワードとか、もっとちゃんとしたソフトを使えば見映えのするものが作れるのに、という事だ。

分かってはいるが、なにせうちはMacだし、ソフトの習得に時間をかけるのはイヤだし面倒だし大変だし、、とかなんとか言い訳をしながらそのままにしていたが、ついに運命の時は訪れた。

 

高田馬場のお店でライブ後、メンバーやさち子ママと和やかに談笑していた。

突然、ママが真顔になって私に言った。

「みちこさん。フライヤー、レベルアップ頑張りましょう。」

「はぁ、、。」

ママはテーブルの上に何枚か大小のフライヤーを並べて、

「出演者の皆さんは、だいたいこのくらいのものを作られてますよ。」

私は、ちらっと見ただけで絶望的に呟いた。

「わ、ぜぇっったい無理....。みんな凄過ぎ....。」

 

トオイくんは、「フライヤーはやっぱり大事。」ってな納得顔で見ているし、玲くんはさっそくiPhoneを覗き込んで、「スマホに無料ソフト、い〜っぱい落ちてますよ!」なんて爽やかに言う。

孤立無援(-_-);  もはやこれまでと観念した。

「頑張ります....。ふぅ....。」

 

それから10日あまり、ネットでMac用のフライヤー・ソフトを探しまわり、ようやく良さそうなお試し版を見つけた。( Macのフライヤー・ソフトは英語版でカッコいいのが多くて、こういう時日本人なのが残念だ・笑)

お試し版ソフトはなかなかの優れもので、こんな私でも切り絵貼り絵感覚でいろいろ出来てしまう。

あんまり面白かったので背景の図柄に凝り過ぎたら、ママから「背景はインクを使いますから白地にしましょう。」o_o

激しくがっかりしつつ、なんとか完成。

 

記念すべき第1&2作。

周りからの「ふ~ん....^ ^ 」な軽いリアクションに傷つきながらも、私としては『初めの一歩』的な自信作である。

いやぁ、汗と涙の初フライヤー製作だった(笑)。





*もしお時間ありましたら、聞きに来てくださいね!m(_ _)m


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2015年

5月

01日

安倍総理の演説

2013年11月にこのブログで書いた記事。(11/17『頑張れ、日本』)

 

 ”以前からなんだかなぁ....と思っていた。

 最近は怒りを通り越して、もういい加減にしてほしいなぁ....と呆れていた。

 韓国。

 

 ようやく日本も、竹島や慰安婦問題について海外に向けて発信し始めた。

 外務省や民間有識者が、英語で日本の立場を説明する動画を

 YouTube等に挙げている。

 情報戦だ!

 

 そもそも歴史を作り変えるなんて、何百年も前のことならいざ知らず、

 まだ目撃者、経験者が生きているのに可能なんだろうか。

 だいたい”歴史学者”っていったい何してるのかなぁ....。

 何を研究してるんだろう??、、、、”

 

あれから1年半。

先月26日から国賓級待遇でアメリカを訪問している安倍総理。

29日(米時間)には、日本の首相として初めて米上下両院合同会議で演説した。

韓国は、アメリカ訪問も議会演説も官民挙げて妨害し、演説内容にまで注文をつけていたから、内心ちょっとだけ心配だった。アメリカ国内にも批判的なメディアや反日議員がいる。


30日朝、インターネットにあがった安倍総理の歴史的演説の動画。

感動した(泣)!内容もスピーチする姿も、誠実で真摯で心がこもっていた。

米議員たちの10回を超えるスタンディング・オベイションは異例な事だそうだ。

日本外交、GJ !! よくぞここまで頑張った....。

安倍総理、本当にお疲れ様でした。

1年半前、悔しく思いながらブログを書いていた時の事を思い出した。

 

まだまだ難問山積。

でも、日本を取り巻く世界の景色が少しずつ変わってきているように感じる。

就任以来、国のリーダーとして安倍総理が大奮闘してきた事実を、私たち国民は誇りに思うべきだと心から思った。

 


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2015年

4月

29日

多事多難

先週、ライブの休憩中にTamiちゃんと世間話をしていた。

「ひとつ問題が起こると、次から次といろいろ続くよねぇ。」

ちょっと悩ましげにTamiちゃんが呟いて、私は「ほんっっとそうだよねぇ!」と激しく同意した(- o -)


Tamiちゃんのトラブルが何なのかは聞かなかったが、私の頭の中ではここ約1ヶ月間の様々な出来事がぐるぐる入り乱れて駆け回り、マジでくらっとした。

全て私の考え過ぎが招いた事なのだが、いろいろな所でその結果が噴出して時期も集中した。

考え過ぎたのは溜まった疲れからなのか、その原因まで考え過ぎたくないので、自分がこれからどうしたいのかだけ集中して考えた。

頭の中の回路がぐしゃぐしゃになっていて、夜、横になって目を瞑ると、配線がショートしてパチパチ音を立てるのが聞こえるほどだった。


最近ようやく考えがまとまって、ヒートアップした脳内温度が下がってきたようだ。

毎朝、父と母の位牌に手を合わせてああでもないこうでもないとブツブツ話し掛けていたが、今朝、心の中に父の声がした。

「もう決めたんだろ?考えるのは終わりにしたらどうだ?」


そうだ、もう決めたのだ。言い訳や正当化や理屈付けや泣き言なんかをこねくりまわしていてもしようがない。

これからやりたい事とやらなきゃいけない事だけ、考えれば良いのだ。


どっと身体の力が抜けて、頭の中がすっきりした。

しかしこの1ヶ月余り、ほんと疲れた....考えるってのはほんと疲れる。

脳が、他の臓器と比べてもの凄く大量にカロリーを消費するというのはきっと本当だ。

その上、何故か食欲もなくなる。

脳が手一杯になると、食欲まで気が回らなくなるんだな....(笑)。

 

人間の身体は面白い。それぞれが一生懸命働いている。

HAL(『2001年宇宙の旅』)と私の脳の共通点( 感性的な何か)を探してみるっていうのはどうかな?

似ているのは”考え過ぎ”ってところだけかもしれないけど(笑)。


(HAL9000のカメラEye)


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2015年

4月

06日

ケーキ屋さんーひとりっ子について

中学に入ったばかりの頃、学校の帰り道にそれはそれは美味しいケーキ屋さんがあって、毎月のお小遣いのほとんどをケーキに使っていた。( 残りはおそらく文庫本か漫画。)


ババロアやプリンやシュークリーム、生クリームと果物がいっぱい乗ったショートケーキやこってり濃厚なチョコレートケーキ、子供にはある意味贅沢すぎるサバラン(笑)、、。お店の中は、甘く華やかな香りでいっぱいだ。


様々なリキュールとバニラエッセンス、バターが湯煎でゆっくり温まり、弱火にかけられたカスタードクリームはとろとろなめらかだ、オーブンの中ではパイやクッキー・スポンジケーキがこんがり焼けて、艶よく煮上がった林檎にシナモンパウダーがふられる、、お店の奥で行われる素晴らしい作業から生まれる香りは混然となって、まるで一度も行った事のないヨーロッパのお店にいるようだ。今でもあの夢のような空気をはっきり思い出せる。

子供ながらにちょっと気取って注文すると、お店の奥さんが優しげな仕草でケーキを丁寧に箱に入れてくれる。奥さんは確か髪には白い三角巾、パステルカラーのエプロンをつけて、いつも穏やかで軽やかでニコニコしていた。

あまり度々お店に行くので、そのうちすっかり奥さんと顔馴染みになった。

「クッキー、ちょっとだけど余ったから良かったらどうぞ。」

「今日はプリン、少し失敗しちゃったから2個持っていってね。」

お小遣いで買うケーキの他におまけまでもらうので、当時の私は見事にプクプクポッチャポチャだった()


そんなことをニヤニヤ思い出していたら、ふとある事に気付いた。

あの時、私は誰と一緒にケーキを食べたんだ?


私はひとりっ子だ。

父は勤め人で、母はあまり家にいる人ではなかった。

小学校の時の友達とはクラスが違ってしまって、中学の放課後、一緒に遊ぶような友達はいなかった。家に帰っても猫たちはホントたくさんいたけれど、私に気を掛けてやろうなんて奇特な猫はいない訳で、、(笑)。

普通に考えてとても孤独な子供だったと思うのだが、何故だろう、あの時、寂しかったという記憶がまるでない。

学校から帰ってたった一人で食べたケーキがとても美味しかった、お店のヨーロッパのような空気と奥さんの柔らかな笑顔が素敵だった....、それが全てだ。


“寂しい”という感覚を知ったのは、もっとずっとずっと大人になってからで、それも対象者のはっきりした寂しさーいわゆる『失恋』(o_o;)ってやつだから、傷が癒えればまた一人が平気になる。

”一人”が平常運転である(笑)。

誰かと一緒にいる、あるいはみんなとわいわい遊ぶ時は本当に楽しい。おしゃべりが大好きだから、こういう時は時間が経つのを忘れてしまう。幸せだなぁ....なんて思う。

それでも、一人でいる方がずっと自分らしい事であるという気がしている。

そこに”寂しい”という感覚は無い。


寂しさの感性は、ひとりっ子と関係があるのだろうか?

ひとりっ子は小さい頃から一人で遊ぶ事に慣れている。

公園なんかで子供たちがグループで遊んでいるのを見ていると、その中にいるひとりっ子は何となく分かる。周りにどれだけたくさん友達がいても、彼(彼女)の心は慣れ親しんだ自分だけの世界にいるのだ。

一人でも大勢といても、心は孤独である。そしてその事と、寂しさを感じるか感じないかは全く別次元の話だ。

 

お、この問題について書くとめちゃ長くなりそう、、。

そういえば、私の周囲には”ひとりっ子ミュージシャン”がいっぱいいる。

みんな一癖ある強者.....^  ^;;、( あれ?私もか..... ・_・ )

みんなに地道な調査取材して、いつかちゃんとレポートまとめてみようと思います(キリッ)!


