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2018年

11月

17日

ポワロ -Part5-

降霊術というと、日本の場合はこっくりさんとかイタコを思い浮かべる。

欧米では、ミディアムと呼ばれるプロフェッショナルの霊媒と出席者たちが、手をつないでテーブルを囲む。

『インシディアス』とか、最近のホラー映画でもその場面が出てくるから、現在でも普通(?)に行われているようだ。まぁ一部だと思うけど、、。

 


探偵小説にとって、降霊術は反則中の反則だ。

なにせ、殺された被害者が「私は◯◯にやられました。」なんて教えてくれるなら、捜査も推理もいらない。

ポワロ作品には、この降霊術がけっこう登場する。

もちろん犯人を教えてくれるのではなく、犯人を動揺させて自白に導く手段なのだが、イギリス人が日本人と同じくらい幽霊とか怪奇現象が大好きで、交霊会が当時の流行りだった事を考えると、クリスティのサービス精神や茶目っ気を感じてしまう。

 

彼女は、いろいろと推理小説の反則をやっている。

『アクロイド殺人事件(1926年発表)』は読者たちの度肝を抜いて大変な評判になった。

1928年にノックスという作家が「ノックスの十戒」という推理小説のルールを発表しているが、これは『アクロイド殺人事件』を読んで、よっぽど「これはいかん!反則だ!」と思ったからに違いない。

 

*ノックスの十戒 ( Wikipediaより )

 1.犯人は物語の当初に登場していなければならない

 2.探偵方法に超自然能力を用いてはならない

 3.犯行現場に秘密に抜け穴・通路が二つ以上あってはならない

 4.未発見の毒薬、難解な科学的証明を要する機械を犯行に用いてはならない

 5.中国人を登場させてはならない

 6.探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない

 7.変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない

 8.探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならない

 9.サイドキック(探偵の助手となる者、いわゆるワトスン役のこと)は自分の判断を全て読者に知らせねばならない

10.双子・一人二役は予め読者に知らされなければならない

 

5番が笑える、、。

フー・マンチューのような万能の怪人のことを指す、と注釈にあったけど。

(イギリスの作家サックス・ローマーが創造した架空の中国人)

 


1934年に発表された『オリエント急行殺人事件』では、「ノックスの十戒」の裏をかいて見事に大反則をやらかした。

発表時、賛否両論をまき起こしたようだが、現在ではミステリー史に残る傑作の評価を得て、何度もドラマ・映画化されている。

彼女の”してやったり!”な得意顔が目に浮かぶ。

この作品については、また改めていっぱい(笑)書きたい。

 

ポワロ作品の他にも、『そして誰もいなくなった』や『検察側の証人』など、探偵は出てこないが意外な結末の名作がたくさんある。

アガサ・クリスティーという作家は、読者には驚きと喜びを与え批評家には”あかんべえ”をやる、まさに気骨と皮肉精神にあふれた生粋の『英国人』だったんじゃないかと思う。

 

***Part6に続く***

 

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2018年

11月

06日

ポワロ -Part4-

クリスティ作品の魅力の一つは、事件の舞台にゴージャスな場所がたくさん登場することだ。

 

オリエント急行やエジプトのクルーズ船、メソポタミアの遺跡旅行や地中海のリゾート、大富豪の広大な邸宅には執事がいて、着飾った紳士淑女たちが銀食器の並ぶディナーの卓に着く。

こういうのはイギリスの上流社会で長年に渡って根付いた文化なので、そうと知っていれば全くわざとらしさを感じない。

ポワロは、身分は私立探偵だが、裕福な依頼人たちから事件解決で多額の謝礼金を貰うらしく、身なりから住まい、宿泊するホテルまで一流である。

下宿屋に住んで貧民街や阿片窟にも出入りし、裏社会にまで通じていたシャーロック・ホームズとは大違いだ。

 

ドラマのポワロシリーズを見る女性たちは、登場する貴婦人・紳士のファッションや小物に目を凝らし、泊まる高級ホテルのアメニティグッズ一つ見逃さない。

お洒落で洗練されたポワロの佇まいは、そういうファンたちの眼鏡にかなう。

彼は、完璧な上位階級の住人なのだ。

 

そんな贅沢な雰囲気の中で殺人事件が起こるという設定は、日本のミステリーではなかなか成功しない。どうにも嘘くさい。

人物に文化が漂わないから、悪く言えば成金趣味にしか見えない。

ITで成功した社長とか投資家とか、ただ財産をたくさん持っているだけでは駄目なのだ。

 

上流階級は歴史を通じて閉鎖的であり、良くも悪くも独特な作法を持っている。

日本の場合、戦前を舞台にした横溝正史の作品なんかに、華族という身分の人たちが登場する。子爵や伯爵だ。

そこで描かれる華族たちは、格式はあっても華やかさがない。日本に社交界という制度がなかったからか、”侘び寂び”の美意識のせいか、、。

特権を持つ者の矜持と義務感は武家制度と共に滅び、俄仕立ての社交界は欧州のものとは別物だった。

 

イギリスでは、出自による身分制度が歴史的にすっかり定着していて、今を生きる人々の意識にまで深く浸透していると聞く。

最上位のUpper Classの生活は、現代でも憧れをもって見られているのだ。

筋金入りの階級社会だから、日本のように財産によって若干の格差がある、なんてのとはレベルが違う。

越えられない壁を、国民自ら好んで維持しているようにも見える。

民衆の中心にいた日本の天皇と、民衆の頂点にいたイギリス国王の差というのか、国民の考え方として、階級による差違を当然のことと認める空気がイギリスにはあるんだろうか。

 

そうした意味で、ポワロシリーズで醸し出されるハイソサエティな雰囲気はリアルである。

莫大な遺産を巡る殺人事件というのも、かなり現実的なお話なのだ。

 

物語には、ほとんど働きもせずに親族の資産家に寄生し、遺産をあてに生活している人たちがいっぱい出てきてちょっと驚く。

叔父さんや叔母さん、姪だの甥だの養子や義理の子や恩人の娘まで、まぁ様々な縁で人が集まっている。

元気な若者が昼間からぷらぷら遊んでいても、身分制度のお墨付きがあるおかげで、誰から文句を言われるでも変に思われるでもない。

 

ポワロの相棒、ヘイスティングス大尉もイートン・カレッジ出身だからバリバリのUpper Classだ。

ポワロの捜査に付き合う暇も財力もあるし、趣味はゴルフと車、たまに投資に失敗して落ち込むことはあっても、生活に困るようなことにはならない。

いい大人が暇を持て余して探偵のお手伝い、高級車に乗ってゴルフ三昧というのは、いかにもイギリス的かもしれない。

 


日本の有名な探偵、金田一耕助はどう見ても貧しく、明智小五郎の助手は15歳の少年である。

彼らは上流階級でも財産家でもなく、趣味で探偵をやっているような非常に変わった人たちだ。

そして現代の日本の名探偵は、警視庁か科捜研にいてちゃんと通常のお仕事をしている。

 

閑人(ひまじん)の大人は、日本では変人扱いで肩身の狭いのが普通である。

士農工商の区分があった江戸時代であっても、働かない者に対する風当たりは強かった。

時代小説によく出てくる旗本の次男坊や三男坊は、暇を持て余して悪さをするどうしようもない奴って役回りだ。

彼らは”部屋住み”と呼ばれ、とっとと他家に養子に出されるか一生ごくつぶしの境遇で過ごす。

裕福な商家でも、放蕩が過ぎる跡取り息子は、親族会議で勘当と決まるとさっさと家から追い出された。

 

労働に対する国民意識の違いというか、日本はみんなが平等に真面目に働く社会なんだなぁ、、。

 

ポワロのゴージャス・ワールドについて書こうと思ったのに、とんでもない方向に話が行ってしまった。

まぁ、ハイソサエティに塵ほども縁がなく、贅沢な暮らしには想像力がまったく働かないのだから仕方がない。

ポワロは、別世界の人だからこそ魅力的なのだ。

 

ドラマ『名探偵ポワロ』が、イギリスの良き時代--第二次世界大戦後に植民地の大半を失い、衰退に向かう大英帝国の最後の輝かしい時代--1930年代のイギリスを背景に制作されたというのも、とても意味深い事だと思う。

ポワロと登場人物たちは、その時代のクラシカルなお洒落がどんなに素敵だったか、上流社会の人々の洗練された振る舞いがどんなに優雅だったか、さりげなく見せてくれる。

そんなところに英国人たちのプライドを感じて、イギリス好きの私なぞは一人にんまりしてしまうのだ。

 

***Part5に続く***

 

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2018年

10月

24日

ポワロ -Part3-

第一次世界大戦中、アガサ・クリスティーは看護師や薬剤師の助手として奉仕活動に従事した。

そこで得た薬学の知識を駆使して数々のミステリー作品を執筆し、その多くが世界的なベストセラーになった。

エルキュール・ポワロは、33の長編、54の短編、1つの戯曲に登場する。

 

中学時代に読み始めたポワロ・シリーズだが、いろいろな種類の毒薬が出てきて、それも頻繁に出てくるものだから、中学生のくせに砒素とかモルヒネとか覚えてしまった。

1990年にNHKで始まった英TVドラマ『名探偵ポワロ』は、主演のデヴィッド・スーシェが大好きで、好きなエピソードは英語版で繰り返し見た。

おかげで、これまた覚えなくていい毒薬の英単語と、使用する際の注意事項なんてのを無駄にたくさん覚えた。

 

例えば、ストリキニーネは非常に苦いので、怪しまれずに飲ませるには生牡蠣なんかと一緒にツルっといくか濃いコーヒーに混ぜる。

ヒ素中毒は胃炎と症状が酷似しているので、ボンクラなお医者に普段から診断させる。

リン中毒は緑色の息を吐く場合がまれにあるので、迷信深い田舎だと魂が抜けた!とか言って騙せるかも....。

しかし犯人が逃げおおせた成功例が一つもないので、ちっとも参考にならない(笑)。

いや、別に参考にしようって訳じゃなくて、、。

 


青酸カリとか一酸化中毒とか、英語で言える!と自慢したら、友人にちょっと言ってみろと言われた。

「エ」の口を保ちながら「ア」と発音するという至難の技を使って苦労して発音したら、「ふ〜ん。。」と胡散臭げな目で見られて終わりだったので、ちょっとは尊敬しろ、と思ったが、客観的に見て友人の反応が正しいように思われたので、これは人前でやってはいけない自慢だな、と悟った。

 

古典ミステリーファンにとって、殺人は単なる舞台設定の一つである。

そこにリアリティーを感じさせる必要はほぼない。

探偵が登場して謎解きが始まり、犯人を含めた周辺の人々の過去の秘密や暗い欲望、複雑な利害関係が白日の下に晒される。

そこに至るまでの人々の姿がリアルなのであって、トリックの巧妙さと共に、いかに登場人物が自然に行動するか、犯人にさえ感情移入できるほどに人の心の内面が描かれていれば、きっとその作品は傑作ミステリーだ。

 

それでも前提となる事件としては、首を絞めたり銃やナイフを使うより、毒殺はどこか知的な趣がある。

”激情に駆られて”という設定が成り立たないからだ。

犯人たちは巧妙に毒薬を手に入れ、周到に準備し、もちろん殺害現場では何食わぬ顔をしている。

クリスティーは薬学の専門知識を使って、犯行そのものにもリアリティーをもたせた。

 

最近、『アガサ・クリスティーと14の毒薬』という本が出版された。

イギリスのサイエンス・ライター、キャサリン・ハーカップ氏著である。

サイエンス・ライターって耳慣れない職業なので調べてみた。

 

*************

*サイエンス・ライター(Wikipedia)

 

科学( 主に自然科学 )に関連する記述を専門に行う著作家のこと。欧米では「science journalist」と呼ばれることが一般的である。

サイエンス・ライターは、科学を、ジャーナリズムの観点から解説・説明すると同時に、高度で複雑な専門用語や難解な数式などを簡素かつ明確に説明する能力・技術・解説能力を必要とする。

〜以下略〜

*************

ふ〜む、もの凄く賢い理系の著作家さんらしい。

この本では、毒薬の特質を科学的に説明しつつ、クリスティー作品の中でどう使われているか分かりやすく解説しているそうだ。

文芸作家じゃなく”サイエンス・ライター”が書いているので、きっと現実的で信頼できる内容のはず、、。

ドラマで仕入れたいい加減な知識を、きちんと教えてくれるに違いない。

 

秋の夜長に読んでみるか。

正しく知ったからって、誰に自慢できるわけじゃないんだけど、、。

 

***Part4に続く***

 

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2018年

10月

18日

ポワロ -Part2-

ミステリー好きの間で一般的なのは、やはりシャーロック・ホームズだ。

シャーロキアンという種族が世界中にいる。

それに比べて、ポワロは日本ではあまり人気がない。

NHKの海外ドラマ『名探偵ポワロ』で初めて知った人の方が多いんじゃないだろうか。

 

だいたい、外見からして女性にモテるタイプではないし、極端に几帳面でもったいぶった言動は男性からもきっと敬遠される。

小柄で小太り、卵型の頭と大きな口髭、寸分隙のない身だしなみで、何事にも左右非対称を嫌い、秩序と方法を何より重んじるベルギー人探偵。

長身でダンディー、麻薬常習者で整理整頓のできないホームズとは大違いだ。

 


第一次世界大戦中(1914-1918)、欧州大陸からイギリスに亡命してきたベルギー人という設定もなかなか興味深い。

当時のイギリス人はたいてい外国人嫌いで、特にフランスとイギリスは積年の敵対関係にあった。

ベルギーがフランス語圏であることを考えれば、作者アガサ・クリスティーが、国民に熱狂的に愛されていたシャーロック・ホームズと全く正反対のキャラクターをあえて創り出したように思われる。

 

イギリス人とフランス人の関係はかなり面白い。

イギリス人がフランス人を揶揄する呼び名「カエル野郎」は有名だ。

かたつむりやカエルを食べる変な野郎っていう意味だ。

対して、フランス人はイギリス人を「ローストビーフ」と呼ぶ。

ローストビーフが伝統的なイギリス料理だという事と、日照時間の少ない地で育ったイギリス人が、日に当たるとすぐに赤いローストビーフ色になるのをからかう意味があるらしい。(他に諸説あり)

 

『名探偵ポワロ』の中でも、「frog(蛙)」の場面はさりげなく何回か出てくる。

( 英語版で見ると、こういう翻訳に困る台詞(笑)が聞ける。)

子供の喧嘩レベルの悪口をいい年をした大人がポロっと口にしてしまうというのは、なかなか根の深い国民感情である事をうかがわせる。

他にも、ポワロは度々、登場人物のイギリス人たちから「外国人!」「フランス人!」と偏見をもった差別的なニュアンスで接される。ポワロはベルギー人なのだが、、。

 

英仏は、中世の昔から血なまぐさい戦争を繰り返してきた。

有名なのは「百年戦争」。ジャンヌ・ダルクが大活躍した戦争だ。

調べてみたら、本当に100年以上(1337年〜1453年)、休戦の時期もあるが116年もの間、イギリスとフランスは酷い対立状態にあった。

 

その後も、インド植民地を取り合ったり、アメリカ独立戦争でフランスがちゃっかり参戦したり、ナポレオンがイギリス征服を企んだり、まぁ仲悪いったらこの上ない。

実に千年に渡って戦ってきたのだ。

 

            (百年戦争)


ポワロ初登場の事件『スタイルズ荘の怪事件』の発表が1920年、第一次世界大戦が終わって間もなくである。

この頃、列強諸国は大戦の反省からヴェルサイユ体制で国際協調を謳い、イギリスはフランスと共にドイツ軍国主義を封じ込めようとしていた。

英仏は、共通の強敵を前にして、ようやく関係改善に舵を切った。

 

そんな時代背景を考えると、ベルギー人のポワロとイギリス人のヘイスティングス大尉というのは、言わば国家親善カップルみたいなもので、クリスティーがもしかしたら「戦争はもうたくさん!」って思っていたのかもしれないなぁ、、なんて想像してみる。

 

長い歴史を乗り越えて、英仏は今ではトムとジェリーくらいの仲良し--仲良くケンカしな〜♫ 的な友だちになった。

その激動の転換期が始まる時代にポワロがイギリスからデビューしたというのは、まさに”時代の空気”だ。

フランス人という直球を避けてベルギーからの亡命者にしたのは、クリスティーの絶妙なバランス感覚だったかも、、。

 

ともかく、この後エルキュール・ポワロは時代を超え、シャーロック・ホームズと並んで世界中で愛される著名な名探偵になる。(写真はWikipediaより)

 

***Part3に続く***

 

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2018年

10月

11日

ポワロ

7年前、IT関連に詳しいYさんがブログ開設を勧めてくれた。

続けられるか不安だったし、ブログを書くほどJazzに精通しているわけじゃない。あまり気が向かなかった。

でも「好きなことを何でも書いていい。」と言われて、すぐにエルキュール・ポワロのことを思った。

急にわくわくした。

 

このブログでずいぶん前に、高校生の時の悲しいポワロ体験を書いた。

あれは、今思い出してもちょっと胸が痛い....。

私ってもしかして変なやつなのか?、とじんわり悟った人生最初の瞬間だ。

以来、源氏物語と鴎外が好きとは言っても、ポワロが好きとは口に出せなくなった。

なんというか、”青春時代のトラウマ”みたいなものだ。

ブログで好きなことを書けるなら、いつか誰にも気兼ねなくポワロのことを書きたいと思って、7年が過ぎた。

好物は最初に食べないタイプなんだな、私、、。

 

中学生の頃から大好きだったアガサ・クリスティーの推理小説について、高校生の時とは違う大人の角度(笑)から、あれこれ考えてみたいと思います。

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2018年

9月

27日

日本人の民度

この頃、外国からたくさん観光客が来ている。

そして、口々に「日本は綺麗だ。街にゴミが落ちてない!」と褒めてくれる。

中国の人は特に、「日本人は、ゴミを捨てないで持ち帰るのだ。民度が高い。」と、日本人の文化水準まで褒めてくれる。

 

こういう時、私はもやもやっと、数十年前の新宿や渋谷のセンター街を思い出す。

通りにはゴミがいっぱいで、故郷の新潟と比べて「東京は汚いなぁ。」と思っていた。

いつからこんなに綺麗になったんだろう?

観光客でない私も、時々、あまりにゴミが落ちてなくて驚く。

 

夏目漱石の小説の中で、主人公が、食べ終わった弁当の空箱を、走る列車の窓から力いっぱい外に放り投げる場面がある。その後、別の人も、果物の皮や種を新聞紙にくるんでポイと窓から投げ捨てる。

明治の人は、こういうのはまったく平気だったのだ。

昭和の人だって、川にいろいろ投げ込んでいた。テレビだって自転車だって投げ込んでいた。

歩きながらガムの包み紙をポイポイ捨てる人は、どこの街でも普通にたくさんいた。

平成になって、いきなり日本国民の民度が上がったんだろうか?

謎だ、、。教育の賜物かなぁ、、。

 

そんな事を思いながら、新宿なぞに行けば「日本人は生来、ゴミのポイ捨てはしない民族です。」てな顔をして歩いている自分が、なんだか可笑しくてたまらない。

漱石も、「へぇ〜。そうだったかね?」とお茶目に首をかしげる気がした。

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2018年

9月

21日

ブラックアウト

今年の夏は、列島中が、酷暑に加えて台風や地震で被害を受けた。

特に北海道では、「史上初のブラックアウト」が起きた。

停電による様々な混乱が報道されて、つくづく私たちの生活は電気なしでは成り立たないのだと痛感した。

 

「史上初のブラックアウト」と聞いて、ずいぶん昔に見た、織田裕二主演の『ホワイトアウト』という映画をぼっと思い出した。( 不謹慎ですみません、、。)

雪に閉ざされた山奥のダムで、テロリストと織田裕二扮する普通の青年が死闘を繰り広げるという日本版『ダイ・ハード』みたいなストーリーだ。

邦画にしては緊迫感あふれる演出で、織田裕二=青島刑事(『踊る大捜査線』)でファンだったから、かなり印象に残っている。

”ブラックアウト”と”ホワイトアウト”。

どっちもアウトだなぁ…。悪い事が起こるぞっていう意味で…。

 


”ブラックアウト”という言葉は、確かドラマ『名探偵ポワロ』の台詞で初めて聞いたのだ。(字幕で見たから、英語で”blackout”)

政情不安が続く1930年代のアルゼンチンが舞台で、街じゅうに不穏な気配が漂い、ポワロが泊まったホテルでは毎晩のように”blackout”が起きる。

 

実際、その頃のブエノスアイレスでは軍部によるクーデターが起きていて、”ブラックアウト”は政治やインフラがしっかりしていない国で起きるものかと思っていたら、先進国アメリカ・ニューヨークでも過去数回、大規模なものが起きている(1965年、1977年、2003年)。

まぁ、あの国は大きいし住民もたくさんいて使う電気量もきっと半端ないから、時々は仕方ないのかもしれない。

 

でもでもまさか、この日本で起きるなんて!と報道各社も驚いたんだろう、今回の北海道の停電は衝撃を以って「史上初のブラックアウト!」と伝えている。

 

ん? 阪神淡路大震災や東日本大震災の時とは違うのか?

調べてみたら、あれは”ブラウンアウト”の状態なのだそうだ。

電力システム全域が停電したのではないので、”ブラックアウト”ではないらしい。

アウトにもいろいろあるのだ。

 

停電発生後、メディアでは日本のエネルギー政策について侃々諤々の議論が交わされている。

議論を聞いたり読んだりすると、どこまでいっても平行線のような気がしてちょっと虚しくなる。

こんな危機を経験して、いつまで結論が出ない議論を続けるんだろうか?

 

不眠不休で復旧に尽力奮闘した現場の電力マン、自治体の職員の方々。

それに、各地で災害救助にかけつけた自衛隊やボランティアの人たち。

こういう人たちに、日本は支えられているのだなぁ、、。改めて頭が下がる思いがした。

 

そして、電気の大切さに思い到ると、当たり前の日常が、実は決して当たり前じゃないことにはたと気付いて、薄氷の上にいるような妙にこわごわした心持ちになった。

 

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2018年

9月

14日

9.11

2001年のあの時、私はJazz仲間たちと車の中にいた。

 

お昼に待ち合わせて都内から車で数時間、近郊のライブハウスのセッションに、ドライブがてらみんなで遊びに行った。

 


半日、ワイワイ楽しく過ごし、帰りの車中は少々疲れたのもあって、ラジオをつけてお喋りも途切れがちだった。

夜も遅くなっていて、窓から見えるのはまばらな街路樹と家々の黒い影、遠くに街の光がちらほら見えた。

すると突然、ラジオからあのニュースが流れてきたのだ。

 

みんなびっくりして、最初は何かの冗談かと思った。

「ま、さか、ね…?」

ニュースを聞いても、状況がどうにも想像できなかった。

 

やがて家に着いて、車から降りてみんなに挨拶して別れた後、急いで部屋のTVをつけるとどのチャンネルにも同じあの映像が映っていた。

信じられなかった、、。私は、何を見てるんだ?

 

以上が、私の中の鮮明な9.11の記憶だ。

 

ところが今朝、2001年9月11日が何曜日だったか調べてみて驚いた。

日本時間で水曜日である。

一緒だったJazz仲間たちは普通のサラリーマンで、水曜日の昼間から遊んでいるはずがないのだ。

Jazzライブハウスのセッションが、平日の午後、早い時間から始まるってのも妙な話だ。

私の記憶の中で、なにかが混線している、、。

これが『間違った記憶(False Memory)』ってやつかぁ、、。

ちょっと呆然とした。

 

まぁ、今更どれが正しい、これが間違いと考えてみても仕方がない。

現にその衝撃的な事件は起こり、その後の世界は変わっていった。

隠れていた厄介な問題がどんどん表に現れてくるようになって、その意味で”歴史の分岐点”と捉える見方もある。

 

私にとっても、この時期は人生の分岐点だった。

この4年後、私は家にあった沢山のシンセサイザーをすっかり売り払って、本気でJazzプレイヤーになろうと決心するのだ。

環境の変化と同時に、音楽に対する気持ちや考え方もずいぶん変わった。

 

つらつら思い返してみれば、他にも大きな分岐点が幾つかあって、私の人生はジグザグというか、運転教習所のクランクコースみたいだなぁ、と思った。

S字じゃなくて、直角なのだ。それもかなりのスピードで突っ込んでいる(笑)。

潔いと言えば聞こえはいいが、前ばかりを見て、周りにあった大切なものを振り捨ててきたんじゃないだろうか?

 

9.11後の世界について書こうと思っていたのに、『間違った記憶(False Memory)』に偶々気付き、予定外の「我が人生の反省」までしてしまった...。

 

今日は、世界中のあらゆる場所で、「9.11のあの時、あなたは何をしていましたか?」という質問がされていたんじゃないだろうか?

それに答える時、人は人生を顧みて何を思うんだろう?

 

アメリカ以外の国では、きっとほとんどの人が、私のようにただぼんやりと当時の風景を思い描いて「あぁ、もうそんなに経つんだ…。」と呟いたに違いない。

陰謀論を読み返して、怒りに震えた人もいるかもしれない。

現在の国際情勢の不安の方が深刻だと訴える人もいるだろう。

あれから長い年月が過ぎた。

それでも、ほぼリアルタイムで報じられたあの悲惨な映像が私たちの記憶から消えることはないし、憎しみの連鎖が始まった瞬間を忘れることは絶対にないのだと思う。

 

時代の転換点の大きな悲しみの日に、それぞれが17年の記憶をたどり、自分の人生と合わせてさまざまな思いを巡らす、今日は、そんな日なのだろうと思った。(2018・9・11)

 

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2018年

9月

07日

お墓参り -Part3-

商店街を歩くうちに、これから鷗外のお墓にお参りするのだと思って、胸がキュンと締め付けられる気がした。

ワクワクとかドキドキとかそんな軽々しいものではなく、もっと厳粛な、ライブ本番前の緊張感にも似た気持ち。

それと、ほんのちょっとの後悔--やっぱ今日じゃなくて、もっと万全の日にするんだった、、とめそめそする気持ち。

二つの気持ちが心の中でせめぎ合って、その摩擦熱でエネルギーが生じたのか、私はかなりなハイスピードでずんずん歩いた。

頭の中でまた別のことを考えないように、わき目も振らずに歩いた。

 

そのうちに、禅林寺をずいぶん通り越したところで、あれっ?と気付いた。

こういうのは、自宅付近で散歩をしていて時々ある。

考え事をしながら歩いていて、気付かずに自分の家を過ぎてしまう。

気持ち良く歩いていて、足にストップがかからなくなるのだ。

 

携帯で地図を調べ直して引き返した。

夏の名残りのような陽の光をいっぱいに浴びて歩き通したので、全身汗だらけになりながら禅林寺の境内に入った。

隣りの八幡大神社では盛大な例大祭が行われていて、屋台も出て沢山の人で賑やかだ。

お寺と神社がこんなふうに併存するのは奇妙な気がしたが、後で建立の歴史を知ってみれば、日本独特な宗教観が自然にすんなり分かる。

 

すぐ隣りだというのに、寺の墓地には神社の祭りの音は全く聞こえて来ない。ひっそりと静まりかえっている。

私は、鷗外のお墓を探してちょっと歩いた。

すると、入り口近くですぐに見つけてあっと思った。

思いの外、墓碑が大きくてそれも驚いたのだが、お墓の前にお供えしてある花が半分しおれていて、あっと思ったのだ。

なぜお墓参りをするのに、私は花を買って来なかったんだろう、、。

 

            ( 中央の大きなお墓が、鷗外のお墓です。)

 

お盆でも命日でもないのに、綺麗な花やお供え物があるはずがないのだが、それでもちょっと寂しい気がして、私は自分の馬鹿さ加減と気の利かなさが心(しん)から残念だった。

今日はリハーサルだからとか訳の分からない言い訳をごにょごにょつぶやいて、それからやおら気を取り直し、墓碑に向かって手を合わせてお辞儀をした。

訪ねて行った家の塀の外でお辞儀をしているような妙な気分である。

気持ちが出来ていない。

尊敬や同感や疑問や愛惜が、整理されないまま、ずっと長い間に大きな漠とした塊になっていて、手を合わせても言葉が出てこない。挨拶もろくに出来ないのだ。

やっぱり、お墓参りはまだ早かった、、。

 

20代であろう若い女性二人が、すぐ斜め向かいにある太宰のお墓の前で写真を撮っていた。

少し離れて高校生らしい男の子が一人、彼女たちが立ち去るのを待っている様子である。

 

「若い人たちは太宰が好きなのね。( 私も最近、好きだけど....。) でも、鷗外の良さを知らずにいるなんて文学好きとしてどうなのかしら? ( 鷗外の墓の写真を撮っている )私を、胡散くさそうに見るのはやめなさい!太宰が鷗外を尊敬していたって太宰ファンなら知っているでしょう?」

たちまち私は、オロオロとつまらない事を考え出した。

多勢に無勢の負け惜しみだ。

 

鷗外は穏やかに苦笑し、太宰は情け深く「そんな事考えなくて大丈夫ですよ。」と声を掛けてくれるような気がふとした。

二人の芸術家が眠るこの場所には、世俗を超えた優しい高貴な空気が流れていた。

 

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2018年

9月

01日

お墓参り -Part2-

森鴎外のお墓がある三鷹・禅林寺は黄檗宗のお寺で、太宰治のお墓もあるので文学好きの人たちにはちょっと有名だ。

 

太宰治は最近ファンになった。

たまたま作品を読み直す機会があって、今更なんだけれどすごい作家だなぁと思う。

太宰が鷗外を敬愛していたことは、彼の短編いくつかに鷗外についての記述があって、そんな大層に言うのではないが太宰の尊敬の気持ちがはっきりと伝わってくる。

美知子夫人も、そんな彼の気持ちを汲んで、鷗外の眠る禅林寺に太宰を葬ったのだそうだ。

 

『女の決闘』という太宰の作品の中で、目に止まった文章がある。

この作品は、鷗外が翻訳したドイツの作家ヘルベルト・オイレンベルク「女の決闘」という短編を下敷きに、太宰流の様々な視点を加えて、深みのある現代的な作品に創り変えたものだ。

その冒頭の部分にこうある。

「鷗外自身の小説だって、みんな書き出しが巧いですものね。スラスラ読みいいように書いて在ります。ずいぶん読者に親切で、愛情持っていた人だと思います。」

太宰が、鷗外の心の優しさについて触れていて嬉しくなった。

とかく”冷徹”とか”冷酷”とか言われる鷗外だが、実はとてつもなく愛情深い人だったと私は思っている。

 

さて、お墓参り決行の日は9月9日(土)で、まだ夏の名残りの強い日差しが照りつけていた。

長かった夏休みの余韻もそこはかとなく残っていて、あちこちで子供たちが声をあげて遊び走っている。

それにしても親子連れが多いな、と思っていたら、その日は八幡大神社の例大祭なのだった。( 毎年9月の第2土曜、日曜日 )

 

八幡大神社は、江戸時代から続く由緒ある神社で、明治の神仏分離令で、別当寺( 神仏習合が行われていた時代に、神社を管理する為に置かれた寺 )であった禅林寺と分かれた。

その為、神社とお寺の地所は隣り合わせである。

 

            (写真はWikipediaより)


禅林寺に向かって商店街を歩いて行くと、神輿を担いだ法被姿の一団と行き合った。

それほど大きくない神輿を守るように囲んで、大人も子供も一緒になってゆっくり歩いて行く。小さな一団だ。

後ろには、近所の家族連れらしい人たちが三々五々、団扇をのんびりあおぎながらついて歩いている。

八幡大神社の例大祭の様子がインターネットにあるが、大変に盛大で威勢がいい。神輿も大きくて豪華だ。

私が出会った行列は、日曜日クライマックス前の町内会の神輿行列だったのかもしれない。

 

日本の神さまは、一年に一回、お社を出て町内の様子を見て廻る。

どれどれ、みんな息災であるか?

そして、祭りの終わりにお神酒を一緒に飲んで感謝を捧げ、民は神さまともっと仲良しになるのだ。

良い風習だなぁと思う。

 

日本人は無宗教と言われるが、日本人にとって神さまは、日々の生活の大本のずっと深いところに存在するので普段は意識にのぼらない。

これはたぶん信仰心とは違うもので、畏れと言ってもいい。

畏れ敬う対象すべてに、”神さま”という名前をつけたのではないかと思ったりする。

神道も仏教もキリスト教も同じ扱いなのはそのせいで、日本人にとって神さまは一つの対象ではなく、もっと大きくて漠然としたものなのかもしれない。

悪いことをすると”ばちがあたる”と信じている人が多いのは、きっと神さまが日常にいるからだ。

 

神さまはほんとにいるのか?

 

世界中の唯物論者が、人間の心の中の根源的な畏怖や突き上げるような喜悦などについて、ホルモンとか脳内の電気信号とかそういうもので説明がつくと言う。

説明がつく事例はきっとあるんだろう。

でも、それは一つの側面でしかないし、現在の科学で人類が知り得ることなんてどれ程のものかと思う。

多くの芸術家や物理学者が、神の存在を感じる神秘の瞬間を体験している。

科学者たちは、それも今ある科学で説明するんだろうか?

神が電気信号だなんて、、そんなぁ、、。

 

私はと言えば、すべてを超越した大いなるものはどこかに存在していて、人類が『人間本来の姿--人間の真の実態』を解明した時、この世/あの世/宇宙の全容が明らかになるのだと思っている。

ん〜、SF的・超常現象的な大ロマンである(笑)。

 

***Part3に続く***

 

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2018年

8月

07日

お墓参り

お盆も近いからか、去年の秋、三鷹の禅林寺にお墓参りをしたことを思い出した。

 

その日は三鷹のライブハウスでイベントがあって、午前中からお店のリハーサルに出掛けた。

無事リハーサルが終わって、みんなでお昼を食べて本番までずいぶん時間が空いたので、私はずっと前から思っていた”禅林寺のお墓参り”を決行することにした。

決行とか大げさな、と思うかもしれないが、森鴎外ファンにとって三鷹・禅林寺は特別な聖地である。

(禅林寺HPより)


鷗外は60歳で亡くなり、禅林寺に葬られた。

『墓ハ森林太郎(鷗外の本名)墓ノ外一字モホルベカラズ』と遺言し、宮内省や陸軍などの官憲による栄典を一切拒否した。

時々、森鴎外は権力組織の中にあって地位に執着した人、なんて言う方々がいてびっくりする。

まぁ、どこからそういう説が出てくるのかおおよそ想像はつくが、鷗外の生涯をいろいろ読み知っていると、反論するのもばからしいくらいの大きな誤解だ。

鷗外研究で、死に臨んだ彼が、強固に官憲威力の容喙を拒んだということは一つのテーマである。

彼は一人の私人としてあの世に旅立った。

 

鷗外のお墓に詣でることは、ファンにとってこれは儀式に近い。

時間あいたからちょいと行ってくるわってレベルの話じゃないのだ。

この日も行こうか行くまいか、少しく迷った。

時間的に可能であっても精神的にどうかということであり、 行くからにはそれなりの心構えと準備が必要とかいう、非常に複雑なファン心理である(笑)。

そして、鷗外のお墓はたくさんの文献で写真付きで紹介されているので、まだ一度も行ったことがないのにすっかり馴染みの場所になっているというのも、今まで足が向かなかった理由の一つだ。

 

ともかくこの日は、本格的なお墓参りの為のリサーチ兼リハーサルってことで自分を納得させて、”決行”に及んだわけだった。

 

***Part2に続く***

 

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2018年

7月

29日

市場の思い出

小さい頃、母のお使いで近くの市場によく買い物に行った。

 

市場の一番奥にあるお肉屋さんで犬にあげる大きな肉付きの骨、その斜め前の魚屋さんで猫にあげる魚のアラを、それぞれお店に頼んで分けてもらう。

我が家には、ニッパという白い毛がふさふさした中くらいのスピッツ犬と雑種の猫が数匹いて、私は、隙あらばニッパの尻尾を引っ張ってキャンと啼かせてしょっちゅう叱られていた。


その罪滅ぼしというほどの事ではないが、骨とアラは子供にはけっこう重かったけれど、文句も言わず買い物カゴをぶらさげて市場に行った。

 

お肉屋さんのおじさん、魚屋さんのおばさんは、人間用の肉や魚とは別に手際よく新聞紙に包んでくれる。

( あの頃は新聞紙がめっぽう重宝した。どこの家でもだいたい全国紙と地元紙の2紙をとっていて、それも朝と夕方の配達だったからどんどん溜まった。我が家では主に子猫たちが、破いたり敷いたりかぶったり乗ったりと、おおいに活用していた(笑)。)

 

魚屋さんの店内には、天井から小さな青いザルがゴム紐でぶら下がっていて、中には小銭やお札が入っていた。

おばさんが手を入れるとそのザルがゆらゆら上下に揺れるのが面白くて、お釣りをもらうまで目が離せなかった。

普通の子は、冷凍ケースに並べられた魚やイカなんかを面白いと思うのだろうが、、。

 

市場の玄関口近くにはお菓子やさんがあって、大きな木の棚が上向きに平置きで置いてあった。

一つ一つの棚の口には取っ手付きのガラスの蓋がついていて、中のお菓子がよく見える。

お菓子は量り売りで、「この豆菓子を200g。」と言うと、お店の人がガラスの蓋を開けてステンレスの大きなスプーンのようなものでお菓子をざくっとすくい、台秤の上に置いたビニール袋の中に入れてくれる。

だいたい200gというところでビニール袋の口を閉じる、その手さばきが手品のように鮮やかなので、私はじっと見ながらちょっと得をしたような気持ちになるのだ。

母は間食をあまりしない人だったから、何か特別な時しかお菓子やさんに行かなかった。

 

他に八百屋さんや金物屋さんもあったと思うが、よく覚えていない。

市場の真ん中をセメントで固めた通路が通っていて、低い天井には蛍光灯がチカチカしていた。

私が行く時はいつもお客さんがまばらで、静かだったような気がする。

 

ある日の夕方、日が落ちて暗くなり始めた市場の周りが騒がしかった。

市場が面しているバス通りで交通事故があって、買い物帰りのおばあさんが亡くなったらしい。市場のお店の人たちがいろいろ話しているのが聞こえてきた。

通りには、おばあさんがかごに入れていた野菜などがまだ散らばっていて、救急車が去った後の緊張感がかすかに残っていた。

交通事故が自分の身の回りで起きるなんて想像もできなかったから、ただただ恐ろしかった。

今思えば、おばあさんは怪我ですんだのかもしれない。でも、その時は通りを見ることさえ恐ろしかった。

 

その後、市場のすぐ近くに大型スーパーが出来た。

スーパーは、明るくて綺麗でなんでも揃っていた。

でも、肉付きの大きな骨や魚のアラは頼んで分けてもらえたんだろうか?

