2012年

12月

28日

十二国記

インターネットでGyaO!を見ていたら、十年くらい前に夢中で見たアニメ『十二国記』を無料配信していた。

 

小野不由美氏原作の長編ファンタジー小説をアニメ化したもので、古代中国に似た異世界で、不思議な世界観を基に繰り広げられる壮大でスリリングなドラマだ。

登場人物の人間性や心の葛藤や機微が丁寧に描かれていて、あまりに身につまされ何回も号泣したものだ....。

テーマ音楽もすばらしい。

人生を立ち止まって深く考えたくなるような、とにかく傑作だと思う。

久しぶりにまた陽子( 主人公 )に会えて嬉しかった....(涙)。

 

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2012年

12月

23日

三鷹の夜 Part2

12/22、三鷹ソニド。

土曜日セッション終了後、ママの一声で全員ワインとジュースで今年最後の乾杯をしてから、常連さんたちと夕闇一路「大寿司」へ。

 

前回も、『ボーナスもらえない可哀相なミュージシャン・みっちゃんに美味しいものを食べさせてあげよう!』なんて愛溢れる(笑)趣旨だったと思うが、今回は『田崎美知子に栄養をつける会・2012年度冬の部』って事で、心優しきT.SaxのM氏が企画してみんなに声を掛けてくれた。

 

とにかく、蟹や生牡蠣や穴子の白焼きやワカサギや白子や刺身や煮付けや鍋やお寿司や....、もう本当にとにかく”日本の美味しいもの”をこれでもか~ってくらい食べて、極上のお酒をこれでもか~ってくらい飲んだ。

ワインとチーズくらいだったらおしゃべりにも熱が入るのだろうが、こんだけ普段食べつけない至極の美味を前にして、我知らず一生懸命、もの凄く真面目・真剣になってしまい....、人間、何かに集中すると、「わっ」「おっ」「ほう~」「ん~」くらいしか言わなくなるものだ(笑)。

他のみんなはけっこう余裕で話に花が咲いて、何だったかめちゃ笑ってひっくり返ってしまった。キャラクター濃過ぎ、話し面白過ぎ....。

 

『田崎美知子に栄養をつける会』ー身体にも心にもしっかりたっぷり栄養つきました!

今回も、本当に本当にありがとうございました。m(_ _)m

 

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2012年

12月

15日

赤穂浪士

12月8日は、会う人会う人がみんな「今日はジョン・レノンの命日ですね。」と言うから、いちいちその度に「今日は真珠湾攻撃の日ですね。」と答えて、一日中”変な人”で通した(笑)。

でも、12月14日と聞いて「ノストラダムスの誕生日ですね。」と言う人はいないだろう。

12月14日は日本国中、間違いなく『赤穂浪士討ち入りの日』だ。

 

赤穂藩士ではなく、赤穂浪士というのが何とも切ない。

彼らには、藩という身分保証も後ろ盾もなかった。討ち入りの年の夏には、お家再興の望みも絶たれていた。

将来の夢も野心も持てない日々を送りながら、ただただ主君の無念を晴らそうとCIAやMI6なみの情報網・連絡網を張り巡らせ、ネイビー・シールズなみの綿密な作戦を遂行して、12月14日、見事宿敵を討ち果たした。

忠義に命を懸け、悲しいほど一途で真っ直ぐな47人もの頑固者たちを束ねた大石内蔵助という人は、いったいどれほど大きな人だったのだろうか....。

 

12月になるとテレビではいつも特集番組があり、赤穂浪士たちがいかに日本の武士・侍であったかを様々な趣向で見せてくれる。

そうした番組を見ていつも感動して大泣きするのだが(笑)、快哉を叫ぶと同時に、大石内蔵助やその家族、47士や討ち入りに参加せずに不忠臣と蔑まれた人々・その子孫も含めて、みんながみんな本当に気の毒だったなぁ、、と思う。

 

5万石大藩の藩主で何百人もの家臣がいて、その家族も入れたら千人以上の人たちの生活を左右する身でありながら、なんで浅野内匠頭は事もあろうに殿中で馬鹿げた刃傷に及んだのだろう。

どんな時にも藩を第一に考え、歯を食いしばってでも藩に利するように行動するのが藩主の役目だろうに....。

吉良に意地悪されたから、、なんて子供じみた理由で人生を狂わされたたくさんの家臣たちにしてみれば、「どうして?」と言いたくなるのではないか。

それなのにほとんど誰も浅野内匠頭を恨んではいない。討ち入りの忠臣たちは、泉岳寺の墓前に吉良の首を供えて仇討ちの成功を報告し、亡君の無念を晴らした喜びに涙するのだ。

 

主君に対する『忠誠の念』というのはもの凄いなぁ、と思う。

昔だから、、ではなく、つい数十年前にも「天皇陛下、万歳!」と叫んでたくさんの人たちが尊い命を落とした。

藩の為に、日本の為に、死んでいった人たちの心に迷いは無かったと私は思う。

批判はいろいろあるだろうけれど、人はみんな自分が信じるものの為に生き、死ぬのだ。

 

現代において、『忠誠の念』は生き残っているだろうか。

日本の為に命を懸ける忠義の侍を見極める事ができるかどうか、今週の日曜日が決戦の日だ(笑)!。

 

郵便受けに押し込まれた選挙公報をテーブルの上に広げながら、大石内蔵助を選びたいけど、浅野内匠頭みたいなお偉方がくっついてちゃ困るな....、堀部安兵衛は威勢がいいけど、吉田忠左衛門が側にいないとどうなるか分からないなぁ....。たくさん有り過ぎる選択肢の前に、政治家は侍であってほしい、政治に名乗りを上げるからには国に対して『忠誠の念』を持ってほしいと思うのだが、3年前の悪夢が頭をよぎる。

書かれた公約を眺めながら、ほんとかいな....と疑いつつ、でもここで諦めるわけにはいかないと思う。

国の為に命を懸ける侍は絶対にいる筈だから、ちゃんと見なきゃ!と思う。

一途で真っ直ぐな、賢い頑固者を一生懸命選ぶ事が、私が国に対して出来るささやかな『忠誠』である。

 

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2012年

12月

07日

”ゴキッ”

ここ2ヶ月ほど続いた左腕のしびれが、ようやく治ってきた。

ギターのH氏がメールで詳細に教えてくれたストレッチ体操を毎日やって、駅前の整骨院にも頻繁に通った。 

一時は、常時続くしびれにもうしょうがないのかなぁと半分諦めていたから、最近その症状を時折忘れる時があって、もしこのまま完全に治れば本当に嬉しい。

 

整骨院では、たくさんいる先生たちがカルテみたいなのをその都度確認して治療してくれる。

いろいろな先生がいて、優しく肩全体のコリをほぐしてくれる先生、集中的に力技で左腕をマッサージする先生、腰まで及んで身体のゆがみを指摘してくれる先生、それぞれ症状についておっしゃる事を聞いて、”なるほど....”と思う。

つまるところ、人体というのは機械と同じでメンテナンスが必要なのだ。ねじが緩んだりきつくなり過ぎたり、潤滑油がつまったり接続部分がずれたりして不具合が生じる。

 

ある日、初めての先生が、「力を抜いて息を吐いて下さい。」といって私の頭を持ち上げたので、「もしかして、”ゴキッ”てやるんですか?」と聞いたら、「はい、、。イヤですか?」と言うので、「絶対駄目です....!」と叫んだ。

ホラー映画『呪怨』で、妻の裏切りで狂気に陥った夫が奥さんの首を”ゴキッと”やっちゃう場面が目の前に浮かんだ。

だいたい、ホラー映画ファンというのは、物事を悪い方×悪い方に考えがちだ(笑)。

暗い部屋の片隅に誰か悲しげに佇んでいるとか、高度10000メートルの飛行機の翼の端に何かがしがみついているとか、深夜のタクシーの運転手が怯えて後ろを振り返りながら「この道、さっきから何回も走りましたよね?」と言うとか、最恐最怖最悪の場面を、旅館や移動中の機内やタクシーの車内で何故かぼうっと思い浮かべてしまう。

 

整骨院の治療ベッドの上でそんな妄想にかられた私は、不思議そうな顔の先生に「すみません....。」と謝ったのだが、後から考えて全く大人げない!とも思ったので、しばらくしてもう一度その先生に当たった時、”ゴキッ”ていうのを勇気を振り絞ってやってもらった。

すると、何だか随分と肩と首が軽くなった。徐々に治ってきたしびれに決定打!みたいな感じだった。

なぁんだ、もっと早くやってもらえば良かった、、。

 

それにしても、『呪怨』の旦那さんの”ゴキッ”と、整骨院の先生の”ゴキッ”と、何が違うかといえばいわゆる加減てことなのだろうが、どこらへんがその境か、、なんて考えだすと、やはり「恐ろしいなぁ.....。」とぶるっと震えてしまう。

背筋の凍るようなホラー映画は大好きなのに、この情けない怯え方は自分の事ながらなかなか興味深い現象である(笑)。

 

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2012年

11月

30日

源氏の君

もし、たくさんの女性たちと楽しく派手に遊んでいるモテモテの男性に、「平成の光源氏ですね!」なんて言ったら、彼は100%間違いなく、「いやぁ、それほどでもないですよ~。」と、ニコニコ照れ笑いしながら喜ぶだろう。

 

「光源氏」はモテる男の代名詞みたいなものだ。

光り輝くような美男子で、管弦や和歌の才能もあり、天皇の血筋をひく由緒正しい生まれで、出世するだけの財力も知力も政治力もある。

母と幼くして死に別れて....なんていう母性本能をくすぐるような生い立ちまで加わるもんだから、まさに若い女性が憧れる永遠の理想のタイプというのを、紫式部は千年以上も昔に見事に描いた。

 

『源氏物語』といえば、愛を追い求める美しき貴公子と彼をめぐる姫君たちの華やかな宮廷絵巻なんていうイメージができあがっている。

でも、紫式部はそんなハーレクイン物みたいな恋愛小説を書きたかったんだろうか?

 

天皇の中宮付きの女房だった彼女の周囲には、きっと様々な境遇のたくさんの女性たちがいた。

美貌と地位と知性に恵まれながらも嫉妬で身を滅ぼす女、正妻でありながら高すぎるプライド故に夫に愛されない女、身分が低くとも高貴な男の誘惑から誇り高く身を守ろうとする女、長年連れ添った夫に裏切られ精神を病む女....。

自分勝手な男に翻弄され、心をずたずたにされながらも、女は従属する立場の者として声を上げること無く生きていくしかなかった時代。

でも、そうした男女の物語は、どこか現代にも共通するものがないだろうか。

紫式部にはそういう女性たちの、今も昔も変わらない心の声が聞こえていた。

そして、女たちの悲しい心を顧みることも無く自由勝手気侭に遊んだ挙げ句に、本当に大切な人を失ってしまって嘆き悲しむ男たちの姿も、紫式部はたくさん見たのかもしれない。

 

『源氏物語』は、様々な女たちの悲しみと、大切なものが何か失ってしまうまで悟る事のなかった哀れな男の悲劇の物語なのだと私は思う。

「光源氏」は最愛の「紫の上」を失って、自分の人生をどう振り返ったのだろうか。

彼女を終生苦しめた自らの女性遍歴を後悔しながらも、そんな酷い(むごい)自分に対していつも優しく接してくれた「紫の上」を最高の女性として讃え、ただただ美しい想い出の涙にくれるのだ。

もしかしたら、紫式部は平安貴族たちの本質を知っていたのかもしれない。

彼らにとって、恋愛はしょせんゲーム・戯れ事にすぎない、「源氏の君」はきっと、最愛の人の命を縮めたのが自分であると考える事も認める事もないだろう、と....。

 

「平成の光源氏ですね!」という台詞は、男性に対して最高級の賛辞であると共に、小さな哀れみの詞である。

でも、モテモテの男性にそこらへんを説明してもきっとチンプンカンプンで、だいたい彼らはそんな話を聞こうとも思わないし何かの冗談だと思うだろう。

 

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2012年

11月

23日

一年

このブログを書き始めて一年たった。

今までの記事を読み返してみて、いろんな事をよくまぁ書いたもんだと思う。

ブログを時折読んでくれている人に、「田崎さんて普段からああいう事いろいろ考えてるんですか?」と聞かれて、一瞬返す言葉につまった。

 

昔、親しい友人たちに「ねぇ、よく考えて!」としばしば忠告された。その場の思いつきや衝動的な言動を見るに見かねて、幼稚な私に意見してくれたのだ。

でも、『考える』という事の本当の意味を理解したのは、笑っちゃうぐらいずっと後になってからだ。

考える、というのは、頭か心かどっちか分からないけれど体の中のどこかで、もう一人の自分か本当の自分か、これまたどっちか分からないけれど随分とはっきり物を言う何かが、独り言のようにああだこうだと話しだして、そういうとりとめのない、でも真剣なおしゃべりをじっと聞いてみる、というような事かなと思う。

 

その意味でいえば、20代が終わる頃まで体の中の声が話をするのを聞いた事がなかった。「....しよっかな。」「....してよ!」、掛け声と要求くらいの片言の幼児語だったと思う。

だから、友人たちに「ねぇ、よく考えて!」と言われても、実際どういう事なのか皆目分からなかった。

”はた迷惑な人”だったと思うが、今から考えると、なんとも静かな幸せな時代だった(笑)。

 

何かのきっかけでいったん考えだしたら、体の中の声はどんどん言語能力を発達させて、主語・述語ができて台詞も長くなった。

いろいろな事について話しだして、そういった内容を誰かに聞いてもらいたくなった。言葉の出口がない感じだった。

仲の良い友人たちにあれこれ話すのだが、たいがい「へ~、面白いこと考えてんだね!」と言われるだけなので、だんだん口に出さなくなった。

 

このブログを書きだして一年。

いいだけ好きなだけ、『考えた事』を書いた。

「もういい加減やめなさい!」なんて誰にも言われずに、これからもどんどん書けるのが本当に嬉しくてしょうがない(笑)。

今思えば、こんな話を昼下がりの喫茶店で長々と聞かされた友人たちはさぞ退屈だったろうし、まったく申し訳なかったと反省している....。

時々、コメントを頂いて読んでくれている人がいるんだ!と感激するが、一番ブログを楽しんでいるのは私で、こんな居場所ができてなんと幸せなことだろうと思う。

 

これからも、もし機会がありましたらどうぞ立ち寄ってみて下さい。

音楽以外の話題が多過ぎて、我ながら”どうなのよ”とも思いますが....(笑)。

 

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2012年

11月

17日

ボジョレー・ヌーヴォー2012

11月15日(木)解禁ってことで、ちょうどその日は三鷹sonidoセッションの日。

 

お店に入ってきたM氏、「さぁ、セッション前にみんなで飲もう!」

両手にボジョレー・ヌーヴォーとおつまみをいっぱい抱えて、仕事帰りとはとても思えない清々しくも(笑)力一杯、わくわくきらきらのオーラ全開の一声で、その場一同、あたふたとグラスを持ち寄り記念撮影。

ほろ酔い加減のその後のセッション、何だか私、めちゃハイテンションなんですけど....(笑)。

 

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2012年

11月

09日

音楽教室

小さい頃、母に毎週連れて行かれた音楽教室。

デパートの何階かにあって、大理石のように冷たく光る階段を母に手をひかれて一段づつあがる。

途中、母の手を振り払って階段の手摺にしがみついて「やだ~」と叫ぶと、困った母が「教室終わったら、デパートの食堂でクリームソーダ、食べよう!」と言う。

教室で何を教わったのか先生の顔も友だちの事も何一つ思い出せないのに、デパートの食堂のクリームソーダの事だけはいやにはっきり覚えている。

 

口のところが優雅にカーブした細長いグラス、緑色のソーダ水の中を小さな気泡がいくつもスーッと上っていってパチパチとはじける小さな音がする。

その上に綺麗にまん丸く浮かぶバニラ・アイスクリーム。

柄がもの凄く長いスプーンとストローが一緒に運ばれて来て、アイスクリームを先に食べるか、ソーダ水を先に飲むか、ちょっとだけ悩む。

どっちにしろ、アイスクリームがとけてソーダ水と混ざっちゃわないうちに早く食べようと焦るので、口の中がソーダ水の刺激とアイスクリームの冷たさでピリピリしてくる。

最後に氷の間に少しだけ残ったソーダ水を、母に気付かれないくらいの小さな音でズッと飲み干して、「終わっちゃった...。」、空のグラスを眺めると白い泡がところどころに残っていて、ストローの先でこすって吸って飲んじゃおうかなと一瞬考えて、でも母の方を見てやめとこっと思う。

何だか妙に細かい所まで覚えているものだ(笑)。

 

音楽教室を卒業すると、ピアノの個人レッスンに通った。

ほとんど練習しないので先生にも母にも叱られて、レッスンの帰り道、手を引かれて歩きながら母が私の手を無言でぎゅっと握るのが怖かった。

「みっちゃん、あそびましょ!」近所の友だちが呼びにくる。

「みっちゃんはピアノの練習があるから後でね!」母が玄関で言う声がして、鍵盤の上の指を見つめながら涙がぽろぽろこぼれる。ピアノが恨めしかった。

でも、母の好きなメンデルスゾーンの曲を上手に弾けた時、台所から出て来た母が私の顔を覗き込むようにして「いい曲だねぇ。」と涙ぐんで言ったので、ちょっと驚いて嬉しかった。

 

音楽大学に行くんだと私も家族もずっと漠然と思っていたのに、結局、私は新潟大学国文科に入学した。

 

どういう運命か音楽の仕事をするようになって思うのは、小さい時に嫌いで嫌いで泣きながら練習したピアノが、今の私にとって本当に大切な宝物になったという事だ。

音楽教室で子供たちを教えている知人に聞いた話だが、最近のお母さんたちは、子供の意志を尊重するといって我が子が少しでも嫌がるとすぐにやめさせてしまうのだそうだ。

子供なんて、我慢とか練習とか訓練とか自分から進んでやるとは到底思えないけどなぁ,,,,。

 

クリームソーダにつられて通った音楽教室、母の強い気持ちが私に一生の宝物をくれた。

母に本当に感謝している。

 

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2012年

11月

02日

政治のこと

先日、ライブのMCで、メンバーにからかい半分に言われた。

「田崎さんは普段とっても良い人なんだけど、政治の話になるととたんにすっごい勢いで話しだすんで、いったい何者なのかと思いますよ(笑)。」

いかんなぁ....、政治と宗教の話はよほど気を付けて話さないといけないって分かっているのに.....。

 

別に、竹島や尖閣諸島や原発問題があるからじゃなくて、政治家という特異な人種の人たちに昔から興味がある。

( ここでいう政治家は”本物の政治家”のことで、”偽物の政治屋さん”じゃない。)

 

以前、国立に住んでいた時に、当時首相だった小泉さんが駅前で選挙演説をしたのだが、大雨の降る中、数百人の人達が傘をさして演説を聞いた。

もちろん私もその中にいた訳で、駅を背にして立つ小泉さんの真正面という絶好の場所をゲットして、”やった~!”と内心喜んでいたのに、いきなり私のちょうど真ん前に大柄なSPの男性がこちらを向いて立ってしまい、”え~!?”、しょうがないからSPの隠し装備とかなかなか上等な背広だなとか、じろじろ詳細に観察した(笑)。

「自民党をぶっこわすんです!」って叫ぶ小泉さん、SP越しにかっこ良かったなぁ....。

 

数年前、東大の学園祭に遊びに行って、石破茂さんの特別講演を聴いた。

メモなぞ一切見る事なく、国政の問題点を滔々と話し続けて2時間、ぎっしりの聴衆は誰一人退室する人はいなかった。

こんな風に難しい問題を易しく普通の言葉で話すことが出来るのは、自分の考えを徹頭徹尾、信じているからだ。出来るだけ沢山の人に正しく伝えたいと望むからだ。

石破さん、見た目怖いけどかっこ良いよなぁ....。

 

小泉首相直属の機関で、道路公団民営化の為に霞ヶ関を相手に壮絶な闘いをした現東京都副知事、猪瀬直樹さん。

著書を読んでも、言ってる事とやってる事がまったく同じ、”ぶれない”ってきっとこういう事を言うのだ。

口ばっかりの政治屋さんとは大違い、やっぱめちゃかっこ良い!

 

3人とも鬼気迫るほどの頑固さで自分の信念を貫く。その為に誰かと協力する事はあっても決して群れない。

郵政民営化、国防・集団的自衛権、霞ヶ関官僚政治からの脱却。それぞれの目標は明確だ。

自らの信条を貫こうとするなら、清廉潔白であるよりはある意味戦略的であるべきで、時に敵の裏をかくしたたかさも必要だ。

それほどのパワーがあっても、権謀術策、背信と裏切り渦巻くどろどろの政界の中で生き残っていくには並大抵の知力では無理で、歴史を顧みてもたくさんの有能な理想家たちが倒れていった。

 

理想と信念に燃える”本物の政治家”と、選挙と金、私利私欲にしがみつく”偽物の政治屋さん”が、政界で大戦争をしている。( もう一派、”能力がない政治屋さん”というのも残念ながらうろちょろしている...。)

 

こんな手に汗握る大真面目なスペクタクルを見過ごして、ペラペラのアイドルタレントの恋愛ドラマにうつつを抜かしている人達の気がしれない(笑)。

だいたい、「石破さんが好き!」と言うとほとんど見事に座がしらけて、「田崎さんはああいうタイプ、趣味なんですか~?」なんて冷たく言う君たち。

政治家は顔じゃない、志なんだよ、なにを成し遂げようとするかなんだよ!

、、いかんなぁ....、また我を忘れて熱弁をふるいそうになった....。

 

「田崎さんて、いったい何者なのかと思いますよ。」

本当に気をつけないといけない....(笑)。

 

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2012年

10月

27日

日本の美味しいもの

ここ2年ほど毎月1~2回、新潟の実家に帰っている。

 

滞在初日にはいつも、父が近所のお寿司屋さんから奮発して生寿司をとってくれるのだが、( これがまたものすごく楽しみで.... )、値段を聞くと、寿司というのはなんと贅沢な食べ物だろうと思う。

そこらへんのステーキセットより、量はめちゃ少なく料金はめちゃ高いのだ。

でも、一口食べて、「あ~....。」と絶句するこの美味しさはいったい何だろう。

 

ネタの新鮮さは当然の事で、シャリのふくよかさと握り加減・酢味と甘みと塩加減と....、つまりご飯が言葉に出来ないほど絶妙で、ワサビが、工場で作った人工の辛みじゃない奥ゆかしくてまろやかで自然な....、つまり本物のワサビが優しく香り正しくツーンと鼻にきてネタとシャリの味に彩りを添え、更に特上の醤油がとどめを射して、どーだ~!みたいな、食べながら参りました....と言ってしまうみたいな、誇り高さと粋とがまさに混在するとかなんとか、、『美味しんぼ』の台詞みたいなコメントをぶつぶつと心の中で呟きながら、結局のところ、ほんと日本人に生まれて良かったぁ....としみじみ思うのだ。

 

しかも今日は、ソニド・セッション常連のN氏から頂いた最高級の日本酒がある!

高知の地酒「土佐鶴・大吟醸」。冷蔵庫に冷やしておいた。

 

華やかな香りと濃厚な味わいと、、これまたCMのキャッチコピーみたいなコメントをぶつぶつと心の中で呟きながら父と私が飲んでいる隣りで、お酒の飲めない母は、ネタをめくってワサビの量を加減しつつ、シャリにたっぷり醤油をつけて、残念な食べ方をしつつも満足げにもぐもぐ食べている。

「醤油はこうやってネタの方につけるんだよ。」父と私に毎回言われるので、最近はちょっと気を付けているみたいだ。

でも美味しさは人それぞれ。

粋だろうと無粋だろうと、楽しく自分流で食べるのが一番だよね。もうウルサイ事、言わないことにしようと思った。

 

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2012年

10月

21日

運命

最近3週間ほど、左腕上部から指先まで、正座した後の足みたいにじーんとしびれている。

心臓から勢いよくスタートした血液が、いきなり細い道で行く手を阻まれ、それでも無理やり速度を落としつつ頑張って走っているって感じだ。

肩と首のコリからきているのは何となく分かる。

JazzPianoの仕事を始めた頃、先輩が「絶対大事だぞ。」と言って、いくつかストレッチの体操を教えてくれた。最近、ストレッチさぼってたなぁ....。後悔先に立たず.....。

慌てて、井荻駅すぐ近くの整骨院に駆け込んだ。

 

以前シンセサイザーを弾く仕事をしていた時、5~6台の楽器とけっこう大きなラック数個、その他諸機材をスタジオに運び込むのがえらく大変で、最初は自分でやっていたけれど、すぐにアルバイトの人に頼む事にした。手や腰を痛めそうで怖かった。

そもそも機材ひとつひとつがかなり重いので、ちょっと持ち上げたり移動する時にも、絶対油断しないように気を付けていた。

その後、ピアノを弾くのが仕事になってしばらくすると、右手が軽い腱鞘炎になった。

毎日、手首を大事に暖めて、揉んだりさすったりして自力で治した。

 

小さい頃から高校生までクラシックピアノを習っていて、私も周囲も、当然音楽の道に進むと思っていた。

でも○とペケを譜面に書くだけの先生がずっと大嫌いで、高校2年生の時、反抗期の実力行使のようにいきなり先生の家に一人で出かけていって、「やめます ! 」と宣言した。その時のびっくりした先生の顔を今でも覚えている。

それで音楽と一切縁を切った。.....つもりだった。

今こうして、腱鞘炎になるまで毎日練習し、手と指を何よりも大切にしている自分が、我ながら何とも奇妙で不思議に思える。

 

ついこの前、一緒にライブをした20代半ばのトランぺッターが、「僕は大学のJazz研に入るまで、トランぺットもJazzも知りませんでした。」と言うのを聞いて、もの凄くびっくりした。

だって彼のトランぺットが奏でる音は、まさに何十年もJazzに慣れ親しんできたプレーヤーの音に聞こえた。

もう一つ、かなり前だけど同じようにびっくりした事がある。

popsの仕事で何回か一緒だったギターリストが、わずか2年くらい会わないうちにキーボードを駆使する売れっ子アレンジャーになっていて、彼が真顔で言った言葉がすごかった。

「僕ね、ある日突然、知らないキーボーディストの霊が憑いちゃったんだ....。」

 

若手トランぺッターにクリフォード・ブラウンの霊が憑いた、、なんて考えられないけれど、でもきっと、奇跡のような巡り合わせが彼をJazzの世界に引き込んだのだ。       

同じように、売れっ子アレンジャーも私も、何かに導かれるようにそれぞれの音楽への道を歩んだ。

自分の意志、人間の意志とは全く違う次元の、未知な存在の大きな意志の流れがもしあるのならば、その流れに逆らわずに生きて来たその結果と言えないだろうか。

 

”何となくこうなっちゃったんだよね.....。”

運命なんてそんなものかもしれないと思う。

 

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2012年

10月

15日

ホラー映画

『エクソシスト』は部屋をまっくらにして一人で見た。昔の映画だけど、何回見ても相当怖い。

『シャイニング』はタイプライターの不気味な文字で総毛立った。それにしてもさすがキューブリック、映像が息をのむほど美しい。

『リング』はいつも通り部屋をまっくらにして一人で見ていて、最後のショッキング場面で思わず立ち上がって絶叫した。「ひぇ~!!」

 

他にも『オーメン』とか『呪怨』とか、大好きな(笑)ホラー映画がたくさんある。

CGを使った怖い映像がたくさん出てくるとか、ストーリーが想像を絶するほど悪魔的だとかじゃなくて、独特の雰囲気とリアルさでじわじわと背筋が寒くなる感じが好きだ。

 

無機質で陰鬱なタイトルテーマの音楽が、非日常的で本能的な意識下の不安を呼び覚ます。

張りつめた空気に徐々に息苦しくなり、もの凄く良くない事がこれから起きるのだ....という緊張感が画面からどんどん押し寄せてきて、その迫力にまさにのけぞりそうになるその瞬間、信じられないほど恐ろしい事件が起きて「わーっ」と叫んで後ろにひっくり返る....。ま、それが理想のホラー映画だ。

 

お化け屋敷と違うのは、そのびっくりする瞬間までの緊張感の綿密な構築だ。

映画製作技術の力量ー監督のバランス感覚やセンス・テンポ感、脚本や俳優のレベル、映像・編集の技量が如実に出る。

感動的なラストが用意されている訳ではないから、というかだいたいラストは絶望的なので、映画全編にわたって一つ一つのシーンが勝負になる。それぞれのシーンの積み重ねが傑作か駄作かを決定する。予算をいくらつぎ込んでも、緊張感が途切れてしまったホラー映画はB級だ。

 

リアルさと言えば、怖いからと言って、登場人物がキャーキャー叫んでいるばかりじゃやっぱりお化け屋敷だ。

人間、本当に怖い時って足がすくんで声なんか出ない。

まして得体の知れない未知のもの、幽霊とか悪魔とか悪霊とか、人生で絶対かかわり合いになりたくない”もの”と対峙している時の人間はいったいどういう反応をするだろうか。

宗教心や科学的な思考、倫理観が根源的な恐怖とせめぎあうはずだ。あるいは愛する人を守ろうと絶望的な闘いを決意するかもしれない。

そこまでの精神的な葛藤を脚本なり演技で表現できた映画は、後世に残る名画になる。

メジャーな大作が好きな映画評論家は見向きもしないかもしれない。

でも優れたホラー映画は、トム・ハンクスやメグ・ライアン主演の大ヒットお手軽恋愛映画より数百倍、人間の心の深淵に迫る。

 

私たちファンはそんな名作を心待ちにしている。

最近の薄っぺらいB級ホラー映画を見る度に「なんだよ~」と涙にくれながら、レンタルビデオ屋さんの片隅の小さなホラーコーナーで、埋もれた名作を日々探すのだ(笑)。

 

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2012年

10月

09日

お医者さん

少しでも具合が悪くなるとすぐに病院に行く人がいる。

私はその逆で、相当具合が悪くても病院にはなかなか行かない。風邪で高熱が出ても病院に行くという発想がおよそ無い。

 

おかげで、盲腸炎を我慢し過ぎて危うく死にかけた事がある。

手術してくれたお医者さんに「あんた、あと一時間遅かったら死んでたよ!この傷跡見る度に反省しなさいよ(笑)。」と叱られた。

 

3年くらい前、舗道を普通に歩いていて、何かにつまずいて顔から転んだ。

荷物をいっぱい持っていたわけでもなかったから、咄嗟に片手でもつけばよかったのに、瞬間、手を怪我してピアノが弾けなくなったら困るな....と思った。

見事に顔で着地したので、左顔面が舗道のコンクリートですれて、かなり広範囲に皮がむけた。

後で気が付いたら、Gパンの膝にも大きな穴があいていた。

私は歩く速度がけっこう速いので、勢いよく、もの凄く派手に転んだのだと思う。

だいたい、道で転んじゃった時は恥ずかしくて周りを気にするものだが、この時はあまりの衝撃で頭がぼっとしてそれどころじゃなかった。

何とか家にたどり着いて鏡を見たら、顔が擦り傷で半分まっ赤になっていた。

洗って消毒してまた鏡を見たら、情況の深刻さがようやく分かってきた。「こりゃ完全に跡が残るな....」、目の前がまっくらになる気がした。

「転んだ瞬間、手をかばって....」と言うと、「さすがピアニスト!」なんて言ってみんな感心してくれるが、こんなオオゴトになるとは思わなかったってだけで、鏡の前でめちゃめちゃ後悔した....。

ライブとレッスンの仕事以外は家の中で鬱々と引き込もり、誰とも会いたくなかったし話したくなかった。

病院に行くという選択肢は、毎度の事ながら全く無かった。過去から何も反省していない....(苦笑)。

 

10日後くらいだったか、先輩のピアニストから久しぶりに電話があって近況を聞かれたので、「実は...」と話すと「病院に行ったのか?」と聞かれ、「怖くて行けない」と言ったら「何やってるんだ!早く行け!」と有無を言わさぬ勢いで言われて、ようやく病院に行く決心をした。

 

悲壮感を全身漂わせて診察室に入ると、元気いっぱいの若い女医さんがほんの2分ほど診ただけで、「大丈夫ですよ~。3ヶ月間は日光にあまり当たらないようにね!シミになりますから。」そう言ってガード用の絆創膏みたいなのをくれた。

拍子抜けしたもののやっと生きた心地になって、それから3ヶ月間ドラキュラみたいな生活をした結果、傷は跡形も無く消えた。

 

すぐに病院に行っていたらあんな悲惨な数日間を過ごす事は無かった訳で、これですっかり反省して心を入れ換えた。

お医者さんにはすぐ診てもらおう!

 

ここ一週間ほど、左手が肩からしびれている。

セッションのベーシスト落合君が、「それ、やばいですよ。ひどくなると手が上がらなくなって、ピアノ、弾けなくなりますよ~。」

その言葉に震え上がって、明日にでもお医者さんに行こうと思っている。

不安な気持ちを抱える時間は少ないに越したことはない。

 

それにしても、お風呂に長くつかったり、ストレッチを入念にやったり、マッサージマシンを押し入れから引っ張り出したり、何とかお医者さんに行かなくてすむような努力をあれこれせっせとやっている自分に、我ながら笑った。

出来ることなら、お医者さんには本当は”絶対に!”行きたくない。

 

やっぱり何も反省してないってことだな.....。

 

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2012年

10月

03日

男の料理

普段、雑誌はめったに読まないが、たまに行く美容院や検診の医院でテーブルの上に置かれてあると、数冊選んでパラパラめくってみる。

書評と映画評論はたいがい読む。次に料理の記事を探す。

 

料理の記事といっても、女性誌によくある『お手軽・簡単にできる○○風ディナー』とか『もう一工夫でもっと美味しくなる○○』とかのレシピコーナーじゃない。

『通をうならせる一品』、『上質な食空間で楽しむ手間隙かけた季節の食材』なんていうドキドキするような紹介文と素晴らしい料理の写真が載った、老舗の懐石料亭や有名フレンチレストランの記事だ。

別に、そういうお店に行って写真の料理を数万円出して味わってみたいとか、こんな料理を自分で作ってみたいとか(笑)、そんな気持ちがある訳では全くなく、ただただ、料理人たちのとてつもない味へのこだわりと盛り付けのあまりの美しさに感動する。

ここまでくるとまさに芸術だと思う。雑誌を前に「ほう....」と思わず感嘆の声が出てしまう。

そうした料理人たちがみんな男性なのが女の私としてはちょっと悔しいが、男の”極める”という本能みたいな能力は、料理の世界でも間違いなく光り輝いている。

 

昔から『男の料理』と言えば、肉を塊のまま豪快に焙るとか、奥さんの迷惑も顧みず台所をめちゃくちゃにして一年に一回とんでもない迷作を作る、みたいなイメージがあるが、そういうのは趣味以前、お遊びみたいなもので料理に対する冒涜ですらある。そういう手合いは他の趣味を早々に見つけた方が良いと思う。

 

私の周りの料理好きの男性たちは、完全に料理人タイプだ。

味噌汁のだしは風呂に入っている間に煮干しを火にかけてさぁ....、パスタは粉からこねてパスタマシンを使ってね....、発芽玄米は自宅で栽培するにかぎるよ....。

手間隙かけた味に対するこだわりは、ただ美味しいものを食べたいというだけの素朴な欲求だ。

 

私の父も、包丁はとぎ職人に研いでもらうし、油温度計とかスケールや計量カップ、肉叩きや粉ふるいやフードプロセッサー、様々な道具を駆使している。

こだわり料理人は、まず道具の選別から始まってレシピや情報の収集、試行錯誤を経て自分の納得の味を見つける。

 

ある日、「チャーハンの作り方を教える。」と父が言うので台所に行ったら、火にかけた中華鍋の脇で父がストップウォッチ片手に立っていて、「油を入れて○秒、卵を入れて○秒、ほら、ご飯をいれろ!......具を入れて味付けだ!」

絶品チャーハンができたが、細かいレシピは覚えていない(笑)。

ただ、チャーハンは時間勝負だ!という事だけはしっかり覚えた。私のいつも作るチャーハンとは全然違った....。

 

ライブのリハの時にギターのツッチーに、「うちの冷やし中華のつゆは炒りゴマを擂り鉢ですって作るんだよ~。茄子の漬け物もすっごく柔らかくてさぁ。」と自慢したら、「わー、そりゃほんと美味しそうだね!きゅうりに粉末の昆布茶かけるのも簡単で美味いよ!重し付きの漬け物容器、ほんと欲しいんだよね....。」

ツッチーもこだわり料理人だ。

 

美味しいものを食べたい。良い音を出したい。気持ちいいグルーブに浸りたい。最高の空間で演奏したい。

みんな同じ次元のものだと思う。

最高の音を出すミュージシャンは、間違いなく最高に美味しいものを食べたいと願う食いしん坊だ。

音楽は哲学じゃなくて感覚の芸術、その意味で料理の世界と通じると思う。

ただ、ミュージシャンには、毎朝早起きして朝市に出かけるとか、10年も板前修行とか、まったく無理な話だ....。

 

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2012年

9月

24日

ソニド・セッション

土曜日昼間の三鷹ソニド・セッション。

心優しきT.SaxのM氏が、FaceBookに何枚もみんなの写真をアップしてくれた。それも楽しいコメント付きで!

 

このセッションは、かなり凄腕のプレーヤーたちが常連で集まってくるので、ホスト役の私もめちゃめちゃ勉強になるし、楽しい。 

そして毎回何人か、”初めて”というお客さんが来てくれる。

そういうお客さんたちが帰る時に、「楽しかった!また来ます。」と言ってくれるのが何より嬉しい。

 

私がJazzセッションに行き始めた頃( 10年くらい昔か....)、お店のホストのミュージシャンは神様みたいに見えた。

演奏も凄かったけれど、滅多に話しかけてくれる事が無かったし、近寄り難いオーラを醸し出しつつホスト同士で楽しそうに盛上がっていて、何だか別世界の人のようだなぁ....と下界から眩しげに眺めていた。

だから、『高田馬場ゲートワン』のセッションで私の隣に座ったホストピアノの福田重男さんが、ニコニコしながら私のコードブックの間違いを直してくれた時は、本当に涙が出るくらい嬉しかった。

なんて優しいんだ~~!

 

かなり以前、中国を旅行した友人が、旅先のどこのお店でも店員に邪険に扱われ、( だって共産主義の中国ではお客さんはただただ迷惑な相手でしかないから )、帰りの日本航空のスチュワーデスさんに、「お疲れさまでございました。」と笑顔でねぎらわれて、本気で涙が出たと言っていた。

ふとそんな話を思い出すくらい、『ゲートワン』のセッションは感激した(笑)。

 

緊張感溢れるセッションはもちろん大事だ。Jazz界への登竜門、互いに切磋琢磨し技を競い合ってチャンスを窺う....。

でも、私のように、お店に来ると緊張して殆ど思うように弾けず、気後れしてミュージシャンには声を掛けそびれ、上手くなりたい気持ちはあっても何をどうしたら良いか皆目分からずに毎回がっかりして帰るような普通のプレーヤーにとって、福田重男さんのようなセッション・ホストに会えるか会えないかは、その後のJazzに対する気持ちさえも左右するかもしれない。

 

「さぁ、大丈夫だから思いっきりやってみようよ!」

そんな暖かい空気の中で真剣に音楽に向き合って、少しでも良い音を出そう、少しでも良い演奏をしよう、それぞれの目標を見つけられる様なセッションがやれたらいいなと思う。

そういう気持ちをずっと失くさないようにしたいと思う。

 

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2012年

9月

17日

森鴎外の離婚

つい先日の朝日新聞に、『鴎外「まったく気性合わず文筆の妨げ」』という記事が出ていた。

鴎外ファンとしては見逃せないので切り抜いておいた。

鴎外は二度結婚しているのだが、最初の妻登志子さんとの離婚のいきさつが記された文書が静岡県磐田市で発見されたそうだ。

 

1888年、ドイツ留学から鴎外が帰国して間もなく、はるばるドイツから、気丈にもたった独りで鴎外を追って来日したエリスという若い女性がいた。

森家存続の危機とばかりに、親族一同、彼女を宥めすかして帰国させたと記録にある。

明治の始め、国家の未来を背負ってドイツに官費留学した若き鴎外は、探究心と自負心と愛国心を胸に研究に励み、当時の日本人には珍しく欧州の文化にも溶け込んで日々の生活を目一杯楽しんだ。

そして永遠の恋人・エリスと出会った。

彼女とそのまま彼の地で結婚できたなら、彼は本当に幸せであったろうし、日本中の鴎外研究家は存在せず、私も森林太郎という人を知る事もなかった。

 

初期の小説『舞姫』は、鴎外のこの”生涯に一度の恋”が基になっている。

『石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。』

高校の授業で読んで、冒頭の数行でやられてしまった(笑)。

高雅な文体と生々しい恋愛事情がもの凄いミスマッチな感じで、森鴎外とはいったいどういう人なのだろうと、よく理解できないながらも凄く印象に残った。

 

エリスとの結婚は当時の国状や親族の心情からも到底不可能で、鴎外は親の勧めで、海軍中将赤松則良の長女登志子さんと結婚したが二年と持たずに離婚した。

その時の鴎外の心情を伝える資料が、今回、発見されたというのだ。

記事を読むと、無理矢理に好きでもない女性と結婚させられて、うまくやろうなんて気がはなから全く無かった事が窺える。

鴎外、相当頭にきてたんだなぁ....(笑)。

 

その後、長く独身でいたが四十過ぎで娶った二度目の妻が絶世の美人で、鴎外も「美術品」と友人にのろけていたらしいが、名家の令嬢のせいか我が儘で、義母と想像を絶する不仲で鴎外は長年悩まされた。  

『半日』という短編小説に書かれた嫁姑の確執は、文体が整然・冷静であるだけに余計に怖い....。

 

結局、鴎外の結婚は順風満帆とはいえないものだったが、子供たちは皆それぞれ父について著書を残していて、そこから見える父親・鴎外は、とてつもなく愛情深く繊細でいて心の強い人であった。

子供というのは親の本性を良く見ている。特に年頃の、感性鋭い女の子の目は絶対に騙せない。大人の狡さみたいなものを敏感に見抜くのだ。

娘たちにこれ程までに愛された鴎外という人に、どうにかして会ってみたかったと思う。

私も相当なファザコンで、彼女たちの気持ちが良くわかる。

初めて会う人にさえ父親の自慢話をついしてしまう、誇らしさと嬉しさと深い愛情と少しの悲しみ.....。

 

amazonで、鴎外の三男・類さんの著書『鴎外の子供たちーあとに残されたものの記録』を注文した。

折に触れ、森鴎外という人をいろいろな角度から眺める。作家として、明治の知識人として、軍人として、医学者として、男性として、父親として、家長として、官僚として。

まさに巨人、様々な葛藤を抱えながらも自らの能力・全力を振りしぼって誠実に闘った人だと思う。

 

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2012年

9月

10日

T'sセッション

10数年前、生まれて初めてJazzセッションに行って、『酒とバラの日々』を無我夢中でめちゃめちゃ弾きまくった。

だいたい、8バースもJazzスケールも知らなかったから、周りで何が起こっているのかまったく謎だったし、アドリブなんて好き勝手にやるもんだと思っていた。

その後、多摩地区の凄腕JazzMenたちと知り合って、遊びながらいろいろ勉強した。

 

都内のお店のセッションに行くなんてのは夢のまた夢で、『阿佐ヶ谷マンハッタン』の深夜セッションはプロのミュージシャンがたくさん遊びに来るんだって!と聞いて、"マンハッタン・プロジェクト"なんて、今思えばかなり不謹慎なネーミングの計画を仲間とたてて、都内セッションデビューを目標にゆるゆる練習していた。

 

そのうち、国分寺にもの凄くハイレベルなセッションをやっているお店があるというので、様子見がてら遊びに行ったらまったくもって想像以上で、仲間ともども見事撃沈・大破した。

『国分寺T's』、その時のホストがGt.の塩本彰さんだ。

一年くらい通ったけれど、いつも相手にしてもらえなかった。

マスターには「いい根性してるねぇ。」なんて言われて皮肉とも気付かず、「根性だけが取り柄です!」なんてきっぱり言っていたから、もう打たれ強いというかまわり読めてないというか....(笑)。

 

よそよそしかったT's常連プレーヤー達が、ある日突然、話しかけてきた。

何を話したか覚えていないけれど、びっくりしてただ嬉しかった。

今では、大事なJazzの先輩であり仲間だ。

「みっちゃん、あの頃、何か恐そうだったからさぁ....。」

緊張していっぱいいっぱいになっていて、顔が怖いことになっていたらしい(笑)。

 

Jazzを本気でやろう、と決めてからは、塩本さんの厳しいアドバイスや暖かい激励は練習の目標であり心の支えになった。

今はもう閉店してしまった老舗『赤いからす』のセッションホストをやる事になった時は、老舗店のホストなんて荷が重過ぎてアップアップしていた私を、演奏面でも精神的にも助けてくれた。

T'sの仲間と塩本さんは私の恩人だ。気持ちが負けそうになるといつも思い出す。

 

現在、関西在住の塩本さんとは年に一回くらいしか会えないけれど、今日、久しぶりにT'sセッションで聞いた塩本さんのギターは、相変わらずかっこよくてsharpで粋だった。

また頑張ろう!って思った。

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2012年

9月

03日

『日本人の誇り』

ずっと昔、実録映画『東京裁判』を見た。

終戦後、1946年から1948年まで行われた東京裁判は、戦勝国が敗戦国日本を一方的に断罪するとても裁判なんて言えない酷いもので、見終わった後、あまりの理不尽さにやりきれない思いがした。

法廷で証言するA級戦犯と呼ばれる人達は、連合国側が主張するような、「共同謀議」をして世界征服を企み、侵略を画策して組織的に「人道に対する罪」を犯した、そんな極悪な人達には到底見えなかった。

死刑判決を日本語通訳のヘッドフォンで聞いた後、静かに裁判長に一礼する姿に涙が止まらなかった。

 

「人道に対する罪」なら、原爆を落とし、大都市空襲で無辜の市民を大量に殺した米国の行為は、戦争犯罪でなくていったい何なのだろう?

そういう疑問は、映画を見た何年も後になって少しずつわいてきた。

 

「原爆投下は、戦争の早期終結・これ以上の犠牲者を出さない為に必要であった。そうさせたのは愚かな日本軍部と政治家のせいである。」

「中国では30万人もの一般市民が無差別に虐殺された。関東軍の暴走の結果である。」

そういうふうにいつの間にか信じていて、贖罪の気持ちを持つ事は日本人の義務だとずっと思っていた。

でも、本当にそれが真実なんだろうか?

 

お茶の水女子大学名誉教授・数学者である藤原正彦氏著『日本人の誇り』( 文春新書 )を読んで、今まで漠然と疑問に思ってきた事、なぜ?と憤ってきた事、間違って思い込んできた事、いろいろなもやもやが一気に吹き飛んだ。

数学者らしい公平さと理性的な緻密さで様々な歴史資料や史実を検証し、当時の記憶や証言から導かれた真実と思われる世界の歴史の姿は、複雑で冷徹で偽善で醜悪で、読んでいて胸が悪くなるようなものだった。

そして、日本が犯した他国への侵略という事実も改めて思い知った。アメリカもイギリスもやった事だというのは弁解でしかない。

 

それでも、本を読んで、日本人に生まれた事を誇りに思えた。

幕末開国以来、帝国主義という弱肉強食が跋扈する国際社会の荒波にいきなり飲み込まれながらも、国を守る気概を持ち続けて戦った先人たちの驚くような鋭い知恵と自負心。

大国主義に翻弄され、戦後の洗脳教育を経てもなお私たち日本人がずっと潜在的に持ち続けているもの、それは、武士道精神といってもいいような日本人特有の心の持ち方だ。

失われつつあると言われているこの精神文化を完全に失ってしまわない為に、本当の歴史を今からでもみんなが知らないといけないと思った。

『日本人の誇り』は、散らばった断片だった私の中の日本を、幕末から現在まで一つの歴史として、一つの国の形として見せてくれた。

 

2012年ー今年の夏は、領土問題とかもあったから、歴史(近代史)についてめちゃめちゃいっぱい勉強した(笑)!

 

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2012年

8月

26日

美味い!

最近かなり楽しみなのが、”友人Mさんと美味しいものを食べる事”だ。

 

ひょんなきっかけで、Mさん御自宅で長崎皿うどんやお手製ピクルスをご馳走になり、二人で美味しいお店を開拓しよう!と意気投合した。

最初は沼袋のカレー屋さん、それから中野の絶品イタリアンに感激し、今回が三鷹の中華だ。

ソニドのママに教えてもらった広東料理のお店で、デザートに和スイーツのメニューもある。

 

美味しいものを食べながら楽しい話をする、これほど贅沢なことはないと思う。

特にMさんは職業柄、経済や政治の話がものすごく詳しくて、難しい話もさらりと易しく話してくれる。

Jazzの話や人生相談(笑)なんかにものってもらっていると、時間を完全に忘れる。

もっとずっと話していたいと思う。

鉄板焼き餃子をほおばりながら日本の未来を憂うなんてのは、なかなかシニカルでタイムリーだ。

ついでにマッコリなぞ飲めば、「みんな仲良くやろうよ~!」てな気分になるし、拳を振り上げるなんて無粋な事はやめてさ、、と優しい気持ちになる。( 広東料理のお店にマッコリはさすがになかったが....。)

庶民レベルでは、美味しいものをみんなで楽しく食べればたいがいの事は丸く収まりそうだが、最近の国際情勢、国内世論の過熱沸騰で「仲良く」なんて口が裂けても言えない某国の偉い人たちは、まったく大変な事だなぁと思う。

 

ところで、先日閉会したロンドン五輪、イギリスの食事の不味さに各国選手が辟易したみたいだ。

『日本選手団にもう一つの敵!』なんてニュースに書かれるぐらいの不味さだったらしいが、全てを乗り越えての大奮闘・大活躍、選手のみなさん、本当に本当にお疲れさまでした。

体操男子の田中選手が、選手村のみそ汁について、「入っているものが違う」と言っていたが、ロンドンのみそ汁の具はいったい何だったんだろう。

ポテトフライとかバナナ☆とかスコッチエッグとかトマト◉とか、、いろいろ想像すると、一人不気味に楽しい....(笑)。

 

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2012年

8月

18日

凄い!

お盆で新潟に帰省して、庭の草刈りを2回やった。

 

先月7月に帰った時、梅雨のあと一面に生い茂った夏草に驚いて、様子見がてらサンダル履きで庭に出た。

ものの2、3分だったのに、待ち構えていたヤブ蚊たちに足や手をいいだけ食われて、気がついたら数カ所まっ赤にふくれあがっていた。

 

これに懲りて今回は父の忠告どおり、長袖シャツ長ズボン、靴下もしっかりはいて草刈りをした。

いったい”草刈り”という作業は、格別おもしろい訳ではないのに妙に燃えて、時間がたつのをすっかり忘れてしまう。PCの無料ゲームみたいなもんだ。

この時も、繁茂するツタから皐月やツツジを守るべく汗だらけ土だらけで大格闘をして、15分くらいのつもりが30分以上、戦いに没頭してしまった(笑)。

完全防備のはずだったのに、シャワーを浴びながら足首をみたら、まんべんなく集中的に蚊に食われていた。靴下の上からだ....。びっくりした....。

 

都会のマンションで暮らしていると、蚊に出くわすという事がほぼない。

まれに電車やバスの中で”ぶ~~ん”と飛ぶ音を聞いても、無視はできないまでもどこか寛容な気持ちでいられるのは、弱々しい遠慮がちな小市民のイメージがあるから。

うちの庭のヤブ蚊たちは、少数精鋭、勇猛果敢にゲリラ戦で相手を苦しめる強靭な兵士だ(笑)。

 

2回目の草刈りは、父の大きな長靴をはいて、これでもう大丈夫と思って油断した。

今度は太もも集中攻撃で、被害は8カ所。

なんとズボンの上からだ....。凄い! 凄過ぎ....。

「敵ながらあっぱれ!」と日の丸の扇子を広げたくなった。

 

そもそも、父の最初の忠告を聞いておくべきだった。

「草刈りは秋まで待て。」

夏の陣は完敗に終わった(笑)。

 

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2012年

8月

10日

暑い!

土曜日のお昼、”ぴっかぴか”太陽の超底抜けな元気に降参、力尽きて這うようにたどり着いた三鷹ソニド。

気温は38度まで上がったらしく、街中( まちなか )の暑さは尋常じゃない。

楽器を抱えてセッションにやってくるお客さん達は来る人来る人みんな、体からもわ~っと湯気が出ている。

なんか嫌な予感がしたんだよなぁ、良くないことが起きるぞ~って....(笑)。

 

予感は残念ながらみごと的中!。

2台あるエアコンのうち1台が故障して、室温調節がまったく間に合わない。

更に苛酷なことに、その調子の悪いエアコンはピアノの丁度上に設置されていて、間違えて暖房モードにしたのかと疑うような生暖かい風がゆるゆると吹いてくる。

ピアノを弾きながら、軽く意識を失いそうになった(笑)。

 

体育会系夏合宿の練習場のような情況の中、首に冷却剤入りのタオルを巻いてバミューダパンツでSaxを吹くM氏の姿は、さながら中東の石油採掘事業・現場監督の勇壮さだ!。

 

お客さん「ビール飲まなきゃやってらんないなぁ!」

ママ「ビール飲むから余計暑いんじゃないの?」( ママはお酒が飲めない。)

お客さん「......。」

ま、理屈はそうなんだけどね....。

 

真夏の体育会系セッション、みなさん、本当にお疲れ様でした。m(_ _)m

 

 

ベースの伊東里栄子ちゃんの結婚披露パーティ・ビンゴゲームで貰った携帯用扇風機。

今年の夏は特別大活躍!