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2015年

3月

25日

桂米朝師匠

3月19日、桂米朝師匠が永眠された。

ちょうど新潟に帰っている時で、朝テレビをつけたらいきなり師匠が亡くなったというニュースが流れて、身体じゅうの力がすっと抜けた。


私は毎晩、寝る時に落語を聞く。というか、スマホから小さな音量で流れる落語が子守唄(笑)だ。


そんな習慣を続けている間に、お気に入りの噺家さん-心地よい眠りに誘ってくれる噺家さん-が二人できた。古今亭志ん朝さんと桂米朝さんだ。

それほど落語に詳しい訳でもなく、ただ若い頃から古典落語の中で語られる”時代の空気”みたいなものが好きだった。

特にこの二人が語る江戸や上方はとても生き生きとしていて、まるでその場にいるかのような臨場感がある。遊郭や裏長屋・泥棒やけちん坊の噺なんかでもどことなく”品の良さ”を感じて、いつからか選んで聞くようになった。

「こういうのが粋っていうんだな!」なんて分かったような事を言ってみるが、本当の”粋”が分かるのは十年ぐらい先だろうか、、。


今分かるのは、話芸のリズム感覚だ。

ビル・エバンスやキース・ジャレットの演奏の心地よさに相通じる至極のテンポ感と間の取り方、ブラッド・メルドーの変拍子演奏でも同様に感じる端正な音の流れーあるべき場所に音がある、大きな流れの中に的確な音があるという事。

落語の名人芸と、Jazzの名演に共通項が多くあるような気がしてならない。

心地よい眠りに誘ってくれるのは、脳が余計な事を一切考えずただただ気持ちが良いからだ。


古今亭志ん朝師匠は2001年に亡くなった。

桂米朝師匠が亡くなって、二人ともあちらに行ってしまった。

父も母も、紫式部も森鴎外もあちらに居るのだ。

あっちは随分と楽しそうだ....。なんか楽しみだなぁ....。


米朝師匠、ご冥福をお祈りいたします。

日本の素晴らしい古典芸能-落語の為のご尽力を心から尊敬します。

私は一生、落語が大好きだと思います!




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2015年

3月

16日

花粉症

3~4月はもの凄くツラい時期だ。

目に見えない悪玉花粉を呪い、花粉をまき散らす杉の木を呪い、杉を植え過ぎた林野庁を呪い、林野庁に仕事をさせた日本国政府を呪い、最後に日本に生まれた事を盛大に呪ったところで、でもまぁほら、お寿司も食べれるし日本酒も美味しい、電車も時間通りに来るしお巡りさんも優しくて平和で安全だし、やっぱ日本に生まれて良かった、よしよし、、てな”人生山あり谷あり-楽あれば苦あり”的な思考ロジックで、自分を宥め慰め激励しながら苦難の日々をやり過ごす。



一昨年と去年、新潟で春を過ごして「花粉症、私もしかして治ったかもしれない!」なんて言って周りに自慢していたのに、単に新潟は花粉量が少なかったんだな....o_o

 

東中野のお店でライブの日。

ツッチーが、大きなマスク・マフラーで顔見えない状態でお店に来た。

「お互い、大変ですな~。」と花粉症同士、相身互いでいたわり合っているところにオッチーが颯爽と来店。

「オッチーは花粉症、ないの?」と聞くと、

「僕、ないですね ^ ^ 煙草で治るみたいですよ。」

「えぇ~っ?!マジで?」

いろいろ解説してくれて、「ふ~ん、なるほどね....。」と納得したが、ちょっと待てよ、、、煙草と花粉症。どっちが身体に悪いんだ?

花粉症が治るから煙草吸おっかな!っとは単純にいかない訳で、なかなか悩ましい問題ではある。

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2015年

3月

06日

憧れの人

先日、四谷のお店でライブだった。

ライブ後、初めてお会いするマスターが水割りウィスキーのグラスを片手に「僕の憧れの人は、櫻井よしこさん!」と嬉しそうに語っていた。

先週、私がよく行く三鷹のお店のママさんが、カウンターにパンフレットを広げていたずらっぽい笑顔で言った。

「あなたも一緒に行く?」- 櫻井よしこ氏の講演会の案内だった。

 

わずか数日のうちに、まるで縁もゆかりもない2つの場所で偶然に櫻井さんが話題にのぼるなんて、なんか凄い事じゃないだろうか?

かく言う私も彼女が大好きである。そして、マスターとママが櫻井氏いち押しなのは全くの偶然だ。

マスターは「貴方も好きなの?!」と多少意外そうに喜んでいた。

ママは以前から私に、「あなた、政治家になんなさいよ。」なんて無責任な事を言っている。私が時々えらそうに一席ぶつ日本保守論が、ママの好きな櫻井氏の主張信条と合うからだと思うが、ネタ元のだいたいが櫻井さんなのだから至極当然である....(笑)。

 

日本のジャーナリストについて詳しい訳ではないが、彼女の主張と私の考える事が一致する事項が多い。

政治的に論争がある問題についてそれも非常に多岐に渡る -ここまで理路整然と明確に自分の意見を主張できる強さと賢さに、心底ほれぼれする。( 私が考える事なんて、ただの漠然とした感想みたいなものだ。)

その上、とっても美しい女性である。

こんな素敵な人っているんだなぁ....、と思う。

生い立ちを調べたら、お母さんが新潟出身で彼女自身も新潟の高校を卒業している!

ちょっと感動した、、。

<櫻井よしこ氏のHPより>

 

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2015年

2月

16日

高速バス

1年前までは月2回、現在は月1回のペースで東京-新潟間を移動している。

時間の余裕がある時はたいがい、新幹線の1/3以下の料金で行ける高速バスを利用する。

自宅から歩いて2分の西武新宿線の駅から下落合駅まで10数分。駅前の高速バス停留所にほぼ時間通りに大型バスが到着する。

車体下部トランクに重い旅行バッグを預けて指定席にゆったり収まると、それから5時間は優雅で静かなくつろぎの時間(笑)だ。


まず座席を快適な角度に調整し、靴を脱いでフットレストに足を伸ばしてしばし和む。

窓の外は見慣れた目白通りの景色で、目印のお店や建物をただぼっと目で追っていると脳と身体からちょっとずつ力が抜けていく。眩しく晴れたお昼前だったりどんより曇った夕方だったり、どんな情況であれ”自分の縄張り”みたいな不思議な安心感がある。

やおらバッグをごそごそ探ってiPhoneとイヤホーンを取り出す。

大好きなキース様、ビル様....そういえばハービー様は最近聴いてないわね....、iTuneをあれこれ検索した挙げ句に、何故だか古今亭志ん朝の落語を長々と聞いたりする。


川越的場あたりからそわそわ落ち着かなくなる。

冷たい小雨なんぞが降って薄暗い空だったりすると、”もののあはれ”ってこんなふうかもしれない....急に古風な言葉を思い出して心細さにじわじわ襲われる。

バスはどんどん山の奥へ突き進み、それにつれて景色の中から人工的なものがみるみる少なくなっていく。

しばらくすると、バスは見渡すかぎり”手つかずの自然”にすっぽり包まれる。


春から夏。山々は眩いほどの緑と所々咲き乱れるピンクや白や様々な色の花々で彩られる。

緑は、季節と共に新緑の鮮やかさから深く濃い色合いに落ち着いて、吹く風が冷たくなる頃には赤や黄色や橙色に徐々に染まっていく。そしてある時突然、山全体が豪華なペルシャ絨毯のようになる。

天気が良い日の夕刻。遠く山の端にゆっくりと沈む神々しいまでに美しい夕陽は、一瞬この世ではない世界を錯覚させる。まるでSFファンタジーだ。

冬。山と平野は全てを雪に覆われ、一幅の水墨画になる。色を失った白と黒だけの世界の厳かさに思わず息をのむと、車内の所々で携帯電話のカメラがカシャッカシャ鳴る。

もう数えきれないくらい見た風景の数々だが、その都度、日本に生まれて良かったと思う。新幹線でサァッと過ぎてしまうのは本当に惜しい。

こんなにも日本は美しいのだ。


ひとしきり風景に感動したあとは、これまた大好きな『妄想タイム』(笑)が始まる。

このブログに書いた記事の多くが、この『妄想タイム』の産物だ。

ああだこうだどれだそれだと、まぁ好き放題にいろんな事を考える。

昔の事を思い出したり火星移住を考えたり、日本の未来を憂えつつ夜は何を食べようか悩んだり、、。


上里サービスエリアと越後川口サービスエリアで休憩。


新潟まであとちょっとの1時間というのが、なかなか”だれる”(笑)。

音楽も落語も窓の景色にも飽きて、考えるネタもおおかた尽きてくる。背中も首も凝ってくる。

東京=新潟間は4時間がベストである、私的には....。

まぁ文句を言ってもしょうがない。

”実家に着いたらやることリスト”を頭の中に書き出しているうちに、家のDVDに予約録画しておいた映画とお気に入りTV番組があるのを思い出して、一気に気分がホクホクしてくる。

ん~、新潟駅前降車場に誰か素敵な人が待っているとか、デートの約束があるとかでホクホクするんじゃないというのが、考えてみれば微妙に残念なような、、。

でも、仮に夢のような出会いが”今”あったとして、『DVD見ながらお家で一杯』の方を確実に取っちゃいそうな自分に「いやいやそれは、、。」とダメ出しするべきなのかどうか、ここは深く迷うところだ。

それなりに幸せっていうのは、変化・進歩の芽を摘んじゃうのかもなぁ....。


そうこうしているうちに新潟到着。

バスを降り、在来線ー我が”越後線!”に乗るべく新潟駅正面改札に向かう。

降りる時には運転手さんに、「ありがとうございました!」を必ず言う。

ランドセルを背負った小学生のようだが、何故か言わずにいられない。やっぱり私は”高速バス”ファンなのだ^ ^

4時間だったらほんともっともっと良いんだけど....o_o

 

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2015年

2月

09日

ジャーナリスト

2012年4月に書いた私のブログの記事( 4月21日『テレビ』)


調査報道を遠ざける日本の報道体制、その中で生きるジャーナリストたちは何を信じて仕事をしているのだろう。

政府発表、官庁発表を全てとする事なかれ主義と、捏造・煽動を懲りずに繰り返す悪質な学者や評論家たち。

何を信じたら良いのか分からなくなっている私たちと、何を信じて仕事をしていったら良いのか分からないジャーナリストたち、、もしそんな構図なら、本当にテレビは要らない。

 

福島原発の事故について調査した、ドイツ国営放送制作のドキュメンタリー番組を見てショックを受けて書いた記事だ。

なぜ、日本の放送局じゃないのか?

