2015年

9月

30日

『フランケンシュタイン』

私はホラー好きで、たぶん見る映画もかなり偏っている。

『エクソシスト』『オーメン』『シャイニング』『リング』『遊星からの物体X』『惑星ソラリス』、、この手の作品を好んで見る人というのは、マニア=変人の部類だと我ながら思う。

悪霊や悪魔、心霊現象や地球外生命体、人類史以前の太古から存在する未知の魔物ーそういう得体の知れないものに関わってしまって、不幸にも死に物狂いで闘わざるを得なかった主人公たち。

たいていは負けちゃうのだが、大作映画お約束の”勧善懲悪”じゃないところが好きだ。

人間なんて小さな存在なのだ、その事実をいやというほど知るのも自虐的な快感というかなんというか、、(笑)。

女性でこういうのが好きってのは珍しいんだろうなぁ。


思い起こせば、小さい頃に好きだった漫画は楳図かずお氏の『ママがこわい』ーヘビ女の恐怖漫画ーだった。

ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』は、怖さに震えながら何故か何回も読み返し、ラヴクラフトのクトゥルフ神話の物語は、子供には難解でさっぱり分からなかったが、文章全体から立ち上るぞっとする空気にドキドキした。


ホラーや怪物に関してはちょっと詳しいつもりでいたが、一人(?)見落としていた。

『フランケンシュタイン』

藤子不二雄氏の漫画『怪物くん』や映画『アダムスファミリー』のせいで、どうもコミカルなイメージがあって外していたのだ。

でも実際調べてみると、1818年に出版されたメアリー・シェリー(英)の原作はとてつもなく陰惨だ。


『フランケンシュタイン』というのはこの怪物の名前ではなく、創造者であるスイス人の医学生ヴィクター・フランケンシュタインに拠る。

彼は師と仰いだ亡き天才医学者の脳と処刑された殺人者の身体とをつなぎ合わせて、非常な困難の末にとんでもない”被造物”を創り出した。

その”被造物”は、外見のあまりの醜さ故に人々に迫害され虐待され疎外されるーしかしその内面は、人並み以上に知的で感受性豊かであったーいきなりこの世に生まれた無垢な心が、孤独と悲嘆と絶望に折れ無惨に壊れていく。

当時二十歳そこそこの女性が、どうしてこのような物語を書けたのか?


1994年公開、ケネス・ブラナー監督・ロバート・デ・ニーロ/ケネス・ブラナー主演の『フランケンシュタイン』は、メアリー・シェリーの原作に忠実に創られている。

最初に見たときは、怖いというより悲しい物語だ、と思った。

つい先日、この物語についてふとある事を思ってもう一度映画を見直した。映画の一場面がどうしても気になった。


「Who Are You ? 」とある人に尋ねられた怪物が、一瞬答えに詰まる。


彼は、創造者=父であるヴィクターから、名前すら与えられていなかったのだ。

ミルトンの『失楽園』を読み、老人の吹く笛の音に心を動かされるほどの高い知性と人間性を持った”被造物”が、醜さから迫害され怪物と蔑まれ、この地上にたった一人の言葉を交わすだけの友も理解者も無く打ち捨てられた。


「He Never Gave Me A Name.」

こう答えた時の彼の悲しみを超えた絶望はどれほどだったろうか?


先日考えた事というのは、成熟した精神が名前を持たないというのはどのような状態だろうという事だ。

どんなに虐待された子供も極悪非道の犯罪人も、この世に生を受けた時に名前をもらう。キリスト教でいう悪魔でさえ、エクソシストに名乗るべき名前を持っている。

名前がないという事は、生まれてからただの一度も存在を認められなかったという事だ。誰からも声も心もかけられなかったという事だ。

これはとても恐ろしい事ではないだろうか?


ホラー好きな私が、ヴィクター・フランケンシュタインに創造された怪物の絶望と怒りを思って、今までとはまるで違う恐怖に背筋が寒くなった。

本物のホラーは、もしかしてこういう事なのではないかと思ったー救いようのない絶対的な孤独と孤立と破滅。

映画を見終わった後、どうにもやりきれない気持ちになって泣きたくなった。

底知れない怖れと哀れみに胸が塞がれた....。