お菓子の量り売りはしてくれたんだろうか?

 

しばらくして、市場がなくなったと母から聞いた。

 

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2018年

7月

19日

暑過ぎる....。

去年の夏は、なかなか快適に過ごした。

 

たまたま見たインターネットの健康情報の影響で、ほとんど冷房を使わずに外の風と扇風機、氷を入れたIce Bagで乗り切った。

冷たい飲み物もさほど飲まなかったし、夏なんだから暑いのは当たり前 ^ ^v とか言うくらいの気力があった。

まぁ外出すれば、過度の冷房に長時間さらされる訳だが、それでも”自律的な体温調節”--自然に汗をかく機会を増やすことでだいぶ体質改善できたなぁ、なんて悦に入っていた。

 

しかし、、。今年はとんでもない、、。

天気予報の日本地図が連日真っ赤で、危険とか厳重警戒とか災害並みの注意報ばかりで外に出るのも恐ろしい。

体質改善より命が大事だと、朝から冷房を入れっぱなしだ。

去年の頑張りがまるまる無駄になってがっかりだが、この暑さはもう異常に思える。

 


”気温40度超え”なんてニュースを見ると、日本はこの先、亜熱帯の国になるんじゃなかろうか、、ぶるっと背筋が寒くなった。

<猛暑=ビールが美味い・アイスクリームが売れる>ぐらいに思っていた昔がほんと懐かしい。

 

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2018年

7月

17日

オウム事件

7/6の死刑執行のニュースを見た時、「あぁ、とうとう、、。」と思った。

「遅過ぎた」「野蛮な制度はやめろ」 国内外からいろいろな意見が聞こえてくる。

 

ずっと昔、ある英会話学習の関連雑誌の記事で、アメリカの普通の女子高校生がこう言っているのを読んで驚いたのを思い出した。

「私は、社会のいろいろな問題ー死刑制度やフェミニズム、政治的立場( 共和党・民主党どちらを支持するか )などについて、いつ誰に聞かれても自分の意見を明確に言えるようにしています。」

 

日本ではとても想像できない事だったので、ちょっとショックを受けた。

彼女は特別に優秀な高校生という訳でもなく、たぶんアメリカでは、学生の頃からこうした社会的な問題を提示される機会が多いのだろうな、と思った。

 

当時の日本で、フェミニズムは”なんのこっちゃ?”だったし、自由民主党以外の政権は実現不可能に思われた。

ただ死刑制度については、世界で廃止傾向にある死刑を行う国の国民として、賛成なり反対なりはっきりさせておこうと思った。

アメリカの女子高生に負けないぞってのもあったし....。

けっこう時間をかけて、ああだこうだいろいろ悩んでみた。

 

結論から言えば、私は死刑制度に賛成した。

理由については、例によってまたもの凄く長くなるので別の機会に、、。

 

ただ、今回のニュースに関連してある事を考えた。それは死刑制度とは関係ないことなのだが。

 

今現在、明らかになっているオウム教団の犯罪。

1990年頃から兵器や毒ガスを作って、殺人、国家転覆まで企てていたのに、殆どの人はまるで危機感がなかった。

マスコミなぞは、事態が深刻になるまで面白おかしく報道していた。

 

必死に警鐘を鳴らしていた人たちはいたし、政権中枢ではなんとか法の網をかけようとしていたはずだ。

でも、それを阻止しようとする力が確実にあり、多くの無関心・楽観主義が目の前の事実を見過ごした。

みんな、まさかそんな事が、、とまるで現実でないように思い、私はワイドショーのコメンテーターたちが言う事を、ふ〜んそうなんだと思って聞いていた。

 

当時と比べて、私たちの無関心や楽観主義はあんまり変わっていないと思う。

何が変わったかと言えば、マスコミ--朝日新聞やTVなどのオールドメディアが無残なほどに信頼を失った事、SNSやインターネットが普及した事。

地下鉄サリン事件の時とは比べものにならないほどの大量の情報が、ネット空間に真偽錯綜するようになった。

ちょっと努力して勉強すれば、事実を客観的に知ることができる。

TVのニュースや一部の新聞が、いかに意図的に歪めて伝えているかも知ることができる。

 

無関心でいることで確実に社会の流れから取り残されていくことを、少しづつ、普通の人でも気付き始めていて、さらにこれから日本の情報伝達環境は劇的に変わろうとしている。

技術的にも法律的にも、この流れはもう止められない。

口を開けて情報を待っている時代は終わったのだと思う。

 

オウム事件が区切りを迎えたことで、そんな事を考えた。

そして、1995年3月20日の朝、部屋のテーブルの上に置かれた白いマグカップから立ち上るコーヒーの香り、TVで叫ぶリポーターの声、何が起きたか理解できずただびっくりしてTVの画面を見つめていた自分の姿を思い出した。

 

あれから、23年もたったのだ、、。

 

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2018年

6月

28日

路線図

某月某日@某ライブハウス。ライブ後にベーシストさんと雑談。(編集済み)

「田崎さんはどちらにお住まいですか?」

「私は西武新宿線の◯◯です。あなたはどちら?」

「僕は小田急線の◯◯です。」

 

以下、編集なし。

「ふ〜ん....。小田急線かぁ。小田急と言えば、祖師ケ谷大蔵と経堂ってなんかもの凄〜く良いよねぇ。」

「いやいや、祖師ケ谷大蔵とか経堂って、世田谷区じゃないすか。」

「最近、京急線に乗るんだけどさぁ、金沢文庫って駅があるの知ってる?金沢八景もあるんだよ。青物横丁ってのも良いよねぇ。」

「はぁ?( ちょっと何言ってるかわかんね〜。)」

 

意味不明な会話になっているが、この時、私がやや興奮気味に話しているのは、沿線情報とか駅の利便性とか家賃相場とか全く関係なく、ただ駅の名前についてである。

私は、東京の私鉄/地下鉄の駅の名前が好きなのだ。

 

電車に乗ると、なんとなく出入り口の上部に掲げてある路線図を眺める。

整然と並ぶ駅名を順番に見ながらふ〜ん、へぇ〜とやっていると、中に一つ二つ「ん?」てのがある。

あとでwikipediaで駅名や地名の由来を調べてみると、とても由緒ある名前だったりしてほぉ〜と感動する。

 

因みに、祖師ケ谷大蔵の大蔵は、律令制度における官庁の名称から来ている。

延暦期(782~806年・桓武天皇)に、武蔵国守兼大蔵卿・石川豊人が住んでいた土地ということらしい。

祖師ケ谷の祖師は、もちろんお祖師様-日蓮上人である。

祖師ケ谷と大蔵に挟まれるような土地に駅が作られたので、祖師ケ谷大蔵の名前がついた。

我が西武新宿線の上石神井や鷺ノ宮も、調べてみると情緒あふれる歴史があってなかなか良い。

 

山手線や中央線の駅名はあまりに慣れてしまって何も考えなくなっているが、私鉄/地下鉄駅は、それに比べて馴染みのない駅が多くて新鮮だったりする。

 

今年3月から横浜のお店で演奏することになって、京急線に初めて乗った時は我ながらドキドキして心が躍った(笑)。

金沢文庫、金沢八景、青物横丁、、。

八丁畷(はっちょうなわて)や生麦も、相当グッとくる。

生麦はあの有名な「生麦事件」の現場だ。地名の由来は徳川秀忠の時代に遡る。

 

昔の日本人の、名前についてのセンスは驚くほどだ。

いや、当時は普通につけた名前かもしれない。

でも何百年にもわたってちゃんと残って、国や庶民の歴史を伝えてくれている。そう考えてみると、漢字の偉大さにも思いが及ぶ。

 

しかし、電車に乗って路線図をずっと見ながらふ〜ん、へぇ〜とか言ってる人ってかなり怪しい。それも時々ふっと微笑んだりするし....(笑)。

冒頭のベーシストさん。田崎→変なヤツになってないといいけど、、。

 

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2018年

6月

16日

孤独について

毎朝、インターネットでニュースをチェックする。

「日経デジタル」はわりと好きで、いくつかお気に入りのコラムがある。

今朝読んだ『「孤独という病」は伝染し、職場を壊す』(by河合薫氏)という記事が興味深かった。

 

今、”孤独”が注目されているのだそうだ。

世界では、1980年代に孤独研究が学会で関心を集め始めて以来、孤独が社会に与える影響が様々な面から調査・分析されている。

WHO(世界保健機構)ヨーロッパ事務局は、社会や組織に及ぼすリスクとして孤独感に取り組んでいるし、英国では今年1月、内閣に”孤独担当大臣”が誕生したそうだ。

 

「いったん孤独の罠にはまると底なし沼のように孤独という病いに引き込まれる」とする米大学の研究チームの論文が紹介されているが、記事を読みながら少々混乱した。

 

 


私は一人の時間が好きで、孤独を愛する、とか孤独を楽しむといったふうに考えていたので、孤独が病いと言われて、え?と思ったのだ。(『孤独のグルメ』大好きだし、、。)

でも、”孤独”を”孤立”と置き換えてみて、なるほど〜と納得した。

 

友だちや仲間、相談相手がいない状態を想像してみたら、心が病んで当然のような気がした。

不安感や不信感を抱きながら生きていくのは、きっともの凄く辛いし苦しいし楽しくない。

さらに記事では、SNSの発達についても言及していた。

いわゆる”リア充”に嫉妬するってやつだ。孤独がゆえに、ネガティブな感情がいやが上にも高まる。

 

朝からどんよりした気分になったが、最近多くなっている酷い事件の根底に”孤立”がもしかしてあるんじゃないかと思ったら、ホラー並みに背筋がぞっとした。

だって、日本国中に孤立している人がたくさんいる。( 日本は「孤独大国」で、OECD加盟国で社会的孤立の割合がトップらしい。)

そして、サポートの手が及んでいない。そういうのは、個人の問題とされているから。

 

孤独が病いであるなら、放っておいていい問題じゃない。

その人たちが精神的に追い詰められる前に、信頼できる人間関係に引き入れる工夫( おせっかいでも無理強いでも )が必要なのかもしれない。

英国政府は、既に方針を決めて予算を投入している。

 

これは本当に難しい問題だと思う。

孤立する人は自分から周りを拒絶しているケースもあって、その場合どうやったら暖かい信頼関係が築けるんだろう?

個人でなんとかできる限度を超えてしまっているんじゃないだろうか。

 

どうして世界で”孤独”が注目されているのか、少しわかったような気がした。

朝っぱらから、ちょっと重過ぎな話題で疲れた、、。

 

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2018年

6月

11日

ニュース

今朝、インターネットで見つけた写真。

現在海外メディアがこぞって取り上げているのだそうだ。

 

今月8日、カナダのシャルルボアで開幕した主要7カ国首脳会議(G7サミット)で、首脳宣言の採択に向けて最後の詰めの議論を交わす様子を撮影したもので、ネットのコメント欄には「歴史的な一枚になる」といった声が世界中から寄せられていた。

 

『サミットでは、安倍晋三首相が昨年に続いて北朝鮮問題などで議論を主導した。米国と欧州・カナダが激しく対立する気候変動問題や貿易問題でも「裁定役」を務めるなど、存在感を発揮している。(6/10、産経ニュース・田北真樹子)』

 

”トランプ氏が日本を除く5カ国の反発を受けるたびに、困って振り向く先は安倍首相だった”そうで、「シンゾーの言うことに従う」「シンゾーはこれについてはどう思うか?」が繰り返されたらしい。

 

この写真は、現在の世界情勢をシンプルに表しているし( 強固な日米同盟/アメリカとEUの対立 )、日本が調停役のポジションにいるのもよく分かる。

戦後の日本外交で、これほど日本らしい外交ができた事はなかったんじゃないだろうか?

 

「この写真は教科書に載るぞ!」ってコメントが面白かった。

これから北朝鮮の核問題も大詰めを迎えるし、ますます国際ニュースから目が離せない。

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2018年

6月

10日

Mac miniが、、。

朝、起き抜けにMacを操作していてとんでもないことになってしまった。

眠気もふっとんで青くなった。

あのスイッチを押さなければ....、と悔やんでみてもしようがない。

システムの再インストールが必要になって、瀕死のMac miniを抱えて新宿まで出掛けた。

Apple修理店のお兄さんは、「中のデータは全て消去されます。」なんてもの凄い残酷なことをにこやかに言う。

私も内心の激しい動揺を隠して「はい、分かりました。」とにっこり答えた。

大事な情報はバックアップしてあったが、このブログの為のメモや料理のレシピなんかが消えてしまう、、。  

普段それほど大事に思っていないのに、いざそれが消えるとなると、あり得ないくらいの悲劇に感じる。

 

Macをお店に預けて、とぼとぼ家に帰ってきた。

 

Macの無い生活がいかに過酷なものになるか、あれこれ考えたら絶望感がわいてきた。

家にTVが無いので、ニュースもドラマも映画も全てMacだ。

家計簿もブログも写真管理も、ずっとMacでやってきた。スマホの画面は小さいのでストレスが大きい。

お店のお兄さんは一週間から10日と言っていたが、そんなに長い間、辛抱できるんだろうか、、?

 

思ったより早く、Mac miniが元気になって戻ってきた。

外見は以前のmini子だが、中身は全く別人のmini子だ。

ソフトの再インストールやらいろいろやっているうちに、便利なアプリやサイトをいくつか見つけて、新mini子は見違えるように使い勝手の良い子になった。

細かい作業に時間も手間もめちゃめちゃ掛かったが。

 

う〜む、こういうのを『人間万事塞翁が馬』というのかもしれない。『雨降って地固まる』かな?

それにしても、メモやレシピは惜しかった。残念....。

 

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2018年

5月

27日

歩く★

先日、暇つぶしにインターネットを見ていて、「スマホを持って歩くだけでプレゼントが当たるウォーキングアプリ。」というのを見つけた。

早速、ダウンロードして使ってみるとなかなか楽しい。

 

目標歩数を達成するとか毎日ログインするとか、いろいろなミッションがあるのだが、クリアするとパ〜ンとキラキラ画面が現れて、可愛いキャラクターがやったぁ!みたいにチアアップしてくれる。

ポイントもどんどん貯まっていくので、お得感もある。

 

私みたいに出不精だと、歩くと健康に良いと分かってはいても、用もないのに外出するのはけっこう面倒くさい。

オタク気質の人間にとって部屋の中で楽しめる事はたくさんあるので、何も外に行かなくたって、、となってしまう。

仕事の日以外、運動量はほぼゼロだ。

 

ところが、歩いて目標をクリアするとわ〜っ(キラキラ!)と褒めてくれて、その上ご褒美(ポイント!)までくれるとなると、ま、歩くのも楽しいよね、健康的だし、、となる。

雨の日でも散歩に出るようになったのは、我ながら驚いた。

 

やっぱモチベーションって必要です、、。

さて、いつまで続くのか?

 

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2018年

5月

18日

越後線で。

5月7日、新潟市で起きた小学2年生女の子の殺害事件。

陰惨な事件を報じる記事に衝撃を受けたが、その現場というのが、このブログで度々登場している越後線だ。

 

越後線にはとても思い入れがある。

 

高校生時代には毎日乗っていたし、今でも新潟に帰れば利用する。

バスより早いし、料金は半分だ。( 郊外のバス代は途轍もなく高い!)

実家からバス停は2分、駅まで8分で、余裕がない時以外はたいがい越後線に乗る。

 

越後線は単線で、他の列車とすれ違うことなくゴトゴトのんびり走る。

この”我が道を行く"感がすごく好きだ。

線路の脇の草地を隔てて住宅街がずっと続き、唯一のハイライトは、川幅約200メートルの信濃川に架かる鉄橋を渡る時だ。

眼下に見る川岸の桜並木は見事だし、遠く市街に広がるビル群の中に聳え立つタワーや県庁舎、コンベンションセンターなどが一望できる。

夏には広い川面に船々が浮かび、夕暮れ時には彼方の海に沈む太陽の夕焼けに思わず見とれてしまう。

十秒くらいだろうか、車窓から眺める風景は格別だ。

この愛すべき越後線の唯一の欠点は、強風ですぐ運行停止になることだ。

朝起きて、窓の外の風や雪などで運行停止の危険を察知した越後線利用者たちは、早速、携帯をチェックし情報を交換する。

いよいよ運行停止決定となると、ツイッターには呪詛の声が溢れるのだが、殆どの人はもう諦めている。

なるたけその回数が少ない事を祈るばかりだ。( たまに”そよ風で運休”とか揶揄されている....。)

 

そんな我が越後線で非道な殺人事件が起き、その上、現場はうちのマジ隣りの駅だった!

もうね、、このもやもや感、怒り、悲しみ、、。

 

興味本位で現場報道をしているTV局があると聞く。

うちにテレビがなくて、本当に良かった。

そんなレベルの地上波放送は、たまたまであっても絶対に目にしたくない。

まったく、ほんとうに、とんでもなく酷い事件だ。

ただただ、女の子がかわいそうで虚しい気持ちになる。どうしてこんな事が起きたんだろう?

 

心からご冥福をお祈りします。天国できっと幸せでありますように、、。

そして、悲しみに沈むご家族や周りの方々に、少しでも穏やかな生活がどうぞ戻りますように。

 

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2018年

5月

10日

愛しの西武新宿線

東京にいると、「便利な街ランキング」とか「住みたい街ランキング」とか街に関する人気投票をいたるところで目にする。

引っ越ししようかなぁ、、って時には、まずチェックする人が多い。

それより利用頻度は落ちるが、「沿線ランキング」というのもある。

1〜3位は山手線、東急東横線、中央線が常連で、我が「西武新宿線」は10位圏外とまったく人気がない。

以前、中央線/国立に14年ほど住んでいたので、人気沿線に漂うある種のメジャー感が西武線に全く無いのはじんわり分かる。

 

国立から引っ越してきた当初、平日昼間の駅ホームを歩きながら、あまりに人がいなくてびっくりした。

東京はどこも人が多過ぎて、なるたけ人が少ない時間・場所を探す習性になっているが、「西武新宿線」はその点かなり理想的だ。

中央線・最終電車の、過酷なぎゅうぎゅう詰めを経験せずにすむのも嬉しかった。(ライブが終わって帰ると、最終電車になることが多い....。)

駅前は、お洒落なカフェこそないが地元商店街がこじんまりと充実している。

大きなスーパーも複数あるが、商店街のお肉屋さん、パン屋さん、八百屋さん巡りをするのが好きだ。

小さい頃、母のお手伝いで家の近くの市場に買い物に行ったのを思い出して、今は大人になった分、店主のおじさんの粋な江戸っ子ぶりを面白がったり、おばさんとなんてことない会話が楽しめたりする。

 

「西武新宿線」と「西武池袋線」は西武鉄道の二枚看板で、住民の間には、ふだん表には出ないがなかなか複雑な感情がある。

池袋線住民は「新宿線は文化がない。」と言い、新宿線住民は「池袋線の駅は古くて汚い。」と言う。

マイナー同士、仲良くケンカする微妙なライバル関係(笑)にあるのだ。

 

たまたまつい先日、池袋線に乗る機会があって石神井公園駅に行ったのだが、駅に着いて愕然とした。

「なんじゃこれは〜!」思わず小さな声で呟いた。

数年前に来た時には、鄙びて古臭い、正しい池袋線らしい駅(笑)だったのに、私の知らない間に急激に開発が進んだらしく、都会的で美しい、池袋線らしからぬ駅に変貌していた。

「聞いてないよ〜!」

 

そう言えば去年、ネットで『「池袋線ばっかり」西武新宿線株主の不満炸裂』という記事があった。

”西武HD株主総会で、池袋線が重点的に改善されている事に対して新宿線住民が抗議の声をあげた”とあったのは、まさにこの事だったのだ。

 

新宿線完敗じゃん、、としおれて帰ってきた。

まぁ、新宿線派の意見を経営幹部がもっともだと聞いてくれたら、近いうちに我が駅もむっちゃくちゃお洒落になる可能性もある。

駅が近代的な商業ビルになって、ブランドのブティックとか有名カフェが営業するかもしれない!

 

……しかしそもそも、人が少ないマイナー感が気に入っていながら、あっちばっかり開発して、、とめそめそ傷付くのも変な話だ。

大好きな商店街がなくなってしまってもいいのか。有名カフェ目当てに、人がいっぱい来ちゃったらどうするんだ。

 

どうも巷の人気ランキングの影響で、知らず識らず勝ち組・負け組の悪しき価値観に毒されている、、。

思うに、街の価値は、便利さとか洗練度とかいっぱいお店があるとか勝った負けたとかじゃない。

住む人が自分の街が好きで、居心地が良いと感じることなんだ。

私は、急行が止まらないほんわか緩いこの街を愛している。

 

頑張れ、西武新宿線!

お洒落な池袋線なんかに負けるな〜! ....あれ?

 

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2018年

4月

30日

池袋駅で。

ほんの数年間だが、地下鉄有楽町線/氷川台駅の近くに住んだことがある。

JR線と有楽町線の乗り換えが池袋駅なので、買い物も西武・東武デパート、東急ハンズでしていた。

東口に西武、西口に東武ってのが面白かったし、東急ハンズはちょっと駅から歩くけれど、渋谷まで行かなくてすむので便利だった。

 


池袋駅は、新宿駅や渋谷駅みたいに大きくて、いろんな人がむちゃくちゃいっぱいいて、活気があるけどどこか妖しげな雰囲気が漂い、超能力者に言わせると「近寄ると危ない場所」であり、当時は若かった私(笑)にとって、少なからず警戒心を持たせる場所だった。

超能力者云々の話はまた別で書くとして、警戒心というのは、第六感・女の直感とでもいうのだろうか、油断していると何かトラブルに巻き込まれるかもしれない、それに備える危険アンテナが自動的に作動し始めるという感じだ。

 

深夜、山手線の車内には酔っ払った人たちがたくさんいる。

池袋駅のホームで、そういう人たちが電車から降りて喧嘩を始めるのを何回か見た。

最初に見た時は、一方的にボコボコに殴られている人を周りが助けようとした結果、どういう訳か大乱闘になっていた。

日頃のストレスが溜まっているのか、スーツを着た大人たちが殴り合いの喧嘩をする姿には鬼気迫るものがあった。

 

終電を逃すと、氷川台までタクシーで帰ることになる。

雨がしとしと降る肌寒い深夜、駅前のタクシー乗り場で並んでいたら、乗用車がスーッと私の前に止まった。

運転席の窓が開いて、人の良さそうなおじさんが親しげに、「どこまで行くの?寒いから乗りなさい。送ってあげるから。」と言う。

優しそうな笑顔が、今思い出してもぞっとする。

人を疑うことを知らない若い女性たちを騙そうとする悪人の顔だった。

うかうかと乗ってしまったらどうなっていたんだろう。

 

駅構内には、飲食店や雑貨屋さん、さまざまなお店がある。

歩いていたら、ある衣料品店の前に大きなキャリーバッグがぽんと置いてあった。バッグの中から荷物がはみ出ているので、それが商品でないのは一目瞭然だ。

でも、持ち主はそばにいないので、とりあえずそこに置いたのだろう。

これだけ人の往来が激しい場所にとりあえず置いたというのがそもそも謎で、私は他人事ながら心配になった。だって、誰でも持っていける状況だったから。

そして、こんな大胆なことをやってのける人ってどんな人だろうと興味がわいたので、その衣料品店に入ってみた( 暇過ぎ....だよねw )。

店内は思ったより広いスペースだったが、商品が効率よくたくさん置かれているので、お客さんたちは互いに気遣いしながらすれ違っていて、とても店頭におかれたキャリーバッグなど見ることはできない。

商品をプラプラ見ているうちに、そうだ、欲しいジーンズがあったんだと思い出して、すっかり買い物に夢中になってしまった、、。

お店から出た時に偶然、例のキャリーバッグを持って歩いて行く女性の後ろ姿を見た。若いごく普通の人だった。

私がお店に入って、20分後くらいだと思う。

日本がとてつもなく安全な国なのか、日本人が他人を無条件に信じる無垢の国民なのか。

私は、なんだかそら恐ろしい感じがした。

 

今でも時々思い出す、不思議な出来事がある。

 

有楽町線/池袋駅・地下のホーム。

周りにはほとんど人がいなくて、私は一人、何も考えずに電車を待っていた。

何も考えずというよりは、その当時、あまりに辛い日々が続いていてほとんど何も考えられない状態だった。

もう死んじゃいたいなぁ、、なんてふっと思った。それほど苦しくて心がぼろぼろだった。

その時、いきなり胸の下の方からどうっと何かが突き上げてきて、思わず顎を上げた。息もできないくらいの勢いでそれは胸の中、喉から頭へと突き抜けていった。

何秒間か、口をパクパクして上を向いたまま、身動き出来なかった。

体の奥から頭の先まで、何かに満たされていっぱいになったような感覚だった。

何が起きたのかまったく分からなかったし、あまりに突然だった。

敢えて言葉で表現するなら、それは”幸福感”ーそれまでに経験したことのない、自分で制御できないすごい力で湧き上がってきて勢い余ってあふれ出したような”幸福感”だった。

 

普通、幸福感というのはじわじわ感じるものだと思うのだが、あれはまさに幸福爆弾がスローモーションで炸裂したようだった。宝くじが数十億円当たったとかの次元じゃない、、。

人生最悪の苦境のさなかに、何故あんなことが起きたんだろうか?

 

池袋は、人の理性を狂わせ、摩訶不思議な超常現象が起こる街なのかもしれない。

土地が持つ力みたいなものがあるとするなら、まさにそんな神秘なエネルギーを持つ場所だ。

 


そういえば、江戸時代の怪談に『池袋の女』というのがある。

武家屋敷などで、池袋出身の女中を雇うといろいろな怪現象が起こる、という俗信だ。

江戸時代の文献に、いくつか怪異の実例が書かれているそうだ。

 

オカルト・ホラー好きの私にとって、池袋はちょっと怖い街、大げさに言うなら畏怖の念を抱かせる場所である。

 

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2018年

4月

12日

東京駅で。

あれは、私がまだシンセサイザーを弾いていた頃の出来事だ。

ツアーの仕事でどこか地方から東京へ帰って来て、東京駅の構内を足早に歩いていた。

大きな荷物を肩にかけているので、早く家に帰ってゆっくりしたかった。

 

前方に丸の内中央口が見えて、何やらものものしい雰囲気になっているのに気がついた。

警察官や警備員と思われる人たちがたくさんいて、入り口から通路の両側にロープを張って、何ごとだろうと集まってきた人々を整理している。

こういう光景はTVのワイドショーなんかで見ていたので、きっと大物タレントが来るのだ、と直感してワクワクした。

外国人アーティストだといいなぁ、これだけ警備がすごいのだから世界的スターだよなぁ、なんてミーハーな事を考えながら、人だかりの後ろで首を伸ばした。

たまたま私の隣には音楽関係らしいグループがいて、私と同じような事を考えていたに違いない。

当時としてはお約束の、長髪・革ジャン・鎖系でキメたロッカーたちだったが、おとなしく並んでスターが現れるのを待っていた。

 

しばらくすると、入り口付近一帯がざわざわして、人影がふたり見えた。

わ、誰だ?と思って目をこらすと、なんとそれは天皇皇后両陛下であった。

 

予想外のことに、私はびっくりした。本当に驚いた。

ゆっくり歩かれるお二人を目で追いながら、何故だかふっと涙がでた。本当にどうしてかわからないが、涙が自然とでた。

この時の気持ちはどう表現していいか分からない。

 

今となれば、「あなたは保守の人だから、天皇陛下が大好きなんでしょ。」と友人にからかわれるのだろうが、当時は保守でもなんでもなかった。

普通に南京事件を丸々信じていたし、全て日本が悪いという情報ばかりの中でずっと来て、この国も歴史も政治も、もうほとんどどうでもいいと思っていたのだ。

だから、天皇という存在について、考えたことも思いを巡らすことさえなかった。

 

あふれた涙に自分でもとまどっていると、隣にいたロッカーの青年が、「俺、感動した〜!」と興奮して嬉しげに仲間たちと話していた。

その言葉に、「そっかぁ、わたし、感動したんだ。」と納得したのを覚えている。

 

あの時、青年たちも私も、大物アーティストをきっと期待していたのだ。

そしてその期待は裏切られた。

がっかりして当然だった。

国を愛するなんてことをついぞ考えたことのない若者が、天皇皇后両陛下に接して、なぜあれほどに感動したのだろう。びっくりした、で終わらなかったんだろう。

 

今ふりかえってみると、これは日本人が持つ”集合的無意識”みたいなものじゃないかと思うのだ。

 

普段は表に出てこない。

そんな気持ちに気付きもしなければ、そもそもあるはずがないと思っている。

でも、いざ直面した瞬間に湧き上がってくる気持ち。

直面したことのない人は、まさかと一笑に付すのかもしれない。ばかばかしいと思うのかもしれない。

 

2000年以上続く皇室の存在について、特に戦後は否定する人たちも少なくない。

でも歴史上、ことに当たって日本人が団結する時には、常に天皇という拠り所があったという事は紛れもない事実で、これは権威的な強制でもなんでもなく、ただ民族の心の中心に天皇がいたからじゃないだろうか。

昭和史においては、教育に依るところも大きいのだろうが、、。

 

 


来年4月30日、天皇陛下が退位される。

生前退位というのは、大日本帝国憲法、現日本国憲法でも認められていないのだそうだ。

でも、80歳を過ぎてなお公務に忙しくされるお姿を見て、多くの国民はただ素直に、”どうかゆっくりお休み下さい”と思っていると思う。

歴史的な行事がどのように執り行われるのか、新年号は何になるのか。

 

国内・国外で問題山積、2020年にはオリンピックもあって、日本は今、本当に大変だ。

こんな時だからこそ、これから一年、日本と皇室について、日本人が持つ”集合的無意識”について考えてみるのもいいかなぁ、、なんて思っている。

 

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2018年

3月

31日

5年前のこと

2013年1月4日の朝。

新潟に帰省していて、そろそろ東京に戻る準備をしかけた私の目の前で、父がいきなりバタンと倒れた。脳梗塞だった。

それから1年半の間に、父が亡くなり、後を追うように母が亡くなった。

私は住まいを東京から新潟へ、そしてまた東京へと移した。

 

その頃の事は記憶が曖昧で、断片的な映像が脳裏に浮かんだり、誰かの言葉を思い出すくらいで、父と母以外のことはほぼ空白に近い。

まるで別次元の世界に行っていた感すらある。

 

平穏な気持ちで普通に生活する、それがどんなに幸せな事か、最近になってようやく実感するようになった。

元の自分に戻るまで、まる5年かかったという事だ。

 

このブログの為の材料というか備忘録みたいな感じで、その時々に気になった事や思った事などをPCにメモしているのだが、今朝、ブログを書こうとそれに目を通していて、ある文章を見つけた。

介護のために東京から新潟に引っ越した時の気持ちを書いたものだ。

 

『その時の私は、父や母の事が心配で泣きたくなるほどだったし、自分の音楽をどうやってやり続けていったらいいかも分からなかった。

経済的な事や介護の事、新潟でのこれからの生活が殆どイメージできないまま、やらなければならない事は山のようにあって、毎日クタクタになって寝るだけの日々の中で先のことは全く考えられなかった。

ただ強く思っていたのは、東京で音楽をやり続けたいという事だった。

私は、東京で育ててもらった。

仲間や先輩、お客さんや尊敬するミュージシャンたちから暖かい励ましやアドバイス、思わず歯を食いしばるほどの叱責や厳しく欠点を指摘する言葉をもらい、褒めてもらったり上手くいかなくて恥ずかしい思いをし、でも何とかもっとちゃんと弾きたいと思ってたくさん練習した。

そういう記憶は過去のものではなくて、』

 

メモはここで終わっているのだが、これを書いた時の事は覚えていない。

でも、読んでちょっと切なくなった。

東京を離れなければならない、音楽を続けられるんだろうか、大好きな父を失うかもしれない、母との生活・介護はどうなるんだろう、、。

心がピリピリして、一人でぐるぐる空回りしている姿が見えた。

 

5年経った今、こうしてまた東京にいる事がちょっと奇跡のように思える。

そして、5年という時間をかけてゆっくり心が回復したのだと感じる。

 

朝起きて、朝食の前に、父と母の位牌に手を合わせる。

ほとんどの人は信じないだろうが、父はだいたい毎朝、母は気が向いたら時々(笑)、私に声をかけてくれる。

悩んでいる時にはアドバイスをしてくれる。

 

今日一日、元気で”ピアノを弾く、世界で何が起きているかニュースを見る、国会で野党がやっていることに怒る、仕事先で会ういろんな人たちとお喋りする、商店街のお店のおじさんやおばさん・若者と天気について語る、時々映画を見て泣く(怖がる) 、時々友だちと飲みに行って騒ぐ、芥川龍之介を読む、曲を作る、ブログを書く、、”。

 


何もない日常が有難いんだなぁ....。

いろんなことに感謝したい気持ちになった。

 

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2018年

3月

23日

人生100年

最近、いろいろな所で「人生100年時代」という言葉を聞く。

 

ネットで調べてみたら、”英国ロンドンビジネススクール教授のリンダ•グラットン氏が長寿時代の生き方を説いた著書『LIFE SHIFT』で提言した言葉”と解説されていた。

氏によると、2107年には主な先進国では半数以上が100歳よりも長生きする。

必然的に、個々人が70歳を超えて働く事を想定しなければいけないらしい。

日本政府も「人生100年時代構想会議」を2017年9月に開催し、有識者議員としてグラットン氏を招いて意見を聞いたそうだ。

 

2107年までには随分と時間があるから、今からそんなに焦らなくても....と思うのだが、私の周りでは人生設計が狂ったと慌てる人たちもいる。


そういえば、毎朝見ているネットのニュース記事で、「あなたの老後は大丈夫ですか?」「老後に必要な貯蓄について」みたいな特集が、最近やたらと目につくなぁ、と思っていた。

なるほど、長く生きればお金がもっと必要になるのだ。

 

もし寿命が100歳まで伸びるとして、それは幸せなことなんだろうか?

