お盆

コロナの行動制限が解除された3年ぶりのお盆。

親戚への年賀状で、”今年こそお墓参りをします。”と宣言し、お盆は必ず新潟に行くと決めていた。

8月が近づくにつれ、ウキウキワクワク感がどんどん増していった。

待ちきれず、5月にホテルを予約し、1ヶ月前の新幹線予約は受け付け開始と同時に申し込んだ。

準備万端整えて、いざ新潟へ。

 

連日、友人や従弟妹たちと久しぶりに語り合って、ゆっくり楽しい時間を過ごした。

でも、なんと言っても一番のハイライトはご先祖のお墓参りである。

 

新潟市には「西堀通り』という、市を南北に縦断する片側2車線の通りがある。

1番町から11番町まで、歩けば一時間はかかる長い通りだ。

明治5年以前には「寺町通り」と呼ばれていたそうで、その名の通り、通り付近には20寺以上のお寺がある。

13日は朝から夜まで、本当にたくさんの人たちがお墓参りに訪れる。

 

私も、父方のお墓と母方のお墓-遠く離れた2つのお寺を、炎天下、汗だくになりながらお参りした。

境内には、お坊さんの唱えるお経の声、お線香の香り、小さな鐘の音が静かに流れていて、数珠を手に頭を下げると、長らく来なかった事が申し訳なく思えて、「ご先祖さま、ご無沙汰しております。皆さま、そちらでいかがお過ごしでしょう?」なんて私流のご挨拶を心の中で呟いた。

通りを歩きながら、父と一緒に歩いた時のことが鮮明に思い出されて、ふと隣りに父がいるような、昔にタイムスリップしたような不思議な気持ちになった。

 

夕方になって、海の見える霊園にある我が家のお墓にお参りした。

父が購入したお墓で、父と母が眠っている。いつか私もそこに入る。

「また来るね!」

霊園を去る時に声を掛けると、ふわっとひどく懐かしい想いがして、たまらなく父と母に会いたくなった。

 

お盆には、ご先祖さまの魂があの世から帰ってくると言われている。

現代人はほとんどが霊魂の存在を信じないのだろうが、柳田国男が『遠野物語』(明治43年)に書いたような幽霊の話は、今も変わらず普通にあるのだろう。

特に、大事な人を亡くした人々は、事の前後に不思議な体験をすることが多い。

親しい人から何度もそういう話を聞いたし、私自身も両親が亡くなった時に経験した。

 

まさかと気の所為にして忘れてしまうか、一生の大切な出来事として心にしまうか、人それぞれだと思うが、私は霊を信じている。

人間のもう一つの形だと思っている。

 

長らくお墓参りをサボっていたから、ご先祖さまには「誰や、この子は?」と思われたかもしれないが、久しぶりのお盆の帰省は、内向きだった気持ちをたいそう晴れやかにしてくれた。

 

お墓やご仏壇に真摯に手を合わせていると、何となく心が元気になる気がするのは何故なんだろう?

もしかして、一瞬間でも異世界と通じるからではないのか?

もしかしたら、あの世のエネルギーが微量でも流れてくるのかもしれない。

 

、、な〜んてまた、ぶつぶつ考えたりする、、(笑)。

 

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コメント: 4
  • #1

    ぅぉ (金曜日, 26 8月 2022 20:47)

    だいじ

  • #2

    michiko (土曜日, 27 8月 2022 07:56)

    ほんとに。

  • #3

    マッチ (火曜日, 30 8月 2022 03:08)

    死んだ兄が、時々夢に登場します。
    20年以上も前だったか?
    夢の中で兄に「ところで兄貴、今どこに住んでるだっけ?」と尋ねると、
    「なに寝ぼけてんだよ。俺もー死んでるじゃねーか」と返事が。
    わぁー!!と、飛び起きてしまった。深夜、枕元にたった今まで兄貴が居た様な気がしました。
    以来、夢に見る度に、その様な会話は一度も起こりませんが、目覚めてから、又来たか思っております。

  • #4

    michiko (火曜日, 30 8月 2022 11:16)

    マッチさん、お兄さんはきっと、マッチさんの事をずっと気に掛けていらっしゃるのでしょうね。
    私は毎朝、父と母の位牌に手を合わせていますが、だいたいいつも、心の中に父の声が-声というより父の想いみたいなものが伝わってきます。
    不思議な事ですが、私は疑わないです。
    お兄さんと、夢の中でもまたお話しできると良いですね。