日本の国内の真実さえ報道できないマスメディアって一体なんなのか....。


1月末にイスラム国に無惨に殺された後藤健二さんは、フリーのジャーナリストだった。

彼は、中東やアフリカ地域などの危険な紛争地帯に自ら赴き、その悲惨で国際的に無援な様子を日本のメディアに伝えた。

大手放送局等の体制に与しない後藤さんのようなフリーランスのジャーナリストたちの存在を、今まであまり考えた事がなかった。ほとんど知る機会がなかった。

複雑に絡み合った体制の内部では様々な制約を受ける調査報道。

彼らはそうした調査を水面下で行っているのか?隠された真実を探っているのだろうか?

私はジャーナリズムについて、あまりに無知だった。

世界中で独立して(フリーランスで)活動するジャーナリストたちが、それぞれの視点で世界を捉え、自らの信念で情報を発信している。

自由な立場に身を置くからこそ可能な事だ。そういう人たちの事をあまりに知らずにいた。


シリアの子供たちを取材する後藤さんの写真を見た。

写真の中の後藤さんは、しっかり紛争地帯の子供たちと向き合っていた。

何かを暴くのではなく隠された真実をさらすのではなく、後藤さんはただ淡々とそこにある事実を伝えようとしていた。命を懸けて。

子供たちを見つめる穏やかな笑顔の中に、もの凄く強い信念を感じた。

ジャーナリストとして、人間として、彼が信じようとしていたものが伝わってくるような写真だった。

”報道-ジャーナリズムの持つ全ての人の心を動かす力”を信じて彼は仕事をしていたのだ。


後藤健二さん。ご冥福をお祈りします。

私は自分の無知を恥じ、貴方の信念の力を心から尊敬します。

中東に一刻も早く平和な時が戻りますように。

トルコとの国境に近いシリア北部の都市アレッポでの取材風景(INDEPENDENT PRESSの写真より)


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2015年

1月

31日

アンパンマンの謎

お正月元旦。

新潟市のローカル電車”越後線”に乗っていたら、通路の向かいに座っていた家族連れの小さな女の子が、よほど退屈だったのか両親を困らせるくらいにぐずり出した。2歳くらいだろうか...。

お母さんとお父さんがいろいろやってみるが、全然駄目である。

見ているこちらもギャン泣きやむなしと覚悟していたら、お母さんがおもむろにバッグの中からなにやら市販のお菓子の箱を取り出した。

女の子はその箱を見ていきなりおとなしくなった。まじっとパッケージの絵を見てから箱の中のチョコレートを一つ口に入れて、さっきまでの騒ぎが嘘のように、片手にしっかりお菓子の箱を握ってもぐもぐしている。

そのチョコレートは『アンパンマン・チョコ』である。

パッケージには、勇ましくも愛らしいアンパンマンとその仲間たちが描かれている。

たまたまその女の子がチョコレートが大好きだったから、私たち乗客一同は事なきを得たのだろうか?

否、彼女はアンパンマンが大好きだったのだ。全てはアンパンマンのお蔭、絶対に間違いない。

何故なら、同じような光景を何回も見たから...。

四ヶ月前に従兄弟の娘さんの結婚式に参列した時、親族のご夫婦がやはり2歳くらいの女の子を連れてきており、一族写真撮影の際に撮影スタッフが彼女のご機嫌をとろうといろいろやるが上手くいかない。

お母さん:「アンパンマン人形、忘れてきちゃったわ、、。」

スタッフが他のマスコット人形を持ってきて「ほら、アンパンマン~!」とかやるが、本物アンパンマンを見分ける彼女は見向きもしない。

「こんな偽物で騙そうなんて失礼しちゃう!」ってなもんである。

よく行くライブハウスのママの娘さんも、アンパンマンが大好きな2歳児だ。

先日、ツッチーが、クレヨン12色セットで彼女の為に一生懸命アンパンマンを書いていた。隣りでママも負けずに食パンマンを書いている。

ツッチーに「よく書けるねぇ。凄いねぇ。」と感心したら、「俺の息子もアンパンマン大好きだったからさぁ。」

 

2歳くらいの子にSNSのトレンディ情報が入るはずも無く、親世代がアンパンマン世代だったわけでもない。全国のTVで毎日、番組が流されているってことでもないだろう。

これってまさに日本の子供界の『謎』・怪現象じゃないだろうか?

そこで、インターネットで『アンパンマンは何故子供たちに人気があるのか?』を検索してみた。

 

<アンパンマンに対する子供の反応>ー親の話ー

・テレビで見たわけでもなく、買い与えたわけでもなく、教えたわけでもないのにいつの間にか(たぶん1歳前にはすでに)お店で見かけるたびに「パンマン!」と指差して叫ぶようになってました。それも、どんな小さな絵でも見逃さずに。

・2歳と3歳の男の子、アンパンマン大好きです。初めての言葉が2人とも「アンパンマン」でした。それからもしばらくは口から出る言葉全てがアンパンマンでした。

・スーパーでお菓子のパッケ-ジのアンパンマン見ただけで大騒ぎです。

 

<玩具メーカーのバンダイが毎年実施している「子どもの好きなキャラクター」に関する調査で、2002年から連続11年1位の快挙>

ほう、、恐るべし!

 

ネットではその理由についていろいろな考察が為されていた。

赤が良いとか丸顔とか4頭身だからとか....。う~ん、、それならお正月の鏡餅の上に蜜柑がのってるのとか、もうちょっとみんな喜んでもよさそうだけど、、。

 

以前、クレヨンしんちゃんの記事で「大人が面白いものは子供も面白い」と書いたが、アンパンマン怪現象を知ってから、子供のアンテナは大人とは別感度のやつが数本立っているんじゃないかと思うようになった。

男性なら”超合金ロボット”、女性なら”着せ替え人形”みたいな、大人になっても記憶に残る宝物とはまったく別次元のところにアンパンマンは居て、それをキャッチするアンテナは3歳以下の子供しか持っていない。そして3歳を過ぎると、そのアンテナは突然消滅してしまう。

その時にはもう、どうして好きだったのか、好きだった事すらも思い出せなくなる。

 

ん、ちょっと待てよ...このアンテナ。

ホラー・ファンの私が今頃気付くとはなんと迂闊な、、。

2・3歳くらいの子供のアンテナ、これはホラー映画では定番アイテムだ!

母親が、小さな我が子の顔を不安そうに覗き込んで訊ねる。

「○○ちゃん、今誰とお話していたの?一人で何おしゃべりしていたの?」


霊と交信する能力を普通に子供が持っているというのは、ホラーの世界では常識だ!( ホラーの常識って何さ、と突かれそうだけど...笑。)

実際の怪奇現象でも、そうした例がいくつも報告されている。それも世界中で。

霊が見える子が相当数いるってのはどうも事実らしいのだ。そして、大きくなるとだんだん見えなくなる。

 

もちろん、アンパンマンと幽霊に共通項はない。たぶん違う周波数を感知する別アンテナと思われ、、。でもこんなふうに考えると、小さな子供に一体何本アンテナが立っているんだ、と俄然わくわくしてしまう。

彼らが不思議そうな顔でどこか一点を見つめている時、そこには異次元の入り口が開いているのかもしれない!!

 

、、いかんいかん。アンパンマンからすっかり外れてしまった、、。

『アンパンマンは何故子供たちに人気があるのか?』 o_o

たぶんアンパンマンは、子供たちにしか感じ取れない”何か”、めちゃめちゃ子供が大好きな”何か”、丸だの赤だのじゃなくもっと根源的な、人間の本質に関わる”何か”を持っているのだ。

それは大人が既になくしてしまった感性が感じるもので、親でさえそれが何か分からない。

 

これはきっと『アンパンマンの謎』ではなくて、『子供たちが持つ不思議なアンテナの謎』である。

アンパンマンは期せずして、このアンテナに引っかかったのだ。あるいは、作者”やなせたかし”が普通は失くしてしまう子供の感性を持った大人だったのだ。

そのどっちかは分からないけれど、”何故”を探るのはもの凄く無意味だ。真相が分かったところで、私たちにはきっと理解できない。霊の存在も異次元も信じられない大人たちの感性では、きっと理解できない。

 

子供たちが見ている世界は、人が生まれ出る前の世界、魂の世界とオーバーラップした世界ではないのか。

子供たちが成長する過程で徐々に大人の作った世界にシフトして行き、根源的な感性を失う事で現実世界に適応するのではないか?

魂の世界の記憶を忘れる事で、大人たちとうまく折り合いをつけるのではないか?

不思議なアンテナは、人が生まれ出る前の世界とこの世を繋ぐ唯一のもので、わずか数年で消滅するので存在を確認する事や証明する事ができない。

この謎はオカルトの世界でしか議論の俎上に載らないし、そもそも子供が大人と同じ物を見ているのかという事について疑問を感じる人などいるのだろうか?

 

『アンパンマン』ーいろいろ考えてみたけれど結局よく分からない。大人だからかなぁ、ホラー好きだけど....(笑)。

しかし2・3歳くらいの子供って本当に面白い。謎多し!

自分が小さい頃の事、もっと覚えていたらなぁ....。

アンテナ、何本立ってたんだろう?魂の世界の記憶、持っていたんだろうか?


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2015年

1月

17日

音楽と仕事

職業について言えば、学生時代のアルバイトを除いて人生一度も音楽以外の仕事をした事がない。

言い換えれば、音楽以外にできることが無い。

大学生の時にアルバイトに行った会社で、課長さんに「お客さんにお茶お出しして。」と言われ、高級煎茶のお茶っ葉と急須を前に途方にくれた。

どうすんだ...これ....。

 

大学を卒業し音楽の仕事に就いてからは、一般常識・家事全般・女子力アップとは全く無関係で、ほとんど音楽の事だけ考えて仕事をしてきた。

お蔭で、デートの約束をすっかり忘れて振られそうになったり、あまりに彼氏の為に何もしてあげないので( 料理とか洗濯とか掃除とか.....)、ほんとに振られた....o_o

バブル期という事もあってこんな私でも死ぬほど忙しく、しかも周囲には恐ろしく有能な音楽業界人が恐ろしいスピードで仕事をしていた。

体力と根性だけは自信があったし、いろいろな体験や素晴らしい人達と出逢えたことは本当に幸運だった。

でも、私自身は音楽する事を楽しんでいたんだろうか?

いつも余裕がない状態だったのは、今考えれば、いつも自分の能力以上の仕事をやろうとしていたという事だ。

世の中がデジタル化され、音楽の環境も激変し、『これ、弾けます。』『譜面、作れます!』だったのが『この機材持ってないの?』『これオペレートできる?』『これもあれも、それも出来ないとねぇ。』になった。

現代の企業で働く人たちはもっと大変なのかもしれないが、音楽脳な私にはどんどんハードルが高くなっていくように思えた。

ずっと、頑張ればこれも出来る、あれも出来る!と思ってきたけれど、ある時、購入を勧められた高額なアレンジャー向け機材のパンフレットを見てふと思った。

私、何を頑張ってるのかなぁ?