良い機会だから考えてみた。

 

まず大前提は、お金に困らなくて健康であること。

これについては、人間、生きていれば何が起こるか分からない。どんなに考えて気をつけていても、ひどい災難に遭うかもしれない。

それを心配しても疲れるだけだから、まずは大前提がクリアされるとして、100歳の自分を想像してみた。( お金と健康は、若いうちから頑張るしかないのだ★)

 

楽器を演奏する仕事に携わる人は、殆んどの人が、死ぬまで演奏したい、誰かに聞いてもらいたいと思っているんじゃないだろうか。

それほど音楽は魅力的で、魔法のように人を虜にする。

年をとってもまだピアノが弾けるなら、きっとものすごく幸せだろうなぁ、と思う。

Jazzは楽譜がいらないから、視力が落ちても指さえ動けば大丈夫だし、片手だけだっていいのだ。

 

友だちとお喋りしたり、ご飯を食べたりするのも好きだ。

願わくば、大好きな友人たちも長生きしてほしい。

同じ世代の友だちというのは得難い宝物だ。

でももし、一人ぼっちになったら、、。

 

ん〜、この”一人ぼっち”という言葉。

普通ならそこに”寂しさ”を感じるのだろうが、私は一人っ子だったせいか一人でいる事が基本形で、たぶんあまり不幸と感じないと思う。

SNSのおかげで、望めば世界中の人とコミュニケーションできる時代だし、”寂しさ”の不安はほぼない。

それに、Jazzはコミュニケーションの音楽だから演奏を通じて仲間は増えているはずだ。

 

音楽と友人とインターネット、あと読む本があればかなり幸せに生きていける。

でももしかして、本を読むことが困難になるかもしれない。

そうなったら、Webで古今東西・名作の朗読コンテンツを探す。

その頃にはきっと、膨大な名作アーカイブができているに違いない。

 

でもまぁ、こう考えてみると今と殆ど変わらないか、、(笑)。

じゃあ、長生きをして素晴らしく良い事ってなんだろう?

 

これは、すぐに思いついた。

火星だ!

 

小さい頃、『火星のプリンセス』(エドガー・ライス・バローズ)と『火星年代記』(レイ・ブラッドベリ)を夢中になって読んだ。

火星には高度な文明をもつ火星人がいた、という設定は、まるでSF的な荒唐無稽なものではなく、科学の分野でも、古代火星文明の可能性は否定されていない。

 


最近のNASAの研究によると、40億年前の火星は豊富な水をたたえた美しい惑星で、20〜30億年前まで水が存在していた。

人類が生まれるずっと以前の火星に、豊かな自然環境と発達したインフラが存在した、と考えるのは、それほど馬鹿げた話でも全くのSFでもないのだ。

 

『火星年代記』では、地球から火星に移り住んだ家族が新しい”火星人”になる。

遠い未来、私たちが新しい”火星人"になる、そんな壮大な場面を想像してドキドキ興奮したのを覚えている。

 

2016年9月、イーロン・マスク氏(テスラ、スペースX CEO)は、メキシコで開催された国際宇宙会議で、『Making Humans a Multiplanetary Species(人類を多惑星種にする)』と題した講演を行った。

人類を火星に移住させ、さらに他の惑星も目指すと語る彼の計画はかなり具体的だ。

2060年代までに100万人を火星に移住させるという目標について、多くの宇宙開発専門家たちがその実現性を真剣に検討している。

世界の多くの組織が、火星に人類を送り込むことを目指して力を合わせているのだそうだ。

 

私たちが生きている間に、火星に多くの人が移住するかもしれない、コロニーが建設されるかもしれない。

そう考えたら、絶対に長生きしようと思った。100歳まで!

 

人類が”火星人”になる時代を体験するために、お金と健康、頑張るぞ〜と決意を新たにした。


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2018年

3月

02日

平昌オリンピック

平昌オリンピックが閉幕した。

 

うちは相変わらずテレビがないので、もっぱらインターネットで配信されるニュースを見るだけだったが、日本の若い選手たちの活躍には本当に感激した。

競技結果への不安や周りからのプレッシャーは、オリンピックともなればきっととんでもなく大きいはずだ。   

でもニュース映像で見る選手たちからは、自分を信じる強さと、すべての努力の先にある結果を楽しもうとする余裕さえ感じた。

 

以前、このブログで、将棋の藤井聡太六段のことを書いた。

年若い勝負師の心の強さについて、ちょうど彼のプロ入りと同時期に見た、アメリカの天才チェスプレイヤー、ジョッシュ・ウェイツキンの伝記的映画の感想を交ぜて書いてみた。

 

”才能がある者に周りの者たちは無責任に期待し、期待が裏切られた時には無慈悲に失望する。スポーツや芸術の世界でも、一流の人たちはみんなその恐ろしさと戦っているのだ。”

(2017.7.20『ボビー・フィッシャーを探して』)

 

自分に勝つということは、実際の相手に勝つことより、ある意味難しいことなんじゃないか、とその時思った。心が強くなければ、生き残れない世界なのだ。

 

今回のオリンピックで一つ、気が付いた事がある。

日本の選手たちを支える環境だ。

競技への重苦しい不安やプレッシャーを乗り越えられるだけの力強い応援とサポート、そして国民からの暖かい愛情。

この試合には絶対に勝たなくてはいけない!なんて怖い顔で言う人は、ほぼ皆無だった。

選手たちが自分の全力を出し切る事が重要なのであって、結果はどうあれ、それを見守って声援を送るのが私たち国民のできる事だ!そんなふうに、ほとんどの日本人は思っていたんじゃないだろうか。

 

ネットに書き込まれた他国の人たちのコメントやニュースなどを見ると、日本との違いにちょっと驚く。

日本人のスポーツ精神は成熟しているなぁ....と思う。

 

オリンピック・アスリート達の写真は、全てがとても美しい。

特に冬季は、背景が純白の雪と氷なので格別だ。

 

今回の写真の中で私が一番好きな写真は、スピードスケート女子団体追い抜きで、世界一の強豪オランダを破って日本女子が金メダルをとった時の授賞式だ。

両隣りの大きな外国人選手たちと比べて、日本の選手があまりに小さく可愛いらしくてびっくりした。

大人と子供と言っていい程の体格差、体力差がありながら、彼女たちは知恵と気力とチームワークで勝ったのだ!

 

マジで感動して涙が出た、、。

                              (産経ニュースより)

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2018年

2月

20日

受難は続く-完結編

新潟市にある我が実家の度重なる受難--ガス漏れ・ハクビシン・大雪。

 

ブログで詳しく書いたのだが、先日、FBの方にも「こんな大変な事があったよ〜!」と軽い気持ちでアップした。

すると、地方に実家を持つ友人たちから切実なコメントがたくさん届いた。

親元を離れて暮らす人は、地元の大雪や台風などの災害、いずれ無人になるかもしれない家の管理など、年を重ねるごとに心配が膨らむ。

私のFBを見て、人ごとじゃないなぁ....と書き込んでくれたのだ。

返信を書きながら、”こうした空き家問題は、既に社会現象かも”と思った。

 

さて、今月は、11日/建国記念の日に新潟のお寺で親戚の法事があって、前日のうちに新潟に帰ることにした。

新潟にいるなら一緒にライブやろうよ!と、東京で活躍するドラムの友人が、偶々その日は新潟にいるというので誘ってくれて、昼間は法事、夜はライブというスケジュールになった。

他の日もいろいろ予定を入れてあって、なかなか充実した一週間の休暇になるはずだった、、。

 

10日。午後には新潟に着いて、たいした苦労もなく玄関にたどり着いた。

先月に頑張って雪除けをしたおかげだね ^-^ 一ヶ月前の私ってば、えらい!

....しばし自画自賛....。

 

それでも、その後の寒波や降雪で、玄関付近は依然として雪だらけだ。

60〜70センチ以上雪が積もった前庭に、横手の台所裏・ガスの元栓へと続く細々とした小道があった。

先月の大奮闘を思い出して、じ〜んと胸が熱くなった(笑)。

 

感慨に浸りながら、玄関の鍵を開け引き戸を引いた。

カーテンを閉め切った薄暗い玄関ホール。上り口のふかふかマットとスリッパ。

ん〜?なんかいつもと違う、、。

目をこらすと、ふかふかマットがびしょびしょマットになっている。

さらに、ホール一面がなんと水浸しだ!水深2センチくらいだろうか。

 

左手奥の方から、ジャージャーと何か良からぬ音がしている。

長靴に履き替え、水をちゃぷちゃぷ踏み越えながら左手の洗面所に入って、驚いた。

シンク脇の湯沸かし器から出ている水道管が破裂して、勢い良く盛大に水が噴き出していた。ついでに、お風呂場の蛇口からも水がピューピュー噴き出ている。

水は洗面所から廊下へ、そしてホールへと滔々と流れ出ていた。

 

こういう場合、まず水を止めるんだな。

ぱくぱくしながら考えた。

絶望的な事に、私はうちの水道の元栓がどこにあるか知らない。

ひぇ〜、どうすりゃいいんだ〜?

 


とりあえず、水道修理屋さんのカードを探し出して電話をかけた。

繋がるのを待ちながら湯沸かし器周辺を見渡すと、それらしい蛇口を見つけて急いで閉めた。

湯沸かし器の水は止まった。でも、お風呂場の水は止まらない。

 

水道修理屋さんの電話の女性は、とにかくゆったりと話す人で、パニクっている相手を落ち着かせる目的があるのか、電車を追いかける自転車のようにこちらとは致命的な速度差があり、更に酷(むご)い事に「ただいま予約はいっぱいで、今からだと3日後になります。他の修理業者のご案内はこちらではいたしません。」と冷たくおっしゃるのだ。

 

どうしよう〜?

 

その時、ピンと思い出したのは、ハクビシンの時にお世話になった、シャーロック・ホームズみたいな近所の便利屋さんだ。

すがるような気持ちで電話した。

「今すぐには無理ですが、5時過ぎには行けます。」

天の助け!まじでそう思った。

 

便利屋さんが来るまでの間、水道の元栓を探そうとスコップであちこち雪を掘ってみたが、あまりに大変で諦めた。

替わりに、雑巾とバケツをもって家の中の水をせっせと退治しにかかったが、水の量もハンパない上に絨毯もたぷたぷ、しまってあったタオルも何もかもぐっしょりで、『このシリーズ*最大最悪の過酷な試練』となるのは間違いなかった。

 

5時。待ちわびた便利屋さんが来て、洗面所の破裂した水道管を修理してくれた。

でも、お風呂場の水はまだ元気よく噴き出している。

どうも蛇口の問題らしい。

すぐに便利屋さん事務所から2人、加勢に来てくれて、総勢3人で前庭から家の周り一帯の雪を掘り起こして水道の元栓を探した。

あたりは既に暗くなっていて、ライトで照らしながら寒波到来の寒い中を1時間以上、ようやく隣家境のブロック塀付近で見つかった。

( 寒い中を本当にありがとうございました!m(_ _)m )

元栓を閉めたので、お風呂場はなんとか静かになったが、とりあえずは水を使うたびに元栓の開閉をしなければならない。

 

後日、お風呂場の蛇口を交換に来てくれた便利屋さんは、他の危なっかしい箇所も発見してくれた。そこは次回まで様子見だ。

ホールの床の修繕も頼むことにした。

 

誠実で親切で着実に仕事をしてくれて、シャーロック・ホームズみたいに頼りになる便利屋さん。

まだ若いのに立派だなぁ、、。たぶん20代?

彼は沖縄出身なのだそうだ。

新潟県人が想定外と言うほどの今回の大雪と寒波。沖縄の人が初体験するには、『最大最悪の過酷な試練』だったに違いない。

そして、我が家がこんなにも立て続けに災難に見舞われたのも、私にとっては想定外の試練だった。

 

翌日、新潟市古町”JazzFLASH”でのライブの前に、マスターご夫妻とメンバーに一連の出来事を話した。

「もう、ほっんとうに大変だったぁ〜。」 

 

マスターは穏やかに微笑みながら、こう言ってくれた。

「そんなに大変だったんなら、これから良い事がたくさんありますよ。」

わ〜ん(泣)、マスター、ありがとうございます〜(涙)!

 

これからきっと起こるはずの良い事。まずは、早く春になって満開の桜を見る事かなぁ、、。

もう雪はよっぱらですて。(新潟弁で「もう雪はたくさんです。」)

 

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2018年

2月

06日

受難の年明け -Part2-

先月11〜12日に新潟市を襲った驚異的な大雪。

 

市郊外にある実家が心配で、東京でニュースを見ているのがどうにももどかしかった。

翌日午後、さっそく新潟駅に到着すると雪は既にやんでいた。

 

越後線(ローカル線)に乗ろうかちょっと迷ったが、バスで寺尾に向かうことにした。

全ての車はノロノロ運転で、一体いつ帰り着くのか分からなかったが、線路の途中で列車が止まるよりはずっとましだ。

路肩は除けられた雪がうず高く積まれて土手のようになっており、道路上も雪でザクザクしている。

乗客の乗り降りは、歩道からバス乗降口までひと山-除雪された雪の山-を越えなければならず、普段の倍くらい時間がかかった。

 

ようやく自宅近くのバス停で降りて、雪に足を取られそうになりながらよろよろ歩いて家に着いた。

家の前の道路は除雪車が通ったらしく、車一台は徐行できるくらいになっていた。近所の家々は雪かきを既に終えて、特に車庫の前の雪はきれいに除けられている。

新潟で車は文字通り”足”であるから、車が出せないとなると仕事まで休まなくてはならない人もいるそうだ。

 

私の家は、道路から5段くらい石段を登ってちょっとのところに玄関がある。

その石段前に、まるで”通行止め”と言うように雪の小山ができていた。

除雪車が退けた雪が私の肩のあたりまで積み上がっているのだ。

石段から玄関までは綺麗なスロープ状の雪原(笑)になっていて、美しかったがとても我が家とは思えなかった。

1メートルくらい積もったんだろうか。

 

さて、どうやって玄関にたどり着こうかと考えた。

両手に荷物。スコップ無し。我ながら甘かったなぁ、、ここまでとは想像していなかった。ご近所さんは留守みたいだし、、。

どう考えても、体当たりで進むしかないわけで、雪をかき分け足を踏ん張り体で道をつくるという過酷な雪中行軍になった。

 

ようやく玄関に着いた時には、息はハァハァ全身雪まみれで、普段こういう時にはどこか笑っちゃう自分がいるのだが、この時ばかりは悲壮感満載だ。

何故なら、これから更に過酷な作業が待ち受けている。

 

玄関に置いてあったスコップを持って、それから一時間半、一心不乱に雪かきをした。右手の親指の皮が、スコップのせいで擦り剥けたのにも気がつかなかった。

「もう、あとは明日!」と思って長靴を脱いだ瞬間、もの凄く大変な事を思い出した。

 

先月、帰省した時のガス漏れ-ハクビシン騒動。(1月11日記事)

あの時、作業してくれたガス会社の人が「ガスの元栓は、東京に帰られる時に閉めた方が良いですね。」と言ったので、今、家中のガスは出ない。そして、ガスの元栓は台所の裏、雪かきをした前庭からずっと離れた所にあるのだ、、。

 

もうね、、。身体は既に『今日の作業は終了!』モードになっているのに、否応なくまた現場に駆り立てられるという、、。

余計な事は考えず、ただもくもくと台所裏のガスの元栓を目指して雪を掘り進んだ。

 

結局まる3時間、気力・根性で頑張った....o_o

中庭のほうは、庭木が既に折れていてもう諦めるしかない、本当にこんな雪は生まれて初めてだと思った。

 

FBに今回の事を書いたら、ハクビシン騒動も知っている友人が、”天は田崎さんを見放してしまわれたのか、、”とコメントを書いてくれて思わず笑ってしまった。

ほんと”なんでだよ〜”と、思った。

 

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2018年

1月

22日

受難の年明け -Part1-

昨年12月の我が家の災難については前の記事に書いたのだが、今年1月、それを上回る大危機が築40数年の我が古家を襲った。

 

以下、順を追って詳しく書くと、、う〜、もしかしてまた長文になってしまう予感が、、(笑) 。

 

1月11日夜から12日未明にかけて15時間もの間、大雪で立ち往生した列車内に乗客が閉じ込められた件。

菅官房長官が記者会見で言及するほどに全国的に有名になったが、その列車は、新潟駅でたびたび見慣れた新潟発/長岡行き-信越線のあの普通電車。
東京の自宅で、のんびりコーヒーを飲みながらネットニュースをチェックしていたら、かなり大きく報じられていた。
「ありゃ〜。」と思って記事を読んでみると、JRの対策にいろいろ疑問がわいてきた。
と同時に、数年前に経験した新潟駅行きローカル線-越後線での出来事が記憶に蘇った。

冬の寒いある日、新潟駅から新幹線に乗ろうと思って、大きな荷物を持ち、家から8分ほどせっせと歩いて越後線/寺尾駅に着いた。

荷物が重かったのと相当着ぶくれていたのとで、ちょっと息が荒くなりながら、でも余裕で間に合ったな、と安心してちらっと駅の電光掲示板を見てびっくりした。


「強風のため運休」とかなんとか書いてある。このくらいの風で運行停止って、、。

今はもう、”すぐ停まる越後線”という新潟の一般常識は学んだから、駅に行く前にネットで情報確認は欠かさないが、その時は初めてだったのでかなりパニクった。

「えぇ〜?!マジ? そんなぁ、、。 」

 

気を取り直して、小さな待合室にいた駅員さんに「強風で運休って、結構あるんですか?」と聞いたら、彼は何故か笑いながら言ったのだ。

「新潟じゃしょっちゅうらね〜。」

 

やりとりはこれで終了。

詳しい情報を教えてくれるでもなく、ご迷惑をお掛けしますでもない。知らない貴方が残念でした、という態度に呆気にとられた。

ショックを受けて怒りもわかず、そうだ、知らない私が悪いのだと反省しながら、また数分せっせと歩いて新潟駅行きのバスに乗った。

 

そして今回の信越線。

15時間も閉じ込められた乗客の人たちや孤軍奮闘した車掌さん。本当に大変なことだった。

15時間って半端じゃない。

我慢強さは、新潟県人の美徳でもある。

菅官房長官は、「多くの乗客を輸送する鉄道事業者にとって、利用者保護の視点は極めて重要だ。、、乗客にとって最善の対応だったのか。」と疑問を呈し、対応を問題視したそうだ。

 

私は越後線でのことを思い出しながら、どこか似ているなぁ、と思った。企業の精神というかなんというか、、。

そう思ったら矢も盾もたまらず、新潟の友人にメールした。

「これってどうなの?」

まぁ、友人に文句を言ってもしょうがないのだが、彼女からはいたって冷静な返事が来た。

 

”それだけ、今回の雪は想定外だったのでしょう。”

 

11日から降り出した雪は、24時間で80㎝という記録的なスピード降雪になった。

雪に慣れた新潟人をして『想定外』と言わせる程のものだったのだ。

 

彼女の、”お家、埋まってるかも....”という言葉で、にわかに新潟の古家のことが心配になってきた。

”埋まってる”ならまだしも、つぶれてるかも!と思ったら、夜も眠れなくなりそうだった。

 

***Part2に続く***

 

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2018年

1月

11日

天井裏に何かが!

昨年の話になりますが。

 

冬の寒さが本格的になってきた12月始めのある日、私はマフラーをぐるぐるに巻きぷくぷく着ぶくれて、雪降る新潟に帰省した。

夕方には実家に着いて、雪が薄く積もった5段ほどの石段を上って寒さに震えながら玄関の鍵を開けた。

 

家の中はひっそり静かで、まる一ヶ月間、締め切ったままで溜まった空気の匂いがする。

「ただいまぁ。」と小さな声で言いながら、急いで部屋に入ってガスファンヒーターを付けた。

 


「あれ?付かない、、。故障かなぁ?」

「ま、お茶でも飲んで、、。」と思ったら、台所のコンロも付かない。

 

外に出てガスの元栓を確認したら、案の定ピッピッと点滅していたので、手順通り復旧しようとしたが何回やっても正常モードにならない。

仕方がないので、ガス会社に電話した。

 

夜6時を過ぎていたと思うが、北陸ガスの職員の方が2人--主任さんらしい人と部下の20代くらいの人--が駆け付けて来て、それから2時間かけて家中のガス器具を点検し、危険な箇所を修理してくれた。

微量だが、古い器具からガス漏れしていたようだ。

( 寒い中、本当にありがとうございましたm(_ _)m )

 

和室で作業をする間、そばで所在なく見ていたら、何やら天井裏でパタパタ走る音がする。

「わ、ネズミ?!」

驚いて天井を見上げながら、参ったなぁ....と思った。ガスの次はネズミ....。

2人の職員の方たちも「お、なんかいますね。」と顔を上げた。

天井のそれは、元気にあちこち走りまわっている。

「ネズミにしてはけっこう重量感ありますねぇ、、?」

若い方の人がぽつんと言った言葉がどっと不安を煽った。

 

得体の知れない何かが天井裏にいる!わ〜っ‼︎

 

翌日には天井の足音はまったく止んでいたから、夜のうちに外に出てしまったようだ。

家の外を見て回ったら、一箇所、屋根の下/庇の上の板がめくれている所があった。ここから出入りしてたんだな。

 

早速、近所の便利屋さんに電話して来てもらった。

事情を話したら付近を調べてくれて、雪の上に残る小さな足跡を見つけた。

彼は、シャーロック・ホームズみたいにその足跡をじっくり調べたあと、真面目な顔つきでこう言った。

「これは猫じゃないですねぇ。ハクビシンです。」

まったく予想外の生き物の名前で、びっくりというよりぼっとした。

「ハ、ハクビシンって、日本に、じゃなくて新潟にいるんですか?」

「そうですね。他でも聞きます。」

 

便利屋さんが、めくれた箇所を綺麗にふさいでくれてひと安心した。

古い家だからこの先また何が起こるか分からない。普段、住んでいないのだから尚更だ。

でも、シャーロック・ホームズみたいな便利屋さんがすぐ近所にいてくれるのがわかって、めっちゃ心強い気持ちになった。

 

しかし、ハクビシン、、。

インターネットで調べてみた。

 

”食肉目ジャコウネコ科ハクビシン(白鼻芯)属に分類される食肉類。

その名の通り、額から鼻にかけて白い線があることが特徴である。

日本に生息する唯一のジャコウネコ科の哺乳類で、外来種と考えられている。”(wikipediaより)

 


ふ〜む。外来種ということは、もともと日本にいなかったのに誰かが持ち込んだってことだよね。

分布図を見たら、中国大陸南部、マレージアやインドネシアなどの東南アジア、インド、ネパールなどの南アジア、台湾といった、比較的暖かい地域に生息する動物みたいだから、こんな寒い新潟で生きていくのはさぞ辛かろう、、。

 

今、日本全国でいろいろ問題になっている”外来種”。

在来種に危害を与えたり生態系を壊す可能性があって、危険な存在と見られている。

でも、駆除される方からしたら理不尽すぎて「え〜、なんで〜?」って思うだろうなぁ。好きでここにいるんじゃないよって、、。

日本に連れてこられるまでに、いったいどんな災難が彼らに降りかかったのか?

 

写真を眺めながら、ハクビシンたちの過酷な運命をあれこれと想像してしまった。

 

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2018年

1月

01日

日本の未来

新年あけましておめでとうございます。

2018年も良い年でありますように 🎌 と元旦の朝、亡父と母の位牌に手を合わせてお願いした。

 

父も母も、きっと日本の未来に何かできるような事は無いんだろうが、「そこをどうか一つよろしく。」と言いたくなるくらいに、日本の未来が大変な事になるような気がした。

 


心配し過ぎかなぁ、、?

年末/お正月、テレビで大型時代劇とか東西寄席を見ないで、インターネットの国際情勢-解説番組を見ちゃうせいかなぁ。

 

まぁ、北朝鮮も中国も韓国もアメリカもロシアも、私なぞが心配しても何一つ変わらない。

でも、「ふ〜ん、そうなんだぁ。」じゃなくて、今、何が起きているのかを知る、どれが事実なのか知ろうとするって、最低限、私にも出来ることで必要な事なんじゃないだろうか。

 

日本が良い方向に向かいますように。

ついでに私にも、パァ〜っと幸運が降ってきますように(笑)。

 

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2017年

12月

30日

今年は頑張った!

2016年12月31日--ちょうど1年前のブログに、「ずっと手探りでやってきた自分のJazzに、ようやくはっきりと目標が見えてきた。」と書いた。

 

そして、2017年12月31日。

1年間、自分なりにその目標に向かってちゃんと頑張ったと思う。

 

他人から見たら、きっとたいした事じゃない。

華々しく活躍するでもなく、みんなが驚くような事ができるようになった訳でもない。

でも、1年前にこう弾けるようになりたい!と願ったピアノ、ささやかでもはっきりと、今までとは違うこんなピアノが弾きたい、と決めた目標に、あともう少しかな....という所まで来た。

まるで童話の挿絵のように、自分が1年間、てくてく歩いてきた道が見えたような気がした。

みなさま、良いお年をお迎えください!

 

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2017年

12月

24日

綺麗なお姉さんは、、。

クリスマスに沸き立つ都内のショッピングモール。

ライブの入り時間までにちょっと時間があったので、華やかに飾られたお店をぷらぷら眺めていた。

 

あるお店の店頭にあった、ちょっとクラシックなデザインのブラウスに目が止まった。

「これ、おいくらですか?」

と声を掛けたら、奥から若い女性が笑顔で来てくれた。

その彼女がまぁ、人形のように可愛らしいのだ!

ちょうどあの「お・も・て・な・し💕」の滝川クリステルさんのような感じ。

 

ブラウスのお値段は思っていたよりかなり高かったのだが、彼女に最上級の笑顔で、

「本当にお似合いですよ^ ^ 」

と言われたら、”本当に似合っている”ような気持ちになって思わず、

「これ、いただきます^ ^」とスラスラなってしまった(笑)。

まぁ、ブラウスは本当に欲しいと思ったので後悔は全くないのだが、若い綺麗な女性が持つ圧倒的なパワーをひしひしと実感した訳で、、。

私のようなオバさんでもそうなのだから、若い男性にとってはどれだけのパワーを持つんだろうか?

恐るべし、綺麗なお姉さん。

 


でも、ふっと昔見た『テス』という映画を思い出した。

ロマン・ポランスキー監督、1979年公開のフランス・イギリス映画で、原作はトーマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』。

主演のナスターシャ・キンスキーの美しさが超絶で印象的だった。

テス(ナスターシャ・キンスキー)は、その美しさのせいで悲惨な運命を辿る事になるのだが、その時思ったのは「美し過ぎると碌な事にならないんだなぁ....。」

あまりに単純率直な感想なのだが、そう思ってしまうほどにテスは美しく、めちゃくちゃ悲しかった。

 

女性にとって、美しいという事は諸刃の剣だ。

良い事もあるだろうけれど、とてつもなく悪い事が起こる可能性もある。

適当なところが一番幸せ!と、買って来たブラウスをベッドの上に広げながら、ふんふん思った。

 

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2017年

12月

17日

シャーロック・ホームズ -Part5-

『心霊現象研究協会(SPR)』は、1882年、英ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ内に設立された。

心霊現象や超常現象の真相を科学的に究明するのが目的で、ルイス・キャロルやコナン・ドイル、キュリー夫人やカール・ユングなど、著名な支持者たちが謎の解明に期待した。

歴代会長には、哲学者、心理学者、物理学者などそうそうたる知識人たちが名を連ね、現在も存続中である(!)。

特に霊魂や降霊術に関する研究では、厳格な調査で画期的な成果を残した。 

  心霊現象研究協会      (SPR)のロゴ         


因みに、コナン・ドイルは晩年、心霊主義に傾倒し『霧の国』という心霊現象を題材にした小説を出版している。

 

"イギリスでは、今日でも幽霊が現れる建物が多数存在しており、歴史的に由緒がある建物などでは、歴史上の人物が幽霊として現れることがある。イギリス人たちは、無類の幽霊好きで、自分の家に幽霊が出ることを自慢しあう。"

( wikipedia『幽霊屋敷』) 

 

ロンドンは、今も世界有数の心霊スポットで、イギリス観光のゴースト・ツアーはなかなか見どころ満載で人気があるそうだ。 

ロンドン塔や呪われた幽霊屋敷、幽霊の出るホテルやお城など、ちょっと調べただけでも怖い話がぞろぞろ出てくる。

 

日本も、肝試しや百物語の風習が古くからあるし、妖怪も全国にいっぱいいる。

^ ^v

 

百物語の歴史は中世に始まり、江戸時代にはブームになったそうで、森鴎外も『百物語』という短編を書いている。

新月の夜に数人のグループで集まり、怪談を一話語るごとに行灯あるいは蝋燭の灯りを消していき、 百話終えて真の闇が訪れた時に本物の怪が現れるという怪談会のスタイルは、ホラーファンの私からみてもかなり恐怖度が高い。

日本人の怖いもの好きは、イギリス人に負けてないと思う。

 

ホラー映画の分野では、日本はもしかしたら世界最恐かもしれない。

『エクソシスト』(1973年•米)や『悪魔の棲む家』(1979年•米)を、ワクワクしながら見るオタクな私でも、『リング』(1998年•日)と『呪怨』(2003年•日)は怖すぎて、思わず絶叫した。

西洋の悪霊•悪魔より、日本のホラーはなんだか得体の知れないザワザワ感に背筋が凍るのだ。

 

日本人もイギリス人も、不思議なものや怖いものに興味津々で、その熱心度が他国の追随を許さないレベルで群を抜いている(笑)。


ただ「そういうもんはそっとしておけ。」の日本人に対し「科学的に解明してやる!」の英国人の気質の違いはあるようだ。

 

最後に。

よく行く三鷹のライブハウスのママさんが、去年イギリスに旅行したのだが、食べ物の不味さは想像以上だったと言っていた。

和食がユネスコ無形文化遺産に登録された事を考えれば、食べる事に対する情熱は日本の圧勝みたいだ ^ ^ ;

 

8月のメイ首相来日をきっかけに、イギリスについてちょっと考えてみようってことでシャーロック・ホームズから始めてみた。

現在のイギリスは、既に私が思い描く紳士の国ではないんだろうし、それを言うなら日本もサムライの国じゃない。

でも、何故かイギリスは心惹かれる国だ。

それはきっと、シャーロック・ホームズとエルキュール・ポワロのせいだけじゃない。

複雑な歴史や今も王室があること、シャイなくせに皮肉屋だったりするところ、島国気質というか何となく日本人と似ている感じがすること、、たぶん親しみに近い気持ちなんだろうと思う。

 

一つ羨ましいと思うところ。

街角のパブでビールを飲みながら、知らない人も友人も関係なくみんなで政治談義に盛り上がるって、ほんと憧れるなぁ、、。

 

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2017年

12月

02日

シャーロック・ホームズ -Part4-

シャーロック・ホームズとワトソン博士、エルキュール・ポワロとヘイスティングス大尉。

二人の名探偵とその相棒たちは、今も世界中の推理小説ファンに愛されている。

 

ホームズやポワロは相当な変人だが、その周りの登場人物--ワトソン博士・ヘイスティングス大尉を含め、一般の英国人はいたって普通の人たちだ。もちろん犯人以外は、、。

そういう人たちの言動を見ていると、日本人と英国人は、気質というか佇まいというか、どこか似ている気がする。( 現代のイギリスはちょっと違うかも? )

 

先日、ある本で読んだのだが。

太平洋戦争が終わった後、30年間もそのままフィリピンに潜伏していた元陸軍情報将校・小野田少尉。

彼がルバング島から日本に戻った時、羽田空港では大勢の報道陣が待ち構えていた。

年老いた父親と対面した彼は「ただいま帰ってきました」と言い、迎えた父親も丁寧に「ご苦労だった」と言った。お互いに抱き合うわけでもない。

その光景を見ていたイギリス人の記者が「イギリス人と同じだ。ヨーロッパ大陸の人間なら抱いて号泣するだろう」と言ったのだそうだ。

 

なるほどなぁ、、。

そう言えば、ワトソン博士もヘイスティングス大尉も、感情あらわに我を忘れて抱きついたり号泣したりという事はほぼ無い。

 

*英グラナダTV制作『シャーロック・ホームズの冒険』(1984〜1994年)

*英ロンドン・ウィークエンド・テレビ制作『名探偵ポワロ』(1989〜2013年)に拠る。

 

ホームズやポワロが、相手の気持ちなぞお構いなしに酷いことを言ったり無礼なことをやった時、( 名探偵たちは天才だからとっても我儘だ!)、ぐっと言葉を飲み込んで無視を決め込む時の相棒たちの顔つきは、私の父や周りの男性たちに見慣れたものだ。( 母も私も、我儘さだけは名探偵に負けていない・笑 )

 

英国紳士のダンディズムは、日本男児の武士道由来的な道徳とどこか通じるものがあるんだろうか。

 

ポワロはベルギー人で、時折、彼には奇異に見えるイギリス人の性格を茶化したり文句を言ったりする。

まぁ、ヘイスティングス大尉もフランス人やベルギー人に対しては辛辣だが、紳士だからめったに口に出して言わない。

面白かったのは、ある事件の聞き込みで、フランス人の老人( たぶん70歳代 )が愛人をもっていると聞いた時だ。

ヘイスティングス大尉が呆れてびっくり仰天するのだが、ポワロは平然と、そういう事に驚くのはヨーロッパであなた方イギリス人くらいなもんです、と言う。

 

これはたぶん、日本人も驚き呆れる事案だ。

 

『アクロイド殺人事件』の冒頭、ポワロがロンドンから郊外の田舎へ引っ越してすぐ、ご近所さんたちと挨拶するたびに「庭をお持ちでお幸せね。」と言われて辟易する、という場面がある。

『あなたの庭はどんな庭?(How Does Your Garden Grow?)』では、庭の所有権もからんで殺人まで起きる。

丹精込めて手入れをした庭を他人に奪われるのは、犯人にとって我慢ならない事だったようだ。

一般庶民の庭好きは、日本人もイギリス人に勝るとも劣らない。

私の周りには、庭石や灯籠、池や苔....そういうものに大金を投じる人たちが少なからずいる。

 

日本人とイギリス人の似ているところ--探せば他にも色々あるのだろうが、コナン・ドイルも会員だった『心霊現象研究協会(SPR)』は、ホラー・ファンな私としては、もっとも注目するところである(笑)。

 

次回は、心霊に関する日英の共通点について考えてみます。

 

***Part5に続く***

 

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2017年

11月

20日

シャーロック・ホームズ -Part3-

8月にメイ英首相が初来日した。

これから日本は、イギリスともっと仲良くしましょう〜日英同盟(?)・祝復活〜ということで、その日以降、個人的に大いに盛り上がっていた。

何故なら、イギリスはコナン・ドイルとアガサ・クリスティーを生んだ偉大な国である!ミステリーファンにとっては、もうひれ伏さんばかりに崇める国なのだ。

Jazzをやっているならニューヨークに行け、とよく言われるが、いやいや、ロンドン・ベイカー街221B( ホームズの住まい )が先だ、と秘かに心に決めている(笑)。

 

まずは私の永遠のアイドル、エルキュール・ポワロ( 原作アガサ・クリスティー )について書きたいところだったが、彼はベルギー人である。

英国に敬意を表す、ということで、英国人探偵シャーロック・ホームズについてPart1〜2と書いたのだが、Part3は、ノーベル賞やら国難突破選挙やらいろいろあってしばらくお預けになっていた。

 

そんな矢先、吉祥寺の某ライブハウスで演奏をしていたら、30代くらいの外国人の男性が一人ふらっとお店に入ってきた。

メンバーのベーシストとドラマーが話しかけたら、なんと日本語ぺらぺらなので、みんな一緒に写真を撮ったりわいわい楽しくやりだした。

あんまり日本語が流暢なので、ずっと日本に住んでいるのかと思ったら、ロンドン(wow ! )から観光に来て自転車で日本を巡っているらしい。

よっぽど日本が好きなんだなぁ...。

 

私「そういえば、メイ首相がこの前、日本に来てましたね。」

彼「メイ?誰、それ?」

私「…。」

私「シャーロック・ホームズの大ファンです❤️」

彼「ふ〜ん、、。わたし、ジブリ大好き❤️」

私「…。」

私「あ、このスマホケース、エヴァンゲリオンですかぁ?」

彼「違います💢ジブリです❗️」

私「、、すんません....。」

 

私だけ、ことごとく仲良くできなくて凹んだ。

ほんとにイギリスが好きなんだけどなぁ....。

なんだか、長年、想いを寄せていた人に肘鉄を食らったようで、微妙にがっかりした。

 

ロンドンからはるばる来た彼は、きっと三鷹の森ジブリ美術館を訪れることを、ずっと夢見ていたのだろう。

その気持ちだけは、”ベイカー街221B”に憧れる私としてはとってもよく分かる気がした。

 

オタク同士、方向性がちょっと違っただけだよね!