 

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2012年

8月

04日

オリジナル4

今年に入って、昔つくった曲の中からJazzで演奏できそうなものを何曲か選って、手直ししてまとめる作業を少しずつやっている。

色褪せた五線紙に鉛筆で書かれた音符をみていると、あの時はこうだったなぁ、そういえばあんな事を考えてた、、めまぐるしく過ごして来た年月の断片一つ一つの風景が、音と空気と心の中の声と一緒によみがえってくる。

へぇ...と昔の自分に感心したり駄目出ししたり、ずっと思い出す事もなかったいろいろな出来事に感傷的な気分になったり、曲を作るのとはまったく違う不思議な楽しさだ。

 

それとは別に、時々ふっと曲が出来る時がある。

『Easy Go de』は、友人と電話で話した翌日に何だかやりきれない気持ちになってしまって、その彼と話すようなつもりでピアノを弾いていたら曲が出来た。

 

いつもひょうきんな笑顔と冗談でみんなを笑わせる友人が、その時だけ珍しく弱音をもらした。

音楽仲間や気の合う友達と、お酒を飲みながら「ちょっと聞いてよ~!」とお互いの悩みや愚痴をさんざん言い合う事がたまにだけどある。

恋愛や音楽、仕事や生活や何気ない一言に傷ついた事、思い通りにいかないいろんな事や取り返しのつかない自分の過ち...。

そんな時、一度だってまともな慰めを言えた事がないなぁと思う。

「大丈夫だよ、きっと大丈夫だよ。考え過ぎないでさぁ~....。」

いつもそんな事しか言えない自分が何だか情けなくて、もやもやした。

 

私は、元気に音楽をやれるのはもの凄く幸せな事なのだと、特に最近、思う。

悲惨な災害や突然の事故でいきなり命を絶たれた人、才能をもちながら病に倒れた人、いろんな事情で音楽を諦めざるを得なくなった人、、その無念さを思うと胸が痛い。

私もいつ同じ運命に遭うか分からないし、気力を失ってしまう時が来るかもしれない。

だから今、こうして毎日、音楽の事だけを考えて元気にピアノを弾ける事が本当に幸運なのだと思う。

もちろん、思う通りにいかなくて悲しくなる事や悔しい事は人並みに一杯あって、その事を考え出すと苦しくなって袋小路で煮詰まりそうになる。

そんな時、頭の中のどこかから、昔流行った「Easy Go でいこうぜ~!」てな超元気・ロックな歌声がギターサウンドと共に聞こえてくる。

我ながら笑っちゃうくらいの楽天主義なのか、恐ろしいぐらいの悲観主義から目をそむける為の自衛システムが作動するのか、とにかくその朧げな歌声とともに、「ま、いっか....」という気持ちになる。

でも、いつからこんな諦めのいい人になったんだろう?

 

20代の頃の私は、頑張って努力すれば願うすべての事は絶対に実現すると信じていた。

まさに自信過剰を絵に描いた様なヤツだった。

ある人から、「一度ぐらい諦めてみろ!」と喧嘩の捨て台詞のように言われて、でも残念ながら当時の私には『諦める』という概念がまったく無く、その人が何を言っているのかよく分からなかった。

そのくらい完全無敵だった(笑)。

その後、どんなに努力してもどうにもできない事にぶつかって、「なるほど...、これが『諦める』って事か....。」とようやく理解した。

あんまり執着する性格(たち)じゃないけれど、この時は辛かった。

 

『Easy Go de』を作っている時、何だかすごく穏やかで優しい気持ちになった。

この曲を作るきっかけになった「Easy Go でいこうぜ!」って言葉は、決して何かを諦めるという事じゃないんだなと気付いた。

辛い気分にさせるいろんな出来事や人、自分自身や思うこと全部を一度受け入れて、自分なりに位置づけをし、進む方向を再調整して、「さぁ~、もいっかい行くぜ~!」って事なんだ。

悩んでても仕方ない、Easy Go でいこう、でも絶対に前に進むよ....。

ちょっと子供じみているかもしれないけれど、ストレートな言葉が持つ力は強くて時に重い。

 

電話で話した友人にそんな歌の話は出来なかったけれど、つい先日、仕事のメールをしたら、いつもと変わらない、”よっ!”てな返事が来たから嬉しかった。

 

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2012年

7月

27日

三鷹の夜

生まれてこのかた、”ボーナス”というのをもらった事がない。

憧れて入った音楽業界だが、支払いに関してはまったく日雇い労働みたいなもので、働いたら働いた分だけ、毎月自分でせっせと請求書を書き、『とっ払い』なんて胡散臭い業界用語でギャラが支払われる事もあるし、ギャラをもらう前に事務所が倒産しちゃって泣き寝入り数十万円、、なんて事も一度や二度じゃない。

特にJazzの世界では、『チャージバック』なんていう音楽を仕事として認めていないような凄い支払い制度もあって、とにかく、安定したお給料なんてのはずっと遠い世界の話だった。

 

季節のボーナスとか有給休暇とかまったく縁が無かったから、OLの友人の話しを聞くたびに、「働かなくてもお金もらえるの? 」なんて素晴らしい制度なんだ~!、好奇心と羨望はふくらんでいった(笑)。

”有給休暇”はまぁ完全に無理だけど、”ボーナスをもらう”ってのは一度ぐらい経験してみたいなぁ、、日本のボーナスシーズン、バーゲンセールに旅行にグルメ! 国民みんなが嬉しくて浮かれる時期なんだよなぁ、、なんて思って、ある日、銀行に行って6ヵ月定期を申し込んだ。

毎月積み立てて6ヵ月後、ボーナスシーズンにちゃんとお金はもらったけど、何だかちっとも嬉しくない。だってもともと自分のお金だしもらう相手は銀行だし....。やっぱこれって全然ボーナスじゃないじゃん(泣)!。

 

こんな昔話を、三鷹Sonidoのセッションの時にぼそっと言ったら、心優しいJazzMan・M氏が「ボーナスが出たら、みんなで美味しいものをご馳走してあげよう!」と慰めてくれた。

 

土曜日夜の三鷹駅前、お寿司屋さんの2階座敷、M氏主催でSonido・セッション常連のJazzMen7人が集まった。

「ボーナスもらえない可哀相なミュージシャン・みっちゃんに美味しいものを食べさせてあげよう!」ってな趣旨はおそらくM氏一人の胸の内で、ほぼみんな、M氏主催の飲み会で美味いもの食べて盛上がろうって心積もりだったと思うが、集まったみんなの顔を見ていたら何だかちょっと感動した。

Jazzを何よりも真摯に愛するプレーヤーたち、忙しい日常のわずかな時間を見つけてこつこつと練習を積み、試行錯誤を重ねながら楽器やフレーズを研究し、少しでも良い演奏を目指して努力を惜しまない人たち。

セッションは言わば遊びだけれど、こういう人たちの真面目で誠実な気持ちがあって初めて上質なものになっていくんだと思った。Sonido・セッションはすっごく恵まれているよなぁ....。

 

八海山もお魚もお蕎麦もすべて信じられないくらい美味しくて、M氏を始め、心優しいJazzMenたちに本当に感謝・感謝。ありがとうございました。

七月土曜の三鷹の夜は、最高に嬉しいボーナスだった。

 

後日、バッグの中からお店で借りた携帯の充電器が出て来て青くなった。自分のと勘違いしてうっかり持って帰って来てしまった....。

お菓子を持ってお店に返しに行った。

いっつも最後になんかポカやっちゃうなぁ、私....。

 

 

 

 

 

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2012年

7月

20日

水泳

先日facebookを見ていたら、長年来の知人が、小さい頃は全然泳げなかったのに小学3年生のプール授業でいきなり泳げるようになった、と書いていた。

私も小さい頃、まるで泳げなかった。というより、”水恐怖症”で水そのものが怖くて怖くて、プール授業はまさに地獄の時間だった。

facebookがきっかけであの当時の事をつらつら思い出したが、”水恐怖症”は一体いつから始まったんだっけ...?。

 

昔住んでいた新潟市金鉢山町の家は、サンダル履きで歩いていける距離に海があり、よく父と一緒にあめ玉と浮き輪をもって海水浴に行った。

浮き輪をかかえてぷかぷか波に揺られ、時々足をバタバタさせたりしてちょっと泳いだつもりになり、砂浜で塔や堀をこしらえたり、あめ玉をほおばりながら少し熱い砂の中に冷えた体を埋(うず)めたり...、さんざ遊び飽きると、砂だらけの水着のまま帰りに氷水屋さんに寄って、父と氷あずきや氷レモンを食べた。

お風呂屋さんにも行ったけど、大きな浴槽に入るのが怖いなんて思ったことは無かったと思う。

 

だから、小学校のプール授業で水着に着替える時から体がガタガタ震え、水につかると唇が真っ青になって歯がガチガチいうなんて異常な症状は、自分でも何が何だか分からなくてずっと誰にも言えず黙っていた。

授業ではなんとか頑張って、だんだんと泳げるようになった。

ところが、あろうことかクロールのフォームが良いなんて体育の先生に褒められて、いきなり市の水泳大会の選手になってしまった!

授業でさえ地獄の試練だったのにこれから強化練習で毎日しごかれる....、もう目の前がまっ暗になった。どうしよう....。

ここでちゃんと断ればよかったのだが、「頑張れ!」と言われると「はいっ!」と言っちゃうのは今も変わらず私の悪い癖だ。

自分では何とか頑張れると思ったのだが、毎日続くあまりの精神的な恐怖に根負けして、ある日、意を決して職員室に行って辞めたいと言った。

先生は、「やる気がないのか?」と言ってがっかりした目で私を見た。根性の無いヤツと思われたのが悔しかった。

 

家に帰って両親に事の次第を説明したら、母が言うには「パパがお前を落としたから、、。」

お風呂屋さんで父がうっかり手をすべらせて、私はお湯の中に頭からぼちゃんと落ちたらしい(笑)。物心つく前の話しだ。

なるほどそれなら、首から上が水面に出ている限りはまったく平気なのだが、いったん頭が水にもぐってしまうととんでもないパニックに陥る、という症状に説明がつく。

もしそれが”水恐怖症”の真相なら、幼少期の記憶というのは恐ろしいなぁと思う。

まったく覚えていないような事も”無意識の記憶”として脳に残っているという事か....。

 

小学校を卒業するとだんだん水に潜るのも平気になって、高校3年生の夏休みはほぼ毎日、バスに乗って一人で市営プールに泳ぎに行った。

自分ではただの暇つぶしと思っていたが、もしかしたら、小学校の職員室で味わった悔しさが”無意識の記憶”に残っていて、もの言う事の無いもう一人の私が秘かに名誉挽回を企て、毎日せっせ黙々と泳ぐなんて事をプログラムしたのかもしれない。

コース台から何回も飛び込んで、競泳用の薄い水着が破けたなんて事もあったなぁ....。

あの夏、あれだけたくさん泳いだから、今はプールや海に行きたいなんて露ほども思わない(笑)。

 

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2012年

7月

12日

UFO

先日、沼袋オルガンJazz倶楽部でトリオのライブだった。

メンバーはいつもの通り、城谷さん(Tp)と小杉さん(Bs)。

オリジナル『Purple Moon』を演奏する前にMCで、この曲を作った当時、毎晩のようにワイン片手にUFO探索をやっていたという話しをした。

 

「その時は国立に住んでいて近くに自衛隊施設もあったし、でもやっぱ米軍基地の方が....」とマイク片手に話していると城谷さんが、

「お話中ですけど、、。自衛隊とか米軍とか、UFOとどういう関係があるのかさっぱり分かんないんですけど...。」

「ええっ?エリア51とか知らないの?」

「まぁX-FILEとかは見ましたけどねぇ。」

「X-FILEは嘘っぽいけど、でもアメリカ軍はUFOと接触した事実をきっと隠してるんだよ、UFOオタクの間じゃ通説だよ。」

 

私と城谷さんが左右でやり合っているちょうど真ん中に立ってる小杉さんが、W・ベース越しに譜面台の小さな譜面を覗き込みながら、『....えっと....Bbm-Eb7-Ab7ね、....ん?』、一人まったく異空間にいるってこの情景は毎度のことなのだが(笑)、今回、何がびっくりしたと言ってそばの席に座っていたH氏が、

「僕、UFOは何回も見てますよ、いろんな所で....。」

一瞬、頭がポンッと爆発して星が見えそうだった(笑)。なんて幸せな人なんだ!!

気をとりなおして『Purple Moon』の演奏に集中したが、どうも何だか気持ちが落ち着かない....。

 

休憩時間中、早速H氏に詳しい話を聞いていると、少し離れた席にいたとってもお洒落なご婦人( 小杉さんの古いお友だち )が、

「私も40年くらい前に見ましたよ。葉巻型のUFOでした。偶然見て、最初はUFOと分かりませんでした。」と、にこにこしながら話してくれた。

それも、見たのが井荻だったそうだ! ( 私は今、杉並区井荻に住んでいる。) 

杉並区に宇宙人が来たんだ、、もの凄い偶然に戦慄した....(汗)。

「私、UFOと幽霊は絶対一度、この目で見てみたいんですよ。」あまりの展開にクラッと混乱しながら私が言うと、話しを聞いていたM子さんが、

「私はUFOは見た事ないけど、幽霊は見ましたよ。」

えぇ~っ!!

一人パニクる私をよそに、城谷・小杉両氏は完全に異空間にいた、ってか私が異空間にいたのか....(笑)。

小杉さんとか、きっとUFOや幽霊を見ても「ま、そういう事もあるよね。」なんて言って煙草吸ってんだろうなぁ。

 

「見たいと願っていれば、絶対にいつか見れますよ!」

UFOを見た女性に力強く励まされて、そうか、探そうと思うより遇えると信じることが大事なんだ、と思った。

でもその後、何だか”運命の人”と同じだなと気付いたら、相当望み薄な気がしてきてかなりがっくりした(笑)。

 

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2012年

7月

05日

ウサビッチ

最近、妙にはまっているコメディー・アニメ。

 

『ロシアの監獄で出会ったウサギのプーチンとキレネンコが繰り広げるドタバタ劇。そこにオカマなヒヨコのコマネチや、何でも食べてしまうカエルのレニングラードという面々が加わり....』と紹介されているのだが、何とも不思議でちょっぴり毒のある変な可笑しさだ。

 

悪役のロシアン・マフィアの愛人2人がチャイニーズ・ドレスを着ていたり、キレネンコが見るからにコンバースなスニーカーのコレクターだったり、シチュエーションもなかなかシニカル....。

1話90秒、台詞なし、効果音とゆるい音楽だけで、物語は回を重ねるごとにとんでもない展開になって行く。

こういうコメディー、好きだなぁ....。

 

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2012年

6月

28日

好きなもの

このブログを始めたきっかけは、ギャラリーの写真を撮ってくれたyukoさんが「日記のように、音楽や田崎さんの好きなものを気軽に書いてみたら?」と勧めてくれた事だ。

 

ブログかぁ、、大変そうだなぁ。

ピアノの練習・レッスンの仕事、ライブの準備もある、オリジナルだってたまってるし見たいDVDもある、両親の顔を見に新潟にも帰らなきゃ....。

いろいろ言い訳を考えてみた。

流行りの場所に遊びに行くとか美味しいものを食べ歩くとか、ここ久しくやってないなぁ....。音楽の事っていっても、華々しくデビューしてるんでもないし....。

ぐるぐる無理だ無理だと考えた挙げ句、突然、そうだ、源氏物語や鴎外、ポワロや小泉元首相の事を書いてもいいんだ!と思い当たったら、俄然やる気が出た。

 

私が高校生だった時、担任のN先生が生徒たちに「自分の好きな事、興味を持っている事、訴えたい事、とにかく何でもいい、言いたい事をまとめてみんなの前でスピーチをしなさい。」と言って、確か授業の始まる前だったかに毎日、一人5分間くらいの時間をくれた。

私は、”自分の好きな事”だったら絶対にポワロだった。

イギリスの推理作家アガサ・クリスティの小説の主人公、ベルギー人探偵エルキュール・ポワロ。

彼の言葉や行動や、フランス風お洒落や奇妙な性格や、何と言っても美しいまでに明晰な頭脳( ”灰色の脳細胞” )をみんなに伝えたかった。

私の番の前日は、何十編もの小説の中から大切と思う部分をそれこそ忘我嬉々として抜き出し、深夜、まとめあげたささやかな覚え書きを前に、”よっしゃぁ~”と一人にんまりした。

 

翌日、教室の黒板の前に立ってみんなの顔を見渡したら、クラスで数少ない女子という物珍しさもあって、かなりの期待感が漂っていた(笑)。    

( 新潟高校は、明治時代の旧制中学校を前身とするもともとは男子校で、私が在籍していた頃は1クラスに女子は8人ほどしかいなかった。)

緊張と嬉しさでどきどきしながらポワロの事を話しだすと、ものの数秒もしないうちに『なんじゃそりゃ?もうちょっと気の利いた事しゃべるかと思った....』てな冷たい空気がどっと押し寄せてきた。

えっ?どうして??

みんなもがっかりしたろうけれど、私はその百倍、がっかりした...。

 

その時の手痛い失望感があとを引いたのか、それ以降、自分の好きなものの事をあんまり話したくなくなった。話しても楽しい思いをする事はないだろう、そんな諦めがあった。

もし、シャーロック・ホームズや漱石、田中角栄や村上春樹を一番に好きだったなら、事情は少し違っていたのかもしれない(笑)。

 

yukoさんの勧めで、ブログを書く事を考えてみた。 

”好きなもの”を、誰にも気兼ねせず思う存分いいだけ好きなだけ自分の言葉で語る、、それは夢のように楽しくて素敵な事に思えた。

ブログ開設後、すぐにイズイズが源氏物語の話題を話しかけてきた。「田崎さんは、源氏の女性たちの中で誰が一番好きですか?」

ピアノの教室で、生徒さんがにこにこしながら言ってきた。「僕も鴎外、好きですよ。渋江抽斎は面白いですよね!」

思いがけない言葉を聞いてちょっとびっくりした。そして嬉しくなった。

同じものを好きと思う人の言葉が聞けて本当に嬉しかった。

 

高校生の頃の私は随分と臆病だったけれど、あれから”好きなもの”はどんどん増えた。”Jazzを弾く”という何よりも好きな事ができて、心も少し強くなったかもしれない。

いつかこのブログでポワロの記事を書く日の事を想像すると、今から高校時代のあの夜のようにわくわくしてしまうが(笑)、さすがに時を経て大人になった分だけ、ちょっとは冷静な感想を書けるのではないかと思う。

そして、今でも変わらずにポワロ・ファンでいる事にも気付いて、ちょっと感動した...。

 

 

NHK『名探偵ポワロ』( イギリス・LWT制作 )の名優デビッド・スーシェ。「アガサ・クリスティが見ていれば最も気にいった”ポワロ”になっていただろう」と言われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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2012年

6月

22日

グレ男(ぐれお)とアボ子(あぼこ)

うちの狭いベランダで、窮屈そうに並んでいるグレ男(右)とアボ子(左)。

グレ男は10歳くらい、アボ子は2歳くらい。まさかこんなに大きくなると思わなかったから誕生日はいつだったか覚えていない。ごめんね....。

グレ男は、ほぼ10年前のある日の朝食のグレープフルーツ、一番大きくて立派なゴロンとした種から生まれた。

アボ子は、ほぼ2年前のある日の夕食のアボガドサラダ、捨ててしまうには惜しいほどつやつやと美しい種がキッチンのシンクに残っていて、試しに土に植えてみたらすぐに元気な芽を出した。ひょろひょろと背丈だけは伸びたが、まだまだひ弱で頼りない。

そこへいくとグレ男はさすがに兄貴分だけあって、背丈は私を優に超え(170cmくらいか...)、根元の幹も本当に太くて、大地に植え替えればすぐに大木に成長するだろうくらいの勢いだ。

 

今でこそほとんど放任だが、グレ男が小さい頃はけっこう大変だった。

どんどん大きくなるのであわてて植物園に育て方を問い合わせ、鉢を何回も大きくし、旅行に出る時は数日でも心配で友人にむりやり預け、風の強い日は倒れやしないか夜中にブラインド越しに何度もベランダを確認し、蝶の子どもが葉っぱをむしゃむしゃ食べているのに気付いた時は真っ青になり、今思い出すと笑っちゃうくらいのドタバタ育児・初心者ママだった(笑)。

むりやり預けられた友人は、さぞかし私がモンスターペアレントに見えたことだろうと思う...。

 

逞しく成長したグレ男だが、最近気になっている事がある。

昔、植物園の方に「日本の気候でグレープフルーツは無理ですが、観葉植物としてなら大丈夫でしょう。大事に育てて下さい。」と言われたから花や実を期待した事はないのだが、それでも、葉っぱに顔を近づけるとちゃんと柑橘系の爽やかな香りがして「あんたはグレープフルーツなんだねぇ...」と妙に感動しつつ納得したものだが、最近、その香りがほとんどしないのだ。

高貴な出自を忘れて夜な夜な不良仲間と飲み歩いている貴族の息子、てな画像が一瞬目の前に現れて軽く焦った。

これ以上背丈が伸びると困るからと肥料をあげていないせいか....それとも近頃の異常気候のせいか、去年、葉っぱにいた青虫があんまり可愛かったのでそのままサナギになるまで観察しちゃったせいか....。

 

いろいろ思い悩むとこのまま狭いベランダに置くのも不憫に思えてきて、いっそグレ男とアボ子を実家の庭に移送しようかと考えている。

それにしてもどうやって運んだらいいんだろうなぁ....(困)。

 

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2012年

6月

15日

オリジナル3

数年前に杉並区に引っ越してきたのだが、その前は中央線国立市に住んでいた。

線路に近いマンションだったが、近くを通る電車の音が遠くかすかに聞こえるほど防音がしっかりしていて、夜は一人でいると寂しくなっちゃうくらい静かだった。

 

PC相手の打ち込み仕事に疲れると、晴れた晩はベランダに出てワイン片手にずっと夜空を眺めていた。

こう書くとものすごくロマンチックな感じだけど、実は、UFO▲をなんとか一目見たくて、人知れずかなり真剣に観察を続けていた(笑)。

我ながらまぁ何というかあれなのだが、当時は、国立市といえば近くに自衛隊の施設もあるし、都内よりUFO出没の可能性はずっと高いはず!とめちゃめちゃワクワクしながら夜空を見ていた。( UFOと自衛隊がなんで関係あると思ったのか謎...米軍基地なら分かるけど。)

 

その日は台風が近づいていて、いつもより雲が多く風も強かった。秋口だったと思う。

星も月も見えなかったので、今日は駄目だなと諦めて部屋に戻ろうとしたが、湿気を含んだ風が妙に気持ち良かったのでしばらくベランダの手すりにもたれて空を見上げていた。

夜空を覆うたくさんの雲が、強風に流されてかなり速いスピードで切れ切れに走っていく。雲間にところどころ、ぽっかりあいた小さな穴のように暗い空色がのぞいていて、まるで疾走する雲と併走しているみたいに見える。

そのうち、何だか妙な感じがした。

暗い空色とたくさんの雲と、もう一つ、別のスピードで同方向に移動している何かがあるような....。巨大な何かか無数の何かか、目をこらしても雲に遮られてよく分からない。

戦闘機の大編隊か巨大なUFO▲か! ここにいるのが私だけという事実にがっくりしつつ、でもそのうち、さっきから3分間くらいずっと見ているのに、上空の状況がさっぱり変わらないってのは変だよね?とも思えてきて、結局、目の錯覚かぁと諦めきれない無念さをねじ伏せるように観察を断念した。

翌日、Jazz仲間たちに身振り手振り交えて切々と報告した訳だが、ははっ!またぁ~、なんて案の定、軽く流されてさっさと”終了”されてしまった(涙)。

 

えらく前置きが長くなってしまったが、私のオリジナル3 「Purple Moon(紫の月)」は、そういう『UFO・苦難の観察時代(笑)』にできた曲だ。

 

夜空に日々姿を変えて現れる月は、ある時は冷ややかに、ある時は情け深く暖かに、傲慢さをひた隠し清楚な謙虚さを装って、この世とは隔絶した美しさで私たちを魅了する。

それはまるで、luna(月)の霊気に気がふれてlunatic(精神異常者)となってしまった殺人者や狼男を秘かに嘲笑うかのようだ。

月を見ていると何かおかしくなる....、そう言うなら、UFOを夜な夜な探す方がよっぽど怪しげだと思うが、月が紫色に見えちゃう前にUFO探索に飽きてしまった私は、危ういところで事なきを得たのかもしれない(笑)!

 

それにしても、一度くらい正真正銘のUFOをこの目で見たいと今でもほんの少し未練はある。

でももし、本物のUFO▲が杉並区に出現したなら、「どうして杉並区?」と逆に宇宙人に聞いてみたい気もする....。

 

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2012年

6月

06日

男の香り

だんだんと汗ばむ季節になってきた。

街で若い男性とすれ違って、なんとも言えない良い香りに思わず振り返っちゃう事が時たまある。

ん、いい匂い!って軽くうっとりして、あれっ、今の人、男だったよね?って一瞬混乱し、男のお洒落もここまで来たか....と、微妙な焦りというか敗北感というか(笑)、路上で一人、意味もなく複雑な気持ちに陥る、、見えないところのお洒落って粋だから、よけい負けちゃった感は強いんだよね....。

 

ドラッグストアーに化粧品を買いに行ったら、制汗芳香スプレーのコーナーで高校生の男子たちが真剣に商品を品定めしていた。冷やかしや遊びじゃなく....。

ちょっとびっくりした。

セッションの仕事で行ったライブハウスで、先に来ていたべースのN君に「最近の男子高校生ってさ、汗止めスプレーとか使うんだねぇ。」と話したら、きょとんとして「それ、常識じゃないですかぁ?」と言われた。

考えてみれば、見るからに”部活後の野球部・サッカー部”な一団が電車にどかどか乗り込んで来ても、当然車内に漂うと思われる汗臭さを感じた事が近年ない。

みんな気を使ってるんだなぁ、と思い至った。

常識かぁ....。

 

平安時代の若い貴族たちは、衣に高雅な香を薫きしめてお目当ての女性のもとへ通った。

源氏物語・空蝉の巻で、夜、灯りのないまっ暗な邸の中を源氏が女の寝室へ忍んでいくのだが、わずかな衣擦れの音と薫き込めた香の香りで相手の女性は源氏と気付き、薄衣を残して逃げてしまう。

暗闇の中のかすかな音と密やかな香り、その妖しく張りつめた空気を想像するとちょっとどきどきする。

平安の貴族たちは、自分だけの香りを調合し持っていたという。

 

現代の男性が平安時代に先祖返りしているのじゃないとすると、男は本当は大昔からずっと、匂いに敏感で美しい香りを身にまとうのが大好きだったのかもしれない。

付き合っている女性に香水をプレゼントするってのは、彼女の為というより自分の好きな香りを側に置きたいって事だったりして...。

貰った事がないので真偽を確かめようがない(笑)!

 

街ですれ違って思わず振り返っちゃった男性たちの香りは、よく電車の中に充満している、うんざりするほど嗅ぎ慣れた流行りの香水の類いではない、品よく香る洗練された男の香りだ。

たぶん男の嗅覚は女より優れている。

それに、いったんこだわりだしたら女は男には到底かなわない(笑)。

『香しいもの』への追求が高じて、”僕の香り”ブランドができるのも時間の問題かもしれない。

 

私はどちらかといえば香水が苦手で、きつく香ると頭痛がしてしまう。無神経な人がトイレやエレベーターの中で香水を振りかけた後に出くわすと、冗談ではなく倒れそうになる。

私が大好きと思う匂いは、小さい頃、夕食どきに父の膝の上に抱かれていた時に嗅いだ父の着物の匂いだ。少し酸っぱいような苦いような、父の匂いのしみ込んだ暖かくてちょっとごわごわした着物の匂い。

我ながら、どうしようもないファザコンだ....(笑)。

男にとって『香り』は科学、私にとっては記憶かもしれない。

 

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2012年

5月

31日

Arabian Night☆

6/2(土)、立川・Half Toneで、中近東ベリーダンスとJazzのコラボレーションという特別企画Liveをやります。

SaxのM氏は、3年間、中東に滞在されていて、あちらでのいろいろなお話を聞くのも楽しみなんですが、何といっても、M氏折り紙付き・本格的なベリーダンスを生まれて初めて間近で見れると思うと、今からわくわくします。

「Mさ~ん、私、どんな衣装で行けばいいですかね?」

「あ~、楽器の人は何でもいいよ!」

やっぱ、そうだよね....。 

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2012年

5月

27日

写真

私は、写真を撮られるのがあまり好きじゃない。

カメラを向けられたとたん居心地が悪くなって、昔の写真には「なんで撮るの?」とでも言いたげな、不機嫌そうなのが何枚かある。

 

ある日、ピアノを教えているミュージック・スクールで、先生の顔写真を一人ずつ撮ることになった。

カメラを構えた校長さんが、「みちこさん、笑ってください。」と何回も言うのだが、どうにもうまく笑えない。困った校長さんが「みちこさん、歯を見せて笑いましょう。」と歯の見せ方まで教えてくれて、ようやく満面笑顔の写真が撮れた。

集合写真ならなんとかなるんだけどね....。

 

このブログのギャラリーにある写真は、イズイズ( ブログで以前紹介したスーパーウーマン☆ )の友人・yukoさんが撮ってくれた。

最初は、ライブ・ハウスに出演する時にお店に送るプロフィール写真のつもりだった。いつも携帯で自分撮りした情けない写真(笑)ばかり送っていたので、ちゃんとした写真が一、二枚あるといいなぁというくらいの気持ちだった。

 

沼袋のスタジオで撮影が始まったのだが、あまりに本格的で、正直驚いた。

バックグランドにお洒落な音楽が流れ、イズイズはヘアーメイク、表情を柔らかくする為にハンドマッサージまでしてくれて、着替えの衣装が何着も並び、yukoさんは照明を考えながらきびきびといろんなアングルから連写する。

彼女は肩書きはライター兼エディターだが、なんだか場数を踏んだプロ・カメラマンの風格だ。     

テレビドラマで水着のモデルさんにカメラマンがポーズをつけるシーンみたいに、「あ~、その表情、いいですね!」なんて本当に言うもんだから、こっちもどんどんいい気になって、自然とカメラ目線でニンマリ微笑んでしまう。

着替えたり髪型を変えたりして、もの凄い数の写真を撮り終わった後、私の頭の中には花が咲き乱れ、色とりどりの蝶が舞い、小鳥たちが凄い勢いで飛び回っていた(笑)。

 

何枚かを選んで、yukoさんがスライドショーにしてブログにのせてくれた。

私の性格からすると、そういう事は気恥ずかしくて絶対嫌だ、、と思うはずなのだが、全くそんな気持ちがおきなかった。

この一連の写真は、私のものというより、イズイズとyukoさんと私の共同作品みたいなものだ。誇らしく思いこそすれ、恥ずかしいなんてどうして思えるだろう....。

たくさんのアイディアを出して、現場ではいろんな事を手助けしてくれたイズイズ、けっこう重いカメラを両手に構えて、スタジオ中を縦横上下に動き回ってくれたyukoさん、そして、カメラの前でめちゃめちゃ幸せな気持ちで笑っている私がいる。

 

こんな時間を経験できた事は本当に宝物だと思う。

ギャラリーの写真は謂わば、栞(しおり)みたいなものだ。そのページを開けば、あの時の彼女たちと私にいつでも会える。

 

あれから半年、相変わらず写真を撮られるのはあんまり好きじゃないけれど、カメラの向こうにいる誰かさんに、前よりちょっとだけ心からの笑顔ができるようになった気がする。

 

 

番外編。

 

新境地....?

 

 

 

 

  

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2012年

5月

21日

金環日食-2

6時半、携帯の目覚ましで起きて準備万端。

目覚ましのけたたましい音で起きるなんて、ツアーの仕事をしていた時以来かなぁ...。

7時過ぎ、朝ご飯を食べながら部屋の西側の窓から外を見ると、向かいに立並ぶマンションの東向きのベランダや屋上に人影はまったく見えない。

7時半、パーカーをはおって日食めがね片手に外へ出た。普通に通勤の人たちが通り過ぎて行く。マンションの人たちもほんの数人、家族でベランダにいるぐらいだ。

もっと大騒ぎなのかと思ったら、あまりに静かで逆にびっくりした。

めがねをかけて太陽を見上げたら、真っ暗な中に、思ったより小さな綺麗なオレンジ色の円が見えて、その中にぎりぎり大きな真っ黒な円がほんの少しずつ左に移動していく。

初めて肉眼でみる太陽の姿に、思わず「わっ」と小さく声が出た。

 

部屋に戻ったら、友人から「見てますか?」とメールが来た。新潟の父が、「こっちは三日月状だ。」と電話をしてきた。

曇りの予報で少し心配していたけれど、もう二度と見れない金環日食は静かに美しかった。

 

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2012年

5月

15日

金環日食-1

『金環日食は、太陽が月に覆われ、美しい光の輪を形成する天文現象。日本では1987年9月以来、約25年ぶりの観測で、関東では実に173年ぶりとなる。(MSN産経ニュース 5/14)』

 

173年ぶり~?そりゃ大変!って事で、さっそく日食観測用めがねを買いに行った。

中野のドン・キホーテで見つけたが、もう残り少なくなっていた。

新潟の父に電話したらまだ買ってないというので、実家にも送ることにした。

久しぶりになんか燃えた...(笑)。

 

      ( 6日後、よろしく!)

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2012年

5月

12日

男気

男と女は別の種類の生き物、と言う人がいる。

少し前には、男脳と女脳診断なんてものが流行った。

先日、三鷹ソニドのセッションの後、プロレス・格闘技専門チャンネルは一晩中でも見れる!と盛り上がる男性陣を見ながら、一瞬この人たちは宇宙人かと思った(笑)。

( ソニドのママがどっから聞いてきたのか、世の中には既に姿を変えた宇宙人がたくさんいるんだとか。この話題はかなり怪しげに面白いのでまた改めて...。)

 

お互いに理解不能な事多々ある男と女だが、男性的といわれる幾つかの特質の中で、私が一つ心から尊敬するものがある。

”男は、主義とか組織とか国とか、実体のない観念的なもの・理念的なものの為に命を懸ける事が出来る”という事だ。

 

女は、目の前の我が子や家族を死に物狂いで守ろうとする。でも、自分の信条や社会的な思想の為となると命懸けは非常に稀なんじゃないかと思う。

それに対して、ソクラテスや坂本龍馬を始め、イデオロギーや革命の為に命を落とした男の何と多いことか。有名無名に関わらず、たくさんの男たちが国や信条の為に命を削った。

 

この特質があるから、政治はずっと男の仕事であったのだと思う。

政治家は、ある公共的な概念・理想に基づいて集団をまとめていく。憲法で成文化されてはいても実体のない”国家”というものの為に、その政治生命を( 時には本当に命まで!)懸けたりする。言い換えれば、彼らにとって、そういうものが実体として見えているということなのかもしれない。

 

最近では、マーガレット・サッチャーやヒラリー・クリントン、独・豪首相、有能な女性政治家はたくさんいるし、優秀な女性官僚も政治学者もたくさんいる。

でも彼女達は、国や主義に命を懸けるなんてことはきっとしない。冷静に国益、省益を考え、社会を構成する個々人にとって現実的な答えを出していくと思う。

その意味では、優れた女性政治家は、男性よりよっぽど組織の舵取りに適してるのかもしれない。

 

誰の本だったろう、男と女の生理学的な違いについてこんな事が書いてあった。

スポーツのトレーニングで、男は「死ぬまで頑張れ」と言われると本当に死にそうになるが、女はそのかなり手前で「もう限界です」と言ってへばってしまう。

それは種族保存の本能で、女は自分の命をそう簡単には危険にさらさないという事らしい(笑)。

 

それにしても、きれいごとだけではすまない政治の世界において、何かの理念や理想に基づいて、例え逆賊と誹られようと自らを犠牲にしようと、ある目的に突き進む強い決意はやはり男性にかなわない気がする。

国の独立運動や民族解放、諜報活動やレジスタンス運動、お家騒動で暗躍する藩士とか.....。

 

どうも我ながら小説や映画の見過ぎって気もするが(笑)、そういう歴史や国際政治の中の男たちが、私には”宇宙人”のように見えてしまう。畏敬の念をもって....。

 

最近の若い男は、、なんていう声をよく聞くけれど、少なくとも私の周りの若いJazzミュージシャン達は、すごく真面目に世の中を見ているし考えている。

”音楽に命を懸ける”なんて事はまぁ無いだろうけれど、それでも、自分が持つ何か一つの理想の為に身を賭する姿は本当に美しいなぁと思う。

なかなか生計を立てていくのが難しいJazzを一生の仕事にする、それは考えてみればある意味、Jazzに命を懸けるという事なのかもしれない。 

”男気”という、今どき古風な言葉があてはまるような生き様だと思う。

 

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2012年

5月

05日

テレビ-2

数日前にこのブログで、

     

『世界中で、過去にそして現在もたくさん起きている、特に戦争や地域・民族紛争といった複雑で難解な問題を、冷静に事実のみを取材して視聴者に伝えようとするこういうドキュメンタリー番組が、日本の国営・民間放送でなぜほとんどつくられないのか....』

 

と書いた。

そのすぐ後、たまたまネットで、”NHKドキュメンタリーwave”という番組を見つけた。

http://www.nhk.or.jp/documentary/

 

世界や日本の様々な問題を伝える本格的なドキュメンタリー番組で、20114月放送開始とある。

放送履歴を調べてものすごく嬉しくなった。

やった~、日本の放送局、頑張れ~!

久しぶりにテレビが見たくなった。

 

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2012年

5月

03日

猫~Part2~

バックバンドの仕事をしていた時に一緒だったコーラスのKさんは、姉御肌で優しくて、頼りない私に業界のいろんな事を教えてくれたり、デモテープ作りに協力してくれたり、当時の私にとって、信頼できる心の支えと言ってもいいくらい大切な存在だった。

彼女の家には雑種の猫が数匹いて、遊びに行くと、懐かしいほのかな匂いと久しぶりに撫でる温かな毛の手触り、猫特有の ”あんた、何?”っていう高慢無礼な視線にめちゃくちゃ嬉しくなったものだ(笑)。

 

Kさんは大の猫好きで、老衰で歩けなくなった猫を最後まで世話をしていた。

私の母も、病気でばたばたと死んでいった猫たちを、夜中にお風呂場で( 排泄物のために )、一匹ずつ抱きしめながら看取った。( 猫エイズと呼ばれる伝染病で、うちの猫たちは全滅した。)

 

私の家は、”猫好きなうち”と近所で知られていたらしい。よく、捨て猫が家の前に置かれていた。

玄関のすぐ上の二階に私の部屋があって、子猫のみゃーみゃー鳴く声に気が付くと、すぐ母のところに行って「ねぇ、猫が鳴いてるよ。」と報告する。すると母は間違いなく、その子を救出してくれた。

 

ある時、暮れも押し迫ったもの凄く寒い日の夜中、雪が降り出して早々にベッドにもぐり込んだ私は、窓に吹きつける強風の中にかすかにみゃーみゃーと鳴く弱々しい声を聞いた。

飛び起きて母のところに行った。

二人で玄関に出てみると、段ボール箱の中に産まれたばかりの子猫が一匹、寒さで凍りそうな中、必死で鳴き声をあげていた。

母はその子を手で包み込むと、黙って家に入った。私は、あぁ良かった、もう大丈夫、と二階のベッドに戻った。母は一晩中、半死の子猫を胸に抱いて人肌で暖めたそうだ。

その子猫が成長して数年後、可愛い子猫たちを産んだ!

命というのは、なんと健気で力強いものか....。

 

Kさんが、猫たちを傍らに一緒にお酒を飲んだ時にこう話してくれた。

彼女のお家は神職で、猫や犬を飼う事ができない事情があった。小さい頃、境内に捨てられた子猫を川に捨てに行く、その役目が辛かったそうだ。

動物好きな小さな女の子に、そんな役目を課した神職の父親というのがそもそも許せないという気がするが、それを聞いて私は母を( そして、本来猫嫌いだったのに、母の為に一生懸命猫の世話をした父を )、心の底から誇りに思った。

Kさんのような悲しい思いをせずに育った事を、両親に感謝した。

 

うちの猫たちが病気で全滅した後、母はもう猫を飼いたいと言わなかった。

東京の私の部屋を訪れた父が、ポストカードや雑誌の猫の写真を切り抜いて小さな額縁に入れたのを見て、「やっぱりママの子だな。」と笑った。

 

この記事を書きながら思った事がある。

もしかしたら、私が好きだったのは”猫”ではなく、あの時母が愛した”うちの猫たち”だったのかもしれない。

一人っ子だった私の永遠のライバル(笑)、しょうがないなぁ....ちょっとだけ遊んであげる、、殆どいつも完全無視を決めこみながらも、気が向くと私の相手をしてくれた”うちの猫たち”。

 

懐かしさと、ちょっぴり恨めしく思う気持ちと、遠くに残して自分だけここに来てしまったような悲しさと、いろんな言葉にできない気持ちがごちゃ混ぜになって、何だか泣きたくなるほど会いたくなった。

 (写真の私は、いったい何をしたかったんだろう....謎だ・笑)   

 

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2012年

4月

27日

猫~Part1~

新潟の私の家には、昔、猫がたくさんいた。

ハンパじゃない数だ。一番多い時で10匹はいたかもしれない。

もっとも、家の中にいるのはそのうち数匹で、あとの猫たちは、食事時になるとどこからか戻ってくる、という感じだった。

 

こうなってしまったのは、母が原因だ。

捨て猫が可哀相でほっておけなかった事、雌猫には女と生まれたからには一度は子どもを産ませてあげたい、なんていう女性人権...いや猫権活動家のような勇ましい事を考えた事、そのうち避妊手術などの管理が面倒くさくなっちゃった事、その他いろいろ...。

結局のところ、母はとても気持ちが優しい人なのだが細かいことはあまり考えないし、父が本当に頼りになる人なので、困ったらなんとかしてくれるみたいな気持ちがあったのだと思う。

 

おかげで、父と私は本当に大変な思いをした。

今でも父と時々、「いやぁ、あの時は...」なんて、笑いながら思い出話をする。

父に比べれば、私の苦労なんて微々たるものだが....。

 

私が一人っ子だというと、「さぞ大事にしてもらったんでしょう。」とたいてい言われるが、とんでもない、わたしには強力なライバルみたいな兄弟たちがぞろぞろ居て、母の愛情はどちらかというとそちらに行っていたと思う。

学校の宿題ノートをテーブルの上に広げておいたら、目を離した隙に兄弟の一匹がその上に毛玉を吐いてしまい、私が泣くと母は「そんな所に出しっぱなしにするのが悪い!」と叱った。

小学生の時、文集に私の作文が載った。家族の事を書いたのだが、たぶんわざと猫の事を書かなかった。母は嘘の作文だと言って一言も誉めてくれなかった。

母にとって猫たちは家族だったのだと思う。

 

こう書くと私がえらく彼らを嫌っているように思われるが、私にとって、あの時いつもまわりに居た猫たちは間違いなく私の兄弟姉妹だった。

( 本当を言えば、みんないなくなっちゃえ!なんて何度も何度も思ったけれど....笑。)

 

同じ親から同じ時に生まれても、子猫は一匹一匹、性格が見事に違っていて、臆病な子、好奇心旺盛な子、弱い子、強い子.....個性は観察していると本当に種々様々だ。

猫の世界の強者・弱者の争いは苛酷で容赦がなく、戦いに負けて尾っぽがだらりと垂れ下がってしまった雄猫に、慰めようにも言葉が通じないから、ただ側に座って、”頑張れ、私も大変なんだ” なんて随分独りよがりな応援を心の中でつぶやいたりもした。

 

だから先日、facebookのリンクでたまたま見た「飼っている猫を魚と思って見ている」というブログの記事を読んで、思いっ切り悲しくなった。

無性にうちの猫たちの事を書きたくなった。

もう思い出でしかないけれど、愛憎悲喜こもごも、もの言えぬ家族の事を書きたくなった。

 

という事で次回に続く、また長くなっちゃいそうなんで(笑)。

 

( 時代を感じる.....笑 ) 

 

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2012年

4月

21日

テレビ

我が家にはテレビがない。

そう言うと、一年くらい前はたいてい「えっ?」という反応があった。そして「どうして?」と聞かれたものだが、最近ではあまり「どうして?」と聞かれない。

 

先日、ライブが終わって帰り道、深夜でがらがらの車内にベースのYくんと並んで座っていた。

ニュースや広告やプチ講座やらを文字と鮮明な画像で絶えず流している車内テレビ放送を、気付いたら二人とも無言で食い入る様に見つめていて、それが我ながら笑えて、「Yくんちもテレビないの?」と聞いたら、「はい~」って照れ笑いしながら答えていたが、その答えを聞いて私も「どうして?」とは聞かなかった。

 

ニュースはインターネットで見ているし、面白そうなドラマがあったらDVDでまとめて見ちゃうし、バラエティー番組はタイトルからしてつまらなそうでスポーツは最近お気に入りのチームがない。

たまに実家で見るNHK国会中継も、小泉進次郎くんの質問真っ最中に( 無礼にも!)いきなり終了してしまうし(笑)....とにかくテレビに期待するものがほとんどない。

 

それでも時々、BBCとか海外制作のドキュメンタリー番組が無性に見たくなる。

日本人の想像をはるかに超える世界の苛酷な現実や、知らされる事のなかった歴史の中の事実がたくさん報道されている。

数年前、まだうちにテレビがあった頃に見た、そうした海外のドキュメンタリー番組の衝撃的な映像は今でもはっきりと覚えている。

 

第二次世界大戦中の反ナチスの活動を証言するスパイたち、1994年のルアンダで国連がやった事( やらなかった事 )、イスラム世界で今も行われる名誉殺人を逃れて生きる女性たち、犯罪被害者の遺族と犯人である受刑者が一緒にバス旅行するアメリカ民間の試みのルポ.....。

 

世界中で、過去にそして現在もたくさん起きている、特に戦争や地域・民族紛争といった複雑で難解な問題を、冷静に事実のみを取材して視聴者に伝えようとするこういうドキュメンタリー番組が、日本の国営・民間放送でなぜほとんど作られないのか、すごく不思議に思う。

調査報道は日本では難しいという事? どうして難しいの?

 

YouTubeにアップされているドイツの国営放送・ZDF制作のドキュメンタリー番組「フクシマのウソ( 原題:Die Fukushima Luge )」が、最近ネット上で話題になっている。

( http://www.youtube.com/watch?v=4Z38NR0mn_M )

この番組は、日本社会の中の巨大な排他的利益集団「原子力ムラ」の実態を暴いている。

なぜ、日本の放送局じゃないの?。

日本の国内の真実さえ報道できないマスメディアって一体なんなのか....。

 

調査報道を遠ざける日本の報道体制、その中で生きるジャーナリストたちは何を信じて仕事をしているのだろう。

政府発表、官庁発表を全てとする事なかれ主義と、捏造・煽動を懲りずに繰り返す悪質な学者や評論家たち。

何を信じたら良いのか分からなくなっている私たちと、何を信じて仕事をしていったら良いのか分からないジャーナリストたち、、もしそんな構図なら、本当にテレビは要らない。

 

ジャーナリズムも政治も経済も、正義を追求する気持ちのない人が支配するようになったら終わりだと思う。

 

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2012年

4月

15日

誕生日

ちょっと前になるが、前々月24日は私の誕生日だった。

偶然、新潟の実家に帰っていた時だったので、昼ご飯を食べながら両親に言ってみた。

「ねぇ、今日はあたしの誕生日だよ。」

父「おう、そうか、誕生日か!」

母「へ~、今日は24日なの?」

私「うん。.....」

 

まぁだいたいこの流れは予想できたので何も思うところはないのだが、後日ふと考えてみて、うちって変わってるのかなぁと思う。

小学生じゃあるまいし、今更”お誕生日”もないでしょうと思う人もいるかもしれないが、うちでは、私が小さい頃から家族の誕生日を祝うという習慣がない。

夕ご飯のおかずがちょっと豪華になるくらいはあったのかもしれない。でもそうだったかもしれない、と記憶の彼方に朧げに浮かぶ光景は現実とも想像ともつかない(笑)。

 

悲劇なのは、お祝いのプレゼントと誕生日とがほとんどむすびつかないまま、大学卒業後、某大手音楽教室という文字通り女の園(笑)のような職場で働くことになった事だ。

2/24、何が何だかわからないうちにたくさんの素敵なプレゼントを貰って、へ~あたしって人気あるんだなぁ....なんて能天気な大誤解をした。

だいたい人の誕生日なんて、たとえ大好きな男の子であってもほぼ関心が無かったから、友達の女性講師たちが大切なイベントのようにお互いの誕生日を手帳に書きこんでいると知って、本当にびっくりした。

その上、私にとってプレゼントというのは、大変な好意か特別な感謝の結果であって、社交的な意味合いのプレゼント交換という概念がなかった。

おかげで講師仲間では“変な人”になっちゃった訳だ(笑)。

 

そういう洗礼を受けた後、実家のすぐ近くにステーキ屋さんができて、”ご家族のお誕生日に割引と記念撮影をサービス!”とあったから、そのお店が閉店するまでのかなり長期間、毎年、誕生日近くには必ず新潟に帰って家族でステーキを食べに行った。

父も母も私も、誕生日を祝うというよりは、美味しいステーキを食べて『みんなで写真を撮る』という事が最重要事項なのであって、「お誕生日おめでとう!」てな祝辞はその為の確認事項だったような気がする(笑)。

 

 

今思うのは、私の誕生日は、母がそれまでの人生で一番大変な想いをした日であり、父がこれから背負う大きな責任をかみしめた日であり、私にとっては最大の感謝の日だという事だ。

好きな音楽を思う存分やって、好きな仲間と一緒に仕事をして、好きな場所に住んで、好きな文章をたくさん書いて....。好きな事だけを、本当に思いっきり我が儘にやってきたなぁと思う。

 

六月と七月、母と父の誕生日がある。

いつもどおり電話で「おめでとう!」と言うだけなのだが、電話の向こうの明るい声を聞きながら、最近は何だか妙に切ない気持ちで胸がいっぱいになる。

そして、そんな気持ちになる事自体が申し訳ないような、どうにも説明しようのない心持ちに自分ながらとまどってしまうのだ。

誕生日をお祝いするのは、キリストと天皇だけでいいのではないかと正直思う。

  

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2012年

4月

08日

うちのベランダから桜を写した。

 

もうほんのちょっと右の方に歩くとささやかな桜並木があるのだが、離れてひっそり咲くこの2本の桜が、何だかとっても"けなげ”だ(笑)。

群れずに気高く、何も気負わず誰とも競わず、その時を精一杯いさぎよく美しく咲く....。

そんなめちゃめちゃ感傷的な思い入れをついしてしまうほど、桜は私たち日本人にとって特別な花だ。

桜の木の下で大騒ぎをしている人間たちとはまったく違う次元で花を咲かせ散らしているかのような、ある種、哲学的な高尚ささえ感じてしまう。

 

秋の虫の声といい、外国人にとっては理解を超える日本人独特の感性かもしれない。

 

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2012年

4月

02日

鍵盤が....!

毎週日曜日、ピアノのレッスンをしている沼袋の音楽教室。

YAMAHAのグランドピアノがあって、レッスンが終わると大概、指が疲れてよれちゃうまでたくさん練習して帰るのだが、先週、大事件が発生した。

鍵盤がいきなり割れちゃったのだ。

 

中央Cより1オクターブ上のCの鍵盤が、黒鍵のちょうど下の部分から横にパキッと割れて、あっと言う間もなくポ~ンと目の前を飛んでいった。

えっ!としばらく何が起こったのかついていけず、半分むき出しになった木の鍵盤をぼんやり眺めて、それから飛んでいった割れた白鍵を見つけて元の場所にはめてみて、やっぱこれ、割れちゃったんだよな.....となかば茫然と確認して、教室のオーナーに電話で報告した。

 

「明日、そちらに行きますので、そのままにしておいて下さい。」

 

後日、メールで「大丈夫でしたよ!」と連絡をもらっていたけど、ずっと心配だった。

昨日、一週間ぶりに教室に行った。

生徒さんも気付かないほどに直っていて本当にほっとした。( アロンアルファでくっつけたそうだ!)

図解すると(笑)、白鍵の、ほんの少しだけ木鍵から浮いていた薄いプラスチック板の先端部分が指に引っ掛かって上に押し上げられ、一瞬の勢いで割れてしまったらしい。

 

友人に「鍵盤が割れちゃってさぁ....」と言ったら、「みっちゃん、どれだけ激しく弾いたのさ?」って言われたから、「そうじゃなくて....」と事情を説明しようと思ったけれど、長くなりそうなのでむにゃむにゃ言って終わりにした(笑)。

 

とにかく、先週日曜日は久しぶりに焦った....。

 

 

 

 

( 髪の毛くらいの跡があるけど、よく見ないと分からないよね?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年

3月

27日

電車の中

ずっと以前、外を出歩く時には大概いつも、ヘッドフォンで音楽を聴いていた。

地下鉄なんかに乗ると低音がかなり聴きづらいのだが、意地でも(笑)、音楽を聞き続けていた。

 

それが、PCで音楽を作りだした頃から、特にカラオケの仕事が殺人的に忙しくなった頃くらいから、外でヘッドフォンをほとんど使わなくなった。

カラオケ・データを作る時は、イヤフォンで楽曲をコピーしながらどんどんデータを打ち込んで、ステレオフォンで音源のバランスやpanを確認するというやり方だったから、ヘッドフォンの消耗度は半端じゃなかったし、難聴になっちゃうかも、、という不安がいつもあった。

カラオケは1000曲以上作ったんじゃないかな...。

今思えば、その間、朝から夜中まで”音”を、自分が選んだ好きな音楽ではない”音”を、ずっとヘッドフォンで聞き続けていたと言えるのかもしれない。

 

最近は、外を出歩く時には街の音を聞く。

歩道を歩く親子の会話やお店から聞こえる威勢のいい掛け声、商店街にかすかに流れる懐かしい音楽や、遠くや近くを走るたくさんの自動車が出す都会の通奏低音のようなぼんやりとした音。

中でも格別なのが電車の中だ。

耳をそばだてている訳ではないけれど、自然と面白い話がいっぱい聞ける(笑)。

 

「おまえ、”みのうえしょ”、もう書いた?」

「いや、まだだけど、あの”みのうえしょ”って、書くの難しいな!」

 

ん~、それは”みのうえしょ”じゃなくて”しんじょうしょ(身上書)”だよ。身の上相談と同じ漢字だけど...。

ものすごく可愛い女子高生が友人たちに、”筋肉痛をいかに克服して立派な筋肉を作るか”について熱弁をふるっていたり、上品な初老のご婦人が、巧妙な手口の振り込め詐欺に危うくひっかかりそうだった話をとても美しい日本語で話していたり....。

つい先日、ちょっと興味深かったのは高校生の男子グループの会話。

 

「コンビニで美味そうな弁当とか買ってさ、一人で食べるのって最高だよな!」

「え~? それって寂しいだろ。やっぱ家族とかみんなで一緒に食べるだろ、ふつ~。」

 

最初に言った男子はみんなにやり込められていたけれど、私が高校生だった頃、一人でいるのが寂しいっていう感覚はほとんど無かったと思う。

友達と騒ぐのも好きだったけど、一人でいるのも大好きだった。

一人で自分の好きなものを食べるって、私も最高だと思うけどね....。

ただ、女で私みたいな事を考える人は、間違いなく婚期を逃しちゃうような気もする(笑)。

 

そんな電車の中で、ちょっと腕が当たったり足を踏みそうになって、慌てて「ごめんなさい!」と声を掛けた相手がヘッドフォンをしていると、まったくこちらを見向きも振り向きもしてくれない。

その時は、ちょっとだけ寂しい気分になるかな....。

 

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2012年

3月

18日

Jazz同窓会

昨日は、青梅線小作駅前にあるライブハウス、”ロッククラブ”で10数年来のJazz仲間たちと久しぶりのライブ。

「お~、久しぶり。」てな簡単な挨拶で始まった演奏は、予想どおりめちゃめちゃ楽しかった!