どうすんだ...これ....。

 

いろいろな人に、よく思い切ってJazzに転向したねぇ、と言われる。

その都度いろいろな理由をもにゃもにゃ答えながら、自分でも熟慮の末という訳でもなかった事にちょっと驚く。

昔から私の進行方向は、『直角90度に曲がってまたいきなり90度に曲がって....』だったから何も特別な事ではないのだが、今まで一度も後悔らしい気持ちになった事がないのは幸せというか懲りてないというか、、(笑)。だいたいが直感で、ピン!ときたらダッシュ!だ。

ほとんど迷わずJazzをやろうと思ったのが我ながら凄い。Jazzの仕事が本当に出来るのかも分からないのに、、。

 

ただ一つ確実に言える事は、今、”音楽する事”が楽しくてしようがない。

ピアノに向かいながら、一人幸せを噛みしめてしまう。またまた、『常識ある家庭的でお洒落な女性』の理想から遠くワープしそうである(笑)。

ただ、もうそんな事が許される年でもないので、一般常識だけは少しずつでも勉強しようと思う。( いささか遅かったような....。)

まぁ年頭に当たり、これからの目標ってことで、ほんと頑張ろうと思う。もちろんJazzはそれよりもっと頑張ろうと思うが....。

 

今年の目標は『一般常識とオリジナル』です!

、、ん? なんか変だな....? 

 

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2015年

1月

05日

英語

去年の話になるが、東中野セロニアスでツッチー・落合くんとライブをしていたら、外国人のお客さんが2人、ふらっとお店に入ってきた。

30代くらいの素敵な雰囲気のカップルで、ピアノのすぐそばに座ったので「Where Do You Come From?」と声を掛けた。( Where Are You From? が正しいみたいだけど...。)

L.A.から観光で来たというので、片言でちょっと話した。

ライブ後もちょっと、”片言”で話した。

もう、中学英語レベルの『This is a Pen.』なのだが、都志子ママもメンバーもお客さんも、「みっちゃん、英語話せるんだねぇ....。」なんて妙に感心しているので、「全然、話せてないって!知ってる単語並べただけだし....。」

<みっちゃん=英語話せる>の誤解を解くべく、かなり焦った。

 

とは言っても、英語に関してはちょっとだけ自慢できる事がある。

小学生の頃からSF/ミステリーオタクな私は、アガサ・クリスティと彼女の探偵エルキュール・ポワロが大好きで、英TVシリーズ『名探偵ポワロ』(NHK)、特にポワロ役の名優デビッド・スーシェの大ファンである。

TVシリーズでは日本語吹き替えではなく、デビッド・スーシェの話すフランス語訛りのイギリス英語をなんとか聞き取ろうと、辞書を片手に日夜頑張った。(エルキュール・ポワロはベルギー人なので、母国語はフランス語である。)

 


その結果、犯罪( 殺人とか盗難とか )に関する様々な用語、ヒ素とか青酸カリとか毒殺とか絞め殺すとか刺殺とか偽造とか密輸とか、、ほんっと役に立たない単語をいっぱい覚えた。

法医学関係のお友達でもできればかなり感心してもらえると思うが、1930年代の昔のお話だし、ポワロはどちらかというと変人で色恋沙汰もほぼ無いので、日常英会話に関して言えばほとんど参考にならないと思われ、、。

ただ、殺人事件の容疑者にアリバイの有無を尋ねる際、「いつ、どこで、誰と、何を、どういう状況で、何故?」-WH構文満載の質問と答えが飛び交うので、その手の会話には多少慣れた。

そういえば、アメリカ人のカップルに聞いた「Where Do You Come From?」もするする出てきたなぁ....。スコットランドヤードのジャップ警部が誰かに言ってたんだよね....。

 

まぁ実用英語に慣れるのであればアメリカのTVシリーズが良さそうだが、登場人物が何故かすぐに恋愛関係になっちゃうようなので、どうも苦手だ。

ドラマじゃなくて、真面目にこつこつ勉強するのが一番なのだろうが、、。

『おもてなしの国・日本』なのだから、最低限の日常英会話はできるようになりたいと思う今日この頃である。


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2014年

12月

28日

2014年

今年は、去年に引き続き、波乱激動の年だった。

いろいろあり過ぎて、なんだかよく分からないうちに一年が終わろうとしている。

たくさんの事を考えながら動いたようでいて、実は流されるままに、ほとんど感覚だけで行動していたから、ついこの間の記憶がところどころ抜け落ちていたりする。

この2年間、周囲の人たちに親身に助けてもらいながらも、自分自身が一番の支えだった。変な言い方だが、自分の中の使命感が、ずっと私を支えていた気がする。

父の為に病院に通う、父に代わって母を護る(これが一番の使命!)、父と母のお葬式諸事をちゃんと行う、お墓をつくる、財産や家の事、そして私の音楽....。


一人っ子/独身はこういう時、ほんと大変だ(笑)。

 

年の暮れに東京の部屋でブログを書きながら、新潟での1年半を振り返ってみた。

ふいに悲しみがこみあげてきて、父と母が本当にいなくなったーそんな信じられない事実をようやく受け入れようとしている事に気付く。

あたし、ちゃんとやれたのかなぁ?

二人の写真に話しかけながら、無性に会いたくて会いたくてたまらなくなった...。

 

 

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2014年

12月

14日

駅前商店街

駅前商店街にあるお肉屋さん。

店主のおじさんご推薦の、私にしてはちょっと高級なロースハムが大好きで時々買い物に行く。

おじさんは、秤(はかり)の上にポンと乗せた肉がちょうど注文通り200gだったりすると、真剣な自慢顔で「凄い!」と言うので、私も真面目に「凄い!」と答える。

時間がある時はちょっと世間話をしたり、最近の若者がなかなか結婚しない事についておじさんの持論(笑)を聞いたりする。

冷蔵ケースの中に綺麗に並んだ肉を眺めるのが妙に好きなのだが、観賞している訳にもいかないのでいつも少し慌てて注文する。


以前は八百屋さんも近くにあって、スーパーよりずっと安い上に、売れ残りそうな高級果物や自家製焼き芋をただでくれたり、ほうれん草の選び方とか美味しい茹で方とか”まめ知識”を教えてくれた。

たまに、見た事のない珍しい野菜が店頭にあったりして、ある時、知ったかぶりをして調理法をちゃんと聞かずに買ってきてとんでもないことになった(笑)。

(東日本大震災の後、八百屋さんは店じまいしてしまった...。)

 

商店街をもうちょっと行くと、夫婦で経営する小さなパン屋さんがあって、フランス映画で見たカンパーニュという田舎風パンを初めて買ってみた。ぎゅっと重くつまった食感で、かみしめるとパン独特の香りが口の中いっぱいに広がる。イチジク入りのカンパーニュが”今のお気に入り”だ。

私が父の介護で新潟に帰る事になった時、奥さんは遠くにいる実家のお父さんの事と重なったのか、目に涙をいっぱい溜めて「介護、頑張って下さいね。」と言ってくれた。

 

私は『イオ◯』とか『ヨー◯ドー』とか、大型ショッピングセンターってのが苦手だ。

商品について尋ねても、「ちょっと聞いてきます!」なんて言ってバタバタ駆けていく店員さん相手では買う気も失せる。パートやアルバイトだから仕方ないんだろうけど、、。

行けば何でもかんでも買える大型ショッピングセンターは便利で効率的だけれども、商店街の小さなお店で、商品について意外な知識を教えてもらって感心したり、馴染みの店主のおじさんに「よ、美人!」なんてお世辞を言われて顔を赤くしたり、福引きの券をサービスで多めにもらって大喜びしたりなんて方が、私は好きだ。

物を買うという行為が、単なる物とお金の交換ではちと寂しい気がする。文化的じゃない気がする。( 文化って何かを感じる事の積み重ねだと思うから。)

コンビニで買い物をすると妙にわびしさを感じるのは、そこら辺に原因があるのかもしれない。

ただ物とお金を交換するなら、いっそ人間を介さないネット販売みたいな方が私の場合は精神的に良いと思われ、我ながら”変な人”の部類に入るんだろうなと考えたりする。

時代の先端と思われるコンビニや大型ショッピングセンターにちっとも魅力を感じないのは私だけなんだろうか?

 

月に一度新潟に帰ると、ローカル線”越後線”の電車の窓から、大型ショッピングセンターの巨大駐車場にびっしり並んだ車が遠くに見える。

自分とは全く関係無いのに、いつもちょっとだけ寂しい気持ちになる。



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2014年

12月

02日

新潟ライブ

新潟では、これまでにも地元のミュージシャンに誘って頂いたり、たまたま新潟に立ち寄った歌やSaxの方々と一緒にライブをやった事はあったけれど、今回初めて、私の方から土屋由紀さんという新潟在住のボーカリストにお願いして、Duoでささやかなミニライブをやらせてもらった。

由紀さんとは今年3月に初めて会ったばかりで、お互い殆ど何も知らないのに、好きなJazzピアニストが同じだったというだけで不思議な信頼感を覚えて、こういうのを”縁”というのだろうか、何の躊躇もなく「一緒にライブやってもらえませんか?」とメールした。

 

人と人のつながりは面白いなぁと思う。

合うか合わないかは初対面でほぼ決まるとよくいうけれど、ある種、動物的な嗅覚というか勘が働くのかもしれない。双方が同じように感じるかはまた別問題なんだけれど....(笑)。

 

とにかく由紀ちゃんとは気が合って、リハ段階で既に楽しかったから、本番では最初ちょっと緊張したけれど、ライブが終わる頃にはまたやりたい!と思った。

ほんの午後のひと時だったけれど、30年振りに昔の音楽仲間と再会したり、従兄弟夫婦が来てくれてちょっと照れたり、Jazz通の初めてのお客さんに紹介してもらったり、久しぶりの友人たちと声を上げて笑い合ったり、、何だか切ないほど楽しい時間だった。

 

由紀ちゃん、ありがとう!

来てくれた皆さま、本当にありがとうございました!

