お餅 -Part2- 年末のこと

年明けのニュースで「NHK紅白歌合戦、視聴率が歴代最低」が話題だった。

驚くニュースではなかったが、TV離れ・NHK離れはもう止まらないんだな、としみじみ思った。

 

昭和の頃の大晦日は、「紅白歌合戦」を家族みんなで見て「ゆく年くる年」が始まると近くのお寺で除夜の鐘....というのが定番だった。

今の家庭は、各部屋全てにTVがあるとか、うちのようにそもそもTVを置かないとか、TV以外に楽しむ選択肢がたくさん増えて、年末の定番なんてものはすっかり無くなってしまった。

 

小さい頃の私の年末といえば、ただただのんびりまったり過ごした。

友だちに数枚の年賀状を書いてしまったら、あとはもう何もやることがない。

学校の宿題も、冬休みは大したことがないのだ。

本を読むか何時間も続くTV大型時代劇をぼっと見るか、みかんを食べるかコタツで猫と一緒に丸くなるか、、、。

大雪が降った朝は、父が雪かきをするどすっどすっという音を聞きながら、窓から一面にキラキラ光る雪景色を眺めていた。

( スコップが一本しかないからお手伝いはしないのだ、、w )


大晦日まであと数日という日の夕方、近くの商店の人が、威勢のいい掛け声とともに大きなのし餅を届けてくれる。

会社が年末休みに入った父が玄関先まで出て受け取ると、あらかじめ部屋に敷いておいた見開きの新聞紙の上にどすんと置く。

ついさっきお店でついたまだ柔らかいお餅で、全体に白い粉が薄くまぶしてある。

父は、台所から包丁を持ってくると、たてよこ目分量できれいに切り分けていく。

私はそばに控えていて、切った端から中くらいのボール紙箱にぽんぽん入れていく。

お正月のお餅はこれで準備完了だ。

 

父のお手伝いでもう一つ覚えているのは、日本間の障子の張り替えだ。

私は古い障子紙をバリバリ破くだけの”簡単なお仕事”なのだが、父は、刷毛で桟(さん)に水のりを塗って、真っ白な障子紙を順々に手際よく貼っていく。  

父は何でも器用にやる人だった。

( 新潟には「手先が器用でマメな」を表す”はつめ”という方言があり、父はまさしく”はつめな人”だった。)

明るくなった日本間に冬の弱い日光がさしこんで、一仕事終えて座る父の横顔が、胸の奥に懐かしく浮かんだ。

 

大晦日。父も母もまだ忙しく働いている夕方に、「みち、先に風呂へ入ってしまえ。」と言われる。

大晦日の夜にお風呂に入るのは、特別な儀式のような気分があった。

お風呂から上がった後に待っている年夜(としや)のご馳走のせいもあったが、明日から”新しい年”が始まる、みんな新しくなるのだと湯船の湯気のなかで思うと、ぼうっとわくわくして嬉しかった。

 

この小さな”特別な気分”は、大人になってからもずっとあった。

東京で一人暮らしをするようになっても、大晦日の夜は、お風呂に入りながらいつもと違う感じがした。

さすがに”わくわく嬉しい”というのではないが、あらたまる気持ちというかけじめの気持ちというか、、。

 

いつから、それがなくなってしまったんだろう?

なんとなく新年、ずるずると年が明けて、、。

長い間に少しずつそうなりつつあったところへ、コロナで急激に拍車がかかったかもしれない。

 

2022年もひと月、過ぎてしまった。

遅ればせながら、去年とは違う”新しい気持ち”になろうと思う。

流れていく時間に、自分なりのけじめをつける方法を考えてみようと思う。

 

ここが独り者の頑張りどころ、、か?(笑)

 

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コメント: 5
  • #1

    ぅぉ (日曜日, 30 1月 2022 21:53)

    うちの実家には杵と臼があった。 子供のころには毎年、年末には餅つきを
    した。 子供だったので、冷やかし程度の手伝いしかしてませんが。ww

    紅白もレコード大賞も高校生くらいの頃からまともに見た記憶がありません。

    障子については経験は無いのだけれど、今の部屋には和室があり越して
    きてから張替えをしておらず、ぼろぼろになっててどうしようか考えて
    いたのだけれど、昨今、田宮美咲さんがblogで障子張り替えた記事を
    書かれており、私もしないとなー とか思いつつ、尻重星人の私と
    しては、障子紙、のり、専用のカッターと定規のキットを買うも
    買って安心してしまっているwww

  • #2

    michiko (月曜日, 31 1月 2022 09:07)

    杵と臼で餅つきなんて、最高の思い出ですね!
    昔のお餅は、とにかくずっしりしてた。あれはやっぱり、お年寄りには危険かなぁと、、。

    美咲さんも障子張り替え、やったんですね。 キットがあるなんて初耳。
    最近はDIYが定着したけど、考えてみれば、昔はみんなお父さんたちがやってたなぁ、と。棚をつけたり置物台をこしらえたり、、。
    ぅぉさんちの障子、そのうちブログに載る?

  • #3

    ぅぉ (月曜日, 31 1月 2022 15:13)

    わてくし、不器用なうえに、尻重星人なので、未定です。www

  • #4

    本間俊一 (火曜日, 01 2月 2022 21:27)

    とても懐かしいお餅や大晦日の話を読ませていただき、何故か気持ち温かくなってきました。

    新潟市内では、昔からのお餅屋さん、お団子屋さんが元気に頑張っています。ローカルな下町あたりで、田中屋本店、佐和山、港製菓など…。学校町の関屋団子�があの頃の佇まいで、びっくりします。

    暖かくなってから、お餅屋さんやお団子屋さんめぐりの街歩きも、きっと楽しいですね。

  • #5

    michiko (水曜日, 02 2月 2022 10:42)

    本間さん、学校町のお団子屋さんがまだちゃんとあるんですね ^ ^
    県高は、校舎も付近の景色も随分と様変わりしてしまいましたが、そういう情報を聞くと嬉しくなります。ありがとうございます!