 

***Part4に続く***

 

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2017年

11月

11日

土瓶蒸し

恥ずかしながら....。この年になって生まれて初めて、土瓶蒸しというものを食べた。

(土瓶蒸し:蒸し物料理の一つ。松茸、白身の魚などを土瓶に入れて蒸し煮にしたもの。by三省堂大辞林)

 

帰省した新潟で、某料亭の懐石コースで対面したのだが、”松茸を使った料理”くらいしか知らなかったから、期待は格別なかった。

運ばれてきた土瓶を前にどうやって食べるのか分からないでいたら、給仕の方が教えてくれた。

「こちらのお猪口にすだちをちょっと絞って、出汁を注いで召し上がってください。」

 

小さなお猪口から、馥郁たる秋の松茸が香る。

一口、味わった瞬間、なんとも言えない複雑な味わいにくらっとした。

初めての味わい、、。

人間、あんまり驚くと言葉が出てこないものだ。

「う〜。。」と唸ったきり、黙々と味覚と嗅覚に集中した。


後日、数年来の友人に会った時に、その感動をなんとか伝えようと思った。

土瓶蒸しという料理が、どれほど凄いものなのか(笑)!

 

「もうね、ほんとにねぇ、こう、ぱぁ〜っと口の中に出汁と松茸とお魚のねぇ、、。」

ボキャブラリーの絶望的な貧しさに我ながら焦りつつ、それでもあの信じられない興奮を少しでも分かってもらおうと、必死にあ〜だこ〜だと頑張る。

 

因みに、彼女は土瓶蒸しを食べた事がない。

そして、土瓶蒸しの外見は明らかにぱっとしない。地味である。

視覚的に訴える要素がほとんど無いのだ。

 

相手は、私の大変な熱意だけを理解する。

にっこり笑いながら、

「ふ〜ん、そう、、。そりゃ良かったね。」

「…。」

ふっと我にかえって、何やってんだ、私。これじゃあ相手を羨ましがらせているだけじゃないか、、。がっくりしながら思った。

 

最近、インターネットで良く見る保守の論客・有本香さんと石平さん。

有本さんは、小池都政やロヒンギャ問題、国際政治にとても詳しい。

石平さんは中国生まれの中国人だが、1989年の天安門事件で中国の政治体制に絶望し、2007年、帰化して日本国籍になった。

 

二人はいつも、舌鋒鋭く日本や世界の情勢を語るのだが、ある日の楽屋での雑談が面白かった。

 

「有本さん、旅先で食べた美味しい食事の写真、なんでわざわざメールで私に送ってくるか? 私、食べられないのに、頭くるよ。」

「え〜、だって、あれ、ほんとに美味しかったんですよ。」

 

石平さん、まさに正論です。

美味しいものは、視覚や聴覚では少しも共有できない。

どんなに説明されても目の前に何枚写真を並べられても、同じものを食べてみない限り、「だから何?!」なのだ。

石平さんは、みんなが感じてもなかなか口に出さない本音を正直に言って、本気で怒っていた(笑)。

 

「あの店の土瓶蒸し、食べた?」

「うん。あれは絶品。」

「そうそう、あの出汁の塩加減がね、、。」

 

料理については、こういうのが正しい。

相手に、「ふ〜ん、そう、、。そりゃ良かったね。」と言わせたなら、こちらは「今度、ご馳走しますよ。」とまで言う覚悟を決めないといけない。

 

土瓶蒸しは、そんな人生の教訓(笑)を考えさせる本当に凄い料理なのだった。

 

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2017年

10月

21日

青空!

毎日、どんよりした天気が続いている。

せっかく秋なのになぁ、、。

 

気分もどよ〜んとしつつ、スマホにたまった写真をつらつら整理していた。

すると....。

先月、新潟に高速バスで帰った時に、越後川口SAで撮った一枚が目に止まった。

 

すっかり忘れていたのだが、この時たしか、まさに秋!空気が爽やかで心地よく、ただそれだけで小躍りするほど嬉しかったのだ。

青い空がほんとに大きくて、白い雲が手でつかめそうなくらい近かった。

 

PCでフルスクリーンにしたら、あの時の幸せな気持ちがしばし蘇ってきた。

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2017年

10月

19日

選挙-不在者投票

10/22に行われる「国難突破解散」による衆議院議員総選挙。

 

2013〜2014年、家族の介護で新潟に一時帰っていたのだが、その時に住民票を移して、以来そのままになっている。

今年夏の東京都知事選挙では、東京に住んでいて周りが大変な盛り上がりだったし、自民党東京都連と小池百合子候補については、選挙権もないのに無駄にいろいろ考えていたから(笑)、もうそろそろ住民票を東京に戻そうかとも思った。

 

でも、自分の中でなかなか踏ん切りがつかない。

新潟市郊外、小さなピノキオ公園すぐ隣り、あの古びた家の住民であることを無い事にしたくなかった。父も母もいないけれど、帰ればきっと、我が家に帰ったと気持ちが落ち着くのだ。

手続きの煩雑さより、たぶん、ほんの小さな感傷なのだと思う。

 

不在者投票請求書を新潟市選挙管理委員会に郵送したら、今朝、オレンジ色の簡易書留で、候補者名簿その他の書類と一緒に届いた。

投票用紙の封筒には『開封厳禁』とシールが貼ってある。

これを持って、近くの地域区民センターに行けば、東京にいながら新潟市の選挙に投票できるのだ。

「あなたの一票は大事な一票です!」と言われたような気がして、ちょっと感動してしまった(笑)。

 

今回の選挙は、「国難突破」の為の大事な選挙だから、日本国民として投票するのだ。


今までのやり方ではきっと突破できないような重大な事態が、近いうちに日本に起こる、その為の国の備えを一体どうするのか。リーダーを誰にするのか。

 

各政党の党首の言葉を、ネットでちゃんと聞いてしっかり考えようと思った。

 

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2017年

10月

06日

ノーベル文学賞

8月30日、英国のメイ首相が日本を初来日したのを機に、しばしイギリスについて考えてみようってことで、シャーロック・ホームズについての記事をPart1、2と書いてきた。

Part3をアップしようかなと思っていた矢先、嬉しいニュースが飛び込んできた。

 

『ノーベル文学賞、日系英国人作家カズオ・イシグロ氏が受賞』

イシグロ氏は、長崎市で生まれ、5歳で英国に移住。1982年に英国に帰化したのだそうだ。

 

ずっと以前に、アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソン主演の『日の名残り』(1993年・米)という映画を見た。

1930年代、英国名門家の執事と女中頭の淡い恋が、戦前のナチス・ドイツとイギリスの外交を背景に描かれる。

 

主人公である侯爵家の執事がとても英国的であるのに( バトラーという英国独特の職業と、彼が持つ階級意識のせいか....)、彼の心の動きがあまりに日本人的なことにちょっとショックを受けた。

エンドロールで原作者の名前を注意して見たら”カズオ・イシグロ”とあって、ひどく納得したのを覚えている。

ああ、やっぱり日本人だ、、。

その時初めて、イシグロ氏を知ったのだが、凄い作家だなぁと思った。

原作を読んでみようと、図書館まで行ったところまでは覚えているのだが、きっと何かつまらない理由でそのままになってしまった。

 


改めて、ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロ氏の作品をしっかり読んでみようと思う。

氏の直近の作品『忘れられた巨人』も、興味深いテーマだ。

 

「社会や国家はどんなことを忘れ、どんなことは覚えているのか」

 

今の日本--歴史問題に否応なしに直面している日本にとって、一度しっかり考えておくべき問題じゃないだろうか。

 

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2017年

9月

29日

シャーロック・ホームズ -Part2-

私のミステリー入門は、アルセーヌ・ルパンというフランス人怪盗だった。

( 因みに、アニメの『ルパン三世』は、アルセーヌ・ルパンの孫である。....というか、そういう設定である。)

*アルセーヌ・ルパン

『フランスの小説家モーリス・ルブランが、1905年〜1939年に執筆した推理・冒険小説の主人公。、、

紳士にして、冒険家。変装の名人でいくつもの変名を持つ。貴族の城館や資本家の邸宅などを襲い宝石や美術品、貴重な家具などを盗んでいく大胆不敵な大泥棒。また、脱獄の名人でもある。

一方、善良な者を助ける義賊の性格もあわせ持っており、虐げられた婦人や子供にとっては頼もしい保護者となる。

多くの女性に惚れ、また彼も多くの女性を虜にしているが、作中に描写される限りでは浮気はしていない。しかし、彼と深い仲となった女性の多くは様々な事情で短命であったため、結果的に多くの女性と恋愛をしている。、、』(wikipediaより)

 


小学3年生の子供のくせにルパンに恋していた私は、彼の愛する妻、レイモンドが計らずも敵の銃弾に倒れ、夫の腕の中で息をひきとる場面に号泣する(『奇巌城』)。

この銃を撃った憎き敵こそがシャーロック・ホームズで、この時から彼は完全に悪役認定されてしまった。

もっとも、コナン・ドイルはモーリス・ルブランに、勝手にシャーロック・ホームズの名前を小説で使うな、と厳重抗議したらしい。( いくら人気のキャラクターでも、外国で無断借用しちゃダメでしょ....。あれ?そうすると『ルパン三世』はどうなるんだ?)

結局、モーリス・ルブランの原作では、”シャーロック・ホームズ”じゃなくて”エルロック・ショルメ”に改名されたらしい。( 日本語訳では、ほとんど”シャーロック・ホームズ”のままである。)

 

”正しいミステリーファン”(笑)であるならば、シャーロック・ホームズは絶対に外せない存在だ。

まずホームズあってのエルキュール・ポワロ、エラリー・クイン、ブラウン神父なのだ。まぁ元祖というか別格というか、、。

そのミステリー界の常識に反する変な思い込み--ホームズは悪いやつ--のせいで、長年、矛盾と内的葛藤(笑)にモヤモヤしていたある日、『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』(1985年・米 )という映画を見た。

 

当時、アメリカの映画界で流行り出したCG映像満載のスピルバーグ映画で、コナン・ドイルの原作とは関係ないインディ・ジョーンズみたいな冒険ストーリーもウケて、かなり話題になった。

「寄宿学校の同級生で15〜6歳の少年」という設定のワトソンとホームズの相棒関係もめっちゃ微笑ましい。

長身・美少年の天才ホームズと、おっとり丸顔・食いしん坊のワトソン、そして若きシャーロックの可憐な恋人エリザベス。

 

そのエリザベスが、宿敵モリアーティ教授の凶弾に倒れ、亡くなってしまう。

なんと、ホームズも、愛する恋人を敵に殺されてしまうのだ!

 

 


愛する人を失うというシチュエーションは、たとえ空想の世界であっても、若い女性にとってなかなかのインパクトである。

あげく、コナン・ドイル原作のシャーロック・ホームズが生涯独身だったのは、このエリザベスを愛し続けたからだった....、という胸キュンなラストのおかげで、長年のシャーロック・ホームズ=悪役認定はガラガラと崩れ落ちた。

 

幼い日のルパンの呪縛からめでたく解放され、またこの頃に、名優ジェレミー・ブレッドの素晴らしいホームズと出会って、めでたく”正しいシャーロック・ホームズファン”になることができた。

私とホームズの関係は、ちょっと屈折しているのだ(笑)。

 

こんな話を友人にしても、胡散臭げに呆れられるだけだから、ずっと心にしまっていた。

 

先日、NHKのBSプレミアムで『ルパンからの予告状〜謎とスリルに満ちた伝説の至宝〜』という放送があった。

( 番組内容:怪盗アルセーヌ・ルパンなら、今どんな秘宝を狙うのか?ルパンの予告状をヒントに謎解きへ旅立つ新感覚アートミステリー!最新の科学分析の数々!ルパンの狙いを見破れ!)

 

この意欲的な(!)番組をたまたま見ていて、ふっと、ルパンに恋していたあの日、ホームズが大っ嫌いだった遠い少女時代を思い出した。

小学校の図書室の木造の本棚と、ちょっとかび臭い本の匂い。

学校から帰ると、宿題もそこそこに本ばかり読んでいた。

 

最近、ミステリー読んでないなぁ、、。

 

『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(ケント・ギルバート著)はとっても面白かったけど、どうも私の毎日、夢がなくなってるよなぁ、、。

本を読んでは泣いたり怒ったりドキドキしたりキュ〜ンとしたり、夢見る乙女(笑)だった私がここ数年、中国だ北朝鮮だアメリカだと、なんだかいつも怒っているような気がする。

日本の心配はそれとして、もちっとロマンチックな要素があってもいいんじゃないだろうか?

恋とか愛とか涙とかじゃなくて、なんというか未知のものとか冒険とか驚きとか、、。

 

ふ〜む、面白そうなSF小説でも探してみるか....。

 

***Part3に続く***

 

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2017年

9月

10日

シャーロック・ホームズ -Part1-

先日、英国のメイ首相が日本を公式訪問した。

英国と日本の連携強化が進むらしい。

『祝・日英同盟(?)復活!』ということで、しばしイギリスについて考えてみた。

 

創元推理文庫で育った私にとって、イギリスと言えば、まず第一にシャーロック・ホームズである ^ ^ v

私の少女時代からの永遠のアイドル、名探偵エルキュール・ポワロはベルギー人だが、彼よりもっと有名で、100年以上にもわたって世界中で愛されている偉大なイギリス人探偵が、シャーロック・ホームズだ。

 

以前、英国製作のドキュメンタリー番組で見たのだが、現在、法医学-科学捜査関係で活躍する人たちの中には、小さい頃からホームズの大ファンで、彼に憧れてその職に就いた人たちがかなりいる。

 

大きな拡大鏡とピンセット、その他いろいろなアイテムを使って、現場に残る葉巻きの灰さえ見逃さず、証拠と論理的な推理をもって犯人を突き止めるというホームズ独特のスタイルは、現代の犯罪捜査の手法に繋がるのだそうだ。

 


コナン・ドイルがホームズシリーズを書いた時代は、19世紀後半。

同じ時期に、あの凄惨な”切り裂きジャック”事件がロンドンの街中で起きて、少なくとも5人の売春婦がむごたらしく殺害された。

犯人が捕まらないまま迷宮入りして、現在に至るまで謎の大事件として有名だ。

 

この時代の犯罪捜査は今のように科学的ではなく、犯行現場は野次馬や警官たちによってめちゃくちゃ荒らされるし、証拠を精査するという近代的手法も確立していなかったので、まずは疑わしい容疑者をかたっぱしから引っ張ってきて自白させる、みたいな時代だったらしい。

 


その頃、日本は明治時代。

正確には、”切り裂きジャック”事件が起きた1888年は日本で明治21年。

1883年に東京・麹町に鹿鳴館が完成して、極端な欧化政策で無理やりな西洋化が進んでいた。

 

ちょうど、江戸時代から明治時代へと移り変わる時代を舞台にした探偵小説に、岡本綺堂の『半七捕物帳』がある。(大正6年/連載開始)

目端の利く優秀な岡っ引き”半七"が活躍するが、犯人を挙げる時にはだいたい物的証拠より状況証拠が決め手になる。

「犯人はおめぇだな。どうだ、そうだろう。こうなったらしょうがねぇ、お上のお慈悲を乞え。」

「旦那、恐れ入りました、、。」

証拠を出せ〜っと居直るような犯人は、まず出てこない。

 

指紋や血痕判定、足跡や遺留物の保存などの法医学の基礎的概念は、イギリスではホームズの時代に広まった。

”切り裂きジャック”事件が、警察の杜撰な捜査のせいで迷宮入りした事への庶民の不満は、相当にひどかった。科学的な手法の導入は待った無しだったのだろう。

ホームズが、スコットランドヤードのレストレード警部に時おり浴びせる嫌味や警察組織への嘲笑には、そうした背景があったようだ。

 

現代では、DNA鑑定やプロファイリングなどの凄い技術があるから、犯人検挙率は100%に近いのか、と思うとそうでもない。(それでも、日本の凶悪犯の検挙率はめちゃ高いらしいが...。)

やはり最終的には、捜査する人たちの推理力や執念、洞察力や着眼力とか、そういう個人の力がものを言うのだなぁ、と思う。

科学という道具を使うのは、能力を持つ人間なのだ。

 

その先駆けがシャーロック・ホームズだった。

作品中で、彼が独自に駆使する化学の知識や足跡・血液の分析、行動観察の方法などは、そっくり今の科学捜査に受け継がれている。

 

コナン・ドイルの原作に一番近く、ホームズ史上最高と評価されている故ジェレミー・ブレッドの演じたシャーロック・ホームズ。

陰鬱で皮肉屋の表の顔と、お茶目ないたずら坊主のような隠れた顔。

時折り常軌を逸するあぶない精神と剃刀のように鋭い論理的思考。


きっと、シャーロック・ホームズはこういう人だったんだ、、うん、そうに違いないと、世界中のみんなが納得した。

 

*ジェレミー・ブレッド

『グラナダテレビの5シーズンにわたるシリーズに主演した。

その姿はシドニー・パジェットが描いた挿絵から抜き出て来た程とまで言われ、奇抜かつ繊細な演技でホームズを演じた。

、、全集を完成する前に心臓病のため短編集を含む18作品を残して他界した。本作は2013年現在でも人気が衰える事がなく、NHKだけでなくCATVのチャンネルでも数多く再放送されており、いまだ多くの人々に愛されている。、』

(wikipediaより)

 

***Part2に続く***

 

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2017年

8月

31日

ミサイル

一昨日29日の朝、新潟の友人から

 「今朝はJアラートで起こされた。気分が悪いよね。」
とメールが来た。
びっくりしてインターネットのニュースを見たら、午前6時頃、北朝鮮が北海道上空を通過する弾道ミサイルを発射していた。

 


東京は距離があるせいか、Jアラートは鳴らなかったようだ。

専門的な事は分からないが、これは今までの挑発のレベルを超えた、かなり『深刻で重大な脅威』(安倍総理の会見)らしい。

 

もうやけくそ状態なのかなぁ、北朝鮮。

韓国大統領は、相変わらずよく分からない事をやっている。もしかして、アメリカの同盟国だって事、忘れてる?

日本は、アメリカと協力して対応するようだ。

アメリカと日本、、。

 

アメリカは世界一の軍事力を持っている。

世界中の紛争地帯で、数多く武力行使を行ってきた。

国連で最大の力を持つ超大国。

 

世界で影響力を持つ為には軍事力の後ろ盾が不可欠だ。

その意味で言えば、日本は尊敬はされても発言はなかなか聞いてもらえない。戦いに参加する事がないから。

でも、自ら進んで戦う事はしなくても、日本人の調停能力は「和を以て貴しと為す」の聖徳太子の頃から筋金入りだから、もっと国際舞台で活用されれば良いのに、と思う。

大岡政談みたいな話がそこらじゅうにある国なのだ。

調停役として、世界の信頼が集まれば、大きな力にならないだろうか。

日本に出来る役割り、日本にしか出来ない役割りがきっとあるはずだと思う。

 

日本の歩み寄りや譲歩、提案や静かな怒りの表明、全てを無視してきた北朝鮮。アメリカの介入で、事態は良くなるのだろうか?

拉致された人たちは帰ってくるのだろうか?

虐げられた国民は救われるんだろうか?

 

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2017年

8月

28日

ある日突然、太った...

去年の後半くらいから、会う人みんなに「痩せた?」と驚かれ、自分でも痩せたかなぁ、と鏡を覗いて思ったので、食事やおやつで地味に努力していた。( 体重を計る習慣がないので、東京の家には体重計がない。)

なんと腹筋トレーニンも始めた。( 痩せたのはきっと胃下垂のせいだ!)

 

「凄い!どのくらいやってるの?」

「こんな感じで毎晩10回 ^o^」

「....10回....(笑)。」

「続けるのが大事なのよ!」

 

ほとんど効果が出ないまま、今年6月に大風邪をひいて数日間寝込んでしまい、飲まず食わずでまた痩せた気がした。

がっかりしつつも、またたくさん食べて腹筋10回を続けた。

 


そして8月。

おっ!と思った。下半身がぽちゃっとしたかも....。

それがいきなりだったので、ちょっと不思議な感じがした。

太る時というのは、ボン!バン!と来るのだなぁ、、。

 

そういえば以前、仲間とJazzの練習について話していて、誰かがこう言ったのを思い出した。

「上手くなる時って、急だよね。」

楽器の上達グラフは右上がりの直線ではなく、階段を登るようにギザギザだというのは、自分の感覚でも人の演奏を聴いていても何となく感じる。

ピアノを弾くたびに可哀想になる薬指の筋力も、いきなりボン!バン!とつくんだろうか?

 

演奏のために必要な筋肉と、目的も無くただぽちゃっとついた脂肪を同列に語るというのもなんだが、"結果が突然現れる"という点で似ているかなぁ、と思う。

 

人間の身体は、いろいろ謎だ。

 

2年前にある事で悩んで考え過ぎた時、脳がオーバーヒートして煙が出そうだった。

若い頃に失恋した時、心臓がひどく痛くて胸が張り裂けるかと思った。

大好きなアーティストの武道館公演に行って帰り道、あんまり嬉しかったせいか血管中の血液が爆走して、駅まで飛び跳ねながら完走した。

父が亡くなってお葬式が終わった晩、台所で洗い物をしていたら父の声が耳の奥に聞こえた。

 

どういうメカニズムなのか、医学の知識が無い私にはさっぱり分からないが、身体は心と密に連携して、心の為に頑張ったり、頑張り過ぎたり、傷ついたり、優しくなったりするみたいだ。

急に痩せてなかなか太れなかったのは、きっと心が何かをボソボソつぶやいたに違いない。

そう思ったら幾つか思い当たることもあって、身体の苦労を思いやってちょっと切なくなった。

 

大事にしないとなぁ、、。

いつまでもそうそう甘えてばかりもいられない。腹筋だけじゃなく、心も鍛えないと、、。

今更だけど、反省を込めて3つ決意した。

 

『くよくよしない』

『暴飲暴食の誘惑に負けない』

『ちゃんと寝る』

 

たぶん、『くよくよしない』ってのが私の一番の努力目標だな....うん。

ずっとピアノを弾き続けられますように。

まずは健康第一!

    
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2017年

8月

12日

花火大会

7月29日の隅田川花火大会。

あいにくの雨にもかかわらず74万8000人もの見物客が訪れ、傘をさしながら壮大な花火ショーを楽しんだそうだ。

 

何年か前の隅田川花火大会の日のことを思い出した。


たまたまその日は浅草にあるライブハウスで仕事があって、夕方ちょっと早めに出かけた。

浅草駅前は大変な人出だろうと覚悟はしていたが、とにかく物凄いことになっていた。

 

都営浅草線のホームや車内には、可愛らしい浴衣を着た若い女性があちこちにいて、あぁ、今日は花火大会なんだよなぁ、、なんて微笑みながら眺めていた。

ふんふんとのん気に地下鉄の階段を上って地上に出たとたん、あまりのたくさんの人にくらっと来た。

見渡す限りの人の海に圧倒され、足を踏み出すのが怖いくらいだ。

「負けないぞ〜」気合いを入れると、脳内にアドレナリンがドッと分泌された気がした。

 

拡声器からお巡りさんの声がガァガァ聞こえる。

「止まらないで下さい。止まらないで下さい。前に進んで下さい。」

いや、そっちに行くとライブハウスに行けないんだけど、と思いながらも、ぎゅうぎゅう詰めの人の波に押され流され、まるで川下りだ。どこまで行くんだと不安になっても、なかなか列の端にも行けない。
しばらく行ったところでようやく人波から逃れて、大回りして仕事先のライブハウスにたどり着いた。
いつもの落ち着いた空気に戻って楽屋でほっと一息ついていると、共演者たちがぽつぽつとやって来た。
窓の外を見ながら「花火、見えるかねぇ?」と言い合ったが、どうも方角的に無理らしい。どっちにしろ、演奏時間中だから花火は見れないんだが、、。

 

そして数時間後。

仕事帰りに、”つわものどもが夢の跡....”みたいな大通りをぶらぶら歩いた。(全車両通行止めだ。)

花火大会は既に終わっていて、手をつないだカップルや帰りがけの家族、ファストフード店から出てくる若者たちが、三々五々歩いている。

近くのレストランが、大テーブルと椅子を数脚運び出して宴会をやったようで、大通りの真ん中にオブジェのように放置されていた。こういう花火見物のやり方もあるんだなぁ、と少し驚いた。

 

帰りの駅は、これまた物凄いことになっていた。

切符売り場もごった返していたが、電車に乗るにも勇気がいる。

すくまで待っていたらいつ帰れるかわからないので、周りの大勢の人たちと一緒にえいやっと乗り込んだ。

 

車内はそれでも、お祭りの雰囲気がそのまま持ち込まれたようにどこかうきうきと楽しげだ。

ぎっしり詰め込まれた乗客たちも、混雑にいらいらする様子はない。夏特有の明るい空気が流れていた。

 

周りを見回していたら、近くにいた外人さんが青い顔をしていた。

朝の通勤電車並みの車内にショックを受けたのかな、と思って見つめたら、「次の駅、降りられない」みたいな事を言っている。

私は「大丈夫。」と請け合って、次の駅に着くとすぐ「降りま〜す‼︎」と大声で叫んだ。そして外人さんの背中を出口の方にぐいと押し出すと、みんな少しよけて彼をなんとか通してくれた。

無事に降りられたみたいなので安心して、つり革をつかみながらぼっと思った。

東京に長くいる私にとっても今日の人混みは特に凄かったから、観光で来たらしいあの外人さんにはさぞ大変な一日だったろう、、。ちょっと同情した。

そして、浅草にいながら花火をちょっとも見れなかった私も、なかなか残念なことだった。

 

今日、商店街の八百屋さんに行ったら、お店のお兄さんが真っ黒に日焼けしていたので「海に行ったね?」とからかうように聞いた。

「海、行きました!いやぁ、海、いっすよね。」

「でも人がいっぱいでしょ?」

「人混み、だめなんですか?」

「そうね、人混みはね、、。前に浅草の花火大会に行ったけどもの凄くてね、、。」(さすがに花火を見てないとは言えない・笑)

「隅田川花火大会!俺も行きましたよ。もぅ〜はんぱないっすよね、帰る時なんか大勢でずいぶん歩いて、、。もう二度と行かないっす!」

彼はレジを打ちながらきっぱり言った。

 

私にとっては、海も花火大会も同じようなもんなのだが、リミッターレベルが高い彼でも隅田川は相当だったらしい。

恐るべし、、。

 

人がたくさん集まるイベントはきっと楽しい筈なのだけれど、私のように人混みが苦手だと覚悟と気力がいる。

でも、そんな事を言っていると、そのうち博物館か図書館しか行かなくなるぞとも思うわけで、、。

 

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2017年

7月

29日

夏は苦手

ちょうど梅雨明けした頃だったか、ネットの健康情報を見ていたら”自律的な体温調節” についての記事があった。

自然に汗をかくことで身体を暑さに慣れさせる⇒あまり冷房に頼らずに夏を健康的に乗り切ろう!てな事で、なるほど〜そうだそうだと思ってやってみる事にした。

確かに毎年、冷房をつけ過ぎて体調が悪くなっている気がする。


扇風機や氷を入れたIce Bagを使い、冷たい飲み物もやめて温かいお茶やお湯にした。

気のせいか、例年より調子が良い。

と言っても、まだ始めたばっかりなんだが、、(笑)。

 

これから夏本番。

体質改善に向けて、無理せず頑張ろうと思っております!

 

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2017年

7月

20日

『ボビー・フィッシャーを探して』(1993年米映画)

先日、史上最年少の14歳2ヶ月でプロ入りを果たし、デビュー以来29連勝を達成した藤井聡太四段。

ネットで彼について調べたら、5歳で将棋を始め、8歳の時には既に将棋界で天才と言われていたそうだ。その後、生来の負けず嫌いの性格もあってメキメキとと実力を伸ばしてきた。

 

将棋はまったくわからないけれど、たまたま彼の連勝中に『ボビー・フィッシャーを探して』という映画を見て、主人公のチェスの天才少年が藤井聡太くんとちょっとかぶった。

 

映画の主人公は実在の人物で、ジョシュ・ウェイツキンという天才チェスプレーヤー。

7歳にして”ボビー・フィッシャーの再来”と騒がれ、16歳でインターナショナル・マスター、全米ジュニアチェス選手権で2年連続優勝したとんでもない神童だ。

 


”ボビー・フィッシャーは、アメリカ合衆国の伝説的なチェスプレーヤーである。1943年生まれ。6歳でチェスを始め、14歳でインターナショナル・マスターとなり、15歳でグランド・マスターとなる。

15歳でのグランド・マスターは、世界最年少記録だった。

冷戦下にソビエト連邦の選手を下し、アメリカ合衆国歴史上、初となる公式世界チャンピオンになったことで、英雄としてもてはやされた”(Wikipediaより)。

 

この時の試合は、キッシンジャーが自ら電話をかけてフィッシャーを激励するほどに、アメリカの国威をかけた一大事だったらしい。

フィッシャーは29歳で世界チャンピオンになった後、表舞台から姿を消して隠遁生活を送った。世界の様々な場所を転々とし、日本にも事実婚の奥さんがいたようだ。

 

『ボビー・フィッシャーを探して』という映画は、ジョシュ・ウェイツキンの父親が7歳の息子の並外れたチェスの才能に気付いて、かつてのチェスの名手ブルース・パンドルフィーニに息子のコーチを依頼するところから始まる。

 

大人たちは、この小さな少年が第二のボビー・フィッシャーになる事を期待し、ジョシュもその期待に応えていく。

常に勝つ事を求められるって、どれほどのプレッシャーなんだろうか?

映画の中でジョシュ少年は、負ける事への恐怖に押しつぶされそうになる。

 

才能がある者に周りの者たちは無責任に期待し、期待が裏切られた時には無慈悲に失望する。スポーツや芸術の世界でも、一流の人たちはみんなその恐ろしさと戦っているのだ。

 

わずか7歳でそんな恐怖を知ったジョシュだが、父母や師匠の暖かい愛情で乗り越えていく。

やっぱり名を残す人というのは、才能だけではなく精神力が凄いのだ。自分に負けない力が並外れているのだ。

勝負の世界は結果が全てで言い訳は通らない。

誰かに勝つことの前に、まず自分に勝つーその事が本当に難しくて大変なのだなぁ、、。

 

将棋の藤井聡太くんは、押しかけるマスコミや日本中の国民に注目される中で淡々と勝利を重ねた。

映画を見たせいか、藤井四段の将棋の強さもさる事ながら、彼の心の強さに感動した。

14歳でデビュー。まさに神童だ。

この先に待ち受ける沢山の勝負を、どうか楽しみながら戦い抜いていって欲しいと思う。

応援しています!

 

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2017年

6月

27日

太宰治-なぜか混浴について-

最近、太宰治を読んでいる。

 

太宰治は、『人間失格』と『斜陽』を、大学時代に国文学専攻の学生として正しく(?)読んで、以来それきりになっていた。

あまり好きになれなかった。(もちろん『走れメロス』は学校の授業で読んでめちゃ感動したが。)

森鴎外の対極のような生き方をした人で、時代の違いを考えてもとても心が弱い人に思われ、その作品を読もうという気が全くおきなかった。

 

たまたま先日、『きりぎりす』という短編を読む機会があって、ちょっといいな、、と思った。

『カチカチ山』でへぇ〜っと感心し、『東京八景』で妙に感動した。私も人生の苦労が少しは分かってきたってことか、、。

 

今日、『美少女』という短編を読んだ。

そして、ストーリーとは関係なく、えっ?とびっくりした事があった。

太宰治が30歳の時に発表した私小説なのだが、当時、彼は結婚したばかりで甲府市のまちはずれに住んでいた。

 

ある日、彼は妻と一緒に、歩いて20分ほどの温泉に出かける。そこは病気療養の効がある温泉なのだが、普通に混浴なのだ。

”普通に”というのは、作中、太宰や彼の新妻を含め誰一人、混浴という事に違和感を持っていないらしく、みんな平気な顔で湯に入っている。

 


3坪ほどのあまり大きくない湯槽の中で、太宰は、タイトルにある通り16〜18歳くらいの「美少女」に出会い、その裸体のみずみずしい美しさに感激する。

「いいものを見た、」なんて邪気もなく喜んでいるところは、まぁ普通の男性の普通すぎる反応なのだが、、。

 

不躾にじろじろ見ている太宰を咎める人は誰もいない。それどころか、側にいた老爺は「衰弱には、いっとうええ。」とか言って、鉱泉を飲むように親切に勧めてくれるのである。

 

その後の話の展開や、「それだけの悪徳物語である。」なんていう太宰特有の自嘲めいた述懐などがこの作品の面白いところなのだろうが、私はどうにも”普通に混浴”が気になって、いっこう頭から出て行かない(笑)。

戦前(『美少女』は1939年発表 )の日本の風俗が今とあまりに違うので、すんなり受け入れることができないのだ。

混浴というのは江戸時代の話だと勝手に思い込んでいたのもあって、そんなに昔でもない昭和の時代に、混浴が庶民の間で普通にあったというのはちょっとした衝撃だった。

もし外国人がこの事実を知ったら、びっくり仰天するに違いない。

文明国でありえない!と言うだろう(笑)。

 

混浴の歴史なんかを調べてみるのも面白そうだが、それよりも、当時の日本の事を考えてみると興味深い。

このわずか2年後に真珠湾攻撃、こてんぱんにアメリカに負けて『堕落論』なんてものが出て来るくらいに日本人の心が無茶苦茶になっていくのだ。

数年のうちに社会が劇的に変わり、それまでの考え方がことごとく否定されて、人々は誇りも自信も急速に失っていく。

日本の精神文化が、ある意味断絶した。

 

西欧的な価値観が浸透している現代の私たちにとって、戦前の日本はもはや異空間だ。

落語の人情噺や山本周五郎・藤沢周平の世界が、遠い昔のファンタジーに感じられるのと同じくらいに、昭和の日本もきっと、どんどん遠くなっていく。

 

今、”普通”だと思っていることが、数十年後、まったく”普通”でなくなっているかも....と考えるとちょっと寂しい。

既に私が小さかった頃と現在では、近所付き合いでも友人とのコミュニケーションでも、いろいろな事が全く違う。

その一方で、日本人が古来ずっと心に持っているものは、たぶん、どんなに時が経って社会が変わっても変わらない。根っこにあるものは、そんなに変わらない気がする。

考え方は変化しても、心の中まで完全に変わることはないのだと思う。

  

それにしても、じいさんばあさん達と若夫婦、それにとびきりの美少女がみんなで一緒に湯槽につかっているって、何だかもの凄い事じゃないだろうか、、。

想像すると、ほのぼのし過ぎて泣けてくる(笑)。

 

日本はほんと良い国だなぁ....。つくづくそう思う。

太宰治も、だんだん好きになっている。

 

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2017年

6月

20日

隣りのマンションで!