新潟ライブ、これからもどうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m

 

リハ中、和んでます....。


ライブ後、和んでます....。



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2014年

11月

17日

夏の日の想い出

日曜日の夕暮れ時、レッスンの仕事帰りに電車に乗ると、車内は一日遊び疲れた親子連れやデート帰りで仲良く話し込むカップル、登山の格好をしたおばさんグループなんかで、平日の夜とはどこか違う和やかでほのぼのした空気が流れている。

今日、ぼっと席に座ってそんな空気に浸っていたら、ずっと遠い昔の出来事がふと頭に浮かんで一人思い出し笑いをした。


あれは、眩しいくらいよく晴れた夏の日のお昼過ぎ、私は男友達と電車に乗っていた。

世間は夏休みで、車内には今日と同じように行楽の家族連れが何組かいたが、通路の向かい側に座った母娘の娘の方がしげしげと私の友達を見ている。

小学2、3年だろうか、利発そうなその女の子に見られているのに気がついて彼が見返すと、その子は大きくはないがはっきりした声で彼に聞いた。

「お兄ちゃん、男?女?」

あまりに意外な質問だったので一瞬あっけにとられたがすぐに、ああ、彼女は私の男友達の外見について言っているのだと理解した。

彼はロックミュージシャンで、髪を肩まで伸ばしてそれなりに目立つ風貌だったから、女の子は思わず声を掛けたくなったのかしら、お年頃ね、、なんて思って彼の方を見ると、

「お兄ちゃんって言うんだから男に決まってるでしょ!」

と、かなりご機嫌を損ねている。

私は吹き出しそうになったが、女の子は構わず真剣な顔だ。

「お兄ちゃん、なんで髪の毛切らんと?お家の側に床屋さんがなかと?」

(^^;; うろ覚えだからヘンテコ博多弁....。) 

とにかく、この博多から来たであろう彼女は、目の前の、男の癖に髪を長く伸ばしてお洒落な格好をした男に一言意見してやろうと思ったに違いない。

慌てた母親に黙らされたが、彼は憮然としているし、私は笑っちゃいけないとヒクヒク堪(こら)えた。

常日頃、女性たちから憧れの眼差しで見つめられるのに慣れている男友達のその時の心中を察しない訳ではなかったが、小学生の女の子に言われた事で慰めるのもかえって失礼かと思い放っておいた。

 

あれから◯十年、彼は立派なミュージシャンになっただろうか?

あの女の子は、武田鉄矢のお母さんみたいな肝っ玉母さんになったのだろうか?

因みに、偶然にもその男友達は博多の生まれだった。

よりによって、生まれ故郷の博多弁で意見されたというのは運命的というか致命的というか、今思えばちょっとでも慰めてあげれば良かった、、(-_-;;)。


 
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2014年

11月

09日

日本の神さま

私の住んでいるマンションの隣りはちょっと広い空き地で、今度新築マンションが建つ。

最近は土地測量や建設業者の人たちが度々来ていて、そろそろ基礎工事が始まるようだ。

今朝、柏手(かしわで)と祝詞の音でびっくりしてベランダに出たら、工事関係者が集まって「地鎮祭」というのであろうか、神事を行っていた。

何を言っているのか分からないが所々日本語である事は分かる不思議な祝詞と、祓串(はらえぐし)をばさばさ振る音を聞きながら、いやぁ神道はのどかでいいなぁなんて思った。



つい一ヶ月前だが、従兄弟の娘さんが都内で結婚式を挙げた。

純白のウエディングドレスの彼女は美しく、幸せにきらきら輝いていた。

新郎新婦はキリスト教の神父さんに祝福を与えられ、十字架の前で誓約し、集まった私たちはオルガンの伴奏で賛美歌を歌った。

 

そして六ヶ月前、私は父と母の一周忌でお坊様のお経を厳かに聞いていた。

真言宗のお経はサンスクリット語が混ざるので、聞きながらこれまた何を言っているのかさっぱり分からない。

でも歌のように音楽的で、本当に美しいお経だ。

ろうそくとお線香の煙りにむせながらお墓にお花を供えて、親戚の方々と一緒に父と母の冥福を祈った。

 

土地の氏神様に「工事の無事を見守って下さい。」と頼み、西洋の神様に「若い二人をどうぞお導き下さい。」と頼み、インドの仏様に「父と母がそちらに行きますんでどうかご加護を。」とご挨拶する。

その時々でいろいろなお願いとご挨拶を神様仏様にする訳で、宗教的に随分とご都合主義な面は否めない。日本人は無宗教だとも言われる。

私も少し前までそう思っていた。

 

最近、両親の葬式を出し、位牌に手を合わせるようになって考えた事がある。

日本人は、ご都合主義な無宗教なのではなく、人知を超えた偉大な存在全てを神と見なして生きてきたのではないか?

キリストやモハメッドや釈迦や天照大神、山や森や大いなる自然、それら全てが優劣区別無く畏れ敬う対象=神であるというのは、唯一神の宗教観を持つ人々にはなかなか理解できない事だ。

でも、だいたいの日本人は普通にそう思っているんじゃないだろうか。

そして「死ねばみんな仏になる」のだ。神様や仏様と同じように、ご先祖様たちに手を合わせるのだ。

 

そういう気持ちは、日々生活しているとめったに表に出てこない。自分では神なぞ信じていない、無宗教だと思っている。

でも、身近な人が亡くなったり、圧倒的な大自然を前にしたり、心がくじけそうになった時や何か不思議な体験をした時に、人知を超えた存在をすっとなんの迷いも無く認めて向き合う。

愛する人や大事な物の行く末を案じた時に、「どうかひとつ!」と頭(こうべ)を垂れる。

普段、無視していた神さまたちをいきなり思い出すのだ。

 

神さまたちもそういうツンデレには慣れているとみえて、先週ハロウィンで騒いでたよね?なんてことは一言も言わずに、地鎮祭では、「はいはい、工事安全・無事祈願ね!」と頷きながらお供えのお神酒を嬉しそうに眺めている。

日本人の宗教観は寛大で、日本人を護ってくれている神さまもきっとめちゃくちゃ寛大なのだと思う。

日本人にとって神とは、畏れ敬うと同時に、多少の甘えは許してくれると期待してしまう親の様な存在なのかもしれない。

人知を超えた存在に親のように甘えてしまうという精神構造は、すごく面白いなぁと思う。

言い換えれば、日本人にとって神さまはそれほど身近であった。宗教という権威を必要と感じないくらいに、、。

 

地鎮祭で集まった人たちをベランダから遠く眺めながらそんな事を思って、何故か平和で安らかな気持ちになった。


 
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2014年

10月

29日

歯医者さん

先週くらいから奥歯が時々疼いて、日曜日には一日中ぐずぐずと痛んだので、月曜日の朝一番に歯医者さんに電話した。

水曜日の午前中に予約がとれて、ガーとかピーとかゴリゴリとか歯を容赦なく削られる覚悟で行ったら、先生が原因は親知らずだと言う。

「抜きますか?」と聞かれて、いやぁ今日はちょっと、、明日ライブで痛みが残るとあれだし、、ほら、痛み止めとかぼっとするでしょ、それに親知らず抜くのって他の歯より大変なんですってねぇ、、とかなんとかしょうもない事をぐだぐだ言って時間をかせいだが、結局抜く事になった。

麻酔を注射して、あっけないほど手際よく抜いてくれた。

あんなに怖がって損した、、。


先生が抜いたばかりの私の親知らずをまじまじと見て、

「ここんとこ、虫歯になってますねぇ、奥でみえなかったけど、、抜いて良かったですよ。」にこにこして言ってくれたので、私も、

「ほんと良かったです!」満面の笑顔になった。


先生の説明によると、今回抜いた上の親知らずは噛み合わせるべき下の親知らずが無いので、相手を求めて( 私の勝手な解釈 )下に伸びてきたんだとか、、。

その結果、下の歯茎も傷つけることになり、、。

出会いを求めて敢え無く一生を終えた親知らずが、何とも不憫に思えたことだった。



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2014年

10月

14日

ピアノ

9月初旬のある日、朝ご飯を食べてインターネットで朝のニュースをゆるゆる見ていたら、マンションの管理会社から電話がきた。

「重低音でドンドンドンという振動音がする、という苦情があるんです、、。」

うちはTVもステレオも置いてないし、ピアノはヘッドホーンで練習しているので音は全く出ていないはずですが、と返事をすると、

「あ、そうですか。いや、どこのお部屋からの音かは分からないんです。」

その後、管理会社からの電話はないので解決したのだろうか?

 

このマンションは鉄筋コンクリート造だし、窓を閉めてしまえば遠くに電車の音が聞こえるだけだ。( 駅から2分にもかかわらず....。)

でも「鉄筋は意外と低音振動が他の階へ響く」という話を聞いた事があるので、ピアノの打鍵音の事がもしかしたらと心配になった。

インターネットでいろいろ調べて、埼玉の防音専門の会社に相談したらやはりそうした事案はけっこうあるそうで、迷わずお願いする事にした。

 

家に置いてあるのは音の出ないグランドピアノという、普通のデジタルピアノとはちょっと違うタイプのピアノだ。( ハイブリッドピアノと言うらしい。)

防音・防振のボードを3週間かけて製作してもらい、ピアノの下に敷き込んでもらう為にわざわざピアノ運送の業者さんに来て頂く事になった。( なにせピアノの重量が124Kgもあるので。)

そして今日、フローリングの床の色にまで配慮した素晴らしく美しいボードが家のピアノの下に敷かれた。

管理会社の電話から苦節一ヶ月、打鍵音を気にしながらおっかなびっくり撫でるようにピアノを弾いていたが、今日から思い切り練習できるんだと思ったら感無量で、立ち会いの為にわざわざ来てくれた防音会社の方に何度も何度もお礼を言った。


 

都会で楽器を練習するのは本当に大変だ。

野中の一軒家でもない限り、ピアノを弾く・ドラムを叩く・ベースをかき鳴らす・サックスやトランペットを吹くっていうのは相当環境に対して問題が大きい。場所によっては昼間でも無理だったりする。

だからみんな、日々の練習の為に知恵と財力を振り絞る。( そこへいくとギターってものすごく恵まれてる気がする ! )

 

わずか一ヶ月とはいえ、目の前にあるピアノを思い切り弾けない苦難を経験した今、どういう状況であれ毎日楽器を弾けるというのはなんと幸せな事なんだろうかと思う。

新潟に居た一年半、ピアノが目の前にあっても心が向かえなかった。

音楽とはかけ離れたところに気持ちがあった。

今、弾きたい気持ちがあっていつでも弾ける環境があるという事が自分でも信じられない。

部屋のピアノと真新しい防振ボードをしみじみと眺めた。

嬉しさと感謝と混ざって、新潟に居た時の自分を想い出して少し切なくなった。

 

