もうだいぶ前のことだ。
どういう経緯だったかはっきり思い出せないのだが、イスラエルから来たある男性-もちろんユダヤ人-にピアノを教えることになった。
知り合いの女性ヴォーカリストの紹介かなんかだったと思う。
日本語もそこそこ話せて、とても真面目で誠実そうな青年だった。
初めは、ヤマハのレッスン室を借りてコードの押さえ方とかやっていたのだが、ある日、彼が「私たちの集会所に、すごく良いピアノがあります。」と言って、ちょっとそのピアノを見せてもらうことになった。
渋谷のどこだったか、閑静な住宅街の一画だったように思う。
その日は薄曇りで、季節は思い出せないのだがちょっと肌寒くて、周りがとても静かだったのを覚えている。
背の高い重厚な網目模様の門扉の奥、20メートルくらい先に、こじんまりとした建物が木々に囲まれて立っていた。
彼は、オートロックに数字を入力して門扉を解錠すると、ゆっくり建物に向かって歩いていく。
後ろについて歩きながら、なんだか物々しい雰囲気だなぁ...と思った。
今でこそオートロックは一般的で見慣れているが、当時はとんでもなく高級な建物でしか目にしないものだった。
建物の玄関に着くと、彼はインターホンを押して誰かと話し、しばらく待つと重そうなドアがガチャッと開いて職員の方が顔を出した。
ピアノが置かれた大広間に歩いていく途中、彼は「驚きましたか?」と、私の顔を見て少し微笑んだ。
”集会所”というから、みんなで集まってコーラスとかチェス( 日本だと囲碁 )とか楽しむところかなぁ、なんて日本の市町村集会所の平和で開放的な場所をイメージしていた私は、その場にちょっとした危険の空気を感じて、顔がもしかしてピクピク引き攣っていたのかもしれない(笑)。
「私たちユダヤ人は、世界中、どの国に行ってもこうです。いつも警戒していないといけないのです。」
彼は淡々と言ったけれど、私は驚くとか同情するとかじゃなく、常時、身の危険を感じながら生きている人たちがいることに、ショックを受けた。理不尽さを感じた。
大広間に置かれたスタインウェイは荘厳で美しく、その豊かな響きで不安な気持ちはすっかり吹き飛んでしまったのだが、その時の重苦しい気持ちは後味悪く残った。
ユダヤ人たちは、大昔から-ホロコーストよりはるか以前、4世紀頃から-ずっと凄まじい迫害を受けてきた。
そして、第二次世界大戦後にイスラエルが建国されると、周りを全部、敵意に満ちた国々に囲まれ、片時も安全を感じることなく、国外にいる時さえ警戒を怠らずに生きてきた。
その民族の苦悩は、私たちには想像すらできない。
今回のハマスへの報復についてはいろいろな意見があって、特に大手メディアでは、イスラエルを非難する声が大きいのだそうだ。
そういう議論を聞きながら、ふっとあの日の彼の言葉を思い出した。
今、イスラエルで生活するユダヤ人一人一人が、今までにないほどの恐怖を抱き、耐え難いほどの怒りを感じているのだと思った。
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