夕方、5時過ぎ。

さて夕飯の支度でもするか、と思った矢先だった。

 

けたたましいサイレンの音がいきなり近づいて来た。

スピーカーで男性が何かがなりたてている。

緊急事態が起こったんだなと分かったが、どうもうちの近所らしく、がなり声がめちゃくちゃ近い。もの凄く近い。その上、なかなか遠くに去っていかない。      

あれ?と思ったが、スピーカーの音が割れて何を言っているのかほとんど聞き取れない。

ちゃんと聞こうと思ってベランダに出てみたら、通行人が何人か立ち止まってこちらを見上げていた。

え〜っ、うちのマンション?! と慌てて、ベランダと反対側の玄関まで走ってドアを開けた。

 

私の部屋は3階で、ドアの前の通路から隣りのマンションの3階通路が見渡せる。

ちょうど斜め前あたりの部屋のドアの前に、完全装備の消防士さんが3人駆けつけていた。

「ドア、開いてる!」と一人が大声で叫んで、もうもうと大量に流れ出す灰色の煙の奥に、真っ黒に焦げた部屋の中がちらっと見えた。

火はもう収まったんだろうか。

「わ、火事!」と驚いて部屋に戻ると、ベランダと玄関をうろうろ往復した。

ベランダでも玄関でも、うちのマンションで慌てているのはなぜか私一人だ....。

何だか気抜けして、部屋の真ん中で所在なく立っていた。

 

しばらくするとスピーカーで、「荻窪消防署です。火災が発生しましたが、延焼を防御しました。ご協力に感謝します。」と、今度は落ち着いた優しい男性の声で、何回も繰り返すのが聞こえてきた。

 

「あ〜良かった。」

ひと安心してまたベランダに出たら、銀色の防火ヘルメットをかぶった消防士の男性が一人、表通りに立っているのが見えた。     

周りに気配りしながら、でも凛としたその佇まいに、思わず「かっこいいなぁ、、。」と呟いた。

 

その人は、3階のベランダを見上げる事なく、通行人や車に終始注意を配っている。

銀色の防火ヘルメットがキラキラしていた。

 

手すりにもたれてじっと見とれてしまった。

( お仕事、本当にご苦労さまです!)

 


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2017年

6月

18日

風邪をひいた、、。

ここ4日間ほど、ひどい風邪で寝込んだ。

首の筋と頭が熱のせいでズキズキと痛み、ベッドに倒れこむとそのまま起き上がれなくなってしまった。

風邪で寝込むのは今までにも何回かあったが、今回は、予想外のヘタレ加減に自分でびっくりした。ベッドの中でまるで力が出ない。

寝ても寝てもまだ寝れる。日にちの境目がぼんやりするほど、寝ては醒め醒めては眠るを繰り返し、人間てこんなに寝れるもんなんだなぁ、と痛む頭の中でつぶやいた。

 


普段はあんなに几帳面に働いてくれていた私の胃腸が、主人が不調となると、とっとと休業を決め込んだ。

わずかな量のおかゆもなかなか食べられなくなった。

ヨーグルトと牛乳と麦茶をやっと体の中に入れた。薬は葛根湯しかない。

 

去年くらいからみんなに痩せた痩せたと言われ、自分では特に自覚もなかったが、そんなに言うなら、と甘いものを多めに食べて頑張っていたところだった。

努力が水の泡だ....と思ったら、ひどくがっかりした。

 

まぁそんな事より、1日寝れば治ると思っていたのが二日三日と長くなると、生存の危機がちらつくようになった。これはヤバイ、、とぼうっと考えた。

ちょうど1年前に健康診断をうけていて、どこも異常が無かったから大丈夫だろうとは思ったが、万が一という事もある。

「今のところ心配いりません。」と無愛想に請け合ってくれた、年配の内科のお医者さんの顔を、すがるような気持ちで思い出した。

 

いざとなったら近くのお医者さんに行けばいいのだ、、。

そう思っても、それは最終の究極の絶望的段階で発生する事象であって、それまでは何としても自力回復を目指す。

私は病院がとても苦手だ。

 

「参ったね....。」と独り言をぼそっと言ったら、みごとな鼻声(笑)だった。

これはやはり風邪に違いないようだが、一体いつまで絶不調が続くんだろうか。

 

********************************

約束していた幾つかの用事を思い出して、ベッドに寝ながらキャンセルのメールを打っていたら、少し頭痛が和らいできたのを感じた。

食欲も僅かだが出てきた。胃腸がようやく、ゆるゆると働き出したようだ。

 

半日そのままゆっくりしていて、夕方になってから、近所の商店街に買い出しに出かけた。

足がふらふらする。

大きなマスクをしたから、面やつれした顔の半分が隠れた。

 

肉屋のおじさん、パン屋のおかみさん、八百屋のお兄さん、それぞれのお店で、本当に酷い風邪で大変だったとちょっとおしゃべりをした。

「また頑張って太らなきゃ....。」私が言うと、肉屋のおじさんが陽気に笑った。

 

おじさんの笑顔を見た瞬間、生還した嬉しさがこみ上げてきた。

また最初から始めよう。いろんな事、また最初からだ、、。

両手に買い物袋をぶら下げてゆっくり歩きながら、夕焼けの空をふと見上げた。

晴れやかな気分になった。

 

う〜む、我ながらドラマチックなエンディングでちょっと笑った、、。

 

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2017年

5月

29日

関屋中学・化学クラブ -Part5-

中学時代の秋の文化祭。

文化クラブ部員にとって一年に一度の晴れ舞台なのだが、十代前半の青少年たちには”文化的活動”というとどちらかと言えば地味に見えてしまう訳で、、。

そこへいくと、我が化学クラブの活動はある意味、ちょっと派手だった。

 

先輩たちが4人がかりで庭に運び出した、”関中・化学クラブ伝統”のちょっと古びたお手製の火山。


茶色とか緑色の彩色が全体に褪せて、長年の歴史と風格を醸し出している。

火薬に混ぜた少量の化学物質がその種類に応じて綺麗な色の炎を創り出し、火口から噴き上げる噴火の迫力はなかなかのものだ。

 

部室内では、化学燃料で小さなロケットが針金を伝ってピューッと飛んでいて、部屋の真ん中に、これまた”関中・化学クラブ伝統”のケミカルガーデンが鎮座していた。

部員たちは、水の色が手品のように変わる、水を数滴垂らすと綿がパッと燃え上がる、ビーカーから煙と共にむくむく謎の黒い物体が現れる....なんておもしろ実験を、訪れた人たちに見せていた。

 

他に、私たち2年生部員で話し合っていくつか出し物を考えた。、、というか、元気いっぱい盛り上がって悪ノリしていた(^ ^);;v

私が覚えているのはその悪ノリ出し物のうち2つで、なぜその2つだけ覚えているかというと、私が『やらかした』からで、後で部活の先生に本気で怒られた。

 

1 .塩酸の水溶液でお金をピカピカにする

 

みんなにとても喜ばれたが、翌日、お金がお金でなくなったと文句を言われた。

水で洗浄してあげるのをすっかり忘れて、一晩でお金の表面がきれいに溶けてしまったらしい、、。すみません、、。

 

2 .口から火を噴く

 

今、突然思い出したのだが、中学時代の私のあだ名は『ゴジラ』だった。

う〜ん、だから最近のヒット映画『シン・ゴジラ』に妙なシンパシーを感じていたのか、、。

 

何故、あだ名が『ゴジラ』だったのかは置いておいて、ゴジラなら口から火を噴くだろうってもの凄く単純な発想で、私が火を噴く担当になった。(たぶん、そんな経緯だったんだろうと思う。)

口に含んだアルコールをパァーッと噴き出したところに火をつけるという、今考えれば完全にNGな企画なのだが、みんな悪ふざけで「やっちゃえ!」となった。

ところがここに一つ重大な問題が....。

 

私は、唇をブルブル震わせる技とか「ルルル〜」の巻き舌とか、口周辺に関わる動作がいろいろと出来ない。神経がいくつか足りてないんじゃないかと思われるほどに出来ない。

スープをスプーンで飲む時も、下手をすると口の端からたら〜とこぼれてしまう。

見かねた友人に、「みっちゃん、スープ吸ってる?」と聞かれた事がある。

そっか、、スプーンで口に入れた時に吸う必要があるんだな、、。そう気付いたのはすっかり大人になってからだ。

 

そんな訳だから、頭の中では、時代劇なんかで刀傷に焼酎をプァーッ!とやる画面がしっかり浮かんでいるのだが、実際にそのような高等技術が私に使えるはずはなく、かっこつけてアルコールを口に含んだまでは良かったが、そのままどうやってもうまく噴き出せずに、ごっくんと飲んでしまった。

 

その後の事は覚えていない。

アルコールの濃度がそれほど高くなかったにしても、中学生だし、きっとぶっ倒れたんだろう、、後で先生に大変な大目玉を食った。

 

 

「2年生文化祭計画」-伝統ある関中・化学クラブの晴れ舞台- は、大きな事故もなくほぼ成功裏に終わったが、私の技術不足(?)のせいで、仲間に多大な迷惑をかけてしまったことがとても申し訳なく悔やまれる。

華々しい『ゴジラ』デビューもやり損なった。

 

その後の長い人生で、唇をブルブル震わせる技も「ルルル〜」の巻き舌も焼酎をプァーッ!も、何一つ修得できなかった。

「自転車のひらり乗り」(以前、このブログで書いたのだが、この「ひらり乗り」ができないおかげで、私は自転車には絶対乗らない。)とか、人の誕生日をまるで覚えられないとか、他の人が普通に出来るのに私には出来ない事がたくさんあるのだ、と夜中にひとり、しみじみ思った、、(涙)。

 

、、でもまぁ、私には音楽がある!と慰めたところで、Part1〜5まで長々と書いてきた私の化学クラブのお話は終わりです。

 

いやぁ、最初に書き始めた時はこんなに長くなるとは思わなかった。いろいろな事が少しずつ思い出されて、しばし楽しいタイムスリップをしました(笑)。

 

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2017年

5月

14日

関屋中学・化学クラブ -Part4-

私の中学時代の記憶は、薄くぼやけていて、思い出せる事といったら本当に数えるほどしかない。

学校近くにあったケーキ屋さん( 以前このブログに書いた、夢のようなケーキ屋さん )と、何人かのクラスメートと担任の先生の事くらい、、。

 

実は、化学クラブの事はすっかり忘れていた。

それが、机の引き出しの奥から偶々出てきた、私が書いたと思われる『2年生文化祭計画』というよれよれの企画書をじっと眺めていたら、不思議なほど鮮やかに、あの当時、感じていた気持ちや部員の仲間・部長さん・先生の顔が次々と浮かんできた。

 

あの2年生の秋。

悩める青春時代である(笑)。もやもやといろいろな事に悩んでいた。

自分のことや家族の事。そして学校についても一つ不満があった。

まぁそんなに大した事じゃないのだが、早い話が「運動部ばっかり!」だ。

 

体操や陸上、水泳やバレーボール、バドミントン・サッカーに野球....。

花形選手はめっちゃめちゃかっこいいし、校内の話題も運動部に集中するのは仕方ない。

でも、化学クラブだって、爆薬で火山が噴火するし(火山、小さいけど....)、固体燃料でロケットがピューッて飛ぶんだよ(教室の中だけど....)、ケミカルガーデン、知ってる?すっごい不思議で綺麗なんだから!という訳だ。

 

性格というのは、成長してもあまり変わらないものだ。

自分のやっている事に対する圧倒的な肯定感というのは、この頃から既に芽生えていたと思われる(笑)。

負けん気とは違って、信念の問題だ。

人からどう見られようと、これが自分にとってベスト、これでOK、みたいな気持ちか、、。

人とはちょっと違うこの風変わりな価値観のおかげで、今までの人生、比較的幸せな精神状態で生きてこれたんだと思う。

つまり、私はかなりな変人であった(笑)。

 

この時は、大好きな”化学クラブ”を、周りのみんなにもっと知ってもらいたいという気持ちでいっぱいだった。

 

う〜む、またしてもすっかり長くなってしまった。

残念エピソードが、なかなか書けない、、。

すみませんm(_ _)m、次回、繰越しです。

 

***Part5に続く*** 

 

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2017年

4月

29日

関屋中学・化学クラブ -Part3-

『化学ガールな私』の残念エピソードを書こうと思ったのだが、その前に、この今にも破れて散ってしまいそうなわら半紙の裏表に書かれた「2年生文化祭計画」なる”野心的な企画書”(笑)を、記録に残しておこうと思った。

私が書いたよくわかんない説明図もあるのだが、それは省く。

 

PCで書き写していたら、私の頭の中に、当時の情景がポツポツと浮かんできた。

中学2年生・元気でちょっと不機嫌そうな女の子が、試薬のビンを片手に立っているのが見えた、、。

 

1.砂糖のおばけ

 

ビーカーに砂糖を半分ほど入れて、濃い硫酸をひたひたになるまで注ぎ、ガラス棒でかきまぜる。

すると、煙の中から黒い塊りがむくむくと伸びてくる。

 

***濃い硫酸が砂糖から水分を奪い取るために、炭素に変わっていく。

この時、熱とたくさんのガスができるが、そのガスが炭素の塊りを膨れ上がらせる。

 

2.水が綿に火をつける

 

二〜三滴の水を落とすと、綿がパッと燃え上がる。

 

***綿に、過酸化ナトリウムの粉をかけておく。

それが水と反応して酸素を出し、綿が燃え上がるのを助ける。

 

3.色の変わる水

 

四つのコップを左から①、②、③、④とする。

①と③に数滴のフェノールフタレインを、④には十数滴の酢を入れておく。

これに水差しの水を注ぐと、①と③は赤くなる。

 

***水差しの水に、二〜三滴のアンモニア水を入れておいたからである。

①、②、③の水を水差しの中に戻し、再び①、②、③に注ぐと三つとも赤くなる。

コップの水を全部、水差しに戻すと、④の酢のために全部の水が酸性になるから、あらためて注ぐと、四つとも透明な水にもどる。

 

4.火山が緑の山に

 

石綿の板の上に、重クロム酸アンモニウムの赤い粒で山をつくる。

そのてっぺんに火をつける。

やがて、この山は噴火を始める。( 暗室だといっそう美しい。)

燃えかすは、濃い緑色の灰( 酸化クロム )になる。

 

5.ケミカルガーデン

 

ケミカルガーデンとは化学の花園という意味である。

水ガラス( ケイ酸ナトリウム )を2倍の水で薄めた液に、いろいろの金属塩の結晶を落とすと、結晶の表面から金属のケイ酸塩が、木の枝のように次々と形成される。

 

6.ロケット

 

エンジンの中の固体燃料が燃焼して、気体を噴き出すため、針金を伝って動く。

 

(私注:部室の高い所に、部屋を斜めに横切るように細い針金を張って、小さな手製ロケットが滑って移動できるようにしてあった。)

 

7.レモン電池

 

十円玉2枚と一円玉2枚を、それぞれ一組にして、間に導線をはさむ。

 

(私注:縦割りにしたレモンの中に導線のついたコインを埋め込んだ図が描いてある。)

 

***Part4に続く*** 

 

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2017年

4月

13日

関屋中学・化学クラブ -Part2-

古びた木造校舎の奥の方の教室に、化学クラブ部室があった。

1階だったか2階だったか....。

 

重い引き戸を開けるとちょっと入ったところに、かなり大きな水槽が台の上にどんと置いてあった。

水槽の中では、鮮やかな赤や緑や青色の木の枝のような形をしたオブジェが”育って”いて、「これは、ケミカル・ガーデンというもので、、。」」と先輩が説明してくれた。

 

****************************

ケミカル・ガーデンは化学の実験である。

実験方法はケイ酸ナトリウムの水溶液(水ガラス)に硫酸銅や塩化コバルトなどの個体金属塩を加えることである。

結果には数分〜数時間かかり、溶液の中に植物上のものが生成される。(Wikipediaより)

****************************

 

水槽に満たした水ガラスの中に金属塩を少量入れると、互いが反応して、青や緑やオレンジ、紫や赤など色とりどりの美しい樹々が生まれる。(その色や形は、金属塩の種類に依る。)

初めて部室でケミカル・ガーデンを見た時、なんて奇妙で美しいんだろう、と思った。

 

大学で国文学を専攻して、宮沢賢治が好きになった。

彼が詩の中で、ケミカル・ガーデンを『硅化花園』と呼んでいるのを発見して、「わ、さすが宮沢賢治....、なんて言い得て妙なんだ!」と驚いたのを覚えている。

この化学の花園を、実際に観察できただけでも化学クラブに在籍して本当に良かった。

宮沢賢治と同じものを見て、その詩の世界を、自分の経験に引きつけてイメージできるなんて、ファンとして実に感動的なことだ。

 

『宮沢賢治学会イーハトーブセンター会報第40号 

硅花花園(ケミカル・ガーデン)』


さて、関屋中学・化学クラブ。

放課後になると、この結構広い部室に部員たちが集まって来て、火山を爆発させたりロケットを飛ばしたり、その他いろいろ摩訶不思議な実験をしていた(笑)。

 

そして迎えた、運命の『2年生文化祭』である。

 

***Part3に続く***

 

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2017年

4月

06日

関屋中学・化学クラブ -Part1-

中学生の時、化学クラブに入っていた。

数学はチンプンカンプンなのに、なぜだか『化学』にときめいていた。

今、思い出しても本当にどうしてなのか分からない。

理数科目全般にほとんど縁の無い人生の中で、この中学三年間だけ、私は『化学ガール』だった。

 

 


小学校の夏休み自由研究でやった、父・プロデュース(笑)の水質検査のせいかもしれない。

フラスコ・ビーカー・試験管、天秤や試験薬なんかを買ってもらって、試験管立ては、父が木工細工で作ってくれた。

サンプルの河川の水を採りに、父と一緒に電車に乗って出掛けたピクニックのような遠征旅行は、映画のワンシーンのようによく覚えている。

その時の経験が、子供心にドキドキ楽しかったのかもしれない。

学校の図書館で読んだ『キュリー夫人』はとても感動したし、試験管を片手に記録をつけるのが、キュリー夫人みたいにかっこよく思えたのかもしれない。

 

中学校に入るとすぐ、あまり迷う事もなく化学クラブに入部した。

 

先日、新潟の実家で自分の部屋を片付けていたら、机の引き出しの奥から「2年生文化祭計画」と鉛筆で書いたわら半紙が出てきた。

全く記憶にないが、このくねくねした癖のある字は、間違いなく私が書いたのだ。

計画書には、文化祭の出し物について7項目、簡単な説明とやり方が書かれている。

 

なかなか野心的な企画だ(笑)。

部活の先生や部員たちと話し合った内容を書き留めたんだな、きっと。

 

今にも破れそうなわら半紙を眺めていたら、あの文化祭の時の事を朧げに思い出した。

そうだ、私がやらかした”珍事件”(笑)があったんだ、、。

 

関屋中学2年生・『化学ガールな私』の残念エピソード。覚えている限りで、ちょっと書いてみます。

 

***Part2に続く***

 

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2017年

3月

26日

ガレージと梅の花

新潟にはほとんど毎月帰っていて、両親が残した様々なものを、昔を思い出して懐かしんだり、あまりの大量さを呪ったりしながら、一つ一つゆっくり整理している。

 

先月、近所の方から、うちの空いているガレージを貸してくれないかというお話があった。

父はたしか、70代後半で車の運転はやめていて、以来、ガレージは物置きのようになっている。

 

重いシャッターをガラガラと上げると、カビと埃の臭いがモワッと襲ってきた。

 

父が買い物に行く時に乗っていた電動のシルバーカーや錆びた自転車、いらなくなった家具や健康器具、茣蓙や絨毯、庭道具、その他いろいろな小物類が、ぐしゃっといっしょくたに、足の踏み場もないほどに置かれている。

これを片付けるとなると、えらいことだ、、。

 

高校時代に使っていた、髪のカール用のホットカーラー・セットが隅の方から出てきた。

毎朝、せっせとカーラーを巻きつけておしゃれをしていた高校生の私を思って、カビと埃まみれのガレージの中で、ふと遠い目になる私であった(笑)。

 

ガレージのすぐ傍が玄関に上がる数段の階段になっていて、玄関の周りには狭い前庭がある。

松や椿や梅の木が植わっているが、父は、肥料はあげるが剪定などはしない人で、庭木はそれぞれ自由奔放・勝手気儘に育っている。

まぁ、父は私にもそうであった(笑)。

 

ガレージと玄関を、処分する物を抱えて何回も行き来しつつ庭の方を見ると、2本の梅の木が競うように満開に咲いていた。

大きく横に伸びた枝々に、たくさんの淡い白色の小さな花と、その奥に濃い紅色の蕾がちらほら見える。

今年は、梅の見頃の時期にちょうど当たったんだなぁ、、。

 

主人がいなくなった家の庭で、手入れもされず、でも毎年春になるとこの梅たちは、こんなに綺麗な花を咲かせていたんだ....。

 

梅の香りが大好きな近所の友人が、数日前にくれた、「みっちゃんのおうちの梅が帰りを待つようにきれいに咲いています。…」というメールを思い出して、胸の奥がキュンとした。

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2017年

3月

14日

ヤクルト

この時期は毎年、朝起きてから夜寝るまで、花粉症のおかげでひどい目にあう。一年のうちで、一番晴れやかな気分で過ごしたい季節なのに、、。

厳しい冬が終わり体も心もほころんで、ちょっと薄着になって桜を見に行くとか、友だちと一緒におしゃべりしながら街を歩くとか、ここ数年、そんなちょっとした外出もためらってしまう。

 

花粉防止のマスクで息が苦しいし、目はむちゃくちゃ痒い、頭はぼっとする、鼻水は出る、、。

杉にも檜にも恨みはないのだけれども、そもそも一体どうしてこうなったんだ?と誰かに聞いてみたい気にもなる。

 

先日久しぶりに、ボーカルの多美ちゃんと青梅の公民館でリハーサルをする事になった。

う〜、青梅か、、。花粉が盛大に舞い飛んでるんだろうなぁ、、。

実はかなり以前、やはり春先に、多美ちゃんとこの場所でリハをやった事があって、その時は二人とも大きなマスクに涙目で、口には出さねどお互い同病相憐れむの風情だった。

 

それが、先日のリハの時。

私も多美ちゃんも、マスク無しで晴れやかだ。何か以前と違う、、。

「今年って花粉、飛んでないの?」と私が聞くと彼女は、そんな事はない、例年通りだと言う。

奇跡が起きて花粉症が治ったのか! 私は、お気楽にバンザ〜イと叫ぶ気持ちになったが、冷静な多美ちゃんは優雅に微笑みながら「ここのところ、ヤクルトを飲んでいて…。」と言う。

 

あれ? それはどこかで聞いたような、、。

そうだ。新潟で高校の同級生たちと飲んだ時に、「花粉症にヤクルトが効くらしい。」と話題に出た。

 

それ以前に私は、乳酸菌が腸のために良いというのをネットで見て、花粉症とは関係なくヤクルトを飲み始めていた。

花粉症とヤクルトの話を聞いた時は、ふ〜ん、そういう事もあるかもね、なんて軽い気持ちで聞いていたが、先日の多美ちゃんの一言で、「花粉症にヤクルトが効く。」説に、もの凄く激しく同意した(笑)。

 

完治したというのではないけれど、症状が格段に軽くなっているのは確かだ。

花粉症対策に何か薬を飲むという事もなかったから、効果があったとすれば、やっぱりヤクルトだと思う。

 

値段は安いし、甘くて美味しいし、小さいからすぐ飲めるし、、。

 

ヤクルトさん、貴方は偉大です!

 

今年の春は、お花見も散歩もウィンドーショッピングにも出掛けられると思うと、嬉しくて仕方がない ^ ^


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2017年

2月

24日

誕生日に気付いた事。

実を言うと、今日は誕生日。

全くめでたくないなぁと思いながら、というか、ほとんど思い出しもせず、いつも通り一人晩酌をやっていた。

 

うちの家族は、母も父もあまり記念日というものに頓着がなく、小さい頃から、家族の誕生日は天下泰平・日々息災の日だった。(つまり、普通に1日が終わった....笑)

 


そんな訳で、誕生日がお祝いすべき日であるというのが、私にはずっとピンと来なかったし、誕生日は親に感謝をする為の日だ!なんて理屈をこねていた。

 

私が20代の頃だったか、近所に美味しいステーキ屋さんができた。

たまに家族で行っていたのだが、そのうち、家族の誕生日が近くなると、お店からセットメニュー割引と記念撮影サービスのお知らせのハガキが来るようになった。

それからは毎年、父と母と私、三人の誕生日になるとそのお店に行って、ステーキを食べ記念写真を撮った。

誕生日を祝うというより、東京で仕事を始めていた私が新潟で家族と過ごす大切な時間だったし、三人で並んで写真を撮ってもらうのが何より嬉しかった。

 

ステーキ屋さんは、それから数年後、残念ながらなくなってしまった。

家族のイベントが行われなくなると、記念日はまた消滅してしまった。

恐ろしい事に、私は恋人ができても彼の誕生日をうっかり忘れそうだった。

それでも若い頃は頑張っていた、それなりに....(笑)。 

(友人たちの誕生日をたくさん覚えている人がたまにいるけれど、私にはもの凄い驚異だ!)

 

感謝するべき両親もこの世にいない今、私にとって誕生日というのは、ただ一つ年を重ねるという事実しか感じなくなっているのだが、先ほど、友人からおめでとうメールが届いた。

ありがとう^ ^とは言いながら、本当はあんまりめでたくない、、なんて可愛げのない返信をしたら、彼女からすぐに一言、届いた。

 

『元気に生きているってことはじゅうぶん幸せなことよ。』

 

そっかぁ、、と思った。

みんながお祝いをするのは、そういう意味だったんだと今更ながら気付いた。(本当に今更....。)

こうして元気でいる事を喜ぶ日が誕生日なんだ、そう思ったら、自分の幸せをじわじわと感じた。

思うとおりに人生を送れているのは、元気だからなんだ!

 

ケーキ買ってくればよかったなぁ。

明日もう一回、誕生日やるか、、美味しいもの作って、、。

 

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2017年

2月

13日

*お詫び*

今朝、大変な事が判明しました。

当ブログの『お問い合わせはこちらから』に書き込みをして頂いた方々へ。

 

ブログ管理の作業で、メールアドレス設定の修正が遅れた為に、お問い合わせの内容が一部、こちらに届いていなかった事がわかりました。

大変申し訳ありません。(修正前のアドレスは現在、削除されています。)

ご迷惑をおかけして本当にごめんなさい!

 

ブログ本文のコメントは問題ありません。

これに懲りずに、どうぞまたこのブログを宜しくお願い致します m(_ _)m

 

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2017年

2月

11日

スキー

新潟出身というと、たいがい「雪が凄いでしょう。」と言われる。

新潟県は北東から南西に随分と長い県で、私が生まれた新潟市は、湯沢や十日町といった豪雪地帯とはだいぶ離れているし、日本海を隔てて佐渡島があるおかげでそれほどの大雪は降らない。

それでも、私が小さい頃は、新潟市内にも雪が今よりたくさん降った。

一番すごかった時は、一階の屋根まで雪が積もって玄関から出られなくなった。子供にとっては大イベントだが、大人たちはさぞ大変だったろうと思う。

毎年そうであれば備えがあるが、新潟市は、忘れた頃にドカッと降った。

 

小学校の校庭が一面の雪だ。

ちょっと小高くなっている場所に自然のスロープが出来て、どこから持ってきたのか思い出せないが、小さな子供用のスキーに長靴をひっかけて、みんなでキャッキャキャッキャ騒ぎながら滑った記憶がある。

 

親戚の叔父さんに、大きなスキー場に連れて行ってもらった。

大勢のスキーヤーで混雑する休憩のロッジは、持ち込まれた雪で暖かく湿っていて、ジュークボックスから流れる流行歌、大人たちが華やかに会話する様子や、日が落ちて暗くなった窓の外にライトの光でほの白く浮かび上がる雪原、まるで夢の中の出来事のようだった。

私はもっぱら下のゲレンデで、直滑降でひゃーっと叫びながら滑るだけだったが、それでもスリル満点。

全てが楽しかった。 

 


あのまま大きくなっていたら、今頃は普通にスキー愛好家になっていただろう。

 

新潟では、学校の体育の授業にスキーがある。( 他の県でもあるのかな?)

高校生の時のスキー合宿が”悪夢”だった、、。

 

二泊三日くらいだったんだろうか、引率の体育の先生に連れられて、近場のスキー場にわいわい出掛けた。

プルークボーゲンとか上手な転び方とか方向転換とか、いろいろ習って一日中滑る。

夜は大部屋でまとまって寝るのだが、修学旅行のように枕を投げ合うでもなく、昼間の緊張と疲れで即撃沈だ。

朝起きたら、なんと、足がパンパンにむくんで象の足のようになっていた o_o

私の足じゃない〜と恐怖に震えつつ、もうほとんどやけくその根性でゲレンデに向かう。

 

授業の仕上げに、リフトで登って山の上から滑るのだが、そこで先生がう〜んと考え込んだ。

「こりゃ〜プルークボーゲンじゃ降りられんなぁ、、。」

「よし!斜滑降を教える。こうやってこうやってこうしてこうだ。いいか!ちゃんとやらんと直滑降になって、崖下まっさかさまだぞ!」

「ひぇ〜!(泣)」

 

とまぁこういう訳で、すっかりスキー恐怖症になってしまった。

どんなにゴージャスで魅力的なツアーでも、スキーをやるならパス、どんなに付き合いの悪い奴と罵られようが絶対にパスだ。

この時期、新幹線でも高速バスでもスキー客が多い。

あの”悪夢のスキー合宿”さえなかったら、こんなふうに楽しめたのかなぁ、、とちょっと考えてみる。

 

まじっと考えてみたが、いやぁ....やっぱりお家でホラームービーだなぁ....。

だって、たとえスキー愛好家になったとしても、真冬にスキーに出掛けるより、暖かい部屋でみかんを握りしめながら、極恐のホラーで「わぎゃ〜!」と叫んでいる方が楽しいに決まっている。( そもそも、そういう性格の人はスキー愛好家にならないし.... -_- )

要は、どちらがより好きかの問題だ。

 

スキーは、新潟県人の最低限のたしなみとしてちゃんと学んでおくべきだと思うので、あのスキー合宿は行って良かったのだ。新潟に生まれて、スキーは直滑降のみ!てのは、やはりちょっと清々し過ぎる。

でも、ホラー級の恐怖を味わうのは映画の中だけでいい。

”象の足のように膨らんだ足”は、今でも夢に見そうだ、、。”直滑降で崖下”も背筋が凍る、、。

 

大のホラー好きというのは、えてしてとっても臆病だったりする。

実生活では、平穏無事が何よりだと思う(笑)。

 

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2017年

1月

26日

トランプ新大統領

新潟に帰っていた時に、米ワシントンでトランプ氏の大統領就任式があった。

 

テレビはほとんどそのニュース一色で、いろいろ解説を聞いていると、今までとはまったく違う政権になりそうで、期待より不安がどっと大きくなった。

日本は同盟国だし、こんな不安定な世界情勢の時だから、アメリカにはほんと頑張ってもらわないとなんだけど、、 。

        (NHKネットニュースより)


つい先日、BSドキュメンタリーで、オバマ大統領の議会とのすさまじい闘いを見た。

スピルバーグ監督の映画『リンカーン』も見たばかりだ。

そのせいか、これからアメリカの政界で起こるであろう大混乱を思って、ちょっとブルッとした。

 

アメリカの民主主義は、政権が大統領中心に一丸となって、一筋縄ではいかない議会と大格闘する。

日本の民主主義もそうなんだろうけれど、日本人の魂の根底に『和を以て貴しと為す』が宿っているせいか二大政党制ではないせいか、あそこまでの激しさとは違うように(傍からは)見える。

米国議会は、トランプ大統領とどう対処するんだろうか。

踏みとどまって一部の暴走を押し返すだけの力があるんだろうか、、。

 

日本が、世界に対して果たす役割。日本に対して、世界が期待する役割。

どちらも、これから大きく変わっていくんだろうなぁ。

世界の中の日本、もしかしてチャンス到来か?

 

頑張れ、日本!頑張れ、安倍首相!

 

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2017年

1月

14日

鷗外の手紙(...と何故かゲーム)

1月5日の産経ネットニュースで『鷗外29歳の筆…全集未収録の書簡見つかる』とあった。

明治24年2月27日付、ドイツ留学から帰国して3年、『舞姫』発表から1年だ。

作家で劇評家の饗庭篁村(あえばこうそん)に宛てたもので、鷗外の留守時に篁村が訪ねてきて、書き上げたばかりの原稿について「今日おん目にかくべかりしにと遺憾」ーぜひ見せたかったと残念がっている内容なようだ。

巻き髪に毛筆で書かれている。

素晴らしい達筆にしばしうっとり、、。毛筆で文字を書くって、実は密かに憧れている。

Jazzの次は、きっと”書道”だな、、うん。

 

お正月のインターネット・チェックで凄いのを見つけた。

『文豪とアルケミスト』

オンラインゲームらしいのだが内容はまったく不明。

”文豪”というネーミングに惹かれてちょっと覗いてみたら、まぁ。。

芥川龍之介、永井荷風、島崎藤村、夏目漱石、北原白秋…その他錚々たる文豪たちが、ナヨナヨかっこいいイケメン・アニメキャラ(笑)に変身していた…o_o

 

森鷗外は、1989年の日独合作映画『舞姫』で、郷ひろみが主人公(鷗外)役をやった時のイメージだよね、きっと。

* *六草いちかさん( ドイツ在住。『鷗外の恋-舞姫エリスの真実』の著者 )が、映画での郷さんのドイツ語の発音、かなりなものだと褒めていらっしゃいました。**

でもさぁ、谷崎潤一郎はなんなの、これ?っと突っ込みまくりなわけだが、とりあえず、鷗外は凛々しくかっこいい(笑)。

 

この平成の世に明治の文豪がゲームのキャラクターって、、不思議を通り越してただただビックリなのだが、ゲーム好きな若い人たちの中に、明治時代の作家に興味を持つ人たちが一定数いるという事なんだろうか?