 

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2014年

10月

02日

クレヨンしんちゃん

私は『クレヨンしんちゃん』長年のファンだ。

原作の漫画は成人向けのコミック雑誌連載で、TV放送当初は世のお母さんたちから批判殺到だったらしい。

 

母親を呼ぶのに「みさえ!」なんて名前呼び捨てだし( いつの間にか「かあちゃん」になってたなぁ... )、お○り丸出しでダンスを踊るは可愛いビキニのお姉さんたちにデレデレだは、「おパンツ」とか「またずれ荘」とかこの時間帯でほんと大丈夫なんかい?と思ってるうちに、すっかり放送20年以上の長寿番組になった。

海外でもかなりの人気らしい。

 

”アクション仮面”登場の回には、一人テレビの前で腰に手を当て右手を高らかに挙げて、「わ~はっはっは!」としんちゃんと共にポーズを決めていたあの頃が本当に懐かしい、、(馬鹿・笑)。


つい先日、インドネシアの放送委員会が『クレヨンしんちゃん』は子供の視聴にふさわしくないとして、国内のテレビ局に警告を出した。

「しんちゃんはお○りを丸出しにしたり、他人のデートをのぞき見したりする。胸の谷間を強調したセクシーな服を着た女性も登場する。大人向けで、ポルノ同様だ。」というのが理由だそうだ。

インドネシアは世界最大のイスラム人口国だから、道徳的というよりは宗教的に「しんちゃんはいけない子!」だったのかもしれない。

 

しかし考えてみると、本来『クレヨンしんちゃん』は大人の為の漫画だった。

最初から子供向けに書かれた『ドラえもん』とは全然違う。

( 金曜夜7時は「『ドラえもん』7時半は『クレヨンしんちゃん』ー子供たちのゴールデンタイムだ。)

大人と子供ではギャグに対する感性が全く違うとみんな思っていたけれど、しんちゃんは見事にそれを否定した。

大人が面白いものは子供も面白いのだ。ただ下品に過ぎない限りは、、。

そこらへんの線引きが『クレヨンしんちゃん』の作者は天才的だった。

そして日本の社会の空気が鷹揚だったせいもあるのか、宗教指導者や文化庁長官から叱られる事も無く、今もしんちゃんはハチャメチャ元気だ。

 

日本においてアニメ文化は、作家の天才的な想像力と表現力、それを受容する視聴者の多様で旺盛な好奇心と面白がる心ー双方が相互に反応・影響し合って発展してきた。

もし日本の社会が、インドネシアのように宗教の戒律が厳しかったり西欧のように子供の教育に厳格であったなら、ここまで自由な土壌は生まれなかっただろうし、そもそも日本民族は大昔から面白いものが大好きなのだ。

江戸時代なんて、まさに面白いものだらけだ。

そう考えると、『クレヨンしんちゃん』は日本で生まれるべくして生まれた、日本文化の申し子だと言える!、、な~んてね、ちょっとオーバーだな....(笑)。

 

作者の臼井儀人氏が亡くなってしまったのは、本当に残念で悲しい。

しかし、わが『クレヨンしんちゃん』は永久に不滅です! 

もう一言、しょうもない意見を付け加えるなら、しんちゃんとタモリさんが私の頭の中では同一人物です(笑)。

 

 

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2014年

9月

15日

オリジナル8

最近ちょっと落ち込んでいる。

 

数年ぶりにお盆で会った中学時代の同級生と、先日久しぶりに顔を出したライブハウスのママさん。二人の女性に、違う時と場所で全く同じ事を言われた。

「あんたはもっと人に甘えた方が良い。」

 

二人とも特に親しく付き合っているわけではなくて、会ったのもほとんど偶然なのだが、性格の正直さや人の内面を見抜く力について、とても私なんぞがかなわない迫力みたいなものを感じさせる人たちだ。

人間に対する感性とでもいうか、、。

 

普段、人にいろいろ言われてもすぐ忘れてしまう。

褒められてもけなされてもだいたい一晩、盛大に喜んだり凹んだりして朝起きるとたいていは、刺のある言葉もマシュマロのように甘い言葉も頭の片隅にこじんまりと片付いている。

困るのは、反省するべき点も軽くスルーしてしまうので、友人たちからせっかく貰ったアドバイスを全然生かせない。

幸いこのブログを書くようになって、たまに過去の記事を読み返して自分なりに反省できるようになった(笑)。

「あ~、あたし、サザエさんみたいって言われたんだった、、。ちゃきちゃきし過ぎると男の人に怖がられるんだよなぁ、、。ふむふむ、、。」

 

ところで、二人の女性の『人に甘えた方が良い。』という言葉は全く私の意表を突いた。

私の人生って、周りのいろいろな人たちの厚意に甘えて、それも甘えるだけ甘えてちゃんと恩返しもせずにきちゃった気がする。

こんな私にもっと甘えろって一体......、とぐるぐる考えていたら突然、思い当たった。

 

「甘える」は厚意に甘えるという意味ではなく、もっと本質的な心の問題なのかもしれない。

「甘える」についてちょっと考えてみた。

  ・無防備であること

  ・相手を信頼すること 

  ・あまり、というかほとんど心配しないこと 

  ・自分に正直であること


なかなかハードルが高いような気がした。、、「我が儘」とは違うんだよね?

例えば男の人を好きになった時、その人を無条件に信じるとか心底頼るとか、今まで無かったかもしれない、というより、一体どうすればそんな気持ちになれるのか、、。最悪の場合を考えておかなくて大丈夫なのか、、。


あたし、今まで何考えて生きてきたんだろうなぁ....、二人の女性に言われた言葉がじんわり胸に沁みた。

あたしって一体、、。


もの凄く久しぶりに、自分自身と向き合った気がした。

そんな内省的な気分の時に出来た曲なので、めちゃ内省的な曲名にした。

who Am I ?

クイズ番組のタイトルみたいだ(^ ^;;、、とは思ったが、大事な事に気付いた記念だから良し!だな。

しばらく落ち込んでみる、それもまた良し、、か?



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2014年

9月

01日

ポーランドボール

インターネットでたまに目にするポーランドボール。世界各国をボールで表わしている。

***それぞれの「カントリーボール」は国旗の模様をした球体のキャラクターとして描かれ、その国を体現した個性を持つ。......ドイツの画像掲示板『krautchan.net』の国際版で2009年頃に発生したと見られる。

***(ウィキペディア)

 

私は日本人だから、自分の周りの幾つかのアジアの国々とアメリカ合衆国の事はだいたい理解できる。

でも、世界中の国々はそれぞれの地域で複雑に絡み合った歴史や怨念(笑)や利害関係を持っていて、それについて私は本当に何も知らないんだなぁ、と改めて思う。

外交や国際政治なんていうと難しい異次元の話のように感じるが、所詮、崇高だが愚かな人間たちがわいわい集まってやっている事。

大昔の出来事やら先の戦争やら悲喜こもごも、恨みや愚痴をぶつぶつ言いながらも、「とりあえず今日は元気だ!明日も元気!」- 漫画みたいなあっけらかんさがもし少しでもあれば、こんがらがった糸もいつかほぐれる日が来るかもしれないのに、、と思う。



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2014年

8月

25日

前髪

私の周りには、お洒落で美的センスのある人が男女を問わずかなり多い。

さらに、遠慮無く自分の意見を言う傾向にある人も同じように多いから、彼らが私を見るとどうしたものか、何か一言言ってやりたくなるらしい。

 

「田崎はさぁ、その洋服と髪型って、ほんといかがなものよ。」

「みっちゃんはその頭、ひっつめてないでもっとふわっとさぁ、、。」

「田崎さんて、何十年もその髪型なんじゃないんスかぁ?」

「あなたね、髪型とか何とかしなさいよ。」

 

今、思い出しただけでも随分と言われ放題な感じだが、自分でもマジで『ごもっとも!』なんて思ってしまうからしょうがない。

問題はやっぱ髪型みたいだな、、。

 

20代の頃から通っている美容院では、もう聞き飽きるほど言われている。

「田崎さんは、もうちょっと頑張るといろいろ出来るんだけどねぇ、、。」

”もうちょっと頑張る”というのは、夜寝る前にカーラーで髪をくるくる巻くとか、朝起きたらドライヤーとヘアーブラシでブローするとか、毎月美容院にちゃんと通うとか、ヘアーアイロンを使えるようになるとか、まぁそんな事なんだけれど、これがなかなか”頑張る”気になれない。

私の無精とお洒落センスの無さを熟知している数十年来仲良しの美容師さんが、

「前髪、ちょっと切ってみる?」と言ったので、

「うん、やってみる.....。」私的にもの凄い決心をして、ほんのちょっとだけど前髪を切ってもらった。

アシスタントの若い美容師さんが、

「わぁ、すっごい変わりましたよ!!違う人みたい!」

「ほんと?そっかなぁ、、。ふ~ん、そう?、、。やったぁ~、わたし変わったよね!」

 

久しぶりに美的な努力をしたという充実感にめちゃめちゃ満足して帰宅した。

家の洗面所でまじっと鏡を覗き込みながら、美容師さんに教わったとおりに前髪を横分けにしたり、ふわっとさせたり上にあげてみたりした。

「ふむ、なるほど、、。」

みんな、今に見ておれってな気分になった。

 

あれから1週間。

お盆という事もあって、めちゃめちゃ沢山の知人たちに会った。

なのに、誰も”前髪”の事を言わないのは一体ど~した事なんだろうか ??