Tpのふとちゃん、Bassのルーピー、Dsのマレッティー、そして初めてお会いしたSaxの太田先生( ドクターだそうです )、飛び入りのトランぺッター国夫くん、そしてお店のボーカリストまこさん。

 

”ロッククラブ”って名前でちょっと思っていたイメージとはまったく違って、マスターの垢抜けたセンスがあちこちで光る店内は、”Jazzのお店”って言ってもいいくらいのJazzyな雰囲気がいっぱいで、リハの時から何だか嬉しくなってしまった。

ふとちゃん、ルーピー、マレッティー、いい年のおじさん( 失礼!)をこう呼ぶのも凄いことだが、私も凄いことに”ミッチー”だ(笑)。

 

この人たちと出会わなかったら、今、私はJazzをやっていなかったと思う。

大学のJazz研とか( なんで研究会?)、Jazz評論家とか( 評論するんだったら一度演奏してみましょう!)、公民権運動からJazzを語る人たちとか( 音楽に政治を持ち込むの?)、とにかく面倒くさいJazzとは何かみたいな定義を飛び越えて、ただJazzは楽しいねって最初に教えてくれたのが彼らだ。

気持ちの良い音を出す、本当にただそれだけの事なのだと教えてくれた。

良い出会い方を最初にしていたからこそ、今までずっと楽しくJazzを続けてこれたのだと思う。

 

社会的な仕事をきちんとやりながら、趣味としてJazzを続けている彼らを見ていると、音楽を仕事にする事の意味や矜持を考えてしまう。

音楽と、生きる事とを切り離して考える事が出来ない私に、選択の余地はまったくないのだが....(笑)。   

 

飛び入りでトランぺットを演奏してくれた国夫くんは、なんと13歳、中学1年生だ。

これから沢山の練習と勉強と経験を楽しんでほしいと思う。

こんな若さで、ここまで表現する力があるなんて本当にびっくりした。

 

 

 

 

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2012年

3月

11日

3.11

森鴎外の歴史小説で『最後の一句』という短編がある。

江戸時代の実話を基にしたもので、死罪になる父の命を救う為に身代わりになろうと奉行所に願い出た”いち”という16歳の少女が、お白州での取り調べで役人に向かって最後にこう言う。

「お上の事に間違いはございますまいから。」

 

この言葉について、権威への痛烈な皮肉とする意見がある。

鴎外自身、ドイツ留学後一生にわたり高級官僚として権力の内部にいて、日本の官僚たちのある種の愚かしさを苦々しく思っていたに違いない。その意味では、まさに皮肉であったかもしれない。

 

でも、私はこの言葉は、”仁徳天皇の「民のかまど」の話”がいまだに語り継がれているように、日本人が心の奥底に持つ上に立つ者への信頼と畏れを、鴎外が改めて確認した言葉だと思う。

崇高な自己犠牲の境地に至った”いち”が、大丈夫ですね、全てをお任せします、と伝えた言葉の中に、権力への批判、あるいは『反抗の鋒(ほこさき)』を感じたのは受け取る役人側の問題であって、古来日本人は、上に立つ者はその責任を負うことを知る人であると思ってきた。

 

大家といえば親も同然、村人たちの命を救った庄屋さま、幕府の役人も政党の党首も、役目上、様々な知識を持ち、下の者や国の事を考えている人なのだという理解が一般にあったと思う。( もちろん例外はいっぱいあっただろうけれど....。)

その時は受け入れられない事であっても、あるいは不当と思える事であっても、それが相対するもう一つの是認されるべき解答なのだという思いが、”いち”にしろ、尊王攘夷派の武士にしろ、安保闘争の学生にしろ、権威に対する諦めや反発と共にあったはずだ。

 

上に立つという事は、信頼に対する責任を負うことだ。

その信頼を得て政治家になった人が、突然道を踏み外したり、謝った選択をする事は過去にもたくさんあったし、信用をお金で買えると勘違いした人もいただろう。

それでも、国家・市民を想う人が政治家になるという認識は小学生ですら持っていた。

それが、3.11の大災害と共に崩れ去った。

 

目の前の敵を倒すことだけが信条の人が、私たちが心の奥底に潜在意識のように持っていた上に立つ者への信頼をめちゃめちゃに壊した。

我が子を守ろうとするお母さん達は、「政府の言うことは信用できませんから。」と言う。

子ども達までが日本のトップを嘲笑した。

「お上の事に間違いはございますまいから。」という少女の言葉を書いた鴎外が、今の日本を見たらいったい何を思うだろうか.....。

 

今、懸命に頑張っている野田首相や若いやる気のある議員や官僚の方々は、どうか、この国がどれだけ有能な人達の努力で支えられているかを、もう一度、私たちに思い出させてほしい。

そして、それが本当の真実であると、私たちに心から信じさせてほしいと思う。

 

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2012年

3月

04日

女の香り

新潟の長年来の友達が、センテッドスティックをプレゼントしてくれた。

こういうものを見るのは初めてだったので、インターネットで検索してみた。

 

『アロマリキッドの入った瓶に、木製のスティックを差し込んで、スティックににじんだほのかな香りが、優しく空間に広がります。スティックの本数を変えることで、香りの微調整が可能です。』

 

頂いたのは「purerose」の香り。

ちょっと甘いバラの香りのするセンテッドスティックを、一緒に貰ったレースのポシェチーフ( これも初めて見た....一見ハンカチで中に小物を入れるポケットがついている )の上に置いてみた。

何だか、あぁ、あたしって女の人よねぇ....てな優雅で感傷的な気分になった。

 

いつも人から言われるのは、凛々しいとかきりっとしてるとか男らしいとか( どういう意味?)、立っているだけで偉そうだとか( これはひどい!・笑 )、宝塚の男役じゃないんだし、、と思うのだが、たぶん私自身、あまり女性という事を意識してこなかった気がする。

友人たちからは、もっとお洒落したら、とかもっと美容院に行って、とか言われるけれど、今いちピンとこなかった。

それなのに!バラの香りとレースで、なんかむくむくとわき上がってくるこの不思議な気持ち(笑)。

あぁ、あたしって女の人よねぇ....。

 

もっとも、バラの香水をつけてレースのいっぱい付いたドレスを着るのは絶対に絶対に無理だと思う.....。

 

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2012年

2月

27日

イズイズのこと

先日、「ブログの写真、見ましたよ!」と声をかけて頂いた。

なんとも恥ずかしい....でもすごく嬉しいむずむずの気分(笑)になった。

 

ギャラリーにある一連の写真は、このブログの開設でお世話になったYukoさんと、私のピアノを応援してくれている、私にとって恩人のような存在であるイズイズ( これはご近所仲間公認の愛称らしい...)、彼女たちのパワーとセンスであれよあれよという間に形になって、ほとんど私じゃないような(笑)めちゃお洒落な写真になった。

お二人への感謝の言葉はまた別の機会に譲るとして、今日は純粋に一友人として、驚くべきイズイズのスーパーウーマンぶり! を書きたいと思う。

 

スーパーウーマンと言っても、格別力持ちだったり、とんでもない才媛だったりするわけじゃない。

彼女は、例えて言えば、江戸八百八町・町火消し”め”組のしっかり者の姐さん、でもどこかおきゃんな娘っぽさが抜けきれなくて....な~んて人情話の主人公みたいなのだが、時代劇に出てくる江戸っ子よりはずっと上品だし奥ゆかしい。

それじゃあどこが”驚くべき”スーパーウーマンかというと、私が本当に何度も”驚いた”からだ(笑)。

 

最初にちょっと驚いたのは、J.J.Nashでトリオのメンバーと話していた時。

メンバーが以前に話したことやその時の服装・髪型等、細かな状況を彼女は実に良く覚えていて、凄!ジェイソン・ボーンみたいだと思った。( ジェイソン・ボーンはマット・デイモン扮するCIAスパイ-『ボーン・アイデンティティー』)

何しろ私は、何年も付き合いのある知人が眼鏡をかけていたかどうかも忘れてしまうほど、服装・髪型に関しての記憶力がほぼゼロに近い。

サスペンス・ドラマでよく出てくる犯人の目撃証言なんて、もし実際やる事になったりなんかしたら成果は限りなく絶望的だ。

 

次に驚いたのは、その話題が多方面にわたること。

山本くんと芸能界ネタ、林くんと経済の話をして、マスターと米TVドラマで盛り上がり、私の大好きな政治論議(笑)でもちゃんと意見を言う。だいたい好きな政治家が大平さんだなんてかなりの政治通だ。

feminizumも落語も超能力もOK、趣味も多方面にわたる。

彼女は jazz vocal を習い始めて、最近は私のライブでも飛び入りで歌ってくれるのだが、ある日、歌う前に自作の俳句を披露してくれた。

後で聞いたら小唄も習っていたそうで、踊り・ダンス関係もずいぶん上手そうだし、いったいどれくらいの趣味があるのか見当もつかない。

 

決定的に驚いたのは、冒頭に書いたブログの写真撮影の時だ。

イズイズは、ファッションの流行を押さえつつそれほどお金をかけなくても素敵に見せる技をいくつも知っていて、アドバイザーとして企画段階からいろいろなアイディアを出してくれた。

ところで、私の一番の苦手分野がファッションだ。

洋服を買いに行く時は前日から気が重い....。膨大な数の洋服から四苦八苦して選び、試着室で格闘して、店員さんのお世辞を半信半疑で聞き流し、ようやく決心してカードのサインをする時はすでに汗だくだ。

家で、たまったDVDや本を相手にしている方が数倍楽しい。

それなのに、街に出てゴージャスに着飾った女性や可愛らしくお洒落をした女の子を見ると、ほ~っと思わず感嘆の声をあげてしまう。これじゃまるでおじさんだよなぁ....。

さて、撮影の最中に、私はいきなり髪型をアップにしたいと思った。アップにするにはそれなりの道具が要る。

イズイズはちょっと考えて、そこらへんにあった鉛筆を使ってするするっとアップにしてくれた。

事ここに至って、私はめちゃめちゃ彼女を尊敬した。

 

一ヶ月後、めでたくブログを開設し、私は最初の記事に”鴎外や源氏物語が好きです”と書いた。それを読んだイズイズが私に言った。

「田崎さんは源氏の女性たちの中で誰が一番好きですか? 私は花散里が好きです。」

むむ、源氏も守備範囲かぁ....。

「田崎さんは森茉莉とかも読みますか?」

わっ!そこまで行くか.....。( 森茉莉は鴎外が溺愛した長女・作家。)

 

ね、驚くでしょ?

でも私が何にもまして尊敬の念を惜しまないのは、彼女が、愛する家族-ご主人と2人の息子さんにとってまさに太陽であることだ。

家族の中心で常にみんなを明るく暖かく照らす太陽であるということは、そのこと一つでとても特別な才能なのだと思う。日本の社会はその才能をもっと評価して良いのだと思うし、”驚くべきスーパーウーマン”は、実は、私の周りに何人もいるのかもしれない。

 

それにしても、イズイズの知的好奇心はまるで中身のいっぱい詰まったびっくり箱だ。驚かされるのはめっぽう面白いし、jazzの他にも私と共通の話題がたくさんある。

今度、落合福嗣くんの自伝を貸してくれると言っていたけど、笑いのツボが同じなのもこれまたかなり嬉しい(笑)。

 

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2012年

2月

20日

オリジナル2

今日は、東小金井J.J.Nashでピアノ・トリオのライブ。

『Why Do You...?』というオリジナルを初演奏する予定なんだけど、今からドキドキだ。

 

だいたい、スタンダードの名曲を演奏するのと自分の曲を演奏するのとでは、天と地ほどの気持ちの差がある。

何十年も生き続けてきた曲のもつ凄さというのは、もうほとんど感動的だ。

三ツ星レストランで食事をするような、ゴージャスな緊張感と懐の深い安心感がある。

一方、オリジナルには自分の世界を一部披露するみたいな感覚があり、それを一緒に演奏してくれる仲間や聞いてくれるお客さんがいるということは、これ以上ない幸せで嬉しいことだと思う。

ただ、あんまり自信があるわけではないから演奏する時の気持ちはほとんどおっかなびっくり、大丈夫かぁ....だ(笑)。

何回も演奏して本当に自分の歌になったら、きっとめちゃ楽しいんだろうな....。

 

さて、この『Why Do You...?』は、jazzをやり始めて数年の頃に作った曲だ

当時は国立に住んでいたのだが、しょっちゅう多摩地区の仲間と集まってはセッションで遊んでいた。

なんとも楽しい時間で、この時代があったから、それまでチャーリー・パーカーさえ知らなかった私でもjazzを演奏する面白さを知ることができたのだと思う。

 

この仲間が私を除いてみんな男性で、こういう状況は仕事でもほとんどそうだったから別に違和感はないのだが、仕事じゃなく遊びとなると、まぁなんというか、男と女の違いみたいなのがいろいろ些細な事で出て来て、それが結構面白かったりびっくりしたり、そんな気持ちが「あんた、どうしてさ....」となった訳だ。

 

Why Do You....の後ろには、もうたくさんあるのだが、例えば、男の人はなんで俺とか僕とかわしとか私とかおいらとか拙者とか( これは無いか..笑 )、微妙に使い分けるんだろうか。

なんで道に迷って右往左往している状況で、ビビアン・スーの写真集を本屋で見つけてみんなで盛り上がれるんだろうか。

等々、今に至っても解けない謎(笑)がいくつかある。

 

でも、男の人も女性に対して、”Why Do You...?”と絶対思っているに違いないし、たぶん聞かれても、だってそうだから仕方ない!と答えるだけだから、あまり実りある議論になりそうにない。

 

”どうして....”は聞かない方がお互いの為ということだ(笑)。

 

あ...、そろそろライブの練習をします!

  

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2012年

2月

16日

不思議なこと

前回、母の超能力(...?)の記事を書いていて思い出したのだが、私にも不思議な体験が二三ある。

その一つが、『お風呂での対話』だ。

 

当時、スタジオ録音の楽曲アレンジやカラオケの打ち込み仕事とかで、飲まず食わずの徹夜はしょっちゅうだった。

事務所で毛布にくるまって仮眠をとりながら譜面を書いたり、催促の電話に悲鳴をあげながら打ち込みデータを締め切り寸前、ぎりぎりで送ったり、こんな事続けてたらそのうち病気になるなぁ、なんてぼんやり考えながら、とにかく目の前の仕事を必死にこなしていた。

なんとか間に合わせなきゃ、寝る時間、食べる時間を削ってでもちゃんとした仕事をしなきゃ....、強迫観念のように思っていた。

 

その日は、徹夜が3日に及んでその間ほとんど食事らしいものも摂らず、ようやく期限に間に合ってそれこそぼろぼろの状態でお風呂に入っていた。

意識がもうろうとする中で、ふいに頭の中に声がした。その声は、恋愛や仕事・人生に関する様々な命題を問いかけて、私が一生懸命考えて答えるとさらに違う問いかけをして、不思議な、一種哲学的な対話がしばらく続いた。

そして最後に、ある”謎の言葉”を残して対話は終わった。

お風呂の中で寝ていた訳ではなく、半覚醒状態というよりは頭の中だけが違う次元にいる.....というかなんとも説明しがたい感じだった。

「それって危ないんじゃないの~?」

自分でもびっくりして友人たちに話したら、予想どおり”危ない幻聴”という事になった。まぁ、それしか説明がつかないよな....。

 

実は、この声を聞いたのはその時が初めてではない。ただずっと忘れていた。

それよりかなり前、ガリガリに痩せてしまう程のストレスに苦しんでいたさなかだ。

この時はお風呂ではなく、アパートのロフトに上がって不眠症と戦ってなんとか眠ろうとしていた。

ふいに周りに優しい感じがして、例の”謎の言葉”が頭の中に響いた。

全くまともに考えなかったし、ずっと思い出しもしなかった。自分の心が助けを求めて想像したものだと思ったから。

 

そしてついこの間、年末だったか、3回目の対話体験があった。

極限状態やストレス状態ではなく、普通にお風呂に入って、声と対話するというよりは自問自答という感じで、あれこれいろいろな事を考えていた。

そして最後に、あの”謎の言葉”を聞いた。聞いたというよりは、ある言葉がふわっと頭の中に浮かんだ。

あっ、と思ってこの時にようやく、はるか昔に2回、同じ体験をした事を思い出した。

 

声というよりは、心の奥底に眠っていた潜在意識というやつなのかもしれない。

ただ、その”謎の言葉”の意味する事が未だによく分からない。

この先、何年も生きてみて、”ああ、この事だったのか”、と気付く時が来るのか、あるいは、”昔そんな事があったなぁ”、となんの意味も無かったことに気付くのか、どちらにせよ、また忘れてしまわないうちにここに書いておこうと思った。

 

前回と今回、母の超能力と私の不思議体験。変な親子だなぁ....友達でいるのやめとこっかな、な~んてどうか思わないでほしい....(笑)。

 

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2012年

2月

09日

超能力

私が東京で音楽の仕事を始めた頃、だからずいぶんと昔のことなのだが、お盆で帰省した私に母が面白いことを言った。

「あのねぇ、あたしには小さい頃から何だか不思議な力があるんだよ。誰だったかの葬式の帰り道にうちのばあちゃんがどっかに数珠を落としてね、あたしが走ってすぐに見つけてきたんだ。どういう訳かどこに落ちてるって分かったんだよ。」

ふ~ん、それって遠隔透視ってやつかな、でもまさかうちのママが超能力者なんてねぇ....。

 

母には、それは父も認めていることだが、何だかよく分からないけど、とてつもなく運が良い人、というイメージがある。

別に、一億円の宝くじを当てたり株で大儲けするわけでもないし、母の人生で格別ラッキーだったことなんて、私が知る限りほとんど思い浮かばないのだが、でも何か、他の人にはない特別な感じは昔から確かにあった。単に”変人”てことではなく....(笑)。

 

でもだからといって、超能力なんてものがこの世に存在するとはとうてい思えない。

もし本当にあるのなら、世界中の科学者たちがとうに研究しているはずだ。

 

と思っていたら、先日、心底びっくりする映画を見た。

『山羊と男と男と壁と』( 2009年/米・英 )、主演はジョージ・クルーニー、ユアン・マクレガー、他にジェフ・ブリッジス、ケビン・スペイシー。     

何とも凄い豪華キャストのわりにあまり話題にならなかったし、驚くようなスペクタクルも涙あふれる感動もほとんど無し、緩いコメディともシニカルな反戦ものともつかない摩訶不思議な映画だ。( 私はこういうの結構好きだなぁ...)

 

冷戦時代に米軍に実在した超能力部隊の関係者に取材したノンフィクションが原作、ということなのだが、米ソ冷戦当時、ソ連もアメリカも軍事目的の超能力研究・開発を秘密裡に行っていたらしい。

まぁ確かに、スパイが超能力者だったら情報収集もかなり楽だし、相手国の潜水艦や秘密基地の位置が透視で分かるなら莫大な経費削減になる。

でも、何だか嘘くさい話だよなー映画のコメントを見てもほとんどの人が半信半疑だ。

 

More of this is true than you would believe.( 信じられないほど実話に近い物語 )

映画の冒頭、この一文が出る。観客に念を押す、それほど信じられない実話だということだ。

 

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何が心底びっくりしたといって、この嘘のような話を、私は20年以上も前に友人から聞いていた。

幽霊話かなんかで盛り上がっていた時にふとその彼が、

「僕の知り合いの人( だったかその友人 )が凄い霊感があってさぁ、とにかく何かいろんなものが見えるんだって。池袋の古いビルでエレベーターの扉が開いた瞬間、戦時中のものすごい火事の映像が見えたりさ....。その人、こないだアメリカの超能力とかやってる研究施設に連れていかれたらしいんだよね。ソ連も同じような事やってるんだって。」      

 

その話を聞いた時は、へー、都市伝説だなと思って本気にしなかった。

でもこの彼が連れていかれた研究施設が、映画の中の超能力部隊関連だった可能性はある。

20数年前の友人の話は、信じられない実話だったということかもしれない。

もう一つ。

イラク戦争で、国防長官ラムズフェルドが終始強硬にイラクにあると主張した大量破壊兵器。

あそこまで彼が強く確信する一因に、進化・精鋭化して存続する米軍・秘密超能力部隊のレポート結果があった、な~んて、こっちは私が考えたただのSF(笑)。でもそんな荒唐無稽な話をあれこれ空想してみるのもなかなか楽しい。

 

さて、お盆で帰省した私と母の会話。

小さい頃から不思議な力が云々....と話した母が、「あたし、これから起こる事とか少し未来の事とか、なんとなく分かる時があるんだよね、たま~にだけど。」それからまじっと私の顔を見て言った。「おまえ、ずっと独りだわ。」

 

え~~っ!! そういう事、ふつう母親は娘に言わないんじゃないの~?!

まぁ、結婚願望が100%なかった当時の私は予知能力の話の方が面白くて、「本当~?ふ~ん....」と疑わしげに母の顔を眺めた記憶がある。

今になってみると母の予言は完全に当たった訳で(笑)、もしかすると、信じられないほど身近に”超能力者”がいたのかもしれない。

 

何がどこまで本当なんだかさっぱり分からないが、超能力は遺伝しないという事と、もし超能力があっても人生であんまり役に立たないという事だけはどうも事実らしい。

 

( 今回、かなり長文になっちゃいました...。ごめんなさい!)

 

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2012年

2月

02日

雪、雪、雪...。

月末に、4日間ほど新潟に帰った。

 

市内は何十年ぶりというほどの大雪で、毎日雪かきをした。

新潟市在住の友人いわく、”今シーズン、雪かきはいわばウインタースポーツ、市内はほとんどアイスリンク状態!”

実際、日陰の道の雪は固く凍ってツルツルで、道行く人はみんな足下を確認しながらゆっくりゆっくり歩く。

それでも市内のバスなどの交通網はほぼ平常通りで、積雪量はテレビで見る山あいの町の豪雪とは比較にならない。

日常生活もままならなくなるほどに雪に埋もれてしまう地域の方々の苦労はいかばかりか、と思う。

 

これほどの大雪は久しぶりなのだが、見知らぬ人と道をお互いに譲り合い「お気をつけて」と声を掛け合ったり、町内お隣さんの助け合いや頭が下がるほどの気遣いに接して、ああ、新潟の人はこうだった、と改めて私たち”雪国の人間”の気質を再確認した気がする。     

 

何だか遠い昔を思い出すような、懐かしい気持ちになった。

  

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2012年

1月

29日

嵐の前の静けさ

28日(土)昼間の三鷹ソニドのセッション。

震災以降、久しぶりに顔を見せてくれたギターの良知さんと和やかに記念撮影。

 

この後、どうしたことか続々とプレーヤーが集まってきて何だかすごい事に....。

セッション最後の全員参加『now's the time』は、ホスト・ベースのダイスケくんが「big band状態だ...」と呟いていた。

みなさん、寒い中を来て頂いて、本当にありがとうございました!

 

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2012年

1月

27日

オリジナル

先日、沼袋オルガンJazz倶楽部で、城谷雄策さん(Tp)、小杉敏さん(Bs)とライブだった。

 

このトリオは、一昨年の暮れ頃から3ヶ月に1回のペースで続いている。

その前はドラムも入ってカルテットだったのだが、お店のグランドピアノの音色がとても美しくてPAを通したくなかった事( ドラムが入るとどうしてもPAが必要になる )、3人で室内楽みたいにやるのも良いかな、と思った事( 城谷さんのTpの絶妙な音色の変化はまるでクラシックを聴くようだ )、何より、小杉さんのベースのグルーブ感・リズムのうねりが言葉に表わせないくらい凄いので、それをしっかり体感(笑)したかった事、そんなこんなでドラム無しのこの形に落ち着いた。

 

このトリオで初めて、私のオリジナル曲を演奏してもらった。

『海を見ていた女』というのだ。タイトルだけでお客さんに結構うけた....。

 

この曲を作ったのはもうずっと以前、popsの楽曲の公募・コンペを目指して、自宅のシンセとPCで簡単なオケを作り、歌の友達に頼んで歌詞無しでメロディを入れてもらったりして、半分遊び、でも頭の片隅で、コンポーザーは無理でもアレンジャーにはなりたいよなぁ....みたいなかなり中途半端な事を考えながらせっせとデモテープを作っていた頃だ。

商業音楽にどっぷり浸っていた頃だから、『海を見ていた女』なんて歌謡曲チックなセンスも仕方ない。曲自体も80年代popsの感じなのだが、どこかjazzになりそうな雰囲気があったので少し手直しをしてみた。

タイトルは変えないことにした。

 

曲の題名を考えるのは、一枚の絵に名前をつけるのと同じだと思う。

何か抽象的な概念や想いを音符や絵筆で表わしたい時に、表現者は題をつける。

チャイコフスキーの『悲愴』を聴いて、私たちは底知れない悲しみを体験し、ムンクの『叫び』を観て恐ろしい不安を作者と共有する。

あるいは、創り出されたものから表現者がインスピレーションを得て題名をつけるかもしれない。

いずれにせよ、題名があって、作者と受け手はある共通のイメージを持ち得る。

 

W・ショーターの『yes or no』という曲をライブでやったのだが、この曲は、A-A-B-Aという構成。

ものすごくかっこ良くて大好きな曲だ。

A-Aの部分で「yesなのかnoなのか?」あーだこーだ自問自答して「ああ....もう!」とぐるぐる悩み、-Bの部分で「thinking time!、ちょっと冷静に考えてみよう」てな感じで多角的、分析的にいろいろやってみた挙げ句、結局-Aで「ああ~、やっぱ分かんないじゃん !!」みたいな展開で、私は演奏しながらこのご本人の心境を察すると、何だか大変ですねぇって不謹慎にもニヤニヤしてしまうのだ。

『It's Easy To Remember』というバラードをリクエストを頂いて演奏した。「思い出すのは簡単」、ん~?どういう事?

歌詞の中に、でも忘れるのは難しい、あなたの事は....なんて、もう粋だなぁ~って思わず涙が出そうになった(笑)。

 

曲のタイトルは私にとってものすごく大事な要素だ。

スタンダードの曲を練習する時、題名から妄想モード(笑)に入ることが珍しくない。

 

話は戻って、私のオリジナル『海を見ていた女』。

私としては ”海” にかなりこだわりがあり、MCで、

「男の人はよく海に向かってバカやろ~なんて叫びますよねぇ。」なんて言ってしまい、城谷さんからいいだけ突っ込まれた。

「海に向かってバカやろ~っなんて叫んでる男、見た事あるんですか?」

ん~、そういえば見た事はないし、友達から聞いた事も無い.....。

でもほら、森田健作とかさぁ....。

「健康優良児みたいなどっかの男が、海岸走ったり海に叫んだりするんですかねぇ....。」

 

ライブの最後まで突っ込まれた(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何だか私、学校の先生みたいだ....。

  

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2012年

1月

22日

Lament

jazzの仕事を始めてまだ数年だが、著名なミュージシャンの突然の死を、三度、身近で知った。

 

本田竹博さんが亡くなる少し前、高田馬場GateOneの地階から、ライブを終えて階段をしんどそうにゆっくりあがっていく彼の後ろ姿を、みんなで心配そうに見送った。

体調がずっと良くないことは私も聞いていた。

本田さんが亡くなったと知らされた日の、橋本信二さんとマリ子さんの青ざめた顔を覚えている。

 

セシル モンローさんが亡くなった時は、たまたま私用で久しぶりに連絡した福田重男さんが、突然の訃報に、おびただしいメールと電話の対応に追われて大変な事になっていた。

福田さんのライブで知った彼だが、だいぶ前に、福生のライブハウス・GIN HOUSEのエミさんが、米軍時代にお店によく来たセシルさんの事を話してくれて、私は、凄いプレーヤーが無名の時の話を興味津々で聞いた。

 

つい先日、ライブの始まる前にドラムの林くんが知らせてくれた臼庭潤さんの死。

一瞬言葉を失った。

3年くらい前に、沼袋オルガンJazz倶楽部でドラムの福森くん、ベースの松岡くんとライブをやった時、当時彼らとバンドをやっていた臼庭さんが遊びに来てくれて、全曲一緒に演奏してくれた。

つたない私のピアノにもかかわらず、決して手を抜かない素晴らしい演奏だった。

 

思い出というよりは、断片的な記憶が短い動画のように次々よみがえってきて、ああ、あの時のあの人はもうこの世にいないのだと思うと、悲しいというより、さぞ無念だろうなぁと胸が痛む。

だって、ミュージシャンが楽器を演奏できなくなったらどんなに悲しいだろうか....。

 

「いやぁ、偶然こっちでチャーリー パーカーに会っちゃってさぁ、セシルが通訳でいてくれて、ホント助かっちゃったよ!」なんて、みんなで集まってわいわい盛り上がっている光景を想像してみる。

本当にそうだったらどんなに良いかなぁと思う。

 

Lamentは”深い悲しみ・哀悼の詩”という意味。 J.J.ジョンソン(1924-2001)が作った美しいバラードで、私もライブで時々演奏する。

マイナーの哀切な旋律が、曲の後半最後、徐々に明るみをおびてメジャーで終わる。

もしかしたら、誰か大切な人を亡くしたJ.J.が、私と同じような事を想像したのかもしれない。

この記事を書きながら、ふとそんな事を考えた。

  

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2012年

1月

16日

三鷹ソニド

セッションの仕事でよく行く三鷹のソニド。

 

お店のママは、粋でお洒落でお茶目で( 失礼、もう可愛らしいお孫さんがいらっしゃるのだが... ) 、ファドとタンゴをこよなく愛する往年の歌姫といった風情なのだが、昔ケントスあたりで踊りまくっていたに違いない遊び心と好奇心が自然と人柄からあふれていて、知れば知るほど、すごく魅力的な女性なのだ。

ほめ過ぎ(笑) ?

でも、セッションの常連さん達もきっと、その通り ! と言ってくれるはずだ。

 

そのママなのだが、外国や国内、いろいろな所によく旅行するらしく、小さな店内にはお土産の品がたくさん置かれている。

バナナのクッションやイタリアの絵皿、沖縄シーサーの置物やどこの物か分からないちょっと不気味なお面....。

まぁ、統一感が無いと言えばまったく無いのだが、そうした雑多なものが、混然としてある種ソニドの個性になっている。

 

お店のオープンは2年半前。

jazzの世界をほとんど知らないままにお店を始めて、一癖も二癖もありそうなjazzのプレーヤー・リスナーたちから、「 jazzとは 」なんていう講釈をうんざりするくらい聞かされ、お店のレイアウトにもああでもないこうでもないとうるさいほど意見され、普通の人ならやめちゃおうかなって思うところを、彼女は、そうねぇ....と至極鷹揚に、確信犯的に優雅にそのほとんどを受け流して(笑)、他のjazz live houseとはまったく異次元の空間をつくりだした。

一言で言うと、”まぁちょっとあがってjazzでもやっていけば!” かな....。

 

jazz barと聞いて普通の人が思うのは、exclusiveなこだわりの店内、古い木目のテーブルでバーボンやワインを飲みながら煙草をくゆらし....、そこまで画一的なイメージもどうかと思うが、少なくともどこかそれに近いものだと思う。

だから私も最初の頃、「もうちょっとコンセプトとか渋い感じとかさぁ....」、ママに機会をみつけては言っていた。

 

でも今、何だかここが居心地が良い。いろんなさまざま種々雑多なものが、唯一ママのセンスを拠りどころに集まったみたいな空間。

自然な柔らかさとあけっぴろげな自由さ。

どんな場所でも本物の音楽があればOK、逆をいえば、本物の音楽がある所が最高の場所なのだ。

そういう音楽をちゃんとやれるようになろう、そんな強い気持ちを持てるようになった。

 

今現在は、jazzのセッションやレッスンが中心のレンタルスペースのようになっているが、ある日ころっとママの気が変わって、ライブをたくさんブッキングする本物のlive houseになるといいなぁと思っている。

 

このお魚はママのアメリカ土産。

スイッチを入れるとご機嫌なカントリーロックがながれて、お魚くんが腰を、じゃない尾っぽをふりふり踊る。動きが絶妙!

こちらがびっくりしていると、口をパクパク、いかしたロック野郎の声で合いの手を入れる。

気絶しそうに面白い.....。

 

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2012年

1月

10日

禁句

「あれ~? 太った?」

 

この台詞は、女友達に絶対に言ってはいけない。

たいへん残念なことに、ほぼ常識となっているこの事実に私が気づいたのは、つい3年くらい前だ。

 

久しぶりに会った仲良しの○○ちゃんに、美味しいもの食べ過ぎちゃったのかな~、てなめちゃめちゃ軽い気持ちでつい言ってしまった....。

顔色が変わった彼女を見て、一瞬なにが起こったのか理解不能、あたふたと訳の分からない言い訳を並べてみたものの、結局、みっちゃんはもう~しょうがないなぁ....諦めに近い彼女の寛大さでその場は許してもらった ( と、思っている.... )。

私は私で、どうして彼女があんなに傷ついたのか、情けない事にさっぱり分からなかったので、男友達数人に聞いてみた。

「女性の友達に太った?て聞いたんだけどさ、」と言うが早いか、わ~、それ、言っちゃったの?みたいな凄いリアクションだったので、ようやく、これはもう絶対に言ってはいけない言葉だったんだと悟った次第だった。

 

20代の頃、かなりのストレスが原因で、今より10キロくらい痩せてしまったことがある。

ストレスから回復して体重も元にもどったが、思うに、”痩せる”という事にトラウマのような気持ちがあるのかもしれない。

逆に言えば、”太る”は私の中ではずいぶんと肯定的な言葉なのだが、女性、特に日本の女性にとってはまさに禁句だ。

 

そういえばかなり以前、jazz pianistの小曽根真さんがテレビ番組の中で、久しぶりに会ったらしいハービー・ハンコックに「やぁ、少し太りました?」というようなことを言った時 ( もちろん英語で・笑 )、ハービーがムスッと受け流した面白いシーンを思い出した。もっとも、記憶に残るくらい面白いと感じたのは私ぐらいだろうけれど。

 

とにかく、現代の先進諸国の住民たちにとって、”太る”は、女性に限らず男性も老いも若きも、みんなで忌み嫌う言葉になりつつある。

事の重大さを思い知ったのがつい3年前というのも我ながらかなり間抜けな話なのだが、本当を言えば、女性はぽっちゃりぷっくりしている方がなんとなく柔らかな感じがして、私は好きだ。

唯一気に入っている私の運転免許証の写真は、前日に飲み過ぎてぷくぷくにむくんだヤツだ。

 

それでも、「もうちょっと太った方がいいよ ! 」なんて、余計なお世話な台詞を女友達に言うのは、絶対にやめておいた方が良いなと思っている。

  

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2012年

1月

04日

謹賀新年

昨日、一週間ぶりに東京に戻った。

 

新潟に帰省というと、たいていの人が "雪が大変でしょう" と気遣ってくれる。

でも、私の実家のある新潟市は、海を隔ててちょうど真向かいに大きな佐渡が島があり、北の大陸からの雪雲が島に遮られて分岐するらしく、県内の他の地域に比べて積雪量はかなり少ない。

雪がまったくない元旦というのもそれほど珍しくはない。

今年も、どんより曇った空に時々薄日が射して、思い出したように白いものがちらちら落ちてくる程度で、積雪のない穏やかなお正月だった。

 

それでも、新潟は雪国だってことを忘れてもらっちゃ困るとばかりに、本当にみんなが忘れちゃいそうな頃合いに、どかっと大雪が降る。

そんな年は、たった一晩で、庭の木も家々も道路も空き地も、すべてのものが見渡す限りただ白一色に変わる。

窓を開けて、朝日をうけてきらきら光る一面の雪景色のまぶしさに思わず声を上げて、冷たく水気を含んだ空気を深く吸い込むと、大げさではなく、何だか体と心が一瞬で新しくなったような気がするのだ。

この感覚は、その年に起きた家族の事件や自分の心境の思い出と一緒にいつでも心の奥にあって、東京で珍しく雪を見たり、帰省の際に車内から県境の豪雪を見たりすると、不意にこみ上げてきて何だか涙がでそうになる。

やっぱり私は新潟の女だ....(笑)。

 

新潟市内で、20年以上前から続いている "思いやりのひとかき運動" 。

各バス停、横断歩道などのたくさんの場所に青いスコップが置かれている。

背景に青空が見えるが、このすぐ後、あられが降ってきた !

 

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2012年

12月

28日

十二国記

インターネットでGyaO!を見ていたら、十年くらい前に夢中で見たアニメ『十二国記』を無料配信していた。

 

小野不由美氏原作の長編ファンタジー小説をアニメ化したもので、古代中国に似た異世界で、不思議な世界観を基に繰り広げられる壮大でスリリングなドラマだ。

登場人物の人間性や心の葛藤や機微が丁寧に描かれていて、あまりに身につまされ何回も号泣したものだ....。

テーマ音楽もすばらしい。

人生を立ち止まって深く考えたくなるような、とにかく傑作だと思う。

久しぶりにまた陽子( 主人公 )に会えて嬉しかった....(涙)。

 

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2012年

12月

23日

三鷹の夜 Part2

12/22、三鷹ソニド。

土曜日セッション終了後、ママの一声で全員ワインとジュースで今年最後の乾杯をしてから、常連さんたちと夕闇一路「大寿司」へ。

 

前回も、『ボーナスもらえない可哀相なミュージシャン・みっちゃんに美味しいものを食べさせてあげよう!』なんて愛溢れる(笑)趣旨だったと思うが、今回は『田崎美知子に栄養をつける会・2012年度冬の部』って事で、心優しきT.SaxのM氏が企画してみんなに声を掛けてくれた。

 

とにかく、蟹や生牡蠣や穴子の白焼きやワカサギや白子や刺身や煮付けや鍋やお寿司や....、もう本当にとにかく”日本の美味しいもの”をこれでもか~ってくらい食べて、極上のお酒をこれでもか~ってくらい飲んだ。

ワインとチーズくらいだったらおしゃべりにも熱が入るのだろうが、こんだけ普段食べつけない至極の美味を前にして、我知らず一生懸命、もの凄く真面目・真剣になってしまい....、人間、何かに集中すると、「わっ」「おっ」「ほう~」「ん~」くらいしか言わなくなるものだ(笑)。

他のみんなはけっこう余裕で話に花が咲いて、何だったかめちゃ笑ってひっくり返ってしまった。キャラクター濃過ぎ、話し面白過ぎ....。

 

『田崎美知子に栄養をつける会』ー身体にも心にもしっかりたっぷり栄養つきました!

今回も、本当に本当にありがとうございました。m(_ _)m

 

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2012年

12月

15日

赤穂浪士

12月8日は、会う人会う人がみんな「今日はジョン・レノンの命日ですね。」と言うから、いちいちその度に「今日は真珠湾攻撃の日ですね。」と答えて、一日中”変な人”で通した(笑)。

でも、12月14日と聞いて「ノストラダムスの誕生日ですね。」と言う人はいないだろう。

12月14日は日本国中、間違いなく『赤穂浪士討ち入りの日』だ。

 

赤穂藩士ではなく、赤穂浪士というのが何とも切ない。

彼らには、藩という身分保証も後ろ盾もなかった。討ち入りの年の夏には、お家再興の望みも絶たれていた。

将来の夢も野心も持てない日々を送りながら、ただただ主君の無念を晴らそうとCIAやMI6なみの情報網・連絡網を張り巡らせ、ネイビー・シールズなみの綿密な作戦を遂行して、12月14日、見事宿敵を討ち果たした。

忠義に命を懸け、悲しいほど一途で真っ直ぐな47人もの頑固者たちを束ねた大石内蔵助という人は、いったいどれほど大きな人だったのだろうか....。

 

12月になるとテレビではいつも特集番組があり、赤穂浪士たちがいかに日本の武士・侍であったかを様々な趣向で見せてくれる。

そうした番組を見ていつも感動して大泣きするのだが(笑)、快哉を叫ぶと同時に、大石内蔵助やその家族、47士や討ち入りに参加せずに不忠臣と蔑まれた人々・その子孫も含めて、みんながみんな本当に気の毒だったなぁ、、と思う。

 

5万石大藩の藩主で何百人もの家臣がいて、その家族も入れたら千人以上の人たちの生活を左右する身でありながら、なんで浅野内匠頭は事もあろうに殿中で馬鹿げた刃傷に及んだのだろう。

どんな時にも藩を第一に考え、歯を食いしばってでも藩に利するように行動するのが藩主の役目だろうに....。

吉良に意地悪されたから、、なんて子供じみた理由で人生を狂わされたたくさんの家臣たちにしてみれば、「どうして?」と言いたくなるのではないか。

それなのにほとんど誰も浅野内匠頭を恨んではいない。討ち入りの忠臣たちは、泉岳寺の墓前に吉良の首を供えて仇討ちの成功を報告し、亡君の無念を晴らした喜びに涙するのだ。

 

主君に対する『忠誠の念』というのはもの凄いなぁ、と思う。

昔だから、、ではなく、つい数十年前にも「天皇陛下、万歳!」と叫んでたくさんの人たちが尊い命を落とした。

藩の為に、日本の為に、死んでいった人たちの心に迷いは無かったと私は思う。

批判はいろいろあるだろうけれど、人はみんな自分が信じるものの為に生き、死ぬのだ。

 

現代において、『忠誠の念』は生き残っているだろうか。

日本の為に命を懸ける忠義の侍を見極める事ができるかどうか、今週の日曜日が決戦の日だ(笑)!。

 

郵便受けに押し込まれた選挙公報をテーブルの上に広げながら、大石内蔵助を選びたいけど、浅野内匠頭みたいなお偉方がくっついてちゃ困るな....、堀部安兵衛は威勢がいいけど、吉田忠左衛門が側にいないとどうなるか分からないなぁ....。たくさん有り過ぎる選択肢の前に、政治家は侍であってほしい、政治に名乗りを上げるからには国に対して『忠誠の念』を持ってほしいと思うのだが、3年前の悪夢が頭をよぎる。

書かれた公約を眺めながら、ほんとかいな....と疑いつつ、でもここで諦めるわけにはいかないと思う。

国の為に命を懸ける侍は絶対にいる筈だから、ちゃんと見なきゃ!と思う。

一途で真っ直ぐな、賢い頑固者を一生懸命選ぶ事が、私が国に対して出来るささやかな『忠誠』である。

 

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2012年

12月

07日

”ゴキッ”

ここ2ヶ月ほど続いた左腕のしびれが、ようやく治ってきた。

ギターのH氏がメールで詳細に教えてくれたストレッチ体操を毎日やって、駅前の整骨院にも頻繁に通った。 

一時は、常時続くしびれにもうしょうがないのかなぁと半分諦めていたから、最近その症状を時折忘れる時があって、もしこのまま完全に治れば本当に嬉しい。

 

整骨院では、たくさんいる先生たちがカルテみたいなのをその都度確認して治療してくれる。

いろいろな先生がいて、優しく肩全体のコリをほぐしてくれる先生、集中的に力技で左腕をマッサージする先生、腰まで及んで身体のゆがみを指摘してくれる先生、それぞれ症状についておっしゃる事を聞いて、”なるほど....”と思う。

つまるところ、人体というのは機械と同じでメンテナンスが必要なのだ。ねじが緩んだりきつくなり過ぎたり、潤滑油がつまったり接続部分がずれたりして不具合が生じる。

 

ある日、初めての先生が、「力を抜いて息を吐いて下さい。」といって私の頭を持ち上げたので、「もしかして、”ゴキッ”てやるんですか?」と聞いたら、「はい、、。イヤですか?」と言うので、「絶対駄目です....!」と叫んだ。

ホラー映画『呪怨』で、妻の裏切りで狂気に陥った夫が奥さんの首を”ゴキッと”やっちゃう場面が目の前に浮かんだ。

だいたい、ホラー映画ファンというのは、物事を悪い方×悪い方に考えがちだ(笑)。

暗い部屋の片隅に誰か悲しげに佇んでいるとか、高度10000メートルの飛行機の翼の端に何かがしがみついているとか、深夜のタクシーの運転手が怯えて後ろを振り返りながら「この道、さっきから何回も走りましたよね?」と言うとか、最恐最怖最悪の場面を、旅館や移動中の機内やタクシーの車内で何故かぼうっと思い浮かべてしまう。

 

整骨院の治療ベッドの上でそんな妄想にかられた私は、不思議そうな顔の先生に「すみません....。」と謝ったのだが、後から考えて全く大人げない!とも思ったので、しばらくしてもう一度その先生に当たった時、”ゴキッ”ていうのを勇気を振り絞ってやってもらった。

すると、何だか随分と肩と首が軽くなった。徐々に治ってきたしびれに決定打!みたいな感じだった。

なぁんだ、もっと早くやってもらえば良かった、、。

 

それにしても、『呪怨』の旦那さんの”ゴキッ”と、整骨院の先生の”ゴキッ”と、何が違うかといえばいわゆる加減てことなのだろうが、どこらへんがその境か、、なんて考えだすと、やはり「恐ろしいなぁ.....。」とぶるっと震えてしまう。

背筋の凍るようなホラー映画は大好きなのに、この情けない怯え方は自分の事ながらなかなか興味深い現象である(笑)。

 

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2012年

11月

30日

源氏の君

もし、たくさんの女性たちと楽しく派手に遊んでいるモテモテの男性に、「平成の光源氏ですね!」なんて言ったら、彼は100%間違いなく、「いやぁ、それほどでもないですよ~。」と、ニコニコ照れ笑いしながら喜ぶだろう。

 

「光源氏」はモテる男の代名詞みたいなものだ。

光り輝くような美男子で、管弦や和歌の才能もあり、天皇の血筋をひく由緒正しい生まれで、出世するだけの財力も知力も政治力もある。

母と幼くして死に別れて....なんていう母性本能をくすぐるような生い立ちまで加わるもんだから、まさに若い女性が憧れる永遠の理想のタイプというのを、紫式部は千年以上も昔に見事に描いた。

 

『源氏物語』といえば、愛を追い求める美しき貴公子と彼をめぐる姫君たちの華やかな宮廷絵巻なんていうイメージができあがっている。

でも、紫式部はそんなハーレクイン物みたいな恋愛小説を書きたかったんだろうか?

 

天皇の中宮付きの女房だった彼女の周囲には、きっと様々な境遇のたくさんの女性たちがいた。

美貌と地位と知性に恵まれながらも嫉妬で身を滅ぼす女、正妻でありながら高すぎるプライド故に夫に愛されない女、身分が低くとも高貴な男の誘惑から誇り高く身を守ろうとする女、長年連れ添った夫に裏切られ精神を病む女....。

自分勝手な男に翻弄され、心をずたずたにされながらも、女は従属する立場の者として声を上げること無く生きていくしかなかった時代。

でも、そうした男女の物語は、どこか現代にも共通するものがないだろうか。

紫式部にはそういう女性たちの、今も昔も変わらない心の声が聞こえていた。

そして、女たちの悲しい心を顧みることも無く自由勝手気侭に遊んだ挙げ句に、本当に大切な人を失ってしまって嘆き悲しむ男たちの姿も、紫式部はたくさん見たのかもしれない。

 

『源氏物語』は、様々な女たちの悲しみと、大切なものが何か失ってしまうまで悟る事のなかった哀れな男の悲劇の物語なのだと私は思う。

「光源氏」は最愛の「紫の上」を失って、自分の人生をどう振り返ったのだろうか。

彼女を終生苦しめた自らの女性遍歴を後悔しながらも、そんな酷い(むごい)自分に対していつも優しく接してくれた「紫の上」を最高の女性として讃え、ただただ美しい想い出の涙にくれるのだ。

もしかしたら、紫式部は平安貴族たちの本質を知っていたのかもしれない。

彼らにとって、恋愛はしょせんゲーム・戯れ事にすぎない、「源氏の君」はきっと、最愛の人の命を縮めたのが自分であると考える事も認める事もないだろう、と....。

 

「平成の光源氏ですね!」という台詞は、男性に対して最高級の賛辞であると共に、小さな哀れみの詞である。

でも、モテモテの男性にそこらへんを説明してもきっとチンプンカンプンで、だいたい彼らはそんな話を聞こうとも思わないし何かの冗談だと思うだろう。

 

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2012年

11月

23日

一年

このブログを書き始めて一年たった。

今までの記事を読み返してみて、いろんな事をよくまぁ書いたもんだと思う。

ブログを時折読んでくれている人に、「田崎さんて普段からああいう事いろいろ考えてるんですか?」と聞かれて、一瞬返す言葉につまった。

 

昔、親しい友人たちに「ねぇ、よく考えて!」としばしば忠告された。その場の思いつきや衝動的な言動を見るに見かねて、幼稚な私に意見してくれたのだ。

でも、『考える』という事の本当の意味を理解したのは、笑っちゃうぐらいずっと後になってからだ。

考える、というのは、頭か心かどっちか分からないけれど体の中のどこかで、もう一人の自分か本当の自分か、これまたどっちか分からないけれど随分とはっきり物を言う何かが、独り言のようにああだこうだと話しだして、そういうとりとめのない、でも真剣なおしゃべりをじっと聞いてみる、というような事かなと思う。

 

その意味でいえば、20代が終わる頃まで体の中の声が話をするのを聞いた事がなかった。「....しよっかな。」「....してよ!」、掛け声と要求くらいの片言の幼児語だったと思う。

だから、友人たちに「ねぇ、よく考えて!」と言われても、実際どういう事なのか皆目分からなかった。

”はた迷惑な人”だったと思うが、今から考えると、なんとも静かな幸せな時代だった(笑)。

 

何かのきっかけでいったん考えだしたら、体の中の声はどんどん言語能力を発達させて、主語・述語ができて台詞も長くなった。

いろいろな事について話しだして、そういった内容を誰かに聞いてもらいたくなった。言葉の出口がない感じだった。

仲の良い友人たちにあれこれ話すのだが、たいがい「へ~、面白いこと考えてんだね!」と言われるだけなので、だんだん口に出さなくなった。

 

このブログを書きだして一年。

いいだけ好きなだけ、『考えた事』を書いた。

「もういい加減やめなさい!」なんて誰にも言われずに、これからもどんどん書けるのが本当に嬉しくてしょうがない(笑)。

今思えば、こんな話を昼下がりの喫茶店で長々と聞かされた友人たちはさぞ退屈だったろうし、まったく申し訳なかったと反省している....。

時々、コメントを頂いて読んでくれている人がいるんだ!と感激するが、一番ブログを楽しんでいるのは私で、こんな居場所ができてなんと幸せなことだろうと思う。

 

これからも、もし機会がありましたらどうぞ立ち寄ってみて下さい。

音楽以外の話題が多過ぎて、我ながら”どうなのよ”とも思いますが....(笑)。

 

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2012年

11月

17日

ボジョレー・ヌーヴォー2012

11月15日(木)解禁ってことで、ちょうどその日は三鷹sonidoセッションの日。

 

お店に入ってきたM氏、「さぁ、セッション前にみんなで飲もう!」

両手にボジョレー・ヌーヴォーとおつまみをいっぱい抱えて、仕事帰りとはとても思えない清々しくも(笑)力一杯、わくわくきらきらのオーラ全開の一声で、その場一同、あたふたとグラスを持ち寄り記念撮影。

ほろ酔い加減のその後のセッション、何だか私、めちゃハイテンションなんですけど....(笑)。

 

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2012年

11月

09日

音楽教室

小さい頃、母に毎週連れて行かれた音楽教室。

デパートの何階かにあって、大理石のように冷たく光る階段を母に手をひかれて一段づつあがる。

途中、母の手を振り払って階段の手摺にしがみついて「やだ~」と叫ぶと、困った母が「教室終わったら、デパートの食堂でクリームソーダ、食べよう!」と言う。

教室で何を教わったのか先生の顔も友だちの事も何一つ思い出せないのに、デパートの食堂のクリームソーダの事だけはいやにはっきり覚えている。

 

口のところが優雅にカーブした細長いグラス、緑色のソーダ水の中を小さな気泡がいくつもスーッと上っていってパチパチとはじける小さな音がする。

その上に綺麗にまん丸く浮かぶバニラ・アイスクリーム。

柄がもの凄く長いスプーンとストローが一緒に運ばれて来て、アイスクリームを先に食べるか、ソーダ水を先に飲むか、ちょっとだけ悩む。

どっちにしろ、アイスクリームがとけてソーダ水と混ざっちゃわないうちに早く食べようと焦るので、口の中がソーダ水の刺激とアイスクリームの冷たさでピリピリしてくる。

最後に氷の間に少しだけ残ったソーダ水を、母に気付かれないくらいの小さな音でズッと飲み干して、「終わっちゃった...。」、空のグラスを眺めると白い泡がところどころに残っていて、ストローの先でこすって吸って飲んじゃおうかなと一瞬考えて、でも母の方を見てやめとこっと思う。

何だか妙に細かい所まで覚えているものだ(笑)。

 

音楽教室を卒業すると、ピアノの個人レッスンに通った。

ほとんど練習しないので先生にも母にも叱られて、レッスンの帰り道、手を引かれて歩きながら母が私の手を無言でぎゅっと握るのが怖かった。

「みっちゃん、あそびましょ!」近所の友だちが呼びにくる。

「みっちゃんはピアノの練習があるから後でね!」母が玄関で言う声がして、鍵盤の上の指を見つめながら涙がぽろぽろこぼれる。ピアノが恨めしかった。

でも、母の好きなメンデルスゾーンの曲を上手に弾けた時、台所から出て来た母が私の顔を覗き込むようにして「いい曲だねぇ。」と涙ぐんで言ったので、ちょっと驚いて嬉しかった。

 

音楽大学に行くんだと私も家族もずっと漠然と思っていたのに、結局、私は新潟大学国文科に入学した。

 

どういう運命か音楽の仕事をするようになって思うのは、小さい時に嫌いで嫌いで泣きながら練習したピアノが、今の私にとって本当に大切な宝物になったという事だ。

音楽教室で子供たちを教えている知人に聞いた話だが、最近のお母さんたちは、子供の意志を尊重するといって我が子が少しでも嫌がるとすぐにやめさせてしまうのだそうだ。

子供なんて、我慢とか練習とか訓練とか自分から進んでやるとは到底思えないけどなぁ,,,,。

 

クリームソーダにつられて通った音楽教室、母の強い気持ちが私に一生の宝物をくれた。

母に本当に感謝している。

 

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2012年

11月

02日

政治のこと

先日、ライブのMCで、メンバーにからかい半分に言われた。

「田崎さんは普段とっても良い人なんだけど、政治の話になるととたんにすっごい勢いで話しだすんで、いったい何者なのかと思いますよ(笑)。」

いかんなぁ....、政治と宗教の話はよほど気を付けて話さないといけないって分かっているのに.....。

 

別に、竹島や尖閣諸島や原発問題があるからじゃなくて、政治家という特異な人種の人たちに昔から興味がある。

( ここでいう政治家は”本物の政治家”のことで、”偽物の政治屋さん”じゃない。)

 

以前、国立に住んでいた時に、当時首相だった小泉さんが駅前で選挙演説をしたのだが、大雨の降る中、数百人の人達が傘をさして演説を聞いた。

もちろん私もその中にいた訳で、駅を背にして立つ小泉さんの真正面という絶好の場所をゲットして、”やった~!”と内心喜んでいたのに、いきなり私のちょうど真ん前に大柄なSPの男性がこちらを向いて立ってしまい、”え~!?”、しょうがないからSPの隠し装備とかなかなか上等な背広だなとか、じろじろ詳細に観察した(笑)。

「自民党をぶっこわすんです!」って叫ぶ小泉さん、SP越しにかっこ良かったなぁ....。

 

数年前、東大の学園祭に遊びに行って、石破茂さんの特別講演を聴いた。

メモなぞ一切見る事なく、国政の問題点を滔々と話し続けて2時間、ぎっしりの聴衆は誰一人退室する人はいなかった。

こんな風に難しい問題を易しく普通の言葉で話すことが出来るのは、自分の考えを徹頭徹尾、信じているからだ。出来るだけ沢山の人に正しく伝えたいと望むからだ。

石破さん、見た目怖いけどかっこ良いよなぁ....。

 

小泉首相直属の機関で、道路公団民営化の為に霞ヶ関を相手に壮絶な闘いをした現東京都副知事、猪瀬直樹さん。

著書を読んでも、言ってる事とやってる事がまったく同じ、”ぶれない”ってきっとこういう事を言うのだ。

口ばっかりの政治屋さんとは大違い、やっぱめちゃかっこ良い!

