森鴎外のお墓がある三鷹・禅林寺は黄檗宗のお寺で、太宰治のお墓もあるので文学好きの人たちにはちょっと有名だ。
太宰治は最近ファンになった。
たまたま作品を読み直す機会があって、今更なんだけれどすごい作家だなぁと思う。
太宰が鷗外を敬愛していたことは、彼の短編いくつかに鷗外についての記述があって、そんな大層に言うのではないが太宰の尊敬の気持ちがはっきりと伝わってくる。
美知子夫人も、そんな彼の気持ちを汲んで、鷗外の眠る禅林寺に太宰を葬ったのだそうだ。
『女の決闘』という太宰の作品の中で、目に止まった文章がある。
この作品は、鷗外が翻訳したドイツの作家ヘルベルト・オイレンベルク「女の決闘」という短編を下敷きに、太宰流の様々な視点を加えて、深みのある現代的な作品に創り変えたものだ。
その冒頭の部分にこうある。
「鷗外自身の小説だって、みんな書き出しが巧いですものね。スラスラ読みいいように書いて在ります。ずいぶん読者に親切で、愛情持っていた人だと思います。」
太宰が、鷗外の心の優しさについて触れていて嬉しくなった。
とかく”冷徹”とか”冷酷”とか言われる鷗外だが、実はとてつもなく愛情深い人だったと私は思っている。
さて、お墓参り決行の日は9月9日(土)で、まだ夏の名残りの強い日差しが照りつけていた。
長かった夏休みの余韻もそこはかとなく残っていて、あちこちで子供たちが声をあげて遊び走っている。
それにしても親子連れが多いな、と思っていたら、その日は八幡大神社の例大祭なのだった。( 毎年9月の第2土曜、日曜日 )
八幡大神社は、江戸時代から続く由緒ある神社で、明治の神仏分離令で、別当寺( 神仏習合が行われていた時代に、神社を管理する為に置かれた寺 )であった禅林寺と分かれた。
その為、神社とお寺の地所は隣り合わせである。
禅林寺に向かって商店街を歩いて行くと、神輿を担いだ法被姿の一団と行き合った。
それほど大きくない神輿を守るように囲んで、大人も子供も一緒になってゆっくり歩いて行く。小さな一団だ。
後ろには、近所の家族連れらしい人たちが三々五々、団扇をのんびりあおぎながらついて歩いている。
八幡大神社の例大祭の様子がインターネットにあるが、大変に盛大で威勢がいい。神輿も大きくて豪華だ。
私が出会った行列は、日曜日クライマックス前の町内会の神輿行列だったのかもしれない。
日本の神さまは、一年に一回、お社を出て町内の様子を見て廻る。
どれどれ、みんな息災であるか?
そして、祭りの終わりにお神酒を一緒に飲んで感謝を捧げ、民は神さまともっと仲良しになるのだ。
良い風習だなぁと思う。
日本人は無宗教と言われるが、日本人にとって神さまは、日々の生活の大本のずっと深いところに存在するので普段は意識にのぼらない。
これはたぶん信仰心とは違うもので、畏れと言ってもいい。
畏れ敬う対象すべてに、”神さま”という名前をつけたのではないかと思ったりする。
神道も仏教もキリスト教も同じ扱いなのはそのせいで、日本人にとって神さまは一つの対象ではなく、もっと大きくて漠然としたものなのかもしれない。
悪いことをすると”ばちがあたる”と信じている人が多いのは、きっと神さまが日常にいるからだ。
神さまはほんとにいるのか?
世界中の唯物論者が、人間の心の中の根源的な畏怖や突き上げるような喜悦などについて、ホルモンとか脳内の電気信号とかそういうもので説明がつくと言う。
説明がつく事例はきっとあるんだろう。
でも、それは一つの側面でしかないし、現在の科学で人類が知り得ることなんてどれ程のものかと思う。
多くの芸術家や物理学者が、神の存在を感じる神秘の瞬間を体験している。
科学者たちは、それも今ある科学で説明するんだろうか?
神が電気信号だなんて、、そんなぁ、、。
私はと言えば、すべてを超越した大いなるものはどこかに存在していて、人類が『人間本来の姿--人間の真の実態』を解明した時、この世/あの世/宇宙の全容が明らかになるのだと思っている。
ん〜、SF的・超常現象的な大ロマンである(笑)。
***Part3に続く***
コメントをお書きください