 

だいたい、世界の至る所でグローバリズムが叫ばれ、経済だけではなく文化的にも多種多様で刺激のあるコンテンツが溢れるこの日本で、一世紀以上前の明治の作家たちがネットの世界に登場(それもアニメキャラで、、)ってのは、単純に「わ〜、凄い!」と喜んでいい事なのか、、。

しかも、どうしてみんなナヨナヨかっこいいのだ?( 本人たちと違い過ぎる....。)

 

なんだかよく分からないしゲームもやる気はないが、彼らが「過去の遺物」などでは決してない!という事だけはイメージ的になんとなく伝わってきて、鷗外ファンとして、それだけはちょっと嬉しい。

 

まぁいろいろと納得いかないが、とりあえず、鷗外のキャラクターはスクリーンショットで切り取ってファイルに保存した(o_o)v

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2017年

1月

04日

こうと汁

新年の朝は、『こうと汁』でお雑煮だ。

『こうと汁』というのは新潟の郷土料理で、大根・人参・牛蒡・長ネギなどの野菜と豚肉や鮭、油揚げや焼き豆腐その他たくさんの具材をしょうゆ味で煮た、言わば”和風実だくさんスープ”だ。

 

その中に焼き餅を入れるのが我が家のお正月で、今は亡き母が”味付け監督役”だった。

「甘い」「しょっぱい」「味がない」「ん〜なんか違う、、」となかなか厳しくて、母がテレビを見ている居間と台所を、汁を入れた小皿を捧げ持って私が往復する、というのが大晦日の恒例だった。

 

新潟ではどこの家でも、お正月は『こうと汁』なのだと固く信じていた。

 

       (クックパッドより)


昨年11月某日@新潟。

気の合う高校の同級生三人と、駅前の小粋な料理屋さんで飲み会をやった。

 

仕事帰りの一杯ってことで、わたし以外はみんな働くビジネスマン。

なんとも頼もしいオーラが出ていて、日本の未来のためにひとつよろしくと、自由気ままに音楽なんぞやっている私としては自然に頭が下がる思いがした。

ビールで乾杯の後、突き出しの皿の中にあった塩焼きの銀杏をつまんだ。

 

私「銀杏、美味しいねぇ。」

A君「うん、家のそばに、秋になると銀杏の実がいっぱい落ちるんさね。その実がほんと臭くてさ。」

B君「そうそう、俺んちもいっぱい落ちてる。」

C君「銀杏の実ってのは?」

A・B君「今食べてるこの銀杏は、梅干しの種の中身みたいなもんでさ、この殻の周りに実がついてるわけよ。その実ってのは、見てたらカラスも食べないんだよね。」

C君・私「ふ〜ん。そうなんだぁ。」

 

実を言うと私は、苺は木に生って、トマトは地ベタで育つとかずっと思っていた稀に見る無知なヤツで、銀杏について知らないのが私一人じゃなかった事に、内心ちょっとほっとしていた。

 

だいたいこういう場合( 特に相手が親しい友達の場合 )

「えぇ?うっそ〜!」

「苺が木に生るとか、信じらんない。え、マジ?」

なんてリアクションになる可能性もあるので、C君の存在は大変心強かった。

( A君もB君も優しいので、そんな心配はほとんどないのだが....。)

 

イチョウとカラスについての新知識を得てちょっと気を良くした私は、銀杏の横の、香ばしく焼きあがった秋鮭に箸を伸ばしながら言った。

 

私「うちはさぁ、お正月の『こうと汁』にも銀杏、入れるんだよ。」

A君「……。」

B君「……。」

C君「……。」

私「え?『こうと汁』に入れない?銀杏、、。」

C君「えぇと....、みっちゃんちは、お正月に『こうとじる』というものを食べるんだね?」

私「え〜っ !? みんなんち( みんなの”うち”の省略形 )は食べないの?」

 

めちゃくちゃ焦って、一人パクパクパニクる私。

新潟のお正月は『こうと汁』で決まりなんではなかったのか、、よそんち(よその”うち”の省略形 )はいったいお雑煮を何で食べているのだ?

うちや、うちの親戚は、新潟でも”変わったうち”だったのか?

 

C君「( スマホを見ながら )ほんとだ、、。『こうと汁』、、グーグルに出てる。大根、ゴボウ、人参、油揚げ、、。」

A・B君「それはうちで毎年食べてる。」

C君「うちも....。」

 

早い話が、A君もB君もC君も、今まで毎年お正月に食べてきたものが『こうと汁』というものである事を知らなかったのだ。

「そういう名前の食べ物だったんだねぇ、、。」で、一件落着。

あ〜良かった....(汗)。うちは一般的な新潟の家庭であったのだ....。

 

後でインターネットで調べてみたら、この名称はあまり一般的ではなく、『こうとう汁』と呼ぶ地域もあるようだ。

『こうと汁』の名前の由来も不明。

逆に、うちではどうして『こうと汁』の呼称が定着していたんだろうか?

 

因みに、C君は、私が連呼した『こうと汁』が”コートジュルメ”とかに聞こえて、みっちゃんちはお正月にフランス料理を食べるんだぁ....、と思ったらしい。

これにはみんな大笑いだった ^ ^ 。

 

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2016年

12月

31日

『2016年』

年の瀬にあたり、この一年を振り返ってみた。

長かったような短かったような、、。

 

この一年間に書いたブログやFBの記事をざっと見直すと。。

 

*出不精の私にしては珍しくあちこち出歩いた。美術館や記念館、社交ダンスやロックのライブにも行ったし、美味しいものをいっぱい食べ歩いた。

 

*今までほとんど考えたことがなかった自分の身体の健康を、ちょっとは気にするようになった。急に痩せて、みんなに驚かれたなぁ。

 

*近頃、面白い夢をよくみる。夢占いサイトで「ふ〜ん、、」と妙に納得する事もあって、たまに吉夢の場合はその日一日気分がいい。(すぐ忘れちゃうけど。)

 

*親しい人たちと折にふれ、これまでとは格段に深いレベルの話がたくさんできた。( はっと気付く事があったり今更ながら反省したり、これからまた元気にやっていく力をもらったような気がする。)

 

*ずっと手探りでやってきた自分のJazzに、ようやくはっきりと目標が見えてきた。

 

こうして書いてみると、なかなか心身ともに得ることの多い年だったかもしれない。

何より時間がたっぷりあって、気持ちに余裕ができた。( 生徒さんには「先生、もっと仕事たくさんして下さい!」なんてお小言を言われたが・笑)

 

年頭・お正月のブログに「今年の目標は『生活を楽しむ』。」なんて書いていたから、とりあえず今年の目標は達成したみたいだ。

 

さて、来年の目標。

 

ん〜、、。なんかこのままでもいいんだけど、、。

 


いかんいかん!ちゃんと日々努力しないと!ってことで、来年の目標。

『もっと仕事たくさんします!.....ん? たくさんしたいです!か?・笑』

オリジナル曲も増やしたいです^_^

 

今年もブログを読んで頂き、本当にありがとうございました。

どうぞ良いお年をお迎えください。

来年も、みなさまにとって幸せな年でありますように。

 

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2016年

12月

22日

鬼平犯科帳

人間国宝・中村吉右衛門さん主演の人気時代劇シリーズ『鬼平犯科帳』が、今月3日の放送をもって終了した。

1989年から全150作。ずっと大ファンだった。

父が生きていた頃は、ビデオにとって家族でよく見ていた。

 


原作は池波正太郎氏の捕物帳で、江戸時代後期に実在した火付盗賊改方の長官・長谷川平蔵がモデルになっている。

 「原作にないものはやってくれるな」という池波氏の遺言で、これ以上は続けるのが難しくなったみたいだ。

 

オープニングでは毎回、勇ましい捕り物シーンをバックに淡々としたナレーションが流れる。

 *** 「いつの世にも悪は絶えない。その頃、徳川幕府は火付盗賊改方という特別警察を設けていた。凶悪な賊の群れを容赦なく取り締まるためである。独自の機動性を与えられた、この火付盗賊改方の長官こそが、長谷川平蔵、ひと呼んで『鬼の平蔵』である。」***

どこか民放らしくない、生真面目なトーンのナレーションだ。

メラメラ火が燃えて、ばったばったと悪者が斬られるめちゃめちゃ派手な捕り物とまったく対照的なのがいい。

 

エンディングには、日本の四季折々の風景、夏の風鈴売りや冬のそば屋台など町人たちの姿がまるで広重の浮世絵のように美しく映され、ジプシー・キングスの『インスピレーション』がそのシーンにぴったり合っていた。

池波正太郎氏の原作本を読んでいたので、  作品に流れる時代の空気や”男の美学”、密偵たちの人間臭さみたいなものが損なわれることなくちゃんと表現されているように感じて、民放なのに(笑・すみません....)、と感心していた。

 

本物の「長谷川平蔵」は、徳川家斉の時代に火付盗賊改方の長官だった人で、庶民から「本所の平蔵さま」「今大岡」と呼ばれて非常に人気があった。

罪人の更生の為の施設「人足寄場」を最初につくったことでも有名だ。

幼少の頃から地元のワルとして名前が通っていたらしいが、有能ながら人情味に溢れ、型にはまらない仕事をした豪気な人で、同僚から妬まれたせいで思うように出世できなかったらしい。

 

小説の中では、盗賊たちから鬼と恐れられる一方、平蔵を慕い手足となって働く密偵たちや部下の役人、妻や友人たちに細やかに心を配る、大胆で厳しいのに温かくて懐が深い人として描かれている。

まさに理想的な上司!ちょっとワルなところもかっこいいわぁ....って事で、男性も女性も絶対にファンになる魅力的な人物なのだが、中村吉右衛門さんは、そんなファンたちの想いを裏切る事なく、もうこの人しかいない!と確信するくらいに「長谷川平蔵」を演じてくれた。

 

私にとって、「眠狂四郎」の市川雷蔵、「シャーロック・ホームズ」のジェレミー・ブレット、「エルキュール・ポワロ」のデビッド・スーシェと共に、永遠・唯一無二の「長谷川平蔵」の中村吉右衛門になった。

でも「エルキュール・ポワロ」は2014年に最後の作品『カーテン』でシリーズが終わり、市川雷蔵もジェレミー・ブレットももうこの世にいない。

う〜、『鬼平犯科帳』も終わってしまって、この先、何を楽しみに生きていったらいいんだ〜....(泣)。

 

今は、夜寝る時に、YouTubeで昔のシリーズを順番に見ている。

20年以上前の作品ということで、中村吉右衛門さんはもちろん、多岐川裕美さんも梶芽衣子さんも若い若い!

そしてびっくりするほど綺麗だ。

 

28年間続いた『鬼平犯科帳』。本当に長い間、お疲れ様でした。

そしてたくさんの感動をありがとうございました!

 

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2016年

12月

03日

国際化ー箱根で考えたこと

よく行く三鷹のお店の仲良しなママさんと、箱根に泊りがけで遊びに行った。

 

登山電車やケーブルカー、ロープウェイを乗り継いで、硫黄の煙がもうもうと立ちのぼる大涌谷から芦ノ湖を望む桃源台まで、箱根の山をホッカイロを握りしめながら大いに楽しんだ。

一面の紅葉や壮大な湖の美しさ、どこでも極上の美味しいものが食べられて温泉もサービスも最高、、日本に生まれてほんと良かった〜、、。

 

それにしても、電車やロープウェイ・お土産ショップやレストラン、どこも周りが外国人だらけで、日本の国際化をすごく感じた。

だって、銀座や新宿よりも体感密度がめちゃくちゃ高い(笑)。

 


ロープウェイで一緒だった中国人ファミリーの小学生くらいの男の子が、下界に広がる樹海を見て「アイヤー‼︎」と叫んだ時は、ほんとに中国の人は驚くと「アイヤー‼︎」と言うのだな....と昔、漫画で得た知識が確認されて、非常に感慨深かった(笑)。

 

お土産ショップにいた中国人の少女( 4~5歳くらいだろうか )が、小さな声で中国の歌を歌っているのがふと聞こえて、その声と姿が抱きしめたいほど愛らしかった。

 

登山電車の列に並んでいた時、先頭に並んでいたカップルからちょっと離れて私たちが立っていたら、カップルの男性が心配そうに韓国語で話しかけてきた。「どうぞお先に^ ^」と言ったら、安心したのか笑顔で何か言っていたから、きっと順番から外れたか不安だったのだな、、。

 

帰りのロープウェイでは、シリコンバレーに住む日本人のIT起業家が中東系の友人と一緒に乗っていた。

私がママに、辛坊さんの『そこまで言って委員会』の話をしていたら、「私も見ています。面白いですよね!」と隣りから話しかけてきた。

「私は民主党です。アメリカの民主党支持者は、トランプが勝ったからみんなカナダに移住したい。」と笑いながら言うのを聞いて、日本は安倍さんで安心だなぁ、なんて、箱根の山の上で国際情勢をマジっと考えてしまった(笑)。

 

東京への帰途で、宮ノ下から箱根湯本までローカルの路線バスに乗った。

山の中をくねくね曲がりながら下るバスに揺られて軽く車酔いになっていると、運転手さんが無線で「⚪︎⚪︎から⚪︎⚪︎地点、イノシシの親子が横断中、注意願います。」と言っているのが聞こえた。

冗談かと思ったら、周りのお客さんたちは”いつも通り”ってな平気な顔をしているから、これは普通に真面目な注意連絡なのだ。

イノシシたちは、よそ者の観光客が昔よりやたら増えてるぞ、用心用心、とかちょっと思っていて、人間たちも、事故がおきないようにそれなりに配慮をしている、という状況かもしれない。

 

箱根は、地元民にとっても地元動物にとっても、大きく環境が変わりつつあるのだ。

 

日本はこれからどんどん、外国からのお客さんが増えていくだろう。

訪れる方も迎える方も、お互いが相手を優しく気遣って楽しい時間が持てるようになるといいなぁと思う。

外国からの観光客たちに身近に接して、銀座や新宿でツアーの団体客を離れて眺めていた時とはまるで違う気持ちになった。

 

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2016年

11月

10日

まじトラ

「もしトラ」が「まじトラ」でびっくりした。

石破さんも驚きを噛み締めていた、、。(日経ビジネスオンラインより)

日本、どうなるんだろうなぁ。

世界中が慌てて政策会議を開いているはず。

今までとは違う国際情勢になるんだろうか、、。

 

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2016年

11月

05日

ハロウィン2016

インターネットではこの時期、渋谷のハロウィン仮装イベントの記事が毎年恒例になっている。

とにかくもの凄い盛り上がりで、写真を見てもみんなの力の入れようが怖いくらいだ。

繁華街にはオレンジかぼちゃとおばけのグッズがあふれ、これでハロウィン・ソングまで登場したらクリスマス以上かもしれない。

まぁイベントの方向性(笑)はだいぶ違うけど、、。

 

先日、新潟で友人と会った時も飲食店の店先はもちろん、医療クリニックまでハロウィンデコレーションで飾られていた。

「ハロウィンの意味、分かってやってるんでしょうかねぇ....。」友人が思わずつぶやいていた。

そういう私も、通販で可愛いハロウィン・ソックスセットを買い込んで、どれから履こうかにやにや悩んでいる。

日本人はとりあえずお祭りが大好きなのだ。

 

こんなに盛り上がる前、ハロウィンという西欧の風習が物珍しかった頃の事だ。ライブの仕事が終わって深夜の地下鉄に乗っていた。

渋谷駅で、4〜5人の若い女性たちが慌ただしく電車に乗ってきた。

全員が看護婦らしく、白い制服はびっくりするほど血染めで顔はあちこち傷だらけ。髪もぐしゃぐしゃで、乗車するなりぐったりと座席に倒れこんだ。

私は、何かとんでもない事故か事件が起こったのだと思ってめちゃくちゃ緊張した。

でも乗客はほとんど無関心で、そのうち看護婦たちが「A子、どうしたの?』「先帰ったよ。」「ふ〜ん、、。」てな仲間内の業務連絡を始めたので、私は訳がわからず謎の集団をただ眺めていた。

ちょっと考えれば、夜中の電車に白衣ってのは明らかにおかしいのだが、、。

 

後から、ちょうどその日はハロウィンだったと知った。

彼女たちは渋谷ハロウィンの先駆けコスプレーヤーだったのだ。

 

今では、小池百合子都知事がリボンの騎士になり、三越のライオンもとんがり帽子をかぶる。

面白そうな事には飛びついて、とことん盛り上がる日本人だ。

ハロウィンは、日本古来の妖怪趣味とお祭り気質に絶妙にマッチしてすっかり定着した感がある。

 

きっとこれから、日本独自のお祭りに進化していくのだろうなぁ、、ホラーファンとしてはちょっと期待したいところだ。

 


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2016年

10月

26日

オリジナル9

Jazzを弾くようになってから、昔つくった曲をJazzのコンボで演奏できるように少しづつ手直ししている。

久々に1曲、なんとか形になった。20代の大昔(!)に書いた曲だ。

 

大学を卒業してすぐの頃、新潟で音楽仲間たちとバンドをやっていた。

所有機材はポリシックス( KORGのアナログシンセ )と1Uのデジタルディレイだけで、アドリブできない・リズムは悪いで最悪のキーボードなのだが、とにかくシンセを弾くのが嬉しくて、夜中まで部屋にこもって音作りとかベンドホイールの練習とかしていた。

 

バンドでは、人気有名バンドのコピーとかYAMAHAポプコンのアレンジとか、一週間集中スタジオ練習とか東京の有名なボーカルさんの新潟ツアーのバックとか、思い出してもなんだかいろいろワイワイと楽しかった。

今みたいにネットに情報があるわけでなく、地域限定で盛り上がっていた。

 

当時、私は、ロックとクラシックが混ざった感じの音楽-いわゆるプログレッシブ・ロックっていうのに憧れていて、YESの『危機』『こわれもの』やELPなんかを朝っぱらから大音量で聞いていた。

曲も歌詞も難しくてさっぱり理解できなかったが、その糸がもつれたような複雑難解さがめちゃかっこよかった。

どう頑張ってもコピーは無理っぽかったし弾けそうにもなかったので、自分でプログレ風のオリジナルを書くことにした。

 


ごちゃっとこねくり回した感じの曲(笑)が出来たが、どうもロックというよりクラシックとポップスの混ざった風になったのは、やっぱり私の中にロックの血が流れていないからだろうなぁ....まぁ仕方ない、、。

それでもなんとか曲としてまとまったのは、バンドのメンバーたちが恐ろしく上手かったからだ。

特に、ドラムのTくんは演奏の技術もセンスも素晴らしかった。( 彼は今や、日本を代表するロックドラマーになって活躍中である! )

 

最近、そのT氏とFBで久しぶりに巡り会って、すっかり忘れていたこの曲を思い出した。『Love Nix Love』

 

意味は、”かなわない愛”みたいなニュアンスだと思うのだが、曲名を付けてくれたのはTくんである。( 彼は英語がペラペラなのだ。)

私のセンスでは、絶対に絶対に無理なネーミングだ(笑)。

 

昔の譜面を引っ張り出して眺めてみたら、やっぱりごちゃごちゃっととらえどころがなく、ちょっとこれは....と諦めかけた。

でも、曲中(なか)の、ふわっと何処かに行く感じの部分がすごく良いなぁ、と思ったので、無理やり頑張ってJazzコンボ仕様に書き直してみた。

どこかバロックの雰囲気がある、なかなかロマンティックな曲になった。

 

それにしても、変拍子、臨時記号だらけで構成も変則的なので、こりゃあJazzManたちはもの凄く嫌がるだろうなぁ。

せめて、きれいに譜面を書き直し、頭を下げてお願いするしかない、、。

 

先行き不安な『Love Nix Love』だが、時間をかけて少しづつ完成させていきたい。

普段弾いているJazzとは少し違う音遣いを楽しみながら、メンバーにもアドバイスをお願いしてまとめていこうと思っている。

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2016年

10月

02日

痩せた?

2013年に父が他界し、2014年に母が後を追うように亡くなった。

その二年の間に東京から新潟の実家へ、そして新潟からまた東京へと引っ越しをして、介護をしながら自分の音楽活動の為に月2回、新潟-東京を泊まりがけで往復した。

 

思い返してみたら、、。

ふ〜、短期間だけどすっごく頑張ったなぁ。

なにせ一人だからね。もう気力だけで、頭、まったく働いてなかった気がする(笑)。

 

2015年は余力でよろよろ動いて、今年に入ってようやく、自分のペースでものを考えられるようになってきた。

いい感じに充実してきたなぁ、よしよし....。

 

なんて思っていたら、、。

会う人会う人みんなが、心配そうに「痩せた?」と聞くのだ。

体重を測るという習慣がないので、「うん、まぁ痩せたかもね、大変だったから、、。」てな生返事でやり過ごしてきたが、最近だんだん気になり始めた。

「わたし、そんなに痩せた?」

 

新潟の実家の体重計に乗ってみたら( 東京の家には体重計がない -_-;; )、3キロも減っていてびっくりした。

あげくつい最近、仕事で久しぶりに行ったライブハウスで「どうしたの?!そんなに痩せて!」と驚かれた。

自分でびっくりはしていても、相手にもそんなに驚かれるとけっこう傷つく(笑)。

もうね、ここまでくると悩んじゃいますね、なんとしなきゃって、、。

 

う〜、太ってやる〜!と、ただただ固く心に誓うのみだが、もう暴飲暴食をできる年でもないのでなかなか難しい。( 体調はいたって快調なのだし。)

 

痩せた原因は、2年間の心労や悲しみや過労や年取ったせいやピアノが上手く弾けないストレスやあの人にこんな事言われたことやあの国がほんと滅茶苦茶だったり、、まぁ普通にたくさん思い当たるのだけれど、たぶん、少しづつの変化だったので、自分ではそれほど気にならなかったのだ。

 

以前、このブログで「太った?」は女性に対して絶対の禁句だという記事を書いたけれど、「痩せた?」もダイエット中の人以外には禁句だと思うのだが、私だけか....?

とりあえず、3キロ奪還。

まずは甘いものかなぁ、、。

 

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2016年

9月

27日

美術展

新潟で美術展を見た。

『風景画の世界展』

たまたま招待券を頂いて、美術館が駅の近くだったので東京に帰るついでに立ち寄った。

新潟の資産家である敦井榮吉氏の私蔵コレクションの中から風景画を選って展示していて、横山大観や東山魁夷など、日本画にはまったく疎い私でも知っている有名な画家の作品もあった。

敦井氏は近代から現代にかけての日本画・陶芸の収集家で、そのコレクションは1300点に及ぶ。( 新潟にこんな粋人がいたのだなぁ。)

 

静かな空間でゆっくり絵を見る時間が好きだ。

展示された絵には、画家の息遣いや絵筆を持った時の手の力、時にはそれを描いた時の心ー何を感じ何を思っていたのかーが表れていて、まるでタイムマシンで時を遡って、その場に立ち会っているかのような気持ちになる。

 

美術館には、一種独特の張り詰めた空気が流れている。

作品がそれぞれの空気を醸し出している。

 

美術展というと思い出すことがある。

もう何年も前に、渋谷の東急Bunkamuraに「N.Y.グッゲンハイム美術館」を見に行った。

カンディンスキーの絵を見たくて行ったのだが、他にもピカソやシャガールやマティス....、展示された作品の素晴らしさに圧倒された。

 

ゆっくりと順番に見ていって、ゴッホの、彼にしては淡い色彩の小さな絵の前に立った時、何故だろう、涙がふっとあふれた。

 

『雪のある風景』ー溶け始めた雪が所々に残る冬のアルル(南フランス)が描かれている。

私は絵からちょっと離れて立っていたのだが、その絵の前に、一心不乱に絵筆を動かすゴッホの後ろ姿が見えた気がした。

冷たい冬の午後、ひと気のない平原で冷えた手を温めながらキャンバスに向かう彼の姿を、絵と同じ空間の中に感じた。( ポケモンGoみたいなイメージ。)

 


何故涙がでたのか。その時は分からなかったし、深く考えることもなかった。

(彼の気の毒な境遇-世の中になかなか認められない事-を可哀想に思ったんだろうか?)

そんな同情とは決して違う、もっと不思議な感情だったのを覚えている。

 

今、この記事を書きながら、あの時のことを思い返してみた。

私が見たと思ったゴッホの後ろ姿。

私はそこに、彼の必死さを感じたんじゃないだろうか。

自分の芸術に対するひたむきな熱情、それよりもっともっと強い彼の”必死さ”をきっと感じたのだ。それに胸を突かれたのだと思う。

もちろん、ただの思い過ごしかもしれない。

でも、そう考えたら何だかとても納得した。

 

それにしても謎は残る。

何故この絵だったんだろう? 他にもっと有名な大作があるのに....。

穏やかな小さな絵。

芸術家と作品の間には、凡人には計り知れない”神秘なもの”が在るんだろうか、、。

 

もしかしたらあの時の涙は、その神秘に触れた貴重な一瞬だったのかもしれない。

この世には不思議な事がいっぱいあるのだ! (....と私は信じたい・笑。)

 

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2016年

9月

14日

エゾシカ-Part2-

小さい頃、手塚治虫の漫画やディズニーの映画をよく見た。

画面の中のジャングルや深い森の奥は、子どもにとってお城の舞踏会やお姫様と同じように夢の世界だ。

『ダーウィンが来た!(NHK)』なんて当時はやってないし、アフリカや南米の森林地帯が実際どんな所なのか想像もつかない。

物語の動物たちは、兎や鹿などの草食動物はたいてい優しくて愛らしく、狼や虎やハイエナは狡猾で残忍で恐ろしげだった。


ストーリーに引き込まれると、可愛い動物たちを苦しめる肉食動物はなんて邪悪な存在なのだろうとおびえ、こんな悪者は地上からいなくなってしまえと願った。

ジャングル大帝のレオは例外で、まぁ全ての動物の王者だし、彼が毎日何を食べているのかなんて小さい子は考えなくて良いのだ。

 

こうして、世の中の事をまるで知らない子供が大人になって、ある日突然、自分が地球史上最強・最恐の肉食動物になっている事に気付いてびっくりする。

びっくりしない人の方が多いが、ショックを受けて、動物を一切食べない菜食主義者になる人もけっこういる。

『自分はなんて罪深いことをしているのだ、、。』

因みに私は、美味しく生まれてしまった海老やマグロや牛や豚は気の毒だなぁ、なんてお気楽な事をぼっと思っていた。

 

先日、地元の新潟で、”エゾシカ”と”鯨”という普段食べ慣れない食材を食べた。

美味しさに心底感激しながら、またむくむくと、考えなくてもいい事、あるいは考えてもしょうがない事を考え出した(笑)。

 

どうして”エゾシカ”が急に食卓に上るようになったのか。

どうして”鯨”を食べる事を世界の人が批難するのか。

ちょっと調べてみた。

 

”エゾシカ”は、天敵の狼を全滅させてしまったせいで増えすぎた。その結果、いろいろ困ったことが起きて、処理する=食べることにしたのだ。

人間が特定の動物を保護した結果、生態系が崩れてしまった。

反対の事例が、特別天然記念物ー国際保護鳥のトキだ。

私の地元・新潟県の佐渡トキ保護センターでは、明治から大正時代、肉や羽を取る目的で乱獲されて国内絶滅したトキを、人工繁殖・飼育で日本国内に復活させる試みを続けている。

 


”鯨”について言えば、反捕鯨は食の文化に対する攻撃だとする論調がある。

食用の家畜という文化に馴染みがない私たち日本人には、ハンバーガーをほおばりながら「鯨を殺すなんて残酷だ!」と叫ぶのは奇妙に映る。

菜食主義者たちから言われるのなら、まぁそう、、鯨、可哀想だよね...。

でも、そういう文化についての議論は永遠に平行線なので、今は生態系の維持について絞ってみる。

  

インターネットに、日本捕鯨協会の『反捕鯨団体の言われなき批判に対する考え方』という記事があった。

    http://www.whaling.jp/taiou.html

 

***世界中の鯨類が捕食する海洋生物の量は、世界の漁業生産量の3〜5倍に上ります。、、、鯨類が大量の魚を捕食していることは事実であり、鯨を間引くことでその分人間が魚を利用できることは間違いありません。、、、また、クジラは海の食物連鎖の中で最上位の捕食者であり、クジラだけをいたずらに保護することは海洋生態系のバランスを崩すことになります。***

 

他にもたくさん、反捕鯨の意見に対する<回答>が書かれていて、欧米の記者たちの感情的な記事よりはよほど説得力があると思った。

 

政治的なことはよくわからない。

でも、生態系のバランスという点で、”エゾシカ”と”鯨”、すごく似てるなぁ、、。

 

私たちは、地球史上最強・最恐の肉食動物だ。( ティラノザウルスより凄い。)

すべての生き物の最上位にいる。彼らの命をもらって命をつなぐ。

その意味で、子どもの頃に感じた”邪悪で残忍な悪者”そのものだ。

大人になった今、その事実に気付いてがっかりする。

”人間”という動物がやっている事、でもそれは生きていく為に仕方がない事だと諦める。(ずっと昔からそうしてきたし、これからもそうなのだ、、。)

そして、なるたけ考えないように心がける。(慣れてしまえばいいのだ、、。)

 

食物連鎖の頂点にいる者として、人間ができる事ってなんだろう?

好ましい動物を保護することか、害のある動物を絶滅させることか、工場で生産するように動物を飼育することか、命を奪う事を可哀想だと思うことか?

 

『動物を食べる』ということが、『植物を食べる』のと同じような感覚になってしまって、何も考えなくなる、何かを感じても深く考えなくなるということが、実はとても怖い事なんじゃないだろうか。

 

考えても結論が出る話じゃないし、何が正しいかなんて誰も言えない。

けれど、”エゾシカ”と”鯨”はそういう問題に向き合うきっかけをくれた。

頭の中がごちゃごちゃ・もやもやしているが、いろいろ考えてやっと一つだけ、答えを出した。

 

私は、日本の調査捕鯨に賛成だ。

”鯨”が食べたいからじゃなくて( 美味しいけど )、海洋生態系を維持するには、”鯨”が少なすぎても多過ぎてもきっと大きな影響がでる。

”エゾシカ”みたいなことになってほしくない。

だから、ちゃんと研究してコントロールしてほしいと思った。

地球上の全生態系に対する責任が、最上位にいる人間にはあるんじゃないだろうか。

 

でも、どうして人間だけがこんなに進化して最強になっちゃったんだろう?

未来のある日、人間より賢い生物が突然変異で現れるか宇宙からやって来て、あるいはAIがどんどん自己進化して暴走して、人間が完全に支配される側になったら世界はいったいどうなるんだろう?

 

、、うぅ、いかん、また、、.。

 

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2016年

8月

23日

エゾシカ-Part1-

幼馴染みで高校の同級生・K氏は、生まれ育った新潟市の事ならほとんど何でも知っている。

「すごいねぇ、、。」と尊敬すると、「何年ここに住んでると思うのよ。」と笑う。

私なんぞ東京に◯十年住んでいても、東京タワーにもスカイツリーにも登ったことがない。

そのK氏が、新潟・古町にある高級串揚げ屋さんに連れていってくれた。

 

大通りから抜けて狭い路地に入ると、こじんまりとちょっとお洒落な小料理屋さんや割烹・飲み屋さんが軒を連ねる。古町は、粋で風情があって大好きな街だ。

その串揚げ屋さんも垢抜けた店構えで、ちょっとお寿司屋さんみたいだなと思った。

 

店に入ってコの字型カウンターの席に座ると、小柄な店長さんが、丁寧に下ごしらえした野菜や肉・魚などの食材を目の前で次々に揚げてくれる。

こちらのペースを見ながら、絶妙なタイミングだ。

冷えたお酒を飲みながらK氏と話をするその合間に、一品一品、食材の説明と食べ方( 塩で、タレで、そのままで、とか....)をちょこっとつぶやきながら、カウンター越しに置いていく。

 

「アスパラです。」

「甘鯛です。」

「蓮根です。」

「村上牛です。そのままでどうぞ。」

 

そんな至福のひと時を過ごしていたら、店長さんがぼそっとつぶやいた。

 

「エゾシカです。タレで、、。」

 

ふむふむ、エゾシカね....、え、エゾシカ?、、エゾシカって、、あのエゾシカ?隣りのK氏は、別段何事もなく美味しそうに食べている。

 

極寒の北海道の冬。

人里離れ、見渡す限り雪と樹木だけの山野を背にしてこちらを静かに見つめる一頭の『エゾシカ』。

その神々しいまでに威厳ある姿が目の前にぽっと浮かんだ。

カレンダーや旅行雑誌のカラー写真でよく見るあのショットだ。


「エゾシカは食材で普通にあるんですか?」と聞いたら、

「はい。」とそっけなく言われて終わりだったので、それ以上は聞かず、雑念(笑)を払って初めての味を楽しむ事にした。

 

翌日、やはりどうにも気になって、インターネットで調べてみた。

”北海道のエゾシカくんたちは、今いったいどうなっているんだ?”

 

『エゾシカ』で検索すると、Wikipediaの説明文の次に『北海道でエゾシカが増えすぎて困っている件』というブログの記事がど〜んとあった。

それによると、、。

 

・北海道では、増えすぎたエゾシカが農作物や森林の樹皮を食い尽くして、甚大な被害がでている。

・エゾシカ出没による交通事故や列車事故も頻発している。

・こんなにエゾシカが増えてしまったのは、捕食者であった狼を人間が絶滅させてしまったから。

・「再び狼を野に放とう」という動きもある。( アメリカのイエローストーン公園での成功例あり。)

・しかし慎重論もあり、代わりに進んでいるのが「食肉としてのエゾシカ」である。(『エゾシカ食肉事業協同組合』)

 

ふむ、なるほど、、。

それで、北海道のエゾシカくんが、新潟・古町の高級串揚げ屋さんの冷蔵庫に入ることになったわけだ、、。

 

 

実は先日、これも新潟での話なのだが、『鯨汁(くじらじる)』という郷土料理を初めて食べた。

夏の定番料理ということだが、我が家では何故か一度も食卓に上らなかった。

新潟大学の数十年ぶりの同窓会で行った老舗料亭で出されたのだが、鯨がこんなに美味しいものだとは、日本人なのに-新潟人なのに-ちっとも知らなかった。

( 昔、給食で食べた鯨の竜田揚げが本当の『鯨』だと思ってはいけない -_-:: 。

あれはあれでけっこう好きだったけど....。)

 

捕鯨についてはいろいろ議論がある。

一方的に日本が悪者にされている感じだが....。

外国人が言う”捕鯨は残酷な悪行”って本当だろうか?

 

エゾシカと鯨、”動物を食べる”という事についてちょっと考えたくなった。

 

***Part2に続く***

 

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2016年

8月

14日

森鷗外-Part6- 記念館へ

***Part5より続く***

 

文京区立森鷗外記念館は、森鷗外の生誕150年の2012年、千駄木の旧居「観潮楼」の跡地に建てられた。

もともとこの場所には文京区立鷗外記念本郷図書館が建っていて、もう十年以上前になるが、敷地内に残っている有名な「銀杏の木」や「門の敷石」「3人冗語の石」の写真を撮って、上野精養軒でコーヒーを飲む、という私的ミーハー鷗外ツアー(笑)をやった事がある。

 

精養軒という老舗西洋料理店は、明治の文豪たちと非常に関わりが深く、鷗外や漱石の小説にも登場するし、留学を終えた鷗外を追ってドイツから来日したエリスが泊まったのが、築地精養軒であった。

築地精養軒は関東大震災で全焼し、現在は上野が本店である。

 

新しく改築された森鷗外記念館のことはインターネットで知って、ずっと行きたいと思っていた。

ファンの心理として、このような場を訪れるときのタイミングは、万全の体調と万全の環境を要求する。つまり、気分が良くて天気が良い日だ(笑)。

 

待望のその日、朝から何だか嬉しい。

今回は、他の場所も見て回るというようなツアーではなく、鷗外記念館だけをじっくりゆっくり観ることにした。

電車の乗り換えを調べて、いざ文京区千駄木へ。

 

千代田線千駄木駅を出て、団子坂を登ります。

この坂を鷗外もよく歩きました。


記念館に到着。

とても現代的な建物です。

外壁のレンガの削りは、若い職人さんたちの手作業によるものだそうです。


入り口に掲示された案内。

お盆休みなので人はあまりいないだろうと思っていたら、小中学生や若いカップル、お年寄りのグループまで、いろいろな層の人たちが来ていました。

 

 


館内は撮影禁止なので、写真はここで終わり。

大銀杏の木が見えました^ ^


ランチは館内のカフェで、ドイツ風ランチプレートとコーヒー。

お土産に、R.N.( 森林太郎の頭文字 )のモノグラムをプリントしたクリアファイルを買いました。

 


どっぷりと、鷗外と明治という時代に浸った半日だった。

鷗外が亡くなる一年前、何かの行事の際に広場を足早に歩く映像が残されていて、ほんの2〜3秒の短いものだったが、実際の鷗外の動く姿が見れて感激した。

何回も見てしまった(笑)。

 

5月からほぼ3ヶ月間、鷗外について、とりとめもなくいろいろ書いてきた。

作品もいくつか読み返した。

今日の記念館では新しい発見もあった。

何故だろう、こうやって鷗外と向き合うことで、自分の心が慰められるような、癒されたような気がしている。

こんな気持ちになるなんて、我ながら意外だった。

明日からまた頑張ろうと、ただそれだけをまっすぐに思った。

力をもらった気がした。

 

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2016年

7月

27日

森鷗外-Part5-『半日』について

***Part4より続く***

 

前回の記事で、「次回は、文京区千駄木の森鷗外記念館に行きます^ ^」なんて、珍しく前向きな事を書いてみたはいいが、最近なぜだか忙しく、せっかく暇でも雨が降り出したりで、鷗外記念館訪問は来月に先送りとなってしまった。

 

そこで今回は、鷗外の問題作『半日』について書いてみようと思う。

なぜ問題作かというと、この作品は、鷗外の私生活の秘密の暴露なのだ。

 

発表当時、誰が読んでも「あ、鷗外夫婦の話である。」と分かるくらいあけすけに、森家の台所事情まで晒して、嫁姑の御し難い仲の悪さを夫の立場から客観的に書いている。

嫁の気持ち、姑の言い分までちゃんと書いた上で、「もうお手上げである。」と降参しているのだ。

嫁が呪詛のように繰り返す姑に対する不満や悪口の合間に、置き時計の音が静かにチクタクと鳴るのがホラー映画のように不気味だ(笑)。


鷗外の妻シゲさんは、作品が雑誌に発表された時「なんてことするのよ!」と大慌てだったろうと思う。

石川啄木も、読んでびっくりしている。

世の中の人はたいてい驚き呆れたと思う。

そして鷗外は、態度が改まらないようなら第二作めを出すぞ、と妻シゲさんに宣告するのだ。

そう言いつつも、お前も小説を書いてみたらどうだと勧め、妻が書いた原稿を赤ペンでびっしり添削している。その赤ペンで真っ赤になった原稿を持って、シゲさんはいそいそと出版社を訪れるのだ。

 

なんかいいなぁ、、と思う。

鷗外は意地が悪いとか冷たいとかいう人がいるが、私はそう思わない。

 

森家の嫁姑問題はかなり深刻であった。

鷗外も苦慮のあげく、日本で最初の二世帯住宅ー嫁と母が家の中で顔を合わさずにすむ造りーを考案している。

現代も続く永遠の難問題を解決するなんて事は、家族制度が根本的に変わらない限り不可能に近い。

 

小説の中で「博士」は、「奥さん」のいつもの理不尽な悪口と罵りに怒りと諦めを感じながらも、御所に参内する公務を休んでまで『半日』延々と「奥さん」と対峙する。

机と火鉢を隔てて「奥さん」と真正面から向き合うのだ。

これってある意味、凄い事じゃないだろうか?