 

3人とも鬼気迫るほどの頑固さで自分の信念を貫く。その為に誰かと協力する事はあっても決して群れない。

郵政民営化、国防・集団的自衛権、霞ヶ関官僚政治からの脱却。それぞれの目標は明確だ。

自らの信条を貫こうとするなら、清廉潔白であるよりはある意味戦略的であるべきで、時に敵の裏をかくしたたかさも必要だ。

それほどのパワーがあっても、権謀術策、背信と裏切り渦巻くどろどろの政界の中で生き残っていくには並大抵の知力では無理で、歴史を顧みてもたくさんの有能な理想家たちが倒れていった。

 

理想と信念に燃える”本物の政治家”と、選挙と金、私利私欲にしがみつく”偽物の政治屋さん”が、政界で大戦争をしている。( もう一派、”能力がない政治屋さん”というのも残念ながらうろちょろしている...。)

 

こんな手に汗握る大真面目なスペクタクルを見過ごして、ペラペラのアイドルタレントの恋愛ドラマにうつつを抜かしている人達の気がしれない(笑)。

だいたい、「石破さんが好き!」と言うとほとんど見事に座がしらけて、「田崎さんはああいうタイプ、趣味なんですか~?」なんて冷たく言う君たち。

政治家は顔じゃない、志なんだよ、なにを成し遂げようとするかなんだよ!

、、いかんなぁ....、また我を忘れて熱弁をふるいそうになった....。

 

「田崎さんて、いったい何者なのかと思いますよ。」

本当に気をつけないといけない....(笑)。

 

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2012年

10月

27日

日本の美味しいもの

ここ2年ほど毎月1~2回、新潟の実家に帰っている。

 

滞在初日にはいつも、父が近所のお寿司屋さんから奮発して生寿司をとってくれるのだが、( これがまたものすごく楽しみで.... )、値段を聞くと、寿司というのはなんと贅沢な食べ物だろうと思う。

そこらへんのステーキセットより、量はめちゃ少なく料金はめちゃ高いのだ。

でも、一口食べて、「あ~....。」と絶句するこの美味しさはいったい何だろう。

 

ネタの新鮮さは当然の事で、シャリのふくよかさと握り加減・酢味と甘みと塩加減と....、つまりご飯が言葉に出来ないほど絶妙で、ワサビが、工場で作った人工の辛みじゃない奥ゆかしくてまろやかで自然な....、つまり本物のワサビが優しく香り正しくツーンと鼻にきてネタとシャリの味に彩りを添え、更に特上の醤油がとどめを射して、どーだ~!みたいな、食べながら参りました....と言ってしまうみたいな、誇り高さと粋とがまさに混在するとかなんとか、、『美味しんぼ』の台詞みたいなコメントをぶつぶつと心の中で呟きながら、結局のところ、ほんと日本人に生まれて良かったぁ....としみじみ思うのだ。

 

しかも今日は、ソニド・セッション常連のN氏から頂いた最高級の日本酒がある!

高知の地酒「土佐鶴・大吟醸」。冷蔵庫に冷やしておいた。

 

華やかな香りと濃厚な味わいと、、これまたCMのキャッチコピーみたいなコメントをぶつぶつと心の中で呟きながら父と私が飲んでいる隣りで、お酒の飲めない母は、ネタをめくってワサビの量を加減しつつ、シャリにたっぷり醤油をつけて、残念な食べ方をしつつも満足げにもぐもぐ食べている。

「醤油はこうやってネタの方につけるんだよ。」父と私に毎回言われるので、最近はちょっと気を付けているみたいだ。

でも美味しさは人それぞれ。

粋だろうと無粋だろうと、楽しく自分流で食べるのが一番だよね。もうウルサイ事、言わないことにしようと思った。

 

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2012年

10月

21日

運命

最近3週間ほど、左腕上部から指先まで、正座した後の足みたいにじーんとしびれている。

心臓から勢いよくスタートした血液が、いきなり細い道で行く手を阻まれ、それでも無理やり速度を落としつつ頑張って走っているって感じだ。

肩と首のコリからきているのは何となく分かる。

JazzPianoの仕事を始めた頃、先輩が「絶対大事だぞ。」と言って、いくつかストレッチの体操を教えてくれた。最近、ストレッチさぼってたなぁ....。後悔先に立たず.....。

慌てて、井荻駅すぐ近くの整骨院に駆け込んだ。

 

以前シンセサイザーを弾く仕事をしていた時、5~6台の楽器とけっこう大きなラック数個、その他諸機材をスタジオに運び込むのがえらく大変で、最初は自分でやっていたけれど、すぐにアルバイトの人に頼む事にした。手や腰を痛めそうで怖かった。

そもそも機材ひとつひとつがかなり重いので、ちょっと持ち上げたり移動する時にも、絶対油断しないように気を付けていた。

その後、ピアノを弾くのが仕事になってしばらくすると、右手が軽い腱鞘炎になった。

毎日、手首を大事に暖めて、揉んだりさすったりして自力で治した。

 

小さい頃から高校生までクラシックピアノを習っていて、私も周囲も、当然音楽の道に進むと思っていた。

でも○とペケを譜面に書くだけの先生がずっと大嫌いで、高校2年生の時、反抗期の実力行使のようにいきなり先生の家に一人で出かけていって、「やめます ! 」と宣言した。その時のびっくりした先生の顔を今でも覚えている。

それで音楽と一切縁を切った。.....つもりだった。

今こうして、腱鞘炎になるまで毎日練習し、手と指を何よりも大切にしている自分が、我ながら何とも奇妙で不思議に思える。

 

ついこの前、一緒にライブをした20代半ばのトランぺッターが、「僕は大学のJazz研に入るまで、トランぺットもJazzも知りませんでした。」と言うのを聞いて、もの凄くびっくりした。

だって彼のトランぺットが奏でる音は、まさに何十年もJazzに慣れ親しんできたプレーヤーの音に聞こえた。

もう一つ、かなり前だけど同じようにびっくりした事がある。

popsの仕事で何回か一緒だったギターリストが、わずか2年くらい会わないうちにキーボードを駆使する売れっ子アレンジャーになっていて、彼が真顔で言った言葉がすごかった。

「僕ね、ある日突然、知らないキーボーディストの霊が憑いちゃったんだ....。」

 

若手トランぺッターにクリフォード・ブラウンの霊が憑いた、、なんて考えられないけれど、でもきっと、奇跡のような巡り合わせが彼をJazzの世界に引き込んだのだ。       

同じように、売れっ子アレンジャーも私も、何かに導かれるようにそれぞれの音楽への道を歩んだ。

自分の意志、人間の意志とは全く違う次元の、未知な存在の大きな意志の流れがもしあるのならば、その流れに逆らわずに生きて来たその結果と言えないだろうか。

 

”何となくこうなっちゃったんだよね.....。”

運命なんてそんなものかもしれないと思う。

 

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2012年

10月

15日

ホラー映画

『エクソシスト』は部屋をまっくらにして一人で見た。昔の映画だけど、何回見ても相当怖い。

『シャイニング』はタイプライターの不気味な文字で総毛立った。それにしてもさすがキューブリック、映像が息をのむほど美しい。

『リング』はいつも通り部屋をまっくらにして一人で見ていて、最後のショッキング場面で思わず立ち上がって絶叫した。「ひぇ~!!」

 

他にも『オーメン』とか『呪怨』とか、大好きな(笑)ホラー映画がたくさんある。

CGを使った怖い映像がたくさん出てくるとか、ストーリーが想像を絶するほど悪魔的だとかじゃなくて、独特の雰囲気とリアルさでじわじわと背筋が寒くなる感じが好きだ。

 

無機質で陰鬱なタイトルテーマの音楽が、非日常的で本能的な意識下の不安を呼び覚ます。

張りつめた空気に徐々に息苦しくなり、もの凄く良くない事がこれから起きるのだ....という緊張感が画面からどんどん押し寄せてきて、その迫力にまさにのけぞりそうになるその瞬間、信じられないほど恐ろしい事件が起きて「わーっ」と叫んで後ろにひっくり返る....。ま、それが理想のホラー映画だ。

 

お化け屋敷と違うのは、そのびっくりする瞬間までの緊張感の綿密な構築だ。

映画製作技術の力量ー監督のバランス感覚やセンス・テンポ感、脚本や俳優のレベル、映像・編集の技量が如実に出る。

感動的なラストが用意されている訳ではないから、というかだいたいラストは絶望的なので、映画全編にわたって一つ一つのシーンが勝負になる。それぞれのシーンの積み重ねが傑作か駄作かを決定する。予算をいくらつぎ込んでも、緊張感が途切れてしまったホラー映画はB級だ。

 

リアルさと言えば、怖いからと言って、登場人物がキャーキャー叫んでいるばかりじゃやっぱりお化け屋敷だ。

人間、本当に怖い時って足がすくんで声なんか出ない。

まして得体の知れない未知のもの、幽霊とか悪魔とか悪霊とか、人生で絶対かかわり合いになりたくない”もの”と対峙している時の人間はいったいどういう反応をするだろうか。

宗教心や科学的な思考、倫理観が根源的な恐怖とせめぎあうはずだ。あるいは愛する人を守ろうと絶望的な闘いを決意するかもしれない。

そこまでの精神的な葛藤を脚本なり演技で表現できた映画は、後世に残る名画になる。

メジャーな大作が好きな映画評論家は見向きもしないかもしれない。

でも優れたホラー映画は、トム・ハンクスやメグ・ライアン主演の大ヒットお手軽恋愛映画より数百倍、人間の心の深淵に迫る。

 

私たちファンはそんな名作を心待ちにしている。

最近の薄っぺらいB級ホラー映画を見る度に「なんだよ~」と涙にくれながら、レンタルビデオ屋さんの片隅の小さなホラーコーナーで、埋もれた名作を日々探すのだ(笑)。

 

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2012年

10月

09日

お医者さん

少しでも具合が悪くなるとすぐに病院に行く人がいる。

私はその逆で、相当具合が悪くても病院にはなかなか行かない。風邪で高熱が出ても病院に行くという発想がおよそ無い。

 

おかげで、盲腸炎を我慢し過ぎて危うく死にかけた事がある。

手術してくれたお医者さんに「あんた、あと一時間遅かったら死んでたよ!この傷跡見る度に反省しなさいよ(笑)。」と叱られた。

 

3年くらい前、舗道を普通に歩いていて、何かにつまずいて顔から転んだ。

荷物をいっぱい持っていたわけでもなかったから、咄嗟に片手でもつけばよかったのに、瞬間、手を怪我してピアノが弾けなくなったら困るな....と思った。

見事に顔で着地したので、左顔面が舗道のコンクリートですれて、かなり広範囲に皮がむけた。

後で気が付いたら、Gパンの膝にも大きな穴があいていた。

私は歩く速度がけっこう速いので、勢いよく、もの凄く派手に転んだのだと思う。

だいたい、道で転んじゃった時は恥ずかしくて周りを気にするものだが、この時はあまりの衝撃で頭がぼっとしてそれどころじゃなかった。

何とか家にたどり着いて鏡を見たら、顔が擦り傷で半分まっ赤になっていた。

洗って消毒してまた鏡を見たら、情況の深刻さがようやく分かってきた。「こりゃ完全に跡が残るな....」、目の前がまっくらになる気がした。

「転んだ瞬間、手をかばって....」と言うと、「さすがピアニスト!」なんて言ってみんな感心してくれるが、こんなオオゴトになるとは思わなかったってだけで、鏡の前でめちゃめちゃ後悔した....。

ライブとレッスンの仕事以外は家の中で鬱々と引き込もり、誰とも会いたくなかったし話したくなかった。

病院に行くという選択肢は、毎度の事ながら全く無かった。過去から何も反省していない....(苦笑)。

 

10日後くらいだったか、先輩のピアニストから久しぶりに電話があって近況を聞かれたので、「実は...」と話すと「病院に行ったのか?」と聞かれ、「怖くて行けない」と言ったら「何やってるんだ!早く行け!」と有無を言わさぬ勢いで言われて、ようやく病院に行く決心をした。

 

悲壮感を全身漂わせて診察室に入ると、元気いっぱいの若い女医さんがほんの2分ほど診ただけで、「大丈夫ですよ~。3ヶ月間は日光にあまり当たらないようにね!シミになりますから。」そう言ってガード用の絆創膏みたいなのをくれた。

拍子抜けしたもののやっと生きた心地になって、それから3ヶ月間ドラキュラみたいな生活をした結果、傷は跡形も無く消えた。

 

すぐに病院に行っていたらあんな悲惨な数日間を過ごす事は無かった訳で、これですっかり反省して心を入れ換えた。

お医者さんにはすぐ診てもらおう!

 

ここ一週間ほど、左手が肩からしびれている。

セッションのベーシスト落合君が、「それ、やばいですよ。ひどくなると手が上がらなくなって、ピアノ、弾けなくなりますよ~。」

その言葉に震え上がって、明日にでもお医者さんに行こうと思っている。

不安な気持ちを抱える時間は少ないに越したことはない。

 

それにしても、お風呂に長くつかったり、ストレッチを入念にやったり、マッサージマシンを押し入れから引っ張り出したり、何とかお医者さんに行かなくてすむような努力をあれこれせっせとやっている自分に、我ながら笑った。

出来ることなら、お医者さんには本当は”絶対に!”行きたくない。

 

やっぱり何も反省してないってことだな.....。

 

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2012年

10月

03日

男の料理

普段、雑誌はめったに読まないが、たまに行く美容院や検診の医院でテーブルの上に置かれてあると、数冊選んでパラパラめくってみる。

書評と映画評論はたいがい読む。次に料理の記事を探す。

 

料理の記事といっても、女性誌によくある『お手軽・簡単にできる○○風ディナー』とか『もう一工夫でもっと美味しくなる○○』とかのレシピコーナーじゃない。

『通をうならせる一品』、『上質な食空間で楽しむ手間隙かけた季節の食材』なんていうドキドキするような紹介文と素晴らしい料理の写真が載った、老舗の懐石料亭や有名フレンチレストランの記事だ。

別に、そういうお店に行って写真の料理を数万円出して味わってみたいとか、こんな料理を自分で作ってみたいとか(笑)、そんな気持ちがある訳では全くなく、ただただ、料理人たちのとてつもない味へのこだわりと盛り付けのあまりの美しさに感動する。

ここまでくるとまさに芸術だと思う。雑誌を前に「ほう....」と思わず感嘆の声が出てしまう。

そうした料理人たちがみんな男性なのが女の私としてはちょっと悔しいが、男の”極める”という本能みたいな能力は、料理の世界でも間違いなく光り輝いている。

 

昔から『男の料理』と言えば、肉を塊のまま豪快に焙るとか、奥さんの迷惑も顧みず台所をめちゃくちゃにして一年に一回とんでもない迷作を作る、みたいなイメージがあるが、そういうのは趣味以前、お遊びみたいなもので料理に対する冒涜ですらある。そういう手合いは他の趣味を早々に見つけた方が良いと思う。

 

私の周りの料理好きの男性たちは、完全に料理人タイプだ。

味噌汁のだしは風呂に入っている間に煮干しを火にかけてさぁ....、パスタは粉からこねてパスタマシンを使ってね....、発芽玄米は自宅で栽培するにかぎるよ....。

手間隙かけた味に対するこだわりは、ただ美味しいものを食べたいというだけの素朴な欲求だ。

 

私の父も、包丁はとぎ職人に研いでもらうし、油温度計とかスケールや計量カップ、肉叩きや粉ふるいやフードプロセッサー、様々な道具を駆使している。

こだわり料理人は、まず道具の選別から始まってレシピや情報の収集、試行錯誤を経て自分の納得の味を見つける。

 

ある日、「チャーハンの作り方を教える。」と父が言うので台所に行ったら、火にかけた中華鍋の脇で父がストップウォッチ片手に立っていて、「油を入れて○秒、卵を入れて○秒、ほら、ご飯をいれろ!......具を入れて味付けだ!」

絶品チャーハンができたが、細かいレシピは覚えていない(笑)。

ただ、チャーハンは時間勝負だ!という事だけはしっかり覚えた。私のいつも作るチャーハンとは全然違った....。

 

ライブのリハの時にギターのツッチーに、「うちの冷やし中華のつゆは炒りゴマを擂り鉢ですって作るんだよ~。茄子の漬け物もすっごく柔らかくてさぁ。」と自慢したら、「わー、そりゃほんと美味しそうだね!きゅうりに粉末の昆布茶かけるのも簡単で美味いよ!重し付きの漬け物容器、ほんと欲しいんだよね....。」

ツッチーもこだわり料理人だ。

 

美味しいものを食べたい。良い音を出したい。気持ちいいグルーブに浸りたい。最高の空間で演奏したい。

みんな同じ次元のものだと思う。

最高の音を出すミュージシャンは、間違いなく最高に美味しいものを食べたいと願う食いしん坊だ。

音楽は哲学じゃなくて感覚の芸術、その意味で料理の世界と通じると思う。

ただ、ミュージシャンには、毎朝早起きして朝市に出かけるとか、10年も板前修行とか、まったく無理な話だ....。

 

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2012年

9月

24日

ソニド・セッション

土曜日昼間の三鷹ソニド・セッション。

心優しきT.SaxのM氏が、FaceBookに何枚もみんなの写真をアップしてくれた。それも楽しいコメント付きで!

 

このセッションは、かなり凄腕のプレーヤーたちが常連で集まってくるので、ホスト役の私もめちゃめちゃ勉強になるし、楽しい。 

そして毎回何人か、”初めて”というお客さんが来てくれる。

そういうお客さんたちが帰る時に、「楽しかった!また来ます。」と言ってくれるのが何より嬉しい。

 

私がJazzセッションに行き始めた頃( 10年くらい昔か....)、お店のホストのミュージシャンは神様みたいに見えた。

演奏も凄かったけれど、滅多に話しかけてくれる事が無かったし、近寄り難いオーラを醸し出しつつホスト同士で楽しそうに盛上がっていて、何だか別世界の人のようだなぁ....と下界から眩しげに眺めていた。

だから、『高田馬場ゲートワン』のセッションで私の隣に座ったホストピアノの福田重男さんが、ニコニコしながら私のコードブックの間違いを直してくれた時は、本当に涙が出るくらい嬉しかった。

なんて優しいんだ~~!

 

かなり以前、中国を旅行した友人が、旅先のどこのお店でも店員に邪険に扱われ、( だって共産主義の中国ではお客さんはただただ迷惑な相手でしかないから )、帰りの日本航空のスチュワーデスさんに、「お疲れさまでございました。」と笑顔でねぎらわれて、本気で涙が出たと言っていた。

ふとそんな話を思い出すくらい、『ゲートワン』のセッションは感激した(笑)。

 

緊張感溢れるセッションはもちろん大事だ。Jazz界への登竜門、互いに切磋琢磨し技を競い合ってチャンスを窺う....。

でも、私のように、お店に来ると緊張して殆ど思うように弾けず、気後れしてミュージシャンには声を掛けそびれ、上手くなりたい気持ちはあっても何をどうしたら良いか皆目分からずに毎回がっかりして帰るような普通のプレーヤーにとって、福田重男さんのようなセッション・ホストに会えるか会えないかは、その後のJazzに対する気持ちさえも左右するかもしれない。

 

「さぁ、大丈夫だから思いっきりやってみようよ!」

そんな暖かい空気の中で真剣に音楽に向き合って、少しでも良い音を出そう、少しでも良い演奏をしよう、それぞれの目標を見つけられる様なセッションがやれたらいいなと思う。

そういう気持ちをずっと失くさないようにしたいと思う。

 

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2012年

9月

17日

森鴎外の離婚

つい先日の朝日新聞に、『鴎外「まったく気性合わず文筆の妨げ」』という記事が出ていた。

鴎外ファンとしては見逃せないので切り抜いておいた。

鴎外は二度結婚しているのだが、最初の妻登志子さんとの離婚のいきさつが記された文書が静岡県磐田市で発見されたそうだ。

 

1888年、ドイツ留学から鴎外が帰国して間もなく、はるばるドイツから、気丈にもたった独りで鴎外を追って来日したエリスという若い女性がいた。

森家存続の危機とばかりに、親族一同、彼女を宥めすかして帰国させたと記録にある。

明治の始め、国家の未来を背負ってドイツに官費留学した若き鴎外は、探究心と自負心と愛国心を胸に研究に励み、当時の日本人には珍しく欧州の文化にも溶け込んで日々の生活を目一杯楽しんだ。

そして永遠の恋人・エリスと出会った。

彼女とそのまま彼の地で結婚できたなら、彼は本当に幸せであったろうし、日本中の鴎外研究家は存在せず、私も森林太郎という人を知る事もなかった。

 

初期の小説『舞姫』は、鴎外のこの”生涯に一度の恋”が基になっている。

『石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。』

高校の授業で読んで、冒頭の数行でやられてしまった(笑)。

高雅な文体と生々しい恋愛事情がもの凄いミスマッチな感じで、森鴎外とはいったいどういう人なのだろうと、よく理解できないながらも凄く印象に残った。

 

エリスとの結婚は当時の国状や親族の心情からも到底不可能で、鴎外は親の勧めで、海軍中将赤松則良の長女登志子さんと結婚したが二年と持たずに離婚した。

その時の鴎外の心情を伝える資料が、今回、発見されたというのだ。

記事を読むと、無理矢理に好きでもない女性と結婚させられて、うまくやろうなんて気がはなから全く無かった事が窺える。

鴎外、相当頭にきてたんだなぁ....(笑)。

 

その後、長く独身でいたが四十過ぎで娶った二度目の妻が絶世の美人で、鴎外も「美術品」と友人にのろけていたらしいが、名家の令嬢のせいか我が儘で、義母と想像を絶する不仲で鴎外は長年悩まされた。  

『半日』という短編小説に書かれた嫁姑の確執は、文体が整然・冷静であるだけに余計に怖い....。

 

結局、鴎外の結婚は順風満帆とはいえないものだったが、子供たちは皆それぞれ父について著書を残していて、そこから見える父親・鴎外は、とてつもなく愛情深く繊細でいて心の強い人であった。

子供というのは親の本性を良く見ている。特に年頃の、感性鋭い女の子の目は絶対に騙せない。大人の狡さみたいなものを敏感に見抜くのだ。

娘たちにこれ程までに愛された鴎外という人に、どうにかして会ってみたかったと思う。

私も相当なファザコンで、彼女たちの気持ちが良くわかる。

初めて会う人にさえ父親の自慢話をついしてしまう、誇らしさと嬉しさと深い愛情と少しの悲しみ.....。

 

amazonで、鴎外の三男・類さんの著書『鴎外の子供たちーあとに残されたものの記録』を注文した。

折に触れ、森鴎外という人をいろいろな角度から眺める。作家として、明治の知識人として、軍人として、医学者として、男性として、父親として、家長として、官僚として。

まさに巨人、様々な葛藤を抱えながらも自らの能力・全力を振りしぼって誠実に闘った人だと思う。

 

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2012年

9月

10日

T'sセッション

10数年前、生まれて初めてJazzセッションに行って、『酒とバラの日々』を無我夢中でめちゃめちゃ弾きまくった。

だいたい、8バースもJazzスケールも知らなかったから、周りで何が起こっているのかまったく謎だったし、アドリブなんて好き勝手にやるもんだと思っていた。

その後、多摩地区の凄腕JazzMenたちと知り合って、遊びながらいろいろ勉強した。

 

都内のお店のセッションに行くなんてのは夢のまた夢で、『阿佐ヶ谷マンハッタン』の深夜セッションはプロのミュージシャンがたくさん遊びに来るんだって!と聞いて、"マンハッタン・プロジェクト"なんて、今思えばかなり不謹慎なネーミングの計画を仲間とたてて、都内セッションデビューを目標にゆるゆる練習していた。

 

そのうち、国分寺にもの凄くハイレベルなセッションをやっているお店があるというので、様子見がてら遊びに行ったらまったくもって想像以上で、仲間ともども見事撃沈・大破した。

『国分寺T's』、その時のホストがGt.の塩本彰さんだ。

一年くらい通ったけれど、いつも相手にしてもらえなかった。

マスターには「いい根性してるねぇ。」なんて言われて皮肉とも気付かず、「根性だけが取り柄です!」なんてきっぱり言っていたから、もう打たれ強いというかまわり読めてないというか....(笑)。

 

よそよそしかったT's常連プレーヤー達が、ある日突然、話しかけてきた。

何を話したか覚えていないけれど、びっくりしてただ嬉しかった。

今では、大事なJazzの先輩であり仲間だ。

「みっちゃん、あの頃、何か恐そうだったからさぁ....。」

緊張していっぱいいっぱいになっていて、顔が怖いことになっていたらしい(笑)。

 

Jazzを本気でやろう、と決めてからは、塩本さんの厳しいアドバイスや暖かい激励は練習の目標であり心の支えになった。

今はもう閉店してしまった老舗『赤いからす』のセッションホストをやる事になった時は、老舗店のホストなんて荷が重過ぎてアップアップしていた私を、演奏面でも精神的にも助けてくれた。

T'sの仲間と塩本さんは私の恩人だ。気持ちが負けそうになるといつも思い出す。

 

現在、関西在住の塩本さんとは年に一回くらいしか会えないけれど、今日、久しぶりにT'sセッションで聞いた塩本さんのギターは、相変わらずかっこよくてsharpで粋だった。

また頑張ろう!って思った。

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2012年

9月

03日

『日本人の誇り』

ずっと昔、実録映画『東京裁判』を見た。

終戦後、1946年から1948年まで行われた東京裁判は、戦勝国が敗戦国日本を一方的に断罪するとても裁判なんて言えない酷いもので、見終わった後、あまりの理不尽さにやりきれない思いがした。

法廷で証言するA級戦犯と呼ばれる人達は、連合国側が主張するような、「共同謀議」をして世界征服を企み、侵略を画策して組織的に「人道に対する罪」を犯した、そんな極悪な人達には到底見えなかった。

死刑判決を日本語通訳のヘッドフォンで聞いた後、静かに裁判長に一礼する姿に涙が止まらなかった。

 

「人道に対する罪」なら、原爆を落とし、大都市空襲で無辜の市民を大量に殺した米国の行為は、戦争犯罪でなくていったい何なのだろう?

そういう疑問は、映画を見た何年も後になって少しずつわいてきた。

 

「原爆投下は、戦争の早期終結・これ以上の犠牲者を出さない為に必要であった。そうさせたのは愚かな日本軍部と政治家のせいである。」

「中国では30万人もの一般市民が無差別に虐殺された。関東軍の暴走の結果である。」

そういうふうにいつの間にか信じていて、贖罪の気持ちを持つ事は日本人の義務だとずっと思っていた。

でも、本当にそれが真実なんだろうか?

 

お茶の水女子大学名誉教授・数学者である藤原正彦氏著『日本人の誇り』( 文春新書 )を読んで、今まで漠然と疑問に思ってきた事、なぜ?と憤ってきた事、間違って思い込んできた事、いろいろなもやもやが一気に吹き飛んだ。

数学者らしい公平さと理性的な緻密さで様々な歴史資料や史実を検証し、当時の記憶や証言から導かれた真実と思われる世界の歴史の姿は、複雑で冷徹で偽善で醜悪で、読んでいて胸が悪くなるようなものだった。

そして、日本が犯した他国への侵略という事実も改めて思い知った。アメリカもイギリスもやった事だというのは弁解でしかない。

 

それでも、本を読んで、日本人に生まれた事を誇りに思えた。

幕末開国以来、帝国主義という弱肉強食が跋扈する国際社会の荒波にいきなり飲み込まれながらも、国を守る気概を持ち続けて戦った先人たちの驚くような鋭い知恵と自負心。

大国主義に翻弄され、戦後の洗脳教育を経てもなお私たち日本人がずっと潜在的に持ち続けているもの、それは、武士道精神といってもいいような日本人特有の心の持ち方だ。

失われつつあると言われているこの精神文化を完全に失ってしまわない為に、本当の歴史を今からでもみんなが知らないといけないと思った。

『日本人の誇り』は、散らばった断片だった私の中の日本を、幕末から現在まで一つの歴史として、一つの国の形として見せてくれた。

 

2012年ー今年の夏は、領土問題とかもあったから、歴史(近代史)についてめちゃめちゃいっぱい勉強した(笑)!

 

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2012年

8月

26日

美味い!

最近かなり楽しみなのが、”友人Mさんと美味しいものを食べる事”だ。

 

ひょんなきっかけで、Mさん御自宅で長崎皿うどんやお手製ピクルスをご馳走になり、二人で美味しいお店を開拓しよう!と意気投合した。

最初は沼袋のカレー屋さん、それから中野の絶品イタリアンに感激し、今回が三鷹の中華だ。

ソニドのママに教えてもらった広東料理のお店で、デザートに和スイーツのメニューもある。

 

美味しいものを食べながら楽しい話をする、これほど贅沢なことはないと思う。

特にMさんは職業柄、経済や政治の話がものすごく詳しくて、難しい話もさらりと易しく話してくれる。

Jazzの話や人生相談(笑)なんかにものってもらっていると、時間を完全に忘れる。

もっとずっと話していたいと思う。

鉄板焼き餃子をほおばりながら日本の未来を憂うなんてのは、なかなかシニカルでタイムリーだ。

ついでにマッコリなぞ飲めば、「みんな仲良くやろうよ~!」てな気分になるし、拳を振り上げるなんて無粋な事はやめてさ、、と優しい気持ちになる。( 広東料理のお店にマッコリはさすがになかったが....。)

庶民レベルでは、美味しいものをみんなで楽しく食べればたいがいの事は丸く収まりそうだが、最近の国際情勢、国内世論の過熱沸騰で「仲良く」なんて口が裂けても言えない某国の偉い人たちは、まったく大変な事だなぁと思う。

 

ところで、先日閉会したロンドン五輪、イギリスの食事の不味さに各国選手が辟易したみたいだ。

『日本選手団にもう一つの敵!』なんてニュースに書かれるぐらいの不味さだったらしいが、全てを乗り越えての大奮闘・大活躍、選手のみなさん、本当に本当にお疲れさまでした。

体操男子の田中選手が、選手村のみそ汁について、「入っているものが違う」と言っていたが、ロンドンのみそ汁の具はいったい何だったんだろう。

ポテトフライとかバナナ☆とかスコッチエッグとかトマト◉とか、、いろいろ想像すると、一人不気味に楽しい....(笑)。

 

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2012年

8月

18日

凄い!

お盆で新潟に帰省して、庭の草刈りを2回やった。

 

先月7月に帰った時、梅雨のあと一面に生い茂った夏草に驚いて、様子見がてらサンダル履きで庭に出た。

ものの2、3分だったのに、待ち構えていたヤブ蚊たちに足や手をいいだけ食われて、気がついたら数カ所まっ赤にふくれあがっていた。

 

これに懲りて今回は父の忠告どおり、長袖シャツ長ズボン、靴下もしっかりはいて草刈りをした。

いったい”草刈り”という作業は、格別おもしろい訳ではないのに妙に燃えて、時間がたつのをすっかり忘れてしまう。PCの無料ゲームみたいなもんだ。

この時も、繁茂するツタから皐月やツツジを守るべく汗だらけ土だらけで大格闘をして、15分くらいのつもりが30分以上、戦いに没頭してしまった(笑)。

完全防備のはずだったのに、シャワーを浴びながら足首をみたら、まんべんなく集中的に蚊に食われていた。靴下の上からだ....。びっくりした....。

 

都会のマンションで暮らしていると、蚊に出くわすという事がほぼない。

まれに電車やバスの中で”ぶ~~ん”と飛ぶ音を聞いても、無視はできないまでもどこか寛容な気持ちでいられるのは、弱々しい遠慮がちな小市民のイメージがあるから。

うちの庭のヤブ蚊たちは、少数精鋭、勇猛果敢にゲリラ戦で相手を苦しめる強靭な兵士だ(笑)。

 

2回目の草刈りは、父の大きな長靴をはいて、これでもう大丈夫と思って油断した。

今度は太もも集中攻撃で、被害は8カ所。

なんとズボンの上からだ....。凄い! 凄過ぎ....。

「敵ながらあっぱれ!」と日の丸の扇子を広げたくなった。

 

そもそも、父の最初の忠告を聞いておくべきだった。

「草刈りは秋まで待て。」

夏の陣は完敗に終わった(笑)。

 

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2012年

8月

10日

暑い!

土曜日のお昼、”ぴっかぴか”太陽の超底抜けな元気に降参、力尽きて這うようにたどり着いた三鷹ソニド。

気温は38度まで上がったらしく、街中( まちなか )の暑さは尋常じゃない。

楽器を抱えてセッションにやってくるお客さん達は来る人来る人みんな、体からもわ~っと湯気が出ている。

なんか嫌な予感がしたんだよなぁ、良くないことが起きるぞ~って....(笑)。

 

予感は残念ながらみごと的中!。

2台あるエアコンのうち1台が故障して、室温調節がまったく間に合わない。

更に苛酷なことに、その調子の悪いエアコンはピアノの丁度上に設置されていて、間違えて暖房モードにしたのかと疑うような生暖かい風がゆるゆると吹いてくる。

ピアノを弾きながら、軽く意識を失いそうになった(笑)。

 

体育会系夏合宿の練習場のような情況の中、首に冷却剤入りのタオルを巻いてバミューダパンツでSaxを吹くM氏の姿は、さながら中東の石油採掘事業・現場監督の勇壮さだ!。

 

お客さん「ビール飲まなきゃやってらんないなぁ!」

ママ「ビール飲むから余計暑いんじゃないの?」( ママはお酒が飲めない。)

お客さん「......。」

ま、理屈はそうなんだけどね....。

 

真夏の体育会系セッション、みなさん、本当にお疲れ様でした。m(_ _)m

 

 

ベースの伊東里栄子ちゃんの結婚披露パーティ・ビンゴゲームで貰った携帯用扇風機。

今年の夏は特別大活躍!

 

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2012年

8月

04日

オリジナル4

今年に入って、昔つくった曲の中からJazzで演奏できそうなものを何曲か選って、手直ししてまとめる作業を少しずつやっている。

色褪せた五線紙に鉛筆で書かれた音符をみていると、あの時はこうだったなぁ、そういえばあんな事を考えてた、、めまぐるしく過ごして来た年月の断片一つ一つの風景が、音と空気と心の中の声と一緒によみがえってくる。

へぇ...と昔の自分に感心したり駄目出ししたり、ずっと思い出す事もなかったいろいろな出来事に感傷的な気分になったり、曲を作るのとはまったく違う不思議な楽しさだ。

 

それとは別に、時々ふっと曲が出来る時がある。

『Easy Go de』は、友人と電話で話した翌日に何だかやりきれない気持ちになってしまって、その彼と話すようなつもりでピアノを弾いていたら曲が出来た。

 

いつもひょうきんな笑顔と冗談でみんなを笑わせる友人が、その時だけ珍しく弱音をもらした。

音楽仲間や気の合う友達と、お酒を飲みながら「ちょっと聞いてよ~!」とお互いの悩みや愚痴をさんざん言い合う事がたまにだけどある。

恋愛や音楽、仕事や生活や何気ない一言に傷ついた事、思い通りにいかないいろんな事や取り返しのつかない自分の過ち...。

そんな時、一度だってまともな慰めを言えた事がないなぁと思う。

「大丈夫だよ、きっと大丈夫だよ。考え過ぎないでさぁ~....。」

いつもそんな事しか言えない自分が何だか情けなくて、もやもやした。

 

私は、元気に音楽をやれるのはもの凄く幸せな事なのだと、特に最近、思う。

悲惨な災害や突然の事故でいきなり命を絶たれた人、才能をもちながら病に倒れた人、いろんな事情で音楽を諦めざるを得なくなった人、、その無念さを思うと胸が痛い。

私もいつ同じ運命に遭うか分からないし、気力を失ってしまう時が来るかもしれない。

だから今、こうして毎日、音楽の事だけを考えて元気にピアノを弾ける事が本当に幸運なのだと思う。

もちろん、思う通りにいかなくて悲しくなる事や悔しい事は人並みに一杯あって、その事を考え出すと苦しくなって袋小路で煮詰まりそうになる。

そんな時、頭の中のどこかから、昔流行った「Easy Go でいこうぜ~!」てな超元気・ロックな歌声がギターサウンドと共に聞こえてくる。

我ながら笑っちゃうくらいの楽天主義なのか、恐ろしいぐらいの悲観主義から目をそむける為の自衛システムが作動するのか、とにかくその朧げな歌声とともに、「ま、いっか....」という気持ちになる。

でも、いつからこんな諦めのいい人になったんだろう?

 

20代の頃の私は、頑張って努力すれば願うすべての事は絶対に実現すると信じていた。

まさに自信過剰を絵に描いた様なヤツだった。

ある人から、「一度ぐらい諦めてみろ!」と喧嘩の捨て台詞のように言われて、でも残念ながら当時の私には『諦める』という概念がまったく無く、その人が何を言っているのかよく分からなかった。

そのくらい完全無敵だった(笑)。

その後、どんなに努力してもどうにもできない事にぶつかって、「なるほど...、これが『諦める』って事か....。」とようやく理解した。

あんまり執着する性格(たち)じゃないけれど、この時は辛かった。

 

『Easy Go de』を作っている時、何だかすごく穏やかで優しい気持ちになった。

この曲を作るきっかけになった「Easy Go でいこうぜ!」って言葉は、決して何かを諦めるという事じゃないんだなと気付いた。

辛い気分にさせるいろんな出来事や人、自分自身や思うこと全部を一度受け入れて、自分なりに位置づけをし、進む方向を再調整して、「さぁ~、もいっかい行くぜ~!」って事なんだ。

悩んでても仕方ない、Easy Go でいこう、でも絶対に前に進むよ....。

ちょっと子供じみているかもしれないけれど、ストレートな言葉が持つ力は強くて時に重い。

 

電話で話した友人にそんな歌の話は出来なかったけれど、つい先日、仕事のメールをしたら、いつもと変わらない、”よっ!”てな返事が来たから嬉しかった。

 

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2012年

7月

27日

三鷹の夜

生まれてこのかた、”ボーナス”というのをもらった事がない。

憧れて入った音楽業界だが、支払いに関してはまったく日雇い労働みたいなもので、働いたら働いた分だけ、毎月自分でせっせと請求書を書き、『とっ払い』なんて胡散臭い業界用語でギャラが支払われる事もあるし、ギャラをもらう前に事務所が倒産しちゃって泣き寝入り数十万円、、なんて事も一度や二度じゃない。

特にJazzの世界では、『チャージバック』なんていう音楽を仕事として認めていないような凄い支払い制度もあって、とにかく、安定したお給料なんてのはずっと遠い世界の話だった。

 

季節のボーナスとか有給休暇とかまったく縁が無かったから、OLの友人の話しを聞くたびに、「働かなくてもお金もらえるの? 」なんて素晴らしい制度なんだ~!、好奇心と羨望はふくらんでいった(笑)。

”有給休暇”はまぁ完全に無理だけど、”ボーナスをもらう”ってのは一度ぐらい経験してみたいなぁ、、日本のボーナスシーズン、バーゲンセールに旅行にグルメ! 国民みんなが嬉しくて浮かれる時期なんだよなぁ、、なんて思って、ある日、銀行に行って6ヵ月定期を申し込んだ。

毎月積み立てて6ヵ月後、ボーナスシーズンにちゃんとお金はもらったけど、何だかちっとも嬉しくない。だってもともと自分のお金だしもらう相手は銀行だし....。やっぱこれって全然ボーナスじゃないじゃん(泣)!。

 

こんな昔話を、三鷹Sonidoのセッションの時にぼそっと言ったら、心優しいJazzMan・M氏が「ボーナスが出たら、みんなで美味しいものをご馳走してあげよう!」と慰めてくれた。

 

土曜日夜の三鷹駅前、お寿司屋さんの2階座敷、M氏主催でSonido・セッション常連のJazzMen7人が集まった。

「ボーナスもらえない可哀相なミュージシャン・みっちゃんに美味しいものを食べさせてあげよう!」ってな趣旨はおそらくM氏一人の胸の内で、ほぼみんな、M氏主催の飲み会で美味いもの食べて盛上がろうって心積もりだったと思うが、集まったみんなの顔を見ていたら何だかちょっと感動した。

Jazzを何よりも真摯に愛するプレーヤーたち、忙しい日常のわずかな時間を見つけてこつこつと練習を積み、試行錯誤を重ねながら楽器やフレーズを研究し、少しでも良い演奏を目指して努力を惜しまない人たち。

セッションは言わば遊びだけれど、こういう人たちの真面目で誠実な気持ちがあって初めて上質なものになっていくんだと思った。Sonido・セッションはすっごく恵まれているよなぁ....。

 

八海山もお魚もお蕎麦もすべて信じられないくらい美味しくて、M氏を始め、心優しいJazzMenたちに本当に感謝・感謝。ありがとうございました。

七月土曜の三鷹の夜は、最高に嬉しいボーナスだった。

 

後日、バッグの中からお店で借りた携帯の充電器が出て来て青くなった。自分のと勘違いしてうっかり持って帰って来てしまった....。

お菓子を持ってお店に返しに行った。

いっつも最後になんかポカやっちゃうなぁ、私....。

 

 

 

 

 

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2012年

7月

20日

水泳

先日facebookを見ていたら、長年来の知人が、小さい頃は全然泳げなかったのに小学3年生のプール授業でいきなり泳げるようになった、と書いていた。

私も小さい頃、まるで泳げなかった。というより、”水恐怖症”で水そのものが怖くて怖くて、プール授業はまさに地獄の時間だった。

facebookがきっかけであの当時の事をつらつら思い出したが、”水恐怖症”は一体いつから始まったんだっけ...?。

 

昔住んでいた新潟市金鉢山町の家は、サンダル履きで歩いていける距離に海があり、よく父と一緒にあめ玉と浮き輪をもって海水浴に行った。

浮き輪をかかえてぷかぷか波に揺られ、時々足をバタバタさせたりしてちょっと泳いだつもりになり、砂浜で塔や堀をこしらえたり、あめ玉をほおばりながら少し熱い砂の中に冷えた体を埋(うず)めたり...、さんざ遊び飽きると、砂だらけの水着のまま帰りに氷水屋さんに寄って、父と氷あずきや氷レモンを食べた。

お風呂屋さんにも行ったけど、大きな浴槽に入るのが怖いなんて思ったことは無かったと思う。

 

だから、小学校のプール授業で水着に着替える時から体がガタガタ震え、水につかると唇が真っ青になって歯がガチガチいうなんて異常な症状は、自分でも何が何だか分からなくてずっと誰にも言えず黙っていた。

授業ではなんとか頑張って、だんだんと泳げるようになった。

ところが、あろうことかクロールのフォームが良いなんて体育の先生に褒められて、いきなり市の水泳大会の選手になってしまった!

授業でさえ地獄の試練だったのにこれから強化練習で毎日しごかれる....、もう目の前がまっ暗になった。どうしよう....。

ここでちゃんと断ればよかったのだが、「頑張れ!」と言われると「はいっ!」と言っちゃうのは今も変わらず私の悪い癖だ。

自分では何とか頑張れると思ったのだが、毎日続くあまりの精神的な恐怖に根負けして、ある日、意を決して職員室に行って辞めたいと言った。

先生は、「やる気がないのか?」と言ってがっかりした目で私を見た。根性の無いヤツと思われたのが悔しかった。

 

家に帰って両親に事の次第を説明したら、母が言うには「パパがお前を落としたから、、。」

お風呂屋さんで父がうっかり手をすべらせて、私はお湯の中に頭からぼちゃんと落ちたらしい(笑)。物心つく前の話しだ。

なるほどそれなら、首から上が水面に出ている限りはまったく平気なのだが、いったん頭が水にもぐってしまうととんでもないパニックに陥る、という症状に説明がつく。

もしそれが”水恐怖症”の真相なら、幼少期の記憶というのは恐ろしいなぁと思う。

まったく覚えていないような事も”無意識の記憶”として脳に残っているという事か....。

 

小学校を卒業するとだんだん水に潜るのも平気になって、高校3年生の夏休みはほぼ毎日、バスに乗って一人で市営プールに泳ぎに行った。

自分ではただの暇つぶしと思っていたが、もしかしたら、小学校の職員室で味わった悔しさが”無意識の記憶”に残っていて、もの言う事の無いもう一人の私が秘かに名誉挽回を企て、毎日せっせ黙々と泳ぐなんて事をプログラムしたのかもしれない。

コース台から何回も飛び込んで、競泳用の薄い水着が破けたなんて事もあったなぁ....。

あの夏、あれだけたくさん泳いだから、今はプールや海に行きたいなんて露ほども思わない(笑)。

 

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2012年

7月

12日

UFO

先日、沼袋オルガンJazz倶楽部でトリオのライブだった。

メンバーはいつもの通り、城谷さん(Tp)と小杉さん(Bs)。

オリジナル『Purple Moon』を演奏する前にMCで、この曲を作った当時、毎晩のようにワイン片手にUFO探索をやっていたという話しをした。

 

「その時は国立に住んでいて近くに自衛隊施設もあったし、でもやっぱ米軍基地の方が....」とマイク片手に話していると城谷さんが、

「お話中ですけど、、。自衛隊とか米軍とか、UFOとどういう関係があるのかさっぱり分かんないんですけど...。」

「ええっ?エリア51とか知らないの?」

「まぁX-FILEとかは見ましたけどねぇ。」

「X-FILEは嘘っぽいけど、でもアメリカ軍はUFOと接触した事実をきっと隠してるんだよ、UFOオタクの間じゃ通説だよ。」

 

私と城谷さんが左右でやり合っているちょうど真ん中に立ってる小杉さんが、W・ベース越しに譜面台の小さな譜面を覗き込みながら、『....えっと....Bbm-Eb7-Ab7ね、....ん?』、一人まったく異空間にいるってこの情景は毎度のことなのだが(笑)、今回、何がびっくりしたと言ってそばの席に座っていたH氏が、

「僕、UFOは何回も見てますよ、いろんな所で....。」

一瞬、頭がポンッと爆発して星が見えそうだった(笑)。なんて幸せな人なんだ!!

気をとりなおして『Purple Moon』の演奏に集中したが、どうも何だか気持ちが落ち着かない....。

 

休憩時間中、早速H氏に詳しい話を聞いていると、少し離れた席にいたとってもお洒落なご婦人( 小杉さんの古いお友だち )が、

「私も40年くらい前に見ましたよ。葉巻型のUFOでした。偶然見て、最初はUFOと分かりませんでした。」と、にこにこしながら話してくれた。

それも、見たのが井荻だったそうだ! ( 私は今、杉並区井荻に住んでいる。) 

杉並区に宇宙人が来たんだ、、もの凄い偶然に戦慄した....(汗)。

「私、UFOと幽霊は絶対一度、この目で見てみたいんですよ。」あまりの展開にクラッと混乱しながら私が言うと、話しを聞いていたM子さんが、

「私はUFOは見た事ないけど、幽霊は見ましたよ。」

えぇ~っ!!

一人パニクる私をよそに、城谷・小杉両氏は完全に異空間にいた、ってか私が異空間にいたのか....(笑)。

小杉さんとか、きっとUFOや幽霊を見ても「ま、そういう事もあるよね。」なんて言って煙草吸ってんだろうなぁ。

 

「見たいと願っていれば、絶対にいつか見れますよ!」

UFOを見た女性に力強く励まされて、そうか、探そうと思うより遇えると信じることが大事なんだ、と思った。

でもその後、何だか”運命の人”と同じだなと気付いたら、相当望み薄な気がしてきてかなりがっくりした(笑)。

 

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2012年

7月

05日

ウサビッチ

最近、妙にはまっているコメディー・アニメ。

 

『ロシアの監獄で出会ったウサギのプーチンとキレネンコが繰り広げるドタバタ劇。そこにオカマなヒヨコのコマネチや、何でも食べてしまうカエルのレニングラードという面々が加わり....』と紹介されているのだが、何とも不思議でちょっぴり毒のある変な可笑しさだ。

 

悪役のロシアン・マフィアの愛人2人がチャイニーズ・ドレスを着ていたり、キレネンコが見るからにコンバースなスニーカーのコレクターだったり、シチュエーションもなかなかシニカル....。

1話90秒、台詞なし、効果音とゆるい音楽だけで、物語は回を重ねるごとにとんでもない展開になって行く。

こういうコメディー、好きだなぁ....。

 

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2012年

6月

28日

好きなもの

このブログを始めたきっかけは、ギャラリーの写真を撮ってくれたyukoさんが「日記のように、音楽や田崎さんの好きなものを気軽に書いてみたら?」と勧めてくれた事だ。

 

ブログかぁ、、大変そうだなぁ。

ピアノの練習・レッスンの仕事、ライブの準備もある、オリジナルだってたまってるし見たいDVDもある、両親の顔を見に新潟にも帰らなきゃ....。

いろいろ言い訳を考えてみた。

流行りの場所に遊びに行くとか美味しいものを食べ歩くとか、ここ久しくやってないなぁ....。音楽の事っていっても、華々しくデビューしてるんでもないし....。

ぐるぐる無理だ無理だと考えた挙げ句、突然、そうだ、源氏物語や鴎外、ポワロや小泉元首相の事を書いてもいいんだ!と思い当たったら、俄然やる気が出た。

 

私が高校生だった時、担任のN先生が生徒たちに「自分の好きな事、興味を持っている事、訴えたい事、とにかく何でもいい、言いたい事をまとめてみんなの前でスピーチをしなさい。」と言って、確か授業の始まる前だったかに毎日、一人5分間くらいの時間をくれた。

私は、”自分の好きな事”だったら絶対にポワロだった。

イギリスの推理作家アガサ・クリスティの小説の主人公、ベルギー人探偵エルキュール・ポワロ。

彼の言葉や行動や、フランス風お洒落や奇妙な性格や、何と言っても美しいまでに明晰な頭脳( ”灰色の脳細胞” )をみんなに伝えたかった。

私の番の前日は、何十編もの小説の中から大切と思う部分をそれこそ忘我嬉々として抜き出し、深夜、まとめあげたささやかな覚え書きを前に、”よっしゃぁ~”と一人にんまりした。

 

翌日、教室の黒板の前に立ってみんなの顔を見渡したら、クラスで数少ない女子という物珍しさもあって、かなりの期待感が漂っていた(笑)。    

( 新潟高校は、明治時代の旧制中学校を前身とするもともとは男子校で、私が在籍していた頃は1クラスに女子は8人ほどしかいなかった。)

緊張と嬉しさでどきどきしながらポワロの事を話しだすと、ものの数秒もしないうちに『なんじゃそりゃ?もうちょっと気の利いた事しゃべるかと思った....』てな冷たい空気がどっと押し寄せてきた。

えっ?どうして??