一人悶々としていたら、ようやく今日、ソニドのママに言われた。

「あなた今日、なんか顔が違うんじゃない?」

「( やった!) そうそう、前髪をね、切ったせいなんですよ^ ^ 」

得々と私が言うのをママは軽く聞き流して、

「メーク、変えたんでしょう?良いわよ、なかなか。いつもより可愛く見えるんじゃない?」

「だから~、前髪切ったんですよ、わたし.....。」

「前髪?そうなの?、、でもメークのせいよ、絶対!」

「......。」

 

まぁ前よりはちょっと良く見えるみたいだから、細かい事はこの際いいか、、。

しかし、1週間前のあの感動は何だったんだろうなぁ。

微妙に残念な今日この頃ではある。

 

 

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2014年

8月

04日

眠狂四郎

父の影響で、小学生の頃から柴田錬三郎の時代小説を読んでいた。

シバレン(柴錬)の剣客ものは人気があって、中でも眠狂四郎は私のヒーローだった。

友だちが『若草物語』とか『赤毛のアン』を読んでいる時に、私は母の和裁用の長物差しを振り回して円月殺法を練習していた。

円月殺法は眠狂四郎の使う剣術で、剣の切っ先で大きく円を描き終わるまでに相手の息の根を絶ってしまうという恐るべき技だ。別に剣道に興味があった訳ではなく、ただただ眠狂四郎に恋をしていた(笑)。

 

***眠狂四郎:柴田錬三郎の小説に登場する剣客。.....転びバテレン( 江戸時代、拷問や迫害で棄教したキリスト教の宣教師 )と日本人の混血という出自を持ち、平然と人を切り捨てる残虐性を持つ。***(ウィキペディア)

 

狂四郎さまは暗い過去を背負い、虚無感を漂わせながらも圧倒的な剣の強さで悪い奴らをやっつける。それも”成り行きでしょうがなく”だから、正義の使者とは全然違う。

ニヒルな一匹狼で女を泣かす事はしょっちゅう、相手が悪いヤツならどんな美女だろうと容赦しない。

社会に背を向け無頼に生きながら、弱い立場の者には思いがけない優しさで情をかけ、権力に巣食う巨悪を許さず一人敢然と刃向かって行く。

ふ~、カッコいいわぁ....。

シリーズ全てを何回も繰り返し読んで、どっぷりシバレン・ワールドにはまった。

 

そんな遠い昔の憧れも、ずっと長い間忘れていた。

たまたま先日テレビを見ていたら、1963年~1969年/市川雷蔵主演・眠狂四郎シリーズ12本の中の一作をやっていた。( 今年は市川雷蔵・映画デビュー60周年だそうだ。)

円月殺法!

まさに眠狂四郎がそこにいた!

恋までした私が言うのだから間違いない(笑)。

 

小さい頃に想像で振り回していた円月殺法を実際に見れたのと、市川雷蔵があまりに眠狂四郎そのものだった事にもの凄く感動した。ドキドキした。

それに、昔の女優さんの風情というか立ち居振る舞いというか、今はもう失われてしまった日本女性特有の色香のなんと艶やかな事か!

市川雷蔵は、このシリーズ12作目の公開後間もなく、病で亡くなっている。

私の中で、眠狂四郎=市川雷蔵、市川雷蔵の亡き後、もう彼以外の眠狂四郎は存在し得ないと確信するに至った。

それにしても、享年37歳。

残念でならない、、本当に残念でならない....(涙)。

 

他の11作を探して見ようと心に決めた。

 
 
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2014年

7月

24日

竹炭入り石鹸

新潟の家を掃除していたら、”竹炭入り石鹸”というのが出てきた。

なにかのおまけか何かだと思う。

試しに使ってみた。ハーブも入ってるみたいだし...。

洗面所で手を洗ったら、真っ黒い泡がぶくぶく出た o_o;; 、、まぁ竹炭だから無理もないか、、。

 

でもこれってどうなのかなぁ、真っ黒い泡を見て綺麗になったと思う人っているんだろうか?

竹炭が健康に良いとか美肌効果があるというのは聞いた事があるけれど、石鹸としてはまったく残念な使用感だ。

どうして竹炭?

謎な製品をじっと見てたら、いろいろ考えてしまった。

”疲労回復・ニンニク粉末入りソックス”とか”目指せ美白・緑茶入り日除け帽”とか”血行改善・ゲルマニウム入り判子ケース”とか、、。

 

自分でウケて、なかなか面白かった。

 

 

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2014年

7月

18日

ポリティカルコンパス

去年の暮れ、三鷹ソニド・セッション終了後にしこたま飲み過ぎ、ワイングラス片手に長々と演説をした。

「大東亜戦争で日本が負けて、アメリカGHQは日本人に新聞とかラジオで洗脳工作をしたんですよ!その結果ね~☆※◉☆※◉....」

 

いきなり立ち上がって日本が~、外交が~、歴史が~、と熱く語り出した私を、みんな最初はびっくりして眺めていたがそのうち面白がって、もっとやれ~みたいな空気になってしまった。

誰も止めてくれそうになかったので、いいだけしゃべって疲れたところで演説終了、腰を下ろして「誰か止めてくれよ~....」とぼそぼそ言ったら、ママがにやっと笑って言った。

「あなた、立候補しなさい、私が応援してあげるから。」(^ ^;;

 

ママは冗談抜きでもの凄く政治に詳しい。

政治家との関わりもあるし、なんたって若い頃に防衛省(当時は防衛庁)で秘書の仕事をしていたんだそうだ。

一応、私も政治には関心があるし、安倍さんや石破さんや菅さん、好きな政治家は現在も過去にもたくさんいる。マーガレット・サッチャーやメルケルさんも尊敬する政治家だ。

石破さんがずっと前から日本版海兵隊の必要性を力説していて、今回の集団的自衛権の行使容認や防衛省の強襲揚陸艦の導入検討は、現在与党にいる彼らが着実に自分の信じる道を進んでいるのだと思う。

国防は国政の要だ。

日本の為に、本当に頑張って欲しいと思う。

安倍さんの外交も好きだ。彼の視線はちゃんと日本に向いている。日本の為の外交をしている。

 

中国の報道官や日本共産党・韓国メディアもこぞって安倍政権を極右だというから、そんなら私も極右なんだなぁと思って、「私、極右なんで....。」とあちこちで言っていたけれど、そう言うとみんな一様に変な顔をする。

たぶん条件反射のようにちょっと警戒するのだ。

もしかして私って相当『危ないヤツ』なのか?

でもいったい『極右』って何なんだろう。

軍国主義とセットで批判するとんでもないメディアもあるから、本当はとてもデリケートな用語なのだ。

冗談めかして言う言葉ではないんだろうな、、。

 

そんな事をつらつら考えていたら、ネットで”日本版ポリティカルコンパス”というのを見つけた。

『いくつかの質問に答えると貴方の政治的左派右派度がわかります』って事らしい。

結構な数の質問に悪戦苦闘、結果が出た。

 

**************************************************

 

グラフの縦軸は政治的価値観を示します。上に行くほど保守、下に行くほどリベラルである事を示します。

グラフの横軸は経済的価値観を示します。左に行くほど経済左派(政府介入派)、右に行くほど経済右派(市場信頼派)である事を示します。

 

貴方の分類は(政治)保守・(経済)左派です。

 

**************************************************

えっ?

もの凄く上(右派)に行くと思ってたら、なんだ、めちゃめちゃ真ん中:ニュートラルじゃん....。o_o

 

自分の国の国防を語ると”極右”、全ての主権国家に認められている集団的自衛権を使えるようにすると言ったら”軍国主義政権”。

日本は普通の国家じゃないって事だよね、、なんか変だよ.....。

よく分かんなくなった、、。

 

だいたい、大東亜戦争で日本が負けてからアメリカGHQが一方的な思想教育をして~☆※◉☆※◉.....。

 
 
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2014年

7月

09日

オリジナル7

オリジナル新曲の『Dear P.M.』

先月4日、東中野セロニアスで初演して、落合くんのアルコのベースがあまりに美しくてウルウルした...。

ツッチーのギターも自然な感じで、まるで室内楽のような趣きになった。

 

******************************

音楽でも絵でも、美しさのずっと深い奥に攻撃的な顔がちょっと透けて見えるものが好きだ。

それは原始的な野蛮さだったり危うい狂気だったり、壊れかけの不調和だったりする。

 

美しいだけのものを作るのは、きっとそれほど大変な事じゃない。技術や計算や経験と努力で誰でも可能かもしれない。

実際、現代ではコンピューターの中で様々な美しいものが生まれている。

でも、そういうものに惹き付けられる人は数少ないんじゃないかと思う。

世界中の人たちがゴッホやエバンスを熱愛するのはたぶん、彼らの絵や演奏の美しさの向こうにある”何か”を感じ取るから。その”何か”の攻撃的な迫力に無意識のうちに襲われるのだ。

それはその人そのもの、その人の心そのものが表現された結果だから、誰も真似しようとして真似できるものではない。

そして私たち一般人でも、色彩や音の奥深くにあるその”何か”をちゃんと感知できる。それほど強い力に圧倒され、感動するのだ。

 

美しい曲が作れそうな時、こんな風な事をあれこれ考える。

まぁ考えてもしょうがないんだけどね....。

自分の中に生まれる音と、鍵盤や譜面・鉛筆・消しゴムと格闘しながら、『あたしって良いヤツなんだけど陰影っていうかさぁ、、単純でしょ、あたし....もっと複雑な葛藤とか軋みとかさぁ、、』てな事を頭の片隅でぶつぶつ呟く。

結局、格闘の末にいつも途中で投げ出してしまう。自分に対して軽く幻滅しながら。

 

『Dear P.M.』は、作ってみたら美しい曲になった。するすると自然に出来てしまった。

今までに無い不思議な経験だったから、きっとPapaとMamaの魂が側にいてくれたのだと思った。

母を亡くしたばかりでいつも父と母の事を考えていて、他の余計な事を考えなかったせいかもしれない。

一人で弾きながら、ちょっと泣いてしまった(苦笑)。

 

******************************

ツッチー:「ねぇねぇ、Dear P.M.って誰?  苗字がMでしょ、名前がPってさ~、パ、パ、パミ夫?  パパイア・マンゴー.....ん?」。

相変わらずツッチーは最高で(笑)、そして、”変に感傷的な曲”にならなくて良かったって思った。

 

 

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2014年

6月

26日

引越し

今月に入って東京の住まい探しを始めた。

去年の2月20日に東京から新潟に引越したのだから、僅か一年ちょっとでまた戻る事になった。

 

何だか若い時から、やたらたくさん引越しをしている気がする。

 

大学時代は地元ーそれも大学までバスで20分の実家に居たのに、友達とシェアハウスしたり長屋みたいな所に住んだりと、随分とわがままな一人暮らしをさせてもらった。

上京してからは市川市南行徳、練馬区氷川台、国立市、杉並区下井草といろんな街に住んだが、大企業ヤマハに籍があったほんの短い間を除いて、特に30歳を超えてからの東京の住まい探しは過酷だった....。

音楽関係、フリーランス、独身、女性の四重苦だと、収入証明や相当しっかりした保証人がいないとほぼ絶望的だ。

銀行通帳のコピーを出せとか言われて唖然とした想い出もある。

 

今回は、それに年齢のハンディが加わり(笑)見事な五重苦になったわけで、こりゃ駄目かもね、、と半ば諦めかけた。

でも不動産屋さんの話をよく聞いてみると、問題は『仕事』なのだ。

 

私:「固い仕事してないと無理って事ですかねぇ、、?」

不動産屋さん:「まぁ、そういうとこが多いですねぇ。」

 

生まれてこの方、女に生まれて得した事こそあれ差別されて悲しい思いをした事はない。

時々、ツッチーがかましてくれる『みっちゃんの年齢にまつわるギャグ(・・;)』にはだいたい倍返しするから(笑)、年齢差別もまぁ無いと言っていい。

それに最近は、独身だからって「何か問題でも?」なんて言える風潮だ。

理不尽な差別とは無縁で生きてこられたのは、本当に幸せな事だと思う。

でも、考えてみると、人生の節目で『固い仕事』じゃないせいで味わうこの”がっかり感”は、いわゆる職業差別というヤツじゃないんだろうか?