 

妻の癇癪に、「また始まった...。」と逃げ出す、耳をふさぐ、他の場所に楽しみを見つける、離婚して追い出す、、まぁいろいろな対し方があるだろうが、この「博士」は実に辛抱強い。

過去何回もこうした話し合いがあって、全部が実を結ぶことなく虚しく終わっている。

それにもかかわらず、「博士」は「奥さん」の訴えを半分聞き流しつつも無視することはしないのだ。

 

実際に鷗外は、周囲の離婚を勧める声にまったく耳を貸さず、晩年は夫婦水入らずの穏やかな日々を送っている。

 

鷗外という人は、目の前の問題に対して常に誠実であった。

自分の力が及ばない場合でも、精一杯我慢強く、誠実であろうとした。

 

『半日』を久しぶりに読んで、そんな事を思った。

 

***Part6に続く***

 

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2016年

7月

16日

森鷗外-Part4-『書くこと』について

***Part3より続く***

 

このブログは、5年前にある人の勧めで始めた。

最初は何を書いたらいいものか、億劫に思う気持ちと続けられるかという不安、読んでくれる人などいるのだろうかと限りなくマイナスに考えていたが、

「田崎さんの好きなものを書けばいいんですよ^ ^ 」の一言で俄然やる気が出た。「えっ? 好きなこと、書いていいの?」

 

昔から私は変なヤツだったと思う。

私が好きなもの、興味がある事、面白いと思った事、いろいろ考えた事なんかを話し出すと、だんだん相手は無口になる。

私の話が滔々と長いのと、妙に熱を込めて力説してしまうので、相手がしらけて退屈してしまうのだ。

話題もたぶん一般的じゃない。普通の人が、なんでそんな事を?と逆に驚くような事、例えば『母系社会と父系社会はどちらが幸せか』とか(笑)、聞く人にとってまったく迷惑千万な話だ。

思い返してみると、私の興味は随分と偏っていて、しかもどうでもいい事を無駄に深く考えてしまう傾向がある。

 

この重大な欠点に気付いてからは、だいぶ言動に気をつけるようになった。(それでも時々やらかしてしまうが、、。)

自分の好きなものについては、気を付けてあまり話さなくなった。

 

だから、ブログを書き始めた頃はそれはもう嬉しかった。

考えたり思ったりした事を文字にする。なるたけ正確に、嘘や誇張がないように簡潔な文章にする。

その作業がとても楽しい。

頭の中に散らかった思いや考えがまとまっていくのは、本当に爽快で気持ちがいいのだ。

 

そして近頃、今までとちょっと違う「書く事の楽しさ」を発見した。

 

文章を書く事は、色や形や大きさの様々な小石を使って一枚の多色濃淡の貼り絵を作るような作業だと思う。

絵に嵌め込む為の小石を、澄んだ水の小池の底からあれやこれやと拾い上げる。どんなに色が美しい小石でも、大きすぎたり形が合わなければ池に戻すしかない。

その拾い上げたり戻したりは、文章を書きながらどの言葉を使おうかあれこれ悩むのと似ている気がするのだ。

そして、Jazzの即興演奏で音を選ぶ感覚ともよく似ている。Jazzの場合はほとんど瞬時の選択だけれど、、。

言葉を選ぶ、アドリブのスケールを選ぶ、どちらも選択肢がたくさんあって楽しい。

選んで決める事の繰り返しを、自由に、自分の思うままにできる事がこの上なく楽しいのだ。

 

だから、ブログの記事を書き始める時は、ピアノに向かう時のようなちょっとしたワクワク感がある。

 

今回『書くこと』についていろいろ考えたのは、この3ヶ月ほど、ブログで鷗外について記事を書いてきて、ちょっと面白いことを思ったからだ。

 

遥か昔に図書館で森鷗外全集の書架を見上げた時、その膨大な量に圧倒されて、なんて勤勉で自制心の強い人なんだろう!と思った。恐るべき努力の人だと思った。

その時の驚きは本当によく覚えている。

 

そういう面は確かにあるだろう。

でも、どういう訳か私の頭の中に、ふんふんニコニコしながら机に向かってペンを走らせている鷗外の姿がぽっと浮かんだ。すっごく嬉しそうだ。

こんな妙な事を想像したのは多分、私がブログで曲がりなりにも『書くこと』を始めたからだ。

 

私の『書くこと』が小池から小石を拾い上げる事だとすると、鷗外の『書くこと』は、とてつもなく大きく深い湖の底に、誰も見たことがないような美しい小石が見渡す限りに散らばっている、高い山の頂から湖の底を俯瞰するとぴったりの小石がきらきら光って見える、魔法のように杖を振るとぴゅっとその小石が飛んで来る....(笑)、、てなふうじゃないだろうか。

鷗外の博識さは半端なものではなかったから、冗談ではなく、本当にそんな感じだったかもしれない。

もしそうなら、どんなに『書くこと』が楽しかったことか!

そして、彼の中で生まれる様々な思考は的確に表現され外に出されたのだ。

鷗外にとって『書くこと』は、面白くて愉快な事である以上に、息をするように必要なことだったのかもしれない。

 

私の勝手な思い込みだけれど、ちょっとだけ鷗外を近くに感じて嬉しかった。

 

次回は、文京区千駄木の森鷗外記念館に行きます^ ^

 

***Part5に続く***

 

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2016年

6月

21日

森鴎外-Part3-

***Part2より続く***

 

鷗外研究者やファンにとって「エリス事件」の真相は、長年”最大の謎”だった。

エリスとはどんな素性の女性であったか、、。

多くの研究者たちが、下宿の娘・娼婦・ユダヤ人の人妻など諸説発表しているが、どれも確定に至っていない。

 

私も、近くの公民館でエリス研究についての講演があればいそいそと出かけて行ったし、新聞やネットでも気が付く限りチェックしていた。

明治の文豪・森鷗外が愛した女性である。、、まぁ私の場合は学問的探究心とは程遠く、この人がいかなる女性で鷗外と何があってどんな人生を送ったのか、純然たる個人的興味(笑)で知りたいと思った。

 

そしてついに2011年、多くの鷗外関係者が、これが真実であろうと得心する発見が発表された。

ベルリン在住のフリーライター・六草いちかさんが、エリスの本名が「エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト」であり、仕立物師の母親と暮らしていた事などを、大変な苦労の末に見つけ出したのだ。

 

Amazonの紹介では『永年の論争に終止符を打つ。日本文学史上最大の謎、森鷗外「舞姫」モデルついに発見!』とある。

 

 


本を読みながら、青年・鷗外が目の前に現れるような気がした。

古いドイツの街並みや道を走る馬車、手書きで記された当時の名簿、エリスと初めて出会った場所かもしれない教会の門の扉、、、それらの写真を通して生身の鷗外、森林太郎の横顔が浮かんだ。

 本当のエリスの素性が発見された事で、これからの鷗外研究に新しい視点が加わる事になる。

 

六草さんのインタビュー記事がインターネットにあった。

(“ドイツNewsDigesut”の特集記事(2012.3/2)『生誕150周年記念・森鷗外とベルリン』より一部抜粋 )

 

*今回の執筆の過程を通して、六草さんは鷗外の人間像をどのようにご覧になりましたか?

 

「鷗外とはどういう人だったか?」、それを一言で表すなら「愛の人」だったと思います。

それは恋人や妻に対してだけでなく、友情だったり、母親や家族に対してだったり、人として愛する気持ちが強かったということです。

例えば、お弟子さんたちが鷗外について語っている回想録を読むと、誰もが「自分は鷗外に愛されていた、よくしてもらっていた」と感じています。

鷗外の子どもたちの手記の中には、「自分が一番お父さんに愛されていた」と書いてあります。

子どものために独自の教科書を作ったり、夜中にトイレに連れて行ったりなど、彼は愛情をもって子どもたちに接していました。

私生活ではいろいろなしがらみがあったようですが、自分を失わず、また人を愛することを失わずにいたのだと思います。(六草いちか氏)

 

 

六草さんは、最初に『舞姫』を読んだ時、なんて酷い話だと本を投げ出すほど怒ったそうだ。

自分の子を身ごもった女性を捨てる身勝手な男の話だから、まぁ無理もない。

鷗外を全く好きではなかった彼女が、エリス=エリーゼについて調べるうちに少しづつ鷗外への理解を深めていった。

「愛の人」は、ただ「優しい人」とは違う。相手に与える愛をたくさん持っていた、そしてその愛はとても誠実で理性的なものだった、、私はそう思う。

 

人として、男性として、父として、友人として、家長として、、。

作家や官僚・知識人としての公的な立場以外の様々な面が研究者たちによって明らかにされている。暗い面ももちろんある。

それでも、鷗外を知れば知るほどその人柄に魅きつけられる。

 

鷗外は40歳で再婚するのだが、その見合いの席の様子を娘・杏奴(アンヌ)さんがお母さんから聞いている。

「…、母は父を一眼見て気に入ってしまった。顔も厭ではなかった。どんな所が一番気に入ったのかと聞いて見たら、態度と、それから声が非常に気に入ったと答えている。全く父の声は少し濁を帯びて、低く柔い響を持っていた。」

 

ふ〜ん、その声、めちゃ聞いてみたかったなぁ....。低く柔かい声、、。

 

まったく私は、”超ミーハー鷗外ファン”なのである(笑)。

 

***Part4に続く***

 

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2016年

6月

13日

森鷗外-Part2-

(そうとう昔の話になるが....。)

大学卒業で国文学の論文を書くにあたり、鷗外=森林太郎について、小さい頃の事やらいろいろ調べ始めた。

そうすると、彼は本当にとんでもなく優秀な人で、幕末の藩医の家柄である森家一族の期待を一身に受けて育った超エリートと分かった。

10歳からドイツ語を習い始め、東京大学医学部を最年少の19歳で卒業している。

 

そもそも、この時代の日本のエリートたちの優秀さは半端なものではなかったと、いつだったかテレビの情報番組で見た覚えがある。

小学生時分から過酷な試験をいくつもパスしなければならなかったとか…。

ただ頭が良いとか勉強ができるのではなく、『坂の上の雲』や長州五傑(『長州ファイブ』)などの史実を見れば、自分の命と引き換えにするくらいの物凄い精神的強さを持って、開国したばかりの国の為に働こうとした人たちが明治の日本には相当数いた。

鷗外も、日本の未来を背負うべくドイツへ官費留学する。

 

ドイツ留学中は、友人や下宿人たちと親しく付き合い、勉強・研究ばかりではなく、舞踏会や宮廷劇場で貴族と交際したり美術鑑賞や観劇したり、それはもうヨーロッパ文化を思う存分に吸収した。

ドレスデン地学協会では、日本について講演したナウマンというドイツ人学者に流暢なドイツ語で論争を挑んで話題になったりしている。

行動がなかなか派手である(笑)。

(これらの事は、英国留学中に神経衰弱で引きこもりになった漱石とよく比較される。)

 

そんなドイツ留学時代に、鷗外はあるドイツ人女性と恋に落ちた。

この恋愛を題材にして『舞姫』が書かれるわけだが、実際に、帰国した鷗外を追って、たった一人で長い船旅を経て来日したドイツ人女性がいた。

この人が「エリス」である。

鷗外の周りでは、家族はもちろん親戚、友人、軍部の上司までもが「とんでもない事!」と驚いて、結局、彼女をドイツに追い返してしまった。

これから立身出世をするであろう大事な家の跡取り息子に、変な傷をつけてなるものかって感じだったのかなぁ、、。

 

この事件については、家族の言葉や陸軍関係者の日記・その後の鷗外の小説などから、断片をつなぎ合わせて推理するしかない。

当時の日本において異国の女性との恋愛はスキャンダル・醜聞扱いだったから、周囲はうまく処理して何事もなかったことにしたかったに違いない。

 

***Part3に続く***

 

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2016年

5月

08日

森鷗外-Part1-

国文科を卒業する時、選んだ卒論のテーマが『森鷗外』だった。

 

大学で国文科に入ったのは源氏物語に興味があったからだが、受けた講義が全く期待とずれていてすっかりやる気が失せてしまった。

学問研究は、ロマンチックな感性ばかりでどうなるもんじゃない(笑)。

 

その時期のひょんな巡り合わせで音楽の世界に舞い戻るわけだが、そうは言っても大学を卒業するには卒論を書かなければならない。

どうするかなぁ…、と考えた時にポッと心に浮かんだのが、昔読んだ森鷗外の『舞姫』だった。

 


日本人のエリート官僚とドイツ人の貧しい踊り子の悲恋の物語ー古めかしくも気品ある雅文体の文章が、昔のヨーロッパ映画のような光と影の世界をベールの向こうに描き出す。  

生々しい男女の恋愛について何か感想を持つほど大人じゃなかったが、とにかく美しいなぁと思った。

そしてその主人公のモデルが鷗外自身であることを知って、なんだかドキドキしたのを覚えている。

その時は小説に感動したというより、作者に興味を持った。『森鷗外』ってどんな人なんだろう?

 

卒論を書くにあたって、これから1年どっぷりと向き合うなら『森鷗外』以外ないように思えた。

漱石も谷崎も選択肢にない、何故か不思議な運命のように鷗外に惹きつけられた。

しかし、ここに一つ重大な見落としが、、。

鷗外が明治の文豪な事は知っていたが、あそこまでの大文豪とは思わなかった。

( 見通しが甘いのは昔から -_-;; ほんと笑い事じゃない....。 )

 

県立図書館に行って、鷗外関連の書籍の多さにマジで倒れそうになった。

全集も全38巻。書架を見上げて汗が出た。

鷗外の著作量は、400字詰め原稿用紙を毎日4枚、休まずに書いたくらいの量なんだとか、、。

 

陸軍軍医総監・高位の官僚で、明治の日本文化の啓蒙活動家でもある。

公務の他に公私の人付き合いも半端なく多かったはずで、そんな多忙な日々を送りながら、翻訳・評論・詩歌・小説・史伝・随筆などを多数執筆した。( 軍医として学術論文も書いている。)

日露戦争従軍中は、若妻と1歳になったばかりの長女・茉莉を思いやって、熾烈な戦闘の合間に愛情溢れるチャーミングな手紙をたくさん送っている。

4人の子供たちからは絶大に愛され信頼された。

4人全員が父親について本を書いていて、それを読むと、家庭人として鷗外がどれほど愛情深い人であったか胸が痛くなるほどである。

 

いったい、いったい鷗外ってどんだけ超人なんだ?!

小さな子が映画のスーパーマンに憧れるように、私は鷗外を敬慕した。

 

たくさんの作品や文献を読むうちに、彼が抱えていた苦悩や哀しみも見えてきた。

様々な事が自分の思いとかけ離れていく現実の中で、それでも自分の持てる能力すべてを尽くして国に報いようとし、家族や友人を誠実に愛した。

とてつもなく賢く、心の大きな人だったのだと思う。      

 

私の大学時代はろくに勉強しないダメ学生だったが、唯一、『森鷗外ー森林太郎』という人の”生き方”を知れた事は、私の大切な宝物になった。笑っちゃうくらいに見通しが甘かった事が幸いした。

無謀にも”テエベス百門の大都”を前にして、無我夢中・しゃかりき一生懸命に書いた私の卒論。

教授に「なかなか面白かったよ ^ ^ 」と言って頂いたが、多くの研究者たちの意見の引用ばかりで、今思い返しても稚拙で浅薄でひとりよがりで恥ずかしい限りだ。( 提出した後、大学に取りに行っていない、、。 )

 

年月を経た今、論文でも研究でもなく、ただ自分の好きな事だけを書くブログでこうして鷗外についてあれこれ考えている事を思うと、ちょっと不思議に思う気持ちと嬉しさがごちゃまぜになって、何やら幸せな気持ちになる。

『舞姫』がポッと心に浮かんだあの瞬間は、まさに運命だったのだなぁ、と思う。

 

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2016年

5月

04日

モロッコいんげん

駅前商店街の八百屋さんで買い物をしていて、トマトの隣に長さ20センチ以上もある巨大なさやいんげんを見つけた。

”わ、なんじゃこれは、、。”と思って、お店の若者に聞いたら「あ、それ、モロッコいんげんです^ ^」と教えてくれた。

「へぇ、モロッコから来たんだ....。」と感心したら、お店の人たちにめちゃめちゃウケた。

「いえいえ、長野でふつ〜に育ったやつです。」さっきの若者が笑いながら言う。

ふぅ〜ん、そうなんだ。私が知らなかっただけでかなりポピュラーな野菜らしい。

 

帰り道、一つ利口になったなぁ....、なんてふんふん得々と歩きながら、突然はたと思った。

じゃあ、なんで”モロッコいんげん”なんだ?

カリフォルニアオレンジはカリフォルニア、フィリピンバナナはフィリピン、台湾バナナは台湾、なのにモロッコいんげんは長野....。~_~?

 

早速、インターネットで調べてみた。

・モロッコいんげんの原産地は地中海沿岸。モロッコではない。

・昭和51年から日本で販売された。

・当時、モロッコを舞台とした映画「モロッコ」や「カサブランカ」などがヒットしていて、それにあやかり命名された。

 

つまり、”モロッコ”が当時たまたま巷で流行っていて、それにあやかって付けられた名前であり、この野菜の出自にも外見にも性質にも全く関係が無いのだ。

そう分かってみると、目の前の大きな”モロッコいんげん君”が、何とも哀れで頼りなげに見えた。

 

日本に来て既に40年、もうそろそろ本人的に納得できるネーミングを考えてあげてもよさそうなものだ。

最近、スーパーの野菜売り場で、新顔野菜( ロマネスコとかグラパラリーフとか )が高級そうな名前で幅を利かせている事だしね、、。

 

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2016年

4月

18日

地震

ここ数日、インターネットニュースをちゃんと見ずに過ごしていた。

今朝、熊本の地震がさらに大変な事になっているのを知って愕然とした。

こういう時、テレビがないと全く情報が入ってこない。

自分の怠慢でもある。

 

ほんの数年前の恐怖と混乱を思い出した。東京にいても、毎日が不安で不安でしょうがなかった。

今、被災地の方々は、もっともっと不安を感じておられると思う。

 

被害の写真を見て呆然とした。

救援隊が多数、派遣されているようだ。

情報を探して、しっかりと知らなければいけないと思った。

 

熊本の皆さんの安全な生活が1日も早く戻りますように。

 

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2016年

3月

15日

ともだち

先日、18年振りに再結成したJazzコンボの仲間たちとライブをやった。

18年前、Jazzについて殆ど知らなかった私に様々な事を教えてくれた大好きな人たちだ。

教える、と言っても言葉ではなく、とにかくいろいろ聴いて自分の音を出してみんなで遊ぶ。そのうちにJazzってこんなんかなぁ、、とおぼろげに見えてきた、という感じだ。

 

初心者にはハードルが高いジャムセッションも、<みんなで行けば怖くない!>って勢いでたくさんのお店に行ったし、合宿したりバーベキューしたり温泉に行ったりお祭りで演奏したり、まぁ本当に本当に楽しかった。

Jazzとの最初の出会いがこのメンバーだったからこそ、今、私はこうしてピアノを弾いているのかもしれない。

 

ずっと会っていなくても、会えばすぐに昔と同じ顔になる。

それが『ともだち』だなぁって思う。

18年振りの仲間たちのライブ。演奏しながら、懐かしさと嬉しさで心がいっぱいになった。

私の隣りの可愛らしい笑顔の恵さん、ボーカルのゲストで参加してくれました。ともだちの輪が広がっていきます^ ^


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2016年

3月

15日

夢占い

他人の夢の話を聞くのはちょっと忍耐が要る。

”興奮冷めやらぬ”だから、人によっては微に入り細に入り丁寧に説明してくれるので話がやたら長くなる。

どこで相槌を打ったらいいものかよくわからない。

落語みたいに、聞いた最後にこれは夢でしたってオチがつくならかなり楽しめるが、最初から夢と分かっていたらどれだけ凄い話でも全然びっくりしない。

 

そんな訳で、自分の夢の話はめったに人にしない。話さないからすぐに忘れてしまうし、だいたいがそんなに夢を見ない。 


でも数年に一度くらい、起きてから「ふへ〜?」と呟く変テコなやつを見る。

強烈なのは今でも2、3覚えている。

 

最近、インターネットで夢占い(夢診断)なんてのを発見して、面白そうだから昔見た夢をいくつかキーワード入力してみた。

意外な回答が出てきてちょっとハマった。

 

『前向きな気持ちで何事にもチャレンジできる状況です。』

『あなたの未熟な一面が表れる場合があります。』

『あなたの性格のイヤな部分、、改善せよ!との警告なのかもしれません。』

 

ふむふむ....、あの当時もしかしてそんな状況だったかも、、そうそう、未熟だったよ、あたし、ほんとイヤな奴だったし....。

昔の自分を思い出して反省したり納得したり、為にはならないが害もなく、なかなか平和で楽しい暇つぶしだ。

 

つい先日、久しぶりに「ふへ〜?」な夢を見たので、早速夢占いでチェックしてみた。

『恋愛運は上昇の傾向です。』

『あなたが積極的になっているしるしです。、、また、恋愛面でも明るい兆しです。』

えぇ〜っ? そんな筈ない、絶対ないない(*o*)

占いだからってこういう間違いは困るなぁ、びっくりして体に悪いわぁ、、。

 

その3日後、また違う変な夢を見た。( 続けて見るなんて珍しい。)

『これから素敵な恋をしよう、と思っているしるしです。』

『音楽を聴いている夢は、恋愛の願望を表します。』

ど、どうしたんだ....?(~_~;;

 

一抹の不安が忍び寄る。「もしかしてあたし、、。」

フロイトやユングも夢は精神分析で重要だって言っているし、無意識で「素敵な恋をしよう!」なんて願っているのか、私は。

ここ久しく微塵もそんな事を思った覚えが無いのに、深層心理ではまったく違う自分があ〜だこ〜だ考えているとか、もしそれが本当ならこれはホラーだ、悪い夢だ!

 

その日以来、平和な毎日が謎と恐怖にかき乱されている(笑)。

ホラー・SFファンとしては次の展開に期待したいところだ。

私の中の誰かとか、もう一人の私とか、異次元の私とか、パラレルワールドの私とか、未知との遭遇とか、、。果たして謎は解明されるのか !?

 

あれ?

 

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2016年

2月

20日

リズム

今、一番考えている事はリズムだ。

 

ここ最近やっと右手の薬指と子指に力がついてきて、フレーズを弾きながらよろよろする事が少なくなった。

でも、鍵盤が重いグランドピアノだったりするとまだまだヘタレる。

指に十分な力がないと、タッチのコントロールが行き届かなくてガンガン強い音が出たり、Jazzのリズムが思うように踏ん張れない。


グランドピアノを弾く機会が増えた事で、そんな初歩的な事がようやく致命的な欠点だと気が付いた。絶対克服しようと決心した。

まずは、一人で安定したスイング感が出せる事。

そもそも、4ビートちゃんと理解してるんだろうか、わたし....?

そんな自信の無さはちゃんと音に出る。

 

Jazz Pianoを弾こうとすると、コード・ボイシングやスケール、アドリブのやり方とか、リズム以外にいろいろ勉強する事が多い。

けっこう頭も労力も時間も使う。

そして、何とかまがりなりにもアドリブをこなせるようになると、何故かむくむくと”できちゃった感”が生まれる。”いい気”になっちゃうのだ(笑)。

そしてある日、共演するメンバーから強烈なダメ出しを食らう、、。基本的なリズムのアンサンブルー共有ができていないのだから言われて当然のことだ。

これはかなりダメージが大きい (-_-;; 辛くて胃が痛くなる....。

でも、言ってくれた事は全部本当の事なので丸ごと聞くしかない。努力して改善するのみだ。

 

一番大事なのは、リズム。そしてたぶん、一番楽しいのもリズムだ、きっと。

 

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2016年

2月

09日

どっちが、、。

以前ヤマハのエレクトーン講師をしていた時に、ホンの短い期間だったが千葉にいた事があって、子供たちのエレクトーンコースを1クラス担当した。

最初に新潟出身だと自己紹介したら、子供だから無邪気にいろいろ質問してくる。

 

「先生んちはお百姓さん?」

「冬には雪が屋根まで積もるの?」

  (ヤマハ千葉センター)


「先生はスキーが上手?」等々だいたい既定路線なわけだが、1つびっくりする質問があった。

 

「新潟と千葉と、どっちが田舎?」

 

田舎について、それまでちゃんと考えた事がなかった。

田んぼや畑がのどかに広がり、小さな川のほとりで鳥がさえずる。雨が降れば森の木々がざわめき、どこかで大きな木の上に雷がどか〜んと落ちる…、なんてベートーベンの交響曲『田園』みたいなのが田舎だとずっと思っていた。

 

少なくとも、新潟にはバスの走る大通りもあれば大きなデパートやショッピングモールもある。お洒落なお店がいっぱいあるし、流行のファッションに身を包んだ女性もたくさん歩いている。

多少、東京に比べれば見劣りするかもしれないが、、。

 

「絶対に、新潟は田舎ではない!」

と私は確信する訳だが、どうも子供たちの「どっちが田舎?」の”田舎”はそういう意味ではない。むしろ”どっちが”が重要ポイントなのだ。

ニューヨークより東京が田舎、東京より千葉が田舎、千葉より◯◯が田舎という具合に、比べてみて見劣りする方が”田舎”という事らしい。

つまり、”田舎”認定すなわち格下という事だ。

 

へ〜、面白い事を言うなぁ、なんて思っていたら、この問題は大人も含めてけっこう根深いのだ。

例えば、

・千葉と埼玉で合同イベントをやる場合「千葉・埼玉大会」か「埼玉・千葉大会」かでマジにもめる。

・茨城と一緒にされる( チバラギとか )のを極度に嫌がる、その割に神奈川県にはあっさり負けてしまう( 負けっていうのがよく分からないが...ー.ー? )。

・”田舎者”とか”田舎くさい”という言葉に非常に敏感に反応する。

新潟人からすると、なかなか興味深い経験をした(笑)。

 

なまじ大都会の周辺に生まれると小さい頃から苦労が多いのだなぁ…、なんて人ごとと思って見ていたけれど、こういう生まれた土地から来る対抗意識、私は嫌いじゃない。むしろ、ちょっと羨ましかったりする。

 

大阪のタクシーの運転手さんは「お客さん、東京から?」の質問の後、だいたいが軽妙な関西弁で大阪自慢を始める。

神戸の友人たちは「大阪とは違うから!」という点で見事に一致団結している(笑)。

そんな「あそこと比べてうちは」的な競争心は、新潟の県民性の中にあまりない。

 

新潟には美味しい米も水も魚もお酒もあって、自慢できるものがたくさんある。他県の人も大いに認めてくれている。

だからとりたてて他と競争しなくても…、という事かもしれない。”田舎”認定に怒る人もまずいないだろう。

そもそも、”どっちが”と考える事を普段から殆どしないような気がする。

他の土地と競うという習慣がないのだ。

 

だから、「新潟と千葉と、どっちが田舎?」とオール千葉を背負って果敢に質問してきた小さな子を思い出して「ほう、なかなかあっぱれ!」と笑ってしまった。彼女は千葉人として挑戦してきたのだ。

あの時の私が、彼女が千葉人を自覚するくらいに新潟人を自覚していただろうか、と思ったら、残念ながら恥ずかしいばかりだ。

「新潟は田舎じゃないよ〜^ ^;;」と思うばかりで、、。

 

でも、そんな暢気さがまた新潟人らしいのだろうな。

 

あれ、昔の思い出話が県民論になってしまった、、。

こんな狭い日本だけれど、ちょっと考えただけでまぁいろいろあるもんだ(笑)。

 

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2016年

1月

31日

雪のこと。

ここの所、東京は久しぶりの雪で結構な騒ぎだ。

新潟出身者からすると、日本は広いなぁとぼそっと思う。

このくらいの雪でニュースになるって、まるで外国にいるようだ。

 

私が生まれた町は湯沢や十日町といった豪雪地帯からはとても遠いので、さほどの大雪は降らない。

でも小さい頃、朝起きて窓を開けると一面の銀世界で、ピンと張りつめた冷たい空気の中、陽の光を反射してキラキラ輝く真っ白な雪を眺めて、泣きたいような笑いたいような気持ちになった事は幾度もある。

たぶん、新潟の人の人生は雪と切っても切れない

 

新潟の冬。

朝起きると外は猛吹雪。あられ混じりの雪と息もできないくらいの横殴りの風。

通学通勤の老若男女は、ただ黙々と普段通りに学校や職場を目指す。父は車通勤だったが、命の危険を何度も感じたと言っていた。

私もそんな日の朝は、「わ、やだなぁ…。」と思いながらも『明日に向かって撃て!』のラストシーンみたいに(笑)、玄関から外へ頭から飛び出して行く。

天気に文句を言ってみても何になるだろう?

 

先日、東京で雪が降った時、大学は休講にするべき!・なんで社長は自宅待機を決断しない?といった書き込みがネットにあふれた。

まぁ交通網の規模と状況が違うから比較はできないのだが、そうした書き込みを読みながら、新潟人気質、雪国の人の気質みたいものをちょっと思った。

 

2011年の大震災。

被災した東北の人たちが見せた信じられない程の我慢強さと秩序正しさに世界中の人が驚いた時、私は日本人がもともと持つ美徳と同時に、雪が降る土地特有の考え方みたいなものがその根底にあるんじゃないかと思った。

困難にあった時、まずは一旦すべてを受け入れるというか、目の前の事実を”諦め”と共に冷静に認めるというか、、。

 

そんな偉そうな事を言っている私は、20代で新潟の冬から逃げ出した。

真冬の日に見た湘南の青い海が、どうしても忘れられなかった…。

でも、どんなに離れても小さい頃の雪の記憶は消えない。

 

東京に雪が降った朝、ベランダの手すりにうっすら積もった雪を見てすごく嬉しくて、思わず窓をあけて『もっと降れ〜!』なんて心の中で叫んでいた(笑)。

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2016年

1月

26日

一月という事で。

年頭にあたり、今年の目標を考えてみた。

とは言ってもすでに二十日以上過ぎている、、。

 

お正月は帰省せず、東京でダラダラのんびりしていたら、松の内を過ぎた頃からいろいろあってバタバタ忙しくなってしまった。

そんな中、18日に新潟に帰る予定だったのだが、東京は朝から大雪が降った。

予約していた高速バスは運行中止だし西武新宿線は止まっているし、中央線は物凄い遅れだし上越新幹線は大丈夫なのかネットでずっと調べて、ようやく午後になって電車も回復しているだろうと東京駅に向かうことにした。

 

予想に反して、中央線は間引き運転のせいか朝の通勤ラッシュ並みに超絶混んでいて、荷物ごとぎゅうぎゅう押しつぶされそうな勢いだ。

たどり着いた新幹線はガラガラにすいていたが、朝からの大混乱大格闘で精根尽き果て、コーヒーセットのケーキを頬張りながらぐったりしていたらあっという間に新潟に着いた。

高速バスに慣れた身としては信じられない速さだった(笑)。

 

実家に帰っても一人だが、高校時代の同級生たちや何十年来の気心知れた友達、久しぶりに再会して近況を報告しあった友人や最近親しくなった近所のお友だちが連日付き合ってくれて、めちゃ楽しい時間を過ごした。

東京の大雪のことなどすっかり忘れてしまっていた。

 

年頭から山あり谷ありで、ぼっとしていたら今年の目標をまだ考えてなかった事に気が付いた。

 

さて、2016年。

今年は”なんとなく良い感じ”がする ^-^ 

まず、2と0と6っていう丸々した数字がいいなぁ....。平成28年の8も丸い。

閏年はちょっとスペシャル感があるし、干支のお猿は愛すべきお笑い系キャラだ。

「気持ちをおおらかに持って、心の角を取って笑って過ごしなさい。」なんて言う声が天から聞こえた気がした。

 

という訳で、今年の目標は『生活を楽しむ』。

都内の散歩とか旅行とか、今までほとんど考えたことがなかったけれど、面白そうな計画を一つたててみようかな。

 

一年、楽しいことをいっぱい考えて笑顔で暮らせますように!

このブログを読んで下さっている皆さまにも、素敵な一年でありますように!

 

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

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2015年

12月

31日

大晦日

一年最後の日を東京で過ごすのは何年ぶりだろう?

 

       ***************

  

大混雑する東京駅の新幹線ホーム。

えっと〜、、どの列がどの列車?最後尾はどこ?、越後湯沢までしか行かないとか何とか放送で言ってるけど....、ほんとにこの列で大丈夫なんかなぁ、、。

あっ、そこのおばさんたち、割り込まないでよ、う〜、それにしても寒い....。

 

指定席をあらかじめ取っておけば良いのだが、私がそこまで用意周到だったら迷わず高速バスを選ぶ。年末はちょっとでも出遅れると予約が取れないので、結局新幹線の自由席になってしまう。

高速バスは乗車時間は長いが、車内は水を打ったように静かで荷物などのストレスもなく、山中の息を呑むような雪景色を思う存分堪能できて、私のように一人であ〜だこ〜だ考えるのが好きな人種には格段に快適なのだ。

しかも料金は新幹線の半分で、欲を言えば5時間じゃなく4時間だったらもっと良い ^ ^。

 

実家にたどり着くと、掃除や買い物、料理( 父のお手伝い )でいろいろ忙しい。

私と父がバタバタしている中、母が居間で悠然とテレビを見ている、というのが我が家のいつもの年末風景だ。

「ほら、良いのやってるから見ていけ。」と母は言う。(歌舞伎中継とか世界の美術館とか、、。)

なんか新約聖書のマルタとマリアみたいだなぁなんて思っていた。( 私はキリスト教信者ではないけれど。)

 

注文したおせち料理とお寿司が届くと、後はゆっくりお風呂に入って夕食だ。

父と私が晩酌をしている側で、母がお寿司をパクパク食べている。

醤油はネタにつけるんだと父が教えるのは毎度の事で、母はその時だけ直すがすぐに忘れてしまう....。

イエスの接待に立ち働く姉マルタと説教に聴き入るマリア(画:フェルメール)...wikipedia


       ***************

 

今年は新潟に帰らず、近くの駅前商店街でお正月の買い物を済ませた。

これからは『家(うち)のお正月』じゃなくて、『私のお正月』になるんだな、、。いろいろな思いがよぎってちょっと胸がいっぱいになった。

不精なことをしていると几帳面だった父に怒られそうだ ^ ^;;。

 

 

今年もブログを読んで頂き、本当にありがとうございました。

このブログを書く事で、大変だった一昨年/去年もなんとか乗り切れたような気がしています。

私にとって大切な”書くこと”と”弾くこと”。来年も楽しんでやっていきたいと思っています。

どうぞ良いお年をお迎えください!