みんなもがっかりしたろうけれど、私はその百倍、がっかりした...。

 

その時の手痛い失望感があとを引いたのか、それ以降、自分の好きなものの事をあんまり話したくなくなった。話しても楽しい思いをする事はないだろう、そんな諦めがあった。

もし、シャーロック・ホームズや漱石、田中角栄や村上春樹を一番に好きだったなら、事情は少し違っていたのかもしれない(笑)。

 

yukoさんの勧めで、ブログを書く事を考えてみた。 

”好きなもの”を、誰にも気兼ねせず思う存分いいだけ好きなだけ自分の言葉で語る、、それは夢のように楽しくて素敵な事に思えた。

ブログ開設後、すぐにイズイズが源氏物語の話題を話しかけてきた。「田崎さんは、源氏の女性たちの中で誰が一番好きですか?」

ピアノの教室で、生徒さんがにこにこしながら言ってきた。「僕も鴎外、好きですよ。渋江抽斎は面白いですよね!」

思いがけない言葉を聞いてちょっとびっくりした。そして嬉しくなった。

同じものを好きと思う人の言葉が聞けて本当に嬉しかった。

 

高校生の頃の私は随分と臆病だったけれど、あれから”好きなもの”はどんどん増えた。”Jazzを弾く”という何よりも好きな事ができて、心も少し強くなったかもしれない。

いつかこのブログでポワロの記事を書く日の事を想像すると、今から高校時代のあの夜のようにわくわくしてしまうが(笑)、さすがに時を経て大人になった分だけ、ちょっとは冷静な感想を書けるのではないかと思う。

そして、今でも変わらずにポワロ・ファンでいる事にも気付いて、ちょっと感動した...。

 

 

NHK『名探偵ポワロ』( イギリス・LWT制作 )の名優デビッド・スーシェ。「アガサ・クリスティが見ていれば最も気にいった”ポワロ”になっていただろう」と言われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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2012年

6月

22日

グレ男(ぐれお)とアボ子(あぼこ)

うちの狭いベランダで、窮屈そうに並んでいるグレ男(右)とアボ子(左)。

グレ男は10歳くらい、アボ子は2歳くらい。まさかこんなに大きくなると思わなかったから誕生日はいつだったか覚えていない。ごめんね....。

グレ男は、ほぼ10年前のある日の朝食のグレープフルーツ、一番大きくて立派なゴロンとした種から生まれた。

アボ子は、ほぼ2年前のある日の夕食のアボガドサラダ、捨ててしまうには惜しいほどつやつやと美しい種がキッチンのシンクに残っていて、試しに土に植えてみたらすぐに元気な芽を出した。ひょろひょろと背丈だけは伸びたが、まだまだひ弱で頼りない。

そこへいくとグレ男はさすがに兄貴分だけあって、背丈は私を優に超え(170cmくらいか...)、根元の幹も本当に太くて、大地に植え替えればすぐに大木に成長するだろうくらいの勢いだ。

 

今でこそほとんど放任だが、グレ男が小さい頃はけっこう大変だった。

どんどん大きくなるのであわてて植物園に育て方を問い合わせ、鉢を何回も大きくし、旅行に出る時は数日でも心配で友人にむりやり預け、風の強い日は倒れやしないか夜中にブラインド越しに何度もベランダを確認し、蝶の子どもが葉っぱをむしゃむしゃ食べているのに気付いた時は真っ青になり、今思い出すと笑っちゃうくらいのドタバタ育児・初心者ママだった(笑)。

むりやり預けられた友人は、さぞかし私がモンスターペアレントに見えたことだろうと思う...。

 

逞しく成長したグレ男だが、最近気になっている事がある。

昔、植物園の方に「日本の気候でグレープフルーツは無理ですが、観葉植物としてなら大丈夫でしょう。大事に育てて下さい。」と言われたから花や実を期待した事はないのだが、それでも、葉っぱに顔を近づけるとちゃんと柑橘系の爽やかな香りがして「あんたはグレープフルーツなんだねぇ...」と妙に感動しつつ納得したものだが、最近、その香りがほとんどしないのだ。

高貴な出自を忘れて夜な夜な不良仲間と飲み歩いている貴族の息子、てな画像が一瞬目の前に現れて軽く焦った。

これ以上背丈が伸びると困るからと肥料をあげていないせいか....それとも近頃の異常気候のせいか、去年、葉っぱにいた青虫があんまり可愛かったのでそのままサナギになるまで観察しちゃったせいか....。

 

いろいろ思い悩むとこのまま狭いベランダに置くのも不憫に思えてきて、いっそグレ男とアボ子を実家の庭に移送しようかと考えている。

それにしてもどうやって運んだらいいんだろうなぁ....(困)。

 

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2012年

6月

15日

オリジナル3

数年前に杉並区に引っ越してきたのだが、その前は中央線国立市に住んでいた。

線路に近いマンションだったが、近くを通る電車の音が遠くかすかに聞こえるほど防音がしっかりしていて、夜は一人でいると寂しくなっちゃうくらい静かだった。

 

PC相手の打ち込み仕事に疲れると、晴れた晩はベランダに出てワイン片手にずっと夜空を眺めていた。

こう書くとものすごくロマンチックな感じだけど、実は、UFO▲をなんとか一目見たくて、人知れずかなり真剣に観察を続けていた(笑)。

我ながらまぁ何というかあれなのだが、当時は、国立市といえば近くに自衛隊の施設もあるし、都内よりUFO出没の可能性はずっと高いはず!とめちゃめちゃワクワクしながら夜空を見ていた。( UFOと自衛隊がなんで関係あると思ったのか謎...米軍基地なら分かるけど。)

 

その日は台風が近づいていて、いつもより雲が多く風も強かった。秋口だったと思う。

星も月も見えなかったので、今日は駄目だなと諦めて部屋に戻ろうとしたが、湿気を含んだ風が妙に気持ち良かったのでしばらくベランダの手すりにもたれて空を見上げていた。

夜空を覆うたくさんの雲が、強風に流されてかなり速いスピードで切れ切れに走っていく。雲間にところどころ、ぽっかりあいた小さな穴のように暗い空色がのぞいていて、まるで疾走する雲と併走しているみたいに見える。

そのうち、何だか妙な感じがした。

暗い空色とたくさんの雲と、もう一つ、別のスピードで同方向に移動している何かがあるような....。巨大な何かか無数の何かか、目をこらしても雲に遮られてよく分からない。

戦闘機の大編隊か巨大なUFO▲か! ここにいるのが私だけという事実にがっくりしつつ、でもそのうち、さっきから3分間くらいずっと見ているのに、上空の状況がさっぱり変わらないってのは変だよね?とも思えてきて、結局、目の錯覚かぁと諦めきれない無念さをねじ伏せるように観察を断念した。

翌日、Jazz仲間たちに身振り手振り交えて切々と報告した訳だが、ははっ!またぁ~、なんて案の定、軽く流されてさっさと”終了”されてしまった(涙)。

 

えらく前置きが長くなってしまったが、私のオリジナル3 「Purple Moon(紫の月)」は、そういう『UFO・苦難の観察時代(笑)』にできた曲だ。

 

夜空に日々姿を変えて現れる月は、ある時は冷ややかに、ある時は情け深く暖かに、傲慢さをひた隠し清楚な謙虚さを装って、この世とは隔絶した美しさで私たちを魅了する。

それはまるで、luna(月)の霊気に気がふれてlunatic(精神異常者)となってしまった殺人者や狼男を秘かに嘲笑うかのようだ。

月を見ていると何かおかしくなる....、そう言うなら、UFOを夜な夜な探す方がよっぽど怪しげだと思うが、月が紫色に見えちゃう前にUFO探索に飽きてしまった私は、危ういところで事なきを得たのかもしれない(笑)!

 

それにしても、一度くらい正真正銘のUFOをこの目で見たいと今でもほんの少し未練はある。

でももし、本物のUFO▲が杉並区に出現したなら、「どうして杉並区?」と逆に宇宙人に聞いてみたい気もする....。

 

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2012年

6月

06日

男の香り

だんだんと汗ばむ季節になってきた。

街で若い男性とすれ違って、なんとも言えない良い香りに思わず振り返っちゃう事が時たまある。

ん、いい匂い!って軽くうっとりして、あれっ、今の人、男だったよね?って一瞬混乱し、男のお洒落もここまで来たか....と、微妙な焦りというか敗北感というか(笑)、路上で一人、意味もなく複雑な気持ちに陥る、、見えないところのお洒落って粋だから、よけい負けちゃった感は強いんだよね....。

 

ドラッグストアーに化粧品を買いに行ったら、制汗芳香スプレーのコーナーで高校生の男子たちが真剣に商品を品定めしていた。冷やかしや遊びじゃなく....。

ちょっとびっくりした。

セッションの仕事で行ったライブハウスで、先に来ていたべースのN君に「最近の男子高校生ってさ、汗止めスプレーとか使うんだねぇ。」と話したら、きょとんとして「それ、常識じゃないですかぁ?」と言われた。

考えてみれば、見るからに”部活後の野球部・サッカー部”な一団が電車にどかどか乗り込んで来ても、当然車内に漂うと思われる汗臭さを感じた事が近年ない。

みんな気を使ってるんだなぁ、と思い至った。

常識かぁ....。

 

平安時代の若い貴族たちは、衣に高雅な香を薫きしめてお目当ての女性のもとへ通った。

源氏物語・空蝉の巻で、夜、灯りのないまっ暗な邸の中を源氏が女の寝室へ忍んでいくのだが、わずかな衣擦れの音と薫き込めた香の香りで相手の女性は源氏と気付き、薄衣を残して逃げてしまう。

暗闇の中のかすかな音と密やかな香り、その妖しく張りつめた空気を想像するとちょっとどきどきする。

平安の貴族たちは、自分だけの香りを調合し持っていたという。

 

現代の男性が平安時代に先祖返りしているのじゃないとすると、男は本当は大昔からずっと、匂いに敏感で美しい香りを身にまとうのが大好きだったのかもしれない。

付き合っている女性に香水をプレゼントするってのは、彼女の為というより自分の好きな香りを側に置きたいって事だったりして...。

貰った事がないので真偽を確かめようがない(笑)!

 

街ですれ違って思わず振り返っちゃった男性たちの香りは、よく電車の中に充満している、うんざりするほど嗅ぎ慣れた流行りの香水の類いではない、品よく香る洗練された男の香りだ。

たぶん男の嗅覚は女より優れている。

それに、いったんこだわりだしたら女は男には到底かなわない(笑)。

『香しいもの』への追求が高じて、”僕の香り”ブランドができるのも時間の問題かもしれない。

 

私はどちらかといえば香水が苦手で、きつく香ると頭痛がしてしまう。無神経な人がトイレやエレベーターの中で香水を振りかけた後に出くわすと、冗談ではなく倒れそうになる。

私が大好きと思う匂いは、小さい頃、夕食どきに父の膝の上に抱かれていた時に嗅いだ父の着物の匂いだ。少し酸っぱいような苦いような、父の匂いのしみ込んだ暖かくてちょっとごわごわした着物の匂い。

我ながら、どうしようもないファザコンだ....(笑)。

男にとって『香り』は科学、私にとっては記憶かもしれない。

 

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2012年

5月

31日

Arabian Night☆

6/2(土)、立川・Half Toneで、中近東ベリーダンスとJazzのコラボレーションという特別企画Liveをやります。

SaxのM氏は、3年間、中東に滞在されていて、あちらでのいろいろなお話を聞くのも楽しみなんですが、何といっても、M氏折り紙付き・本格的なベリーダンスを生まれて初めて間近で見れると思うと、今からわくわくします。

「Mさ~ん、私、どんな衣装で行けばいいですかね?」

「あ~、楽器の人は何でもいいよ!」

やっぱ、そうだよね....。 

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2012年

5月

27日

写真

私は、写真を撮られるのがあまり好きじゃない。

カメラを向けられたとたん居心地が悪くなって、昔の写真には「なんで撮るの?」とでも言いたげな、不機嫌そうなのが何枚かある。

 

ある日、ピアノを教えているミュージック・スクールで、先生の顔写真を一人ずつ撮ることになった。

カメラを構えた校長さんが、「みちこさん、笑ってください。」と何回も言うのだが、どうにもうまく笑えない。困った校長さんが「みちこさん、歯を見せて笑いましょう。」と歯の見せ方まで教えてくれて、ようやく満面笑顔の写真が撮れた。

集合写真ならなんとかなるんだけどね....。

 

このブログのギャラリーにある写真は、イズイズ( ブログで以前紹介したスーパーウーマン☆ )の友人・yukoさんが撮ってくれた。

最初は、ライブ・ハウスに出演する時にお店に送るプロフィール写真のつもりだった。いつも携帯で自分撮りした情けない写真(笑)ばかり送っていたので、ちゃんとした写真が一、二枚あるといいなぁというくらいの気持ちだった。

 

沼袋のスタジオで撮影が始まったのだが、あまりに本格的で、正直驚いた。

バックグランドにお洒落な音楽が流れ、イズイズはヘアーメイク、表情を柔らかくする為にハンドマッサージまでしてくれて、着替えの衣装が何着も並び、yukoさんは照明を考えながらきびきびといろんなアングルから連写する。

彼女は肩書きはライター兼エディターだが、なんだか場数を踏んだプロ・カメラマンの風格だ。     

テレビドラマで水着のモデルさんにカメラマンがポーズをつけるシーンみたいに、「あ~、その表情、いいですね!」なんて本当に言うもんだから、こっちもどんどんいい気になって、自然とカメラ目線でニンマリ微笑んでしまう。

着替えたり髪型を変えたりして、もの凄い数の写真を撮り終わった後、私の頭の中には花が咲き乱れ、色とりどりの蝶が舞い、小鳥たちが凄い勢いで飛び回っていた(笑)。

 

何枚かを選んで、yukoさんがスライドショーにしてブログにのせてくれた。

私の性格からすると、そういう事は気恥ずかしくて絶対嫌だ、、と思うはずなのだが、全くそんな気持ちがおきなかった。

この一連の写真は、私のものというより、イズイズとyukoさんと私の共同作品みたいなものだ。誇らしく思いこそすれ、恥ずかしいなんてどうして思えるだろう....。

たくさんのアイディアを出して、現場ではいろんな事を手助けしてくれたイズイズ、けっこう重いカメラを両手に構えて、スタジオ中を縦横上下に動き回ってくれたyukoさん、そして、カメラの前でめちゃめちゃ幸せな気持ちで笑っている私がいる。

 

こんな時間を経験できた事は本当に宝物だと思う。

ギャラリーの写真は謂わば、栞(しおり)みたいなものだ。そのページを開けば、あの時の彼女たちと私にいつでも会える。

 

あれから半年、相変わらず写真を撮られるのはあんまり好きじゃないけれど、カメラの向こうにいる誰かさんに、前よりちょっとだけ心からの笑顔ができるようになった気がする。

 

 

番外編。

 

新境地....?

 

 

 

 

  

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2012年

5月

21日

金環日食-2

6時半、携帯の目覚ましで起きて準備万端。

目覚ましのけたたましい音で起きるなんて、ツアーの仕事をしていた時以来かなぁ...。

7時過ぎ、朝ご飯を食べながら部屋の西側の窓から外を見ると、向かいに立並ぶマンションの東向きのベランダや屋上に人影はまったく見えない。

7時半、パーカーをはおって日食めがね片手に外へ出た。普通に通勤の人たちが通り過ぎて行く。マンションの人たちもほんの数人、家族でベランダにいるぐらいだ。

もっと大騒ぎなのかと思ったら、あまりに静かで逆にびっくりした。

めがねをかけて太陽を見上げたら、真っ暗な中に、思ったより小さな綺麗なオレンジ色の円が見えて、その中にぎりぎり大きな真っ黒な円がほんの少しずつ左に移動していく。

初めて肉眼でみる太陽の姿に、思わず「わっ」と小さく声が出た。

 

部屋に戻ったら、友人から「見てますか?」とメールが来た。新潟の父が、「こっちは三日月状だ。」と電話をしてきた。

曇りの予報で少し心配していたけれど、もう二度と見れない金環日食は静かに美しかった。

 

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2012年

5月

15日

金環日食-1

『金環日食は、太陽が月に覆われ、美しい光の輪を形成する天文現象。日本では1987年9月以来、約25年ぶりの観測で、関東では実に173年ぶりとなる。(MSN産経ニュース 5/14)』

 

173年ぶり~?そりゃ大変!って事で、さっそく日食観測用めがねを買いに行った。

中野のドン・キホーテで見つけたが、もう残り少なくなっていた。

新潟の父に電話したらまだ買ってないというので、実家にも送ることにした。

久しぶりになんか燃えた...(笑)。

 

      ( 6日後、よろしく!)

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2012年

5月

12日

男気

男と女は別の種類の生き物、と言う人がいる。

少し前には、男脳と女脳診断なんてものが流行った。

先日、三鷹ソニドのセッションの後、プロレス・格闘技専門チャンネルは一晩中でも見れる!と盛り上がる男性陣を見ながら、一瞬この人たちは宇宙人かと思った(笑)。

( ソニドのママがどっから聞いてきたのか、世の中には既に姿を変えた宇宙人がたくさんいるんだとか。この話題はかなり怪しげに面白いのでまた改めて...。)

 

お互いに理解不能な事多々ある男と女だが、男性的といわれる幾つかの特質の中で、私が一つ心から尊敬するものがある。

”男は、主義とか組織とか国とか、実体のない観念的なもの・理念的なものの為に命を懸ける事が出来る”という事だ。

 

女は、目の前の我が子や家族を死に物狂いで守ろうとする。でも、自分の信条や社会的な思想の為となると命懸けは非常に稀なんじゃないかと思う。

それに対して、ソクラテスや坂本龍馬を始め、イデオロギーや革命の為に命を落とした男の何と多いことか。有名無名に関わらず、たくさんの男たちが国や信条の為に命を削った。

 

この特質があるから、政治はずっと男の仕事であったのだと思う。

政治家は、ある公共的な概念・理想に基づいて集団をまとめていく。憲法で成文化されてはいても実体のない”国家”というものの為に、その政治生命を( 時には本当に命まで!)懸けたりする。言い換えれば、彼らにとって、そういうものが実体として見えているということなのかもしれない。

 

最近では、マーガレット・サッチャーやヒラリー・クリントン、独・豪首相、有能な女性政治家はたくさんいるし、優秀な女性官僚も政治学者もたくさんいる。

でも彼女達は、国や主義に命を懸けるなんてことはきっとしない。冷静に国益、省益を考え、社会を構成する個々人にとって現実的な答えを出していくと思う。

その意味では、優れた女性政治家は、男性よりよっぽど組織の舵取りに適してるのかもしれない。

 

誰の本だったろう、男と女の生理学的な違いについてこんな事が書いてあった。

スポーツのトレーニングで、男は「死ぬまで頑張れ」と言われると本当に死にそうになるが、女はそのかなり手前で「もう限界です」と言ってへばってしまう。

それは種族保存の本能で、女は自分の命をそう簡単には危険にさらさないという事らしい(笑)。

 

それにしても、きれいごとだけではすまない政治の世界において、何かの理念や理想に基づいて、例え逆賊と誹られようと自らを犠牲にしようと、ある目的に突き進む強い決意はやはり男性にかなわない気がする。

国の独立運動や民族解放、諜報活動やレジスタンス運動、お家騒動で暗躍する藩士とか.....。

 

どうも我ながら小説や映画の見過ぎって気もするが(笑)、そういう歴史や国際政治の中の男たちが、私には”宇宙人”のように見えてしまう。畏敬の念をもって....。

 

最近の若い男は、、なんていう声をよく聞くけれど、少なくとも私の周りの若いJazzミュージシャン達は、すごく真面目に世の中を見ているし考えている。

”音楽に命を懸ける”なんて事はまぁ無いだろうけれど、それでも、自分が持つ何か一つの理想の為に身を賭する姿は本当に美しいなぁと思う。

なかなか生計を立てていくのが難しいJazzを一生の仕事にする、それは考えてみればある意味、Jazzに命を懸けるという事なのかもしれない。 

”男気”という、今どき古風な言葉があてはまるような生き様だと思う。

 

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2012年

5月

05日

テレビ-2

数日前にこのブログで、

     

『世界中で、過去にそして現在もたくさん起きている、特に戦争や地域・民族紛争といった複雑で難解な問題を、冷静に事実のみを取材して視聴者に伝えようとするこういうドキュメンタリー番組が、日本の国営・民間放送でなぜほとんどつくられないのか....』

 

と書いた。

そのすぐ後、たまたまネットで、”NHKドキュメンタリーwave”という番組を見つけた。

http://www.nhk.or.jp/documentary/

 

世界や日本の様々な問題を伝える本格的なドキュメンタリー番組で、20114月放送開始とある。

放送履歴を調べてものすごく嬉しくなった。

やった~、日本の放送局、頑張れ~!

久しぶりにテレビが見たくなった。

 

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2012年

5月

03日

猫~Part2~

バックバンドの仕事をしていた時に一緒だったコーラスのKさんは、姉御肌で優しくて、頼りない私に業界のいろんな事を教えてくれたり、デモテープ作りに協力してくれたり、当時の私にとって、信頼できる心の支えと言ってもいいくらい大切な存在だった。

彼女の家には雑種の猫が数匹いて、遊びに行くと、懐かしいほのかな匂いと久しぶりに撫でる温かな毛の手触り、猫特有の ”あんた、何?”っていう高慢無礼な視線にめちゃくちゃ嬉しくなったものだ(笑)。

 

Kさんは大の猫好きで、老衰で歩けなくなった猫を最後まで世話をしていた。

私の母も、病気でばたばたと死んでいった猫たちを、夜中にお風呂場で( 排泄物のために )、一匹ずつ抱きしめながら看取った。( 猫エイズと呼ばれる伝染病で、うちの猫たちは全滅した。)

 

私の家は、”猫好きなうち”と近所で知られていたらしい。よく、捨て猫が家の前に置かれていた。

玄関のすぐ上の二階に私の部屋があって、子猫のみゃーみゃー鳴く声に気が付くと、すぐ母のところに行って「ねぇ、猫が鳴いてるよ。」と報告する。すると母は間違いなく、その子を救出してくれた。

 

ある時、暮れも押し迫ったもの凄く寒い日の夜中、雪が降り出して早々にベッドにもぐり込んだ私は、窓に吹きつける強風の中にかすかにみゃーみゃーと鳴く弱々しい声を聞いた。

飛び起きて母のところに行った。

二人で玄関に出てみると、段ボール箱の中に産まれたばかりの子猫が一匹、寒さで凍りそうな中、必死で鳴き声をあげていた。

母はその子を手で包み込むと、黙って家に入った。私は、あぁ良かった、もう大丈夫、と二階のベッドに戻った。母は一晩中、半死の子猫を胸に抱いて人肌で暖めたそうだ。

その子猫が成長して数年後、可愛い子猫たちを産んだ!

命というのは、なんと健気で力強いものか....。

 

Kさんが、猫たちを傍らに一緒にお酒を飲んだ時にこう話してくれた。

彼女のお家は神職で、猫や犬を飼う事ができない事情があった。小さい頃、境内に捨てられた子猫を川に捨てに行く、その役目が辛かったそうだ。

動物好きな小さな女の子に、そんな役目を課した神職の父親というのがそもそも許せないという気がするが、それを聞いて私は母を( そして、本来猫嫌いだったのに、母の為に一生懸命猫の世話をした父を )、心の底から誇りに思った。

Kさんのような悲しい思いをせずに育った事を、両親に感謝した。

 

うちの猫たちが病気で全滅した後、母はもう猫を飼いたいと言わなかった。

東京の私の部屋を訪れた父が、ポストカードや雑誌の猫の写真を切り抜いて小さな額縁に入れたのを見て、「やっぱりママの子だな。」と笑った。

 

この記事を書きながら思った事がある。

もしかしたら、私が好きだったのは”猫”ではなく、あの時母が愛した”うちの猫たち”だったのかもしれない。

一人っ子だった私の永遠のライバル(笑)、しょうがないなぁ....ちょっとだけ遊んであげる、、殆どいつも完全無視を決めこみながらも、気が向くと私の相手をしてくれた”うちの猫たち”。

 

懐かしさと、ちょっぴり恨めしく思う気持ちと、遠くに残して自分だけここに来てしまったような悲しさと、いろんな言葉にできない気持ちがごちゃ混ぜになって、何だか泣きたくなるほど会いたくなった。

 (写真の私は、いったい何をしたかったんだろう....謎だ・笑)   

 

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2012年

4月

27日

猫~Part1~

新潟の私の家には、昔、猫がたくさんいた。

ハンパじゃない数だ。一番多い時で10匹はいたかもしれない。

もっとも、家の中にいるのはそのうち数匹で、あとの猫たちは、食事時になるとどこからか戻ってくる、という感じだった。

 

こうなってしまったのは、母が原因だ。

捨て猫が可哀相でほっておけなかった事、雌猫には女と生まれたからには一度は子どもを産ませてあげたい、なんていう女性人権...いや猫権活動家のような勇ましい事を考えた事、そのうち避妊手術などの管理が面倒くさくなっちゃった事、その他いろいろ...。

結局のところ、母はとても気持ちが優しい人なのだが細かいことはあまり考えないし、父が本当に頼りになる人なので、困ったらなんとかしてくれるみたいな気持ちがあったのだと思う。

 

おかげで、父と私は本当に大変な思いをした。

今でも父と時々、「いやぁ、あの時は...」なんて、笑いながら思い出話をする。

父に比べれば、私の苦労なんて微々たるものだが....。

 

私が一人っ子だというと、「さぞ大事にしてもらったんでしょう。」とたいてい言われるが、とんでもない、わたしには強力なライバルみたいな兄弟たちがぞろぞろ居て、母の愛情はどちらかというとそちらに行っていたと思う。

学校の宿題ノートをテーブルの上に広げておいたら、目を離した隙に兄弟の一匹がその上に毛玉を吐いてしまい、私が泣くと母は「そんな所に出しっぱなしにするのが悪い!」と叱った。

小学生の時、文集に私の作文が載った。家族の事を書いたのだが、たぶんわざと猫の事を書かなかった。母は嘘の作文だと言って一言も誉めてくれなかった。

母にとって猫たちは家族だったのだと思う。

 

こう書くと私がえらく彼らを嫌っているように思われるが、私にとって、あの時いつもまわりに居た猫たちは間違いなく私の兄弟姉妹だった。

( 本当を言えば、みんないなくなっちゃえ!なんて何度も何度も思ったけれど....笑。)

 

同じ親から同じ時に生まれても、子猫は一匹一匹、性格が見事に違っていて、臆病な子、好奇心旺盛な子、弱い子、強い子.....個性は観察していると本当に種々様々だ。

猫の世界の強者・弱者の争いは苛酷で容赦がなく、戦いに負けて尾っぽがだらりと垂れ下がってしまった雄猫に、慰めようにも言葉が通じないから、ただ側に座って、”頑張れ、私も大変なんだ” なんて随分独りよがりな応援を心の中でつぶやいたりもした。

 

だから先日、facebookのリンクでたまたま見た「飼っている猫を魚と思って見ている」というブログの記事を読んで、思いっ切り悲しくなった。

無性にうちの猫たちの事を書きたくなった。

もう思い出でしかないけれど、愛憎悲喜こもごも、もの言えぬ家族の事を書きたくなった。

 

という事で次回に続く、また長くなっちゃいそうなんで(笑)。

 

( 時代を感じる.....笑 ) 

 

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2012年

4月

21日

テレビ

我が家にはテレビがない。

そう言うと、一年くらい前はたいてい「えっ?」という反応があった。そして「どうして?」と聞かれたものだが、最近ではあまり「どうして?」と聞かれない。

 

先日、ライブが終わって帰り道、深夜でがらがらの車内にベースのYくんと並んで座っていた。

ニュースや広告やプチ講座やらを文字と鮮明な画像で絶えず流している車内テレビ放送を、気付いたら二人とも無言で食い入る様に見つめていて、それが我ながら笑えて、「Yくんちもテレビないの?」と聞いたら、「はい~」って照れ笑いしながら答えていたが、その答えを聞いて私も「どうして?」とは聞かなかった。

 

ニュースはインターネットで見ているし、面白そうなドラマがあったらDVDでまとめて見ちゃうし、バラエティー番組はタイトルからしてつまらなそうでスポーツは最近お気に入りのチームがない。

たまに実家で見るNHK国会中継も、小泉進次郎くんの質問真っ最中に( 無礼にも!)いきなり終了してしまうし(笑)....とにかくテレビに期待するものがほとんどない。

 

それでも時々、BBCとか海外制作のドキュメンタリー番組が無性に見たくなる。

日本人の想像をはるかに超える世界の苛酷な現実や、知らされる事のなかった歴史の中の事実がたくさん報道されている。

数年前、まだうちにテレビがあった頃に見た、そうした海外のドキュメンタリー番組の衝撃的な映像は今でもはっきりと覚えている。

 

第二次世界大戦中の反ナチスの活動を証言するスパイたち、1994年のルアンダで国連がやった事( やらなかった事 )、イスラム世界で今も行われる名誉殺人を逃れて生きる女性たち、犯罪被害者の遺族と犯人である受刑者が一緒にバス旅行するアメリカ民間の試みのルポ.....。

 

世界中で、過去にそして現在もたくさん起きている、特に戦争や地域・民族紛争といった複雑で難解な問題を、冷静に事実のみを取材して視聴者に伝えようとするこういうドキュメンタリー番組が、日本の国営・民間放送でなぜほとんど作られないのか、すごく不思議に思う。

調査報道は日本では難しいという事? どうして難しいの?

 

YouTubeにアップされているドイツの国営放送・ZDF制作のドキュメンタリー番組「フクシマのウソ( 原題:Die Fukushima Luge )」が、最近ネット上で話題になっている。

( http://www.youtube.com/watch?v=4Z38NR0mn_M )

この番組は、日本社会の中の巨大な排他的利益集団「原子力ムラ」の実態を暴いている。

なぜ、日本の放送局じゃないの?。

日本の国内の真実さえ報道できないマスメディアって一体なんなのか....。

 

調査報道を遠ざける日本の報道体制、その中で生きるジャーナリストたちは何を信じて仕事をしているのだろう。

政府発表、官庁発表を全てとする事なかれ主義と、捏造・煽動を懲りずに繰り返す悪質な学者や評論家たち。

何を信じたら良いのか分からなくなっている私たちと、何を信じて仕事をしていったら良いのか分からないジャーナリストたち、、もしそんな構図なら、本当にテレビは要らない。

 

ジャーナリズムも政治も経済も、正義を追求する気持ちのない人が支配するようになったら終わりだと思う。

 

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2012年

4月

15日

誕生日

ちょっと前になるが、前々月24日は私の誕生日だった。

偶然、新潟の実家に帰っていた時だったので、昼ご飯を食べながら両親に言ってみた。

「ねぇ、今日はあたしの誕生日だよ。」

父「おう、そうか、誕生日か!」

母「へ~、今日は24日なの?」

私「うん。.....」

 

まぁだいたいこの流れは予想できたので何も思うところはないのだが、後日ふと考えてみて、うちって変わってるのかなぁと思う。

小学生じゃあるまいし、今更”お誕生日”もないでしょうと思う人もいるかもしれないが、うちでは、私が小さい頃から家族の誕生日を祝うという習慣がない。

夕ご飯のおかずがちょっと豪華になるくらいはあったのかもしれない。でもそうだったかもしれない、と記憶の彼方に朧げに浮かぶ光景は現実とも想像ともつかない(笑)。

 

悲劇なのは、お祝いのプレゼントと誕生日とがほとんどむすびつかないまま、大学卒業後、某大手音楽教室という文字通り女の園(笑)のような職場で働くことになった事だ。

2/24、何が何だかわからないうちにたくさんの素敵なプレゼントを貰って、へ~あたしって人気あるんだなぁ....なんて能天気な大誤解をした。

だいたい人の誕生日なんて、たとえ大好きな男の子であってもほぼ関心が無かったから、友達の女性講師たちが大切なイベントのようにお互いの誕生日を手帳に書きこんでいると知って、本当にびっくりした。

その上、私にとってプレゼントというのは、大変な好意か特別な感謝の結果であって、社交的な意味合いのプレゼント交換という概念がなかった。

おかげで講師仲間では“変な人”になっちゃった訳だ(笑)。

 

そういう洗礼を受けた後、実家のすぐ近くにステーキ屋さんができて、”ご家族のお誕生日に割引と記念撮影をサービス!”とあったから、そのお店が閉店するまでのかなり長期間、毎年、誕生日近くには必ず新潟に帰って家族でステーキを食べに行った。

父も母も私も、誕生日を祝うというよりは、美味しいステーキを食べて『みんなで写真を撮る』という事が最重要事項なのであって、「お誕生日おめでとう!」てな祝辞はその為の確認事項だったような気がする(笑)。

 

 

今思うのは、私の誕生日は、母がそれまでの人生で一番大変な想いをした日であり、父がこれから背負う大きな責任をかみしめた日であり、私にとっては最大の感謝の日だという事だ。

好きな音楽を思う存分やって、好きな仲間と一緒に仕事をして、好きな場所に住んで、好きな文章をたくさん書いて....。好きな事だけを、本当に思いっきり我が儘にやってきたなぁと思う。

 

六月と七月、母と父の誕生日がある。

いつもどおり電話で「おめでとう!」と言うだけなのだが、電話の向こうの明るい声を聞きながら、最近は何だか妙に切ない気持ちで胸がいっぱいになる。

そして、そんな気持ちになる事自体が申し訳ないような、どうにも説明しようのない心持ちに自分ながらとまどってしまうのだ。

誕生日をお祝いするのは、キリストと天皇だけでいいのではないかと正直思う。

  

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2012年

4月

08日

うちのベランダから桜を写した。

 

もうほんのちょっと右の方に歩くとささやかな桜並木があるのだが、離れてひっそり咲くこの2本の桜が、何だかとっても"けなげ”だ(笑)。

群れずに気高く、何も気負わず誰とも競わず、その時を精一杯いさぎよく美しく咲く....。

そんなめちゃめちゃ感傷的な思い入れをついしてしまうほど、桜は私たち日本人にとって特別な花だ。

桜の木の下で大騒ぎをしている人間たちとはまったく違う次元で花を咲かせ散らしているかのような、ある種、哲学的な高尚ささえ感じてしまう。

 

秋の虫の声といい、外国人にとっては理解を超える日本人独特の感性かもしれない。

 

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2012年

4月

02日

鍵盤が....!

毎週日曜日、ピアノのレッスンをしている沼袋の音楽教室。

YAMAHAのグランドピアノがあって、レッスンが終わると大概、指が疲れてよれちゃうまでたくさん練習して帰るのだが、先週、大事件が発生した。

鍵盤がいきなり割れちゃったのだ。

 

中央Cより1オクターブ上のCの鍵盤が、黒鍵のちょうど下の部分から横にパキッと割れて、あっと言う間もなくポ~ンと目の前を飛んでいった。

えっ!としばらく何が起こったのかついていけず、半分むき出しになった木の鍵盤をぼんやり眺めて、それから飛んでいった割れた白鍵を見つけて元の場所にはめてみて、やっぱこれ、割れちゃったんだよな.....となかば茫然と確認して、教室のオーナーに電話で報告した。

 

「明日、そちらに行きますので、そのままにしておいて下さい。」

 

後日、メールで「大丈夫でしたよ!」と連絡をもらっていたけど、ずっと心配だった。

昨日、一週間ぶりに教室に行った。

生徒さんも気付かないほどに直っていて本当にほっとした。( アロンアルファでくっつけたそうだ!)

図解すると(笑)、白鍵の、ほんの少しだけ木鍵から浮いていた薄いプラスチック板の先端部分が指に引っ掛かって上に押し上げられ、一瞬の勢いで割れてしまったらしい。

 

友人に「鍵盤が割れちゃってさぁ....」と言ったら、「みっちゃん、どれだけ激しく弾いたのさ?」って言われたから、「そうじゃなくて....」と事情を説明しようと思ったけれど、長くなりそうなのでむにゃむにゃ言って終わりにした(笑)。

 

とにかく、先週日曜日は久しぶりに焦った....。

 

 

 

 

( 髪の毛くらいの跡があるけど、よく見ないと分からないよね?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年

3月

27日

電車の中

ずっと以前、外を出歩く時には大概いつも、ヘッドフォンで音楽を聴いていた。

地下鉄なんかに乗ると低音がかなり聴きづらいのだが、意地でも(笑)、音楽を聞き続けていた。

 

それが、PCで音楽を作りだした頃から、特にカラオケの仕事が殺人的に忙しくなった頃くらいから、外でヘッドフォンをほとんど使わなくなった。

カラオケ・データを作る時は、イヤフォンで楽曲をコピーしながらどんどんデータを打ち込んで、ステレオフォンで音源のバランスやpanを確認するというやり方だったから、ヘッドフォンの消耗度は半端じゃなかったし、難聴になっちゃうかも、、という不安がいつもあった。

カラオケは1000曲以上作ったんじゃないかな...。

今思えば、その間、朝から夜中まで”音”を、自分が選んだ好きな音楽ではない”音”を、ずっとヘッドフォンで聞き続けていたと言えるのかもしれない。

 

最近は、外を出歩く時には街の音を聞く。

歩道を歩く親子の会話やお店から聞こえる威勢のいい掛け声、商店街にかすかに流れる懐かしい音楽や、遠くや近くを走るたくさんの自動車が出す都会の通奏低音のようなぼんやりとした音。

中でも格別なのが電車の中だ。

耳をそばだてている訳ではないけれど、自然と面白い話がいっぱい聞ける(笑)。

 

「おまえ、”みのうえしょ”、もう書いた?」

「いや、まだだけど、あの”みのうえしょ”って、書くの難しいな!」

 

ん~、それは”みのうえしょ”じゃなくて”しんじょうしょ(身上書)”だよ。身の上相談と同じ漢字だけど...。

ものすごく可愛い女子高生が友人たちに、”筋肉痛をいかに克服して立派な筋肉を作るか”について熱弁をふるっていたり、上品な初老のご婦人が、巧妙な手口の振り込め詐欺に危うくひっかかりそうだった話をとても美しい日本語で話していたり....。

つい先日、ちょっと興味深かったのは高校生の男子グループの会話。

 

「コンビニで美味そうな弁当とか買ってさ、一人で食べるのって最高だよな!」

「え~? それって寂しいだろ。やっぱ家族とかみんなで一緒に食べるだろ、ふつ~。」

 

最初に言った男子はみんなにやり込められていたけれど、私が高校生だった頃、一人でいるのが寂しいっていう感覚はほとんど無かったと思う。

友達と騒ぐのも好きだったけど、一人でいるのも大好きだった。

一人で自分の好きなものを食べるって、私も最高だと思うけどね....。

ただ、女で私みたいな事を考える人は、間違いなく婚期を逃しちゃうような気もする(笑)。

 

そんな電車の中で、ちょっと腕が当たったり足を踏みそうになって、慌てて「ごめんなさい!」と声を掛けた相手がヘッドフォンをしていると、まったくこちらを見向きも振り向きもしてくれない。

その時は、ちょっとだけ寂しい気分になるかな....。

 

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2012年

3月

18日

Jazz同窓会

昨日は、青梅線小作駅前にあるライブハウス、”ロッククラブ”で10数年来のJazz仲間たちと久しぶりのライブ。

「お~、久しぶり。」てな簡単な挨拶で始まった演奏は、予想どおりめちゃめちゃ楽しかった!

Tpのふとちゃん、Bassのルーピー、Dsのマレッティー、そして初めてお会いしたSaxの太田先生( ドクターだそうです )、飛び入りのトランぺッター国夫くん、そしてお店のボーカリストまこさん。

 

”ロッククラブ”って名前でちょっと思っていたイメージとはまったく違って、マスターの垢抜けたセンスがあちこちで光る店内は、”Jazzのお店”って言ってもいいくらいのJazzyな雰囲気がいっぱいで、リハの時から何だか嬉しくなってしまった。

ふとちゃん、ルーピー、マレッティー、いい年のおじさん( 失礼!)をこう呼ぶのも凄いことだが、私も凄いことに”ミッチー”だ(笑)。

 

この人たちと出会わなかったら、今、私はJazzをやっていなかったと思う。

大学のJazz研とか( なんで研究会?)、Jazz評論家とか( 評論するんだったら一度演奏してみましょう!)、公民権運動からJazzを語る人たちとか( 音楽に政治を持ち込むの?)、とにかく面倒くさいJazzとは何かみたいな定義を飛び越えて、ただJazzは楽しいねって最初に教えてくれたのが彼らだ。

気持ちの良い音を出す、本当にただそれだけの事なのだと教えてくれた。

良い出会い方を最初にしていたからこそ、今までずっと楽しくJazzを続けてこれたのだと思う。

 

社会的な仕事をきちんとやりながら、趣味としてJazzを続けている彼らを見ていると、音楽を仕事にする事の意味や矜持を考えてしまう。

音楽と、生きる事とを切り離して考える事が出来ない私に、選択の余地はまったくないのだが....(笑)。   

 

飛び入りでトランぺットを演奏してくれた国夫くんは、なんと13歳、中学1年生だ。

これから沢山の練習と勉強と経験を楽しんでほしいと思う。

こんな若さで、ここまで表現する力があるなんて本当にびっくりした。

 

 

 

 

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2012年

3月

11日

3.11

森鴎外の歴史小説で『最後の一句』という短編がある。

江戸時代の実話を基にしたもので、死罪になる父の命を救う為に身代わりになろうと奉行所に願い出た”いち”という16歳の少女が、お白州での取り調べで役人に向かって最後にこう言う。

「お上の事に間違いはございますまいから。」

 

この言葉について、権威への痛烈な皮肉とする意見がある。

鴎外自身、ドイツ留学後一生にわたり高級官僚として権力の内部にいて、日本の官僚たちのある種の愚かしさを苦々しく思っていたに違いない。その意味では、まさに皮肉であったかもしれない。

 

でも、私はこの言葉は、”仁徳天皇の「民のかまど」の話”がいまだに語り継がれているように、日本人が心の奥底に持つ上に立つ者への信頼と畏れを、鴎外が改めて確認した言葉だと思う。

崇高な自己犠牲の境地に至った”いち”が、大丈夫ですね、全てをお任せします、と伝えた言葉の中に、権力への批判、あるいは『反抗の鋒(ほこさき)』を感じたのは受け取る役人側の問題であって、古来日本人は、上に立つ者はその責任を負うことを知る人であると思ってきた。

 

大家といえば親も同然、村人たちの命を救った庄屋さま、幕府の役人も政党の党首も、役目上、様々な知識を持ち、下の者や国の事を考えている人なのだという理解が一般にあったと思う。( もちろん例外はいっぱいあっただろうけれど....。)

その時は受け入れられない事であっても、あるいは不当と思える事であっても、それが相対するもう一つの是認されるべき解答なのだという思いが、”いち”にしろ、尊王攘夷派の武士にしろ、安保闘争の学生にしろ、権威に対する諦めや反発と共にあったはずだ。

 

上に立つという事は、信頼に対する責任を負うことだ。

その信頼を得て政治家になった人が、突然道を踏み外したり、謝った選択をする事は過去にもたくさんあったし、信用をお金で買えると勘違いした人もいただろう。

それでも、国家・市民を想う人が政治家になるという認識は小学生ですら持っていた。

それが、3.11の大災害と共に崩れ去った。

 

目の前の敵を倒すことだけが信条の人が、私たちが心の奥底に潜在意識のように持っていた上に立つ者への信頼をめちゃめちゃに壊した。

我が子を守ろうとするお母さん達は、「政府の言うことは信用できませんから。」と言う。

子ども達までが日本のトップを嘲笑した。

「お上の事に間違いはございますまいから。」という少女の言葉を書いた鴎外が、今の日本を見たらいったい何を思うだろうか.....。

 

今、懸命に頑張っている野田首相や若いやる気のある議員や官僚の方々は、どうか、この国がどれだけ有能な人達の努力で支えられているかを、もう一度、私たちに思い出させてほしい。

そして、それが本当の真実であると、私たちに心から信じさせてほしいと思う。

 

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2012年

3月

04日

女の香り

新潟の長年来の友達が、センテッドスティックをプレゼントしてくれた。

こういうものを見るのは初めてだったので、インターネットで検索してみた。

 

『アロマリキッドの入った瓶に、木製のスティックを差し込んで、スティックににじんだほのかな香りが、優しく空間に広がります。スティックの本数を変えることで、香りの微調整が可能です。』

 

頂いたのは「purerose」の香り。

ちょっと甘いバラの香りのするセンテッドスティックを、一緒に貰ったレースのポシェチーフ( これも初めて見た....一見ハンカチで中に小物を入れるポケットがついている )の上に置いてみた。

何だか、あぁ、あたしって女の人よねぇ....てな優雅で感傷的な気分になった。

 

いつも人から言われるのは、凛々しいとかきりっとしてるとか男らしいとか( どういう意味?)、立っているだけで偉そうだとか( これはひどい!・笑 )、宝塚の男役じゃないんだし、、と思うのだが、たぶん私自身、あまり女性という事を意識してこなかった気がする。

友人たちからは、もっとお洒落したら、とかもっと美容院に行って、とか言われるけれど、今いちピンとこなかった。

それなのに!バラの香りとレースで、なんかむくむくとわき上がってくるこの不思議な気持ち(笑)。

あぁ、あたしって女の人よねぇ....。

 

もっとも、バラの香水をつけてレースのいっぱい付いたドレスを着るのは絶対に絶対に無理だと思う.....。

 

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2012年

2月

27日

イズイズのこと

先日、「ブログの写真、見ましたよ!」と声をかけて頂いた。

なんとも恥ずかしい....でもすごく嬉しいむずむずの気分(笑)になった。

 

ギャラリーにある一連の写真は、このブログの開設でお世話になったYukoさんと、私のピアノを応援してくれている、私にとって恩人のような存在であるイズイズ( これはご近所仲間公認の愛称らしい...)、彼女たちのパワーとセンスであれよあれよという間に形になって、ほとんど私じゃないような(笑)めちゃお洒落な写真になった。

お二人への感謝の言葉はまた別の機会に譲るとして、今日は純粋に一友人として、驚くべきイズイズのスーパーウーマンぶり! を書きたいと思う。

 

スーパーウーマンと言っても、格別力持ちだったり、とんでもない才媛だったりするわけじゃない。

彼女は、例えて言えば、江戸八百八町・町火消し”め”組のしっかり者の姐さん、でもどこかおきゃんな娘っぽさが抜けきれなくて....な~んて人情話の主人公みたいなのだが、時代劇に出てくる江戸っ子よりはずっと上品だし奥ゆかしい。

それじゃあどこが”驚くべき”スーパーウーマンかというと、私が本当に何度も”驚いた”からだ(笑)。

 

最初にちょっと驚いたのは、J.J.Nashでトリオのメンバーと話していた時。

メンバーが以前に話したことやその時の服装・髪型等、細かな状況を彼女は実に良く覚えていて、凄!ジェイソン・ボーンみたいだと思った。( ジェイソン・ボーンはマット・デイモン扮するCIAスパイ-『ボーン・アイデンティティー』)

何しろ私は、何年も付き合いのある知人が眼鏡をかけていたかどうかも忘れてしまうほど、服装・髪型に関しての記憶力がほぼゼロに近い。

サスペンス・ドラマでよく出てくる犯人の目撃証言なんて、もし実際やる事になったりなんかしたら成果は限りなく絶望的だ。

 

次に驚いたのは、その話題が多方面にわたること。

山本くんと芸能界ネタ、林くんと経済の話をして、マスターと米TVドラマで盛り上がり、私の大好きな政治論議(笑)でもちゃんと意見を言う。だいたい好きな政治家が大平さんだなんてかなりの政治通だ。

feminizumも落語も超能力もOK、趣味も多方面にわたる。

彼女は jazz vocal を習い始めて、最近は私のライブでも飛び入りで歌ってくれるのだが、ある日、歌う前に自作の俳句を披露してくれた。

後で聞いたら小唄も習っていたそうで、踊り・ダンス関係もずいぶん上手そうだし、いったいどれくらいの趣味があるのか見当もつかない。

 

決定的に驚いたのは、冒頭に書いたブログの写真撮影の時だ。

イズイズは、ファッションの流行を押さえつつそれほどお金をかけなくても素敵に見せる技をいくつも知っていて、アドバイザーとして企画段階からいろいろなアイディアを出してくれた。

ところで、私の一番の苦手分野がファッションだ。

洋服を買いに行く時は前日から気が重い....。膨大な数の洋服から四苦八苦して選び、試着室で格闘して、店員さんのお世辞を半信半疑で聞き流し、ようやく決心してカードのサインをする時はすでに汗だくだ。

家で、たまったDVDや本を相手にしている方が数倍楽しい。

それなのに、街に出てゴージャスに着飾った女性や可愛らしくお洒落をした女の子を見ると、ほ~っと思わず感嘆の声をあげてしまう。これじゃまるでおじさんだよなぁ....。

さて、撮影の最中に、私はいきなり髪型をアップにしたいと思った。アップにするにはそれなりの道具が要る。

イズイズはちょっと考えて、そこらへんにあった鉛筆を使ってするするっとアップにしてくれた。

事ここに至って、私はめちゃめちゃ彼女を尊敬した。

 

一ヶ月後、めでたくブログを開設し、私は最初の記事に”鴎外や源氏物語が好きです”と書いた。それを読んだイズイズが私に言った。

「田崎さんは源氏の女性たちの中で誰が一番好きですか? 私は花散里が好きです。」

むむ、源氏も守備範囲かぁ....。

「田崎さんは森茉莉とかも読みますか?」

わっ!そこまで行くか.....。( 森茉莉は鴎外が溺愛した長女・作家。)

 

ね、驚くでしょ?

でも私が何にもまして尊敬の念を惜しまないのは、彼女が、愛する家族-ご主人と2人の息子さんにとってまさに太陽であることだ。

家族の中心で常にみんなを明るく暖かく照らす太陽であるということは、そのこと一つでとても特別な才能なのだと思う。日本の社会はその才能をもっと評価して良いのだと思うし、”驚くべきスーパーウーマン”は、実は、私の周りに何人もいるのかもしれない。

 

それにしても、イズイズの知的好奇心はまるで中身のいっぱい詰まったびっくり箱だ。驚かされるのはめっぽう面白いし、jazzの他にも私と共通の話題がたくさんある。

今度、落合福嗣くんの自伝を貸してくれると言っていたけど、笑いのツボが同じなのもこれまたかなり嬉しい(笑)。

 

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2012年

2月

20日

オリジナル2

今日は、東小金井J.J.Nashでピアノ・トリオのライブ。

『Why Do You...?』というオリジナルを初演奏する予定なんだけど、今からドキドキだ。

 

だいたい、スタンダードの名曲を演奏するのと自分の曲を演奏するのとでは、天と地ほどの気持ちの差がある。

何十年も生き続けてきた曲のもつ凄さというのは、もうほとんど感動的だ。

三ツ星レストランで食事をするような、ゴージャスな緊張感と懐の深い安心感がある。

一方、オリジナルには自分の世界を一部披露するみたいな感覚があり、それを一緒に演奏してくれる仲間や聞いてくれるお客さんがいるということは、これ以上ない幸せで嬉しいことだと思う。

ただ、あんまり自信があるわけではないから演奏する時の気持ちはほとんどおっかなびっくり、大丈夫かぁ....だ(笑)。

何回も演奏して本当に自分の歌になったら、きっとめちゃ楽しいんだろうな....。

 

さて、この『Why Do You...?』は、jazzをやり始めて数年の頃に作った曲だ

当時は国立に住んでいたのだが、しょっちゅう多摩地区の仲間と集まってはセッションで遊んでいた。

なんとも楽しい時間で、この時代があったから、それまでチャーリー・パーカーさえ知らなかった私でもjazzを演奏する面白さを知ることができたのだと思う。

 

この仲間が私を除いてみんな男性で、こういう状況は仕事でもほとんどそうだったから別に違和感はないのだが、仕事じゃなく遊びとなると、まぁなんというか、男と女の違いみたいなのがいろいろ些細な事で出て来て、それが結構面白かったりびっくりしたり、そんな気持ちが「あんた、どうしてさ....」となった訳だ。

 

Why Do You....の後ろには、もうたくさんあるのだが、例えば、男の人はなんで俺とか僕とかわしとか私とかおいらとか拙者とか( これは無いか..笑 )、微妙に使い分けるんだろうか。

なんで道に迷って右往左往している状況で、ビビアン・スーの写真集を本屋で見つけてみんなで盛り上がれるんだろうか。

等々、今に至っても解けない謎(笑)がいくつかある。

 

でも、男の人も女性に対して、”Why Do You...?”と絶対思っているに違いないし、たぶん聞かれても、だってそうだから仕方ない!と答えるだけだから、あまり実りある議論になりそうにない。

 

”どうして....”は聞かない方がお互いの為ということだ(笑)。

 

あ...、そろそろライブの練習をします!

  

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2012年

2月

16日

不思議なこと

前回、母の超能力(...?)の記事を書いていて思い出したのだが、私にも不思議な体験が二三ある。

その一つが、『お風呂での対話』だ。

 

当時、スタジオ録音の楽曲アレンジやカラオケの打ち込み仕事とかで、飲まず食わずの徹夜はしょっちゅうだった。

事務所で毛布にくるまって仮眠をとりながら譜面を書いたり、催促の電話に悲鳴をあげながら打ち込みデータを締め切り寸前、ぎりぎりで送ったり、こんな事続けてたらそのうち病気になるなぁ、なんてぼんやり考えながら、とにかく目の前の仕事を必死にこなしていた。

なんとか間に合わせなきゃ、寝る時間、食べる時間を削ってでもちゃんとした仕事をしなきゃ....、強迫観念のように思っていた。

 

その日は、徹夜が3日に及んでその間ほとんど食事らしいものも摂らず、ようやく期限に間に合ってそれこそぼろぼろの状態でお風呂に入っていた。

意識がもうろうとする中で、ふいに頭の中に声がした。その声は、恋愛や仕事・人生に関する様々な命題を問いかけて、私が一生懸命考えて答えるとさらに違う問いかけをして、不思議な、一種哲学的な対話がしばらく続いた。

そして最後に、ある”謎の言葉”を残して対話は終わった。

お風呂の中で寝ていた訳ではなく、半覚醒状態というよりは頭の中だけが違う次元にいる.....というかなんとも説明しがたい感じだった。

「それって危ないんじゃないの~?」

自分でもびっくりして友人たちに話したら、予想どおり”危ない幻聴”という事になった。まぁ、それしか説明がつかないよな....。

 

実は、この声を聞いたのはその時が初めてではない。ただずっと忘れていた。

それよりかなり前、ガリガリに痩せてしまう程のストレスに苦しんでいたさなかだ。

この時はお風呂ではなく、アパートのロフトに上がって不眠症と戦ってなんとか眠ろうとしていた。

ふいに周りに優しい感じがして、例の”謎の言葉”が頭の中に響いた。

全くまともに考えなかったし、ずっと思い出しもしなかった。自分の心が助けを求めて想像したものだと思ったから。

 

そしてついこの間、年末だったか、3回目の対話体験があった。

極限状態やストレス状態ではなく、普通にお風呂に入って、声と対話するというよりは自問自答という感じで、あれこれいろいろな事を考えていた。

そして最後に、あの”謎の言葉”を聞いた。聞いたというよりは、ある言葉がふわっと頭の中に浮かんだ。

あっ、と思ってこの時にようやく、はるか昔に2回、同じ体験をした事を思い出した。

 

声というよりは、心の奥底に眠っていた潜在意識というやつなのかもしれない。

ただ、その”謎の言葉”の意味する事が未だによく分からない。

この先、何年も生きてみて、”ああ、この事だったのか”、と気付く時が来るのか、あるいは、”昔そんな事があったなぁ”、となんの意味も無かったことに気付くのか、どちらにせよ、また忘れてしまわないうちにここに書いておこうと思った。

 

前回と今回、母の超能力と私の不思議体験。変な親子だなぁ....友達でいるのやめとこっかな、な~んてどうか思わないでほしい....(笑)。

 

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2012年

2月

09日

超能力

私が東京で音楽の仕事を始めた頃、だからずいぶんと昔のことなのだが、お盆で帰省した私に母が面白いことを言った。

「あのねぇ、あたしには小さい頃から何だか不思議な力があるんだよ。誰だったかの葬式の帰り道にうちのばあちゃんがどっかに数珠を落としてね、あたしが走ってすぐに見つけてきたんだ。どういう訳かどこに落ちてるって分かったんだよ。」

ふ~ん、それって遠隔透視ってやつかな、でもまさかうちのママが超能力者なんてねぇ....。

 

母には、それは父も認めていることだが、何だかよく分からないけど、とてつもなく運が良い人、というイメージがある。

別に、一億円の宝くじを当てたり株で大儲けするわけでもないし、母の人生で格別ラッキーだったことなんて、私が知る限りほとんど思い浮かばないのだが、でも何か、他の人にはない特別な感じは昔から確かにあった。単に”変人”てことではなく....(笑)。

 

でもだからといって、超能力なんてものがこの世に存在するとはとうてい思えない。

もし本当にあるのなら、世界中の科学者たちがとうに研究しているはずだ。

 

と思っていたら、先日、心底びっくりする映画を見た。

『山羊と男と男と壁と』( 2009年/米・英 )、主演はジョージ・クルーニー、ユアン・マクレガー、他にジェフ・ブリッジス、ケビン・スペイシー。     

何とも凄い豪華キャストのわりにあまり話題にならなかったし、驚くようなスペクタクルも涙あふれる感動もほとんど無し、緩いコメディともシニカルな反戦ものともつかない摩訶不思議な映画だ。( 私はこういうの結構好きだなぁ...)

