夏ということで、ホラー映画をガッツリ見た。
1970年代に始まるオカルト系ホラー映画の爆発的人気に火をつけたのは、『エクソシスト』『オーメン』『ポルターガイスト』等のハリウッド映画だ。
潤沢な資金・驚異的な映像技術・独創的なストーリーで、一躍、映画界の表舞台に躍り出た。
その後も『パラノーマル・アクティビティ』や『インシディアス』など、ヒット作が続々と作られ、日本映画も『リング』『呪怨』など大健闘した。
ジャパニーズホラーは欧米のホラーに多大な影響を与え、お互い刺激し合って、世界的に良質かつ商業的にも価値のあるホラー環境(笑)が出現した。
ところで、欧米のオカルト系ホラーを見ていると、根底に神と悪魔の戦いという壮大なテーマがある事に気付く。
絶対的悪である悪魔の前に、神を信じる善良な人々は全く無力であるという虚無感・絶望感が、底知れない恐怖を生む。
なんだか訳のわからないうちに壮絶理不尽な仕打ちを受け、得体の知れないものに魂を乗っ取られるか、最悪ヤラれてしまうのだ。これは相当怖い、、。
悪魔の絶大な力を知った一部の人たちがその力に縋り、あるいは利用しようとしてアンチ・キリストになり、善なる人々を滅ぼそうとする副次的な恐怖ストーリーまで現れた。
西欧のホラーは、そういう絶対的悪との”戦いの物語”だ。
ヨーロッパには、中世の頃から悪魔や魔女( と呼ぶもの )と戦い続けてきた宗教的な歴史があるから、それは自然なことなんだろう。
映画の話から少し外れるが、、。
日本の怪談には、キリスト教的な”悪魔=絶対的悪との戦い”という要素は当然ながらない。( 怪物退治は別ジャンルの話としておく。)
四谷怪談のお岩さんや番町皿屋敷のお菊さんは、さぞや恨めしかろう、化けて出るのも仕方ないと同情するし、平安時代の説話集『今昔物語』に残るいくつかの怪談は、無慈悲に妻を離縁する旦那さんって、一体どうよ?って話だ。
自分を捨てて遠国に去った夫を待ち続けて、妻は死んでしまう。
夫は数年後に戻るが、妻は責める事なく、幽霊になって優しく迎える。
(巻27第24話)
私はこの話が特に好きで、他に旦那さんに復讐する死んだ女の話とかもあるのだが、幽霊になって恋しい夫と添い寝するこの妻のいじらしさに泣いてしまう。
一つ目小僧やろくろ首、化け猫や河童などの妖怪、地方に伝わる民承の怪異譚。
日本の怪談はバラエティに富み、恐ろしいながら時に哀れで、時に滑稽だ。
そういう土壌から生まれる日本のホラー映画は、伝統的にだいたいが情緒的で、幽霊の心情に寄り添うものがあっても、超常現象そのものの恐怖を描く作品はなかった。( あっても成功しなかった。)
だから、1998年公開の『リング』は衝撃的だった。
古井戸から、、の有名なシーンは、ホラー映画をさんざん見慣れた私が、「ひぇ〜!!」と絶叫して椅子から飛び上がった。
全身が総毛立った。
『エクソシスト』の首180度回転に匹敵する最恐映像、、。
この映画は、ほぼこの映像のために作られたと言っても過言ではないだろう。
『リング』はまさに、超常現象そのものの恐怖を描いた映画だった。
『呪怨』はもっと斬新だった。
なんの罪もない普通の人たちが、呪いによって脈絡もなく殺されていく。
この構図はとても西欧のホラー的だ。
“呪い"は、日本流の悪魔とも言える。
ジャパニーズホラーと欧米のホラーは、根底にある文化や宗教は違っていても、人知を超えたものへの恐れ・根源的な恐怖の追求という大きな主題に向かって、ますます素晴らしい作品を共に生み出していくに違いない。
約10年前( 2012年10月15日 )、このブログで『ホラー映画』という記事を書いた。
当時、世間でB級C級と軽んじられていたホラー映画に対する熱い想い(笑)を、例によってあぁだこうだと書き連ねているのだが、今読み返してみると、この10年のオカルト映画業界の隆盛ぶりに隔世の感を禁じ得ない。
昔からの熱心なホラーファンとして、ただただ嬉しい、、。
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