命がけの任務

10年前のあの日。

突然、部屋が大きく揺れた。

CDが入った棚が倒れそうになり、ばらばらと落ちるCDを咄嗟に手と足と体で抑えながら、「なんじゃこりゃ〜。」と思わず呟いた。いろいろなものが、ガタガタと音を立てていた。

いつもの地震じゃないなと感じて、怖いというより、ただびっくりしていた。

一人暮らしだから答えてくれる人はいないのだが、それでも「わっ!」とか「え〜?」とか「まじ?」とか叫んでいたと思う。

その後の事は、日本中が悪夢の中にいるようだった。

恐ろしい津波の被害、そして原発事故、、。

 

朝から晩までPCで情報収集をしていたが、膨大な数の方が亡くなられた事、地域一帯がめちゃめちゃに壊れた事、原発が爆発した事、爆発がまだまだ起こりそうな事、、全てが現実と思われなかった。

 

先日、ネットの”日経ビジネス”に、2011年3月17日、水素爆発を起こしたばかりの原発にヘリコプターから水を撒くという作戦を実行した自衛隊飛行隊の隊長、加藤憲司氏のインタビュー記事が掲載された。

あの作戦は、私のような災害対策の素人にはめちゃめちゃ無謀に思えたし、中継映像を見守りながら、何が起きるか不安で恐ろしくてぶるぶるした。

こんな危険な事を自衛隊員にさせるなんて、、とも思った。

 

加藤隊長は、空中放水準備の指示があった時のことをこう語っている。(以下、日経ビジネスの記事より)

 

”そのままにしておけば大惨事になりかねない。自分たちがヘリから水を撒くことで危機を押しとどめる事ができるならば、としか考えませんでした。ほかにできる人間はいなかったのですから。”

 

--命令を伝えたとき、部下である隊員太刀の反応はどうでしたか--

 

”隊員たちからも嫌がる声は上がりませんでした。”

**当時の陸上自衛隊制服組のトップ、陸上幕僚長を務めていた火箱芳文氏は次のように振り返る。

「ヘリによる放水は命がけの任務でした。1回当たり7.5tもの水が原発にドーンとかかるのです。その圧力で原子炉に負担が生じるかもしれない。そうなれば、かえって壊すことにつながりかねません。何が起こるのか分からない。誰もやったことがないのですから。(日経ビジネス・編集注)

 

加藤隊長は、当時の事実を淡々と正確に、少しも感情的になることなく語っておられた。

でも記事を読みながら、なんというか心の底からぐっとこみ上げてきて泣きそうになった。

日本を救うために命をかけてくれた人たちがいる、家族にも告げずにその危険な任務につき、最も危険な放水を志願する隊員までいた、、。

 

私たちは、国を守る”命がけの任務”についている人たちのことを、もっと知るべきなんじゃないだろうか?

過去にだってたくさんおられたと思うのだ。

英雄として名前が残らなくても、国を思って命をかけたたくさんの人たちが、、。

 

10周年、黙祷しながらいろいろな想いが心をめぐった。

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コメント: 2
  • #1

    ぅぉ (土曜日, 27 3月 2021 00:34)

    自衛隊の方々の行動には頭が下がる思いです。

  • #2

    michiko (月曜日, 29 3月 2021 09:03)

    本当に、、。
    国を守る軍隊・軍人さんに対する敬意は当然だと思うんだけど、戦後教育で酷いことになっちゃいましたね。