 

冷戦時代に米軍に実在した超能力部隊の関係者に取材したノンフィクションが原作、ということなのだが、米ソ冷戦当時、ソ連もアメリカも軍事目的の超能力研究・開発を秘密裡に行っていたらしい。

まぁ確かに、スパイが超能力者だったら情報収集もかなり楽だし、相手国の潜水艦や秘密基地の位置が透視で分かるなら莫大な経費削減になる。

でも、何だか嘘くさい話だよなー映画のコメントを見てもほとんどの人が半信半疑だ。

 

More of this is true than you would believe.( 信じられないほど実話に近い物語 )

映画の冒頭、この一文が出る。観客に念を押す、それほど信じられない実話だということだ。

 

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何が心底びっくりしたといって、この嘘のような話を、私は20年以上も前に友人から聞いていた。

幽霊話かなんかで盛り上がっていた時にふとその彼が、

「僕の知り合いの人( だったかその友人 )が凄い霊感があってさぁ、とにかく何かいろんなものが見えるんだって。池袋の古いビルでエレベーターの扉が開いた瞬間、戦時中のものすごい火事の映像が見えたりさ....。その人、こないだアメリカの超能力とかやってる研究施設に連れていかれたらしいんだよね。ソ連も同じような事やってるんだって。」      

 

その話を聞いた時は、へー、都市伝説だなと思って本気にしなかった。

でもこの彼が連れていかれた研究施設が、映画の中の超能力部隊関連だった可能性はある。

20数年前の友人の話は、信じられない実話だったということかもしれない。

もう一つ。

イラク戦争で、国防長官ラムズフェルドが終始強硬にイラクにあると主張した大量破壊兵器。

あそこまで彼が強く確信する一因に、進化・精鋭化して存続する米軍・秘密超能力部隊のレポート結果があった、な~んて、こっちは私が考えたただのSF(笑)。でもそんな荒唐無稽な話をあれこれ空想してみるのもなかなか楽しい。

 

さて、お盆で帰省した私と母の会話。

小さい頃から不思議な力が云々....と話した母が、「あたし、これから起こる事とか少し未来の事とか、なんとなく分かる時があるんだよね、たま~にだけど。」それからまじっと私の顔を見て言った。「おまえ、ずっと独りだわ。」

 

え~~っ!! そういう事、ふつう母親は娘に言わないんじゃないの~?!

まぁ、結婚願望が100%なかった当時の私は予知能力の話の方が面白くて、「本当~?ふ~ん....」と疑わしげに母の顔を眺めた記憶がある。

今になってみると母の予言は完全に当たった訳で(笑)、もしかすると、信じられないほど身近に”超能力者”がいたのかもしれない。

 

何がどこまで本当なんだかさっぱり分からないが、超能力は遺伝しないという事と、もし超能力があっても人生であんまり役に立たないという事だけはどうも事実らしい。

 

( 今回、かなり長文になっちゃいました...。ごめんなさい!)

 

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2012年

2月

02日

雪、雪、雪...。

月末に、4日間ほど新潟に帰った。

 

市内は何十年ぶりというほどの大雪で、毎日雪かきをした。

新潟市在住の友人いわく、”今シーズン、雪かきはいわばウインタースポーツ、市内はほとんどアイスリンク状態!”

実際、日陰の道の雪は固く凍ってツルツルで、道行く人はみんな足下を確認しながらゆっくりゆっくり歩く。

それでも市内のバスなどの交通網はほぼ平常通りで、積雪量はテレビで見る山あいの町の豪雪とは比較にならない。

日常生活もままならなくなるほどに雪に埋もれてしまう地域の方々の苦労はいかばかりか、と思う。

 

これほどの大雪は久しぶりなのだが、見知らぬ人と道をお互いに譲り合い「お気をつけて」と声を掛け合ったり、町内お隣さんの助け合いや頭が下がるほどの気遣いに接して、ああ、新潟の人はこうだった、と改めて私たち”雪国の人間”の気質を再確認した気がする。     

 

何だか遠い昔を思い出すような、懐かしい気持ちになった。

  

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2012年

1月

29日

嵐の前の静けさ

28日(土)昼間の三鷹ソニドのセッション。

震災以降、久しぶりに顔を見せてくれたギターの良知さんと和やかに記念撮影。

 

この後、どうしたことか続々とプレーヤーが集まってきて何だかすごい事に....。

セッション最後の全員参加『now's the time』は、ホスト・ベースのダイスケくんが「big band状態だ...」と呟いていた。

みなさん、寒い中を来て頂いて、本当にありがとうございました!

 

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2012年

1月

27日

オリジナル

先日、沼袋オルガンJazz倶楽部で、城谷雄策さん(Tp)、小杉敏さん(Bs)とライブだった。

 

このトリオは、一昨年の暮れ頃から3ヶ月に1回のペースで続いている。

その前はドラムも入ってカルテットだったのだが、お店のグランドピアノの音色がとても美しくてPAを通したくなかった事( ドラムが入るとどうしてもPAが必要になる )、3人で室内楽みたいにやるのも良いかな、と思った事( 城谷さんのTpの絶妙な音色の変化はまるでクラシックを聴くようだ )、何より、小杉さんのベースのグルーブ感・リズムのうねりが言葉に表わせないくらい凄いので、それをしっかり体感(笑)したかった事、そんなこんなでドラム無しのこの形に落ち着いた。

 

このトリオで初めて、私のオリジナル曲を演奏してもらった。

『海を見ていた女』というのだ。タイトルだけでお客さんに結構うけた....。

 

この曲を作ったのはもうずっと以前、popsの楽曲の公募・コンペを目指して、自宅のシンセとPCで簡単なオケを作り、歌の友達に頼んで歌詞無しでメロディを入れてもらったりして、半分遊び、でも頭の片隅で、コンポーザーは無理でもアレンジャーにはなりたいよなぁ....みたいなかなり中途半端な事を考えながらせっせとデモテープを作っていた頃だ。

商業音楽にどっぷり浸っていた頃だから、『海を見ていた女』なんて歌謡曲チックなセンスも仕方ない。曲自体も80年代popsの感じなのだが、どこかjazzになりそうな雰囲気があったので少し手直しをしてみた。

タイトルは変えないことにした。

 

曲の題名を考えるのは、一枚の絵に名前をつけるのと同じだと思う。

何か抽象的な概念や想いを音符や絵筆で表わしたい時に、表現者は題をつける。

チャイコフスキーの『悲愴』を聴いて、私たちは底知れない悲しみを体験し、ムンクの『叫び』を観て恐ろしい不安を作者と共有する。

あるいは、創り出されたものから表現者がインスピレーションを得て題名をつけるかもしれない。

いずれにせよ、題名があって、作者と受け手はある共通のイメージを持ち得る。

 

W・ショーターの『yes or no』という曲をライブでやったのだが、この曲は、A-A-B-Aという構成。

ものすごくかっこ良くて大好きな曲だ。

A-Aの部分で「yesなのかnoなのか?」あーだこーだ自問自答して「ああ....もう!」とぐるぐる悩み、-Bの部分で「thinking time!、ちょっと冷静に考えてみよう」てな感じで多角的、分析的にいろいろやってみた挙げ句、結局-Aで「ああ~、やっぱ分かんないじゃん !!」みたいな展開で、私は演奏しながらこのご本人の心境を察すると、何だか大変ですねぇって不謹慎にもニヤニヤしてしまうのだ。

『It's Easy To Remember』というバラードをリクエストを頂いて演奏した。「思い出すのは簡単」、ん~?どういう事?

歌詞の中に、でも忘れるのは難しい、あなたの事は....なんて、もう粋だなぁ~って思わず涙が出そうになった(笑)。

 

曲のタイトルは私にとってものすごく大事な要素だ。

スタンダードの曲を練習する時、題名から妄想モード(笑)に入ることが珍しくない。

 

話は戻って、私のオリジナル『海を見ていた女』。

私としては ”海” にかなりこだわりがあり、MCで、

「男の人はよく海に向かってバカやろ~なんて叫びますよねぇ。」なんて言ってしまい、城谷さんからいいだけ突っ込まれた。

「海に向かってバカやろ~っなんて叫んでる男、見た事あるんですか?」

ん~、そういえば見た事はないし、友達から聞いた事も無い.....。

でもほら、森田健作とかさぁ....。

「健康優良児みたいなどっかの男が、海岸走ったり海に叫んだりするんですかねぇ....。」

 

ライブの最後まで突っ込まれた(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何だか私、学校の先生みたいだ....。

  

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2012年

1月

22日

Lament

jazzの仕事を始めてまだ数年だが、著名なミュージシャンの突然の死を、三度、身近で知った。

 

本田竹博さんが亡くなる少し前、高田馬場GateOneの地階から、ライブを終えて階段をしんどそうにゆっくりあがっていく彼の後ろ姿を、みんなで心配そうに見送った。

体調がずっと良くないことは私も聞いていた。

本田さんが亡くなったと知らされた日の、橋本信二さんとマリ子さんの青ざめた顔を覚えている。

 

セシル モンローさんが亡くなった時は、たまたま私用で久しぶりに連絡した福田重男さんが、突然の訃報に、おびただしいメールと電話の対応に追われて大変な事になっていた。

福田さんのライブで知った彼だが、だいぶ前に、福生のライブハウス・GIN HOUSEのエミさんが、米軍時代にお店によく来たセシルさんの事を話してくれて、私は、凄いプレーヤーが無名の時の話を興味津々で聞いた。

 

つい先日、ライブの始まる前にドラムの林くんが知らせてくれた臼庭潤さんの死。

一瞬言葉を失った。

3年くらい前に、沼袋オルガンJazz倶楽部でドラムの福森くん、ベースの松岡くんとライブをやった時、当時彼らとバンドをやっていた臼庭さんが遊びに来てくれて、全曲一緒に演奏してくれた。

つたない私のピアノにもかかわらず、決して手を抜かない素晴らしい演奏だった。

 

思い出というよりは、断片的な記憶が短い動画のように次々よみがえってきて、ああ、あの時のあの人はもうこの世にいないのだと思うと、悲しいというより、さぞ無念だろうなぁと胸が痛む。

だって、ミュージシャンが楽器を演奏できなくなったらどんなに悲しいだろうか....。

 

「いやぁ、偶然こっちでチャーリー パーカーに会っちゃってさぁ、セシルが通訳でいてくれて、ホント助かっちゃったよ!」なんて、みんなで集まってわいわい盛り上がっている光景を想像してみる。

本当にそうだったらどんなに良いかなぁと思う。

 

Lamentは”深い悲しみ・哀悼の詩”という意味。 J.J.ジョンソン(1924-2001)が作った美しいバラードで、私もライブで時々演奏する。

マイナーの哀切な旋律が、曲の後半最後、徐々に明るみをおびてメジャーで終わる。

もしかしたら、誰か大切な人を亡くしたJ.J.が、私と同じような事を想像したのかもしれない。

この記事を書きながら、ふとそんな事を考えた。

  

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2012年

1月

16日

三鷹ソニド

セッションの仕事でよく行く三鷹のソニド。

 

お店のママは、粋でお洒落でお茶目で( 失礼、もう可愛らしいお孫さんがいらっしゃるのだが... ) 、ファドとタンゴをこよなく愛する往年の歌姫といった風情なのだが、昔ケントスあたりで踊りまくっていたに違いない遊び心と好奇心が自然と人柄からあふれていて、知れば知るほど、すごく魅力的な女性なのだ。

ほめ過ぎ(笑) ?

でも、セッションの常連さん達もきっと、その通り ! と言ってくれるはずだ。

 

そのママなのだが、外国や国内、いろいろな所によく旅行するらしく、小さな店内にはお土産の品がたくさん置かれている。

バナナのクッションやイタリアの絵皿、沖縄シーサーの置物やどこの物か分からないちょっと不気味なお面....。

まぁ、統一感が無いと言えばまったく無いのだが、そうした雑多なものが、混然としてある種ソニドの個性になっている。

 

お店のオープンは2年半前。

jazzの世界をほとんど知らないままにお店を始めて、一癖も二癖もありそうなjazzのプレーヤー・リスナーたちから、「 jazzとは 」なんていう講釈をうんざりするくらい聞かされ、お店のレイアウトにもああでもないこうでもないとうるさいほど意見され、普通の人ならやめちゃおうかなって思うところを、彼女は、そうねぇ....と至極鷹揚に、確信犯的に優雅にそのほとんどを受け流して(笑)、他のjazz live houseとはまったく異次元の空間をつくりだした。

一言で言うと、”まぁちょっとあがってjazzでもやっていけば!” かな....。

 

jazz barと聞いて普通の人が思うのは、exclusiveなこだわりの店内、古い木目のテーブルでバーボンやワインを飲みながら煙草をくゆらし....、そこまで画一的なイメージもどうかと思うが、少なくともどこかそれに近いものだと思う。

だから私も最初の頃、「もうちょっとコンセプトとか渋い感じとかさぁ....」、ママに機会をみつけては言っていた。

 

でも今、何だかここが居心地が良い。いろんなさまざま種々雑多なものが、唯一ママのセンスを拠りどころに集まったみたいな空間。

自然な柔らかさとあけっぴろげな自由さ。

どんな場所でも本物の音楽があればOK、逆をいえば、本物の音楽がある所が最高の場所なのだ。

そういう音楽をちゃんとやれるようになろう、そんな強い気持ちを持てるようになった。

 

今現在は、jazzのセッションやレッスンが中心のレンタルスペースのようになっているが、ある日ころっとママの気が変わって、ライブをたくさんブッキングする本物のlive houseになるといいなぁと思っている。

 

このお魚はママのアメリカ土産。

スイッチを入れるとご機嫌なカントリーロックがながれて、お魚くんが腰を、じゃない尾っぽをふりふり踊る。動きが絶妙!

こちらがびっくりしていると、口をパクパク、いかしたロック野郎の声で合いの手を入れる。

気絶しそうに面白い.....。

 

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2012年

1月

10日

禁句

「あれ~? 太った?」

 

この台詞は、女友達に絶対に言ってはいけない。

たいへん残念なことに、ほぼ常識となっているこの事実に私が気づいたのは、つい3年くらい前だ。

 

久しぶりに会った仲良しの○○ちゃんに、美味しいもの食べ過ぎちゃったのかな~、てなめちゃめちゃ軽い気持ちでつい言ってしまった....。

顔色が変わった彼女を見て、一瞬なにが起こったのか理解不能、あたふたと訳の分からない言い訳を並べてみたものの、結局、みっちゃんはもう~しょうがないなぁ....諦めに近い彼女の寛大さでその場は許してもらった ( と、思っている.... )。

私は私で、どうして彼女があんなに傷ついたのか、情けない事にさっぱり分からなかったので、男友達数人に聞いてみた。

「女性の友達に太った?て聞いたんだけどさ、」と言うが早いか、わ~、それ、言っちゃったの?みたいな凄いリアクションだったので、ようやく、これはもう絶対に言ってはいけない言葉だったんだと悟った次第だった。

 

20代の頃、かなりのストレスが原因で、今より10キロくらい痩せてしまったことがある。

ストレスから回復して体重も元にもどったが、思うに、”痩せる”という事にトラウマのような気持ちがあるのかもしれない。

逆に言えば、”太る”は私の中ではずいぶんと肯定的な言葉なのだが、女性、特に日本の女性にとってはまさに禁句だ。

 

そういえばかなり以前、jazz pianistの小曽根真さんがテレビ番組の中で、久しぶりに会ったらしいハービー・ハンコックに「やぁ、少し太りました?」というようなことを言った時 ( もちろん英語で・笑 )、ハービーがムスッと受け流した面白いシーンを思い出した。もっとも、記憶に残るくらい面白いと感じたのは私ぐらいだろうけれど。

 

とにかく、現代の先進諸国の住民たちにとって、”太る”は、女性に限らず男性も老いも若きも、みんなで忌み嫌う言葉になりつつある。

事の重大さを思い知ったのがつい3年前というのも我ながらかなり間抜けな話なのだが、本当を言えば、女性はぽっちゃりぷっくりしている方がなんとなく柔らかな感じがして、私は好きだ。

唯一気に入っている私の運転免許証の写真は、前日に飲み過ぎてぷくぷくにむくんだヤツだ。

 

それでも、「もうちょっと太った方がいいよ ! 」なんて、余計なお世話な台詞を女友達に言うのは、絶対にやめておいた方が良いなと思っている。

  

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2012年

1月

04日

謹賀新年

昨日、一週間ぶりに東京に戻った。

 

新潟に帰省というと、たいていの人が "雪が大変でしょう" と気遣ってくれる。

でも、私の実家のある新潟市は、海を隔ててちょうど真向かいに大きな佐渡が島があり、北の大陸からの雪雲が島に遮られて分岐するらしく、県内の他の地域に比べて積雪量はかなり少ない。

雪がまったくない元旦というのもそれほど珍しくはない。

今年も、どんより曇った空に時々薄日が射して、思い出したように白いものがちらちら落ちてくる程度で、積雪のない穏やかなお正月だった。

 

それでも、新潟は雪国だってことを忘れてもらっちゃ困るとばかりに、本当にみんなが忘れちゃいそうな頃合いに、どかっと大雪が降る。

そんな年は、たった一晩で、庭の木も家々も道路も空き地も、すべてのものが見渡す限りただ白一色に変わる。

窓を開けて、朝日をうけてきらきら光る一面の雪景色のまぶしさに思わず声を上げて、冷たく水気を含んだ空気を深く吸い込むと、大げさではなく、何だか体と心が一瞬で新しくなったような気がするのだ。

この感覚は、その年に起きた家族の事件や自分の心境の思い出と一緒にいつでも心の奥にあって、東京で珍しく雪を見たり、帰省の際に車内から県境の豪雪を見たりすると、不意にこみ上げてきて何だか涙がでそうになる。

やっぱり私は新潟の女だ....(笑)。

 

新潟市内で、20年以上前から続いている "思いやりのひとかき運動" 。

各バス停、横断歩道などのたくさんの場所に青いスコップが置かれている。

背景に青空が見えるが、このすぐ後、あられが降ってきた !

 

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2012年

12月

28日

十二国記

インターネットでGyaO!を見ていたら、十年くらい前に夢中で見たアニメ『十二国記』を無料配信していた。

 

小野不由美氏原作の長編ファンタジー小説をアニメ化したもので、古代中国に似た異世界で、不思議な世界観を基に繰り広げられる壮大でスリリングなドラマだ。

登場人物の人間性や心の葛藤や機微が丁寧に描かれていて、あまりに身につまされ何回も号泣したものだ....。

テーマ音楽もすばらしい。

人生を立ち止まって深く考えたくなるような、とにかく傑作だと思う。

久しぶりにまた陽子( 主人公 )に会えて嬉しかった....(涙)。

 

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2012年

12月

23日

三鷹の夜 Part2

12/22、三鷹ソニド。

土曜日セッション終了後、ママの一声で全員ワインとジュースで今年最後の乾杯をしてから、常連さんたちと夕闇一路「大寿司」へ。

 

前回も、『ボーナスもらえない可哀相なミュージシャン・みっちゃんに美味しいものを食べさせてあげよう!』なんて愛溢れる(笑)趣旨だったと思うが、今回は『田崎美知子に栄養をつける会・2012年度冬の部』って事で、心優しきT.SaxのM氏が企画してみんなに声を掛けてくれた。

 

とにかく、蟹や生牡蠣や穴子の白焼きやワカサギや白子や刺身や煮付けや鍋やお寿司や....、もう本当にとにかく”日本の美味しいもの”をこれでもか~ってくらい食べて、極上のお酒をこれでもか~ってくらい飲んだ。

ワインとチーズくらいだったらおしゃべりにも熱が入るのだろうが、こんだけ普段食べつけない至極の美味を前にして、我知らず一生懸命、もの凄く真面目・真剣になってしまい....、人間、何かに集中すると、「わっ」「おっ」「ほう~」「ん~」くらいしか言わなくなるものだ(笑)。

他のみんなはけっこう余裕で話に花が咲いて、何だったかめちゃ笑ってひっくり返ってしまった。キャラクター濃過ぎ、話し面白過ぎ....。

 

『田崎美知子に栄養をつける会』ー身体にも心にもしっかりたっぷり栄養つきました!

今回も、本当に本当にありがとうございました。m(_ _)m

 

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2012年

12月

15日

赤穂浪士

12月8日は、会う人会う人がみんな「今日はジョン・レノンの命日ですね。」と言うから、いちいちその度に「今日は真珠湾攻撃の日ですね。」と答えて、一日中”変な人”で通した(笑)。

でも、12月14日と聞いて「ノストラダムスの誕生日ですね。」と言う人はいないだろう。

12月14日は日本国中、間違いなく『赤穂浪士討ち入りの日』だ。

 

赤穂藩士ではなく、赤穂浪士というのが何とも切ない。

彼らには、藩という身分保証も後ろ盾もなかった。討ち入りの年の夏には、お家再興の望みも絶たれていた。

将来の夢も野心も持てない日々を送りながら、ただただ主君の無念を晴らそうとCIAやMI6なみの情報網・連絡網を張り巡らせ、ネイビー・シールズなみの綿密な作戦を遂行して、12月14日、見事宿敵を討ち果たした。

忠義に命を懸け、悲しいほど一途で真っ直ぐな47人もの頑固者たちを束ねた大石内蔵助という人は、いったいどれほど大きな人だったのだろうか....。

 

12月になるとテレビではいつも特集番組があり、赤穂浪士たちがいかに日本の武士・侍であったかを様々な趣向で見せてくれる。

そうした番組を見ていつも感動して大泣きするのだが(笑)、快哉を叫ぶと同時に、大石内蔵助やその家族、47士や討ち入りに参加せずに不忠臣と蔑まれた人々・その子孫も含めて、みんながみんな本当に気の毒だったなぁ、、と思う。

 

5万石大藩の藩主で何百人もの家臣がいて、その家族も入れたら千人以上の人たちの生活を左右する身でありながら、なんで浅野内匠頭は事もあろうに殿中で馬鹿げた刃傷に及んだのだろう。

どんな時にも藩を第一に考え、歯を食いしばってでも藩に利するように行動するのが藩主の役目だろうに....。

吉良に意地悪されたから、、なんて子供じみた理由で人生を狂わされたたくさんの家臣たちにしてみれば、「どうして?」と言いたくなるのではないか。

それなのにほとんど誰も浅野内匠頭を恨んではいない。討ち入りの忠臣たちは、泉岳寺の墓前に吉良の首を供えて仇討ちの成功を報告し、亡君の無念を晴らした喜びに涙するのだ。

 

主君に対する『忠誠の念』というのはもの凄いなぁ、と思う。

昔だから、、ではなく、つい数十年前にも「天皇陛下、万歳!」と叫んでたくさんの人たちが尊い命を落とした。

藩の為に、日本の為に、死んでいった人たちの心に迷いは無かったと私は思う。

批判はいろいろあるだろうけれど、人はみんな自分が信じるものの為に生き、死ぬのだ。

 

現代において、『忠誠の念』は生き残っているだろうか。

日本の為に命を懸ける忠義の侍を見極める事ができるかどうか、今週の日曜日が決戦の日だ(笑)!。

 

郵便受けに押し込まれた選挙公報をテーブルの上に広げながら、大石内蔵助を選びたいけど、浅野内匠頭みたいなお偉方がくっついてちゃ困るな....、堀部安兵衛は威勢がいいけど、吉田忠左衛門が側にいないとどうなるか分からないなぁ....。たくさん有り過ぎる選択肢の前に、政治家は侍であってほしい、政治に名乗りを上げるからには国に対して『忠誠の念』を持ってほしいと思うのだが、3年前の悪夢が頭をよぎる。

書かれた公約を眺めながら、ほんとかいな....と疑いつつ、でもここで諦めるわけにはいかないと思う。

国の為に命を懸ける侍は絶対にいる筈だから、ちゃんと見なきゃ!と思う。

一途で真っ直ぐな、賢い頑固者を一生懸命選ぶ事が、私が国に対して出来るささやかな『忠誠』である。

 

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2012年

12月

07日

”ゴキッ”

ここ2ヶ月ほど続いた左腕のしびれが、ようやく治ってきた。

ギターのH氏がメールで詳細に教えてくれたストレッチ体操を毎日やって、駅前の整骨院にも頻繁に通った。 

一時は、常時続くしびれにもうしょうがないのかなぁと半分諦めていたから、最近その症状を時折忘れる時があって、もしこのまま完全に治れば本当に嬉しい。

 

整骨院では、たくさんいる先生たちがカルテみたいなのをその都度確認して治療してくれる。

いろいろな先生がいて、優しく肩全体のコリをほぐしてくれる先生、集中的に力技で左腕をマッサージする先生、腰まで及んで身体のゆがみを指摘してくれる先生、それぞれ症状についておっしゃる事を聞いて、”なるほど....”と思う。

つまるところ、人体というのは機械と同じでメンテナンスが必要なのだ。ねじが緩んだりきつくなり過ぎたり、潤滑油がつまったり接続部分がずれたりして不具合が生じる。

 

ある日、初めての先生が、「力を抜いて息を吐いて下さい。」といって私の頭を持ち上げたので、「もしかして、”ゴキッ”てやるんですか?」と聞いたら、「はい、、。イヤですか?」と言うので、「絶対駄目です....!」と叫んだ。

ホラー映画『呪怨』で、妻の裏切りで狂気に陥った夫が奥さんの首を”ゴキッと”やっちゃう場面が目の前に浮かんだ。

だいたい、ホラー映画ファンというのは、物事を悪い方×悪い方に考えがちだ(笑)。

暗い部屋の片隅に誰か悲しげに佇んでいるとか、高度10000メートルの飛行機の翼の端に何かがしがみついているとか、深夜のタクシーの運転手が怯えて後ろを振り返りながら「この道、さっきから何回も走りましたよね?」と言うとか、最恐最怖最悪の場面を、旅館や移動中の機内やタクシーの車内で何故かぼうっと思い浮かべてしまう。

 

整骨院の治療ベッドの上でそんな妄想にかられた私は、不思議そうな顔の先生に「すみません....。」と謝ったのだが、後から考えて全く大人げない!とも思ったので、しばらくしてもう一度その先生に当たった時、”ゴキッ”ていうのを勇気を振り絞ってやってもらった。

すると、何だか随分と肩と首が軽くなった。徐々に治ってきたしびれに決定打!みたいな感じだった。

なぁんだ、もっと早くやってもらえば良かった、、。

 

それにしても、『呪怨』の旦那さんの”ゴキッ”と、整骨院の先生の”ゴキッ”と、何が違うかといえばいわゆる加減てことなのだろうが、どこらへんがその境か、、なんて考えだすと、やはり「恐ろしいなぁ.....。」とぶるっと震えてしまう。

背筋の凍るようなホラー映画は大好きなのに、この情けない怯え方は自分の事ながらなかなか興味深い現象である(笑)。

 

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2012年

11月

30日

源氏の君

もし、たくさんの女性たちと楽しく派手に遊んでいるモテモテの男性に、「平成の光源氏ですね!」なんて言ったら、彼は100%間違いなく、「いやぁ、それほどでもないですよ~。」と、ニコニコ照れ笑いしながら喜ぶだろう。

 

「光源氏」はモテる男の代名詞みたいなものだ。

光り輝くような美男子で、管弦や和歌の才能もあり、天皇の血筋をひく由緒正しい生まれで、出世するだけの財力も知力も政治力もある。

母と幼くして死に別れて....なんていう母性本能をくすぐるような生い立ちまで加わるもんだから、まさに若い女性が憧れる永遠の理想のタイプというのを、紫式部は千年以上も昔に見事に描いた。

 

『源氏物語』といえば、愛を追い求める美しき貴公子と彼をめぐる姫君たちの華やかな宮廷絵巻なんていうイメージができあがっている。

でも、紫式部はそんなハーレクイン物みたいな恋愛小説を書きたかったんだろうか?

 

天皇の中宮付きの女房だった彼女の周囲には、きっと様々な境遇のたくさんの女性たちがいた。

美貌と地位と知性に恵まれながらも嫉妬で身を滅ぼす女、正妻でありながら高すぎるプライド故に夫に愛されない女、身分が低くとも高貴な男の誘惑から誇り高く身を守ろうとする女、長年連れ添った夫に裏切られ精神を病む女....。

自分勝手な男に翻弄され、心をずたずたにされながらも、女は従属する立場の者として声を上げること無く生きていくしかなかった時代。

でも、そうした男女の物語は、どこか現代にも共通するものがないだろうか。

紫式部にはそういう女性たちの、今も昔も変わらない心の声が聞こえていた。

そして、女たちの悲しい心を顧みることも無く自由勝手気侭に遊んだ挙げ句に、本当に大切な人を失ってしまって嘆き悲しむ男たちの姿も、紫式部はたくさん見たのかもしれない。

 

『源氏物語』は、様々な女たちの悲しみと、大切なものが何か失ってしまうまで悟る事のなかった哀れな男の悲劇の物語なのだと私は思う。

「光源氏」は最愛の「紫の上」を失って、自分の人生をどう振り返ったのだろうか。

彼女を終生苦しめた自らの女性遍歴を後悔しながらも、そんな酷い(むごい)自分に対していつも優しく接してくれた「紫の上」を最高の女性として讃え、ただただ美しい想い出の涙にくれるのだ。

もしかしたら、紫式部は平安貴族たちの本質を知っていたのかもしれない。

彼らにとって、恋愛はしょせんゲーム・戯れ事にすぎない、「源氏の君」はきっと、最愛の人の命を縮めたのが自分であると考える事も認める事もないだろう、と....。

 

「平成の光源氏ですね!」という台詞は、男性に対して最高級の賛辞であると共に、小さな哀れみの詞である。

でも、モテモテの男性にそこらへんを説明してもきっとチンプンカンプンで、だいたい彼らはそんな話を聞こうとも思わないし何かの冗談だと思うだろう。

 

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2012年

11月

23日

一年

このブログを書き始めて一年たった。

今までの記事を読み返してみて、いろんな事をよくまぁ書いたもんだと思う。

ブログを時折読んでくれている人に、「田崎さんて普段からああいう事いろいろ考えてるんですか?」と聞かれて、一瞬返す言葉につまった。

 

昔、親しい友人たちに「ねぇ、よく考えて!」としばしば忠告された。その場の思いつきや衝動的な言動を見るに見かねて、幼稚な私に意見してくれたのだ。

でも、『考える』という事の本当の意味を理解したのは、笑っちゃうぐらいずっと後になってからだ。

考える、というのは、頭か心かどっちか分からないけれど体の中のどこかで、もう一人の自分か本当の自分か、これまたどっちか分からないけれど随分とはっきり物を言う何かが、独り言のようにああだこうだと話しだして、そういうとりとめのない、でも真剣なおしゃべりをじっと聞いてみる、というような事かなと思う。

 

その意味でいえば、20代が終わる頃まで体の中の声が話をするのを聞いた事がなかった。「....しよっかな。」「....してよ!」、掛け声と要求くらいの片言の幼児語だったと思う。

だから、友人たちに「ねぇ、よく考えて!」と言われても、実際どういう事なのか皆目分からなかった。

”はた迷惑な人”だったと思うが、今から考えると、なんとも静かな幸せな時代だった(笑)。

 

何かのきっかけでいったん考えだしたら、体の中の声はどんどん言語能力を発達させて、主語・述語ができて台詞も長くなった。

いろいろな事について話しだして、そういった内容を誰かに聞いてもらいたくなった。言葉の出口がない感じだった。

仲の良い友人たちにあれこれ話すのだが、たいがい「へ~、面白いこと考えてんだね!」と言われるだけなので、だんだん口に出さなくなった。

 

このブログを書きだして一年。

いいだけ好きなだけ、『考えた事』を書いた。

「もういい加減やめなさい!」なんて誰にも言われずに、これからもどんどん書けるのが本当に嬉しくてしょうがない(笑)。

今思えば、こんな話を昼下がりの喫茶店で長々と聞かされた友人たちはさぞ退屈だったろうし、まったく申し訳なかったと反省している....。

時々、コメントを頂いて読んでくれている人がいるんだ!と感激するが、一番ブログを楽しんでいるのは私で、こんな居場所ができてなんと幸せなことだろうと思う。

 

これからも、もし機会がありましたらどうぞ立ち寄ってみて下さい。

音楽以外の話題が多過ぎて、我ながら”どうなのよ”とも思いますが....(笑)。

 

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2012年

11月

17日

ボジョレー・ヌーヴォー2012

11月15日(木)解禁ってことで、ちょうどその日は三鷹sonidoセッションの日。

 

お店に入ってきたM氏、「さぁ、セッション前にみんなで飲もう!」

両手にボジョレー・ヌーヴォーとおつまみをいっぱい抱えて、仕事帰りとはとても思えない清々しくも(笑)力一杯、わくわくきらきらのオーラ全開の一声で、その場一同、あたふたとグラスを持ち寄り記念撮影。

ほろ酔い加減のその後のセッション、何だか私、めちゃハイテンションなんですけど....(笑)。

 

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2012年

11月

09日

音楽教室

小さい頃、母に毎週連れて行かれた音楽教室。

デパートの何階かにあって、大理石のように冷たく光る階段を母に手をひかれて一段づつあがる。

途中、母の手を振り払って階段の手摺にしがみついて「やだ~」と叫ぶと、困った母が「教室終わったら、デパートの食堂でクリームソーダ、食べよう!」と言う。

教室で何を教わったのか先生の顔も友だちの事も何一つ思い出せないのに、デパートの食堂のクリームソーダの事だけはいやにはっきり覚えている。

 

口のところが優雅にカーブした細長いグラス、緑色のソーダ水の中を小さな気泡がいくつもスーッと上っていってパチパチとはじける小さな音がする。

その上に綺麗にまん丸く浮かぶバニラ・アイスクリーム。

柄がもの凄く長いスプーンとストローが一緒に運ばれて来て、アイスクリームを先に食べるか、ソーダ水を先に飲むか、ちょっとだけ悩む。

どっちにしろ、アイスクリームがとけてソーダ水と混ざっちゃわないうちに早く食べようと焦るので、口の中がソーダ水の刺激とアイスクリームの冷たさでピリピリしてくる。

最後に氷の間に少しだけ残ったソーダ水を、母に気付かれないくらいの小さな音でズッと飲み干して、「終わっちゃった...。」、空のグラスを眺めると白い泡がところどころに残っていて、ストローの先でこすって吸って飲んじゃおうかなと一瞬考えて、でも母の方を見てやめとこっと思う。

何だか妙に細かい所まで覚えているものだ(笑)。

 

音楽教室を卒業すると、ピアノの個人レッスンに通った。

ほとんど練習しないので先生にも母にも叱られて、レッスンの帰り道、手を引かれて歩きながら母が私の手を無言でぎゅっと握るのが怖かった。

「みっちゃん、あそびましょ!」近所の友だちが呼びにくる。

「みっちゃんはピアノの練習があるから後でね!」母が玄関で言う声がして、鍵盤の上の指を見つめながら涙がぽろぽろこぼれる。ピアノが恨めしかった。

でも、母の好きなメンデルスゾーンの曲を上手に弾けた時、台所から出て来た母が私の顔を覗き込むようにして「いい曲だねぇ。」と涙ぐんで言ったので、ちょっと驚いて嬉しかった。

 

音楽大学に行くんだと私も家族もずっと漠然と思っていたのに、結局、私は新潟大学国文科に入学した。

 

どういう運命か音楽の仕事をするようになって思うのは、小さい時に嫌いで嫌いで泣きながら練習したピアノが、今の私にとって本当に大切な宝物になったという事だ。

音楽教室で子供たちを教えている知人に聞いた話だが、最近のお母さんたちは、子供の意志を尊重するといって我が子が少しでも嫌がるとすぐにやめさせてしまうのだそうだ。

子供なんて、我慢とか練習とか訓練とか自分から進んでやるとは到底思えないけどなぁ,,,,。

 

クリームソーダにつられて通った音楽教室、母の強い気持ちが私に一生の宝物をくれた。

母に本当に感謝している。

 

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2012年

11月

02日

政治のこと

先日、ライブのMCで、メンバーにからかい半分に言われた。

「田崎さんは普段とっても良い人なんだけど、政治の話になるととたんにすっごい勢いで話しだすんで、いったい何者なのかと思いますよ(笑)。」

いかんなぁ....、政治と宗教の話はよほど気を付けて話さないといけないって分かっているのに.....。

 

別に、竹島や尖閣諸島や原発問題があるからじゃなくて、政治家という特異な人種の人たちに昔から興味がある。

( ここでいう政治家は”本物の政治家”のことで、”偽物の政治屋さん”じゃない。)

 

以前、国立に住んでいた時に、当時首相だった小泉さんが駅前で選挙演説をしたのだが、大雨の降る中、数百人の人達が傘をさして演説を聞いた。

もちろん私もその中にいた訳で、駅を背にして立つ小泉さんの真正面という絶好の場所をゲットして、”やった~!”と内心喜んでいたのに、いきなり私のちょうど真ん前に大柄なSPの男性がこちらを向いて立ってしまい、”え~!?”、しょうがないからSPの隠し装備とかなかなか上等な背広だなとか、じろじろ詳細に観察した(笑)。

「自民党をぶっこわすんです!」って叫ぶ小泉さん、SP越しにかっこ良かったなぁ....。

 

数年前、東大の学園祭に遊びに行って、石破茂さんの特別講演を聴いた。

メモなぞ一切見る事なく、国政の問題点を滔々と話し続けて2時間、ぎっしりの聴衆は誰一人退室する人はいなかった。

こんな風に難しい問題を易しく普通の言葉で話すことが出来るのは、自分の考えを徹頭徹尾、信じているからだ。出来るだけ沢山の人に正しく伝えたいと望むからだ。

石破さん、見た目怖いけどかっこ良いよなぁ....。

 

小泉首相直属の機関で、道路公団民営化の為に霞ヶ関を相手に壮絶な闘いをした現東京都副知事、猪瀬直樹さん。

著書を読んでも、言ってる事とやってる事がまったく同じ、”ぶれない”ってきっとこういう事を言うのだ。

口ばっかりの政治屋さんとは大違い、やっぱめちゃかっこ良い!

 

3人とも鬼気迫るほどの頑固さで自分の信念を貫く。その為に誰かと協力する事はあっても決して群れない。

郵政民営化、国防・集団的自衛権、霞ヶ関官僚政治からの脱却。それぞれの目標は明確だ。

自らの信条を貫こうとするなら、清廉潔白であるよりはある意味戦略的であるべきで、時に敵の裏をかくしたたかさも必要だ。

それほどのパワーがあっても、権謀術策、背信と裏切り渦巻くどろどろの政界の中で生き残っていくには並大抵の知力では無理で、歴史を顧みてもたくさんの有能な理想家たちが倒れていった。

 

理想と信念に燃える”本物の政治家”と、選挙と金、私利私欲にしがみつく”偽物の政治屋さん”が、政界で大戦争をしている。( もう一派、”能力がない政治屋さん”というのも残念ながらうろちょろしている...。)

 

こんな手に汗握る大真面目なスペクタクルを見過ごして、ペラペラのアイドルタレントの恋愛ドラマにうつつを抜かしている人達の気がしれない(笑)。

だいたい、「石破さんが好き!」と言うとほとんど見事に座がしらけて、「田崎さんはああいうタイプ、趣味なんですか~?」なんて冷たく言う君たち。

政治家は顔じゃない、志なんだよ、なにを成し遂げようとするかなんだよ!

、、いかんなぁ....、また我を忘れて熱弁をふるいそうになった....。

 

「田崎さんて、いったい何者なのかと思いますよ。」

本当に気をつけないといけない....(笑)。

 

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2012年

10月

27日

日本の美味しいもの

ここ2年ほど毎月1~2回、新潟の実家に帰っている。

 

滞在初日にはいつも、父が近所のお寿司屋さんから奮発して生寿司をとってくれるのだが、( これがまたものすごく楽しみで.... )、値段を聞くと、寿司というのはなんと贅沢な食べ物だろうと思う。

そこらへんのステーキセットより、量はめちゃ少なく料金はめちゃ高いのだ。

でも、一口食べて、「あ~....。」と絶句するこの美味しさはいったい何だろう。

 

ネタの新鮮さは当然の事で、シャリのふくよかさと握り加減・酢味と甘みと塩加減と....、つまりご飯が言葉に出来ないほど絶妙で、ワサビが、工場で作った人工の辛みじゃない奥ゆかしくてまろやかで自然な....、つまり本物のワサビが優しく香り正しくツーンと鼻にきてネタとシャリの味に彩りを添え、更に特上の醤油がとどめを射して、どーだ~!みたいな、食べながら参りました....と言ってしまうみたいな、誇り高さと粋とがまさに混在するとかなんとか、、『美味しんぼ』の台詞みたいなコメントをぶつぶつと心の中で呟きながら、結局のところ、ほんと日本人に生まれて良かったぁ....としみじみ思うのだ。

 

しかも今日は、ソニド・セッション常連のN氏から頂いた最高級の日本酒がある!

高知の地酒「土佐鶴・大吟醸」。冷蔵庫に冷やしておいた。

 

華やかな香りと濃厚な味わいと、、これまたCMのキャッチコピーみたいなコメントをぶつぶつと心の中で呟きながら父と私が飲んでいる隣りで、お酒の飲めない母は、ネタをめくってワサビの量を加減しつつ、シャリにたっぷり醤油をつけて、残念な食べ方をしつつも満足げにもぐもぐ食べている。

「醤油はこうやってネタの方につけるんだよ。」父と私に毎回言われるので、最近はちょっと気を付けているみたいだ。

でも美味しさは人それぞれ。

粋だろうと無粋だろうと、楽しく自分流で食べるのが一番だよね。もうウルサイ事、言わないことにしようと思った。

 

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2012年

10月

21日

運命

最近3週間ほど、左腕上部から指先まで、正座した後の足みたいにじーんとしびれている。

心臓から勢いよくスタートした血液が、いきなり細い道で行く手を阻まれ、それでも無理やり速度を落としつつ頑張って走っているって感じだ。

肩と首のコリからきているのは何となく分かる。

JazzPianoの仕事を始めた頃、先輩が「絶対大事だぞ。」と言って、いくつかストレッチの体操を教えてくれた。最近、ストレッチさぼってたなぁ....。後悔先に立たず.....。

慌てて、井荻駅すぐ近くの整骨院に駆け込んだ。

 

以前シンセサイザーを弾く仕事をしていた時、5~6台の楽器とけっこう大きなラック数個、その他諸機材をスタジオに運び込むのがえらく大変で、最初は自分でやっていたけれど、すぐにアルバイトの人に頼む事にした。手や腰を痛めそうで怖かった。

そもそも機材ひとつひとつがかなり重いので、ちょっと持ち上げたり移動する時にも、絶対油断しないように気を付けていた。

その後、ピアノを弾くのが仕事になってしばらくすると、右手が軽い腱鞘炎になった。

毎日、手首を大事に暖めて、揉んだりさすったりして自力で治した。

 

小さい頃から高校生までクラシックピアノを習っていて、私も周囲も、当然音楽の道に進むと思っていた。

でも○とペケを譜面に書くだけの先生がずっと大嫌いで、高校2年生の時、反抗期の実力行使のようにいきなり先生の家に一人で出かけていって、「やめます ! 」と宣言した。その時のびっくりした先生の顔を今でも覚えている。

それで音楽と一切縁を切った。.....つもりだった。

今こうして、腱鞘炎になるまで毎日練習し、手と指を何よりも大切にしている自分が、我ながら何とも奇妙で不思議に思える。

 

ついこの前、一緒にライブをした20代半ばのトランぺッターが、「僕は大学のJazz研に入るまで、トランぺットもJazzも知りませんでした。」と言うのを聞いて、もの凄くびっくりした。

だって彼のトランぺットが奏でる音は、まさに何十年もJazzに慣れ親しんできたプレーヤーの音に聞こえた。

もう一つ、かなり前だけど同じようにびっくりした事がある。

popsの仕事で何回か一緒だったギターリストが、わずか2年くらい会わないうちにキーボードを駆使する売れっ子アレンジャーになっていて、彼が真顔で言った言葉がすごかった。

「僕ね、ある日突然、知らないキーボーディストの霊が憑いちゃったんだ....。」

 

若手トランぺッターにクリフォード・ブラウンの霊が憑いた、、なんて考えられないけれど、でもきっと、奇跡のような巡り合わせが彼をJazzの世界に引き込んだのだ。       

同じように、売れっ子アレンジャーも私も、何かに導かれるようにそれぞれの音楽への道を歩んだ。

自分の意志、人間の意志とは全く違う次元の、未知な存在の大きな意志の流れがもしあるのならば、その流れに逆らわずに生きて来たその結果と言えないだろうか。

 

”何となくこうなっちゃったんだよね.....。”

運命なんてそんなものかもしれないと思う。

 

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2012年

10月

15日

ホラー映画

『エクソシスト』は部屋をまっくらにして一人で見た。昔の映画だけど、何回見ても相当怖い。

『シャイニング』はタイプライターの不気味な文字で総毛立った。それにしてもさすがキューブリック、映像が息をのむほど美しい。

『リング』はいつも通り部屋をまっくらにして一人で見ていて、最後のショッキング場面で思わず立ち上がって絶叫した。「ひぇ~!!」

 

他にも『オーメン』とか『呪怨』とか、大好きな(笑)ホラー映画がたくさんある。

CGを使った怖い映像がたくさん出てくるとか、ストーリーが想像を絶するほど悪魔的だとかじゃなくて、独特の雰囲気とリアルさでじわじわと背筋が寒くなる感じが好きだ。

 

無機質で陰鬱なタイトルテーマの音楽が、非日常的で本能的な意識下の不安を呼び覚ます。

張りつめた空気に徐々に息苦しくなり、もの凄く良くない事がこれから起きるのだ....という緊張感が画面からどんどん押し寄せてきて、その迫力にまさにのけぞりそうになるその瞬間、信じられないほど恐ろしい事件が起きて「わーっ」と叫んで後ろにひっくり返る....。ま、それが理想のホラー映画だ。

 

お化け屋敷と違うのは、そのびっくりする瞬間までの緊張感の綿密な構築だ。

映画製作技術の力量ー監督のバランス感覚やセンス・テンポ感、脚本や俳優のレベル、映像・編集の技量が如実に出る。

感動的なラストが用意されている訳ではないから、というかだいたいラストは絶望的なので、映画全編にわたって一つ一つのシーンが勝負になる。それぞれのシーンの積み重ねが傑作か駄作かを決定する。予算をいくらつぎ込んでも、緊張感が途切れてしまったホラー映画はB級だ。

 

リアルさと言えば、怖いからと言って、登場人物がキャーキャー叫んでいるばかりじゃやっぱりお化け屋敷だ。

人間、本当に怖い時って足がすくんで声なんか出ない。

まして得体の知れない未知のもの、幽霊とか悪魔とか悪霊とか、人生で絶対かかわり合いになりたくない”もの”と対峙している時の人間はいったいどういう反応をするだろうか。

宗教心や科学的な思考、倫理観が根源的な恐怖とせめぎあうはずだ。あるいは愛する人を守ろうと絶望的な闘いを決意するかもしれない。

そこまでの精神的な葛藤を脚本なり演技で表現できた映画は、後世に残る名画になる。

メジャーな大作が好きな映画評論家は見向きもしないかもしれない。

でも優れたホラー映画は、トム・ハンクスやメグ・ライアン主演の大ヒットお手軽恋愛映画より数百倍、人間の心の深淵に迫る。

 

私たちファンはそんな名作を心待ちにしている。

最近の薄っぺらいB級ホラー映画を見る度に「なんだよ~」と涙にくれながら、レンタルビデオ屋さんの片隅の小さなホラーコーナーで、埋もれた名作を日々探すのだ(笑)。

 

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2012年

10月

09日

お医者さん

少しでも具合が悪くなるとすぐに病院に行く人がいる。

私はその逆で、相当具合が悪くても病院にはなかなか行かない。風邪で高熱が出ても病院に行くという発想がおよそ無い。

 

おかげで、盲腸炎を我慢し過ぎて危うく死にかけた事がある。

手術してくれたお医者さんに「あんた、あと一時間遅かったら死んでたよ!この傷跡見る度に反省しなさいよ(笑)。」と叱られた。

 

3年くらい前、舗道を普通に歩いていて、何かにつまずいて顔から転んだ。

荷物をいっぱい持っていたわけでもなかったから、咄嗟に片手でもつけばよかったのに、瞬間、手を怪我してピアノが弾けなくなったら困るな....と思った。

見事に顔で着地したので、左顔面が舗道のコンクリートですれて、かなり広範囲に皮がむけた。

後で気が付いたら、Gパンの膝にも大きな穴があいていた。

私は歩く速度がけっこう速いので、勢いよく、もの凄く派手に転んだのだと思う。

だいたい、道で転んじゃった時は恥ずかしくて周りを気にするものだが、この時はあまりの衝撃で頭がぼっとしてそれどころじゃなかった。

何とか家にたどり着いて鏡を見たら、顔が擦り傷で半分まっ赤になっていた。

洗って消毒してまた鏡を見たら、情況の深刻さがようやく分かってきた。「こりゃ完全に跡が残るな....」、目の前がまっくらになる気がした。

「転んだ瞬間、手をかばって....」と言うと、「さすがピアニスト!」なんて言ってみんな感心してくれるが、こんなオオゴトになるとは思わなかったってだけで、鏡の前でめちゃめちゃ後悔した....。

ライブとレッスンの仕事以外は家の中で鬱々と引き込もり、誰とも会いたくなかったし話したくなかった。

病院に行くという選択肢は、毎度の事ながら全く無かった。過去から何も反省していない....(苦笑)。

 

10日後くらいだったか、先輩のピアニストから久しぶりに電話があって近況を聞かれたので、「実は...」と話すと「病院に行ったのか?」と聞かれ、「怖くて行けない」と言ったら「何やってるんだ!早く行け!」と有無を言わさぬ勢いで言われて、ようやく病院に行く決心をした。

 

悲壮感を全身漂わせて診察室に入ると、元気いっぱいの若い女医さんがほんの2分ほど診ただけで、「大丈夫ですよ~。3ヶ月間は日光にあまり当たらないようにね!シミになりますから。」そう言ってガード用の絆創膏みたいなのをくれた。

拍子抜けしたもののやっと生きた心地になって、それから3ヶ月間ドラキュラみたいな生活をした結果、傷は跡形も無く消えた。

 

すぐに病院に行っていたらあんな悲惨な数日間を過ごす事は無かった訳で、これですっかり反省して心を入れ換えた。

お医者さんにはすぐ診てもらおう!

 

ここ一週間ほど、左手が肩からしびれている。

セッションのベーシスト落合君が、「それ、やばいですよ。ひどくなると手が上がらなくなって、ピアノ、弾けなくなりますよ~。」

その言葉に震え上がって、明日にでもお医者さんに行こうと思っている。

不安な気持ちを抱える時間は少ないに越したことはない。

 

それにしても、お風呂に長くつかったり、ストレッチを入念にやったり、マッサージマシンを押し入れから引っ張り出したり、何とかお医者さんに行かなくてすむような努力をあれこれせっせとやっている自分に、我ながら笑った。

出来ることなら、お医者さんには本当は”絶対に!”行きたくない。

 

やっぱり何も反省してないってことだな.....。

 

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2012年

10月

03日

男の料理

普段、雑誌はめったに読まないが、たまに行く美容院や検診の医院でテーブルの上に置かれてあると、数冊選んでパラパラめくってみる。

書評と映画評論はたいがい読む。次に料理の記事を探す。

 

料理の記事といっても、女性誌によくある『お手軽・簡単にできる○○風ディナー』とか『もう一工夫でもっと美味しくなる○○』とかのレシピコーナーじゃない。

『通をうならせる一品』、『上質な食空間で楽しむ手間隙かけた季節の食材』なんていうドキドキするような紹介文と素晴らしい料理の写真が載った、老舗の懐石料亭や有名フレンチレストランの記事だ。

別に、そういうお店に行って写真の料理を数万円出して味わってみたいとか、こんな料理を自分で作ってみたいとか(笑)、そんな気持ちがある訳では全くなく、ただただ、料理人たちのとてつもない味へのこだわりと盛り付けのあまりの美しさに感動する。

ここまでくるとまさに芸術だと思う。雑誌を前に「ほう....」と思わず感嘆の声が出てしまう。

そうした料理人たちがみんな男性なのが女の私としてはちょっと悔しいが、男の”極める”という本能みたいな能力は、料理の世界でも間違いなく光り輝いている。

 

昔から『男の料理』と言えば、肉を塊のまま豪快に焙るとか、奥さんの迷惑も顧みず台所をめちゃくちゃにして一年に一回とんでもない迷作を作る、みたいなイメージがあるが、そういうのは趣味以前、お遊びみたいなもので料理に対する冒涜ですらある。そういう手合いは他の趣味を早々に見つけた方が良いと思う。

 

私の周りの料理好きの男性たちは、完全に料理人タイプだ。

味噌汁のだしは風呂に入っている間に煮干しを火にかけてさぁ....、パスタは粉からこねてパスタマシンを使ってね....、発芽玄米は自宅で栽培するにかぎるよ....。

手間隙かけた味に対するこだわりは、ただ美味しいものを食べたいというだけの素朴な欲求だ。

 

私の父も、包丁はとぎ職人に研いでもらうし、油温度計とかスケールや計量カップ、肉叩きや粉ふるいやフードプロセッサー、様々な道具を駆使している。

こだわり料理人は、まず道具の選別から始まってレシピや情報の収集、試行錯誤を経て自分の納得の味を見つける。

 

ある日、「チャーハンの作り方を教える。」と父が言うので台所に行ったら、火にかけた中華鍋の脇で父がストップウォッチ片手に立っていて、「油を入れて○秒、卵を入れて○秒、ほら、ご飯をいれろ!......具を入れて味付けだ!」

絶品チャーハンができたが、細かいレシピは覚えていない(笑)。

ただ、チャーハンは時間勝負だ!という事だけはしっかり覚えた。私のいつも作るチャーハンとは全然違った....。

 

ライブのリハの時にギターのツッチーに、「うちの冷やし中華のつゆは炒りゴマを擂り鉢ですって作るんだよ~。茄子の漬け物もすっごく柔らかくてさぁ。」と自慢したら、「わー、そりゃほんと美味しそうだね!きゅうりに粉末の昆布茶かけるのも簡単で美味いよ!重し付きの漬け物容器、ほんと欲しいんだよね....。」

ツッチーもこだわり料理人だ。

 

美味しいものを食べたい。良い音を出したい。気持ちいいグルーブに浸りたい。最高の空間で演奏したい。

みんな同じ次元のものだと思う。

最高の音を出すミュージシャンは、間違いなく最高に美味しいものを食べたいと願う食いしん坊だ。

音楽は哲学じゃなくて感覚の芸術、その意味で料理の世界と通じると思う。

ただ、ミュージシャンには、毎朝早起きして朝市に出かけるとか、10年も板前修行とか、まったく無理な話だ....。

 

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2012年

9月

24日

ソニド・セッション

土曜日昼間の三鷹ソニド・セッション。

心優しきT.SaxのM氏が、FaceBookに何枚もみんなの写真をアップしてくれた。それも楽しいコメント付きで!