若い頃は、音楽関係だから仕方ないよね!なんて割り切っていたけれど、今さらながら問題意識がフツフツと湧いてきた。

 

一人憮然としながらも、幸運な事にようやく杉並区の物件で契約までこぎ着けた。

査定で通してくれた取引主任の男性にポロっと愚痴を言ったら、

「ライフスタイルがこれだけ多様化している今の時代、固い仕事に限定する方がもう無理があるんじゃないでしょうか?」

さらりと言い切った彼の横顔を、かっこいいわぁ、、うっとりしながら見つめてしまった(笑)。

 

職業によって門前払いされる時代は終わりつつあるのかもしれない、、希望的観測ににんまりした。

 

<6月22日、東京に引っ越しました!>

 

 

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2014年

6月

02日

新潟センター・高橋くん

新潟市の名所・信濃川に架かる6連アーチと側面の御影石が美しい”万代橋”を渡って少し歩くと、今は移転してしまったがつい3年くらい前まで、バスターミナルやダイエーの通りに面してヤマハ新潟センターの大きなビルがあった。

全国に展開する財団ヤマハ音楽振興会の新潟地区のセンターで、県の民間音楽教育の主軸のような存在だったと思う。とにかく大きなセンターだった。(現在は財団ではなく、ヤマハ株式会社所属。)

 

大学を卒業する2.3カ月前、ここにエレクトーン講師として就職する事が決まっていた。

国文学科にいて、教職課程もとってなきゃ文学者の素質もない、就職活動どころか資格は自動車免許さえ持っていない私を、近代文学の教授が心配して「ダイエーの口ならあるぞ。」とわざわざ電話をくれた。

ヤマハに決まったって報告するの忘れてた!!

本当に申し訳ない事をしました、、m(_ _)m

 

さて、ヤマハ新潟センターは私にとって夢のパラダイスだった。

楽器が山ほどある、ピアノ・エレクトーン・ドラムセット・パーカッション、ギターアンプやベースアンプ、シンセだってそこらじゅうに立てかけてあって、楽譜もレコードも資料室に行けば全てのジャンルを閲覧試聴できた。しかも全ての部屋が完全防音・練習し放題。

お盆と正月以外一年中、午前中から夜遅くまでとにかくヤマハに入り浸った。

同じフロアにギターや管楽器、いわゆるLM楽器売り場もあったので、夕方頃になればバンド少年・青年たちがたむろって来て、いつの間にやらエレクトーンよりバンドするのが面白くなった。

結果、東京に出る事になるのだが、その後しばらくの間、新潟センターに講座を持たせてもらって新潟と東京を行き来した。

 

その時に知り合ったのが、高橋徹くん。今や中堅実力派ドラマーとして日本のJazz界で有名人だ。

(※Jazzの大先輩にあたる高橋氏に『くん』付けは失礼かなと思って試しに高橋さんと呼んでみたら、気持ち悪いと本人から苦情が来たので、以来『くん』で呼んでいる。)

高橋くんは新潟大学の学生で、ヤマハ新潟センターでアルバイトをしていた。

彼が大学卒業後に上京して、会う度にJazzの名盤とかいろいろ教えてくれたのだが、Pops/Rock好きの私には今いちピンと来なかった。

「凄いライブがありますから!」と連れて行ってくれた新宿ピットイン・新春ライブ。

ウィントン・マルサリスとエルビン・ジョーンズのカルテットで、今だったら感激して泣いちゃうくらいのライブだったのだが、当時はあまりの凄さに「えぇ?これ即興なの?!信じらんない!!」衝撃をうけてただただパニクった。

これが最初のJazz接近遭遇&撃沈体験。

以後長い間、<Jazz=私レベルじゃ無理>の方程式が私の中に出来てしまった。

 

何故だかJazzピアノを弾くようになって今に至る訳だが、高橋くんとはここ数年、時々ライブで一緒に演奏する。

これは私にとって、かなり「やった~!」的な出来事だ。

その彼がつい先日、自身のトリオで新潟にやって来た。

山田穣さんと上村信さん。わぉ~、二人とも私にとって超スターな人たちだ。

Jazzを弾き初めた頃からライブやCDでたくさん聴いていた。

高橋くんに「もちろん絶対行くよ!」と言ったら、1曲飛び入りで弾いていいよと言われた。

マジですか.....(o_o).....何故か嬉しいより心臓がパクパクした。

 

ライブ当日、3人の演奏はもう最高でかっこ良かった!

飛び入りで2曲弾かせてもらったけど、特に1曲目は自分で笑っちゃうくらい力入り過ぎで撃沈....。

打ち上げで「ガチガチで全然駄目だった...!」って言い訳っぽく言ったら高橋くんが「知ってる~ ^o^ ^o^ ^o^ 」って。

やっぱりね、ばれてるよね、、(涙)。

でもこんな体験が出来るなんて、ホント生きてて良かった(笑)。

またたくさん練習して、今度はもっと良い演奏が出来るようになるぞ~って誓った。

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2014年

5月

19日

5月18日

昨日、父と母の一周忌と納骨を終えた。

 

去年1月に父が自宅で倒れて約1年半、音楽以外の世事に絶望的に疎い私は、次から次へと押し寄せるいろいろな出来事に気持ちも頭もこんがらかって途方にくれた。

心配と不安で毎日押しつぶされそうだった。

ようやく一息つけるようになってふと思い返すと、心からの励ましや手助けの手を差し伸べてくれた方一人ひとりの顔が目に浮かんだ。

深い感謝とともに、父や母、そして私も、こんなにみんなに助けてもらってなんと幸せな事か....としみじみ思った。

 

この1年余りの時間は、何だか厚い雲の中にいるようだった。

前に進んでいるのか横に流されているのか、止まっているのか迷走しているのかまるで分からない、時々雲の裂け目から下界の風景が見えて、ああ、間違った方向には来てないんだな、と安心するみたいな感覚。

雲の中の時間は、今まで経験した事のない不思議な流れ方をした。

ぐるぐるしたりぽっかり穴があいたり、ごーっと激走したりゆるゆる間延びしたり、、。

とても1年半の間に起きた出来事とは思えないのは、全てがきちんと時系列に並ばずにふわふわプアプアと私の周りに漂っているから。どこか現実味を失って夢の中のように感じられるから。

 

でも、父と母のお骨が家を出る時、ふいに私は雲の中から外に出た。

急に泣きそうになってちょっとびっくりした。

 

一周忌と納骨が終わって、今、久しぶりにちゃんと方向感覚を持って前を見ている。

”どこ”に住むかとか、”誰”がそばにいるとか、”何”が欲しいとか、そういう事は殆どどうでもよくて、ただ前に進みたいと思っている。

”どうやって”、というのは今イチはっきり分からないが、歩き出せばきっと何とかなる!(笑)なんて思っている。

 

父と母がにこにこしながら、『大丈夫。』って言ってくれてるような気がした。

 

 

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2014年

4月

30日

笑顔について

東京行きの新幹線。途中駅で若い女性が隣の席に座った。

座る時に素敵な笑顔で「すみません。」と言ったので、思わずこちらも笑顔で会釈した。

若い女性の笑顔はイイなぁ、、なんてオジサンみたいな事を考えていたら、自分の若い時の事を思い出して一人苦笑いした。

 

今でも真面目な顔をしていると「怖い」と言われるが、若い頃はもっともっと完全無敵な無愛想だった。

ある日友人と電車に乗っていて、通路の向こうでお母さんに抱かれた可愛い赤ちゃんが、何故だか私の顔をじっと見ている。気付いた友人が私をつつきながら「笑ってあげなよ~」と言う。

「だって知らない子だし....なんで?(~_~;)

知らない相手に笑いかけるという発想が当時の私になかった訳で、、恐るべし.....(笑)。

 

人は可笑しい時に笑い、不機嫌な時に怒り、悲しい時に泣く。

他人に笑顔で接するというのはそういう喜怒哀楽の感情とは違って、知らない誰かをちょっとだけ幸せな気持ちにするーただそれだけの為に自分の感情とは無関係に表情をコントロールするという事だと思う。

これはかなり”オトナ”な行為だ。

 

オトナになり過ぎなくらい充分オトナになっていた頃( 年齢的に...・笑)Jazzのライブハウスに出演し始めて最初に先輩ピアニストに言われた事は、「みっちゃんは顔がおっかないから、何でもイイからとにかく笑ってろ!」だった。

可笑しくもないのにどうやって笑えばいいんだ....?

その時生まれて初めて、笑顔は訓練だと悟った。

朝、鏡を見てニコッとする、道を歩きながら取り敢えず嬉しい事を考える、夜眠る前に一度ニィッと不敵な笑みを浮かべてみる、、(恐)。

 

最近はあまり意識しなくても笑顔でいられるようになった。

ただ、ピアノを弾いている時はかなり危ない(笑)。ライブ中の写真を見ると、”やっぱおっかないなぁ...”と思う時がある。

でも、今は無理をしてもしょうがない、自分の出す音が心底いいなぁと思えた時に本当の笑顔になれると思うから。

正直に”音”に向かっていればいつか、『思わず笑いながら弾いてる』っていう日がくるのかもしれない。

インターネットで見たオバマ大統領来日の時の写真。

外国の人が「安倍総理と浅田真央の笑顔がそっくり!」とコメントしていて「ん~、そっかも....。」と思った(笑)。

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