大学を卒業して地元新潟のヤマハで講師をやっていた頃、東京から来た指導スタッフの先生がこう言った、
「新潟の子はほんとに引っ込み思案で勿体無い。能力があっても、絶対に自分から手を挙げない。」
関東甲信越の他県(群馬や千葉とか)に比べて、新潟に遠慮がちな人が多いのは事実だと思う。
自己PRという文化がなく、話を振られたらまず謙遜するのが普通の新潟人だ。「いやいやそんな、私なんて、、。」
生粋の地元民なのに、私はどっちかと言えば「じゃ〜あたしが、、。」と手を挙げて出ていくタイプ(笑)だったので、同僚たちから変なヤツと思われていたのは間違いない。
ヤマハを辞め、業界の仕事がやりたくて上京したのだが、とりあえずバンドを探そうと都内の練習スタジオに出かけた。
ラウンジの広告板を見ると、貼られたたくさんの募集ビラのほとんどが、”うちらは本格的プロ志向バンド、オリジナル作成に貢献できる○○(Gt.Ds.等の楽器)を求む”てな感じで、本当に驚いた。新潟でこんな募集文句、見たことがなかった。
「す、すごいなぁ、、やっぱ東京だ、、。」
今は、東京も地方もそんなに違わないのかもしれないが、当時の東京のミュージシャンたちは、実力云々の前にびっくりするほど自信満々だった。
フリーランスで音楽の仕事をいろいろやるようになって、適度なハッタリは必須だと悟った。
やったことがない仕事でも、打ち合わせの場では余裕の笑顔で「大丈夫です!」と請け合う。
大丈夫と言っておいて大丈夫じゃなかった(苦笑)こともあるが、それでもギリギリ最善を尽くして次に繋げようと思っていた。
場数を踏んでいくとだんだん、自分が何を望んでいるのか、どうなりたいのか、うっすら見えてくるのと同時に、現実の自分とのギャップを思い知るようになる。
最初の頃の超ミーハーから、少し進歩したということか、、。
Jazzのライブ活動を始めて、サポートメンバーとして演奏する-例えばボーカルやSaxがフロントにいる時は、こんな精神状態がまだ続いていたと思う。
ピアノトリオで弾くようになって、少しずつ変わってきた。肝が据わってきたというか、、。
ピアノもJazzも未だ勉強中で、当時は両親の介護もあって練習もままならない、そんな状況でなぜ急にピアノトリオをやりたい!と思ったのか、今となっては思い出せない。
なんて無謀な、、と呆れるが、そういう向こう見ずなところ-よく考える前にやっちゃうというのが私の人生なんだなぁ…、としみじみ思う(笑)。
( ピアノトリオは、ピアニストが相当上手くないとダメなのだ。)
コロナ自粛もあって、自分一人でピアノに向かう時間がめちゃくちゃ増えた。
ずっと心の中でモヤモヤしていたものが形をとるようになって、今まで気付かなかったこと-良いことも悪いことも-はっきり自覚する瞬間が度々あって、これがなかなかスリリングというか、わくわくした。
気付いたことを忘れずにちゃんと努力すれば、そのうちきっと自信が持てるようになる!と思った。嬉しかった。
そんな時に舞い込んできたのが、今回のCDリリースの話だ。
***Part3に続く***
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ぅぉ (月曜日, 29 5月 2023 01:00)
私は、やったことがない仕事は、余裕の笑顔で「大丈夫です!」キリっ!
と言えない人間でした。なので、「後向き」だの何だの言われ続けました。
orz
michiko (月曜日, 29 5月 2023 07:11)
「後向き」じゃなくて「正直」ですよね。私も正直でいたかったです。
でも、音楽業界のフリーランスなんて、ためらってたら瞬時に他の人に仕事が行くだけです。
周りの人たち、営業力凄い人がたくさんいました。