 

このセッションは、かなり凄腕のプレーヤーたちが常連で集まってくるので、ホスト役の私もめちゃめちゃ勉強になるし、楽しい。 

そして毎回何人か、”初めて”というお客さんが来てくれる。

そういうお客さんたちが帰る時に、「楽しかった!また来ます。」と言ってくれるのが何より嬉しい。

 

私がJazzセッションに行き始めた頃( 10年くらい昔か....)、お店のホストのミュージシャンは神様みたいに見えた。

演奏も凄かったけれど、滅多に話しかけてくれる事が無かったし、近寄り難いオーラを醸し出しつつホスト同士で楽しそうに盛上がっていて、何だか別世界の人のようだなぁ....と下界から眩しげに眺めていた。

だから、『高田馬場ゲートワン』のセッションで私の隣に座ったホストピアノの福田重男さんが、ニコニコしながら私のコードブックの間違いを直してくれた時は、本当に涙が出るくらい嬉しかった。

なんて優しいんだ~~!

 

かなり以前、中国を旅行した友人が、旅先のどこのお店でも店員に邪険に扱われ、( だって共産主義の中国ではお客さんはただただ迷惑な相手でしかないから )、帰りの日本航空のスチュワーデスさんに、「お疲れさまでございました。」と笑顔でねぎらわれて、本気で涙が出たと言っていた。

ふとそんな話を思い出すくらい、『ゲートワン』のセッションは感激した(笑)。

 

緊張感溢れるセッションはもちろん大事だ。Jazz界への登竜門、互いに切磋琢磨し技を競い合ってチャンスを窺う....。

でも、私のように、お店に来ると緊張して殆ど思うように弾けず、気後れしてミュージシャンには声を掛けそびれ、上手くなりたい気持ちはあっても何をどうしたら良いか皆目分からずに毎回がっかりして帰るような普通のプレーヤーにとって、福田重男さんのようなセッション・ホストに会えるか会えないかは、その後のJazzに対する気持ちさえも左右するかもしれない。

 

「さぁ、大丈夫だから思いっきりやってみようよ!」

そんな暖かい空気の中で真剣に音楽に向き合って、少しでも良い音を出そう、少しでも良い演奏をしよう、それぞれの目標を見つけられる様なセッションがやれたらいいなと思う。

そういう気持ちをずっと失くさないようにしたいと思う。

 

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2012年

9月

17日

森鴎外の離婚

つい先日の朝日新聞に、『鴎外「まったく気性合わず文筆の妨げ」』という記事が出ていた。

鴎外ファンとしては見逃せないので切り抜いておいた。

鴎外は二度結婚しているのだが、最初の妻登志子さんとの離婚のいきさつが記された文書が静岡県磐田市で発見されたそうだ。

 

1888年、ドイツ留学から鴎外が帰国して間もなく、はるばるドイツから、気丈にもたった独りで鴎外を追って来日したエリスという若い女性がいた。

森家存続の危機とばかりに、親族一同、彼女を宥めすかして帰国させたと記録にある。

明治の始め、国家の未来を背負ってドイツに官費留学した若き鴎外は、探究心と自負心と愛国心を胸に研究に励み、当時の日本人には珍しく欧州の文化にも溶け込んで日々の生活を目一杯楽しんだ。

そして永遠の恋人・エリスと出会った。

彼女とそのまま彼の地で結婚できたなら、彼は本当に幸せであったろうし、日本中の鴎外研究家は存在せず、私も森林太郎という人を知る事もなかった。

 

初期の小説『舞姫』は、鴎外のこの”生涯に一度の恋”が基になっている。

『石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。』

高校の授業で読んで、冒頭の数行でやられてしまった(笑)。

高雅な文体と生々しい恋愛事情がもの凄いミスマッチな感じで、森鴎外とはいったいどういう人なのだろうと、よく理解できないながらも凄く印象に残った。

 

エリスとの結婚は当時の国状や親族の心情からも到底不可能で、鴎外は親の勧めで、海軍中将赤松則良の長女登志子さんと結婚したが二年と持たずに離婚した。

その時の鴎外の心情を伝える資料が、今回、発見されたというのだ。

記事を読むと、無理矢理に好きでもない女性と結婚させられて、うまくやろうなんて気がはなから全く無かった事が窺える。

鴎外、相当頭にきてたんだなぁ....(笑)。

 

その後、長く独身でいたが四十過ぎで娶った二度目の妻が絶世の美人で、鴎外も「美術品」と友人にのろけていたらしいが、名家の令嬢のせいか我が儘で、義母と想像を絶する不仲で鴎外は長年悩まされた。  

『半日』という短編小説に書かれた嫁姑の確執は、文体が整然・冷静であるだけに余計に怖い....。

 

結局、鴎外の結婚は順風満帆とはいえないものだったが、子供たちは皆それぞれ父について著書を残していて、そこから見える父親・鴎外は、とてつもなく愛情深く繊細でいて心の強い人であった。

子供というのは親の本性を良く見ている。特に年頃の、感性鋭い女の子の目は絶対に騙せない。大人の狡さみたいなものを敏感に見抜くのだ。

娘たちにこれ程までに愛された鴎外という人に、どうにかして会ってみたかったと思う。

私も相当なファザコンで、彼女たちの気持ちが良くわかる。

初めて会う人にさえ父親の自慢話をついしてしまう、誇らしさと嬉しさと深い愛情と少しの悲しみ.....。

 

amazonで、鴎外の三男・類さんの著書『鴎外の子供たちーあとに残されたものの記録』を注文した。

折に触れ、森鴎外という人をいろいろな角度から眺める。作家として、明治の知識人として、軍人として、医学者として、男性として、父親として、家長として、官僚として。

まさに巨人、様々な葛藤を抱えながらも自らの能力・全力を振りしぼって誠実に闘った人だと思う。

 

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2012年

9月

10日

T'sセッション

10数年前、生まれて初めてJazzセッションに行って、『酒とバラの日々』を無我夢中でめちゃめちゃ弾きまくった。

だいたい、8バースもJazzスケールも知らなかったから、周りで何が起こっているのかまったく謎だったし、アドリブなんて好き勝手にやるもんだと思っていた。

その後、多摩地区の凄腕JazzMenたちと知り合って、遊びながらいろいろ勉強した。

 

都内のお店のセッションに行くなんてのは夢のまた夢で、『阿佐ヶ谷マンハッタン』の深夜セッションはプロのミュージシャンがたくさん遊びに来るんだって!と聞いて、"マンハッタン・プロジェクト"なんて、今思えばかなり不謹慎なネーミングの計画を仲間とたてて、都内セッションデビューを目標にゆるゆる練習していた。

 

そのうち、国分寺にもの凄くハイレベルなセッションをやっているお店があるというので、様子見がてら遊びに行ったらまったくもって想像以上で、仲間ともども見事撃沈・大破した。

『国分寺T's』、その時のホストがGt.の塩本彰さんだ。

一年くらい通ったけれど、いつも相手にしてもらえなかった。

マスターには「いい根性してるねぇ。」なんて言われて皮肉とも気付かず、「根性だけが取り柄です!」なんてきっぱり言っていたから、もう打たれ強いというかまわり読めてないというか....(笑)。

 

よそよそしかったT's常連プレーヤー達が、ある日突然、話しかけてきた。

何を話したか覚えていないけれど、びっくりしてただ嬉しかった。

今では、大事なJazzの先輩であり仲間だ。

「みっちゃん、あの頃、何か恐そうだったからさぁ....。」

緊張していっぱいいっぱいになっていて、顔が怖いことになっていたらしい(笑)。

 

Jazzを本気でやろう、と決めてからは、塩本さんの厳しいアドバイスや暖かい激励は練習の目標であり心の支えになった。

今はもう閉店してしまった老舗『赤いからす』のセッションホストをやる事になった時は、老舗店のホストなんて荷が重過ぎてアップアップしていた私を、演奏面でも精神的にも助けてくれた。

T'sの仲間と塩本さんは私の恩人だ。気持ちが負けそうになるといつも思い出す。

 

現在、関西在住の塩本さんとは年に一回くらいしか会えないけれど、今日、久しぶりにT'sセッションで聞いた塩本さんのギターは、相変わらずかっこよくてsharpで粋だった。

また頑張ろう!って思った。

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2012年

9月

03日

『日本人の誇り』

ずっと昔、実録映画『東京裁判』を見た。

終戦後、1946年から1948年まで行われた東京裁判は、戦勝国が敗戦国日本を一方的に断罪するとても裁判なんて言えない酷いもので、見終わった後、あまりの理不尽さにやりきれない思いがした。

法廷で証言するA級戦犯と呼ばれる人達は、連合国側が主張するような、「共同謀議」をして世界征服を企み、侵略を画策して組織的に「人道に対する罪」を犯した、そんな極悪な人達には到底見えなかった。

死刑判決を日本語通訳のヘッドフォンで聞いた後、静かに裁判長に一礼する姿に涙が止まらなかった。

 

「人道に対する罪」なら、原爆を落とし、大都市空襲で無辜の市民を大量に殺した米国の行為は、戦争犯罪でなくていったい何なのだろう?

そういう疑問は、映画を見た何年も後になって少しずつわいてきた。

 

「原爆投下は、戦争の早期終結・これ以上の犠牲者を出さない為に必要であった。そうさせたのは愚かな日本軍部と政治家のせいである。」

「中国では30万人もの一般市民が無差別に虐殺された。関東軍の暴走の結果である。」

そういうふうにいつの間にか信じていて、贖罪の気持ちを持つ事は日本人の義務だとずっと思っていた。

でも、本当にそれが真実なんだろうか?

 

お茶の水女子大学名誉教授・数学者である藤原正彦氏著『日本人の誇り』( 文春新書 )を読んで、今まで漠然と疑問に思ってきた事、なぜ?と憤ってきた事、間違って思い込んできた事、いろいろなもやもやが一気に吹き飛んだ。

数学者らしい公平さと理性的な緻密さで様々な歴史資料や史実を検証し、当時の記憶や証言から導かれた真実と思われる世界の歴史の姿は、複雑で冷徹で偽善で醜悪で、読んでいて胸が悪くなるようなものだった。

そして、日本が犯した他国への侵略という事実も改めて思い知った。アメリカもイギリスもやった事だというのは弁解でしかない。

 

それでも、本を読んで、日本人に生まれた事を誇りに思えた。

幕末開国以来、帝国主義という弱肉強食が跋扈する国際社会の荒波にいきなり飲み込まれながらも、国を守る気概を持ち続けて戦った先人たちの驚くような鋭い知恵と自負心。

大国主義に翻弄され、戦後の洗脳教育を経てもなお私たち日本人がずっと潜在的に持ち続けているもの、それは、武士道精神といってもいいような日本人特有の心の持ち方だ。

失われつつあると言われているこの精神文化を完全に失ってしまわない為に、本当の歴史を今からでもみんなが知らないといけないと思った。

『日本人の誇り』は、散らばった断片だった私の中の日本を、幕末から現在まで一つの歴史として、一つの国の形として見せてくれた。

 

2012年ー今年の夏は、領土問題とかもあったから、歴史(近代史)についてめちゃめちゃいっぱい勉強した(笑)!

 

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2012年

8月

26日

美味い!

最近かなり楽しみなのが、”友人Mさんと美味しいものを食べる事”だ。

 

ひょんなきっかけで、Mさん御自宅で長崎皿うどんやお手製ピクルスをご馳走になり、二人で美味しいお店を開拓しよう!と意気投合した。

最初は沼袋のカレー屋さん、それから中野の絶品イタリアンに感激し、今回が三鷹の中華だ。

ソニドのママに教えてもらった広東料理のお店で、デザートに和スイーツのメニューもある。

 

美味しいものを食べながら楽しい話をする、これほど贅沢なことはないと思う。

特にMさんは職業柄、経済や政治の話がものすごく詳しくて、難しい話もさらりと易しく話してくれる。

Jazzの話や人生相談(笑)なんかにものってもらっていると、時間を完全に忘れる。

もっとずっと話していたいと思う。

鉄板焼き餃子をほおばりながら日本の未来を憂うなんてのは、なかなかシニカルでタイムリーだ。

ついでにマッコリなぞ飲めば、「みんな仲良くやろうよ~!」てな気分になるし、拳を振り上げるなんて無粋な事はやめてさ、、と優しい気持ちになる。( 広東料理のお店にマッコリはさすがになかったが....。)

庶民レベルでは、美味しいものをみんなで楽しく食べればたいがいの事は丸く収まりそうだが、最近の国際情勢、国内世論の過熱沸騰で「仲良く」なんて口が裂けても言えない某国の偉い人たちは、まったく大変な事だなぁと思う。

 

ところで、先日閉会したロンドン五輪、イギリスの食事の不味さに各国選手が辟易したみたいだ。

『日本選手団にもう一つの敵!』なんてニュースに書かれるぐらいの不味さだったらしいが、全てを乗り越えての大奮闘・大活躍、選手のみなさん、本当に本当にお疲れさまでした。

体操男子の田中選手が、選手村のみそ汁について、「入っているものが違う」と言っていたが、ロンドンのみそ汁の具はいったい何だったんだろう。

ポテトフライとかバナナ☆とかスコッチエッグとかトマト◉とか、、いろいろ想像すると、一人不気味に楽しい....(笑)。

 

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2012年

8月

18日

凄い!

お盆で新潟に帰省して、庭の草刈りを2回やった。

 

先月7月に帰った時、梅雨のあと一面に生い茂った夏草に驚いて、様子見がてらサンダル履きで庭に出た。

ものの2、3分だったのに、待ち構えていたヤブ蚊たちに足や手をいいだけ食われて、気がついたら数カ所まっ赤にふくれあがっていた。

 

これに懲りて今回は父の忠告どおり、長袖シャツ長ズボン、靴下もしっかりはいて草刈りをした。

いったい”草刈り”という作業は、格別おもしろい訳ではないのに妙に燃えて、時間がたつのをすっかり忘れてしまう。PCの無料ゲームみたいなもんだ。

この時も、繁茂するツタから皐月やツツジを守るべく汗だらけ土だらけで大格闘をして、15分くらいのつもりが30分以上、戦いに没頭してしまった(笑)。

完全防備のはずだったのに、シャワーを浴びながら足首をみたら、まんべんなく集中的に蚊に食われていた。靴下の上からだ....。びっくりした....。

 

都会のマンションで暮らしていると、蚊に出くわすという事がほぼない。

まれに電車やバスの中で”ぶ~~ん”と飛ぶ音を聞いても、無視はできないまでもどこか寛容な気持ちでいられるのは、弱々しい遠慮がちな小市民のイメージがあるから。

うちの庭のヤブ蚊たちは、少数精鋭、勇猛果敢にゲリラ戦で相手を苦しめる強靭な兵士だ(笑)。

 

2回目の草刈りは、父の大きな長靴をはいて、これでもう大丈夫と思って油断した。

今度は太もも集中攻撃で、被害は8カ所。

なんとズボンの上からだ....。凄い! 凄過ぎ....。

「敵ながらあっぱれ!」と日の丸の扇子を広げたくなった。

 

そもそも、父の最初の忠告を聞いておくべきだった。

「草刈りは秋まで待て。」

夏の陣は完敗に終わった(笑)。

 

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2012年

8月

10日

暑い!

土曜日のお昼、”ぴっかぴか”太陽の超底抜けな元気に降参、力尽きて這うようにたどり着いた三鷹ソニド。

気温は38度まで上がったらしく、街中( まちなか )の暑さは尋常じゃない。

楽器を抱えてセッションにやってくるお客さん達は来る人来る人みんな、体からもわ~っと湯気が出ている。

なんか嫌な予感がしたんだよなぁ、良くないことが起きるぞ~って....(笑)。

 

予感は残念ながらみごと的中!。

2台あるエアコンのうち1台が故障して、室温調節がまったく間に合わない。

更に苛酷なことに、その調子の悪いエアコンはピアノの丁度上に設置されていて、間違えて暖房モードにしたのかと疑うような生暖かい風がゆるゆると吹いてくる。

ピアノを弾きながら、軽く意識を失いそうになった(笑)。

 

体育会系夏合宿の練習場のような情況の中、首に冷却剤入りのタオルを巻いてバミューダパンツでSaxを吹くM氏の姿は、さながら中東の石油採掘事業・現場監督の勇壮さだ!。

 

お客さん「ビール飲まなきゃやってらんないなぁ!」

ママ「ビール飲むから余計暑いんじゃないの?」( ママはお酒が飲めない。)

お客さん「......。」

ま、理屈はそうなんだけどね....。

 

真夏の体育会系セッション、みなさん、本当にお疲れ様でした。m(_ _)m

 

 

ベースの伊東里栄子ちゃんの結婚披露パーティ・ビンゴゲームで貰った携帯用扇風機。

今年の夏は特別大活躍!

 

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2012年

8月

04日

オリジナル4

今年に入って、昔つくった曲の中からJazzで演奏できそうなものを何曲か選って、手直ししてまとめる作業を少しずつやっている。

色褪せた五線紙に鉛筆で書かれた音符をみていると、あの時はこうだったなぁ、そういえばあんな事を考えてた、、めまぐるしく過ごして来た年月の断片一つ一つの風景が、音と空気と心の中の声と一緒によみがえってくる。

へぇ...と昔の自分に感心したり駄目出ししたり、ずっと思い出す事もなかったいろいろな出来事に感傷的な気分になったり、曲を作るのとはまったく違う不思議な楽しさだ。

 

それとは別に、時々ふっと曲が出来る時がある。

『Easy Go de』は、友人と電話で話した翌日に何だかやりきれない気持ちになってしまって、その彼と話すようなつもりでピアノを弾いていたら曲が出来た。

 

いつもひょうきんな笑顔と冗談でみんなを笑わせる友人が、その時だけ珍しく弱音をもらした。

音楽仲間や気の合う友達と、お酒を飲みながら「ちょっと聞いてよ~!」とお互いの悩みや愚痴をさんざん言い合う事がたまにだけどある。

恋愛や音楽、仕事や生活や何気ない一言に傷ついた事、思い通りにいかないいろんな事や取り返しのつかない自分の過ち...。

そんな時、一度だってまともな慰めを言えた事がないなぁと思う。

「大丈夫だよ、きっと大丈夫だよ。考え過ぎないでさぁ~....。」

いつもそんな事しか言えない自分が何だか情けなくて、もやもやした。

 

私は、元気に音楽をやれるのはもの凄く幸せな事なのだと、特に最近、思う。

悲惨な災害や突然の事故でいきなり命を絶たれた人、才能をもちながら病に倒れた人、いろんな事情で音楽を諦めざるを得なくなった人、、その無念さを思うと胸が痛い。

私もいつ同じ運命に遭うか分からないし、気力を失ってしまう時が来るかもしれない。

だから今、こうして毎日、音楽の事だけを考えて元気にピアノを弾ける事が本当に幸運なのだと思う。

もちろん、思う通りにいかなくて悲しくなる事や悔しい事は人並みに一杯あって、その事を考え出すと苦しくなって袋小路で煮詰まりそうになる。

そんな時、頭の中のどこかから、昔流行った「Easy Go でいこうぜ~!」てな超元気・ロックな歌声がギターサウンドと共に聞こえてくる。

我ながら笑っちゃうくらいの楽天主義なのか、恐ろしいぐらいの悲観主義から目をそむける為の自衛システムが作動するのか、とにかくその朧げな歌声とともに、「ま、いっか....」という気持ちになる。

でも、いつからこんな諦めのいい人になったんだろう?

 

20代の頃の私は、頑張って努力すれば願うすべての事は絶対に実現すると信じていた。

まさに自信過剰を絵に描いた様なヤツだった。

ある人から、「一度ぐらい諦めてみろ!」と喧嘩の捨て台詞のように言われて、でも残念ながら当時の私には『諦める』という概念がまったく無く、その人が何を言っているのかよく分からなかった。

そのくらい完全無敵だった(笑)。

その後、どんなに努力してもどうにもできない事にぶつかって、「なるほど...、これが『諦める』って事か....。」とようやく理解した。

あんまり執着する性格(たち)じゃないけれど、この時は辛かった。

 

『Easy Go de』を作っている時、何だかすごく穏やかで優しい気持ちになった。

この曲を作るきっかけになった「Easy Go でいこうぜ!」って言葉は、決して何かを諦めるという事じゃないんだなと気付いた。

辛い気分にさせるいろんな出来事や人、自分自身や思うこと全部を一度受け入れて、自分なりに位置づけをし、進む方向を再調整して、「さぁ~、もいっかい行くぜ~!」って事なんだ。

悩んでても仕方ない、Easy Go でいこう、でも絶対に前に進むよ....。

ちょっと子供じみているかもしれないけれど、ストレートな言葉が持つ力は強くて時に重い。

 

電話で話した友人にそんな歌の話は出来なかったけれど、つい先日、仕事のメールをしたら、いつもと変わらない、”よっ!”てな返事が来たから嬉しかった。

 

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2012年

7月

27日

三鷹の夜

生まれてこのかた、”ボーナス”というのをもらった事がない。

憧れて入った音楽業界だが、支払いに関してはまったく日雇い労働みたいなもので、働いたら働いた分だけ、毎月自分でせっせと請求書を書き、『とっ払い』なんて胡散臭い業界用語でギャラが支払われる事もあるし、ギャラをもらう前に事務所が倒産しちゃって泣き寝入り数十万円、、なんて事も一度や二度じゃない。

特にJazzの世界では、『チャージバック』なんていう音楽を仕事として認めていないような凄い支払い制度もあって、とにかく、安定したお給料なんてのはずっと遠い世界の話だった。

 

季節のボーナスとか有給休暇とかまったく縁が無かったから、OLの友人の話しを聞くたびに、「働かなくてもお金もらえるの? 」なんて素晴らしい制度なんだ~!、好奇心と羨望はふくらんでいった(笑)。

”有給休暇”はまぁ完全に無理だけど、”ボーナスをもらう”ってのは一度ぐらい経験してみたいなぁ、、日本のボーナスシーズン、バーゲンセールに旅行にグルメ! 国民みんなが嬉しくて浮かれる時期なんだよなぁ、、なんて思って、ある日、銀行に行って6ヵ月定期を申し込んだ。

毎月積み立てて6ヵ月後、ボーナスシーズンにちゃんとお金はもらったけど、何だかちっとも嬉しくない。だってもともと自分のお金だしもらう相手は銀行だし....。やっぱこれって全然ボーナスじゃないじゃん(泣)!。

 

こんな昔話を、三鷹Sonidoのセッションの時にぼそっと言ったら、心優しいJazzMan・M氏が「ボーナスが出たら、みんなで美味しいものをご馳走してあげよう!」と慰めてくれた。

 

土曜日夜の三鷹駅前、お寿司屋さんの2階座敷、M氏主催でSonido・セッション常連のJazzMen7人が集まった。

「ボーナスもらえない可哀相なミュージシャン・みっちゃんに美味しいものを食べさせてあげよう!」ってな趣旨はおそらくM氏一人の胸の内で、ほぼみんな、M氏主催の飲み会で美味いもの食べて盛上がろうって心積もりだったと思うが、集まったみんなの顔を見ていたら何だかちょっと感動した。

Jazzを何よりも真摯に愛するプレーヤーたち、忙しい日常のわずかな時間を見つけてこつこつと練習を積み、試行錯誤を重ねながら楽器やフレーズを研究し、少しでも良い演奏を目指して努力を惜しまない人たち。

セッションは言わば遊びだけれど、こういう人たちの真面目で誠実な気持ちがあって初めて上質なものになっていくんだと思った。Sonido・セッションはすっごく恵まれているよなぁ....。

 

八海山もお魚もお蕎麦もすべて信じられないくらい美味しくて、M氏を始め、心優しいJazzMenたちに本当に感謝・感謝。ありがとうございました。

七月土曜の三鷹の夜は、最高に嬉しいボーナスだった。

 

後日、バッグの中からお店で借りた携帯の充電器が出て来て青くなった。自分のと勘違いしてうっかり持って帰って来てしまった....。

お菓子を持ってお店に返しに行った。

いっつも最後になんかポカやっちゃうなぁ、私....。

 

 

 

 

 

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2012年

7月

20日

水泳

先日facebookを見ていたら、長年来の知人が、小さい頃は全然泳げなかったのに小学3年生のプール授業でいきなり泳げるようになった、と書いていた。

私も小さい頃、まるで泳げなかった。というより、”水恐怖症”で水そのものが怖くて怖くて、プール授業はまさに地獄の時間だった。

facebookがきっかけであの当時の事をつらつら思い出したが、”水恐怖症”は一体いつから始まったんだっけ...?。

 

昔住んでいた新潟市金鉢山町の家は、サンダル履きで歩いていける距離に海があり、よく父と一緒にあめ玉と浮き輪をもって海水浴に行った。

浮き輪をかかえてぷかぷか波に揺られ、時々足をバタバタさせたりしてちょっと泳いだつもりになり、砂浜で塔や堀をこしらえたり、あめ玉をほおばりながら少し熱い砂の中に冷えた体を埋(うず)めたり...、さんざ遊び飽きると、砂だらけの水着のまま帰りに氷水屋さんに寄って、父と氷あずきや氷レモンを食べた。

お風呂屋さんにも行ったけど、大きな浴槽に入るのが怖いなんて思ったことは無かったと思う。

 

だから、小学校のプール授業で水着に着替える時から体がガタガタ震え、水につかると唇が真っ青になって歯がガチガチいうなんて異常な症状は、自分でも何が何だか分からなくてずっと誰にも言えず黙っていた。

授業ではなんとか頑張って、だんだんと泳げるようになった。

ところが、あろうことかクロールのフォームが良いなんて体育の先生に褒められて、いきなり市の水泳大会の選手になってしまった!

授業でさえ地獄の試練だったのにこれから強化練習で毎日しごかれる....、もう目の前がまっ暗になった。どうしよう....。

ここでちゃんと断ればよかったのだが、「頑張れ!」と言われると「はいっ!」と言っちゃうのは今も変わらず私の悪い癖だ。

自分では何とか頑張れると思ったのだが、毎日続くあまりの精神的な恐怖に根負けして、ある日、意を決して職員室に行って辞めたいと言った。

先生は、「やる気がないのか?」と言ってがっかりした目で私を見た。根性の無いヤツと思われたのが悔しかった。

 

家に帰って両親に事の次第を説明したら、母が言うには「パパがお前を落としたから、、。」

お風呂屋さんで父がうっかり手をすべらせて、私はお湯の中に頭からぼちゃんと落ちたらしい(笑)。物心つく前の話しだ。

なるほどそれなら、首から上が水面に出ている限りはまったく平気なのだが、いったん頭が水にもぐってしまうととんでもないパニックに陥る、という症状に説明がつく。

もしそれが”水恐怖症”の真相なら、幼少期の記憶というのは恐ろしいなぁと思う。

まったく覚えていないような事も”無意識の記憶”として脳に残っているという事か....。

 

小学校を卒業するとだんだん水に潜るのも平気になって、高校3年生の夏休みはほぼ毎日、バスに乗って一人で市営プールに泳ぎに行った。

自分ではただの暇つぶしと思っていたが、もしかしたら、小学校の職員室で味わった悔しさが”無意識の記憶”に残っていて、もの言う事の無いもう一人の私が秘かに名誉挽回を企て、毎日せっせ黙々と泳ぐなんて事をプログラムしたのかもしれない。

コース台から何回も飛び込んで、競泳用の薄い水着が破けたなんて事もあったなぁ....。

あの夏、あれだけたくさん泳いだから、今はプールや海に行きたいなんて露ほども思わない(笑)。

 

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2012年

7月

12日

UFO

先日、沼袋オルガンJazz倶楽部でトリオのライブだった。

メンバーはいつもの通り、城谷さん(Tp)と小杉さん(Bs)。

オリジナル『Purple Moon』を演奏する前にMCで、この曲を作った当時、毎晩のようにワイン片手にUFO探索をやっていたという話しをした。

 

「その時は国立に住んでいて近くに自衛隊施設もあったし、でもやっぱ米軍基地の方が....」とマイク片手に話していると城谷さんが、

「お話中ですけど、、。自衛隊とか米軍とか、UFOとどういう関係があるのかさっぱり分かんないんですけど...。」

「ええっ?エリア51とか知らないの?」

「まぁX-FILEとかは見ましたけどねぇ。」

「X-FILEは嘘っぽいけど、でもアメリカ軍はUFOと接触した事実をきっと隠してるんだよ、UFOオタクの間じゃ通説だよ。」

 

私と城谷さんが左右でやり合っているちょうど真ん中に立ってる小杉さんが、W・ベース越しに譜面台の小さな譜面を覗き込みながら、『....えっと....Bbm-Eb7-Ab7ね、....ん?』、一人まったく異空間にいるってこの情景は毎度のことなのだが(笑)、今回、何がびっくりしたと言ってそばの席に座っていたH氏が、

「僕、UFOは何回も見てますよ、いろんな所で....。」

一瞬、頭がポンッと爆発して星が見えそうだった(笑)。なんて幸せな人なんだ!!

気をとりなおして『Purple Moon』の演奏に集中したが、どうも何だか気持ちが落ち着かない....。

 

休憩時間中、早速H氏に詳しい話を聞いていると、少し離れた席にいたとってもお洒落なご婦人( 小杉さんの古いお友だち )が、

「私も40年くらい前に見ましたよ。葉巻型のUFOでした。偶然見て、最初はUFOと分かりませんでした。」と、にこにこしながら話してくれた。

それも、見たのが井荻だったそうだ! ( 私は今、杉並区井荻に住んでいる。) 

杉並区に宇宙人が来たんだ、、もの凄い偶然に戦慄した....(汗)。

「私、UFOと幽霊は絶対一度、この目で見てみたいんですよ。」あまりの展開にクラッと混乱しながら私が言うと、話しを聞いていたM子さんが、

「私はUFOは見た事ないけど、幽霊は見ましたよ。」

えぇ~っ!!

一人パニクる私をよそに、城谷・小杉両氏は完全に異空間にいた、ってか私が異空間にいたのか....(笑)。

小杉さんとか、きっとUFOや幽霊を見ても「ま、そういう事もあるよね。」なんて言って煙草吸ってんだろうなぁ。

 

「見たいと願っていれば、絶対にいつか見れますよ!」

UFOを見た女性に力強く励まされて、そうか、探そうと思うより遇えると信じることが大事なんだ、と思った。

でもその後、何だか”運命の人”と同じだなと気付いたら、相当望み薄な気がしてきてかなりがっくりした(笑)。

 

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2012年

7月

05日

ウサビッチ

最近、妙にはまっているコメディー・アニメ。

 

『ロシアの監獄で出会ったウサギのプーチンとキレネンコが繰り広げるドタバタ劇。そこにオカマなヒヨコのコマネチや、何でも食べてしまうカエルのレニングラードという面々が加わり....』と紹介されているのだが、何とも不思議でちょっぴり毒のある変な可笑しさだ。

 

悪役のロシアン・マフィアの愛人2人がチャイニーズ・ドレスを着ていたり、キレネンコが見るからにコンバースなスニーカーのコレクターだったり、シチュエーションもなかなかシニカル....。

1話90秒、台詞なし、効果音とゆるい音楽だけで、物語は回を重ねるごとにとんでもない展開になって行く。

こういうコメディー、好きだなぁ....。

 

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2012年

6月

28日

好きなもの

このブログを始めたきっかけは、ギャラリーの写真を撮ってくれたyukoさんが「日記のように、音楽や田崎さんの好きなものを気軽に書いてみたら?」と勧めてくれた事だ。

 

ブログかぁ、、大変そうだなぁ。

ピアノの練習・レッスンの仕事、ライブの準備もある、オリジナルだってたまってるし見たいDVDもある、両親の顔を見に新潟にも帰らなきゃ....。

いろいろ言い訳を考えてみた。

流行りの場所に遊びに行くとか美味しいものを食べ歩くとか、ここ久しくやってないなぁ....。音楽の事っていっても、華々しくデビューしてるんでもないし....。

ぐるぐる無理だ無理だと考えた挙げ句、突然、そうだ、源氏物語や鴎外、ポワロや小泉元首相の事を書いてもいいんだ!と思い当たったら、俄然やる気が出た。

 

私が高校生だった時、担任のN先生が生徒たちに「自分の好きな事、興味を持っている事、訴えたい事、とにかく何でもいい、言いたい事をまとめてみんなの前でスピーチをしなさい。」と言って、確か授業の始まる前だったかに毎日、一人5分間くらいの時間をくれた。

私は、”自分の好きな事”だったら絶対にポワロだった。

イギリスの推理作家アガサ・クリスティの小説の主人公、ベルギー人探偵エルキュール・ポワロ。

彼の言葉や行動や、フランス風お洒落や奇妙な性格や、何と言っても美しいまでに明晰な頭脳( ”灰色の脳細胞” )をみんなに伝えたかった。

私の番の前日は、何十編もの小説の中から大切と思う部分をそれこそ忘我嬉々として抜き出し、深夜、まとめあげたささやかな覚え書きを前に、”よっしゃぁ~”と一人にんまりした。

 

翌日、教室の黒板の前に立ってみんなの顔を見渡したら、クラスで数少ない女子という物珍しさもあって、かなりの期待感が漂っていた(笑)。    

( 新潟高校は、明治時代の旧制中学校を前身とするもともとは男子校で、私が在籍していた頃は1クラスに女子は8人ほどしかいなかった。)

緊張と嬉しさでどきどきしながらポワロの事を話しだすと、ものの数秒もしないうちに『なんじゃそりゃ?もうちょっと気の利いた事しゃべるかと思った....』てな冷たい空気がどっと押し寄せてきた。

えっ?どうして??

みんなもがっかりしたろうけれど、私はその百倍、がっかりした...。

 

その時の手痛い失望感があとを引いたのか、それ以降、自分の好きなものの事をあんまり話したくなくなった。話しても楽しい思いをする事はないだろう、そんな諦めがあった。

もし、シャーロック・ホームズや漱石、田中角栄や村上春樹を一番に好きだったなら、事情は少し違っていたのかもしれない(笑)。

 

yukoさんの勧めで、ブログを書く事を考えてみた。 

”好きなもの”を、誰にも気兼ねせず思う存分いいだけ好きなだけ自分の言葉で語る、、それは夢のように楽しくて素敵な事に思えた。

ブログ開設後、すぐにイズイズが源氏物語の話題を話しかけてきた。「田崎さんは、源氏の女性たちの中で誰が一番好きですか?」

ピアノの教室で、生徒さんがにこにこしながら言ってきた。「僕も鴎外、好きですよ。渋江抽斎は面白いですよね!」

思いがけない言葉を聞いてちょっとびっくりした。そして嬉しくなった。

同じものを好きと思う人の言葉が聞けて本当に嬉しかった。

 

高校生の頃の私は随分と臆病だったけれど、あれから”好きなもの”はどんどん増えた。”Jazzを弾く”という何よりも好きな事ができて、心も少し強くなったかもしれない。

いつかこのブログでポワロの記事を書く日の事を想像すると、今から高校時代のあの夜のようにわくわくしてしまうが(笑)、さすがに時を経て大人になった分だけ、ちょっとは冷静な感想を書けるのではないかと思う。

そして、今でも変わらずにポワロ・ファンでいる事にも気付いて、ちょっと感動した...。

 

 

NHK『名探偵ポワロ』( イギリス・LWT制作 )の名優デビッド・スーシェ。「アガサ・クリスティが見ていれば最も気にいった”ポワロ”になっていただろう」と言われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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2012年

6月

22日

グレ男(ぐれお)とアボ子(あぼこ)

うちの狭いベランダで、窮屈そうに並んでいるグレ男(右)とアボ子(左)。

グレ男は10歳くらい、アボ子は2歳くらい。まさかこんなに大きくなると思わなかったから誕生日はいつだったか覚えていない。ごめんね....。

グレ男は、ほぼ10年前のある日の朝食のグレープフルーツ、一番大きくて立派なゴロンとした種から生まれた。

アボ子は、ほぼ2年前のある日の夕食のアボガドサラダ、捨ててしまうには惜しいほどつやつやと美しい種がキッチンのシンクに残っていて、試しに土に植えてみたらすぐに元気な芽を出した。ひょろひょろと背丈だけは伸びたが、まだまだひ弱で頼りない。

そこへいくとグレ男はさすがに兄貴分だけあって、背丈は私を優に超え(170cmくらいか...)、根元の幹も本当に太くて、大地に植え替えればすぐに大木に成長するだろうくらいの勢いだ。

 

今でこそほとんど放任だが、グレ男が小さい頃はけっこう大変だった。

どんどん大きくなるのであわてて植物園に育て方を問い合わせ、鉢を何回も大きくし、旅行に出る時は数日でも心配で友人にむりやり預け、風の強い日は倒れやしないか夜中にブラインド越しに何度もベランダを確認し、蝶の子どもが葉っぱをむしゃむしゃ食べているのに気付いた時は真っ青になり、今思い出すと笑っちゃうくらいのドタバタ育児・初心者ママだった(笑)。

むりやり預けられた友人は、さぞかし私がモンスターペアレントに見えたことだろうと思う...。

 

逞しく成長したグレ男だが、最近気になっている事がある。

昔、植物園の方に「日本の気候でグレープフルーツは無理ですが、観葉植物としてなら大丈夫でしょう。大事に育てて下さい。」と言われたから花や実を期待した事はないのだが、それでも、葉っぱに顔を近づけるとちゃんと柑橘系の爽やかな香りがして「あんたはグレープフルーツなんだねぇ...」と妙に感動しつつ納得したものだが、最近、その香りがほとんどしないのだ。

高貴な出自を忘れて夜な夜な不良仲間と飲み歩いている貴族の息子、てな画像が一瞬目の前に現れて軽く焦った。

これ以上背丈が伸びると困るからと肥料をあげていないせいか....それとも近頃の異常気候のせいか、去年、葉っぱにいた青虫があんまり可愛かったのでそのままサナギになるまで観察しちゃったせいか....。

 

いろいろ思い悩むとこのまま狭いベランダに置くのも不憫に思えてきて、いっそグレ男とアボ子を実家の庭に移送しようかと考えている。

それにしてもどうやって運んだらいいんだろうなぁ....(困)。

 

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2012年

6月

15日

オリジナル3

数年前に杉並区に引っ越してきたのだが、その前は中央線国立市に住んでいた。

線路に近いマンションだったが、近くを通る電車の音が遠くかすかに聞こえるほど防音がしっかりしていて、夜は一人でいると寂しくなっちゃうくらい静かだった。

 

PC相手の打ち込み仕事に疲れると、晴れた晩はベランダに出てワイン片手にずっと夜空を眺めていた。

こう書くとものすごくロマンチックな感じだけど、実は、UFO▲をなんとか一目見たくて、人知れずかなり真剣に観察を続けていた(笑)。

我ながらまぁ何というかあれなのだが、当時は、国立市といえば近くに自衛隊の施設もあるし、都内よりUFO出没の可能性はずっと高いはず!とめちゃめちゃワクワクしながら夜空を見ていた。( UFOと自衛隊がなんで関係あると思ったのか謎...米軍基地なら分かるけど。)

 

その日は台風が近づいていて、いつもより雲が多く風も強かった。秋口だったと思う。

星も月も見えなかったので、今日は駄目だなと諦めて部屋に戻ろうとしたが、湿気を含んだ風が妙に気持ち良かったのでしばらくベランダの手すりにもたれて空を見上げていた。

夜空を覆うたくさんの雲が、強風に流されてかなり速いスピードで切れ切れに走っていく。雲間にところどころ、ぽっかりあいた小さな穴のように暗い空色がのぞいていて、まるで疾走する雲と併走しているみたいに見える。

そのうち、何だか妙な感じがした。

暗い空色とたくさんの雲と、もう一つ、別のスピードで同方向に移動している何かがあるような....。巨大な何かか無数の何かか、目をこらしても雲に遮られてよく分からない。

戦闘機の大編隊か巨大なUFO▲か! ここにいるのが私だけという事実にがっくりしつつ、でもそのうち、さっきから3分間くらいずっと見ているのに、上空の状況がさっぱり変わらないってのは変だよね?とも思えてきて、結局、目の錯覚かぁと諦めきれない無念さをねじ伏せるように観察を断念した。

翌日、Jazz仲間たちに身振り手振り交えて切々と報告した訳だが、ははっ!またぁ~、なんて案の定、軽く流されてさっさと”終了”されてしまった(涙)。

 

えらく前置きが長くなってしまったが、私のオリジナル3 「Purple Moon(紫の月)」は、そういう『UFO・苦難の観察時代(笑)』にできた曲だ。

 

夜空に日々姿を変えて現れる月は、ある時は冷ややかに、ある時は情け深く暖かに、傲慢さをひた隠し清楚な謙虚さを装って、この世とは隔絶した美しさで私たちを魅了する。

それはまるで、luna(月)の霊気に気がふれてlunatic(精神異常者)となってしまった殺人者や狼男を秘かに嘲笑うかのようだ。

月を見ていると何かおかしくなる....、そう言うなら、UFOを夜な夜な探す方がよっぽど怪しげだと思うが、月が紫色に見えちゃう前にUFO探索に飽きてしまった私は、危ういところで事なきを得たのかもしれない(笑)!

 

それにしても、一度くらい正真正銘のUFOをこの目で見たいと今でもほんの少し未練はある。

でももし、本物のUFO▲が杉並区に出現したなら、「どうして杉並区?」と逆に宇宙人に聞いてみたい気もする....。

 

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2012年

6月

06日

男の香り

だんだんと汗ばむ季節になってきた。

街で若い男性とすれ違って、なんとも言えない良い香りに思わず振り返っちゃう事が時たまある。

ん、いい匂い!って軽くうっとりして、あれっ、今の人、男だったよね?って一瞬混乱し、男のお洒落もここまで来たか....と、微妙な焦りというか敗北感というか(笑)、路上で一人、意味もなく複雑な気持ちに陥る、、見えないところのお洒落って粋だから、よけい負けちゃった感は強いんだよね....。

 

ドラッグストアーに化粧品を買いに行ったら、制汗芳香スプレーのコーナーで高校生の男子たちが真剣に商品を品定めしていた。冷やかしや遊びじゃなく....。

ちょっとびっくりした。

セッションの仕事で行ったライブハウスで、先に来ていたべースのN君に「最近の男子高校生ってさ、汗止めスプレーとか使うんだねぇ。」と話したら、きょとんとして「それ、常識じゃないですかぁ?」と言われた。

考えてみれば、見るからに”部活後の野球部・サッカー部”な一団が電車にどかどか乗り込んで来ても、当然車内に漂うと思われる汗臭さを感じた事が近年ない。

みんな気を使ってるんだなぁ、と思い至った。

常識かぁ....。

 

平安時代の若い貴族たちは、衣に高雅な香を薫きしめてお目当ての女性のもとへ通った。

源氏物語・空蝉の巻で、夜、灯りのないまっ暗な邸の中を源氏が女の寝室へ忍んでいくのだが、わずかな衣擦れの音と薫き込めた香の香りで相手の女性は源氏と気付き、薄衣を残して逃げてしまう。

暗闇の中のかすかな音と密やかな香り、その妖しく張りつめた空気を想像するとちょっとどきどきする。

平安の貴族たちは、自分だけの香りを調合し持っていたという。

 

現代の男性が平安時代に先祖返りしているのじゃないとすると、男は本当は大昔からずっと、匂いに敏感で美しい香りを身にまとうのが大好きだったのかもしれない。

付き合っている女性に香水をプレゼントするってのは、彼女の為というより自分の好きな香りを側に置きたいって事だったりして...。

貰った事がないので真偽を確かめようがない(笑)!

 

街ですれ違って思わず振り返っちゃった男性たちの香りは、よく電車の中に充満している、うんざりするほど嗅ぎ慣れた流行りの香水の類いではない、品よく香る洗練された男の香りだ。

たぶん男の嗅覚は女より優れている。

それに、いったんこだわりだしたら女は男には到底かなわない(笑)。

『香しいもの』への追求が高じて、”僕の香り”ブランドができるのも時間の問題かもしれない。

 

私はどちらかといえば香水が苦手で、きつく香ると頭痛がしてしまう。無神経な人がトイレやエレベーターの中で香水を振りかけた後に出くわすと、冗談ではなく倒れそうになる。

私が大好きと思う匂いは、小さい頃、夕食どきに父の膝の上に抱かれていた時に嗅いだ父の着物の匂いだ。少し酸っぱいような苦いような、父の匂いのしみ込んだ暖かくてちょっとごわごわした着物の匂い。

我ながら、どうしようもないファザコンだ....(笑)。

男にとって『香り』は科学、私にとっては記憶かもしれない。

 

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2012年

5月

31日

Arabian Night☆

6/2(土)、立川・Half Toneで、中近東ベリーダンスとJazzのコラボレーションという特別企画Liveをやります。

SaxのM氏は、3年間、中東に滞在されていて、あちらでのいろいろなお話を聞くのも楽しみなんですが、何といっても、M氏折り紙付き・本格的なベリーダンスを生まれて初めて間近で見れると思うと、今からわくわくします。

「Mさ~ん、私、どんな衣装で行けばいいですかね?」

「あ~、楽器の人は何でもいいよ!」

やっぱ、そうだよね....。 

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2012年

5月

27日

写真

私は、写真を撮られるのがあまり好きじゃない。

カメラを向けられたとたん居心地が悪くなって、昔の写真には「なんで撮るの?」とでも言いたげな、不機嫌そうなのが何枚かある。

 

ある日、ピアノを教えているミュージック・スクールで、先生の顔写真を一人ずつ撮ることになった。

カメラを構えた校長さんが、「みちこさん、笑ってください。」と何回も言うのだが、どうにもうまく笑えない。困った校長さんが「みちこさん、歯を見せて笑いましょう。」と歯の見せ方まで教えてくれて、ようやく満面笑顔の写真が撮れた。

集合写真ならなんとかなるんだけどね....。

 

このブログのギャラリーにある写真は、イズイズ( ブログで以前紹介したスーパーウーマン☆ )の友人・yukoさんが撮ってくれた。

最初は、ライブ・ハウスに出演する時にお店に送るプロフィール写真のつもりだった。いつも携帯で自分撮りした情けない写真(笑)ばかり送っていたので、ちゃんとした写真が一、二枚あるといいなぁというくらいの気持ちだった。

 

沼袋のスタジオで撮影が始まったのだが、あまりに本格的で、正直驚いた。

バックグランドにお洒落な音楽が流れ、イズイズはヘアーメイク、表情を柔らかくする為にハンドマッサージまでしてくれて、着替えの衣装が何着も並び、yukoさんは照明を考えながらきびきびといろんなアングルから連写する。

彼女は肩書きはライター兼エディターだが、なんだか場数を踏んだプロ・カメラマンの風格だ。     

テレビドラマで水着のモデルさんにカメラマンがポーズをつけるシーンみたいに、「あ~、その表情、いいですね!」なんて本当に言うもんだから、こっちもどんどんいい気になって、自然とカメラ目線でニンマリ微笑んでしまう。

着替えたり髪型を変えたりして、もの凄い数の写真を撮り終わった後、私の頭の中には花が咲き乱れ、色とりどりの蝶が舞い、小鳥たちが凄い勢いで飛び回っていた(笑)。

 

何枚かを選んで、yukoさんがスライドショーにしてブログにのせてくれた。

私の性格からすると、そういう事は気恥ずかしくて絶対嫌だ、、と思うはずなのだが、全くそんな気持ちがおきなかった。

この一連の写真は、私のものというより、イズイズとyukoさんと私の共同作品みたいなものだ。誇らしく思いこそすれ、恥ずかしいなんてどうして思えるだろう....。

たくさんのアイディアを出して、現場ではいろんな事を手助けしてくれたイズイズ、けっこう重いカメラを両手に構えて、スタジオ中を縦横上下に動き回ってくれたyukoさん、そして、カメラの前でめちゃめちゃ幸せな気持ちで笑っている私がいる。

 

こんな時間を経験できた事は本当に宝物だと思う。

ギャラリーの写真は謂わば、栞(しおり)みたいなものだ。そのページを開けば、あの時の彼女たちと私にいつでも会える。

 

あれから半年、相変わらず写真を撮られるのはあんまり好きじゃないけれど、カメラの向こうにいる誰かさんに、前よりちょっとだけ心からの笑顔ができるようになった気がする。

 

 

番外編。

 

新境地....?

 

 

 

 

  

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2012年

5月

21日

金環日食-2

6時半、携帯の目覚ましで起きて準備万端。

目覚ましのけたたましい音で起きるなんて、ツアーの仕事をしていた時以来かなぁ...。

7時過ぎ、朝ご飯を食べながら部屋の西側の窓から外を見ると、向かいに立並ぶマンションの東向きのベランダや屋上に人影はまったく見えない。

7時半、パーカーをはおって日食めがね片手に外へ出た。普通に通勤の人たちが通り過ぎて行く。マンションの人たちもほんの数人、家族でベランダにいるぐらいだ。

もっと大騒ぎなのかと思ったら、あまりに静かで逆にびっくりした。

めがねをかけて太陽を見上げたら、真っ暗な中に、思ったより小さな綺麗なオレンジ色の円が見えて、その中にぎりぎり大きな真っ黒な円がほんの少しずつ左に移動していく。

初めて肉眼でみる太陽の姿に、思わず「わっ」と小さく声が出た。

 

部屋に戻ったら、友人から「見てますか?」とメールが来た。新潟の父が、「こっちは三日月状だ。」と電話をしてきた。

曇りの予報で少し心配していたけれど、もう二度と見れない金環日食は静かに美しかった。

 

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2012年

5月

15日

金環日食-1

『金環日食は、太陽が月に覆われ、美しい光の輪を形成する天文現象。日本では1987年9月以来、約25年ぶりの観測で、関東では実に173年ぶりとなる。(MSN産経ニュース 5/14)』

 

173年ぶり~?そりゃ大変!って事で、さっそく日食観測用めがねを買いに行った。

中野のドン・キホーテで見つけたが、もう残り少なくなっていた。

新潟の父に電話したらまだ買ってないというので、実家にも送ることにした。

久しぶりになんか燃えた...(笑)。

 

      ( 6日後、よろしく!)

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2012年

5月

12日

男気

男と女は別の種類の生き物、と言う人がいる。

少し前には、男脳と女脳診断なんてものが流行った。

先日、三鷹ソニドのセッションの後、プロレス・格闘技専門チャンネルは一晩中でも見れる!と盛り上がる男性陣を見ながら、一瞬この人たちは宇宙人かと思った(笑)。

( ソニドのママがどっから聞いてきたのか、世の中には既に姿を変えた宇宙人がたくさんいるんだとか。この話題はかなり怪しげに面白いのでまた改めて...。)

 

お互いに理解不能な事多々ある男と女だが、男性的といわれる幾つかの特質の中で、私が一つ心から尊敬するものがある。

”男は、主義とか組織とか国とか、実体のない観念的なもの・理念的なものの為に命を懸ける事が出来る”という事だ。

 

女は、目の前の我が子や家族を死に物狂いで守ろうとする。でも、自分の信条や社会的な思想の為となると命懸けは非常に稀なんじゃないかと思う。

それに対して、ソクラテスや坂本龍馬を始め、イデオロギーや革命の為に命を落とした男の何と多いことか。有名無名に関わらず、たくさんの男たちが国や信条の為に命を削った。

 

この特質があるから、政治はずっと男の仕事であったのだと思う。

政治家は、ある公共的な概念・理想に基づいて集団をまとめていく。憲法で成文化されてはいても実体のない”国家”というものの為に、その政治生命を( 時には本当に命まで!)懸けたりする。言い換えれば、彼らにとって、そういうものが実体として見えているということなのかもしれない。

 

最近では、マーガレット・サッチャーやヒラリー・クリントン、独・豪首相、有能な女性政治家はたくさんいるし、優秀な女性官僚も政治学者もたくさんいる。

でも彼女達は、国や主義に命を懸けるなんてことはきっとしない。冷静に国益、省益を考え、社会を構成する個々人にとって現実的な答えを出していくと思う。

その意味では、優れた女性政治家は、男性よりよっぽど組織の舵取りに適してるのかもしれない。

 

誰の本だったろう、男と女の生理学的な違いについてこんな事が書いてあった。

スポーツのトレーニングで、男は「死ぬまで頑張れ」と言われると本当に死にそうになるが、女はそのかなり手前で「もう限界です」と言ってへばってしまう。

それは種族保存の本能で、女は自分の命をそう簡単には危険にさらさないという事らしい(笑)。

 

それにしても、きれいごとだけではすまない政治の世界において、何かの理念や理想に基づいて、例え逆賊と誹られようと自らを犠牲にしようと、ある目的に突き進む強い決意はやはり男性にかなわない気がする。

国の独立運動や民族解放、諜報活動やレジスタンス運動、お家騒動で暗躍する藩士とか.....。

 

どうも我ながら小説や映画の見過ぎって気もするが(笑)、そういう歴史や国際政治の中の男たちが、私には”宇宙人”のように見えてしまう。畏敬の念をもって....。

 

最近の若い男は、、なんていう声をよく聞くけれど、少なくとも私の周りの若いJazzミュージシャン達は、すごく真面目に世の中を見ているし考えている。

”音楽に命を懸ける”なんて事はまぁ無いだろうけれど、それでも、自分が持つ何か一つの理想の為に身を賭する姿は本当に美しいなぁと思う。

なかなか生計を立てていくのが難しいJazzを一生の仕事にする、それは考えてみればある意味、Jazzに命を懸けるという事なのかもしれない。 

”男気”という、今どき古風な言葉があてはまるような生き様だと思う。

 

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2012年

5月

05日

テレビ-2

数日前にこのブログで、

     

『世界中で、過去にそして現在もたくさん起きている、特に戦争や地域・民族紛争といった複雑で難解な問題を、冷静に事実のみを取材して視聴者に伝えようとするこういうドキュメンタリー番組が、日本の国営・民間放送でなぜほとんどつくられないのか....』

 

と書いた。

そのすぐ後、たまたまネットで、”NHKドキュメンタリーwave”という番組を見つけた。

http://www.nhk.or.jp/documentary/

 

世界や日本の様々な問題を伝える本格的なドキュメンタリー番組で、20114月放送開始とある。

放送履歴を調べてものすごく嬉しくなった。

やった~、日本の放送局、頑張れ~!

