タイパ

いろいろな所で言われてきた「コスパ」という流行語は、近頃「タイパ」に変わってきたらしい。

タイパ=タイムパフォーマンスとは、かかった時間に対する満足度を表す。

時間が惜しいと思う人が、映画を倍速で見たり、音楽はサビだけ聞いたり、1冊の書籍を10分で読めるようなサービスを利用したりする。

決まった時間内でより多くの”楽しい事”を消費しようとする行動が、特に若い人たちに多く見られるのだそうだ。

 


このことを解説したインターネット情報サイト”Diamond on line”(2022/12/4)の記事の中で、とても興味深い一節があった。

タイパ志向を持つ人々の中に、”役に立つこと”に高い価値を置く傾向が見られるということ。

例えば、絵画などの芸術品は、本来その存在自体に価値があると考えられてきた。

でも、近年の新しい消費傾向を持つ人たちは、「絵画を見ていると癒されるから価値がある」という見方をする、つまりツールとしての価値が重視されるというのだ。

 

芸術とエンタメは全く違うとは思うが、近頃のエンタメ界を見ていると、このタイパとツール志向はなんとなく感じてしまう。

SNSで火がついてあっという間に評価が爆上がりし、その対象は次から次へ短時間で移り変わっていく、、。

映画でも音楽でも文学でも、それが”楽しむため、自分の役に立てるための消費ツール”なら、価値を掘り下げるなんてのは煩わしい作業かもしれない。それこそ、タイパが悪いのだ。

まぁ、昔から大衆の人気なんて移ろいやすいものなんだけど、そのスピードがものすごく速くなっているような気がする。

 

世の中には、作品の本当の価値を見抜き、独自に評価し、大衆に知らせて長く保存しようと努力する人たちが、どの時代にもちゃんといた。

そういう才能を見抜く能力と強い信念を持つ人たちがいなかったら、私たちはゴッホや宮沢賢治を知らなかったし、初演時に散々酷評された『白鳥の湖』や『春の祭典』をこれほどたくさん聞くことはなかったんだろう、

ビートルズだって、当時の評論家たちは眉を顰めてバカにしたのだ。

 

ただ、こういう事-”本物”を見極める事って時間がかかる。

気づきと検証には、ある程度の時間が必要なのだ。

今みたいに使い捨ての文化消費が凄いスピードで続いていくと、私たちはもしかして、これから生まれてくる”本物”を見逃してしまうかもしれない、、。

 

な〜んて、ちょっとだけ心配になった。