( 9月24日の記事『Farewell for a while』の続きです。)
ライフステージの意味をネットで調べてみた。生命保険会社のCMやHPで時々目にするけれど、私には関係ないんだろうと思っていた。
**ライフステージとは、年齢にともなって変化する生活段階をいいます。
就学、就職、結婚、出産、リタイアなどのライフイベントを経過しながら、それぞれのステージで家族構成や家計などが変わります。
(不動産・住宅情報某サイトより)**
なるほど、、。
就学、就職までは良しとして、その後の結婚、出産、リタイアなどのライフイベントを(幸か不幸か?)経過しなかったから、つまり一般的なライフステージは私の人生に無かったってことだなぁ…(笑)。
それでも一つ、私にとってもの凄く大事なステージがあったと思う。
両親の介護をしながら新潟で過ごした1年半。
階段の途中の踊り場みたいに短い期間だったが、信じられないような経験をたくさんした。主に霊的・精神的な面で。
あの時に思ったこと、感じたこと、考えたこと、贈られた宝物のような1年半を、絶対に忘れないようにしようと思う。
さて、大学を卒業してからずっと、音楽の仕事をしてきた。
YAMAHA(財)に数年いた後は、今に至るまでフリーランスだ。
コロナで開店休業中だが、リタイアするつもりはないし、ピアノは死ぬまで弾き続けたいと思っている。
最初はエレクトーン、それからシンセサイザーに夢中になって、キーボードプレーヤーとして仕事をもらえたのは本当に幸運だった。
アレンジや作曲、PC打ち込み制作の仕事も楽しかったし、譜面は山のように書いた。
3日徹夜とか普通だったが、我ながらよく頑張ったと思う。
いつも背伸びをして、目の前の仕事をこなすのに無我夢中だった。
仕事をしながら漠然と感じたのは、みんな自分の中に”本物”を持っているという事。
プロだから当たり前なんだが、音楽に対する評価がいつも相対的である状況で、自分の中に絶対性の軸を持つということはとても覚悟のいることで凄いことなんだと思う。
そういう人たちと一緒に仕事をすることは誇らしかったし、自分もいつかそうなりたいと願った。
私の仕事はだいたい余裕がなく、いつもギリギリ状態だったが、それは私の中に”本物”が無かったからだったと思う。
ほんの少しの達成感、功名心とお金、、。
いつも何か小さな目的のために寝る間を惜しんでいたような気がするのだ。
音楽が好きだ。
でもその音楽は、何か私を表現するものとか、やむにやまれぬ音楽への愛だったか?
コロナ自粛の2年間。
否応無しに一人っきりでピアノと向き合う時間が積み重なっていって、朧げながら、私にとっての”本物”が見えてきた。
何を大事にするか、自分らしさって何なのか?
若い頃の夢だったことが現実になりつつある。”本物”を見つけること。
でも、、。
本音を言うと、もっと早くに見えてほしかったよ、、(笑)。
ライフステージ=年齢にともなって変化する生活段階--そう考えると、私のライフステージも緩やかに次の段階に入ったようだ。
今までとは違う目標を見ている。
ちょっとワクワクしている。
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