日本中のたくさんの人たちが、きっとそろそろ、この半年間の事を振り返っているんじゃないだろうか?
働き方が激変した会社勤めの人、今まで経験した事のない苦境に陥ったお店経営者、朝から晩まで家族の世話で悲鳴を上げた主婦たち、、。
入学・入社など、4月に新しいスタートを切る筈だった人たちは本当にかわいそうだった。
音楽に携わる私たちも、演奏の場を失って、経済的にもそうだけれど、もっと精神的に追い込まれてしまった。
ジャズはコミュニケーションの音楽とよく言われるが、お互いの音で会話を楽しむ。
大声で騒いだり優しく囁いたり、はっと緊張したりほっと和んだり、、。
日常からそういうやり取りがぱったりなくなると、しばらくは個人練習だ〜!と頑張れるが、だんだん元気がなくなってくる。
フラストレーションがたまってくる。
私は普段から引きこもりだし、ライブもそんなに頻繁にやっていなかったから、自粛当初はあまり深刻に考えていなかった。
ところが、音の会話どころか、実際の会話もパン屋のおかみさんと八百屋のご夫婦だけとなると、これは大変な緊急事態だ。
私は定期的に--たぶんひと月に一回くらい--ものすごくお喋りをしたくなる。
滔々ととりとめもなく、思いや考えを吐き出したくなる。
それで足りない分をブログに書く訳だが(笑)、お喋りは、相手の目を見て、時には握手したり肩を叩いたり、本当に素敵なコミュニケーションだ。
Jazz演奏とお喋りと、両方失って、私の精神のバランスが危うくなった。
7月に危機がやってきた。
芥川龍之介は、ぼんやりした不安と言って自殺した。
以前は、ふぅーんと思うだけだった。
7月のある日、もしかして、芥川の言った不安とはこんなものだったのかしら、といきなり思った。
そして、夜、眠れなくなった。
もちろん、自殺までするような不安は他にいろいろな要素が複雑に絡み合ったものだろうし、私は自殺なんてさらさら考えないのだから、おそらく違う種類なんだろう。
でも、不安というものの実体を感じたような気がした。それもぼんやりと、、。
理由もなく息苦しい、胸に重しを置かれたような感覚。
何かが心配だとか、迷っているとか悔やんでいるとか、なにも思い当たらない--少なくとも自分の生活に関しては--のに、胸の重しはずっしり深く食い込んでくる、、。
得体の知れない重しの正体をなんとか知ろうともがいてみても、暗闇にぽっかり目を開けたまま時間だけが過ぎていく。
これはヤバいぞ、と思った。
ただ、この人生初めての”ぼんやりした不安体験”は、幸いな事に数日間で終わった。
よく分からないのだが、久しぶりのセッションで仲間に会えたり、エステに行ってスキンシップしたせいかなぁと思っている。
人間の心は、本人が自覚しないうちに傷を負い、かすり傷ならすぐに治るが、時に炎症をおこしたり化膿したりする。
目に見えないから、傷がある事さえ気が付かないことの方が多い。
うまく治るか拗らせるかは、それこそ運みたいなもので、私だってあのまま拗らせていたらどうなっていたか、、。
7月の不安体験は、そんな心の危うさ、怖さをひしひしと感じる機会になった。
この半年間に起こった事。
でも、悪い事ばかりじゃなかったので、次回は良かった事を書きます ^ ^ 。
コメントをお書きください
ぅぉ (木曜日, 15 10月 2020 21:17)
お疲れ様です。
会話の無い辛さ 分かります。
わたくしは来週から通勤再開です。
それはそれで しんどいのですがw
Michiko (金曜日, 16 10月 2020 08:38)
職場はまた独特なんでしょうね、、。
でも、少しづつ元に戻りつつあるんでしょうか。
ぅぉ (金曜日, 16 10月 2020 09:13)
机の上に仕切り板がつきました。
放送局のような全面アクリル板ではなく
顔を合わせる時に話せるような窓(ここがアクリル)が
ある仕切り板です。(窓塞ぎたいww)
ぅぉ (金曜日, 16 10月 2020 09:15)
先週の週末電車に乗ったらかなり混んでました。
かなり元に戻ってる感がありました。
michiko (金曜日, 16 10月 2020 21:01)
人との距離がね、妙な感じ。
電車でもみんなマスクしてて、非現実な感じ。
仕切り板、いつまで必要なんでしょう、、。
ぅぉ (土曜日, 17 10月 2020 01:02)
仕切り板 ずっとしていたい。w
がみがみ上司との距離がすこしでも取れそうな気がします。w
今日、夜遊びで赤坂いってきましたが。 電車のなかは、
かなり人ごみ戻ってます。 帰りは座れなかった。