久しぶりにテレビが見たくなった。

 

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2012年

5月

03日

猫~Part2~

バックバンドの仕事をしていた時に一緒だったコーラスのKさんは、姉御肌で優しくて、頼りない私に業界のいろんな事を教えてくれたり、デモテープ作りに協力してくれたり、当時の私にとって、信頼できる心の支えと言ってもいいくらい大切な存在だった。

彼女の家には雑種の猫が数匹いて、遊びに行くと、懐かしいほのかな匂いと久しぶりに撫でる温かな毛の手触り、猫特有の ”あんた、何?”っていう高慢無礼な視線にめちゃくちゃ嬉しくなったものだ(笑)。

 

Kさんは大の猫好きで、老衰で歩けなくなった猫を最後まで世話をしていた。

私の母も、病気でばたばたと死んでいった猫たちを、夜中にお風呂場で( 排泄物のために )、一匹ずつ抱きしめながら看取った。( 猫エイズと呼ばれる伝染病で、うちの猫たちは全滅した。)

 

私の家は、”猫好きなうち”と近所で知られていたらしい。よく、捨て猫が家の前に置かれていた。

玄関のすぐ上の二階に私の部屋があって、子猫のみゃーみゃー鳴く声に気が付くと、すぐ母のところに行って「ねぇ、猫が鳴いてるよ。」と報告する。すると母は間違いなく、その子を救出してくれた。

 

ある時、暮れも押し迫ったもの凄く寒い日の夜中、雪が降り出して早々にベッドにもぐり込んだ私は、窓に吹きつける強風の中にかすかにみゃーみゃーと鳴く弱々しい声を聞いた。

飛び起きて母のところに行った。

二人で玄関に出てみると、段ボール箱の中に産まれたばかりの子猫が一匹、寒さで凍りそうな中、必死で鳴き声をあげていた。

母はその子を手で包み込むと、黙って家に入った。私は、あぁ良かった、もう大丈夫、と二階のベッドに戻った。母は一晩中、半死の子猫を胸に抱いて人肌で暖めたそうだ。

その子猫が成長して数年後、可愛い子猫たちを産んだ!

命というのは、なんと健気で力強いものか....。

 

Kさんが、猫たちを傍らに一緒にお酒を飲んだ時にこう話してくれた。

彼女のお家は神職で、猫や犬を飼う事ができない事情があった。小さい頃、境内に捨てられた子猫を川に捨てに行く、その役目が辛かったそうだ。

動物好きな小さな女の子に、そんな役目を課した神職の父親というのがそもそも許せないという気がするが、それを聞いて私は母を( そして、本来猫嫌いだったのに、母の為に一生懸命猫の世話をした父を )、心の底から誇りに思った。

Kさんのような悲しい思いをせずに育った事を、両親に感謝した。

 

うちの猫たちが病気で全滅した後、母はもう猫を飼いたいと言わなかった。

東京の私の部屋を訪れた父が、ポストカードや雑誌の猫の写真を切り抜いて小さな額縁に入れたのを見て、「やっぱりママの子だな。」と笑った。

 

この記事を書きながら思った事がある。

もしかしたら、私が好きだったのは”猫”ではなく、あの時母が愛した”うちの猫たち”だったのかもしれない。

一人っ子だった私の永遠のライバル(笑)、しょうがないなぁ....ちょっとだけ遊んであげる、、殆どいつも完全無視を決めこみながらも、気が向くと私の相手をしてくれた”うちの猫たち”。

 

懐かしさと、ちょっぴり恨めしく思う気持ちと、遠くに残して自分だけここに来てしまったような悲しさと、いろんな言葉にできない気持ちがごちゃ混ぜになって、何だか泣きたくなるほど会いたくなった。

 (写真の私は、いったい何をしたかったんだろう....謎だ・笑)   

 

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2012年

4月

27日

猫~Part1~

新潟の私の家には、昔、猫がたくさんいた。

ハンパじゃない数だ。一番多い時で10匹はいたかもしれない。

もっとも、家の中にいるのはそのうち数匹で、あとの猫たちは、食事時になるとどこからか戻ってくる、という感じだった。

 

こうなってしまったのは、母が原因だ。

捨て猫が可哀相でほっておけなかった事、雌猫には女と生まれたからには一度は子どもを産ませてあげたい、なんていう女性人権...いや猫権活動家のような勇ましい事を考えた事、そのうち避妊手術などの管理が面倒くさくなっちゃった事、その他いろいろ...。

結局のところ、母はとても気持ちが優しい人なのだが細かいことはあまり考えないし、父が本当に頼りになる人なので、困ったらなんとかしてくれるみたいな気持ちがあったのだと思う。

 

おかげで、父と私は本当に大変な思いをした。

今でも父と時々、「いやぁ、あの時は...」なんて、笑いながら思い出話をする。

父に比べれば、私の苦労なんて微々たるものだが....。

 

私が一人っ子だというと、「さぞ大事にしてもらったんでしょう。」とたいてい言われるが、とんでもない、わたしには強力なライバルみたいな兄弟たちがぞろぞろ居て、母の愛情はどちらかというとそちらに行っていたと思う。

学校の宿題ノートをテーブルの上に広げておいたら、目を離した隙に兄弟の一匹がその上に毛玉を吐いてしまい、私が泣くと母は「そんな所に出しっぱなしにするのが悪い!」と叱った。

小学生の時、文集に私の作文が載った。家族の事を書いたのだが、たぶんわざと猫の事を書かなかった。母は嘘の作文だと言って一言も誉めてくれなかった。

母にとって猫たちは家族だったのだと思う。

 

こう書くと私がえらく彼らを嫌っているように思われるが、私にとって、あの時いつもまわりに居た猫たちは間違いなく私の兄弟姉妹だった。

( 本当を言えば、みんないなくなっちゃえ!なんて何度も何度も思ったけれど....笑。)

 

同じ親から同じ時に生まれても、子猫は一匹一匹、性格が見事に違っていて、臆病な子、好奇心旺盛な子、弱い子、強い子.....個性は観察していると本当に種々様々だ。

猫の世界の強者・弱者の争いは苛酷で容赦がなく、戦いに負けて尾っぽがだらりと垂れ下がってしまった雄猫に、慰めようにも言葉が通じないから、ただ側に座って、”頑張れ、私も大変なんだ” なんて随分独りよがりな応援を心の中でつぶやいたりもした。

 

だから先日、facebookのリンクでたまたま見た「飼っている猫を魚と思って見ている」というブログの記事を読んで、思いっ切り悲しくなった。

無性にうちの猫たちの事を書きたくなった。

もう思い出でしかないけれど、愛憎悲喜こもごも、もの言えぬ家族の事を書きたくなった。

 

という事で次回に続く、また長くなっちゃいそうなんで(笑)。

 

( 時代を感じる.....笑 ) 

 

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2012年

4月

21日

テレビ

我が家にはテレビがない。

そう言うと、一年くらい前はたいてい「えっ?」という反応があった。そして「どうして?」と聞かれたものだが、最近ではあまり「どうして?」と聞かれない。

 

先日、ライブが終わって帰り道、深夜でがらがらの車内にベースのYくんと並んで座っていた。

ニュースや広告やプチ講座やらを文字と鮮明な画像で絶えず流している車内テレビ放送を、気付いたら二人とも無言で食い入る様に見つめていて、それが我ながら笑えて、「Yくんちもテレビないの?」と聞いたら、「はい~」って照れ笑いしながら答えていたが、その答えを聞いて私も「どうして?」とは聞かなかった。

 

ニュースはインターネットで見ているし、面白そうなドラマがあったらDVDでまとめて見ちゃうし、バラエティー番組はタイトルからしてつまらなそうでスポーツは最近お気に入りのチームがない。

たまに実家で見るNHK国会中継も、小泉進次郎くんの質問真っ最中に( 無礼にも!)いきなり終了してしまうし(笑)....とにかくテレビに期待するものがほとんどない。

 

それでも時々、BBCとか海外制作のドキュメンタリー番組が無性に見たくなる。

日本人の想像をはるかに超える世界の苛酷な現実や、知らされる事のなかった歴史の中の事実がたくさん報道されている。

数年前、まだうちにテレビがあった頃に見た、そうした海外のドキュメンタリー番組の衝撃的な映像は今でもはっきりと覚えている。

 

第二次世界大戦中の反ナチスの活動を証言するスパイたち、1994年のルアンダで国連がやった事( やらなかった事 )、イスラム世界で今も行われる名誉殺人を逃れて生きる女性たち、犯罪被害者の遺族と犯人である受刑者が一緒にバス旅行するアメリカ民間の試みのルポ.....。

 

世界中で、過去にそして現在もたくさん起きている、特に戦争や地域・民族紛争といった複雑で難解な問題を、冷静に事実のみを取材して視聴者に伝えようとするこういうドキュメンタリー番組が、日本の国営・民間放送でなぜほとんど作られないのか、すごく不思議に思う。

調査報道は日本では難しいという事? どうして難しいの?

 

YouTubeにアップされているドイツの国営放送・ZDF制作のドキュメンタリー番組「フクシマのウソ( 原題:Die Fukushima Luge )」が、最近ネット上で話題になっている。

( http://www.youtube.com/watch?v=4Z38NR0mn_M )

この番組は、日本社会の中の巨大な排他的利益集団「原子力ムラ」の実態を暴いている。

なぜ、日本の放送局じゃないの?。

日本の国内の真実さえ報道できないマスメディアって一体なんなのか....。

 

調査報道を遠ざける日本の報道体制、その中で生きるジャーナリストたちは何を信じて仕事をしているのだろう。

政府発表、官庁発表を全てとする事なかれ主義と、捏造・煽動を懲りずに繰り返す悪質な学者や評論家たち。

何を信じたら良いのか分からなくなっている私たちと、何を信じて仕事をしていったら良いのか分からないジャーナリストたち、、もしそんな構図なら、本当にテレビは要らない。

 

ジャーナリズムも政治も経済も、正義を追求する気持ちのない人が支配するようになったら終わりだと思う。

 

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2012年

4月

15日

誕生日

ちょっと前になるが、前々月24日は私の誕生日だった。

偶然、新潟の実家に帰っていた時だったので、昼ご飯を食べながら両親に言ってみた。

「ねぇ、今日はあたしの誕生日だよ。」

父「おう、そうか、誕生日か!」

母「へ~、今日は24日なの?」

私「うん。.....」

 

まぁだいたいこの流れは予想できたので何も思うところはないのだが、後日ふと考えてみて、うちって変わってるのかなぁと思う。

小学生じゃあるまいし、今更”お誕生日”もないでしょうと思う人もいるかもしれないが、うちでは、私が小さい頃から家族の誕生日を祝うという習慣がない。

夕ご飯のおかずがちょっと豪華になるくらいはあったのかもしれない。でもそうだったかもしれない、と記憶の彼方に朧げに浮かぶ光景は現実とも想像ともつかない(笑)。

 

悲劇なのは、お祝いのプレゼントと誕生日とがほとんどむすびつかないまま、大学卒業後、某大手音楽教室という文字通り女の園(笑)のような職場で働くことになった事だ。

2/24、何が何だかわからないうちにたくさんの素敵なプレゼントを貰って、へ~あたしって人気あるんだなぁ....なんて能天気な大誤解をした。

だいたい人の誕生日なんて、たとえ大好きな男の子であってもほぼ関心が無かったから、友達の女性講師たちが大切なイベントのようにお互いの誕生日を手帳に書きこんでいると知って、本当にびっくりした。

その上、私にとってプレゼントというのは、大変な好意か特別な感謝の結果であって、社交的な意味合いのプレゼント交換という概念がなかった。

おかげで講師仲間では“変な人”になっちゃった訳だ(笑)。

 

そういう洗礼を受けた後、実家のすぐ近くにステーキ屋さんができて、”ご家族のお誕生日に割引と記念撮影をサービス!”とあったから、そのお店が閉店するまでのかなり長期間、毎年、誕生日近くには必ず新潟に帰って家族でステーキを食べに行った。

父も母も私も、誕生日を祝うというよりは、美味しいステーキを食べて『みんなで写真を撮る』という事が最重要事項なのであって、「お誕生日おめでとう!」てな祝辞はその為の確認事項だったような気がする(笑)。

 

 

今思うのは、私の誕生日は、母がそれまでの人生で一番大変な想いをした日であり、父がこれから背負う大きな責任をかみしめた日であり、私にとっては最大の感謝の日だという事だ。

好きな音楽を思う存分やって、好きな仲間と一緒に仕事をして、好きな場所に住んで、好きな文章をたくさん書いて....。好きな事だけを、本当に思いっきり我が儘にやってきたなぁと思う。

 

六月と七月、母と父の誕生日がある。

いつもどおり電話で「おめでとう!」と言うだけなのだが、電話の向こうの明るい声を聞きながら、最近は何だか妙に切ない気持ちで胸がいっぱいになる。

そして、そんな気持ちになる事自体が申し訳ないような、どうにも説明しようのない心持ちに自分ながらとまどってしまうのだ。

誕生日をお祝いするのは、キリストと天皇だけでいいのではないかと正直思う。

  

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2012年

4月

08日

うちのベランダから桜を写した。

 

もうほんのちょっと右の方に歩くとささやかな桜並木があるのだが、離れてひっそり咲くこの2本の桜が、何だかとっても"けなげ”だ(笑)。

群れずに気高く、何も気負わず誰とも競わず、その時を精一杯いさぎよく美しく咲く....。

そんなめちゃめちゃ感傷的な思い入れをついしてしまうほど、桜は私たち日本人にとって特別な花だ。

桜の木の下で大騒ぎをしている人間たちとはまったく違う次元で花を咲かせ散らしているかのような、ある種、哲学的な高尚ささえ感じてしまう。

 

秋の虫の声といい、外国人にとっては理解を超える日本人独特の感性かもしれない。

 

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2012年

4月

02日

鍵盤が....!

毎週日曜日、ピアノのレッスンをしている沼袋の音楽教室。

YAMAHAのグランドピアノがあって、レッスンが終わると大概、指が疲れてよれちゃうまでたくさん練習して帰るのだが、先週、大事件が発生した。

鍵盤がいきなり割れちゃったのだ。

 

中央Cより1オクターブ上のCの鍵盤が、黒鍵のちょうど下の部分から横にパキッと割れて、あっと言う間もなくポ~ンと目の前を飛んでいった。

えっ!としばらく何が起こったのかついていけず、半分むき出しになった木の鍵盤をぼんやり眺めて、それから飛んでいった割れた白鍵を見つけて元の場所にはめてみて、やっぱこれ、割れちゃったんだよな.....となかば茫然と確認して、教室のオーナーに電話で報告した。

 

「明日、そちらに行きますので、そのままにしておいて下さい。」

 

後日、メールで「大丈夫でしたよ!」と連絡をもらっていたけど、ずっと心配だった。

昨日、一週間ぶりに教室に行った。

生徒さんも気付かないほどに直っていて本当にほっとした。( アロンアルファでくっつけたそうだ!)

図解すると(笑)、白鍵の、ほんの少しだけ木鍵から浮いていた薄いプラスチック板の先端部分が指に引っ掛かって上に押し上げられ、一瞬の勢いで割れてしまったらしい。

 

友人に「鍵盤が割れちゃってさぁ....」と言ったら、「みっちゃん、どれだけ激しく弾いたのさ?」って言われたから、「そうじゃなくて....」と事情を説明しようと思ったけれど、長くなりそうなのでむにゃむにゃ言って終わりにした(笑)。

 

とにかく、先週日曜日は久しぶりに焦った....。

 

 

 

 

( 髪の毛くらいの跡があるけど、よく見ないと分からないよね?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年

3月

27日

電車の中

ずっと以前、外を出歩く時には大概いつも、ヘッドフォンで音楽を聴いていた。

地下鉄なんかに乗ると低音がかなり聴きづらいのだが、意地でも(笑)、音楽を聞き続けていた。

 

それが、PCで音楽を作りだした頃から、特にカラオケの仕事が殺人的に忙しくなった頃くらいから、外でヘッドフォンをほとんど使わなくなった。

カラオケ・データを作る時は、イヤフォンで楽曲をコピーしながらどんどんデータを打ち込んで、ステレオフォンで音源のバランスやpanを確認するというやり方だったから、ヘッドフォンの消耗度は半端じゃなかったし、難聴になっちゃうかも、、という不安がいつもあった。

カラオケは1000曲以上作ったんじゃないかな...。

今思えば、その間、朝から夜中まで”音”を、自分が選んだ好きな音楽ではない”音”を、ずっとヘッドフォンで聞き続けていたと言えるのかもしれない。

 

最近は、外を出歩く時には街の音を聞く。

歩道を歩く親子の会話やお店から聞こえる威勢のいい掛け声、商店街にかすかに流れる懐かしい音楽や、遠くや近くを走るたくさんの自動車が出す都会の通奏低音のようなぼんやりとした音。

中でも格別なのが電車の中だ。

耳をそばだてている訳ではないけれど、自然と面白い話がいっぱい聞ける(笑)。

 

「おまえ、”みのうえしょ”、もう書いた?」

「いや、まだだけど、あの”みのうえしょ”って、書くの難しいな!」

 

ん~、それは”みのうえしょ”じゃなくて”しんじょうしょ(身上書)”だよ。身の上相談と同じ漢字だけど...。

ものすごく可愛い女子高生が友人たちに、”筋肉痛をいかに克服して立派な筋肉を作るか”について熱弁をふるっていたり、上品な初老のご婦人が、巧妙な手口の振り込め詐欺に危うくひっかかりそうだった話をとても美しい日本語で話していたり....。

つい先日、ちょっと興味深かったのは高校生の男子グループの会話。

 

「コンビニで美味そうな弁当とか買ってさ、一人で食べるのって最高だよな!」

「え~? それって寂しいだろ。やっぱ家族とかみんなで一緒に食べるだろ、ふつ~。」

 

最初に言った男子はみんなにやり込められていたけれど、私が高校生だった頃、一人でいるのが寂しいっていう感覚はほとんど無かったと思う。

友達と騒ぐのも好きだったけど、一人でいるのも大好きだった。

一人で自分の好きなものを食べるって、私も最高だと思うけどね....。

ただ、女で私みたいな事を考える人は、間違いなく婚期を逃しちゃうような気もする(笑)。

 

そんな電車の中で、ちょっと腕が当たったり足を踏みそうになって、慌てて「ごめんなさい!」と声を掛けた相手がヘッドフォンをしていると、まったくこちらを見向きも振り向きもしてくれない。

その時は、ちょっとだけ寂しい気分になるかな....。

 

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2012年

3月

18日

Jazz同窓会

昨日は、青梅線小作駅前にあるライブハウス、”ロッククラブ”で10数年来のJazz仲間たちと久しぶりのライブ。

「お~、久しぶり。」てな簡単な挨拶で始まった演奏は、予想どおりめちゃめちゃ楽しかった!

Tpのふとちゃん、Bassのルーピー、Dsのマレッティー、そして初めてお会いしたSaxの太田先生( ドクターだそうです )、飛び入りのトランぺッター国夫くん、そしてお店のボーカリストまこさん。

 

”ロッククラブ”って名前でちょっと思っていたイメージとはまったく違って、マスターの垢抜けたセンスがあちこちで光る店内は、”Jazzのお店”って言ってもいいくらいのJazzyな雰囲気がいっぱいで、リハの時から何だか嬉しくなってしまった。

ふとちゃん、ルーピー、マレッティー、いい年のおじさん( 失礼!)をこう呼ぶのも凄いことだが、私も凄いことに”ミッチー”だ(笑)。

 

この人たちと出会わなかったら、今、私はJazzをやっていなかったと思う。

大学のJazz研とか( なんで研究会?)、Jazz評論家とか( 評論するんだったら一度演奏してみましょう!)、公民権運動からJazzを語る人たちとか( 音楽に政治を持ち込むの?)、とにかく面倒くさいJazzとは何かみたいな定義を飛び越えて、ただJazzは楽しいねって最初に教えてくれたのが彼らだ。

気持ちの良い音を出す、本当にただそれだけの事なのだと教えてくれた。

良い出会い方を最初にしていたからこそ、今までずっと楽しくJazzを続けてこれたのだと思う。

 

社会的な仕事をきちんとやりながら、趣味としてJazzを続けている彼らを見ていると、音楽を仕事にする事の意味や矜持を考えてしまう。

音楽と、生きる事とを切り離して考える事が出来ない私に、選択の余地はまったくないのだが....(笑)。   

 

飛び入りでトランぺットを演奏してくれた国夫くんは、なんと13歳、中学1年生だ。

これから沢山の練習と勉強と経験を楽しんでほしいと思う。

こんな若さで、ここまで表現する力があるなんて本当にびっくりした。

 

 

 

 

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2012年

3月

11日

3.11

森鴎外の歴史小説で『最後の一句』という短編がある。

江戸時代の実話を基にしたもので、死罪になる父の命を救う為に身代わりになろうと奉行所に願い出た”いち”という16歳の少女が、お白州での取り調べで役人に向かって最後にこう言う。

「お上の事に間違いはございますまいから。」

 

この言葉について、権威への痛烈な皮肉とする意見がある。

鴎外自身、ドイツ留学後一生にわたり高級官僚として権力の内部にいて、日本の官僚たちのある種の愚かしさを苦々しく思っていたに違いない。その意味では、まさに皮肉であったかもしれない。

 

でも、私はこの言葉は、”仁徳天皇の「民のかまど」の話”がいまだに語り継がれているように、日本人が心の奥底に持つ上に立つ者への信頼と畏れを、鴎外が改めて確認した言葉だと思う。

崇高な自己犠牲の境地に至った”いち”が、大丈夫ですね、全てをお任せします、と伝えた言葉の中に、権力への批判、あるいは『反抗の鋒(ほこさき)』を感じたのは受け取る役人側の問題であって、古来日本人は、上に立つ者はその責任を負うことを知る人であると思ってきた。

 

大家といえば親も同然、村人たちの命を救った庄屋さま、幕府の役人も政党の党首も、役目上、様々な知識を持ち、下の者や国の事を考えている人なのだという理解が一般にあったと思う。( もちろん例外はいっぱいあっただろうけれど....。)

その時は受け入れられない事であっても、あるいは不当と思える事であっても、それが相対するもう一つの是認されるべき解答なのだという思いが、”いち”にしろ、尊王攘夷派の武士にしろ、安保闘争の学生にしろ、権威に対する諦めや反発と共にあったはずだ。

 

上に立つという事は、信頼に対する責任を負うことだ。

その信頼を得て政治家になった人が、突然道を踏み外したり、謝った選択をする事は過去にもたくさんあったし、信用をお金で買えると勘違いした人もいただろう。

それでも、国家・市民を想う人が政治家になるという認識は小学生ですら持っていた。

それが、3.11の大災害と共に崩れ去った。

 

目の前の敵を倒すことだけが信条の人が、私たちが心の奥底に潜在意識のように持っていた上に立つ者への信頼をめちゃめちゃに壊した。

我が子を守ろうとするお母さん達は、「政府の言うことは信用できませんから。」と言う。

子ども達までが日本のトップを嘲笑した。

「お上の事に間違いはございますまいから。」という少女の言葉を書いた鴎外が、今の日本を見たらいったい何を思うだろうか.....。

 

今、懸命に頑張っている野田首相や若いやる気のある議員や官僚の方々は、どうか、この国がどれだけ有能な人達の努力で支えられているかを、もう一度、私たちに思い出させてほしい。

そして、それが本当の真実であると、私たちに心から信じさせてほしいと思う。

 

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2012年

3月

04日

女の香り

新潟の長年来の友達が、センテッドスティックをプレゼントしてくれた。

こういうものを見るのは初めてだったので、インターネットで検索してみた。

 

『アロマリキッドの入った瓶に、木製のスティックを差し込んで、スティックににじんだほのかな香りが、優しく空間に広がります。スティックの本数を変えることで、香りの微調整が可能です。』

 

頂いたのは「purerose」の香り。

ちょっと甘いバラの香りのするセンテッドスティックを、一緒に貰ったレースのポシェチーフ( これも初めて見た....一見ハンカチで中に小物を入れるポケットがついている )の上に置いてみた。

何だか、あぁ、あたしって女の人よねぇ....てな優雅で感傷的な気分になった。

 

いつも人から言われるのは、凛々しいとかきりっとしてるとか男らしいとか( どういう意味?)、立っているだけで偉そうだとか( これはひどい!・笑 )、宝塚の男役じゃないんだし、、と思うのだが、たぶん私自身、あまり女性という事を意識してこなかった気がする。

友人たちからは、もっとお洒落したら、とかもっと美容院に行って、とか言われるけれど、今いちピンとこなかった。

それなのに!バラの香りとレースで、なんかむくむくとわき上がってくるこの不思議な気持ち(笑)。

あぁ、あたしって女の人よねぇ....。

 

もっとも、バラの香水をつけてレースのいっぱい付いたドレスを着るのは絶対に絶対に無理だと思う.....。

 

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2012年

2月

27日

イズイズのこと

先日、「ブログの写真、見ましたよ!」と声をかけて頂いた。

なんとも恥ずかしい....でもすごく嬉しいむずむずの気分(笑)になった。

 

ギャラリーにある一連の写真は、このブログの開設でお世話になったYukoさんと、私のピアノを応援してくれている、私にとって恩人のような存在であるイズイズ( これはご近所仲間公認の愛称らしい...)、彼女たちのパワーとセンスであれよあれよという間に形になって、ほとんど私じゃないような(笑)めちゃお洒落な写真になった。

お二人への感謝の言葉はまた別の機会に譲るとして、今日は純粋に一友人として、驚くべきイズイズのスーパーウーマンぶり! を書きたいと思う。

 

スーパーウーマンと言っても、格別力持ちだったり、とんでもない才媛だったりするわけじゃない。

彼女は、例えて言えば、江戸八百八町・町火消し”め”組のしっかり者の姐さん、でもどこかおきゃんな娘っぽさが抜けきれなくて....な~んて人情話の主人公みたいなのだが、時代劇に出てくる江戸っ子よりはずっと上品だし奥ゆかしい。

それじゃあどこが”驚くべき”スーパーウーマンかというと、私が本当に何度も”驚いた”からだ(笑)。

 

最初にちょっと驚いたのは、J.J.Nashでトリオのメンバーと話していた時。

メンバーが以前に話したことやその時の服装・髪型等、細かな状況を彼女は実に良く覚えていて、凄!ジェイソン・ボーンみたいだと思った。( ジェイソン・ボーンはマット・デイモン扮するCIAスパイ-『ボーン・アイデンティティー』)

何しろ私は、何年も付き合いのある知人が眼鏡をかけていたかどうかも忘れてしまうほど、服装・髪型に関しての記憶力がほぼゼロに近い。

サスペンス・ドラマでよく出てくる犯人の目撃証言なんて、もし実際やる事になったりなんかしたら成果は限りなく絶望的だ。

 

次に驚いたのは、その話題が多方面にわたること。

山本くんと芸能界ネタ、林くんと経済の話をして、マスターと米TVドラマで盛り上がり、私の大好きな政治論議(笑)でもちゃんと意見を言う。だいたい好きな政治家が大平さんだなんてかなりの政治通だ。

feminizumも落語も超能力もOK、趣味も多方面にわたる。

彼女は jazz vocal を習い始めて、最近は私のライブでも飛び入りで歌ってくれるのだが、ある日、歌う前に自作の俳句を披露してくれた。

後で聞いたら小唄も習っていたそうで、踊り・ダンス関係もずいぶん上手そうだし、いったいどれくらいの趣味があるのか見当もつかない。

 

決定的に驚いたのは、冒頭に書いたブログの写真撮影の時だ。

イズイズは、ファッションの流行を押さえつつそれほどお金をかけなくても素敵に見せる技をいくつも知っていて、アドバイザーとして企画段階からいろいろなアイディアを出してくれた。

ところで、私の一番の苦手分野がファッションだ。

洋服を買いに行く時は前日から気が重い....。膨大な数の洋服から四苦八苦して選び、試着室で格闘して、店員さんのお世辞を半信半疑で聞き流し、ようやく決心してカードのサインをする時はすでに汗だくだ。

家で、たまったDVDや本を相手にしている方が数倍楽しい。

それなのに、街に出てゴージャスに着飾った女性や可愛らしくお洒落をした女の子を見ると、ほ~っと思わず感嘆の声をあげてしまう。これじゃまるでおじさんだよなぁ....。

さて、撮影の最中に、私はいきなり髪型をアップにしたいと思った。アップにするにはそれなりの道具が要る。

イズイズはちょっと考えて、そこらへんにあった鉛筆を使ってするするっとアップにしてくれた。

事ここに至って、私はめちゃめちゃ彼女を尊敬した。

 

一ヶ月後、めでたくブログを開設し、私は最初の記事に”鴎外や源氏物語が好きです”と書いた。それを読んだイズイズが私に言った。

「田崎さんは源氏の女性たちの中で誰が一番好きですか? 私は花散里が好きです。」

むむ、源氏も守備範囲かぁ....。

「田崎さんは森茉莉とかも読みますか?」

わっ!そこまで行くか.....。( 森茉莉は鴎外が溺愛した長女・作家。)

 

ね、驚くでしょ?

でも私が何にもまして尊敬の念を惜しまないのは、彼女が、愛する家族-ご主人と2人の息子さんにとってまさに太陽であることだ。

家族の中心で常にみんなを明るく暖かく照らす太陽であるということは、そのこと一つでとても特別な才能なのだと思う。日本の社会はその才能をもっと評価して良いのだと思うし、”驚くべきスーパーウーマン”は、実は、私の周りに何人もいるのかもしれない。

 

それにしても、イズイズの知的好奇心はまるで中身のいっぱい詰まったびっくり箱だ。驚かされるのはめっぽう面白いし、jazzの他にも私と共通の話題がたくさんある。

今度、落合福嗣くんの自伝を貸してくれると言っていたけど、笑いのツボが同じなのもこれまたかなり嬉しい(笑)。

 

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2012年

2月

20日

オリジナル2

今日は、東小金井J.J.Nashでピアノ・トリオのライブ。

『Why Do You...?』というオリジナルを初演奏する予定なんだけど、今からドキドキだ。

 

だいたい、スタンダードの名曲を演奏するのと自分の曲を演奏するのとでは、天と地ほどの気持ちの差がある。

何十年も生き続けてきた曲のもつ凄さというのは、もうほとんど感動的だ。

三ツ星レストランで食事をするような、ゴージャスな緊張感と懐の深い安心感がある。

一方、オリジナルには自分の世界を一部披露するみたいな感覚があり、それを一緒に演奏してくれる仲間や聞いてくれるお客さんがいるということは、これ以上ない幸せで嬉しいことだと思う。

ただ、あんまり自信があるわけではないから演奏する時の気持ちはほとんどおっかなびっくり、大丈夫かぁ....だ(笑)。

何回も演奏して本当に自分の歌になったら、きっとめちゃ楽しいんだろうな....。

 

さて、この『Why Do You...?』は、jazzをやり始めて数年の頃に作った曲だ

当時は国立に住んでいたのだが、しょっちゅう多摩地区の仲間と集まってはセッションで遊んでいた。

なんとも楽しい時間で、この時代があったから、それまでチャーリー・パーカーさえ知らなかった私でもjazzを演奏する面白さを知ることができたのだと思う。

 

この仲間が私を除いてみんな男性で、こういう状況は仕事でもほとんどそうだったから別に違和感はないのだが、仕事じゃなく遊びとなると、まぁなんというか、男と女の違いみたいなのがいろいろ些細な事で出て来て、それが結構面白かったりびっくりしたり、そんな気持ちが「あんた、どうしてさ....」となった訳だ。

 

Why Do You....の後ろには、もうたくさんあるのだが、例えば、男の人はなんで俺とか僕とかわしとか私とかおいらとか拙者とか( これは無いか..笑 )、微妙に使い分けるんだろうか。

なんで道に迷って右往左往している状況で、ビビアン・スーの写真集を本屋で見つけてみんなで盛り上がれるんだろうか。

等々、今に至っても解けない謎(笑)がいくつかある。

 

でも、男の人も女性に対して、”Why Do You...?”と絶対思っているに違いないし、たぶん聞かれても、だってそうだから仕方ない!と答えるだけだから、あまり実りある議論になりそうにない。

 

”どうして....”は聞かない方がお互いの為ということだ(笑)。

 

あ...、そろそろライブの練習をします!

  

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2012年

2月

16日

不思議なこと

前回、母の超能力(...?)の記事を書いていて思い出したのだが、私にも不思議な体験が二三ある。

その一つが、『お風呂での対話』だ。

 

当時、スタジオ録音の楽曲アレンジやカラオケの打ち込み仕事とかで、飲まず食わずの徹夜はしょっちゅうだった。

事務所で毛布にくるまって仮眠をとりながら譜面を書いたり、催促の電話に悲鳴をあげながら打ち込みデータを締め切り寸前、ぎりぎりで送ったり、こんな事続けてたらそのうち病気になるなぁ、なんてぼんやり考えながら、とにかく目の前の仕事を必死にこなしていた。

なんとか間に合わせなきゃ、寝る時間、食べる時間を削ってでもちゃんとした仕事をしなきゃ....、強迫観念のように思っていた。

 

その日は、徹夜が3日に及んでその間ほとんど食事らしいものも摂らず、ようやく期限に間に合ってそれこそぼろぼろの状態でお風呂に入っていた。

意識がもうろうとする中で、ふいに頭の中に声がした。その声は、恋愛や仕事・人生に関する様々な命題を問いかけて、私が一生懸命考えて答えるとさらに違う問いかけをして、不思議な、一種哲学的な対話がしばらく続いた。

そして最後に、ある”謎の言葉”を残して対話は終わった。

お風呂の中で寝ていた訳ではなく、半覚醒状態というよりは頭の中だけが違う次元にいる.....というかなんとも説明しがたい感じだった。

「それって危ないんじゃないの~?」

自分でもびっくりして友人たちに話したら、予想どおり”危ない幻聴”という事になった。まぁ、それしか説明がつかないよな....。

 

実は、この声を聞いたのはその時が初めてではない。ただずっと忘れていた。

それよりかなり前、ガリガリに痩せてしまう程のストレスに苦しんでいたさなかだ。

この時はお風呂ではなく、アパートのロフトに上がって不眠症と戦ってなんとか眠ろうとしていた。

ふいに周りに優しい感じがして、例の”謎の言葉”が頭の中に響いた。

全くまともに考えなかったし、ずっと思い出しもしなかった。自分の心が助けを求めて想像したものだと思ったから。

 

そしてついこの間、年末だったか、3回目の対話体験があった。

極限状態やストレス状態ではなく、普通にお風呂に入って、声と対話するというよりは自問自答という感じで、あれこれいろいろな事を考えていた。

そして最後に、あの”謎の言葉”を聞いた。聞いたというよりは、ある言葉がふわっと頭の中に浮かんだ。

あっ、と思ってこの時にようやく、はるか昔に2回、同じ体験をした事を思い出した。

 

声というよりは、心の奥底に眠っていた潜在意識というやつなのかもしれない。

ただ、その”謎の言葉”の意味する事が未だによく分からない。

この先、何年も生きてみて、”ああ、この事だったのか”、と気付く時が来るのか、あるいは、”昔そんな事があったなぁ”、となんの意味も無かったことに気付くのか、どちらにせよ、また忘れてしまわないうちにここに書いておこうと思った。

 

前回と今回、母の超能力と私の不思議体験。変な親子だなぁ....友達でいるのやめとこっかな、な~んてどうか思わないでほしい....(笑)。

 

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2012年

2月

09日

超能力

私が東京で音楽の仕事を始めた頃、だからずいぶんと昔のことなのだが、お盆で帰省した私に母が面白いことを言った。

「あのねぇ、あたしには小さい頃から何だか不思議な力があるんだよ。誰だったかの葬式の帰り道にうちのばあちゃんがどっかに数珠を落としてね、あたしが走ってすぐに見つけてきたんだ。どういう訳かどこに落ちてるって分かったんだよ。」

ふ~ん、それって遠隔透視ってやつかな、でもまさかうちのママが超能力者なんてねぇ....。

 

母には、それは父も認めていることだが、何だかよく分からないけど、とてつもなく運が良い人、というイメージがある。

別に、一億円の宝くじを当てたり株で大儲けするわけでもないし、母の人生で格別ラッキーだったことなんて、私が知る限りほとんど思い浮かばないのだが、でも何か、他の人にはない特別な感じは昔から確かにあった。単に”変人”てことではなく....(笑)。

 

でもだからといって、超能力なんてものがこの世に存在するとはとうてい思えない。

もし本当にあるのなら、世界中の科学者たちがとうに研究しているはずだ。

 

と思っていたら、先日、心底びっくりする映画を見た。

『山羊と男と男と壁と』( 2009年/米・英 )、主演はジョージ・クルーニー、ユアン・マクレガー、他にジェフ・ブリッジス、ケビン・スペイシー。     

何とも凄い豪華キャストのわりにあまり話題にならなかったし、驚くようなスペクタクルも涙あふれる感動もほとんど無し、緩いコメディともシニカルな反戦ものともつかない摩訶不思議な映画だ。( 私はこういうの結構好きだなぁ...)

 

冷戦時代に米軍に実在した超能力部隊の関係者に取材したノンフィクションが原作、ということなのだが、米ソ冷戦当時、ソ連もアメリカも軍事目的の超能力研究・開発を秘密裡に行っていたらしい。

まぁ確かに、スパイが超能力者だったら情報収集もかなり楽だし、相手国の潜水艦や秘密基地の位置が透視で分かるなら莫大な経費削減になる。

でも、何だか嘘くさい話だよなー映画のコメントを見てもほとんどの人が半信半疑だ。

 

More of this is true than you would believe.( 信じられないほど実話に近い物語 )

映画の冒頭、この一文が出る。観客に念を押す、それほど信じられない実話だということだ。

 

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何が心底びっくりしたといって、この嘘のような話を、私は20年以上も前に友人から聞いていた。

幽霊話かなんかで盛り上がっていた時にふとその彼が、

「僕の知り合いの人( だったかその友人 )が凄い霊感があってさぁ、とにかく何かいろんなものが見えるんだって。池袋の古いビルでエレベーターの扉が開いた瞬間、戦時中のものすごい火事の映像が見えたりさ....。その人、こないだアメリカの超能力とかやってる研究施設に連れていかれたらしいんだよね。ソ連も同じような事やってるんだって。」      

 

その話を聞いた時は、へー、都市伝説だなと思って本気にしなかった。

でもこの彼が連れていかれた研究施設が、映画の中の超能力部隊関連だった可能性はある。

20数年前の友人の話は、信じられない実話だったということかもしれない。

もう一つ。

イラク戦争で、国防長官ラムズフェルドが終始強硬にイラクにあると主張した大量破壊兵器。

あそこまで彼が強く確信する一因に、進化・精鋭化して存続する米軍・秘密超能力部隊のレポート結果があった、な~んて、こっちは私が考えたただのSF(笑)。でもそんな荒唐無稽な話をあれこれ空想してみるのもなかなか楽しい。

 

さて、お盆で帰省した私と母の会話。

小さい頃から不思議な力が云々....と話した母が、「あたし、これから起こる事とか少し未来の事とか、なんとなく分かる時があるんだよね、たま~にだけど。」それからまじっと私の顔を見て言った。「おまえ、ずっと独りだわ。」

 

え~~っ!! そういう事、ふつう母親は娘に言わないんじゃないの~?!

まぁ、結婚願望が100%なかった当時の私は予知能力の話の方が面白くて、「本当~?ふ~ん....」と疑わしげに母の顔を眺めた記憶がある。

今になってみると母の予言は完全に当たった訳で(笑)、もしかすると、信じられないほど身近に”超能力者”がいたのかもしれない。

 

何がどこまで本当なんだかさっぱり分からないが、超能力は遺伝しないという事と、もし超能力があっても人生であんまり役に立たないという事だけはどうも事実らしい。

 

( 今回、かなり長文になっちゃいました...。ごめんなさい!)

 

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2012年

2月

02日

雪、雪、雪...。

月末に、4日間ほど新潟に帰った。

 

市内は何十年ぶりというほどの大雪で、毎日雪かきをした。

新潟市在住の友人いわく、”今シーズン、雪かきはいわばウインタースポーツ、市内はほとんどアイスリンク状態!”

実際、日陰の道の雪は固く凍ってツルツルで、道行く人はみんな足下を確認しながらゆっくりゆっくり歩く。

それでも市内のバスなどの交通網はほぼ平常通りで、積雪量はテレビで見る山あいの町の豪雪とは比較にならない。

日常生活もままならなくなるほどに雪に埋もれてしまう地域の方々の苦労はいかばかりか、と思う。

 

これほどの大雪は久しぶりなのだが、見知らぬ人と道をお互いに譲り合い「お気をつけて」と声を掛け合ったり、町内お隣さんの助け合いや頭が下がるほどの気遣いに接して、ああ、新潟の人はこうだった、と改めて私たち”雪国の人間”の気質を再確認した気がする。     

 

何だか遠い昔を思い出すような、懐かしい気持ちになった。

  

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2012年

1月

29日

嵐の前の静けさ

28日(土)昼間の三鷹ソニドのセッション。

震災以降、久しぶりに顔を見せてくれたギターの良知さんと和やかに記念撮影。

 

この後、どうしたことか続々とプレーヤーが集まってきて何だかすごい事に....。

セッション最後の全員参加『now's the time』は、ホスト・ベースのダイスケくんが「big band状態だ...」と呟いていた。

みなさん、寒い中を来て頂いて、本当にありがとうございました!

 

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2012年

1月

27日

オリジナル

先日、沼袋オルガンJazz倶楽部で、城谷雄策さん(Tp)、小杉敏さん(Bs)とライブだった。

 

このトリオは、一昨年の暮れ頃から3ヶ月に1回のペースで続いている。

その前はドラムも入ってカルテットだったのだが、お店のグランドピアノの音色がとても美しくてPAを通したくなかった事( ドラムが入るとどうしてもPAが必要になる )、3人で室内楽みたいにやるのも良いかな、と思った事( 城谷さんのTpの絶妙な音色の変化はまるでクラシックを聴くようだ )、何より、小杉さんのベースのグルーブ感・リズムのうねりが言葉に表わせないくらい凄いので、それをしっかり体感(笑)したかった事、そんなこんなでドラム無しのこの形に落ち着いた。

 

このトリオで初めて、私のオリジナル曲を演奏してもらった。

『海を見ていた女』というのだ。タイトルだけでお客さんに結構うけた....。

 

この曲を作ったのはもうずっと以前、popsの楽曲の公募・コンペを目指して、自宅のシンセとPCで簡単なオケを作り、歌の友達に頼んで歌詞無しでメロディを入れてもらったりして、半分遊び、でも頭の片隅で、コンポーザーは無理でもアレンジャーにはなりたいよなぁ....みたいなかなり中途半端な事を考えながらせっせとデモテープを作っていた頃だ。

商業音楽にどっぷり浸っていた頃だから、『海を見ていた女』なんて歌謡曲チックなセンスも仕方ない。曲自体も80年代popsの感じなのだが、どこかjazzになりそうな雰囲気があったので少し手直しをしてみた。

タイトルは変えないことにした。

 

曲の題名を考えるのは、一枚の絵に名前をつけるのと同じだと思う。

何か抽象的な概念や想いを音符や絵筆で表わしたい時に、表現者は題をつける。

チャイコフスキーの『悲愴』を聴いて、私たちは底知れない悲しみを体験し、ムンクの『叫び』を観て恐ろしい不安を作者と共有する。

あるいは、創り出されたものから表現者がインスピレーションを得て題名をつけるかもしれない。

いずれにせよ、題名があって、作者と受け手はある共通のイメージを持ち得る。

 

W・ショーターの『yes or no』という曲をライブでやったのだが、この曲は、A-A-B-Aという構成。

ものすごくかっこ良くて大好きな曲だ。

A-Aの部分で「yesなのかnoなのか?」あーだこーだ自問自答して「ああ....もう!」とぐるぐる悩み、-Bの部分で「thinking time!、ちょっと冷静に考えてみよう」てな感じで多角的、分析的にいろいろやってみた挙げ句、結局-Aで「ああ~、やっぱ分かんないじゃん !!」みたいな展開で、私は演奏しながらこのご本人の心境を察すると、何だか大変ですねぇって不謹慎にもニヤニヤしてしまうのだ。

『It's Easy To Remember』というバラードをリクエストを頂いて演奏した。「思い出すのは簡単」、ん~?どういう事?

歌詞の中に、でも忘れるのは難しい、あなたの事は....なんて、もう粋だなぁ~って思わず涙が出そうになった(笑)。

 

曲のタイトルは私にとってものすごく大事な要素だ。

スタンダードの曲を練習する時、題名から妄想モード(笑)に入ることが珍しくない。

 

話は戻って、私のオリジナル『海を見ていた女』。

私としては ”海” にかなりこだわりがあり、MCで、

「男の人はよく海に向かってバカやろ~なんて叫びますよねぇ。」なんて言ってしまい、城谷さんからいいだけ突っ込まれた。

「海に向かってバカやろ~っなんて叫んでる男、見た事あるんですか?」

ん~、そういえば見た事はないし、友達から聞いた事も無い.....。

でもほら、森田健作とかさぁ....。

「健康優良児みたいなどっかの男が、海岸走ったり海に叫んだりするんですかねぇ....。」

 

ライブの最後まで突っ込まれた(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何だか私、学校の先生みたいだ....。

  

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2012年

1月

22日

Lament

jazzの仕事を始めてまだ数年だが、著名なミュージシャンの突然の死を、三度、身近で知った。

 

本田竹博さんが亡くなる少し前、高田馬場GateOneの地階から、ライブを終えて階段をしんどそうにゆっくりあがっていく彼の後ろ姿を、みんなで心配そうに見送った。

体調がずっと良くないことは私も聞いていた。

本田さんが亡くなったと知らされた日の、橋本信二さんとマリ子さんの青ざめた顔を覚えている。

 

セシル モンローさんが亡くなった時は、たまたま私用で久しぶりに連絡した福田重男さんが、突然の訃報に、おびただしいメールと電話の対応に追われて大変な事になっていた。

福田さんのライブで知った彼だが、だいぶ前に、福生のライブハウス・GIN HOUSEのエミさんが、米軍時代にお店によく来たセシルさんの事を話してくれて、私は、凄いプレーヤーが無名の時の話を興味津々で聞いた。

 

つい先日、ライブの始まる前にドラムの林くんが知らせてくれた臼庭潤さんの死。

一瞬言葉を失った。

3年くらい前に、沼袋オルガンJazz倶楽部でドラムの福森くん、ベースの松岡くんとライブをやった時、当時彼らとバンドをやっていた臼庭さんが遊びに来てくれて、全曲一緒に演奏してくれた。

つたない私のピアノにもかかわらず、決して手を抜かない素晴らしい演奏だった。

 

思い出というよりは、断片的な記憶が短い動画のように次々よみがえってきて、ああ、あの時のあの人はもうこの世にいないのだと思うと、悲しいというより、さぞ無念だろうなぁと胸が痛む。

だって、ミュージシャンが楽器を演奏できなくなったらどんなに悲しいだろうか....。

 

「いやぁ、偶然こっちでチャーリー パーカーに会っちゃってさぁ、セシルが通訳でいてくれて、ホント助かっちゃったよ!」なんて、みんなで集まってわいわい盛り上がっている光景を想像してみる。

本当にそうだったらどんなに良いかなぁと思う。

 

Lamentは”深い悲しみ・哀悼の詩”という意味。 J.J.ジョンソン(1924-2001)が作った美しいバラードで、私もライブで時々演奏する。

マイナーの哀切な旋律が、曲の後半最後、徐々に明るみをおびてメジャーで終わる。

もしかしたら、誰か大切な人を亡くしたJ.J.が、私と同じような事を想像したのかもしれない。

この記事を書きながら、ふとそんな事を考えた。

  

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2012年

1月

16日

三鷹ソニド

セッションの仕事でよく行く三鷹のソニド。

 

お店のママは、粋でお洒落でお茶目で( 失礼、もう可愛らしいお孫さんがいらっしゃるのだが... ) 、ファドとタンゴをこよなく愛する往年の歌姫といった風情なのだが、昔ケントスあたりで踊りまくっていたに違いない遊び心と好奇心が自然と人柄からあふれていて、知れば知るほど、すごく魅力的な女性なのだ。

ほめ過ぎ(笑) ?

でも、セッションの常連さん達もきっと、その通り ! と言ってくれるはずだ。

 

そのママなのだが、外国や国内、いろいろな所によく旅行するらしく、小さな店内にはお土産の品がたくさん置かれている。

バナナのクッションやイタリアの絵皿、沖縄シーサーの置物やどこの物か分からないちょっと不気味なお面....。

まぁ、統一感が無いと言えばまったく無いのだが、そうした雑多なものが、混然としてある種ソニドの個性になっている。

 

お店のオープンは2年半前。

jazzの世界をほとんど知らないままにお店を始めて、一癖も二癖もありそうなjazzのプレーヤー・リスナーたちから、「 jazzとは 」なんていう講釈をうんざりするくらい聞かされ、お店のレイアウトにもああでもないこうでもないとうるさいほど意見され、普通の人ならやめちゃおうかなって思うところを、彼女は、そうねぇ....と至極鷹揚に、確信犯的に優雅にそのほとんどを受け流して(笑)、他のjazz live houseとはまったく異次元の空間をつくりだした。

一言で言うと、”まぁちょっとあがってjazzでもやっていけば!” かな....。

 

jazz barと聞いて普通の人が思うのは、exclusiveなこだわりの店内、古い木目のテーブルでバーボンやワインを飲みながら煙草をくゆらし....、そこまで画一的なイメージもどうかと思うが、少なくともどこかそれに近いものだと思う。

だから私も最初の頃、「もうちょっとコンセプトとか渋い感じとかさぁ....」、ママに機会をみつけては言っていた。

 

でも今、何だかここが居心地が良い。いろんなさまざま種々雑多なものが、唯一ママのセンスを拠りどころに集まったみたいな空間。

自然な柔らかさとあけっぴろげな自由さ。

どんな場所でも本物の音楽があればOK、逆をいえば、本物の音楽がある所が最高の場所なのだ。

そういう音楽をちゃんとやれるようになろう、そんな強い気持ちを持てるようになった。

 

今現在は、jazzのセッションやレッスンが中心のレンタルスペースのようになっているが、ある日ころっとママの気が変わって、ライブをたくさんブッキングする本物のlive houseになるといいなぁと思っている。

 

このお魚はママのアメリカ土産。

スイッチを入れるとご機嫌なカントリーロックがながれて、お魚くんが腰を、じゃない尾っぽをふりふり踊る。動きが絶妙!

こちらがびっくりしていると、口をパクパク、いかしたロック野郎の声で合いの手を入れる。

気絶しそうに面白い.....。

 

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2012年

1月

10日

禁句

「あれ~? 太った?」

 

この台詞は、女友達に絶対に言ってはいけない。

たいへん残念なことに、ほぼ常識となっているこの事実に私が気づいたのは、つい3年くらい前だ。

 

久しぶりに会った仲良しの○○ちゃんに、美味しいもの食べ過ぎちゃったのかな~、てなめちゃめちゃ軽い気持ちでつい言ってしまった....。

顔色が変わった彼女を見て、一瞬なにが起こったのか理解不能、あたふたと訳の分からない言い訳を並べてみたものの、結局、みっちゃんはもう~しょうがないなぁ....諦めに近い彼女の寛大さでその場は許してもらった ( と、思っている.... )。

私は私で、どうして彼女があんなに傷ついたのか、情けない事にさっぱり分からなかったので、男友達数人に聞いてみた。

「女性の友達に太った?て聞いたんだけどさ、」と言うが早いか、わ~、それ、言っちゃったの?みたいな凄いリアクションだったので、ようやく、これはもう絶対に言ってはいけない言葉だったんだと悟った次第だった。

 

20代の頃、かなりのストレスが原因で、今より10キロくらい痩せてしまったことがある。

ストレスから回復して体重も元にもどったが、思うに、”痩せる”という事にトラウマのような気持ちがあるのかもしれない。

逆に言えば、”太る”は私の中ではずいぶんと肯定的な言葉なのだが、女性、特に日本の女性にとってはまさに禁句だ。

 

そういえばかなり以前、jazz pianistの小曽根真さんがテレビ番組の中で、久しぶりに会ったらしいハービー・ハンコックに「やぁ、少し太りました?」というようなことを言った時 ( もちろん英語で・笑 )、ハービーがムスッと受け流した面白いシーンを思い出した。もっとも、記憶に残るくらい面白いと感じたのは私ぐらいだろうけれど。

 

とにかく、現代の先進諸国の住民たちにとって、”太る”は、女性に限らず男性も老いも若きも、みんなで忌み嫌う言葉になりつつある。

事の重大さを思い知ったのがつい3年前というのも我ながらかなり間抜けな話なのだが、本当を言えば、女性はぽっちゃりぷっくりしている方がなんとなく柔らかな感じがして、私は好きだ。

唯一気に入っている私の運転免許証の写真は、前日に飲み過ぎてぷくぷくにむくんだヤツだ。

 

それでも、「もうちょっと太った方がいいよ ! 」なんて、余計なお世話な台詞を女友達に言うのは、絶対にやめておいた方が良いなと思っている。

  

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2012年

1月

04日

謹賀新年

昨日、一週間ぶりに東京に戻った。

 

新潟に帰省というと、たいていの人が "雪が大変でしょう" と気遣ってくれる。

でも、私の実家のある新潟市は、海を隔ててちょうど真向かいに大きな佐渡が島があり、北の大陸からの雪雲が島に遮られて分岐するらしく、県内の他の地域に比べて積雪量はかなり少ない。

雪がまったくない元旦というのもそれほど珍しくはない。

今年も、どんより曇った空に時々薄日が射して、思い出したように白いものがちらちら落ちてくる程度で、積雪のない穏やかなお正月だった。

 

それでも、新潟は雪国だってことを忘れてもらっちゃ困るとばかりに、本当にみんなが忘れちゃいそうな頃合いに、どかっと大雪が降る。

そんな年は、たった一晩で、庭の木も家々も道路も空き地も、すべてのものが見渡す限りただ白一色に変わる。

窓を開けて、朝日をうけてきらきら光る一面の雪景色のまぶしさに思わず声を上げて、冷たく水気を含んだ空気を深く吸い込むと、大げさではなく、何だか体と心が一瞬で新しくなったような気がするのだ。

この感覚は、その年に起きた家族の事件や自分の心境の思い出と一緒にいつでも心の奥にあって、東京で珍しく雪を見たり、帰省の際に車内から県境の豪雪を見たりすると、不意にこみ上げてきて何だか涙がでそうになる。

やっぱり私は新潟の女だ....(笑)。

 

新潟市内で、20年以上前から続いている "思いやりのひとかき運動" 。

各バス停、横断歩道などのたくさんの場所に青いスコップが置かれている。

背景に青空が見えるが、このすぐ後、あられが降ってきた !

 

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