鴎外没後100年・特別写真展

朝からちょっとドキドキしていた。

ネットで千駄木駅までの乗り換え案内を調べながら、一人ニヤニヤした。

さぁ出発!と部屋の鍵をかけると、もうウキウキして足元がフワフワした。

今日は文京区千駄木の”森鴎外記念館”に行くのだ。

 

今年1月23日の産経新聞の記事「おかっぱ頭、とびっきりの笑顔...没後100年 鷗外の素顔 展示相次ぐ」-特別展『写真の中の鷗外 人生を刻む顔』-を見た時から行きたくてたまらなかった。

3ヶ月も引き延ばしたのは、自分の中に心配事や悩み事や鬱憤や不満、そういう嫌な気分がない時に行こうと思っていて、でも開催終了の4月17日が目前に迫ってきてしまい、自分の煩悩の多さはもうこれは仕方のない事なのだと諦めた。

そして今日決行に至ったわけだ。--4月16日に書いた記事--

 

、、書いたものを読んで、なんだこれ?と思って吹きそうになった。

まるで初恋の人に会いに行く乙女だな、、(笑)。

 

展示会は盛況で、地元の方々が多いような気がした。

鷗外と観潮楼(鴎外の旧居)は千駄木で愛されているんだなぁと思った。

幼少時から亡くなるまで、たくさんの写真と手紙等をじっくり見た。

以前、鷗外の顔が一生の間にずいぶん変わったように見えるというような記事を書いたが(2021/2/21『鷗外の顔・大統領の顔』)、これは多分、鷗外を知る人、研究する人みんなが思うことなんだろう。

展示会を企画した記念館の塚田副館長さんもこうおっしゃっている。

「鷗外は、親にもらった顔のままではいけない、人生は自分で作るもの、運命は変えられると、誠実に伝えているよう。優秀でエリートといわれる鷗外も努力でコツコツと歩んできてこの顔が作られたことがわかります」

 

ドイツ留学時、鷗外が手紙に添えて送った写真を見た親弟妹たちは「ドイツ人のようだ」「ビスマルクのようだ」と大いに驚いたらしい。

日清・日露戦争の従軍時の写真もまるで別人のような顔つきだ。

 

鷗外の鋭い感性は、目まぐるしく変遷する明治日本と世界を、そして愛する妻と子どもたちを間近で真っ直ぐ見つめ、感受した。

明晰な頭脳は、あらゆる分野の夥しい情報を効率的に整理し、縦横柔軟に思考した。

鷗外の顔は、その結果なのだと思う。

 

今回、明治時代に撮られた白黒写真をカラー化するという新技術が使われていた。

今まで資料などで見慣れた写真が、驚くほどリアルに感じられて感動した。( 全部の写真をカラー化してほしい ^ ^ )

 

記念館を出る手前の所に、鷗外の等身大パネルが置いてあって、”鷗外と一緒に記念撮影ができるコーナー”になっていた。

誰か撮ってくれないかなぁとキョロキョロ見回したが、やってくれそうな人が見つからないのと気恥ずかしいのとで、後ろ髪を引かれる思いで帰ってきた。

たっぷり3時間、鷗外三昧で幸せだった。

駅までぼっとしながら歩いた。

ジャニーズ・アイドルの追っかけおばさんたちも、たぶんこういう気持ちなんだろうなぁ....と思った。