 

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2015年

12月

25日

今日は...

クリスマス!ということで、商店街のお肉屋さんから店主のおじさん特製のローストチキンを買ってきた。

12月になったと同時にワクワク待っていたので、友人に会うたびに話していた。

「1羽ってこんなにおっきいんだけど、ほんと美味しいんだよ〜。」

パーティやるの?と聞かれて、「 え? 一人で食べるんだよ ^ ^ 」と言うと、だいたいみんな絶句する(笑)。


さすがに一度では食べきれないので、サラダやサンドイッチ・スープとかいろいろ食べて、あとは冷凍する。

季節のイベントを”食”で味わうって、なんか粋だよなぁ....。

日本人であれば、一年を通して相当な数の季節のイベントがある。正月、お花見、七夕・お盆、紅葉狩り、、。( まぁ自分で料理するんだったら100倍もっと粋なんだけどね ー_ー;; )

大勢の仲間たちと楽しむも良し、独りで楽しむも良しだ。

今晩は『孤独のグルメ』を気取って、もぐもぐやりながら”あ〜だこ〜だ”つぶやいてみようかな....(笑)。

 

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2015年

12月

11日

クリスマスシュトーレンとお正月

12月に入ってすぐ、いつも行く商店街の小さなパン屋さんに食パンとイチジク入りカンパーニュを買いに行ったら、見慣れない綺麗なお菓子のパッケージがたくさん置いてあった。

何かな?と思ってお店の奥さんに聞いたら、

「クリスマスシュトーレンです。ドイツでは、クリスマスまでに少しずつスライスして毎日食べるんですよ。」

ドライフルーツやナッツをたっぷり練り込んだ生地で、表面にはバターを塗って砂糖をまぶしてあるのだそうだ。

う〜、甘い物好きとしては話を聞いてるだけでたまらない....。

早速、小さなサイズを一つ買った。

奥さんが「少しずつ」と言ったけれど、あんまり美味しくて「少しずつ」は無理だった o_o;;。

 

*クリスマスシュトーレン*

(小さなサンタの置物は美容院でもらったプレゼント。

動かすとサンタの周りに雪がチラチラ舞って綺麗だ^ ^)



今日、もう一つ買いにお店に行った。

それからお肉屋さんに行って、クリスマスのお店特製ローストチキン(1羽分)を予約した。1羽は一人暮らしではさすがに食べ切れないのだけれど、台所で包丁片手に格闘解体・冷凍保存まですれば、最後は鶏ガラのスープまで一ヶ月以上堪能できる。

めちゃリーズナブルでめちゃ美味しい。

 

西欧文化ではクリスマスがクライマックス、日本の文化では桜かお正月だが、子供たちが心待ちするのはやはりお正月の方だと思う。

「♪もうい〜くつ寝ると〜お正月〜」....でも凧揚げ羽根つき・ゲームより楽しいのは、きっと家族みんなでご馳走を食べることだ。

うちの実家も、お寿司やすき焼き・料亭のおせちで連日ご馳走だった。

新潟の郷土料理である”こうと汁”を作るのは私の担当で、大根、人参、牛蒡とこんにゃく、かまぼこ、油揚げに焼き豆腐、鮭、豚肉、ねぎと銀杏、とと豆....10種類以上の具を入れる。味付けは醤油と砂糖がちょっと。

味見は、居間でくつろぐ母のところまで汁を入れた小皿を運んでお伺いをたてる。

「テンハオ、テンハオ!」と言ってくれるまで何回も往復する。(『テンハオ』は中国語で最高という意味らしい。母は中国人じゃないけれど、何故かこの『テンハオ』はお気に入りフレーズだった。)

この”こうと汁”のお椀にお餅を入れて食べるのが新潟のお雑煮だ。


来年は、父と母が相次いで亡くなって2回目のお正月。

毎年、年末は何があっても必ず新潟に帰って、家族三人で大晦日の夜を過ごした。帰って来いと言われるのではなく、私がどうしてもそうしたかった。

去年は一人きりの実家で、黙々と大掃除をして元旦を迎えた。


我ながら不思議なのだが、東京にいても新潟にいてもまったく一人という感じがしない。

いつも父と母がどこかにいる、話しかければいつも”なんだなんだ?”とこちらを見てくれる、、そんな暖かな空気をなんとなく感じる。

だからいっそ今年は、お正月を東京で過ごそうかと思っている。

父と母に、東京のお正月を見せてあげるのも悪くないな、と思う。

青空が広がるカラッとした関東のお正月は、新潟人にとってはなかなか衝撃的だ。

特に母は、一度だけ一緒に行った原宿竹下通りが大好きだったなぁ、なんて思い出した....。

何十年ぶりに明治神宮ってのも良いかもしれない、三が日の初詣はちょっと無理だろうけれど(笑)。


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2015年

11月

30日

愛しの”県高(けんたか)”-Part2-

”けんたか”-県立新潟高校については、書きたい事が山ほどある。

でも今日は、前回の”ちょっと考えた事”を書きたいので、ほんのさわりの3つほど、、。


”けんたか”の校風は一言で言えば自主自由だ。

校則がゆるく、先生たちとも仲が良かった。

女子は制服がなく、私なんぞ今となっては考えられないほど服装には気を使っていた(笑)。

毎日「ミニスカートにハイソックス」でキメてたなぁ、、極寒の新潟の冬でも気合入ってた....。

因みに、男子はGパンに学ランってのもOKだった。


『丈夫(ますらお)〜のたばっさむ粗野の〜、、』

もの凄く男らしく勇ましい( が、歌詞が難し過ぎて意味はよく分からない )応援歌を、超硬派応援団長の「それ〜!」の掛け声とともに、”お腹から声を出して”( 入学するとすぐ応援団の指導がある )だいたいどんな場面でも必ず歌った。

卒業式も例外ではない。そして卒業後も例外ではない。

これは伝統である。


年間最大のイベント・6月の『青陵祭』は、全校挙げて大変な事になる。

体育祭+パフォーマンス祭みたいな感じかな、、とにかくこの日に向けてみんなパワー全開だ。

各学年10クラスの縦割りで全校生徒が10連合を結成し、連合ごとに掲げるテーマに基づいたパフォーマンス、競技や応援、各陣地の応援席バックの大看板などで点数を競う。


準備期間は約1ヶ月。大道具や小道具、衣装、音楽製作などで校内騒然・混沌となる中、各連合早朝から夜間まで死力を尽くす。( でも授業は普通にある....o_o )

女子は炊き出し班で、練習の合間にせっせとおにぎりを握り、男子上級生は作戦会議で知恵をしぼる。

さながら戦国時代の合戦の様相だ(笑)。

上位入賞連合には、順位に応じて”あんぱん”が配られる。

”あんぱん”を沢山もらった連合の生徒たちは、もらえなかった連合の生徒たちに「や〜い!」と見せびらかしながら食べるのが正しい。これも伝統だ(笑)。

さて懸案の”ちょっと考えた事”というのは、、、。


この『青陵祭』の思い出に浸っていた時、ふと思った。

高校生活3年間で最大の収穫は、男子の生来一番良いところをまざまざと見た事だったんじゃないか。

社会に出れば失われる純粋さとか、そういう青春にまつわる感傷的な事ではなくもっと根源的な、へぇ〜っと女子が驚いて心の内でちょっと尊敬する長所。


<目的に向かって集団を効率的に組織し、計画者・行動者一丸となってもの凄いパワーで行動する。>


ふむふむ…。

男性の組織力は女性が一番かなわない部分だと思うのだ。

『青陵祭』の男子たちは実に圧倒的だった。

そして、女性が優れている部分ももちろん沢山ある。

『青陵祭』について言えば、その男子女子がお互いの良いところを出し合って(女子が補ってかな....?)、最高の成果が現れたのだと思う。


つい先日、世界男女格差指数ランキングというのが発表されて、日本は世界145カ国中101位なんだそうだ。

これは相当にひどい順位だ....。

日本は男女平等・男女同権の国じゃないんだな、と驚いた。

 

でもちょっと待てよ、、。

女性が男性と同じ事をするー例えば、企業や役所で女性幹部が男性と同数であるとか、研究組織で女性のトップが多いとかーそんな事が女性の地位向上なんだろうか?

男女の別なく、やりたい仕事が全力でやれる事ーそれが男女平等だと私は思うのだ。

そして、女性のやりたい事(得意な事)と男性のやりたい事が違って当然だ。

男性の良いところ、女性の良いところ、それぞれ認めて補い合う。

適材適所がうまくいけば、きっと最高の結果が出るはずだ。

 

高校時代の幸せな記憶のせいで、何ともシンプルな理想論になってしまったが、、。

 

そもそも、男性女性と括らないで、男らしい女子( 私のことではない....o_o)や女らしい男子もいるのだから、みんなが個人として平等に扱われる社会になればいいのに、と思う。


YouTubeで、『青陵祭』の応援歌合唱の動画がアップされていた。(2012/3/11公開とあるから、多分2011年の映像か?)

わくわくして見たら、女子校かっていうぐらい女子が多くてびっくりした。

『丈夫(ますらお)』も、Keyが相当上がって可愛らしく、振りもなんだか変わってしまって、時代の流れをつくづく感じた。

それでも、伝統は健在である。

『丈夫(ますらお)』は男子も女子も、”お腹から声を出して”( 意味は良く分からなくても )元気一杯歌うのが正しい^-^ 。


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2015年

11月

16日

愛しの”県高(けんたか)”-Part1-

私が卒業した県立新潟高校は、通称”県高(けんたか)”ー明治時代に旧制新潟中学校として創立された。

もともとは男子校で、

「私の高校は男子校だった。」

と些か省略して言うと、相手は一瞬混乱した表情を浮かべた後「やっぱりこいつは、、。」と得心したようにニヤッと笑う。

「いや、そうじゃなくて^ ^;;、昔は男子校だったけど、ちょっとずつ女子が入学するようになったんですよ。 」

 

(1999年に改築された校舎。

立派になったなぁ....。)


私が入った時は、一クラスに女子は8人だった。

さらに学年が上がって文系理系と分かれるようになると、女子が一人もいない『ヤモメ』クラスが登場する。

『ヤモメ』というとどこか切なく物哀しい響きがあるが、実際は理系男子の明るい巣窟、とんでもない面白ばなしや歴史に残る逸話を代々生み出してきた。

上級生の『ヤモメ』クラスの教室前を通るのは、下級生女子にとって殆ど肝試しに近い。

一人じゃ心細いので同級生女子と一緒に早足で通る。

運が悪い(?)と、廊下側の窓ガラスがガラガラっと開いて「★*ちゃ〜ん」と万雷の掛け声が掛かる。

まぁ、それはそれで嬉し恥ずかし・楽しかったりするのだが....(笑)。

 

先月、地元新潟で久しぶりの同窓会があった。

私は都合がつかず行けなかったのだが、後日、ネットの会員ページに当日の写真がたくさんアップされていて、懐かしい面々に思わず声を上げながら見入った。いろいろな思い出が蘇った。

と同時に、ふ〜む....とちと考える事があった。(いつもの変な癖です・笑)

別に大した事ではないのだが、次回ちょっと考察してみようと思います^ ^


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2015年

11月

05日

『危険な時代に生きる』

東京の自宅にはテレビがない。

あまり不便に感じないが、一つ二つ見たいテレビ番組もある。(『相棒』シリーズとか ^ ^ )

そういう時は新潟の実家でDVD録画しておいて、月一回帰った時にまとめて見る。


最近、興味があるのが『世界のドキュメンタリー・危険な時代に生きる(米)』だ。

昨年アメリカでエミー賞をとった番組で、9回シリーズで地球温暖化について警鐘を鳴らしている。

アメリカは、世界一の先進国でありながらずっとこの問題に消極的だった。

温暖化に対処する事について懐疑的な世論が根強いからだ。


そのアメリカで今、これほどまでに深く掘り下げたドキュメンタリー番組が制作されたという事は、二酸化炭素による地球温暖化はきっともう待ったなしの状況まで来ているのだ。


ハリソン・フォードやマット・デイモン、アーノルド・シュワルツェネッガーなどのハリウッドスターやジェームズ・キャメロンなどの映画監督、著名な報道関係者たちが集まってこのシリーズを製作している。

 

9作一つ一つのテーマが重過ぎてまだ全部を見れていないのだが、大企業の利益重視や政治家の不見識、発展途上国政府の汚職や資源の獲得競争といった分かりやすい問題点とは別に、意外な温暖化説・否定派の存在を知ってびっくりした。


アメリカのキリスト教保守勢力である福音派は、地球温暖化を人為的なものと認めていない。

全てがこの地を創られた神の御心で、自然のサイクルであるというのだ。

宇宙開発の最先端・NASAがある国で、こんなにも大勢の普通のアメリカ人たちが科学と信仰の矛盾に目を瞑ろうとしている。

環境問題を研究する科学者までが、自己の信仰と懸命に折り合いをつけようとする姿を見て、『二酸化炭素』と同じくらい問題なのは『宗教』なんじゃないか、と思った。

 

日本では一般に『宗教』については寛大で、無宗教じゃないんだけれど神さまとはどこか”なぁなぁの関係”(笑)なので、こうした信仰上の葛藤はどうもピンとこない。

でも、世界の大多数の人たちにとって宗教は絶対である。命を懸けるほどに、、。



今現在、世界中で起きている国際紛争。

アジア地域では領土問題が大変な事になっているが、それよりもここ十数年、世界各地で起きた宗教に関係する様々な衝突は、私たち日本人がほとんど想像できないくらい悲惨なものだ。

宗派の対立で戦争が起き、たくさんの罪の無い人たちが命を奪われている。


大気の中の『二酸化炭素』と人の心の中の『宗教』。

植物が光合成を行うのになくてはならない『二酸化炭素』と、私たちが生活するのに心の拠り所となる『宗教』。

どちらも大切なものなのに、過度に比重が大きくなると全てを破壊するくらいに危険なのだ。


”危険な時代”…人類は、自ら創り出した物のせいで無残に押し潰されようとしているように思えてならない。

何をどうしたらいいのかは全く分からないけれど、少なくとも、”世界で何が・どこで・どう動いているのか”を知っておかなくてはいけないと思った。

それも、”正しく知る事”だ。

 

でもあまりに複雑で難解な情報がたくさんあって、いったいその中の何が、どれくらい正しいのかよく分からない....。

私はこんな大変な時代に生きていて、しかもその事についてあまりに知らないのだなぁ、、。

今更ながら自分の生かじりさ加減にがっくりきた (-_-)。


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2015年

10月

28日

時間

猛暑の夏がようやく終わって、一息ついていたら急に朝晩ひんやりと感じるようになり、いきなり寒くなったなぁと思いながら郵便局に行ったら年賀状印刷の予約広告が貼ってあって、なんだかあたふた焦って気分は一気に年末になってしまった。

その前に秋だろっと自分でつっこんでみたが、どうも最近、月日の流れが異常に速い。

”さぁ、これから食欲の秋!”なんてわくわく意気込んでいて、気が付いたらもう外で雪が降っていたとか、実際おきそうな勢いだ。

 

先日、ライブのリハ中にメンバーと話していて、

「なんかさぁ、もうあっと言う間に一年終わっちゃいそうだよねぇ...。」

「ほんとほんと。やたら最近速いよ。前からこうだっけか?」

 

実はこういう会話、他の人たちとも頻繁に交わされていて、例えば他のミュージシャンたちやピアノの生徒さん、ライブハウスのママさんとか、みんな一様にとても実感を込めて言うのだ。

社交辞令の挨拶ではなく、心底驚いて「あれ、なんで?」というニュアンスがある。

 

昔、父が「40を過ぎると早いぞ〜。50を過ぎるとまっさかさまだ!」なんて笑いながら私を脅かしていたが、たいがい年を取るにつれ時間の流れは速く感じるものだ。

へんな言い方だが、”時間の相対的老化”のような感覚は年齢とともにどんどん加速していく。

これは一般的な現象でなんの不思議もないのだが、近頃奇妙に感じる事がある。

私から見ると随分若い人たちがまったく同じ事を言うのだ。

こちらに気を遣って(笑)、という風でもない。

同じ年代同志なら相身互いで笑ってお終いだが、若者たちが相手だと”時間の相対的老化”ではなく、”絶対的自然現象”ー例えば天気について話をしているような錯覚に陥る。

 

「今年の夏はめちゃ暑かった。」=「一年がめちゃ速いんだけど?」こんな感じかな...。

 

この件について、独断と偏見で2つ仮説を立ててみた。

『創元SF文庫』卒業生としてはもう少し奇抜なアイディアを出したいところだが、凡人にはこれが精一杯で残念だ...。

 

1.若者たちの時間感覚に変異が起きている。

時代の変化のスピードが速過ぎると、柔軟な若者の感性に少なからぬ影響を及ぼす。   

特に、Jazzなどの伝統文化=古き良き時代に発祥した文化を好む幾つかのグループは、インターネット上で過去の映像・音源( YouTube等 )に頻繁に接する事によって、現実のスピード感と体内感覚との間にずれが生じやすい。

 

2 .地球の時間軸に歪みが発生中。

アインシュタインの相対性理論で、空間の歪みとか何とかいうのがある。

全く理解不能だが、空間が歪むなら時間も歪むんじゃないだろうか(o_o)と考えてみた。  

宇宙のどこかの巨大ブラックホールがどうかこうかしたせいで、地球上すべての時間の流れが微妙に速くなった。

下手をすると太陽系全体に及ぶ現象なので、我々の科学レベルでは測定不能かもしれない。

太古の昔からの時間軸で生きている生物たちは、その微妙な変化を何となく感じて「あれ〜?」となるわけだ。この場合、老いも若きも同様に感じる。



ふむふむ、秋の夜長にSFにどっぷり浸るのも悪くない。ワームホールとか平行宇宙とか異次元とか意識世界とか、、。


さて時間の流れに話を戻すと( おバカな仮説は置いといて....笑)、例えば外出の準備でバタバタする時、仕事の締め切りでジタバタする時、一年のイベントがあとクリスマスぐらいしかないなぁと気付く時、ほとんど全ての人がいつもより時間が速いと感じる。

やる事が多過ぎて慌てるとか楽しい事が残り少なくなって寂しいとか、きっと原因はまるでSF的ではない。

そしてたぶん人生を終える頃には、数十年あっと言う間だったなぁなんてしみじみ思うのだ。

歳月の真の経過速度を、人生最後に身を以て知るという事か、、。

 

まだまだ先の話だと思っていると、いきなり「あれ、なんで?」になりかねないなぁ-_-;; 

まぁ、心配してどうなるものでもないか...(笑)。

 

『明日も元気、時間を無駄にせず』詰まるところ、これでだいたい大丈夫な気がした。

 

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2015年

10月

13日

盛り塩

自宅マンションの右隣の部屋。

前を通り過ぎるたびにちょっと気になっている事がある。

通路から少し奥まった玄関の前に、目立たないように盛り塩が置いてあるのだ。


料亭やお寿司屋さんの軒先で見る分には全く違和感が無いのだが、マンション通路の薄暗い蛍光灯の光の下、ひっそりと置かれた盛り塩を見ると、思わず”ぞぞっ”とする。


「お隣りさん、なんか出るんかぁ....?」

ずっと気になっていたが、ようやく今日、インターネットで『盛り塩』について調べることにした。

もしWikipediaかなんかに「盛り塩は、地縛霊や恐ろしい祟りを鎮める除霊の手段として非常に有効である。」なんて書いてあったらどうしよう、、だとしたら、隣に住んでいる私はもの凄くヤバいんじゃないだろうか? 

『呪怨』の恐怖シーンがぼうっと目の前に浮かんだ。

いくらホラー好きとはいえ、自分の身の上となるとこれは普通に怖い。

調べた結果、盛り塩には二つの意味があることが分かった。


*人寄せの為の縁起担ぎとしての盛り塩

*神事・葬送儀礼としてのお清めの塩。又神に捧げる神聖な供え物としての塩


飲食店じゃなくても、最近はただ”お清め”の意味で玄関に盛り塩を置く人もいるようだ。

amazonで『盛り塩セット★お試し価格』なんてのもあった。

私が知らなかっただけで、縁起担ぎグッズとして結構人気らしい。


しかしこんな記述もあった。

『……「盛り塩で清められる」と言われているため、霊自身が、「塩の側にいけば、自分は清められ、霊界に行ける」と、大きな勘違いをする……そして、盛り塩に引き寄せられてしまうのです。

玄関などに、盛り塩を置かれている人がいらっしゃるようですが、、、霊を引き寄せてしまいます。』

 

”霊を引き寄せてしまいます”、、えぇ〜っ、お隣さん、これ知ってるんかなぁ?

 

まぁ、”何が本当か”なんて調べようがないから、結局”何を信じるか”だ。

何も起きない事を願いつつ、夜は米朝師匠とナイツの子守唄でスヤスヤ寝ている。( 最近は三遊亭圓生師匠も参加 ^ ^ )

万が一の場合は父と母が護ってくれるから大丈夫ーよく分からないが、なんとなくそう思って安心している。

 

ふと、「amazonで買った盛り塩ってアメリカの塩かなぁ。」、、つまんない事をぼんやり考えてしまった....。

 

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2015年

9月

30日

『フランケンシュタイン』

私はホラー好きで、たぶん見る映画もかなり偏っている。

『エクソシスト』『オーメン』『シャイニング』『リング』『遊星からの物体X』『惑星ソラリス』、、この手の作品を好んで見る人というのは、マニア=変人の部類だと我ながら思う。

悪霊や悪魔、心霊現象や地球外生命体、人類史以前の太古から存在する未知の魔物ーそういう得体の知れないものに関わってしまって、不幸にも死に物狂いで闘わざるを得なかった主人公たち。

たいていは負けちゃうのだが、大作映画お約束の”勧善懲悪”じゃないところが好きだ。

人間なんて小さな存在なのだ、その事実をいやというほど知るのも自虐的な快感というかなんというか、、(笑)。

女性でこういうのが好きってのは珍しいんだろうなぁ。


思い起こせば、小さい頃に好きだった漫画は楳図かずお氏の『ママがこわい』ーヘビ女の恐怖漫画ーだった。

ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』は、怖さに震えながら何故か何回も読み返し、ラヴクラフトのクトゥルフ神話の物語は、子供には難解でさっぱり分からなかったが、文章全体から立ち上るぞっとする空気にドキドキした。


ホラーや怪物に関してはちょっと詳しいつもりでいたが、一人(?)見落としていた。

『フランケンシュタイン』

藤子不二雄氏の漫画『怪物くん』や映画『アダムスファミリー』のせいで、どうもコミカルなイメージがあって外していたのだ。

でも実際調べてみると、1818年に出版されたメアリー・シェリー(英)の原作はとてつもなく陰惨だ。


『フランケンシュタイン』というのはこの怪物の名前ではなく、創造者であるスイス人の医学生ヴィクター・フランケンシュタインに拠る。

彼は師と仰いだ亡き天才医学者の脳と処刑された殺人者の身体とをつなぎ合わせて、非常な困難の末にとんでもない”被造物”を創り出した。

その”被造物”は、外見のあまりの醜さ故に人々に迫害され虐待され疎外されるーしかしその内面は、人並み以上に知的で感受性豊かであったーいきなりこの世に生まれた無垢な心が、孤独と悲嘆と絶望に折れ無惨に壊れていく。

当時二十歳そこそこの女性が、どうしてこのような物語を書けたのか?


1994年公開、ケネス・ブラナー監督・ロバート・デ・ニーロ/ケネス・ブラナー主演の『フランケンシュタイン』は、メアリー・シェリーの原作に忠実に創られている。

最初に見たときは、怖いというより悲しい物語だ、と思った。

つい先日、この物語についてふとある事を思ってもう一度映画を見直した。映画の一場面がどうしても気になった。


「Who Are You ? 」とある人に尋ねられた怪物が、一瞬答えに詰まる。


彼は、創造者=父であるヴィクターから、名前すら与えられていなかったのだ。

ミルトンの『失楽園』を読み、老人の吹く笛の音に心を動かされるほどの高い知性と人間性を持った”被造物”が、醜さから迫害され怪物と蔑まれ、この地上にたった一人の言葉を交わすだけの友も理解者も無く打ち捨てられた。


「He Never Gave Me A Name.」

こう答えた時の彼の悲しみを超えた絶望はどれほどだったろうか?


先日考えた事というのは、成熟した精神が名前を持たないというのはどのような状態だろうという事だ。

どんなに虐待された子供も極悪非道の犯罪人も、この世に生を受けた時に名前をもらう。キリスト教でいう悪魔でさえ、エクソシストに名乗るべき名前を持っている。

名前がないという事は、生まれてからただの一度も存在を認められなかったという事だ。誰からも声も心もかけられなかったという事だ。

これはとても恐ろしい事ではないだろうか?


ホラー好きな私が、ヴィクター・フランケンシュタインに創造された怪物の絶望と怒りを思って、今までとはまるで違う恐怖に背筋が寒くなった。

本物のホラーは、もしかしてこういう事なのではないかと思ったー救いようのない絶対的な孤独と孤立と破滅。

映画を見終わった後、どうにもやりきれない気持ちになって泣きたくなった。

底知れない怖れと哀れみに胸が塞がれた....。


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2015年

9月

09日

ナイツ!

夜寝る時、米朝さんの落語を子守唄(?)代わりに聞いている。

もう内容はほとんど覚えちゃってるんだけれど、渋みのある声音(こわね)と絶妙な語り口が何とも心地よい。

最近、もう一つお気に入りが増えた。漫才コンビ・ナイツだ。


もともと、漫才はあまり好きではないし興味がなかった。

ライブハウスの演奏の合間、お客さんやメンバーが若手お笑い芸人の話題で盛り上がる事がよくあるが、うちはTVがないし(笑)まったく話についていけない。


とにかく、もの凄くたくさん芸人さんがいるのだ!ぐらいの認識しかなかった。

( 若い頃、イギリスの膨大な数のロックバンドの名前を必死で覚えた時の事を思い出した・笑 )

何故ナイツを知っているかといえば、亡くなった父が『笑点』のファンで、録画した『笑点』を家族でよく見ていた。大喜利の前にやる演芸でダントツに面白かったのがナイツで、名前をなんとなく覚えていたのだ。


ついこの間、YouTubeでたまたまナイツの一連の漫才や自己紹介などを見ていたら、ある事に気付いて面白いなぁと思った。

ナイツのメンバー、塙さんと土屋さんの二人の関係はまさに『相棒』なのだ。

このブログで以前考察(笑)した、”男性二人の『相棒』における距離感のある友情”について言えば、ナイツはまさにそれに当てはまる(2015/7/6の記事)。

漫才コンビなんてみんなそうじゃん!と思うかもしれないが、二人の間に信頼以上の尊敬があるかないかが鍵(キー)だ。


一学年後輩の土屋さんは塙さんの才能をめちゃくちゃ尊敬していて、それは彼の言動からにじみ出ている。アガサ・クリスティ著『名探偵ポワロ』のヘイスティングス大尉を彷彿とさせるのだ。

塙さんはかなり変人で(笑)どこかポワロ似の天才肌、ツッコミ役の土屋さんを心底信頼しているのがこれまた彼の言動からわかる。

私が愛してやまない、”名探偵ポワロ-相棒ヘイスティングス大尉”の漫才版がナイツなのだ!、、な〜んて勝手に思い込んでみた(笑)。


**念の為に言っておきますが、外見はまるで似てません....。**


米朝師匠とはさすがに持ちネタの量が違うので、毎晩ナイツを聞くというのは無理だし、落語と違って思わず爆笑してしまうので寝るときの子守唄代わりにはあまりならないのだけれど、なんだろう、二人の元気な声を聞くと安心して眠れるという不思議な現象が起きている。

これはどういう事なんだと考えたら、ふむ、私はナイツのファンなのだな....と思い至った。

ま、まさかこの私が、お笑いコンビのファンになるとはー_ー;;

 

人生何が起きるかわからない、、しみじみと実感したことだった(笑)。

 

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2015年

8月

31日

赤い靴と山登り

レッスン中に生徒さんと雑談するのが好きで、気を付けないと世界情勢・歴史・人生その他諸々の持論を一席盛大にぶってしまう。

そんな私のおしゃべりに心優しく付き合ってくれる類いまれなる生徒さんがある時、ふっと言った。

「先生のブログ、たまに見るけどミュージシャンのブログじゃないみたい…。」

『うぅ、いかん!そういえば音楽の話ず〜っと書いてない。その他諸々話ばっかだ、、。』


ということで、今回は珍しく音楽ネタ、『Jazzの練習』について書きたいと思います^-^ !

Jazzは、明けても暮れても練習/練習/練習です(笑)。


10何年前のある時、Jazzピアノを弾けるようになりたいと思った。

しばらくして本気で練習を始めた。

すると、それまで何となく外側だけ眺めていたのとはまるで違う、本物のJazzの世界がいきなり開けた。別世界の扉を開けてしまったかのようだった。目の前に立ちはだかる巨大な山の頂上に、古今東西偉大なピアニスト達が遠く見える。


山のふもとに立って見上げると、そのあまりの高さに普通の人なら「ま、見なかったことにしよう!」て事になる。

たまに私のように、2合目、いやせめて3合目まででも登りたいと思う命知らずな人が現れて、いったん登山道に足を踏み入れてしまうと、たぶん一生上を目指して歩き続けるという恐ろしいことになる。『赤い靴』を履いてしまった踊り子のようになるのだ(汗)。

なぜこんなホラーじみた言い方をするかというと、、。


尊敬する先輩ミュージシャンの最近のCDを聴いたりいっしょに演奏したりすると、演奏が微妙に変化している事に気づく事がある。

えっ、なんか違う、進化してる、、 う〜スゴ、また上手くなってる!

気付いて背筋がぞ〜っとするのだ(笑)。こんな凄い人がまだ汗をかいて登っている。

登り続ける為の努力が終わる事はないのだ、どんなに山の上の方にいようと。

これは本当に怖い、、。

そういう姿勢は後輩たちにちゃんと引き継がれていく。

Jazzミュージシャンたちは、こうして日々練習に明け暮れる。

 

上ばかり見ていると疲れるしストレスも溜まるので(笑)、たまには自分との対話も必要だ。

「最近、頑張ってるね。でもちょっと頑張り過ぎだよ。演奏に出ちゃってる、、。」

「力抜いてみたら?楽に弾いた方が良いよ。」

自分の中の声が、ある時は労い慰め、ある時は叱咤激励してくれる。

心強い味方の声だ。時々、もうやめちゃえば?!なんて意地の悪い事も言うけれど ー_ー;;

 

そんな練習の最中に、いろいろ大事な事に気付く。

先輩や友人達がずっと昔アドバイスしてくれたのに理解できなかった事が、あ、この事だったんだと解ったり、演奏がうまくいかない原因を思いがけず発見したり、、。

その気付く瞬間がなんとも言えず嬉しくて、一人ピアノに向かってにんまりする。ちょっと心臓がドキドキもする。

 

最近、リズムについていろいろ練習している。

今さらなんだけれど、指に力がついてきたせいもあって、”音符を自分の思う位置で弾く”という基本的な事がようやく少し出来るようになってきた。

まだ転んだりすべったり焦ったりで、文字通り七転八倒だ(笑)。

 

「たくさん練習したいと思うようになったら、Jazzにハマったって事だよ!」

某先輩ミュージシャンに言われた言葉だ^ ^

練習、楽しんでやってます。たくさん練習したいです(笑)!


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2015年

8月

03日

エレクトーンな日々~Part2~

大学を卒業すると、エレクトーン講師と並行してデモンストレーターの仕事を始めた。

高崎で研修を受けた後、地元でやった初めての仕事がなかなか試練だった(o_o);;

 

世間では春休みが始まった頃。

うららかなある日の朝8時、自宅にヤマハ担当者が迎えに来た。

慌ただしく一緒に車に乗り込んで『東映ドラえもん祭り』映画館会場へ。

朝一番の上映を待つ子供たちとお母さんたちで館内はワイワイ賑やかだ。


スクリーン前の狭い壇上スペースに無理やり置いた感のあるエレクトーン。かなり違和感有り、、。

壇上に登ってエレクトーンに向かって座ると、おもむろにマイクを持って「みなさ〜ん、おはようございます!」客席に呼びかける。

 

要は、映画が始まる前にエレクトーンの伴奏でドラえもんのテーマ曲( 「アンアンアン、とっても大好き、ド〜ラえもん!」ていう.... )をみんなで歌って、ヤマハ音楽教室も映画と同じくらい楽しいですよっていうPRをするのだが、、。

私が子ども相手に『歌のお姉さん』をやるってのは、今考えても甚だしいミスキャストだ、、当時の私は『アダムス・ファミリー』のウェンズデーみたいなヤツだったから(笑)。

子供もお母さんも突然の事にポカンと口を開けたままこちらを見ている。

もの凄く違和感有りまくりの空気にアップアップしながらも、なんとか最後まで伴奏を弾いて「それではみなさん、映画を楽しんでくださいね〜! 」

それ以降しばらく、ドラえもんを見たくなくなった。


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ある風の強い日の午後。

その日は日曜日で、バスセンタービルの屋上の広場には、お昼休みの休憩に訪れた近くのお店の店員さん、買い物に来た家族客や高校生のカップルなんかでいつもよりちょっとだけ人出が多かった。

私は広場の片隅でエレクトーンを弾いていて、演奏は大きなスピーカーで広場じゅうに流れていた。

    (新潟市バスセンター)


今回の仕事は、マイク・セッティング無し・おしゃべり無し・弾くだけなので気楽だったが、担当者が側にいなくて一人きりなのが少しだけ気がかりだった。

事前に「大丈夫?」と聞かれて、

「大丈夫ですよ〜。変な人にからまれたらすぐ逃げてきます^ ^ 」元気に答えた。( 事務所は会場のすぐ近くにあった。) 

変な人は来なかったが、突然すごい強風が吹いて、重しを上に載せてまとめておいたかなりな量の譜面が一気にパァ〜っと舞い上がった。

驚いたが演奏中なので、広場を横切ってひらひら飛んでいく譜面を目で追いつつ「わっ、どうするかなぁ....。」と考えた。

まぁ考えてもどうにかなる事態じゃないので、仕方なく演奏を中断し風の広場を走って譜面回収した。

みんな見ていてちょっとかっこ悪かった、、。

 

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新潟市外からの仕事も時々来た。

小さな町の楽器店の音楽教室・生徒募集キャンペーン。エレクトーンのデモ演奏でお客さんの興味を引く作戦だ。

お店によっては、お客さんを集めるよりこちらから積極的に打って出ようと考える意欲的な担当者がいて、これがなかなかハードな仕事だったりする。


小型トラックの荷台にエレクトーンを積んで、街中から土埃舞う郊外へ。

私は荷台に乗り込んで、トラックの拡声器から「春の生徒募集キャンペーン期間中です!」アナウンスが流れると、少しよろけながらも素早く椅子に座ってエレクトーンを弾き出す。( 若かったからできたんだよなぁ、、。)

私の長い髪が走る風に盛大になびいて、遠目にもかなりなインパクトだ。というか、見た人は普通にびっくりしたと思う(笑)。

こんな面白い経験はめったにできるもんじゃないので、流れる風景と鍵盤を半々に見ながら刺激的演奏を半日たっぷり楽しんだ^-^ 。

 

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 ( こんな感じのトラック!)


他にもまだいろいろあったけれど、総じて「頑張った!」って感じかな。

 

エレクトーンに夢中だったあの頃の私。

どんな仕事も愚痴や不平不満を言わず一生懸命にやった。

目標を見定めて一直線に進む…あの時の心の有り様をまざまざと思い出して、少し弱った心が力をもらったような気がした。

我ながらちょっと背筋が伸びる思いがした。

 

過去の私が「頑張れ〜!」とエールを送ってくれている。

20代の怖いもの知らずの私だ(笑)。こちらを真っ直ぐに見据えている。

ブログを書きながら、そんな空想がふと浮かんだ。

 

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